高齢者における自覚的聴力と音環境評価に関する研究

 

氏 名  落合 英伸

(人間生態学研究)

指導教官 山川正信教授

 

序   章

 

都市部では、日常生活の中で様々な音に囲まれており、音による影響を受けることも多い。今後、高齢化が進むと都市部においては、高齢者専用施設に高齢者が居住することが増えてくると考えられる。一方、行政の騒音評価に対する考え方は、騒音による影響は個人差が大きいため、対処療法的な後追いの指導しかできないのが現状にある。また、評価の際には、受け手の聴力特性を考慮した考え方がなく、聴力低下者と騒音による影響に関する研究や科学的な知見が研究者によっても得られていない。

本研究では、大阪市内のケアハウス入所者を対象とした音環境に関するついて意識調査および、また、日常生活の中で必要な音情報の一つである非常ベルの音圧レベルと認知度について調査し、することで、高齢者施設(集合住宅)におけるが感じている音環境聞こえの困難さによる影響や聞こえの改善の必要性について検討した。

 

1章 高齢者における騒音、聴力に関する先行研究

 

1.騒音評価の現状

騒音問題の評価基準として用いられている環境基準や工場等の規制基準は、都市計画上の用途地域に応じた規制であり、一律的な規制が行われている。高齢者専用施設が集合して設置されている場合には、特に静穏を要する地域として都道府県知事により指定を受けるが、1施設が立地する場合には、地域指定の考え方が優先され、特別な配慮はなされない。また、騒音規制値は、聴力低下を考慮したものにはなっていない。

2.騒音の影響に関する知見等

1)騒音と住民反応

 山川ら1)が行った京都市全域における生活騒音とその不快感調査では、自動車等交通機関の騒音をうるさく感じる理由として、「大きい」、「回数が多い」、「長く続く」等を挙げ、交通機関以外の騒音では、「回数が多い」、「目立つ」などがその理由となっている。また、住居構造の違いによっても被害を受ける騒音源の種類は異なり、集合住宅では階上の音や給排水音、ドアや窓の開閉音等の被害に関する多くの報告がされている。

これらの研究からも騒音による不快感(anoyance)は単に音の大きさだけでなく、建物の構造や立地条件、頻度や持続時間、人間関係といった心理的要因を含め、様々な要因がある。

2)騒音の影響

 騒音による影響(表1)には、不快感の他に一過性の強い音や持続的に高レベルの騒音

表1 騒音による影響

 

区  分

種      類

聴力低下

一時性聴力低下(TTS

永久性聴力難聴(PTS

聴取妨害

テレビ、ラジオ、

会話等の聴取妨害

心理・情緒的

妨害

不快感、うるさい、

イライラするなど

生活妨害

睡眠妨害、仕事や勉強、読書

身体的影響

自律神経系・内分泌系への影響、

頭痛、耳鳴り等

に暴露された場合などに起こる聴力低下と会話妨害、テレビの視聴妨害、睡眠妨害などの生活妨害に分けられる。また、高齢者では、健聴者に比べて文章了解度が低下することが実証されている。

3)補聴器の使用等に関する課題

高齢者が補聴器を使用・購入しない理由としては、全国社会福祉協議会2)によると、購入しない理由には、「聞こえが悪いのはしかたがない」、「補聴効果がない」、「高価である」といった理由となっている。また、購入後使用しない理由としては、「補聴器を付けると周りの雑音が聞こえすぎる」、「操作が面倒」などの理由となっており、補聴器自体の性能や使い方に関する問題点がある。

 

第2章 騒音による心身への影響に関する適法性

 

騒音公害では法的には健康被害までは容認されておらず、生活妨害に止められている。しかしながら、公共施設であっても請求自体の適法性は認められている事例があり、騒音による人への影響は、生活の質を確保する上で、法的にも重要な要素となっている。

 

第3章 大阪市内のケアハウス入所者の音環境に関する意識調査

 

1.目 的

加齢に伴う老人性難聴はコミュニケーション障害を始めとする生活活動の制約など、高齢者にとっては非常に重要な問題である。そこで高齢者の自覚的な聴力の程度と認知する身の回りの音環境との関連について調査し検討した。

