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平成15年度卒業論文

物語的文章における説明する文の表現的特徴

――『月の影 影の海』を通して

大阪教育大学 教育学部    
小学校教員養成課程 人文社会系
国語専攻 国語表現ゼミナール 
002414 臼田 曜子  
指導教官 野浪正隆先生

目次

序 章 研究概要

  第1節 研究動機
  第2節 研究目的
  第3節 研究対象の性格
    第1項『月の影 影の海』について
    第2項『十二国記』について

第1章 小説の中の説明的表現

  第1節 先行研究
  第2節 小説の中の説明という機能
  第3節 説明的表現の目的

第2章 『月の影 影の海』の分析

  第1節 分析方法
  第2節 分析結果  →分析結果(Excel・約290KBあります)

第3章 考察

  第1節 説明的表現について
  第2節 分析結果
    第1項 視点
    第2項 表現

第4章 結論と課題

  第1節 結論
  第2節 今後の課題
 

序章  研究概要

 

第1節 研究動機

 物語的文章の中にも、説明している部分はある。状況を直接的に説明する場合もあるし、登場人物の心理を使って間接的に説明している場合もある。これらは論理的であるべきものである。一つの物語的文章の中でどのようにして説明されているのか。それはどのように多様なのかと考えた。
 ティーンズ向けの小説として当初、発行された『月の影 影の海』は、講談社文庫で表紙や挿絵を変えて発行されている。これは、ティーンズ向けの小説を買いにくいという大人の読者の要請があったということを示している。ティーンズ向けのものも発売されつづけており、幅広い年代の読者を得ているといえる。
 このように幅広い読者を得た小説のひとつである『月の影 影の海』は、どのような表現的特徴を持っているのか。特に異世界を描いている内容の中で異世界をどのように説明しているのかに重点をおいて、研究したい。

 

第2節 研究目的

 物語的文章の中でどのように説明をされているのか。特に『月の影 影の海』は、登場人物や世界観をどのように説明しているのか、青少年から大人まで受け入れられる説明的表現の特徴を明らかにする。

 

第3節 研究対象の性格

第1項 『月の影 影の海』について

《あらすじ》
 中嶋陽子は優等生をふるまい平凡な毎日を送っていた。しかし、異形の獣たちが近づいてくる夢に悩まされてもいた。そんなとき、突然学校でケイキと名乗る金髪の青年に出会う。彼は下僕らしい獣たちを使い、何の説明もせぬまま剣を渡し陽子を海に映った月影の奥へと連れ去る。そこは、全く陽子の知らない世界だった。
 ケイキの下僕たちともはぐれてしまった陽子は異世界の人と出会い、里の牢へと連れて行かれる。海からきた異世界の者を海客と呼び、場合によっては死刑になることを知る。だが、護送される途中、妖魔と呼ばれる獣が馬車を襲い、陽子は逃げ出した。
学校の制服では海客だとわかってしまうので、着物を盗みにある集落の家に入ったところ、達姐という女の家で、彼女は陽子に仕事を紹介してくれると言う。その言葉を信じ、共に街へ向かったが達姐は陽子を女郎宿に売ろうとしていた。それを聞いた陽子は逃げ出す。
 野営を続けながら街道を進み、ある宿で海客である老人と出会う。だがその老人は陽子の荷物を盗んで消えた。陽子はもう人を信じることが出来なくなり街には行かなくなる。外で妖魔に襲われ、飢えで身体が動かなくなってしまった。金色の髪の女に右手を剣で貫かれるが、ケイキに渡された剣に付いていた珠が傷を癒した。だが、動くことはできない。
 全てをあきらめた陽子の前に、大きなネズミが現れる。陽子を救った彼は楽俊といい、海客が普通に暮らせるという雁国に共に向かうことになる。だが陽子はやはり楽俊を信じることが出来ない。たくさんの妖魔に襲われ陽子は立ち向かうが、楽俊と離れてしまう。楽俊を見捨てた形になった陽子はその苦しさでようやく人を信じることを思い出す。
 しかし、楽俊は見つからない。とりあえず帰りたいとの思いから陽子は雁国に向かうことにする。警戒の厳しい中何とか巧国を脱し、雁国の港にたどり着くとそこに楽俊の姿があった。彼は陽子が先に行ったのではないかと思い、ここへ来ていたのだ。共に雁国の役所へ行くと、海客への扱いが巧国と全く違うことを知る。また、雁国に住む海客に出会い、陽子は自分が普通の海客とも違うことを知るのだった。
 話の途中、タイホという言葉を楽俊から聞いたとき、その言葉を陽子が聞いたことがあるのを思い出す。ケイキがそう呼ばれていたのだ。楽俊はそれを聞いて陽子が何者かをわかり、それを陽子に語った。ケイキは麒麟であり名が景麒(尊称が景台輔)である。彼が陽子に額づいたということは陽子は雁国と巧国の間にある慶国の王(景王)だと言うのだ。楽俊は慌てて雁国の王(延王)に書状をしたため、役所に出す。そうして雁国の首都関弓に向かう途中、雁国で初めて妖魔に襲われた。そこで助けてくれた男は延王だった。彼もまた陽子の使う剣から陽子が景王だといい、王宮に連れられる。そこで陽子は初めてこの世界での王の仕組みや、偽りの王(偽王)が立っている慶国の現状を聞かされるのだった。
 陽子は王になるかどうかを考え始めた。親切にしてくれた楽俊を殺そうとさえ考えた自分が王にふさわしいか、また元の世界にやり直すために戻りたいとも思う陽子は迷う。そして今まで狙われていた理由が、巧国の王(塙王)の愚かとも思える考えによるとも知る。なんにしろ景麒が偽王に捕まっているというので、彼を取り戻すため雁国の軍の先頭に陽子は立つ。そうして景麒に再び出会った陽子は王になることを決意するのだった。

