平成18年 修士論文提出日:平成19年1月15日

平成18年度 修士論文

「書くこと」における指導法の考察

―構想指導を中心に―

指導教員 野浪正隆先生
大阪教育大学 大学院
教育学研究科 国語教育専攻
国語学専修 
和田瞳


目次

はじめに
第一章 先行研究
 第一節 文章表現力
  第一項 対象把握力
  第二項 文章構成力
 第二節 構想
 第三節 構想メモ
  第一項 KJ法
  第二項 構想表
  第三項 構想図
 第四節 川崎市向小学校での研究結果

第二章 調査概要
 第一節 調査目的
 第二節 調査方法

第三章 対象把握力の発達
 第一節 話題の選択
 第二節 話題表現期間
 第三節 話題選択文

第四章 文章構成力の発達
 第一節 構想表
  第一項 構想表の文体と作文
  第二項 「一番心にのこっている」部分の位置
 第二節 段落意識の発達
  第一項 形式段落
  第二項 意味段落
 第三節 終結意識の発達
  第一項 まとめの有無
  第二項 まとめの位置
  第三項 まとめ文の種類

第五章 結論と課題

おわりに

参考文献

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はじめに

 本研究は、作文指導の記述前指導の一つである「構想指導」において、この指導で活用される「構想メモ」の働きを明らかにすることを目的とする。
 「今日および今後の時代に、生きることのできる文章は、まず何よりも虚飾のない、難解でない、一般民衆によって正確に理解されるような、平明性をもったものでなければならない。」1971年に編纂された『作文指導事典』の中で、文章についてこのようにまとめられており、わかりやすいことが文章を書く上での第一条件とされている。文章は読まれるために書かれたものであり、書かれた文章を読むことによって、時間的にも空間的にもまったく交わることのない互いは関係を持つことができる。文章は読み手と書き手を取り持つ役割を持ち、これを媒介としてこの両者を同一の場に立たせることができるという、コミュニケーションの機能を果たす。それゆえ『作文指導事典』でいう文章力とは、長々と文章を綴る力ではなく、わかりやすい文章を書く力なのである。読み手によってわかりやすい文章、明快な文章は「想の展開が論理的な秩序に従い、自然になされている文章」(『作文指導事典』p.41)であり、そのため作文指導において「構想指導」が大きな役割を持つと考えられた。
 しかし今日「書くこと」で求める力は、わかりやすさだけではない。小学校国語科指導要領には、第1学年及び第2学年「書くこと」の目標として「 自分の考えが明確になるように,簡単な組立てを考えること。」とある。小学校低学年からすでに「自分の考え」を明確に意識させようとしている。そして、高学年にもなると「自分の考えを効果的に」表現する力を求める。国語科だけに限らず、小学校教育の中で「自分の考えを書くこと」は重視されている。他教科や道徳の授業、「総合的な学習の時間」において、調べたことや自分の考えをまとめて報告するなど、わかりやすく書くだけでなく自分の考えを認識することが求められている。
 このような状況の中、作文指導で「構想メモ」の活用はあまりされてこなかった。「作文を書き始める前に書かせることは、作文嫌いの子どもたちの書く意欲を挫く」から活用できない、「小学校低学年には、難しすぎて有効ではない」との考えからである。だが、「構想メモ」を活用することによって、「書き手が書こうとする事がらを、いっそうはっきりとさせることができる。そして大事なことを落とさずに書き、そこを強調して書くこともできる。つまり、主題や要旨の明確な文章を書き上げることになる」のであれば、効果的に文章を書く助けになるのではないだろうか。実際に小学生が構想メモを活用して書いた作文と構想メモを活用せずに書いた作文とを比較分析していく。

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第一章 先行研究

第一節 文章表現力

 文章表現力について、土部弘・早川勝廣・井上一郎(1978)は以下のように述べている。

 「文章表現力」は、対象をどのようにとらえ、どのように文章構成していくのか、という「対象把握力」と「文章構成力」とに大別される。
(「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」 土部弘・早川勝廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.23)

 これによると、文章表現力とは「対象把握力」と「文章構成力」から支えられている力である。対象をどのように捉え、どのように述べるかということである。第一項では「対象把握力」、第二項では「文章構成力」についてどのような力として捉えられているのかを見ていく。

第一項 対象把握力

 文章表現力のうちの「対象把握力」とは、「ものごとの捉え方」である。即ち、文章として表現しようとする物事をどのように認識しているかということである。「対象把握力」については、先行研究である「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」において土部弘・早川勝廣・井上一郎によって、次のように分類されている。
 「『感情的把握』の段階は、与えられた課題(対象)を、好きか・嫌いかというような感情的なとらえかたをする段階である。」とする。感情的に、即自的・直観的にとらえる段階である。また「感情的把握」は中期、後期の段階があり、初期の段階では好きなものなら好きなものだけ、嫌いなものら嫌いなものだけというように、同類のみを集めていたのに対して、中期の段階では、異類を類別するようになる。後期の段階になるとさらに、同類・異類の類集・類別のみではなく、整序の操作の発達が伴い、同類の中で程度の違いによって順序づけがされるようになってくる。この段階に至って、土部・早川・井上(1978)は、分類や系列化が芽生えるという。「実際的把握」の段階とは、

 中学年になると、低学年のような好き・嫌いという感情的なとらえかたを抑え、一方で、教科(引用者註:作文の課題が「勉強」)の大切な(大事な)面が、具体的・実際的にとらえられるようになる。好き嫌いにかかわらず、勉強しなければならないという状態の中で、勉強の重要性をとらえるようになる。教科のどのようなところが大事であるか、また、学習する上で大切な点はどこにあるか、と問い、勉強を具体的な学習活動(学習態度・学習方法)としてとらえる。また、勉強の重要性がとらえられるようになると、何のために勉強するのか、と問うようになって、勉強の目的が追求されることになる。すなわち、手段と目的が分化してくるというのである。
(「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」土部弘・早川勝廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.27)

と述べているように、「実際的把握」の段階では、対象を分析し、具体的・実際的にとらえられるようになる段階である。「反省的把握」の段階とは、学習生活自体を対象化し、課題(対象)の本質を主体的に問いかけようとする段階である。
 ここでは、「勉強」という課題作文の分析から、「対象把握力」について以下のように結論付けている。

 「対象把握力」は、「対象」に即した把握力と、「主体」の「感情」「理知」に即した把握力とに識別される。「主体」の「感情」に即した把握から、「事態」に即した把握へと及び、さらに、「主体」の「理知」に即した把握へと及ぶのである。
(「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」土部弘・早川勝廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.25)

 このように「対象把握力」は、「感情的把握」から「実際的把握」を経て、「反省的把握」へと発達していくということが明らかにされている。

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第二項 文章構成力

 文章表現力のうちの「文章構成力」とは、「ものごとの述べ方」である。先にあげた先行研究「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」では、文章構成力を「対象操作力」と「表現操作力」の二つに大別している。

 対象操作力とは、多分に、思考・認識レベルよりの能力で、対象間の「位置づけ」の能力と対象の「意味づけ」の能力とからなるととらえられる。対象操作の能力は、Aからgまでの(引用者註:A「類集」、B「類別」、C「分類」、D「整序」、e「補足」、f「敷延」、g「推論」)操作的能力に区分できる。表現操作力は、「結構設定力」と「文脈展開力」とに弁別できる。結構設定力は、αとβの能力に区分できる。(引用者註:α「提示・解説」とβ「課題・解明」)
(「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」土部弘・早川勝廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.29)

<児童・生適の文章構成力の構造>

(「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」土部弘・早川勝廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.29)

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第二節 構想

 本研究では、作文指導の記述前指導の一つである「構想指導」において、この指導で活用される「構想メモ」の働きを明らかにし、どのように子どもたちの書く力に働きかけるかということを考察するが、そもそも「構想」とは何であろうか。

 文章表現において、思想内容を組織立てることである。さらに、主題(要旨)展開の過程において、内容の重要度、素材の配置、形式などについて考えを組み立てること、また組み立てる働きといってもよい。(中略)作文の指導過程として「構想の指導」という段階があるが、その場合の構想とは、ある主題(要旨)を文章表現として展開させるにあたって、単なる叙述面の段階ということではない。(中略)「構成」とは、構想に基づいてある思想内容(材料)を現実に組み立て作りあげること、またその状態をいう。したがって、構成の具体的かつおよその姿は、文章における記述の段落の立て方に示されているといってよい。このように、「構成」が、どちらかというと、記述という具体的現実に傾斜がかかっているのに対し、「構想」は、頭の中で考えを組み立てること、いわば構成を考える、考えられた構成というように、内面的な思考に特質があるということに留意したい。
(下線引用者。以下同じ。『作文指導事典』井上敏夫他編 第一法規 1971年 p.464)

 『作文指導事典』では、「構想」は文章表現過程「取材・構想・記述」の「構想」であり、「どこまでが取材の範囲で、どこからが構想の範囲に入るかということを画然と区別するわけにはいかない」ものと述べ、その働きは「思想内容を組み立てることだ」と明記している。これに対して、樺島忠夫(1967)は、

 筆に任せて考えつくままに文章を書くというのは、海図と測量器なしに海に乗り出したり、設計図なしに家を建てるのと同じである。文章を書いているうちに何を書いたか、これから何を書こうとするかがわからなくなる。筆に任せて書き、しかもりっぱな文章になるというのは、難しいことなのである。文章をうまく書くためには、文章を書き進めるための設計図、あるいは目的地に到着するための道路地図に当たるものが必要である。
(『文章工学』樺島忠夫 三省堂 1967年 p.3)

であるとし、「設計図」を描くことが構想の段階にあたると考えている。ここでは「構想」という言葉を使ってはいない。『文章作法事典』(1979)では、「構想を立てる」という項目を作り以下のように述べている。

 書こうとする内容は大体わかっているが、それをどう組み立てて書けば、読む人に理解させることができるか、また意図する効果があがるか。その組み立てを考えるのが、ここでの目的である。(中略)文章を書く場合も同じで、目的があって書く場合には、どのような順序でどんなことを書くかの見取り図ができていなければ―つまり構想を立てて書くことをしなければ、首尾一貫した内容にならなかったり、定められた字数では書けなかったりすることになる。このため、書き直しもたびたびしなければならず、書くための労力が大きくなる。
(『文章作法事典』樺島忠夫 東京堂出版 1979年 p.71)

 効果的な文章を作り上げるためには、まず主題をはっきりさせ、それを幾つかの部分によって肉付けして述べるようにせよ。一つの部分で述べる内容は、一つにまとまるようにせよ。
(『書くことの意味−情報・文章・システム』樺島忠夫 毎日新聞社 1977年 p.171)

 これらから考えると樺島は、「構想」は「組み立てを考える」段階であり、「どのような順序でどんなことを書くか」を考えることであるとしている。
 森岡健二もまた、明確に構想を定義していない。著書『文章構成法―文章の診断と治療』(1965)でも、監修した『新版文章構成法』(1995)でも、「構想」という言葉を使って文章の作成過程を説明していない。文章を書く手順として、主題の決定、計画を立てる、草稿を書く、推敲することが挙げられているだけである。計画を立てる段階では、材料の選択、材料の整理、材料の配列、アウトラインの決定を行うことによって計画を立てる。この計画については以下のように述べている。

 アウトラインとは、主題・材料に基づいて番号と文字を使って文章の重要な項目を整理し、それを柱に文章の骨組みを示す計画表である。(中略)文章を書く上でも、紙の上に書いた構想が必要である。
(『新版文章構成法』森岡健二 東海大学出版会 1995年 p.81)

 アウトラインを「文章の構想を視覚化したもの」とし、アウトライン=構想であるとする考えは樺島と同様である。森岡はアウトラインを「主題・材料に基づいて番号と文字を使って文章の重要な項目を整理し、それを柱に文章の骨組みを示す計画表である」と述べていることから、「構想」を、文章を書く手順の「材料の整理」と「材料の配列」に当たるものと考えていることがわかる。

 材料の分類整理は、それをどういう順序で繰り出すかという材料配列の計画と密接に関係するし、材料配列の計画は、とりも直さず文章全体の構成についての問題になる。
(『文章構成法』森岡健二 至文堂 1965年 p.60)
 「材料の配列」という問題は、前節でのべた「材料の整理」と密接に関係している。おそらく、実際に文章を準備する場合には、配列を考えながら材料を整理するのであって、この二つを分離して行うわけではない。ここでは、ただ説明の方便として二つに分け、「材料の整理」では主要事項と従属事項とに分類する、いわゆる整理の一般原則をのべ、「材料の配列」では材料の配列の種々の型を紹介して、論を進める方法を考えようとするにすぎない。実際には同時に行うのである。
(『文章構成法』森岡健二 至文堂 1965年 p.68)

 このように「材料の整理」と「材料の配列」は同時に行うものであり、両者は密接に関わるため分離させることができないものとしている。「材料の整理」と「材料の配列」は、ともに「材料の選択」ですでに必要とされた材料を、効率的に表現するために並び替えることである。つまり森岡もまた、構想することは文章を組み立てることであると考えていることがわかる。
 市川孝(1968)は、樺島・森岡とは異なり明確に「構想」について定義している。しかし、両者と構想の範囲が異なるわけではない。次に挙げる、文章を執筆するまでの手順からもこれがわかる。

     @主題を限定し、主題文を書いてみる。
     A主題に沿って大体の構想を考える。
     B構想をささえるための適切な材料を選ぶ。
     C選ばれた材料によって具体的な構想にしあげる。

 永野賢(1969)もまた『悪文の自己診断と治療の実際』で「構想」について明記している。

 ここに「文章の構想」というのは、"文章の組み立ての予想"の意味である。主題や題材がきまったあと、題材をどのように配列したらよいだろうかと考えたり、表現の全体的な形式をどのようにしたら効果的であろうかと思案したりすることを「構想を練る」というのである。(中略)構想を立てるということは、どのように流すかということである。順序だてることである。さらに言えば、どのように書き起こし、どのように書き進め、どのように書きおさめるかを考えることである。
(『悪文の自己診断と治療の実際』永野賢 至文堂 1969年 p.69)

 永野(1969)の「構想」は、「文章の組み立ての予想」である。主題や題材を決めることは含まず、題材の配列のみに焦点をあてている。
 上述した樺島(1968)・森岡(1965)・市川(1968)・永野(1969)が考える「構想」は、「アウトライン」であり、「材料の整理・配列」であり、「文章の組み立て」である。
 上記の考えとは異なる方面から見た「構想」として三木清(1967)の考えがある。三木(1967)は、「構想」を「題材を並び替えて配列すること」とは考えていない。ロゴスとパトスを取り上げ、「構想」を定義している。

 ロゴスとパトスとは意識の相反する方向、契機を表わす対立物である。前者が客観をその客観性において顕にするものであるとすれば、後者は主体をその主体性において顕にするものである。ロゴス的意識は高まるに応じて次第にいはば対象を含み、対象性を得るのに反して、パトス的意識は深まるに従って次第にいはば対象を失ひ、無対象となる。
(『三木清全集 第八巻』三木清 岩波書店 1967年)

 三木(1967)は、「ロゴス的意識とパトス的意識」は対立的な方向に進むものであり、この両者を結びつけるものが「構想力」であるという。つまり、「構想」は対立的な方向に進む全く異なる意識を結びつけることだと考えるのである。
 『岩波哲学小事典』では、「構想」について、以下のように説明されている。

 通常は想像の能力を意味し、単に想像ともいう。しかしカントはこれに重要な意味を与え、この場合には構想力とも訳す。彼は再生的及び生産的構想力を区別し、前者は連想の経験的法則による普通の意味の想像にあたるが、後者は直観の多様を統一にもたらす先見的能力であり、この統一は悟性に関するから、結局構想力は感性と悟性とを関係づける根本能力として、彼の体系で特殊の地位を占める。
(『岩波哲学小事典』栗田賢三・古在由重編 岩波書店 1979年 p.139)

 哲学では、「構想力」はカントの認識論で重要な位置を占める用語である。もとは「想像力」と訳せる用語だが、カントがこの用語に「重要な意味を与え」ている場合に「構想力」と訳された。つまり、「構想力」はカントがいう「感性的経験を悟性のカテゴリーに媒介する能力」を意味している。感性と悟性を媒介する役割を持つものだと考えられる。

 国語教育でこの「構想」という言葉が使用されるようになったのは、西尾実の『国語・国文の教育』からである。
 「構想」という言葉は、西尾実が『国語・国文の教育』で文学形象の成り立ちを「主題・構想・叙述」と認めたことから、国語教育界に広く知られる用語となった。西尾実は「構想」を「主題そのものの自立的展開としての内面的プロット」として述べた。「構想」は、言語表現の形を取った外的なものではなく、心のなかの意識の動きであり、流動的に変化、変容する思考作用であるというのである。西尾は文学教材の読みにおいてこの「構想」を動的な姿のままで読み取ることを求めた。
 それに対し、作文における「構想」は「主題」のみならず題材の選定、そのための取材活動にもかかる思考の動きを意味する。
(『国語教育辞典』日本国語教育学会編 朝倉書店 2001年 p.132)

 また、「構想」は「構成」と同じ意味にとられることが多いが、『国語教育指導用語辞典』ではこの二つの違いを以下のように述べている。

 「構想」と類似した言葉に「構成」がある。どちらにも、動詞としても意味・用法がある。「構成する」というのは、すでに題材等がきちんと用意されていて、それをどう配列し、組み立てるかという意味合いが強い。「構想する」というのは、そのような意味もあるが、題材集めも同時進行といった面があり、なお流動的である。
 名詞としてみたときは、「構成」が、すでに出来上がった文章の組み立てについて言う事が出来るのに対して、「構想」は、もっぱら、表現という構造体へ向うときの精神の活動に注目した言葉である。
(『国語教育指導用語辞典』田近洵一・井上尚美編 教育出版 1984年 p.128)

 このように、「構想」はロゴス的意識とパトス的意識という対立的な方向に進む両者を結びつけるものであり、この両者を結びつけることにより、常に流れ続ける「想」を一定の形にとどめることを可能にするものと考えられる。
 本研究では、「構想力」を「題材を並び替えて配列する」過程のみに働くものではなく、「取材」にあたる題材集めを含む、題材集めから文章完成までの全過程で働く流動的な思考の働きとする。

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第三節 構想メモ

 『文章表現法講説』の中で林四郎(1969)は、文章は大きな順序と小さな順序に分けることができるとし、二つのうち、構想メモにあたるものは大きな順序であると考えている。

 大きな順序とは、作品全体にわたっての、話題や論点の配り方の順序のこと、小さな順序とは、作品に含まれる一つ一つの話題や論点の中での叙述のことである。(中略)私たちは、この抽象の移行の自由さを利用する。「テーマはきまった。さあ、敍述の順序をきめよう。」という段階では、まず、抽象の程度をぐっと上げて、大まかな飛び石の置き方を考える。基盤に升目をおくと、戦局の大体をおさえるのに著しく有利な足場ができるのと同じで、あることを言うために思いついた話題や論点を、三つか四つ、ぽんぽんと置いてみると、大体その範囲でものが言えそうかどうか、見当がつく。家の建築にたとえて、その段階で配置される話題や論点を「柱」と呼べば、まず、どんな柱をたしたらよいか、役に立たないむだな柱はないか、柱の順序はこれでよいか、といったことを吟味する。
(『文章表現法講説』林四郎 学燈社 1969年p.148)

 林(1969)は、構想メモを「大まかな飛び石の置き方を考える」ものだとし、「あることを言うために思いついた話題や論点を、三つか四つ、ぽんぽんと置いてみ」て、自分の言いたいことをいえるかどうかを考えるための手段としている。

 ひたすら自分の頭の中を整えるのが、この際の仕事だから、ここで用いることばはできるだけ簡潔なものでなければならない。このようにずらずらと続けて書いたために、結論がそれても、そのことに気づかない結果にもなったのだろう。
(『文章表現法講説』林四郎 学燈社 1969年 p.150)
 構想メモを作るのは、表現の構えをしっかりとすえるためである。自分がとらえたものは何かを十分に見つめ、それを言いおおせるために、どういう材料をどのように並べて、どんな範囲のもの言いをしたらよいのかはらがきまること、それが、表現の構えができたことである。
(『文章表現法講説』林四郎 学燈社 1969年 p.163)

 「構想メモ」が自分の考えを導き出す働きを果たすというよりも、これを作ることによって、自分の述べていく筋道の矛盾を発見させることに利点があると考えている。『文章表現法講説』の中でも林は「不都合さをわからせることころに構想メモの利点がある」と述べている。

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第一項 KJ法

 文章を書くために材料を集める。しかし集めた材料を並べるだけでは文章にならない。材料を組み立てなければならない。材料をまとめて、何らかの構造を持つものに組み立てることが必要なのである。これを構造化と呼ぶ。構造化は材料の数がそんなに多くなければ簡単であるが、材料の数が多くなると困難になる。そうした多量の材料をまとめるのに役立つのがKJ法である。
(『文章作法事典』樺島忠夫編 東京堂出版 1979年 p.52)

 KJ法は川喜田二郎の考案によって作り出された、多量の材料を構造化する技術である。この方法は「カード作り・グループ作り・図解・文章化」の四つに区分される。
 「カード作り」の段階では、まず材料を集め、その材料の意味内容を簡潔にまとめてカードに書く。次の「グループ作り」では、作り終わったカードを広い場所に一つ一つ重ならないように並べて、カード同士の内容に親近性を持っていると思われるもの同士を一箇所に集め、一つのグループを作っていく。そしてさらに自分で作ったグループとグループとのつながりを考え、近いものでグループを作る。このグループ編成作業を繰り返し、「図解」の段階で、グループ編成されたカードを見直し、どのようにならべると論理的に納得いく配置になるかを考察し、図解する。その後、作り上げた図解をもとに文章化していくのである。

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第二項 構想表

 「構想表」は表を利用した構想メモである。構想表の形式はいろいろなものがあるが、下の表は『作文指導事典』で例として挙げられているものである。

文題 主題文 長さ読む人
(材料) (組み立て)左の材料を整理して並べる。主題を示す段落を文章全体の(はじめ・終わり・はじめと終わり)におく。 材料の並べ方
主題や主題を支える材料 第一条第二条 A:時間の順序
     B:空間の順の
     C:事柄の順序
主題に関係ありそうな材料    D:理由→結論
     E:結論→理由
     F:全体→部分
主題に反するような材料    G:部分→全体
     H:問題→解決
     I:比較対照しながら
書き出し文と第二文    J:重要なものから
     K:次第に重要なものへ
結びの文    L:賛成してもらえそうなものから
(『作文指導事典』井上敏夫他編 第一法規 1971年 p.324)

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第三項 構想図

 構造図は、第二項構想表(教師が決めた型に児童が出来事を当てはめていくもの)とは異なり、児童自身が思いついた言葉を自由に図として書いていくものである。この構想図の形式をとることで、「ほとんどの児童が意見・事実の型の文章を書く」という川崎市向小学校の実践結果から、構造図は「意見を逆ピラミッド型で表現させたいとき、構想をねらせるのにふさわしい」ものとしてあげられている。

自分かってである
 |
いいあらそい
 |
クラブ活動の時まちがいのはんだん
 |(自分になかなかしごとがまわってこないので自分にやらしてくれないというはんだん)
これらについて
弱虫だ
|
山口君のやかんにすなをつけてしまってけんかになってないた(自分が悪いとは思わない)
ぐたらぐたらしている
↓
野球の時ピッチャーマウンドにいく時のたいど (わるくないのにすぐなみだとためる)
↓
そうじをする時 (かめみたい)
↓
なんとなくいいところがある
↓
   部の時、田屋君にえんぴつをかしてとたのんだがかしてくれなかった。
   その時かしてくれた。
|
三年間同じだった。いい所ははっきりいえないがいい人間だ。

まとめ
(『作文の基礎能力』石田余五六他 新光閣 1967年 p.79)

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第四節 川崎市向小学校での研究結果

 わたくしたちは、高学年の書くことの学習指導の中で、構想をねらせ、構想力を伸ばすことを非常に大事なことだと考えている。
(『作文の基礎能力』石田余五六他 新光閣 1967年 p.49)

 川崎市向小学校でなされた実践研究では「構想段階ではたらく力」は高学年で働くものであり、「構想指導」は高学年から有効な指導であるとして、低学年・中学年では構想指導についての研究結果はない。そのため、高学年の研究結果のみとなる。

 高学年の代表的な書く活動と思われる、できごと・感想・説明報告・意見の四つについて、構想票を使用する場合と使用しない場合とを比較して、構想票のはたらきをさぐってみた。
(『作文の基礎能力』石田余五六他 新光閣 1967年 p.49)

 「できごとを書く場合」
 5年生の児童に「けんか」について書かせたものである。構想票を使用した場合も使用しなかった場合も、大半の児童が、「けんか」というできごとを「展開的に記述しており、作品の質のうえでは、ほとんど差がみられない」とし、その結果から次のことを考察している。

@高学年が、ごく平凡な指導でできごとなどを書く場合、構想票はほとんど役にたたないのではないか。
Aこのような場合に大きくはたらくのは構想段階の力ではなく、むしろ取材や記述の段階の力ではなかろうか。
B高学年でできごとを素材にして構想票を使わせるのは、感想や意見を豊富に入れてまとめさせたり、効果的な表現をねらわせたりする場合ではなかろうか。
(『作文の基礎能力』石田余五六他 新光閣 1967年 p.51)

 「感想を書く場合」
 「作品の全体的評価のうえでは、大きな差は見られないが、評価C(引用者註:児童の作品をABCの3段階で評価している)の作品を書く児童には感想をまとめる、感想をはっきりさせるうえで、かなり影響があるようである。」と述べている。
 「報告的説明を書く場合」
 報告的説明では「湿度計の作り方」について説明を書かせている。この場合構想票使用なしと構想票使用のときでは、小見出しのつけ方や段落についてはあまり差が見られなかったようである。しかし、精叙、略叙のよくできているものは、構想票使用組に多くあり、全体的に構想票使用組の方がレベルが高いと評価している。そのため、「この文章の場合は構想票使用はいい作品を生んだといえるようである。」と結論付けている。
 「意見を書く場合」
 できごとを書く場合に比べて、意見を書く場合の方が構想票使用の効果が見られたが、その効果は大きなものではなく、「『構想票なし』の組の方が、意見のはっきりしない作品や意見のない作品が目だって多かったのにくらべて、一応意見文になっているという程度」という結果である。
 以上のように川崎市向小学校の実践結果を見ると、高学年の代表的な書く活動として扱われた「できごと文」「感想文」「報告的説明文」「意見文」のうち、「できごと文」を除く三つの文章では、構想票使用による効果が見られたという結果であった。

