小学校物語教材における役割語の特徴

大阪教育大学 教育学部
小学校教員養成課程 人文・社会系
062428  坂 知樹

目次

 

序章    役割語とは                         ・・・1

 第一節   金水敏氏の定義する役割語                 ・・・1

 第二節   役割語とステレオタイプ                  ・・・2

 

 

第一章   研究概要                          ・・・3

 第一節   研究動機                         ・・・3

 第二節   研究目的                         ・・・3

 第三節   課題解明の方法                      ・・・4

  第一項   分析対象

  第二項   分析の例

 

 

第二章   小学校教科書の中の物語教材での役割語            ・・・6

 第一節   低学年(一年生・二年生)                  ・・・6

  第一項   一年生

  第二項   二年生

 第二節   中学年(三年生・四年生)                  ・・・11

  第一項   三年生

  第二項   四年生

 第三節   高学年(五年生・六年生)                  ・・・17

  第一項   五年生

  第二項   六年生

 第四節   学年ごとの役割語の使用率とその推移            ・・・22

 第五節   使われている人物像について                ・・・28

 

 

終章    まとめと今後の課題                     ・・・29

 第一節   まとめと考察                       ・・・29

 第二節   今後の課題                        ・・・29

 第三節   終わりに                         ・・・30

 第四節   参考・参照文献                      ・・・30

 

 

 

 

 

序章   役割語とは

 

 

 第一節  金水敏氏の定義する役割語

 

 

 金水敏氏は役割語について次のように定義している。

 

ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。 

 (金水敏著「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」二〇〇三年 二〇五頁)

 

また、金水敏氏はこのように続けている。

 

ここでは、「言葉づかい」という用語を用いたが、専門的には話体(スピーチ・スタイル)といった方がいいだおる。書きことばにおける「文体」(ライティング・スタイル)に対して、話しことばのスタイルだから話体、すなわちスピーチ・スタイルである。

 (金水敏著「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」二〇〇三年 二〇五頁)

 

 これらの例として、次のようなものが挙げられる。「よろしくてよ」という言葉からは「高貴の生まれ、女性、お嬢様」という人物像を思い浮かべることができる。また、「弁髪・細目・なまずひげ」という人物像からは「〜あるよ」といったエセ中国人の言葉づかいを、「博士」という人物像からは「わし、〜じゃ」という言葉づかいを思い浮かべる。物語の中で登場人物が持つ役割を、その人物の話し方でそう取れるように期待するものが役割語であるといえる。

 また、金水敏氏は他にも役割語にとって重要な指標・要素として「人称代名詞・一人称代名詞・固有名詞・文末表現・活用・助動詞・終助詞・丁寧表現・なまり・感動詞・笑い声・アクセント・イントネーション・速度・なめらかさ」を挙げている。

 

第二節  役割語とステレオタイプ

 

 

  著書の中で金水敏氏は「役割語とは、言語上のステレオタイプに他ならないことがわかる。」(金水敏著「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」二〇〇三年 三五頁)と述べている。このステレオタイプは元々社会学の用語である。社会学事典には次のようにある。

 

リップマンの用語。特定の対象に関し、当該社会集団の中で広く受容されている単純化・固定化された観念・イメージ。好悪・善悪などの感情的評価を伴っている。しばしば社会統制の一手段として使用される。ナチのユダヤ人宣伝など。

(見田宗介・栗原彬・田中義久「社会学事典」一九八八年 五一〇頁)

 

 それはたとえば、「日本人はひかえめである」「イギリスの飯は不味い」などである。

 

現実に「わしは博士じゃ」という博士や「ごめんあそばせ」というお嬢様を見たことがなくても、彼らのそのような特定の言葉づかいを思い浮かべるのはそれがそれぞれ持つステレオタイプに当てはまっているからであろう。

後に述べるが、教科書の中で役割語が使われている一つの理由にはこれが関係しているのではないかと私は考えている。


第一章  研究概要

 

 

 第一節  研究動機

 

 

