大阪教育大学 教育学部
小学校教員養成課程 人文社会系
国語専攻 国語表現ゼミナール
002414 臼田 曜子
指導教官 野浪正隆先生
序 章 研究概要 第1節 研究動機 第2節 研究目的 第3節 研究対象の性格 第1項『月の影 影の海』について 第2項『十二国記』について 第1章 小説の中の説明的表現 第1節 先行研究 第2節 小説の中の説明という機能 第3節 説明的表現の目的 第2章 『月の影 影の海』の分析 第1節 分析方法 第2節 分析結果 →分析結果(Excel・約290KBあります) 第3章 考察 第1節 説明的表現について 第2節 分析結果 第1項 視点 第2項 表現 第4章 結論と課題 第1節 結論 第2節 今後の課題 序章 研究概要第1節 研究動機
物語的文章の中にも、説明している部分はある。状況を直接的に説明する場合もあるし、登場人物の心理を使って間接的に説明している場合もある。これらは論理的であるべきものである。一つの物語的文章の中でどのようにして説明されているのか。それはどのように多様なのかと考えた。 第2節 研究目的物語的文章の中でどのように説明をされているのか。特に『月の影 影の海』は、登場人物や世界観をどのように説明しているのか、青少年から大人まで受け入れられる説明的表現の特徴を明らかにする。 第3節 研究対象の性格第1項 『月の影 影の海』について
《あらすじ》
『月の影 影の海』は陽子の成長物語という一面がある。陽子は人との付き合いに臆病であり、揉め事が無ければいいという生き方を親に対しても同級生に対してもしてきた。その表れが優等生という扱いであった。しかしながら異世界に放りこまれ妖魔たちに命を狙われ、飢えにさらされる陽子は、その逆境によって自ら生きることを選ぶ。また、異世界で裏切りに出会い、人を信じられなくなった陽子が楽俊という存在によって信じる心を取り戻す。これは陽子の心が成長していく様子を描いている。 第2項 『十二国記』について
『月の影 影の海』は1992年講談社X文庫ホワイトハートから出版された『十二国記』シリーズの第1作である。『十二国記』シリーズは2003年までに全7作11冊を同じく講談社X文庫ホワイトハートから出版した。以下にこれまで出版された『十二国記』シリーズを挙げる。 表1 『十二国記』シリーズ(2003年12月現在)
最後に挙げた『魔性の子』は『十二国記』シリーズに本来は数えない。しかし、作者が 他社の話で恐縮ですが、昨年、このように考えて自己流のファンタジーをひとつ書きました。それは現実にまぎれこんだ異邦人の物語です。今回、異邦にまぎれこんだ現実の人間の話を書きました。そういうわけで、この物語は昨年書いた物語(引用者注『魔性の子』のこと)の続編であり、本編です。 (『月の影 影の海』(下)p255あとがきより)と明言していることから、このシリーズにとって重要な位置にあると考え、載せている。
出版された順から言えば、『魔性の子』が『十二国記』シリーズの第一作とも考えられる。だが先の引用にある通り「現実にまぎれこんだ異邦人の物語」であることを考えると、異世界の中で物語を描く『十二国記』シリーズとは性質が違う。今回の研究においては異世界(作者の言う異邦)をどのように説明しているかも見ていきたかったため、『月の影 影の海』を取りあげることにした。
(『月の影 影の海』一章一節全113文を比較)
これらの変更は、読者対象や発表時期の違いによる変更であり、内容が大きく変わったわけではない。『月の影 影の海』を全て見ても、内容の変更はない。今回は講談社X文庫ホワイトハート版の『月の影 影の海』を研究対象にする。 第1章 小説の中の説明的表現第1節 先行研究
一般に、文章は内容によって二つに分けて考えられる。説明文・論説文などの説明的文章と小説・詩などの物語的文章である。説明的文章はある事柄を説明した文章であり、物語的文章はある事件を描写したものであると簡単に定義できる。しかし、物語的文章には説明という機能がないわけではない。説明の機能を有した表現を「説明的表現」と呼ぶ。 一方、物語的文章の「説明」は、あくまで「描写」されたできごとに対する説明である。できことを、さらに詳しく述べ、とらえなおし、意味づけ、或いは価値づけるのである。それ自体で軸となる説明的文章(説明文)の「説明」とは異質である。とすれば、説明的文章の「説明」と区別する意味で、物語的文章の「説明」は「描写」に対する「解説」であるととらえた方がよいだろう。