木曽路 妻篭宿−三留野宿   平成15年5月4日 天晴
 
初夏の一日、木曽路十一宿の一つ妻篭宿から、中仙道を辿り、木曽川沿いの三留野宿まで同行4人で歩いた。妻篭宿を見学し、道中あちこちで休憩をとりながら、ゆらりゆらり歩いて片道2時間の行程。木々ごとに異なる「新緑」の緑色。同じ種類の木が隣り合っていても、その緑の陰影はそれぞれである。新緑に覆い尽くされそうになりながら、深い谷にひと筋に連なる妻篭宿の家々。開発の波に乗り遅れた旧街道の街並みを、逆手にとって観光資源とした発想と、修復し保存維持に努めた手腕とに、ここに暮らす人たちのしたたかさとたしかさを思う。けれども現在は観光客は増えたものの、住人は減少しているという。さて、古い町並みを見にやってくる都会の人たちは、ここに何を求め感じているのだろうか。寂しい木曽谷の一角にスポットライトに照らされたような、人のにぎわいの中で、そのことを考えていた。物珍しさを求める観光気分ばかりではないだろう。現代的な生活と隔絶した景観の中に、いまの自分たちの暮らしと底でつながる歴史的な糸を見出そうとするのか。ふと油断をすれば、どこからか襲ってくるなつかしさの感覚に包まれる。かつての「自分たち」を振り返る場であろうか。なにやらゆかしく、泥臭く、身体の感覚を揺さぶるものがある。そして同時に揺さぶられて蠢く「魂」がある。
 
妻篭宿(高札場から宿場を見る)
 
中央自動車道園原ICから妻篭宿への途中の清内路村には、花桃の花が咲きほこっていた。不思議な花で、一枝に赤や白あるいは桃色が同居している。薪の燃えるいい匂いがする。清内路峠を下れば、木地師の里。早暁4時に連れ合いと枚方市香里ヶ丘を出発し、5時に柏原市のJR高井田駅前で本年度入学の大学院生二人と待ち合わせ、西名阪道、名阪国道、東名阪道、名古屋都心線、名神高速道路、中央自動車道路の道順をとった。蘭川と馬籠宿へ向かう中仙道との出会いの駐車場に着いたのは午前9時である。駐車場はまばらな状態。
 
飯田街道(R256号)を横断して田島橋のたもとから宿場への小径を歩き出す。お地蔵様に一礼。実物大の藁細工の馬がじっと立つ。かつて木曽路から伊奈道の分岐であった尾又。ここには「おしゃごじさま」と呼ばれる、古代からの土俗信仰の神様である御左口(みさぐち)神を祀る。民芸品や食べ物の店となっている古風な家並みを左右に見ながら歩く。延命地蔵、桝形跡。黒塀を巡らした冠木門の本陣跡を見学。島崎藤村ゆかりの家(藤村の母の生家、最後の当主は藤村の実兄)でもある。高い敷居を跨いで入る。太い梁を組んだ高い天井。囲炉裏には鍋が掛けられて薪の炎が赤く燃えている。煙が家中に煙る。炙った串刺しのヤマメが藁に刺されている。畳敷きの雪隠に驚嘆。案内のおじさんが秘密の二階部屋のことや神棚のことを話してくださった。再び街道に出る。清らかな水しぶきの水車、溝の清流で老女が野菜を洗う。高札場を見上げる。お触れを書いた板が幾枚も掛かっている。口留番所跡を過ぎて、藤の花に覆われた鯉ヶ岩。もとは鯉の形の大岩であったが明治時代の美濃の大震災で移動し形が変わってしまったらしい。武将がこの岩の付近で恋の物語を囁いたという伝説が残る。地名に恋野とある。鯉ヶ岩の先で、家並みがまばらになり、宿場の果て。ここから南木曾までところどころに小さな集落があるものの、林の中、田畑の横を過ぎる小径である。旧中仙道は信濃路自然遊歩道となっている。
 
良寛歌碑
 
うぐいすの鳴き交わす林の上り坂を抜けると妻篭城趾。木曽谷の南を固めた山城であった。再び小坂を下る。良寛歌碑が立っている。「木曽路にて この暮れのもの悲しきにわかくさの妻呼びたてて小牡鹿鳴くも」とある。良寛はこの地を三回訪れているという。この歌を詠んだ時期は未詳とのこと。小さい坂を登り切ると上久保の一里塚と出会う。江戸から数えて七十八里目と標識に説明があった。覆い被さるように南木曾岳が聳えている。その麓の道をのんびりと歩く。蛙が鳴く。どこからかうぐいすの声がする。道は、ゆるやかに上ってゆるやかに下る。汗ばむ身体に涼風が吹きすぎる。道々の民家の軒先には季節の花が咲いている。山側からは鮮烈な清水が湧き出して、泉水には鯉が泳いでいる。ずっと静かな水音が聞こえる道でもある。竹林の小陰に静かな石畳の道が続く。
 
