伊勢路  伊勢神宮     平成15年3月29日 天晴
 
伊勢路は陽の光に満たされている。のびやかにたゆたふ。伊勢湾からの潮風と紀伊山地から吹き下ろす山風とが出会う。上代から「神風の伊勢」と枕詞が付されて詠まれた。古代から海上交通の要地であった。栄枯盛衰の人模様を見つめてきた。伊勢参宮は庶民のこがれる旅路である。特に江戸時代には流行となり全国津々浦々から伊勢参りにやってきた。『伊勢音頭』の詞に、「わしが国さは お伊勢に遠い お伊勢恋しや 参りたや」とある。平成の御代の本日も伊勢神宮は参拝の老若男女でにぎわっていた。ただの観光ではない。神のまします地に立つ緊張とうれしさとが、そこにある。名阪国道を関ICで伊勢自動車道に分岐し、春霞む伊勢湾を遠望しながら快適な走行を楽しみ、伊勢西ICで一般道に降りる。「内宮」の道路案内標識に従って御幸道路。猿田彦神社の前で左折。内宮・外宮のいずれも市営の無料駐車場が用意されている。五十鈴川の河川敷の臨時駐車場に駐車。川岸から少し歩いて地下道をくぐり参宮街道(おはらい町通り)。太鼓櫓の立つおかげ横町に立ち寄る。町通りを通り抜けると鳥居と宇治橋が目に飛び込んでくる。橋のたもとには衛士見張所がある。警察官の服装と異なる、西欧のホテルマンを思わせる制服の雅な衛士。鳥居ごしに鬱蒼とした内宮の森を眺める。
 
内宮(天皇大神宮)の宇治橋
 
宇治橋を渡る。五十鈴川の清らかな流れ。右手を見れば萌え出る春の木々を背景に日章旗が風に翻っている。白地に赤い日の丸は美しい旗である。参拝者で混雑する橋の上で、福岡県の小学校で教員をしている教え子と偶然に出会う。不思議な邂逅。表参道を歩く。手水舎で清める。玉砂利を踏みしめる音。石畳の御手洗場。両岸の鬱蒼たる樹木の影を宿す。川底の砂の動きさえも見通せる。手先を川の流れに浸してみそぎの真似事。鳥居をくぐって、神楽殿の横を抜ける。樹齢七百年を越える大杉に圧倒されながら、外玉垣を巡らした外玉垣南御門下に至る。石段を上り板垣の内に入る。衛士が厳めしく立ち、脇の役所には白い神主姿の人が座っている。風に白い幕が翻ると瑞垣と拝殿の屋根がのぞく。掘立柱(ほったてばしら)に萱(かや)の屋根が特徴の神宮の建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と言い、弥生時代にまで遡る高床式穀倉(たかゆかしきこくそう)の姿を伝える。この場に立っていると、西行法師の「何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」の歌の意を実感する。古殿池の下をめぐって裏参道を歩き、御稲御倉、外幣殿を見、荒祭宮に拝する。木の合間から拝殿の屋根が光る。不斧の森。神域に風が吹きすぎる。音の方向に目をやれば、ただ大木の梢が揺れているばかりである。神々の乗り物が通り過ぎたような錯覚を覚える。神宮司庁に至る坂道に、一本の桜木が花を咲かせていた。手前から見ていると、どうぞ近くで見てくださいと警備の方がいざなってくださった。
 
赤福本店
 
内宮参拝を終えておはらい町通りに戻る。行き違うこともままならぬほどの人出。一見古い街並みだがさまざまな商店が軒を並べて活気づいている。伊勢うどん、焼き蒲鉾、赤福、魚の干物、松阪牛の串焼き、伝統工芸品など多くの店が軒を連ねる。うきうきとひやかして歩く。短大の卒業旅行と思しき女の子たちが一口サイズの4個の松阪牛を刺した一串4百円の串を買い、「一個百円!」と驚嘆の声を出したのが面白かった。これを頬張ってビールをぐびっとやれば、どんなに幸せか。古風な店構えの飯屋で、伊勢うどんとてこね寿司の昼食。腹八分目。新橋のたもとの、大きな釜で渋茶を沸かしている赤福本店で、お茶付き赤福一皿(250円)を食する。縁に腰掛けて春景色の五十鈴川を眺める。ゆったりとした時間を楽しむ。伊勢市街を抜けて外宮へ。
 
外宮(豊受大神宮)
 
外宮は静寂である。門前の喧噪はない。外宮は内宮にお祭りする天照大神の食べ物(大御饌−おおみけ)の守護神の豊受大神を主神とする社である。雄略天皇の時に丹波の国から迎えてお祭りしたとされている。北御門口から入る。参道も広々として明るく開放感があり、内宮ほどの厳めしさはなく、親しみやすい神域。白い装束の神職さん三人の行列に出会う。衛士を先頭に一列で玉砂利をさくさく踏んできりりと通り過ぎた。神域に相応しい歩み。神殿を拝し、土宮、多賀宮、風宮を順に参拝する。勾玉池の静けさに深呼吸し第一鳥居口から外に出た。
 
神話世界の代表的な英雄である日本武尊は、熊襲を伐ったのち休む間もなく、東国平定を命じられた。伊勢に立ち寄り伊勢神宮で神宮に奉仕するおばの倭姫命(やまとひめのみこと)から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を受け取る。後に草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれる。尊は東国討伐から大和への帰途に、油断のために伊吹山で傷つき、伊勢の能褒野でみまかる。尊三十歳、魂は白鳥となり大和に飛び去ったという。神代のことを千々に想いながら春の伊勢神宮を歩いたひとひとなった。帰路は宮川村から飯高町へ抜けて高見山の麓を通る伊勢街道を吉野に抜けた。