肥後の国 雁俣山  2000.1.4(火) 天晴る
 
 
熊本県の実家に里帰りした折りに、ふるさとの山である雁俣山(地元ではカルマッダケと呼ぶ)を歩いた。熊本平野を渡ってきた雁の列がこのやまで二手に分かれて山越えすることからの命名とか。ちなみに近くの富合町には雁回山という名の山もある。雁俣山の名前は、頂上の二こぶの形状を見ると、矢の一種である「雁俣」を由来するのではないかと思う。砥用町小学校の校歌の歌い出しに「雁俣手蝶四万丈連なる山の紫に」と雁俣山が出てくる。子どもの頃は羅列された漢語の意味が分からずに歌っていた。遠く異郷に住まいするようになると、朝夕仰いで通学していたこの山がふるさとの象徴として大きな存在となった。近畿のみなさんには聞き慣れぬ山であるかと思う。九州の道はよく整備されて便利になった。交通量も少なく短時間に移動できる。例えば、砥用町から隣り町の、通潤橋で有名な矢部町まで1時間半以上かかっていたのが今は20分で十分である。
熊本県下益城郡砥用町三和(11;00) 女房と二人。母親に握り飯と卵焼き、漬け物の弁当をつくってもらい出発。小学校の頃は全行程徒歩で登っていたので早朝に出発していたが、本日はマイカー登山。雁俣山へは延岡市へと続くR218から岐れて国道に昇格したばかりのR445を登る。R445は砥用町から平家隠里の伝説の五家荘、子守歌で有名な五木村を経て人吉市へと伸びる山中の道である。予定では峠の二本杉まで車で行くつもりであったが、途中に凍結した箇所があって引き返し、麓の村である早楠の少し上あたりに駐車する。凍結した所に立ち往生してチェーンを巻く車があった。
 
民有林林道塩井戸線分岐(12;00) 山歩き出発。二本杉まで5.4qの標識。つづら折りの舗装道を歩き始める。少し行くとくまもと名水百選の七郎次水源である。苔むした岩の間から清流が迸る。県内から水くみに来る所である。谷々にこうした水源地があって砥用町の上水道になっている。山肌に積もる雪、谷の向こうに聳える雁俣山を仰ぎながらひたすら登っていく。高度が上がるほどに日陰の車道は雪が多くなる。砥用町の俯瞰できる所で握り飯一個を半分っこして仮の昼食。炊き立ての白米に塩をつけラップでくるんである。こうしておけば水分がとばすにおいしい。自家製の梅干しのなつかしい味。大きく巻いた道を近道するために枯れ葉の積もる急斜面をよじ登る。
二本杉展望所(13;35  1100m) 小休憩。九州自然歩道の道程を示す看板を読む。熊本平野方面の展望が利く。少し歩くと二本杉峠。宮原町と人吉市への分岐となっている。広い駐車場と水洗の立派なWCがある。熊本名物の「だごじる」と川魚の串焼きを売る小店が営業している。雁俣山登山道の道標に従って車道の脇から左折して山道に入る。熊笹が両脇に茂っている。ブナの大木がにょきりにょきりと生えている。こしらえたばかりのような木の丸太の階段の道を越えていく。隣町の中央町には日本一の段数の石段がある。階段が好きな地域なんだろうかと思ってもみる。ピークを越えると杉の木立の薄暗い下り坂。鞍部からまた階段なしの地道の急登を這い登る。どこか大峰の山道を感じさせる。天を仰ぐとブナ林の小むれごしに蒼天が光っている。清浄な空気に満ちている。振り返ると間近な大金峰山と遙かに稜線の向こうに国見岳が霞んでいる。国見岳(1739m)は肥後国の最高峰である。ここへは緑川上流にある、矢部町と砥用町との間の、かつて東洋一の高さを誇った内大臣橋を渡って林道を登っていく。
 
雁俣山頂上(14;35―15;10 1315m) 一汗かくと頂上に至る。山神様を祀る石の祠が迎えてくれた。大展望。熊本平野が遠くに霞む。眼下には砥用町の町並み丘陵が広がり、緑川ダムのダム湖が満々と水を湛えている。遙かに東を見れば阿蘇の枯れた色合いの外輪山の山並みを望む。西には靄の上に島原半島の普賢岳が青く浮かんでいる。南には泉村の山々。くだんの昼食、コーヒー。福岡の宗像からという中年のご夫婦がやってくる。昨日に眼下の甲佐岳に登り、今日は午前中に大金峰山に行っていまここに来たとのこと。昨年は国見岳に登った話しをしてくださった。九州でも山行きが盛んな様子。名残を惜しみつつ下山開始。かつては山仕事をする人の山道を駆け下りたこともあった。鞍部からピークを巻く旧道をとる。雪が厚い。こちらの道がおもしろい。
二本杉峠(15;50)。凍結はずいぶんと緩くなっている。あのご夫婦が四輪駆動のバンに誘ってくれたが厚く礼を言って歩くことにした。往路をひたすら下る。暮れ残る頂上がそこだけぽっこりと赤い。なんだかせつない想いが心中に去来する。七郎次水源で一口水を潤す。民有林林道塩井戸線分岐(17;00)。
 
実家着(17;30) 故郷の山行きの一日だった。人それぞれに自分の山(海辺の人は海か)というものが厳として存在するものなのだろうと思う。子どもの頃に仰いで暮らした山を、故郷を遠く離れ、年をとって里帰りし登り返したとき、さまざまな想いに胸をふさいだ。感傷といえばそれまでだ。一歩一歩に他の山を歩くのとは違った感覚を覚えたのも事実である。前の日には老いた両親を連れて宮崎の高千穂神社に参拝した。なんだか無性に九州に帰りたい。年をとったのかな。
 
 
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