金剛山U  2002.2.9  天陰
 
 
飛鳥から見た金剛山(左)と葛城山(右) 晩秋
 
今年も職場の恒例行事である金剛山寒中登山の季節がやってきた。総勢14名の猛者(というか好寄者)が参加した。積雪情報では8センチとのこと。金剛山RWは強風のために終日運休。朝9時に近鉄阿部野橋駅に集合。河内長野行き準急にて富田林駅。そこから年代物の南海バスに乗車して金剛山登山口。この時期は臨時バスが運行されている。バスを待っていると、おばちゃんたちの集団が、列の順番を飛び越して前に並んだ。その理由は知り合いが前にいたからである。「あんたそこにいたの」と大声で言いながら、当然のごとく「横入り」した。さっそくTさんと「大阪のおばさん」について談義する。車窓に展開する千早赤坂村は、なつかしい雰囲気を漂わせる。小さな棚田が山の上まで続いている。取り残しの蜜柑の黄色が、色彩の乏しい枯れ野に鮮やかだ。昔ながらの堂々とした農家の家構えは、歴史の確かさを知らしめる。登山口のバス停の前には、新築の水洗WCができていた。かつては地獄の釜に直結するような古びたぼっちゃん便所であった。こんなところに時代の移り変わりを見る。Nさんは簡易装着式のアイゼンを購入。Sさんのお子さん二人と、昨年に続く雪合戦の戦いを誓う。山男のYSさんが豚汁の道具をボッカしてくれる。有り難い。自称「明るいパソコンおたく」のTさんは小型のノートパソコンをリックに入れてきた。これも有り難い、字義どおりに。
 
登山口にあるお店
 
まさに登山道に入る所に、おでんと回転饅頭を売る雑貨屋がある。ほかほかの玉子をほおばりながら歩く。Nさんは熱々のやわらかい回転饅頭。幼い頃、町の公民館でなされていた幼児検診のとき、泣き叫ぶ私に母親が一個の回転饅頭を買い与えてなだめすかしたという。当時、一個10円だったとか。安上がりの子どもだ。今でも街中の回転饅頭屋さんの前で、つい立ち止まるのは幼児体験の影響だろうか。舗装道から地道になる頃から勾配が急になる。Yさん夫妻は体調がすぐれないと下山。無理をなさらない潔いよい判断である。後に無事帰宅との連絡があった。安堵。少し上って、のろし台で甘酒を飲みつつ休憩。後で聞けば、YKさんたちは例のごとくおでんと辛酒を嗜んだとか。茶店の名は「一本木茶屋」。その店の横の看板を観察する。言葉屋の習性である。Mさんたちに追いつく。ここから頂上までご一緒する。Mさんの家族愛を間近に見る。のろし台から少しずつ雪が多くなる。このところの暖かさに、雪解け道で、やや泥道状態である。しかし、足場を選んで歩けば汚れない。道の端に雪の切片が白く光る。そこにお地蔵様が座ってござる。ドラえもんの涎掛けが現代的だ。どんなお布施もにっこりとお受けになるお姿は尊い。Mさんの子どもさんが小さな手をかわいらしく合わせて拝する。これで寄り道せずにMさんが帰宅するだろう、と言わなくてもいいことを言って愚妻に叱られる。道普請用の白木が山積みされていた。寒風にさらされる白木は美しい。かくありたいと願う。背中を泥だらけにした子どもたちが下りてくる。家では無事な帰宅の喜びと小言が待っているはずだ。
 
餌場の小鳥
 
高度が上がってくると、空気は冷たくなる。風が強くなってきた。山全体が揺れる。大木までが幹を揺らしている。ごうと鳴る。その音を聞きつつ歩いていく。吹き飛ばす枯葉は一枚もなく、ただただ風が吹きすさぶ。山風のうなりは原始の心を呼び覚ます。山影に道が廻れば、風は止み、穏やかな雪道の景色。一本の馴染みのブナの大木に来山の挨拶。小鳥が餌場の餌をついばみにきている。頂上に近づくほどに雪は白くなる。氷状になった雪の粒がきらきらと陽に輝く。頂上直下の小径から大阪平野を眺める。透明な空気を透かして浪速の街が広がる。この街で既に十年暮らしてきたのだ。
 
