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平成15年度卒業論文

まど・みちお 童謡の表現特性
〜童謡集『ぞうさん』を中心にして〜

国語表現ゼミ
小学校教員養成課程国語専攻
002478 山内 良子
指導教官 野浪 正隆 先生


(原稿用紙換算320枚)



目次


序章 研究概要
  第1節 研究動機
  第2節 研究目的

第1章 童謡とは何か
  第1節 先行研究の整理
    第1項 童謡の概念
    第2項 童謡論の軌跡
  第2節 まど・みちおと童謡
    第1項 略歴
    第2項 まど・みちおの童謡観

第2章 課題解明の方法
  第1節 語順
  第2節 リズム・音のイメージ
  第3節 連の構成

第3章 作品分析
    (1) 「石ころ」
    (2) 「いずみの みず」
    (3) 「うさぎ」
    (4) 「おにぎり ころりん」
    (5) 「かんがるー」
    (6) 「くまさん」
    (7) 「ことり」
    (8) 「ごはんを もぐもぐ」
    (9) 「スワン」
    (10) 「ぞうさん」
    (11) 「ちいさな ゆき」
    (12) 「チューリップが ひらくとき」
    (13) 「ハンカチの うた」
    (14) 「ふしぎな ポケット」
    (15) 「ペンギンちゃん」
    (16) 「へんてこりんの うた」
    (17) 「やぎさん ゆうびん」
    (18) 「わからんちゃん」

第4章 考察
  第1節 分析項目から見る分析結果の考察
  第2節 モチーフ別に見る分析結果の考察
    第1項 「自分」としての誇り
    第2項 本来の姿・姿そのもの
    第3項 自然や宇宙に対する愛情・喜び
    第4項 共に生きる
    第5項 日常
    第6項 期待・願望
    第7項 ユーモア
    第8項 言葉あそび
  第3節 グラフから見る作品の傾向

終章 まとめと今後の課題

参考文献一覧

終わりに
 

序章  研究概要

 

第1節 研究動機

 「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね…」

 この文を目にした時、リズムが自ずと心に浮かんでくるという人は多いのではないだろうか。童謡『ぞうさん』は、まど・みちおの代表作である。この他にも、今なお子ども達に歌われているまどの童謡は多い。
 私も、『ぞうさん』や『ふしぎな ポケット』を幼稚園で歌い、小学校に上がると、音楽の授業で『一ねんせいに なったら』『あわてんぼうの歌』などをクラスの皆で歌った記憶がある。どの歌もかわいらしい歌詞と心地よいリズムを持ち、すぐに好きになった。無意識に口ずさんでいるようなこともあり、いつしか、まどの童謡は、私の中に入ってしまっていたようである。
 まどの童謡は、常に子どもに近い位置にあり、今なお親しまれている。

 まどは、童謡以外に多くの詩も書いている。余計なものを一切交えず、選び抜かれた最小限の言葉を使って読者に語りかけてくるまどの詩が好きで、何編か読んだことはあったのだが、まどの童謡はといえば『ぞうさん』しか知らなかった。しかし、先に挙げた童謡も同じくまどの作品であると知って非常に驚き、また、あまり知られていない童謡の中にも心惹かれるものが多くあった。読むと幸せな気持ちになれたり、思わず笑みがこぼれるものがあったり。このような魅力を感じる要因は何であるのか。短い言葉から広がっているまどの童謡の世界に興味を持ち、研究対象にしようと考えた。  

第2節 研究目的

 まど・みちおの童謡の魅力に迫るために、多様な角度から童謡を分析し、その表現特性を明らかにしたい。そのためには、まず童謡の概念を整理する必要がある。本来童謡とはどのようなものなのかを知った上で、多くの人々を惹きつけるまど・みちお独自の表現を追究していきたい。
 本研究は、まど・みちお童謡集『ぞうさん』(国土社 1975)に掲載されている童謡を対象とする。
 

第1章  童謡とは何か

 第1節 先行研究の整理

 第1項 童謡の概念

 初めに、「童謡とは何か」ということを定義しておかなければならない。これは、単に「子どもの歌」とひとくくりにできるものではない。「童謡」が意味するものは、時代と共に変化してきた。主に畑中圭一著『童謡論の系譜』(1990 東京書籍)を基に、童謡の概念を追っていく。


(1)わらべうたとしての童謡
 童謡という語が(中略)子どもたちが集団的に生み出し継承する歌謡、すなわち「わらべうた」を意味するものとして用いられ、その後明治期を経て大正期半ばまでは、もっぱらこの意味で用いられたのである。
 (中略)こうした用いられ方は、鈴木三重吉が大正7年(1918)雑誌『赤い鳥』創刊に際して、芸術的香気の高い、子どものための創作歌謡を「童謡」と名づけてからも、なおしばらく続いた。すなわち、昭和10年代の終わりまでは、わらべうたの詞集、曲集、研究書の書名に「童謡」という語が数多く用いられている。(注1)
 与田準一は昭和18年刊『童謡覚書』(天佑書房)の中の論文「童謡の史的展望」において、わらべうたを「伝唱童謡」とよび、詩人の創作したものを「文学童謡」とよんでいる。その後、志田延義、浅野建二などわらべうた・民謡研究家が「伝承童謡」という語を用いはじめたこともあって、徐々にわらべうたは「伝承童謡」という語句で表現されるようになり、「童謡」という語が単独でわらべうたを意味することはなくなってしまったのである。(注2)
 明治期から大正期半ば、童謡は「わらべうた・子どもたちが集団的に生み出し継承する歌謡」という意味で用いられていた。「はないちもんめ」「だるまさん」「夕焼け小焼け」などがこれにあたる。
 しかし、その後わらべうたは「伝承(唱)童謡」とされ、詩人の創作した「文学童謡」と区別して用いられるようになった。
 
(2)創作歌謡としての童謡

 大正7年、鈴木三重吉氏が雑誌『赤い鳥』の中で「童謡とは、芸術的香気の高い、子どものための創作歌謡でなければならない」と唱え、ここに、芸術的な「創作歌謡」としての童謡が誕生したという。畑中氏によると、これは、当時子どもたちに歌われていた「唱歌」の現状に対する激しい批判から生み出されたものである。

 「創作歌謡」については、西条八十著『現代童謡講話』(1924 新潮社)の中で次のように述べられている。

…私たちはもつと芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲とをかれらに与へてやりたい。で、私の雑誌ではかうした歌に、「童話」に対する「童謡」といふ名を附けて載せてゆくつもりだ。(注3)
 この言葉は、鈴木三重吉が西条八十宅で語ったものである。教訓ばかりを盛り込み、子ども達の生活や感受性を無視した唱歌の現状を嘆き、本来子ども達に歌われるべき歌の必要性を主張した。
 唱歌批判についての具体例は第2項に記す。

(3)児童詩としての童謡
 鈴木三重吉の提唱による「童謡」という語は、童謡運動の充実・発展にともない次第に定着していったのであるが、実はこの時期に、「童謡」はもうひとつの意味をもたされていた。すなわち、子どもたちが自ら創作する詩をも、当時は童謡とよんでいたのである。
 (中略)小林花眠の『教育上より観たる童謡の新研究』(大正11年、博進館)、定村青萍の『教育上より見たる童謡の新研究』(大正13年、多田屋書店)などにおいては、"童謡の作法指導""童謡の作法""童謡指導法"など、いずれも児童詩の指導に関する章名に「童謡」という語が用いられている。(注4)

 「創作歌謡としての童謡」という概念が誕生したとほぼ同時期に、「童謡とは、子ども達が自ら創作する詩である」という主張が出てくる。大正期後半から昭和初期にかけては、2種類の概念が混在していたのである。
 しかし、学校教育にかかわりの深い人々の研究書においては、「児童詩」という捉え方が強かったようである。

 このように、童謡の概念としては以下の3種類が存在していたといえる。
 
@子どもたちが集団的に生み出し、伝承した歌謡(現在のわらべうた)
Aおとなが創作した子どもの歌
B子どもたちが創作した詩・歌(現在の児童詩)
 
 そして、後にAの意味で定着していくのである。

 
 
 
 
 
  (注1)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 p9
  (注2)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 pp11〜12
  (注3)西条八十『現代童謡講話』1924 新潮社 p10
  (注4)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 pp14〜16
 

第2項 童謡論の軌跡

 第2項では、童謡とは何かと論じるに至った要因といえる唱歌批判の具体例と、今なお詩人の間で問題視されている「童謡のあるべき姿とはどのようなものか」ということに目を向けていく。


(1)唱歌批判に始まる芸術志向の歌

 鈴木三重吉が雑誌『赤い鳥』の中で述べた「童謡とは、芸術的香気の高い、子どものための創作歌謡でなければならない」など、唱歌批判に繋がる言葉は、当時のほかの詩人からも聞かれたものであった。

 例えば、野口雨情は次のように述べている。
…不自然極まる、それを歌つても読んでも少しの面白味もないやうな、理屈張ったものか、或は何の意味もない言葉を並べて、之が唱歌であるぞ、お前達に歌はせてやらうと思つて立派な学者が作つて下さつたのだぞ、さあ今から之を歌はないといけないぞ、といふ風に、無理強ひに歌はせたり、又小学校の教授課目の中にも加へてあつて、なくてはならないもののやうに誤つた考を持つてゐられた方が多かつた際とて、あのやうな無趣味な、子供の心持とは大変にかけ離れた唱歌が割合に重ぜられてゐたのであります。(注1)

 弥吉菅一著『日本児童詩教育の歴史的研究 第1巻』(1989 渓水社)によると、唱歌には、「『小学唱歌集』初版の出版が、明治14年11月24日であり、以後、この唱歌が全国の学校で用いられ、子どもはこの唱歌を正式に経験させられるようになった」(注2)という時代背景があり、子ども達の間で広く歌われるようになった。
 しかし、これは「子供の心持とは大変にかけ離れた」ものであった。子ども達にとって、唱歌とは、教師が歌った歌を、意味を理解することなく単に真似るだけのものであったのである。
 しかも、弥吉菅一氏によると、「きわめて国家的な教訓的意図のもとに作成されている」(注3)唱歌は非常に多い。唱歌を歌わせる際、教師が子ども達にその教訓を教え込むのである。

 次に、唱歌批判の具体例を示す。

 
蝶ゝ
  1. てふゝてふゝ。菜の葉にとまれ。
    なのはにあいたら。櫻にとまれ。
    さくらの花の。さかゆる御代に。
    とまれよあそべ。あそべよとまれ。
 
  2. おきなゝ。ねぐらのすずめ。
    朝日のひかりの。さしこぬさきに。
    ねぐらをいでて。こずゑにとまり。
    あそべよすずめ。うたへよすずめ。

 『蝶々』は、子どもが一度は歌ったことがあるといっても良い唱歌である。
 弥吉菅一氏によると、天皇の栄える有様を「桜の花が満開になる様子」にたとえ、その天皇のもとで平和に暮らす人民を「蝶々が自由に飛びまわる様子」としているという。極めて国家的・教訓的な意図のもとに作成されている。
 そして、文語体、命令形で表現されていることから、子どもの発想によるものではないといえる。

 また、『蝶々』は第2連まであるが、第2連では「雀」のことを歌っている。このような連構成について、野口雨情は『童謡作法問答』の中で次のように述べている。

…大抵の唱歌では第一番目の歌詞に歌はれたことと、第二番目の歌詞で歌はれることは全く相違してゐて、それを同じ調子で歌ふのですからそこに無理が出来て来るため、遂には第一番目の歌詞の内容にも第二番目の内容にもふさはしくない全く別な調子になつて…(注4)
 『蝶々』に限らず、大抵の唱歌は「第一番目の歌詞に歌はれたことと、第二番目の歌詞で歌はれることは全く相違してゐて」、1つの歌としては無理のあるものになっているという。普通、「歌」は最初から最後まで一貫して同じテーマをもって構成されるものである。歌うことによって、歌い手や聞き手はそのテーマに寄り添い、共感したり感動したりする。1番と2番に盛り込まれたテーマに共通性がなく、しかもそこに教訓めいたものまで付け加えられると、歌い手である子ども達は歌詞の内容や言葉からは共感や感動を得ることができず、心に何も残らない。

 
蛍(現:蛍の光)
  1. ほたるのひかり。まどのゆき。
    書よむつき日。かさねつつ。
    いつしか年も。すぎのとを。
    あけてぞけさは。わかれゆく。
 
  2. とまるもゆくも。かぎりとて。
    かたみにおもふちよろづの。
    こころのはしを。ひとことに。
    さきくとばかり。うたふなり。
 
  3. つくしのきはみ。みちのおく。
    うみやまとほく。へだつとも。
    そのまごころは。へだてなく。
    ひとつにつくせ。くにのため。
 
  4. 千島のおくも。おきなはも。
    やしまのうちの。まもりなり。
    いたらんくにに。いさをしく。
    つとめよわがせ。つつがなく。

 『蛍』については、北原白秋が著書「童謡復興(二)」の中で、「7つ8つの子どもに蛍雪の苦を積めと強いるのはあまりにも酷である。厭味である。」(注5)と批判している。子どもの目で「蛍の光」を捉え、子どもの感動を素直に表現したものとは程遠い歌詞である。
 また、弥吉菅一氏によると、第3連の「そのまごころは。へだてなく。」は、元々「かわらぬこころ。ゆきかよひ。」であったという。この「ゆきかよひ」は、「若き男女のちぎり詞にかよい、児童の徳性を育成するを目的とする唱歌としては不適切であるとして(中略)突きかえされたことによる、「へだてなく」への推敲であり、訂正であった」(注6)

 以上からわかるように、唱歌はもはや「子ども達に教訓をたたきこむための道具」にほかならなかった。そのため、言葉や感動や歌詞の描き出す世界がどのようなものであろうと、何の問題もなかったのである。子ども達には、何の意味か理解せずともただ歌わせていればよかったのであろう。
 このような唱歌の現状を変えなければならないと立ち上がったのが、三重吉であり白秋であり、多くの童謡詩人であった。その後、子どもの感受性に寄り添った童謡が次々と生まれ、歌われることとなったのである。

(2)童謡のあるべき姿とは

 子どもの感覚が欠如した、子ども不在の歌を乗り越えようとする動きから創作童謡が生まれたが、その後童謡詩人の中で「童謡はどうあるべきか」という論争が起こり、今なお続いている。
 その1つとして、畑中氏は「童謡を書く詩人が自らのために書くのか、それとも子どもに向けて書くのかという問題は、言うなれば童謡というものが本質的に抱え込んでいる問題である」(注7)と示している。童謡は、「子どものための歌」として作られる事が前提であるが、これに偏りすぎると、詩人にとっての自己表現の場はなくなり、童謡創作に対して満足感が得られなくなるというものである。

 この問題解決への手がかりとして、西条八十の『現代童謡講話』をまとめたものを以下に挙げる。
 西条八十は、童謡を
 
@お伽唄 子どもを喜ばせるが詩人の芸術的良心は満足させられない。
A追憶詩 詩人は満足するが、子どもには喜ばれない。
B象徴詩 詩人の感動を中心にすえながら、かつ子どもが感動し得るもの。
 
という3つに分け、象徴詩こそ「一面芸術品であつて、且一面児童のためのものであるべき童謡の要求に、最も適したものである」(注8)と述べている。
 子どもに理解できる表現をとりながら、それが作者自身の感動を単純化し、象徴化したものこそが、童謡のあるべき姿なのである。
 しかし、「一般に詩人の側からは「自己表現」に傾斜した主張が多かった」(注9)ようである。

 2つめに、「童謡は詩(文学)か、歌(音楽)か」という問題がある。歌詞と曲という2面で構成されたものであるので、この論争が起きるのも当然であろう。
 畑中氏は著書『童謡論の系譜』で次のように述べている。

 近代童謡がその誕生の時点において、"子どもに歌われる歌"を意味していたということは、それが当時の唱歌との対決の中から生まれたという事実だけを見ても、明らかなことである。「童謡」とは単なる詩ではなく、作曲され、歌われること、あるいは恣意的に口ずさまれることを前提として書かれる詩であったのである。
 (中略)しかし、現在童謡を書いている人たちの中には、「作曲され、歌われること」を前提に詩を書くことに対してきわめて拒否的な姿勢を示す人がいる。「作曲され、歌われること」を顧慮することによって、文学としての自立性が阻害され、詩の質を低下させてしまうというのである。詩は本来自己完結的なものであり、それが音楽という他媒体との結びつきを配慮しながらつくられるというのは、詩そのものの堕落だと彼らは言うのである。(注10)
 詩(文学)を主張する立場に西条八十ら、歌(音楽)を主張する立場に野口雨情、葛原滋、三木露風らがいる。

 歌(音楽)を主張する立場の意見として、野口雨情、佐藤通雅の主張を以下に挙げる。

 童謡は元より韻文でありますから調子の好いといふこと、即ち自由に節を附けて歌い易い童謡の方が調子の悪いものより数等優れてゐるものと見なければなりなせん。ですから、童謡は読むべきものか歌ふべきものかといふと歌ふべきものであるとお答へしなければなりません。又歌ふべきものであると共に読んでみただけでも相当の面白さがあるものでなければなりません。
 童謡は、ただその儘文字をたどつて読んで味ふのでなく歌つて楽む所に童謡の使命があるのですから、どこまでも歌ひ易いものでなければなりません。それ故、詩よりも尚一層言葉の調子が大切なのです。(注11)
 童謡はいうまでもなく、うたうことを前提としている。(中略)この「うたう」行為は、声の文化(※)に脈絡を持っている。現在それをなお内胎させている例として短歌をあげたが、曲を伴うさまざまな分野の歌詞ももちろん入る。しかし、もっとも純粋に内胎させているのは、童謡をおいて他にないと明言してよい。その理由はきわめて単純なことだが、決定的なことでもある。童謡を享受する対象として想定されるのは、文字を知る以前の幼児なのだ。やっと口でことばを覚えはじめ、片言の幼児語で世界に触手をのばし出したおさなご…。(注12)
 
(※声の文化=万人が生まれながらに身につけている言葉。共有的・集団的。)