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第二章 調査概要

第一節 調査目的

 第一章第四節で川崎市向小学校の実践結果をまとめた。高学年の代表的な書く活動として扱われた四つの文章の中で、「できごと文」を除く三つの文章では、構想票使用による効果が見られたという結果であった。扱われた文章の中で「できごと文」だけが構想票を使用しても効果がなかったが、その理由として「高学年が、ごく平凡な指導でできごとなどを書く場合、構想票はほとんど役にたたないのではないからだ」と考えられていた。出来事を展開的に書くためである。
 しかし、構想票を活用した作文と活用しなかった作文がまったく同じであるとは考えられない。川崎市向小学校の考察では、構想票を活用したものも構想票を活用しなかったものも「作品の質のうえで、ほとんど差は見られない」としていたが、構想票を使うことによって、何かしら児童に働きかけるものがあり、両者の作文の間には違いがあるだろう。
 この構想メモの働きを明らかにするため、葛城市立忍海小学校で作文資料の調査をお願いした。この調査を通して、構想メモは「低学年・中学年にも活用することができるのか」、「それぞれの発達段階とどのように関係するのか」ということを併せて考察するため、調査対象は低学年・中学年・高学年の三学年とする。
 「構想メモ」の働きを調べるため、小学校低学年・中学年・高学年の三学年、各二クラスに作文を書いてもらい調査する。(ここでいう「構想メモ」とは、作文を原稿用紙に書く前に「書く前の準備」として児童に出来事を思い出させ、集めた題材の順番を考えさせるために作られたものをいう。以下同じ。)各学年で構想メモを活用するクラス、活用しないクラスに分け、同じテーマで書いた作文を分析することで、「構想メモ」が子どもたちの作文力にどのように働きかけているのかを考察する。
 構想メモを活用するクラスには、「書く前のじゅんび」とした原稿用紙を含む「構想メモ」を配布し、その用紙内に書かれている五つの誘導により、作文を書き進めることになる。この調査は夏休み中の宿題とすることから、書き進めていく途中での先生の助言はないものと考えられ、子どもたちが持っている構想力を見ることができると考える。調査用紙内のひとつひとつの誘導に対する説明は、次節で詳しく述べる。

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第二節 調査方法

 今回、「構想メモ」の働きを考察するにあたり、葛城市立忍海小学校に調査協力をお願いし、次のような調査を実施した。
1. 調査日時

平成18年7月下旬〜8月上旬
2. 調査対象
葛城市立忍海小学校の2年生、4年生、6年生の児童とした。クラス数は各学年とも2クラスずつである。調査人数は以下の通りである。
2年生…44人(構想メモあり:23人、構想メモなし:21人)
4年生…32人(構想メモあり:15人、構想メモなし:17人)
6年生…41人(構想メモあり:20人、構想メモなし:21人)
3. 調査用紙
テーマ:「一学期の思い出」
★作文を書く前に、次のような「書く前のじゅんび」をしてかいてみましょう。
@一学期にいろんなことがありましたね。出来事を一つ思い出してみましょう。
Aその出来事のときにあったことや気持ちを、つぎの表に書いてみましょう。

そのときにあったこと・したことそのときの気持ち
はじめに  
つぎに(なか)  
  
  
おわりに  

B「そのときにあったこと・したこと」の中でどれが一番心にのこっていますか。
C題名をつけましょう。
Dさぁ、原稿用紙に書きましょう。

4. 調査内容
@一学期にいろんなことがありましたね。出来事を一つ思い出してみましょう。
→ 「書く前のじゅんび」として、最初にたくさんある素材の中から「話題」を決める。
「中心になるものごと」を定める段階である。
Aその出来事のときにあったことや気持ちを、つぎの表に書いてみましょう。

そのときにあったこと・したことそのときの気持ち
はじめに  
つぎに(なか)  
  
  
おわりに  

→ 「はじめに」「つぎに(なか)」「おわりに」の表の形式をとることによって、段落指導がされている中学年と高学年は抵抗感なく取り組むことができると考える。「そのときにあったこと・したこと」は、「中心をささえるものごと」になる材料を用意する段階であり、また「中心をささえるものごと」になる材料を一定の順序に並べて組織することを目的としている。
→ @の「一学期にいろんなことがありましたね。出来事を一つ思い出してみましょう。」で話題を決定し、これを支えるために必要である「題材」の選択と配列である。また、「そのときの気持ち」は、「中心をささえるものごと」を自分がどのように捉えているのかを確認するためのものである。なお、この表は「構想メモ」と区別して「構想表」とする。
B「そのときにあったこと・したこと」の中でどれが一番心にのこっていますか。
→ ここでは、既にAでひとまとまりの文章の形として完成した構想表を見直し、一貫した内容になっているかを確認する。「中心をささえるものごと」の中で、重点を置く部分を決め、文章の中で一番力を入れる場所を確認する。
C題名をつけましょう。
→ 題名を決め、構想表を書き、重点を置く部分を考えることで、与えられたテーマそのままの名前(この調査の場合「一学期の思い出」)ではなく、それぞれの内容に沿った題名を考える。

5.調査手順
●「構想メモ」を活用するクラス
@「書く前のじゅんび」(原稿用紙を含む)と児童・保護者向けに調査目的を書いた手紙を配布。
 その際、先生方には特に作文について指示をしていただかない。
A時間・字数の制限はないものとする。
●「構想メモ」を活用しないクラス
@原稿用紙と児童・保護者向けに調査目的を書いた手紙を配布。
 先生方には、特に作文について指示をしていただかない。
A時間・字数の制限はないものとする。

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第三章 対象把握力

第一節 話題の選択

<表3−1−1. 2年生の話題選択 (単位:人)>
1日(1時間)数日長期間
1学期006
あそび300
うんてい002
お楽しみ会100
ともだち001
なわとび001
プチトマト003
プール302
一輪車001
親切な人100
先生002
報告会010
将来の夢001
町たんけん250
詩作り100
遠足700
合計18619

 「一学期の思い出」について2年生、4年生、6年生に作文を書いてもらった。以下の表は、選択した話題と書かれた出来事の期間を表わした表である。期間の「一日(一時間)」は「遠足」や「プール」の授業の話題を取り上げた作文で多く見られたが、「遠足」の場合「朝、学校に集まって目的地に向けて出発したときから、学校に再び帰ってくるまで」を書いているものや「プール」などの授業について取り上げているものでは、その「授業の始まりから終わりまで」を書いているものである。「数日間」は、2年生では「町たんけん」に多く見られた。たとえば、行く場所を決め、グループ作りをし、質問する内容や持ち物の担当を決める話し合いから始まり、当日「町たんけん」に行ったときの様子、「町たんけん」終了後の「報告会」の様子を書いたものである。これは前日の話し合い、当日、後日の三日間を書き表わしているので「数日間」として分類した。これが準備した日と当日の二日間であっても、準備した日と当日と報告会日の三日間であっても、同じ「数日間」として分類する。

 1,2年生は、日常生活の場所、行動範囲のほとんどが、家庭、学校とその周りに限られていることから、作文の話題、題材も家庭や学校で経験した事、身近な事柄などが適しています。
(『小学校作文指導実践事典』藤原宏他編 教育出版 1982年 p.37)

 『小学校作文指導実践事典』の中で、低学年に書かせるものとして適したものは「学校でしたこと(学習、休み時間、水泳)、学校行事(遠足、運動会、学芸会)、きのうしたこと(遊んだこと、お手伝い)」などであると述べる。ここで述べられているように、実際に児童が選択した話題には、「遠足」「町たんけん」「プール」と、やはり学校行事や課外授業など普段の学校生活の中で特別な出来事について書いているものが多かった。
 期間は、「遠足」が遠足の日の一日の始まりから終わりまでを書くため、「一日(一時間)」が多くなっている。また、それとほぼ同数の「長期間」は「一学期」「プチトマト」「うんてい」や「なわとび」などの遊びに多く見られた。「プチトマト」は授業で育てたプチトマトを観察記録のように、苗を植え、成長し、実ができるまでという長期にわたる記録を書いていたため「長期間」に入る。
 また、「うんてい」や「なわとび」などは遊びであり、遊んだ日一日の出来事を書いていると考えられるが、「うんてい」や「なわとび」の作文内容は「友達とその日何をして遊んだ」という内容ではなく、「はじめは少ししかできなかったものを毎日練習して一学期の終わりにはこれだけできるようになった。それには友達の励ましがあった。」という内容になっている。そのため「長期間」に入れた。「遊び」としてひとくくりにすることはできるが、「一日(一時間)」に分類した「遊び」とは時間も内容も異なり、別のものとして考えた。

<表3−1−2. 4年生の話題選択 (単位:人)>
1日(1時間)数日長期間
1学期003
お楽しみ会200
クラブ001
クリーンセンター200
先生010
川掃除520
新聞つくり101
環境011
遠足1011
合計2057
 3,4年生では、子どもたちの生活、学習ともに経験が広がり、それにともなって作文の話題、題材も広がります。また、作文の能力の上からは、書こうとするものを客観的に書き表したり、書こうとする事柄の区切りや中心点、段落相互の関係を考えながら書いたりすることができるようになります。
(『小学校作文指導実践事典』藤原宏他編 教育出版 1982年 p.37)

 4年生で取り上げている話題は、「遠足」「川掃除」が多い。「遠足」について取り上げている児童は12人もおり、全体の38%を占めている。「うんてい」や「なわとび」という遊びについて取り上げなくなることも特徴的である。「うんてい」や「なわとび」などの努力を伴う「運動」に近い遊びは、低学年で既にできるようになっているものであり、中学年になるとそのような遊び自体しなくなることと、遊んだとしても努力を伴わずできるため、「一学期の思い出」として取り上げるほどの出来事ではなくなっているからだと考えられる。また「プール」についても、「一学期」の出来事をいくつか列挙する場合には、その一つとして取り上げられるが、これを主な話題としての選択はしなくなる。
 上の表3−1−2(表番号は章-節-番号を示す。以下同じ)の項目では別のものとして区別した「クリーンセンター」「川掃除」「環境」「新聞つくり」「遠足」の五項目は、すべて環境に関する内容となっている。「クリーンセンター」「川掃除」「環境」は項目名を見てもわかるように、地球環境に関するものである。「新聞作り」もまた、地球環境について本やインターネットで調べたことをまとめるというもの。「遠足」は地球環境とは関係がないように思われるが、環境学習を兼ねた「防災センター」の見学が行程に含まれており、その「防災センター」での体験を中心に書いているものが多かったため、「地球環境」としてまとめることができる。
 『小学校作文指導実践事典』で、「3,4年生では、子どもたちの生活、学習ともに経験が広がり、それにともなって作文の話題、題材も広がります。」と述べられていた。このように中学年では、自分が「したこと」「思ったこと」だけを取り上げるのではなく、学年全体で重点を置いて取り組んだ学習を、心に残ったこととして取り上げることができるようになる学年であるということができる。また、「地球環境」という一つのテーマのもと、二つ以上の出来事をまとめて述べることができるようになるのもこの中学年であろう。下の事例4−1、事例4−2がその例である。(事例番号は「事例4−1」であれば、4年生の事例1番を示すこととする。以下同じ。)

事例4−1 4年生構想メモなし
「クリーンセンターと安位川」
1. ぼくの一学期の思い出は、クリーンセンターに行った事と安位川のそうじをした事です。
2. クリーンセンターに行く前は、ぼくは、クリーンセンターの中はどんなんだろうと思いました。
3. ごみのにおいをかいだ時すごくくさくてはきそうになりました。
4. その中でも働いている人がすごいなと思いました。
5. ぼくは、パッカー車の中にきかいがあると思っていたのに中をみたらきかいもなく大きな箱だったのでびっくりしました。
6. ゴミをへらしたらにおいもましになると思いました。
7. 安位川のそうじをする前は、いっぱいごみがあったのでこれだけゴミがあったらひろうのはむりだろうと思いました。
8. ゴミを拾った時、CDやかわらやこわれたテレビがすててあったのでびっくりしました。
9. そうじが終わってから川を見たらほとんど川にすててあったゴミがなくなっていたのでうれしかったです。
10. 川にゴミをすてる人はゆるせないです。

 事例4−1では、一文目で「ぼくの一学期の思い出は、クリーンセンターに行った事と安位川のそうじをした事です。」と述べており、二つのことについてこれから書いていくことを予告している。文2から文6は「クリーンセンター」について述べ、文7以降が「安位川の掃除」の内容に移っていく。「ゴミ」という共通点からこの二つのことを書いているが、二つの出来事を述べている間(文6と文7の間)に両者を繋げる言葉は見られない。「ゴミをへらせば」クリーンセンター内の臭いもましになると思い、「ゴミをへらせば」川がきれいになるという、二つに共通する「ゴミをへらせば」という意識から、この事例4−1を書いた児童の中では一つの共通した内容である。そのため、「クリーンセンター」と「川掃除」の間には何の説明も加えられていない。もし文1で「ぼくの一学期の思い出は、クリーンセンターに行った事と安位川のそうじをした事です。」と書かれていなければ、題材を二つ並べただけのものとなったと考えられる文章である。文1のように文章始でまとめようとする意識は見られるが、文章末にあたる文10は「川にゴミをすてる人はゆるせないです。」という「川掃除」のみのまとめとなっていて、全体で見るとやはり二つの題材を並べたものとなっている。しかし、文1があることで「クリーンセンター」に行った日と、「川掃除」をした日の二日間について一つのまとまったものとして取り扱おうとする意識を見ることができる。
 次の事例4−2は同じく「環境」として分類したものである。これもまた、「総合の時間の学習」と「安位川の掃除」を「ゴミ」という共通点から組み合わせて述べているものである。この作文には事例4−1で見られなかった二つの出来事を繋ぐ文がある。文5と文6である。文5では「とくにみんなでとりくんだ事は水とゴミの事です。」とあり、文6で「水とゴミと言えば安位川です。」と繋いでいる。最初に述べている「総合の時間」についての説明と次の述べている「安位川の掃除」を繋げる役割を持つ文を挿んでいる。

事例4−2 4年生構想メモなし
「総合学習」
1. ぼくたち四年生は総合の時間、地球温だん化について勉強をしてきました。
2. 地球温だん化については四つにしぼられました。
3. 一つはゴミ・リサイクル、一つは大気、一つは水、そしてもう一つは森林です。
4. みんなはしんけんにとりくんでいました。
5. とくにみんなでとりくんだ事は水とゴミの事です。
6. 水とゴミと言えば安位川です。
7. 安位川にはゴミが山ほどありました。
8. そのゴミをみんなできれいにしました。
9. その後にゴミを学校に持ち帰りました。
10. 学校に持ち帰ったら、早速、ゴミの分べつをしました。
11. CDもまだ使えるようなものがたくさんありました。
12. とくに量が多かった物はもえるゴミでした。
13. やぶれたビニールぶくろやトレーなどがたっくさんありました。
14. いくら毎年安位川のせいそうをしても、上流の方からゴミが流れてくるからたいへんです。
15. みんなこれ以上ゴミを川にすてないでほしいです。

 これは事例4−1と同じ「環境」を話題として取り上げたものであるが、事例4−1を「数日間」に分類したものとは異なり、「長期間」に分類した。文1から文5は総合学習について述べているが、一学期間の総合の学習をまとめて述べた内容である。地球温暖化についてこれまで学んできたが、その中で特に「水とゴミ」について詳しく学習してきたということである。そのため、一時間という一授業時間内の学習ではなく、数日間の学習でもなく、一学期を通して学習してきたものだと考えられるため、「長期間」に分類することができる。文6から文15は「安位川の掃除」について述べているが、これもまた、その日の掃除について述べているだけではなく、文14の「いくら毎年安位川のせいそうをしても、上流の方からゴミが流れてくるからたいへんです。」という文から、自分が参加した掃除だけではなく、これまで毎年4年生が行ってきた安位川の清掃というものを捉えていると考えられる。地球環境を学ぶという「総合学習」の一環として「安位川の清掃」について書いている作文である。

<表3−1−3. 6年生の話題選択 (単位:人)>
1日(1時間)数日長期間
1学期004
クラブ102
テスト100
ブリッジ010
プール403
入学式200
友達001
委員会001
歓迎会100
歴史の授業001
遠足1540
合計24512

 6年生では「遠足」が46%を占める。2年生、4年生と比べて高い割合である。中学年になると、低学年で見られた「遊び」に関するものが取り上げられなくなると述べたが、高学年になると、さらにその割合が低くなる。その代わりに増える話題が学校行事である。取り上げられる行事で数の多いものは、やはり「遠足」だが、6年生では学校行事として「遠足」だけでなく「入学式」や「歓迎会」の話題が出てくる。6年生という学年であるからこその話題選択である。「入学式」は1年生が主役であるが、小学校の最高学年である6年生は、在校生の代表として1年生を案内する役割がある。また、「新入生歓迎会」でも司会や照明などの係りを6年生が担当するため、他の学年には見られない話題選択があり、これを特徴としてあげることができる。
 また、2年生では11%あった話題である「プール」が、4年生では0%になり全く取り上げられなくなったが、6年生になると17%になる。

事例2−1 2年生構想メモあり
「大すきなプール」
1. ぼくは、プールが大すきです。
2. 三時間目がおわってぼくが、「やっとプールに入れるけど、地ごくのシャワーもまっているな。でも、やっぱりプールの時間はサイコー。」と言いました。
3. そして、きがえてならぼうとしたとき、TくんとT.N.くんが、サンダルでけんかをしていたので、Kくんがけんかをとめてならばせて出ぱつしました。
4. プールサイドで体そうをして、地ごくのシャワもしました。
5. 先生が、プールにボールをなげました。
6. ぼくは、なげたほうに行ったけどボールがありませんでした。
7. するとKくんが、「一回もぐって回りを見て、あるほうに行くねんで。」と言いました。
8. ぼくは、ボールを見つけ、とびこんでとりました。
9. それから、先生にボールをわたすとじゆうあそびになりました。
10. ぼくは、およいでおよいでおよぎまくりました。
11. と中で、K.H.くんが、「あそぼうよう。」と言ったので、Kくんといっしょにおよいだりきょうそうしたりしてあそびました。
12. とてもたのしかったです。
13. もっとあそんでいたかったけど、先生が、「しゅうりょう」と言いました。
14. ぼくたちは、体そうをしてシャワーをかかりました。
15. シャワーは、つめたいしいたいのでみんなで地ごくのシャワーと言っています。
16. でも、またプールに入りたいです。
事例6−1 6年生構想メモあり
「やっと二十五m泳いだぞ」
1. ぼくは、この人生の中で二十五mを一回も泳いだことがありません。
2. だけど、六年になって二十五mを泳げました。
3. 二十五mを泳いだときのことについて、書きます。
4. ぼくは、先生に、「泳ぐ用意をしろ」と言われたから、用意をしました。
5. だけど、ぼくは、(泳げるかなぁ)と思いました。
6. そう思いながらプールに入りました。
7. そして、入ったら(よし。絶対に二十五m泳ぐぞ)と思いました。
8. そして、泳ぎました。
9. 泳いでいる時、だんだん苦しくなって、足をつきそうになったけど、(二十五m絶対泳ぐぞ)と思っていきました。
10. それからも、(二十五m絶対泳ぐぞ)と自分に言い聞かせながら泳いでいきました。
11. そして、やっと二十五m泳ぎました。
12. ぼくは、(五十m泳ごうかなぁ)と思ったけど、もうそんなに泳ぐ力がないからやめました。
13. 二十五m泳いだぁと、心の中で(やったーやっと二十五m泳いだぞー)と思いました。
14. みんなから、「やったな」と言ってくれる人がたくさんいました。
15. 中学校に行ったら五十m泳ごうと思いました。

 事例2−1「大すきなプール」と事例6−1「やっと二十五m泳いだぞ」では、同じ話題「プール」を取り上げていても、内容が全く違う。同じ「プール」の授業であっても、学年が違えば授業内容が異なるため、作文の内容が異なることは当然である。しかし、だからこそ4年生では見られなかった話題である「プール」が、再び6年生で見られるようになるのである。
 事例2−1では「ボールさがし」や「自由遊び」について書かれているように「遊び」としての色合いが強かった水泳の授業が、6年生になると「遊び」ではなく、リレーをしてタイムを競い、種目ごとの自己記録を伸ばす授業となる。そのため、作文に書かれる内容も「大すきなプール」という内容ではなく、「やっと二十五m泳いだぞ」という内容になるのである。同じ「プール」という話題を選択していても、「友達と遊んで楽しかった」というものから「二十五m泳げた。五十m泳げた。」という内容になるため、この6年生の作文は2年生で見られた「うんてい」や「なわとび」の努力した結果を伝える文章と近いものになる。自分の誇るべき記録として表わすのである。
 このように選択される話題は、個人の印象の深さによって選択される場合もあるが、児童の身体的・思考的発達による環境の変化や認識の変化が大きく影響すると考えられる。そこで、この「プール」のように、同じ話題を取り上げた2年生・4年生・6年生のそれぞれの作文を比較することで、各学年の特徴をみることができると考える。
 次に、すべての学年に共通して話題として取り上げられている「遠足」について分析する。「遠足」と同様に「一学期」についても各学年でも取り上げられ、共通して見られる話題であるが、この「一学期」という話題は構想メモを活用しない作文のみに見られた話題であるため、どちらにも見られた「遠足」について考察する。

事例2−2 2年生構想メモなし
「キッズプラザ大さか」
1. 二年生になって春の遠足でキッズプラサ大さかに行きました。
2. えきからバスで行きました。
3. ついたら中にはかみの毛をいっぱいつけたものを足や手で回すと、かみの毛がくるくる回わったです。
4. ほかにも、虫を見れたりさかなを見れます。
5. ジャブジャブボンというものをあそんでしました。
6. 水をためておもくなったら水がおちています。
7. つぎは、ガソリンスタンドのふくをきておもちゃのでかい車をなおします。
8. きちんとなおせました。
9. でかいシャボン玉の中にともだちと入ってたのしかったです。
10. もう一回いってみたいです。

 文1から文8まで「したこと」のみが書かれており、文9では「たのしかった」、文10で「もう一回いってみたいです。」と文章末に気持ちが付け加えられている。2年生の作文にはこのような「したこと」と「気持ち」のみで綴られている作文が多い。文章全体が自分中心に書かれており、自分が「したこと」「思ったこと」のみで構成されている。「わたしが」「ぼくが」という表現は省略されている。書かれている行動や気持ちは、すべて「わたし」「ぼく」のものであり、書く必要がないからである。事例2−7にも見られるように「ともだちと」という自分以外の人物も作文中に登場するが、登場する人物は自分の行動に関わる人物だけである。書き手である児童に話しかけた先生であり、親であり、一緒に行動した友達であったりする。直接自分の行動や気持ちに関わる人物しか登場しない。
 中学年である4年生になると、自分の「したこと」「思ったこと」が中心であった内容に変化が現れる。

事例4−3 4年生構想メモあり
「春の遠足楽しかったよ。」
1. 春の遠足です。
2. 4年生ではじめての、遠足は、とてもたのしみにしていました。
3. バスに乗る前に友達とおはなしをしたり、遊んだりしました。
4. バスに乗った時、楽しい1日にしたいなぁと思いました。
5. 奈良市防災センターに着きました。
6. ここは、火事になった時や、じしんになった時など、がくしゅうするしせつです。
7. わたしたちは、ここで、いろいろなこともまなび、いろいろなことを、体験できました。
8. とてもうれしかったです。
9. つぎに行った所は、東大寺・二月堂です。
10. 東大寺には、奈良公園にいるしかがたくさんいました。
11. それに、1番大きい大ぶつがあって、とてもおどろきました。
12. そして、バスでかえりました。
13. でも、バスガイドさんや、奈良市防災センターの方々に会えて、ほんとかんしゃしています。

 ただ、自分が「したこと」「思ったこと」を書くだけではなく、文6のように「ここは、火事になった時や、じしんになった時など、がくしゅうするしせつです。」という説明を入れるようになってくる。そして、文7で「わたしたちは、ここで、いろいろなこともまなび、いろいろなことを、体験できました。」と述べる。2年生で見られたように、体験した内容を「これとこれをして、その次にこれを体験した。たのしかった。」という文章にはならない。台風体験、火事体験、地震体験など実際に体験しているにも関わらず「いろいろなこともまなび、いろいろなことを、体験できました。」とまとめてしまう。自分がこんなことをした、こう思ったという「体験している自分」がいま作文を書いているのではなく、「体験して学習したはずの過去の自分」を思い出して書いているという、過去の自分と出来事を客観的に捉えている。
 文10「東大寺には、奈良公園にいるしかがたくさんいました。」という、作文の中では自分の行動や気持ちとは直接関係しない記述が見られるようになるのもこの中学年頃である。自分の行動や気持ちと直接関係せず、その一文を省略したとしても作文として成立する文章が見られるようになるのは、低学年の「自分中心的把握」を脱したということを表わしている。
 また、事例4−3の文7「わたしたちは」という表現からも分かるように、クラスという集団を、自分を含めたひとまとまりとして捉えることができるようになっている。低学年では、クラスの友達を表現するときには「みんな」という表現が使われていた。そこには書き手である児童は含まれていない。他に4年生では「4年生のみんな」「クラスのみんな」という表現が見られた。「みんな」という表現がクラスだけに限定されず、学年としてのまとまりを意識したものになっていることがわかる。また、自分と直接関わらない「ほかの学年の人たちも、学校にいました。」という表現も出てくる。

