ビールをめぐる二三の推測

 今年提出された卒業論文のなかに、ビールをテーマにした論文があった。論文そのものとしては、とても出来が良いとは言えない代物だったが、よく読んでみると、(おそらく論文作者の意識をはるかに超えて)なかなか面白いことが書かれていた。わたしにしたところで、ビールについて薀蓄があるわけでもなければ(そもそもわたしは下戸である)、ビールについて個々の文献にあたってみたわけでもないので、ひょっとすると、ここに書かれていることは、まったくのデタラメであるかもしれないし、あるいは、この領域の研究ではごく常識的なことにすぎないのかもしれない。

1. ワイン文化においてビールの地位は低い

 ビールをワインと較べるとき、同じアルコール飲料でありながら、文化的な重みに違いがある様な気がする。ワインは、ギリシア時代から祭儀になくてはならない飲み物だった。ディオニュゾス神話においては、中心的なモチーフとなっている。これは、キリスト教文化においても変わらない。イエスが、最後の晩餐において、パンを肉、ワインを血であると宣言して以来、ワインはキリスト教会においても象徴的な意味を獲得した。

 ビールにも長い歴史がる。学生が調べたところによれば、紀元前4000年には、メソポタミアで、ビールらしきものが飲まれていたらしい。にもかかわらず、ビールの神様(そんな神様がいたとして)がヨーロッパ文明の表舞台に立つことは一度もなかった。キリスト教教会においても、ビールはなんの象徴的な意味を担っていない。修道院において、ビールが製造されたのは、栄養補給のためだった。ワインが聖餐を通じてイエス・キリストを想起させる飲み物だったのに対して、ビールは端的に言えば、腹を膨らませるもの、この世の肉体に関わるものだったのである。

2. ビール祭りは17世紀に創設された

 ビールといえば、ドイツというわけで、ドイツ各地で盛大なビール祭りが開催されているが、その起源は、古いところでせいぜい17世紀である。ドイツでも、13世紀には修道院でビールが製造されていたというから、少なくとも400年間くらい、ビールはただの飲み物だったことになる。  

 では、なぜ17世紀になって、ビール祭りが行われるようになったのだろうか。

 さきにも述べたように、キリスト教教会において、ビールはなんの象徴的な意味をもっていなかった。17世紀になって、ビールがそれなりに文化的な意味を帯びるようになったのは、それまで支配的だったキリスト教文化とは、まったく異質の文化が歴史上に現われたということではなかろうか。それまで、たとえ潜在的には存在していたにしても、まったく「文化」として公認されていないような文化が、この頃になって、一般の意識に「文化」として姿を現したということではなかろうか。

 たとえば、キリスト教の教義に対して、異端にちかいものとしてそれまで抑圧(黙認)されてきた、土着の収穫祭のようなお祭りが、村をあげて行われるようになるとする。ブドウの育たない北方では、ビールがたんに雰囲気を盛り上げるアルコール飲料であるばかりではなく、お祭りの象徴になっても不思議ではない。おそらく、ビール文化の発生は市民階級の台頭とも無関係ではないだろう。両者ともに、既存の支配的な文化(貴族=ワイン文化)に対する対抗勢力なのである。

3. ドイツとビール

 では、最後に、なぜとりわけドイツでビール文化が定着したのだろうか。

 もちろん、単純に、寒くてブドウが育たないという自然条件が、ドイツでビールが生産されるようになった大きな要因であることはまちがいない。

 しかし、それに加えて、文化的条件が存在するように思われる。

 キリスト教文化において、ワインが重要な役割を果たしたのは、ヨーロッパが地中海に起源をもっていることと無関係ではない。ローマ時代、ドイツ(ゲルマン民族)は、中東地域とともに、帝国文化を脅かす野蛮人の地であった。中世以来、ヨーロッパの中心が、アルプスの北に移動するが、ドイツは、ヨーロッパの周辺であり続けた。今、アルコール飲料で、この対立を記号化するとすれば、とりもなおさず、ヨーロッパ文化=ワイン文化に対抗するドイツ文化=ビール文化ということになるのである。

 ドイツが、ワイン栽培地域の北限に位置しているということも、ワイン/ビールの二項対立を際出させる要因になっているのかもしれない。たとえば、ロシアの穀倉地帯で、ビールが文化的意味を担っているとは思われないが、それは、ビールを飲むにしては寒すぎるというだけのことなのだろうか。

2005年2月13日

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