 童謡を「詩」か「歌」かのどちらかに重点を置くことは大変難しい。当然のことであるが、歌詞か曲の一方がいかに子どもの心をつかんだ素晴らしいものであっても、もう一方がそれに至らないものであれば、「子どものための童謡」とはいえない。
 ただ、佐藤通雅氏の指摘する「声の文化」「童謡を享受する対象として想定されるのは、文字を知る以前の幼児なのだ」ということを考慮したとき、童謡とは、「音楽」としての側面の方が強く表れているものだと認識すべきである。
 童謡を楽しむ子どもは、果たして歌詞の意味を理解している子ばかりであるのか。そうとは言えない。明るい曲の感じ、リズムに惹かれている子どもも、少なからずいる。

 このように考えていくうちに、ふと頭の中に「洋楽を楽しむ自分」が浮かんできた。
 洋楽を聞くときは、歌詞の意味がわからないまま、単に聞き流しているだけである。なんとなく「曲の感じがいい」などと思いながら聞いている。
 このような歌詞の意味が理解できていない状態でも、洋楽に惹かれていることは確かなのである。「私の洋楽の楽しみ方」と「子どもの童謡の楽しみ方」には、「歌詞の意味が理解できなくとも歌に惹かれている」という共通性がある。
 ただ、何年たっても「やっぱり良い歌だな」と思い、繰り返し聴き続けるのは、歌詞に感動したり共感したりできる歌であることも確かなのである。その童謡が子どもにとって「良いものであるのか」「不可欠であるのか」を決定付ける要素は、歌詞に込められた意味であるという考えも一理ある。意味というより、どれだけ歌詞に共感できるかが大きい。
 しかし、幼い子どもに歌詞の意味を考えろというのも無理がある。大人は、童謡を「文字」として読んで味わうことに重点を置き、幼い子どもはむしろ「歌」としてそのリズムを楽しむことに重点を置くことが最も納得いく。リズムは幼い子どもにとって、童謡の世界を楽しむための入り口なのである。
 ただし、歌うには、歌詞の意味をある程度理解していなくてはならない。歌詞に対する感動や共感なしでは、唱歌批判の時代の過ちの繰り返しに他ならない。何回も歌い、それを文字として目で追い、一生懸命考えなければ意味のとれないような難しい歌詞を作る必要はまったくないが、歌が何の抵抗も無しに心にすっと入り、自分をその世界の中に無理なく置ける、共感できるものがいい。そしてそれ以上に、心が弾むようなリズムや音の響きを兼ね備えた童謡が最も望まれる形である。

 
 
 
 
 
  (注1)野口雨情『童謡作法問答』1921 交闌社 pp20〜21
  (注2)弥吉菅一『日本児童詩教育の歴史的研究』第1巻 1989 渓水社 p325
  (注3)弥吉菅一『日本児童詩教育の歴史的研究』第1巻 1989 渓水社 p336
  (注4)野口雨情『童謡作法問答』1921 交闌社 pp25〜26
  (注5)北原白秋「童謡復興(二)」(『芸術自由教育』)1921 アルス p9
  (注6)弥吉菅一『日本児童詩教育の歴史的研究』第1巻 1989 渓水社 p338
  (注7)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 p251
  (注8)西条八十『現代童謡講話』1924 新潮社 p153
  (注9)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 pp252〜253
  (注10)畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍 pp253〜254
  (注11)野口雨情『童謡作法問答』1921 交闌社 p84
  (注12)佐藤通雅『詩人まど・みちお』1998 北冬舎 pp184〜185
 

第2節 まど・みちおと童謡

 

第1項 略歴

 まど・みちおは、1909年11月16日、山口県に生まれた。本名石田道雄。「まど」というペンネームは窓が好きなことに由来している。父が仕事で先に家族と共に台湾へ移住していたため、まども10歳の時台湾に渡った。
 まどが詩を書き始めたのは19歳の頃からである。25歳の時、日本の童謡の開拓者であった北原白秋に認められる。最初の童謡は、幼児向け雑誌『コドモノクニ』に掲載された。それ以後、創作活動を活発に行い、作品を多数発表するとともに、同人誌『昆虫列車』を創刊する。
 1946年、日本に帰還する。国民図書刊行会発行『チャイルドブック』の編集者を勤めながら、「ぞうさん」など優れた童謡を作る。1959年、国民図書刊行会を退社し、詩と童謡の創作に専念する。
 1963年、最初の曲集『ごはんをもぐもぐ』『ぞうさん』を出版。サンケイ児童出版文化賞の推薦図書となる。また、1968年に出版した最初の詩集『てんぷらぴりぴり』が野間児童文芸賞を受賞する。他に『まめつぶうた』『いいけしき』『しゃっくりうた』などの詩集を出版。厚生省児童福祉文化奨励賞、小学館文学賞他多数受賞している。  

第2項 まど・みちおの童謡観

 第1節では、「童謡とはどのようなものであるのか」ということを述べてきた。
 ここでは、まど・みちお自身、童謡をどのように捉えて創作しているのか、また詩と童謡の両方を創作しているまどは、その相違点をどのように考えているのかを見ていく。
 なお、活字化されているまどの童謡論は少ない。しかし、未公開の直筆ノート、原稿箋、講演下書稿に、童謡観を書き留めている。これらが資料として谷悦子著『まど・みちお 研究と資料』に載せられているので、そこから引用する。


(1)モチーフ―生物の存在の素晴らしさ

 文献を読み、最も多く目についた言葉は、「生きる」「存在」である。その一部を直筆ノート「へりくつ3」より抜粋する。

 童謡とは何だろう。この世の不思議、自然の不思議、すべての存在と非存在、反存在の不思議への叫びである。子どもという人間の萌芽が、この不思議に直面して発した叫びである。凡ゆる人間の文化の歴史がそこから出発したところのその叫びそのものである。だからこの世に生きて何の不思議も感じることのない大人に童謡を作る資格はないのだ。だから存在の不思議さにうち震えていないような童謡は、童謡とはいえないのだ。童謡は存在の根源に迫ろうとするものでなくてはならない。(注1)
 胎内に育って間もないころの動物の写真をみると、魚でも鳥でも人間でもよく似ている。もっと遡って考えると植物でさえ殆どすべて精虫と卵子の結合だ。生まれ出で ことばを覚え 周囲の生活にとけこんでいく事によって急速に民族的色彩を濃くしていくことになるが、そのまだ地球生物的生地だけが輝くばかりである時期に、うたわせる歌が童謡であるとすれば、ここにはおのずから民謡とはその性質を異にするものがあっていい気がする。民衆が民謡に共感するのはそこに民族共通の情感、智恵などが開花しているからだと思う。童謡においては、もっと地球生物的、生きる喜びの歌があっていいのではないか。(注2)
 まどは、「存在の不思議への叫び」そのものが童謡であるという。動物でも植物でも生命をもたない物体でも、「今、この場所で、このような姿形で存在していること」を当然のように思ってしまっては、真の童謡は書けない。常に「存在の不思議さにうち震えて」いる精神を持ち続けていることが不可欠なのである。  大人が当然だと思っていることを、幼い子どもが母親に「どうして?」と尋ね、母親はどのように答えればよいかわからず困ってしまうという話をよく聞く。大人になると、自分の目に映ったものを、何の疑いもなく受け入れてしまう人は多い。幼い子のように、「不思議さに気づく」ということが難しくなるのである。

 また、「生きる喜び」を歌うことも大事であると述べている。これは、「存在の不思議への叫び」に繋がるものがある。他者とは異なる「存在」を不思議だと感じることによって、その姿形で生かされている生物、そして自分というものを見つめ直すことができ、その生物の存在自体を喜ばしく感じられるのである。

(2)言葉の響き

 第1節第2項「童謡論の軌跡」の中で「童謡にとって最も重要な面である」と述べた「リズム」についてのまどの意見を引用する。

 ことばへの感受性、ことばの使い方、すべてに対して幼い子は天才ですが、わけてもことばの「ひびき」に対する感受性は素晴らしいものです。そしてこの「ひびき」を最もいかそうとする詩が童謡なのです。人間は幼ければ幼いほどひびきに敏感でひびきに全うに感能し、感動できるのです。このひびきというのは、ことばを意味とひびきに分けて考えたときの、意味以外のすべてで、リズム、アクセント、イントネーション、を含んだ五十音が織りなすアラベスクとでもいうべきもので、これらを最も輝かしく生かした詩が童謡なのです。このひびきの中でもリズムというのはことばの背骨ですが、このリズムに体ごとで感能するというのが、これまた幼ければ幼いほどより激しいのが子どもなのです。日本語が宿命的に持っている七五調などの定型リズム、いわゆる口すべりのよい基本的リズムを童謡がよく我が形とするのはいわれのないことではないと思います。そこを通過することなしにより複雑デリケートなリズムへ飛躍してはならないと思います。いやどんなリズムがあってもよく、いや変わったリズムがあればあるほどよいのですが、幼ければ幼いほど基本的なリズムを求めているのではないかと思います。(注3)
 第1節第2項「童謡論の軌跡」で、「童謡を享受する対象として想定されるのは、文字を知る以前の幼児なのだ」という佐藤通雅氏の意見を引用した。まどは、この幼児を「ことばの「ひびき」に対する感受性は素晴らしい」ものであると述べている。だからこそ、童謡は言葉の響きをいかしたものでなければならない。意味に傾斜した童謡では、歌い手・聞き手である子ども達の心に響かないのである。

 しかし、先に述べたように、童謡は「存在の不思議」「生きる喜び」を歌ったものでなければならない。それが描き出す世界に何の深みもなければ、子どもに歌われるべき歌ではないということを忘れてはならないのである。

(3)詩と童謡との相違

 まどは、詩と童謡との相違を「集団的か、孤高的か」「作者の意識の在り様は子どもか、大人か」という2面において述べている。

 詩の方は書く人・作者に密着して孤高的だということです。密着しているというのは、自分そのものだということで、現在の自分そのもので書くみたいな感じがあります。詩に比べると、童謡の方はそれほど自分に密着していなくて集団的だと思っています。自分の中にある普遍性みたいなもの――庶民としての我々一般、子どもも含めて誰でもがもっているもの、その世界の中を自分が書くという感じですね。(注4)

 童謡は「私たち」の表現であり、「集団的・普遍的」な世界を描くものであるのに対し、詩は「ひとりの自分」の表現であり、「作者に密着して孤高的」な世界を構築するという考えが、まどの内面にある。
 決して、童謡を自分ひとりの感情を表現する場としてはならない。作者以外の誰にでも共感し得るものを作る必要がある。これは、西条八十の提唱した象徴詩、つまり「詩人の感動を中心にすえながら、かつ子どもが感動し得る詩」に当てはまる。

 詩は作者の直接投影であり、童謡は作者の間接投影。詩は溺れていることが多く、童謡は醒めている。詩は作者の年齢に近づき易く、童謡は幼少年にとどまりやすい。つまり創作時に詩は作者を作者であらしめ、童謡は子どもであらしめようとするかも知れない。(注5)

 ここでは、作者の意識の在り様を述べている。まどは、「直接投影」「間接投影」という言葉を用い、詩は素直に大人である作者のまま書くものであり、童謡は作者を、童謡を享受する対象である子どもであらしめようとするという相違点を指摘している。
 童謡の歌い手・聞き手である幼い子どもに理解できるような平易な言葉を単に使えばよいわけではない。まど自身が、子どもなのである。表面的に「子ども」を捉えていないということが窺える。

 童謡は「子どもの歌」であるが、これは「子ども向けの単純な歌」を意味しているのではない。作者を子どもであらしめ、「読む詩として光っていながら同時に歌う童謡としても光っているような作を、自分にもほかの詩人のひとにも作ってほしいと思っています」(注6)と述べている。まさに、童謡の理想に当てはまった形である。

 
 
 
 
 
  (注1)「へりくつ3」1969.7.17(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 p42)
  (注2)「へりくつ3」1972.8.13(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 p42)
  (注3)「講演下書稿」1979.10.25(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 pp45〜46)
  (注4)谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 p43
  (注5)「原稿箋」1981.6.11(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 pp44〜45)
  (注6)谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 p231
 

第2章  課題解明の方法

 

第1節 語順

 作品を分析するにあたって様々な観点があるが、その一つとして「語順」を取り上げることにする。以下に、語順に着目するきっかけとなった『少年詩・童謡への招待』(日本児童文学別冊 偕成社 1978)の中のまどの発言部分を引用する。

 童謡というものは、さきほど香山さんもおっしゃったですけれども、耳から入ってすぐわかる――歌謡ですから当然のことですけれど、そういうものでなければならないし、詩の場合は、考えながら読むという、そういうものになってくると思うんですよ。それは考えて理解に到達したとき、そのことが一つの喜びであるような、その喜びが詩自身の喜びにプラスされるような、そういうものだと思います。童謡の場合はそうじゃなくて、耳に入ってくるとそれがそのまま心へ直通します。考える必要もないんですね。それで作曲されれば、それがメロディに乗って非常に心地よい響きとしてこちらへ届いてくるわけなんですよね。

 童謡は「耳から入ってすぐわかる」「耳に入ってくるとそれがそのまま心へ直通する」ものであるという。そのためには、子どもが理解できない難しい言葉を使わないことや、聞き手・歌い手が歌の世界に違和感なくすっと入れる作品であることなどが必要不可欠であるが、その一つとして、「基本的な日本語の語順に基づいて文を組み立てる」「言葉を省略せずに文を組み立てる」ということが挙げられる。

 一般的に、詩は、倒置や比喩など様々な表現技巧を使ったものが多く、「考えながら読む」という性格を持つ。まどの詩も例外ではない。
 しかし、童謡ではこれらは不必要である。考えなくても聞き手・歌い手の心に届く歌であること、そのためには、耳から入った言葉の順番を、頭の中で組み換えることなく、そして言葉を補うことなく消化できるかどうかという点も大きく関わっている。

 基本的な語順であるか否かは、佐伯哲夫氏の『現代日本語の語順』を参考とする。
 佐伯氏は、「かかりの基本的語順が、かかりうけのありかたにかかわりをもつものであることは早くから知られていたのであるが、かかりうけのありかたの、その根幹はやはりかかっていく奥行の深浅である」(注1)とし、かかりの奥行の深い成分はそれの浅い成分よりも前位に立つ傾向があると指摘している。深浅の関係と一致した語順が、すなわち「基本的な語順」といえるという。
 研究対象は『日本文学全集』第59巻〜68巻、72巻である。
 以下に、かかりの先後と奥行の深浅とが一致しているものの一覧(注2)を引用する。

感動                      
接続  2                   
題目(は)  23 2                
題目(も)  251       1         
時(名)  8 2                 
評釈 428142                
から(時)  23 12               
呼応 63                   
に(時) 24                   
は(対) 14                   
主体 1      1             
主格21734 3 122 1  1        
まで(時)   3                  
も(対)  4 2                 
時間情態 16511 2  111           
位格 633151   11           
で(所) 1831                 
量数 11811     11      1   
から(所) 531 11  2422          
と(相手) 17      1 11         
原因根拠 114 11   2 11         
に(相手) 931 23   4211         
程度11126 3    31    1      
を(所)2117 32  131           
情態4141345561  116 3   11    
まで(所) 21  1                
資格 12                   
目的 181 1   1     1      
方法 2221     1            
内容 26                   
基礎基準 419 11                
対格564403923271 14919129  2 25 1 
引用262411 1 144          1
着格11911139111  9732 1   4  2
結果 826213  1211   1   1 1


感動接続題目(は)題目(も)時(名)評釈から(時)呼応に(時)主格時間情態で(所)量数から(所)と(相手)原因根拠に(相手)を(所)情態期限基礎基準対格
 
 
 
 
 
   (注1)佐伯哲夫『現代日本語の語順』1975 笠間書院 p1
   (注2)佐伯哲夫『現代日本語の語順』1975 笠間書院 p10  
 

第2節 リズム・音のイメージ

 先に、基本的な語順であるか否かを童謡分析の手段の一つにすると述べた。では、一般的な童謡の分析方法にはどのようなものがあるのか。佐藤通雅氏は、著書『詩人まど・みちお』の中で次のように述べている。

 (童謡を歌うと)ふつうの詩を読むのとはちがう、えもいわれぬ舌ざわり、肌ざわりが湧いてくるではないか。意味を考え、頭で解釈しようとしては、たちまちこぼれ落ちてしまうなにか。その秘密は、文字以前の日との交感にあったのだ。(注1)
 ここでいう「文字以前の日との交感」とは、読むものとしての「文字」が成立する以前に存在した「音声」として童謡を感じることを指す。作品世界に含まれた意味を追究しようとすることも勿論必要であるが、それ以上に、佐藤氏は韻律に着目して分析すべきだとしている。これは前章「童謡論の軌跡」ですでに述べた。

 童謡を分析する際、「どのようなリズムで組み立てられているのか」「音の響きが歌い手・聞き手にどのような印象を与えるのか」ということを考えていく。また、特にオノマトペに着目していく。

 
 
 
 
 
  (注1)佐藤通雅『詩人まど・みちお』1998 北冬舎 p208
 

第3節 連の構成

 佐藤氏の意見は、作品世界に含まれた意味を追究することより、韻律に焦点を当てて分析することを重要視したものであった。
 しかし、まどの童謡には意味に重点を置いたものも少なからずあるようである。谷悦子氏の著書『まど・みちお 研究と資料』から、『ぞうさん』についての自作自註を引用する。

 この世の中で一ばん鼻の長いのが象で、象のように鼻の長い動物は他にいません。バクが幾らか長いといってもゾウの比ではありません。この地球上の動物はみんな鼻は長くないのです。そういう状況の中で「お前は鼻が長いね」と言われたとしたら、それは「お前は変だね」と言われたように受け取るのが普通だと思います。しかるにこのゾウは、いかにも嬉しそうに「そうよ、母さんも長いのよ」と答えます。長いねと言ってくれたのが嬉しくてたまらないように、褒められたかのように。自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、答えます。このゾウがこのように答えることが出来たのはなぜかといえば、それはこのゾウがかねがねゾウとして生かされていることを素晴らしいことだと思い幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。本当にこの世にゾウがゾウとして生かされていることはなんという素晴らしいことでしょう。(注1)
 まどは、『ぞうさん』の中に「生き物がその姿で生きていることは素晴らしい」という感動を含ませている。これは、韻律だけを研究対象としても解明できないことである。詩に用いられている言葉の持つ意味はどのように解釈できるのか、また、どのような連構成をもってモチーフを浮き彫りにしているのかを分析する。韻律の他に、童謡が作り出す世界が持つ意味も併せて考えていきたい。

