大和路 飛鳥の里 天香具山 平成16年4月18日 晴
 
甘樫丘の麓飛鳥橋附近からの東方の風景
 
茫漠たる歴史の白霧の向こう側から、幼い「国家」のかたちが、蠢動した古墳時代をくぐりぬけ、ようやく細い線ながらも立ち現れてきた。神々の時代から、神と人との饗宴の時を橋渡しにして、ここに人が主役の時代がやってきたのだ。古代国家、大和王権の誕生である。この時代、仏教という新しい洗練された思想が招来されて、在来の縄文の世からつづく「国つ神」を祭る暮らしに波紋を立てた。古代豪族たちの大きな諍いがあった。没落する者と隆盛する者とのそれぞれの悲運と歓喜がこだまする。時代のうねりに、ただ黙って見守ることしかすべのない者、いつしか巻き込まれてしまう者の、溜息と悲憤。眼前の飛鳥の地は、穏やかな風景の下に、躍動した国造りの時代の思い出を、ひたすらに秘めた静謐のなかにある。この地に立ち、この地を歩く者に、郷愁に似た感慨を抱かせる。たたなづく青垣。とりよろふ古墳群。芹を育てる飛鳥川のせせらぎ。古い池に遊ぶつがいの鴨。いちめんの菜の花は春のふくらみを知らせ、無骨さと可憐さを同居させたれんげ草は、まもなくの田植えの季節をいざなう。古都飛鳥をわたる風に、はるかな「思い出」を呼び戻す。遠い彼方の昔に、どこかで、たしかに見たという記憶がよみがえってきた、気がした。はたしていつの日であったか。
 
雷丘附近からの天香具山
 
ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも
(万葉集巻十 1812 柿本人麻呂)
(天香具山にこの夕方に霞がたなびく。ああ、春になったなあ。)
 
甘樫丘の東麓から、大和三山の一峰の天香具山まで歩いた。なだらかな丘陵である甘樫丘は、大化改新時に誅殺された、蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅跡でもある。少し歩けば、すぐさまにうっすらと汗ばんだ。立ち止まりつつ口に含むお茶がおいしい。もはや初夏の陽気。飛鳥川の清流にそって北上する。青々と繁った川芹の合間に砂地の川底が透き通る。大和棟の家を交えた集落が、菜の花と蓮華の花の咲きほこる畑の向こうにのぞく。白壁が美しい。飛鳥浄御原宮跡伝承地を右手に眺める。壬申の乱に勝利した天武天皇(大海人皇子)が律令国家への一歩となった浄御原令を制定した所。雷丘の横を過ぎる。春耕をすました田圃の畦にしばし佇む。ならんだ畝がまっすぐに伸びる。そして、こんもりした杜をつきぬけて、空の下の遠山までとどくかに見える。野の中に大官大寺跡がある。左手にはずっと畝傍山が伴歩する。たえず正面にあった天香具山は、霞んでいる。天香具山は、神々の住まいする高天原から降ってきたという伝承があった。大和三山のなかでも、とりわけて神聖な山とされてきた。
 
大官大寺跡附近から東を望む
 
天香具山南麓の集落を抜ける小径の脇に小さな石の鳥居が立つ。そこをくぐると木立闇のなかに時さびたこじんまりとした拝殿。静かな神域である。天照大神を御祭神とする天岩戸神社である。拝礼。裏手に回ってみると、玉垣内は、七本ずつ生え替わるという真竹の林であり、割れた天岩窟が繁茂した竹の間から見える。再び鳥居を抜けて、小さな辻を曲がって、農家の裏手の上り坂をゆく。草刈りをする人に会釈。雨ざらしの朽ちたリヤカーが納屋の壁に立て掛けてあった。天香具山をめぐる平坦な道になる。すぐに天香具山神社と頂上への道との岐に出会う。柿の若葉が美しい。その枝葉の間から耳成山が三角錐の端正な山容をのぞかせる。万葉歌の歌標を見て、木間影の涼しい坂道を上り始めたと思うと、たちまちに頂上に辿りつく。涼風の吹く清々しい広場である。國常立神社と高オカミ神社が並んで祭られている。それぞれに拝礼。西方の畝傍山とその奥に霞む二上山を眺めながら弁当を開く。分岐点まで戻り、山をめぐる小径を、のんびりと歩く。南浦集落の手前で、天香山神社(天香山坐櫛真智命神社)と出会う。御祭神は、櫛真知神。天香具山を御神体とする。石の鳥居の奥にすすみ、玉砂利を踏んで拝殿に入る。拝礼。境内には、古代の占いの太占に使った「波波迦」(ハハカ・朱桜)の木や、「皇祖天神十拳の剱を振滌し給し聖地」という「天の真名泉」がある。泉といっても僅かに水がしみ出ているばかりであった。
 
北麓から天香具山を望む
 
『古事記』の「天の石屋戸」の条には、「天の香山」が登場する。高天原にやってきた須佐之男命(素戔嗚尊)の悪さに怒った天照大御神が天の岩戸にお隠りになった。世界は闇に覆われ、萬の禍が世に満ちた。なんとかしようと八百萬の神は、天安の河原に神集いして相談した。思金神が思慮の限りをつくして作戦を練った。常世の長鳴鳥を集めて鳴かし、鏡を作り、「天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩を内抜きに抜きて(牡鹿の肩の骨をそのまま丸抜きにして)、天の波波迦を取りて、占合ひまかなはして、天の香山の五百津真賢木をねこじねこじて(根のまま掘り取って)、(中略)、天手力男神、戸のわきに隠り立ちて、天宇受売命、天の香山の天の日影(さがりごけ)をたすきにかけて、天のまさきをかづらとして、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、(後略)。」と見える。もともと天香具山は、神々の国である高天原にあったと思われていたものか。しばらく神話の世界に遊んだのちに、神社を立つ。ツツジの咲く農家の庭を見ながら北麓の道に出る。振り返れば、裾野の畑を従えて、より鎮まった香具山の姿があった。古池の縁に立つ石の仏様にご挨拶をし、万葉の森を散策。天香具山の東麓から、甘樫丘を目印に、畑の中の道をぬいながら南下する。脇の小川には、アブラハヤの稚魚たちが、人影に驚いたのか、びりびりと機敏に泳ぎ去る。飛鳥集落の小路に入る。馴れぬぎこちなさで手水を使う若者たちがいた飛鳥坐神社から、右に折れる。飛鳥寺にも飛鳥水落遺跡にも立ち寄らなかった。甘樫丘の麓にやっとこさたどり着く。蜜柑を売るおばあちゃんの露店に立ち寄る。蜜柑を買おうとしたら、灰汁抜きした新筍を勧めらて、結局、ビニール袋に入った筍を買う。発砲スチロール製の保冷箱にあったのでひんやりとしていた。立ち去ろうとすると、後から呼び止められて、もう店終いだからと蜜柑をたくさんいただいた。筍の方を買って良かったと内心うれしかった。飛鳥路の古代への幻想は、こうして筍と蜜柑で、やっぱり現実の世に引き戻されることになった。