 『月の影 影の海』は陽子の成長物語という一面がある。陽子は人との付き合いに臆病であり、揉め事が無ければいいという生き方を親に対しても同級生に対してもしてきた。その表れが優等生という扱いであった。しかしながら異世界に放りこまれ妖魔たちに命を狙われ、飢えにさらされる陽子は、その逆境によって自ら生きることを選ぶ。また、異世界で裏切りに出会い、人を信じられなくなった陽子が楽俊という存在によって信じる心を取り戻す。これは陽子の心が成長していく様子を描いている。
 また、貴種流離譚という一面も見える。貴種流離譚は高貴な生まれの人物が居場所を失い、流浪の旅に出、成長して帰るという物語のことである。陽子の場合は景麒に「許す」と言った時点で王となり、自分が王である(高貴である)という自覚は無いまま流浪している。これは『みにくいアヒルの子』に似た貴種流離譚である。
また、陽子が王であるために起こる様々な謎(異世界の言葉が翻訳されて聞こえる・傷の治りが非常に早い・一人を狙うはずのない妖魔が陽子の身を狙ってくるなど)があり、その謎解きをするミステリーの一面も『月の影 影の海』は持っている。
 『月の影 影の海』はこのように様々な物語の形態を内包している。

第2項 『十二国記』について

 『月の影 影の海』は1992年講談社X文庫ホワイトハートから出版された『十二国記』シリーズの第1作である。『十二国記』シリーズは2003年までに全7作11冊を同じく講談社X文庫ホワイトハートから出版した。以下にこれまで出版された『十二国記』シリーズを挙げる。


表1 『十二国記』シリーズ(2003年12月現在)
『十二国記』シリーズ(出版順)出版社出版年(初出)主人公舞台
『月の影 影の海』(上・下)講談社1992中嶋陽子巧・雁・慶
『風の海 迷宮の岸』(上・下)講談社1993高里要(泰麒)蓬山
『東の海神(わだつみ) 西の滄海』講談社1994延麒六太
『風の万里 黎明の空』(上・下)講談社1994陽子・鈴・祥瓊
図南(となん)の翼』講談社1996珠晶恭・黄海
『黄昏の岸 暁の天』(上・下)※1講談社2001陽子・李斎
華胥(かしょ)幽夢(ゆめ)』※1講談社2001(短編集)采他


(注※1)『黄昏の岸 暁の天』以降は同じ出版社の別の文庫である講談社文庫での出版を先行し、その後に講談社X文庫ホワイトハートから出版されている。これの出版年は講談社文庫が出版された年を取った。

最後に挙げた『魔性の子』は『十二国記』シリーズに本来は数えない。しかし、作者が

 他社の話で恐縮ですが、昨年、このように考えて自己流のファンタジーをひとつ書きました。それは現実にまぎれこんだ異邦人の物語です。今回、異邦にまぎれこんだ現実の人間の話を書きました。そういうわけで、この物語は昨年書いた物語(引用者注『魔性の子』のこと)の続編であり、本編です。 (『月の影 影の海』(下)p255あとがきより)
と明言していることから、このシリーズにとって重要な位置にあると考え、載せている。

