大昔から現代に至るまで、「恐怖」は人間が関心を寄せる感情のひとつであるに違いない。大昔の怪談話などが現在も残っているという事実からも、それは容易に説明できるだろう。ところが時代を経るにしたがって、我々が「恐怖」を感じる対象は次第に移り変わってきているのではないか。
「恐怖」は次第に薄れていく感情である。聞いたことのある怪談話を他人から聞かされることほど興ざめなことはない。必死になって恐がらせようと話している他人の姿を見るのは忍びないものがある。同じ話を聞くたびに、恐怖をあまり感じなくなっていくのである。こう考えると、最初の恐い話ができあがってから数百年か、あるいは数千年もの長い年月が経っている現在、恐い話というものは出尽くしてしまっていてもおかしくないはずだ。
しかし現代も恐怖小説は確かに存在する。それどころか、数年前「リング」という作品の登場で「モダンホラー」ブームが起こったのである。現代では、どのような演出が「恐怖」の対象になるのか、人はどのような表現に「恐怖」を感じるのだろうか。現在書店に「モダンホラー」という分類がある。そこに並んでいる作品の中から、短編のものを選んで研究対象とした。
さらに、本研究で分析をおこなう作品中には、おぞましい表情の描写や、血だらけの死体の描写など、人間の恐怖心に直接的に訴えかける表現は使用されていない。作者が用意したサスペンスと、プロットによって「恐怖」が構成されているものである。
人間の恐怖心を煽るような表現なしに、作者はどのように「恐怖」を構成しているのだろうか。特に物語の構造に注目して「モダンホラー」における類似性を見出し、表現特性を明らかにしていきたい。
本研究は、プロットに注目して恐怖小説に用いられる特徴的な表現を探ることを目的としている。したがって、プロットについての定義と、その種類についての考察は必要不可欠のものとして、以下、先行研究の整理を行うことで取り上げる。
「プロット」(構成)は「主題」の展開過程のしくみである。小説などの文学表現においては、「主題」は、個別的、具体的な展開過程において形象化されるのが通常であるとされている。つまり、小説の基本的構成要素が、緊密に結びつけられて組みこまれ、小説の基本的な展開パターンをとって、効果的に展開されることで、主題があざやかに表現される。以下、土部氏の「プロットの立て方と種類」からの引用によって詳しく考察していきたい。
@)基本的な構成要素
前述の基本的な構成要素について本項で詳しく言及しておく。小説表現の基本的な構成要素として、(1)人物(性格)、(2)環境(背景)、(3)事件(行動)、の三つがとりたてられる。(1)だれが、(2)いつ、どこで、(3)どんなことをしたか、と単純化され、(1)どのような人物が、(2)どのような場合に、どのようなわけで、(3)どのように行動して、どのような事件が展開したか、というように関連する。予定する主題の展開に必要な三要素を、必要なだけ用意して、それらを緊密に関連させ、効果的に展開させることでプロットが形成される。
A)基本的な展開パターン
小説表現において効果的な「主題の展開過程」として、以下の三段ないし五段の基本的な展開パターンがとりあげられる。
┌─冒頭───前提───発端 │ │ ┌─発展 │ ┌─錯綜─┤ ├─展開─┤ └─危機 │ │ │ └─頂点───クライマックス │ └─終結───解決───大団円書きはじめの「冒頭部」は展開部への導入部である。登場人物の性格が紹介されたり、人物が登場し、事件が展開することになる環境が描写されたりする。あるいは、これから発展する事件の「発端」がいきなり描写されることもある。そのような導入部によってなにか事件が起こりそうな予感や、事件がどうなるかという期待感が誘われるように工夫される。
「展開部」においては、前項の、(1)人物が、(2)環境で、交渉をもつことによって、(3)事件が起こり、発展していく。そして、そこに必然的に「危機」がおとずれて、事件が錯綜する。そうしてクライマックスに達する。危機は人物と環境とのぶつかりや対照的な人物の性格・行動のぶつかりによって際立たせられる場合が多い。
書きおわりの「終結部」は展開部をうけておさめる部分である。冒頭部でも、事件の発端からいきなり描写される場合があるのに対して、終結部でも、クライマックスが解決であり、「大団円」となっている場合がある。また未解決のまま書きとどめて、あとを読者の思量にまかせる場合もある。クライマックスで解決されない場合には、事態のなりゆきが見さだめられて、書きおさめられる。さらに、一見意外で必然的な後日談がつけくわえられて、書きおさめられる場合もある。(*1)
土部 弘 「プロットの種類と立て方」
(『文章上達法』平井昌夫 編 1974年 至文堂)所収pp.70−72
前項の「基本的な展開パターン」は人物の性格や事件が必然的に発展し、頂点に達して飽和するという構成である。これは、読者の関心を誘い感動を呼ぶのに最適なパターンとして定着してきている。しかし、小説表現は創作表現である。題材・主題の性質や規模に応じ、いろいろな展開パターンが考案されてきている。小説の構成は一様ではない。土部氏が、詳しく分類を行っているので以下、「プロットの立て方と種類」から引用させていただく。
- 主な構成要素の展開のさせかたに即した構成
- 主として、「事件」―― 変動する人物や事物の「動態」や「静態」の展開のさせかたに即した構成
- (1) 漸層型構成
- 「基本的な展開パターン」がこれにあたる。次第に事件を発展させていって、頂点で飽和させるような、緊張度を漸増させる構成である。
- (2)漸降型構成
- 「漸層型」に対するパターンである。いきなり重大な事態を提示して、異常に緊張させ、次第に緊張が緩むように事態をほぐしていく、緊張度を漸減させる構成である。
- (3)急転型構成
- 事件がそのように発展していけば当然そのように帰結することになるなりゆきを、思わぬ方向へ急転させる構成である。自然ななりゆきが急転させられることによって、急転後の事態が際立つ。
- (4)回帰型構成
- 「いま・ここ」から「過去・よそ」へと及び、さらに「いま・ここ」へと戻ってくるような構成である。「いま・ここ」の事態がもとづいている「過去・よそ」の事情を明らかにしたり、「過去・よそ」の目で「いま・ここ」を見なおしたりする。
- 主として、「人物」の推移する「心情」や展開する「談話」の、展開のさせかたに即した構成
- (5)情動型構成
- 事態の変動につれて心情が推移するさまを叙述するのであるよりは、心情が推移する起伏を基軸にして展開させる構成である。
- (6)談話型構成
- 登場人物の対話、会話の描写は小説において重要な役割をはたす。展開する談話の描写によって人物(性格)だけでなく、環境(背景)や事件(行動)も表現される。
- 主として、展望され変容する「情景」や推移する「心象風景」の、展開のさせかたに即した構成
- (7)叙景型構成
- 環境がたんに背景である限り、叙景によって事態が進展することにはならない。しかし、事態が展開するべくして展開するように、必然的な要因として適切に組みこまれることになる。
- (8)情調型構成
- 対象を描くのであるよりは、対象と働きかけあってかもしだされる情調(ムード)、を描こうとする象徴的表現においては、情調に即して心象風景が展開される。
- 話題や主題の関連のさせかたに即した構成
- (9)連想型構成
- なにかを見聞きしていて、飛躍的に他のなにかが思い浮かべられる。性質や状態の似ているものごと、対応するものごと、かつてどこかで共存していたものごとなどが連想され、その内容が展開される構成である。
- (10)対照的構成
- 背反するものごとは互いに他を否定する。両者を対比・対照することで、一方、あるいは双方を際立たせる構成である。
- (11)重層型構成
- 一つのものごとは一つのものの見かた・考え方でとらえられるとは限らない。さまざまな解釈・評価を重ねあわせることによって事態の複雑な様相や、心理の微妙なくいちがいなどを浮かびあがらせる構成である。
- (12)連鎖型構成
- 一つの事件が展開しているひとまとまりの話が、いくつか数珠のように連結されている構成である。事件間に直接関係が無い、いくつかの話が、同一の主人公や、語り手によってつなげられていて、いくらでも続きうる可能性をもっている。
土部 弘 「プロットの種類と立て方」
(『文章上達法』平井昌夫 編 1974年 至文堂)所収pp.73−77
物語におけるプロットの種類は、土部氏によると細かく十二種類にわけられた。これら十二種類のプロットが一つ、あるいはいくつか積み重なって一つの物語を作り上げている。しかしこれらの分類は、さまざまな分野の物語を対象にして、おこなわれたはずであるから、恐怖小説にあまり縁のない構成もあるはずだ。つまり恐怖小説に頻繁に登場する構成があるといえる。
例えば、(1)の漸層型であれば、冒頭を恐怖とはおよそ関係ないような事件からはじめて、次第に不安を募らせるような事件を配置し、クライマックスで恐怖を最大限に演出するという展開の仕方が考えられる。しかし(2)の漸降型だと冒頭部分で突然、事件が起こり、次第にその不安がほぐれていって物語が終結するのだから、漸降型のみで物語を構成すると恐怖小説としては物足りないものになるだろう。
恐怖小説である以上、その物語を読むことで読み手に恐怖を与える必要がある。時にハッピーエンドで終了する恐怖小説も存在するが、それは例外といっても良いほどごく少数である。同様に、冒頭部が最も恐ろしく、クライマックスでその恐怖を解決して物語の終了時には恐怖が解消しているという構成も、ほとんどないといって良い。このように考察してみると、恐怖を演出しやすい構成と、恐怖を演出するのに不向きな構成がありそうである。構成の段階で比較すると類似した物語が多いのではないかと筆者は考える。
サスペンスについてまず述べる前に、「緊張体系」について波多野氏が述べている見解について紹介したい。
文章は、読み手に読まれることによってはじめて存在するものである、といってよく、書き手は読んでもらうためにさまざまな工夫を試みる。その工夫を波多野氏は文章に「緊張体系」をもたせること、と言っている。そして「緊張体系」については、とくに「叙述の文」において以下のように述べている。
さて叙述の文には、叙述の順序が大きな重要問題となり、そのために作家は叙述すべき事柄を選ぶ。それは事件の一切を書くわけにはいかないので、選んだものの中から適当な順序で配列して行く。そして叙述の順序は全く緊張体系成立の可能性によって決まるのである。そこで配列には絶えず期待感をもたせ、誘意性を置くように心掛けなければならない。その誘意性は、自己の語る内容にサスペンスを持たせることが上手か下手かにかかっている。
波多野 完治「文章の要素と種類」
文章講座第二巻『文章構成』所収 1954.8河出書房P.P.11〜52
江連 隆「サスペンスによるプロットの構造分析」
( 1979年 『弘前大学教育学部紀要』 第42号 )より孫引き
波多野氏の見解によると、文章を読み手に読ませるための「緊張体系」を成立させるには、文章中にサスペンスをどれだけ効果的に潜ませるかにかかっているようである。
ここまで考察してみると、サスペンスの文章中での役割は非常に重要であるということが分かる。「サスペンスこそが、文章を読み進めさせる原動力である」と野浪氏がサスペンスについての論文の中で述べているように、文章においてサスペンスは重要な要素である。特に本研究でとりあげている恐怖小説では、サスペンスは最も重要な要素であり、サスペンスの用い方が、恐怖小説の特徴と、密接に関連しているのではないかと筆者は考えている。
そこで、分析をおこなう前に、先行研究を参考に「サスペンス」を定義づけしておく。
多くの英和辞典は「サスペンス」の訳語として「宙ぶらりん、どっちつかず、未決、未定、不安、気がかり等」を挙げている。これはサスペンスの二側面をとらえている。外的状況が「宙ぶらりん、どっちつかず、未決、未定」なので、内的(心理)状況が「宙ぶらりん、どっちつかず、未決、未定、不安、気がかり」なのである。
野浪 正隆 「文章表現におけるサスペンスについて(1)」
(『学大国文』第36号 1993年 大阪教育大学国語国文学研究室 )
野浪氏は以上のように述べた上で、文章中に仕組まれた「宙ぶらりん、どっちつかず、未決、未定」を「サスペンス」と呼び、読者の「不安、気がかり」といった、内的状況を「サスペンデッド状態」と呼んで区別しておく、としている。本研究でも、先行研究に習いこの呼び方を用いておくこととする。
本来、サスペンスは恐怖小説に限らず、全ての物語において、物語を興味深いものにするために作者が用意すべきである重要な仕掛けである。野浪氏が、「読者は、サスペンスがあるから読み進め、サスペンスが残るから考えるのである。」(*2)と述べていることから考えると、サスペンスのない文章は読者にとって読み進める気の起こらない文章ということになる。したがって、読者に読み進める気を起こさせるためにも、小説という小説には全て、作者がサスペンスを仕掛けているといえるだろう。
