大台ヶ原の秋 平成18年10月15日 晴
大台ヶ原ドライブウェイのもみじ
まんまるな月を仰いでいた。あんな美しいものが夜空に浮かんでいることを、あらためて思うと、知らずに涙がこぼれた。むら雲に隠れても、やがてあるはたちまちに、元のすがたをあらわす。雲にずっと覆われていたとしても、確かに、雲の向こうには月がある。月影に我が身をさらし、夜風に吹かれると、誰もが秘めて辛抱している孤独が深くなる。だが、清かな月の夜の孤独感は快い。ずうんと心底に月の光がさしこむ。旅愁。えんま蟋蟀がすざく。目が冴えてなかなかに寝付けない、かと思ったけれど、すぐに眠りにおちた。早朝に目覚める。なんだか山の空気を肺臓いっぱいに吸いたくなる。ベランダに立っていると吉野の山脈がどうだいと呼んでいる、ように見えた。川上村を経て、伯母谷をたどる。この一条の道は、東熊野街道。杉の山が清潔に明るい。心の塵を払ごとくある。トンネルの手前から大台ヶ原ドライブウェイに入る。対向車に注意しながらゆっくりと上っていく。こんなに狭い山道で、向こうからひょいとバスが来たらどうしようと、小心者はいつも怯える。くねくねと道は曲がりながら上がる。うす暗いトンネルをくぐれば、ぱっと天地がひらける。異境にいきなり跳びこんだ高揚感が襲う。紀伊半島を縦に眺める。十津川方面に山と谷とが折り重なりながらはるかに遠い。神話の世界の風景。山の青みがかなしい。朝露にぬれたススキの穂が山風にゆれる。銀色の舞踏会。ああ胸は透き、心は晴れ晴れだ。所詮、人の世はちまちまとしてうるさい。だといって、人の世の外に住み家はない。皆でどこかでこらえ合いながらうんとこらせとやるばかりだ。それにしても、この空の蒼さはどうだ。
すすきに大普賢岳
眺めの良い開けた道をゆったりとのぼっていく。大きな谷をへだてて、大峰山脈が南北にのびて壁をつくる。大普賢岳が主峰をなす。和佐又山の小屋が斜面にへばりついているかのよう。高度が上がるにつれてもみじが濃くなってきた。櫨の赤い葉が岩肌に燃える。ナゴヤ岳の下あたりの広場にぽつんと駐車する。ずんずん歩いていく。いい気分。風はひんやりとする。早足で歩くとほどなく体が暖まる。それにしてもすがすがしい。「もみじ」と言葉で総称するが、木ごとに、一本の木でも葉ごとに色合いがこんなにも違うものだなと思いながら歩く。時に走ってみる。間もなく駐車の長い列ができていた。誘導員のおじいさん二人が路上駐車を指示している。駐車場が満車らしい。ビジターセンター前の広場に到着。なんとまあ車の多いこと。なかでも家族連れとバイクのライダーが目に付く。焼き芋をほおばる子どもが前をすぎる。香ばしい匂いに小鼻がふくらむ。ひんやりとした樹林の小径を歩いていく。針葉樹の鋭い香りがする。階段状の坂に出るあたりからもみじが美しくなる。ブナの大木を仰ぐとぎょっとするぐらいの黄葉。鞍部から木製階段を踏みながら日出ヶ岳の頂上をめざす。上り下りの人が譲り合いながら上手にすれ違っていく。我先がちにならないから、かえって円滑だ。たがいにかるく会釈してお礼する。
日出ヶ岳木道から正木ヶ原方面
登り詰めて頂上に至る。岩肌が露出して広々としている。四方の景色が見渡せる。北に高台山脈が続く。南は向かいの山の紅葉。展望台に登って富士山を探すが白い靄が見えるばかり。視線を右に向ければ、尾鷲湾と熊野灘が広がる。こんなにも海が近いなんて。なごりの気持ちを引きずりながら往路と同じ径を下る。道はずっと人間くさい。なんだろう、この嗅覚の冴えは。森の匂いに順応し、本来そこにいる筈のない人間の匂いに敏感となって、いるのかもしれない。だが、ビジターセンター前に来ると一向に気にならなくなった。あの樹林のうす暗がりが、私の中に、森のけものたちの感覚を呼び起こしたのだろうか。不可思議な小時間であった。上北山村の産物をならべた土産屋をのぞく。食堂と一緒になっているので、おいしそうな匂いが店内漂っている。腹がぐうと鳴る。干し椎茸を買う。山間の村の椎茸は美味。あちこちに「クマ注意!」の立て看板が立つ。妖怪一本ただらの木彫りに別れを告げて、すたこら道路を下っていく。針葉樹の緑と笹原、枯れた木の白い幹、蒼天、大台ヶ原の秋の色を眺め歩く。横道に入ると沢があった。沢の流れをひょいと渡って大石に座る。もみじ葉が清流に浮き沈みしながら流れる。焼きたらこのにぎり飯に厚焼き玉子の昼飯。黄や赤の葉の茂みを透いて秋空が高い。水の音ばかりがする。小滝の白いしぶきに、沢底の落ち葉の赤と黄とがくっきりと鮮やかだ。この清浄な美しさは神怪。車の屋根にもみじ一葉。
蒼天の笹原のもみじ
吉野川ぞいの道をのんびりと下っていく。川上村迫の役場前に設えられた村産物の店に立ち寄る。村の人たちが自前の工芸品や作物を対面販売する。ここの柚みそや辛子みそをつけたこんにゃくの串が大好きである。だからいつも二串は食べる。椅子に座らせてもらってこんにゃくをかじっていると、小さな大根に柚みそをのせたものをくれた。店のおじさんが食べているのを見て、それはそれはおいしそうだったので、一口と懇願したらくださった。おあばさんはそんなものをお客さんに食べさせるのは失礼だとおじさんをとめようとするが、お客さんの、私の目は、よだれを垂らさんばかりに真剣であった。しゃきしゃきしゃきと小大根をかみくだく。辛みがいい。近頃は辛い大根が手に入らなくなったことを淋しく感じていた。大根にうっとりしていると、葉っぱもうまいよと、大根の青々とした葉っぱに辛みそをつけてくれた。虫食いの葉っぱであることをおばさんは気にしていたが、おじさんは、虫が食っているのは無農薬だからだと説明する。まったくそのとおりだ。虫が食うほどおいしいのだ。わしゃわしゃと葉っぱを口に押し込む。味噌が鼻の頭につくがへっちゃら。つうんと辛みと青味がする。大地の息吹を口に含んでいるような感覚。おじさんの自信満々な笑い、とんでもないものを食べさせてしまったとまた謝る、申し訳なさそうな顔のおばさん。いえいえ、おいしゅうございます。満足満足。不揃いの柿と曲がりに曲がった胡瓜を買い求めた。広場は木工品の木の香りに満ちていた。秋は更けいく。