事例6−2 6年生構想メモあり
「楽しかった石ぶたい」
1. 私たちは、春の遠足で、高市郡明日香村に行きました。
2. 行く前は、石ぶたいに行くのがとっても楽しみでした。
3. ほかのも見て、やっと石ぶたいのところにつきました。
4. ワクワクドキドキでいっぱいでした。
5. 初めて見る石ぶたい、とっても大きくってびっくりしました。
6. 先生が「中に入るぞー。」といったのでどんなんかなぁとドキドキしました。
7. 中に入ったら外から見たときと、同じぐらい広かったのでわたしは、心の中で、お墓なのにこんなにおおきいのか、すごいなぁとびっくりしました。
8. 中はとってもくらくって友だちの顔も見えなかったのに前の日が雨でみずたまりができていてはまりそうになりました。
9. おくまでいくとすきまから風がふいてくるのですこしぶきみでした。
10. 友だちの顔が見えなかったので、だれかが「キャー」といいました。
11. なにかなぁと思ったらだれかに足をふまれました。
12. あ、さっきの子もふまれたのかなぁと思いました。
13. 外にでてほかのも見に行って帰りました。
14. 学校でしおりのクイズをあつめて答え合わせをしたら問題の石ぶたいの一番大きな石は体重35kgの人何人分という問題で二百二十人とかいたら、二千二百人だってびっくりしました。
15. 遠足とっても楽しかったです。
16. 「また、行きたいな。」

 事例6−2は、「したこと」「思ったこと」が中心に書かれている。「したこと」「思ったこと」を中心に書くというのは低学年でも見られたが、高学年になるとただ「したこと」「思ったこと」を思いつく順にすべて同じ比重で書くというのではなく、自分が一番心に残ったと思う場所に重点を置いて書くようになる。
 事例6−2で見ると、始めから終わりまで「石舞台」についての内容となっている。遠足に行く前の気持ち、実際の見学場面、後日遠足のしおりに載せてあったクイズの答えあわせ、すべての場面で「石舞台」について述べている。心に残った場所である「石舞台」を、「遠足」という大きな出来事の中から小さな一場面を切り取って作文にしている。「遠足」という素材を、書き手である児童が対象化することができているといえる。

 低学年では、記憶印象を羅列する形式の文章が多く、観点がいわば事件中心的、自然的であるのに、中学年になると観点が観察的、説明的になり、主観の判断が強くなっていき、文章そのものが論理性を増す。そして高学年になると、個人の観点から見た立場で統一され、考え方に個性が浮かび出るようになる。
(「言語能力の発達と学習」汐見稔幸 『子どもの発達と教育5 少年期発達段階と教育2』岩波書店 1979年 p.67)

 汐見(1979)が「言語能力の発達と学習」の中で述べているように、低学年では「わたし」や「ぼく」という自分を中心にして「したこと」「思ったこと」を把握しているが、中学年になると自分の「したこと」「思ったこと」を客観的に捉えるようになる。そのため、奈良公園にいる鹿を見て「鹿がたくさんいるなぁと思った。」ではなく、「なら公園には、しかがたくさんいた。」という記述になる。
 高学年になると、中学年の客観的な見方ではなく、低学年の主観的見方に近くなる。低学年の主観的な見方に近くなるとはいっても、「自己中心的把握」をするのではない。高学年でも低学年と同じように、「わたし」や「ぼく」が「したこと」「思ったこと」を書くが、「個人の観点から見た」ものを書くのである。自分の心に残ったことに焦点をしぼって書くことができるようになるといえる。
 先行研究「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」において土部弘・早川勝廣・井上一郎(1978)は

「対象把握力」は、「対象」に即した把握力と、「主体」の「感情」「理知」に即した把握力とに識別される。「主体」の「感情」に即した把握から、「事態」に即した把握へと及び、さらに、「主体」の「理知」に即した把握へと及ぶのである。
(再掲「文章表現力の構造(第1報)−対象把握力と文章構成力との相関性」土部弘・早川廣・井上一郎『大阪教育大学紀要第T部門人文科学第27巻第1・2号』1978年 p.25 )

と述べ、「対象把握力」を「対象」に即した把握力と「主体」に即した把握力とに識別した。そして発達過程としては、「主体」の「感情」に即した把握から、「事態」に即した把握へと及び、「主体」の「理知」に即した把握へと及ぶ。つまり、「感情的把握」から「実際的把握」、「反省的把握」へと発達することを明らかにしていた。
 この先行研究から考えると、今回「一学期の思い出」について各学年の特徴を分析している中で、低学年で「わたし」や「ぼく」が「したこと」「思ったこと」を自分中心に把握していることと、高学年で「わたし」や「ぼく」が「したこと」「思ったこと」を対象化していることがよく似ていると感じたのは、低学年、高学年ともに「主体に即した把握力」であったからであろう。

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第二節 話題表現期間

 第一節話題選択では、学年ごとにどのような話題選択の傾向があるのかを調べた。話題選択には対象を把握する力が関係するが、その対象を把握するに当たって「何に即した捉え方をするのか」ということが問題となっていた。「何に即した」の「何」が発達段階により異なるため、低学年・中学年・高学年という発達段階に応じた学年による傾向が見られた。低学年では「主体の感情に即した把握」から自分を中心に「したこと」「思ったこと」を捉え、中学年では「事態に即した把握段階」に入ることから、対象を客観的に捉えた。「主体の理知に即した把握」へと及ぶ高学年では、「したこと」「思ったこと」で「個人の立場から見た観点」でまとめられたものとなっていた。
 この「何に即し」て把握するかによって、話題の選択は行われると考えられたが、この話題選択にはそれぞれの話題が作文の中で表現している期間があった。表3−1−1から表3−1−3に話題とともに「一日(一時間)」「数日間」「長期間」として表わしたものである。上述したように同じ話題を取り上げていても、「数日間」として表現しているものや「長期間」として表現されているものがあり、異なる期間で表現されていた。このように話題選択は、それが表わす期間との関わり、学年や構想表の働きとどのように関係するのであろう。

<表3−2−1.各学年の作文内容が表現する期間(単位:人)>
2年生4年生6年生
一日(一時間)18(41%)20(63%)24(59%)
数日間7(16%)5(16%)5(12%)
長期間19(43%)7(21%)12(29%)
<グラフ3−2−1. 各学年の作文内容が表現する期間>

 2年生では「一日(一時間)」と「長期間」はほぼ同じ割合を占めているが、4年生、6年生は「一日(一時間)」で出来事を書いているものが一番多く、その次が「長期間」、「数日間」の順である。2年生では、選択している話題が「一日(一時間)」に分類される「遠足」と、「長期間」に分類される「一学期」を話題としているものが多かったため、両方ともに約40%を占めた。4年生と6年生では「一日(一時間)」が63%、59%と近い割合を示しており、「数日間」は4年生が16%、6年生が12%とどの期間も近い割合である。このグラフ3−2−1から考えると、「主体に即して」対象を把握するのか、「事態に即して」対象を把握するのかという、対象を「何に即して」把握するかという違いによって、表現される期間は異ならないことがわかる。
 しかし、この集計は学年の合計を表わしたものであり、構想メモを活用した作文と、構想メモを活用しなかった作文が含まれているため、実際の各学年の発達段階を見ることができない。構想メモの中にある構想表を活用することによって、一定の型に沿って書くため、自由な記述ができないからである。そのため、表3−2−2から表3−2−4は学年ごとに構想表を活用したものと構想表を活用しなかったものとを分けて見ていく。(「構想メモ」は「書く前のじゅんび」と名付けた調査用紙を指し、「構想表」は「構想メモ」の中にある表のみを指す場合に使用することとする。以下同じ。)

<表3−2−2.2年生の話題表現期間(単位:人)>
2年生構想表あり2年生構想表なし
一日(一時間)10(43%)8(38%)
数日間6(26%)1( 5%)
長期間7(31%)12(57%)
<グラフ3−2−2. 2年生の話題表現期間>

 2年生では構想表を活用しても活用しなくても「一日(一時間)」の割合は約40%とほぼ同じであった。「あそび」「お楽しみ会」「プール」「遠足」などの一日(一時間)で終わるものがどちらの場合も共通する話題として取り上げられていたからである。しかし、「数日間」「長期間」については異なる。「数日間」の出来事を話題としたものは、構想表ありには26%もあるのに対して、構想表なしは5%だった。
 「数日間」を取り上げているものは「報告会」と「町たんけん」がある。「町たんけん」は構想表を活用したものでも構想表を活用しなかったものでも「数日間」に分類される内容の作文はあった。しかし、「一日(一時間)」に分類される内容が書かれていたものは構想表を活用した作文だけである。構想表なしで「町たんけん」について話題として取り上げたのは「数日間」に分類された一作文だけであっため、構想表なしでも「数日間」で捉えることがあったかどうかはわからない。ここで「町たんけん」の「一日(一時間)」に分類される二つの作文をあげる。

事例2−3「たんけんにいったよ」構想表(期間:「数日間」)
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ち なかB気持ちおわりきもち
構想表の記述2年でたんけんにいくことになった。いきたいところをきめてグループをつくった。ルールをたくさんきめた。すごくたのしみー。わたしは、し村のぼうさいこうえんへ4人でいくことになった。どんなとこかなーしつもんすることを考えた。ボランティアのおかあさんたちがついてきてくれた。ちゃんといえるかなー。Kく長さんがせつめいをいっぱいしてくれた。よくわかった。わかったことをみんなにほうこく会をした。ぜんいんの先生がみんにきてくれた。はずかしかった。わかりやすいかなー。
事例2−3 2年生構想表あり
「たんけんにいったよ」
1. 二年生でたんけんに行くことになりました。
2. たくさん行くところがあったけどいちばん行きたいところを、きめてグループをつくりました。
3. わたしたちのはんは、スーパーひみつごうです。
4. ルールやもちものをたくさんきめました。
5. すごくたのしみでした。
6. 天気になってほしいなーぁと思いました。
7. わたしたち4人は、し村のぼうさいこうえんに行くことになりました。
8. みんないったことがないのでしつもんを一人3こきめました。
9. ボランティアのあかあさんたちが二人ついてきてくれました。
10. し村はとおかったのでいったん休けいしました。
11. く長さんは、ちかくの田んぼでまっていました。
12. く長さんは、こうえんについて、せつめいをたくさんしてくれました。
13. こうべのじしんのあとの3月にできたこと、ベンチがとれたり、いどがあること、川のはしっこについている草みたいなのが、ホタルのえさになるのがありました。
14. たくさんわかりやすく教えてくれました。
15. 帰ってからみんなにわかったことを、ほうこく会にしました。
16. ぜいいんの先生がみんにきてくれたからとてもはずかしかったです。

 事例2−3は、構想表の「はじめ・なか・おわり」の表の形式に影響された作文であることがわかる。構想表の「はじめ」に「町たんけん」に行く前の場所決め、グループ決めやルール決めのことが書かれている。作文では文1から文5に当たる。そして「なか@」」から「なかB」までは、「町たんけん」当日について書き、「おわり」に後日の報告会について書いている。「町たんけん」という課外授業としては、「町たんけん」に行った当日のみではなく、その準備から報告会までが「町たんけん」である。この意味では、事例2−3の児童は話題をよく捉え、全体をまとめることができている。

事例2−4 2年生構想表なし
「一学きの思い出」
1. 一学きの思い出は、二年生のみんなと一しょに行った町たんけんについての思い出です。
2. さいしょは、どきどきしていたけれども、だんだんみんなと一しょにしていたら、ますますなれてきて一ばんたのしかったです。
3. みんなが行ったばしょは、「バスセンター、オークワ、おしみえき、おしみやっきょく、さかいぼくじょう、カントリーロード、JA.あすま、チクサンナラショップに行きました。
4. そのあと、しつもんををしてこたえてくれたので、お手がみをグループごとに、一しょにおくりました。
5. キュウリとプチトマトを食べてもらいました。
6. わたしのおじいちゃんとおばあちゃんが食べると、とってもおいしいと、こたえてくれました。
7. おじいちゃんとおばあちゃんは、一しょうけんめいにみんなの手がみを見て一ぱい、一しょうけんめいがんばっています。
8. ・・・・ねこたちも一しょうけんめいがんばってがんばっていて、しっかりしているしよく生きています。
9. よい思い出です。

 事例2−4は構想表なしの同じ「町たんけん」を取り上げた作文である。これもまた「数日間」を表現している作文になる。しかし、同じ話題で同じ期間を取り上げているにも関わらず、事例2−3のように「町たんけん」の準備、当日の行動、報告会のように明確に分けることができないものとなっている。題名は「一学期の思い出」であり、文1と文2で「町たんけん」についての思い出が一番たのしかったと書いている。そのため、「町たんけん」について書いていくのだろうと思って読んでいくと、文3で「町たんけん」で行った場所についての説明がされる。しかし、これはクラスのみんなが行ったすべての場所について並べられているだけで、事例2−4を書いた児童がどこに探検に行ったかという説明やこの児童の感想などは書かれていない。そして文4で、もうすでに「町たんけん」後の内容になる。文5以降は「町たんけん」に行った場所のスタッフの人に感謝の意を込めて学校で育てた野菜を送り、食べてもらったということを書いているのだが、事例2-4の児童の「おじいちゃんとおばあちゃん」に同じ野菜を食べてもらった感想や、猫の話が出てくる。文8の猫は「町たんけん」との繋がりはわからない。しかし、文9で「よい思い出です。」とまとめていることから、「町たんけん」に行った場所にいた猫であろうと推測することができる。猫は、文5の「キュウリとプチトマト」から文6の「わたしのおじいちゃんとおばあちゃん」に繋がり、「わたしのおじいちゃんとおばあちゃん」から文7「おじいちゃんとおばあちゃん」へと繋がる。そして、文7の「一しょうけんめいにみんなの手がみを見て一ぱい、一しょうけんめいがんばっています。」という一生懸命頑張るということから文8「ねこたちも一しょうけんめいがんばってがんばっていて」へ繋げられている。前文に書いた同じ言葉による繋がりから話が続けられている。つまり、前の文を書いている中で思いついたものを書き連ねていると考えることができ、連鎖的文章であるといえる。
 事例2−3は、事例2-4と比べてまとまりのあるものとなっている。準備や当日の出来事、報告会は「町たんけん」という一つの話題を支えるために集められた題材であるからだ。しかし、「一学期の思い出」の一つとして「町たんけん」を挙げている事例2-4は、連鎖的に思い出されたものが綴られていくため、話題である「町たんけん」を支えるための題材が集められていない。同じ「町たんけん」という話題を取り上げ、期間も「数日間」である事例2−3と事例2−4では、構想表の「はじめ・なか・おわり」の形式が題材選択や配列に大きく影響し、一つの出来事が「数日間」に分かれている場合は、構想表を使って書いた方がまとまりがあるものとなるといえる。

<表3−2−3. 4年生の話題表現期間(単位:人)>
4年生構想表あり4年生構想表なし
一日(一時間)10(67%)10(59%)
数日間4(27%)1(6%)
長期間1(6%)6(35%)
<グラフ3−2−3. 4年生の話題表現期間>

 4年生になると、「一日(一時間)」の割合が、構想表ありは67%、構想表なしは59%になり、どちらも半分以上占めるようになる。そして構想表ありの期間で「数日間」が「長期間」よりも多くなるのに対して、構想表なしは「長期間」が「数日間」よりも多くなる。これは「一学期の思い出」を話題として取り上げる作文が、構想表ありの方には見られないからである。また、「新聞作り」など同じ話題を取り上げていても、構想表ありのものは「一日(一時間)」の期間を表わしているのに対して、構想表なしのものは「長期間」を表わしている。このように同じものを取り上げていても短期間で表現しているものと長期間で表現しているものがあるため、このような結果となったと考えられる。
 これも低学年同様、構想表が影響していると考えられる。「はじめ・なか・おわり」とあることによって、「長期間」についての出来事を書きにくくしているのだろう。「長期間」について述べている事例4−4を見てみる。

事例4−4 4年生構想表あり(期間:「長期間」)
「クラブのしあい」
1. ぼくは、グラウンドクラブに入りました。
2. 始めに、キャッチボールをしました。
3. 友だちの「Nちゃん」としました。
4. ぼくは、あんまりやったことがなかったのでへたでした。
5. でもとても楽しかったです。
6. 次に野球のしあいをしました。
7. 初めてしました。
8. 1回目をしました。
9. 初めてだったのでちょっときんちょうしました。
10. 点数を入れないしあいだったので、とっても楽しかったです。
11. 次に、2回目のしあいをしました。
12. 次は、点数の入れるしあいだったのですごくきんちょうしました。
13. ぼくがバッターのときにホームランを打ったのでぎゃく点したのでうれしかったです。
14. 生まれて初めてホームランを打ったので、よかったです。
15. またこんど野球のしあいをしたいです。
16. クラブの最後の日は、プールだったけど、ぼくはプールに入れなかったです。
17. くやしかったです。
18. ほんまは、プールに入って、楽しく遊びたかったです。
19. 2学期にまたちがうスポーツをクラブでします。
20. ぼくは、そのスポーツをがんばりたいです。

事例4−4の「クラブのしあい」構想表 (期間:「長期間」)
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ち なかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述はじめにキャッチボールをしたこと楽しかった野球のしあいを2回した。ヒットを打ってよかった××××プールをしたこと入れなかったのでくやしかった

 事例4−4の構想表には「なかA」や「なかB」では×印があるが、これは何も記入されていなかったことを表わす。この児童の構想メモを見ると、出来事は「クラブ活動について」書こうとしている。構想表の「はじめ」から「おわり」まで「クラブ活動」について書かれており、「おわり」では「プールをしたこと」とあるので、別の話になったのかと思われるが、「きもち」を見ると、「はいれなかったのでくやしかった」とあるため、クラブ活動としてプールで遊ぶことがあったのだと考えられる。つまり、クラブの中で一学期は主に野球をしていたが、クラブ活動の最終日には野球ではなくプールに入って遊んだということである。しかし、入れなくて「くやしかった」と感想を述べている。このように考えると、一学期間のクラブ活動について述べているにも関わらず、文1から文15までは「一日(一時間)」のクラブ活動について述べているかのように書かれている。文15の「またこんど野球のしあいをしたいです。」という文で終わっていたとしたら、「一日(一時間)」として分類される文章となる。「一番心にのこったところ」は「ヒットを打ったこと」とあるので、特に「終わり」のプールの話は加える必要がないものだ。事例4−4の構想表の中で「なかA」や「なかB」を×印をして消していることからも、長期間の出来事を「はじめ・なか・おわり」の表に当てはめて書くことに、明らかに書きにくさを感じていることがわかる。
 しかし、6年生になると同じ「クラブ」について「長期間」を表現したものでもまとまった文を書いているものが出てくる。

事例6−3「頑張った野球」構想表(期間:長期間)
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ち なかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述野球でヒット20本ホームラン4本をうった。×バッティングマシーンをかって打つ練習をした。×知り合いの人に教えてもらった。大変だったけど楽しかった。打ち方をかえた。×これからも今まで以上に打っていきたい×
事例6−3 6年生構想表あり (期間:長期間)
「頑張った野球」
1. ぼくは、一学期で一番ころに残ったのは、野球で3号ごうこホームランを打ったことです。
2. そして、今日までの成積は安打20本、ホームラン4本、打率2割5分、でした。
3. ぼくは、このホームランはこれまでの努力の成果だと思います。
4. まず一つ目は、3月の誕生目に買ってもらったバッティングマシーンで毎日打つ練習をしていたことです。
5. ぼくは、毎日なにかをつづけるということが苦手だったので最初は大変だったけど続けているあいだにふつうになってきました。
6. それに、この練習はすごく自信になにました。
7. そして、2つ目は知り合いの人に教えてもらったことです。
8. それは、春休みのおわりごろに教えてもらって、その時に悪い所を教えてもらったのでした。
9. そして3つ目は、打ち方を変えたことです。
10. これは、その教えてもらっているときにやったことです。
11. 体つきが小さい僕は、内野の頭を越すのがやっとでした。
12. それをバットを長く持ち、よくとぶように変えたのです。
13. どれも、大変だったけど打てるようになるととてもうれしかったです。
14. そして、僕はこのことから努力はすごいと思いました。
15. そして、これからも成積をのばしていきたいと思いました。

 事例6−3は、構想表を上手に使い、まとまった文章を書いている作文である。構想表の「はじめ」には野球の成績を書き、全体的なまとめから書き始めようとしていることがわかる。そして「なか」では努力した三つのことが書かれており、「おわり」でまとめを書いている。しかし、事例4−4構想表でも見られたように、構想表の「はじめ・なか・おわり」という形に当てはめにくく、空欄にしている場所があった。事例6−3の児童は、構想メモを活用して作文を書いた感想として「少し書きにくかった」とし、その理由を「はじめ、なか、おわりをどこにはめればいいかがわからなかったからです。」と書いている。文章としてまとまったものを書くことができているのは、この児童がもともと書く力があったからであり、構想表が役に立ったものだとは考えられない。高学年において、「長期間」について書くことには構想表は効果的ではないといえる。次の表3−2−3で、構想表を活用した作文に「長期間」が少ないのは、そのためであろう。

<表3−2−4.6年生の話題表現期間(単位:人)>
6年生構想表あり6年生構想表なし
一日(一時間)15(75%)9(43%)
数日間2(10%)3(14%)
長期間3(15%)9(43%)
<グラフ3−2−4. 6年生の話題表現期間>

 6年生になると、「一日(一時間)」の割合と長期間の割合に大きな差が出た。構想表ありは75%、構想表なしは43%である。そして、「長期間」でも構想表ありは15%であるのに対して構想表なしは43%であった。これだけの差が出たのは、構想表によるものだと考えられる。上述したように「長期間」の出来事を書くには、「はじめ・なか・おわり」の枠が定められた構想表では、表のどこに出来事のどの部分を当てはめればよいのかわからないということから、効果を発揮しないのであろう。「プール」の授業に対して書いたものであっても、構想表を活用したものは「一日(一時間)」について書いたものであるが、構想表を活用しなかったものは「長期間」に分類されるものが多いのはこのせいである。
 では、「一日(一時間)」を書いたものであれば、効果的に活用することができるのであろうか。構想表を活用した「遠足」の作文と構想表を活用しなかった「遠足」の作文を比べてみる。

事例6−4 6年生構想表なし (期間:「一日(一時間)」
「遠足」
1. ぼくは、今年の遠足は、とてもしんどいと思いました。
2. どうして、最後の遠足なのにこんなしんどいところにいかなあかんのやろと思いました。
3. でも、たくさんの歴史を見学できました。
4. その中でぼくが一番心に残ったのは、飛鳥大仏でした。
5. それは、ずっと昔につくられたのに、いまでもその大仏が残っているからです。
6. あの大仏は、一度火事になっている中でずっとみんなをみとどけてきたということでもとても心に残りました。
7. 他は、飛鳥寺の前にあるいるかのくびづかも、すごいと思いました。
8. それは、そがのいるかがころされたところから、くびづかまでとても遠いのにあそこまでくびがとんだという伝説があるからです。
9. 本当にあこまでとんだんかなと思っています。
10. ぼくは、大人になったら今度は、今のときよりどうなっているのかなと思いました。
11. また、大人になったら、友達をよんでいっしょに行きたいと思いました。

 事例6−4では、印象に残った場所を二つだけ挙げ、心に残った理由を書いている。そのため「たくさんの歴史を見学」した中で、本当に心に残った場所に限定して書くことができているものである。しかし、文1の「ぼくは、今年の遠足は、とてもしんどいと思いました。」と文2の「どうして、最後の遠足なのにこんなしんどいところにいかなあかんのやろと思いました。」という疑問は文章を書き終えるときには忘れてしまっている。そして、そのまま文11で「また、大人になったら、友達をよんでいっしょに行きたいと思いました。」とまとめている。「こんなしんどいところにいかなあかんのやろ」という気持ちから「また行こう」という気持ちの変化がわかるところが書かれていない。印象に残った部分を選択して書くことはできているが、「しんどい」という気持ちが文章中で一貫したものとして存在していないものとなっている。

事例6−2「楽しかった石ぶたい」構想表(期間:「一日(一時間)」
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ち なかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述高市郡明日香村に行ったよ石ぶたいを見るのがたのしみだったよ石ぶたいを見たよとっても大きくてびっくりしたよ中はとっても広くって外から見たのと同じぐらい広かったお墓なのに大きいなぁ中はくらくって、友達の顔も見えないのに風がふいてきてぶきみだった風がふいて友達の顔が見えなかったのでみんなさわいでいました学校かえってしおりのクイズで一番大きな石は35kgの人の何人分ニニ〇〇人分というのがびっくりしたよ
事例6−2 6年生構想表あり(期間:「一日(一時間)」再掲
「楽しかった石ぶたい」
1. 私たちは、春の遠足で、高市郡明日香村に行きました。
2. 行く前は、石ぶたいに行くのがとっても楽しみでした。
3. ほかのも見て、やっと石ぶたいのところにつきました。
4. ワクワクドキドキでいっぱいでした。
5. 初めて見る石ぶたい、とっても大きくってびっくりしました。
6. 先生が「中に入るぞー。」といったのでどんなんかなぁとドキドキしました。
7. 中に入ったら外から見たときと、同じぐらい広かったのでわたしは、心の中で、お墓なのにこんなにおおきいのか、すごいなぁとびっくりしました。
8. 中はとってもくらくって友だちの顔も見えなかったのに前の日が雨でみずたまりができていてはまりそうになりました。
9. おくまでいくとすきまから風がふいてくるのですこしぶきみでした。
10. 友だちの顔が見えなかったので、だれかが「キャー」といいました。
11. なにかなぁと思ったらだれかに足をふまれました。
12. あ、さっきの子もふまれたのかなぁと思いました。
13. 外にでてほかのも見に行って帰りました。
14. 学校でしおりのクイズをあつめて答え合わせをしたら問題の石ぶたいの一番大きな石は体重35kgの人何人分という問題で二百二十人とかいたら、二千二百人だってびっくりしました。
15. 遠足とっても楽しかったです。
16. 「また、行きたいな。」

 事例6−2は、事例6−4と同じように、一番心にのこったことに焦点をしぼって書くことができているものである。事例6−4は構想表を活用していないもので、事例6−2は構想表を活用しているため、高学年において「一日(一時間)」のことを述べる際には構想表のあるなしは関係がないように思われる。しかし、事例6−2は事例6−4と異なり、自分が一番楽しみにしていた「石舞台」の見学に対して一貫して「楽しい」という気持ちを表現している。
 このことから考えると、高学年で「一日(一時間)」の出来事を取り上げるときには、構想表を活用する方が、よいように思われる。しかし、下の事例6−5のように影響する場合もある。

