太平記の笠置山 1999.12.23(水) 天陰る
 
冬至の翌日、天皇誕生日に山城国の笠置山に登ってきた。仕事の合間に読んでいた太平記の巻の三に、笠置山に後醍醐天皇が御幸して立て籠もって六波羅軍と合戦し、闘い破れ、逃れ出て近隣にて捉えられた状が書かれていた。河内国の赤坂城には楠兵衛正成が立て籠もっていた時である。この地に立って静かに想うとき、木津川の流れを押し渡って戦う騎馬武者たちの姿、笠置山の斜面での矢戦、崖を這い登っての六波羅軍の一手の奇襲など、鎌倉時代の末のことが絵巻のように脳裏をよぎった。
 頂上の後醍醐天皇行在所の碑に、天皇の御歌が刻まれていた。
   ○うかりける身を秋風にさそはれて思はぬ山の紅葉をぞ見る
 
枚方市香里ヶ丘出発(10;50) 近くだとの安心感でいつまでもぐずぐずとしているうちに出発が遅くなる。女房と二人。マイカー登山。R307、R24、R163を走って笠置町に至る。途中でコンビニに寄って弁当と飲み物を買う。R24との交差点でR307をまっすぐ行ってしまい宇治田原で間違いに気付いて引き返す。鷲峰山とごっちゃになっていたのだと思う。笠置町の手前の道路標識に「人家!狭し、注意徐行」と大きく書いてある。なんだか変な標識だ。
 
ドライブイン大扇に駐車(12;40) 一端、かさぎ橋を渡って笠置町の街を抜けて登山口を探して、奈良県との県境、柳生まで行ってみた。市街はなんと狭いことか。離合に苦労する。駐車場が見当たらないので、また下ってかさぎ橋の下の河川敷にあるモータープールに行ったが休み。仕方がないのでR163沿いのドライブインの駐車場を借りる。帰りに買い物をすることで許してもらうことにした。ごめんなさい。水洗のWCあり。今日は小さなリュックを背負う。交通量の激しい国道を木津川沿いに歩いていく。対岸の川原は枯れすすきが広がっている。かさぎ橋を渡る。歩いて渡ると車で通りすぎるのとではやっぱり違いがある。これから登る笠置山をじっくり眺める。椀を伏せたようにこんもりとしている。大石がところどころに露呈する。木津川の川面で時折に銀色に光る。魚が群れているのが見える。この辺りはカヌーの盛んな所だが、今日は一艘も浮かんでいない。福引きをする商店街を抜けて笠置山登山口。派手な看板が目を引く。
 
笠置山登山口(13;10)。「史蹟及名勝笠置山」の石柱が立っている。左に舗装道の車道、右に古登山道が岐れる。50本ばかりの竹の杖の無料貸し出しがある。右を上る。東海自然歩道の標があった。地元の年輩の男性が、イマデッカと声をかけてくれた。話しによると夏は週に2回、冬は1回はかならず登るとのこと。しばらく舗装された小道を行く。笠置の町並みが見下ろせるようになると、石ころ道にかわる。斜面に「急傾斜地崩壊危険区域」との標柱がのぞく。いにし日に六波羅の寄手もここを這い登っていったのだろう。足下には黄色と紫のかえでの落ち葉が折り敷いている。しばらく上ると一軒の古屋と朽ちた木の祠があった。赤い実の南天の木に囲まれた閑かな佇まい。幅の広い道であるが、しだいに険しくなってくる。また階段状の道になると車道と交わる。一の木戸跡である(13;35)。ここを守っていた弓の名人である三河国の足助次郎重範が六波羅軍の将を射た所である。雉や猪の鍋料理の店がある。忠臣の碑を少し過ぎるとまた車道から分かれて小径を行く。大石の傍らの石の仏様を拝すると、車道の終点に至る。猿のこしかけ(霊芝)の生えた立木の前の車道を横切って笠置山寺の門前に着く。石段の落ち葉を数人でかき集めていた。たいへんな量である。笠置山寺(13;45)。寺門の前に「天武天皇勅願所、後醍醐天皇行在所」との標があった。お寺の縁起を記した碑をゆっくり読んで一休み。閑かな境内だ。大きな石の香炉、国宝の解脱鐘を見る。さざんかの赤色が際だっている。奥まったところに修行場への拝観受付がある。不在とかでテープの声で、「ヨーコソ オマイリクダサイマシタ」と挨拶。一人300円を箱の中に納めて通り抜ける。WCあり。
 森閑として修行場の雰囲気が漂う。椿本護王宮の下に「笠やん」の碑があった。かつて参詣者に可愛がられた猫とのこと。「愛し猫よひと声なりと雪笠置」の句あり。巨大な岩があるなあと歩んでいくと、正月堂の前に磨崖仏が聳える。圧倒する大きさである。三度の火災で黒ずんだところがある。正月堂の下を抜ける。この柱も焼け焦がれたと思える跡と矢じりの跡らしきものがある。虫食いじゃないと興を醒ます同行者の冷静な一言。薄暗い巨石の下を抜けるやまた磨崖仏がある。太い線で弥勒上生の図が刻まれている。すこし引き下がって見上げないと全体は拝せない。ところどころ紫の岩ごけに覆われていて尊く彩色されているようだ。
 胎内くぐり、太鼓石、平等石など巨石を見物しながら、樹間を上ったり下ったりする。ゆるぎ石とて、崖を登ってくる敵めがけて落とすために用意された大石があった。しかし、ここを奇襲され不意をつかれた。 
 
蟻の戸渡り(14;15ー14;45)。巨石の上によじ登り昼食。俵弁当、みそ汁、コーヒー。木津川と国道、集落が松の枝ごしに見通せる。下流方向、上流方向をゆっくりと眺める。風は凪いでいる。川を隔てて三ヶ岳が日に照らされている。石の上から下りるのが難しかった。無恰好にずり落ちた。
 
笠置山頂上(14;50 324m)。また少し登ると二の丸を経て頂上。後醍醐天皇の行在所跡である。立派な石の柱で厳めしく囲まれているが、後方はとぎれている。門の前の碑を読んでいると、突然に左後方でからからからと高笑いの声がした。びくりと振り返っても誰もいない。大天狗の仕業かと、不埒な言動を繰り返しながら登ってきた我々は驚懼した。観察すると大木が風できしむ音らしい。安堵。石の長い階段を下る。宝蔵坊跡まで下り、登り返してまた下る。修行場入り口に戻ってきた。鐘堂の前で落ち葉焚きしている煙が元弘年間の戦乱の煙に見える。その傍らで遊ぶ子どもたちの歓声をいくさのときの声に聞きなして山門を去る。門の前のびわの木に散り残る花の白さに冬の寒さを知る。つづら折りの舗装道をひたすら下って登山口(15;25)に至る。車道は登山道よりも距離が長い。中腹には料理旅館が数軒。
 市街を抜けて、かさぎ橋で笠置山を振り返ってじっくり眺める。もはや日は陰っている。ドライブインであたご柿を購入。たこ焼き6個(300円)を川を見ながら食す。焼きたてでおいしいが、とにかく熱い。大きなたこ焼きだから口から出すこともできずに七転八倒の苦しみ。
 
枚方市香里ヶ丘到着(17;15)。R163を帰る。さしたる渋滞もなく家に着く。鎌倉時代の末、南北朝の初めの歴史の地である笠置山を歩くことがかなったひとひ。帰路に見た木津川の川面に照る夕日の美しさよ。太平記によるとこの川が血の色に染まって流れたという。板東武者の蹄の音をかすかに聞く想いがした。
 
 
 
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