 就職活動を終え卒業論文を書き始めようとした私は、まず何をテーマにするかというところから開始した。どのようにするか決めかねていたところ、野浪教授から「役割語はどうか」という言葉をいただいた。役割語という言葉を私はそのとき初めて聞いた。そして、それがどのようなものであるかを聞き役割語を提唱された大阪大学大学院文学研究科の金水敏氏の著書を読んだところ単純におもしろいと感じた。特に役割語がおもしろいと感じた点は、私自身がしばしば目にするものであったが意識することのないものだったことである。私自身の頭にすぐに思い浮かんだものはマンガや児童作品の登場人物であった。私自身マンガをよく読むため、役割語の例はたくさん思い浮かべることができた。また、たとえばテレビ番組で海外の人間が英語を喋ったとき、もし男女の人間が同じ文章を読んだとしても喋る対象によって言葉遣いは違っている。これも一つの役割語としての機能である。

 役割語自体は東海道中膝栗毛や好色一代男など昔の作品ですでに使われていたそうであるから驚きだった。さらに、役割語自体が提唱されてからまだ新しいものであり比喩などと比べるとあまり研究がなされていないものであるため、研究の題材としても適しているのではないかと考え、この役割語を研究題目として設定したのである。

 

 

 

 第二節  研究目的

 

 

私はこの役割語が教科書の物語教材でも使われていることに気が付いた。たとえば、「かさこじぞう」はその登場人物の発言の多くが「いかにも老人」といった風な言葉づかいである。一つ例を挙げると「ばあさま、今ごろだれじゃろ。長者どんのわかいしゅうが、正月買いもんをしのこして、今ごろひいてきたんじゃろうか。」がある。

 このようにそれぞれの物語教材で使われている役割語は決して無意味に使われているわけではないと思う。また、教科書の中での役割語についての研究は耳にしたことがないのではないだろうか。本研究では、小学校教科書の物語教材を対象として、物語教材の中での役割語の使われ方、物語教材における役割語の効果など、役割語の持つ要素を色々な観点から解明していきたいと思う。


 第三節  課題解明の方法

 

 

 第一項  分析対象

 

  今回の研究では、小学校国語教科書会社六社(学校図書・教育出版・光村図書・大阪書籍・東京書籍・日本書籍)の2001年版検定版の教科書から全学年の物語教材を分析の対象とした。おおきなかぶごんぎつねなど、他社と重複している教材は一つとした。

  以上から会話文を抜き出し、その役割語の使用について分析する。

  

 

第二項  分析の例

 

  うしろのまきちゃんの分析例

 


教育出版の小学校二年生の教材であるうしろのまきちゃんを例にして説明する。

 まず、うしろのまきちゃんを通読した上で、『「」』で括られた部分を抜き出す。それには、野浪正隆研究室にある「文章から会話文を抜き出す」(http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/java/kaiwanuki.html)というツールを用いる。

 『No.』は本文の中の会話文の数である。うしろのまきちゃんの場合、十二個の会話文があることになる。次に、『会話文』はその抜き出した会話文そのものである。そして、『分析結果』はこの会話文を見た上で、役割に則った言葉遣いをしているかどうかを分析した結果、役割に合致していればその役割をここでは便宜上『タイプ』としている。

まず、No.1から見ていくと、この一文は「まきちゃんのおばさん」の発言であり、それを知った上でも年齢はわからないが、女性であることと目上からの発言であることはわかるためにタイプ『女性目上』とした。次に、No.2を見てみると、これは「おかあさん」の発言である。年齢は低くないということが伺えるが断定はどこだと決められないのでタイプ『女性』とした。さて、No.3を見てみるとこれは「たけしくん」の発言であるが、物語の中で「たけしくん」が持ついかなる役割も読み取れない。そのため、ここは空白としている。No.4は、「はな子先生」の発言である。この発言からは性別は読み取れないが、目上からの発言だということがわかるため、タイプ『目上』とした。同じようにしてタイプを考えていくと、上のようになる。No.10は発言主とタイプが一致していないが、これは「たけしくん」が「はな子先生の手紙」の役割をしていることから、「たけしくん」ではなく「はな子先生」の言葉であると考えたためである。

このようにして、一つの作品の分析を完了する。この過程を、先に述べた六社の全六学年で行う。


第二章  小学校教科書の中の物語教材での役割語

 

 ここではそれぞれの学年での役割語の使われ方を述べていく。低学年、中学年、高学年と分けそれぞれ出版社ごとに見ていく。

 

