平成14年度卒業論文

宮本輝小説作品における回想場面配列法 
 
 
〜短編小説を資料にして〜

 
 
 
 
 
片山美幸
 
 
 
 
 
 




目次



序章  研究概要

 第一節 研究動機
 第二節 研究目的
 第三節 研究対象の性格

第一章 課題解明の方法

 第一節 先行研究の整理
 第二節 場面構成
 第三節 回想が行われる形式と回想を行う人物の特徴
 第四節 回想場面周辺の表現
 第五節 回想の内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性
 第六節 作品における回想場面のはたらき

第二章 作品から見た分析結果

 第一節 個々の作品分析
 第二節 作品分析表

第三章 分析項目から見た分析結果と考察

 第一節 場面構成
 第二節 回想の形式
 第三節 回想場面周辺の表現
 第四節 回想の内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性
 第五節 作品における回想場面のはたらき
 第六節 回想内容のタイプとはたらきの関連性

第四章 まとめと今後の課題

 第一節 まとめ
 第二節 今後の課題

おわりに

作品・参考文献一覧

                      本文: 400字詰め原稿用紙 128枚分











 

序章  研究概要






 

第一節 研究動機



 以前から宮本輝の作品は好きで読んでいた。宮本輝といえば、「優駿」「春の夢」「錦繍」のような長編小説が有名であるが、実は短編小説もすばらしい作品が多い。宮本輝の短編小説に多く見られる作品構成パターンは、主人公が語り手となり、過去の自分を振り返っていくものだ。過去とは、遠い昔の少年時代であったり、思春期真っ只中の青年時代であったり、ほんの5年前だったりする。

 読んでいるうちに、最初は現在の話のはずなのだが、いつ間にか主人公の過去の思い出に引き込まれていることに気づく。一体どこから過去になったのか私はもう一度注意深く読み直してみないとわからない。不自然に感じず、ストーリーが過去に移行したのに気づかないのは、巧妙に現在と過去の文章をつなげているからだろう。ここに、宮本輝短編小説の魅力の一因があるのではないだろうかと考えた。私は、この現在から過去へとストーリーが移行していく回想場面の表現方法について調べたいと思い、卒業論文の題材にすることとした。

 

第二節 研究目的





 回想場面は小説や物語に多用されており、そこに作者の意図する主題と深く関わってい
る内容が描かれているものが少なくない。しかし、回想場面についての研究というのはあ
まり聞いたことがないのではないだろうか。

 本研究では、宮本輝の短編小説のみを対象と
して、宮本輝独自の作品の中での回想場面の組み込み方、作品における回想場面の効果な
ど、回想場面が持つ要素を色々な観点から解明していきたいと思う。



 

第三節 研究対象の性格



 宮本輝の作品については様々な評価がなされているが、本研究では短編小説のみを研究対象としているので、彼の長編作品についての書評については触れないことにする。
 宮本氏は短編集『真夏の犬』(文藝春秋 1993年4月)のあとがきにおいて、彼の書く短編小説と長編小説の違いについて以下のように述べている。

・・・・・・短篇でなければ成立しないテーマやモチーフもあるでしょうし、長篇でなければ構築しえない小説世界もあるのです。しかし、もっと別の視点でその違いを考えてみて、私は当時、次のような私論を述べました。
 建物と、それを建てるために組んだ足場との関係を譬喩に使ってみたのです。つまり、組んだ足場だけを見せて、その中にどんな建物が隠されているのかを、読者のそれぞれの心によって透視させるのが短篇小説であり、足場をすべて取り払って、構築された建造物の外観を披露し、内部がいかなる間取りなのかを考えさせるのが長篇小説ではないのか、と。・・・・・・(p.225)


 この言葉通り、宮本輝の短編はどれもはっきりとした外郭を表していない。必要最低限の情報だけを読者に与え、そこから先は読者に考えさせる。それゆえ、一回さらっとよんだくらいでは作品の奥深くまでは到底読むことができないのだ。

 来生えつこは上記の宮本輝のことばについて以下のように述べている。

……あとがきで氏は、短篇小説と長篇小説の違いを述べていて、書き方のテクニックというか、構築の違いを言っている。あきらかに氏は、自分のテーゼを持って認識しつつ、短篇を書き、長篇小説と区別している。
 純文学畑の作家は、私小説よりだったり、その作家の持つ匂いや感覚、筆致だけで読ませようとするところが多く、時に独善的であったりして、そこが今読者離れしている種だろう。
 が、そういうところをかすめつつ、すりぬけつつ、氏はこの短篇郡を書きあげている。少年時代を描くと、時に個別の世界になってしまって、普遍性に欠けてしまう場合があるが、氏の場合は、場所は違っても、じわっと同世代の匂いが漂う。


…(中略)…


 軽い若い子向きではなく、読み手の深さも要求される。混乱させられつつも、必死に向う側を読み取ろうとさせられることは、もしかしたら氏の手中にはいったことになるのか。……
(『新潮』四月臨時増刊 宮本輝 平成十一年四月 p.77)


 また同雑誌の中で、野谷文昭は彼の短編作品について次のように述べている。

……彼の短篇の多くが回想形式をとり、主人公が、少年時代あるいは学生時代遭遇した事件について語り、現在の視点でその意味を問い直すという形になっているのも、その事件の宿命性を問題にしているからである……
(『新潮』四月臨時増刊 宮本輝 平成十一年四月 p.76)


 来生氏の「少年時代を描くと」というのは私が前述している研究動機でいうところの回想場面のことである。「時に個別の世界になってしまって・・・じわっと同世代の匂いが漂う」というのは、研究動機で述べた「最初は現在の話のはずなのに、いつ間にか主人公の過去の思い出に引き込まれていることに気づく。一体どこから過去になったのか私はもう一度注意深く読み直してみないとわからない。」ということと酷似している。

 このことから私が宮本輝の短編作品を読んで抱いた印象は、彼の短編作品の一特徴といえる。そして野谷氏のことばからも、宮本輝の短編作品と回想場面は切っても切れない関係であるといえるだろう。






 

第一章  課題解明の方法







 

第一節 先行研究の整理



 回想場面についての先行研究を調べたところ、全て以下の例にあげているような古典を資料とした古典文法における過去の助動詞の研究であった。それゆえ、私の研究の参考文献に成り得るものは見当たらなかった。

 「蜻蛉日記の回想表現」伊藤 博[平安文学研究]46〈1971年 6月〉
 「紫式部日記における回想叙述の形態と方法」宮崎 荘平[藤女子大学国文学雑誌]11〈1972年 3月〉


 

第二節  場面構成



 作品中に含まれている回想場面の数、作品中に占める回想場面の割合や、作品の始まりと終わりが現実場面か回想場面かを分析する。(ここで「物語現在地点」ということばを用いているが、これは作品中で現実世界が描かれている場面である。しかし、現実世界と言い切ると正確な意味で現実にはならない場面も出てくるので、「物語現在地点」ということばで表現した。)
 作品の始まりも終わりも現実場面なら「現実−現実型」、始まりが現実場面で終わりが回想場面なら「現実−回想型」、始まりが回想場面で終わりが現実なら「回想−現実型」、始まりも終わりも回想場面なら「回想−回想型」として分類する。


 

