信濃国 穂高連峰 奥穂高岳       平成15年 盛夏
 
 
涸沢からの穂高連峰 (奥穂高岳 涸沢岳 北穂高岳)
 
夏の盛り。憧れの北アルプスの山歩きに出掛けた。職場の友人Yさんを先達に愚妻との同行3人。大型の台風10号に追われるかたちで、難波(OCAT2階)から夜行バス(21時30分発さわやか信州号)に乗車。Yさんは既にビール缶を詰めたビニールを下げていた。リックを背負った人たちと同行。キャンセルも多く座席は半数ほど空席。高速道のオレンジの灯りが雨滴に濡れた車窓を流れていく。どこかにひそかに運ばれていくような幻想的な雰囲気があった。うとうとまどろみながらこんなことを考えていた。このバスの運転手が誰であるかまったく知らない。顔さえも見ていない。それでいて信じ切っている。台風の雨風が激しい。風を切る音が車内に時折に響く。大げさに言えば、乗客は命をまるごと預けて寝息を立てている。会社は信頼に足るシステムを構築し、乗客は当たり前のこととして寝入っている。時間がくれば約束どおりに到着地点に無事に至る。人それぞれが、各自の立場から役割を果たし合ってなりたっている日常生活裡もまたかくの如しか、と。名神道から東海北陸道を抜け高山市を経て、明くる日の5時30分に沢渡に至る。シャトルバスに乗り換えて上高地。一日目は台風をやり過ごすために、上高地の明神に一泊。2泊目は涸沢ヒュッテ、3泊目は穂高岳山荘。中日の一日が晴れ、雨に挟まれた日程となった。山は気温が低く汗を不快と感じなかった。清涼な風と鮮烈な水とに恵まれた奥穂高の3日間の山歩きであった。実を言えば、悪天候のために奥穂高岳には登ってはいない。しかし、涸沢からその雄姿を見上げ、ジャンダルムを穂高岳山荘の裏手から眺めた。前穂高岳、涸沢岳、北穂高岳の嶮しさも見た。三千メートルの稜線上で十分に穂高連峰を満喫した。
 
朝靄の梓川 (横尾方面)
 
早朝、小雨にけむる上高地に至る。人気はまばらである。安曇村営の食堂で朝食。Yさんは焼き岩魚でさっそくにビール。ビジターセンターで穂高の山々や上高地の自然の写真展を楽しむ。吊り橋の河童橋を過ぎて明神まで傘をさして歩く。冷涼で清澄な風が吹き抜ける。ダケカンバやケショウヤナギの木々、雨露に光る野草の小径を踏みしめる。1時間ほどで明神に至る。荷物を明神館に預けて梓川に架かる明神橋を渡る。石原の川原、水の流れは早い。神秘的な明神池を巡る。桟橋に舟がつながれていた。雨の水紋が無数に池面に広がっている。無音である。池の中に針葉樹がすっと立つ。奥の細道の松島を思わせる小島が点在する。草むらから飛び出した真鴨の親子が水面で遊ぶ。はぐれた子鴨を連れにもどる親鴨はけなげである。彼らが大騒ぎして立てた池面の波紋はすっと消える。静寂さが訪れる。穂高神社奥宮に参拝。嘉門次小屋にて、岩魚酒と薫製チーズ。愚妻はホットミルク。梯子しようと山のひだやに行ったら、品の良い老主人に、コーヒーならありますと窘めなれた。明神館には雨の中下山してきた登山客で溢れていた。食堂に席をとってビールとおでん、甘味のワイン、渋い味わいのブルーベリー酒の小瓶でいい心持ちになる。15時から利用可能な風呂にさっそく入る。爆睡。目覚めるとロビーで優雅に読書。テラスに椅子を持ち出して、そぼ降る雨を眺める。枯れ木の先に一羽の小さな鷹が止まってこちらを見ていた。風はしだいに強くなる。立木は葉の裏を白く見せながら揺れだした。同泊の登山者と山の情報交換。こうしたふれ合いは、一期一会そのものである。ここで出会い、言葉を交わして、明日からはまた一生会わない者どうしとなって別れていく。夕方になると空が明るくなって、青雲さえも現れた。岩魚とトンカツの夕食。3杯食べた。読書。Yさんの鼾の凄まじさを物ともせずに一夜を寝る。明くれば、5時起床。朝と昼の2食を弁当にしてもらい、宿を6時出発。明神岳の頂が時折に霧の中にほの見える。砂地の小径を梓川沿いに歩く。気が付けば、木のま影から陽の光に照り輝く明神岳がそこに聳えていた。明神からの明神岳の山姿はもともとから「穂高岳」と称されていた。ほの暗い林の中の神秘的な古池を過ぎる。朝餉の用意をする人たちで賑う徳沢キャンプ場を経て新村橋。ハルニエの木が点在する。川原に下りて朝食。白い大石がごろごろところがっている。水無の沢をいくつか渡る。轟と流れる早瀬を眺める。Yさんは缶ビール一本。前穂高岳の東面の岩壁が迫る。井上靖の小説「氷壁」の舞台となった岩壁である。朝靄の梓川を辿って横尾に至る。小休憩。横尾は槍ヶ岳・常念乗越、蝶ヶ岳への分岐点である。吊り橋の横尾大橋を渡る。
 
