信濃国 「燕岳−大天井岳−常念岳−蝶ヶ岳」縦走 平成16年晩夏
 
槍ヶ岳の夜明け(蝶ヶ岳より望む)
 
燕岳から蝶ヶ岳へのあこがれの稜線を辿り歩いた。いわゆる「表銀座縦走路」の一部を含む尾根づたいの道である。涼やかな風に身を吹かせ、夏山を楽しむ。職場の同僚二人と、つれ合いの同行四人。難波OCATで「さわやか信州号(信州白馬方面)」に乗車(9:50)。車中に一泊し、明朝に穂高駅着(4:30)。登山届けを提出。さっそくタクシー乗車。円錐形の有明岳を見つつ農村を抜けて、一気に谷を遡る。運転手さんの話によれば、近ごろ車がガードレールを突き越えて転落したという。硫黄の匂いがかすかにしだすと中房温泉(5:00)。WCあり。駐車場は満車に近い。中房川にかかる橋の上に浴衣姿で散歩する人を見かける。諸準備の後に登山開始(5:40)。合戦尾根を辿る名だたる急登にいどむ。まずはずっと樹間の道を登っていく。第一ベンチ(6:00)。Yさんは、水場に下って水の補給。第二ベンチ(6:35)。うん?、あんまり疲れない。トレーニングの効果?。第三ベンチ(7:05)。やっぱり体重を7s落したのは伊達じゃないな。荷揚げ用ケーブルの下をくぐり、しばらくすると富士見台(7:45)。ここまで来れば、さすがに息があがってくる。樹間を抜けて開放的な雰囲気の合戦小屋(8:20)。ここで名物の八つ切り西瓜を半ぶんっこしてかぶりつく。甘く真っ赤な西瓜に夢中になる。地面に種が散らばっている。冷水に浸かり浮かぶ桃と西瓜は涼しげだ。稜線ごしに槍ヶ岳がすがたを見せると合戦沢ノ頭(9:00)。クロユリが鮮やかに咲く。お花畑を眺めつつ歩く。燕岳と燕山荘の赤い屋根が目に飛び込む。稜線に辿り着けば、唐突に北アルプスの秀峰たちが目の前に展開する。いきなりだ。それまでの疲れを一瞬に忘れさせる。燕山荘着(9:45)。連なりとりよろふ北アルプスの山々の織りなす大展望を眺めながら小休憩。神々の坐ます山群である。
 
燕岳と燕山荘
 
ザックを小屋に置いて、燕岳へ向かう。ハイマツと白砂と奇岩とがコンストラストをなす山である。往復一時間ばかりの行程。清楚なコマクサの花が砂地に点々とへばりつき咲いている。頂上の大岩の上でくつろぐ。水晶岳が峰の向こうに頭を出している。水を湛えた高瀬ダムの湖面が青く澄む。立山連峰が遠く霞む。イワツバメがものすごい早さで鋭角に飛び交う。燕山荘に戻り食堂にてビールで乾杯。おでん一皿をつまみにする。早い夕食(16:50)。3交代の1番目。壮大な夕焼け。オレンジ色に焼けた入道雲に稲妻が走る。光輝はしだいに消え、雲はやがて色褪せ黒々としたかたまりに変じた。七時から約一時間、食堂の床に座って、小屋の主人のほんのちょっぴりのアルペンホルンの演奏と、燕山荘の宣伝のまじった講話を聞く。為になりかつユーモアに満ちた話しぶりに楽しい時となった。ばらばらの同宿者が時間を共有した。消灯・就寝(21:00)。Yさんの大鼾をものともせずに寝入る。Tさんは身体を半回転して鼾を耳元で聞くことを避けて寝る。夜明け間近に窓の外から東天を覗く。天空に灯された星のランプたち。ひときわに明けの明星が輝く。起床(4:00)。外に出る。朝霧の底に小鳥の鳴き声が響く。朝日が昇る。北アルプスの夜明けである。あけぼのの光は山々をあまねく照らし目覚めさせる。朝食もまた3交代(5:50)。小屋のトイレが簡易水洗なのはうれしかった。
 