第三節 回想が行われる形式と回想を行う人物の特徴



 次に回想の行われる形式について分析する。大まかに分ければ、回想が回想を行っている人物(この人物を以下において、「回想主」ということにする。)の頭の中で行われているか、または他者に語るという形をとって会話中で行われているかである。
 

 

第四節 回想場面周辺の表現



 これは、回想場面に入る直前と回想場面の最初、回想場面が終わる最後とその直後の文章表現に着目するということである。

 以下に「西瓜トラック」という作品を用いて、分析方法の例をあげる。
 
 
……そして、こんどは土曜と日曜を挟んで合計五日くらいの休みを取り、どこかうんと北の方の海を見に行こうかなどと、手帳を開いてスケジュールを練りながら、時間をすごすのだ。
 

(回想始まる)


  ぼくが大学に進むのを止めて、高卒のまま公務員になろうと決心したのは、自分のお金で好きなように旅行がしてみたかったからだ。初めに勧めてくれたのは、近くに住んでいる従兄だったが、父に相談すると、
 「こんな時代やから、市役所あたりに勤めて、地道に暮らすほうが利口な生き方かも知れへんなァ」
 とあまり気の進まない口調で賛成してくれた。
 

(中略)


 ぼくは採用試験に合格してしまい、心の奥に少し残っていた大学へも行ってみたいという未練は、きれいさっぱり捨ててしまわねばならなくなった。志望者が多かったから、成績の良くないぼくのような者が合格できたのは、とても幸運なことだったからだ。


(回想終わる)


 ぼくは、海辺に旅をするのが好きだ。ひとり電車を乗り継いで、田園や枯野や山峡を、海に向かってひた走って行くのが好きだ。そして、ふいに前方が展けて海が見えた瞬間、ぼくは心に不思議な勇気を抱くことができる。そのときだけ、ぼくは、生きていることをしあわせだと感じることができる。……
   (『星々の悲しみ』文春文庫 1984年8月 「西瓜トラック」pp.70-71)

 
 この文章では、回想場面の始まる直前の一文が「物語現在地点での主人公の行動の記述」、回想場面の最初の一文が「回想場面での主人公の心理の記述」、回想場面の最後の一文が「回想場面での主人公の状況の記述」、回想場面が終わった直後の一文が「物語現在地点での主人公の心理の記述」ということになる。
 一つ一つの回想場面について見ていくと、作品によって回想場面の数が違うので比較しにくい。その為、ここでは全作品における最初の回想場面周辺の表現分析に限定することにした。

 

第五節 回想の内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性



 回想の内容に特徴があるのかをみる。多くの作品が少年時代や青年時代の思い出だが、回想の思い出が主人公に与えた影響と回想後の主人公の変化という観点から、回想の内容が持っている性質をいくつかに分ける。     
 

 

第六節 作品における回想場面のはたらき


 
 回想場面の作品に対するはたらきを考える。作品の中で「主な話題」となるパターン、
「説明」的な役割をはたしているパターン、「主題を支える」役割をはたしているパタ
ーンなどに分類される。 
 

 

第二章  作品からみた分析結果





 

第一節 個々の作品分析


 
 作品ごとの詳しい分析例として、「駅」という作品の分析過程をのせる。以下の分析作業と分析表をもとに作品分析を進めていった。分析表の例は、第三章の第一節において「トマトの話」の分析表をのせているのでここでは省略する。

 「駅」〈真夏の犬〉

○あらすじ


 主人公は田所俊直という五十歳くらいの男で、能登にある能登鹿島という駅に電車で向かっているところである。能登鹿島に向かう電車のなかで、自分より十四、五歳若いと思われる男と二十四、五歳の女の二人連れに目がいった。そのうち、女だけが笠師保駅で降りたが、男はその後ろ姿を一瞥もせず、列車が動き出したあとも、ずっと視線を海に投じていた。やがて能登鹿島に着いた。偶然乗り換えをする為に例の男も能登鹿島で電車を降りた。能登鹿島駅は無人駅で、春になるとすばらしく美しい桜のトンネルができた。今は五月の連休あけで、ホームに降りたのは田所と男だけだった。田所はホームのベンチに座ると、持ってきた地酒を飲み始めた。そこに男が近づいてきて田所に話しかけた。ぽつりぽつりと会話をするうちに田所は「自分はこの駅と決別の酌を交わすつもりで出向いてきたのだ」と話し始める。


(回想始まる)


 田所は三ヶ月に一度、東京から金沢に出て、金沢で一泊し、この駅まで来て二時間ほどプラットホームや駅舎の中ですごし、東京に戻るという生活を六年間続けた。それは浮気相手の春子と二人の間にできた娘に会いに来る為だった。田所は父の事業を受け継ぎ、経済的に余裕があったので、子どもができたとき春子の好きにさせてやろうと思った。春子は能登鹿島というところにいる知り合いのおばあさんの家に部屋を借り、そこで子どもを育てるつもりだと言った。春子が田所に出した唯一の条件は、生活費を三ヶ月に一度自分でこの駅まで届けに来て欲しいというものだった。田所は春子との約束どおり、三ヶ月に一回能登鹿島を訪れ、春子と娘に駅で会った。しかし、春子は決して駅から出て田所を自分が住んでいるところへ案内することはなかった。
 田所には大恋愛の末、学生結婚をした二歳年下の妻がおり、子どもも二人あったが、春子との関係ができてからも妻への愛は変わることがなかった。田所が二十代後半で結核にかかり、三年間の療養所生活をした時も妻の笑顔に助けられ、妻への愛情はどんどん膨らんでいったのだった。田所が仕事に復帰したのは三十一歳の時で、春子と会ったのは四十歳になった時だった。春子はその時二十四歳で、取引先の社長の秘書だった。非常にてきぱきと仕事をこなし、そのくせとげとげしさがない健康的なお嬢さんといった感じで、偶然あって何度か食事をするうちに恋愛関係になってしまったのだった。春子に子どもができて、田所が能登鹿島に通うようになってから三年後、田所の妻が死んでしまった。田所は妻が死んでからも二年間その事は春子には言わず、三ヶ月に一回能登鹿島を訪れて春子とだんだん大きくなっていく娘に会っていた。そして妻の三回忌が終わってから、春子にそのことを告げ、色々と問題はあったが春子と再婚した。


(回想終わる)


 男は田所の妻は死ぬまで田所と春子のことを知らなかったのかと尋ね、田所は知らなかっただろうと答えた。

○本文


 能登の桜の時期も終わり、五月の連休あけで、しかも平日だったので、七尾線の輪島行きには、少ししか客はいなかった。雨雲は、七尾湾の西側から早い速度で太陽を覆い、海と列車内を一気に真っ暗にさせたあと、霧雨すら落さないで富山湾のほうへ去っていった。
 田所俊直は、用心のために持って来た薄手のレインコートを膝に乗せ、自分より十四、五歳若いと思われる乗客の一人を眼鏡越しに盗み見た。その男は、金沢駅のプラットホームでも、七尾駅で各駅停車の列車に乗り換える際も、二十四、五歳の女と一緒だったのだが、ついさっき、女だけが笠師保駅で降りた。男は、そのうしろ姿を一瞥もせず、列車が動き出したあとも、ずっと視線を海に投じている。


(中略)


