鈴鹿の国見岳
平成11年(1999年)の晦日に、鈴鹿の国見岳に登った。これが卯年の登り納めとなった。師走も押し詰まった頃に、台湾からの留学生から杵搗きの餅を貰った。どこか日本の伝統的な慣習から違和感を感じながらも、小豆のあんこ入りをおいしくほおばった。食べながら縁起のいい名前の山に登ろうと考えて地図を見ていた。鈴鹿山地の国見岳にすることにした。
鈴鹿の国見岳 1999.12.30(木) 天晴る
枚方市香里ヶ丘出発(7;00) 柏原市国分で台湾からの留学生のハンさんと合流。女房と三人。コンビニで弁当と飲み物を購入。香芝ICで西名阪道(400円)、名阪国道、東名阪道四日市IC(700円)で下り、R365に入る。鈴鹿山地は靄って見えない。
RW湯の山温泉口駐車場登山開始(9;55) 水洗のWCあり。駅の横手から三滝川沿いの県道に下りて、裏道登山道の入り口、大石橋、一の谷まで舗装道を経て、湯の山越え分岐を左の中道登山道に入る(10;30)。 松葉の落ち葉の香りに満ちた急坂をひたすら上る。樹間から御在所岳の東壁が聳える。やがてRWの下を潜る。高度が上がると鎌ヶ岳が左手に堂々とそそり立つ。大岩と砂の道をひたすら歩く。縦長の巨石が寄り添って立つ負れ岩。傾いた大岩の根元を小枝でつっかえ棒してあるのがユーモラスだ。ハンさんは胎内くぐりのように岩の間を通り抜ける。稜線づたいに歩く。地蔵岩(11;35)。屹立した大岩の

上に大岩がちょっこりと載っている。今にも落ちそうだがゆるがない。藤内壁の上では強風。くさり場を降りる。再び登り返す。道の脇の日陰に雪。下山する単独行の男性と挨拶。やがて凍結した雪道。岩場を越え、笹や木の枝を掴みながら這い登って富士見台(12;55)。霞む伊勢湾と知多半島を眺めて小休止。しばし舗装道を歩き、RW山上駅の下で国見峠への堀切った道へ下る。安全な所で滑ってみる。小さな沢を渡りさらに下って国見峠(13;25 1080m)。背丈ほどの笹の中の四つ辻。今下ってきた御在所岳への道、谷から上がってくる裏道、雨乞い岳方面への道、国見岳への道が交叉する要所だ。大きな案内板。石段状の道を往き、砂地に大石の群立つ広場に出る。御在所岳の豪壮な岩壁が間近に迫る。ロープを頼りに砂の壁を越える。しばらく背丈ほどの笹の道を

抜ける。再び平坦な雪道に歩を早めて国見尾根への分岐を過ぎて頂上に至る。
国見岳頂上(13;45―14;15 1167m) 周りを雪の笹の原に囲まれて、花崗岩の大石が積み重なっている。四方の山を表示する銀色に光る板がある。眺望と山名を照らし合わせる。大石の上にて昼食。握り飯、みそ汁、台湾製のシーチキン、ハンさんの隣のおばさんのお裾分けのたくわん漬け、ココア。岩の上から展望を楽しむ。国見の山だけあって伊勢平野が手にとるように見渡せる。鈴鹿川をはじめ幾筋もの川の蛇行、田が重なり集落が点在する。眼下には、馬手に国見尾根がなだらかに続きゆるぎ岩らしき石の塔がにょきりと天をつき、弓手に谷をはるかに隔てて釈迦岳をはじめとする鈴鹿山地の諸峰がうち並ぶ。振り返れば間近に御在所岳が控え、雨乞い岳の穏やかな山容が後詰めする。
国見峠(14;30) 蜜柑を食べて小休止。雪の降り積もる急斜面の裏登山道を辿ることにする。左手の沢は雪が厚い。足下に注意しながら慎重に下るために遅々たる歩み。いくら下りても同じ景色に感じる。沢の流れがそのまま氷って蒼い色の小滝が止まっている。

大小のつららもさがる。神秘的な光景。氷の下に流れ出した沢音が大きくなってくると、両側の斜面が険しくなり谷は深くなる。左手の藤内壁が、その圧倒的な威圧感を以て覆いかぶさってくる。石壁の滝が凍って一筋の氷の帯を垂らす。そこだけ時間が静止する。林の中になると足下の雪は消える。藤内壁出合に「ロッククライマー以外は危険です立ち入らないで下さい」と看板が立っていた。兎の耳の岩場で木製の橋で川原に下りて沢を横切る。売店もある藤内小屋(15;30)。薄暗い広葉樹の林を抜けて日向小屋を過ぎ、谷川沿いの鉄橋をいくつか渡って駐車場、少し下って鈴鹿スカイライン。ここを谷川まで降りて橋の下を通り、しばらく歩いて裏道登山道口に至る。なんだかほっとする。
RW湯の山温泉口(16;20) 湯の山の温泉で露天風呂(500円)、市街で松阪牛の格安の焼き肉を楽しむ。もうとっぷりと日は暮れた。往路を帰る。枚方市香里ヶ丘着(20;10)。雪道を歩くのは初めてであるというハンさんが楽しんでくれた一日。岩の上に凍結した雪道を歩くことの難しさを知った山行きとなった。辿った道筋の大石や奇岩、藤内壁など石の芸術を堪能できた。岩はもの言わずにどっしりしている。大相撲の力士で、強すぎて且つ無愛想だった為に衆人に嫌われた北の湖、打ち負かし土俵に転んだ力士に手を差し伸べるような甘っちょろい偽善をせずに、威風堂々たる横綱の風格を持っていた。そんな風格を感じた大岩たちであった。