 
 
 
 
 
  (注1)谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院 p261
 

第3章  作品分析

 

(1)石ころ

本文リズム
  1. 石ころ けったら
  2. ころころ ころげて
  3. ちょこんと とまって
  4. ぼくを 見た
  5. ―もっと けってと いうように
 
  6. もいちど けったら
  7. ころころ ころげて
  8. それから ぽかんと
  9. 空を 見た
 10. ―雲が 行くよと いうように
 
 11. そうかい 石ころ
 12. きみも むかしは
 13. 天まで とどいた
 14. 岩山だったか
 15. ―雲を ぼうしに かぶってね
 
 16. 石ころ だまって
 17. やっぱり ぽかんと
 18. あかるい あかるい
 19. 空を 見てる
 20. ―星が 見えると いうように
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音
  3音+2音
  3音+4音+5音  
 
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音
  3音+2音
  3音+4音+5音
 
  4音+4音
  3音+4音
  4音+4音
  8音(4音+4音)
  3音+4音+5音
 
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音
  3音+3音
  3音+4音+5音
<初出>日本児童文学者協会「日本児童文学」1957
<底本>『てんぷらぴりぴり』1968 大日本図書

語順・省略語

 まず、「4.5 ぼくを 見た/―もっと けってと いうように」「9.10 空を 見た/―雲が 行くよと いうように」「19.20 空を 見てる/―星が 見えると いうように」の部分の倒置が目に付く。本来の語順、「状態→対格」にすると、「5. もっと けってと いうように」「4. ぼくを みた」となる。省略された主格(石ころが)を補うと、「主格→状態→対格」が基本的語順であるので、状態にあたる「3. ちょこんと とまって」「5. もっと けってと いうように」の前に「石ころが」が入る。「8.9.10」「18.19.20」においても同じことが言える。
 倒置が用いられることによって、語順面では理解し易さに欠ける。自然に流れ出る言葉とは言えない。どちらかというと、童謡より詩に見られる傾向である。

リズム

 第1連「2. ころころ ころげて」第2連「7. ころころ ころげて」第4連「17. やっぱり ぽかんと」では4音+4音であるが、第3連「12. きみも むかしは」の部分は3音+4音と異なっている。また、第1連「4. ぼくを 見た」第2連「9. 空を 見た」の3音+2音に対し、第3連「14. 岩山だったか」は4音+4音、第4連「19. 空を 見てる」は3音+3音と、この部分も異なっている。しかし、どちらも若干の違いであり、リズムをくるわせる程の大きなものではない。

音のイメージ

 「石ころ」「ころころ」「ころげて」「ちょこん」「ぽかん」など、「ころ」「ぽ」という音を持ち、かわいらしいイメージの語が多用されている。例えば、「石ころ」は「石」と比較すると、軽く蹴っただけで飛んでいってしまいそうな、小さなかけらである。次の<連の構成>の中で詳しく述べるが、この詩では、「小さなかわいらしいものから、大きく険しいものへの対象の転換」が重要な鍵を握っている。「石」ではなく「石ころ」と表現したり、かわいらしいイメージを持つ語を用いたりする必然性があると考えられる。

 また、この童謡は漢字で表記されている語が多い。漢字は「堅い・難しい」という印象を受け、幼い子どもが歌う童謡の表現としては疑問が残る。語順と同様、童謡よりも詩の表現方法に傾斜したものである。
 「石ころ」で用いられている漢字は、すべて第2学年までに学習するものである。この童謡を書く段階で、童謡を享受する対象として小学校低学年を設定していたと考えられる。小学校に入学する前の幼い子どもも歌うという童謡の性格を考慮すると、「石ころ」は、より成長した子どもが歌うための童謡だと言える。単に、リズムに乗って歌うことから一歩踏み出した、意味傾斜型の「詩」として捉えられる。
 このほかにも、漢字で表記された童謡が、『ぞうさん』の中に見られる。しかし、全48曲のうち、「びわ」「地球の 子ども」「こおれ 冬よ」「小鳥が ないた」「あしよ リズムで」「一ねんせいに なったら」の6曲と、数は少ない。

連の構成

[第1連]
 「ぼく」が道端にあった石ころを何気なく蹴り、その石ころが「5. もっと けってと いうように」「ぼく」を見たという状況が描写されている。「もっと けってと いうように」という表現から、「ぼくとかかわっていたい」という石ころの心情が感じられる。

[第2連]
 石ころの様子が「もっと けってと いうように」感じられた「ぼく」が、もう一度石ころを蹴ると、石ころは「雲が 行くよと いうように」空を見たという状況が描写されている。ここで、石ころの視線は「ぼく」から「空」へと、より高いところへ注がれている。

[第3連]
 今までのような状況描写ではなく、「ぼく」の言葉で構成されている。この言葉によって、小さな石ころは、元は「てんまで とどいた 岩山だった」ことがわかるのである。
 第2連で空を仰いだのは、岩山だったときすぐ近くに浮かんでいた雲を見るためであったのである。「雲が 行くよ」の言葉が、第3連まで進んで初めて活きてくるのである。

[第4連]
 締めの役目を持つ第4連では、「ぼく」が再び石ころを眺め、その様子を描写したものとなっている。空を見上げる石ころの様子を描写するという点では、第2連と同様である。しかし、第4連に入る前に「石ころの元の姿」を明らかにした第3連があることで、第2連と第4連の感じ方に相違を生み出す。
 第4連では、「18. あかるい あかるい」空を「ぽかんと」見ている。「ぽかんと」という空の見方から、「昔の姿を遠くから、恬淡と見ている」様子がわかる。また、明るい空であるにもかかわらず「20. 星が 見えると いうように」見ている様子から、石ころにとっては「単なる空」に留まらず、じっと見つめる程特別な感情を抱く存在であることがわかる。つまり、「昔の自分の姿を知っている存在」なのである。空を見上げる石ころの様子を通して、石ころの昔の姿を浮き彫りにする構成となっている。


 童謡「石ころ」は、状況描写の中に人物の言葉を入れることで、石ころの元の姿を明らかにしている。また、空を恬淡と見る石ころの行動から、他者から見ると、明らかに今よりも立派な姿をしていた「昔の自分」への未練はないことも同時に表現している。元の姿をあっさりと見る石ころの眼差しから、モチーフ「昔より、今の自分に満足している心情」をつかみ得る構成をとっているのである。

 

(2)いずみの みず

本文リズム
  1. いずみの みず
  2. いずみの みず
  3. ねずみが のみます
  4. いずみの みずを
  5. いい みずねって のみます
 
  6. いずみの みず
  7. いずみの みず
  8. すずめが あびます
  9. いずみの みずを
 10. いい みずねって あびます
 
 11. いずみの みず
 12. いずみの みず
 13. みみずは みません
 14. いずみの みずを
 15. いい うたねって ききます
  4音+2音
  4音+2音
  4音+4音
  4音+3音
  2音+5音+4音
 
  4音+2音
  4音+2音
  4音+4音
  4音+3音
  2音+5音+4音
 
  4音+2音
  4音+2音
  4音+4音
  4音+3音
  2音+5音+4音
<初出>全音出版物 1966 鈴木敏朗曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

語順・省略語

 第1連「3. ねずみが のみます」「4. いずみの みずを」、第2連「8. すずめが あびます」「9. いずみの みずを」、第3連「13. みみずは みません」「14. いずみの みずを」の部分が倒置になっている。本来の語順は「3.4. ねずみが いずみの/みずを のみます」「8.9. すずめが いずみの/みずを あびます」「13.14. みみずは いずみの/みずを みません」である。しかし、この語順では、前文でリズムを作り出していた「いずみの みず」が切れてしまう。リズムを活かすための倒置である。
 省略された語は、第1連「5.(ねずみが)いい みずねって のみます」、第2連「10.(すずめが)いい みずねって あびます」、第3連「15.(みみずが)いい うたねって ききます」という主格である。すべて前文に主格が書かれており、各連に登場人物は1匹(1羽)しかいないので、主格が省略されても、理解し易さに問題はない。

リズム

 全3連同じリズムで構成されている。
 また、各連最終行以外は、歌いだしにすべて4音の言葉が用いられている。安定したリズムを感じさせる。

音のイメージ・連の構成

 ここでは、韻を踏んでいる語を、連の構成と併せてみていく。韻を踏んでいる語、または同じ語は色を変えている。
 
  izumino mizu
  izumi
no mizu
  nezumi
ga nomimasu
  izumino mizuo
  ii mizunette nomimasu
 
  izumino mizu
  izumi
no mizu
  suzume
ga abimasu
  izumino mizuo
  ii mizunette abimasu
 
  izumino mizu
  izumi
no mizu
  mimizu
ha mimasen
  izumino mizuo
  ii utanette kikimasa
 
 どの連も、「いずみの みず」の反復によって始まっている。そして、用いられている言葉は、そのほとんどが韻を踏むものである。
 「いず(izu)み」「みず(mizu)」「いい みず(mizu)ね」という、母音「i」と子音「zu」を併せた語を多用し、韻を踏んでいる。
 また、登場人物である「ねずみ」「すずめ」「みみず」と、その3匹(羽)から発せられた「みずね」という言葉は、すべて「いずみ」と類似した音を持つものである。
 このような韻を踏まない「のみます」「あびます」という言葉もあるが、これらは、まったく同じ言葉を反復させることで、リズムを整える役目を果たしている。
 しかし、「13. みません」「15. ききます」は、第1,2連のように同じ言葉を反復しているわけではない。これは「13. みみずは」の「み」と「みません」の「み」の音をあわせたということと、「みません」=「みず(見ず)」と捉えて、「いずみの水」のほうにあわせたことの2つが考えられる。
 このように、音の響きが歌のおもしろさを作り出している。  

(3)うさぎ

本文リズム
  1. うさぎに うまれて
  2. うれしい うさぎ
  3. はねても
  4. はねても
  5. はねても
  6. はねても
  7. うさぎで なくなりゃしない
 
  8. うさぎに うまれて
  9. うれしい うさぎ
 10. とんでも
 11. とんでも
 12. とんでも
 13. とんでも
 14. くさはら なくなりゃしない
  4音+4音
  4音+3音
  4音
  4音
  4音
  4音
  4音+7音
 
  4音+4音
  4音+3音
  4音
  4音
  4音
  4音
  4音+7音
<初出・底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963 フレーベル館 菅野浩和曲 大中恩曲

語順・省略語

 基本的な語順に合致していて、非常に理解し易い言葉の並び方となっている。実にシンプルな印象を受ける。
 省略語を補うとすれば、「3. はねても」「10. とんでも」の前に入れる、(うさぎが)という主格が考えられる。しかし、主格を補わずとも、直前に「1.2.8.9. うさぎに うまれて/うれしい うさぎ」という言葉があるため、省略されていても問題はない。

リズム

 第1,2連とも、まったく同じリズムで構成されている。そして、各文節の前に並ぶ「う」の反復と、「3.4.5.6. はねても」「10.11.12.13. とんでも」という、もともと跳躍を感じさせる語の反復が、何よりもリズム感を感じさせる。全体的な同じリズムでの統一と、ひとつの音・語の反復という2種の構成によって、童謡世界全体に弾むような印象を与えている。

音のイメージ

 <リズム>で述べたことと重複するが、「はねても」「とんでも」という、語自体にリズム感あふれるものを反復したことで、童謡全体に明るさを与えている。
 そして、第1連では、初めに「1.2. う(u)さぎに う(u)まれて/う(u)れしい う(u)さぎ」と、狭口母音「u」を反復し用いたことで、音そのものとしては「暗い・こもった」という印象を与えている。しかし、続く「3.4.5.6. は(ha)ねても/は(ha)ねても/は(ha)ねても/は(ha)ねても」にきて、広口母音「a」を重ね、一気に高く、伸びやかに跳躍する様を感じさせている。

連の構成

[第1連]
 「1.2. うさぎに うまれて/うれしい うさぎ」という、うさぎの心情をストレートに表現した文から始まる。そして、いくらはねても自分はうさぎのままであると続いている。実にストレートである。
 「1.2. うさぎに うまれて/うれしい うさぎ」から、うさぎがうさぎとして生まれたことに、この上ない喜びを感じていることがわかる。ストレートな表現であるので、なおさら歌い手・聞き手の心に響く。
 さらに、その喜びを、「跳ねる」という行動を何回も繰り返してもやはり自分はうさぎのままなのだという行動と結果によって表現している。「跳ねる」という行為は、うさぎを象徴するものである。跳ねることで、自分がうさぎとして生きていることを実感する。「3.4.5.6. はねても/はねても/はねても/はねても/うさぎで なくなりゃしない」から、いくら跳ねたとしても、うさぎが犬や猫などのほかの動物に変わるわけではなく、存在が消滅してしまうわけでもない。うさぎはうさぎである。そのような、ごく当たり前のことさえも喜びに感じる程、うさぎは「自分」であることが嬉しいのである。

[第2連]
 第1連と同じく「8.9. うさぎに うまれて/うれしい うさぎ」から始まる。第2連では、続いて、いくら跳んでもくさはらはなくならないという状況が述べられている。
 第1連では、うさぎであることへの喜びを「いくら跳ねてもうさぎのままである」と「うさぎ」に焦点を当て表現されていたが、ここでは「くさはら」に焦点が当てられている。くさはらは、うさぎが生きていくために不可欠なものである。そのくさはらは、「10.11.12.13. とんでも/とんでも/とんでも/とんでも/くさはら なくなりゃしない」のである。いくら跳んでも、くさはらが枯れるわけでなく、草がなくなるわけでもない。くさはらはくさはらである。うさぎが生きていく場所のままなのである。
 くさはらが、いつまでもくさはらとして存在するということは、うさぎが、いつまでもうさぎとして存在するという証だと捉えることができる。


 このように、童謡「うさぎ」は、跳ねるという「うさぎの特徴」、そして、自分がどんなに跳ねても「うさぎのまま生きている」という状況によって、モチーフ「自分が自分であることへの喜び」を表現している。

 

(4)おにぎり ころりん

本文リズム
  1. かあさんの てから
  2. おもしろそうに
  3. うまれてくるのは ならぶのは
  4. おにぎりころりん ぎゅっころりん
  5. ぎゅっころ ぎゅっころ
  6. ぎゅっ ぎゅっ
  7. ぎゅっころりん

  8. どこかへ はやく
  9. つれてってって
  10. さんかく あたまで せがむのは
  11. おにぎりころりん ぎゅっころりん
  12. ぎゅっころ ぎゅっころ
  13. ぎゅっ ぎゅっ
  14. ぎゅっころりん
  5音+3音
  7音
  8音+5音
  8音+6音
  4音+4音
  2音+2音
  6音

  4音+3音
  7音
  4音+4音+5音(8音+5音)
  8音+6音
  4音+4音
  2音+2音
  6音
<初出>「NHKうたのえほん」1965 小森昭宏曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 かあさんが作っているおにぎりの様子を歌ったものである。

語順・省略語

 すべて、基本的な語順に沿って、文が組み立てられている。
 省略語は、「4.11. おにぎりころりん(です)」のみである。この「です」は、省略されていても歌い手・聞き手が自ら補うことができるので、問題はない。

リズム

 第1,2連を通して、1音の違いはあるが、ほぼ同じリズムから成っている。歌うことが意識された構成となっている。
 そして、各連の最後は「おにぎりころりん ぎゅっころりん/ぎゅっころ ぎゅっころ/ぎゅっ ぎゅっ/ぎゅっころりん」というオノマトペで締めくくられている。リズム感のあるオノマトペを最後に置くことで、童謡全体がリズミカルになる。

音のイメージ

 作品名である「おにぎり ころりん」の「ころりん」は、「ころ」という丸く、かわいらしい音と、「りん」という弾むような音とが組み合わさり、「かわいらしさ・軽やかさ」を表現している。
 また、何度も反復して用いられている「ぎゅっころ」は、「ぎゅっ」というかあさんの手の力強さと、「ころ」というおにぎりのかわいらしさの両方を表している。

連の構成

[第1連]
 かあさんがおにぎりを作っている場面である。というより、おにぎりは「3. うまれてくる」のである。おにぎりに意志が感じられる。
 しかも、おにぎりは「2. おもしろそうに」うまれてきている。これは、おにぎり自身が本当にうれしいのではなく、「おにぎりを持っていく誰か」または「おにぎりを食べる誰か」の心情の表れであると解釈できる。「ぼく」が道端にあった石ころを何気なく蹴り、その石ころが「5. もっと けってと いうように」「ぼく」を見たという状況が描写されている。「もっと けってと いうように」という表現から、「ぼくとかかわっていたい」という石ころの心情が感じられる。

[第2連]
 第2連では、できあがったおにぎりが、「8.9. どこかへ はやく/つれてってって」とせがんでいる場面である。
 ここでも、おにぎりの意志として描かれているが、やはり「誰か」の心情を代わりに表現していると考えられる。
 最も可能性の高いのは、この家の子どもである。子どもが「どこかへ はやく/つれてってって」せがんでいるとすれば、おそらく動物園や遊園地、公園というところであろう。子どもは、どこでもいいから「はやく」お出かけがしたいのだ。「はやく」という言葉に、期待で胸がいっぱいの子どもの気持ちが凝縮されている。
 「おにぎり」は、心情の上で子どもと融合しているのである。


 このように、童謡「おにぎり ころりん」は、子どもの期待感を、擬人化した「おにぎり」のものとして表現することで、モチーフ「お出かけに期待している心情」を表しているのである。

 

(5)かんがるー

本文リズム
  1. はねるー
  2. ながめるー
  3.  るー
  4.   るー
  5.  るー
  6. はねて ながめるー
  7. かんがるー
  8.  くさっぱら
  9.   あおぞら
  10.  おしまいは どちら

  11. はねるー
  12. くらべるー
  13.  るー
  14.   るー
  15.  るー
  16. はねて くらべるー
  17. かんがるー
  18.  くさっぱら
  19.   あおぞら
  20.  ひろいのは どちら
  4音
  5音
  2音
  2音
  2音
  3音+5音
  5音
  5音
  4音
  5音+3音

  4音
  5音
  2音
  2音
  2音
  3音+5音
  5音
  5音
  4音
  5音+3音
<初出>NHK 1963頃 服部公一曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 言葉あそびに重点を置いた歌である。