 田所はベンチに坐った。桜の枝が頭上にあり、その何本かは、彼の目の近くまで垂れて、新しい小粒な葉が海の明るさに水を差した。
 話しかけてきたのは、男のほうからであった。男は、線路上に設けられた歩道を渡って、いったん上り線のプラットホームに行き、しきりに腕時計を見たあと駅舎に入り、やがて再びプラットホームに戻って、行ったり来たりしたあと、下り線のプラットホームでのんびり酒を飲んでいる田所を見つめてから、所在なげに線路を渡ると、田所の近くまで来た。
 「お花見ですか?」
 と男は訊いた。田所は右手で蒲鉾のひときれをつまみ、右手で冷酒の入った紙コップをかかげると、体全体の肉づきと比してとりわけゆたかな頬をやわらげて、
 「一献、いかがです?」
 と誘ってみた。穏やかな日差しを受けた男の顔には、無頼の翳も不潔感もなく、道ならぬ恋にまだ終止符をうっていない青年に共通の、わざとらしい人なつっこさが漂っていたからだった。


(中略)


 「ここの駅がお好きなんですか?」
 と青年が田所を見て訊いた。田所は、しばらく酔いの仕業による物思いにひたり、歯ごたえのある、塩気のきつくない蒲鉾を味わってから、
 「好きなのか嫌いなのか、私にとっては、訳のわからん駅ですよ」
 と言った。
 「十年前は、ここにこんな無人の駅があるなんてことも知りませんでした。それなのに、六年間、この駅に通いつづけました。


(中略)


 私は、この能登鹿島の駅を、最近ひどく憎むようになったので、きょうは、つまりこの駅と訣別の酌を交わすつもりで出向いてきたというのが、一番適当な言い方かもしれません」
 訣別という言葉は正しくないな、いちおうすべては丸く納まったように見える出来事に対する、自分の内的決着の儀式というほうが正確かもしれない……。田所は、鯛寿司を頬張り、指についた飯粒を前歯で取りながら、そう思った。
 「お仕事で、東京からこの駅に通ってらしたんじゃないんですか?」
 青年の言葉に、田所はかぶりを振った。昼間の酒の酔いのせいだと自覚しつつも、彼は見も知らぬ行きずりの青年に、この駅にまつわる自分の何年間の思いを語り、それによって決着の儀式にある種の明確さをもたらそうと考えたのだった。ご迷惑でなければと前置きし、山あいの近くで叫びだした猛禽の声に多少動揺しながら、彼は話を始めた。


【回想T始まる】


 ――私は、大学生の時に結婚しました。私が四年生で、妻は二年生でした。気恥ずかしい言い方ですが、私はひとりの女に、あんなにも烈しく恋をするなんてことは、一生に一度あるかないかに違いないと思いました。父は、私がそのことを告白すると、困った顔つきで笑い、すべての恋は、みんなそんなものだと言って相手にしませんでしたよ。今になって思えば、もっともな話です。私が父でも同じ事を息子に言ったでしょう。ですが、私の両親も、相手の両親も、お互いがまだ大学生同士でありながら、結婚を承諾したのは、私たちのあいだに子供ができたからです。妻の両親は、厳格でしたが、結構さばけた人物で、こうなったら一日も早く結婚式をあげなければと私の両親の尻を叩いたくらいです。
 妻は、本当に誰からも好かれる性格で、少しのんびりしすぎているのが難といえば難の、本当にきれいで、おおらかで、精神のどこにも汚れたものなんて持ち合わせていない娘でした。妻は、結婚式の十日前に大学を辞め、あくる年の三月、ちょうど私が大学を卒業するころに男の子を産みました。


(中略)


 さいわい、妻も息子も娘も異常はありませんでしたが、なんと私の母にうつってたんですよ。母子揃って、東京郊外の療養所に入院です。思えば、そのころが、妻にとって最も苦しい時代だったでしょう。息子を知人にあずけ、まだ二歳になるかならないかの娘を抱いて、妻は週に二回、私と母のために栄養価の高い料理を作って運びつづけました。母はごく軽症だったのと、開放性ではなかったので、一年で自宅療養が許されましたが、私は、三年半、療養所生活をおくりました。私にとって、なによりもありがたかったのは、妻の笑顔でした。ほんとうに、妻はどんなときでも笑っていたんです――。


【回想T終わる】


 田所は腕時計を見た。青年が乗ろうとしている金沢行きの列車が着く時分だった。そのことを告げると、青年は軽く手を左右に振り、
 「いや、まだこの駅についてのお話が始まらないようですから」
 と言って微笑んだ。
 「乗り遅れてもいいんですか?笠師保にお戻りになるんでしょう?」
 青年の横顔に驚きの表情が生じたが、それに関しては何も答えず、
 「どうぞ、お話をつづけてください。ぼくは、もう一杯頂戴しましょう」と言って、残り少ない酒を自分で紙コップについだ。


【回想U始まる】


 ――父は不自由な体で、必死に事業をきりまわりしていました。私が退院し、なんとか働けるようになったのは三十一歳の時ですが、父はそれを待っていたみたいに、二度目の発作で倒れ、五日間大きないびきをかきつづけたあと息を引き取りました。


(中略)


 それもこれも、私にはなぜか、妻の明るい笑顔が、何らかの不思議な力をあちこちにもたらしていたのではないかと思えてなりません。人生に一度は必ずある嵐をなんとか切り抜けながら、私の妻への愛情は、口では尽くせないほど大きく膨らんでいきました――。


【回想U終わる】


 金沢行きの列車が、海と山のあいだから見え、駅舎のベンチで待っていた地元の人が三人、プラットホームへ歩いていった。だが、青年は腰をあげようとはしなかった。田所はしばらく列車と青年を見やったが、背後からさらに近づいてきた猛禽の声に促された。


【回想V始まる】


 ――私が四十歳になったときです。取引先の社長の女性秘書に、ほんの少し心を動かされました。とりたてて美人というわけではありませんが、非常にてきぱきと仕事をこなし、そのくせとげとげしさのない健康的なお嬢さんでした。


(中略)


 ある日、私が外国のバイヤーとホテルで食事をとり、そのあとロビーで雑談していると、彼女がホテル内のブティックの前に立って、ショーウィンドウを覗いていました。私は声をかけました。気に入った絹のブラウスなのだが、自分には贅沢すぎて、買おうかどうか迷っている。彼女は恥ずかしそうにそう言いました――。


【回想V終わる】


 上りの列車は出ていった。田所は、こんどは霧雨ぐらいは降らせそうな雨雲が西の空に追ってきたのを見て、
「仮に彼女の名を春子ということにしておきましょう」
 と言い、四合壜の底に三センチほど残っている酒を青年につごうとした。しかし青年は遠慮して無理矢理それを田所の紙コップに注いだ。


【回想W始まる】


 ――私の自制心は、妻への愛情だけでなく、春子が妻子ある男性と一線を越えてしまった際の不幸を予測することで抑えられていました。春子は、それによって何ひとつ幸福を得られない……。ですが、何回か人目を忍んで食事をしたり、夜ふけの公園を歩いているうちに、自然のなりゆきというものに勝てなくなりました。


(中略)