大天井岳への縦走路と槍ヶ岳連峰
 
燕山荘出発(6:20)。いよいよの稜線歩き。白霧が東の谷から湧き上がるものの、稜線を越えることは無かった。冬の時期、西風(季節風)に吹き飛ばされて、稜線を境にして雪は東側斜面に積もり、西側斜面は積雪がほとんどないという。なだらかに山稜の道を踏む。槍ヶ岳の小槍、孫槍までくっきりとする。蛙岩を抜け為右衛門吊岩を過ぎる。霧は東斜面を這うばかりだ。縦走路の直下にハイマツの緑が流れ下る。やがてそれは針葉樹の森に呑み込まれていく。砂礫の途をさくさくと往く。コマクサの群生の間に獣の足跡があった。熊のそれか。大下り頭から鞍部まで下る。ちょっとしたクサリ場を抜け、梯子を下りる。切通岩の小林喜作レリーフを見る。彼は槍ヶ岳への道を開拓した先人である。大天井岳の直下で槍ヶ岳へ向かう喜作新道と分岐する(8:45)。左手の道をとる。砂礫の急坂である。大天井岳の斜面をななめに横切りながら登っていく。一面のハイマツの緑が美しい。立ち止まり立ち止まり登る。明るい陽射しに包まれた歩きとなる。一羽の蝶がひらひらと舞い流れていった。
 
 
大天井岳への縦走路
 
大天荘前のベンチにザックを下ろし、小岩の道を大天井岳(2922m)に登る(9:20)。三つの尾根が集合する。好展望。槍ヶ岳に手が届きそうだ。再び大天荘に戻りザックを背負う。谷を挟んで喜作新道がはるかに伸びる。稜線の赤岩岳、西岳の高まり。だんだんに遠ざかる。梓川がうねり光る。谷は深い。東天井岳は巻いていく。霧が出てきた。ハイマツ林をずんと下り登り返す。横通岳の下を巻く。常念岳を覆っていた霧がほんの一瞬払われ、そこに大きな常念岳のかたまりが迫ったきた。足下に常念小屋の赤い屋根が見えた。再び黒霧が山肌を這い上がってきた。小雨が降り出した。合羽を出すまでもないので、傘をさす。灌木の道をうねうねと下る。常念岳と横通岳の鞍部たる常念乗越に建つ常念小屋に着く(12:00)。白と赤の吹き流しが風をはらんで靡く。NTTの携帯電話のアンテナが稜線に立つ。近代的な装いでなんだかかっこいい。さっそく食堂でビールで乾杯。小腹が減ったので、名物の山菜うどんを食べた。ちょっと塩辛い。針葉樹の木末に一羽の鳥が止まっていた。おや雷鳥かなとよく見たら、ホシガラスであった。小屋のトイレはバイオトイレで臭気が少ない。夕暮れ時にぷらぷらと鞍部を歩く。テント村では夕餉の仕度で慌ただしい。夕食時(5:00)に驟雨。このまま天気が回復せねば、明日に下山の予定。
 