2.対象と方法

大阪市内のケアハウス13施設に入所中の399名を対象に、補聴器の使用状況、自覚的な聴力の程度(4段階)、身の回りの音および悩まされている音と生活妨害の程度等計11問からなる自記式質問紙調査(アンケート調査)を行った。

3.分析方法

 調査データの集計・分析にはSPSS for Windows Ver.10.05Jを用いた。独立性の検定にはχ2検定を用い、危険率5%以下の場合に有意差ありとした。

4.結 果

1)聞こえの程度と補聴器使用との関係

回答の得られた292名中「聞こえに不自由を感じている」者は31%(90名)で、年齢別にみると、60歳代8.8%(3名)、70歳代22.7%(30名)、80歳代45.2%(57名)と、高年齢群ほど聞こえに不自由を感じている者が多くみられた(p<0.05)。

補聴器を使用している者は全体で36名(12.7%)、補聴器の使用率を年齢別にみると、80歳代が17.8%(24名)と最も高く、70歳代8.9%(12名)、60歳代8.3%(3名)であった。

また、補聴器使用者のうち常時使用する者は約半数であった。補聴器の使用と聞こえの程度の関係をみると、補聴器未使用群では、聞こえに不自由を感じている者が24.8%(65名)みられ、補聴器未使用者のうち「補聴器を必要」と感じている者は8.4%(20名)と少ないが、聞こえに不自由を感じている者では、50%の者が補聴器の必要性を感じていた。一方、補聴器使用者でも、約8割が聞こえに不自由を感じていた。したがって、補聴器の性能上の問題や適正使用に対する課題解決の必要性があると考える。

2)聞こえの程度と身の回りの音

身の回りで認知する屋外騒音では「自動車騒音」が多く、室内騒音では「隣室の扉や窓の開閉音」、「冷暖房機のモーター音」、「トイレや風呂の給排水音」が多かった。また、それらの音のうち気になったり悩まされている音と聞こえの程度との関係をみると(図.1、図.2)、屋外騒音に悩まされている者は聞こえに少し不自由を感じている群でやや多くみられた。室内騒音では、聞こえに不自由を感じている群の方が、不自由を感じていない群に比べて「モーター音」、「トイレの給排水音」といった低周波域の音源に悩まされている傾向がみられた。また、施設の土地利用状況別では、施設周辺が静穏な地区において、室内騒音の「トイレや風呂の給排水音」に悩まされている率(9.7%)がその他の地区に比べて高かったp<0.05)。これは、屋外騒音レベルが低いために、“うるさい”レベルではないが、“気になる”または“不快”な音となっており、集合住宅の特徴的な騒音影響が現れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


図1 聞こえの程度と悩まされている音(屋外騒音)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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* p<0.05

 

 

図3 騒音によって受ける影響

 

 

 

3)騒音による迷惑の程度

騒音によって何らかの影響を受けている者は、41.7%(141人)みられた。その内訳(重複回答)をみると、「気になるがたいしたことはない」と答えた者が73.0%と最も多く、次いで「睡眠妨害」19.8%、「イライラしたり腹が立つ」13.5%の順で多かった。迷惑の内容を聞こえの程度との関係でみると、図2に示すとおり、不自由を感じている群で、「会話の妨害(16.7%)」や「電話・テレビ等の聴取妨害」を挙げるものが多かった(p<0.05)。施設の土地利用状況別に迷惑の内容をみると、1日の騒音暴露レベルの高い道路沿道地区や商業・工業地に立地する施設入所者で、「電話やテレビ・ラジオの聴取妨害」を挙げる者が多く(p<0.05)、睡眠妨害を除くその他の迷惑についても、道路沿道地区や商業・工業地区にある施設入所者にしか該当者がみられなかった。また、道路沿道地区の施設入所者では、聴力低下者の方が「会話妨害」や「睡眠妨害」を受けやすい傾向にあった。

4)苦情の訴え

騒音に対して「苦情を訴えたことがある」と回答した者は11名(5.5%)みられた。道路沿道地区や商業・工業地区の施設入所者では、騒音による迷惑を受けている者が多いにもかかわらず、苦情を訴えた者の割合は、地区別の違いはみられなかった。つまり、騒音による迷惑を受けていても、訴えずに我慢することが多いと考えられる。