しかし、その中でも特に恐怖小説においては、サスペンスの仕掛け方に工夫が必要なのではないかと筆者は考える。なぜなら、サスペンスが読者の内的状況に引き起こす「不安、気がかり」が、そのまま恐怖を引き起こす場合があるからである。恐怖小説において読者は、サスペンスの積み重ね、あるいはサスペンデッド状態に長期間、放置されることで、「未定」に対する「不安」を募らせていく。そして、「不安」が高まれば高まるほどクライマックスでおとずれる恐怖はより強いものになる。たとえ、おぞましい描写が文章中になかったとしても、十分に恐ろしい文章は存在しえるのである。逆に、サスペンスがなく、グロテスクな表現を並べ立てただけでは、読者は読み進める気にならず、恐怖も大して感じないのではないか。
以上のように「サスペンス」によって、読者の内的状況に「不安、気がかり」が生まれ、それを解消しようとするために読者は、文章を読み進めるのだが、ここで生まれた「不安、気がかり」が、恐怖小説における恐怖と、密接に関連していると筆者は考える。
本項では、江連氏の「サスペンスによるプロットの構造分析」を参考にしながら、プロットとサスペンスがどのように関係しあって作品を構成しているかという問題を、モダンホラーを材料にして検討していくこととする。江連氏は分析をおこなうにあたって「サスペンスによるプロットの構造分析」のなかで、以下のような理由から特にストーリーとプロットを区別する必要はないと述べている。
小説においてサスペンスは、どういう意味を持ち、どういう役割を果たしているのか。フォースターは、ストーリーを「時間の順序に配列された諸事件の叙述」と定義し、プロットは、同じく「諸事件の叙述ではありますが、重点は因果関係におかれます。」として区別する。そして「ストーリーは、それだけではただ一つの美点を持ちうるだけです、すなわち聴き手につぎには何が起こるかを知りたがらせるという美点です。」と言い、「<つぎには何が起こるか?>というサスペンス」と言っているので、結局、ストーリーの唯一の美点はサスペンスだ、ということになる。 (中略)そしてフォースターは「ストーリーならば、<それからどうした?>といいます。プロットならば<なぜか?>とたずねます。」とまとめている。これはすなわちサスペンスである。 (中略)
丹羽文雄もフォースターと同じく、時間的継続のうちに配置された物語性の小説と、因果的関係のうちに配置された構成性の小説とを区別する。前者の構成がストーリーに、後者がプロットに相当する。そして物語性小説の「それから?」、構成性小説の「どうして?」がサスペンスだということができる。 (中略)
本稿では、とくにストーリーとプロットとを区別する必要はない。一つの作品の中に「それからどうなる?」や「なぜ、どうして?」が一回しか使われない、ということは言えない。それなら「どうなる?」もプロット本位の作品にも現れることもあるかもしれないし、「どうして?」がストーリー中心の作品にも現れることもありうるだろう。それに、「どうなる?」も「どうして?」も、ともにサスペンスに属することに変わりはないからである。(*1)
「サスペンスによるプロットの構造分析」 江連 隆 著
( 弘前大学教育学部紀要 第42号 1979.9 )所収pp.28より抜粋
以上のように、ストーリーは時間の順序に関係があるため「どうなる?」というサスペンスが生まれる。それに対してプロットは、時間を越えたところにある物語要素の関係であり、因果関係に重点が置かれるから、「どうして?」というサスペンスが生まれる。プロットが読み手に分かるのは全体を把握してからである。つまり続きが気になってサスペンスが生まれるのがストーリーで、どうしてそうなるのかが気になってサスペンスが生まれるのがプロットだといえる。両者は確かに別物であるが、サスペンスに注目すれば「どうなる?」も「どうして?」も大きくサスペンスに属するというのである。
本論でもその例に習い、ストーリーも含めて「プロット」と呼ぶことにする。注目したいのは、プロットとサスペンスがどのように関連しあって作品を構成しているのかという点である。
以下に図式化をおこなうにあたって使用した図式、記号についてのルールを示す。
1 | 大型トラック特有の重低音の利いたホーンの音で居眠りから目が覚めた。 | |
---|---|---|
A | 自分の運転する車はスレスレのところでトラックをかわすことができた。 | |
2 | 音楽プロデューサーをしている俺は、仕事を終え、長距離トラックの多い深夜の国道を飛ばしていたところだった。 | |
3 | 眠気の方は襲ってこなくなったものの、今度は天候が悪くなってきた。濃い霧のせいでどうやら道を間違えたらしい。 | |
4 | 県道に迷い込んだ俺は、しばらく行くと県道沿いに一人の男の姿を発見した。彼は自分の車が故障したことで途方にくれていたらしい。まさか自動車強盗でもあるまいと判断した俺は、道案内にと男を乗せることにした。 | |
5 | 男の案内で車を走らせながら、車内ではお互いの仕事の話がはじまる。しかし次第に、俺が男に一方的に相談をしているような会話の内容となる。 | |
6 | 音楽プロデューサーという仕事への愚痴や、妬みなどの話を終えた頃、俺は男の様子に違和感をおぼえる。 | |
B | とその時、ふとした瞬間に男の手が車のフロントガラスから突き出ているのを見た。 | |
7 | 男を問い詰めるとあっさりと自分がこの世の存在ではないことを認め、俺を迎えにきたのだと言う。 | |
C | 「言ってることが判らない」と、俺はわめいた。 | |
8 | 「あんたは、そりゃ確かに死んでるかもしれないぜ。ガラスの中を手が通るなんて、常識じゃ考えられないことを見ているしな。だけど、俺まで巻き添えにするのは止めにしてくれ。俺はまだピンピンしてるじゃないか」 | |
9 | 「じゃあ、こうしてごらん」男は俺の右手をつかんで、フロントガラスに叩きつけた。あわてて引き戻そうとしたが遅かった。 | |
10 | 激痛が走ると思われた手は、スルリとガラスを通り抜けて、外の空間で俺の右手の五本の指がヒラヒラと泳いでいるのが見えた。 | |
D | 「うわ、うわうわわわわわ」と俺は叫んでいた。「これはどういう意味なんだ」 | |
11 | 「だからね」男が同情したような表情を見せた。 | |
12 | 「あんたも、もう死んでるんだよ。」 | |
13 | 冒頭でスレスレのところでかわしたと思っていたトラックに現実では、正面からフロントに埋まるように激突していた。 | |
14 | 俺は運転席で即死していた。 | |
15 | 自分の死体を三メートルほど上空から見下ろしていると死にたくない思いが沸いてくる。やがて、俺の視界を黒っぽい粒子が覆い、それからなにも判らなくなった。 |
A・‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐・L‐‐→M×
E・‐‐・B・‐‐・F。。
C・‐‐・I・‐‐・D・‐‐・J‐→K。。
「ミッドナイト・ラン」には大きく三つのサスペンスが仕組まれている。しかしAのサスペンスの発端については、文章を読み進めてからでないとサスペンスの発端を形成できないので後回しにして、まずはBのサスペンスから考察していきたい。
E「男の様子に違和感をおぼえる」→B「男は死んでいるのでは?」→F。。「死んでいた」
E「俺は男の様子に違和感をおぼえる」で主人公は男の様子に違和感を覚える。この主人公の違和感は、読み手に何かが起こりそうな感じを与える。そしてBで男の手がフロントガラスから突き出ているのを見て、「男は死んでいるのでは?」というサスペンスの発端になる。しかしこの場面では結果はすぐに明らかになる。F「男は死んでいた」のである。このサスペンスによる読み手のサスペンデッド状態はAのサスペンデッド状態より短く、読み手の期待通りに「成立」してしまうため、あまり重要な印象は受けない。ところがFは、「男は死んでいた」とともに、「迎えにきた」という文も含んでおりより重大な事件の予兆とも取れなくない。より重大なサスペンスを、この短期解消するサスペンスの裏に潜伏させているのである。
次にCのサスペンスであるが、ここから物語の進度に拍車がかかるように感じられる。男と主人公の会話が続くからという原因も考えられるが、次々にサスペンスが発生し、成立していくということがより大きな原因だろう。
C「男は何を言っているのか?」→I「自分の手も窓ガラスをすり抜けている」→D「主人公も死んでいるのでは?」→J「男が同情する」→K。。「もう死んでるんだよ」
Cで「男は何を言っているのか?」というサスペンスが生まれ、「自分の手も窓ガラスをすり抜けている」ということを経過して、Dで「主人公も死んでいるのでは?」というサスペンスにつながる。そしてKの「もう死んでるんだよ」でC、Dそれぞれのサスペンスを成立させている。次々にわきあがったサスペンスがたった一言で成立させられることで、テンポが生まれている。しかし読み手をサスペンデッド状態に長くおいておくということはできていない。
読み手を最も長くサスペンデッド状態においているのは、Aのサスペンスである。このサスペンスの発端はLまで読まないと気づかないが作品の根幹を担う重要なサスペンスである。
A「トラックをかわすことができたのか?」→L×「かわすことはできなかった」
A「主人公は生きているのか?」 →L×「主人公はすでに死んでいた」
A「トラックをかわすことができたのか?」「主人公は生きているのか?」というサスペンスを読み手が読みとって、発端を形成しなければならない。このサスペンスに対する結果は、作品の終末部に「不首尾」の形で配置されている。Lの「トラックをかわすことはできなかった」「主人公はすでに死んでいた」がその結果であるが、作品の中盤で生き生きとした会話が交わされB、C、Dのサスペンスの配置によって誰がいつ死んだのかがわからなくなって読み手の期待を大きく外れた意外な結末がもたらされている。
この作品は、冒頭にある作品の中核をなすサスペンスを読み手に悟られないように小さなサスペンスの成立の陰に潜伏させて、徐々に種明かしをしながら不安を膨らませていく形をとっている。小さなサスペンスそれぞれでは、サスペンデッド状態の持続が短く、期待通りに進むため恐怖もそれほど膨らまない。しかし、冒頭部においてスレスレでかわしたはずのトラックに、終末部では実は激突していたなど、全く予想のできない事実が突然読み手の側に与えられるように感じられる。この作品で主人公が生きている間に見た映像は冒頭の一行だけだったのである。
冒頭に仕組まれた大きなサスペンスが、中盤の小さなサスペンス群によって隠され、読み手はそのことに気づかない。読み手は小さなサスペンス群を次々に解消させていきながら、少しずつ不安を募らせていく。そしてその不安が飽和した終末部で、冒頭部に対して「不首尾」となる結果を突然示すことで、不安を恐怖に変換している。作品中盤の小さなサスペンス群は、読み手の不安を膨らます効果とともに、作品の根幹である大きなサスペンスを隠す役を担っている。そして大きなサスペンスの結果を「不首尾」とすることで、読み手の期待を裏切り、恐怖を演出している作品である。
2、 「鳥の巣」 今邑 彩 著 『かなわぬ想い』より
1 | 大学時代の悪友に誘われ避暑地に休暇を過ごしに行った私は、一人、リゾートマンションの駐車場に先に到着し、約束をしていた友人達の到着を待っていた。 | |
---|---|---|
2 | 車を停め荷物を下ろそうと運転席を立ったとき急な胸痛に襲われた。私には心臓に持病があったのだ。ところがこんな時に限って、薬を忘れてしまっていたことに気づく。私の心臓はパニックを起こし息ができなくなった。次第に意識が遠のいていくのを感じる。 | |
3 | ちらと見ると、マンションの一階の窓のカーテンがかすかに揺らいで人の顔が覗いたのような気がした。 | |
4 | しかし助けを呼ぶ声も出なかった。 | |
A | ああ、このまま死ぬのかもしれない。私は薄れゆく意識の中で、妙に冷静にそう思っていた。 | |
5 | 「どうかされましたか」天から降ってきたような女性の声に、私ははっと我にかえった。見ると四十年配の小柄な女性、和子が私のほうを心配そうに見ていた。 | |
6 | 和子の部屋に通された私は、そこで和子の家族の話を聞くことになる。ちょうど今日は彼女達の「家族の日」なのだという。 | |
7 | 今は幸せそうな彼女達の家族も一時、崩壊寸前にまでなったのだそうだ。その不幸はベランダの鳥の巣を処分した時から始まった。夫は浮気をし、息子の精神状態も不安定になり、娘もデートクラブに通うようになってしまった。しかしそれでも和子は方々に手を尽くし、なんとか次の年の「家族の日」までに家族関係を修復した。しかし、またも鳥の巣が家族を崩壊に導いた。和子の家族は、プロパンガスの配管気筒に作られた鳥の巣のせいで一酸化炭素中毒となって、和子以外亡くなってしまったという。そこまで話すと和子は甲高い声で笑い始めた。 | |
8 | この女は神経をやられている。咄嗟にそう感じた私はその部屋を去ろうとした。すると和子はこんなことを言う。 | |
B | 「もうすこし待ってくだされば主人が戻ってきますのに」 | |
C | 私はぎょっとして和子の顔を見た。どこから戻ってくるのだ? | |