語順・省略語

 語順は基本的なものである。
 省略された語が多い。第1連「1.(かんがるーが)はねるー」「2.(かんがるーが)ながめるー」「6.7. はねて ながめるー/かんがるー(がいる)」「8.9.10.(かんがるーが)くさっぱら/あおぞら/おしまいは どちら(とながめる)」、そして、第2連は「11.(かんがるーが)はねるー」「12.(かんがるーが)くらべるー」「16.17. はねて くらべるー/かんがるー(がいる)」「18.19.20. (かんがるーが)くさっぱら/あおぞら/ひろいのは どちら(とくらべる)」である。
 多くの言葉が省略され、すべて短い言葉で構成されている。省略されているのは、曲名であり、唯一の登場人物でもある「かんがるー」と、述部である。どちらも歌い手・聞き手が自ら補えるものであるので、省略されていても問題はない。

リズム

 「はねるー」「ながめるー」「くらべるー」「るー」「かんがるー」と、言葉の最後が「る」であるものを多用し、しかも、「かんがるー」とあわせてすべて「るー」と伸ばしている。このような押韻によって、歌全体にまとまったリズムを感じさせている。
 「くさっぱら」「あおぞら」と、最後に「ら」であるものを並べていることも、リズムに関係している。
 また、耳で聞いて感じるリズムのほかに、「目で見て感じるリズム」も含まれている。改行する毎に1字ずつ下げたり上げたりすることで、行頭が曲線を描き、なめらかなリズムを感じさせている。

音のイメージ

 ひらがなで書かれた「るー」の反復によって、柔らかさ・優しさを感じさせる。本来ならば、カタカタで書く「カンガルー」も、ひらがなで「かんがるー」と表記されたことで、もともと持っているカンガルーに対する「かわいらしさ」というイメージに「柔らかさ・優しさ」が加わる。
 そして、「1. は(ha)ねるー」「2. な(na)がめるー」と、母音「a」のつく言葉から歌が始まっており、元気よくはねているカンガルーの姿によく合っている。

連の構成

[第1連]
 「1.2.3.4.5. はねるー/ながめるー/るー/るー/るー」から、この歌は始まる。主人公である「かんがるー」という言葉はないが、反復された「るー」と「はねる」という部分が、暗に「かんがるーの行動である」ことを表現している。
 また、「3.4.5. るー/るー/るー」は、行頭が1字・2字・1字と下げられている。これは、かんがるーが跳ねている様子を表す「視覚的なしかけ」であるといえる。
 ぴょんぴょんと跳ねながら、かんがるーは草原と青空を眺める。「8.9.10. くさっぱら/あおぞら/おしまいは どちら」と思いながら。
 眺めているだけでなく、かんがるーは「考えている」のかもしれない。「かんがるー」と「かんがえる」は音が類似しているため、十分このように捉えられる。
 かんがるーの目の前には、無限に広がる草原と青空しか存在しない。それらがぶつかっている場所、つまり「地平線」を眺めながら、「最後はどちらが広がっているのだろう」と思っている。
 上下に跳ねているかんがるーの目には、地平線も上下しているように映る。跳ねたときは青空でおしまいであるように思え、着地したときは草原でおしまいであるように感じる。「跳ねる」かんがるーならではの視線である。
 また、跳ねることによって、はるか遠くにあると信じている「草原と青空との終わり」をこの目で見ようとする姿が感じられる。

[第2連]
 第2連は、「11.12. はねるー/くらべるー」というかんがるーの様子が描かれている。第1連では「くらべるー」ではなく「ながめるー」であった。前よりも具体的に「考えよう」という姿勢が感じられる。しかし、相変わらず「跳ねる」という行動は変わらない。
 跳ねながらかんがるーは考える。「18.19.20 くさっぱら/あおぞら/ひろいのは どちら」と。「ひろいのは どちら」と言葉を変えているが、第1連で思ったことの言い換えである。跳ねたまま、どちらが広いのかを考えるのだが、どんなに考えても答えは出ない。いつまでも跳ねながら、はるかかなたの地平線を眺めるのである。


 このように、童謡「かんがるー」は、果てしなく続く地平線と、それを見つめながら、自然の中でいつまでも跳ね続けるカンガルーの姿が、耳で感じ取るリズム・目で見るリズムとともに描かれているのである。

 

(6)くまさん

本文リズム
  1. はるが きて
  2. めが さめて
  3. くまさん ぼんやり かんがえた
  4. さいているのは たんぽぽだが
  5. ええと ぼくは だれだっけ
  6. だれだっけ
 
  7. はるが きて
  8. めが さめて
  9. くまさん ぼんやり かわに きた
  10. みずに うつった いいかお みて
  11. そうだ ぼくは くまだった
  12. よかったな  
  3音+2音(5音)
  2音+3音(5音)
  4音+4音+5音
  7音+6音
  3音+3音+5音
  5音
 
  3音+2音(5音)
  2音+3音(5音)
  4音+4音+3音+2音(5音)
  3音+4音+4音+2音(7音+6音)
  3音+3音+5音
  5音  
<初出>鈴木敏朗編『保育名歌12か月 ぱぴぷぺぽっつん』1971 音楽春秋 鈴木敏朗曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 冬眠から覚めたくまさんが、自分が誰だかわからなくなってしまうという状況を歌っている。

語順・省略語

 語順に目を向けると、引用句「4.5.6. さいているのは たんぽぽだが/ええと ぼくは だれだっけ/だれだっけ」が、「3. くまさん ぼんやり かんがえた」の後にきている。本来ならば、考えた内容である引用句を「かんがえた」の前に置く語順となる。
 省略語は、「2.8.(くまさんの)めが さめて」「10.(くまさんは)みずに うつった いいかお みて」「12. よかったな(とおもった)」である。
 「くまさんの(は)」は、すべて前文に書かれているので省略されていても問題はない。「とおもった」も、文の流れから十分理解できるため、省略されても差し支えない。また、述部を省略することで、童謡に余韻を持たせる効果がある。

リズム

 第1,2連を通して、同じリズムで構成されている。歌うことが意識されている。
 第1連は、各行の終わりに「1. はるが きて」「2. めが さめて」「3. かんがえた」「5.6. だれだっけ」という5音の語を置いている。5音で終わると、リズム感を得られると同時に、安定感も感じられる。
 同様のことが、第2連「7. はるが きて」「8. めが さめて」「9. かわに きた」「11. くまだった」「12. よかったな」にもいえる。

音のイメージ

 第1連の始まりは、「1. はるが きて」「2. めが さめて」という、「〜して、〜して、…」の形がとられている。これは、後に続いていく感じを与え、歌い手・聞き手に、次に何が起こるのだろうという期待感を抱かせる。
 また、「くまさん」と、「さん」をつけたことで「かわいらしさ」を感じさせる。「3.9. ぼんやり」「5. ええと」など、目が覚めたばかりのとぼけた様子を表現した語と重なり、恐ろしいくまを一切感じさせず、穏やかなくまさんを想像させる。

連の構成

[第1連]
 長い冬眠から目覚めたくまさんは、まず考える。「4.5.6. さいているのは たんぽぽだが/ええと ぼくは だれだっけ/だれだっけ」と。ごはんを食べるのでなく、水を飲むのでもなく、まず、「ぼくは誰なんだろう?」と、自分は何者かということについて悩むのである。
 初めに、すっかり温かい春になった外を見て、「4. さいているのは たんぽぽだが」と、「春」の象徴であるたんぽぽの存在を確認している。「じゃあ、ぼくは誰だろう?」と、たんぽぽと同様、自分の存在を確認しようとする。
 「5.6. だれだっけ/だれだっけ」という反復は、自分について考えているくまさんの一生懸命さを表現していると同時に、「わかりきったことがわからない、滑稽さ」も表している。
 しかし、これは「滑稽なこと」では終わらない。「自分が何者かわからない」ということは、すなわち「アイデンティティーの喪失」を指す。逆を言うと、滑稽だと思ってしまうほど、「忘れるなどあり得ないこと」「わかっていて当然のこと」をうっかり忘れてしまうのである。

[第2連]
 第1連と同じフレーズで、第2連に入っていく。自分の正体について考えることを一時中断したのか、そのまま考えながらなのかは定かではないが、とりあえず、「9. ぼんやり かわに きた」のである。ぼんやりしつつも川にきたのは、「水が飲みたい」「顔が洗いたい」という本能からであると推測できる。 そして、「10. みずに うつった いいかお みて」、くまさんはとうとう答えを見つけ出す。「11. そうだ ぼくは くまだった」と。「いいかお」という言葉から、自分の存在を肯定的に捉える心情がうかがえる。
 自分が「くま」であるとわかったくまさんは、最後に一言「12. よかったな」と言い、安心する。何の飾りもない、素直な表現である。だからこそ、ストレートに歌い手・聞き手の心に響く。くまさんは、自分の姿を見ることで、やっと「アイデンティティーの復活」をむかえることになる。これは、くまが、自分が「くま」という姿で生きていることを肯定的に捉え、喜ばしく思っていることを表現しているのである。


 このように、童謡「くまさん」は、一度アイデンティティーを喪失し、それを取り戻すことによって、モチーフ「自分が自分であることの喜び」を表現しているのである。

 

(7)ことり

本文リズム
  1. ことりは
  2. そらで うまれたか
  3. うれしそうに とぶよ
  4. なつかしそうに とぶよ
  5. ことりが
  6. そらの なかを

  7. ことりは
  8. くもの おとうとか
  9. うれしそうに いくよ
  10. なつかしそうに いくよ
  11. ことりが
  12. くもの そばへ
  4音
  3音+5音
  6音+3音
  7音+3音
  4音
  3音+3音

  4音
  3音+5音
  6音+3音
  7音+3音
  4音
  3音+3音
<初出・底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963 フレーベル館 萩原英彦曲

 小鳥が空を飛ぶ様子を描写している歌である。

語順・省略語

 第1連は、動作「3. うれしそうに とぶよ」「4. なつかしそうに とぶよ」の前に、主格「5. ことりが」、位格「6. そらの なかを」を置くと、基本的な語順になる。
 第2連も、同じく動作「9. うれしそうに いくよ」「10. なつかしそうに いくよ」の前に、主格「11. ことりが」、位格「12. くもの そばへ」を置けばよい。
 しかし、用いられている語は非常にシンプルなものばかりであるので、歌として耳で聞く場合でも、倒置によって作品世界を理解し難くさせているとは言えない。寧ろ、倒置によって、歌に余韻を感じさせる構成となっている。
 また、省略語は第1連「5. ことりが」「6. そらの なかを」の後に続く述部(とぶよ)と、第2連「11. ことりが」「12. くもの そばへ」の後の述部(いくよ)が考えられる。省略されていても、前に「とぶよ」「いくよ」が書かれているので、歌い手・聞き手が理解するのに問題はない。加えて、この省略によって、余韻を生み出している。

リズム

 全2連を通して、まったく同じリズムで構成されている。歌うことを意識されたリズムとなっている。
 また、「1. ことりは」と「7. ことりは」、「2. うまれたか」と「8. おとうとか」、「3.4. とぶよ」と「9.10. いくよ」、「5. ことりが」と「11. ことりが」という、各連で対応する文節の最後が、同じ音となっている。このことも、リズムに関係している。

音のイメージ

 「3.4. とぶよ」「9.10. いくよ」は、語尾が「よ」となっている。「よ」で締めくくることによって、他者に優しく語りかける印象や、明るさを感じさせる。さらに、「3.4. とぶよ」「9.10. いくよ」の前には、「うれしそうに」「なつかしそうに」という、言葉自体に優しさ・明るさといったプラスイメージを持つ語があるため、なおさらこのような印象を与えている。また、「うれしそうに とぶよ(いくよ)」と「なつかしそうに とぶよ(いくよ)」を並列していることで、一つ一つの言葉が持つプラスイメージより、さらに高まったものが感じられる。

連の構成

[第1連]
 「1.2. ことりは/そらで うまれたか」という疑問文から、この童謡は始まっている。これは、当然であるが、本当に小鳥の生まれた場所を聞いているのではない。まるで、空で生まれたかと思う程、小鳥が空を「3. うれしそうに」「4. なつかしそうに」飛んでいるのである。小鳥にとって、空は単なる「空間」ではない。嬉しくも、懐かしくも感じられる「母」のような存在なのである。
 また、小鳥は「そらを」飛んでいるのではなく、「6. そらの なかを」飛んでいる。空という母に包まれながら、安心感に満ちて飛んでいるのである。 この童謡では、「とり」ではなく「ことり」と表現されている。「母」や「生まれる」という言葉には、大きな「とり」ではなく、小さな小さな「ことり」の方がイメージにあっていると言える。

[第2連]
 第2連では、「くも」が登場する。小鳥は、母なる空の中を飛ぶときと同じように、雲に向かって「9. うれしそうに」「10. なつかしそうに」行く。
 「母」である空に対し、くもは「兄」である。同じ空を母にもつ、兄弟なのである。小鳥にとって、母も兄も大切な「家族」である。ここには、母に見守られながら、兄の近くで嬉しそうに飛ぶという、「家族像」がある。プラスイメージの語によって、温かく表現された家族の姿がある。
 そして、この姿は小鳥たちのものだけにとどまらず、私たち人間にも充分当てはまることである。この世に生きているすべてのものは、家族や他者とかかわりあいながら生きている。共に仲良く生きることを、母なる空は望んでいるのである。


 このように、童謡「ことり」は、空の中で、小鳥が雲と共に安心感に満ちて飛ぶ姿を描いている。自然と小鳥を「家族」に例え、モチーフ「家族や他者と共に生きる喜び」を表現しているのである。

 

(8)ごはんを もぐもぐ

本文リズム
  1. ごはんを もぐもぐもぐ
  2. くちから たべた

  3. おはなし ぺらぺらぺら
  4. くちから でてきた

  5. おみずを こぷこぷこぷ
  6. くちから のんだ

  7. いいうた らんらんらん
  8. くちから でてきた
  4音+6音
  4音+3音

  4音+6音
  4音+4音

  4音+6音
  4音+3音

  4音+6音
  4音+4音
<初出>「幼児の指導」1960 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 ごはんを食べたり、水を飲んだりするときの様子を歌ったものである。

語順・省略語

 語順は、すべて基本的なものに沿って文が組み立てられている。
 省略されているのは、「1.(わたしは)ごはんを もぐもぐもぐ」、「5.(わたしは)おみずを こぷこぷこぷ」と、「4.(わたしの)くちから でてきた」、「8.(わたしの)くちから でてきた」である。どちらも、省略されていても、歌い手・聞き手が自ら補えるので、文の理解し易さに問題はない。

リズム

 第1連「2. たべた」の3音に対し、第2連「4. でてきた」が4音、第3連「6. のんだ」が3音、そして第4連「8. でてきた」が4音と、1音のずれはあるが、リズムを崩すほどのものではない。
 そして、オノマトペ以外は3音、あるいは4音であるのに対し、オノマトペはすべて6音で構成されている。本来ならば「もぐもぐ」という言葉であるが、あえて「もぐもぐもぐ」と長くして用いている。リズムを崩すことで、オノマトペを引き立たせる効果がある。
 また、各連「〜を(が)→オノマトペ→くちから→動作(状態)」という形で文が成っているので、全体的にまとまっている印象を与える。

音のイメージ

 「もぐもぐもぐ」「ぺらぺらぺら」「こぷこぷこぷ」「らんらんらん」という、かわいらしいイメージを持つ語が多用されている。特に、「ぺらぺらぺら」「こぷこぷこぷ」はパ行の音が用いられ、はっきり軽い印象を与える。また、「らんらんらん」は広口母音「a」により、明るく、上に開かれた音となっている。オノマトペによって、童謡全体に明るさ・楽しさを感じさせているのである。

連の構成

[第1連]
 「1. ごはんを もぐもぐもぐ」と食べている場面である。普通であれば「もぐもぐ」と表現するが、「もぐもぐもぐ」とすることで、一生懸命よく噛んでいる子どもの様子が思い浮かぶ。
 ごはんは、言わずとも「口から」食べるものである。あえて「2. くちから たべた」ということで、歌い手・聞き手は「口」を意識させられる。

[第2連]
 「ぺらぺらぺら」とお話をしている場面である。第1連と同様、ここでも「ぺらぺらぺら」としている。3回反復させることで、語の持つイメージをさらに引き立たせている。
 第1連での口の役割であった「食べる」こと以外の役割「話す」という動作を表現している。同じ「口」でも、役割として違う一面を見せている。

[第3連]
 「5. おみずを こぷこぷこぷ」と飲んでいる場面である。水を飲むとき、普通なら「ごくごく」「がぶがぶ」と表現する。しかし、この「こぷこぷこぷ」は、「コップ」に似せた音を用いているということと、「少しずつ飲んでいる様子」を表していることの2つが考えられる。歌い手・聞き手が幼い子であるので、水を勢いよく飲む姿を表現するのは適さない。
 第3連でも、「飲む」という、口のほかの役割に焦点を当てている。

[第4連]
 「らんらんらん」と、いい歌を歌っている場面である。「うた」ではなく「いいうた」と表現しているのは、第1〜3連の「ごはんを」「おはなし」「おみずを」の4音にあわせ、リズムをとるためである。また、「らんらんらん」と3回反復させることで、より楽しさが増す。
 第4連では、「歌う」という口の役割に焦点を当てている。  全4連の動作は、第1連「食べる」、第2連「話す」、第3連「飲む」、第4連「歌う」となり、口から「入れる」「出す」「入れる」「出す」という反復が見られる。


 このように、童謡「ごはんを もぐもぐ」は、「口」という、人間の体の一部の様々な動きに焦点を当て、モチーフ「日常の姿」を表現している。

 

(9)スワン

本文リズム
  1. みずの うえを
  2. スワンが すべる
  3. うつった じぶんに
  4. みとれるように
  5. ゆめみるように
  6.  みているのは
  7.  わたしと ママよ
 
  8. みずの なかを
  9. スワンが およぐ
  10. いっしょうけんめい
  11. みずかき かいて
  12. いそがしそうに
  13.  みているのは
  14.  ナマズと フナよ
  3音+3音(6音)
  4音+3音(7音)
  4音+4音(8音)
  7音
  7音
  6音
  4音+3音(7音)
 
  3音+3音(6音)
  4音+3音(7音)
  8音
  4音+3音(7音)
  7音
  6音
  4音+3音(7音)
<初出>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズ3 かんさつしよう』1966 全音楽譜出版社 飯沼信義曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 スワンが泳いでいる様子を描いた歌である。