 出版された順から言えば、『魔性の子』が『十二国記』シリーズの第一作とも考えられる。だが先の引用にある通り「現実にまぎれこんだ異邦人の物語」であることを考えると、異世界の中で物語を描く『十二国記』シリーズとは性質が違う。今回の研究においては異世界(作者の言う異邦)をどのように説明しているかも見ていきたかったため、『月の影 影の海』を取りあげることにした。
 また、ホワイトハート版と講談社文庫版では若干の差異がある。例えばホワイトハート版『月の影 影の海』の一章一節を、講談社文庫版『月の影 影の海』の一章一節と比較して変更点を数えた所、次の結果になった。

 表2 『月の影 影の海』1-1の文庫による変更点
漢字変換漢字変更送り仮名削除読点削除読点挿入表現追加表現削除語彙変更
8351121111
(『月の影 影の海』一章一節全113文を比較)

 これらの変更は、読者対象や発表時期の違いによる変更であり、内容が大きく変わったわけではない。『月の影 影の海』を全て見ても、内容の変更はない。今回は講談社X文庫ホワイトハート版の『月の影 影の海』を研究対象にする。

 

第1章  小説の中の説明的表現

 

第1節 先行研究

 一般に、文章は内容によって二つに分けて考えられる。説明文・論説文などの説明的文章と小説・詩などの物語的文章である。説明的文章はある事柄を説明した文章であり、物語的文章はある事件を描写したものであると簡単に定義できる。しかし、物語的文章には説明という機能がないわけではない。説明の機能を有した表現を「説明的表現」と呼ぶ。
 物語的文章の中の説明についての論文は、中村吉秀氏(「吉」の上部分は「士」ではなく「土」)の『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』がある。この中で「解説表現」について、中村氏はこのように述べている。

 一方、物語的文章の「説明」は、あくまで「描写」されたできごとに対する説明である。できことを、さらに詳しく述べ、とらえなおし、意味づけ、或いは価値づけるのである。それ自体で軸となる説明的文章(説明文)の「説明」とは異質である。とすれば、説明的文章の「説明」と区別する意味で、物語的文章の「説明」は「描写」に対する「解説」であるととらえた方がよいだろう。(『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』)
 これは、描写を主軸とする物語的文章の「説明」と説明を主軸とする説明的文章の「説明」とを分け、物語的文章の「説明」を「解説表現」とする定義をしている。文章そのものが違うために、そこに出てくる「説明」も違ったものになるという考え方である。
 しかし、同じ物語的文章の「説明」という意味である「解説表現」と「説明的表現」は全く同じという訳ではない。
 では、「解説表現」と「説明的表現」の違いについて言及しながら、「説明的表現」を見ていきたい。

 

第2節 小説の中の説明という機能

 各々の文の描き方を叙述法という。叙述法について土部弘氏は「シンポジウムを司会して」の中でこう述べている。

 表現主体は、ある「ものごと」をある「とらえかた」でとらえて表現するが、「ものごと」のありように即して表現する場合と、「とらえかた」のありように即して表現する場合とが、見分けられる。「叙述」はそのような表現方法に即して「ものごと」本位の「対象表現」である(一)「(広義)記述」と、「とらえかた」本位の「叙述者表現」である(二)「(広義)説明」とに、二大別され、それぞれは、さらに〔表U〕のように細分される。
   表3 広義・狭義の「説明」
叙述法(土部氏)
 つまり、対象表現とは描く対象を忠実に書くものであり、叙述者表現とは語り手が対象について説明する文である。対象表現はストーリーが進む表現、叙述者表現はストーリーが進まない表現と大まかに考えることができる。
 小説の中で説明はこの中の(3)(狭義)説明だけだと考えればよいかというと、そうではない。叙述法は文の形態を基として考えられるからだ。
 中村氏はこの点について
 ここで、「解説」に二面の意味があることに注意しなければならない。一つは、「描写」を「解説」する表現機能をもつ表現、という意味、もう一つは、表現形態が描写的でなく説明的である、という意味である。前者の意味からすれば、「描写」Aに「描写」Bが後続していて、「描写」Bが「描写」Aを補足するような内容である、と言ったような場合、「描写」Bは「描写」の形態をとりながら、「描写」Aを「解説」する機能をもつとみなさざるをえない。 本論文では、実際の物語的文章において、これら二面のうち、一面または両面を備えた表現を、一括して「解説表現」と呼ぶことにする。(『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』)
としている。
 しかし、『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』のなかでは、描写の形態で解説の機能をもつ表現について特化してみるようなことはしていない。
 「説明的表現」はあくまで機能面から見た説明をもつ表現である。読者にわかりやすいように、ある内容について詳しく解き明かし、叙述するのが「説明的表現」である。説明的表現の認定は説明している内容があるかどうかによって判別するしかない。
詳しい説明の内容についての分類については、中村氏の「解説表現」の分類がある。