9 | 突然、玄関のチャイムが鳴った。「ほら帰ってきたわ」見ると和子の家族が続々と帰ってくる。卒倒しそうになっている私に、和子はこう尋ねた。 | |
D | 「もしかしたらあなた ―― まだ気づいてないの?」 気づくとは一体なんのことなのだ。 | |
10 | 「だって、私だけが取り残されてしまったわけでしょう。このままでは会えないじゃない。それでね、考えた末に私のほうが行くことにしたの。そこにロープを掛けて ―― ぶらさがったのよ、私。ブランと下に」 | |
11 | 「あれを見てごらんなさい」和子はさっとカーテンを引いた。私の車から救急隊員が担架を運び出している。人だかりの中に友人の顔も発見できた。身を乗り出して友人の名前を呼んだが誰も振り向かない。まるで私など存在していないかのように彼らは私を無視していた。 | |
E | 存在していないかのように?まさか。私は和子に声を掛けられた時、助かったんじゃなかったのか? | |
12 | ふいに背中に手の触れる感触があった。和子は優しい声で囁いた。「すぐに慣れるわよ、こちら側の生活にも」 |
A・‐・D・‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐・J・‐‐・E‐‐‐‐→K×
B・‐‐‐・C‐‐‐‐→H×
D‐‐‐→I×
「鳥の巣」においてサスペンスは、徐々に恐怖が大きくなるように、三段階に分けて仕組まれている。最大のサスペンスは、Aから始まる「主人公は助かったのではなかったのか?」のサスペンスであるが、ひとまずそれは置いてBから分析したい。
B「夫は死んだはずではなかったのか?」
→C「誰がどこから戻ってくるのか?」
→H×「夫どころか死んだはずの家族全員が玄関から戻ってきた」
家族の悲劇について語られたばかりであるから、読み手は和子以外の全員が死んでいると思いこんでいる。したがって、Bは、「夫は死んだはずではなかったのか?」というサスペンスの発端になる。さらにCの「誰がどこから戻ってくるのか?」というサスペンスを経過し、Hで期待を大きく裏切られる。夫だけでなく、死んでいるはずの家族全員が、生きている人間と同じように玄関から帰ってきたのである。帰ってくるはずのない家族が帰ってくることで「不首尾」の結果を迎える。この時点で、読み手は誰が死んでいるのか整理がつかない。畳み掛けるようにしてDのサスペンスの発端が投げかけられる。
D「何に気づいていないのか?」
→I×「和子も死んでいる」
D以前に、和子の家族については述べられていても、和子自信が現在どういう状況にあるかについては述べられることがなかった。Dは「何に気づいていないのか?」というサスペンスの発端であるが、読み手にすれば何に気づいていないのか、見当もつかない。これに対する結果はI「和子も死んでいる」であるが、今まで、まるで生きているかのように会話してきていたので「不首尾」の結果だといえる。ここで、とりあえずB、C、Dのサスペンスが「不首尾」の結果として、読み手の整理がつく。整理すると、和子の家族は和子を含め、全員死んでいて、主人公が今、目の前にしているのは彼らの霊である、ということである。
この時点で読み手が整理できているのは、主人公以外の、周りを取り囲んでいる家族が全て、この世のものではないということである。しかし、「不首尾」の結果が続くため、読み手は最大の「不首尾」に気づくことができない。
A「主人公は死んだ?」
→D「助かった」
→J「私など存在していないかのように」
→E「助かったんじゃなかったのか?」
→K×「主人公は死んでいた」
冒頭部のアクシデントで、A「主人公は死んだ?」というサスペンスの発端が発生する。しかしJに、すぐに助かったかのような記述があり、しかもそれ以降、作品の中盤に主人公が生きているかどうかということに少しも触れられないので、読み手は、冒頭のアクシデントのことを、半ば忘れたまま終盤を迎える。作品中盤でのサスペンスが、和子の家族が生きているのか、死んでいるのかということに向けられているからである。読み手はまず、和子の家族がどのような状態にあるのかを整理する。次に、和子の状態について整理する。以上二つのサスペンスは「不首尾」の結果であり、ようやく整理をつけたところに冒頭のアクシデントを思い出させるサスペンスが投げかけられる。E「主人公は助かったんじゃなかったのか?」である。このサスペンスの結果は読み手にとってはあまりに突然に感じられる「不首尾」の結果である。主人公が霊に触れられる、つまりK「主人公は死んでいた」のである。
本作品も「ミッドナイト・ラン」と同様に冒頭のアクシデントの際に、主人公が死んでいたという作品であった。しかし、中盤のサスペンスを「成立」させるのか、「不首尾」にさせるのかという違いがある。「成立」の結果に比べて、「不首尾」という結果は、読み手の期待を裏切るものであるため、読み手が整理をつけるのに、多少時間を要する。一つのサスペンスが「不首尾」の結果を残し、それを整理する前に新たなサスペンスが発生するという印象を受ける。大サスペンスとは別のところにある小サスペンスについて整理しなければならず、大サスペンスから目を離さざるを得ない状況を作っている。「ミッドナイト・ラン」は小サスペンスの「成立」によって、少しずつ種明かしをしていくことで大サスペンスを隠していた。「鳥の巣」では、小サスペンスの「不首尾」の結果を整理する間に、大サスペンスを意識することができなくなるように仕組まれているのだ。つまり小サスペンスによって大サスペンスを隠すというよりは、小サスペンスを整理する間に大サスペンスを忘却させているのである。冒頭部で主人公に振りかかった不安を解消しないまま、中盤では和子の家族に対する不安を募らせる。そして終結部で再び冒頭部と中盤の不安をからませて肥大した不安が主人公自身に振りかかるのである。これは、回帰型構成の典型である。「過去・よそ」の事実があるから「いま・ここ」が新たな意味を持つのである。
「ミッドナイト・ラン」は主人公自身の不安を徐々に積み上げていって、「不首尾」という結果で一気にそれを恐怖に変えるものだった。対して『鳥の巣』は主人公と別のところ、つまり和子の家族に対する不安を積み上げていって、「不首尾」という結果にしておき、主人公自身にその不安を突然移すことで、恐怖に変えるものである。
このようにサスペンスの結果が同じものであっても、構成が別のものだと、違った印象を受ける。
1 | 多佳子はもう二時間近くもホテルのロビーで待ち続けていた。 | |
---|---|---|
2 | 「先に行ってくれ。僕はすぐあとで行くから」和夫は多佳子の顔を見つめて、はっきりとそう言った。 | |
A | ―もし和夫さんが来なかったら―こんなに手ひどい背信はありえない。多佳子は心配になってエレベーターホールに急いだ。 | |
3 | エレベーターの前に一人の男が立っている。 | |
B | 彼はギョッとしたように多佳子に視線を送ったが、すぐにエレベーターのシグナルに視線を戻した。 | |
4 | 彼はホテルのフロント係の正田である。正田は、フロント係を三年余りやっており、たいていのトラブルに遭遇しているが、今、彼の頭の中をよぎったことはあまり楽しい想像ではない。ほとんどの宿泊客が寝静まっているこんな時間にエレベーターが様々な階で止まるのは珍しい。 | |
C | ―さっきは背筋に冷たいものを感じたけれど― | |
5 | 近代的な設備を誇ってはいるものの、ホテルの、とりわけ夜は恐ろしい。 | |
6 | ―朝の五時が一番早いモーニングコールだったな―と彼は思う。 | |
7 | ―ああ、そうか。早く部屋へもどらなければいけないわ。ずっと和夫さんがくるのを待っていたんだわ― | |
8 | エレベーターのシグナルが1階を灯し、ドアが開いた。 | |
D | 中には誰も乗っていない。正田は首をかしげる。 | |
9 | ドアが閉じ、ゆっくりとエレベーターが昇り始めた。 | |
E | エレベーターは二十四階で止まった。正田がドアの外を見る。 | |
10 | 多佳子だけが降りた。正田はもうひとつ上の階に行く。 | |
11 | ―和夫さん、どうしたの?すぐに来てくれるはずだったじゃない―廊下を風のように走り、ドアを抜け部屋の中に入った。和夫が立っていた。 | |
F | 多佳子と同じような姿だった。 | |
12 | 「どうしたんだ」 「だって……・待ってても来てくれないんだもの。私、心配で、心配で」 「馬鹿だな、多佳子を一人で行かせやしないよ」 「ちょっと見るかい?」 「ええ……・」 | |
13 | ベッドルームをのぞいた。ダブルベッドの毛布が膨らんでいる。その下で男と女が目を閉じている。二つの頭が同じ枕の上に載っているが、微妙に顔の色が違っている。女の首には堅くネクタイが巻き付いている。女の顔が赤黒く歪んでいる。 | |
14 | 情景がはっきり浮かぶ。女が先に睡眠薬を飲み、眠りが深くなったところで男が殺した。男は彼女の死をみとどけたあとで、自分も大量の睡眠薬を飲んだ。 | |
15 | 薬はゆっくりと作用する。男は死ぬまでにしばらく時間がかかった。 | |
16 | 二人はまだ若かった。死ななくてもよかったかもしれない。だが二人はあの世でともに暮らす道を選んだ。 | |
17 | 多佳子はもう一度二つの死顔を見つめ、部屋を後にし、和夫と二人でエレベーターへ向かった。エレベーターのドアが開いた。中には正田というフロント係が立っていた。 | |
18 | 彼はただならぬ気配を感じて周囲をうかがう。誰もいない。風が二つの流れを作って入りこんでくる。まるで二人の人間が乗りこんで来たみたいに……・。 | |
G | ―変だなあ― | |
19 | そのすぐ後、人気のないロビーでは自動ドアが、開いて閉じた。 |
視点1:多佳子
(1)・‐‐・A‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→M×・‐‐・N
B‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→L×
F‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→O×
視点2:正田
(B)・‐‐・C・‐‐‐‐‐‐‐・I‐‐‐‐‐‐→L。。
C・‐‐‐‐・D‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→ ・・
E‐‐→I。。
Q・‐‐・G‐‐→R。。
「旅立ち」では、読み手側の視点が二つに分かれる。よって以上のように二つに分けた。一つ目は多佳子の視点であり、もう一つが正田の視点である。同じ場面でも、どちらに視点が置かれているかによって読み手の受け取り方も変わってくるので興味深い。二つの物語が同時進行で途中交差するのが本作品である。
まず多佳子の視点からのサスペンスについて分析をしていきたい。
A「手ひどい背信とはなにか?」「なぜ二時間も待っているのか?」
→M×「心中なのに和夫だけ生き残ること」N×「和夫が死ぬまで二時間かかった」
Aのサスペンスの発端はM、Nまで読んでからうかびあがる。なぜ二時間なのか、手ひどい背信という強い言い方にも納得がいく。一見ただの恋人との待ち合わせと読み取ってしまうがその期待は大いに裏切られる。
B「多佳子はなぜ正田にギョッとされたのか?」
→L×「多佳子は霊だったから」
Bもなにも知らずに読むと、正田と多佳子の目が合ったのかと読めるが、実際は正田に多佳子の姿は見えていない。
F「多佳子や和夫はどのような姿をしているのか?」
→O×「あの世で暮らす姿、もう死んでいる」
Fまで読んでいくと、ようやく多佳子の存在に少し疑問を抱けるようになるが、それでもまさか死んでいるとまでは考えない。冒頭に登場する主人公があたかもそこに存在しているかのように描写されているからどうしても生きている人だと思いこんでしまう。
以上のように多佳子の視点からのサスペンスの発端は全てが明らかになってから読み手側が形成していかなければならないようになっている。
次に正田の視点からのサスペンスを分析する。
C「なぜ背筋が冷たくなったのか?」
→I「一緒にエレベーターに乗ったのに存在に気づかない」
→L。。「多佳子は霊だった」
D「なぜさまざまな階で止まったエレベーターに誰も乗っていなかったのか」
→立ち消え
E「なぜ誰もいない二四階で止まったのか?」
→I。。「多佳子が降りたから」
G「なぜ誰かが乗ってきたように感じたのか?」
→R。。「二人の姿は見えないから」
対照的に正田の視点からのサスペンスの発端は文章化されているものが多い。C、D、E、のサスペンスの発端は読み手側に不安を募らせる効果がある。読み手が気づくのはLまで読み進めてからだがエレベーターの中に正田は常に一人でいた。あたかも一緒にエレベーターに乗っていたように感じられていた多佳子は霊だったのだからそこに存在しないのである。作品の中盤あたりに正田が感じた違和感や、首を傾げる描写などをちりばめることで物語に少しずつ陰を落としている。
冒頭にも述べたとおり、二つの物語が同時進行している。読み手はまず正田の視点から読み取ったサスペンスの発端により男女の逢引の物語に少しずつ不安を抱いていく。そして、最後まで読んでしまってから、作品を通じての不首尾に気づき、意外な印象を受ける。