語順・省略語

 語順は、第1連「2. スワンが すべる」と「3.4.5. うつった じぶんに/みとれるように/ゆめみるように」が倒置になっている。第2連「9. スワンが およぐ」と「10.11.12. いっしょうけんめい/みずかき かいて/いそがしそうに」も倒置である。
 省略語は、第1連「3.(みずに)うつった じぶんに」の位格、「4. みとれるように(すべる)」「5. ゆめみるように(すべる)」の述部、「6.(スワンを)みているのは」の対格である。第2連は、「10. いっしょうけんめい(およぐ)」「11. みずかき かいて(およぐ)」「12. いそがしそうに(およぐ)」の述部と、「13.(スワンを)みているのは」の対格である。位格、対格、述部のすべてにおいて、省略された語と同じものが前文にあるか、歌い手・聞き手が自ら補えるものばかりであるといえる。省略されたことによって、文が理解し難くなるとはいえない。

リズム

 第1,2連を通して、同じリズムで構成されている。歌うことを意識されたものである。
 また、「6音・7音・8音・7音・7音・6音・7音」と、間に7音の語を挟み、そこで一旦区切って次へ促す役目をさせている。この区切りは、意味のまとまりとしての区切りと合致しているため、安定感を与える。

音のイメージ

 第1連の各行の初めの語である「1. み(mi)ずの」「2. ス(su)ワンが」「3. う(u)つった」「4. み(mi)とれるように」「5. ゆ(yu)めみるように」は、「i」「u」の母音から成っている。内向的で、こもったような音の響きであり、しっとりとした印象のこの連に合致している。
 第2連「8. み(mi)ずの」「「9. ス(su)ワンが」「10. い(i)っしょうけんめい」「11. み(mi)ずかき」「12. い(i)そがしそうに」の音の響きにも、第1連と同様のことがいえる。また、「i」は、内向的であると同時に、鋭い印象も持つ音である。泳ぎに力の入ったスワンの様子を感じ取ることができる。

連の構成

[第1連]
 スワンが、水の上を「4. みとれるように」「5. ゆめみるように」すべっている。スワンの姿を現す語が連続して書かれており、この上なく優雅に泳いでいる印象を与えている。もともと、スワンには「きれいな・優雅な」というイメージがある。第1連では、このイメージを裏切らない、きれいなスワンの姿を描いている。
 このスワンの様子を見ているのは、「7. わたしと ママよ」と言っている。私もママも、陸から見えるスワンの優雅な姿に見とれているのであろう。連の最後が「わたし」の言葉で締めくくられていることで、「わたし」がスワンを見守る温かさが、そのまま連全体にまで伝わっている。

[第2連]
 第2連でも、「8.9. みずの なかを/スワンが およぐ」様子が描かれている。第1連と同じスワンである。ただし、第1連と異なっていることは、水の「上」ではなく、「中」での泳ぎに着目していること、そして、スワンが「すべる」のではなく「およぐ」と表現されていることである。この2行だけでも、先ほどよりも、スワンの優雅さが欠けているように感じられる。
 さらに、第1連であれだけ優雅に泳いでいたスワンは、ここにきて「10.11.12. いっしょうけんめい/みずかき かいて/いそがしそうに」泳ぐ姿が捉えられている。この姿を見ているのは、水の中にいる「14. ナマズと フナ」である。
 陸から見ると「優雅さ」しか感じさせなかったスワンは、実は、水の中で忙しく足を動かせていたのである。陸から見るものと水中から見るものとでは、正反対の姿があった。滑稽だが、それが真のスワンの姿である。視点の位置を変えることで、初めて全貌が見えてくるのである。この歌は、滑稽さを感じさせると同時に、「ほんの一面しか見えていないこと」が、自分の周りにもあるのではないか、と思わされてしまうものでもある。


 このように、童謡「スワン」はスワンの泳ぐ様子を2面から捉え、スワンの本当の姿を描いている。ユーモアを交えて、モチーフ「スワンの本当の姿形を二面で表現する」ということを表している。

 

(10)ぞうさん

本文リズム
  1. ぞうさん
  2. ぞうさん
  3. おはなが ながいのね
  4.  そうよ
  5.  かあさんも ながいのよ
 
  6. ぞうさん
  7. ぞうさん
  8. だれが すきなの
  9.  あのね
  10.  かあさんが すきなのよ
  4音
  4音
  4音+5音
  3音
  5音+5音
 
  4音
  4音
  3音+4音
  3音
  5音+5音  
<初出>佐藤義美編『日本童謡絵文庫第6巻 新日本童謡集』1952 あかね書房 酒田冨治曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社 團伊玖磨曲

 「ぞうさん ぞうさん」という呼びかけから、この詩は始まる。この呼びかけが人間の子どもから発せられたものなのか、ぞうの友達である動物から発せられたものなのかは定かではないが、とにかくぞう以外の誰かが話しかけ、それにぞうが応答するという形式で詩が構成されている。

語順・省略語

 語順を見てみると、基本的な語順に反したものはない。歌い手・聞き手が詩の世界を理解することに難しさを感じさせることはない。
 また、省略された語を補うとすれば、「2.(ぞうさんは)おはなが ながいのね」「5.かあさんも(おはなが)ながいのよ」「8.(ぞうさんは)だれが すきなの」「10.(わたしは)かあさんが すきなのよ」という題目語と対格である。題目語「ぞうさんは」はタイトルと共通するものであり、直前に「ぞうさん」という呼びかけもあるので、省略されていても理解し易さに変わりはない。「わたしは」も、「ぞうさんは」の言い換えであるので、同じことが言える。

リズム

 リズムは「3. おはなが ながいのね」が4音+5音であるのに対し、「8. だれが すきなの」が3音+4音であり、第1,2連ともに同じとは言えない。しかし、曲をつける段階で「だあれが すきなあの」の4音+5音とされ、リズムに乗って「歌う」ことが意識されている。

音のイメージ

 「1.2.6.7. ぞ(zo)うさん」「3. お(o)はなが」「4. そ(so)うよ」「5. か(ka)あさんも」「8. だ(da)れが」「9. あ(a)のね」「10. か(ka)あさんが」と、母音「a」「o」のつく語を多く用いることで、歌全体にも優しさや柔らかさを印象付けている。
 また、<リズム>で述べた「だあれが すきなあの」は、「a」という広口母音が入ることで、より歌に優しさ・柔らかさ・明るさが加わっている。

連の構成

[第1連]
 誰かがぞうに「3. おはなが ながいのね」と話しかけている。「ながいのね」という状態確認は、「(わたしと違って)ながいのね」という意味を含む語である。これが単に不思議がっているのか感心しているのか、反対に皮肉を込めて発せられたものかはわからない。とにかく「地球上のほかの動物とは明らかに異なった鼻だね」という、ぞうの外見の特徴について尋ねている。
 この言葉に、ぞうは「4.5. そうよ/かあさんも ながいのよ」と応答する。これは、同じぞうだから同じように鼻が長いといった単純な遺伝上の話ではない。長い鼻が、他でもない大好きなかあさんと一緒であることを嬉しく思っているのである。ただし、このことが明らかになるのは第2連に入ってからで、この段階では嬉しさを暗に表現しているということだけが言える。「長い鼻」という外面の共通点を挙げるだけにとどまっているのである。

[第2連]
 続いて誰かが「8. だれが すきなの」とぞうに尋ねる。ぞうは「9. あのね」といったん間をおいた後で「10. かあさんが すきなのよ」と答える。先に述べた「かあさんが好きだ」という事実はこの段階で明らかにされる。ここでもう一度第1連に返ると、何故ぞうが「4.5. そうよ/かあさんも ながいのよ」という答え方をしたのかがわかる。

 次に、「9. あのね」というフィラーに着目する。話の前に「あのね」と間をおくのはどのようなときか。フィラーは、前に述べたことに補足・説明するときや、口にするのに少し戸惑ったときなどに用いる。この場合は、「かあさんが好きだ」という内面をさらけだすため、間をおいたと解釈できる。はにかんだぞうの様子が「あのね」の一言に凝縮されている。
 反対に、第1連「4. そうよ」は、後に「長い鼻」という外面の共通点のみを挙げているため、何の戸惑いもなく応答しているぞうの姿を想像できる。
 全2連を通して、大好きなかあさんと同じ姿に生まれて嬉しいというぞうの感情、つまり「自分がぞうとして生まれて嬉しいという満足感」を歌い手・聞き手に与える構成となっている。


 このように、童謡「ぞうさん」は、状況説明を一切加えず、会話のみによってぞうの外面を捉え、その内面も明らかにし、さらにモチーフ「自分が自分として生まれてきたことに対する嬉しさ」をつかみ得る構成となっている。

 

(11)ちいさな ゆき

本文リズム
  1. ちいさな ゆきが
  2. ちらりん ひとつ
  3. ひとさしゆびに おりてきた
  4. ひとさしゆびの ゆびさきに
  5. てんの つかいのように して
 
  6. ちいさな ゆきが
  7. ちらりん ひとつ
  8. ひとさしゆびで きえちゃった
  9. ひとさしゆびの ゆびさきで
  10. てんの ようじは いわないで
  4音+3音
  4音+3音
  7音+5音
  7音+5音
  3音+7音+2音(7音+5音)
 
  4音+3音
  4音+3音
  7音+6音
  7音+5音
  3音+4音+5音(7音+5音) 
<初出>「幼児と保育」1966 小学館 飯沼義信曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 降ってきた雪が、自分の指先に落ちたときの状況を歌ったものである。

語順・省略語

 「4. ひとさしゆびの ゆびさきに」「5. てんの つかいのように して」の部分に、倒置が用いられている。これに対する、第2連「9. ひとさしゆびの ゆびさきで」「10. てんの ようじは いわないで」でも倒置が見られる。易しい言葉で構成されているので、倒置が用いられても、文の理解し易さに変わりはない。
 また、倒置が用いられることによって、「3. ひとさしゆびに」「4. ひとさしゆびの」や「8. ひとさしゆびで」「9. ひとさしゆびの」と反復される。対象「ひとさしゆび」が強調され、より視線が集められる。それとともに、「5. てんの つかいのように して」「10. てんの ようじは いわないで」の各連の最後に、余韻を生じさせている。
 省略語を補うとすると、第1連「4. ひとさしゆびの ゆびさきに」(おりてきた)と、第2連「9. ひとさしゆびの ゆびさきで」(きえちゃった)の述部を置くことになる。両方、直前に書かれている語であるので、省略されていても歌い手・聞き手が補うことができる。

リズム

 第1連「3. ひとさしゆびに おりてきた」の7音+5音と、第2連「8. ひとさしゆびで きえちゃった」の7音+6音で、1音だけのリズムの違いが見られる。しかし、わずかであるので、リズムを崩すほどのものではない。各連「4音+3音の反復」「7音(6音)+5音の反復」という構成となっており、リズム感が感じられる。
 また、「3. おりてきた」という雪の誕生に対して、反対に「8. きえちゃった」という雪の消滅を表す言葉が用いられており、意味の上でリズムを感じさせる構成となっている。

音のイメージ

 第1連「1. ち(ti)いさな」「2. ち(ti)らりん」「3. ひ(hi)とさしゆびに」「4. ひ(hi)とさしゆびの」「5.て(te)んの」と、各行の先頭は「i」「e」の母音から成る語が用いられている。「i」は、外へ向かう開かれた音ではなく、内向的な音である。小さな小さな雪のイメージと合致している。「e」も同じく、明るさではなく、重く静かな印象を与える音である。
 第2連も、まったく同じことがいえる。

連の構成

[第1連]
 小さな雪が、「2.3. ちらりん ひとつ/ひとさしゆびに おりてきた」ことから、この童謡は始まる。「ちらちら」ではなく「ちらりん」と落ちてくるのである。「りん」と言葉を切ったことで、ほんのひとかけらの、ごくわずかな雪という印象を与えている。
 雪は「おちてきた」のではなく、「おりてきた」。自ら指先に降り立とうとする、雪の意志が感じられる。この雪は、偶然に指先に落ちてきたものではなく、大事な「5. てんの つかい」なのである。大きな大きな「てん」のつかいである、小さな小さな「ゆき」。雪という一点にしぼられていた視線が、ここで大きく開かれる。
 また、雪は「ゆびさきに」おりてきた。指の最も狭い場所へとおりてきたのである。これからも、雪の小ささを感じられる。

[第2連]
 指先におりてきた小さな雪は、おりてきた場所と同じ指先で消えてしまう。「8. ひとさしゆびで きえちゃった」と惜しんでいる。単に「きえた」という状況を表しているのではなく、「きえちゃった」と寂しさが含まれている。ひとさしゆびをじっと見つめていただけに、「10. てんの ようじは いわないで」、あまりにもはかなく消えた雪を惜しんでいるのである。
 しかし、ここで雪の命は終わったわけではない。再び天へのぼり、天のつかいとして幾度となく地上におりてくる。そして、降りてきては消え、降りてきては消え…と、「天のつかい」としての雪の任務はずっと続いていくのである。そして、雪が舞い降りてくるたびに、雪に「天」という無限に広がる存在を見るのである。


 このように、童謡「ちいさな ゆき」は、雪のはかなさと、雪の存在によって見せる「天」という無限の広がりを歌い手・聞き手に感じさせ、それをじっと見つめる人物の姿を思い描かせている。このことによって、モチーフ「自然への愛情に満ちたまなざし」を表現している。

 

(12)チューリップが ひらくとき

本文リズム
  1. チュ チュ チューリップが
  2. ひらく とき
  3. ならんで 一れつ ひらく とき
  4. かわいい ラッパが なるかしら
  5.  パラン
  6.  ポロン
  7.  ピリン
  8.  プルン
  9.  なるかしら
 
  10. チュ チュ チューリップが
  11. ひらく とき
  12. ならんで 一れつ あさの ひに
  13. しずくの しゃぼんだま とぶかしら
  14.  パラン
  15.  ポロン
  16.  ピリン
  17.  プルン
  18.  とぶかしら
 
  19. チュ チュ チューリップの
  20. しゃぼんだま
  21. ならんで 一れつ てに うけて
  22. チョウチョが ほっぺを あらうかしら
  23.  パラン
  24.  ポロン
  25.  ピリン
  26.  プルン
  27.  あらうかしら
  1音+1音+6音
  3音+2音(5音)
  4音+4音+3音+2音(5音)
  4音+4音+5音
  3音
  3音
  3音
  3音
  5音
 
  1音+1音+6音
  3音+2音(5音)
  4音+4音+3音+2音(5音)
  4音+5音+5音
  3音
  3音
  3音
  3音
  5音
 
  1音+1音+6音
  5音
  4音+4音+2音+3音(5音)
  4音+4音+6音
  3音
  3音
  3音
  3音
  6音
<初出>ろばの会リサイタル 1960 宇賀神光利曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 チューリップの花が咲いたときの様子を想像した歌である。

語順・省略語

 基本的な語順どおりに文が組み立てられている。非常に理解し易い。
 省略語を補うと、「3. ならんで 一れつ ひらく とき」「12. ならんで 一れつ あさの ひに」の前に、主格(チューリップが)が置かれる。また、「5. パラン」の前に、主格(ラッパが)、「14. パラン」の前に、主格(しゃぼんだまが)、「23. パラン」の前に、主格(チョウチョが)・対格(ほっぺを)が、それぞれ補える。すべて直前に書かれている語ばかりであるので、省略されていても、童謡世界の理解し易さに影響はない。

リズム

 「4. かわいい ラッパが なるかしら」が4音+4音+5音、「13. しずくの しゃぼんだま とぶかしら」が4音+5音+5音、「22. チョウチョが ほっぺを あらうかしら」が4音+4音+6音と、1音ずつ違っている。
 そして、「9. なるかしら」「18. とぶかしら」「27.あらうかしら」も、5音、5音、6音と1音ずつ違う。わずかな違いであるし、「〜かしら」と語尾を揃えているため、リズムをくるわせる程のものではない。

音のイメージ

 最初に、「 1.10.19. チュ チュ チューリップ」と「チュ」を反復することで、童謡にかわいらしさ・明るさを与えている。また、同時にリズム感を生み出している。
 この童謡で最も目に付く部分は、「5.6.7.8. パラン/ポロン/ピリン/プルン」という変わったオノマトペである。
 「パ(pa)ラ(ra)ン」の「a」は明るく、点へ広がっていく印象を与える。「ポ(po)ロ(ro)ン」の「o」は暗い印象を、「ピ(pi)リ(ri)ン」の「i」はするどく刺さるような印象、最後「プ(pi)ル(ru)ン」の「u」は暗い印象を与えるものである。「明るく強い音→暗い音」の反復によって、オノマトペが成り立っている。
 しかし、すべてが子音「p」とともに発音される語であるため、母音の与える印象と同時に、全体的にはじけるような、美しい印象も与えている。
 ここでは、「ペレン」という語は用いられていない。「ペレン」は、伸びきった印象を与える語であるので、チューリップが咲くという元気のある様子を表現するには適切ではない。

連の構成

[第1連]
 「チューリップがひらくとき、ラッパのように音がなるかしら」という期待を込めた連である。この後「パラン/ポロン/ピリン/プルン」というオノマトペが続く。
 この音はラッパの音、つまり「チューリップの花がひらく音」である。チューリップの花びらがはじけるようにひらく音という、本来ならば聞えるはずもない音を、チューリップのもつかわいらしいイメージと音のかわいらしさを利用して表現している。そして、連の最後は「なるかしら」と締めくくり、歌い手・聞き手に期待感を残して次の連へと続いている。

[第2連]
 「チューリップがひらくとき、チューリップについているしずくが、しゃぼんだまのようにとぶかしら」という期待を込めた連である。そして、第1連と同じくオノマトペが続いている。
 ここでのオノマトペの用いられ方は、しゃぼんだまがとぶ音、つまり「しずくがとぶ音」である。単に「しずく」とするより、「しゃぼんだま」と表現した方が、さらにかわいらしく、軽くふわっと飛ぶ印象を与える。
 オノマトペは、第1連とまったく同じ表現であるが、表現対象が異なっている。オノマトペの与える印象と、連の最後「とぶかしら」という表現が与える期待感は、第1連と同じである。

