河内路 枚方 意賀美神社−蹉ダ神社 平成15年11月23日 小雨
 
式内意賀美神社
 
秋は逝く。昼から弁当を携えて散策に出る。京阪枚方市駅の近くの意賀美神社まで歩く。小雨が降る。広げた傘にぱらぱらと音をさせる。小風に舞ってきた落ち葉が一葉へばりつく。駅の賑わいを背中に線路沿いの道を枚方公園駅の方向に向かう。まもなく神社へ上る石段に出会う。一段ごとに淀川の流れが見えてくる。すぐに意賀美神社の梅園。山茶花が深紅の花を咲かせていた。ここを抜けて参道の石段を駆け上がる。一人の老人が参拝する。意賀美神社の御祭神は四柱。すなわち、タカオカミノオホカミ(水の神、淀川の鎮守の神)、素戔嗚大神、大山咋大神、大国主大神である。この神社はもともと伊加賀村宮山にあって、淀川の鎮守として通航安全、水害排除の祈願のために創建されたと伝えるとのこと。明治四二年に日吉神社、須賀神社を合祀し現在の地に遷座。参拝。御神木の連理の榊。風は小枝を揺らして鳴る。神社境内には、大砲を象った忠魂碑がある。拝礼。長い石段を下りて、古風な板壁の続く路地を抜けて線路沿いに歩く。京阪枚方公園駅に至る。公園に遊びに来ていた子ども連れの家族たちが、雨のために、早々切り上げて帰ろうとするために混雑している。泣き叫ぶ幼子が数人。おそらくまだ遊び足らないうちに帰らねばならないことへの抗議であろうか。
 
蹉ダ神社鳥居
 
公園の寂しく響く遊具の音を後にし、ひっきりなしに走る京阪電車の通過音を聞きながら線路沿いの道を往く。京阪光善寺駅を過ぎたところで、一道奥の路地に入る。狭い道であるが、脇の石造りの用水路には水が走り、焼き板の塀が伸びる。白壁の家。適度に曲がりくねる道。柿が実る。人の暮らしの場である。小雨は瓦屋根をしっとりと濡らす。お年寄りたちに道を尋ねる。「コノミチ マッスグ イットクレナハレ」。言われるままに路地を進む。やがて大きな石の鳥居の前に出る。山の手に歩を向ける。こんもりとした神社の杜に行きつく。蹉ダ神社である。御祭神は菅原道真公。天暦五年(西暦951年)創立。由緒書きを読む。延喜元年(西暦901年)正月、菅公が太宰権帥として九州筑紫国の太宰府に左遷され、任地に赴く途中、この山にてしばし休息。遙かに京の都を望み、深く名残を惜しんで旅立つ。この休息した山を菅相塚と称する。都に残った子どもたちの中に鍾愛深かった苅屋姫は、別れを惜しんで跡を慕って、この地に来たが、その願いは叶わず。遙かに西天を望んで蹉ダ(足ずり)して悲嘆した。この旧跡を蹉ダ山と名付ける。菅公は配所にて丈三尺二寸の御座像を手づから作った。村人は当山に社殿を造営し近郷二十有五個村の産土神総社として斎き祀ったという。郷社である。石段を登り絵馬堂をくぐり境内へ。灯籠が並ぶ。参拝。隅に小さな堂があり、薄暗がりを格子ごしに覗けば、石づくりの神牛がこちらを見ながら寝そべる。裏手から山を切り崩し住宅街になりつつある尾根に出る。こうして、由緒のある神社を結び歩いた3時間あまりの小散策を終えた。弁当は持ち歩いてたあげくに家で食べることになった。