穂高連峰 (涸沢の手前から) (吊尾根 奥穂高岳 涸沢岳 北穂高岳)
 
横尾谷を川筋に沿って辿っていく。笹の道を抜ける。シラビソの木立の下を歩く。頂きを霧に隠した屏風岩が立ちはだかるように迫ってくる。横尾岩小屋跡では屏風岩を見上げる。起伏が出てくると涸沢本谷橋に至る。よく揺れる小橋である。上手に雪渓が残る。川の水量は豊かである。ここは登山者が小休憩をとる場所のようだ。ここから道の勾配がきつくなる。雨時には小沢となる石ころ道をまじえながら踏んでいく。昨日の台風で木の葉や草が散り敷いている。草葉の香りが漂う。視線を上げれば、そこには蒼天を背景に明るい穂高の山々が顔を覗かせる。不意打ちである。夏雲が高い。無性に心がときめく。肩にかかるリックの重さは相変わらずだが、苦にはならない。一歩が軽くなる。谷々に白い流れが落ちる。滝音は山肌に木霊する。次々に後から登ってきた人たちに越される。お年寄りに抜かれ、幼児を連れた家族に追い越される。Yさんはずんずんと歩いていく。涸沢ヒュッテの屋根が見えてからさらに1時間ほどかかる。手前の雪渓の中を歩いてみる。案外に滑らない。たぎり落ちる谷川の横を息を切らせば、涸沢カールに至る。雪渓、青空、白雲、岩の色、山肌の緑が絶妙に展開する。雪渓がシャチの模様に見える。仰げば、そこに穂高連峰の岩峰が居並ぶ。北穂高岳南峰が頭上にある。山の全てが斜面を駆け下り自分一点に集まってくる。すり鉢の底にいる。見返れば横通岳、東天井岳が遙かに霞む。ヒュッテの目印の吹き流しが勢いよく靡いている。展望テラスで生ビールを一気に飲み干す。最高の贅沢。おにぎりの昼食。風に吹かれて時の立つのを忘れて眺望に見入る。コーヒーを飲む。次々に登山者がやってくる。岩稜から湧き出た清水で冷やした林檎と西瓜を食べる。皆の顔に笑顔がある。幾張りものの色とりどりのテントが美しい。雲があかね色に染まる屏風岩の夕暮れを飽かず見ていた。板張りの洒落た食堂での夕食はラム肉のステーキと鰊。3杯食べる。Yさんはビールを注文。一つの部屋に3人だったためゆったりとできた。トイレは有料。21時消灯・就寝。鼾はやはり轟音。
 
涸沢のテント村
 
翌朝4時起床。屏風岩の朝焼けを眺める。5時朝食。穂高岳山荘をめざして6時出発。霧雨。ザイテングラードから上は灰色の霧に覆われていた。テント村を抜けて涸沢小屋。ここで北穂高岳への道と岐れる。雨が激しくなってきた。雨具を身につける。低木の林を抜けて小岩の涸沢大カールを横切る。ザイテングラードの急登。鎖や梯子もある。岩稜はカールに飛び出したかたちである。息が切れて立ち止まれば、山草の花が岩の間につつましく咲き、水滴をたたえた草が微笑む。ハイマツが霧の奥に続く。素手に岩の冷たさが伝わる。生きている感覚である。約2時間30分で白出のコルに建つ穂高岳山荘。ぐっしょりと濡れた。穂高岳山荘のテラスは濃霧のために展望は利かなかった。石敷きのテラスは情緒がある。山荘の食堂でラーメンの昼食。部屋は2階の「白馬岳」。受付の人の話では、込むから2人で1畳になるとのこと。トイレは水洗、乾燥室があるのがうれしい。着替えてストーブが焚かれたホールでコーヒーを飲む。薪の燃える香りが漂う。隣の読書室には山の本が並んでいる。その幾册に目を通す。ビールのロング缶を飲む。部屋に帰って窓からテラスの様子を眺めていた。ぐっしょり濡れた雨具を付けた登山者がどんどんやってくる。夕食は5時、鯵のフライ。2杯食べる。暗くなる寸前に空が明るくなった。霧が晴れてきた。テラスに飛び出る。東の空には、雲の上に常念岳が遠慮がちに顔を出していた。テラスから直下を覗けば垂直に雪渓が伸びる。山荘の裏手に回ると、笠ヶ岳が深い谷の向こうに聳えている。ジャンダルムが切り立つ。再びテラスに戻ると、霧がすっかりと晴れて前穂高岳の嶮しいシルエットが迫っていた。左肩には紅い月を載せている。雪渓が妖しく浮ぶ。幻想の世界にいる。僅かの間に涸沢岳に登った人もいる。部屋では単独行の男性にウイスキーを頂く。お礼にクッキー5枚。Yさんが講師となって山の話しをする。21時消灯。耳元でYさんの轟鼾を子守り歌に聞く。
 
