越の国 白山 御前峰(2702m)  平成13年 立秋
 
 
立秋。汗ばむ身体の感覚はまだ夏の盛り。しかし、高層の雲にどこかしら寂しさを感じ、早朝の朝顔に降りた露の冷たさに秋の気配を想う。いつかはと願っていた越の国の白山に登った。岐阜県の庄川の御母衣ダムから見上げた白山、スーパー林道から眺めた越の白峰、御岳や乗鞍から遠望した雲海に青く浮かんでいた白山。信仰の山として仰がれてきたこの山は人を惹きつける神秘的な雰囲気を纏っている。山に登る心性の底には神道的な宗教心が宿る。
 
しらじらとしらみはじめた大阪を出発(05:30)。京滋バイパス、名神高速道、北陸道をひたすら走る。米原で降りはじめた雨は、木之本あたりまで豪雨。速度制限を無視するトラックにあおられる。粗暴な運転をするトラックの社名は覚えている。そこの製品はいっさい買わないことを誓う。南条SAで豚汁定食の朝食。福井北IC(高速料金4050円)で国道416号。永平寺町を抜け勝山市。白峰・金沢へ通じる国道157号へ。谷峠をトンネルで抜けるとそこは山峡の白峰村。薬草を売る店を一瞥し、白山登山口との標示板にしたがって右折して、柳谷川沿いの道を上っていく。巌と澄んだ清流。道幅は狭い。道路工事が数カ所でなされている。市ノ瀬で休憩。ここは混雑から先は週末等には乗り入れが制限される。広い駐車場。市ノ瀬ビジターセンターがある。水洗WC。さらにブナの大木の樹林の急坂を上がっていく。別当出会い駐車場到着。河原にあるため下る。相当の車数を止めることができる広さである。七割程度の駐車率。砂防工事の音が響いている。諸準備の後に停留所のある別当出会まで歩いて上る。
 
 
 
別当出会出発(10:40)。いよいよ歩きはじめる。深山に入り込んでいく。見上げると濃霧につつまれている。観光新道と砂防新道との登り口になっている。砂防新道を選ぶ。すぐによく揺れる吊り橋を渡って林の中の道を行く。ごろごろと大石がころがる河床、水流は勢いがない。ちらほらと花が咲いている。汗がふき出してくる。道はよく整備されていて歩きやすい。下山する人が続く。先頭の人と最後尾の人だけ挨拶する集団とみんな挨拶する集団とがある。前者が統制が利いていて格好い。しかし、家族連れや学校の一団の子どもがせっかく挨拶するのに、こちらがしないというのも「教育上」好ましくないので、努めて明るく返答する。教師根性は山に入っても抜けない。その一面、こんにちはと言われれば即座にこんにちはと返すのが自然なことかもしれない。
 
中飯場(11:35)。水場。水洗WC。険しい万才谷を見上げる。荒々しい河床と崩れた山肌。谷の奥は奥が霧で隠れて神秘的である。砂防工事中。下ってきた初老のご夫婦と話す。昨日はご来光を拝めたが今日は霧が深くて山荘で寝ていた言う。工事道路を二度横切る。小ぶりの雨。道を覆う木の枝のおかげで雨具を取り出すほどではない。別当覗き(1750m)。白い霧ばかりで底は見えないが、谷川の音が轟と響く。頻繁に小休憩をとりながらひたすら登る。鶯のさえずりがそこここから漏れてくる。腰を下ろして土手をみると、霧に濡れた野草がある。小風に揺れて銀の色に光る。道の端にて昼食。握り飯、ラーメン、缶詰。行き過ぎる人たちごとにお昼かと声を掛けられる。
 
甚之助避難小屋(14:00)。水場。臭い便所。板製の卓がいくつか備えられている。休息する人たちで賑わう。登る人も下る人もここで一息入れる場所のようだ。小屋の中を覗くと薄暗い中に毛布が干してあり、汗の匂いに満ちている。不思議な空間だ。
 