常念岳から穂高連峰を望む
 
起床(4:00)。明けやらぬうす暗闇にちらちらと灯りがゆれる。槍ヶ岳山荘と北穂高小屋の灯りだ。幻想的な眺め。晴天の天気に気もそぞろに朝食(5:00)。常念小屋出発(5:50)。ごつごつした大岩を踏みながら、つづら折りの急登の道に大汗をかく。立ち止まれば涼風が吹き抜ける。上がるほどに視界が開く。常念岳の頂上に立つ(7:00)。神様の祠が岩の上に祭られていた。その祠の向こうに穂高連峰が碧く聳えている。巨大な岩隗である。奥穂高岳を盟主に、涸沢岳・北穂高岳・前穂高岳が連なる。なんと堂々とした山容だ。幾筋にも谷が切り込んで嶮しい。目を北に転ずれば、槍ヶ岳連峰が厳と天をつく。南に八ヶ岳が霞む。蝶ヶ岳への縦走路もくっきりと見通せる。なごりを惜しんで頂上出発(7:25)。岩隗群をぐんと直下する。雷鳥はいぬかとハイマツ帯を凝視するが、出会えなかった。外的から身を守る習性のためか、視界が悪いときに会うことが多いというから、晴天の今日は確立が低い。再び上りに転じる樹林帯入り口(8:45)。いま急下降したばかりの常念岳の雄姿を見返る。幼子を背負った家族連れに出会う。少し上ってすぐ下る。さらに林の道をピークまで上り、お花畑の中をまた下る。シモツケ草の赤み勝ちの桃色の花は妖艶だ。ニッコウキスゲの花は終わっていた。仰げば蝶槍がはるか上方に突きだしている。蝶ヶ岳上り口(9:45)。樹林の木陰をえっちらえっちら上る。樹林帯を抜ければ穂高の山がそこにある。息が上がる頃に蝶槍に取り付く(10:25)。ここから小屋までは、見た目にたおやかな稜線を描くが、歩いてみれば起伏があって、なかなか小屋に辿り着かない。稜線上にいくつものケルンが積まれて立ち並ぶ。横尾への分岐を過ぎる。梓川まで一気に下ってしまう急勾配の道である。
 
 
常念岳を見返る
 
蝶ヶ岳ヒュッテ着(11:20)。さっそくにおでん定食とビール缶。しばらく午睡。小屋のスリッパで外に出てのんびりとする。夏の日はのびやかな稜線上を照らす。岩ツバメが大急ぎに飛翔する。乾いた風景。逆光の中に巨大な岩隗の穂高連峰がうずくまる。静かな時間がここにある。夕涼みがてらに小屋の前のテーブルでビール。老年のご夫婦と会話。昨日常念小屋に遅く到着し小屋の主人をあきれさせた方であった。三股を朝9時に登りはじめ、雨に打たれ道を見失ったとのこと。ご主人は浮き石に足を取られて転び、左目のまわりに青あざをつくっていた。携帯で小屋に連絡し指示を仰いで無事であったという。ご婦人はさかんに皮肉を言っていた。やはり出発が遅すぎたし、体力を勘案し、コースの選択は慎重でありたい。また、二人の小学生の兄妹がいた。名前を聞けば、兄は「穂高」、妹は「梓」。所に似合ったゆかしい名前だ。夕食(5:00)。鰻の蒲焼きがでたのにはびっくり。焼き鯖でいいのに。水が不足ぎみの小屋であってみれば、調理や後かたづけの水を節約できるレトルト食品を主とするのだろう。納得。食堂の方から漏れる演歌を聞きつつ就寝(8:00)。ふと人それぞれの苦労を背負いながら生きているのだという思いに胸がふさがる。消灯(9:00)。深夜に目覚める。窓を開ければ星々が飛び込んできた。廊下に灯された電球の小さな灯りをたよりに外に出る。仰ぎ見上れば、まさに満天の星。天球は水晶のかけらに埋め尽くされる。弧を描く天の川の薄明かり。その川をいくつもの流星が横切り渡る。さんざめく星たち。こんなにも星が天上にあったのだった。北斗の枡にすくいとられそうになる。星明かりに穂高の山稜が浮かび上がる。東の眼下に広がる松本市街の灯りは、地上の星となる。ひんやりと身体が冷えてきた。再び床につくものの、星の光に頭の芯が醒めてしまい、なかなか眠れない。大きな存在からすれば、己の人生は星のかけらなのだろう。でもね、そんなとるにたらぬ己でも、確かにここに生きてふんばっているのだ。寿命の尽きるまで、やっとこさながらも、やるべきことは精一杯やってみよう、なんてけなげに思っていたらいつしか寝入てしまった。
 
