大和路 川上村 丹生川上神社上社  平成15年11月30日(日)小雨
 
晩秋の冷たい雨が降りそぼる。濡れた銀杏の葉の黄金色がまったく濃くなって、ただ静かにゆらりと散る。吉野川づたいの国道を辿り、やがて熊野への道が山峡となる川上村を訪れた。吉野川の川底へ深く切り込んだ両岸の山の峰々は、白い雲が隠す。杉と檜の林に覆われた斜面はどこまでも天に続く。川上村は、ヤマユキサンの村であった。山に生まれ、山で育ち、山の仕事をなりわいとして老いをむかえて、山に逝く。そんな山の暮らしがあった。今ではもはや林業のみにて生活するは難しいという。霜月のはじめに方言調査に伺った大滝の方から、宮の原の「森と水の源流館」での「大峰修験道を支えた吉野の民衆」という講演のお誘いをいただいた。それを聴講するために川上村を再訪した。
 
丹生川上神社上社拝殿
 
早めについたので、丹生川上神社上社に参詣した。大滝トンネルを抜けて、村役場のある迫で寺山トンネルの手前から一旦左折して山側に急坂を上る。上るほどに吉野川が見えてくる。新設のダムの水位は故あって低く、往年の川筋が現れている。たたなずく山々の濃緑の中に、波が立ち、白い一筋の流れが蛇行する。まるで一匹の巨大な龍が身をひそめ、いましも天に舞い上がらむとする渾身の力を秘めている。丹生川上神社上社の御祭神は、タカオカミ大神。降雨・止雨をつかさどる山の上に棲む龍神様である。相殿神は、大山祇大神、大雷大神。この神社は大滝ダム湖の底に沈むために、現在の地に新築遷座した。拝殿の前には、狛犬の位置に二匹の駿馬の像が立つ。かつて奉幣に、祈雨には黒馬、止雨には白馬を用いるのを常としたという。南北朝時代の「新葉和歌集」(巻第十六雑記上)に、「芳野の行宮にて五月雨はれまなかりける比、雨師の社へ止雨の奉幣使などたてられける時、おぼしめしつづけさせ給ける」として、後醍醐天皇御製の歌、「このさとは丹生の河上ほどちかしいのらばはれよ五月雨の空」がある。拝礼の後に、参道となっている石段の脇に設えられた休憩所で弁当。霧隠れの山々を見渡しながら食べる。涼風は谷底から吹き上がる。
 
丹生川上神社上社鳥居からの川上村
 
再び国道に戻り、寺山トンネルを抜けると、「森と水の源流館」。「民俗講演会 第3回いろりばた教室」に出席。館内の「出会いの森広場」に作られている「天明の家」の囲炉裏端で行われることによる名称である。本日は聴衆が多かったために、会議室で開催された。「大峰修験道を支えた吉野の民衆」の演題で、吉野町、天川村、川上村の三名の講師が体験を基にしたお話をなされた。山上参りの道筋や宿屋の人の有様、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産登録の現状など、その人でなくては語れない内容であった。時間の経つのを忘れて聞き入った。今は廃れている柏木からの道を歩いてみたいと思う。講演の最後には、館長さんの法螺貝の実演がなされた。講演後、人なつっこい館長さんのご案内で館内を見学。大型水槽には川の生き物たちが棲んでいる。また自然と共生してきた人の暮らしを、遺跡や山の道具の展示から知ることができる。源流の森シアターでは、圧倒されるパノラマ映像で、源流の自然の神秘を楽しめた。帰途に大滝で名物の柿の葉寿司を買い求める。くるむ柿の葉はもみじしていた。こうして、吉野の山の暮らしと大峰修験道を支えた人々についての体験談を聞くひとひとなった。活字を読んで知る知識とともに、こうして自らの目で、その地を見、自ら歩き、そして土地で暮らされた方々の声をじかに聴くことで得る知見の大切さを想う。片々の知識が一筋の物語を語り出す。なによりも水の大切さと有り難さを再認識できた日でもあった。