南竜荘分岐(14:40)。石畳のごとく整備されている。霧が風に払われた一瞬に尾根が現れた。さっと陽光が射す。ここから南竜山荘までは等高線に沿うなだらかな快適な道である。お花畑が道を挟んで広がっている。その風景に心を奪われながら歩いていく。霧の水滴に濡れた花々は幻想の国の住人。妖精たちの音楽会の舞台。
 
 
南竜山荘(15:30)。ハイマツと熊笹の道を行き、小川に掛かる板橋を渡る。小さな尾根の裏側に出ると、赤い南竜山荘が眼前に現れる。この一帯も高山植物の宝庫。別山への道には幾張かのテントとケビンとが散見する。一番手前の建物の受付で手続き。満杯状態。従業員はバイトの若者が主である。一階の部屋に案内される。上下二段の床になっていて40人ほどの定員である。山小屋独特の匂いがする。先客たちは毛布にもぐって寝ている。濡れタオルで身体を拭いて着替える。健康的な夕食。塩鯖が身体にしみる。朝と昼の弁当を二つ受け取る。同じ弁当であることが不満。朝食は6時半からであるから、ご来光を拝もうとすると遅すぎるので弁当に換えた。トイレで中学生の男子と話す。能登の門前中学校から宿泊研修に来たとのこと。下駄をちゃんと揃える。いい指導をしている中学校であることが、この一事で察せられる。食堂の横のテレビで天気予報を見る。明日は曇りのち晴れ。同宿の人たちに笑顔がこぼれる。夕食後、南竜セントラルロッジでのスライドによる高山植物の講習会に参加。途中で機械が故障。水筒の水を補給し、早朝の準備をする。電灯を枕元に置く。8時消灯。買って置いた日本酒を少し飲む。毛布二枚を掛けて寝る。鼾の合唱会を勝ち抜いて眠りに落ちる。
 
起床(03:40)。廊下にて諸準備の後に出発。アルプス展望台を目指して展望歩道を登っていく。板敷きの道から登山道になる。暁の空に星々が煌めく。有明の月が天に残る。それらの光がハイマツの樹海を銀色に染める。しずしずと夜は明けていく。先発したグループの電灯がちらちらと光る。谷に沿ってやがて尾根道。ひんやりとした風が吹き抜ける。月光が草におりた露に宿る。
 
アルプス展望台(04:50)。すでに中年女性のグループが先着し撮影の準備で賑わう。まだ日は昇らない。あけぼのの光のほの明るさに別山の輪郭が浮かぶ。日の出時刻は5時8分。少し上に登る。岩に腰掛けて弁当の朝食。御嶽山の方向が紅に染まってきた。空気の層が幾層にも重なる。神聖な趣があたりをつつむ。大気の層を噛み破って日輪が顔を出す。夜明けだ。日本国万歳。御嶽山ごしに富士山が霞む。緩い登り坂を経て室堂平。ハイマツの林を縫って道がある。淡い朝日に照らされて時間が止まる。現実の道を歩く感覚が薄れる。静寂さと平穏さに満ちた世界に遊ぶ。小さな雪渓を脇に抱えた御前峰がそこにある。あかあかと明るい砂地の道。花々に心を奪われながら逍遥。小川を渡る。雪渓から流れ出たばかりの水で喉を潤す。平瀬道分岐。しばらく歩けば室堂センターの朱色の建物が現れる。歩くわれわれに朝の光がやさしくそそぐ。静止した時間。 クロユリがゆらりと咲いている。永劫回帰という声が心底に響く。 
 
室堂(06:20)。白山奥宮祈祷殿前で休憩。室堂は改修工事中。プレハブの炊飯場で食事の準備をする様子が見える。御前峰は流れる霧に隠れている。石造りの階段状のよく整備された道をくねくねと登って行く。青石、高天ヶ原を過ぎる。青石には大きな火山岩がある。その裏に仏様が彫られていた。青いジャージ姿の中学生たちが挨拶して越していく。高度をかせぐほどに展望が開けてくる。室堂平を見下ろす。向こうには別山の雄姿が聳える。雲海が光る。
 