 
蝶ヶ岳から槍ヶ岳を望む
 
がさごそと出発の用意をする物音に目が醒める。起床(4:00)。避雷針の立つ小高い所に日の出を見に出る。黒々とした雲海の涯がうす白い。浅間山の噴煙が南に長く流れる。東天がやがて赤みを帯びてくる。西方を返り見る。穂高連峰のシルエット。槍ヶ岳の穂先は天に突き上げる。風は微風。オレンジの色調にかわる。波打つ雲海のうねりがありありとしてきた。雲峯は盛り上がりくずほれる。急に人々のざわめきが止む。曙光。日の出だ。たぎりたつ赤が雲海の一点に現れる。いま直線であった赤光はすぐに丸みとなる。日が昇る。国旗掲揚時の荘厳な君が代吹奏の旋律と重なる。白い空が青くなった。朝冷に槍と穂高が凛と聳える。焼岳がますます赤く焼ける。遠くの乗鞍岳と御嶽山に手が届きそうに間近だ。朝食(5:00)。やっぱり3杯食べた。いよいよ穂高の眺めとさよならする日となった。蝶ヶ岳ヒュッテ出発(6:10)。針葉樹の樹間をくぐって妖精の池。静寂な空間。池面に木々が映る。池畔に咲くチシマギキョウの紫の花が凍結していた。長塀山頂上(6:45)。どんどん下っていく。時折に樹間から白く照り映える前穂高岳の峰をかいま見つつ下る。さらに高度が下がれば、かわって明神岳が透けて見える。木の根の張るつづら折りの長塀尾根をずんずん降りていく。汗をかいて上ってくる人たちに道をゆずり挨拶する。石ころの道から針葉樹の落ち葉の積もる道にかわる。樹の幹が太くなり、勾配がきつくなる。斜面が笹原となり、しばらく我慢すれば、かつての牧草地にテント村ができている徳沢(8:45)。小休憩ののちにハルニエの木の木陰に続く平坦な道をさくさく歩く。底の小砂の動きまで透ける沢の流れに架かる小橋を渡る。梓川の川音は高い。
 
 
梓川から常念岳と長塀尾根を仰ぎ見る
 
平地に戻ると安心する。明神館に立ち寄ってビール(9:45)。白く照り映える明神岳がいまにも倒れてきそうなほどに屹立する。小梨平を過ぎる。リックを背負った登山姿の人がまばらになり、着飾った観光客の人の中に埋没すれば、上高地の河童橋(10:45)。下山届けを提出。帰途の高速バスの予約する。戻って河童橋の橋のたもとの五千尺ホテルの二階食堂でカレーライスとビールを注文。一階でお土産を買う。混雑する河童橋を渡って梓川の川畔で休憩。冷たい流れに足をひたす。というか足を洗う。急な流れに鴨が流されていく。野沢菜のおやきをほおばりながら缶ビールを飲む。上高知バスターミナルから「さわやか信州号」に沢渡で接続するバスに乗車(13:30)。お盆の帰省渋滞に巻き込まれながらも、定刻に梅田到着(21:30)。ここで同行のお二人と別れた。こうして先達Yさんのお陰で無事に稜線歩きの旅を終えた。ずいぶんと日焼けした。さあ、ゆっくりと風呂につかって、思いっきり頭を洗おう。庭木に水もやらねばならない。数日前に熱帯低気圧が紀伊半島近海でいきなり台風になって西走した。真夏日の記録を更新しつつある今年の夏。従来の季節のめぐりとの間に大きなずれが出てきた。燕山荘のご主人の話では、今年は梅雨明けに、本来ならば順々に咲くはずの春夏秋の三つの季節の花が一度に咲いたとのこと。一つ一つの小さな「異常」に個人として驚いているが、実際は世界的な気候変動のただ中にいる。遠望した槍連峰、穂高連峰の雪渓もまた小さかった。