 私は春子への愛情も、妻への愛情も同時にいっそう膨らんでいくのを感じ、春子がしたいようにさせてやろうと決めました。春子は、会社を辞め、この能登半島の、夫にも子供にも先立たれた老婆の家で暮らし始めました。


(中略)


 春子は四千グラムもある女の子を産みました。しかも安産で――。


【回想W終わる】


 青年はくすっと笑った。


【回想X始まる】


 田所は、女の子を赤い綿入れでくるんで、真冬の無人駅で自分を待っていた春子の、あきらかに母親らしくなった顔を思い出した。駅舎の瓦屋根には雪が重く積もり、ストーブが焚かれていても、隙間風がいびつな木造の建物から吹き込む待合室は湿った埃の匂いが渦を巻き、田所は金沢で買った蟹を持ったまま、ふいに襲ってきた肉欲を押し殺していたのである。


【回想X終わる】


【回想Y始まる】


 ――なぜ、子供を産んで育てる場所が、東京から遠く離れたこの能登鹿島でなければならないのか、私がいくら訊いても、春子は、「この駅が好きだから。それにヨネばあちゃんは、私の払う家賃で働かずにすむの」としか答えませんでした。


(中略)


 そして、私は三ヶ月に一度、たいてい多目の金を封筒にしまい、この駅に通いつづけたわけです。春子が、この駅から外に私を連れて行こうとしなかったのは、彼女もまた自分を抑えていたのでしょう――。


【回想Y終わる】


 田所は紙コップに残っている最後の酒を飲んだ。青年は足元に目を落とし、レールの鉄粉が染み込んで茶色い縞を為しているプラットホームの先端に視線を移すと、
 「さっき、この駅をひどく憎むようになったって仰言いましたが、それは、どういう意味なんです?」
 そう質問した。
 「春子が、能登鹿島で暮らし始めて三年後に、妻が死んだからです」
 と田所は、わざと風景を楽しんでいる目つきをして言った。


【回想Z始まる】


 「医者は結核だと決めつけました。俺がわずらったころよりも、はるかにいい薬ができてるよ。そんなの、すぐに直るさ。私はそう言ったし、実際そう思ったんです。しかし、二ヶ月たって、医者は診断をくつがえし、肺癌だと私に告げました。そしてその時は、もう手遅れになっていました。結核だと誤診されてから、たったの半年で、妻は亡くなりました」


【回想Z終わる】


 七尾湾の上空に、小さな虹があらわれた。雨雲は、まだ遠くにあったが、あのあたりでは細かな雨が舞っているのだろうと田所は思った。


【回想[始まる】


 「私は、妻が死んだことを、それ以後二年間、春子には黙っていました。そんなことはおくびにも出さず、三ヶ月ごとに、この駅に出向いては、だんだん大きくなっていく娘と、プラットホームで遊んでいました。


(中略)


 私は、妻が元気なころ、春子とこの駅で逢うたびに、もし何かのひょうしで、妻が死んだらと考えたりしたのです。私は、そんな自分の心を慌てて叱りつけ、たとえ冗談にせよ、そのような考えを浮かべるのは、なんという恐ろしい人間かと、自分で自分を責めつづけました。一度や二度ではありません」
 田所は、一区切り置くと、
 「でも、妻が死んで二年が過ぎ、三回忌を終えて、私は春子に妻の死を伝えました。まあ、いろんな問題はありました。亡くなった妻とのあいだにできた娘は、当時二十歳で、親父に反対されそうな自分の恋に夢中でしたので、いわば交換条件みたいに私を許したのです。私は春子と再婚し、いま、とりたてて大過なく暮らしています。息子は二十七歳になり、外国系の航空会社に勤め、ウィーンに駐在して丸一年たちました。先日、国際電話で、新しい母親と腹違いの妹にウィーンに遊びにこないかと言ってきました」


【回想[終わる】


 田所は、さらに何か言おうとしたが、猛禽の声が、他の野鳥を騒がせたので、そのほうに驚いて振り返った。彼は立ちあがり、梢の奥に、空の四合壜を投げつけた。
 「亡くなった奥さんは、あなたと春子さんとのことは、最後までご存じなかったんですか?」
 青年の問いに、田所は、
 「ええ、知らなかったでしょう」
 と答え、それも空になった蒲鉾の容器を、山肌の梢めがけて投げた。霧雨が海のほうから降ってきた。
 青年は、その霧が、まるで目に沁みるかのように、眉根に皺を寄せて見入ってから、ふいに足元の小石をひろい、猛禽の声のするほうへ投げた。


○回想のきっかけとなった出来事



 自分の過去に句切れをつける為に来た駅で、昔の自分と同じような境遇にいると思われる青年と出会う。

○回想の世界が意味するもの



 これまでの主人公の人生

○回想に入るときと回想が終わるときの叙述の形態



  T、現実世界での主人公の行動描写――回想場面での登場人物(妻)の行動の記述
  U、聞き手である登場人物の行動描写――回想場面での主人公の心理の記述
  V、現実世界での主人公の行動描写+場面の情景描写――回想場面での登場人物(春子)の行動描写
  W、聞き手である登場人物の行動描写――回想場面での登場人物(春子)の行動の記述
  X、聞き手である登場人物の行動描写――回想場面での主人公の心理描写
  Y、回想場面での主人公の心理描写――回想場面での登場人物(春子)の心理の記述
  Z、現実世界での主人公の行動描写――回想場面での登場人物(妻)の行動の記述
  [、現実世界での主人公の心理描写――回想場面での登場人物(息子)の行動の記述  



○回想後の主人公の変化


 ・過去に区切れをつける
 ・第二の人生を歩く決意をする

○場面設定の配列


 
  現在(過去と訣別するために能登鹿島の駅に行き、男と会う)
   ↓
  回想T(妻との結婚・結核をわずらう)
   ↓
  現在
   ↓
  回想U(結核完治・父の死・仕事がうまくいく・妻への愛)
   ↓
  現在
   ↓
  回想V(春子との出会い)
   ↓
  現在
   ↓
  回想W(春子との関係・春子が子供を産む)
   ↓
  現在
   ↓
  回想X(娘が生まれた時の駅での春子との思い出)――主人公の心の中での回想
   ↓
  回想Y(駅での春子との思い出)
   ↓
  現在
   ↓
  回想Z(妻の死)
   ↓
  現在
   ↓
  回想[(妻の死後における主人公と春子との関係)
   ↓
  現在


○回想が頭の中で行われているのか・他者に語る形で行われているのか


・他者に語る形
 

○回想場面における表現上の特徴


 ・聞き手に実際に語っており、回想が現在からみてかなり以前の出来事のもの(妻の死以前)は“――”で区切られている【回想T〜回想W、回想Y】
 ・主人公の頭の中で行われている回想には何もついていない【回想X】
 ・聞き手に実際に語っており、回想が現在からみて二、三年前の出来事のもの(妻の死以後)は、“「 」”内で主人公が語っている【回想Z〜[】

○猛禽について


 回想Tでは猛禽の声に動揺し、回想Vでは促されて回想を続けるが、回想[が終わったところで驚かされ、石を投げる。
 →猛禽は主人公の過去?今までの人生の象徴?

