目次序章 研究概要 第一節 研究動機 第二節 研究目的 第三節 研究対象の性格 第一章 課題解明の方法 第一節 先行研究の整理 第二節 場面構成 第三節 回想が行われる形式と回想を行う人物の特徴 第四節 回想場面周辺の表現 第五節 回想の内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性 第六節 作品における回想場面のはたらき 第二章 作品から見た分析結果 第一節 個々の作品分析 第二節 作品分析表 第三章 分析項目から見た分析結果と考察 第一節 場面構成 第二節 回想の形式 第三節 回想場面周辺の表現 第四節 回想の内容とその出来事が主人公に与えた影響との関連性 第五節 作品における回想場面のはたらき 第六節 回想内容のタイプとはたらきの関連性 第四章 まとめと今後の課題 第一節 まとめ 第二節 今後の課題 おわりに 作品・参考文献一覧 本文: 400字詰め原稿用紙 128枚分 |
・・・・・・短篇でなければ成立しないテーマやモチーフもあるでしょうし、長篇でなければ構築しえない小説世界もあるのです。しかし、もっと別の視点でその違いを考えてみて、私は当時、次のような私論を述べました。
建物と、それを建てるために組んだ足場との関係を譬喩に使ってみたのです。つまり、組んだ足場だけを見せて、その中にどんな建物が隠されているのかを、読者のそれぞれの心によって透視させるのが短篇小説であり、足場をすべて取り払って、構築された建造物の外観を披露し、内部がいかなる間取りなのかを考えさせるのが長篇小説ではないのか、と。・・・・・・(p.225)
……あとがきで氏は、短篇小説と長篇小説の違いを述べていて、書き方のテクニックというか、構築の違いを言っている。あきらかに氏は、自分のテーゼを持って認識しつつ、短篇を書き、長篇小説と区別している。
純文学畑の作家は、私小説よりだったり、その作家の持つ匂いや感覚、筆致だけで読ませようとするところが多く、時に独善的であったりして、そこが今読者離れしている種だろう。
が、そういうところをかすめつつ、すりぬけつつ、氏はこの短篇郡を書きあげている。少年時代を描くと、時に個別の世界になってしまって、普遍性に欠けてしまう場合があるが、氏の場合は、場所は違っても、じわっと同世代の匂いが漂う。
…(中略)…
軽い若い子向きではなく、読み手の深さも要求される。混乱させられつつも、必死に向う側を読み取ろうとさせられることは、もしかしたら氏の手中にはいったことになるのか。……
(『新潮』四月臨時増刊 宮本輝 平成十一年四月 p.77)
……彼の短篇の多くが回想形式をとり、主人公が、少年時代あるいは学生時代遭遇した事件について語り、現在の視点でその意味を問い直すという形になっているのも、その事件の宿命性を問題にしているからである……
(『新潮』四月臨時増刊 宮本輝 平成十一年四月 p.76)
……そして、こんどは土曜と日曜を挟んで合計五日くらいの休みを取り、どこかうんと北の方の海を見に行こうかなどと、手帳を開いてスケジュールを練りながら、時間をすごすのだ。
(回想始まる)
ぼくが大学に進むのを止めて、高卒のまま公務員になろうと決心したのは、自分のお金で好きなように旅行がしてみたかったからだ。初めに勧めてくれたのは、近くに住んでいる従兄だったが、父に相談すると、
「こんな時代やから、市役所あたりに勤めて、地道に暮らすほうが利口な生き方かも知れへんなァ」
とあまり気の進まない口調で賛成してくれた。
(中略)
ぼくは採用試験に合格してしまい、心の奥に少し残っていた大学へも行ってみたいという未練は、きれいさっぱり捨ててしまわねばならなくなった。志望者が多かったから、成績の良くないぼくのような者が合格できたのは、とても幸運なことだったからだ。
(回想終わる)
ぼくは、海辺に旅をするのが好きだ。ひとり電車を乗り継いで、田園や枯野や山峡を、海に向かってひた走って行くのが好きだ。そして、ふいに前方が展けて海が見えた瞬間、ぼくは心に不思議な勇気を抱くことができる。そのときだけ、ぼくは、生きていることをしあわせだと感じることができる。……
(『星々の悲しみ』文春文庫 1984年8月 「西瓜トラック」pp.70-71)
作品名 | 回想を行う人物の特性 | 頭の中か、他者に語っているのか | 回想の内容 | 回想の内容が主人公に与えた影響 | 回想のタイプ | 回想後の主人公の変化 | 作品におけるはたらき | 説明の種類 | 作品における回想部分の割合 | 回想場面の数 | 回想する人物の一人称 | 文末表現 | 始まり | 終わり | 回想Tの直前の叙述 | 回想Tの初めの叙述 | 回想Tの終わりの叙述 | 回想Tの直後の叙述 |
