飛鳥の里 豊浦寺跡(向原寺) 平成16年11月6日 秋晴
 
和田池からの甘樫丘
 
稲藁を焼くけむりに終日、たたなずく青垣の大和盆地の底は白く霞んでいた。昼下がりに甘樫丘東麓から豊浦集落の向原寺まで歩いた。稲積の刈田の向こうに、柿の木が立つ。茜色の実がランプの燈火のようにぶら下がる。道路を隔てた対岸に弥勒石を見て、飛鳥川に沿って下る。過日の大水で川辺の葦がなぎ倒されている。水嵩は高く、早瀬は秋日にきらめく。石垣の岸辺に腰掛け、川音を聞きながら弁当。学生服を着た修学旅行らしい中学生が三人四人と楽しげな様子で過ぎる。飛鳥川と岐れて甘樫丘北麓に回り込む。茶屋の前でしんみりと話し込む老女二人。紅葉間近の木立の途をゆっくりとすすむ。木間陰の薄暗がりからさっと開けて谷田に出る。里芋の葉ごしに甘樫丘を眺める。白壁と板壁の家々がのぞきはじめると豊浦集落。趣のある村の風景。
 
 
向原寺
 
野菜畑の脇を抜けて集落に入ると、すぐに石の囲いの小池が現れる。祠が池の中に立っている。物部尾興が仏像を投げ込んだ「難波の堀江」との伝承を持つ難波池である。この仏像は後に発見されて信濃国の善光寺に祀られたと善光寺縁起に言う。池の隣に白壁の美しいお寺が続く。門前に大きな礎石が並らぶ豊浦寺跡という向原寺。推古天皇の豊浦宮が営まれた所である。参詣。お寺の横手の小径を裏手に出る。万葉の時代の仮廬のような小屋が農家の庭先にあった。草もみじの畦。耳成山を右手に眺めやりながら山際の小径を歩く。池辺の木々を逆さに映した和田池に出会う。なだらかな甘樫丘の丘陵を背景に、鴨たちは軌跡を曳いて池面に群れる。池をめぐる。脇の畑では白菜の手入れをする老農婦、その傍らに草摘みをする孫たち。段々の畑を縫うゆるやかな小径を上っていく。尾根の樫の一葉がひらりと舞い散る。ふり返れば、いにしえの藤原京跡の刈田がのびやかに広がる。刈田のけむりはあかあかと秋の日に照る。丘の斜面の薄暗い杉木立に陽が射し込んで、日だまりがだけがほの明るい。大化改新時に誅滅された蘇我蝦夷らは、記紀に喧伝されるほどに悪党だったのだろうか。そんな思いがふとした。古代の秘密。
 
 
甘樫丘からの飛鳥集落
 
よく整備された甘樫丘の尾根づたいの道を歩く。東の方、広がる刈田に大和棟の集落が群なし、すぐに多武峰の山から下る尾根が筋をつくる。西の方、畝傍山の向こうにひさかたの日は葛城の山端に傾きかけた。北の方、桜の枝を透かして天香具山が横たう。木立の下の階段を下り、再び飛鳥川の河辺の道に出る。立冬の前日のひとひ。野焼きの煙りにけぶる飛鳥の地の、ゆったりとした時間の中にいた。