○回想している部分の作品における働き


 主な話題を支えるもの・説明

○主題


 ・妻への愛と愛人への愛
 ・過去に区切りをつけ、第二の人生を歩もうとする姿

○主題が回想に重点を置かれているか現実に置かれているか


 主題が「過去に区切りをつける」というものなので現実世界に主題がおかれている

このように作品を一つずつ詳しく分析していき、そこから課題解明に必要な項目を選んで表にした。


 

第二節 作品分析表


 
 第一節で紹介した分析方法により得られた結果のうち、課題解明に有効な項目だけ選び出し、作品別に表にまとめたので、次のページにのせておく。


作品名回想を行う人物の特性頭の中か、他者に語っているのか回想の内容回想の内容が主人公に与えた影響回想のタイプ回想後の主人公の変化作品におけるはたらき説明の種類作品における回想部分の割合回想場面の数回想する人物の一人称文末表現始まり終わり回想Tの直前の叙述回想Tの初めの叙述回想Tの終わりの叙述回想Tの直後の叙述
30代くらいの男・会社員頭の中で行っている小学校に初めて一人で登校する精神的に少し成長した思い出し型明日に向かって強く生きて行こうと思う主な話題の提示なし902常体現実現実物語現在地点の主人公の心理の描写回想場面の主人公の行動の描写回想中の主人公の行動の描写物語現在地点登場人物の行動の描写
赤ん坊はいつ来るか40代前半の男頭の中で行っている小4の時に川で捨てられた赤ん坊を見つける忘れられない思い出になっている  特殊型なし主な話題の提示なし601ぼく常体現実回想物語現在地点の主人公の心理の記述回想場面の(ある物体についての)状態の記述回想中の登場人物の行動の記述なし
力道山の弟40代前半の男頭の中で行っている力道山の弟と名乗る大道芸人を巡る小学校五年生の思い出きっかけ型父のことを思い出す主な話題の提示なし952常体現実回想物語現在地点の状況の記述回想場面の状況の説明回想場面の主人公の行動の記述(ある物体についての)時間の経過についての説明
暑い道30代くらいの男頭の中で行っている ある少女をめぐる青春時代の思い出忘れられない思い出になっている きっかけ型懐かしい思い出に浸り、現在の状況を嬉しく思う主な話題の提示なし707常体現実現実物語現在地点の登場人物の行動の描写回想場面の登場人物の行動の記述回想場面の登場人物の行動の記述物語現在地点の主人公の心理の描写
チョコレートを盗め43歳の男・会社員頭の中で行っているある少女をめぐる思い出今までずっと忘れていた(花枝と男の会話から思い出した)説明型なし主な話題の提示・説明時代背景 舞台状況 登場人物の性格407常体現実回想物語現在地点(ある場所についての)状況の記述過去における(ある場所についての)状況の記述過去における(ある場所についての)状況の記述物語現在地点(ある場所についての)状況の記述
五千回の生死34歳の男・デザイン事務所経営他者に語っている主人公の大学時代の思い出回想の出来事後の生き方に深く影響を与えた(情で動く人間になる)思い出し型再度自分の生き方を確認する主な話題の提示・説明主人公の置かれていた状況 時代背景 主人公の人間性981常体現実現実物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写)物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写)物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写)の中での回想場面の主人公の行動の記述物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写)
階段40代くらいの男頭の中で行っているこれまでの主人公の人生 主人公の生きていくことの意味貧乏な人々が住むアパートに嫌悪感を抱くきっかけ型自己嫌悪になり、それから前に進む決意をする主な話題を支えるもの992敬体現実現実物語現在地点の(あるものについての)状態の記述回想場面の(あるものについての)状態の記述回想場面での登場人物の行動の記述物語現在地点での主人公と兄との関係の記述
眉墨70歳の女他者に語っている         これまでの自分の人生説明型なし説明 登場人物のこれまでの人生201常体現実現実物語現在地点の主人公の心理の記述物語現在地点の登場人物の行動の記述回想場面の登場人物の行動の記述物語現在地点の状況の記述
西瓜トラック19歳の男・市役所の職員頭の中で行っている西瓜を売る男との思い出未知の世界への関心思い出し型男のことや若かった自分の姿を懐かしく思う主な話題の提示・説明登場人物のこれまでの人生604ぼく常体現実現実物語現在地点での主人公の行動の記述回想場面での主人公の心理の記述回想場面での主人公の状況の記述物語現在地点の主人この心理の記述
トマトの話男・会社員頭の中で行っている大学時代のアルバイトトマトが食べられない特殊型なし主な話題の提示・説明主人公の家の位置951ぼく常体現実物語現在地点の主人公の行動の描写回想場面の主人公の行動の描写回想場面の主人公の行動の記述回想場面の主人公の行動の描写
香炉42歳の男・会社員頭の中で行っている 他者に語っているある少女への恋心二十年たった現在も忘れられない出来事になっているきっかけ型少女を探しに行く主な話題を支えるもの・説明 登場人物のこれまでの人生702常体回想現実なし回想場面での主人公の行動描写(冒頭から回想場面)回想場面での主人公の心理の記述物語現在地点の主人公の行動の記述
51歳の男・会社経営他者に語っているこれまでの主人公の人生 妻も愛人もどちらも大切にしたいと思うきっかけ型過去に区切れをつける 第二の人生を歩く決意をする主な話題を支えるもの・説明主人公のこれまでの人生 登場人物の人間関係508敬体現実現実物語現在地点での主人公の行動描写回想場面の主人公の行動の描写回想場面での登場人物(妻)の行動の記述物語現在地点での主人公の行動の描写
昆明・円通寺街40歳代の男・会社員頭の中で行っている主人公とその親友との幼少時代と高校時代の思い出きっかけ型親友の死を受け入れる主な話題を支えるもの・説明時代背景 舞台状況 登場人物の性格 402常体現実現実物語現在地点の主人公の心理の描写回想場面での主人公の行動の記述回想場面での登場人物の行動の記述物語現在地点での主人公の行動の記述


 

第三章  分析項目からみた分析結果と考察






 

第一節 場面構成



 初めに作品中に組み込まれている回想場面の数と作品に占める回想場面の割合(%)であるが、以下のような結果になった。




  


    
 両者を合わせて見ると、回想場面の数が少ない作品ほど回想場面が作品に占める割合は高くなるものが多いことがわかった。回想場面が1つまたは2つで、かつ作品に占める割合が90パーセント以上の作品が幾つかある。この場合は、回想場面が作品の主な話題となっていて、回想場面の説明としてのはたらきはあまりない。

 次に作品の初まりと終わりが現実場面か回想場面かという観点から調べた結果、13作品の中で最も多かったのが、現実場面から始まり、現実場面で終わる「現実−現実型」で、「回想−回想型」はなかった。




 「その他」というのは、「トマトの話」という短編である。「トマトの話」は回想場面が一つしかなく、物語は現実から始まる。しかし、回想場面の終わりが曖昧で、現実に戻ったのか回想場面のままなのか判断しきれずに物語が終わってしまう。 

 次のページに載せた「トマトの話」の分析表を参照していただきたい。「トマトの話」の回想を行う人物は小野寺という会社員である。文章の前についている数字は物語全体を通しての文番号である。なお、「39−1」・「39−2」というふうに最初の数字が同じでハイフンがついているものは、元は一文だが文の途中で叙述の対象が変わるため、分けて分類したことを示す。