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力 | 30代くらいの男・会社員 | 頭の中で行っている | 小学校に初めて一人で登校する | 精神的に少し成長した | 思い出し型 | 明日に向かって強く生きて行こうと思う | 主な話題の提示 | なし | 90 | 2 | 私 | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の主人公の心理の描写 | 回想場面の主人公の行動の描写 | 回想中の主人公の行動の描写 | 物語現在地点登場人物の行動の描写 |
赤ん坊はいつ来るか | 40代前半の男 | 頭の中で行っている | 小4の時に川で捨てられた赤ん坊を見つける | 忘れられない思い出になっている | 特殊型 | なし | 主な話題の提示 | なし | 60 | 1 | ぼく | 常体 | 現実 | 回想 | 物語現在地点の主人公の心理の記述 | 回想場面の(ある物体についての)状態の記述 | 回想中の登場人物の行動の記述 | なし |
力道山の弟 | 40代前半の男 | 頭の中で行っている | 力道山の弟と名乗る大道芸人を巡る小学校五年生の思い出 | ? | きっかけ型 | 父のことを思い出す | 主な話題の提示 | なし | 95 | 2 | 私 | 常体 | 現実 | 回想 | 物語現在地点の状況の記述 | 回想場面の状況の説明 | 回想場面の主人公の行動の記述 | (ある物体についての)時間の経過についての説明 |
暑い道 | 30代くらいの男 | 頭の中で行っている | ある少女をめぐる青春時代の思い出 | 忘れられない思い出になっている | きっかけ型 | 懐かしい思い出に浸り、現在の状況を嬉しく思う | 主な話題の提示 | なし | 70 | 7 | 私 | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の登場人物の行動の描写 | 回想場面の登場人物の行動の記述 | 回想場面の登場人物の行動の記述 | 物語現在地点の主人公の心理の描写 |
チョコレートを盗め | 43歳の男・会社員 | 頭の中で行っている | ある少女をめぐる思い出 | 今までずっと忘れていた(花枝と男の会話から思い出した) | 説明型 | なし | 主な話題の提示・説明 | 時代背景 舞台状況 登場人物の性格 | 40 | 7 | 俺 | 常体 | 現実 | 回想 | 物語現在地点(ある場所についての)状況の記述 | 過去における(ある場所についての)状況の記述 | 過去における(ある場所についての)状況の記述 | 物語現在地点(ある場所についての)状況の記述 |
五千回の生死 | 34歳の男・デザイン事務所経営 | 他者に語っている | 主人公の大学時代の思い出 | 回想の出来事後の生き方に深く影響を与えた(情で動く人間になる) | 思い出し型 | 再度自分の生き方を確認する | 主な話題の提示・説明 | 主人公の置かれていた状況 時代背景 主人公の人間性 | 98 | 1 | 俺 | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写) | 物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写) | 物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写)の中での回想場面の主人公の行動の記述 | 物語現在地点の主人公の行動の描写(会話描写) |
階段 | 40代くらいの男 | 頭の中で行っている | これまでの主人公の人生 主人公の生きていくことの意味 | 貧乏な人々が住むアパートに嫌悪感を抱く | きっかけ型 | 自己嫌悪になり、それから前に進む決意をする | 主な話題を支えるもの | 99 | 2 | 私 | 敬体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の(あるものについての)状態の記述 | 回想場面の(あるものについての)状態の記述 | 回想場面での登場人物の行動の記述 | 物語現在地点での主人公と兄との関係の記述 | |
眉墨 | 70歳の女 | 他者に語っている | これまでの自分の人生 | ? | 説明型 | なし | 説明 | 登場人物のこれまでの人生 | 20 | 1 | 私 | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の主人公の心理の記述 | 物語現在地点の登場人物の行動の記述 | 回想場面の登場人物の行動の記述 | 物語現在地点の状況の記述 |
