大和路 飛鳥の里 飛鳥稲淵宮殿跡 平成16年5月3日 憲法記念日 曇
 
祝戸の飛鳥稲淵宮殿跡
 
明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立さらめ (万葉集巻七 一三六六 作者未詳)
 
甘樫丘東麓から蜜柑山の丘を越える。摘み残した木なり柑子が、新緑のなかに黄の灯りをともす。田をうつトラクターの機械音が響く。小谷の奥に稲藁積みが塔のように堆く立っていた。竹林の縁を巻く小道と出会う。飛鳥遊歩道との標識があった。川原寺裏山遺跡を過ぎて集落を抜けると、川原寺跡の北側に出る。礎石や基壇の横手で、苗代の水回りをする老人の、古着した野良着の白さが、泥田に貴く映える。この泥田が稲を育てる。泥に汚れねばならぬ。飯をくっていくとは、こういうことかもしれない。目を南に上げれば、橘寺の白く長い土塀と壮麗な伽藍が、そこにある。参道の緩い坂を上る。橘寺の山門脇には竹細工を商う露店があった。
 
川原寺跡からの橘寺
 
境内には入らずに、山手をめぐる小道をゆく。低い土塀越しに境内の伽藍を見る。大きな杉の根本に、人が生きるために命を奪った鳥獣の供養碑が建っていた。命をつなぐために命をいただくことの有り難さを忘れてはなるまい。と同時に、鳥獣の命をとる仕事にたずさわり直面する人の思いを身に刻む。無頓着であってはならない。肉や毛皮が、単なる商品として扱われて、値段がつけられ、「物」の一つとして流通する世の中である。「消費者」という経済用語の乾いた響きに見失ってしまうものに用心せねばならない。「もったいない」「いただきます」という言葉の深さを、あらためて捉え直そう。ありふれた日常言語の一言の裡に秘められた大切な意味に気づきたい。慰霊碑の前に手を合わせた一瞬に、凍り付くような重たさを感じたのだった。香炉寺の門前を抜けて、水を張った苗代の田の横の坂を下る。「あすかルビー」という名の苺を栽培するビニールハウスから甘酸っぱい香りが漂う。お腹がぐうと鳴る。丘陵の麓に引かれた用水路にそって歩く。鮮烈な水がすっと流れ下る。飛鳥川の川音を足下に聞く。サイクリングの自転車とやけにすれ違う。冬野川と稲淵川とが合流する。祝戸橋を通り過ぎる。
 
稲淵川
 
集落を抜けて山道をすこし行くと、飛鳥研修宿泊所「祝戸荘」への上り坂との岐道。ここから稲淵の谷の深さが見通せる。その稲淵川の筋が大きく曲がり、再び小径が出会うところに飛鳥稲淵宮殿跡の石柱が立っている。出土遺物などから推して、七世紀後半頃に造営されたものとのこと。暫したたずむ。石橋を渡る。少し歩くと、リアルに彫刻した「マラ石」。子孫繁栄と五穀豊饒の秋を願う気持ちがかたちとなったものであろうか。あけっぴろで素朴な形象である。若者が跨ってふざけはしゃぐ。古代の人々もまた、屈託のない笑い声をあげていたように思えた。不埒で慎みのないというのは、現代人の見方であろう。地元では対岸の丘陵を「フグリ山」と呼ぶという。みやこ橋を渡って石舞台古墳。古墳の前の飛鳥歴史公園で人々がてんでに休日を楽しむ。小腹が減ったので、焼きたてという幟を立てた露店でメロンパンを買う。木の垣根ごしに、わずかに見越せる石舞台の石を眺めながら頬張る。美味。岡寺の参道入り口あたりから集落の細道に入る。岡本橋のたもとから飛鳥川の流れにそって川下へ歩く。夕暮れの飛鳥寺の方向に、草を焼く紫煙が立つ。桐の花が咲きあがり、もはや道にも散り敷く。時折に鐘の音が聞こえる。入相の鐘。弥勒石を対岸にながめると、まもなく甘樫丘に辿りついた。