『源氏物語』研究  恋文の果たす役割

――― 若菜下巻を中心に ―――



大阪教育大学中古文学ゼミナール


一、研究動機
二、恋文の送られた状況
三、恋文の性質
四、源氏、柏木、女三の宮の心の動き
五、恋文の果たす役割


一、研究動機 

 『源氏物語』の中には数多くの恋愛が描かれており、それらのなかには恋文のやりとりから始まるものもある。その際、やりとりをしている男女はお互いに言葉を交わしたことはなく、姿さえ見ていないことが多い。そのような状況から、男女がお互いに顔を合わせ、言葉を交わすようになるまでの間に、その人物について知ることのできる有効な手段となるのが恋文である。また、お互いの気持を伝達し、より恋愛を進展させるというはたらきをもっている。恋文は、男女の恋愛において重要な役割を果たすものである。

 しかし、恋文がこれ以外のはたらきをする場合もある。若菜下巻で、柏木から女三の宮へ送られ源氏に発見される恋文には、明らかに他の恋文には見られない特徴がある。それは、源氏という恋愛当事者以外の人間に見られてしまうことである。源氏物語の中に恋文は二六二通ある。その中で恋愛の当事者以外が見ているものは、十通である。その中でも特にこの恋文は源氏に二人の密通の事実を知らせるという大きな役割を担っているのである。恋を育む手段としての恋文の本来の役割とは異なる特殊な役割を持つことで、物語の展開に大きな影響を及ぼしているのである。そこで本論では、この恋文の特殊性を明らかにすることで、場面を動かす鍵としての恋文の役割を考えていきたい。


二、恋文の送られた状況   

 柏木は女三の宮との結婚を望んだが、女三の宮は源氏に降嫁することになる。しかし柏木は女三の宮のことを諦めることができない。そんな折に六条院で女三の宮の姿を垣間見る機会に恵まれ、柏木はその思いを恋文に託す。そしてついに柏木は女三の宮と密通し、女三の宮は懐妊する。源氏は女三の宮の懐妊を不審に思うが、柏木から女三の宮への恋文を発見して、密通の事実を知ることになる。

 密通露見のきっかけとなった恋文と、女三の宮を垣間見た直後の恋文が送られた状況を対比させて見ていくことにする。

 文が送られた状況を見ると、垣間見直後の文が送られたときに、源氏が女三の宮のもとを訪れることは少なく、柏木はそのことを知っていて恋文を送っている。この場面では、恋文が源氏に見られる可能性は比較的低い。それに対して密通後には、柏木は源氏が女三の宮のもとを訪れていること承知しながら恋文を送る。ここでは、文が源氏に見られる危険性は高い。このことから、柏木が冷静さを失っていることがわかる。源氏が女三の宮の部屋から退室したすきに、恋文を受け取った小侍従がそれを女三の宮に渡す。この小侍従の行為によって、柏木の恋文が源氏に見つかる可能性はさらに高まる。また、女三の宮は、自分の立場を考えれば、柏木からの恋文は絶対に他人の目に触れてはならないものである。しかし、彼女は不用意にも褥の下という見つかりやすい場所にそれを隠し、それが源氏の目に留まることになる。このように、三人の思慮のなさのために源氏に恋文が露見するという状況が生み出されたのである。


三、恋文の性質

 垣間見直後の恋文は、文面自体が語られていて、そこに含まれる和歌も明らかにされている。そしてここでの柏木の恋心が和歌によってぼかされ、この恋文はあからさまに恋を語るものにはなっていない。

 しかし、密通後の恋文は文面が明らかにされていない。だが、源氏の視点からその内容を推察することができるものになっている。文面がないことで、本来恋文の主体となるべき和歌がなく、文章のみで書かれている可能性が考えられる。ここに文面が提示されていない理由としては、本文に「二重ねにこまごまと(p240-1〜2)」とあることから、文面を提示するには長すぎるということが挙げられる。そしてもう一つ、文面を提示するだけの価値が与えられていないことが考えられる。それは、この文に対する源氏の言葉にも見られる。世間から一流の人間として認められている源氏の視点から文を語っていくことで、この文に対する評価が絶対的なものとして読み手の中に位置づけられていくのである。

 このような特殊な書かれ方をされることで、恋文は事情を知らない第三者にも二人の関係をはっきりと示しうるものとなる。そして、この柏木の恋文は、その働きを充分に発揮するという結果になるのである。