西瓜トラック | 19歳の男・市役所の職員 | 頭の中で行っている | 西瓜を売る男との思い出 | 未知の世界への関心 | 思い出し型 | 男のことや若かった自分の姿を懐かしく思う | 主な話題の提示・説明 | 登場人物のこれまでの人生 | 60 | 4 | ぼく | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点での主人公の行動の記述 | 回想場面での主人公の心理の記述 | 回想場面での主人公の状況の記述 | 物語現在地点の主人この心理の記述 |
トマトの話 | 男・会社員 | 頭の中で行っている | 大学時代のアルバイト | トマトが食べられない | 特殊型 | なし | 主な話題の提示・説明 | 主人公の家の位置 | 95 | 1 | ぼく | 常体 | 現実 | ? | 物語現在地点の主人公の行動の描写 | 回想場面の主人公の行動の描写 | 回想場面の主人公の行動の記述 | 回想場面の主人公の行動の描写 |
香炉 | 42歳の男・会社員 | 頭の中で行っている 他者に語っている | ある少女への恋心 | 二十年たった現在も忘れられない出来事になっている | きっかけ型 | 少女を探しに行く | 主な話題を支えるもの・説明 | 登場人物のこれまでの人生 | 70 | 2 | 私 | 常体 | 回想 | 現実 | なし | 回想場面での主人公の行動描写(冒頭から回想場面) | 回想場面での主人公の心理の記述 | 物語現在地点の主人公の行動の記述 |
駅 | 51歳の男・会社経営 | 他者に語っている | これまでの主人公の人生 | 妻も愛人もどちらも大切にしたいと思う | きっかけ型 | 過去に区切れをつける 第二の人生を歩く決意をする | 主な話題を支えるもの・説明 | 主人公のこれまでの人生 登場人物の人間関係 | 50 | 8 | 私 | 敬体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点での主人公の行動描写 | 回想場面の主人公の行動の描写 | 回想場面での登場人物(妻)の行動の記述 | 物語現在地点での主人公の行動の描写 |
昆明・円通寺街 | 40歳代の男・会社員 | 頭の中で行っている | 主人公とその親友との幼少時代と高校時代の思い出 | ? | きっかけ型 | 親友の死を受け入れる | 主な話題を支えるもの・説明 | 時代背景 舞台状況 登場人物の性格 | 40 | 2 | 私 | 常体 | 現実 | 現実 | 物語現在地点の主人公の心理の描写 | 回想場面での主人公の行動の記述 | 回想場面での登場人物の行動の記述 | 物語現在地点での主人公の行動の記述 |
状況 | 心理 | 行動 | |
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回想前 | 39−1高校生のときも、大学生のときも、数え切れないくらいアルバイトをやったと小野寺が答えると、 | ||
39−2カラスも美津子も、その中でいちばん思い出に残っていることを話せとせっついた。 | 40小野寺は鍋焼きうどんを食べ終えて時計を見た。 | ||
41一時まであと四十分あった。 | 42−1四十分で話し終えることは出来そうにないからと断ったが、 | ||
42−2ふたりはいやに小野寺の話を聞きたがって承知しなかった。 | 43小野寺は煙草に火をつけて、煙を胸の奥深くに吸い込んだ。 | ||
44すると、ふいにあの最後の朝のぎらつく太陽が心の中いっぱいに膨れてきて、なぜか話さずにはいられない気持になってしまったのである。 | |||
45それで彼は手短に終えるつもりで語り始めたのだが、脳裏に映し出されてくるさまざまな映像に精神が没入していくに従って、自分でも異様に感じるほどの興奮にかられていった。 | |||
46彼は、自分らしくない笑みを作って話しつづけた。 | |||
回想場面 | 47−1ぼくが大学の三年生のときに父が死んだ。商売に失敗して多くの借財をかかえたうえでの父の死だったから、 | ||
47−2ぼくと母は借金取りから逃れて、大阪のはずれの小さな町のアパートに、六畳一間を借りてそこに夜逃げ同然の格好で引っ越した。 | |||
48母は新聞広告で、大阪市内のあるビジネスホテルの社員食堂に勤め口を捜し、そこで働くことになった。 | 49−1ぼくは父が死んだとき大学を辞める決心をしたのだが、 | ||
49−2あと二年なら、何とかアルバイトをしながら卒業出来るかも知れないと思い直し、 | 49−3ある夏の昼下がり、天満の扇町公園の傍にある「学生相談所」に行った。 | ||