始めから読んでいるうちは、男女の逢引の物語だったものが終結部まで読むと一転して、作品全体が男女の悲劇の物語になるのである。
1 | 車のセールスマンをしている榎吉は、高校時代の先輩、牛島に誘われ、東京湾にヨットでクルージングに出ていた。軽い気持ちでついていったことを、榎吉は後悔していた。牛島夫妻の手前勝手な振る舞いに、かなりうんざりしていたからだ。しかも、岸まで二、三キロのところまできた時に、ヨットの行き足がぴたりと止まってしまった。牛島はヨットの運転初心者らしく頼りない。 | |
---|---|---|
2 | 原因はヨットのプロペラ部分に挟まった子ども用の青いズック靴だった。 | |
A | 靴にはマジックで「かずひろ」と、書かれてあった。 | |
3 | エンジン停止の原因も取り除き、もう何も問題は無いはずだった。エンジンは確かに動いている。 | |
B | しかしヨットは進まない。幾つかの原因を検索し、それへの対処法を試みてみるも、いよいよヨットは動かない。 | |
4 | 結局、キールにロープのようなものが絡まっているという可能性を確かめるべく、東京湾のヘドロのような海の中へマスクもせずに潜るということを行動に移すしかなかった。 | |
5 | 渋々、ヨットの持ち主である牛島が潜ることになる。一度目の潜水は、キールの位置を確認するだけにとどまったらしい。しかし二度目の潜水で異変は起きた。異変に気づいた榎吉に、ロープで引っ張りあげられた牛島の表情は、溺死寸前のようなすさまじいものだったのだ。 | |
6 | 落ち着きを取り戻した牛島は、水面下での出来事を語り始めた。肉体的には回復しているように見えるが、牛島は絶望的な声を出す。「この船は動かんよ」 | |
C | 「なぜですか」 | |
7 | 「触れたんだよ、この手が」 | |
D | 「何に?」 | |
8 | 「手だよ」 | |
E | …牛島の手が、手に触れた? | |
9 | 一瞬の沈黙の後、牛島が先に口を開いた。「子供ってのは案外に力持ちなんだな」 | |
10 | 「子供がしがみついているんだよ、キールに」 | |
11 | ヨットの下に潜った牛島は、恐らくキールに巻きついた海藻か何かに触れることで、溺死した少年がキールにしがみついている姿をイメージしてしまったのだ。だから榎吉には、これからする質問の答えに自信があった。 | |
F | 「牛島さん、あなたが見た男の子は、片方の靴を履いていなかったでしょ?」 | |
12 | ……・もちろん「うん」とうなずくに決まっている。 | |
13 | プロペラに挟まっていたのは、左足の靴だけなのだから。 | |
14 | 榎吉は、答えを予期して、反応を見守った。ところが、牛島は「いや」と首を横に振って否定してきた。 | |
15 | 「じゃ、靴を履いてたの?」榎吉が確認すると、牛島ははっきりと答える。 | |
G | 「男の子は、両方とも、裸足だったよ」言い方にあやふやなところが微塵もなく、そのことが榎吉にはどうも解せなかった。 | |
16 | このままでは埒があかないので榎吉が岸まで泳ぎマリンサービスに通報する算段になった。岸に着いた榎吉は、テトラポットの狭間に右足用の靴を見つける。 | |
17 | それにはやはり「かずひろ」と記名されていた。榎吉は冷静に胸に呟いた。 ……なるほど、こんなところに右足の靴があったんじゃ、あの子、両足とも裸足に決まってるよな。 |
1:現実
A・‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐・P‐‐→ ・・
B‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→ ・・
2:主人公以外の体験談と主人公の推測
C・‐‐‐‐・E‐‐‐‐‐→I。。
↑
(D‐‐→ G。。)
F・‐‐・L‐‐→×G‐‐→Q。。
「夢の島クルーズ」は大きく二つの部分に分ける必要がある。一つ目は実際に主人公が体験した現実、もう一つは主人公以外の体験談及び、主人公の推測で成り立っている部分である。前者には、(1)〜D、OP、が含まれ、後者には、E〜E、Q、が含まれる。読み手にとってこの二つを分けておくことは必要である。なぜなら本作品では、読み手の視点は主人公にあり、主人公が目にしたものは作品中で現実のものと感じる。しかし、他者からの情報は不安を膨らます要素にはなるが、作品中であっても、その情報が正しいものなのかどうか信じきれない部分が残るからである。以上の理由から、以下分析を進めていく。
まず、実際に主人公が体験した部分のサスペンスから分析していく。
A「かずひろとは誰か?」→P「やはり『かずひろ』と記名されていた」→立ち消え
A「かずひろとは誰か?」というサスペンスの発端である。これはP「やはり『かずひろ』と記名されていた」という経過をたどる。しかし「かずひろ」は靴のみの登場で、どのような人物で、今どうしているのかなど、多くの疑問を残しながら作品中には、それ以上登場しない。結局「かずひろとは誰か?」というサスペンスの発端に対する結果は「立ち消え」の形を取る。
B「どうしてヨットは動かないのか?」→立ち消え
次に、ヨットが動かない原因と思われる、プロペラに挟まった子供のズック靴を取り去ったにもかかわらず、進まないことに対して、Bは「どうしてヨットは動かないのか?」というサスペンスの発端である。作品中盤で主人公以外の人物が原因となっていることの核心に迫る体験をするのだが、実際に主人公がその体験をしたわけではなく、人伝で聞いたその情報が正しいものなのか信じきれない部分が残る。終結部まで読み進めても、「どうしてヨットは動かないのか?」に対する明確な結果は示されず、「立ち消え」となる。
以上のように、本作品では結局、現実的な結果が得られない。しかし因果関係を求めようとすると、それは主人公以外の体験談と、主人公の推測の部分になる。
C「どうしてヨットは動かないのか?」(→D「何に触れたのか?」→G。。「手だよ」)
→E「何の手に触れたのか?」→I「子供がしがみついているんだよ」
ここは本来ならば、「どうしてヨットは動かないのか?」に対する結果にすべき部分である。しかし、主人公以外の人物の体験談であり、そのうえ明確な証拠もないため、推測や幻覚の可能性の域を出ない。
Fから子供の靴に対するサスペンスが発生する。ここで本作品は、現実味を帯びるようになってくる。
F「子供は片方の足しか靴を履いていなかったのか?」
→L「挟まっていたのは、左足の靴だけだった」
→×「両方とも裸足だった」
→G「どうして両方とも裸足なのか?」
→Q。。「岸にもう片方の靴があったから両方とも裸足である」
Fは「子供は片方の足しか靴を履いていなかったのか?」というサスペンスの発端である。そしてLの、思い込みに違いないからきっと片足しか靴を履いていないだろう、という主人公の推測を経ることでGは「不首尾」の結果になる。さらにGは新たなサスペンスの発端でもある。G「どうして両方とも裸足なのか?」である。これに対する結果は、主人公自身が体験する。岸に戻ってきてから、残りの片方の子供の靴を見つけることである。Qでとうとう主人公以外の体験談と、主人公の推測、主人公の体験が交わり作品全体の現実味が感じられるようになっている。
本作品では明確に現実だと言いきれる記述は少ない。ヨットが動かなくなり、子供の靴がひっかかっていて、そのもう片方が岸にあった。これだけが現実である。しかしそこに、不確かな情報と推測が混じることで、読み手の不安は膨らんでいく。そして終結部でほんの少し、不確かな情報や推測を現実と交わらせることで急速に現実味を帯びさせている。中盤の小さいサスペンスを正しいのかどうか信じきれないまま成立させることで、読み手は「現実ではないかもしれない」「でも現実だったらどうしよう」という不安を膨らませる。しかし大きなサスペンスの明確な証拠は「立ち消え」させて問題が解決したかどうかという結果も「立ち消え」させている。不安を煽る小さなサスペンスは成立させて、肝心の大きなサスペンスについては「立ち消え」させることで結果を読み手に任して、作品の外にまでサスペンスを継続させている。
5、 「浮遊する水」 鈴木 光司 著 『亀裂』より
1 | 武蔵野の借家から埋立地に建つ七階建てのマンションに、出版社に勤める松原淑美と、もうすぐ六歳になる娘の郁子が越してきて三ヶ月になる。 | |
---|---|---|
2 | この築一四年のマンションには独り者の住人が五、六人いるだけで、淑美親子の住んでいる四階にはどの住戸にも人の住む気配はなかった。ある日、娘と花火をしようと屋上にやってきた淑美は、バッグを発見した。中身は幼児用お風呂遊びセットだった。 | |
A | 不思議なのは屋上にバッグが落ちていたことよりも、明らかに幼児用の持ち物がなぜこのマンションに存在するのかということだった。 | |
3 | 淑美は三ヶ月ほど前に聞いた、不幸な出来事で引っ越したという二階に住んでいた一家の話を思い出した。しかし二階の一家が引っ越したのは去年の夏であり、バッグの新しさが一年以上の放置を否定していた。結局バッグの持ち主はわからずじまいだったが、淑美はそれよりも気になって仕方がないことがあった。 | |
B | 一体二階に住んでいた家族はどんな不幸に見舞われたのだろう。 | |
4 | 三日間、管理人室の前にキティちゃんのバッグは置かれていた。だが淑美にはなぜか持ち主が現れるとは思えなかった。結局管理人室前から、バッグは消えた。翌日の朝、淑美はマンション専用のゴミ集積場でバッグを見かけた。それで終わりのはずだった。しかし……。 | |
5 | 淑美親子は一週間前と同じ夕刻、屋上に上った。屋上のドアを開け、顔を右に向けた刹那、赤い色が目に飛び込んできた。 | |
C | なぜ恐怖を感じるのか理由がわからない。 | |
6 | 捨てられたはずのキティちゃんのバッグと間違いなく同じ品だった。 | |
D | どうして捨てたはずのバッグが屋上に戻っているのか。 | |
7 | その日の晩、風呂場で郁子の途切れ途切れの独り言を聞いた。淑美はその中で友達の名前と思われるミ……ちゃんという言葉を耳にとめた。ミ……ちゃんという友達はいないはず。 | |
E | 郁子は一体誰を相手にお喋りをしているのであろう。 | |
8 | 「郁ちゃん、なにしてるの、もう出なさい」ドアに背を向けて湯に浸かっていた郁子は,その姿勢のままで答える。「だって、この子ったらお風呂が好きなんだもん。ひとりでいつまでも入ってる」 | |
F | 淑美は再び自問する。……この子って、だれ? | |
9 | その後、二人で寝床につき、二時間ばかり立ったころふと気づくと郁子はいなくなっていた。淑美は玄関に走り、廊下に出た。エレベーターが動く音がする。エレベーターホールまで行ってみると誰一人住んでいないはずの七階でエレベーターは動かなくなった。それが娘の郁子だと閃き、淑美はエレベーターを呼び戻した。乗り込んで、七階のボタンを押す。ところがエレベーターは下降を始めた。 | |
10 | 突然、エレベーターは二階で停止した。 | |
G | ……どうして二階なの?一体このエレベーターはだれに呼ばれたのか。 | |
11 | ドアが閉まり切る直前、気配が忍び入るのを淑美は確かに感じた。自分だけではない。このエレベーターの中には、なにかがいる。 | |
12 | エレベーターは上昇し、七階で止まった。一気に屋上までの階段を駆け上がったが小さな人影は見当たらない。 | |
H | ……どこに行ってしまったのだろう。 | |
13 | ……郁子のはずがない。エレベーターに乗って七階まで上がったのは、郁子であるはずがないのだ。なぜなら娘は7のボタンを押すことができない。背が届かないからだ。 | |
I | ……娘ではないとすれば、だれ? | |
14 | 翌朝、昨夜の事件に淑美は釈然としないながらも管理人に例の一家のことを訊ねてみた。 | |
J | すると、ちょうど娘の郁子くらいの女の子が行方不明になったのだという。 | |
15 | そして、その女の子の名前がミツコだった。 | |
16 | その事件がいつ起こったのか、管理日誌を見せてもらうと、その事件と同じ日に屋上の高架水槽の清掃が行われていたことに淑美は気付いた。それ以来高架水槽は開けられていない。これらの事実が示す、認めたくはないたった一つの結論。 | |
17 | ミツコちゃんは高架水槽にいる。 | |
18 | この三ヶ月間、その水を飲みつづけていた。そのことを思うだけで吐き気がこみ上げてくる。まだ事実を確かめたわけではない。しかし、一日たりとも水の使えない部屋で過ごすことはできない。親子はそのマンションをあとにした。 |
( 考察 )
A‐→・・
(3)・‐‐・B・‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐・J・‐‐・O‐→P。。
C‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→・・
D‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→・・