四、源氏、柏木、女三の宮の心の動き


 先にも述べたように、この恋文は、源氏の視点から描写されており、地の文にその内容が具体的に書かれることはない。それによって、読み手は源氏の評価をそのまま恋文、ひいては柏木本人に対する評価として受け止めることになる。その効果としては、恋文を発見してからの源氏の心理が、読み手の中に自然に入るということが考えられる。恋文を発見してから、源氏の心理は複雑に揺れ動いていく。その揺れは、源氏の視点から文を捉えることでより一層詳細になる。

源氏の行動と心の動き
源氏の行動源氏の心境
女三宮の部屋で
文を見つける
女三宮の思慮の
無さを批判する
 
 

人目につかない所で
文を読む
柏木を批判する
事態について
考える








故桐壺院のことを
思う
紫の上のもとへ
行く
女三宮について
思案する
女三宮のもとを
訪れる
女三宮のことで
思い悩む
 では、源氏の心中はどのように変化していくのか。その描写は物語の中で実に具体的になされている。源氏は、この恋文の書き方を非難し、書き手である柏木を批判する。それから女三の宮に対しては、
さればよ。いとむげに心にくきところなき御ありさまをうしろめたしとは見るかし(p241-6〜7)
と、その思慮のなさを非難する。この「さればよ」という表現から、源氏がかねてから女三の宮の無思慮さを気にかけていたことがわかる。そして源氏は女三の宮のこれからの扱いについて思案する。

しかし、この恋文の特殊性は、現在の事実だけでなく、源氏に自身の過去を振り返らせている点にも見られる。様々に考えを巡らせる中で、源氏は過去の藤壺中宮との密通を想起し、故桐壺院を思うに至る。

故院の上も、かく、御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせたまひけむ。思へば、その世の事こそは、いと恐ろしくあるまじき過ちなけれ」と、近き例を思すにぞ、恋の山路はえもどくまじき御心まじりける。(p245−11〜13)
ここで源氏は、自分が昔の父院と同じ立場にあるということに気づき、その罪の深さを実感する。しかし同時に、柏木の行為が他でもない昔の自分と重なることにも気づくのである。だから、彼は柏木を全面的に非難することはできない。自分の過去の過ちと、現在直面している事実との間で、源氏は苦悩しなければならないのである。

 一方、柏木は、

人よりはこまやかに思しとどめたる御気色のあはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでかは目をも見あはせたてまつらむ。
さりとて、かき絶へほのめき参らざらむも人目あやしく、かの御心にも思しあはせむことのいみじさ(p248−9〜14)
などと思い悩み、宮中へも参上しなくなってしまう。たった一通の恋文の動きが、順調だったはずの彼の人生を暗転させたのである。彼は、源氏への畏怖と、女三の宮への恋情の間で苦悩しながら、やがて死んでしまう。

 また、女三の宮は、密通が源氏に露見したことがわかり、ただ泣くばかりである。その様子は、柏木を彼女に取り次いだ小侍従に

いとほしきものから、言ふかひなの御さまや(p241−12〜13)
と思わせるほどに幼く、頼りのないものである。そして、その幼さ、思慮のなさが柏木との密通という過ちを招いたことの裏付けとなっているかのようである。


五、恋文の果たす役割

 一般に、恋文は物語の中で恋愛関係を進行させていくという役割を担っている。それに対して、ここまでみてきた柏木の恋文は、女三の宮との関係を進行させるだけではなかった。源氏をも巻き込み、源氏と女三の宮、源氏と柏木の関係を変化させ、物語の中に新たな展開を導き出す契機になるものなのである。この恋文は、源氏と藤壺中宮の不義、女三の宮に対する柏木の異常な執着心、不用意な人物とされる女三の宮の性格づけなどを切り離して考えることはできない。独立してここまでの物語の流れを作ってきたものが、その背景として、同時に、効果的にはたらいている。さらに、恋文自体に、他の一般的なはたらきを持つ恋文には見られない特殊性を持たせることで、恋文が物語の展開にまで大きな影響を及ぼす存在となっているのである。この恋文を契機として、源氏の苦悩、女三の宮の出家、柏木の死が描かれる場面へと移っていくことになる。つまり、ここでの柏木の恋文は、場面を動かすという役割を果たしていると考えられる。そして、恋文がこのような役割を持つために、この恋文を読み解くことで、それに関わる場面を読み解くことができるのである。この恋文は、これに関わる源氏、柏木、女三の宮の三人の運命を決定づける場面を生み出すという役割を持つことで、その場面を読み解く鍵としての役割を果たしているのである。

*本文引用は古典文学全集『源氏物語』によるものです。





*なお、本論文は『王朝文学研究誌 第十一号』に掲載予定です。