 第一節  低学年(一年生・二年生)

 

 

  第一項  一年生

 

 一年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると二十五個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは十七個である。また、重複している教材はおおきなかぶであり、すべての出版社で使われていた。

 

@ 学校図書(二個)

ここで役割語が使われていたものはいいものみつけた” “ふしぎな竹の子である。

いいものみつけたは登場人物の発言三個全てに役割語が使われていた。女性タイプと取ることができるものが二つと男性タイプととることができるものが一つであった。男性タイプは「ぼく」という一人称を判断の手立てとした。

ふしぎな竹の子は登場人物の発言数三十五個のうち十一個が役割語の使われている文だと考えられた。十個は方言のみ使われているものであり、一個は目上からの方言が交じった文であった。

 

A 教育出版(四個)

ここで役割語が使われていたのはうみへのながいたび”“お手がみ”“はなび”“雨つぶであった。

うみへのながいたびは登場人物の発言八個のうち四個に役割語が含まれている文であると考えた。かあさんぐま、という設定だったが目上タイプと女性タイプの両方を満たす言葉はなかった。また、「()」を使い心の中でしゃべる部分があったので、こちらも役割語に含めた。

お手がみは登場人物の発言三十六個のうち十一個が役割語の含まれている文だと考えられた。全て男性タイプだとわかる発言と同時に、「〜だぜ」と少し年齢が上がったように考えられたものは青年男性タイプと考えた。これは二つであった。また、十一個のうち九個は「ぼく」を判断基準として男性タイプとして考えたものである。

はなびは登場人物の発言九個のうち三個に役割語が使われていると考えられた。かあさんぐまの発言が、女性タイプで目上タイプからの言葉であるものと女性タイプであるとしか考えられないものの二通りあった。

雨つぶは登場人物の発言九個のうち八個が役割語の含まれている文だと考えられた。にいちゃんとかばの子が同じかばであるが、完全に別の話し方で区別されていた。

 

B 光村図書(三個)

ここで役割語が使われていたのはくじらぐも”“ずうっとずっと大好きだよ”“たぬきの糸車であった。

くじらぐもは登場人物の発言十八個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。子供が雲を呼ぶときの発言がそれであった。

ずうっとずっと大好きだよは登場人物の発言四個全てが役割語であると考えられた。「〜だよ」という言葉を大人が子供に諭すときに使うような感じではなく、子供が説明するときのそれと考えた。

たぬきの糸車登場人物の発言三個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。二つとも関西弁のような言葉であった。発言者は老婆であった。

 

C 大阪書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのははんぶんずつ すこしずつ”“ぴかぴかのウーフ”“天にのぼったおけやであった。

はんぶんずつ すこしずつは登場人物の発言十五個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。ここでは老人タイプの役割語として「〜じゃ」が出てきた。

ぴかぴかのウーフは登場人物の発言四十二個のうち三十七個が役割語を含む文であると考えられた。ウーフの発言が初めは子供タイプであるが、後半になると青年タイプのようになる。ウーフの成長が話し方に現れていた。

天にのぼったおけやは登場人物の発言八個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。関西弁のような方言であった。別人が「わし」「〜じゃ」を使っているが、絵やキャラクターから方言だと考えた。

 

D 東京書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはサラダで元気”“てがみ”“ゆきの日のゆうびんやさんであった。

サラダで元気は登場人物の発言二十二個のうち十個が役割語を含む文であると考えられた。主人公の女の子りっちゃんのところに動物がやってくる話であるため、主人公の発言である女性タイプの役割語が多くみられた。また、男性タイプ二つの判断基準は「ぼく」であった。

てがみは登場人物の発言四個のうち一個が役割語を含む文であると考えられた。一人称の「ぼく」が出てきたことできつねの子の性別が男性であると判断した。

ゆきの日のゆうびんやさんは登場人物の発言十五個のうち四個が役割語を含む文であると考えられた。感嘆の「まあ」がしばしば出てきた。これが出てくると女性タイプであるように感じられる。また、男性タイプの判断は「ぼく」というものであった。

 

E 日本書籍(二個)