事例6−5「楽しかった遠足」構想表「期間:一日(一時間)」
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ち なかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述学校に行きました。早く行きたいなぁという気持ちわくわくな気持ち飛鳥板ぶきの宮あとに行きました。かぞえてみたら首づかに使われている石は5個あった。飛鳥寺に行っていろいろと話しをきいたこと。いろいろわかった。友だちといっしょに昼食を食べたこと。とても楽しかったです。電車にのって学校に帰った。また行きたいなぁー
事例6−5 6年生構想表あり「期間:一日(一時間)」
「楽しかった遠足」
1. ぼくは、学校に行き電車で行って甘かし丘に行きました。
2. そこでみんなで写真をとりました、つぎに、歩いてそがのいるかの首づかに使われている石をかぞえてみると5つありました。
3. つぎに飛鳥寺に行きました。
4. そこで大仏のことや聖徳太子のことなどをききました。
5. いろいろわかりました。
6. 話が終わったあと出る時にいろいろな昔のものがありました。
7. 昔のものを見たあと亀形石造物に行きました。
8. そこでまた、写真をとりました。
9. 写真をとったあと飛鳥板ぶきの宮あとという所に行きました。
10. ぼくは、ここであんさつされそがのいるかの首づかまで首がとぶなんてすごいなぁーと思いました。
11. そのあと、石ぶたい古墳に行きました。
12. そこでも写真をとりました。
13. とったあとに友だちといっしょに昼食を食べました。
14. とても楽しかったです。
15. 食べおえた後にたちばな寺に行きました。
16. ぼくは、聖徳太子はたちばな寺で生まれたことがわかった。
17. つぎにいろいろな古墳などを見て、学校に帰りました。
18. とても楽しかった。
19. またいきたいなあーとおもいました。

 事例6−5は構想表を活用した作文であるが、一番心にのこった部分に焦点がしぼられていない。題材をすべて時間順に並べているだけで、ひとつの題材については一、二行で済ませている「羅列型」となっているからだ。
 事例6−2と事例6−5は同じ「遠足」について取り上げているが、話題を設定するときに、「石舞台」としたか「遠足」としたかによって、内容が大きく変わったと考えられる。期間が「一日(一時間)」の出来事を取り上げようとしていても、題材を取捨選択せずに思い付いたものをすべて書こうとすると事例6−5のように羅列してしまう。そのため、話題を選択し、その話題を支えるための題材を取捨選択する作業をきちんとしていなければ、作文内容に大きく関わってくるといえる。

第三節 話題選択文

 第一節で話題選択について述べた。「なぜその話題を選択したのか」という理由を述べずに書き始め、「たのしかった」「うれしかった」という感想で終わる作文であった。しかし、学年が上がるごとに「なぜその話題を選択したのか」という文を書く児童が増えてくる。例えば、6年生の児童の作文には「一学期の思い出を書く」という課題から、なぜ「バスケットクラブ」について書くことにしたのかということを、「私は、バスケットがすきなので、この『一学期の思い出』にかきました。」と書き、明確にしている。また、ここまではっきりとした理由が書かれていなくても、2年生の児童で「わたしの一ばんの思い出は遠足です。」と書かれている作文が見られる。この「なぜその話題を選択したのか」という文(以下「話題選択文」という)は、学年が上がるごとに増えていくものであるのか、また、構想メモを活用することは話題選択文にどのように影響するかを本節でみていく。

<グラフ3−3−1. 各学年の話題選択文>

 グラフ3−3−1は、話題選択文を学年ごとに集計し、学年の人数で割ったものである。「理由付けありの話題選択文合計」には、理由付けが「話題選択文」に入っているものを含めて集計した。
 13.6%、34.4%、39.0%と学年が上がるごとに、話題選択文を書く割合が高くなっていることがわかる。とくに2年生から4年生への増加は大きく、「作文にこの出来事を書く」ということを強く意識するようになるのは中学年になってからだと考えられる。また、話題選択文に理由付けが含まれているものは、学年が上がるごとに増加している。理由付けがある文は、2年生から4年生、4年生から6年生の間に飛躍的に伸びたということもなく、割合的には学年が上がるごとに順当に高くなっている。その話題を選択した理由が書かれているものには、話題選択文と理由付け文が含まれていて一文となっているものと、話題選択文と理由付け文が分かれていて二文になっているものがある。このグラフ3−3−1では、「理由付けありの話題選択文合計」の中に話題選択文と理由付け文が一つになっているもの、この二つが分かれて二文になっているもの、この両方を含めて集計した。
 そのため、4年生で理由付けがあるものは12.5%あるが、この12.5%の中で話題選択文と理由付け文が分かれて書かれている作文は一つだけである。しかも、その一つは「川掃除のおもしろかった」理由を書こうとして、途中で脱線してしまい「いつもどんなことをして川で遊んでいるのか」という内容になってしまっているものである。「いつも川でそんな遊びしているぐらい川が大好きなのだから、その大好きな川をきれいにする川掃除はとても楽しかったのだろう。」と捉えれば、確かに理由付け文と考えられるが、これは読み手が推測しているだけであり、書き手の直接的な表現は見られない。
 しかし、6年生になると話題選択文と理由付け文を分けて書く割合が、26.8%と高くなり、理由付け文も明確になる。「ぼくの、一学期の中の一ばんの思いでは、えんそくが雨で中止になったことです。なぜ一ばんのおもいでかというと、ぼくは一年生のえんそくから五年生のえんそくの中で、一度も中止になったことがなかったからです。」と書くようになる。

<表3−3−1. 各学年の話題選択文とその理由>
話題選択文理由
2年生構想メモありわたしの一学きの思い出はおたのしみ会です。 
わたしの一ばんの思い出は遠足です。 
2年生構想メモなし一学きの思い出は、二年生のみんなと一しょに行った町たんけんについての思い出です。さいしょは、どきどきしていたけれども、だんだんみんなと一しょにしていたら、ますますなれてきて一ばんたのしかったです。
ぼくの一学の思い出は、プチトマトに、水やりをすることです。そのりゆうは、おいしいプチトマトに、なってほしいからです。
わたしが、一学きにがんばったのは、一りん車です。
一学きで一ばんよかったことは、サラダを、つくって食べたことです。 
4年生構想メモありぼくが、一学期一番心にのこってりうのは安位川のそうじです。 
ぼくの一学期の思出は、社会のじゅ業で、安位川の清そうをしたことです。 
4年生構想メモなしぼくが一学きで1番おもしろかったのは、川そうじです。なぜかゆうとぼくはいつものように川であそんでいます
一学期の思い出の中で、いちばんたのしくて心にのこったことは四年生ではじめての春の遠足です。
わたしは、一学期をふりかえってみると、おたのしみ会が楽しかったです。/この一学期たのしかったことは、一位がおたのしみ会二位が遠足です。
たのしかった1学っきは、みんなとあそんでとてもたのしかった。 
ぼくの一学期の思い出は、クリーンセンターに行った事と、安位川のそうじをした事です。 
わたしの思い出は、遠足にいったことです。 
遠足に行ったことが一番の思い出です。 
わたしは、お楽しみ会がとっても楽しかったです。 
わたしは、一学期で一番楽しかったのは、遠足です。
6年生構想メモありぼくは、一学期で一番心に残ったのは、野球で3ごうホームランを打ったことです。 
ぼくは、この人生の中で水泳で二十五mを一回も泳いだことがありません。だけど、六年になって二十五mを泳げました。二十五mを泳いだときのことについて、書きます。
私は、バスケットがすきなので、この「一学期の思い出」にかきました。
ぼくは、春の遠足で明日香村へ行ったことが一学期で一番心に残っている。理由は、歴史が好きだったので明日香に行くのを楽しみにしていたからだ。
ぼくが一学期で心に残ったことは社会の授業の歴です/このことでぼくはこのことで社会の歴史のことがすごく心に残りました。 
私は、プールの授業で、とてもうれしい気持ちになった事を書きます。/みんなで、がんばったプールの授業が一番でした。
6年生構想メモなしぼくの、一学期の中の一ばんの思いでは、えんそくが雨で中止になったことです。なぜ一ばんのおもいでかというと、ぼくは一年生のえんそくから五年生のえんそくの中で、一度も中止になったことがなかったからです。
一学期の思い出は、飛鳥へ遠足へいったことです。 
ぼくが、一学期で一番心に残ったことは、水泳のクロールと平泳ぎで百メートル泳いだことです。ぼくは今までクロールは百メートル泳いだことがあったけど、平泳ぎは五メートル以上泳げませんでした。
一学期の思いでは、クラブのことです。なぜかというと、六年生の中で一番おもしろかったからです。
ぼくは1学期の思い出は、ブールで自己記録を更新したことです。
わたしの「1学期の思い出」は、入学式です。それは6年生になって初めての業事でとても心に残っているからです。
私がいろいろあるなかでえらんだ1学期の思い出は、遠足です。なぜかというと、六年生の中で一番おもしろかったからです。予定していた日が雨で、行けなかったからです。今まで、雨で遠足に行けなかったことは、ないからです。
私の1学期の思い出は遠足で飛鳥に行ったことです。なぜかというと、いつもだったら見学の場所は少しだけど、飛鳥に遠足に行った時はいろいろな遺跡を見に行ってたくさんの場所を見学できたからです。
わたしは、この一学期の思い出で、一番心にのこったことは、新しい友達との学校生活です。 
/一学期の思い出の中で一番、心に残っているのが遠足です。 

 表3−3−1では、話題選択文を学年ごとに構想メモを活用した作文と構想メモを活用しなかった作文とで分けて表にした。「理由」の欄で「左」と表記したものは、「話題選択文」の中に「理由付け」されている文である。
 たとえば、2年生構想メモなしの作文で話題選択文に「わたしが、一学きにがんばったのは、一りん車です。」とあるが、これには「理由」が含まれていると考える。「わたしの一学きの思い出は、一りん車です。それは、一学きで一ばんがんばったからです。」と文を話題選択文と理由付け文の二つに分けて読むことができるからである。このように、話題選択文の中に理由付け文が含まれているものは、「理由」の欄に「左」と表記した。
 また、「話題選択文」のなかに「/」を入れているものがある。6年生構想メモなしの最後の文などだ。中学年以上になると、話題選択文が文章始に来るとは限らない。文章末でまとめとして書かれていることもあるため、この「/」を使ってそれらを区別した。「/」がないものは文章始に、「/」が文頭にあるものは文章末に書かれていたものである。「話題選択文」が二文書かれており、文と文との間に「/」が出てくるもの―「私は、プールの授業で、とてもうれしい気持ちになった事を書きます。/みんなで、がんばったプールの授業が一番でした。」など―は、「/」前の文「私は、プールの授業で、とてもうれしい気持ちになった事を書きます。」が文章始に書かれており、「/」の後の文「みんなで、がんばったプールの授業が一番でした。」が文章末に書かれていたことをしめす。

<グラフ3−3−2. 各学年の話題選択文と理由付け文(単位:人)>

 グラフ3−3−1では、話題選択文の学年ごとの割合の増加と、理由付けがされるようになる割合の増加を見るため、話題選択文に理由付け文を含んだものと、理由付け文が分かれているものを一緒に集計した。グラフ3−3−2ではこれらを分け、構想メモを活用したものと構想メモを活用しなかったものとの話題選択文と理由付け文の現れ方の違いをみる。
 グラフ中の「2年メモあり」「2年メモなし」は「2年生構想メモを活用した児童の作文」と「2年生構想メモを活用しなかった児童の作文」を示す。(以下文中では「2年生構想メモあり」「2年生構想メモなし」とする。)
 2年生構想メモありや4年生構想メモありを見てわかるように、2年生や4年生では構想メモを活用することによって、話題選択文のみの形になっている。構想メモの中にある「構想表」に出来事を「はじめ・なか・おわり」という形で当てはめていくため、「なぜその話題を選択したのか」という話題選択文を書く意識が芽生え始めていたとしても、「はじめ・なか・おわり」の表のどの部分に書けばいいのかわからず、出来事の始まりから書いてしまうことになる。2年生、4年生ともに構想表を活用しないものは話題選択文や理由付け文があることから、2年生や4年生はまだ「なぜ、その話題を選択したのか」という理由付けをする段階に達していないため作文にはみられないのだと。
 また、出来事を書き始める前の一文目、文章始に話題選択文を書いたとしても、「なぜなら」という理由付け文をその後に書くと、出来事を書き出しにくいことから、理由は書かずに話題選択文のみにする。または、6年生構想メモありに見られるように、「私は、バスケットがすきなので、この『一学期の思い出』にかきました。」と話題選択文「バスケットについて書く」という文の中に理由「好きだから」という文を入れて、一文として書いてしまう形になる。もちろん、二文に分けているからよい、一文であるから駄目だというものではない。一文にまとめられているものは、二文のまま書くよりも一文にまとめるという能力が必要となるため、一文にまとめている文のほうが、児童にとっては難易度が高い文章の書き方となっていることもある。しかし、構想メモ「書く前のじゅんび」の中に「構想表」を入れたため、この構想表の形に思考が制限され、話題選択文と理由付け文を分けるという形にならなかった。構想表を使うことによって思考に制限が加えられることになったかどうか、ということについては、「構想メモを活用しなかった」各学年の集計を併せて見てみたいと思う。
 2年生や4年生の構想メモを活用しないものは、同学年の構想メモを活用したものに比べて、話題選択文のみではなく、理由付けを含むものや理由付け文が話題選択文の次に書かれているものが出てくる。これは、構想表の「はじめ・なか・おわり」の形がやはり2年生・4年生の話題選択文に影響していると考えられる。
 4年生構想メモなしの作文では、2年生構想メモなしや6年生構想メモなしの作文に見られるグラフの特徴と少し異なる。2年生構想メモなしや6年生構想メモなしでは、話題選択文と理由付け文があるものが話題選択文のみのものや理由付けが話題選択文に含まれているものよりも多くなっている。しかし、4年生構想メモなしは、話題選択文のみの数が多くなり、次いで理由付けを含むものが多くなる。これは4年生のまとめ意識に関係があるようである。
 まとめ意識については第四章で詳述するが、4年生のまとめ方の特徴として、構想表を活用した場合「尾括」が多くなるが、構想表を活用しなかった場合「頭括」や「双括」の形が多くなる。4年生構想メモありでは文章末で全体の内容をまとめるため、文章始の話題選択文が少なくなり、理由付けのある文はなくなる。しかし4年生構想メモなしでは、「頭括」の形式で書かれるため、まとめ文が一文目にくることによって、話題選択文の中に理由付けの文が含まれ、一文としてまとめられたものになると考えられる。また、「双括型」になるものは、文章末にもまとめる文があるため、話題選択文に理由付け文をセットにしていなくても、全体としてまとまった文章にすることができる。このまとめ意識との関わりから、4年生構想メモなしでは話題選択文と理由付け文が一緒になって書かれているものが少なくなっている。
 6年生構想メモありでは、理由付けを含む話題選択文が多く、6年生構想メモなしでは、逆にこれが少なくなる。構想メモなしでは理由付けを含む話題選択文が少なくなるため、他の二つ、話題選択文のみや理由付け文があるものが多くなっている。とくに理由付けがあるものが、他の学年や同じ6年生でも構想メモを活用した場合のものと比べると飛びぬけている。「どうしてその出来事を取り上げたのか」という理由付けをしなければいけないという意識が、6年生になると強く働いていることがわかる。6年生構想メモありの場合、理由付け文が独立した一文としてではなく、話題選択文に含まれる形になるのは、やはり上述したように構想表の形式にとらわれてしまうからであろう。それでもなお、何人かは理由付け文を書き、構想表の「はじめ・なか・おわり」の形にとらわれずに書いているのは、これまで小学校で作文を書いてきた自分の形式と構想表の形式が一致しなくても、自分の書きやすい形、自分の作文の形式に変えて書くことができる高学年であるからこその結果であろう。

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第四章 文章構成力の発達

第一節 構想表

第一項 構想表の文体と作文

 「書く前のじゅんび」にある「はじめ・なか・おわり」の構想表を、児童はどのように捉えているのだろうか。下のグラフ4−1−1は、構想表の中に書かれた言葉が文章体で書かれているのか、箇条書きで書かれているのかを学年ごとに集計したものである。

<グラフ4−1−1. 各学年の構想表中の文体(単位:人)>
 「書く前のじゅんび」で最初の誘導に従うと、一学期の思い出から一つ出来事を思い出す作業をすることになる。その後「はじめ・なか・おわり」の枠がすでに書かれている構想表にその時の行動や気持ちを書いていく。
 構想表に出来事を思い出しながら記入する際、低学年でこれを箇条書きで書いている児童は31%と少なくはないが、文章体で書く児童が65%を占める。しかし中学年になると、文章体だけで書く割合が低学年と比べて約半分の33%まで減少する。構想表を箇条書きで書く児童が9%増え、40%を占めているからであるが、箇条書きと文章体が混じる構想表が多く見られるようになることが影響していると考えられる。そして、2年生で4%しかなかった箇条書きと文章体が混ざったもの(以下、「箇条・文章体」とする)が27%にもなる。6年生になると、4年生に比べて文章体で書く児童は2年生から4年生で半分まで減少したものと比べると、逆に2%増える。調査した各学年の児童数が異なるため、2%の違いはほぼ同じである。そのため文章体で書かれた構想表の割合は変化しないが、「箇条・文章体」の割合が15%に減り、箇条書きのみで書かれた構想表が50%になる。6年生の半分の児童が、構想表を箇条書きで書くようになるのであるが、この構想表の文体の違いは、構想表の活用と、つまり「文書体」「箇条・文章体」「箇条書き」で構想表を書くことは、それを見て原稿用紙に書いた作文の内容とどのように関わるのであろうか。
 下の表4−1−1〜4−1−3、グラフ4−1−2〜グラフ4−1−4は、構想表の文体と作文の内容との関係を表わしたものである。「写し文」は構想表に書いたものをそのまま写した作文、「異なる文」は逆に構想表には書かれていない内容が多く、構想表を見て書いたとは思われない作文である。また、「発展文」は構想表に書いた段落の中心文に肉付けをして文章を発展させているもの、「追加・発展文」は「発展文」と同様に構想表に書いた中心文に肉付けをし、さらに別の題材を加えて文章に広がりを持たせているものである。

<表4-1-1.2年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>
写し文異なる文発展文追加・発展文
文章体1
(4%)
1
(4%)
3
(13%)
10
(44%)
箇条・文章体0
(0%)
0
(0%)
0
(0%)
1
(4%)
箇条0
(0%)
1
(4%)
0
(0%)
6
(27%)
<グラフ4−1−2. 2年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>

 2年生の構想表の文体は65%が「文章体」であった。構想表を文章体で書いている場合、読み手を意識することで、常体から敬体に変わる、補足説明を加えるという程度の違いしか見られないと仮定していた。そのため文章体で書かれている割合が高い低学年の2年生では、構想表に書かれている内容と作文の内容にそれほど違いもなく、「そのときにあったこと・したこと」に書いた出来事をそのまま書き写したものだろうと考えていた。
 しかし、表4−1−1を見てわかるように、構想表を活用した児童の75%が、構想表記述内容に比べて作文内容を「追加・発展」させている。構想表を写しただけであろうと思われる作文は一つだけであり、ほとんどの作文で構想表に書かれている内容を詳しく述べ、内容を補足する言葉を加え「発展」させていた。
 また、「異なる文」も低学年で見られた。「箇条書き」で書いた構想表を見ながら作文を書く場合には、その一つの中心文から話が膨らみ、最初に「はじめ・なか・おわり」で考えていたものと全く異なる内容になることは考えられる。しかし「箇条書き」の場合だけでなく、「文章体」で書かれている低学年の作文にも多く見られた。

<表4-1-2. 4年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>
写し文異なる文発展文追加・発展文
文章体0(0%)0(0%)4(27%)1(7%)
箇条・文章体0(0%)0(0%)0(0%)4(27%)
箇条0(0%)2(13%)2(13%)2(13%)
<グラフ4−1−3.4年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>
 4年生になると、「箇条・文章体」で27%、「箇条書き」のみで書く割合が40%となる。その中で「文章体」で構想表を書く児童は、「発展文」で27%を占め、同じ27%を占める「箇条・文章体」の「追加・発展文」と二つ一番高い割合を占める。
 「箇条・文章体」で「追加・発展文」が27%も占めるのは、学年が上がるにつれて「文章体」から「箇条・文章体」、「箇条書き」へと移行していくからである。
 また、中学年になって「文章体」で書こうとする児童は、「発展文」が27%を占めることから、構想表を書く前に頭の中ですでに全体構成が出来上がっていると考えられる。構想表にそれぞれの題材における中心文を「文章体」で書き、これに肉付けしていくことで文章を完成させられる力を持っているため、「発展文」となっている。

<表4-1-3.6年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>
写し文異なる文発展文追加・発展文
文章体0(0%)2(10%)1(5%)4(20%)
箇条・文章体0(0%)1(5%)2(10%)0(0%)
箇条0(0%)4(20%)1(5%)5(25%)

<グラフ4−1−4.  6年生構想表記述内容と作文内容との関係(単位:人)>

 表4−1−3を見ると、構想表の記述内容と異なるものが35%を占める。この「異なる文」として分類したものには、書かれている内容が構想表に少し見られるものも含まれるが、「はじめ・なか・おわり」に書いた出来事や気持ちのほとんどを省略しており、箇条書きの中の一文のみを採用しているものは「異なる文」の中に含めた。原稿用紙に書いた作文内容が構想表を書くことによって思いついたのだとしても、構想表を見ながら書いたとは思えないからである。
 6年生では「異なる文」の割合が高く、「文章体」で書いていても10%、「箇条書き」では20%の「異なる文」が見られた。これは6年生の特徴であるといえるだろう。

事例6−5「飛鳥を歩いてしんどかった!」構想表
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ちなかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述飛鳥を歩いていろいろな所を見学。たくさん歩いて見学したのでしんどかった。いろいろ見学した中でよかったと思う所は蘇我入鹿首塚です。首がいくつあるのかなと興味をもって五個もあってびっくりした。鬼の俎&雪ちんです。おにのトイレと聞いておもしろかった。石ぶ台古墳です。中に入れてすごく広くてびっくりした。はじめは、もっとせまくてそんなによくないだろうと思っていたけどよかった。六年で行った春の遠足「飛鳥を歩こう」を忘れない。
事例6−5 6年生構想表あり
「飛鳥を歩いてしんどかった!」
1. 私は初めて飛鳥を歩いていろいろなところを見学しました。
2. その時私は(たくさんいろいろな所を見学したのでしんどい)と思いました。
3. 次にいろいろ見学した中でよかったなと思う所は『鬼の俎&雪ちん』と『石舞台古墳』です。
4. 鬼の俎&雪ちんの理由はおにのトイレと聞いておもしろかったからです。
5. 次に石舞台古墳は中に入ってすごく広くてびっくりしました。
6. あと私が一番っころに残ったことは『蘇我入鹿首塚』です。
7. 理由はいたぶきの宮からとんできてまた首は何個とんできたのかなぁと思いながら数えてみると五個ですごくびっくりしました。
8. 最後に私が思ったことは、はじめはせまくてよくない所と行く前に予想していたけど、予想外でした。
9. このことは一生忘れないでいつまでも思い出にしときたいです。

 事例6−5は構想表文体が「箇条・文章体」であり、作文の内容がほとんど構想表と同じことから、そのまま書き写したものに分類できる。しかし、構想表に書かれている出来事の順序と作文に書かれている出来事の順序が異なるため、「写し文」に分類せず、「発展文」に分類することにした。順序を入れ替えることによって、自分の言いたいことをわかりやすくしようとする意図がうかがえるからである。
 事例6−5の構想表では「飛鳥を歩いていろいろな所を見学」から始まり、「よかったと思う所は蘇我入首塚」→「鬼の俎&雪ちん」→「石ぶ台古墳」の順に書かれている。文1と文2は構想表の「はじめ」に当たる部分であり、書き出しは構想表通りであるが、文3から順序が入れ替わる。「鬼の俎・雪ちん」→「石ぶ台古墳」→「蘇我入鹿首塚」となり、構想表では「なか@」にあった「蘇我入鹿首塚」が一番最後にくることになる。この順序の入れ替えは、他のよかったところを先に述べ、一番心に残ったことを最後に持ってくることで、効果的に印象に残ったことを読み手に伝えようとする意図がある。
 しかし、構想表の「おわり」の部分をそのままの位置に入れたことで、順序性がなくなる。作文では「鬼の俎・雪ちん」→「石ぶ台古墳」→「蘇我入鹿首塚」と、構想表では最後に置かれていた「石ぶ台古墳」が二番目に書かれることになる。「なか」と「おわり」に書かれていた「石ぶ台古墳」の両方を一緒に移動せず、「なか」だけを移動してしまったため、残された「おわり」部分が、再び「石ぶ台古墳」について述べたものとなり、順序がばらばらでわかりにくい内容となってしまっている。書き手である児童自身も書き終わってからそのことに気付いたのか、書き終わった後のアンケートに「表を書いていたけど頭の中で少しごっちゃになった」と書いていた。
 一番心に残ったことを最後に持ってくることで、印象に残ったことを効果的に読み手に伝えようとしたが、構想表には「はじめ・なか・おわり」の形式に当てはめた表が「頭の中で少しごっちゃに」する要因となった。もし、この児童に「はじめ・なか・おわり」の枠がすでに設定されている表ではなく、ただの枠だけが書かれているものや枠もなく何も書かれていないものを配布して構想図を書かせていれば、構想表の「なかB」から「おわり」までをひとまとまりにすることができ、順序入れ替えによる混乱を避けることができただろう。
 表4−1−1から表4−1−3を比較すると、低学年では「追加・発展文」が75%を占め、文章を書く前に何の準備もせずに書くより、一度思い出すという作業を入れてから書くようにすれば、一度目よりも二度目の方がより詳しく、題材と題材との間を繋ぐ役割を持つ出来事を一緒に思い出すことができることがわかる。中学年では、「追加・発展文」は47%と低学年に比べて減るが、「発展文」が27%増加して40%になる。ここから中学年になると、頭の中で出来事を整理して思い出すことができ、そこで既に書く題材を決定することができると考えられる。そのため、構想表に書いた題材以外に新たな題材を「追加」する必要がなく、頭の中で選択された題材に肉付けしていくだけの「発展文」が高い割合を示しているのだということになる。高学年になると、「追加・発展文」は45%で中学年と大きな差はないが、上述したように「異なる文」が35%を占めるようになる。低学年では「異なる文」は8%、中学年では13%と全体の割合から見れば低い数字を表わしていた。
 どの学年にも見られた「異なる文」は、同じ「異なる文」に分類することができるものであっても、低学年で見られる「異なる文」と高学年の「異なる文」とは異なり方が違う。下の事例2−5は2年生の構想メモありの「異なる文」に分類される作文である。

事例2−5「公えんであそんだよ」構想表
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ちなかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述バスにのってキッズプラザまでいった。どんなところなんだろうバスの中でバスガイドさんがクイズをしてくれたりしょうかいをしてくれました。おもしろかった。たのしかった。××××もう一かいいくのでからうれしい!!