表4 「解説表現」の分類
解説表現の分類(中村氏)
 この表は解説している内容を分類したものであるので説明的表現にも使うことは出来る。このような説明内容を持った表現が「説明的表現」である。コト解説とは出来事(現象)を解説したものである。ある現象の程度・それが起こった時・所、その現象が起こる前提・理由、その現象に対する解釈・評価となる。モノ解説とは出来事の中から取り出した事物のことである。その事物の状態・属性・種類・名づけとなる。

 

第3節 説明的表現の目的

 あらゆる表現には目的がある。説明の機能によって説明される内容は、それを説明するだけの目的があると考えられる。つまり、何のためにその説明的表現があるのかということである。
 説明的表現は二つの目的が考えられる。
 一つは、小説世界を構築する目的で書かれた説明である。それは主人公の周りの世界の様子についてや、主人公やその他の登場人物の外見、性状を説明している。それが小説世界を作り出している説明である。この説明は後に続く内容に関っている場合もある。だが、小説世界自体の雰囲気を作り出すための説明などは続く内容に関ってこない場合も考えられるものである。この目的を対小説世界ということにする。
 もう一つは、読者がストーリーを理解するために必要な説明である。それは主人公や登場人物の心理についてや、読者がその時点で理解しておく必要のあるものについて説明している。それは物語の伏線になったり、自然なストーリー展開に役立ったりする。この目的を対読者ということにする。
 説明的表現の目的は説明している内容に大きく関っている。だから、内容から判断することができる。

 

第2章  『月の影 影の海』の分析

 

第1節 分析方法

 分析は『月の影 影の海』の中でも特に説明があると思われる部分を取り出し行った。
 一文ずつを視点・叙述・説明と言う三つの観点から見ていくという方法を取った。

分析例:『月の影 影の海』五章一節(以降5-1と書く他の節も同様) 1〜6文
段落本文視点のありか叙述法叙述されている内容たとえ・例示説明
語り手陽子外陽子内語り手陽子陽子楽俊内容説明成分の内容目的コト解説モノ解説
11 細い糸を撒いたように雨は降る。 描写的描写 状況      
22a 動くこともできず、泣くこともできず、ただぼんやりと水溜まりに頬を浸していると、   描写的描写行動・状態       
 2b突然背後でガサガサと下生えをかき分ける音がした。   描写的描写状況       
 3a身を隠したほうがいいのだろうとは思ったが、   描写的描写心理       
 3b首をあげることさえできなかった。   描写的描写行動・状態       
34 村人か、獣か、妖魔か。   描写的描写心理       
 5いずれにしても選択肢が増えるだけで、結果が増えるわけではない。   描写的描写心理・判断  状況説明(+陽子の心理描写)どんなものに出会っても先には死しかない対小説世界前提 
 6捕らわれるにしても襲われるにしても、このままここに倒れているにしても、たどりつく先はひとつなのだ。   描写的描写心理・判断  対小説世界前提 
〔表の解説〕
段落
 改行毎に一段落とした。

 かぎカッコなどの記号は無視し、読点を基準として一行とした。段落に関係なく数字を付し、途中で叙述法や叙述内容が変わっている場合は、分けて数字の後にa、b……を付けた。
本文
 分析対象となる文である。

視点のありか
 その文はどの視点から描かれているか、である。『月の影 影の海』は三人称限定視点で描かれているため、視点は全体を見渡しているか、主人公に添っているかに限られる。

  • 「語り手」全体を見渡している場合
  • 「陽子外」主人公である陽子の視点と重なっていて、心理まで描いていない場合
  • 「陽子内」陽子の心理まで描いている場合
この三つに分け丸をつけた。