E・‐‐・F‐‐(G‐→J。。)‐‐(H‐→L×・‐‐・I)‐‐→N。。
『浮遊する水』におけるサスペンスは「成立」の結果によるものである。大きく二つのサスペンスが「成立」し、「立ち消え」の結果になるサスペンスが全体に不気味さを加えている。
B「二階の家族の不幸とは何か?」→J「女の子はどこに消えたのか?」→O「その事件当日、高架水槽の清掃が行われた」→P。。「女の子は高架水槽にいる」
まず大きなサスペンスのB「二階の家族の不幸とは?」から考察していく。この事件について主人公は事前に知り得ない。知っているのはマンションの管理人だけである。E、Fのサスペンスの発端を経た後、主人公はいよいよ管理人に事件のことを聞く。Jで女の子の行方不明の事件であることがわかると同時に新たなサスペンスの発端、J「女の子はどこに消えたのか?」が発生する。これは、管理日誌に書かれた記述からO「その事件当日、高架水槽の清掃が行われた」という事実を経てP「女の子は高架水槽にいる」で「成立」する。
E「誰とおしゃべりをしていたのか?」→F「この子とは誰か?」(→G「エレベーターは誰によばれたのか?」→J。。「エレベーターの中のなにかによばれた」)(→H「郁子はどこへ行ったのか?」→L×「七階に行ったのは郁子ではない」→I「郁子でなければ誰か?」)→N。。「行方不明になっている女の子、ミツコだった」
次にEから継続するサスペンスであるが、これもBと同様、重要なサスペンスである。マンション内に存在するこの世のものではない、なにかについてのサスペンスである。初めに、娘の郁子が風呂場で誰かと話しているのを主人公が聞き、E「誰とおしゃべりをしていたのか?」というサスペンスの発端となる。そして郁子の証言から、この世のものでないものの存在が形をなし、F「この子とは誰か?」のサスペンスの発端につながる。その存在はG、Hのサスペンスによって、主人公も感じ取ることになる。エレベーターが誰もいない二階によばれた後、Gは「エレベーターは誰によばれたのか?」のサスペンスの発端となる。そしてJの狭いエレベーターの中で主人公は、この世のものでないなにかが存在していることを確信する。さらに、H「郁子はどこへ行ったのか?」のサスペンスの発端から、郁子がどこへ行ったのか探しているうちに、L「七階へ行ったのは郁子ではない」という「不首尾」の結果を迎える。これはI「郁子でなければ誰か?」につながり、さらにサスペンスが深まっている。このようにして、少しずつ深められたサスペンスはNで「成立」の結果となる。マンション内には郁子の他に子供はいないはずだったのだが、確かにもう一人、子供が存在する。この存在は主人公自身が感じ取っている。この世のものではない存在、N「行方不明になっている女の子、ミツコだった」のである。
A「どうして幼児用の持ち物があるのか?」→・・立ち消え
C「なぜ恐怖を感じるのか?」→・・立ち消え
D「なぜ捨てたはずのバッグが戻っているのか?」→・・立ち消え
以上、三つのサスペンスには結果が記されておらず、「立ち消え」となっている。「立ち消え」は結末をはぐらかされた印象にするという効果があるが、この場面はその効果よりもむしろ、作品に緊張感を与える効果のほうを考慮して仕組まれている。まずAのサスペンスであるが、これは大きなサスペンスBの発端の直前に配置され、これから起こる事件について読み手の意識に緊張感をもたらしている。C、Dのサスペンスは、作品の中盤に配置され、新たに発生する大きなサスペンスEに読み手の意識を向けるために緊張感をもたらす役目を担っている。どちらも結果がすぐもたらされるわけではない。それどころか物語の最後まで結果がでないため、読み手は常に思考を持続せねばならず、緊張感を持続するために大きな役割を果たしているのである。さらに、最後まで結果が出ないことは読み手にとって不満であり、落着していないサスペンスは、不安を増す材料でしかない。前半部と、中盤部に「立ち消え」のサスペンスのくさびを打つことで、緊張感の持続を促すとともに、不安を増大させている。
『浮遊する水』は主要サスペンスの結果が「成立」で構成されている物語で、漸層型の典型といえる。サスペンスの発端を少しずつ積み重ねていき、途中、成立するサスペンスによって種明かしをしながら、クライマックスで大サスペンスを「成立」させている。サスペンスの発端はそれだけで緊張を生み、不安を駆り立てる。それがいくつか経過をたどりながら、結果を迎えないまま積み重なることで、不安はその経過のあいだ持続する。さらに、サスペンスの経過の途中に、成立するサスペンスによって少しずつ種明かしがされていくうちに不安はより深まっていく。大サスペンスの前後に配置されている「不首尾」の結果になるサスペンスは、物語にさらなる緊張感を与え、より不安も増大させる。作品全体に多くのサスペンスを散在させ、クライマックスでそれらを集約するような結果を用意している。これは読み手にできるだけ多くの不安を積み重ねるという手法である。したがってサスペンスの継続は長く、結果はできるだけ先延ばしになるように配置される。少しずつ深まった謎と不安が、飽和状態に達したクライマックスでサスペンスを「成立」させて、恐ろしい事実を演出しているのだ。
6、 「 白い過去 」 坂東 眞砂子 著 『 ゆがんだ闇 』より
1 | 三十歳の誕生日を前日に控えた千春は、夫の陽治と居酒屋のカウンターで酒を飲みながら、青春は終わったのだと、ぼんやり考えていた。千春は小さな輸入雑貨屋にパートに出ていたが、大企業に勤める夫に、仕事のことを暇つぶしのようにいわれ、馬鹿にされていた。 | |
---|---|---|
A | その日、食事を終えて帰宅すると、留守番電話のメッセージランプが点灯していることに気づく。 | |
2 | 陽治が車を駐車している間に留守録を確認すると、どうも聞き覚えのある男の声のようである。 | |
3 | 留守録は、若い男女の会話のようであり、その女の声が自分の声であることに気づいた途端、千春はその声の主をはっきりと思い出した。 | |
4 | 二十代のはじめ、千春が付き合っていた仁志である。 | |
5 | しばし、過去を思い出していた千春であったが、玄関のドアを開け陽治が帰ってきた。千春は慌てて留守録の消去ボタンを押した。 | |
B | 翌日、昨晩の奇妙な留守録のことを考えながらパートに出ていると、パート先へ千春宛に白いチューリップの花束が届いた。 | |
6 | 花束には白いカードが添えられていて、『 HAPPY BIRTHDAY 』と印刷された文字の下に、黒のサインペンで『 HITOSHI 』と書かれていた。 | |
7 | 千春の脳裏に最後に見た仁志の姿が浮かんだ。鼻に半透明のチューブをさしこまれて病室に横たわっていた仁志。仁志は植物状態と化していた。 | |
C | あの仁志がこの花束を届けてくれたのか。では彼は回復したのだ。 | |
8 | その日の午後、家に帰ってみると留守録のランプが点滅している。それは、若かりしころの千春と仁志の会話を録音していたものだった。このままではいつか、夫に留守録を聞かれるに違いなく、それによって夫が二人の関係を疑うかもしれなかった。そこで千春はとうとう花束の贈り主を確かめてみることにした。 | |
9 | 翌日のパート中、千春は花束の受領証にある花屋に電話し、その送り主の連絡先を聞き出した。どこにかかるかも分からないまま電話をかけると、かつて仁志が入院をしていた病院につながった。 | |
10 | やはりそうなのだ。仁志は意識を回復したのだ。声が震えそうになるのを抑えて、仁志が今どうなっているのかを知りたいといった。 | |
11 | 「どうなっているのかといいますと」「あの、植物状態だったんですが意識を回復したと聞きましたので……。」「ちょっと待ってください。その患者さん、長い間入院なさっていた方ですよね」「そうだと思いますが」 | |
12 | 「その方なら、もう半年前にお亡くなりになってますが……」「死んだ」千春は茫然として呟いた。 | |
13 | そのまま沈黙してしまった千春を気の毒に思ったのか、受付の女は仁志の実家の連絡先を教えてくれた。千春はそれを書きとって電話を切った。 | |
D | 死んだ仁志が自分の家に電話をかけて留守録にテープの会話を吹き込み、花束を贈ってきたというのか。 | |
14 | 千春はとにかく仁志が本当に死んだのか確かめたくなった。パートを早退し、仁志の実家を訪ねることにした。 | |
15 | 実家には仁志の母がおり、千春は仁志の母に初めて会ったときのことを思い出した。事故直後、仁志の病室で茫然としている千春に、気丈な仁志の母は事故の模様を説明してくれた。 | |
16 | 仁志はバイクで海辺の崖に突き出したカーブを曲がりそこねて転倒した。バイクから投げ出されて、しばらく傷ついた体でガードレールの端につかまっていたらしい。しかし助けがくる前に力尽きて転落したのだった。傷ついてガードレールにぶら下がり、助けを求めた仁志。誰かがそばにいたなら……。しかし徐々にガードレールから手が滑り落ちていく。千春は事故の状況を想像しては身を切られるような苦しみを覚えたものだった。 | |
17 | しばらく昔話をしていると、仁志の妹の美紀が帰ってきた。千春が病室で会った時にはまだ小学生だった美紀ももう十九歳になっていた。時はなんと早く流れていたことか。 | |
18 | その後、仁志の同級生で、千春の夫である陽治の話題になった。陽治は、事故に遭った仁志の代わりに大企業への推薦をもらっており、さらに恋人さえも、仁志の代わりに得た男だ。 | |
19 | 死んだ仁志の将来を思ったためか、仁志の母の口調に微かな棘があり、それを感じて、いたたまれなくなった千春はあたりさわりのない会話を二、三交わして腰をあげた。 | |
20 | 次に送り出し人不明の留守録メッセージが入ったのは日曜日だった。夫婦で買い物に行き、帰ってきてみると、留守録のランプが点滅している。慌てた千春は、ホームセンターで買った整理戸棚の組み立てを陽治に頼んだ。陽治は了承し、工具セットを取りにベランダへ出た。 | |
21 | ベランダに出た陽治は、干していた洗濯物が一階下の部屋のパラボラアンテナに引っかかっているのを発見した。部屋が七階にあるため強風で洗濯物が飛ばされることは珍しいことではない。 | |
22 | 千春がのぞきこむのを制して陽治は台所から椅子を持ち出し、ハンガーの先で洗濯物を取ろうとしはじめた。 | |
23 | 千春は、夫がまだベランダで四苦八苦しているのを確かめて、留守録の再生ボタンを押した。録音されていたのは、千春が仁志と交わした最後の会話だった。仁志が同級生とその日の晩、バイクに乗りに行くということと、仁志が千春に結婚の話をして、別れるところまでの場面である。 | |
24 | 「おおい」ベランダから陽治が呼んでいる。「もうちょっとなんだ。俺をおさえていてくれ」千春は彼の腰を支えた。 | |
25 | 背中を見守る千春の耳にさっきの仁志の言葉が響いた。――同じ研究をしている奴がバイクに乗りはじめたばかりでぶっ飛ばせる場所を教えてくれっていうんだ。 | |
E | あの夜、仁志は一人ではなかった。事故現場に、もう一人いたはずだ。 | |
26 | ――俺の内定した企業、そいつも入りたかったんだけど俺のほうを推薦してくれたんだ。仁志がいなくなって望んでいた企業に就職できたのは陽治だ。 | |
27 | 「ねえ、あなた、仁志が事故に遭ったとき、そこにいたの?」 | |
28 | 彼の体がぎくりと震えたのが分かった。 | |
29 | 「事故に遭ったとき仁志を見捨てて逃げたんじゃないの」 | |
30 | 「そんなこと、するはずがないじゃないか」と振りかえって言った陽治の目がすっと右に流れた。 | |
31 | 千春は叫んだ。「嘘つきっ」 | |
32 | 陽治の口許にこすからい笑いが浮かんだ。「おまえもあいつを棄てて、この俺と結婚したんだぜ」陽治はまたハンガーを持った手を伸ばしはじめた。 | |
33 | この男だ。この男が仁志の命を奪った。千春の両手が震えていた。 | |
F | その手は、さらに身を乗り出そうとする夫の尻の方に伸びていった。 | |
34 | 暗い部屋で電話が鳴った。電話は仁志の妹の美紀からだった。美紀は堰を切ったように、今までの留守録や、花束が自分の仕業であったことを話し始めた。 | |
35 | 幸せそうに暮らしている千春を偶然、街で見かけた美紀は、千春に結婚するはずであった兄のことを少しでも思い出してもらおうと、悪気なく、したことだったという。 | |
36 | 千春は電話を切って、ゆっくりとベランダを振り返った。ベランダの手すりにしがみついている陽治の頭が少しずつ手すりの向こうに沈んでいく。しがみついた手の五本の指の先が白くなっている。それは白いチューリップを思い出させた。白いチューリップの花言葉は、失恋。ベランダに咲いたチューリップの花が震えながら開いていく。 | |
37 | 千春の顔に微笑みが浮かんだ。手すりから陽治の指が消えていった。 |
( 考察 )
A・‐(B)‐‐‐‐‐‐‐‐‐(C)‐‐‐‐・D・‐‐‐‐‐‐‐‐→34×
(B・‐‐・E‐→F×)
(C‐‐→K×)