 事例2−5では、「書く前のじゅんび」で出来事を思い出しましょうという問いかけに対して、「遠足のバスの中」と書いている。そして、「そのときあったこと・したことの中で一番心に残っていること」は何かという問に対しては、「ともだちが一きにふえた」と書く。構想表は上の通りであり、構想表を書いている時点ではこの児童は明らかに「遠足のバスの中」について書こうとしていた。しかし、作文内容は題名の通り「公えんであそんだ」ことについて書き進められている。

事例2−5 2年生構想メモあり
「公えんであそんだよ」
1. 公えんでNちゃんとわたしであそんでからSちゃんがきてみんなであそんでいたときS.E.くんがきましたそれで一人でいたから一ばん小さい人がきめることになったからこおりおにをしましたわたしわ0回だ。
2. Tちゃんわ1回Sちゃんが2回まるでふつうのばんごうやんと思ってつぎは、ぶらんこであそんでブランコおにをしましたこうたいみんな0でSちゃんがすねてしまってかえってしまったのでもう一ど3人であそびもしたつぎぶらんこをしているとチビのねこがやってきてそのチビとあそんで5時になたからねこをその人のいえのちかくまでつれていってからかえりました5時まであそぶのはめったにあらなかったけど5時まであそべてうれしいです思たことわ、5時まであそべてむっちゃくちゃ、うれしかったのでまた大切なおともだちといっしょにおさんぽとかあそびにいったりしたいしプールでやすんだりしたいです

 事例2−5の作文内容は、上述したように、構想表と全く異なる内容になっている。構想表を書いた時点では「遠足のバスの中」について書こうとしているが、作文内容は公園で遊んだことである。この児童が構想表を書いた日と原稿用紙に書いた日が異なると考えれば、構想表を全く見ずに新しい内容で書き始めたと見ることができる。
 しかし「書く前のじゅんび」の中にすでに公園の遊びについて書いているのではないかと思われる場所がある。題名を決める欄と一番心に残った部分を書く欄である。題名は既に「公えんであそんだよ」であり、遠足の題名とは思われない。また、印象に残ったことが「ともだちが一きにふえた」ことであり、遠足の内容よりは公園で遊んだときのことに近いと思われる。構想メモの前半部分(話題設定と構想表)と後半部分(一番心にのこったことと題名)の内容に違いがあるため、前半と後半を別の日に分けて書いたのだろう。だが、別の日に書いたとしても、中学年や高学年になれば同じ内容を続けて書くことができるのに対して、低学年であるこの事例2−9の児童は、前に書いたことの続きではなく全く新しい出来事を書いている。これは低学年の出来事の把握が今目の前にあることに集中してしまうからである。

事例6−6構想表「春の遠足」構想表
はじめ気持ちなか@気持ちなかA気持ちなかB気持ちおわり気持ち
構想表の記述飛鳥まで歩いたこと。足が痛くなった。いろんなところを見学をしたこと。いろんなことがわかった××××遠足の感想勉強になった。
事例6−6 6年生構想表あり
「春の遠足」
1. 私は、最初「飛鳥まで歩く」と先生が行ったので、私はとてもおどろきました。
2. 私は、飛鳥まで歩いて行ってみると、とっても足が痛くなりました。
3. 石舞台古墳に行ってみると、すごい人の数なのでおどろいてしまいました。
4. 「石舞台」の名の由来は、昔狐が女性に化けて石の上で舞を見せたという話や、この地にやって来た族芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話もあります。
5. 酒船石遺跡に行きました。
6. この丘陵一帯に広がる遺跡を現在「酒船石遺跡」と呼んでいます。
7. 平成4年に丘陵北斜面で砂岩石垣が発見されたことから「日本書紀」の斉明天皇2年の条に記された「宮の東の山に石をかさねて垣とす。」「石の山丘」に符合する遺跡であると推定されています。
8. 飛鳥寺は、第32代崇峻天皇元年に蘇我馬子が発願し第33代推古天皇4年に創建された日本最古の寺であり、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺現在は安居院とも呼んでいます。
9. 奈良県には、いろいろな古墳がたくさんあるんだなぁと思いました。
10. 飛鳥寺は、法興寺、元興寺、飛鳥寺今は、安居院と呼ばれているんだなぁと思いました。

 事例6−6は、6年生の「異なる文」である。文1と文2は構想表を見て書いているが、文4から文10は構想表を見て書いたものではない。構想表から「発展」「追加」させて書いたものでもない。「なか@」で「いろんなところを見学をしたこと。」と書き、その時の「きもち」で「いろんなことがわかった。」と書いているが、文7や文8、文10は思い出して書いたものではないだろう。
 この児童の感想では、「なかな一学期のことがおもいだせなかったのですこしかきにくかったです。」とあることから、「遠足」について思い出して書こうとしたが、構想表を書いていて書くことができたのは「いろんなところを見学したこと」であり、「足が痛くなった」ことである。遠足に行ったのが五月でこの作文を書いたのが八月であることから、時間が経ち過ぎていて見学した場所の名前や説明などを詳しく思い出すことができなかったのである。そのため、もちろん構想表を見ても「発展」させることはできない。文4以降、6年生では学習しない漢字を使い、詳しい年号や名前を作文に登場させていることから、遠足のしおりを持ってきて、それをみて書いたのであろうと考えられる。
 構想表記述内容と作文内容の関係を調べるために、「写し文」「異なる文」「発展文」「追加・発展文」という四つの項目に分けて考察した。2年生では出来事を思い出す際に、頭の中だけで出来事を整理して思い出すことが難しいことから、構想メモ「書く前のじゅんび」を活用することによって二度思い出す作業をすることができ、一度目よりもさらに詳しく出来事を思い出すことが可能であった。二度目に思い出す方が詳しい内容となっていることから、「追加・発展文」の割合が高くなる。
 4年生では、2年生の場合と異なり一度目の思い出しで、ある程度整理された内容を思い出すことができる。そのため「文章体」で書いているものに「追加」は見られず「発展」だけが見られるものが多かった。「箇条・文章体」で書いているものは、構想メモを書くための時間が「文章体」よりもかからず、「箇条書き」だけで書いている構想メモよりも出来事が思い出しやすいものとなっていた。そのため、「箇条・文章体」のものは「追加・発展文」が高い割合をしめした。
 そして、6年生では、「発達文」や「追加・発達文」で20%や45%を占めたが、「異なる文」で35%を占め、他の学年とは異なる特徴を示した。
 このように学年ごとの特徴はあるものの、構想表の文体が「文章体」であるから構想表記述内容と作文内容の関係が「写し文」になる、「箇条書き」であるから「追加・発展文」という関係性は見られなかった。つまり、構想表をどのような文体で書いたとしても、それは学年の特徴であったり、個人的特徴であったりと、とくに作文内容と強く結びついているものではない。

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第二項 「一番心にのこっている」部分の位置

 「書く前のじゅんび」では、「あったこと・したことの中でどれが一番心にのこっているか」を書く欄を設けた。この「一番心に残っている部分」は、構想表のどの部分に書かれることが多いのだろうか。また、一番心に残っていることを構想表のどの位置にもってくると効果的に伝えることができているのだろうか。

<表4−1−4. 各学年の「一番心にのこっている」部分の位置(単位:人)>
2年生4年生6 年生
はじめ0(0%)1(7%)1(5%)
なか@1(4%)2(13%)2(10%)
なかA7(32%)7(47%)6(30%)
なかB9(41%)0(0%)2(10%)
おわり5(23%)4(27%)6(30%)
なか全体0(0%)1(7%)3(15%)
<グラフ4-1-5.各学年の「一番心にのこっている」部分の位置>

 2年生では、「はじめ・なか・おわり」の「はじめ」に「一番心にのこったこと」がくることはない。表の中に時間順で出来事を記入していくため、出来事の始まり部分が「はじめ」にあたり、「一番心に残る」場面が出来事の始まりにはこないためである。遠足を取り上げた作文であれば、朝起きたところや学校を出発するところにあたるため、印象深い部分にはならない。「なかA」や「なかB」の割合が高いのは、その場所に中心を持ってこようと意識したものではなく、「はじめ」を出発から書き始めた出来事が、ちょうど「なかA」や「なかB」でメインの見学場所に着くためであろう。
 4年生になると、低学年と同じように出来事を時間順に書いている作文が多いが、低学年ではなかった「はじめ」部分や、「なか@」にも「一番心にのこった」場面を持ってくるようになる。また「なか」の全体を通して印象深い部分を細かく書いている児童も出てくる。
 6年生では、どの部分にも印象深かった場面を持ってくることができるようになる。「なか」の全体を通して「一番心に残った」部分を書いている割合が、2年生では0%、4年生では7%であったが、6年生では15%となりさらに高くなる。これは自分が書きたい内容を「一番心に残った」部分に場所や時間を限定して、その一部分にのみ焦点を当てて書くことができるようになったからだと考えられる。
 本節第一項で構想表の文体が構想表記述内容と作文内容にどのように関わっているのかを考察し、構想表の文体によって作文内容が変化することはなく、構想表記述内容と作文内容に差が見られるのは学年による特徴であるという結果を得た。本項では、この構想表の文体が一番心に残ったことの位置とどのように関わるのかを考察し、構想表の文体による作文内容への影響を調べる。

<表4-1-5.2年生における一番心に残った部分と構想表の文体(単位:人)>
2年生文章体箇条・文章体箇条
はじめ0(0%)0(0%)0(0%)
なか@1(7%)0(0%)0(0%)
なかA6(43%)0(0%)1(14%)
なかB6(43%)0(0%)3(43%)
なか全体0(0%)0(0%)0(0%)
おわり1(7%)1(100%)3(43%)
<グラフ4-1-6.2年生における一番心に残った部分と構想表の文体>

 グラフ4−1−6にある「×」は「一番心にのこった部分」を書く欄に何も書かれていなかったものである。2年生では「文章体」で書かれる割合が高いため、「文章体」に偏ったグラフとなっている。その中で、「なかA」と「なかB」で高い割合を占めいている。これは上述したように、出来事を時間順に書いていくため、出来事のはじまり部分には印象深いものがこないからであろう。また「おわり」も同じで、出来事を終わらせる叙述がされることが多いため、一番心に残ったことを書く部分は必然的に「なか」の部分になる。しかし「箇条書き」では、「なかA」の割合が低く、代わりに「おわり」が43%を占める。構想表の文体を箇条書きにすると、文章体にするよりも簡単な言葉で表現するため、「おわり」の部分には「感想」や「まとめ」と書かれていることが多い。出来事を時間順に書いている中では一つの題材として書かれていたものを、「おわり」の部分でもう一度取り上げ、「一番楽しかった」「うれしかった」という感想とともにまとめられるのである。「なか」の部分で書かれていたときは、時間の流れの中の一場面であり、一行程度の文で感想も書かれない。その場合、「おわり」にもう一度「一番楽しかった」という感想と書かれることによって「おわり」に印象深い部分を持ってくることになる。そのため「おわり」での割合が高くなる。

<表4-1-6.4年生における一番心に残った部分と構想表の文体(単位:人)>
4年生文章体箇条・文章体箇条
はじめ1(20%)0(0%)0(0%)
なか@0(0%)1(25%)1(17%)
なかA3(60%)2(50%)2(33%)
なかB0(0%)0(0%)0(0%)
なか全体0(0%)0(0%)1(17%)
おわり1(20%)1(25%)2(33%)
<グラフ4-1-7.4年生における一番心に残った部分と構想表の文体>

 4年生では、2年生で見られたような偏りはなく、どの位置にも一番心に残った部分を持ってくるようになる。構想表の文体を「文章体」にした場合、「はじめ」に20%、「なかA」に60%、「おわり」に20%となっている。「はじめ」に一番心に残っていることを持ってくるようになるのは、第三章第三節話題選択文でも述べたように、文章の始めにこれからどんなことを書くのかということを伝える文を一、二文入れてまとめる作文が出てくるからである。「わたしは一学期で一番心に残ったことは〜です。」とまとめ、その理由を述べる形である。また、「おわり」にも「はじめ」と同じ割合があるのは、「終わり意識」が発達し、結びの言葉として一番心に残ったことについて述べる文章が多くなるからである。これに対して、「箇条書き」の場合「文章体」と同様に「なかA」と「おわり」の割合は高いが、「なか@」と「なか全体」にわたっても一番心に残ったことを書くようである。

<表4−1−7.  6年生における一番心に残った部分と構想表の文体(単位:人)>
6年生文章体箇条・文章体箇条
はじめ1(14%)0(0%)0(0%)
なか@0(0%)1(33%)1(10%)
なかA3(43%)0(0%)3(30%)
なかB0(0%)1(33%)1(10%)
なか全体1(14%)0(0%)2(20%)
おわり2(29%)1(33%)3(30%)
<グラフ4−1−8.  6年生における一番心に残った部分と構想表の文体>

 2年生は「文章体」でも「箇条書き」でも印象に残った部分の位置は偏りがある。「文章体」では「なかA」と「なかB」に一番心に残った部分を持ってくる児童が多く、「箇条書き」では「文章体」に比べて少し後ろの部分になるが、「なかB」と「おわり」の部分に書いていた。
 4年生になると、「文章体」の場合、一番多い位置は「なかA」で変わらないが、「なかB」がなくなり、「はじめ」や「おわり」にも心に残ったことを書くようになる。これは「はじめ」と「おわり」部分に「まとめ文」を書くようになるからである。「箇条書き」の場合も「文章体」と同じで、「なかA」と「おわり」に大きな割合を占める。2年生で多かった「なかB」が4年生では減少し、代わりに「なか@」が増えていた。6年生になると、「なかB」が再び増加し、「なかB」とおなじ割合を示している。これは「なか全体」の割合が高くなっていることからわかるように、「なか」全体を使って「一番心にのこったこと」を書こうとしていると考えられる。思いついたことを並べる文章ではなく、自分の書こうとすることに焦点をしぼって書くことができるようになるのが高学年であるといえる。

第二節  段落意識の発達

第一項 形式段落

 段落は「形式段落」と「意味段落」に分ける考え方がある。『作文指導事典』では、増渕恒吉が以下のように「段落」について述べている。

 「形式段落」という用語を拒否する人々もいる。「形式段落」も意味を持っているからこそ「段落」を構成しているのではないか、というのである。ここでは「比較的長い文章の中の部分として統一されている文集合の切れ目、またはその文集合の全体」を「段落」と呼び、「今日の文章では段落の初頭は一字下げの体裁で改めるのが例である。」と解する。いわゆる「形式段落」と同じである。さらに「段落」の中で、文相互の内容の上での親疎の関係からいくつかの部分にまとめられるとき、それを小段落という。(中略)さらに文章全体を、内容の上から、いくつかの「段落」をまとめ、グルーピングしたものを「大段落」(いわゆる「意味段落」)と呼ぶ。
(『作文指導事典』井上敏夫他編 第一法規 1971年 p.354)
 形式段落という用語を拒否する人々は、「形式段落にも意味があるからだ」と主張しているが、児童の作文すべてに「形式段落にも意味がある」ということはできない。段落意識が発達していない児童の作文では、段落がないものがある。また段落があったとしても、段落初頭に一字を下げて作られた段落(形式段落)と内容のまとまり(意味段落)が一致していないものもある。しかし、一致していなくても改行するという行為には、段落を作ろうという意識が働いていると考えられる。そのため本項では各学年の形式段落の数を集計し、段落意識の発達を考察する。
 児童の作文には、改行が全くないもの、最初の一文のみ一字下げをしているもの、改行はしているが一字下げが出来ていないものが多かった。改行が全くないものは段落意識がないものとして分類するが、最初の一文だけ一字下げをしている作文も改行が全くないものと同様、段落意識がないものとして分類する。最初の一文のみ一字下げをしている児童は、「原稿用紙に作文を書くとき、最初の一マスは空ける」という原稿用紙の書き方を意識したものであり、段落を意識した一字下げとは考えられない。改行が全くないものと最初の一文のみ一字下げをしている作文の書き手は、段落意識が働いていない点で同じであるといえる。そのため、改行が全くないものと最初の文だけ一字下げがされているものは、段落意識がないものとして集計する。
 また、改行と一字下げが併用されていないものが多く見られた。これは、段落意識が働いていると考え分類する。まだ後ろに続けて書くスペースがあるにもかかわらず、行の途中で文を続けて書くことをやめ、次の文を新しい行の頭から書き始める行為には段落意識が働いていると考えるからだ。改行と一字下げが併用されているものと、一字下げがされていない改行のみのものを改行意識が働いているとして分類する。

<表4−2−1. 各学年合計の形式段落数(単位:人)>
段落なし2段落3段落4段落5段落6段落以上
2年生合計21(48%)4(9%)8(18%)3(7%)4(9%)4(9%)
4年生合計14(44%)7(22%)2(6%)3(9%)4(13%)2(6%)
6年生合計10(24%)3(8%)7(17%)10(24%)6(15%)5(12%)
<グラフ4−2−1. 各学年合計の形式段落数>

 段落意識が見られない作文は、2年生では48 %を占めるが、4年生では44%、6年生では24%と減少していく。低学年から高学年になるにつれて、段落意識が発達していることがわかる。2年生で形式段落数が3である割合が18%と、段落意識がない作文の割合に次いで高い割合を示しているのは、表4−2−1、グラフ4−2−1ともに構想表を活用した作文と構想表を活用しなかった作文を合わせた学年ごとの合計であるためだろう。構想表の「はじめ・なか・おわり」の形式に影響されて2年生でも形式段落数を三つ作っている作文が見られる。
 児童に「書く前のじゅんび」として構想表が書かれたものを配布し、原稿用紙に書く前に「書く前のじゅんび」を書いてもらった。この構想表は、第一章調査概要で示したとおり、「はじめ・なか・おわり」の形のものであるため、形式段落を3段落形成している作文は、この表の三つの欄に出来事を当てはめ、それを見て書いたためであろうと考えられる。6年生の形式段落数3が17%を占めることも同じ理由だといえる。
 また、4年生と6年生の形式段落数5が13%や15%と10%を超えるのも構想表が影響している。構想表は大きく分けると「はじめ・なか・おわり」の三段構成となっているが、「なか」の欄をさらに点線で三つに区切った表を配布した。そのため、大きく分けて「はじめ」「なか」「おわり」の三つに区切られた表と捉えた場合と、「なか」を点線で区切られたものだと考え、「はじめ」「なか@」「なかA」「なかB」「おわり」の五つに区切られた表だと捉えた場合の二つが考えられる。この五つに表を区切ったものだと捉えた児童が、形式段落を5にしたと推測できる。
 しかし、構想表の形式に合わせて形式段落数が変化しているのだとすると、4年生の22%を占める形式段落数2や6年生の形式段落数4の割合が20%を超えることに注目しなければならない。これを考察するため、以下では構想表を活用した作文と構想表を活用しなかった作文とに分けて、形式段落数を集計し、考察していく。

<表4−2−2. 構想表を活用した作文の形式段落数 (単位:人)>
段落なし2段落3段落4段落5段落6段落以上
2年生構想表あり10(43%)3(13%)2(9%)3(13%)2(9%)3(13%)
4年生構想表あり3(20%)4(27%)1(7%)2(13%)4(27%)1(7%)
6年生構想表あり2(10%)0(0%)5(25%)3(15%)6(30%)4(20%)
<グラフ4−2−2、構想表を活用した作文の形式段落数>

<表4−2−3. 構想表を活用しない作文の形式段落数(単位:人)>
段落なし2段落3段落4段落5段落6段落以上
2年生構想表なし11(52%)1(5%)6(29%)0(0%)2(10%)1(5%)
4年生構想表なし11(65%)3(17%)1(6%)1(6%)0(0%)1(6%)
6年生構想表なし8(38%)3(14%)2(10%)7(33%)0(0%)1(5%)

<グラフ4−2−3. 構想表を活用しない作文の形式段落数>

 2年生では、構想表を活用した作文でも構想表を活用しなかった作文でも、段落意識のない作文が多かった。構想表を活用する作文では43%、構想表を活用しない作文では52%と割合で見ると約10%の差が見られるが、人数的には一人の差であり、大きな違いが見られなかった。これは、低学年では段落意識が発達していないことを示している。構想表には出来事を「はじめ・なか・おわり」に分けて書いているにも関わらず、これを文章にすると「はじめ・なか・おわり」のそれぞれの分かれる部分で新しい行に変えて書こうという意識が見られない。構想表を活用しないで書いた場合、形式段落数3の児童が29%と高い割合を示しているため、むしろ構想表を活用せずに書いたものの方が形式段落3の割合が高く、構想表を活用しない方がよいと思われる。しかし、これは「はじめ・なか・おわり」を意識して段落を形成されたものなのだろうか。事例を挙げて見ていくことにする。

事例2−6 2年生構想表なし
「一学っきでたのしかったこと」
@私は始業式の日なんくみになるのかな、なに先生になるかな、とドキドキしました。2年2くみでI先生になりました。とちゅうでI先生があかちゃんをうむことになってちがう先生になることになってさみしかったです。でもT先生がきてよかったです。
A一学っきでおもしろかったことは遠足です。「キッズプラザ大さか」に行って「しゃぼん玉」の中に入ったり「ゆうびんはいたつ」もいっぱいしました。たのしかったです。夏休みもともだちと行きます。
Bプチトマトをそだてるのもたのしかったです。水を毎日いっしょうけんめいあげました。赤いみがたくさんなるようにがんばりました。夏休みにプチトマトを食べています。おいしいです。来年も家でプチトマトを作りたいと思います。

事例2−7 2年生構想表なし
「ともだち」
@二年生になって、一年生のときすごくしゃべっていたともだちとクラスがはなれていやでした。でも、あたらしいクラスでともだちがいっぱいできてよかったです。
Aわたしはともだちとやるドッチボールがすきです。とくにすきなところは、じぶんがあてられて、がいやになっても、中に入れるかのうせいもたかいからです。もう一つは、わたしは、ボールをはやくなげるのがすきだからです。わたしは、二年ニ組のともだちと、一学きにやったドッチボールが一ばんたのしかったです。
Bそれから、ともだちとうんていをするのが、すきです。わたしはうんていのはしからはしまでできないので、はしからはしまでできる人を見てたら、すごいなあとかんげきします。うんていのじょうずな人を見たら、わたしもこつがわかるようなきがして、はやくわたしもはしからはしまでできるようになりたいなとおもいました。

 事例2−6と事例2−7はともに2年生の構想表を活用しない作文である。どちらも形式段落は三つ作られており、内容にあった場所で段落が形成されている。事例2−6では、題名を「一学っきでたのしかったこと」とし、「新しい担任の先生」と「遠足」、「プチトマト」を題材として「一学期の楽しかった思い出」をまとめた作文である。三つの題材を取り上げているが、その題材ごとに改行し段落を作っているため、形式段落が三つになっている。事例2−7も同様で、題名は「ともだち」であり、「新しいクラスのともだち」、「ドッチボール」「うんてい」について「ともだち」を軸にまとめあげている。
 この事例2−6と事例2−7はともに、題名と題材が一致したものであり、題材が変わることで改行をしていることから、段落意識が働いている例であるといえる。
 しかし、2年生で構想表を活用しない作文の中で、形式段落数を三つ形成している作文が全て段落意識が働いているものであるということはできない。次に挙げる事例を見てみたい。

事例2−8 2年生構想表なし
「遠足」
@ぼくは、キッズプラザ大さかに遠足へ行きました。一組と二組がぜんいんのれるぐらい大きなバスにのって行きました。バスのおねえさんがクイズをたくさんしてくれました。
Aぼくは、五つもこたえることができました。
Bキッズプラザについたらぜいいんできねんしゃしんをとったあとなかであそびました。くるまいすたいけんをしました。くるまいすにのってでんしゃにのりました。だんにのるのがむずかしかったけど、のることができました。でも手の力がすごくたいへんでした。だから、足がわるくて車イスにのっている人を町で見たときは、お手つだいしてあげようと思いました。

事例2−9 2年生構想表なし
「一りん車にのれたよ」
@わたしが、一学きにがんばったのは、一りん車です。
Aぎょう間休みと、ひる休みにのぼりぼうのところでれんしゅうしました。
Bさいしょは、プールのよこの白いぼうからのぼりぼうまでいけなかったけどいまはできるようになりました。だからいえでもしたいです。れんしゅうをやっていって手ばなしでのってのぼりぼうから体いくかんのろうかまで行きたいです。でうんどうじょうのはしからはしえと行きたいです。

 中学年になると段落を意識させる「読み」の授業も多くなり、改行がない作文は少ないであろうと予想していた。しかし、実際は構想表を活用しない場合、2年生と同様の人数、割合にすると65%と2年生の52%よりも高い割合を占めた。だが、構想表を活用した場合、この65%という割合が20%まで減少する。4年生では、段落意識が定着していないが、構想表という段落意識を刺激する補助的なものを活用することによって、段落意識を働かせることができる。これは構想表を活用しない作文では段落を作ったとしても二つであったのに対して、構想表を活用した作文では、形式段落5が27%を占めることから構想表の影響であると考えられる。
 6年生では、構想表を活用しない作文で改行のないものの割合が2年生や4年生と比べると低いが、それでも38%を占める。しかし、構想表を活用することによって10%まで減少する。「書く前のじゅんび」をし、構想表に自分で書くことを記入、その表を見ながら原稿用紙に書くことで段落意識を働かせることができる。
 構想表を活用した場合、6年生でも形式段落が三つや五つ作っている割合が高くなる。これは、構想表の形式が影響している。構想表を見ないで書いた場合、改行が全くない38%に次いで割合が高いのは、形式段落を四つ作っている割合である。33%を占める。6年生で段落意識も定着し、四つの段落を形成しているが、どのような分け方をしているのであろうか。

