大和国 多武峰 談山(566m)・御破裂山(607m) 平成13年12月9日 天晴
 
              
 
飛鳥の東部の山々は、峰の多さから多武峰と呼ばれてきた。山中には大化改新の立て役者の一人である中臣鎌足を御祭神とする談山神社がある。ゆららかな秋の日に甘樫の丘から眺めた多武峰の山容のゆかしさに歩いてみたいと願っていた。一昨年の春に、二上山から眺めた大和三山の後の屏風のごとき山が多武峰であった。国立飛鳥資料館の駐車場(11:10)。古い町並みを横手に、飛鳥坐神社の鳥居の前を抜けて田圃の畦道を踏み、新設の万葉文化館の横を飛鳥寺の甍と甘樫の丘を重ねて見ながら歩く。酒船石遺跡で発掘された遺構を見学。亀形や小判形石造物を観察する。伝飛鳥板蓋宮跡の東方の丘陵にある史跡「酒船石」は謎の石とされてきた。この発掘調査によって導水施設の一部であることが明らかになった。遺構は斉明期に造営され、改修されながら平安時代に廃絶されまで約250年間存続したという。初老の男性が連れの女性へ説明するのを聞いていた。犬養万葉記念館、岡寺への登り口を過ぎる。広島の友人H.M氏が山陰の温泉で偶然に犬養先生とお風呂が一緒であり、それを縁に部屋に呼ばれて文学の話を楽しくしてくださったことを語る。古風な町並みは心が安まる。石舞台古墳(12:00)。談山神社へ歩くならば、ここに駐車した方が便利。国営飛鳥歴史公園石舞台地区であり芝生を敷き詰めた広い公園となっている。石舞台の周辺は木の垣根で囲まれ中を見通せないようにされていた。遺跡の保護か商売か、その両方であろうが、われわれの歴史が経済活動に取り込まれて、「観光資源」となりはてて、身辺から遠ざかってしまっているように見えた。心ない観光客の不埒な行為によって遺跡が毀たれることを避ける意味合いもある。石舞台の横の車道を登っていく。ところどころに多武峰・談山神社への立派な標識が立っている。人家を縫う旧道と二車線の新道とが併走するが、歩くならば白壁の美しい農家が続く旧道がゆかしい。昔ながらの清流たる冬野川。峪合いに展開する小さな村を抜けて登っていく。
 
両側から迫ってくる棚田が見事である。古代の水田は水利に適した谷に発展したのだろうと思いながら眺める。小川の瀬音が高い。石の道標が旅人を誘う。気都和既神社(12:45) 道沿いに点在する地蔵尊を拝しながら上がる。人家が尽きると神々しい杜に出会う。気都和既神社である。案内板によれば、境内は「もうこの森」との名。大化改新で中臣鎌足が飛鳥板蓋宮で誅殺した蘇我入鹿の首に追われてここまで逃げ込み「もう来ぬだろう」との言に由来するとか。鎌足が腰掛けたと伝える石もある。しかし、われわれはどの石か見当がつかなかった。隧道状の橋の下をくぐると、舗装道が果てて山道がはじまる。樹林の蔭を縫って登っていく。小川はますます澄みわたる。すぐに谷川と別れて木漏れ日の林になる。道脇の野いちごの実の赤が目に飛び込む。登り切ると工事中の立派な橋がある。平坦な道をしばし歩くと談山神社の西大門。一端そこから下る。
 
 
 
談山神社(13:30)。藤原鎌足公を御祭神とする神社である。彼の長男定慧は唐の国から帰国して、多武峰に鎌足の墓を移して十三重塔を建立した。次男の不比等は鎌足の像を祭る神殿を建てて談山神社を創始した。神社本殿の裏山を「談の山(かたらいのやま)・談所ヶ森」と呼ぶのは、西暦645年5月、藤の花咲き乱れる多武峰に中大兄皇子と鎌足が秘かに登って大化改新の談合を行なったことに由来する。神幸橋を渡って境内に入る。玉砂利の敷地に、朱色の柱と檜皮葺の屋根が並び、神域との想いが重なって貴い雰囲気を感じる。山城を彷彿させる石垣は堅牢である。神廟拝所の前は、けまりの庭で春と秋に蹴鞠の行事が催される。蹴鞠の実物は本殿に展示されていた。鎌足公供養塔である重厚な十三重の塔、さらに拝殿から本殿を拝する。拝殿には多武峰縁起や僧兵の武器が展示されている。特殊神饌の「百味の御食」は芸術である。談山・御破裂山への登山口は権殿の裏手、竜神社の脇にある。樹齢500年の神杉を見上げる。「談山290m 10分」「御破裂山510m 20分」との標識あり。昼なお暗き森の中、木の階段状の小径をひたすら登っていくと、両山への分岐に至る。こんもりとした談山がそこにある。談山(14:15−14:35)。木の階段を上がる。大化改新談合の碑が立つ。大木に囲まれてうす暗い頂上は、よく整備されていてコンクリート製のべンチが置かれている。脇の小径にて昼食。握り飯と卵焼き、それにインスタントの味噌汁。ナッツ類と煎餅。じっとしていると冷えてくる。御破裂山(14:45)。談山から尾根道づたいに少し歩けば、林道に出る。その突き当たりに鳥居の立つ藤原鎌足公墓所(古墳)がある。ここは明るい。案内板の説明によれば、下界に悪事がある時に山が鳴動するとのこと。裏手は万葉展望台になっていて、大和平野が見はろかすことができる。耳成山、畝傍山、天香具山が海原の島のように浮かんでいる。いにしえの藤原京はあのあたりであったかと眺めた。平野が涯てるところに、二上山、葛城山、金剛山が屏風のごと立つ。直下の麓には古墳の小高い丘が群立つ。御破裂山は櫻井市内から鶏の鶏冠のように見えるという。
 
 
 
気都和既神社(15:25) 御破裂山から林道を下る。近道となって談山神社の西大門裏手に出る。どんどん下って神社に至る。缶コーヒーとチョコレートで一休み。陽は陰って、山の西斜面だけがあかあかと明るい。農家の門の造りの見事さを観賞しながら歩く。石垣の草取りをする老女。無人販売の蜜柑を購入。5個入りで100円。あまりの旨さに一気に食べる。柿は一個ずつ売ってくれたら買うのだが、一袋では重くなるのでやめにした。石舞台(16:00)。足の腹が熱くなってきた。ここから多武峰は往復8qばかりになる。売店で古代の赤米を購入。夕暮れの飛鳥路を歩く。犬を連れたというか引きずられるような散歩中の老男に、ここから御破裂山が見えるかどうかを尋ねた。音羽山を指さして教えてくれたが御破裂山は分からなかった。どこに帰るのかと聞かれたから大阪と応えたら、「サヨカ」と。先日は甘樫の丘の麓にある売店の老女に方言調査の約束をした。この人も尋ねよう。暮色の飛鳥寺。残照の甘樫の丘。柿の木の末になった熟柿は鳥の取り分。藤原鎌足公誕生地は飛鳥坐神社の少し上にある。飛鳥資料館(16:50)。飛鳥の里から多武峰を歩いた一日となった。歩くことで歴史の一部が身体を通して流れ込んでくるような感覚を覚える。近鉄五位堂駅でH.M氏と別れる。楽しんでくれたことを願う。