伊賀路 赤目四十八滝渓谷 平成16年7月3日 晴
 
荷担滝
 
沢をわたる涼やかな風に、この身を吹かせ、絶えぬ滝の音を心底に響かせたいと、ふと思った。梅雨明け間近の蒸し暑い朝である。同行三人、名張市の赤目四十八滝渓谷を逍遥した。「名張」の語源「隠(なばり)」とは、どこか忍者めいてゆかしい。国道165号を辿り、女人高野室生寺への道に入らずに、国境を越えて伊賀国に至ると、赤目四十八滝への岐れである。しっかりと立ってきた稲苗に覆われ、青々とした水田の道を辿る。風が水田の上をはしる。いや、稲の原が一筋の白みを帯びて伸びゆくので、そこに風の在処を知るのだ。滝川の流れが見下ろせるようになると赤目の里。この「赤目」なる地名は、修験道の祖役行者の修行中に赤目の牛に乗った不動明王と出会った伝説に由来するとのこと。山岳宗教の聖地であり、地元では信仰対象としての「滝参り」がなされてきた。展望駐車場から土産物店のならびをぬけて、滝入口ゲート(入場料三百円)。通路となっている日本サンショウウオセンターを見学。ぬるりとした姿の彼らはちっとも動かない。まるで太古の昔からそのままの恰好で踞っていたかのようだ。「じゃんじゃの水」という湧水からいよいよ滝参りがはじまる。川岸の細い道を辿っていく。苔むした岩々の間を川は縫い流れる。早む瀬。岸と川面は一体となり、そこに木々をこぼれた陽光が陰と明との模様をつくる。一清の川の色。川底の群れなす小魚の泳ぐ姿が透けて見える。それほどに清澄である。心は、晩秋もみぢ葉が散り浮き、紅色に染まる流れを思い描く。
 
布曳滝
 
滝と渕とを交互に楽しみながら歩いていく。谷風が吹き抜ける川幅の狭まった所、ゆったりとした穏やかな道、あるは峙った岩壁の細道、スポットライトのように陽が差し込んだ川原、落石注意の立て札のある崖下、千変万化する道を歩く。不動明王に因んでその名を付けられた不動滝。戦に敗れ追っ手から逃れるため、千手姫と草之助の恋人どうしが滝壺に身を投げたという、幾筋もの流れに岐れた白い水が落ちていく千手滝。豪族の姫が紅葉の美しさに歌舞し気が付けば断崖絶壁の上に立って途方にくれていた。懇ろに神様に祈ると紅葉の枝で百尺の布を織り、それを垂らせとのお告げとともに機織機がくだされた。そのお告げに一心にしたがい姫は助かった。垂らした布が一条の滝となったという布曳滝。山桜を得るために男神をたぶらかした女神がいたという竜ヶ壷。百畳敷きの手前で弁当。危うく水筒を流してしまうところであった。さらに上流に歩をすすめる。見上げると積み上がった岩から夕立のごと水滴がしたたる雨降滝をくぐる。大岩に堰かれて二手に岐れてたぎり落ちる荷担滝。この荷担滝から引き返す。道行く人の声さえも消え去る轟音の大滝、すがすがしい滝の音、すずやかな音色の小滝、静寂さに時が止まった渕々。茶店でくつろぐ人、川原で食事をする一団、子どもに水浴びさせる家族づれ。滝参りの人々で賑わっている。多くの人が一時をこの場所でくつろぐ。会者定離の習い。百畳岩の賑わう茶店で山水で冷やしたラムネを一気飲み。流れに沿って下っていく。同じ滝でも上りと下りとでは、情趣が違っていた。見返りの滝はどこかしら哀愁が漂う。こうして遊歩道を緩やかに歩きながら大小とりどりの滝を見歩く三時間ばかりの逍遥となった。耳の底にかすかに寂しげな滝の響きを残している。じっくりと健康的な汗をかいた。名物の焼き草餅を求めてほおばる。帰途に山の湯に立ち寄って、鄙びた温泉にじょんのりとつかる。広島県在住の友人を五位堂駅まで送る。夕空には入道雲の雲峯があかあかと染まっていた。なにやら寂しい夏の暮れ方である。油断をした寸神の胸に、あの滝音がどうと聞こえた。