中国湖北省江陵県張家山遺跡出土『算数書』について

城地 茂

"Suanshushu" unearthed in the Zhangjiashan ruins,

Jiangling country, Hubei province, China

Shigeru Jochi



  1983年12月から翌年1月にかけて、湖北省江陵県で、前漢初期の墳墓の発掘調査が行わ
れた。数々の副葬品が出土したが、その中に『算数書』という竹簡も含まれていた。これ
は、最古の数学書とされる『九章算術』を遡ること 200年、東洋数学の起源を書き替える
ものとして、数学史界の注目を引いた。
  未だ竹簡の全てが公開されていない状態であるが、報告者が江陵県へ行く機会に恵まれ
たので、現在までの中国考古学界の研究状況を報告してみたい。

1)出土場所

江陵県は、湖北省の省都武漢市の西方約 270km、長江(揚子江)北岸の町である。1979 年の統計によれば、人口は約7万2900人、面積2421.9平方kmである。古くは、春秋戦国時代の 楚の都として栄え、三国時代には、三か国の争点として三国志に名を止めている。蜀の武 将関羽の戦死した荊州と言った方が通りがいいかも知れない。その荊州城が現在の江陵県 城である。また、現在でも、「地区」行政府(註1)の所在地でもある。 『算数書』の出土したのは、張家山M 247西漢(前漢)墓という墳墓である。張家山遺 跡は、江陵県城の西1.5 km、煉瓦工場の敷地内にある。煉瓦の材料となるのは粘土である 。幸いにも、この粘土層に棺があったために、竹簡が2000年を経ても腐敗することなく保 存されていたのである。

2)年代

同時に出土した文字資料から、被埋葬者は、楚国人で、秦国統治下の楚の古都紀南城付 近に生まれ、前漢王朝の下級文官として9年間勤務している。そして、亡くなったのは、 呂后2年(B.C. 186年)もしくは、そのやや後である(註2)。したがって、『算数書』 は、それ以前に成立していたことになり、これは、『九章算術』が成立したとされる紀元 後25年(註3)より、 200年以上古いということになる。 また、これは、『九章算術』劉徽序の

「往者暴秦焚書、経術散壊。自時闕后、漢北平侯張蒼、大司農中丞 寿 昌皆以善命世。」

とある張蒼と同じ年代になるが、『算数書』が張蒼の手によるもの(註4)かどうか断 定するに到っていない。

3)『算数書』の内容

『算数書』竹簡は、総数約 200支、このうち 180余は、完全なものであったが、残る10 余は、断片であった。竹簡には、三か所で綴られていた形跡が残されている。 これらの竹簡にある問題数は約60題、総字数は約7000字である。問題は、大きく二つに 分類できる。一つは、算術部分である。具体的な問題ではなく、

「一乗十、十也。十乗万、十万也。」

というような計算を示したものである。このように整数の乗法(「乗」)から始まって いる。整数の四則演算は、『九章算術』には無いもので、『算数書』が、『九章算術』以 上に算術を重視していたことが分かる。このほかに、「合分(分数加法)」「増減分(分 数加減法)」「分乗(分数乗法)(註5)」「径分(分数除法)」「約分」「増乗」「相 乗」「合乗」などがある。内容的には『九章算術』の範囲内であり、数量的にも少なく60 題あるうちの10題程である。 もう一つは、『九章算術』に類似した応用問題の部分である。しかし、『九章算術』の ように、類似した問題を章立して整理してはおらず、個別に術の名が記されている(註6) 『算数書』「少広」には、

「広一歩半歩。以一為二、半為一、同之三、以為法。即直二百四十歩、 亦以一為二、除如法得従歩。為従百六十歩。」

という問題がある。これは、『九章算術』巻4「少広」第1題の

「今有田広一歩半。求田一畝、問従幾何。 答曰。一百六十歩。 術曰。下有半、是二分之一。以一為二、半為一、併之得三、為法。 置田二百四十歩、亦以一為二乗之、為実。実如法得従歩。」

と数値まで同じである(註7)。 また、『算数書』の「息銭」には、

「貸銭百、月息三。今貸六十銭、月未盈、十六日帰、請息幾何。 得曰。二十五分銭之二十四。 術曰。計百銭一月積銭数為法、置貸銭、以一月百銭息乗之、有(又 以日数乗之為実、如〔法〕得息一銭。」 とあるが、これも、『九章算術』巻3衰分第20題 「今有貸人千銭、月息三十。今有貸人七百五十銭、九日帰之、問息幾何。 答曰。六銭四分銭之三。 術曰。以月三十日乗千銭為法。以息三十乗今所貸銭数、又以九日乗 之、為実。実如法得一銭。」

と基本的に同じものである(註8)。 さらに、『算数書』には、

「稗米四分升之一、為粟五十四分升之二十五、二十七母、五十子。」 という問題があるが、これも、換算率が『九章算術』と同じであり、『九章算術』巻2 「粟米」第2題には、以下のような類似の問題がある(註9)。

「今有粟二斗一升、欲為稗米。問得幾何。 答曰。為稗米一斗一升五十分升之十七。 術曰。以粟求稗米、二十七之、五十而一。」 以上のことから、『算数書』は、『九章算術』の母体であるといって大過ないだろう。 『算数書』が整理、系統化され『九章算術』の源流の一つになったと考えられる。『算数 書』には、「方程」「句股」が無いが、これが、埋葬時点から無かったのか、腐敗散逸し てまったのかは分からない。今後の考古学の発見が期待される。

(註)
1 中国の行政組織は、大体、省→地区→県→郷となっている。江陵県城に荊州地区 人民政府がある。 2 陳耀均・門頻、「江陵張家山漢墓年代及相関問題」(『考古』1985年12期、科学 出版社、中国北京) 3 白尚恕他編、『中国数学簡史』、山東教育出版社、中国済南、1986年、P.16) 4 陳沃均・陳燕平、「『算数書』与『九章算術』」(『湖北省考古学会論文選集1) 武漢大学学報編輯部、中国武漢、1987年) 5 「少半 (1/3)乗少半、九分之一也。」 「四分乗五分、二十分之一。」 「半( 〓)乗一、半也。」といった問題がある。 6 「里田」「税田」「金価」「程禾」「出金」「銅耗」「方田」「か塩」「息銭」 「負炭」「少広」「石衡」といった術名がある。これらは、7つに大別でき、「方 田」「粟米」「衰分」「少広」「商功」「均輸」「盈不足」に相当する。 7 張家山漢墓竹簡整理小組編、「江陵張家山漢簡概述」(『文物』、1985年1期、 文物出版社、中国北京) 8 前出、「『算数書』与『九章算術』」 9 前出、「『算数書』与『九章算術』」
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