[第3連]
 「チューリップのしずくで、チョウチョがほっぺを洗うかしら」という期待を、オノマトペとともに表現した連である。
 チョウチョがほっぺを洗うという、まるでおとぎばなしのような場面設定とオノマトペの持つ印象が、ぴたりと合っている。
 また、第1連「チューリップ」、第2連「しずく」、そして、第3連「チョウチョのほっぺ」と、表現対象として、より小さなものへと目を向けられている。


 このように、童謡「チューリップが ひらくとき」は、「チューリップ」や小さな「チョウチョのほっぺ」に視線を向け、それに音をつけることによって、チューリップがひらくこと・春が訪れることに対する期待感を表現している。オノマトペによって、モチーフ「自然に対する喜び・美しさ」を表現しているのである。

 

(13)ハンカチの うた

本文リズム
  1. ハンカチ カチカチ
  2. まっしろ ハンカチ
  3. しかくに たたんだ
  4. しわなし ハンカチ カチカチカチ
  5. みんなが かあさんに もらって
  6. コツコツ コツコツ おでかけ
 
  7. ハンカチ カチカチ
  8. まっくろ ハンカチ
  9. くしゃくしゃ まるめた
  10. しわくちゃ ハンカチ クチャクチャクチャ
  11. みんなが かあさんに わたしに
  12. コツコツ コツコツ おかえり
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音+6音
  4音+5音+4音
  4音+4音+4音
 
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音
  4音+4音+6音
  4音+5音+4音
  4音+4音+4音
<初出>NHK 1954 中田喜直曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 お出かけをするときと帰ってくるときの、ハンカチの様子を歌ったものである。

語順・省略語

 語順は、すべて基本的なものに沿って並べられている。
 省略語を補うと、「4. しわなし ハンカチ」(がある)、「10. しわくちゃ ハンカチ」(になった)「6. コツコツ コツコツ おでかけ」(をする)と、最後に述部を置くことが考えられる。そして、「5. みんなが かあさんに もらって」「11. みんなが かあさんに わたしに」の部分は、「かあさんに」の前か後ろに、対格(ハンカチを)が省略されている。述部は、省略されていても歌い手・聞き手が頭の中で補うことができ、問題はない。対格「ハンカチを」は、直前に書かれている語であるため、省略されていても文の理解し易さは変わらない。

リズム

 第1,2連とも、同じリズムで構成されている。歌うことを意識されたものである。
 第1連「1. ハンカチ カチカチ」「2. まっしろ ハンカチ」「3. しかくに たたんだ」「4. しわなし ハンカチ」までは、すべて4音+4音のリズムを持ち、弾んだ印象を受ける。そして、この後の「4. カチカチカチ」で6音とリズムが変わり、ここで一呼吸おき、次へ続く感じを与える。
 第2連も同じリズムをもって、このような印象を与えている。
 また、「カチカチ」「コツコツ」「クチャクチャクチャ」など、同じ音を反復させたオノマトペが多用されている。これによって、さらにリズムを感じさせている。
 さらに、「カチカチ」は、「ハンカチ」の「カチ」と韻を踏んでいる。リズムを感じさせる要素が多く見られる。

音のイメージ

 第1連の始まりは、「1.2. ハ(ha)ンカチ カ(ka)チカチ/ま(ma)っしろ ハ(ha)ンカチ」と広口母音「a」が並べられている。明るく、元気な様子が表現されている。
 第2連「7.8. ハ(ha)ンカチ カ(ka)チカチ/ま(ma)っくろ ハ(ha)ンカチ」も、同じ入り方をしている。
 次に、「6. コツコツ コツコツ おでかけ」に着目する。「コツコツ」は、お出かけするときの足音であり、「ハンカチ」の「カチ」と似た音でもある。「カチ」も「コツ」も、「カ行+タ行」で構成された音である。
 仮に、「カ行+タ行」である「カチ」以外の組み合わせを考えてみると、以下の24種類が挙げられる。
 
 
・カタ     ・カツ ・カテ ・カト
・キタ ・キチ ・キツ ・キテ ・キト
・クタ ・クチ ・クツ ・クテ ・クト
・ケタ ・ケチ ・ケツ ・ケテ ・ケト
・コタ ・コチ ・コツ ・コテ ・コト
 
 
 このうち、足音を鳴らしてお出かけする様子を表現するものを考えると、「カツ」か「コツ」が考えられる。しかし、「カツ」は鋭い印象を受け、この童謡には適さない。「コツコツ」という表現の方が適しているのである。

連の構成

[第1連]
 かあさんから「2. まっしろ」で「3. しかくに たたんだ」「4. しわなし」のハンカチをもらって、子どもがお出かけする様子が描かれている。
 「まっしろ」「しかく」「たたむ」「しわなし」という、ハンカチが使われる前のきれいな状態を表す言葉が、連続して並べられている。この連続によって、もともと言葉が持つきれいなイメージよりも、さらに引き立ったものが感じられる。また「カチカチカチ」は、「ハンカチ」の韻を踏んでいるとともに、アイロンをかけてパリッとした状態を表すオノマトペでもある。
 さらに、子どものために洗濯したきれいなハンカチを手渡すという、母親の愛情が感じられるのである。
 ハンカチは「出かけるとき、欠かさず持っていくもの」のイメージがある。そのようなハンカチを母親からもらって、子どもは元気よく、「6. コツコツ コツコツ おでかけ」する。「コツコツ」の反復によって、さらに遠くへ、元気よく出かけていく様子が表現されているのである。

[第2連]
 元気にお出かけした子どもが、第2連で帰っていく。かあさんから渡されたとき、あんなにきれいだったハンカチは、「8. まっくろ」で、「9. くしゃくしゃ まるめた」「10. しわくちゃ」なハンカチとなっている。第1連で、ハンカチを修飾していた「2. まっしろ」「3. しかくに たたんだ」「4. しわなし」という言葉とは、反対の状態である。この後、「クチャクチャクチャ」と、さらに汚れた状態を強調している。
 汚れたハンカチは、単なる「ハンカチの状態」であるとともに、子どもが元気に遊んだという証でもある。この証である汚れたハンカチを母親に渡すために、子どもは家へと帰っていくのである。
 この童謡の最後は、「12. おかえり」という言葉で締めくくられている。「かえる」ではない。この言葉は、2種類の解釈ができる。
 まず1つめは、「かあさんの言葉“おかえりなさい”」である。かあさんの言葉で締めくくられていると、家に帰ってきたという安心感が得られる。
 2つめは、「作者の言葉“帰りなさい”」である。第1連で、作者が「ハンカチをもらってお出かけします」と言ったと考えると、第2連も作者の呼びかけ「帰りなさい」であると解釈できる。
 どちらの解釈をとっても、「言葉」で締めくくられることになり、童謡全体を温かく包み込むような印象を与える。


 このように、童謡「ハンカチの うた」は、きれいなハンカチを渡す母親の愛情と、それを汚すほど元気にあそぶ子どもの姿を、「ハンカチ」という「もの」を通して間接的に描いている。モチーフ「温かな日常の姿」を表現しているのである。

 

(14)ふしぎな ポケット

本文リズム
  1. ポケットの なかには
  2. ビスケットが ひとつ
  3. ポケットを たたくと
  4. ビスケットは ふたつ
 
  5. もひとつ たたくと
  6. ビスケットは みっつ
  7. たたいて みるたび
  8. ビスケットは ふえる
 
  9. そんな ふしぎな
  10. ポケットが ほしい
  11. そんな ふしぎな
  12. ポケットが ほしい
  5音+4音
  6音+3音
  5音+4音
  6音+3音
 
  4音+4音
  6音+3音
  4音+4音
  6音+3音
 
  3音+4音
  5音+3音
  3音+4音
  5音+3音
<初出>「保育ノート」1954 国民図書刊行会 渡辺茂曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 たたけばたたくほど、ビスケットが増えるポケットがほしいなあという心情を歌ったものである。

語順・省略語

 語順は、基本的なものに沿って文が組み立てられている。非常に理解し易い。
 省略された部分は、「2. ビスケットが ひとつ」(ある)、「4. ビスケットは ふたつ」(になる)、「6.ビスケットは みっつ」(になる)という述部と、「5.(ポケットを)もひとつ たたくと」、「7.(ポケットを)たたいて みるたび」という対格、そして、「9.10.11.12.(わたしは)そんな ふしぎな/ポケットが ほしい」の主格である。述部と主格は、歌い手・聞き手が自ら補うことができるので、問題はない。また、対格「ポケットを」は、曲名であり、最初に明示されている言葉でもあるので、省略されていても理解し易さに変わりはない。

リズム

 「ポケット」「ビスケット」「たたくと」は、韻を踏み、リズム感を生み出している。
 また、第1連の初めは、「1. ポケットの」「2. ビスケットが」「3. ポケットを」「4. ビスケットは」と2つの言葉を反復して用いているため、リズミカルな構成となっている。
 同じことが、第2連「5. たたくと」「6. ビスケットは」「7. たたいて」「8. ビスケットは」と、第3連「9.10. そんな ふしぎな/ポケットが ほしい」の反復にもいえる。

音のイメージ

 「1. ポケット」「2. ビスケット」「3. ポケットを たたくと」「7. たたいて」などのパ行、バ行、タ行の音が多用されており、童謡全体にはっきりした印象を与えている。「9.10. 11.12. そんな ふしぎな/ポケットが ほしい/そんな ふしぎな/ポケットが ほしい」という強い願望と合致した音のイメージである。

連の構成

[第1連]
 もともと「2. ビスケットが ひとつ」入っていたポケットがあり、それをたたくと「4. ビスケットは ふたつ」になるという、打ち出の小槌のような話から始まる。
 ポケットは、服についていて、自分の身近にあるはずのものであるが、「暗くて、よく中の見えないもの」というイメージがある。そのポケットの中で、ビスケットの数が2つに増えるという、不思議なことが起きている。ポケットの暗さゆえに、「もしかするとそんなことが起こるかもしれない」という期待を抱かせる。

[第2連]
 第2連では、再びポケットをたたいてみる。すると、3つに増える。「7.8. たたいて みるたび/ビスケットは ふえる」のである。3つにとどまらず、たたけばたたくほど限りなく増える、夢のようなポケットである。

[第3連]
 第1,2連で思い描いたポケットを、「9.10. そんな ふしぎな/ポケットが ほしい」と望んでいる。反復することで、心から欲しいという心情を表現している。
 「ものが出てくる不思議なポケット」という言葉で思い出すのは、「ドラえもんの4次元ポケット」である。ドラえもんのポケットからは、ジャイアンやスネオのいじめからのび太くんを助けるために、あるいは、しずかちゃんにいいところを見せるために、様々な道具が出てくる。
 この童謡に出てくる「ふしぎなポケット」は、ビスケットという1種類の「数」が増えていく。ドラえもんのポケットの場合、のび太くんの要望に応じて様々な「種類」の道具が出てくるので、この点では相違が見られる。しかし、どちらも「心を良い状態にするもの」という点では共通性が見られる。
 では、何故「ふしぎなポケット」は「種類」が増えず「数」だけ増えるのか。ビスケットが増えるのではなく、例えばチョコレートが出てきたり、キャンディーが出てきてもよさそうであるのに。
 この答えは、童謡「ふしぎな ポケット」が書かれた時代背景が関係していると推測できる。この童謡の初出は、1954年の戦後まもなくという時期である。決して豊かとはいえない時代、「この食べ物の量が増えて、おなかいっぱい食べられたら」と願っていた人は多かったであろう。このような空腹感から童謡「ふしぎな ポケット」が考え出されたということが、十分に考えられる。
 「種類」が増えるドラえもんのポケットは、食べ物に関して豊かである現代に合っている道具である。時代背景の違いで、「心の満たし方」が変わっている。たたくだけで数が増える、夢のような「ふしぎなポケット」は、この童謡が書かれた時代、誰しも望むことであったのである。


 このように、童謡「ふしぎな ポケット」は、時代背景を踏まえつつ、子どもの願いであった「おやつをおなかいっぱい食べたい」というものを形にした歌である。現実を超えた空想によって、モチーフ「空腹感を満たしたいという願望」を表現しているのである。

 

(15)ペンギンちゃん

本文リズム
  1. ペンギンちゃんが
  2. おさんぽ していたら
  3. そらから ぼうしが おちてきた
  4.  サンキュー
  5.  かぶって よちよち いきました
 
  6. ペンギンちゃんが
  7. おさんぽ していたら
  8. そらから ステッキ おちてきた
  9.  サンキュー
  10.  ひろって ふりふり いきました
  7音
  4音+5音
  4音+4音+5音
  4音
  4音+4音+5音
 
  7音
  4音+5音
  4音+4音+5音
  4音
  4音+4音+5音
          <初出>ABC朝日放送「メリーランド」1955 若越出版
<底本>『ぞうさん』1975 国土社 中田喜直曲

 ペンギンちゃんが散歩しているときの出来事を描写したものである。

語順・省略語

 「4.9. サンキュー」という引用句が独立している。誰の言葉を引用しているのかは、前に「ペンギンちゃんが」と書かれているので、すぐに理解できる。
 省略語を補うとすると、「5. かぶって よちよち いきました」「10. ひろって ふりふり いきました」の前に置く、主格(ペンギンちゃんが)対格(ぼうしを)が考えられる。「ペンギンちゃんが」は曲名でもあり、最初にも同じ言葉があるので、省略されていても問題はない。「ぼうしを」も同様である。

リズム

 第1,2連ともに同じリズムで構成されている。歌うことが意識されたつくりである。
 そして、各連に用いられている語を比較すると、第1連の「3. ぼうしが」「5. かぶって よちよち」に対し、第2連「8. ステッキ」「10. ひろって ふりふり」の部分が異なるだけで、あとはすべて同じ語の反復であることがわかる。同じ語の反復は、さらなるリズム感を生み出す。
 また、「5. かぶって よちよち」と、それに対する「10. ひろって ふりふり」は異なる語であるが、共通点もある。「かぶって」と「ひろって」は、どちらも「動作」であり、「促音」が含まれているという点である。そして、2点めとして、「よちよち」と「ふりふり」は、どちらも「状態」であり、「よち」や「ふり」の「反復」から成るということも挙げられる。これらも、リズム感に大きくかかわる要素であると言える。

音のイメージ

 「1.6. ペンギンちゃん」の「ちゃん」、「2.7. おさんぽ」「5. よちよち」「10. ふりふり」など、かわいらしいイメージを持つ語を用いている。ペンギンの持つかわいらしさと合致した表現である。
 次に、「4.9. サンキュー」という引用句に着目する。「サ(sa)ンキュー」は、広口母音「a」から始まる語である。しかし、第1連で「サンキュー」の前に並んだ「1. ペ(pe)ンギンちゃんが」「2. お(o)さんぽ し(si)ていたら」「3. そ(so)らから ぼ(bo)うしが お(o)ちてきた」は、各文節の最初が「e」「o」という重い感じを受ける音と、「i」という内向する感じを受ける音で構成されているものばかりである。ペンギンちゃんの言葉「サンキュー」にきて、初めて明るさ・元気よさが得られると言える。また、第2連の「サンキュー」の前にある「6. ペンギンちゃんが」「7. おさんぽ していたら」「8. そらから ス(su)テッキ おちてきた」も、同様である。

連の構成

[第1連]
 ペンギンちゃんが散歩をしていると、空からぼうしが落ちてきたという状況を描写している。ペンギンちゃんは、このぼうしを「サンキュー」と言って取り、かぶって歩いていく。
 ここでの「ぼうし」は、「シルクハット」に限定される。これは、ペンギンの容姿を考えなければならない。ペンギンは、まるでタキシードを着ているように見えるため、それに合ったシルクハットが必要なのである。そして、シルクハットをかぶったペンギンちゃんは、「サンキュー」と満足げに歩いていくのである。「よちよち」と、ペンギンらしい歩き方で。

[第2連]
 第2連では、第1連と同じく散歩をしているペンギンちゃんの上に、今度はステッキが落ちてくる。ペンギンちゃんは、「サンキュー」と言ってステッキを拾い、再び歩き続けていく。
 第2連で登場するステッキも、シルクハットと同じく、タキシードに合ったものでなければならない。ペンギンの容姿によく合う小物が揃ってこそ、おしりを「ふりふり」とふりながら陽気に歩いていけるのである。


 このように、童謡「ペンギンちゃん」は、ペンギンの容姿の特徴を捉え、それを引き立てる小物を登場させることによって、モチーフ「動物のかわいらしさ・姿そのもの」を表現しているのである。

 

(16)へんてこりんの うた

本文リズム
  1. へんてこりんが ないている
  2. わらいながら わらいながら
  3. ないている
  4. へんてこりんの へんちくりんの
  5. みょうちきりん
  6. どこかで ないている
 
  7. へんてこりんが はしってる
  8. とまったままで とまったままで
  9. はしってる
  10. へんてこりんの へんちくりんの
  11. みょうちきりん
  12. どこかで はしってる
 
  13. へんてこりんが うたってる
  14. だまったままで だまったままで
  15. うたってる
  16. へんてこりんの へんちくりんの
  17. みょうちきりん
  18. どこかで うたってる
  7音+5音
  6音+6音
  5音
  7音+7音
  6音
  4音+5音
 
  7音+5音
  7音+7音
  5音
  7音+7音
  6音
  4音+5音
 
  7音+5音
  7音+7音
  5音
  7音+7音
  6音
  4音+5音  
          <初出>1969 未見
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 「へんてこりん」という、得体の知れない生き物の行動を捉えた歌である。

語順・省略語

 語順は、すべて基本的なものに沿って組み立てられている。
 省略語は、「2.(へんてこりんが)わらいながら わらいながら」「8.(へんてこりんが)とまったままで とまったままで」「14.(へんてこりんが)だまったままで だまったままで」の3つである。すべて直前の文にある言葉であり、曲名にもなっているので、省略されていても問題はない。

リズム

 第1連「2. わらいながら」の6音に対し、第2連「8. とまったままで」、第3連「14. だまったままで」は、どちらも7音である。わずか1音のずれであるので、リズムを崩すほど大きなものではない。このほかのリズムは同じである。
 各文の終わりの言葉に着目する。第1連は「1.3.6. ないている」「5. みょうちきりん」、第2連「7.9.12. はしってる」「11. みょうちきりん」、第3連「13.15.18 うたってる」「17.みょうちきりん」である。「ないている」「はしってる」「わらってる」については、4文中3文を同じ言葉で終わらせることで、リズム感が生まれる。また、「みょうちきりん」という語は「ん」で終わるため、そこで一呼吸おき、リズムを整える役目を果たしている。