25・‐→E‐‐→33。。
↓ F‐→36。。
「白い過去」における最も重要なサスペンスは、AよりもむしろEである。確かに作品全体を通してのサスペンスは、A「留守録は誰が入れていたのか?」であるが、新事実がわかるにつれて、E「事故現場にいた、もう一人とは誰か?」がより重要であるということに気づく。以上を踏まえて分析をはじめる。
A「留守録は誰が入れていたのか?」(→B「誰からの花束だろう?」→E「仁志から」 →F×「仁志は植物状態のはずだ」)(→C「仁志は回復したのか?」→K×「仁志は死んでいる」)→D「死んだ仁志なのか?」→34×「仁志の妹、美紀だった」
前半部分の緊張を保っているのは、確かにAのサスペンスである。まずAが「留守録は誰が入れていたのか?」というサスペンスの発端を発生させる。次に留守録の他に、メッセージカード入りの花束によって仁志の仕業である可能性を示す。しかし、F「仁志は植物状態のはずだ」という「不首尾」の結果によって、新たにCのサスペンスにつなげる。Cは「仁志は回復したのか?」のサスペンスの発端であるが、これも看護婦の証言から「不首尾」の、K「仁志は死んでいる」という結果を迎える。Dに至るまでに二つのサスペンスを「不首尾」の結果で解消させて、仁志が生きている可能性を否定している。それでもなお、仁志からという可能性を考えざるをえなくさせているのが、D「死んだ仁志なのか?」というサスペンスの発端である。
しかしA、Dという一連のサスペンスの結果は、より重要なサスペンスを際立たせるために、尻すぼみな印象を受ける。死んだ人間からのメッセージなのか、というようなサスペンスを持続させておきながら、結果は「不首尾」の34「仁志の妹、美紀だった」である。これは読み手の期待を裏切るものであるが、読み手の気持ちを高揚させる裏切り方というよりは、落胆させる裏切り方である。つまりAのサスペンスはDで、緊張を保つという役目を、ほぼ終えている。なぜなら、D以降、新たな事実が判明し、しかもそれに関するサスペンスがより重要であるからだ。より重要なサスペンスというのが以下である。
25「バイクで飛ばせる場所を教えてくれと頼まれた」→E「事故現場にもう一人いた?」→33。。「陽治だ」→F「どうして尻の方へ手を伸ばしたのか?」→36。。「陽治を突き落とすため」
25によってE「事故現場にもう一人いた?」のサスペンスの発端が引き出される。これは、27〜32の陽治と主人公の会話によって「成立」の結果、33「陽治だ」で結ばれる。しかし、ここで生まれた憎悪が、次のF「どうして尻の方へ手を伸ばしたのか?」というサスペンスの発端を生む。33で生まれた憎悪を考慮すれば、容易にFの結果を36「陽治を突き落とすため」として「成立」させることができる。
ここで、Fと36の間にA、Dの結果である34が存在するということは重要である。先ほど述べたように、34の結果は読み手にとって落胆させられるものであった。つまりA、Dにこのような結果を用意することで、重要なのはEのサスペンスであり、Fのサスペンスであるということを示しているのである。
「白い過去」の重要なサスペンスは「成立」によるものである。「不首尾」の結果になる三つのサスペンスは「成立」の結果になるサスペンスが重要であるということを、引き立たせるという役割でしかない。前半部Aのサスペンスは、読み手にとって大きな関心ごとである。しかしそのサスペンスが結果を迎える前に、新たに大きなサスペンスのEが発生するのである。Aのサスペンスは、後半部の重要なサスペンスE、Fの経過中に結果を迎える。その結果は読み手の結果を裏切るもので、しかも読み手を落胆させるものである。前半部で関心を寄せていたサスペンスの結果が、期待外れだったため、後半部で経過中のE、Fのサスペンスの結果に、より惹きつけられるのである。Aのサスペンスは前半部分では大きなサスペンスでありながら、後半部分で尻すぼみな結果になることで、後半部分に現れたサスペンスに、その重要性を移し替えている。前半部分では、謎の留守録の正体についての物語だったはずが、重要性の移動によって、後半部分からは復讐の物語になっている。謎の留守録の正体が読み手にとって落胆させられる結末であったため、主人公の幸せを奪った夫に復讐するという悲しい物語の方に、より注目させられるのである。
本項では新たな十数作品を、前項で取り上げた作品に加えて分類表を作成した。作成するにあたって、大きく二つの観点から分類をおこなった。
第一に、大サスペンスの結果の分類である。大サスペンスの結果は以下の三項目に分類する。(1)立ち消え、(2)不首尾、(3)成立である。それぞれの作品について、大サスペンスの結果の個所に 〇 を記す。大サスペンスが二つ存在し、結果が同じ場合 ◎ を記す。また大サスペンスを引き立てるために、効果的に小サスペンスが使用されている場合、そのサスペンスの結果の個所に△ を記す。
第二に、作品の全体的な構成による分類である。これは本稿、第1章、第1項の B)プロットの種類 に即して分類をおこなう。構成の種類は、土部氏によって、詳しく十二種類にわけられたが、そのうち時間によって展開するものは限られるので、以下の四項目に限る。A 漸層型構成、B 漸降型構成、C 急転型構成、D 回帰型構成と分類する。そして、作品を構成しているプロットの種類のところに○ を記す。
分類をおこなうにあたって、サスペンスとプロットを区別して分類するのだが、サスペンスが経過して、結果に至るということは大きな枠組で考えると、プロットに含まれてしまう。しかしここでは、サスペンスとプロットを一つのものとして考えるのではなく、区別して分類表を作成する。まずプロットであるが、大まかな物語の構成とし、冒頭部、展開部、終結部と、物語が全体としてどのように展開しているかに注目して分類することとする。サスペンスは、具体的に仕掛けられている、物語の重要な部分を占めているサスペンスに注目し、その結果を分類する。
縦に作品を並べ、横にサスペンスの結果、構成の種類を並べた。分類を行った作品は以下の通りである。
No. | 作品名 | 漸層型 | 漸降型 | 急転型 | 回帰型 | 立ち消え | 不首尾 | 成立 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 「知らないクラスメート」 | ○ | ○ | ||||||
2 | 「正月女」 | ○ | ○ | ||||||
3 | 「鍵」 | ○ | ○ | ||||||
4 | 「浮遊する水」 | ○ | ◎ | ||||||
5 | 「白い過去」 | ○ | △ | ○ | |||||
6 | 「魔少年」 | ○ | ○ | ||||||
7 | 「階段」 | ○ | ○ | ||||||
8 | 「兆」 | ○ | ○ | △ | |||||
9 | 「夢の島クルーズ」 | ○ | ○ | ||||||
10 | 「二度死んだ少年の記録」 | ○ | ○ | ||||||
11 | 「熱風」 | ○ | ○ | ||||||
12 | 「四時間四十四分」 | ○ | ○ | ||||||
13 | 「生きがい」 | ○ | ○ | ||||||
14 | 「ミッドナイト・ラン」 | ○ | ○ | △ | |||||
15 | 「蟷螂の気持ち」 | ○ | ○ | ||||||
16 | 「あっ」 | ○ | ○ | △ | |||||
17 | 「旅立ち」 | ○ | ○ | ||||||
18 | 「さむけ」 | ○ | ○ | ||||||
19 | 「鳥の巣」 | ○ | ○△ | ||||||
20 | 「命日」 | ○ | ○ |
漸層型構成の特徴は、次第に事件を発展させていって、頂点で飽和させるような、緊張度を漸増させる構成だということである。ここで言う「緊張度」は、「モダンホラー」においては「不安」と置きかえることができ、その「不安」が「恐怖」をもたらす。物語の「基本的な展開パターン」に相当するという原因も考慮されるが、比較対照表のとおり、「モダンホラー」においても頻繁に用いられる構成だといえよう。
漸層型構成は頂点、つまりクライマックスで不安を飽和させる展開である。漸層−立ち消え型の場合、確かに作品中にクライマックスはあるし、作品中ではクライマックスの時点で不安が頂点に達するように構成されている。これは、冒頭からクライマックスに至るまでに散在するサスペンスを成立させることで、読み手の意識に、徐々に不安を積み重ねているからである。しかし、肝心のサスペンスの結果については「立ち消え」させている。こうすることで作品の外に、作品中で積み上げた「不安」を持ち越す効果がある。読み手は作品の中におさまりきらなかった、作品中よりもさらに高みにあるクライマックスを自ら形成し、サスペンスの結果を想像し、「不安」を解消しなければならない。読み手が想像しなければならない肝心のサスペンスの結果は、読み手の想像力に比例して恐ろしいものになるのだ。
最も「基本的な展開パターン」に相当するのが漸層−成立型である。徐々に積み上げられた不安はクライマックスで頂点に達し、肝心のサスペンスの結果もクライマックスに読み手が期待したとおり「成立」するように用意されている。重要なのは、サスペンスの結果は読み手が想像できるのではなくて、読み手が想像できるように作者が仕組んでいるということだ。まるでパズルを埋めるかのように一つ一つサスペンスを解消して、パズルが完成する。完成したパズルを眺めてみると、それが大サスペンスの結果になっているというようなものだ。そして完成したパズルは、読み手が期待していたもの以上に恐ろしいものになっているのである。
漸層−不首尾型では「不安」はクライマックスで頂点に達する。しかしその時点で大サスペンスの結果は明らかになっていない。大サスペンスの結果が明らかになるのは、事件が一段落ついた後の後日談からである。これは、(1)漸層−立ち消え型に「不首尾」の結果を付け足した構成といえる。漸層−立ち消え型が読み手の想像に任せた部分を、読み手の期待を裏切る形で作者が用意したものである。作品中のクライマックスで「不安」を頂点に達しさせながら、クライマックスの後にサスペンスの「不首尾」の結果を用いることで、読み手は二度、緊張感を膨らませることになる。(1)で述べたとおり、初めのクライマックスよりも、後続のクライマックスの方がより恐ろしいものになる。一度目の恐怖がすでに恐ろしいものだが、二度目の恐怖によって読み手はさらなる恐怖に突き落とされるのである。
漸降型構成の特徴は、いきなり重大な事態を提示して、異常に緊張させ、次第に緊張が緩むように事態をほぐしていく、緊張度を漸減させる構成だということである。冒頭部のアクシデントの原因を解明していき、次第に「不安」を取り除いていく構成だといえる。漸降型の構成は、次第に緊張をほぐしていくという性格上、「恐怖」につながりにくいということは否めない。今回の使用頻度は多くはないが、サスペンスの用い方によっては恐怖を演出するのに十分効果的だ。
冒頭部に大きな事件を提示すると、読み手は突然緊張させられ、物語にひきこまれる。そして冒頭の事件の原因を解明していく作業は、不安を取り除く、安心を得ようとする作業に他ならない。冒頭に突然提示された事件について、なにも知らない状態から少しずつ情報を得ていき、読み手は事件を理解したつもりになる。事件の状況が把握できれば、読み手とすれば一安心できるのである。しかし、その理解が実際は少し現実とずれている。「主人公ではない他の人物が犯した犯行だ、と思っていたのが実は幻想で、実は主人公自身が犯人だった」、このようなパターンが該当する。事件があったのは事実である。容疑者らしき人物に目星もつき、主人公自身はまさか自分の犯行だとは思っていないが、「不首尾」の結果、主人公自身が犯人だったで結ばれる。一度解決しそうになった事件が、思わぬ形で結果をむかえる。「安心」が「不安」に変わったあと、「恐怖」に変わるまでそれほど時間は要さない。
冒頭の事件の謎が結局、解明できぬまま物語が終結してしまう構成である。物語自体は安心を得たところで終結するが、肝心のサスペンスの結果が作品の外に持ち越される。冒頭の事件に対して少しずつ情報を得ていき、事件の原因となる要因にたどり着いて、一応事件の原因が解明されたかのようにして物語は終結する。ひとまず、その時点での「安心」は確保されているのだが、熟慮してみると、事件の根本的な解決にはなっていないことに気づく。ハッピーエンドにみせて、作品の外に続く原因の見えない「不安」を考えた時、その重大さに「恐怖」するのである。
このパターンで恐怖を演出するのは難しい。漸降型が、次第に緊張が緩むように事態をほぐしていくという特徴を持ち、「成立」が読み手の期待にこたえるサスペンスの結果である以上、このパターンで恐怖を演出することが難しいことは想像の範疇だ。設定がノンフィクションらしき展開で、描写が細かくされているので、現実にあった話なのだろうか、という不安は感じる。しかし、事件の全貌は明らかになり、サスペンスも解消される。設定と描写で「恐怖」を演出しているが、例外として扱っていいほど希少な展開である。