前穂高岳と月 (穂高岳山荘から)
 
山荘の床に臥しながら未明の雨音と風の音を聞いていた。曇った窓には朝の明るさはない。日の出を過ぎるとしだいしだいに白さが増してくる。漸く夜が明けると、白い霧に覆われていた。5時朝食。おかずの一品に朴葉味噌が付いていた。部屋で出発の準備。年輩のご夫婦は奥穂高岳に登り重太郎新道を経て上高地に下るという。濃霧と雨の中では無理ではないかと心配しながらその話を聞いていた。お二人は素泊まりで食事は自炊。老齢の3人組はもう一日ここで待つという。歳をとっているので再び来られるかどうか分からないと言う。昨年は念願の槍ヶ岳に登り感激した。歳をとってから山登りの楽しさを知ったけれども、今後いくらほど登れるか分からないと話す。山はいつもそこにある。逃げてはいかない。山に登る人間は老いていく。このどうしようもない事実。だからこそ山の一歩一歩は、まさに一歩一歩の重みがある。徹底すれば、まさにその一歩の切実さである。6時下山開始。
 
雪渓 (ザイテングラートから涸沢)
 
安全を考慮して予定の経路を変更し涸沢を抜けて横尾へ下るコースをとる。要は上りのコースを辿って下った。白出のコル直下のザイテングラートを抜けると霧は薄くなってきた。見上げると垂直に覆い被さってくるように斜面が伸びる。白霧に岩塊が浮かび上がり浮島のようだ。雪渓の白と雨に濡れた剥き出しの岩の黒、ハイ松と地を這う山草の緑とが対照をなしている。流れる霧の切れ間に前穂高岳の岩峰が突然に現れる。2時間ほどで涸沢に至る。休憩の後に出発。本谷橋で小休憩。雨具を脱ぐ。沢音を右手に聞きながら横尾谷を下っていく。向かいの山の斜面には白い流れ。横尾岩小屋跡あたりでは右手に屏風岩が屹立する。その高いところから二筋の滝が流れ落ちる。道脇の山草と花を眺めながらゆっくりと歩く。多くの上りの登山者とすれ違う。横尾大橋を渡ると横尾。涸沢から2時間30分ほどで横尾に至る。小休憩。Yさんはさっそく生ビール、私たちはソフトクリームを楽しむ。このソフトクリームの腹部への冷たい刺激があとの珍事を招くとも知らずに。梓川に沿いながら上高地バスターミナルまで約12キロを3時間で歩く。徳沢でカレーライスの昼食、Yさんは山菜うどん。一杯のビールを3人で飲む。明神岳を見上げて明神で小休憩。散策をする家族連れの明るい声に満ちている。自然林の中を抜ける小径を辿って河童橋に至る。ここは大賑わい。華やいでいる。登山者は少数者となってしまう。足が固まる疲労感を感じる。ビジターセンターで着替える。冷水で冷やした牛乳を飲む。橡実の大福餅を買う。Yさんは職場への土産物を購う。後、タクシーにて松本駅を目指す。塩尻から朝2時に出勤してくるという運転手さんとよもやま話。大正池と焼岳を見る。池面の立ち枯れはずいぶんと少なくなったという。今年は天候不順で観光客が例年より激減しているとのこと。若い運転手さんは上高地勤務を避けるようになったとも。釜トンネル内で信号待ち少々。R158を辿る。沢渡を抜け、梓湖に切れ込む山肌の緑を眺めながら新島々。松本駅前に立つ播隆上人の像を見る。上人は槍ヶ岳に登った先人である。松本駅で豆腐田楽で大ジョッキのビール一杯。仕上げに信州蕎麦。しなの30号(18時41分発)で名古屋駅、列車到着が遅れて小走りで新幹線ホームへ。新幹線(ひかり号20時51分発)で新大阪駅。
 
こうして先達Yさんのお陰で充実した山歩きがかなった。来年の約束をして新大阪駅で別れる。再び明日からの仕事に精励しよう、そんな殊勝な気持ちになった。山歩きは、日常生活の意味を捉え直し刷新する不思議なはたらきがある。平々凡々の平常底に徹する。さて、湯槽にたっぷりと湯を満たしてとっぷりと浸かる幸せを楽しもう。家に帰着したのは22時30分であった。