音のイメージ

 「へんてこりん」「へんちくりん」「みょうちきりん」という、言葉自体意味のわからない、滑稽なイメージを持つものを多用している。また、この「りん」という終わり方によって、明るく、勢いよく跳ね上がるような様を感じられる。

連の構成

[第1連]
 「1. へんてこりんが ないている」場面から、この童謡は始まる。この、なんともいえない意味のわからなさに、まず驚く。しかも、「2.3 わらいながら わらいながら/ないている」のである。ますます不思議である。「泣く」と「笑う」という正反対のことを同時にやってのけることができる生き物がいるのだろうかと、思わず考えてしまう。そんな「4.5. へんてこりんの へんちくりんの/みょうちきりん」が、「6. どこかで ないている」のだという。「どこかで」という、場所を限定しない表現によって、もしかすると自分の周りにいるかもしれないと思わせる。
 「笑いながら泣く」という表現について考えてみる。これは、「本当は泣きたいのに、他者には笑っているように見える」ということだと解釈できる。自分の本心を隠し、無理に笑顔を作っているのである。大人の世界ではよくある話である。「顔で笑って心で泣いて」という言葉がぴたりと合う。
 このような「へんてこりん」は、「へんちくりん」「みょうちきりん」とも表現されている。人間の多くのおかしな面を、この3語で表していると考えられる。また、全3連というこの童謡の構成ともあっている。

[第2連]
 今度は、「7.へんてこりんが はしってる」場面である。ただ走っているわけではない。へんてこりんらしく、「8.9. とまったままで とまったままで/はしってる」のである。
 これは、「止まる」「進む」という正反対の言葉を並べ、「進みたいのに思うように進めない、もどかしい心の内」を表現していると解釈できる。

[第3連]
 最後は、「13. へんてこりんが うたってる」場面である。ここでも、「黙る」「歌う」という正反対の言葉を並べ、「14.15. だまったままで だまったままで/うたってる」のである。
 これは、「歌いたい気持ちはあるが、実際は声を押し殺してだまっている」という辛い状態を表現している。


 このように、童謡「へんてこりんの うた」は、心の内を見せず、自分を偽って生きている人間の姿を、「二面性」を用いてユーモラスに描いている。モチーフ「人間の複雑な内面」を表現している。

 

(17)やぎさん ゆうびん

本文リズム
  1. しろやぎさんから おてがみ ついた
  2. くろやぎさんたら よまずに たべた
  3. しかたがないので おてがみ かいた
  4.  ―さっきの おてがみ
  5.   ごようじ なあに
 
  6. くろやぎさんから おてがみ ついた
  7. しろやぎさんたら よまずに たべた
  8. しかたがないので おてがみ かいた
  9.  ―さっきの おてがみ
  10.   ごようじ なあに
  8音+4音+3音
  8音+4音+3音
  8音+4音+3音
  4音+4音
  4音+3音
 
  8音+4音+3音
  8音+4音+3音
  8音+4音+3音
  4音+4音
  4音+3音
          <初出>NHK 1951 團伊玖磨曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 白やぎさんが黒やぎさんへ手紙を書いて送り、黒やぎさんも、また白やぎさんと同じことを繰り返しているという状況を描写した歌である。

語順・省略語

 一貫して基本的な語順で書かれている。理解し易い構成である。
 省略語は、第1連「2. くろやぎさんたら よまずに たべた」の対格(てがみを)と、「3. しかたがないので おてがみ かいた」の主格(くろやぎさんは)である。第2連は、第1連の「しろやぎさん」「くろやぎさん」を入れ替えただけの構成となっているので、省略語も第1連と同じである。どちらの省略語も、直前に書かれているので、省略されていても文の理解し易さに影響はない。

リズム

 第1,2連は、「しろやぎさん」(6音)か「くろやぎさん」(6音)か、という違いだけであるので、まったく同じリズムで構成されている。手紙の内容に入るまでは「8音+4音+3音」で繰り返され、手紙の内容にきて「4音+4音・4音+3音」と、リズムが変わっている。リズムの変化によって、手紙を引き立たせていると言える。 全体的には、歌うことを意識された、リズミカルな流れとなっている。

音のイメージ

 「ついた」「たべた」「かいた」と、出来事を淡々と描いている印象を受ける表現方法をとっている。作品世界のもつユーモア性に相反した表現とまで感じられる。
 しかし、このギャップが、さらにユーモアを引き立てているのである。

連の構成

[第1連]
 ある日、黒やぎさんの家に「1. しろやぎさんから おてがみ ついた」という出来事から、この話は始まる。しかし、あろうことか黒やぎさんは、手紙を「食べ物」だと思って「2. よまずに たべた」のである。食べてしまった後で、これが食べ物ではなく「手紙」だと気づく。そこで、黒やぎさんは「4.5. さっきの おてがみ/ごようじ なあに」と書いた手紙を、白やぎさんへ送るのである。
 ここでは、やぎにとっての「手紙」と、私たち人間にとっての「手紙」との認識の違いが鍵となっている。やぎにとっての「手紙」とは、紙という「食べ物」なのである。ただし、送り主の白やぎさんとしては、「手紙」は「相手に用件を伝えるもの」という認識はあったはずである。しかし、それは黒やぎさんの元へ届いた時点で、まったく別のものになってしまった。
 黒やぎさんが、読まずに思わず食べてしまったことに、歌い手・聞き手は、笑いと納得の両方を同時に感じるのである。

[第2連]
 第2連では、「4.5. さっきの おてがみ/ごようじ なあに」と書かれた黒やぎさんからの手紙が、白やぎさんの元へ届く。しかし、この手紙を、今度は白やぎさんまで「7. よまずに たべた」のである。食べてしまった後、黒やぎさんがとった行動とまったく同じように、「9.10. さっきの おてがみ/ごようじ なあに」と書いた手紙を黒やぎさんへ送る。
 ついこの間、手紙で用件を伝えようとした白やぎさんまで、「手紙」を「食べ物」だと思った。やはり、「やぎ」としての本能が勝ってしまったのだ。
 この手紙のやりとりは、これで終わらない。再び、第1連へ戻り、その後、第2連、第1連、第2連…と、永遠に続いていく。「やぎさん ゆうびん」が、本当に「郵便」として機能するまで、永遠に。そして、この「循環」が、何よりも「ユーモア」を感じさせるのである。


 このように、童謡「やぎさん ゆうびん」は、やぎと人間の「手紙」の認識の違いを利用し、手紙をめぐる出来事の「循環」を歌い手・聞き手に意識させることで、モチーフ「まったく同じ間違いを繰り返していくユーモア」を表現しているのである。

 

(18)わからんちゃん

本文リズム
  1. なんにもわからん
  2. わからんちゃんが いてね
  3. おしごと はじめた
  4. とんかち スパナ
  5.  トンテンカン チンプンカン
  6.  トンチンカン
 
  7. みんなが わらった
  8. わらったっても へいき
  9. まいにち まいつき
  10. まいねん しごと
  11.  トンテンカン チンプンカン
  12.  トンチンカン
 
  13. そのうち できたよ
  14. わからんものが できた
  15. わからんちゃんたら
  16. ひらりと のった
  17.  トンテンカン チンプンカン
  18.  トンチンカン
   
  19. みなさん さよなら
  20. つきまで いってきます
  21. ふるるん るんるんるん
  22. よぞらに きえた
  23.  トンテンカン チンプンカン
  24.  トンチンカン
  8音
  7音+3音(10音)
  4音+4音(8音)
  4音+3音
  6音+6音
  6音
 
  4音+4音(8音)
  7音+3音(10音)
  4音+4音(8音)
  4音+3音
  6音+6音
  6音
 
  4音+4音(8音)
  7音+3音(10音)
  8音
  4音+3音
  6音+6音
  6音
 
  4音+4音(8音)
  4音+6音(10音)
  4音+4音(8音)
  4音+3音
  6音+6音
  6音
           <初出>ろばの会 1955 未見 大中恩曲
<底本>『ぞうさん』1975 国土社

 「わからんちゃん」が仕事をしている様子を歌っている。

語順・省略語

 倒置が用いられている。「3. おしごと はじめた」の前に、「4. とんかち スパナ(で)」をもってくると、基本的な語順になる。
 省略語は、第1連「3.(わからんちゃんが)おしごと はじめた」、第2連「8.(わからんちゃんは)わらったっても へいき」「9.10.(わからんちゃんは)まいにち まいつき/まいねん しごと」、第4連「22.(わからんちゃんは)よぞらに きえた」である。すべて「わからんちゃんは(が)」が省略されているが、曲名であるし、歌い手・聞き手が自ら補えるものである。

リズム

 全連同じリズムから成っている。歌うことが意識された構成である。

音のイメージ

 主人公である「わからんちゃん」という語は、「わ(wa)か(ka)ら(ra)んちゃ(tya)ん」と、広口母音「a」を多く含むものである。「a」は明るさを持った音であるので、あっけらかんとした「わからんちゃん」の人柄を思わせる。このほかにも、「な(na)んにも」「わ(wa)らった」「ま(ma)いにち」「ま(ma)いつき」「ま(ma)いねん」など、母音「a」から成る言葉は多い。童謡全体に明るさを感じさせる。
 そして、「トンテンカン」「チンプンカン」「トンチンカン」と、タ行の音を繰り返し用いることによって、はっきりした印象を与えている。

連の構成

[第1連]
 「1.2. なんにもわからん/わからんちゃんが」、仕事を始める。「4. とんかち スパナ」を使って、「5.6. トンテンカン チンプンカン/トンチンカン」と作り出す。
 「わからんちゃん」という名前だけに、何を作っているのかはわからない。というのも、オノマトペ「トンテンカン チンプンカン/トンチンカン」は、物を作る音であると同時に、それを見ている周りの人が「チンプンカン」と思うほど、「わけのわからないものである」という表現でもある。

[第2連]
 そんなわからんちゃんの様子を見て、周りの人たちはばかにしたように笑う。しかし、わからんちゃんは、周りの人が「8. わらったっても へいき」で仕事を続けている。回りに何を思われようと、まったく気にせず「9.10. まいにち まいつき/まいねん しごと」をする。
 「まいにち」「まいつき」「まいねん」と、3つ言葉を並べることで、単に「毎日」と表現するより、歌い手・聞き手に与える印象が「絶え間なくずっと」と強くなる。意味の上では同じであるが。
 そして、あいかわらず「11.12. トンテンカン チンプンカン/トンチンカン」と意味のわからない音をたて、わからんちゃんは作業していくのである。

[第3連]
 そのうち、やっと「14. わからんものが できた」。完成しても、それが何であるのかはわからないままである。外観からは何か想像ができないような、不思議な形をしているのである。
 しかし、なんとその物体に「15.16. わからんちゃんたら/ひらりと のった」のである。「わからんちゃんたら」の「たら」という表現から、周りの人間からすると、乗るなんて想像がつかない、意外なことだということがわかる。それにもかかわらず、わからんちゃんは「ひらりと」乗り込んでしまう。
 この段階で、謎の物体は「乗り物」であることがわかった。しかし、どんな乗り物かは、「わからんちゃん」以外まだわからない。オノマトペ「トンテンカン チンプンカン/トンチンカン」な状態は、歌い手・聞き手にとって、まだ続いている。

[第4連]
 第4連にきて、「19.20. みなさん さよなら/つきまで いってきます」という言葉を残し、わからんちゃんは宇宙へ旅立ってしまう。「21. ふるるん るんるんるん」というエンジン音を残して。
 月まで行くという突然の出来事に、周りの人は、さらに頭の中が「チンプンカン」になってしまう。
 第1,2連の「トンテンカン チンプンカン/トンチンカン」は、わからんちゃんの様子であり、周りの人の頭の中であり、「わからんもの」を作る音でもあった。もしかすると、わからんちゃんは「月に行ける乗り物を作ろう」と最初から思っていたのかもしれないが、それは定かではない。しかし、第3,4連の段階になって、この音は、周りの人の混乱した様子だけを表していることになる。「わからんもの」は、周りの人には「わからんもの」であったが、わからんちゃんだけには「わかるもの」だったのである。しかも、「月まで行ける」という、意外にも素晴らしいものが完成したことに、周りはさらに「チンプンカン」になっただろうと推測される。歌い手・聞き手は、このあり得ない展開に滑稽さを感じるのである。


 このように、童謡「わからんちゃん」は、展開上あり得ないストーリーを組み立てることで、モチーフ「意外性から得るユーモア」を表現しているのである。

 

第4章  考察

 

第1節 分析項目から見る分析結果の考察

 作品を分析する上で立てた4つの項目についての考察を行う。

語順・省略語

 基本的な語順に沿って文が組み立てられているものが多く、童謡を享受する対象である幼い子どもが、作品世界に入り易いように作られている。
 また、わずかではあったが「倒置」が用いられている童謡があった。しかし、童謡に用いられている言葉自体、実にシンプルな、短いものばかりであるので、倒置によって作品世界がつかみにくくなるとは考えられない。
 省略語については、どの童謡においてもかなりの数が見られた。
 しかし、その多くは作品名と一致した言葉であるか、直前の文中に出てきている言葉であるので、子ども自らが補えるものである。作品を理解する妨げとなる不必要な省略は、1つもない。

リズム

 全連を通して見ると、どの連もほぼ同じリズムから成っている。歌うことが意識された構成であるといえる。
 1連ずつ見ると、「4音+4音」が基調となって組み立てられ、非常にリズム感のあるものもあれば、特にそのような特徴が見られないものもあった。
 しかし、「童謡」は「詩」に加え「歌」という要素を持ち合わせているため、「曲」がつくことによって、安定したリズムを得ることも考えられる。詩の分析だけで、リズムのすべてが検証できるとは限らないということも考慮しなければならない。

音のイメージ

 母音「a,i,u,e,o,」の音の響きから与えられる「明るい・こもった」などの印象と、母音と子音の組み合わせにより与えられる「鋭い・力強い」などの印象が、作品世界の持つ雰囲気と深い関わりをもつものが非常に多く見られた。音の響きは、詩の内容と同様、作品世界を形作る大事な役目を果たしている。特に幼い子どもが童謡の歌い手・聞き手となったとき、これは不可欠な要素になるといえる。

連の構成

 第2節「モチーフ別に見る分析結果」、第3節「グラフから見る作品の傾向」で詳しく述べることとする。  

第2節 モチーフ別に見る分析結果の考察

 第2節では、作品をモチーフごとに分類し、「どのようにモチーフを見せているか」というバリエーションを示していく。
 今回の分析で読み取ることができたモチーフの大まかな枠組みは、以下の通りである。

○「自分」としての誇りを歌ったもの
○対象の本来の姿・姿そのものを歌ったもの
○自然や宇宙に対する愛情・喜びを歌ったもの
○共生について歌ったもの
○日常生活の1場面を歌ったもの
○期待・願望を歌ったもの
○ユーモアを歌ったもの
○言葉あそびの要素を持ったもの
 

第1項 「自分」としての誇り

 「自分が自分として生まれてきてよかった」「今の自分が好きだ」―作品全体から、このような心情が感じられるものを、「『自分』としての誇り」とした。
 このモチーフが見られるものは、(1)「石ころ」(3)「うさぎ」(6)「くまさん」(10)「ぞうさん」の4作品である。
 以下に、モチーフの見せ方を挙げる。

作品名モチーフの見せ方
「石ころ」「昔の自分」を見つめる恬淡とした眼差し
「うさぎ」「自分」という存在と生活基盤の永遠性
「くまさん」 喪失したアイデンティティーの回復
「ぞうさん」 「外見」と「内面」との関係性

(1)「昔の自分」を見つめる恬淡とした眼差し

 ある出来事をきっかけに、自分の昔の姿を想起する。(童謡「石ころ」の場合は、他者、つまり「石ころを蹴った人物」の想像を通した描き方がとられている。)他者からは今よりもずっと立派に思える「昔の自分の姿」に、「今の自分」があっさりとした眼差しを向けることによって、「昔の自分」にはこだわっていないことを表現する。これは、同時に「今の自分」に対して「満足感」を持って生きているという証でもある。過去にこだわらず、今のありのままの姿で、自信を持って生きる姿に、「自分に対する誇り」を感じ取らせるのである。                

(2)「自分」という存在と生活基盤の永遠性

 何をしても、何が起こっても「自分」は「自分」のままである。外から受ける影響によって、自分が他人に変わったり、存在自体が消滅するわけではない。また、自分の存在のために欠くことのできない生活基盤、言い換えると「自分が生きている証」もそのままである。この2つは、ゆるぎない事実である。このような「自分の存在」と「存在の証」の永遠性と、それに伴う「嬉しい」というプラスの感情をもって、自己が肯定的に捉えらているのである。

(3)喪失したアイデンティティーの回復

 「自分」という存在は、「知っていて当然」のものである。「自分は何者か」がわからない人はほぼいない。まず、あえてそれをなくしてしまうことで、不安を感じさせる。「自分」がわからなくなった人は、不安を拭い去るため、必死になって思い出そうとする。その後、何かのきっかけで「自分」を思い出すことによって、喜び・安心感を与える。「無い」という状況を作り出すことで、「あって当然のもの」という前提を崩し、「自分」という存在を再確認させるのである。

(4)「外見」と「内面」との関係性

 まず、「自分と同じ外見を持つ人がいる」という、目で見ることのできる事実を述べる。その後、「その人は、自分が好きな人だ」という内面を明らかにする。自分と同じ姿をした人に対する「好き」というプラスの感情を見せることによって、暗に「この姿をした自分のことも好きだ」ということが表現されているのである。

 

第2項 本来の姿・姿そのもの

 「目で見える姿以外に、このような面も持っている」「動物の特徴を捉える」―このような姿そのものを捉えた童謡を「本来の姿・姿そのもの」とした。
 このモチーフが見られるものは、(9)「スワン」(15)「ペンギンちゃん」(16)「へんてこりんの うた」である。

作品名モチーフの見せ方
「スワン」外見における二面性
「ペンギンちゃん」特徴を引き立たせる道具の利用
「へんてこりんの うた」心情と相反する行動

(1)外見における二面性

 一般的に、「目で見ることのできる姿」というほんの一面だけで、その人はどういう人か、または、その動物はどういうものかを判断しがちである。まず、いつもの視点で捉えることのできる姿を描き、その後、視点を変え、隠れていた面をあえて見せることによって、その人物の本当の姿が表現されているのである。

