大和路 飛鳥の里 岡寺  平成16年4月24日 晴
 
飛鳥川と弥勒石
 
古都飛鳥に涼風がわたる。菜の花の黄が舞い散る。昼過ぎに家を出て、甘樫丘の東麓から岡寺まで逍遥した。冴える空気に四方の山々が間近に見える。青葉若葉の光が横溢する飛鳥の里であった。つがいの鴨が遊ぶ飛鳥川なりに岡地区の高市橋まで歩く。鴨の足が川底の砂を掻くのさえも知れるほどに、水は透きとおる。田の畦ごしに弘福寺の屋根瓦を見越すと、小ぶりの日本たんぽぽの花畑となった川原寺跡。照る若葉の楠木の向こうに甘樫丘がのぞく。空と丘のラインに数本の大木がシルエットをつくる。石の階段に腰を下ろして弁当。橘寺の伽藍が白く聳える。ここから見上げると城郭のような構えである。明日香村役場前を通り、山菜の佃煮を商う店の前で右に折れる。犬養万葉記念館をややすぎて、石の鳥居を目印に、山手側の岡寺参道に入る。子安観音の岡本寺を拝し、さらに坂を上っていく。脇の石造りの溝にちょろちょろと水が流れ、羊歯類の葉が石垣の間から生えている。ゆかしい。時折に鐘の音が聞こえてくる。ツツジの花が土手に咲き、大木一面に下がる藤の花が見えてくると、岡寺の仁王門。門前の柔和なお顔の地蔵様に手を合わせる。厳めしい仁王様を拝しながら入山。この岡寺は、東光山龍蓋寺と称し、西国三十三所第七番札所、日本最初の厄除け霊場である。御本尊は如意輪観音像。日本国最大の塑像で、最古の如意輪観音像である。もともとこのお寺は、草壁皇子のお住まいになっていた岡の宮を、義淵僧正に下賜されたものとのこと。
 
岡寺(龍蓋寺)仁王門
 
仁王門をくぐれば、すぐに満開のツツジの花が迎えてくれる。五百年の古木もある。石段を上る。光が白壁にゆれる。本堂の屋根が見えはじめると、視界いっぱいに牡丹の花が広がってくる。本堂の前に鯉の泳ぐ竜蓋池。一筋の水が池にそそぎ、たえず水音を立てる。この池には、義淵僧正が、その法力によって、農地を荒らす悪龍を小池に封じ込めて、大石で蓋をしたとの伝説がある。本堂内に靴を脱いで上がる。観音様の前に座る。正面はもったいないので少し脇に寄る。ゆったりとしたお姿に、唇には朱が僅かに残る。「如意輪」とは、物事を自分の意のごとくかなえていただけるとの意。ただただありがたい。脇侍には、不動明王様と愛染明王様。堂内を一周して見学。三十三観音堂の前から、新緑に覆われた山へ伸びる小径を上る。木立の陰にしゃくなげの花盛り。淡い花色はさりげないが華やかだ。稲荷神社を拝する。ほの明るい洞穴が斜面にあった。呼ばれるように近付くと奥の院石窟。腰をまげて中に入る。奥の灯りに浮かび上がるように仏様がござった。拝礼。しゃくなげの道をさらに逝けば義淵僧正廟所。ここから緩く下る。本堂が見下ろせる。さらに二上山を谷間から見通しながら下る。葛城山系を背景に三重塔が聳える。ここからすぐに大師堂である。一山をめぐり本堂前に還る。鐘楼で鐘をつく。音は身にしみ谷をわたる。こうして花の寺を満喫して仁王門をくぐる。坂の途中に坂之茶屋という鄙びた茶屋があった。檜皮葺に石をおいた屋根で、少しばかり家が傾いている。立ち寄りたくなる風情である。旅心をそそる。暗めの店内に入ると、奥の方に座敷があって、素麺をすするお客の姿があった。陶器類を眺めてから柿の奈良漬け一袋をもとめた。
 
飛鳥板蓋宮跡伝承地からの甘樫丘と耳成山と天香具山
 
石の鳥居まで下る。岡寺の小さな門前町の風情を楽しむ。見通しの利く畑の中を歩いて飛鳥板蓋宮跡伝承地に至る。田畑の緑のなかにあって、回廊跡の石敷きが美しい。皇極天皇の宮であり、大化改新時に、中大兄皇子が蘇我入鹿の首を刎ねた場所である。しかしながら記録では焼失したとされるものの、その痕跡がなく、出土した木簡から天武天皇の飛鳥浄御原宮説が有力となっている。甘樫丘と天香具山の狭間から耳成山の三角錐の頭がぽかりとのぞく。明日香村立明日香民俗資料館の前を過ぎて、県立万葉文化館前に至る。竹の加工品をあつかう小店に寄る。ポットに入れておくとお茶がおいしくなるという竹炭と、一輪挿しの竹筒を買う。ボランティアというお店のおじさんは、商品を売り込むというよりも、品物のことを誠実に説明してくれた。小坂道を竹林の陰の酒船石まで上がる。竹林全体が風に鳴る。竹がこすれ合ってぽんと大音を立てる。段々畑の下草刈りをする人に会釈して、裏手から万葉文化館に戻る。小腹が減った。露店に立ち寄る。草餅にするかみたらし団子にするか迷っていると、店のおばちゃんが名物の「亀石餅」を薦める。古代米と胡麻とでつくった、亀形の餅である。なるほど手足もあれば頭もある。醤油を塗って炭火で焼いてくれる。店先の椅子に腰を下ろして待つ。しばらくすると醤油と餅の焼ける香ばしい匂いがしてくる。山の若葉を眺めながら、あつあつの亀石餅をほおばる。あんまり美味しそうに食べた宣伝効果か、たちまちにお店は混雑してきた。「チョット マットクレナハレ」と客に言うほどに、おばちゃんたちは大忙しとなった。ゆっくり休んだ。再びのんびりと歩き出し、飛鳥寺の横の小径をぬけて、甘樫丘の麓まで還りついた。上空に冬なみの寒気団が入り込んだという今日は、飛鳥の野に、清涼な風が吹きわたっていた。透明な空。夏の前の小休止。