事例6−7 6年生構想表なし
「ブリッジ」
@ぼくの、ともだちに運どうがすごくできる子がいて、その子が立ったじょうたいからブリッジをやっていました。
Aぼくも、できたらかっこいいなあと思ってぼくはれんしゅうしました。体育のマットうんどうのあいだやねる前にベットれんしゅうしました。
Bはじめてせいこうしたのはぐうぜんでした。ともだちにやってみろといわれてやるとせいこうしました。
Cそのあとはかんたんにできるようになりました。うれしかったです。やっぱりやればできるなあと思った。

事例6−8 6年生構想表なし
「一学期の思い出」
@ぼくは一学期の思い出は、プールで自己記録を更新したことです。
Aぼくは小さいときからプールがにがてで、全然泳ぐことができませんでした。けれど五年生のとき二十五メートルを泳げるようになりそれからずっと、二十五メートルまでは泳げるようになりました。けれどそれ以上は泳ぐことができませんでした。
B七月十二日プールでクロールのテストがありました。ぼくは、がんばって二十五メートルをこえてやるぞと思って泳がました。二十五メートル近くになるとくるしくなってきました。けれどがんばって二十五メートルのところへ行くとターンして三十メートルのところで立ちました。三十メートルはいったけれどもうちょっといけたかもしれないと思いました。けれど二十五メートルを更新できたのでうれしかったです。
C次は三十メートルを更新できるようにがんばりたいです。

事例6−9 6年生構想表なし
「ハッピーエンド」
@ぼくの一学期には、こんなことがありました。まず一つ。入学式です。六年生になり、「本当にこんな六年生でいいのかな」と思っていた時にこんな大きな行事がありました。入学してくる一年生を見て「小さいな」とか「ぼくも一年生のときこんなんだったのかな」と思いました。
A二つ目は遠足です。すごくあるいて、あせをかき、弁当を食べることが良い思い出になりました。それと明日香の大仏や古墳をいろいろみて「すごいな」とか「うまくできてるな」と思いました。
B三つ目は、授業です。全体的には、わかりやすかったです。たまにおもしろいことがあるのでいいなと思いました。
C一学期の生活をふりかえって基本的にハッピーな一日のほうがおおかったように思いました。

事例6−10 6年生構想表なし
「小学校最後の一学期」
@入学式で一年生と手をつないで歩きました。一年生の手は、とても小さくて、かわいかったです。なんだか一年生だけじゃなくて、こっちもきんちょうして少しこわかったです。
Aクラスでも、友だちと仲良くできているからとても楽しかったです。先生もちょっとおもしろいです。クラブもやっとバトミントンクラブに入れたし、代表委員の仕事は大変だけど、楽しいから代表委員とバトミントンクラブに入ってよかったと思いいます。
B社会の歴史は、六年になって初めてだから、苦手だけど、中学へ行ったら、もっとくわしく習うので、がんばりたいと思います。
C私は、算数の立方体・直方体や体積が苦手なのに、計算や分数のたし算ひき算が得意なので、夏休み中に、立方体、・直方体や体積をがんばって、苦手クリアにしたいと思います。

 6年生の構想表を活用していない作文で、形式段落を四つに分けている作文には、段落の分け方が二パターンあった。まず、事例6−7と事例6−8のように時間で段落を分けているものである。事例6−7では、1段落目は友達のブリッジを見たとき、2段落目はブリッジの練習、3段落目は成功したときの様子、4段落目が成功してから後のことを述べている。同じように事例6−8でも時間で段落を区切っている。
 事例6−9と事例6−10は題材で段落を区切っているものである。「入学式」「遠足」「授業」の三つの題材と最後のまとめで4段落を形成している。しかし、この段落構成から考えると一文目の「ぼくの一学期には、こんなことがありました。」と「まず一つ。」を分け、形式段落が5段落になるものだ。事例6−10も題材で段落を区分している作文である。これも題材としては「入学式」「クラス」「クラブ活動と委員会活動」「社会について」「算数について」の五つの題材から成り立っている。そのため、題材で形式段落を作るとすれば5段落になるはずである。しかし、「クラス」のことと、「クラブ活動と委員会活動」が同じ段落に書かれているため、4段落となっている。このように本来ならば五つの段落から形成されるべき形式段落が、間違って4段落になってしまっているものと考えられる。
 各学年とも構想表を活用しない場合に見られる形式段落数が「なし」や「形式段落数4」に偏っているのに対して、構想表を活用した作文では偏りは見られない。「はじめ・なか・おわり」に大きく三つに分けた構想表を、さらに「なか」の欄を点線で三つ分けたことで、この構想表を三つに分かれていると捉えたか、四つに分かれていると捉えたか、それぞれの捉え方によって形式段落数が変化したと考えられる。そのため、形式段落が四つや五つなどになったのだろう。もし、この表を「なか」で三つに分けずに一つにしていれば、形式段落数は三つ、「なか」を「なか@」「なかA」「なかB」と明記していれば形式段落数は五つになっていたであろう。曖昧に五つに分けたことで、どのように書けばいいのかわからず、このようなばらつきが出る結果となったと考えられる。
 ここから考えると、構想表という決められた枠を指定され、その形式に沿って文章を書くことは、どの学年の児童にとっても、大きく影響を与えることがわかる。つまり、ただ与えるだけでは、どのように書いたらよいのか迷わせるだけであり、その規定枠を与えられて、どのように書くことを求められているのかがわかるように指導することが必要となる。

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第二項 意味段落

 第一項では形式段落についてみてきたが、第二項では意味段落の観点から考察する。本項では、児童の作文を分類するために、先行研究である「文章意識の発達」の中で、土部(1962)が児童作文の文章様式としてあげていた分類項目を使って分類していく。

<表4−2−4. 各学年の文章様式(単位:人)>
羅列型類集型類別型細叙型網羅型話題型
2年生合計16(36%)7(16%)2(5%)3(7%)12(27%)4(9%)
4年生合計13(41%)4(13%)0(0%)2(6%)11(34%)2(6%)
6年生合計8(19%)9(22%)6(15%)5(12%)6(15%)7(17%)
<グラフ4−2−4. 各学年の文章様式(単位:人)>
(羅列型)
事例2−10 2年生構想メモなし
「一学気の遠足」
1. 遠足でキッツプラザー大さあのところにトンネルをくぐる前にビーダマをころがしてたのでおもしろかったです。
2. それからトンネルをくぐりました。
3. エレベーターで4かいへ行きましたそれからリュックをへやにおきました。
4. それで話を聞いてシャシンをとってあそびにいきました。
5. なんびょうではしれるかのキロクは10びょう25キロだったのでもう一回やってみると8びょう10キロだったのでちょっとはやいかなーと思いました。
6. バスで行きました。
7. バスの中でクイズをしました。
8. すしやの人になったりすべりだいでてぶくろをしないでよかったです。

 「羅列型」は、類集意識が見られないものである。「思い付くままに書き連ねたに過ぎない、横列的な羅列文」がこれにあたる。事例2−10は「遠足」について書いているが、「遠足でキッズプラザ大阪に行きました。」というような「前書き」なしで叙述から書き始めている。文1と文2をみると「トンネルをくぐる前に」や「それからトンネルをくぐりました。」という言葉から時間順で書いているようにも見えるが、文6で「バスで行きました。」という交通手段が出てくるなど思いついた順番で書いている。

「類集型」
事例4−5 4年生構想メモなし
「動物やみんなとあそんだよ」
@ ぼくは、動物とあそんだりするのは、あまりきょうみがありませんでした。でも、全校ちょう会のしいく委員さんのことばをきっかけに1度ふれあいタイムにいってみることにしました。そして、まずうさぎをさわってみました。はしっこにいたのでつかんでみましたおちついたのでだっこしてみるとかわいかったのでいつもふれあいタイムにくることにしました。とってもたのしかったです。
A ぼくは一学期の最初のころみんなおあそんだりあまりしませんでした。いつもは、MくんやHくんやKくんとあそんでしました。でもMくんがみんなとあそんでいたのでぼくは、「ぼくもいれて」といいました。いれてくれたので、ぼくはたのしかったです。それからみんなとサッカーをしたりみんなとおにごっこをしたりみんなとかくれんぼをしたりしてほかにもいろいろしてあそびました。みんなは元気いっぱいで楽しく遊びました。みんなとあそぶのはたのしかったです。

 「類集型」は「横列的な羅列文」とされているものであるが、「羅列文」のように、ただ思いついたことをバラバラに並べるのではなく、事例4−5のように@とAの「たのしかったこと」を集めて書いている「類集意識が見られるもの」をいう。事例4−5では、「最初は興味がなかった動物と遊ぶことが楽しかった」ということと、「はじめはみんなと遊ばなかったが、遊ぶようになって楽しかった」という二つの「楽しかったこと」が並べられている。このように「同類のものを一堂に会させる」類集意識があるものは「羅列型」ではなく、「類集型」に入れる。

「類別型」
事例2−11 2年生構想メモなし
「一学きの思い出」
@ わたしは、二年になった時一年のなかよしのおともだちとクラスがかわったのでふあんでした。でも、たくさんのともだちができたのでうれしかったです。そのなかよしになったともだちとえんそくで、キッズプラザに、行ってたのしかったです。
A 一つさみしいこともありました。大すきだったI先生が、やめたことです。I先生のおなかに、赤ちゃんがいるからです。I先生は、女の子っていっていました。げんきでかわいい赤ちゃんが、うまれたらいいなぁと思っています。
B これから新しい先生が、はいってくるっていったので、どんな先生かなぁと思っていました。I先生みたいに、やさしかったです。先生の名前は、T先生です。それで、先生と、たのしくべんきょうをやっていきます。2学きも思い出をもっともっとつくりたいです。

 土部(1962)の文章様式の中では「類別型」は「類集型」と同じ分類とされていたが、事例2−11のように、@「うれしかった、たのしかったこと」のまとまりとA「さみしいこと」のまとまりが意識して分けられている。このような様式も少なくなかったため、「類集型」と区別して分類する。

「細叙型」
事例6−2 6年生構想メモあり(再掲)
「楽しかった石ぶたい」
1. 私たちは、春の遠足で、高市郡明日香村に行きました。
2. 行き前は、石ぶたいに行くのがとっても楽しみでした。
3. ほかのも見て、やっと石ぶたいのところにつきました。
4. ワクワクドキドキでいっぱいでした。
5. 初めて見る石ぶたい、とっても大きくってびっくりしました。
6. 先生が「中にはいるそー。」といったのでどんなんかなぁとドキドキしました。
7. 中に入ったら外から見たときと、同じぐらい広かったのでわたしは、心の中で、お墓なのにこんなにおおきいのか、すごいなぁとびっくりしました。
8. 中はとってもくらくって友だちの顔も見えなかったのに前の日が雨でみずたまりができていてはまりそうになりました。
9. おくまでいくとすきまから風がふいてくるのですこしぶきみでした。
10. 友だちの顔が見えなかったので、だれかが「キャー」といいました。
11. なにかなぁと思ったらだれかに足をふまれました。
12. あ、さっきの子もふまれたのかなぁと思いました。
13. 外にでてほかのも見に行って帰りました。
14. 学校でしおりのクイズをあつめて答え合わせをしたら問題の石ぶたいの一番大きな石は体重35kgの人何人分という問題で二百二十人とかいたら、二千二百人だってびっくりしました。
15. 遠足とっても楽しかったです。
16. 「また、行きたいな。」

 「細叙型」は、「部分的に細叙しようとするもの」、「最も印象深く捉えられた題材一つに懸けて、継時的に細かく連叙していこうとする」ものである。事例6−2は「石舞台」について中の様子を伝えているが、他の見学場所は省略されている。しかし、まったく書かれていないわけではなく、文3の「ほかのも見て」や文13の「外にでてほかのも見に行って」というように、その場所にだけ行ったのではなく、ほかの場所も見学したが、「石ぶたい」が「最も印象深く捉えられた」場所だということを示している。

「網羅型」
事例2−3 2年生構想表あり(再掲)
「たんけんにいったよ」
1. 二年生でたんけんに行くことになりました。
2. たくさん行くところがあったけどいちばん行きたいところを、きめてグループをつくりました。
3. わたしたちのはんは、スーパーひみつごうです。
4. ルールやもちものをたくさんきめました。
5. すごくたのしみでした。
6. 天気になってほしいなーぁと思いました。
7. わたしたち4人は、し村のぼうさいこうえんに行くことになりました。
8. みんないったことがないのでしつもんを一人3こきめました。
9. ボランティアのあかあさんたちが二人ついてきてくれました。
10. し村はとおかったのでいったん休けいしました。
11. く長さんは、ちかくの田んぼでまっていました。
12. く長さんは、こうえんについて、せつめいをたくさんしてくれました。
13. こうべのじしんのあとの3月にできたこと、ベンチがとれたり、いどがあること、川のはしっこについている草みたいなのが、ホタルのえさになるのがありました。
14. たくさんわかりやすく教えてくれました。
15. 帰ってからみんなにわかったことを、ほうこく会にしました。
16. ぜいいんの先生がみんにきてくれたからとてもはずかしかったです。

 「網羅型」は「羅列型」とは異なり、時間順などの順序性を持ち、ひとつひとつの題材に説明があるものである。例えば、事例2−3の場合、時間順に並べられていたとしても、文1、文7、文9、文12、文14、文15のみが繋げられた文章、

二年生でたんけんに行くことになりました。
わたしたち4人は、し村のぼうさいこうえんに行くことになりました。
ボランティアのあかあさんたちが二人ついてきてくれました。
く長さんは、こうえんについて、せつめいをたくさんしてくれました。
たくさんわかりやすく教えてくれました。
帰ってからみんなにわかったことを、ほうこく会にしました。

 このような文章であれば「羅列文」として分類した。

「話題型」
事例2−12 2年生構想メモあり
「知らない人にたすけてもらったよ。」
1. きょうのあさ、学校へ行くとき、きょうはプールなのでプールかばんをもっていたら、こけて手がすべって川(はば1m)おちてしまいました。
2. そのとき、わたしは、『どうしよう』と、むねがドキドキしました。
3. そして大きな声で思わず、「プールかばん!!」と、ニ〜三回さけんでいたら、けいトラにのった知らないおじさんが、車をとめてなにも言わずどうろにねころがって手をのばしてかばんをとってくれたから、「ありがとう」と、言いました。
4. そこへI先生が来て、「大じょうぶ。」と、聞いたので、「うん。」と、こたえました。
5. そのとき、わたしがこけたのをおじさんが見ていたのか、「どうぞ。」と、おしぼりをくれたので、「ありがとう。」と、言って、ひざについた土をふきました。
6. そしておじさんは、車にのって行ってしまいました。
7. 学校へついてたんにんのU先生にプールかばんのことを話すと、「Tちゃんが川におちなくてよかったな。」と言って、タオルや水ぎ、水えいぼうをあらってくれるように、ようむいんさんにたのんでくれました。
8. そのおかげで三時間目のプールのじゅぎょうの時は少しぬれていたけどきることができました。
9. わたしも、おじさんのようにこまっている人がいたらたすけてあげようと、思います。
10. たとえば、本のたい名でどちらをかりようかまよっている人がいたら、『本の文しょうを少し読んでみたらどういう本かわかるよ』と言ってあげたいです。
11. ほか、ともだちが、けしゴムや、下じき、大切なものをなくしてこまっていたら一しょにさがしてあげたいです。

 事例2−12は時間順にある一日について書かれている作文であるが、その出来事を書くことで伝えたかったことが文9から文11にまとめられており、ただ題材を並べて書くことから脱却しているものである。
 グラフ4−2−4を見ると、2年生と4年生のグラフの形がほぼ同じであるといえる。「羅列型」が一番多く、次いで「網羅型」となる。6年生になると、2年生・4年生で高い割合を占めていた「羅列型」「網羅型」がともに減少し、どの型もほぼ同じ割合となる。2年生と4年生でほとんど変化がないということは、どういうことなのだろうか。学年ごとに構想メモを活用した作文と構想メモを活用しなかった作文とを分けて集計する。

<表4-2-5.2年生の文章様式(単位:人)>
羅列型類集型類別型細叙型網羅型話題型
2年生構想メモあり6(26%)2(9%)0(0%)3((13%)10(43%)2(9%)
2年生構想メモなし10(48%)5(24%)2(9%)0(0%)2(9%)2(9%)
<グラフ4-2-5.2年生の文章様式>

 「羅列型」「網羅型」に大きな特徴を見ることができる。2年生で構想メモを活用すると、構想メモを活用しない場合に比べて、「網羅型」が多くなる。「細叙型」も構想メモありの方にだけ見られる。これは、構想メモを活用することによって、出来事を詳しく書くということができるようになるということだ。低学年では出来事を羅列的に思いついた順に書いてしまうが、構想メモを使うことによって、出来事を詳しく思い出すことができるといえる。

<表4−2−6. 4年生の文章様式(単位:人)>
羅列型類集型類別型細叙型網羅型話題型
4年生構想メモあり5
(33%)
0
(0%)
0
(0%)
1
(7%)
8
(53%)
1
(7%)
4年生構想メモなし8
(47%)
4
(24%)
0
(0%)
1
(6%)
3
(17%)
1
(6%)
<グラフ4−2−6. 4年生の文章様式>

 4年生は、構想メモありの場合「網羅型」が50%を超え、構想メモなしの場合「羅列型」が半分近くの47%を占める。構想メモありで「網羅型」が高い割合を示し、構想メモなしで「羅列型」が高い割合を示しているのは2年生とほぼ同じである。そのため、学年を合計したグラフ4−2−4で2年生と4年生がほぼ同じグラフとなっている。

<表4−2−7. 6年生の文章様式(単位:人)>
羅列型類集型類別型細叙型網羅型話題型
6年生構想メモあり5(25%)3(15%)1(5%)4(20%)6(30%)1(5%)
6年生構想メモなし3(14%)6(29%)5(24%)1(4%)0(0%)6((29%)
<グラフ4−2−7. 6年生の文章様式(単位:人)>

 6年生の合計したグラフを見ると、「類集型」が22%と他の型よりも少し多いだけで、ほぼどの型も同じ20%以下の割合であった。しかし、構想メモありと構想メモなしに分けて集計すると、それぞれの型の割合が異なっている。
 6年生でも構想メモを活用すると「網羅型」が30%を占め高い割合を示している。しかし、「類集型」や「類別型」も見られるようになり、2年生や4年生のように40%を超えるほどの高い割合ではない。
 2年生・4年生では構想メモを活用した場合よりも構想メモなしの方が「羅列型」が多かったのに対して、6年生では逆である。構想メモを活用した場合よりも構想メモなしの方が少なくなっている。高学年なると、書く前に準備をして書かなくても題材を羅列するだけで終わるという文章の書き方をする児童が減ることがわかる。また、「類集型」「類別型」が多い。「一学期の思い出」という課題であるため、「一学期の思い出」の「よかったこと」だけをいくつか挙げたものが「類集型」になり、「よかったことと悪かったこと」の二つの観点から一学期を振り返り、まとめたものが「類別型」となっている。文章としてのまとまりを意識することができるようになっていることを表わしているが、そこに主題がないものが多く、出来事をまとめたという意味合いの強いものが多かった。「類集型」や「類別型」も多くなるが、他の学年と比べて増加したものとして「話題型」がある。他の学年や6年生の構想メモを活用したものと比べて高い割合を示している。

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第三節 まとめ意識の発達

第一項 まとめの有無

<グラフ4−3−1. 各学年のまとめの有無>

 左のグラフ4−3−1は、児童の作文の文章始と文章末どちらか一方に、もしくは両方に「まとめ」と見ることができる文があるかどうかを調べたものである。ここでいう「まとめ」は、文章全体をまとめるための機能がきちんと働いている「まとめ」のみを取り上げず、全体の内容をまとめようとする意識が見られる文があれば、「まとめあり」とした。全体の内容をまとめようとしたものを「まとめ」とするため、部分的な「まとめ」になる個々の題材のまとめは含めない。
 このグラフ4−3−1を見てみると、2年生構想表なしの作文で「まとめあり」が48%と、50%を下回るだけで、他のものは50%を超えている。2年生でも構想表を活用した作文では、61%を占め、4年生、6年生になると構想表を活用しても構想表を活用しなくても「まとめあり」は80%を超えている。低学年であっても2年生になると、文章を書く場合にどこかに「まとめ」を入れなければいけないという意識が働いているといえる。2年生から4年生にかけては「まとめあり」の割合は増加するが、4年生と6年生にはそれほど差がなく、全体の8割以上の児童がこの意識を働かせて文章を書いている。このことから、2年生ごろに終結意識が芽生え始め、4年生になると終結意識は定着すると考えられる。

「〜なりたいです」といった未来志向表現で作文を終わることが多くなるのは、2年生になってからで、1年生には多くない。「終わり」の意識が芽生え始めてきたということである。冒頭に中心文(全体=結論)を置くというように、「初め」の意識は、書くという行為と同時に生じるが、「終わる」意識の形成はそれより遅れる。
(『言語と思考の発達』林大編 三省堂 1984年 pp.166−167)

 ここで述べられているように、2年生になってから「〜になりたいです」という「未来志向表現」が出てくる。下のグラフは、2年生のまとめ文を過去、未来の時制で分けたものである。

<グラフ4−3−2. 2年生のまとめ文の時制>
1. ぼくは、これからもプールのおよぎをがんばってやりたいです。(2年生構想表あり)
2. 2学期も思い出をもっともっとつくりたいです。(2年生構想表なし)
3. 町たんけんはいっぱいはっ見できるのでたのしいと思いました。(2年生構想表あり)
4. よい思い出です。(2年生構想表なし)

 文3や文4のように、「終わる」意識が形成されてくると、作文の全体の内容をまとめたような言葉が見られるようになる。またグラフ4−3−2を見てもわかるように、終結文の中には「〜でした」という全体の内容をまとめたものだけではなく、文1や文2のようなまとめ文が出てくる。構想表を活用しないものでは、文3や文4の形で終わるものと同じぐらいの割合、構想表を活用したものではそれ以上に、「〜したい」という「未来的志向表現」で締めくくる文章が多くなる。第三章対象把握力の発達で述べたように、低学年では自分の「したこと」「思ったこと」について書いていくため、自分がこれからどうしたいという形で締めくくるのである。
 4年生になると、低学年で見られた「自己中心的把握」段階から「客観的把握」段階へと移った。そのため、自分の気持ちである「〜するつもりだ」「〜したい」という内容の文で終わるものが少なくなり、客観的に出来事全体を見つめ、「〜でした」という形で終えるものが多くなる。

<グラフ4−3−3. 4年生のまとめ文の時制>
5. ちかくの人にもゴミをすてないでーと声をかけていきたいです。(4年生構想表あり)
6. それから、ごみは川にすてないようにしなければならない。(4年生構想表あり)
7. けれど、がんばりたいと思います。(4年生構想表なし)
8. 川にゴミをすてる人はゆるせないです。(4年生構想表なし)

 グラフ4−3−3は、グラフ4−3−2と同様にまとめ文を過去と未来の時制で分けて集計したものである。文5から文7は「未来」時制のまとめ文として、文8は「過去」時制のまとめ文として分類した。4年生では、話題に「川掃除」「環境」「クリーンセンター」など「ごみ」に関する話題が多く、文章末で文5、文6、文8のようなまとめ文が多く見られた。文5はこれから「声をかけていきたい」という言葉から「未来」に、文6はごみを「川にすてないようにしなければならない」という「しなければ」という言葉に「これからは」という意味を見ることができるため、これも「未来」に分類した。しかし、文8は「過去」として取り扱う。内容はどれも「川にゴミをすてるな」というものであるが、文8は川掃除をしていてゴミを拾っていく中で、ゴミを捨てた人たちに対して怒りを覚え、それを文章末に「ゆるせない」という言葉で表現している。そのため、これからゴミを捨てる人に対しての言葉というよりは、川掃除をしている時点で川にゴミを捨てている人に対しての怒りの言葉と考え、「過去」に分類する。
 4年生になると、「〜するつもりだ」「〜したい」という文で終わる文章が少なくなると述べた。グラフ4−3−2の「後まとめ」とした文章末のまとめ文のグラフを見ると、明らかに4年生のほうが「未来」の時制で終わっているものが少なくなっている。その少なくなっている「未来」時制のまとめ文の中には、文7のように2年生と同じような形のまとめ文もあるが、文5のようなものを含めて分類している。文5は「〜したい」という文ではあるが、自分自身がこのようにしたいというものではなく、自分以外の誰か(文5の場合「ちかくの人」)に「〜してほしい」「〜させたい」という文である。文6は「ごみは川にすてないようにしなければならない」という自分に対しての文と捉えることもできるが、一般的な意見として捉えることもできる。これら文5や文6のような自分に対しての「〜するつもりだ」というものでなくても、時制が「未来」であるため「未来」の区分に入れた。そのため、「未来」時制のまとめ文が少し見られるが、自分以外の誰かに向けた「〜させたい」という「未来」時制のまとめ文があることを考慮すると、2年生とはまとめ方が大きく異なっているといえる。
 4年生の構想表を活用した作文で87%、構想表を活用しなかった作文で82%が「まとめ文」を入れていた。また6年生の構想表を活用した作文では85%、構想表を活用しなかった作文では90%が「まとめ」を意識している。まとめの有無としては4年生も6年生も大きな差はないということができる。

<グラフ4−3−4. 6年生のまとめ文の時制>

 グラフ4−3−4の6年生構想表なしの「前まとめ」を見てもわかるように、4年生と比べると「過去」の「まとめあり」が大きく伸びている。グラフ4−3−1では、文章始と文章末のどちらか一方にでも「まとめ」があれば、「まとめあり」として集計していたため、4年生も6年生もそれほど差があるようには見えなかった。しかし、グラフ4−3−2からグラフ4−3−4のようにまとめの時制を「過去」と「未来」に分け、まとめ部分を「前まとめ」「後まとめ」に分けたことで、差がなく同じであるとは言えないことが明らかである。これらの違いについて、まとめの位置の違いによって、次項で考察する。

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第二項 まとめの位置

<表4−3−1. 各学年のまとめの位置(単位:人)>
2年生合計4年生合計6年生合計
まとめなし20(45%)9(28%)9(23%)
頭括 2(5%)5(16%)0(0%)
双括6(14%)6(19%)20(51%)
尾括16(36%)12(37%)10(26%)
<グラフ4−3−5. 各学年のまとめの位置(単位:人)>