漸降型と並び「恐怖」を演出するのに効果的な構成が、急転型構成である。今回の比較対照表からもわかるように、頻繁に使用されている。急転型構成の特徴は、事件がそのように発展していけば当然そのように帰結することになるなりゆきを、思わぬ方向へ急転させるということである。これを「恐怖」に結び付けるには、まず「安心」を演出しなければならない。展開部で自然な成り行きの「安心」を演出しておいて、終結部で読み手の思わぬ方向の「不安」となる事項を提示することで、急転後の「不安」を、「恐怖」として際立たせることができるのだ。「安心」と「不安」はちょっとしたきっかけで簡単に入れ替わる。「安心」の危うさに「不安」を抱いた時、「恐怖」を抑えておくことができなくなる。
急転型構成に最もよく現れている特徴は、大サスペンスの結果が「不首尾」で結ばれることが多いということである。もともと「不首尾」の結果自体が、読み手の期待を裏切るものとされている。したがって、自然と大サスペンスの結果も「不首尾」に結びつきやすい。「不首尾」の結果をクライマックスで、最も効果的に表現できるのが急転型構成である。冒頭部から、小サスペンスを成立させていくうちに、次第に不安を募らせていく。この部分は漸層型構成と共通している。しかし、急転型構成ではクライマックスに至る前に、一時の「安心」が得られる。これは中サスペンスの解消という形をとる場合が多い。いくつかある謎の内のいくつかが解明されるのだ。この部分は漸降型構成と共通している。事件が解決したことを演出しておいてから、クライマックスで大サスペンスを「不首尾」の結果にするのである。漸層−不首尾型で二回に分けられた緊張の頂点を一点に集中させた分、急転−不首尾型の方がより「安心」から「不安」への方向転換が急に感じられる。また、漸降−不首尾型では展開部で「不安」を漸減させていって、「安心」に至っている。急転−不首尾型では「不安」を積み重ねていって、ようやく解消して「安心」を得たと思ったら、より重大な事実で「不安」にさらされるのである。この点で、漸降型よりも急転型の方が、読み手の期待を裏切られたという印象が強い。サスペンスの意外な結果と、クライマックスが同時に訪れた時の衝撃は、読み手の「安心」を砕き、「恐怖」を演出するのに最も効果的に力を発揮する。
クライマックスに、サスペンスの発端が発生するパターンである。展開部で「不安」の元になるサスペンスを成立させていき、クライマックスの直前に「不安」を解消する。ひとまず「安心」を演出してから、クライマックスで新たに大きなサスペンスの発端を発生させるのである。事件は解決したはずなのに、新たに別のサスペンスの発端がクライマックスで発生することと、結果が「立ち消え」になっていることに、読み手の期待は裏切られる。クライマックスで新たにサスペンスを発生するのだから、重要なサスペンスのはずである。もちろん結果が用意されているものと期待してしまうが、「立ち消え」てしまう。結果については読み手にゆだねられるが、考えられ得る最悪の結果になることはいうまでもない。
急転型の特徴は、期待を裏切ることである。サスペンスの「成立」とは、読み手の期待通りにサスペンスが解消することである。読み手の期待通りにサスペンスを解消させて、自然ななりゆきに背くということは矛盾している。矛盾する両者を同時に成り立たせる例は見られなかった。
回帰型構成の特徴は、「過去・よそ」の目で「いま・ここ」を見なおす、ということである。「モダンホラー」で、この構成が使用される時、「過去・よそ」に及ぶ前の「いま・ここ」の事態は、およそ「恐怖」にはつながりそうもない、ごく平凡な事態である場合が多い。我々の日常でも頻繁におこなわれていそうな、ありふれた事態が、「過去・よそ」の事実を加えることで、全く違った意味を持ち始めるのである。我々は自分の身に直接「不安」が降りかかることがなければ、よそで起きていることと割り切って、深く思いつめることはない。しかし一度その不安が自分の身にも起こりえるのだと意識した時、事態を受け入れはじめ、深く考慮する。そして、その最悪の結果に絶望し、「恐怖」が生まれるのである。
回帰型も、サスペンスが「不首尾」の結果と結びつきやすい構成となっている。「過去・よそ」の目で見た「いま・ここ」が、「過去・よそ」の事実を知る前からは全く想像もつかない、期待を裏切られる結果となることが多いからである。主人公とは全く関係のないところで起こっていると思っていた事態が、「過去・よそ」の目を通すことで、主人公の身に降りかかる。自分とは関係のないことと「安心」していた読み手も、主人公に突然降りかかった「不安」を共有してしまう。あまりに日常的な事態のため、読み手は主人公に降りかかった「不安」が、自分たちにも降りかかる可能性を危惧する。平凡な日常に潜み得る恐怖を、最も表現しやすいのがこの構成だといえる。
回帰−成立型は、「いま・ここ」の事態がもとづいている「過去・よそ」の事情を明らかにし、「過去・よそ」の前後にある「いま・ここ」の事態同士を、結びつけるためにサスペンスを「成立」させる構成である。「過去・よそ」の事態と、「いま・ここ」の事態が結びついているということを、明確に裏付けるために「成立」の結果が用いられる。回帰型の構成は「過去・よそ」と「いま・ここ」の事態を見比べることによって「恐怖」を生む。「もしかしたら……でもまさか……」という最悪の結果への「不安」が、「やっぱりそうだったのか」という結果で「成立」する。読み手は「過去・よそ」の事態によって「不安」を抱きながらも「いま・ここ」との関連性に確信を持てない。クライマックスでサスペンスを「成立」の結果で結ぶことで両者を完全に結びつけ、「恐怖」を演出するのである。
「いま・ここ」から「過去・よそ」へと及び、再び「いま・ここ」へ帰ってくることなく、終結部分にあるはずのサスペンスの結果を「立ち消え」させて、「いま・ここ」と「過去・よそ」の関連性を読み手の想像にゆだねるという方法が考えられる。「いま・ここ」と「過去・よそ」の関連性に明確さがないため、読み手が想像上で、両者を関連付ける作業をするときに新たな事実に到達し、両者の間が結びついたとき「恐怖」が生まれるのだ。分類をおこなう前は、以上のような可能性が成り立っていたのだが、実際に分類をおこなってみると、該当する作品はなかった。「いま・ここ」と「過去・よそ」を結びつけるのに、サスペンスの結果がないと、読み手に明確な関連性が提示されないという可能性を危惧しての作者の配慮だと考えられる。「恐怖」を演出するための回帰型の構成は、サスペンスが「成立」しようが、「不首尾」になろうが、「いま・ここ」と「過去・よそ」が明確に関連付けられることが必要である。したがって、その関連性を読み手にゆだねてしまう「立ち消え」とはつながりにくいといえる。
第三章で「モダンホラー」について分析、分類を行っていくうちに、構成とサスペンスの結果との結びつきが違っていても、読み終わった後の印象が同質の組み合わせがあった。ということは、構成に違いはあるが、共通する部分があるという可能性がある。各構成のモデルを図にし、共通する部分と、異なっている部分を明確にする。モデル図をもとに、「恐怖」を演出する有効な構成と、サスペンスの用い方について提示し、本論のまとめとしたい。
C 漸降−不首尾型 | F 急転−不首尾型 | I 回帰−不首尾型 | |
---|---|---|---|
冒頭部 | 突然の大事件 | 大サスペンスの発端 | 主人公に直接関係することのない事件 |
大サスペンスの発端 | 大サスペンスの発端 | ||
読み手の心理=「緊張」 | 読み手の心理=「緊張」 | 読み手の心理=「安心」 | |
展開部 | 小サスペンスの解消 | 主人公に関係する事件の、小サスペンスの解消 | 主人公に関係しない事件の小サスペンスの解消 |
事件の不充分な解明 | 大サスペンスの潜伏 | 大サスペンスの忘却 | |
読み手の心理=「安心」(小サスペンスを解消し、事件を解決したと思いこむため) | 読み手の心理=「不安」 (小サスペンスの解消)、「安心」(大サスペンスに気づいていないため) | 読み手の心理=「不安」 (小サスペンスの解消)、「安心」(大サスペンスを忘却しているため) | |
クライマックス | 事件の真相の解明 | 大サスペンスの再浮上 | 大サスペンスの再浮上 |
大サスペンスの結果「不首尾」 | 大サスペンスの結果 「不首尾」 | 大サスペンスの結果 「不首尾」 | |
読み手の心理=「不安」 | 読み手の心理=「不安」 | 読み手の心理=「不安」 | |
終結部 | 解決した事件の真相は展開部で理解していたことからは想像もできない最悪の結果だった | 小サスペンスを解消し、ようやく「安心」を得たと思ったら、冒頭のサスペンスの発端が再浮上し、最悪の結果になる | 他人事の「不安」を蓄積していると思っていたが、冒頭のサスペンスと関連させると主人公にもその「不安」が同じように降りかかっていた |
読み手の心理=「恐怖」 | 読み手の心理=「恐怖」 | 読み手の心理=「恐怖」 |
―現実崩壊感覚こそ、言葉本来の意味での「モダンホラー」の典型なのかもしれない―
阿刀田 高氏の自選恐怖小説集『心の旅路』の解説において、大森 望氏は以上のように述べている。確かに、今回分類した中で「不首尾」の結果となるサスペンスを用いた作品がなんと多かったことか。そしてその中に、共通項が存在する。それを恐怖を感じさせる表現特性の一つであるとして次に詳しく述べる。
サスペンスに「不首尾」の結果を用いる時、展開の中に必ず仕組まれる演出がある。「安心」の演出である。事件が解決したように見せる演出であったり、主人公と関係ないところで起こっている事件だと思わせる演出であったり、構成によって演出の仕方に違いはあるが、どれも現実に起こりうる範囲で演出されている。読み手は自分の日常と重ね、日常的に経験しうる「安心」を得たあと、その現実を突然、崩壊させられるのである。日常を一度取り戻しかけて得た「安心」が、簡単に崩壊する可能性を秘めていることを思った時、読み手は「恐怖」を感じるのである。
モデル図にした三つの型に該当する作品はどれも、ほんの些細なきっかけから、現実を鮮やかに反転させている。「安心」を得た時点での、心の状態が落ち着いていればその分だけ、現実崩壊後の心の落下距離が長くなる仕組みである。いつ落ちるかわからないセスナに乗って墜落するよりも、絶対落ちるはずがないと安心しきって乗っているジャンボジェット機が墜落した時の方が、より期待を裏切られた感が強く、落下の距離もまた長いというわけである。
つまり「不首尾」の結果を最大限に生かすには、確信できる「安心」を演出する必要がある。そして「安心」が、期待を裏切る方向に急転した時に「不安」から「恐怖」が発生するのである。
@ 漸層−立ち消え型 | D 漸降−立ち消え型 | G 急転−立ち消え型 | |
---|---|---|---|
冒頭部 | 比較的穏やかな冒頭 | 事件の発生 | 比較的穏やかな冒頭 |
状況設定にとどまる | 大サスペンスの発端 | 状況設定にとどまる | |
(登場人物=普通の人) | (登場人物=普通の人) | (登場人物=普通の人) | |
読み手の心理=「緊張」 | |||
展開部 | 散在する小サスペンスの発端 | 冒頭の事件に対する状況が少しずつ明らかになる | 小事件の発生 |
小サスペンスの解消 | 小事件の解決 | ||
読み手の心理=「不安」の蓄積 | 読み手の心理=次第に 「安心」 | 読み手の心理=「不安」のち「安心」 | |
クライマックス | 事件の発生 | 事件の不充分な解明 | 大事件の発生 |
大サスペンスの発端 | ハッピーエンド | 大サスペンスの発端 | |
現実に起こりえる | |||
読み手の心理=「不安」の頂点 | 読み手の心理=「安心」 | 読み手の心理=突然の 「緊張」 | |
終結部 | 大サスペンスの結果「立ち消え」 | 大サスペンスの結果「立ち消え」 | 大サスペンスの結果「立ち消え」 |
日常に関連付ける | 現実と非現実の交錯 | 大サスペンスの経過などの記述なし | |
読み手の心理=大サスペンスの結果を想像 | 読み手の心理=大サスペンスの結果を想像 | 読み手の心理=大サスペンスの結果を想像 | |
読後 | 読み手が「恐怖」のクライマックスを形成 | 読み手が大サスペンスの真の結果を形成 | 読み手が大サスペンスの結果を形成 |
読み手が大サスペンスの真の結果を形成 | |||
読み手の心理=「恐怖」 | 読み手の心理=「恐怖」 | 読み手の心理=「恐怖」 |
― 些細なことでも実際に遭遇してみるとこれは相当に薄気味わるい ―
阿刀田 高氏はエッセイ集「恐怖コレクション」巻頭の、『自分の中の他人』の中で、このように述べている。現代社会でリアリティーがある「恐怖」というのは、現実に起こっても何らおかしくない、という薄気味悪さである。「モダンホラー」を読みながら日常を想起する時、現実と非現実が交錯し、作品の中の「恐怖」だったものが、作品の外で、読み手の意識の中で、一人歩きをはじめるのである。