中仙道の石畳
 
木曽義仲由来のかぶと観音をお祀りする小さな観音堂が正面に見えてくる。妻籠に砦を築いた木曽義仲が北陸路のいくさに出で立つ折りに、鬼門の守りとして兜前立の観音像を外してここに祀ったのが起こりと伝える。観音堂にお参りし記帳する。ほの暗い堂内に金色の観音様が立っておいでになる。絵馬や天井に描かれた花の絵を鑑賞する。外に出れば光が溢れている。ここには、義仲が腰掛けたという腰掛石、義仲が弓を引きやすくするために巴御前が袖を払って倒したという「袖振りの松」がある。しばらく野中の道をゆく。木曽川の白い流れをめざして急坂を下りきればSL公園。D51が保存されている。黒光りするごつい車体は力強い印象を与える。いまにも蒸気を吐いて爆走する構えである。中央本線を跨ぐ橋。線路が谷に吸い込まれ消えていく。
 
三留野宿(中央本線南木曾駅)
 
道は山側の小高いところを縫う。園原先生碑の前で休憩。園原旧富は、江戸中期の神学の大学者である。散歩中の老女と付き添いの若い女性の二人と話す。老女の「〜ダニ」という土地の文末表現が耳に立つ。しばらく歩いて読書小学校前あたりから木曽川の方へ下る。国道を歩道橋で越え木曽川に架かる高瀬橋を渡る。川沿いに下流に向かって歩く。坂を上がり天白公園に至る。坂下宿から三留野宿を結ぶ木曽川西古道であり、木曽川を渡る場所であった。大きな吊り橋の桃介橋へ下る。川面に下りて大岩の上で昼食。白い握り飯と牛肉のしぐれ煮。すごくお腹がすいていたので、あっという間に食べ尽くした。間近で見る木曽川は逆巻く急流である。激流の岩にあたる音を聞く。足下に波しぶきが立つ木曽川に眩暈がちに板張りの桃介橋を渡る。木曽川沿いに歩いて、R19号を辿る。R19号沿いの石屋さんには、墓石に混じって艶っぽい蛙の石像が並べられている。懐かしい二宮金次郎の像もあった。神戸集落で岐れて、坂道を上がり、神戸沢で中仙道へ戻る。道ながら南木曾岳を見上げつつ、高札場に来るとたいへんな人出となっている。山葡萄とバニラのミックスのソフトクリームを沿道の石垣に腰掛けて食べる。民芸品を商う土産屋さんを覗いてまわる。ねずこの下駄、木工製品。土産物屋で赤唐辛子を購う。楮の和紙漉きを実演する小屋をのぞく。四角い桶にどろりとした白い液があった。山菜を並べた八百屋さんの店先の板には、蕗の薹、山うど、タラの芽、筍が無造作に並んでいる。駐車場に戻ると満車状態。
 
 
妻篭宿高札場
 
妻篭宿から少し上った所にある「木曽路館」で露天風呂を楽しむ。まだ日は高い。ふりそそぐ皐月の陽光。木曽路の新緑を吹き抜けるそよ風に、日の本の国の大地の恵みを想う。一日歩いてすっかりお腹もすいた。入浴券と一緒になっていた豚肉の焼き肉定食を味わう。お土産売り場の一隅に蕎麦の試食が用意されていた。いい気になって食べていたら、それは団体さん用だからと叱られてしまった。若緑の中を抜けて中央自動車道園原ICに入る。なにやら気だるい初夏の夕暮れ。鈴鹿山地に沈んでいく夕陽を眺めて名阪国道に至ると渋滞が始まった。共に出掛けた大学院生2人は、これからいよいよ本格的な勉学の季節となる。山路の続く木曽路をさくさくと歩いた体力と気力できっと乗り切ってくれるだろう。早朝のためにGSが開店しておらず、香芝市でも天理市でも給油がかなわず、やっとのことで上野市で給油ができた。危うくガス欠になりかけた。用心用心。木曽路のしたたる新緑のもとで深呼吸し、木曽川の急流に手を浸し、なによりも新しく研究の道に足を踏み出した大学院生と道行きをともにできたひとひとなった。