山辺道 石上神宮(布留の社) 平成17年1月30日 小雪
 
石上布留の神杉神さぶる恋をも我はさらにするかも(人麻呂 万葉集巻十一 2417)
 
石上神宮参道
 
布留の里なる南山辺道の起点である布留の社(石上神宮)に参詣した。たおやかな生駒山系の山なみをはるかに背負いながら神宮の参道を歩く。冷たいしぐれはいつしかやみ、きりりとした冬の光線が木洩れる。神さびた静けさに咳をすることさえ憚られる。この地に鎮まりたまう神々の威厳が肌からしみ込む。一枚石に刻まれた人麻呂の歌碑を見る。「をとめらが 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひきわれは」(万葉集巻四 五〇一)。木造の大鳥居をくぐる。注連縄をめぐらし結界した大きな神杉が立つ。白い幣が杉の木肌に冴える。鏡池の辺による。この池には「ワタカ」という日本特産の淡水魚が棲息するという。うすにごる池面を覗き込んでみたがなにも見えなかった。たださざ波がたつばかりだ。見つめる続ける。緑青の池底は、そのまま太古へとつながっているのか。物部氏の祝りの声がおごそかに低く杜の奥から漏れ聞こるようだ。
 
 
拝殿
 
 
休憩所の向かいに鶏小屋がある。数羽の鶏がにぎやかに遊ぶ。右手の林の中は桜井へ延びる山辺道。二本目の神杉の下に結界をつくった祓所がある。その上を白い鶏が餌をついばんで歩き回る。お宮参りの家族が境内を横切る。華やかな着物姿の若い母親と、白絹にくるまれた孫を抱く祖母、横に付く祖父。その姿をビデオに撮りながら後ろ向きに歩くあらたまった背広姿の父親。手水舎で浄めて石段を上る。あざやかな朱色の柱の回廊にそってすすみ、檜皮葺の楼門をくぐる。御祭神は、布都御魂大神。別名を甕布都神、佐士布都神という国平けの神剣 。この神社のはじめは布留川の水神を祀る祭祀であったという。朱色が鮮やかな拝殿では、病気平癒の祝詞が聞こえてきた。邪魔にならぬように柏手を打って拝礼。神庫(ほくら)にはあまたの神宝が納められているという。なかでも「七支刀」(ななつさやのたち)が有名である。「日の御盾」も伝来されている。古代大和王権の武器庫でもあった。
 
石上神宮楼門
 
 
檜皮葺の回廊の屋根は苔むしている。長生殿の塀の横の細道は奈良へと続く山辺の道である。小暗い林の中に石柱が二本立つ。その向こうに石敷きの小径がのびる。立ち入り禁止の立札があったが、それがなくとも足を踏み込むことを拒絶する厳かさがあった。引き返して、楼門の前の石段を上ると、摂社拝殿。西面する天神社と北面する七坐社。右手には摂社出雲建雄神社拝殿。各社に拝礼。この社はまぼろしの大寺、内山永久寺の鎮守社であったとのこと。明治のはじめの廃仏毀釈の禍が、伝統的な日本国の宗教のすがたを見失わせたことを思い合わせていた。「神」と「仏」を対立的に捉えるのではなく、「神仏」として習合的に捉え、尊ぶことの穏やかさよ。世界の宗教対立を見れば、原理主義的な立場で殊更に峻別し合うことの愚かさを思う。神や仏は、そんなケチな存在ではなかろうに。扇動者の思惑で、政治的なことに利用されてしまう危うさ。ましてや他国の者が祭事に口出すことの下心に用心。神域の境内に満るしめやかさに、心を鎮めて鳥居をくぐり一礼して去る。冬の日の透明な明るさに身を晒しながら帰途につく。