 

第4章 避難時警告音の認知調査

 

1.目 的

 A施設では老人性難聴者の居室が施設の端に位置し、非常ベル音が聞こえ難いため、非常ベルの増設が検討された。そこで、非常ベル増設前後の非常ベルの騒音レベルおよび認知度から非常ベル増設による効果について検討した。

2.対象と方法

被験者は、近くで大きな声で話さないと聞き取れない被験者Aと、特に聞こえに不自由を感じていない被験者Bの居室外と室内のベッドサイドにおける非常ベルの騒音レベルを測定した。

3.結 果

 非常ベル増設後の両被験者の室外における騒音レベルは、施設全体に約90dB前後で伝わっており、室外にける非常ベルの騒音レベルは、被験者Aでも聞き取れるレベルに改善していたが、ドアを閉めた室内では被験者Aには認知できなかった。

また、非常ベル音は施設内全体に90dB以上で伝わっており、これ以上室外の非常ベルを増設しても大きな改善につながらない。したがって、著しく聴力の低下した入居者に対しては、非常ベル以外の対策として室内に非常時の警報装置を設置する、または、非常階段に近い部屋にし、緊急時の連絡体制を確立するなど、個別の対応が必要であると考える。

 

第5章 結  論

 

今回の調査結果から、補聴器の使用状況、聞こえの程度と騒音による影響や不快感に関しては、以下のような特徴が得られた。

@     補聴器使用者でも、約8割が聞こえに不自由を感じており、常時使用者も半数にとどまっていた。

A     聴力低下者の方が、「会話妨害」、「テレビ・ラジオ等の聴取妨害」が有意に多かった。

B     屋外騒音レベルの高い道路沿道地区や商業・工業地区の施設入所者で、「イライラしたり、腹が立つ」、「体の具合が悪くなる」、「会話の妨害になる」といった迷惑を挙げる者が多く、道路沿道地区の施設入所者では、聴力低下者の方が「会話妨害」や「睡眠妨害」を受ける割合が高かい傾向にあった。

C     室内騒音では、静穏な地区において悩まされる者が多く、モーター音、階上の床の音、人の声などに対する苦情が発生しており、集合住宅の特徴が得られた。

D     日常会話困難者では、ドアを閉じた室内において非常ベル音が認知できなかった。

 

以上の結果から、今後、高齢化がさらに進むことで、都市部では高齢者施設が道路沿道地区などの高騒音地区にも建設され、また一般住宅に住む高齢者も増えることが予想される。したがって、高齢者の聴力特性を考慮した科学的な知見に関する検討の必要性が示唆された。特に、集合住宅では、人の声など心理的な問題を含む苦情もあると考えられるが、聴力低下者では、モーター音、排水音といった低周波音に悩まされる傾向にあったように、“うるさい”と訴えられた内容に対して、すべてが心理的な影響であると判断することがないように、施設の担当者が音の問題の性質を認識する必要性がある

また、非常ベルの騒音レベルおよび認知度調査からは、聴力低下者が睡眠時や外部騒音の影響が強い場所において非常時の警告音を聞き取れない事態も予想される。施設管理者や市町村の担当者は、このような特性を十分認識し、非常ベル以外による危機管理体制を確立することが重要である。同時に、高齢者が適切なコミュニケーションを図り、「聞こえ」の問題を改善することは、社会参加を促進し高齢者のQOLの向上につながることから、行政は高齢者の聴力特性を踏まえ、補聴器普及の啓発活動や推進を図る必要があると考える。

 

まとめ

 

 本研究では、ケアハウスのような高齢者専用の集合住宅における音環境に関する特徴および聴力低下者の影響について明らかになった。しかし、高齢者に対する総合的な音環境評価の考え方を構築するためには、一般住宅居住者に対する調査・研究や高騒音地区における騒音の影響と騒音レベルとの関係などに関する研究を行う必要性がある。

 

 

 

引用・参考文献

 

1)山川正信、佐々木武史:騒音の不快性に関する研究,公害と対策,4月号,P354〜361(1989)

2)社会福祉法人 全国社会福祉協議会高年福祉部,補聴器普及および音環境に関する調査研究報告書(平成6年)