作品外に「恐怖」を持ち越すには「立ち消え」の結果のサスペンスを用いるのが効果的だ。その際、最も効果的に演出をおこなうには、冒頭部での設定が重要になってくる。読み手が体験しうる日常を設定し、登場人物も読み手が簡単に想像のつく、普通の人々である必要がある。展開部では「不安」を蓄積するにしろ、「安心」を得るにしろ、現実的に想像可能な小さな事件や、小サスペンスを解消する。いかに現実、日常を演出するかが重要である。それに対して大サスペンスの発端は、やや現実離れしている。日常生活では経験できないような大事件に主人公が遭遇する。そしてその結果は、クライマックスを過ぎても、終結を迎えても記述されることはない。大サスペンスの結果は、小説の中だからという前提を置いたとしても、現実離れしている結果である。しかしその非現実が、作品の中で少しだけ現実と交錯する経過をたどることで、意味を持つようになる。また、作品の中の非現実が、読み手の日常と少しだけ交錯する。冒頭から日常を演出しつづけた効果がここであらわれるのである。作品の中で事件はまだ解決していない。読み手の中に、気づいていないだけで実際に今もどこかでその事件が起こっていて、いつかその事件に遭遇するのではないか、という「不安」が発生する。
冒頭から現実、日常を演出しつづけたのは、普通ならば決して交錯することのない、現実と非現実の境界を曖昧にさせるためだったのである。あまりに現実的な展開だったために、読み手は自分の日常と重ね、現実と非現実の境界が曖昧になってしまう。そして作品の中でのみ効果を発揮するはずの「不安」が作品外に持ち越され「恐怖」の感情に発展していくのである。
2 漸層−成立型 | 11 回帰−成立型 | |
---|---|---|
冒頭部 | 比較的穏やかな冒頭 | 比較的穏やかな冒頭 |
状況設定にとどまる | 状況設定にとどまる | |
展開部 | 散在する小サスペンスの発端 | 過去の小サスペンスの発端 |
小サスペンスの解消 | 過去の小サスペンスを現在で解消 | |
解消するたびに積み重なる「不安」 | 解消するたびに積み重なる「不安」 | |
大サスペンスの発端→「不安」 | 大サスペンスの発端→「不安」 | |
読み手の心理=「不安」の蓄積 | 読み手の心理=「不安」の蓄積 | |
クライマックス | 小サスペンスの結果がいくつも積み重なることから導かれる一つの結論 ‖ 大サスペンスの結果 =「成立」
| 過去起こったサスペンスが、現在思いなおしてみると次々に「成立」していくことから導かれる一つの結論 ‖ 大サスペンスの結果 =「成立」
|
読み手の心理=「恐怖」 | 読み手の心理=「恐怖」 | |
終結部 | 主人公の力では解消できない強大な「恐怖」の暗示 | 主人公の力では解消できない強大な「恐怖」の暗示 |
読み手の心理=絶望 | 読み手の心理=絶望 |
― 行間に漂う恐怖のニュアンスがとても自然で、無理なこじつけが全然ないこと ―
これは阿刀田 高氏著作の「待っている男」の解説部分で、小池 真理子氏が、阿刀田ホラーについて分析した特徴の中から抜粋したものである。しかしこれは阿刀田氏の恐怖小説に限った特徴でないのは、実際に「成立」のサスペンスを多用している恐怖小説を読んでみればわかることである。
読み手の心理に「不安」はどのような時に浮かびあがるのか。結果が予測できないサスペンスに直面した時だろう。結局どうなるのか予想がつかないとき、人は「不安」を感じるものである。だとすると、「成立」の結果を持つサスペンスは、本来「不安」を感じるサスペンスにはなりえない。「成立」の結果は、読み手の期待通りにサスペンスが解消するものだからだ。
しかしこのサスペンスの結果は、読み手が主体的に予測できるものではない。作者が構成の中に潜ませたサスペンスを、無理なこじつけなしに、少しずつ読み手に気づかせるように仕向けているだけに過ぎない。読み手はサスペンスの結果を予想できているつもりでいる。しかし実は、作者によって巧妙に構成された仕掛けによって、一つの大サスペンスの結果に導かれているのだ。その結果、小さなサスペンスを解消していくうちに少しずつ積み重ねた「不安」が、大サスペンスの「成立」によって一本の線でつながった時、読み手は展開部を通して感じさせられていた「不安」の全貌に、ただ「恐怖」するしかないのである。
少しずつ積み重なった「不安」はある一点をもって飽和状態に達する。そこからあふれて、漏れ出してくるものが「恐怖」だとする。「不安」を注がれている器は「不安」を注がれるたびに、一つずつ小さな穴があいていく。クライマックスで大サスペンスが「成立」する時、あいていた穴が一本の線でつながれ、そこから「恐怖」が一気に流れ出る。
「不安」の積み重ねは「恐怖」につながる。たとえ一つ一つが小さなサスペンスであっても、自然な演出でそれらを無理なこじつけなしに、大サスペンスの結果と結びつける。すると、読み手が想像できるように導きながら、なお読み手の期待以上に「恐怖」させることができるのだ。
「モダンホラー」における構成とサスペンスの関係は、以下の十二種類に分類された。
1 漸層−立ち消え型 | 2 漸層−成立型 | 3 漸層−不首尾型 |
4 漸降−不首尾型 | 5 漸降−立ち消え型 | 6 漸降−成立型 |
7 急転−不首尾型 | 8 急転−立ち消え型 | 9 急転−成立型 |
10 回帰−不首尾型 | 11 回帰−成立型 | 12 回帰−立ち消え型 |
「恐怖」を演出するのに効果的な型式、不向きな型式があったが、型式ごとに、表現できる「恐怖」をより効果的にするために不可欠な要素が存在した。それがまとめに述べた三要素である。これらは全ての「モダンホラー」作品に共通しているという要素ではない。しかし、この三要素のうち一つも入っていない作品が果たして恐怖小説として成り立つかというと、成り立たない。少なくとも本論で、分析・分類をおこなった作品の中に、この例に漏れる作品は存在しなかった。では、「モダンホラー」の作者は、どのように「恐怖」を演出しているのか。
「モダンホラー」にみられる特徴は、いきなり「恐怖」を演出しようとしないところにある。それどころか、「安心」を演出し、「現実にありうる、なんでもない日常」を演出し、「恐怖には至らない小さな不安」を演出する。どの要素も単独ではとても「恐怖」にはつながっていかない。しかしこれらの要素を丁寧に演出するからこそ、物語の構成上にこれらの要素をのせたとき、クライマックスでの「恐怖」が引き立つのである。
昨今の映像技術の進歩により、直接感覚的に恐怖を感じさせる、おぞましい描写などはビデオ、映画に及ばない。それでもなお、恐怖小説がなくならず、「モダンホラー」として現代も求められつづけているのは、「モダンホラー」作者が直接的な恐怖表現に頼らない、構成とサスペンスによる「恐怖」の演出を開拓したからに他ならない。作者が緻密に組み上げた「モダンホラー」小説の「恐怖」は、ビデオ、映画の直接的な表現を凌駕する、心底ぞっとさせられる「恐怖」を含んでいるのである。
今回の分析で強く思ったことがある。「恐怖」という感情は奥が深い。
第三章で構成とサスペンスの関係を分類したが、奥の深い「恐怖」という感情を表現するのに、たった十二種類で分類しきれているとは思えない。さらに型式によっては具体例を探し出すこともできなかった。より多くのサンプルをもとに、より詳細な分類が必要だ。第三章の「構成とサスペンスの比較対照表」はまだ再考の余地がある。
また、「モダンホラー」を語る上で目をそらすことができないのは、映像化の問題である。昨今の「モダンホラー」ブームに火をつけたのは、疑いようもなく鈴木光司氏原作の「リング」の映像化である。原作で緻密に積み上げられたサスペンスや、計算された構成が、どのように映像として表現されているのかは非常に興味深いことである。
「恐怖」の対象は時代を追うごとに刻々と変化していく。現在主流として使用されている型式がこのまま飽きられることなく何十年も後まで残っていくという可能性は薄い。同じ種類の「恐怖」ならばいつかその感情は薄れる。「恐怖」という感情が慣れによって減少する感情だからだ。それでも「モダンホラー」の作者は「恐怖」への慣れを読み手に許してはくれないだろう。新たな構成とサスペンスの関係を開拓し、新鮮な「恐怖」を生み出すに違いない。それこそ、全世界に生きる人の数だけ「恐怖」という感情は存在するはずだから。しかし基本となる構成と、サスペンスについては外すことのできない重要な要素として確かに存在していた。この不可欠な要素を解明することが、恐怖を感じさせる表現の構造を明らかにする鍵となるに違いない。
以上、今後の課題として意識しておきたい。
著者 | タイトル | 掲載誌等 号 発行年 |
---|---|---|
江連 隆 | 「サスペンスによるプロットの構造分析」 | 『弘前大学教育学部紀要』 第42号 1979年 |
野浪 正隆 | 「文章表現におけるサスペンスについて(1)」 | 『学大国文』第36号 1993年 大阪教育大学国語国文学研究室 |
「文章表現におけるサスペンスについて(2)」 | 『国語表現研究』第6号 1993年 国語表現研究会 | |
「文章表現におけるサスペンスについて(3)」 | 『学大国文』第37号 1994年 大阪教育大学国語国文学研究室 | |
土部 弘 | 「プロットの種類と立て方」 | 『文章上達法』平井昌夫 編 1974年 至文堂 |
大森 望 | 「解説」 | 『心の旅路』 阿刀田 高 1993年 角川文庫 |
阿刀田 高 | 「自分の中の他人」 | 『恐怖コレクション』阿刀田 高 1985年 新潮文庫 |
小池 真理子 | 「解説」 | 『待っている男』 阿刀田 高 1986年 角川文庫 |
秋田 哲郎 | 「物語におけるクライマックスについて」 | 大阪教育大学卒業論文 1994年 |
田路 聡里 | 「恐怖小説における怖さをうみだす仕掛けと仕組み」 | 大阪教育大学卒業論文 1996年 |
所収 | ページ | 作品名 | 作家名 |
---|---|---|---|
『亀裂』 1993年 角川文庫 | pp. 5− 34 | 「知らないクラスメート」 | 阿刀田 高 |
pp.111−143 | 「ミッドナイト・ラン」 | 景山 民夫 | |
pp.147−185 | 「浮遊する水」 | 鈴木 光司 | |
『心の旅路』 阿刀田 高 1993年 角川文庫 | pp.137−189 | 「旅立ち」 | 阿刀田 高 |
『ゆがんだ闇』 1998年 角川文庫 | pp. 5− 28 | 「生きがい」 | 小池 真理子 |
pp.107−157 | 「白い過去」 | 坂東 真砂子 | |
pp.159−246 | 「兆」 | 小林 泰三 | |
『さむけ』 1999年 祥伝社文庫 | pp. 7− 30 | 「さむけ」 | 高橋 克彦 |
pp.269−313 | 「蟷螂の気持ち」 | 山田 宗樹 | |
『鍵』 筒井 康隆 1994年 角川文庫 | pp. 7− 34 | 「鍵」 | 筒井 康隆 |
pp.172−174 | 「怪段」 | 筒井 康隆 | |
pp.242−264 | 「二度死んだ少年の記憶」 | 筒井 康隆 | |
『かなわぬ想い』 1994年 角川文庫 | pp. 5− 59 | 「鳥の巣」 | 今邑 彩 |
pp. 61−118 | 「命日」 | 小池 真理子 | |
pp.238−292 | 「正月女」 | 坂東 真砂子 | |
『仄暗い水の底から』 鈴木 光司 1997年 角川文庫 | pp.127−160 | 「夢の島クルーズ」 | 鈴木 光司 |
『魔少年』 森村 誠一 1996年 角川文庫 | pp. 5− 53 | 「魔少年」 | 森村 誠一 |
『金曜日の女』 森 瑶子 1996年 角川文庫 | pp. 7− 27 | 「あっ」 | 森 瑶子 |
『こわい話をしてあげる』 1993年 角川文庫 | pp. 83−143 | 「熱風」 | 黒崎 緑 |
『綺霊』 井上 雅彦 2000年 ハルキ・ホラー文庫 | pp. 7− 13 | 「四時間四十四分」 | 井上 雅彦 |
行く先のわからない旅をするのは恐ろしい。
私の卒業論文は、書き始めて以来、常にその得体の知れない恐怖との闘いであった。行く手をさえぎる暗闇を振り払うために無我夢中で駆け抜けてきた感じがする。方角ぐらいは正解だったのだろうか。後ろを振り返る勇気のない私には、それを判断することはできない。私の足跡をたどって、「おわりに」まで無事到着した気長な方が、仮にいたとしたなら、その方に問うことにしよう。
暗闇の中を出口まで導いてくださった、野浪正隆先生、ご指導ありがとうございました。野浪先生のおだてて伸ばす教育は、今後の私の教育観にも、大いに影響を与えることと思います。
途中何度も暗闇に飲みこまれそうになった私に声をかけ、励ましつづけてくれた友人、家族、表現ゼミのメンバーにも感謝しています。皆さんの協力のおかげで、なんとか卒業論文を書き上げることができました。
ありがとうございました。
平成14年1月31日 盛園 正人
……なんとか提出期限に間に合った。今は朝の九時。提出までは、まだ八時間も残っている。学校へ行ってプリントアウトをし、黒表紙に閉じることを考えても二時間はあまる計算だ。
……こんなに早くに誰からの電話だ。……待てよ、今日は本当に31日だよな。そういえば昨日の夕方から、私宛てに電話が何本も入っていたそうだが、誰からだったのだろう。
今鳴っているこの電話に出る勇気が私には、ない。