 
白山御前峰(2702m)(07:40)。ごつごつした大岩に覆われた頂上。白山奥宮神社に参拝。頂上に着く人ごとに歓声があがる。雲海に青い島のように御嶽山、乗鞍岳、北アルプス連山が浮かぶ。紺碧の空と輝く雲海の眺望。波打つ雲の海は揺れ動いて淵に落ちる。ココアを湧かして飲む。二羽の蝶が幻想的に舞い踊る。こ半刻の時が過ぎた。去りがたい気持ちに踏ん切りをつけて剣ヶ峰方向へ下る。お池めぐりコースへ出発。尾根の細かい砂の白い道をしばらく歩き、やがてザレ道を降りていく。ケルンが点在する。賽の河原の雰囲気。その一つに小石を積む。剣ヶ峰の険しいすがたを見上げつつ紺屋池の雪渓に至る。亀甲模様の雪塊が池に溶け込む。振り向くと御前峰の裏側の荒々しいすがたがそこにある。
 
翠ヶ池(09:15)。紺青の水面にさざなみが立つ。斜面の雪渓に小鳥が餌をついばみ跳ねて歩く。穏やかな日の光。小川のせせらぎと風の音だけが聞こえる。五色ヶ池にて大汝峰を正面に見ながら昼食。朝食の弁当と同じ。カップラーメンを添える。千蛇ヶ池の横を通って等高線にそって御前峰の裾野を大回りする。黒い霧が斜面を這いはじめた。
 
 
室堂(10:45)。祈祷殿にて拝礼。御前峰を見上げる休憩所には、これから登る人たちで賑わう。てんでに食事をとっている。パンが多い。売店でジュース(300円)を買って飲む。ゆっくり休んだ後に下山開始。観光新道を下る。小鳥の遊ぶ水尾尻雪渓を右手に見ながら軽く下り、エコーライン分岐を過ぎる。弥陀ヶ原の平原を歩く。黒霧の中。別当出会を今朝登りはじめた汗だくの人たちと多くすれ違う。そう言えば室堂平から汗をかいていない。涼風に吹かれ快適な歩きであった。  
 
黒ボコ岩(11:50)。巨石が屹立する。砂防新道との分岐。ここから急勾配。殿ヶ池避難小屋まではお花畑が連続する。谷あいの蛇塚、急峻な尾根の馬のたて髪を過ぎゆく。それにしても急坂が続き足ががくがくする。休憩頻繁。地元からという中年女性のグループが声を掛けた。大阪から来たと応えると見に来てくれてありがとうと言う。郷土愛の湧出した好もしい言葉。
 
殿ヶ池避難小屋(13:05)。中間地点である。木立が混じるようになる。これから室堂へ向かう単独行の女性と会話。胡瓜の塩もみを勧められるが食料を奪うことになるので、その旨を述べて辞退。平坦な尾根道からは砂防新道が見下ろせる。あてもなく両手を挙げて振る。大きく砂防工事用の車道が緑の中で痛々しい。防災と自然保護との功利的選択の問題が頭をよぎる。階段状の急坂を延々と下る。
 
旧越前禅定道分岐(14:30)。今朝から登って降りてきたという初老の男性と休憩。市ノ瀬まで下るとのこと。室堂で御神酒を飲んだとも語る。健脚。樹林の中に入る。急坂は続く。車道を横切る。足底が熱い。足が上がらない。荷物の重さが肩に食い込む。疲労が大きくなった。這うように歩く。悪天候の場合は砂防新道下りが無難である。
 
別当出会到着(16:45)。安堵する。山に向かって一礼。水道の山水で顔を洗う。充実感が湧き上がる。休憩の後、駐車場までさらに歩く。アスファルトの硬い路面は足にこたえる。登る前には狭い所に見えた別当出会も、下山後は開けた風景に映る。駐車率は3割ほどに減っている。白峰の白山まるごと体験村にある白山天望の湯に寄る。入浴料650円。檜を使った天然温泉。かすかに硫黄の匂いがする。貸し切り状態であった。舐めると塩味。休憩所は太い梁を組み合わせた合掌づくりのさま。
 
枚方市到着(23:30)。往路と同じ道順にて帰路に着く。PAで仮眠。往復の全走行距離577Km。切望していた白山登山が叶った。山小屋に泊まることで行動に余裕が生まれた。下山のしんどさを体験。もう秋のにおいがした。