叙述法
 視点を確定させた上で、視点が語り手ならば「語り手」の項に、視点が陽子ならば「陽子」の項に、下の表に基づいて分析した結果を入れた。

叙述法(土部氏)
 特に対象表現では「説明的描写」・「描写的描写」・「記述」と細かく分けた。叙述者表現では「説明」・「評釈」と分けた。「評釈」の後に「解釈」・「評価」に分けた場合もあるし、あえて分けなかった場合もある。分けなかった文とは、視点が陽子であり「解釈」か「評価」かは判定しにくい(陽子視点なので主観的であり「評価」であると考えられるが、内容は客観的なことであり「解釈」であるとも考えられる)文である。
叙述内容
 本研究では野浪正隆氏の「物語文の構成分析試案」に拠った。これには
 小説・物語の三要素として「背景・人物・事件」が知られている。「どんな時・所を設定しようか、どんな人物を設定しようか、どんな事件を起こそうか」と表現主体は、発想し、ストーリーを作っていくのだろう。…(中略)…たしかに出来事の筋・事件の筋は、はっきりするのだが、それ以上のことは、はっきりしないまま取り残されてしまう。例えば、主題を三要素による構成分析から、導出することができるかというと、それは、不可能なのである。
 小説・物語文において主題と密接に関る要素は、主人公の心理である。心理に作用し、心理が作用する要素は、主人公の行動と、主人公の心理を「内界」とした場合の「外界」である。(「外界」では、言葉がこなれないので「状況」といいかえよう)
とある。
 この分析ではこの新三要素「状況・心理・行動」を使い叙述内容とした。
 本来、「状況・心理・行動」では主人公あるいは視点人物の心理・行動を「心理・行動」とし他の人物の「心理・行動」は「状況」に入れる。しかしこの分析では登場人物ごとに捉えた。この小説で主人公以外の人物の行動・心理を描いている部分は、主人公にとっての状況となる。

たとえ・例示
 助動詞「ようだ」で、たとえか例示の場合に丸をつけた(推定の場合は除く)。これは説明が「詳しく叙述する」という機能を持っているので、「ようだ」が多用されているのではないかと考え、分析に入れた。

説明
 その文の中にある説明について。対象の文に説明がない場合には空欄にした。
  • 内容
    説明内容を概略して書いている。この文章の中でのこの部分の説明の役割を書いているところでもある。
  • 説明成分の内容
    説明内容を詳しく書いている。
  • 目的
    文章の中でこの説明部分が果たす目的を書いている。
    • 「対小説世界」
      世界観や登場人物についてなど、小説世界を構築する目的で書かれた説明
      例:『月の影 影の海』5-1 10〜13文  10姿はネズミに似ている。11二本の後ろ肢で立ちあがって、髭をそよがせているさまはほんとうにネズミに似ていた。12妙な感じがするのは、立ちあがったそのネズミが子供の背丈ほどの大きさもあったからだった。13たんなる獣のようにも見えないが、妖魔のようにも見えない。
       この部分は楽俊という人物の外見を描写している部分である。外見が変わるということは滅多になく、外見は一時的な要素ではない。楽俊という登場人物について詳しく叙述する説明の機能を持っている。この10〜13文は登場人物を構築する目的で説明しているので「対小説世界」の説明である。
    • 「対読者」
      登場人物の心理など、小説世界を構築するには不要だが、読者がストーリーを理解するために必要な説明
      例:『月の影 影の海』5-10 6〜7文 6じゅうぶんに離れても陽子の足は止まらない。7急いでいないと、なにかが背後から追いかけてくる気がした。
       ここでは、6文の「陽子の足は止まらない」理由を7文が説明している。7文は陽子の心理を叙述内容とした説明部分である。この7文が読者が陽子の心理を理解するための「対読者」の説明である。
  • コト解説・モノ解説
    以下の表に基づき分類した。
    表4(再掲)「解説表現」の分類
    解説表現の分類(中村氏)
 

第2節 分析結果

→分析結果(Excel・約290KBあります)

 

第3章  考察

 

第1節 説明的表現について

   第1項 説明的表現と叙述法

 場面によって語り手としての陽子が語る心理描写か、会話描写(7-1)か、風景描写(2-3)かと中心の叙述内容がはっきりと分かれている。特に上巻では語り手としての陽子が多く語り、異世界の見た目や陽子の心理を描き出す。特に陽子の心理に重点が置かれているのは、陽子の心理の変容が主題の一つであるからだ。これは下巻の5-10まで続く。下巻のその後では楽俊や延王との会話描写が増え、目には見えない異世界の世界観や王と麒麟のシステムを描きだしている。上巻で散りばめられた謎を解き明かす部分である。これは描き出す内容によって文章の表現方法にメリハリをつけているということだろう。
その中でも最も特徴的なのは7-1だ。ここは登場人物の楽俊が主人公の陽子に、陽子が王であることを説明する場面である。王と麒麟とその二つの関係を詳しく説明している部分である。ここには多くの説明的表現があるが、ほとんどが描写によって書かれたものである。

表6 『月の影 影の海』7-1の説明的表現である叙述の叙述法
描写的描写説明的描写説明評釈
5300
 計54の説明的表現のうち、53が描写的描写を使った説明である。また、その半分以上が楽俊の会話描写である。楽俊は異世界のシステムを知る者として陽子に異世界のシステムを説明する。それは同時に読者にも異世界のシステムを説明していることになる。また、楽俊にとっては「王」は「雲の上の人」であるという理由から、楽俊は混乱し、陽子に非常に丁寧に説明をするように描かれている。何度も同じことを言ったり、同じ事を違う言い方をしたり、ということである。例えば、

