Szondiana Hokusetsica

サンドトレイとサンドプレイ

串崎 真志

 アメリカの遊戯療法の本を読んでいると、サンドトレイ(sand tray)という言葉をしばしば目にする。サンドトレイとは、どうやら箱庭のことらしい。「どうやら」というのは、私たちがよく知っている「箱庭療法」とは、少し異なる使い方をするからである。  例えば、「自分が安心できる場所」というテーマを与えて、サンドトレイを作ってもらう。その場面を材料にして、セラピストとクライエントが話し合うという具合だ。極めて解決志向で、指示的な使用法といっていい。

 もちろん、ユング派的な理解は前提にしていないし、解釈も行なわない。だから、サンド「トレイ」なのかもしれない。あくまでツールであることを、強調しているのだろう。ユング派としての箱庭を、ユンギアン・サンドプレイ(Jungian Sandplay)と呼んで峻別する場合もある。

 このような「箱庭」の用法を怪しからん、と言うのはたやすい。確かに、箱庭療法の醍醐味には程遠いだろう、と私も思う。しかし最近の私は、「いろんな使い方があって、いいじゃないか」と考えるようになった。

 箱庭療法らしくない箱庭の使い方もある。逆に、他のおもちゃで箱庭療法らしくプレイすることだって、できるはずだ。「らしさ」は、ツールで決まるのではない。ツールは、あくまで表現される器にすぎないからである。

 衝動病理学では、8つの因子が、さまざまな形態で表現されると考える。例えば、h因子は、理髪業から大衆文芸作家まで、各種の職業につながっていくという。ここが、おもしろいところだ。衝動病理学を勉強すると、自然に、ものごとの「らしさ」に目を向けるようになる。

 私は「妖怪」に興味があるので、アメリカのプレイセラピーにおける「モンスター」の存在も気になった。モンスターは、追放されるべきものとして登場することが多いようだが、妖怪はどうだろう。江戸時代は、妖怪を見事に娯楽化した文化が生まれた。妖怪と遊ぶということの「らしさ」についても、今後、考えていきたい。

(2003/02/13)

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