大和路 葛城古道 一言主神社 平成16年2月22日 晴
 
葛城一言主神社
 
葛城古道の畑にひとむらの菜の花がゆれている。梅の香がどこからともなく届けられる。ほんの数日前まで春は名のみであったが、風のぬるみに、はや春の訪れを知る。雲雀が高くさえずる。畝傍山が霞む。吉野の山は靄の中に隠された。大学院生とともに朝から勉強会。昼食後にひとしきり作業をこなした。休憩時に、葛城の山の東麓にある一言主神社にお参りした。御祭神は、一言主大神、幼武尊の二柱。この一言主大神は、一言の願いであれば何事もお聴きくださる神様として、近郷では、「いちごんさん」と呼ばれ、親しまれている神様である。一言主大神が顕れた時のことが古事記(下巻)の雄略天皇紀葛城山の条に見える。ある時、天皇が葛城山に登った。向かいの山の尾根に、天皇の行列と、人数から装束まで瓜二つの行列があった。それを見て、天皇は、倭の国に自分以外に王は無いものを、誰の行列か、と尋ねさせた。ところが向こうも同じように問い返した。天皇は忿って弓に矢をつがえ、百官も矢刺した。すると、やはり同じように向こうの行列の人々も弓に矢をつがえた。天皇は「然らば其の名を告れ。爾に各名を告りて矢弾たむ」と問うた。そこで「吾は悪言(まがごと)も一言、善言(よごと)も一言、言い離つ神、葛城の一言主大神ぞ」(この神の一言で凶事も吉事も決まる意)と答えた。天皇はかしこみ、無礼を侘びて、大御刀や弓矢、百官の衣服を脱がして拝み献じた。一言主大神は手を打って捧げ物を受けた。(手を打つのはよろこび祝福する意を示す所作)。天皇が帰る際には、山の峯から長谷の山の山口にお送りになさった、と。日本書紀雄略紀四年二月の条では、名は「一事主神」とあり、「言詞恭格、有若逢仙」と記す。大神と幼武尊は、仲良く轡を並べて鹿狩りを楽しんでもいる。
 
 
一言主神社境内と御神木乳銀杏
 
参道に一人の老女が腰を下ろして休んでいた。春耕を済ました田圃に烏が群れている。家でとれた野菜が農家の納屋の前に無造作に並べて売られていた。菜の花を一束もとめた。祓戸社で身の穢れを祓い、石段を上る。拝殿にて拝礼。御神木の乳銀杏の大木は、樹齢千二百年の古木である。拝殿脇に蜘蛛塚がひっそりとある。ふと、伝承の内に秘められた、地の底からのつぶやきを聴いたような錯覚にとまどった。一瞬、目の前が真っ暗になった。これはいけないと、気をつよくした。境内から春霞の大和平野を眺めて時を過ごす。なにかに急かれる日々から暫し離脱できる穏やかさと安らかさがここにある。参道脇の畦道には、稲藁積の向こうに白梅が咲いていた。夕食の一品に菜の花のおひたしを添えた。ほろ苦い春の味がした。こうして春が去り来る。