大和路 藤原京 耳成山 平成16年4月29日 みどりの日 晴
 
藤原京跡からの耳成山
 
若葉のもえる大和三山を結んでできる三角形の中心にある藤原京跡から、その北方に踞る耳成山まで歩いた。醍醐池畔の桜木の木漏れ日をくぐる。葦原にいた鴨二匹があわてて池面を奔る。乱した水面に長い軌跡ができた。かつての朱雀大路と併走する、畝のならぶ田圃の細道を北に向かう。東の方を見やれば、はるかに初瀬街道ののびる山峡が青く霞む。桜井線を横切る。国道を渉り住宅街を抜ける。さらに近鉄大阪線の踏切をこえれば、古池が光る。南麓の耳成山公園には休日を楽しむ人で賑わう。南登山口から山に入る。山口神社へと直登する道と山裾を巻いて緩く上る道とに岐れる。ほどよく踏みならされた緑陰の平坦な小径をとる。踏切の警報音が聞こえ、ややあって電車の走る音が、かすかに下方から聞こえる。木立がとぎれた間から逆光に、畝傍山が、その秀麗な姿をのぞかせる。緩い上りの道が、山を一回りすると、耳成山口神社の横手に至る。樫の大木の狭間に広庭が現れる。石柱にしめ縄をわたした鳥居をくぐる。御祭神は、高皇産霊大神(たかみむすびのおおみかみ)と大山祇大神(おおやまつみのおおみかみ)の二柱の神。拝殿は石段をのぼったところにある。拝礼。若い男女が拝殿の横に腰をかけて、世を忍ぶがごとく逢瀬の時を過ごしていた。位置関係から、どうもこの二人に参拝したような案配になった。
 
香具山と耳なし山とあひし時立ちて見に来し印南国原(万葉集巻一14天智天皇)
(香具山と耳成山とが争った時に、印南国原の神が仲裁に立って見に来た。)
 
大和三山を人に見立てて、男女の三角関係になぞらえた伝説に基づいた歌である。「播磨風土記」では、出雲国から阿菩大神が三山争闘の折りに仲裁のために播磨の神阜まで来たとある。
 
藤原京跡からの天香久山
 
神社から頂上へはすぐである。四方に木立が茂り眺望はよくない。すこし下の道の岐れに腰を下ろして弁当。自転車をこいできた小学生の一団と出会う。道を尋ねたところをみると、彼らもはじめての耳成山であったのか。耳成山北西麓への涼しい木陰の小径を下りきれば、耳無井(大師井戸)。この井戸は弘法大師空海によって掘られたという。木の蓋をとって井戸の中を覗き込む。水面が鏡となって己の顔を映す。暗い井戸の底から、他の自分が、明るい外界を覗いていた。なんだか背中がひやりとした。山稜にそった道をゆく。東麓には耳成山口神社への山道がある。小川にそって住宅街を歩く。四つ角に立つ石の地蔵様にご挨拶。桜井線の踏切を渡る。和菓子屋さんがあった。草餅を頼もうとした刹那に、バナナ大福が目に飛び込んできた。思わずこちらを買ってしまった。耳成山を見通せる畦に座ってバナナ大福を賞味する。今度は迷わずに草餅にしよう。天香久山が間近になって右折し、藤原京跡への道を辿る。八方に開けっぴろげの、広々とした草原の青草の上で、てんでに人々が遊ぶ。ここに古代国家の都城が営まれたことを語るのは、整備された大極殿跡の土壇だけである。やむこともなく、ただ風が吹き抜けるばかりだ。