(『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』)これは、描写を主軸とする物語的文章の「説明」と説明を主軸とする説明的文章の「説明」とを分け、物語的文章の「説明」を「解説表現」とする定義をしている。文章そのものが違うために、そこに出てくる「説明」も違ったものになるという考え方である。 しかし、同じ物語的文章の「説明」という意味である「解説表現」と「説明的表現」は全く同じという訳ではない。 では、「解説表現」と「説明的表現」の違いについて言及しながら、「説明的表現」を見ていきたい。 第2節 小説の中の説明という機能各々の文の描き方を叙述法という。叙述法について土部弘氏は「シンポジウムを司会して」の中でこう述べている。 表現主体は、ある「ものごと」をある「とらえかた」でとらえて表現するが、「ものごと」のありように即して表現する場合と、「とらえかた」のありように即して表現する場合とが、見分けられる。「叙述」はそのような表現方法に即して「ものごと」本位の「対象表現」である(一)「(広義)記述」と、「とらえかた」本位の「叙述者表現」である(二)「(広義)説明」とに、二大別され、それぞれは、さらに〔表U〕のように細分される。表3 広義・狭義の「説明」 つまり、対象表現とは描く対象を忠実に書くものであり、叙述者表現とは語り手が対象について説明する文である。対象表現はストーリーが進む表現、叙述者表現はストーリーが進まない表現と大まかに考えることができる。 小説の中で説明はこの中の(3)(狭義)説明だけだと考えればよいかというと、そうではない。叙述法は文の形態を基として考えられるからだ。 中村氏はこの点について ここで、「解説」に二面の意味があることに注意しなければならない。一つは、「描写」を「解説」する表現機能をもつ表現、という意味、もう一つは、表現形態が描写的でなく説明的である、という意味である。前者の意味からすれば、「描写」Aに「描写」Bが後続していて、「描写」Bが「描写」Aを補足するような内容である、と言ったような場合、「描写」Bは「描写」の形態をとりながら、「描写」Aを「解説」する機能をもつとみなさざるをえない。 本論文では、実際の物語的文章において、これら二面のうち、一面または両面を備えた表現を、一括して「解説表現」と呼ぶことにする。(『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』)としている。 しかし、『物語的文章における「解説表現」の形態と機能――小説の場合を中心に――』のなかでは、描写の形態で解説の機能をもつ表現について特化してみるようなことはしていない。 「説明的表現」はあくまで機能面から見た説明をもつ表現である。読者にわかりやすいように、ある内容について詳しく解き明かし、叙述するのが「説明的表現」である。説明的表現の認定は説明している内容があるかどうかによって判別するしかない。 詳しい説明の内容についての分類については、中村氏の「解説表現」の分類がある。 表4 「解説表現」の分類 この表は解説している内容を分類したものであるので説明的表現にも使うことは出来る。このような説明内容を持った表現が「説明的表現」である。コト解説とは出来事(現象)を解説したものである。ある現象の程度・それが起こった時・所、その現象が起こる前提・理由、その現象に対する解釈・評価となる。モノ解説とは出来事の中から取り出した事物のことである。その事物の状態・属性・種類・名づけとなる。 第3節 説明的表現の目的
あらゆる表現には目的がある。説明の機能によって説明される内容は、それを説明するだけの目的があると考えられる。つまり、何のためにその説明的表現があるのかということである。 第2章 『月の影 影の海』の分析第1節 分析方法
分析は『月の影 影の海』の中でも特に説明があると思われる部分を取り出し行った。
段落 改行毎に一段落とした。 行 かぎカッコなどの記号は無視し、読点を基準として一行とした。段落に関係なく数字を付し、途中で叙述法や叙述内容が変わっている場合は、分けて数字の後にa、b……を付けた。 本文 分析対象となる文である。 視点のありか その文はどの視点から描かれているか、である。『月の影 影の海』は三人称限定視点で描かれているため、視点は全体を見渡しているか、主人公に添っているかに限られる。