 54首をかしげる陽子を見あげたまま楽俊はつぶやく。 55「ケイキってのが台輔と呼ばれていたんなら、そいつは、ケイ台輔だ……」 72「台輔と呼ばれるのは宰輔だけだ。73ましてやそいつの名前はケイキだという。74だとしたらそれはケイ台輔のことだ。75それしかありえない」(『月の影 影の海』7-1 54〜55文、72〜75文)
と、この説明である。このような叙述で読者がこの説明内容が重大なことであることを理解できるのである。
 同じように描写を使った説明をしているのが『月の影 影の海』の2-3である。
 表7 『月の影 影の海』2-3の説明的表現である叙述の叙述法
描写的描写説明的描写説明評釈
390016
 この部分では計51の説明的表現のうち、4分の3が描写であり、4分の1が評釈である。始めの1〜48文は主人公の陽子が小さな村に連行される場面である。ここでは、村の風景と雰囲気を描く説明的表現が中心である。ここの評釈は
 20b鮮やかな色がひどくそらぞらしい感じがした。  30まるで水槽のなかのようだ、と陽子は思った。31大きな水槽の、水の底で眠りについた廃墟のような街だった。(『月の影 影の海』2-3 20b文,30〜31文)
という、陽子が村に対して思った感想である。陽子が抱いた感想は、陽子と視点を重ねている語り手の評釈であり、読者が抱く村の印象である。事実だけを描いて読者が解釈と評価をするということもできる。しかし、ここでは事実を描きその評釈まで叙述することで、読者は村に対して共通した認識を抱く。
 49〜107文では、主人公の陽子が自分の外見の変化に気がつく場面である。これ以前に陽子の外見を描いた所では「陽子の髪は赤い」と書かれ、この場面では紅に変化したと書いている。読者がその変化を読み取ることは難しい。また、顔については前の部分では描かれておらず、忠実に描いただけでは読者に変化は全くわからない。その変化をはっきりと示すために評釈を使っている。
 分析した全ての部分の叙述法はこのようになった。

表8 説明的表現である叙述の叙述法
『月の影 影の海』描写的描写説明的描写説明評釈
1-1313145
1-320033
2-3390016
5-125001
5-1012000
7-154001
8-711030
 説明は語り手の視点から行われるものである。語り手が視点となっている最初の部分と最後の部分で多くなり、語り手を表出しないようにしている中間では全くなくなるのは自然なことである。
 これをみてわかるのは説明的描写が極めて少ないということだ。
 説明的描写は述語部分は描写だが、修飾部分で永続的な事柄を述べているものの事である。典型例を挙げる。
 24それから間もなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやって来ました。(『一つの花』)
 この文は「日がやって来ました」と描写している。また、「あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも」の部分は「ゆみ子のお父さんは(体が)あまりじょうぶでない」という文を修飾の形にしたものである。「じょうぶでない」は一瞬の事柄ではなく、永続的なことなのでこの部分は説明である。最終的には描写だが、説明も入っているものが説明的描写である。これは説明する機能を持った上で、説明の形態も持っている。
 この説明的描写が少ないということは、読者が描かれている事柄をイメージするときに、イメージをスムーズにする働きがある。叙述法の「説明」は情報を書いたものであり、具体的なイメージとなるものではない。「説明」や「説明的描写」があると、そこでイメージの表象化は一瞬止まらざるをえない。これを避けるために説明的描写が少ないのだろう。
 つまり、『月の影 影の海』はスムーズなイメージの表象化のために、描写的描写に説明機能をつけた表現が多いのだと考えられる。
 また、たとえ・例示は説明的表現で使われている場合もある。しかし、たとえ・例示がある所が必ず説明的表現ではない。特にたとえ・例示が説明的表現に多く使われる傾向にあるといえない。
次に、説明内容を分類した結果、表のようになった。

表9 内容別説明的表現
『月の影 影の海』コト解説モノ解説
程度状況事情評釈性状類別
前提理由解釈評価
1-10587710187
1-32111502140
2-312130497163
5-10001110176
5-10000312033
7-10002011134
8-7000210083
3822212113108756
内容別 合計94143
 モノ解説が多く、コト解説が少ない傾向にある。
 最後に説明の目的によって分けた結果を挙げる。

表10 目的別説明的表現
『月の影 影の海』対小説世界対読者
1-1467
1-31214
2-3522
5-1224
5-1084
7-1532
8-7122
合計20535