○「トマトの話」分析表





状況心理行動
回想前   39−1高校生のときも、大学生のときも、数え切れないくらいアルバイトをやったと小野寺が答えると、
39−2カラスも美津子も、その中でいちばん思い出に残っていることを話せとせっついた。  40小野寺は鍋焼きうどんを食べ終えて時計を見た。
41一時まであと四十分あった。 42−1四十分で話し終えることは出来そうにないからと断ったが、
42−2ふたりはいやに小野寺の話を聞きたがって承知しなかった。  43小野寺は煙草に火をつけて、煙を胸の奥深くに吸い込んだ。
 44すると、ふいにあの最後の朝のぎらつく太陽が心の中いっぱいに膨れてきて、なぜか話さずにはいられない気持になってしまったのである。
  45それで彼は手短に終えるつもりで語り始めたのだが、脳裏に映し出されてくるさまざまな映像に精神が没入していくに従って、自分でも異様に感じるほどの興奮にかられていった。
  46彼は、自分らしくない笑みを作って話しつづけた。
回想場面47−1ぼくが大学の三年生のときに父が死んだ。商売に失敗して多くの借財をかかえたうえでの父の死だったから、
  47−2ぼくと母は借金取りから逃れて、大阪のはずれの小さな町のアパートに、六畳一間を借りてそこに夜逃げ同然の格好で引っ越した。
48母は新聞広告で、大阪市内のあるビジネスホテルの社員食堂に勤め口を捜し、そこで働くことになった。 49−1ぼくは父が死んだとき大学を辞める決心をしたのだが、
49−2あと二年なら、何とかアルバイトをしながら卒業出来るかも知れないと思い直し、49−3ある夏の昼下がり、天満の扇町公園の傍にある「学生相談所」に行った。
  (中略)
349死期を知った江見弘は、最後の力をふりしぼって、川村セツという女に手紙を書いたのだ。  350ふたりが、どんな関係であったのか、ぼくには判らない。
351けれども、きっとあの下手くそな字で書かれた出紙には、ふたりにとってとても大切なことがしたためられてあったことだろう。351けれども、きっとあの下手くそな字で書かれた手紙には、ふたりにとってとても大切なことがしたためられてあったことだろう。
  352ぼくは、何とか宛先の鹿児島県という字の次に書かれていたものを思い出そうと努めたが、まったく覚えていないのだった。
 353また仮に覚えていたとしても、ぼくはその手紙のことを、どうやって川村セツという女性に説明したらいいだろう。 354ぼくは地面と照りつける朝日を、何度も交互に見つめた。
355−1大学を卒業してこの広告代理店に勤めるようになってからも、  355−2ぼくはどうかした瞬間、男がトマトを両手に握りしめて涙ぐんでいた姿を思い出してしまう。
 356スポンサーと打ち合わせをしているとき、それは突然ぼくの心に膨れあがる。357−1終電車の座席に腰かけて、酔った顔で窓ガラスに映る自分の顔を眺めていると、
 357−2血の海の中に転がっていた腐った五つのトマトが、猛烈な勢いで目の前を走り過ぎる。
 358すると決まって、鹿児島県、川村セツ様という文字が体の奥深くから亡霊のように、浮きあがってくるのだ。359そんなとき、ぼくはまるでそれが自分の病気みたいに、あの男にとって、トマトとはいったい何であったのか、手紙にはあの男にとってどんな大切なことが書かれていたのかと考え込んでしまう。
 360あの手紙は必ず、伊丹の昆陽の、大きな交差点のアスファルトの下に、今も埋まっていると、ぼくは確心している。
 361トマトを見ると、あのときのことを思い出して哀しくなるというのではない。
362血のかたまりみたいだった腐った五つのトマトの映像が、ぼくを気味悪くさせるというわけでもない。 363けれども、ぼくはあれ以来、ただのひときれも、トマトを食べたことがない。




 回想場面は、354「ぼくは地面と照りつける朝日を、何度も交互に見つめた。」で終わっているのだが、それ以降の355−1「大学を卒業してこの広告代理店に勤めるようになってからも、……。」〜363「けれども、ぼくはあれ以来、ただのひときれも、トマトを食べたことがない。」までの部分は現実世界に戻ったと断定していいのか疑問である。この作品の回想の形態は他者に語る形をとっている。しかし、355〜363は他者に語っているという印象が感じられない。どちらかというと、小野寺が心の中でつぶやいているように感じられる。そう考えると、この部分は回想場面の延長上である。しかしこれもまた断定はできない。それゆえに「その他」と分類した。





 

第二節 回想の形式


次に、回想が行われる形式についての結果を以下のグラフにまとめた。回想が回想主の頭の中で行われているパターンが大多数であった。


 
 
 回想が頭の中で行われる場合と他者に語っている場合では、読み手に与える印象がかなり違う。回想が頭の中で行われて物語が進む場合、読者は他者に語る形式をとっている作品より回想世界に入り込みやすい傾向にあると考えられる。なぜなら、他者に語る形式をとっている作品の場合、「回想を聞いている第三者がいる」という感覚を回想中でもたびたび意識することになり、それと同時に読者は作品中の物語現在地点に意識が戻ってしまうからだ。私はここで、頭の中で行っている回想場面の方が、作品において重要なはたらきを持っているのではないかと考えた。逆にいうと、他者に語っている形式は、現実場面に作品の重点が置かれているのではないかということになる。このことは、あとで述べる回想のタイプを使って検証していきたい。

 回想する人物の特徴は、13作品中12作品の回想主の性別が男で、年齢は中年層が圧倒的に多く、10作品が30歳代から50歳代であった。また、文体は常体と敬体に分かれたが、常体の方が11作品と圧倒的に多かった。回想する人物の一人称は次のページのグラフの通りである。

 
 

 

第三節 回想場面周辺の表現


 作品の一番初めの回想場面に着目して調べ、回想場面直前・回想場面の最初・回想場面の最後・回想場面直後の一文について、それぞれ状況(状態)・心理・行動の三つの記述に分けて考えた。それぞれの場合についての結果は以下のようになった。


@回想場面直前の表現




 回想場面直前の一文は状況(状態)・心理・行動ともにほぼ同数である。「その他」とあるのは「香炉」という作品で、作品の冒頭が回想場面から始まっているので、回想場面直前の一文は存在しない。以下に「香炉」の冒頭部分を紹介する。

 私が、曹興民という若い中国人に包丁で切りつけられたのは、大学三年生のときだった。
 大きな包丁の刃は、私の眉の下をかすって、調理場の壁に立てかけてあったぶあつい木のまな板に深く刺さった。ほんのかすった程度で、たいした血も出なかったのに、二十年たったいまでも、私の眉の下には、長さ二センチほどの傷あとがある。曹興民は、そのときすでに睾丸の癌にかかっていて、七ヵ月後に死んだ。
(『真夏の犬』文春文庫 1993年4月「香炉」p.201)

 このように、「私が、曹興民という若い中国人に包丁で切りつけられたのは、大学三年生のときだった。」という冒頭の一文で、動詞に過去形を用い、「大学三年生のときだった。」と過去の事だという断定要素を付け足すことで、回想場面が始まると明確に表現している。
A回想場面の最初の表現




