斑鳩の里 法隆寺−松尾寺−法輪寺  平成14年12月8日 小雨
 
 
松尾山と法輪寺三重塔
 
真珠湾奇襲攻撃を以て米国との戦端を開いた日。小雨の降りしきる初冬のひとひ。斑鳩の里を訪れて、法隆寺から、松尾丘陵にある古刹松尾寺まで歩いた。松尾寺は「厄除の松尾さん」と親しまれるお寺である。所要時間往復4時間。法隆寺前の駐車場に駐車。法隆寺南大門をくぐり、五重塔と大伽藍を眺めつつ、雨に濡れた石畳を東大門へと歩く。すぐに「左松尾道」と彫られた、松尾寺への道を示す石柱を左折する。長い土塀に沿う。脇の溝に小雨の波紋。道の端にお地蔵様がひっそりと居並ぶ。野菜の無人販売の小屋をのぞく。ここら辺りは法隆寺の裏手にあたる。住宅はすっかり途絶えて田畑の風景。さざ波の立つ天満池には鴨が5羽ばかり泳いでいた。池を隔てて斑鳩神社の鳥居が立つ。こんもりとした杜は神さびている。畦道を歩く。竹林では群雀が騒いでいる。取り残しの夏蜜柑の黄色が枯れ色に鮮やかだ。白石畑への舗装道と別れる。紅葉の丘陵を背景に段々の田圃が広がる。道の斜面に水滴を纏ったススキが風に揺れる。そして銀色に光る。大きく深呼吸。案内板と標識を辿る。法隆寺CCの中を抜けると、くぬぎの雑木林に入る。ここからいよいよ上り坂がはじまる。広葉樹の落ち葉に道は埋もれている。歩みの一足ごとにやわらかい感触。高貴な絨毯の上を歩くようなものだ。贅沢な時間。傘にも落ち葉が降りかかる。急坂もなく緩やかな上り道。それでもうっすらと汗がにじむ。
 
松尾寺参道の山道
 
静寂な松尾寺道を登り切ると松尾寺南惣門。風神と雷神の彫刻が出迎えてくれる。奈良時代創建の松尾寺は、約千三百年の歴史を誇る、日本最古の厄除霊場・厄除祈祷の名刹である。ご本尊は厄除観音さま。境内に入ると石段の上に三重塔が聳える。七福神堂を拝観。ご老人の案内と説明を受ける。七福神とは、布袋、寿老人、福禄寿、恵比寿、毘沙門天、弁財天、大黒天。薄暗い室内はお香のよい香りが漂う。大黒様(木造大黒天立像)の前に座って、木槌を2回叩いて願をかける。甲高い乾いた音が室内に響く。見慣れた大黒様とは違って、凛々しいお顔と引き締まったお体の立像。内なる力が自然と外に顕れる。お姿を見つめていると凛と気が張りつめて力が湧き出す。願をかけっぱなしにするのではない、怠らず精進することへの戒め。行者堂の中を見やればはっとする。御簾ごしに大きな役行者小角像が迫ってくるのだ。三重塔を真下から見上げ、右の小径を上ると、天武天皇の皇子の舎人親王の毛骨を祀った十三重石塔。鐘楼の鐘が山中に響く。さらに上ると松尾山神社に至る。鳥居をくぐれば清浄な空間。参拝。鳥居ごしに大和盆地が広がる。本堂でしばらく礼拝。心が静かになる。百八の石段を下って北惣門。
 
松尾寺
 
雨の舗装道を下っていく。道の脇には熟柿のあかね色が連なる。法隆寺CCを横切る。途中の屋根付きベンチで昼食。握り飯に牛肉のしぐれ煮。斑鳩溜池を通り、いちじく畑の丘を抜ける。白壁の民家の屋根の上に法輪寺三重塔がのぞく。小さな門の前には白い椿の花が咲く生け垣。法輪寺は斑鳩の里の北方に位置し、三井寺とも呼ばれる。この名は飛鳥の里から聖徳太子が三つの井戸を移した故事に由ると伝える。境内はこじんまりとしている。講堂の仏様を拝観。木造薬師如来像、木像虚空菩薩立像をはじめ七体の仏様がおいでになった。北魏様式の木造薬師如来像は飛鳥寺の飛鳥大仏(金銅釈迦如来座像)とよく似たご容姿であった。二俵の米俵の上に立たれた米俵乗毘沙門天立像は渾身の力が漲るお姿。冬の日の夕暮れは早い。小寒くなってきた。片野池の横を過ぎる。民家の軒先を抜ける小径。古びた食堂の「いかるがそば」の看板がひっそりと立つ。夢殿の屋根を高い塀越しに眺めると、すぐに西門。留学生の一団に出会う。東大門をくぐり長い石畳を歩いて中門前。五重塔を背中にしながら南大門を出る。門前の茶屋で団子で一服。こうして初冬の斑鳩の里の逍遥をおさめた。広島市の友人を近鉄生駒駅まで送る。