 構想表を活用した作文と構想表を活用しなかった作文を混ぜて、学年ごとに集計したものである。第一項まとめの有無でみたように、2年生構想表なしのものが50%をきるため、構想表ありの集計と構想表なしの集計を合計した上のグラフ4−3−5では、2年生合計で「まとめなし」が多くなっている。
 まとめの位置では、尾括は2年生でも多く見られる。これは、「たのしかった」「うれしかった」「おもしろかった」という感想が、書き手の意識としては直前に取り上げた題材について「たのしかった」と述べていたとしても、「〜が」という直前の題材を限定する記述が見られないため、全体の感想としてみることができるものが多かったためである。頭括は、2年生で少し見ることができるものの、割合としては5%であり、ほんの一部の児童にみられるものである。
 4年生になると、尾括の割合は2年生とあまり変わらないものの、頭括と双括の割合が増えている。とくに頭括の割合が、2年生で5%から4年生には16%になる。これは、第三章第三節話題選択文で考察したように、話題選択文を書く割合が2年生の14%から4年生になると34%に増加するからである。「作文にこの出来事を書く」ということを強く意識することができるようになる中学年では、文章始に「この出来事についてこれから書きます。」という予告文が多くなるため、頭括が増えたと考えられる。

 「初め・中・終わり」の構成的表現操作が形成され始めるのは、中学年になってからである。4年生の作文は、結論の冒頭部、説明の展開部、そして「これからは〜うと思います」という未来志向表現(決意)を含む結尾部の3段構成と捉えることができよう。「終わり」に次いで、ここでは、「中」が形成され始めたことがうかがえる。
(『言語と思考の発達』林大編 三省堂 1984年 pp.166−167)

 『言語と思考の発達』では、中学年で「はじめ・なか・おわり」の意識が形成され、4年生になると「結論の冒頭部、説明の展開部、未来志向表現を含む結尾部」の三段構成を持つ作文が見られるようになるとする。頭括が増えたことは、「結論の冒頭部」が意識されるようになったことであり、また、双括が増えていることは、「はじめ・なか・おわり」の三段構成意識が形成されてきたからであろう。
 6年生になると、頭括は0%になる。また尾括も26%と、2年生の36%、4年生の37%に比べて低い割合になっている。学年が上がるごとに「まとめあり」の割合が高くなっているにもかかわらず、頭括・尾括ともに割合が他の学年よりも低くなるのには、双括の大幅な増加が関係している。双括は14%、19%と、2年生でも4年生でも頭括よりは高いものの「尾括」「まとめなし」の割合に比べて低かった。だが、高学年になると「頭括」はもちろんのこと、「尾括」や「まとめなし」の割合を合計したパーセンテージよりも高い51%を占めた。文章始のみのまとめや文章末のみのまとめは減り、文章始と文章末の両方で全体の内容をまとめようとする意識が働くということである。中学年で「はじめ・なか・おわり」の三段構成意識が形成され始めると述べたが、高学年になるとこの構成意識がより強く働き、「はじめ・なか・おわり」の三段構成を持つ作文が増えるということである。
 このように学年が上がるごとに構成意識の働きが強くなることがわかったが、「はじめ・なか・おわり」の構成意識を高めるために、「はじめ・なか・おわり」の構想表を児童に与え、それを参考に作文を書かせることによって、構成意識を育てることはできないものかと考えた。そこで構想表を活用した作文と構想表を活用しなかった作文とのまとめの位置を学年ごとに比較し、構想表が児童の構成意識に与える影響を調べてみようと思う。

<表4−3−2. 2年生のまとめの位置(単位:人)>
2年生構想表あり2年生構想表なし
まとめなし9(39%)11(52%)
頭括1(4%)1(5%)
双括3(13%)3(14%)
尾括10(44%)6(29%)
<グラフ4−3−6. 2年生のまとめの位置(単位:人)>

 表4−3−2とグラフ4−3−6は2年生のまとめの位置を構想表を活用したものと構想表を活用しなかったものとに分けて集計したものである。「まとめなし」と「尾括」の割合に違いが見られるが、「頭括」と「双括」が占める割合はほぼ同じであった。「まとめなし」が多くなるのは、2年生では出来事を時間順に書き綴ったものが多かったためである。

事例2−13 2年生構想表あり
「春の遠足」
1. 遠足のときおしみ小学校からおしみえきのちかくのバスのりばにいってバスにのって遠足のキッズプラザ大さかにいきました。
2. それでキッズプラザ大さかにいったらU先生が、「あそぶまえにしゃしんとるからこっちきて。」と言ってこうたいごうたいにしゃしんをとりました。
3. そのときはやくおそびたいと心の中でおもいました。
4. そのあとにともだちといろいろなどうぐであそびました。
5. そのときはすごくたのしいとおもいました。
6. 遊んで手合図がなったからしゅうごうばしょにもどりました。
7. さいごはリュックサックをせおってまたおしみえきのところにもどっておしみ小学校にもどり、おうちにかえりました。

 事例2−13は遠足を話題として書いたものであるが、文1から文7まで時間の流れ順に「したこと」「思ったこと」が書かれており、まとめがない。構想表なしの場合、この形で出来事を書く児童が多く、「まとめなし」が高い割合を占めている。事例2−13は構想表を活用した作文であるが、最後の文が「さいごはリュックサックをせおってまたおしみえきのところにもどっておしみ小学校にもどり、おうちにかえりました。」という記述で終わっているため、まとめがない形となっている。この児童の構想表を見てみると、内容はほぼ構想表どおりに書かれており、そのときの気持ちも書かれている。しかし、「おわり」のときの「気持ち」について「まんぞくした。」と書いているにもかかわらず、作文には書かれていない。もし、これを作文に書いていたとしたら、「さいごはリュックサックをせおってまたおしみえきのところにもどっておしみ小学校にもどり、おうちにかえりました。」「今日の遠足はとても楽しくて、満足できる遠足でした。」という文になるだろうか。この「気持ち」を省略せずに書いていたとしたら、全体をまとめる気持ちを書いているということで「まとめあり」に分類されるであろう。
 同じ構想表ありの作文の中には、事例2−13のように事態の叙述で終わるものもあるが、最後に全体をまとめて「尾括」に分類されるものも多かった。次の事例2−14のような作文である。

事例2−14 2年生構想表あり
「さかいぼくじょう」
1. 生かつのじゅぎょうで町たんけんに行きました。
2. みんなでどこに行くかをきめてぼくはさかいぼくじょうに行くことをえらびました。
3. その日はおてんきもよくとてもあつかったです。
4. 学校から歩いてものすごく遠くてしんどかったです。
5. ぼくじょうにつくとおじさんがうしについてせつめいをしてくれました。
6. うしがあまりにもいっぱいいててびっくりしました。
7. うしの赤ちゃんをさわってあつかったです。
8. とても小さくてかわいかったです。
9. うしにエサをあげる時手をペロッとなめられて少しきもちわるかったです。
10.町たんけんでさかいぼくじょうに行ってうしとおともだちになれてよかったです。
11.またいけたらいいなーと思いました。

 事例2−14は、事例2−13と同様に時間順に出来事を書いたものである。また、同じ構想表を活用した作文である。この事例2−14の作文では、最後に「またいけたらいいなーと思いました。」と書いている。これはまとめているというよりは、感想であるが、「町たんけん」という話題全体に対しての感想であり、「尾括」に分類した。もし文9の「うしにエサをあげる時手をペロッとなめられて少しきもちわるかったです。」で終わっていれば、「牛にエサをあげたときの感想」という終わり方になり、部分的な終わり方になるため、「尾括」に分類されない。このように考えると、文11は「まとめ文」として取り扱うことができると考える。
 事例2−14は構想表を活用した作文であり、「尾括」と分類したものであるが、これは構想表を活用したことによって、「まとめ文」をつけようという意識が働いたのかどうかはわからない。事例2−14の児童の構想表には文9の後半と文10と文11の記述は見られない。「はじめ」と「なか」の「そのときにあったこと・したこと」と「そのときの気持ち」は埋めているが、「おわり」の「そのときにあったこと・したこと」も「そのときの気持ち」も空欄である。そのため、文9の後半部分の「手をペロッとなめられて少しきもちわるかったです。」という部分と文10、文11は構想表に書いたものを見て書いたものではない。しかし、構想表に書いていないからといって構想表が全くその「まとめ文」を追加するのに役に立たなかったということも断言することができない。「書く前のじゅんび」を書かずにそのまま原稿用紙に書いていれば、文9の前半で終わっていたかもしれない。構想表に書かれたものを見て原稿用紙に書く、書きながら構想表に書いたときに一度思い起こした出来事が、再び時間の流れとともに思い出されたときに、「エサをあげたときに手をなめられたこと」を思い出し、「それが気持ち悪かった」と思い出したことは二度思い出すという作業が加わったからだと考えることができる。

 思い出させるということは、作文指導で最も中核的の仕事である。思い出させるとは、過去の経験の中のあるまとまりを一つのわくに入れることである。経験の一区切りを一つのわくの中に入れるためには、どうしても言語の力を借りなければならない。「あのころのこと」という内容を漠然と思い浮かべるだけではなくて、それをもっと見すえて骨組みとし、どこで、だれが、何をしたことといったようにくだき、それを言語化することによってわくづけをしなければならない。そのために、作文用紙の上の空いた部分に簡単なメモをするという方法が行われている。まず、場所と時間と行動の順とを考える。考えついてわくがきまったら、短いことばでメモしておくのである。わが国ではそういうことをしないから、中以下の子どもの作文はピンボケしている。外国のは飛びぬけた作品もないかわりピンボケが少ない。小学校低学年のうちには、このようなわくづけの指導がしっかりとおこなわれてその作業が習慣化していなければならない。
(『倉澤栄吉国語教育全集 第5巻 過程重視の表現指導』倉澤栄吉 角川書店 1988年 p.311)

 「思い出させるということは、作文指導で最も中核的の仕事である。」とあり、「小学校低学年のうちには、このようのわくづけの指導がしっかりとおこなわれてその作業が習慣化していなければならない。」と述べられているが、低学年で構想表を活用することによって、このように思い出させるという効果を期待することができる。低学年は、出来事から時間が経つと細かいことまで思い出すのが困難になるが、構想表を書くことによって二度思い出すことになり、これを助ける。一度目の思い出しは、構想表を書いたとき、二度目が原稿用紙に書くときである。二度目の思い出しは、一度目の思い出しとは違い、一度思い出したものから連鎖的にそのときの詳しい様子が思い出されることがある。

<表4−3−3. 2年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>
文章始・文章末なし・なしなし・全体なし・部分全体・なし全体・全体全体・部分部分・なし部分・全体部分・部分
2年生構想表あり7(31%)10(43%)2(9%)0(0%)3(13%)1(4%)0(0%)0(0%)0(0%)
2年生構想表なし4(19%)6(29%)7(33%)1(5%)3(14%)0(0%)0(0%)0(0%)0(0%)
<グラフ4−3−7. 2年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>

 表4−3−3とグラフ4−3−7は、2年生の文章始と文章末のまとめ方をまとめたものである。表中やグラフ中では「なし・なし」や「なし・全体」という表記をしているが、これは、前の部分が文章始、後ろの部分が文章末の形を表わしている。「なし・なし」の場合、文章始のまとめ文はなく、文章末のまとめ文もないため、「まとめなし」になる。また、「なし・全体」は文章始にはまとめ文がないが、文章末には作文内容全体をまとめる文があるため、「尾括」という形になる。なお、「全体」は内容全体をまとめる文であるため、「まとめ文」とするが、「部分」は話題をまとめたものではなく、直前の題材をまとめたものであるため、「まとめ文」とはしない。
 グラフ4−3−7を見ると、「なし・全体」が多いことがわかる。これは構想表ありの中で48%をしめており、「はじめ・なか・おわり」の表に当てはめることで、「おわり」の所でまとめなければいけないという意識が働くと考えることができる。しかし、「なし・なし」もまた31%と高い割合を示している。「おわり」の部分にまとめを入れるという意識が働かない場合は、出来事の終わりをそのまま叙述するため、「家に帰りました。」という文となる。
 構想表を活用しない場合、文章始にも文章末にもまとめがないという割合は、19%である。構想表を活用するものに比べて、11%も低い割合である。同じように時間順に書いていたとしても、「はじめ・なか・おわり」という枠にとらわれずに書くことができるため、「おわり」を出来事の終わりととらえてしまうことなく、自由に書き、「たのしかった」「うれしかった」という形でまとめることができるのではないだろうか。しかし、構想表などあらかじめ書くことを思い出し、言葉として書き出したものを見ずに原稿用紙に書き始めることによって、全体像を考えず、思いついたものを書き進めることになる。そのため、思い出しているその思い出の瞬間のみの感想や叙述になってしまう。「なし・部分」は、この全体像を考えずに連鎖的に書いた結果に出てくる形である。

 もっとも典型的なもの(引用者註:バラバラ文の典型的なものを指す)は、ほとんど一文一文段的に数文を思い付くままに書き連ねたにすぎない、横列的な羅列文である。印象強く想起しえたものを思いつくままに羅列する、という点で、叙述意識は、やはり叙述する当面の瞬間にしか生きていない。「頭(尾)括型」におけるような、「同格」で「並列」する事例を総括する「総括文」はもちろん、それに相当するようなものも見られない。事例文2には「前書き」が見られるが、後行の叙述とは緊密な関係を持たず、ただ書き出しを意識したというだけの、そして、その「前書き」敍述の瞬間にだけ生きていた「たのしい運動会」なのである。
(「文章意識の発達(第一報)」土部弘・宝示重美 『大阪学芸大学紀要 C教育科学』第四号 1962年 p.98)

 土部(1962)は「文章意識の発達」の中でこのように述べているが、グラフ4−3−7で見られた「なし・部分」のまとめ方は、その「瞬間にだけ生きていた」気持ちでまとめられたものである。全体の内容がわからないまま、思い付くままに文章を書き綴るため、直前に書いていた題材についての感想などでまとめて終わってしまう。構想表を活用した作文よりも構想表を活用しなかった作文の方が「なし・なし」の割合が11%低く、まったくまとめらしきものがない作文は少ないにも関わらず、「まとめなし」の割合が13%も上回るのは、この「部分」的なまとめをしてしまうからである。2年生では、構想表を活用すると「まとめなし」の割合が減少するのは、取り上げたそれぞれの題材に対するまとめではなく、題材を統括して一つにまとめようする意識を働かせる可能性を持っているといえるのではないだろうか。

<表4―3−4.  4年生のまとめの位置(単位:人)>
4年生構想表あり4年生構想表なし
まとめなし4(27%)5(29%)
頭括0(0%)5(29%)
双括2(13%)4(24%)
尾括9(60%)3(18%)
<グラフ4−3−8.4年生のまとめの位置(単位:人)>

 4年生になると、「まとめなし」の作文が2年生の「まとめなし」に比べて、構想表ありでは10%近く、構想表なしでは20%も減少する。本章第一節でも述べたように、中学年になると構成意識が発達するため、構想表を活用するか構想表を活用しないかに関係なく「まとめ文」を入れて全体をまとめようとする。「まとめ文」の有無は構想表に関係しないが、グラフ4−3−8を見てみると、まとめの位置には大きく関わると考えられる。「まとめなし」の割合はほぼ同じであるのに、構想表を活用したものと構想表を活用しなかったものとの「頭括」「双括」「尾括」の割合が異なるからである。
 4年生の構想表ありと構想表なしを比較すると大きく異なるが、2年生と4年生の構想表ありのものを比べてみると、それぞれの比率はよく似ている。4年生の方が「まとめなし」が10%近く減ったものがそのまま「尾括」に移動したという形である。これは構想表のかたちである「はじめ・なか・おわり」が大きく児童の文章のまとめ方に影響しているといえる。つまり、「はじめ・なか・おわり」と書かれた表を前にして、そこに出来事を書き込んでいくと、その枠の形式でしか書けないのである。この表に沿って書かなければいけないという意識になるため、その枠を外れて自由に書けなくなる。この表を使ってもなお双括型にすることができているのは、両学年でほんのわずかの13%である。この児童は、構想表があろうがなかろうが自分の力で作文を書くことができる児童であろう。しかし、多くの児童はこの枠から逃れることができずに、構成意識が発達していると考えられる4年生でも「初め」意識ができてきたばかりの2年生と同様に「おわり」の部分に「まとめ文」を入れるという形でしかまとめることができないという結果が出た。
 この構想表ありの作文のまとめ方の不自由さに比べて、構想表なしの作文は自由である。グラフがほぼ横並びになろうかと思われるほどいろいろなまとめ方がされている。「頭括」29%、「双括」24%、「尾括」18%。「おわり」に影響されて、「おわり」の部分でまとめをいれなければならないという意識にされていないということが、「尾括」の割合が一番低いことでわかる。

 「はじめ・中・おわり」というような、初めから枠を決め、しかも、形式的に材料をはめこんでいるような構想メモは、力にならない。
(『子どもを伸ばす作文の見方』森久保安見 明治図書 1980年p.130)

 大久保(1980)は『子どもを伸ばす作文の見方』の中で、このように述べている。確かに、発達している力を押さえ込んでしまうものであれば、文章を書く前の助けとなるべき資料が役に立たないものになる。上述したように、構想メモは「思い出す」ことに役に立つといえるが、「はじめ・なか・おわり」という枠のあり方を考えなければいけない。

<表4−3−5. 4年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>
文章始/文章末なし・なしなし・全体なし・部分全体・なし全体・全体全体・部分部分・なし部分・全体部分・部分
4年構想表あり2
13%
9
60%
2
13%
0
0%
2
13%
0
0%
0
0%
0
0%
0
0%
4年構想表なし3
18%
3
18%
2
11%
2
11%
4
24%
3
18%
0
0%
0
0%
0
0%
<グラフ4−3−9.4年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>

<表4−3−6. 6年生のまとめの位置(単位:人)>
6年生構想表あり6年生構想表なし
まとめなし4(20%)5(26%)
頭括0(0%)0(0%)
双括9(45%)11(58%)
尾括7(35%)3(16%)
<グラフ4−3−10. 6年生のまとめの位置(単位:人)>

 6年生になると、「頭括」が0%になり、まったく見られなくなる。2年生頃から芽生え始める「終わり」意識の発達が高学年である6年生になると定着することによって、必ず「終わり」の部分に何かしらの「まとめ」を入れようとするからである。そのため、文章始だけに「まとめ文」を入れる「頭括型」が見られなくなる。
 「まとめなし」は4年生よりも少し減るが、2年生から4年生に見られた大幅な減少はない。人数で数えると全く同じ人数であるが、学年の児童数が異なるため割合的には6年生の方が低くなっている。6年生で大きな特徴は、「双括型」が大幅に伸びたことである。構想表を活用した作文では、4年生で13%であったものが45%になり、構想表を活用しなかった作文でも、4年生の24%から58%に増加する。どちらも30%以上の増加となる。これは、「終わり」意識の発達により「頭括型」がなくなったこと、そして「はじめ・なか・おわり」の三段落構成意識の発達が大きく関わっていると考えられる。

 「初め・中・終わり」の構成的表現操作が形成され始めるのは、中学年になってからである。4年生の作文は、結論の冒頭部、説明の展開部、そして「これからは〜うと思います」という未来志向表現(決意)を含む結尾部の3段構成と捉えることができよう。「終わり」に次いで、ここでは、「中」が形成され始めたことがうかがえる。
(再掲『言語と思考の発達』林大編 三省堂 1984年 pp.166−167)

 中学年で「結論の冒頭部・説明の展開部・未来志向表現を含む結尾部」が形成され始めると述べられていたが、高学年になって、この三段構成意識が定着したと考えることができる。文章始に作文内容の全体をまとめる結論を書き、また文章末に全体をまとめる結論を書いて終わるという事例6−11の形である。

事例6−11 6年生構想表なし(再掲)
「水泳」
1. ぼくが、一学期で一番心に残ったことは、水泳のクロールと平泳ぎで百メートル泳いだことです。
2. ぼくは今までクロールは百メートル泳いだことがあったけど、平泳ぎは五メートル以上泳げませんでした。
3. いつも、クロールは早く進むけど、平泳ぎはおそいからすぐにあきらめてしまいます。
4. それに、平泳ぎの息のしかたもむずかしいのでにがてだから、平泳ぎは、よくても五十メートルまでしか泳げないと思って、百メートルはあきらめていました。
5. でも、にがてな平泳ぎで百メール泳ぐことができたのは、くるしくてもあきらめなかったからだと思います。
6. だから、これからは、何事も、あきらめないようにしたいです。

 事例6−11では、文1でこれから書く内容について述べている。また、文6で「クロールと平泳ぎをあきらめずに百メートルがんばって泳いだこと」から発展させて、水泳だけではなく、「何事においてもあきらめずに頑張っていきたい」という決意が述べられている。このように文章始で内容についてまとめ、文章末でこれからの決意を述べる、または内容について、文章始とは異なる言葉でまとめている作文が6年生になると多くなる。そのため、「双括型」が増えている。
 表4−3−6やグラフ4−3−10で見られたように、構想表を活用しても構想表を活用しなくても「双括型」が増えていたことから、6年生になると三段落形成意識が定着すると考えたが、このように考えると、やはり6年生構想表ありの「尾括」が35%を占めていることに注目しなければならない。
 構想表なしの場合、4年生でも「尾括」は18%と低く、6年生になると16%とさらに低い割合を示した。しかし、構想表ありの場合、4年生の60%に比べると25%も減少しているとはいえ、いまだ35%を占める。これは明らかに2年生と4年生の構想表ありでも考察したように、「はじめ・なか・おわり」の構想表の形式が作文のまとめ意識に影響を与えていると考えることができる。「双括型」の増加から高学年になると、「初め・なか・おわり」意識が定着し始め、型を決められなくても自分で「はじめ」を意識し、「なか」で内容を展開し、「おわり」でまとめるという形を作ることができるようになる。しかし、初めから「はじめ・なか・おわり」という枠を決められ、そこに出来事を当てはめようと指示された場合に、「はじめ」は出来事の始まりとしての「はじめ」と考えられ、冒頭部としての役割を果たさなくなる。事例6−2はこの例である。

事例6−2 6年生構想表あり(再掲)
「楽しかった石ぶたい」
1. 私たちは、春の遠足で、高市郡明日香村に行きました。
2. 行き前は、石ぶたいに行くのがとっても楽しみでした。
3. ほかのも見て、やっと石ぶたいのところにつきました。
4. ワクワクドキドキでいっぱいでした。
5. 初めて見る石ぶたい、とっても大きくってびっくりしました。
6. 先生が「中にはいるそー。」といったのでどんなんかなぁとドキドキしました。
7. 中に入ったら外から見たときと、同じぐらい広かったのでわたしは、心の中で、お墓なのにこんなにおおきいのか、すごいなぁとびっくりしました。
8. 中はとってもくらくって友だちの顔も見えなかったのに前の日が雨でみずたまりができていてはまりそうになりました。
9. おくまでいくとすきまから風がふいてくるのですこしぶきみでした。
10. 友だちの顔が見えなかったので、だれかが「キャー」といいました。
11. なにかなぁと思ったらだれかに足をふまれました。
12. あ、さっきの子もふまれたのかなぁと思いました。
13. 外にでてほかのも見に行って帰りました。
14. 学校でしおりのクイズをあつめて答え合わせをしたら問題の石ぶたいの一番大きな石は体重35kgの人何人分という問題で二百二十人とかいたら、二千二百人だってびっくりしました。
15. 遠足とっても楽しかったです。
16. 「また、行きたいな。」
<表4−3−7.  6年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>
文章始/文章末なし・なしなし・全体なし・部分全体・なし全体・全体全体・部分部分・なし部分・全体部分・部分
6年生構想表あり3(15%)7(35%)1(5%)0(0%)9(45%)0(0%)0(0%)0(0%)0(0%)
6年生構想表なし2(10%)3(16%)3(16%)0(0%)11(58%)0(0%)0(0%)0(0%)0(0%)
<グラフ4−3−11.  6年生の文章始と文章末のまとめ方(単位:人)>

 6年生の文章始と文章末のまとめ方の特徴は、上述したように「双括型」が増えることである。「双括」、つまり文章始にも文章末にも作文全体をまとめる「まとめ文」が加えられるため、「全体・全体」が多くなる。「なし・部分」で構想表なしが構想表ありに比べて多くなるのは、構想表に自分の書くことを一度書き出すことによって、「はじめ・なか・おわり」の枠に当てはめることが自由に書くことを規制してしまうが、頭の中にある「想」としての出来事を客観的に見ることができる文字という形で自分の外に出すことによって、自分の中にある出来事としてではなく、客観的にその出来事全体を眺めることが出来る状態にでき、作文内容全体を見る目を持つことができるからだと考えられる。

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第三項 まとめの種類

 本章第三節第一項第二項でまとめ文について述べてきた。第一項・第二項で「まとめ」とは、文章全体をまとめるための機能がきちんと働いている「まとめ」のみを取り上げず、全体の内容をまとめようとする意識が見られる文があれば、「まとめ文」として取り扱った。この定義により「まとめ文」としてみなした文を集計し、2年生で「終わり」意識が芽生え、4年生にかけて定着すると考えた。また、構成意識の発達により、高学年になると文章始や文章末で全体を意識した「まとめ文」が書かれるようになると述べた。
 しかし、この「まとめ文」はまとめとしての機能がきちんと働いているかどうかを考慮せず、ただ「まとめよう」という意思表示がされている文とした。そのため、第一項・第二項で取り上げた各学年に見られた終結意識は、まとめようとする「意識」のみであり、内容全体をまとめる「力」ではない。この第三項では、第一項や第二項とは異なる「まとめ文」について、「意識」としての「まとめ文」ではなく、「力」としての「まとめ文」について考察する。

 「文章」は、その前とはすっかり切れてそこから始まり、その後とはすっかり切れてそこで終わる。「初め」と「終わり」とは、「全一体」としての「文章」の始末をつけるところとして、「文章意識」の顕著に現れるところでもある。
 「初めの文段」には、大略次のような三種が弁別されよう。「前書き」な石「冒頭文」のあるものと、それらなしに、いきなり「事態」の叙述から始まっているものとである。(中略)「前書き」には、後行文段との間に緊密な意味的関連性がうかがい得ない。2・3年に、特に3年に多く見られるが、とにかく文章の「初め」を意識し、これから「運動会」について書く(引用者註:課題作文「運動会」)のだ、とみずからに言い聞かせる態の「ことわり書き」である。次の文段は、あらためての意識で叙述される。(中略)後行文段と緊密な関連性を持ち、両者間に時枝誠記氏の言われるような「相互制約の機能関係」が見られるようなものは、単なる「前書き」と区別して「冒頭文」と呼ぶ、とすれば、それらが4年で1割を越え、高学年では2割以上見られるところに、「文章意識」の発達程度の一面がうかがわれる。
(「文章意識の発達(第一報)」土部弘・宝示重美『大阪学芸大学紀要C.教育科学』第四号 1962年 p.95)

