大阪教育大学 哲学・倫理学研究室

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【令和5年度の論文題目】

 

卒業論文

 

可能性に開かれているということ

 

「他者のため」の意識が導く人間関係の構築――「共依存」を手がかりに

 

新たな歴史教育の模索――柳田国男の思想をもとに

 

教育と「主体化」

 

フロムの考える「愛」と「自己愛」

 

マキアヴェリの『君主論』を教育に活かす

 

フランシス・ベーコンの思想が与えた影響――『ノヴム・オルガヌム』より

 

教育愛――「教えること」と「育てること」

 

校則の意義とはどこにあるのか

 

新しい貧しさについて

 

人間の幸せのために国ができること――ベンサムの思想

 

武道の伝統とその教育的価値

 

 

【令和4年度の論文題目】

 

卒業論文

 

男女平等実現の障壁について

 

「完全な人間を目指さなくてもよい理由」を踏まえた日本における安楽死問題への考察

 

古代エジプトの死生観とそこから見えるもの

 

他者を歓待する空間へ――異質な他者は必要か

 

私はどう私らしく生きるか

 

「個性」を伸ばす教育

 

森鷗外の「諦念」とは

 

なんとなく政治参加

 

オタクのカジュアル化

 

道徳科の役割

 

アフォーダンスから考える主体性

 

夢の意義――フロイトの『夢判断』を手掛かりにして

 

プラトン『国家』から「教育」を読み解く

 

「経験」から「社会」へ――デューイの教育哲学

 

旗飴の子ども達――子ども祭の盛衰とこれから

 

楽しく生きるためには――他者という邪魔者

 

 

【令和3年度の論文題目】

 

卒業論文

 

妖怪から見る「悪」と「他者」

 

日本式安楽死を考える

 

かけがえのない自分を求めて

 

日本人が貧困と正しく向き合うために――自己責任論を超えて

 

汝、己ヲ問ヘ――現代社会に対する「分人主義」への問いかけ

 

「ありのまま」を求めて――ナルシシズムの崩壊からの出発

 

スピノザ認識論と私の目指す教師像

 

自己とは何か――西田哲学を通して

 

性愛の神聖化

 

子どもを規則づくりの能動者へ――これからの校則を考える

 

日本型シティズンシップ教育

 

オウム真理教事件を問う

 

 

【令和2年度の論文題目】

 

卒業論文

 

感覚を重視した教育

 

人間とは何か――精神を有しているロボットを人間とみなすことは可能か

 

学校現場における道徳科による自己肯定感を高める取り組みの現状と評価方法

 

アドラー心理学の教育実践

 

習慣と観念連合を現代教育に用いる――ロックの教育論

 

スポーツにおける旧根性から新根性への転換

 

容姿に拘る女性たち

 

道徳教育におけるコールバーグ理論の可能性

 

暇が持つ意味

 

運動部活動の指導の理想

 

学校教育における価値の教え方について――宗教教育を手掛かりに

 

立山信仰の可能性

 

未来社会で求められる人材を学校教育はどう育てるのか

 

大神神社の魅力

 

スピノザから見た自己肯定的な善い生き方

 

女性が前向きに生きていくために

 

いじめ問題における性差とその対応

 

『エミール、または教育について』から考える社会的な悪を生じさせない自己愛の育て方

 

 

【令和元年度の論文題目】

 

修士論文

 

『記紀』以前の神話の構造――蛇信仰を中心に

 

卒業論文

 

吉田松陰における尊王攘夷思想の考察

 

マズローの思想を学校現場で活かす方法

 

21世紀においてなぜ道徳教育は必要なのか――これからの道徳教育を考える

 

現代ユダヤ人の経済力の背景を探る

 

なぜ日本でマインドフルネスが流行しているのか

 

韓非子の組織運営論

 

現代の日本で求められる笑いについて

 

弓道は「禅」的であるのか――ステレオタイプという側面からの考察

 

なぜ日本の女性差別はなくならないのか――セクシャル・ハラスメントの事例を通して

 

腐女子のすゝめ

 

 

【平成30年度の論文題目】

 

修士論文

 

家族という虚構――近代家族の考察を通じて

 

アドラーにおける「承認」の再考

 

和辻倫理学と天皇

 

卒業論文

 

公務員の役割について

 

自己価値を得るために――アドラー心理学から

 

オタクから見る自由な生き方

 