叙述法 視点を確定させた上で、視点が語り手ならば「語り手」の項に、視点が陽子ならば「陽子」の項に、下の表に基づいて分析した結果を入れた。 特に対象表現では「説明的描写」・「描写的描写」・「記述」と細かく分けた。叙述者表現では「説明」・「評釈」と分けた。「評釈」の後に「解釈」・「評価」に分けた場合もあるし、あえて分けなかった場合もある。分けなかった文とは、視点が陽子であり「解釈」か「評価」かは判定しにくい(陽子視点なので主観的であり「評価」であると考えられるが、内容は客観的なことであり「解釈」であるとも考えられる)文である。 叙述内容 本研究では野浪正隆氏の「物語文の構成分析試案」に拠った。これには 小説・物語の三要素として「背景・人物・事件」が知られている。「どんな時・所を設定しようか、どんな人物を設定しようか、どんな事件を起こそうか」と表現主体は、発想し、ストーリーを作っていくのだろう。…(中略)…たしかに出来事の筋・事件の筋は、はっきりするのだが、それ以上のことは、はっきりしないまま取り残されてしまう。例えば、主題を三要素による構成分析から、導出することができるかというと、それは、不可能なのである。とある。 この分析ではこの新三要素「状況・心理・行動」を使い叙述内容とした。 本来、「状況・心理・行動」では主人公あるいは視点人物の心理・行動を「心理・行動」とし他の人物の「心理・行動」は「状況」に入れる。しかしこの分析では登場人物ごとに捉えた。この小説で主人公以外の人物の行動・心理を描いている部分は、主人公にとっての状況となる。 たとえ・例示 助動詞「ようだ」で、たとえか例示の場合に丸をつけた(推定の場合は除く)。これは説明が「詳しく叙述する」という機能を持っているので、「ようだ」が多用されているのではないかと考え、分析に入れた。 説明 その文の中にある説明について。対象の文に説明がない場合には空欄にした。
第2節 分析結果→分析結果(Excel・約290KBあります)第3章 考察第1節 説明的表現について第1項 説明的表現と叙述法
場面によって語り手としての陽子が語る心理描写か、会話描写(7-1)か、風景描写(2-3)かと中心の叙述内容がはっきりと分かれている。特に上巻では語り手としての陽子が多く語り、異世界の見た目や陽子の心理を描き出す。特に陽子の心理に重点が置かれているのは、陽子の心理の変容が主題の一つであるからだ。これは下巻の5-10まで続く。下巻のその後では楽俊や延王との会話描写が増え、目には見えない異世界の世界観や王と麒麟のシステムを描きだしている。上巻で散りばめられた謎を解き明かす部分である。これは描き出す内容によって文章の表現方法にメリハリをつけているということだろう。
54首をかしげる陽子を見あげたまま楽俊はつぶやく。 55「ケイキってのが台輔と呼ばれていたんなら、そいつは、ケイ台輔だ……」 72「台輔と呼ばれるのは宰輔だけだ。73ましてやそいつの名前はケイキだという。74だとしたらそれはケイ台輔のことだ。75それしかありえない」(『月の影 影の海』7-1 54〜55文、72〜75文)と、この説明である。このような叙述で読者がこの説明内容が重大なことであることを理解できるのである。 同じように描写を使った説明をしているのが『月の影 影の海』の2-3である。 表7 『月の影 影の海』2-3の説明的表現である叙述の叙述法
20b鮮やかな色がひどくそらぞらしい感じがした。 30まるで水槽のなかのようだ、と陽子は思った。31大きな水槽の、水の底で眠りについた廃墟のような街だった。(『月の影 影の海』2-3 20b文,30〜31文)という、陽子が村に対して思った感想である。陽子が抱いた感想は、陽子と視点を重ねている語り手の評釈であり、読者が抱く村の印象である。事実だけを描いて読者が解釈と評価をするということもできる。しかし、ここでは事実を描きその評釈まで叙述することで、読者は村に対して共通した認識を抱く。 49〜107文では、主人公の陽子が自分の外見の変化に気がつく場面である。これ以前に陽子の外見を描いた所では「陽子の髪は赤い」と書かれ、この場面では紅に変化したと書いている。読者がその変化を読み取ることは難しい。また、顔については前の部分では描かれておらず、忠実に描いただけでは読者に変化は全くわからない。その変化をはっきりと示すために評釈を使っている。 分析した全ての部分の叙述法はこのようになった。 表8 説明的表現である叙述の叙述法
