山辺の道 釜の口山長岳寺 平成17年3月31日 晴
 
 
長岳寺鐘楼門
 
桜の古木も若木ももう咲き出す寸前。桜の開花前の肥えた匂いに満ちている。崇神天皇陵から長岳寺までぶらりと歩いた。山野邊の道は春の日に明るい。畑の周りに立つ、ペットボトルの風車がからからと回る。風は強い。御陵の斜面では、枯れ草のまにまに、緑の芽がのぞき、めぐりきた芽吹きの季節を知らせる。龍王山を仰ぎつつ畑の畦道を長岳寺へと歩む。この長岳寺は、「釜の口大師」と呼ばれ、天長元年(西暦824年)淳和天皇の勅願による、弘法大師空海が開基したと伝えられる古刹。大和神社の神宮寺として創建されたお寺である。「根上がりの松」跡のくずほれた土累を過ぎる。小暗い樹林。参道を横切る大きな勧請縄の注連縄の下をくぐり、肱切り門という異名をもつ山門を抜ける。つつじの生け垣の参道。脇の溝に水がはしって清らかな音をたてる。やがて参道は長壁にあたり左に折れる。肥満気味の黒猫に案内されるかたちで、庫裏の前の受付。拝観料三百円。白壁の明るさに目を細めながら石段を上る。日本最古の鐘楼門をくぐる。放生池のうす濁りの水面が時折にゆらぐ。鮒らしき小魚がむれるからだ。池の畔にかきつばたの群生がとりまく。本堂に靴を脱いで上がる。すり切れかかった趣のある古畳みが敷かれている。古いが清浄だ。御本尊は、中尊の阿弥陀如来、両脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩の三尊である。黒光りし精悍なお姿である。その御前の左右には、多聞天と増長天とが守護してござる。色彩が残り、迫ってくる生気を感じる。諸仏に礼拝。しばし座っていた。なにものかをただ思量していた。
 
 
弥勒大石棺佛
 
放生池を眺めながら石段にあたると、その横に雄勁な彫りの不動明王の石仏がござる。腹の内を見透かされているようだ。朱色に彩色された火炎が迫る。拝堂をすぎて、さらに石段を山に入っていく。古墳の石材に彫られた弥勒大石棺佛に出会う。木陰に閑かにお立ちになっている。裏山に少しいくと、仏様の石の祠が道なりに点在する。再び下る。ちろちろと水の流れる溝を渡り、苔むした広場に出る。小さな石仏たちがおいでになる。大師像を拝する。鐘堂で願いをこめて一撞き。余韻が地を這う。本堂を放生池越しに拝する。池に逆さの本堂と楼門とが映る。石段を下りきって庫裏へ入る。元塔中の「普賢院」である。玄関の右横に土間が見える。よく掃かれていて清潔さがある。入り口には、お抹茶と煮麺の貼り紙。品のいい玄関で靴を脱いで庫裏に上がる。掛け軸を見る。宝形造の檜皮葺の小さな延命殿には、御本尊の普賢延命菩薩がおいでになる。拝礼の後に板敷きの広縁に坐る。眼前の庭を眺める。ぼうとしてくる。古木の松が龍の形に見えてきた。坐るに飽いて帰途につく。受付には、日だまりの中に猫がのんびりと番をしていた。トレイル青垣で休息。その庭に水琴が設えてあった。柄杓で水を一掬し水琴の音を聞く。畑の畦を歩いて崇神天皇陵に戻った。たしかに桜は間近だ。