 土部(1962)では、「初めの文段」を「事態」「前書き」「冒頭文」の三種類に分けて分類している。本項で、まとめる「力」について児童の作文を分析するに当たり、この土部(1962)で取り上げられている「事態」「前書き」「冒頭文」で分類し、「まとめ文」の種類について考察していく。
 この「文章意識の発達(第一報)」では、「運動会」について書いた作文を分析していた。ここで分析されている「『運動会』は、多分に『叙事文』的な叙述を要請するような課題」であり、本稿で分析している「一学期の思い出」もこの「叙事文」に当たるものである。そのため、同じ「叙事文」である「一学期の思い出」の「初めの文段」を分析するにあたり、「事態」「前書き」「冒頭文」の三種で分析することができると考える。しかし、実際に「一学期の思い出」の作文について分析していく中で、「冒頭文」に分類されるものの中に「予告的冒頭文」に分類されるものが多く見られた。この「予告的冒頭文」の分類項目は「文章意識の発達(第二報)」の中で「記事文」を分析するために、使われていたものである。今回「一学期の思い出」を分析するにあたり、「予告的冒頭文」を含めた「事態」「前書き」「予告的冒頭文」「冒頭文」の四種類で分析することにする。

<表4−3−8.各学年の文章始のまとめの種類(単位:人)>
2年生合計4年生合計6年生合計
事態16(36%)6(19%)9(22%)
前書き17(39%)15(47%)17(41%)
予告的冒頭文7(16%)8(25%)7(17%)
冒頭文4(9%)3(9%)8(20%)
<グラフ4−3−12. 各学年の文章始のまとめの種類(単位:人)>
事態…遠足でキッズプラザー大さあのところにトンネルをくぐる前にビーダマをころがしてたのでおもしろかったです。(2年生構想表なし)
前書き…えんそくでキッズプラザオオサカへいきました。(2年生構想表なし)
予告的冒頭文…ぼくの一学きの思い出は、プチトマトに、水やりをすることです。(2年生構想表なし)
冒頭文…わたしが、一学きにがんばったのは、一りん車です。(2年生構想表なし) 

 「事態」「前書き」「予告的冒頭文」「冒頭文」の例をそれぞれ一つあげた。同じ2年生の文章であるため一文のみをあげていても「予告的冒頭文」と「冒頭文」の区別がつきにくい。この二文はよく似ているため「冒頭文」に分類してもよいと思われる。しかし、「予告的冒頭文」に分類した児童の文は、一文目に「ぼくの一学きの思い出は、プチトマトに、水やりをすることです。」と書いてあるものの、後の作文内容との関連を見ると「水やり」については触れず、実が赤くなってきたときの感想やプチトマトを食べたときの感想が書かれている。そのため「プチトマト」についてこれから書いていくという「予告」であると考えられ、「予告的冒頭文」に分類した。また、「冒頭文」に分類した児童の作文は「がんばった」という練習について書かれているため、一文目と後の内容に密接な関わりがあると考え、「冒頭文」とする。
 「事態」を叙述した文と「前書き」は「まとめ文」と呼ぶことのできない文であり、「事態」と「前書き」を合計した割合を見ると、本節第一項第二項で見てきたように、「まとめなし」に分類される割合は、学年が上がるごとに減少していく。しかし、まったくまとめらしきものがないという「事態」の叙述から入る割合は低く、2年生で36%を占めるものの4年生や6年生では20%程度である。2年生で「前書き」は39%と、「事態」の割合36%とそれほど差はないが、4年生や6年生では「事態」の叙述から書き始める割合が約20%と低かったため、「前書き」の割合が高く感じる。実際4年生では47%あり、ほぼ半分を占めている。6年生では半分には届かないが、41%を占める。「一学期の思い出」という課題であり、取り上げる話題が「遠足」などの行事、「町たんけん」や「川掃除」などの課外活動に集中するため、「今日、遠足で○○に行きました。」という「前書き」を始めに書く。これによって、どの学年も「前書き」の割合が高くなっている。
 「予告的冒頭文」と「冒頭文」は全体を見据えた文章始であるといえる「まとめ文」である。この二つを合計した割合を見ると、25%、34%、37%とやはり学年が上がるごとに高くなっている。

 後行文段と緊密な関連性を持ち、両者間に時枝誠記氏の言われるような「相互制約の機能関係」が見られるようなものは、単なる「前書き」と区別して「冒頭文」と呼ぶ、とすれば、それらが4年で1割を越え、高学年では2割以上見られるところに、「文章意識」の発達程度の一面がうかがわれる。
(「文章意識の発達(第一報)」土部弘・宝示重美『大阪学芸大学紀要C.教育科学』第四号 1962年 p.95)

 土部(1962)では、「冒頭文」を4年生で1割、6年生で2割以上見られると述べ、「文章意識」の発達程度の一面がうかがわれるとする。今回の考察でもこの先行研究と同様に、4年生は約1割、6年生では2割の「冒頭文」を見ることができた。しかし、今回の結果では中学年や高学年だけでなく、低学年の2年生でも約1割の「冒頭文」を見ることができた。もちろん4年生や6年生の作文と比べると文章自体短いものである。短い文章であるが、文章始に述べられた表現内容は文章全体を通して一貫しているものがあった。文章が短いがゆえに思考があちらこちらへと乱れず、統一した内容を書くことができたとも考えられるが、小学校指導要領で低学年の目標として「時間順に書く」があげられている中で、一貫した内容で文章を書くとことは低学年の児童にとって困難なことであろうと考えられる。また、2年生で「予告的冒頭文」が16%を占めるのは、2年生になると「終わり意識」が芽生え始めることから、文章始に予告的冒頭文が置かれることになるからである。
 4年生でも三段構成意識の形成期に入ることから、「予告的冒頭文」が25%を占める。これが6年生になると、2年生とほぼ同じ17%に減少するのは、「予告的冒頭文」を脱し、「冒頭文」を書くことができるようになるからである。4年生で9%であった「冒頭文」が、6年生に20%を占めるようになるのは、やはり全体を考慮して文章を作ることができるようになるからであり、全体の内容と関連させるまとめ文を作ることができるようになったからであろう。

<表4−3−9. 各学年の文章末のまとめの種類(単位:人)>
2年生合計4年生合計6年生合計
事態13(30%)9(28%)7(17%)
後書き23(52%)11(34%)21(51%)
再認的結尾文0(0%)0(0%)1(3%)
結尾文8(18%)12(38%)12(29%)
<グラフ4−3−13. 各学年の文章末のまとめの種類(単位:人)>
 「終わりの文段」においても、「初めの文段」における「前書き」に対する「後書き」、同じく「冒頭文」に対する「結尾文」を区別しよう。  低・中学年では、「後書き」さえもつけず、「事態」の叙述そのもので終えているものが、そのほとんどを占めている。ところが、高学年では、「事態」の叙述そのままで終えることに不満を感じ、1割のものが、「後書き」を、約2~3割のものが、「結尾文」を配置している。両者の差異は、「初めの文段」同様、先行文段との関連性の緊密度にある。
(「文章意識の発達(第一報)」土部弘・宝示重美『大阪学芸大学紀要C.教育科学』第四号 1962年 p.96)

 文章末についても文章始と同様、土部(1962)の分類を用いて、分析していく。ここでも、「事態」「後書き」「結尾文」の三種類で分類されていたが、「初めの文段」の四種類に対応する形で「事態」「後書き」「再認的結尾文」「結尾文」の四種類で分類することにする。

事態…さいごにみんなでしゃしんをとってかえりました。(2年生構想表あり)
後書き…またいけたらいいなーと思いました。(2年生構想表あり)
再認的結尾文…ぼくが一学期で心に残ったことは社会の授業の歴です。/このことでぼくはこのことで社会の歴史のことがすごく心に残りました。(6年生構想表あり)
結尾文…だから、これからは、何事も、あきらめないようにしたいです。(6年生構想表なし)

 「事態」は文章末でも文章始と同じように、学年が上がるごとに減少している。文章始の「予告的冒頭文」に対する「再認的結尾文」は例で挙げた6年生構想表ありの一例のみであり、他の児童の作文には見られなかった。文章始で「ぼくが一学期で心に残ったことは社会の授業の歴です。」と述べ、その歴史の授業についてどのようなことをしたのか、何がたのしかったのかを書き綴っている。そして、最後に「このことでぼくはこのことで社会の歴史のことがすごく心に残りました。」と書いて終わる。
 4年生で「結尾文」が38%と6年生の27%よりも約10%も多くなるのは、話題に大きく関係すると考える。4年生では第三章第一節の話題選択で述べたように、「クリーンセンター」「川掃除」「環境」という地球環境に関する話題を取り上げる児童が多くなる。この地球環境に関するものだけで30%を占める。自分が「したこと」として「川掃除」や「クリーンセンター」の見学内容が「なか」の展開部で書かれるとしても、まとめ部分では環境についての感想「〜しなければいけない」という締めくくり方で終わるものが多い。そのため作文の全体に関わる終結文となり、「結尾文」として分類することになる。4年生の「結尾文」の占める割合の高さは、この話題選択に大きく関わっているといえる。
 「後書き」に関しては、2年生で52%、4年生で34%、6年生で51%と2年生と6年生では半分を占める。文章始の「事態」と「前書き」を「まとめ文」として看做さなかったように、文章末でも文章始と同じように「事態」と「後書き」は「まとめ文」としての機能を果たしていないと考えられる。「後書き」は「先行文段との間に緊密な意味的関連性のうかがいえないもの」であり、「結尾文」は「先行文段と緊密な関連性を持ち、両者間に『相互制約の機能的関係』の見られるもの」とするからである。ここで本章第二節まとめの位置で見てきた各学年のまとめの位置と重ね合わせてみたいと思う。

<再掲. 各学年のまとめの位置(単位:人)>
2年生合計4年生合計6年生合計
まとめなし20(45%)9(28%)9(23%)
頭括 2(5%)5(16%)0(0%)
双括6(14%)6(19%)20(51%)
尾括16(36%)12(37%)10(26%)
<再掲. 各学年のまとめの位置(単位:人)>

 まとめの位置として各学年のまとめ方を「まとめなし」「頭括」「双括」「尾括」に分けてみてみたが、ここで「まとめ」とは、文章全体をまとめるための機能がきちんと働いている「まとめ」のみを取り上げず、全体の内容をまとめようとする意識が見られる文があれば、「まとめ文」として取り扱った。そのため、文章末で「まとめあり」として考えられる「双括」と「尾括」を合わせると、2年生では50%、4年生では56%、6年生では77%もあった。表2やグラフ2で見られた文章全体をまとめるための機能が働いている「再認的結尾文」と「結尾文」の割合と比べると大きな差がある。「再認的結尾文」と「結尾文」を合わせても、2年生18%、4年生38%、6年生29%である。4年生の「結尾文」が6年生の「結尾文」の割合よりも高くなるのは前述したように話題選択に関わるものである。
 書き手である児童がまとめとして意識したであろう文と実際にまとめとしての機能を果たしている文との差が2年生は32%、4年生18%、6年生48%と大きい。「結尾文」は「先行文段と緊密な関連性を持ち、両者間に『相互制約の機能的関係』の見られるもの」とするため、ただ「今日の遠足はとても楽しかったです。」と遠足という話題に対して全体的にまとめているように見えても「結尾文」にはならない。実際に、展開部において遠足が「たのしかった」と思わせた理由や行動の叙述が必要となる。その点「後書き」は、「先行文段との間に緊密な意味的関連性のうかがいえないもの」であるため、展開部で「たのしかった」こととは全く関係のない内容を書いていたとしても、「したこと」のみを羅列していたとしても、「今日の遠足はとても楽しかったです。」と書いていれば「後書き」に分類することができる。この「緊密な意味的関連性」の有無により、これだけの差が生じたと考えられる。

 「一つの作文」を書き上げる能力を、「一つのまとまった文章」を叙述する能力、と見る。
(「文章意識の発達(第一報)」土部弘・宝示重美『大阪学芸大学紀要C.教育科学』第四号 1962年 p.92)
 教師の手が加えられない、いわゆる「なま作文」は、ここの結びのところが上手なものが少ない。どの学年にも、荒さが目立つものである。(中略)要するに、文章には結構がある。こうした書き出しと結びは、「構想の指導」として重視されるところであるが、子どもにとってはしばらく、そうした結構の「パターン学習」を持つ機会が適宜、与えられなければならないであろう。
(『作文講座4 文章の理論』森岡健二他編 明治書院 1968年p.43)

 つまり、「まとめようとする意識」を見ることができても、それが「一つの作文」を書き上げる能力、「一つのまとまった文章」を叙述する能力と結びついているかを考慮しなければならないし、この「一つのまとまった文章」を叙述する能力を育てる指導をしていく必要がある。

<表4-3-10. 各学年の構想表有無による文章始のまとめの種類(単位:人)>
2年生構想表あり2年生構想表なし4年生構想表あり4年生構想表なし6年生構想表あり6年生構想表なし
事態8(35%)8(38%)4(27%)2(12%)5(25%)4(19%)
前書き10(43%)7(33%)8(53%)7(41%)10(45%)7(33%)
予告的冒頭文2(9%)5(24%)2(13%)6(35%)3(15%)4(19%)
冒頭文3(13%)1(5%)1(7%)2(12%)2(10%)6(29%)

 表4−3−10で網掛けしているものは、同学年で構想表ありと構想表なしとの割合を比べて、割合の高い方である。4年生と6年生では「事態」「前書き」で書き始める割合が高いものが構想表あり、「予告的冒頭文」「冒頭文」で書き始める割合の高いものが構想表なしという結果であった。「事態」や「前書き」の書き出しに比べて、「予告的冒頭文」と「冒頭文」の書き出しは、作文内容全体を見据えた書き出しであるといえた。そのため、構想表を活用すると「まとめなし」の形で、構想表を活用しなければ「まとめあり」の形で書き出す割合が高いといえる。中学年以上になると、決まった枠を使用する構想表を活用することによって、形成されつつある構成意識を使えなくなってしまう。しかし、表4−3−3の2年生で見られるように、「前書き」は構想表ありの方が割合が高く、「予告的冒頭文」は構想表なしの方が高い。また、「冒頭文」では構想表ありの方が高く、まだ構成意識が形成されていないと考えられる低学年では、表の使い方・表の捉え方によってどちらにでも左右される。

<グラフ4−3−14.各学年の構想表有無による文章始のまとめの種類(単位:人)>

 表4−3−8やグラフ4−3−12では「冒頭文」の割合が2年生9%、4年生9%、6年生20%と、2年生と4年生の差があまりなかった。これは各学年を合計したものであったためである。表4−3−10、グラフ4−3−14を見れば、構想表なしの各学年の「冒頭文」の割合が順調に伸びていることがわかる。2年生から5%、12%、29%と学年が上がるにつれて、文章の始めには全体をまとめる文を書く割合が高くなる傾向が見られる。また、「予告的冒頭文」が2年生から4年生に大きく伸びるのに対して、4年生から6年生には減少している。2年生で「前書き」を書いていた児童が「前書き」段階を脱し、「予告的冒頭文」へと移行、4年生で「予告的冒頭文」を書いていた児童が「冒頭文」を書けるようになっていったと考えることができる。
 「事態」を叙述する割合が低学年で高く、中学年で一度低くなったものの、高学年で再び高い割合を示すのは、「対象把握」と関連していると考えられる。「したこと」「思ったこと」を自分中心に考えていた低学年では、「したこと」「思ったこと」から書き始めるため、「事態」の割合が高くなる。これに対して、中学年になると「客観的把握」で物事を捉えることができるようになるため、「事態」の割合が低くなり、「前書き」や「予告的冒頭文」が増加する。しかし、この「客観的把握」をしながらも「主体的把握」段階へと移る高学年になると、「事態」で書き始める割合が中学年よりも高くなる。しかし、同時に構成意識が発達していくため、「事態」に近い文であっても、「冒頭文」としての役割をする文で始まるものが多くなっていくという傾向が見られる。このように、「事態」の叙述から「前書き」へと移り、「前書き」から「予告的冒頭文」「冒頭文」へと全体内容を統合した形で文章を始めることができるようになる。
 グラフ4−3−14を見ると、構想表ありの棒グラフがどの学年のものもよく似た配分になっている。とくに4年生と6年生のものは、2〜3%の違いがあるもののほぼ同じ割合であるといえる。4年生に構想表を活用させることによって、6年生と同様の「一つのまとまった文章を叙述する能力」を補助する力が働くのか、それとも6年生が構想表を活用することによって、本来形成されているはずの「一つにまとまった文章を叙述する能力」を抑制する力が働くのか。これについては、2年生の構想表ありのグラフと比較、またはそれぞれの同学年の構想表なしのグラフを見れば、後者の方であることがわかる。これは「初め意識」においてのみであるが、構想表を使って作文を書いた4年生の児童の「初め意識」と同じく構想表を使って作文を書いた6年生の「初め意識」とは同じであると考えられ、発達が見られないということである。2年生構想表ありの「冒頭文」と4年生・6年生の構想表ありの「冒頭文」の割合は大差なく、むしろ2年生の割合の方が高いものとなっていることから、構想表を活用することによって4年生も6年生も「初め意識」が2年生と同様の意識になってしまっているといえる。
 しかし、構想表なしのグラフを学年で比較すると、大きく異なる。構想表を活用しなければこれだけの変化があるものを、低学年から高学年までをある一定の形に押さえ込んでしまう構想表は、別の視点から見ると、適切な指導の下で活用すれば児童の構想力を伸ばすことができるのではないかと考えられる。つまり、これを今回調査で使用した構想表「はじめ・なか・おわり」の書き込んだ表ではなく、目的に沿った構想表を作り、これを「書く前のじゅんび」の中に取り入れて、原稿用紙に書く前に書かせることによって、どの児童にも一定の力を意識させた作文を指導することが可能になるのではないかということである。

<表4−3−11.  各学年の構想表有無による文章末のまとめの種類(単位:人)>
2年生構想表あり2年生構想表なし4年生構想表あり4年生構想表なし6年生構想表あり6年生構想表なし
事態5(22%)8(38%)3(20%)6(36%)3(15%)4(19%)
後書き13(56%)10(48%)6(40%)5(30%)11(60%)10(48%)
再認的結尾文0(0%)0(0%)0(0%)0(0%)1(5%)0(0%)
結尾文5(22%)3(14%)6(40%)6(35%)5(20%)7(33%)

 文章始と同様に構想表ありと構想表なしのものを比較して割合の高い方に網掛けをした。これを見ると「事態」の叙述で終わるのは、構想表を活用しないものに多かった。「結尾文」の割合もまた、2年生と4年生では構想表を活用したものの方が高い。これは構想表の「おわり」の欄が「まとめ文」をいれなければいけないという意識にさせたと考えられる。しかし、6年生の「結尾文」の割合を見ると、構想表を活用したものは20%、構想表を活用しなかったものは33%と、構想表を活用しない方が高い割合を示している。2年生・4年生で「事態」の叙述で終わる割合が減り、「結尾文」で終わる割合が増えることから、構想表が「終わり意識」を刺激していることがわかる。逆に6年生では、「事態」は構想表ありの方が4%低くなっているが大差なく、「結尾文」に関しては構想表なしの方が高い割合を示している。これらのことを考えると、2年生・4年生で構想表を活用すると「終わりの意識」に効果を発揮するが、6年生で構想表を活用しても「終わり意識」をそれほど刺激しないことがわかった。

<グラフ4−3−15.各学年の構想表有無による文章末のまとめの種類(単位:人)>

 各学年の構想表有無による文章始と文章末についてまとめ文の種類を考察してきた。文章始では、どの学年にも構想表を活用することによって、「冒頭文」を意識して書くことができたというような効果は見られなかった。むしろ構想表を活用しない方が、構想意識の形成を邪魔することなく文章に表現することができていた。文章末では、2年生と4年生で「事態」の叙述が減り、「結尾文」の割合が増えていたことから、この2学年においては構想表を活用することによって、「終わり意識」を芽生えさせ、発達する過程を促進させる影響を与える可能性を見出すことができた。
 これらを総合して考えると、2年生や4年生というこれらの「文章意識」が芽生え、形成される途中の段階では、構想表を活用することは効果をもたらす可能性があるといえ、6年生など「文章意識」がすでに芽生え形成されている段階であり、それを発達させようとする段階においては、抑制する方向に働き、効果を見ることができなかった。また、2年生や4年生で構想表は効果があると考えられたが、これはどのような形式でもよいわけではない。今回使用した「はじめ・なか・おわり」の枠を決めた表では、文章始に効果がないことから、文章始を意識させたいと考える場合には活用できない。どの能力も伸ばすことのできる形式を考案することが一番の目標ではあるが、どの能力を伸ばしたいのかという目的の焦点を絞った指導で、その目的に沿った形式を与える必要があると考える。

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第五章 結論と課題

結論

 ここまで、「構想メモ」についてその働きを考察してきた。本稿で考察した「構想メモ」の働きは以下の通りである。
・話題選択
 低学年は「主体の感情に即した把握」から自分中心に「したこと」「思ったこと」を捉え、中学年では「事態に即した把握段階」に入ることから、対象を客観的に捉えた。「主体の理知に即した把握」へと及ぶ高学年では、「したこと」「思ったこと」で「個人の立場から見た観点」でまとめられたものとなっていた。しかしこれは発達段階が異なるからであり、「構想メモ」を活用したことによる変化はなかった。
・話題表現期間
 構想メモを活用することにより、選択した話題を「長期間」で表現することが難しくなる。そのため、自然と「長期間」の出来事を書かず「一日(一時間)」の出来事を話題として選択していた。これは構想メモの中にある「構想表」の形式(「はじめ・なか・おわり」の表)が大きく関わる。 「一日(一時間)」や「数日間」について書く場合は、高学年は羅列型にならないように注意すれば焦点をしぼった文章を書くのに役立ち、低学年では時間順にまとまった文章を書くのに役立つ。
・構想表の文体
 構想表に「文章体」、「箇条書き」、この二つが混ざった「箇条・文章体」、どの文体で構想表を書いていても、原稿用紙に書いたときの内容との構想表内のメモ書きとの関連はない。
・段落意識
 形式段落を意識させるためには、中学年と高学年においては構想表は補助的役割を果たすが、低学年では構想表を使っていても、段落を作ろうとする意識は働かない。
 意味段落では、低学年で構想メモを活用することによって、「羅列型」ではなく、「網羅型」や「細叙型」の様式で書くことができる。構想表を使うことによって、出来事を詳しく思い出すことができるからである。しかし、高学年で使用することによって、これもまた「網羅型」になってしまう。
・まとめ意識
文章始…「冒頭文」は、中学年・高学年では構想メモを活用しない方が高い割合を示す。
文章末…それほど大きな差はなかったが、高学年では構想メモのない方、低学年では構想メモを活用した方が「結尾文」となる割合が高い。

 以上のように低学年から高学年の児童の作文を比較分析していく中で、構想メモがどの学年にも有効であろうと考えられるのは、詳しく思い出すという作業においてである。作文を書く力には、「思い出す力」が重要であるといわれる。作文を書く前に構想メモを書くことは、思い出す作業を二度することであり、時間の経過した思い出しにくい出来事を思い出す助けになる。出来事を詳しく思い出させることを目的として活用する場合、低学年から有効に利用することが可能であると考えられる。
 一方、「はじめ・なか・おわり」の既に決められた枠組みを与えることには問題がある。構想メモを活用することは、出来事を詳しく思い出す助けとなる。「経験した事や想像した事などについて、順序がわかるように」書くことを目標にしている低学年では、出来事を順序よく書くことに繋がり、有効な手段である。だが、中学年・高学年など文章構成意識が芽生え、形成されていく段階の児童には、逆にこれらの意識を押さえつけることになってしまうという結果を得た。「はじめ・なか・おわり」の表を与えることによって、出来事をただ時間順に羅列してしまうことになり、構成意識を充分に働かすことができなくなるのである。
 構想メモは、どの学年にも「思い出す」という作業において有効に活用することができた。しかし、発達段階が異なる低学年から高学年すべてに効果的な構想メモの形式はなく、それぞれの発達段階にあった形式で、どの能力を伸ばすための指導として活用するのかということを明確にし、構想表を工夫しなければならない。低学年において「はじめ・なか・おわり」形式の構想表は有効であると述べたが、これもまた表の使い方、表の捉え方によって活用できるかできないかが左右されるものである。
 このように、構想メモの形式は課題が多く、「どの能力を伸ばすための指導なのか」という焦点を絞った、目的に沿った形式を作らなければならない。そして、実際にそれが有効に働くかどうかを確かめ、その結果によりさらに工夫を重ねる必要があると考える。

課題

 今回の調査では、低学年・中学年・高学年で同じ「構想メモ」を使った。しかし、考察の結果、どの項目も3学年共通して効果が見られるものはなかった。それぞれの発達段階に合わせた「構想メモ」の作成が必要となる。しかし、それぞれの発達段階に合わせたものを作成するためには、各学年の発達段階を的確に把握することからはじめる必要があるだろう。
 また、今回の研究は形式段落や文章始め文章末など、形のみにとらわれて分析していたように思う。ひとつひとつの作文の内容に踏み込み、一文一文の文同士のつながりなどを考察することできなかった。これらは今後の課題とする。

おわりに

 この修士論文の完成には、多くの人にご指導いただきました。指導教員である野浪正隆先生、直接指導してくださった早川勝廣先生をはじめ、国語教育講座の先生方、誠にありがとうございました。この2年間で先生方から多くのことを学ぶことができました。
 そして、作文資料の調査にご協力いただきました葛城市立忍海小学校の校長先生はじめ、諸先生方、児童の皆さんには大変感謝しております。貴重な資料をありがとうございました。とくに校長先生には、お忙しい中、お時間をいただき、何度も打ち合わせをしていただきました。本当に感謝しております。

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参考文献

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