(中略) | |||
349死期を知った江見弘は、最後の力をふりしぼって、川村セツという女に手紙を書いたのだ。 | 350ふたりが、どんな関係であったのか、ぼくには判らない。 | ||
351けれども、きっとあの下手くそな字で書かれた出紙には、ふたりにとってとても大切なことがしたためられてあったことだろう。 | 351けれども、きっとあの下手くそな字で書かれた手紙には、ふたりにとってとても大切なことがしたためられてあったことだろう。 | ||
352ぼくは、何とか宛先の鹿児島県という字の次に書かれていたものを思い出そうと努めたが、まったく覚えていないのだった。 | |||
353また仮に覚えていたとしても、ぼくはその手紙のことを、どうやって川村セツという女性に説明したらいいだろう。 | 354ぼくは地面と照りつける朝日を、何度も交互に見つめた。 | ||
355−1大学を卒業してこの広告代理店に勤めるようになってからも、 | 355−2ぼくはどうかした瞬間、男がトマトを両手に握りしめて涙ぐんでいた姿を思い出してしまう。 | ||
356スポンサーと打ち合わせをしているとき、それは突然ぼくの心に膨れあがる。 | 357−1終電車の座席に腰かけて、酔った顔で窓ガラスに映る自分の顔を眺めていると、 | ||
357−2血の海の中に転がっていた腐った五つのトマトが、猛烈な勢いで目の前を走り過ぎる。 | |||
358すると決まって、鹿児島県、川村セツ様という文字が体の奥深くから亡霊のように、浮きあがってくるのだ。 | 359そんなとき、ぼくはまるでそれが自分の病気みたいに、あの男にとって、トマトとはいったい何であったのか、手紙にはあの男にとってどんな大切なことが書かれていたのかと考え込んでしまう。 | ||
360あの手紙は必ず、伊丹の昆陽の、大きな交差点のアスファルトの下に、今も埋まっていると、ぼくは確心している。 | |||
361トマトを見ると、あのときのことを思い出して哀しくなるというのではない。 | |||
362血のかたまりみたいだった腐った五つのトマトの映像が、ぼくを気味悪くさせるというわけでもない。 | 363けれども、ぼくはあれ以来、ただのひときれも、トマトを食べたことがない。 | ||
私が、曹興民という若い中国人に包丁で切りつけられたのは、大学三年生のときだった。
大きな包丁の刃は、私の眉の下をかすって、調理場の壁に立てかけてあったぶあつい木のまな板に深く刺さった。ほんのかすった程度で、たいした血も出なかったのに、二十年たったいまでも、私の眉の下には、長さ二センチほどの傷あとがある。曹興民は、そのときすでに睾丸の癌にかかっていて、七ヵ月後に死んだ。
(『真夏の犬』文春文庫 1993年4月「香炉」p.201)
円通寺の門前には車が駐車出来る広場があり、寺の朱色の柱は黄昏になじんで、そこだけ時間がずれているような気配である。私は、なんとなく寺の見物が億劫になり、円通寺街に小さな茶館があれば、そこでお茶でも飲んでいたいなと思った。どんな言葉でもいい、自分なりの別れの心を、石野への手紙の底に刻みたい、と。石野がもうすでに死んでいたとしても、それはそれでいいではないか……。
(回想始まる)
私は、小学校のとき、この狭い円通寺街とよく似た場所で、泥まみれになって石野と遊んだ。尼崎市の駅裏の、夜になると十何人もの娼婦が並ぶ細い通りには、昼間、どこからともなくやってくる人間が露店を出し、たった三足の革靴を台に乗せて黙然と坐し、バナナを売る男が唾を飛ばし、口の利けない女が肌着を商い、私たちとそれほど年の違わない兄弟がタコ焼きを焼いていた。
(『五千回の生死』新潮文庫 平成2年4月「昆明・円通寺街」p.191)
常連客らしい四人連れが店に入ってきて、声高に今夜のナイターの予想を始めた。会話のはしばしに、かなり遠方からタクシーで〈山本食堂〉のステーキを食べに来たことが窺えた。店のなかはふいに賑やかになり、尾杉はそれまでひそませていた声を少し大きくした。
「さつきを覚えてるやろ?」
と尾杉は、幼い頃から何か訳ありな話を口にする際の癖を見せて訊いた。
(回想始まる)
小学生のときも中学生のときも、高校生になっても、彼は周囲のおとなたちのあいだで巻き起こる事件などを真っ先に小耳に挟んできて、得意気に、しかもいかにも秘密めいた大事件であるかのように私たちを集めたものだった。たとえば、アパートの新しい住人が、親子ではなく、実は夫婦らしいといった類の噂を、尾杉は、自分よりも背の低い私たちをわざと上目遣いでひとわたり見つめ、舌を出すとそれで上唇をしばらく舐め、首を長く突き出して、そっと人差し指を立てるという手順ののちに、口をひらくのである。
(『真夏の犬』文春文庫 1993年4月「暑い道」p.37)