 小説世界を構築するための説明的表現が多いことがわかった。内容がファンタジーであり、異世界を描く小説であるからと考えられる。

 

第2節 その他の特徴について

第1項 視点

 『月の影 影の海』では基本的に語り手は登場せず、陽子の視点で限定して語られる。場面は全て陽子から見た状態で語られ、他に移ったり、陽子がいない場面になると言うことはない。しかしながら、地の文で陽子のことを「私」という主語で表されることはない。この文章では地の文の主語に、「陽子」という名前で登場する。これは、この「陽子」を「私」と置き換えられるものである。例をあげると、
 95老婆が言うのに首をふって、陽子は制服のポケットの中を探った。96手鏡を引っぱりだす。97そうして、まちがいなく真紅に変色した自分の髪を確認し、ついでそこにいる他人を見つけた。  98陽子には一瞬、それがどういう意味なのかわからなかった。99手をあげておそるおそる顔をなで、その動きにつれて鏡のなかの人物の手も動いて、それが自分なのだとわかって愕然とした。(『月の影 影の海』2-3 95〜99文)
 95文と98文の「陽子」を「私」に置き換える。
95老婆が言うのに首をふって、私は制服のポケットの中を探った。96手鏡を引っぱりだす。97そうして、まちがいなく真紅に変色した自分の髪を確認し、ついでそこにいる他人を見つけた。  98私には一瞬、それがどういう意味なのかわからなかった。99手をあげておそるおそる顔をなで、その動きにつれて鏡のなかの人物の手も動いて、それが自分なのだとわかって愕然とした。
 読み比べると、同じ内容を叙述していることがわかるだろう。
 95文は陽子の行動描写である。最初の「首をふって」という描写は「否定して」と描いていない。「否定して」ならば陽子の内からの視点となるだろう。ではここは陽子の外からの視点だろうか。「首をふる」は動作である。「探った」も明らかな動作であり、二つとも外から見ていたとしてもその動作が明らかに分かる。視点を特定することはできない。しかし、「私」と置き換えられる以上、視点が陽子にあることに間違いない。
 98文は陽子の心理描写である。「わからなかった」のは陽子の考え(状態)であり、陽子の内を見た視点である。この文を「陽子」を「私」に変えたとしても、問題はない。
 つまりここから言えることは、『月の影 影の海』が限りなく一人称に近い三人称の視点で描かれているということである。
他の所で、語り手の視点がではないかという文はある。例えば、
 8「……景麒?」  9言うと真っ直ぐに陽子を見あげる。10四肢を折って陽子の足元に体躯を伏せた。(『月の影 影の海』8-7 8〜10文)
という表現部分である。9文については「言うと」の主語が陽子であるので、陽子の視点と判断される。続く10文は景麒の動作を書いている。しかし、これが陽子の視点だと確定できる部分はない。
10文の視点については、この『月の影 影の海』に関しては全体がこのように陽子の視点から描かれていることから、この部分に関しても視点のありかは陽子にあると考えるべきであろう。
このように陽子の限定視点であり、一人称を使わないというのが『月の影 影の海』の視点の特徴である。
 これによって、『月の影 影の海』では、陽子の限定視点でありながら読者を適度に突き放すことができる。読者が主人公の心の中まで入っていくのではなく、主人公と目を重ね合わせる状態になるのである。例えば、「私は悲しかった」と一人称で描くと、読者も悲しく思わなければならないように感じる。だがこれが「陽子は悲しかった」だと、読者はどう感じようと構わないことになる。つまり読者が主人公を客観視することも可能となるのである。
 では『月の影 影の海』の中で語り手はどのように働いているのだろうか。
 まずは、ほとんどの小説でもそうであるが、語り手は場面と人物を設定している。
1漆黒の闇、だった。 2彼女はその中に立ちすくんでいる。 3どこからか高く澄んだ音色で、滴が水面をたたく音がしていた。4ほそい音は闇にこだまして、まるでまっくらな洞窟の中にでもいるようだが、そうでないことを彼女は知っていた。(『月の影 影の海』1-1 1〜4文)
 これは『月の影 影の海』の冒頭部である。1文と3文は所を設定する文であり、2文はその中にいる人物を設定する。ここではまだ、「陽子」という名前は登場しない。「陽子」の代わりに「彼女」となっている。4文では既にかなり「彼女」のかなり近いところに視点が置かれている。
 この語り手の視点が転換するのは次のところである。
 24彼女は駆けてくる影をただ目を見開いて見つめていた。  25−−あれが、来たら殺される。  26そう理解できても、身動きできない。(『月の影 影の海』1-1 24〜26文)
 25文の陽子の心理を描き出した所で視点は陽子へと移り、26文は陽子の視点からの叙述となる。24文までが場面と主人公の陽子の存在を設定する語り手視点なのである。
 他の働きは無い。というのは、この『月の影 影の海』自体が、出来る限り語り手を表出させないようにしながら、描かれているからだと考えられる。

