文学とはなにか

  

他の学問でもそうかも知れないが,数学においてはしばしば,一つの事柄を二通りの仕方で述べる,ということがある.多くの場合,一方は単純かつ抽象的で,一方は複雑かつ具体的である。  (Y.H.)

  

言語は本来、認識・伝達の手段である。

複雑な世界を単純な記号におきかえることによって、ひとは世界を理解し、その内容を情報として伝達している。自然科学の法則は、この意味において、言語の典型的なモデルになるだろう。ニュートンの落下の法則は、さまざまな条件下で起きている物体の落下という現実の現象を、極端に単純化し、そのエッセンス(と思われる部分)だけを数式化した。
世界のニュース、歴史叙述から、子どもの命名にいたるまで、言語の使命は、情報を抽象、圧縮し、名指されるものを端的に示すということにある。

ところが、文学の言語だけは、言語本来の働きを怠っている。文学の言語は、情報処理の経済性に逆らって、世界を単純化しようとはしない。

とはいえ、文学は、言語表現でしかありえないのだから、言語にできないことは文学にもできない。文学の言語は、言い表すことのできないものを言い表そうとしていることになる。文学の言語は奇妙な言語だ。
文学が目指すのは、具体的なものの理解しがたさを表現することである。文学は、自分が言語として名指しているものが、できごとの一端でしかないことを示すことによって、言語の向こう側に広がる単純ではない世界を、ひとびとに想起させる。

文学が難解なのはこのためである。

2001年9月14日

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