これをみてわかるのは説明的描写が極めて少ないということだ。 説明的描写は述語部分は描写だが、修飾部分で永続的な事柄を述べているものの事である。典型例を挙げる。 24それから間もなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやって来ました。(『一つの花』)この文は「日がやって来ました」と描写している。また、「あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも」の部分は「ゆみ子のお父さんは(体が)あまりじょうぶでない」という文を修飾の形にしたものである。「じょうぶでない」は一瞬の事柄ではなく、永続的なことなのでこの部分は説明である。最終的には描写だが、説明も入っているものが説明的描写である。これは説明する機能を持った上で、説明の形態も持っている。 この説明的描写が少ないということは、読者が描かれている事柄をイメージするときに、イメージをスムーズにする働きがある。叙述法の「説明」は情報を書いたものであり、具体的なイメージとなるものではない。「説明」や「説明的描写」があると、そこでイメージの表象化は一瞬止まらざるをえない。これを避けるために説明的描写が少ないのだろう。 つまり、『月の影 影の海』はスムーズなイメージの表象化のために、描写的描写に説明機能をつけた表現が多いのだと考えられる。 また、たとえ・例示は説明的表現で使われている場合もある。しかし、たとえ・例示がある所が必ず説明的表現ではない。特にたとえ・例示が説明的表現に多く使われる傾向にあるといえない。 次に、説明内容を分類した結果、表のようになった。 表9 内容別説明的表現
最後に説明の目的によって分けた結果を挙げる。 表10 目的別説明的表現
小説世界を構築するための説明的表現が多いことがわかった。内容がファンタジーであり、異世界を描く小説であるからと考えられる。 第2節 その他の特徴について第1項 視点『月の影 影の海』では基本的に語り手は登場せず、陽子の視点で限定して語られる。場面は全て陽子から見た状態で語られ、他に移ったり、陽子がいない場面になると言うことはない。しかしながら、地の文で陽子のことを「私」という主語で表されることはない。この文章では地の文の主語に、「陽子」という名前で登場する。これは、この「陽子」を「私」と置き換えられるものである。例をあげると、95老婆が言うのに首をふって、陽子は制服のポケットの中を探った。96手鏡を引っぱりだす。97そうして、まちがいなく真紅に変色した自分の髪を確認し、ついでそこにいる他人を見つけた。 98陽子には一瞬、それがどういう意味なのかわからなかった。99手をあげておそるおそる顔をなで、その動きにつれて鏡のなかの人物の手も動いて、それが自分なのだとわかって愕然とした。(『月の影 影の海』2-3 95〜99文)95文と98文の「陽子」を「私」に置き換える。 95老婆が言うのに首をふって、私は制服のポケットの中を探った。96手鏡を引っぱりだす。97そうして、まちがいなく真紅に変色した自分の髪を確認し、ついでそこにいる他人を見つけた。 98私には一瞬、それがどういう意味なのかわからなかった。99手をあげておそるおそる顔をなで、その動きにつれて鏡のなかの人物の手も動いて、それが自分なのだとわかって愕然とした。読み比べると、同じ内容を叙述していることがわかるだろう。 95文は陽子の行動描写である。最初の「首をふって」という描写は「否定して」と描いていない。「否定して」ならば陽子の内からの視点となるだろう。ではここは陽子の外からの視点だろうか。「首をふる」は動作である。「探った」も明らかな動作であり、二つとも外から見ていたとしてもその動作が明らかに分かる。視点を特定することはできない。しかし、「私」と置き換えられる以上、視点が陽子にあることに間違いない。 98文は陽子の心理描写である。「わからなかった」のは陽子の考え(状態)であり、陽子の内を見た視点である。この文を「陽子」を「私」に変えたとしても、問題はない。 つまりここから言えることは、『月の影 影の海』が限りなく一人称に近い三人称の視点で描かれているということである。 他の所で、語り手の視点がではないかという文はある。例えば、 8「……景麒?」 9言うと真っ直ぐに陽子を見あげる。10四肢を折って陽子の足元に体躯を伏せた。(『月の影 影の海』8-7 8〜10文)という表現部分である。9文については「言うと」の主語が陽子であるので、陽子の視点と判断される。続く10文は景麒の動作を書いている。しかし、これが陽子の視点だと確定できる部分はない。 10文の視点については、この『月の影 影の海』に関しては全体がこのように陽子の視点から描かれていることから、この部分に関しても視点のありかは陽子にあると考えるべきであろう。 このように陽子の限定視点であり、一人称を使わないというのが『月の影 影の海』の視点の特徴である。 これによって、『月の影 影の海』では、陽子の限定視点でありながら読者を適度に突き放すことができる。