転法輪寺のお不動様
 
白雪に覆われた頂上では、すでに豚汁が出来ていた。豚汁の横にはおでんと日本酒「河内音頭」が置かれていた。その前には酔っぱらいが約3名、大いに飲んでいる。今年の豚汁は、もやし入りの豪華版。人出は昨年に比べれば少ない。それでも場所を確保するのは難しい。雪の中、風に吹かれながら飲む酒は、甘露である。とりどりの昼食。私は、白米の握り飯、漬け物、焼き鮭。大騒ぎのうちに昼食はすすむ。腹が満ちればSさんのお子さんとの雪合戦。投げた雪玉は、見知らぬ中年の男性の頭に命中。子どものやったことにしたが、投げたのは私だ。大人はずるい。YSさんはブランコに揺られる。YKさんはやっぱり飲んだくれてはる。Mさんは家族愛。足が大きいという理由でTさんはアイゼンをなかなか装着できない。総出で履かせる。それでも酒は離さない。広場で記念撮影。金剛桜は凛として、そこにあった。転法輪寺の横を過ぎ、雪の行者堂を拝して、一の鳥居をくぐる。橇を持った小さな女の子に、上から滑った方がおもしろいと言えば、「わたしは子どもだから、ここでやっているの」と、しごく大人びた口調でたしなめらる。いつもこうだ。樹氷は見られなかった。けれども葛城神社の下の道は山影とあって、雪は厚い。背後に常に雪玉の恐怖を覚えながら歩いていく。時折に反撃。背中に雪を入れるのが効果がある。Sさんの視線が恐い。米の袋を橇の代わりにして滑る。やけに尻が痛い。この赤い顔をして、米の空き袋で滑っているオヤジが委員長だとは、誰も気づくまい。私だって信じない。
 
金剛山RW山上駅
 
楽しく歩いて、時に滑って、金剛山RW山上駅。強風のために運休。Sさん家族とTさんのRWで降りるという野望は潰えた。ここからは葛城山がよく見える。伏見峠まで上りかえして香楠荘の横を過ぎる。いつもは雪原になっている広場も、今日は泥海。それでも僅かに残る雪の上を滑ろうとする子どもが母親に叱られている。でも、なんだか母親に叱られている子どもが羨ましい。遠い日をちょっと思い出した。念仏坂の凍結はそれほどでもないが、それでも足下が危なっかしい。用心しつつ下っていく。下り道が恐い恐いと言っていたTさんは、ものすごい早さで下っていく。
 
金剛白龍大神
 
念仏坂を下りきって、やや平坦な道になると、道脇に金剛白龍大神の祠がある。木の鳥居は風情がある。息を調えて拝する。このあたりから沢の音が高くなる。水源地から樹木に覆われたやや暗い道になる。檜と杉の林の薄暗い斜面に、日が差し込んで、そこだけぽっと明るい場所がある。そんな景色は神々しく見える。心の闇に差し込む光とはかくのごときかと比喩的に考えてみる。帰りのバスをしばし待って乗車。富田林駅でMさん家族と別れる。
 
JR天王寺駅の地下街の居酒屋で、一杯だけの堅い誓いで、お疲れ会。やっぱり一杯では済まずに、幸せ一杯飲むことになる。いつものことだ。トイレに行きたいと富田林駅から言っていたTさんは、居酒屋でも行かず、JRの中で耐えていた。鶴橋駅で事なきを得たのかどうか、気がかりと言えばそれだけだ。JR京橋駅でYSさんと別れる。今年もまた楽しいひと日となった。