第2項 表現

『一つの花』には文の中に会話描写を入れ込んでいる文がいくつかある。

11すると、ゆみ子のお母さんは、「じゃあね、一つだけよ。」といって、自分の分から一つ、ゆみ子に分けてくれるのでした。 12「一つだけ――。一つだけ――。」と、これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。 28ゆみ子は、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、「一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。 34ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。 41「一つだけ。一つだけ。」と言って。 57「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」とゆみ子の高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。
 会話描写に叙述者表現が付けている。
 このような文は『月の影 影の海』にはない。『月の影 影の海』では会話描写は独立して一文になっている。また、「言う」という言葉自体が『月の影 影の海』の中には少ない。会話描写の前後にあることがあるが、少なくとも「(主語)が言った。」という単純な文はない。ひどく単純な構成の文が少なく、一文が長いものが多いのが『月の影 影の海』の特徴である。

 

第4章  結論と課題

 

第1節 結論

 物語的文章の中の説明的表現は決して叙述法の「説明」だけではない。描写を使った説明をすることができる。その場合には描写の効果であるその小説世界の雰囲気や登場人物の考え方を描き出すということを同時にしながら、読者に説明することができる。また、描写的描写を使えば、読者はイメージを止めることなく情報を頭に入れる事が出来る。
また、評釈を使った説明的表現は、説明されている事柄に対して読者が読み違えた印象を抱かないようにする効果がある。
これら描写を使った説明的表現や評釈を使った説明的表現と、視点の位置には関連がある。説明的表現は視点の位置に影響され、形態や叙述法が変化するものである。逆にいうと、視点を安定した位置に置くには、説明的表現の工夫が欠かせないものである。

 

第2節 今後の課題

今回分析した文章は異世界を描いた作品であるから、小説世界の構築を目的とした説明が多いと考えられる。これを確かめるためには、現代日本を舞台にした作品との比較を行うべきであろう。読者の経験に近い小説世界を構築する場合と、読者の経験にはない小説世界を構築する場合の、違いを明らかにすることによって、小説世界と説明的表現の関係が明らかになると思われる。


《資料》
  • 『月の影 影の海』(上)小野不由美 講談社 1992
  • 『月の影 影の海』(下)小野不由美 講談社 1992
         (以上、講談社X文庫ホワイトハート)
  • 『月の影 影の海』(上)小野不由美 講談社 2001
  • 『月の影 影の海』(下)小野不由美 講談社 2001
         (以上、講談社文庫)

《参考文献》
  • 小田迪夫「国語科でどう学ばせるか」 『表現研究』第58号 表現学会 1993
  • 中村吉秀「叙述に即した読みを支える教材分析の方途――小説教材の『解説表現』を読む――」 『国語と教育』第15号 大阪教育大学国語教育学会 1990
  • 中村吉秀「物語的文章における『解説表現』の形態と機能――小説の場合を中心に――」『国語表現研究』第4号 国語表現研究会 1991
       (※ 中村吉秀氏の「吉」の上は「土」が正しいです)
  • 野浪正隆「物語の構成分析試案」 『学大国文』 大阪教育大学国語国文学研究室 1995
  • 野浪正隆「限定視点を生成する叙述」 『国語表現研究』第13号 国語表現研究会 2001
  • 土部弘「文の機能と文章の叙述層」 『国語表現研究』第2号 国語表現研究会 1985
  • 土部弘「シンポジウムを司会して」 『表現研究』第58号 表現学会 1993

《参照資料》
  • 「小野不由美『十二国記』迷宮ご案内」 『ダ・ヴィンチ』2003年7月号 メディアファクトリー 2003年7月
  • 『一つの花』 今西祐行
    (『国語 四年(下)はばたき』宮地裕 他 褐村図書出版 平成14年)

《おわりに》

 長かったようで短かった一年間余。自分で設定した課題に思いっきりぶつかってみたものの見事に玉砕しました。しかし、学んだことは多かったです。これを通して自分の勉強不足と認識不足を痛感しました。
 同じ時を過ごした皆、ありがとう。皆が私にやる気を吹き込んでくれました。
 そして、興味だけで動き内実が伴わない私に、最初から最後までやさしくご指導くださった野浪先生には、感謝しきれません。本当にありがとうございました。


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