読者が主人公の心の中まで入っていくのではなく、主人公と目を重ね合わせる状態になるのである。例えば、「私は悲しかった」と一人称で描くと、読者も悲しく思わなければならないように感じる。だがこれが「陽子は悲しかった」だと、読者はどう感じようと構わないことになる。つまり読者が主人公を客観視することも可能となるのである。 では『月の影 影の海』の中で語り手はどのように働いているのだろうか。 まずは、ほとんどの小説でもそうであるが、語り手は場面と人物を設定している。 1漆黒の闇、だった。 2彼女はその中に立ちすくんでいる。 3どこからか高く澄んだ音色で、滴が水面をたたく音がしていた。4ほそい音は闇にこだまして、まるでまっくらな洞窟の中にでもいるようだが、そうでないことを彼女は知っていた。(『月の影 影の海』1-1 1〜4文)これは『月の影 影の海』の冒頭部である。1文と3文は所を設定する文であり、2文はその中にいる人物を設定する。ここではまだ、「陽子」という名前は登場しない。「陽子」の代わりに「彼女」となっている。4文では既にかなり「彼女」のかなり近いところに視点が置かれている。 この語り手の視点が転換するのは次のところである。 24彼女は駆けてくる影をただ目を見開いて見つめていた。 25−−あれが、来たら殺される。 26そう理解できても、身動きできない。(『月の影 影の海』1-1 24〜26文)25文の陽子の心理を描き出した所で視点は陽子へと移り、26文は陽子の視点からの叙述となる。24文までが場面と主人公の陽子の存在を設定する語り手視点なのである。 他の働きは無い。というのは、この『月の影 影の海』自体が、出来る限り語り手を表出させないようにしながら、描かれているからだと考えられる。 第2項 表現『一つの花』には文の中に会話描写を入れ込んでいる文がいくつかある。 11すると、ゆみ子のお母さんは、「じゃあね、一つだけよ。」といって、自分の分から一つ、ゆみ子に分けてくれるのでした。 12「一つだけ――。一つだけ――。」と、これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。 28ゆみ子は、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、「一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。 34ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。 41「一つだけ。一つだけ。」と言って。 57「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」とゆみ子の高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。会話描写に叙述者表現が付けている。 このような文は『月の影 影の海』にはない。『月の影 影の海』では会話描写は独立して一文になっている。また、「言う」という言葉自体が『月の影 影の海』の中には少ない。会話描写の前後にあることがあるが、少なくとも「(主語)が言った。」という単純な文はない。ひどく単純な構成の文が少なく、一文が長いものが多いのが『月の影 影の海』の特徴である。 第4章 結論と課題第1節 結論
物語的文章の中の説明的表現は決して叙述法の「説明」だけではない。描写を使った説明をすることができる。その場合には描写の効果であるその小説世界の雰囲気や登場人物の考え方を描き出すということを同時にしながら、読者に説明することができる。また、描写的描写を使えば、読者はイメージを止めることなく情報を頭に入れる事が出来る。 第2節 今後の課題
今回分析した文章は異世界を描いた作品であるから、小説世界の構築を目的とした説明が多いと考えられる。これを確かめるためには、現代日本を舞台にした作品との比較を行うべきであろう。読者の経験に近い小説世界を構築する場合と、読者の経験にはない小説世界を構築する場合の、違いを明らかにすることによって、小説世界と説明的表現の関係が明らかになると思われる。 《資料》
《参考文献》
《参照資料》
《おわりに》
長かったようで短かった一年間余。自分で設定した課題に思いっきりぶつかってみたものの見事に玉砕しました。しかし、学んだことは多かったです。これを通して自分の勉強不足と認識不足を痛感しました。 mailto: nonami@cc.osaka-kyoiku.ac.jp |