回想場面最初の一文は半数以上が行動の記述で始まっており、心理の記述から始まる作品は極端に少ない。

  
B回想場面最後の表現 




回想場面最後の一文は、回想場面最初の一文と同じく行動の記述が大半であり、心理の記述が極端に少ないということも共通している。
 
C回想場面直後の表現




回想場面直後の一文は、行動の記述が約半数、続いて状況(状態)、心理の順になっている。「その他」は「赤ん坊はいつ来るか」という作品で、作品が回想場面で終わっているため、回想場面直後の一文は存在しない。

続いて、前出の四つの文章表現を連続した二文ずつに分けて調べた。


D回想場面直前−回想場面最初の表現



 この場合、「行動−行動型」・「心理−行動型」・「状況−状況型」が多く、「行動」の記述が多用されているほか、「行動−行動型」・「状況−状況型」など、回想場面直前と最初の表現が同じものが多かった。「心理」の表現はほとんど使われていなかった。


E回想場面最初−回想場面最後の表現



 回想場面最初−回想場面最後の表現は「行動−行動型」が大多数で、続いて「状況−行動型」が多かった。回想場面直前−回想場面最初の表現と同じく、心理表現を使ったものはほとんどなかった。


F回想場面最後−回想場面直後の表現



この場合も、「行動−行動型」が最も多く、続いて「行動−状況型」が多かった。
 
 以上のことから、回想場面直前の表現にはばらつきがあったが、その他の回想場面周辺の表現は行動の記述が多く、心理の記述は極端に少ないことがわかった。どの回想場面周辺の表現にも共通していることは、心理の記述がとても少ないということである。
ここで、少数派の回想場面直前の表現が心理の記述である「力」という作品と、多数派である行動の記述で表現されている「暑い道」という作品を例に出して比較してみる。
 

○「昆明・円通寺街」(「心理−行動型」)



 円通寺の門前には車が駐車出来る広場があり、寺の朱色の柱は黄昏になじんで、そこだけ時間がずれているような気配である。私は、なんとなく寺の見物が億劫になり、円通寺街に小さな茶館があれば、そこでお茶でも飲んでいたいなと思った。どんな言葉でもいい、自分なりの別れの心を、石野への手紙の底に刻みたい、と。石野がもうすでに死んでいたとしても、それはそれでいいではないか……。


(回想始まる)


 私は、小学校のとき、この狭い円通寺街とよく似た場所で、泥まみれになって石野と遊んだ。尼崎市の駅裏の、夜になると十何人もの娼婦が並ぶ細い通りには、昼間、どこからともなくやってくる人間が露店を出し、たった三足の革靴を台に乗せて黙然と坐し、バナナを売る男が唾を飛ばし、口の利けない女が肌着を商い、私たちとそれほど年の違わない兄弟がタコ焼きを焼いていた。
(『五千回の生死』新潮文庫 平成2年4月「昆明・円通寺街」p.191)

○「暑い道」(「行動−行動型」)


 常連客らしい四人連れが店に入ってきて、声高に今夜のナイターの予想を始めた。会話のはしばしに、かなり遠方からタクシーで〈山本食堂〉のステーキを食べに来たことが窺えた。店のなかはふいに賑やかになり、尾杉はそれまでひそませていた声を少し大きくした。
「さつきを覚えてるやろ?」
 と尾杉は、幼い頃から何か訳ありな話を口にする際の癖を見せて訊いた。


(回想始まる)


 小学生のときも中学生のときも、高校生になっても、彼は周囲のおとなたちのあいだで巻き起こる事件などを真っ先に小耳に挟んできて、得意気に、しかもいかにも秘密めいた大事件であるかのように私たちを集めたものだった。たとえば、アパートの新しい住人が、親子ではなく、実は夫婦らしいといった類の噂を、尾杉は、自分よりも背の低い私たちをわざと上目遣いでひとわたり見つめ、舌を出すとそれで上唇をしばらく舐め、首を長く突き出して、そっと人差し指を立てるという手順ののちに、口をひらくのである。
(『真夏の犬』文春文庫 1993年4月「暑い道」p.37)

 
 両者を比べると、「心理−行動型」である「昆明・円通寺街」は何の前触れもなく「私は、小学校のとき、……」と回想場面の最初の文章が始まっている。一方「行動−行動型」の「暑い道」は、回想直前の文章で、「……尾杉は、幼い頃から何か訳ありな話を口にする際の癖を見せて聞いた。」と、尾杉の幼い頃の癖を行動の記述に出してきて、これからその幼い頃の話を回想することを匂わせている。そして、「小学生のときも中学生のときも、高校生になっても、彼は周囲のおとなたちのあいだで巻き起こる事件などを真っ先に小耳に挟んできて、得意気に、しかもいかにも秘密めいた大事件であるかのように私たちを集めたものだった。」と回想場面に突入する。
 このように、回想場面直前を心理の記述にすると、回想場面がいきなり読者の前に出現した印象になる。しかし、現実世界と回想場面の間に行動の記述を用いた文章でワンクッション置くことにより、読者はすんなり回想場面に入ることができる。心理の表現が極端に少なく、行動の記述が圧倒的に多いのは、行動の記述を用いた方が、読者がすんなり回想場面に入れる表現を作りやすいからではないかと推測される。

 

第四節 回想内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性



 まず回想の内容を次のように分類することにした。回想の内容自体に作品としての重点が置かれているものを「思い出し型」、回想を行うことによって回想主に起こる変化に作品としての重点が置かれているものを「きっかけ型」、回想の内容が主に説明の役割をはたしているものは「説明型」、どれにもあてはまらないものを「特殊型」とした。




 「思い出し型」の例として「力」という作品があげられる。回想の内容は回想主が小学一年生のとき、初めて一人で学校に登校し、その様子を陰から見ていた母から聞いた父が息子の成長を心から喜ぶというものだ。回想場面に見られる、「主人公の成長とそれを温かく見守る父の愛情」が作品の中で重要な位置を占めているので、「思い出し型」となる。

 「きっかけ型」の例には「昆明・円通寺街」という作品があり、回想主が親友との少年時代・高校時代の思い出を回想しながら、病気のために40代という若さで死んでいく親友の死を受け入れるというものである。「親友の死を受け入れる」という主人公の心理の変化がこの作品の重要なポイントであるため、「きっかけ型」となる。

 「説明型」の例には「チョコレートを盗め」という作品がある。この作品は回想場面の占める割合が低く、どちらかというと現実場面に重点が置かれている。回想場面は物語現在地点との比較要素として多用されている。例えば、主人公が故郷である尼崎を30年ぶりに訪れた時、現在の尼崎と30年前の尼崎を比べる場面があったり、久し振りに再会した旧友についての昔のエピソードが挿入されていたりする。これは時代背景や、舞台設定、登場人物の性格など、読者に必要な情報を与える為の説明に使われていると考えられるので、「説明型」となる。
 「特殊型」の例としては「トマトの話」があげられる。「トマトの話」は主人公が大学時代のアルバイトで経験したことを回想していくのだが、回想の内容自体が主人公に大きな影響を与えたというわけでもないし、回想することによって主人公に何らかの変化がおきるわけでもない。また、説明的要素を持ってもいない。しかし、回想の内容としてはそれのみで立派に一つのストーリーとして成り立っている。このような作品を「特殊型」とした。