(2)特徴を引き立たせる道具の利用

 動物の特徴を伝えようとするとき、普通なら言葉を用いて「この動物の姿は〜です」と説明する。しかし、まどは直接言葉で説明するわけではない。それに関係する道具を用いることによって、特徴を引き立たせている。(「ペンギンちゃん」の場合は、「タキシード姿に似ている」という特徴をつかみ、それを引き立たせる「ぼうし」「ステッキ」を用いている。)具体物を用いることで、映像として特徴をつかみやすくさせるとともに、「想像する楽しさ」も生み出しているのである。

(3)心情と相反する行動

 人間、特に大人は、心の内を素直に表に出せるほど、単純な生物ではない。思ってもいないことを口にしたり、態度に示したりしてしまう。常に本能のままに生きることは、非常に困難に感じる。まどは、相反する「心情」と「行動」を、両方とも目に見える「行動」として同時に表現し、そのような場面を列挙することによって、人間の本来の複雑な姿を描いているのである。

 

第3項 自然や宇宙に対する愛情・喜び

 「植物の生長を待ち望んでいる」「自然を通して宇宙の存在を見る」―このような姿を捉える事ができるものを、「自然や宇宙に対する愛情・喜び」とした。
 このモチーフが見られるものは、(11)「ちいさな ゆき」(12)「チューリップが ひらくとき」の2作品である。

作品名モチーフの見せ方
「ちいさな ゆき」天への眼差し
「チューリップが ひらくとき」聴覚に置き換えた、視覚的な美しさ

(1)天への眼差し

 身近にあるもの、特に「空」と関係の深いものに目を向ける。(この童謡の場合は「雪」である。他に「一番星」を対象にしている童謡もある。)その後、そのまま目線を上げ、天を仰ぎ見る。自然を通して感じる天の存在は、大きくて広い。自然をじっと見つめる暖かな眼差しと、その自然を生み出した宇宙の存在への気づきを描くことによって、自然や宇宙に対する愛情が表現されているのである。

(2)聴覚に置き換えた、視覚的な美しさ

 まどの作品で最も目に付く表現技巧は、「普通であれば絶対に思いつかないオノマトペ」である。単なる「擬音」とは説明できないようなものが多い。(この童謡では、チューリップが開く音を「パラン ポロン ピリン プルン」と表現している。)まどの表現するオノマトペは、擬音という枠を超えて、「美しさ」そのものを含んだものである。
 視覚で捉えた美しい光景を、「きれい」「美しい」といった直接的な言葉で表現するのではなく、1つの「オノマトペ」に凝縮し、童謡の中で反復して用いることで、聴覚にうったえる。童謡を享受する側は、オノマトペから聴覚的な美しさが感じられ、それと同時に視覚的な美しさも得られるのである。

 

第4項 共に生きる

 「地球上に生まれたものは、決して一人で生きているのではない」―このようなメッセージが含まれているものを、「共に生きる」とした。
 このモチーフが見られるものは、(7)「ことり」である。

作品名モチーフの見せ方
「ことり」擬人化された自然と動物との寄り添い

(1)擬人化された自然と動物との寄り添い

 人間以外を対象とし、それらが互いに寄り添っている状況を描く。そして、寄り添っていることによって得る「幸福感」を表現することによって、「共に生きる喜びや必要性」を感じさせるのである。あえて人間以外を表現対象とすることによって、この地球上に生きているすべてのものは、皆同じように、誰かと繋がりをもっている、ということが表現できるのである。

 

第5項 日常

 「日常に起こり得る場面を、そのまま描き出したもの」を、「日常」とした。
 これが見られるものは、(8)「ごはんを もぐもぐ」(13)「ハンカチの うた」である。

作品名モチーフの見せ方
「ごはんを もぐもぐ」「体の一部」を取り立てた日常的ストーリー
「ハンカチの うた」「もの」を取り立てた日常的ストーリー

(1)「体の一部」を取り立てた日常的ストーリー

 日常生活の様子を、単に客観的に描くのではなく、体の一部(この童謡では「口」)をクローズアップし、その動きを捉えている。体の一部を使う場面をいくつか列挙し、その様子をオノマトペとともに描く。

(2)「もの」を取り立てた日常的ストーリー

 日常生活の中では、何かしら「もの」が使われている。人間が「もの」を使ったことにより、その状態が変化していく様を、家族との関わりを交えながら描く。

 

第6項 期待・願望

 「これから起こる出来事への希望が満ち溢れている」「こんなふうになればいいな」―このような心情が感じられるものを、「期待・願望」とした。
 このモチーフが見られるものは、(4)「おにぎり ころりん」(14)「ふしぎな ポケット」である。

作品名モチーフの見せ方
「おにぎり ころりん」これから起こることに関係した「もの」の擬人化・心情の代弁
「ふしぎな ポケット」現実を超えた空想

(1)これから起こることに関係した「もの」の擬人化・心情の代弁

 ある出来事に対する「嬉しさ」を、直接自分の口から言葉にしたり、態度に表したりはしない。その出来事に関係する「もの」(「おにぎり ころりん」の場合は、お出かけに関係のある「おにぎり」)を、自分の感情の代弁者として擬人化し、その「もの」が表現する「嬉しさ」によって、これから起こることに対する自分の期待感を表現するのである。

(2)現実を超えた空想

 今、自分が置かれている辛い、不安感の拭えない現実の世界を変えるために、「こんなものがあればいいのに」という空想の世界を描く。そして、「〜がしたい」「〜が欲しい」という素直な言葉を用いて、願望をそのまま歌にするのである。

 

第7項 ユーモア

 作品がユーモラスな展開を描いているものを、「ユーモア」とした。
 このモチーフが見られるものは、(17)「やぎさん ゆうびん」(18)「わからんちゃん」である。

作品名モチーフの見せ方
「やぎさん ゆうびん」ストーリーの循環
「わからんちゃん」ストーリー展開の意外性

(1)ストーリーの循環

 登場人物のうちの一人(仮にAとする)が失敗をする。それを助けてもらおうと頼った相手Bもまた、Aと同じ失敗をする。さらにBはAに助けを求める…。こうして、お互いがまったく同じ間違いを繰り返すことで、永遠にストーリーが続いていく。このような場面を描くことで、ユーモアを表現しているのである。

(2)ストーリー展開の意外性

 ある人物の行動や姿を、何連にもわたって描く。歌い手・聞き手に、ある程度その人物のイメージが出来上がってきたところで、そのイメージを覆すような出来事や姿を持ってくる。そして、その場面を最後の1連とし、展開の意外性を感じさせて終わるのである。この意外性が「ユーモア」となる。

 

第8項 言葉あそび

 「童謡にさほど意味を求めず、韻律に重心を置いているもの」を、「言葉あそび」とした。
 このモチーフが見られるものは、(2)「いずみの みず」(5)「かんがるー」である。

作品名モチーフの見せ方
「いずみの みず」聴覚にうったえる
「かんがるー」聴覚・視覚にうったえる

(1)聴覚にうったえる

 母音(a,i,u,e,o)と子音の組み合わせ方が類似した言葉を多用し、韻律に重点を置いて作る。これは、一般的な「言葉あそび」の形である。

(2)聴覚・視覚にうったえる

 韻律に重点を置くという点では(1)と同様である。それに加えて、文字の配置によって、視覚的にもリズムを感じさせるしかけを用いる。(字下げ、円形配置など)

 
字下げ・円形配置
     

第3節 グラフから見る作品の傾向

 分析した18作品について、連構成や表現対象などにどのような傾向が見られるのか、グラフを用いて検証する。
 分類項目は、以下の6つである。

(1)日常的ストーリーか・非日常的ストーリーか
(2)描かれている場面は表現対象の行動か・状況か
(3)場面停滞型か・場面進行型か
(4)連の関係は対比型か・類似型か
(5)表現対象は人間か・人間以外か
(6)モチーフは外見に関係することか・内面に関係することか

 これらの項目を2つずつ用いて、平面グラフを作成する。グラフの偏りを読み取ることによって、作品の傾向をつかんでいく。
 対象の18作品には、以下のように通し番号をつけ、グラフ中の該当する箇所に番号で示す。              
@「石ころ」       A「いずみの みず」   B「うさぎ」
C「おにぎり ころりん」 D「かんがるー」     E「くまさん」
F「ことり」       G「ごはんを もぐもぐ」 H「スワン」
I「ぞうさん」      J「ちいさな ゆき」   K「チューリップが ひらくとき」
L「ハンカチの うた」  M「ふしぎな ポケット」 N「ペンギンちゃん」
O「へんてこりんの うた」P「やぎさん ゆうびん」 Q「わからんちゃん」

 なお、A「いずみの みず」D「かんがるー」は言葉あそびの童謡であるので、ここでは省く。


(1)日常的ストーリーか非日常的ストーリーか + (2)行動か状況か
   
日常・非日常、行動・状況グラフ

 日常的な場面が設定されたものが多い。
 これは、幼い子どもの身近にあるものを題材とすることで、子どもが抵抗なく作品世界に入っていけるというメリットを持つ。
 また、特に「日常的な行動」を描いた童謡が目立つ。
 これについては、「おもしろさや共感・感動の感じやすさ」という点から考える。「状況」と「行動」を比較した時、「動きや変化を目で捉えやすい」という面を持つほうは「行動」である。「Bうさぎが跳ねる」「Fことりが飛ぶ」など、目で捉えやすい分、より頭の中にイメージがわきやすくなる。頭の中に浮かぶイメージは、歌い手・聞き手が共感するための手助けになる。
 なお、「Iぞうさん」は、主人公「ぞうさん」の行動を表現したものであり、また、「ぞうさん以外の人物の言葉」を描くという状況でもあるため、両方に入れた。

 
 
(2)場面進行型か場面停滞型か + (3)行動か状況か
   
場面進行・場面停滞、行動・状況グラフ

 連と連の間に大きな時間の流れがなく、ある1場面における状況や行動を描く「場面停滞型」が多い。
 作品を見ると、1つの場面を多様な角度から捉えた童謡は多くある。例えば、視点人物を変えて対象の二面性を表した「Hスワン」、「口」という1つのものを多面的に捉えた「Gごはんを もぐもぐ」などが挙げられる。「行動」を描くことと併せた「場面停滞型+行動」が最も多い形である。
 なお、「Kチューリップが ひらくとき」については、第1,2連の間は時間の流れを感じるが、第2,3連では感じられない。そのため、「場面進行」「場面停滞」の両方に入れた。

 
 
 
 
 
 
(3)場面進行型か場面停滞型か + (4)対比型か類似型か
   
場面進行・場面停滞、対比・類似グラフ

 「場面進行型+対比型」と「場面停滞型+類似型」が多く見られる。
 まず「場面進行型+対比型」である。連が進み、時間が進むにつれて、前の連で書かれていた対象と、まったく反対の姿が書かれているものが多い。例えば、最初アイデンティティーを失ったが、後でそれを見つけることができた「Eくまさん」。そして、きれいだったハンカチが汚れてしまう「Lハンカチの うた」。反対の姿を描くことで、モチーフをより引き立たせている。
 次に「場面停滞型+類似型」である。1場面について、異なった表現を用いているが、同じことを言いたい、というものに見られる構成である。ことりが嬉しそうに空を飛ぶ様子を「空で生まれた」「雲の弟」という2つの言葉で表現した「Fことり」、へんてこりんな様子を「笑いながら泣く」「止まったままで走る」と表現した「Oへんてこりんの うた」などがこれに該当する。違った角度から対象を捉えることで、対象をイメージしやすくなる。そのため、童謡を享受する側は、作者が表現したいことをつかみやすくなるのである。

 
 
(5)人間か人間以外か(対象) + (6)外見か内面か(モチーフ)
 
人間・人間以外、外見・内面グラフ

 最も多い形は、「人間以外を対象として、内面に関するモチーフを見せる」というものである。
 また、グラフより、「外見に関するモチーフは人間以外を対象にする」「人間を対象にするならば内面をモチーフにする」という形が見える。
 まず、「モチーフは外見に関するもの・対象は人間以外」という形を考える。外見をモチーフにする場合、動揺を享受する「人間」とはっきりした違いを持つ動植物を対象にし、「その人らしさ」を強調している。人間以外を用いて表現したほうが、よりモチーフがつかみやすい。
 次に、「対象は人間・モチーフは内面に関するもの」という形を考えていく。対象を人間にした童謡は非常に少ない。このグラフでは「Oへんてこりんの うた」1作品のみである。これは、「自分の感情をさらけ出すばかりでは生きられない」という、複雑な心情を歌ったものである。このような「複雑さ」をモチーフにするには、やはり人間を対象とすることが適しているのである。
 なお、「Hやぎさん ゆうびん」「Qわからんちゃん」は、モチーフにユーモアを求めた作品であるので、ここでは省いた。


 グラフより導き出せる作品の傾向として、以下の3点が挙げられる。
 
@「日常的なある1場面」という設定で童謡世界を描いている。
A人間以外(動植物やもの)を対象とし、その行動を描いている。
B「異なる語であるが、それに含まれる意味は同じである」という、意味の上で類似した言葉を用い、「内面」に迫っていく。

 

終章 まとめと今後の課題

まとめ

 まど・みちおの童謡の表現特性としては、以下のものが挙げられる。

○全体の傾向

   @「日常的なある1場面」という設定で童謡世界を描いている。
   A人間以外(動植物やもの)を対象とし、その行動を描いている。
   B「異なる語であるが、それに含まれる意味は同じである」という、意味の上で類似した言葉を用い、「内面」に迫っていく。

○音の響きについて

   ●母音の響きから与えられる印象と、母音と子音の組み合わせにより与えられる印象が、作品世界の持つ雰囲気と深い関わりをもつものが多い。

○モチーフについて

   ●何気ない場面から「自分らしさ」「他者への愛情」を感じさせるものが多い。
     ・ありのままの自分が好きだという心情を表す
     ・他者との関わりのある場面を描く
     ・自然や宇宙に向けられた眼差しを描く   など

 以下に、モチーフとその見せ方を表にして載せる。

モチーフモチーフの見せ方
「自分」としての誇り 「外見」と「内面」の関係性
喪失したアイデンティティーの回復
「自分」という存在の永遠性
昔の姿を見つめる恬淡とした眼差し
本来の姿・姿そのものを捉える 特徴を引き立たせる道具の利用
外見を二面から捉える
心情と相反する行動を同時に表現⇒複雑な内面
ユーモア ストーリーの循環
ストーリ展開の意外性
自然や宇宙に対する愛情・喜び 聴覚に置き換えた、視覚的な美しさ(オノマトペ)
天へのまなざし
期待・願望 現実を超えた空想
擬人化された「もの」の感情=主人公の感情
日常 ものをとりたてた日常的なストーリー
体の一部をとりたてた日常的なストーリー
共に生きる 擬人化された自然と動物との寄り添い
言葉あそび 聴覚にうったえる言葉あそび
聴覚・視覚にうったえる言葉あそび(字下げなど)

今後の課題

 今回は、まど・みちおの童謡を研究対象とした。しかし、分析を行ったのは、作品のうちのほんのわずかな数だけである。『まど・みちお 全詩集』(伊藤英治編 理論社)に掲載されているものは、童謡・詩あわせて1376点ある。単純計算しただけでも、童謡は700点以上あると思われる。
 まどの童謡の表現特性すべてをつかむには、今回の研究で扱った数ではまだまだ不足している。

 また、まどは、現在も詩を書き続けている。童謡の中でこれだけ深い世界を描いているのだから、大人が読む詩の世界は、さらに広く、深いであろう。表現方法にも違いが見られるはずである。

 さらなる童謡分析と、詩と童謡の比較分析を行うことによって、まど・みちおの表現特性がより明らかなものになると考えられる。

 
 

参考文献一覧

○伊藤英治編『まど・みちお全詩集』2001 理論社
○柏原怜子『すべての時間(とき)を花束にして』2002 佼成出版社
○北原白秋「童謡復興(二)」(『芸術自由教育』)1921 アルス(復刻版 1993 久山社)
○西条八十『現代童謡講話』1924 新潮社
○阪田寛夫『童謡でてこい』1990 河出書房新社
○阪田寛夫『まどさん』1985 新潮社
○佐藤通雅『詩人まど・みちお』1998 北冬舎
○谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995 和泉書院
○野口雨情『童謡作法問答』1921 交闌社
○畑中圭一『童謡論の系譜』1990 東京書籍
○弥吉菅一『日本児童詩教育の歴史的研究』第1巻 1989 渓水社
○与田準一『童謡覚書』1943 天佑書房
 

終わりに

 今年の年賀状メールに、「今年こそは、すること(卒論)を早めにしてがんばります!」と書き、野浪先生へ送ったことを、ふと思い出しました。あの年賀状を送った日から、まだ1か月。そんなものは、早々と頭の中から消え失せていました。
 もともと行動が遅いので、何か提出物があるときは、必ず最終日ぎりぎりまで苦しみます。苦しみながら、反省します。苦しみが済むと、後はもうどうでもよくなります。そして、同じことを繰り返します。もう少してきぱきした人を目指そうと、今、反省中です。

   卒論のテーマを決めたばかりの頃は、知らない童謡に出合うという新鮮さがあり、とにかく読むだけで楽しさを感じていました。しかし、徐々に飽きてしまい、一時期はパソコンを開く気さえおきませんでした。
 「楽しさ」が復活したのは、卒論提出1週間前のことです。ぎりぎりです。
 何故「楽しさ」が復活したのか。それは、分析することによって、見えてくるものが多くなったから。前に一度分析したものを再び見返してみると、そこに、さらに新しい発見があったから。当然のことですが、「わからなかったものがわかるようになる」ということは、本当に嬉しいことです。心が良い状態(野浪先生流)で卒論の終了をむかえられたことに、満足しています。

 卒論執筆中は、パソコンメールが大活躍でした。特に、提出1週間前から毎日のようにメールを送り、添付した卒論を野浪先生に見ていただきました。大変感謝しています。

 …表現ゼミのこと。表現ゼミは、私を含め、最後まで相変わらずのんびりやの集団でした。そんな空気が居心地よく感じられました。どうもありがとうね。

平成16年1月30日  山内 良子

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