東浩紀の「一般意志2.0」の解釈について

 

悩みを抱える人に対して、何ができるのか

 

モラルジレンマ授業の実践的意義

 

アウグスティヌスの悪に対する解釈の変遷

 

幸福における情念の在り方――アラン『幸福論』を読んで

 

尊厳死・安楽死を日本で運用するためには

 

性多様性教育の必要性

 

大阪教育大学におけるアメフト部の意義――サンデルを手がかりに

 

シュタイナーから見た音楽による自己認識と彼の思想に対する考察

 

ドストエフスキーから考える人間の尊厳

 

ショーペンハウアーの厭世思想と自殺について

 

いのちの教育の理論と学校で実践していくための方法

 

愛着障害が引き起こす歪んだ愛

 

運命との向き合い――ニーチェの思想をもとに

 

 

【平成29年度の論文題目】

 

修士論文

 

ロールズの「公正としての正義」を再評価する――功利主義との比較を通して

 

卒業論文

 

女性の美醜問題と結婚

 

親鸞の思想研究から見る純粋主義

 

子どもの学びと教師の役割

 

「オタク」が日本人男性の男性性を多様化させることについての考察

 

死を受容するためには

 

人工知能が普及する社会における教育について

 

白山信仰を再評価する

 

私たちは貧困とどう関っていくべきなのか――言説による他者化の危険性

 

 

【平成28年度の論文題目】

 

修士論文

 

選好功利主義をどう使うか――人生を自分の意志で歩むために

 

卒業論文

 

私が私らしくあるために

 

コールバーグ理論と現代の学校教育におけるその実践

 

現代社会に生きる私たちと「愛」

 

音楽は人を幸福にするのか

 

自傷行為をするような人でも、自己肯定感を持って生きることは可能か。

 

「末人」からの脱却――道徳を語り合うために

 

ナショナリズムと倫理性

 

現代日本社会における、ブームとしての〈スピリチュアル〉

 

学校教育におけるケアリングの可能性

 

オタクに関する一考察――「非公認」の被差別者はなぜ生れるのか

 

大人にとってのファンタジーとは何か

 

男女平等はどうして実現しないのか――上野千鶴子の思想を用いて

 

デューイの思想から考える現在の教育

 

プラトンのイデア思想と「対話」

 

現代における日蓮の思想的意義

 

和辻哲郎の思想を読み解く

 

 

【平成27年度の論文題目】

 

卒業論文

 

アーレント「活動」概念の考察――われわれと政治

 

価値とは何か――ニーチェを手がかりにして

 

ユングの考える西洋精神史の影

 

オウム真理教への批判――島薗進とウィリアム・ジェイムズを手がかりに

 

東京裁判から考える「正義」――善を行うための条件とは何か

 

デュルケームの自殺論から見る現代の自殺

 

アドラー心理学の可能性――幸せに生きるために

 

いじめを防ぐために――理性でいじめを防ぐ

 

「優生思想」とわたしたち

 

コミュニケーションの今を考える

 

 

【平成26年度の論文題目】

 

修士論文

 

志賀直哉の死生観

 

卒業論文

 

ルソーの議論からみる人間社会の不平等

 

柳田国男論――心意現象と共同体

 

過去の罪――マイケル・サンデルから考える慰安婦問題

 

知と愛から見る『善の研究』

 

カント教育学における道徳的実践的教育

 

ベンサム「功利主義」とその問題点

 

フロムから考える「自由」と「歯車」

 

 

【平成25年度の論文題目】

 

修士論文

 

希望としての「他者」と向き合う可能性――ボードリヤールの「消費社会論」考察

 

宗教的経験とはいかなるものか――ウィリアム・ジェイムズの宗教論考察

 

カント倫理学における帰責のあり方

 

卒業論文

 

ハンス・ヨナスの未来倫理をもとに考える安楽死

 

竹田青嗣の恋愛論に関する一考察

 

永井均の独我論に関する一考察

 

ベルクソンにおける宗教の存在意義

 

ジョン・ロックの多数決原理と少数派の固有権

 

「愛国心教育」と今後の日本の教育

 

フランクルにおける生きる意味とは何か

 

ユングと曼荼羅

 

仏像の力――宗教における象徴の有り様から考える

 

現代における労働の生きがい

 

沖縄の祖先崇拝・祖先祭祀から見る家族のあり方