摂津路 平野郷       平成14年11月24日  天陰
 
大阪市の南東部の平野は、戦国時代、堺と並ぶ自治都市として有名である。二重の環濠と土居で町を囲い、遠見矢倉を設け、十三の出入り口に惣門を構えて自衛した。河内木綿の集散地であり、江戸時代には大坂天満を往来する柏原船の発着地として繁栄した町でもある。現在でも大東亜戦争時の空襲の罹災をまぬがれた古い街並みを少し残している。街を歩けば、歴史の薫りが感覚に染み通る。どこかよそよそしいビルディングの林立する都心部とは異なる、人々の確かな暮らしの息づかいに満ちている。そんな平野郷を職場の仲間たちとそぞろ歩いた。この町では、平野を愛する篤志家の方々によって、町おこしとして、「町ぐるみ博物館」の取り組みがなされている。「鎮守の森博物館、幽霊博物館、町屋博物館・今野家」など11ヶ所の小さな博物館が用意されている。本日は約4時間をかけて、JR平野駅を基点に、大念仏寺、町屋博物館・今野家、新聞屋さん博物館、全興寺、環濠跡、杭全神社をゆっくりと巡ることができた。それぞれの場所で詳しい説明を附属平野中学校の先生お二人にしていただくことで、現前の風景に歴史の彫刻がなされ、わくわくする知的な散策となった。
 
融通念仏宗総本山大念仏寺
 
JR平野駅から南下しR25号を渡れば、旧奈良街道の細い道に出会い、大念仏寺の高い塀が見える。馬場口地蔵の祠がある。ここから内側がかつての環濠集落である。紅葉の大念仏寺を拝観する。広々とした境内に立ち入れば、心が解き放たれるような感覚になる。良忍上人によって開創された融通念仏宗のお寺である。本堂は大阪府下では最大の木造建築である。本堂でお坊さんからお寺の由来をお聞きし、お茶の接待をうける。本堂外陣には大数珠が張られている。当山は幽霊が残したという「亡女の片袖」や幽霊の掛け軸があり、幽霊博物館となっている。夏になればマスコミによく登場するお寺でもある。毘沙門天を拝して街に戻る。古い板壁が点在する住宅街を抜けて、「町屋博物館・今野家」に立ち寄る。江戸時代後期に建った、当時の農家の住宅である。小さい外観とは違って、内側は広くかつ趣味のいい造りである。道具類や暮らし方についての、今野さんご夫妻の懇切な説明に聞き入る。
 
新聞屋さん博物館
 
再び小路を歩いて平野商店街に入る。生活品を扱ういろんな商店がひしめき合っている。人間の暮らしとも形容できる匂いが空間に満ちる。人の人としてのぬくもりを大切にして生きる場所をつくるならば、きっとこんな匂いになるのだろう。大正風のモダンな建物の新聞屋さん博物館を訪れる。創業明治22年、大坂市内でもっとも古い朝日新聞販売店の「小林新聞舗」である。ここには明治からの新聞や号外が展示されている。近代日本の歩みを新聞を通して駆け足で振り返ることができた。『ひらののオモロイはなし』(1989.8 平野の町づくりを考える会)を購入。隣の全興寺には、「駄菓子屋さん博物館」「平野の音博物館」がある。全興寺には地獄めぐりやほとけのくにという視覚や聴覚を刺激する仕掛けがあり、ちょっとした「異文化」を体験できる。境内には石の道標が立っていて交通の要所であったことをうかがわせる。
 
平野郷惣社杭全神社
 
商店街を抜けて、樋尻口地蔵。大坂夏の陣の折、家康公が真田幸村の仕掛けた爆薬にあやうく難を逃れた場所である。お地蔵さまの首は全興寺まで飛んだとのこと。道の向かいには徳川方の武将安藤正次の墓所がある。次いで平野公園内にある、環濠と土居の跡を見る。引率してくれた先生の子ども時分は、この環濠でザリガニを捕って遊んだという。いまは太鼓橋が砂の上にかかるばかりだ。環濠の跡をたどるようにして、小路を曲がりくねって歩く。土橋友直によって創設された学問所「含翠堂」の跡を見る。いまは小さな石柱が立つ。さらに歩く。旧柏原船の発着場であった「船入跡」に至る。今は民家となっている。杭全公園の環濠跡を見学。
 
本日の最終地、杭全神社に着く頃にはすっかり日が陰っていた。参道には樹齢千年を越える「楠さん」と親しまれる樟がある。その大きさと威厳に圧倒される。神域は一種独特のあらたまった、気の引き締まる雰囲気。御祭神は素戔嗚尊、熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)、伊弉諾尊である。七五三の時期で着飾った家族たちがお祓いを受け、記念写真を撮っている。節目節目を大切にする幸せな時間を家族が共有している。我が国で連歌のための建物としては現存する唯一の「連歌所」で宮司さんから連歌と連歌会のお話を聞く。中門にて神社の縁起と平野の地名の由来、夏祭りの「だんじり」の話をお聞きし、境内を散策。樹齢五百年を越えるたらちねの銀杏の老木を見上げる。後、社務所の一室をお借りして休憩。「和菓子屋さん博物館」の梅月堂の酒饅頭をいただく。作りたてで平野酒がほのかに香るふくよかな味を楽しむ。みなさんがお土産にしようと残されるのを横目に、あっという間に一箱たいらげた。
 
古地図「攝州平野大絵図」と見比べつつ平野郷の今を歩いた晩秋のひとひ。碁盤目の小路のそこかしこに歴史が刻まれていた。しかしそれは、それとして意識しなければ単なる古びた風景として素通りしてしまうほどにさりげない。冬の訪れを告げる冷たい風に頬を赤くしながら、都会の風景のなかに埋没しそうになりながらも、たしかにそこにある古い日本の姿を見出す。晩秋の小さな旅となった。