 以上の観点から、回想の内容が主人公に大きな影響を与えたと考えられる作品は「思い出し型」と「きっかけ型」にあてはまるものであると考えた。「思い出し型」と「きっかけ型」を合わせると、13作品中9作品になる。宮本輝短編作品で描かれている回想の内容は、主人公にとって大きな影響を与えているものが多いといえる。



 

第五節 作品における回想場面のはたらき


 以下のグラフにまとめた結果、「主な話題となるもの」と、「主な話題となるもの・説明」が最も多く、続いて「主な話題を支えるもの・説明」が多いという結果になった。

 
 
 「主な話題となるもの」というのは、回想場面が作品の大部分を占めていて、現実場面がなくても、それ自体で一つのストーリーとして成り立つことができるような回想場面をさす。

 「説明」は、現実場面が占める割合が高い作品に用いられることが多く、作品の中心は現実場面にあり、回想場面がその補助的役割を担っているものである。時代背景・舞台設定・登場人物の性格描写などに用いられる場合が多い。

 「主な話題を支えるもの」というのは、作品の重要な部分は現実場面にあるが、回想場面を無くしてその重要部分を語ることができないというように、現実場面と密接にからみあっている回想場面をさす。
 

 また、「説明」の要素をもう少し細かく分類して分析した。



 回想場面に「説明」の要素が含まれる作品は8作品ある。一つの作品に複数の要素が含まれている場合もあるし、一つの要素しかない場合もある。上のグラフは作品の枠を取り外し、8作品に出てくる全ての要素をトータルで捉えたものである。グラフからわかるとおり、「時代背景」・「舞台状況」・「登場人物の性格」・「登場人物のこれまでの人生」がほぼ同数である。作品ごとに「説明」の要素を調べた結果、「時代背景」・「舞台状況」・「登場人物の性格」の三要素は必ず三つセットで作品における「説明」の要素になっていることがわかった。また、「登場人物のこれまでの人生」という要素は他の要素と一緒に出てくることはなく、それ一つで「説明」の要素として作品に含まれていることがわかった。


 

第六節 回想内容のタイプとはたらきの関連性

 
 4.4、4.5で分析してきた回想内容のタイプと回想のはたらきに関連性があるのかを調べる為、以下のグラフを作成した。



 ・「思い出し型」には必ず「主な話題の提示」のはたらきがある。
 ・「きっかけ型」に多い回想のはたらきは「主な話題を支える・説明」である。
 ・「説明型」には「主な話題を支える」はたらきはない。
 ・「特殊型」には「説明」や「主な話題を支える」はたらきはない。

 以上のことが言えるが、数にばらつきがあり、特に際立った数値は出てこなかったので、一概に断定することは難しいと考えた。






 

第四章  まとめと今後の課題

 



 

第一節 まとめ



 私は研究動機で、「読んでいるうちに、最初は現在の話のはずなのだが、いつ間にか主人公の過去の思い出に引き込まれていることに気づく。一体どこから過去になったのか私はもう一度注意深く読み直してみないとわからない。」と述べ、その原因を解明するためにこの研究を始めた。この疑問の答は、回想場面周辺の表現を分析することでその一端を発見できたと思う。分析の結果、回想場面直前の表現が行動の記述である場合は、回想場面に入ることを匂わせる表現が用いられている場合が多く、その為読者は自然と回想場面に引き込まれていくのではないかという考えにいたることができたのだ。しかし、この研究を進めるうちに、もっと多くの発見をすることができた。 
 小説に回想場面はつきものである。特に長編小説になると、回想場面の出てこないものはほとんどないだろう。この研究で一番強く思った事は、「回想場面の持つ可能性は大きい!」ということである。回想場面を上手く使いこなすことができることが作家になる為の条件ではないかと思うようになった。
 回想場面のはたらきといえば、まず時間の経過を表すことが思いつかれるだろう。しかし、ただ単に時間の経過を表す為だけに回想場面を用いている小説はあまり面白いものではないと、私は断言する。
 回想場面を使うことで、時代背景・舞台設定・人物の性格などのわざとらしい説明を避けることができる。また、伏線を敷いて作品に深みを持たせることも、回想場面を使えば容易で、効果的である。作品の主題と絡ませてみたり、回想場面に隠れた主題をふくませてみたり、まさに回想場面はオールマイティーな存在なのである。これからは、回想場面に注目した文学作品の読みをするのも面白いと思う。


 

第二節 今後の課題



 今後の課題として、まずこの研究で取り上げることが出来なかった宮本輝の残りの短編小説を分析することと、中編小説にも本研究の分析結果が当てはまるかを調べることがあげられる。また、他の作家の短編作品と比較してみるのも面白いのではないかと思う。
 また、本研究ではあまり触れることがなかったが、作品における回想場面と主題の関連性についても考えていかなければならないと思う。しかし、作品の主題を解明するということはとても困難なことである。多くの場合、主題は一つに絞られないし、読み手によっても受け取り方が違う。作品を書いた筆者にしか、これという主題は断言できない。その主題を定めたうえで、回想場面との関連性を分析することは困難だが、今後の課題にするにはふさわしいものだといえるだろう。




 

おわりに



 自分との長い長い戦いがついに終わりました。
 
 思えば、三月は今と全く違う研究題目を考えていました。それが二転三転し、やっと今の題目が決まったのは、なんと第一回卒業論文中間発表の前日でした。これでもかという程悩み考え抜いた末の題目決定だったので、「なぜ、こんな題目にしたのだろう……」という後悔はすることはありませんでした。しかし、参考文献も一つもない状況でどこから手をつけていいかわからず、本当に手探りの状態からの出発でした。
 
 進む方向がわからなくて道に迷った時、いつも的確な助言をしてくださった野浪正隆先生の、温かくきめ細かいご指導のおかげでこの論文を完成することができました。本当にありがとうございました。

 そして、いつも励ましあって一緒に頑張ってきた国語表現ゼミのみんな、ありがとう。卒業論文は自分との孤独な戦いだったけれど、くじけそうになった時、みんなもそれぞれ頑張っているのだと思うと、元気がわいてきました。私は表現ゼミに入れて、みんなと一緒になれて本当に良かったです。
 






 作品一覧



『星々の悲しみ』  文春文庫  1984年8月
  「西瓜トラック」 オール讀物昭和55年8月号
『五千回の生死』 新潮文庫 平成2年4月
  「トマトの話」 文學界 昭和56年11月号
  「眉墨」 新潮 昭和56年8月号
  「力」 文學界 昭和58年11月号
  「五千回の生死」 文藝 昭和59年1月号
  「昆明・円通寺街」 小説新潮 昭和62年1月号
『真夏の犬』 文春文庫 1993年4月
  「暑い道」 別冊文藝春秋 1987年夏(180号)
  「駅」 太陽 1987年7月号
  「階段」 文學界 1988年4月号
  「力道山の弟」 小説新潮 1989年3月臨時増刊号
  「チョコレートを盗め」 文學界 1989年3月号
  「赤ん坊はいつ来るか」 中央公論  文芸特集 1989年冬季号
  「香炉」 文學界 1990年2月号


参考文献


  「新潮」 四月臨時増刊 宮本輝 (平成11年4月1日発行)