ここで役割語が使われていたのはねずみのおきょう”“ピーターのいすであった。

ねずみのおきょうは登場人物の発言十七個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。おしょうから小ぞうに話しかけるときの言葉とおばあさんから小ぞうに話しかけるときの言葉に差があった。そこを目上タイプとした。また、「おれ」を判断基準として男性タイプとした。

ピーターのいすは登場人物の発言十四個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。おとうさんの発言がそれを知ることで壮年タイプだと感じられたため、壮年とした。

 

一年生は以上である。男性タイプを決められる言葉が一人称だけなのに対して、女性タイプは「〜だわ」や「〜よ」、「まあ(感嘆)」など多くの見分け方が存在している。男性と女性の性差はこの時点ですでに意識されていることなのではないだろうか。

 

 

 第二項  二年生

 

二年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると二十個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは十七個である。また、重複している教材はかさこじぞうと、教育出版の一年生で使われたお手がみであり、前者は五社で、後者は二年生では四社で使われていた。

 

@ 学校図書(四個)

ここで役割語が使われていたのはかさこじぞう”“くま一ぴき分はねずみ百ぴき分か”“ひつじ雲のむこうに”“ぼくのだ!わたしのよ!であった。

かさこじぞうは登場人物の発言二十一個のうち十八個が役割語を含む文であると考えられた。全体を通して老人であることがわかるものであった。ただし、老人でなく方言であると取れるものもあった。

くま一ぴき分はねずみ百ぴき分かは登場人物の発言四十八個のうち十五個が役割語を含む文であると考えられた。主人公のウーフとそれに近いツネタは明らかに差を持って描かれている。ウーフは子供っぽく描かれている。男性タイプのみと判断した九個は、全て「ぼく」という一人称だけであっ

ひつじ雲のむこうには登場人物の発言十八個のうち八個が役割語を含む文であると考えられた。「〜なの」とあると非常に子供っぽいと感じる。やはり男性タイプは一人称のみである。

ぼくのだ!わたしのよ!は登場人物の発言十五個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。「ぼく」「わたし」「わし」と三種類の一人称を出し、それぞれの差を作り出している。また、老人の一個以外は全て一人称でタイプを判断した。

 

A 教育出版(四個)

ここで役割語が使われていたのはアレクサンダとぜんまいねずみ”“うしろのまきちゃん”“きつねのおきゃくさま”“ちょうちょだけに、なぜなくのであった。

アレクサンダとぜんまいねずみは登場人物の発言三十一個のうち十二個が役割語を含む文であると考えられた。そのうち十一個が男性タイプであるが、全て「ぼく」という一人称から判断したものである。

うしろのまきちゃんは登場人物の発言一二個のうち九個が役割語を含む文であると考えられた。主人公の男の子が女の先生の手紙となるため、男性だが女言葉を使う場面がある。発言自体は男の子のものだが、先生の手紙であることからそれは先生の言葉であると考えた「ぼく」のみで男性タイプだと判断したものが二個ある。

きつねのおきゃくさまは登場人物の発言二十三個のうち十五個が役割語を含む文であると考えられた。「〜だぜ」は少し成長した登場人物が使うことから、少年から青年タイプくらいだと考えられる。その他の登場人物との年齢関係から具体的に決めることができる。

ちょうちょだけに、なぜなくのは登場人物の発言二十九個のうち二十一個が役割語を含む文であると考えられた。この作品では子供タイプと少年タイプの違いがよく出ていた。男性とつくものの判断は、全て一人称からであった。

 

B 光村出版(二個)

ここで役割語が使われていたのはスイミー”“スーホの白い馬の二つであった。

スイミーは登場人物の発言七個のうち三個が役割語を含む文であると考えられた。「出てこいよ」と相手に対して提案しており、少年タイプと判断する一つの手とした。男性タイプだと考えた文は短かったが、「ぼく」とあったので男性タイプとした。

スーホの白い馬は登場人物の発言一二個のうち九個が役割語を含む文であると考えられた。権力者に対して「わたし」という一人称を男性タイプの人物が使っていると年齢が高いと判断できた。また、権力者タイプは命令系を多用している。

 

C 大阪書籍(二個)

ここで役割語が使われていたのはいいものもらった”“コスモスさんからのお電話ですの二つであった。

いいものもらったは登場人物の発言四十二個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。「〜ねえ」は老人タイプか子供タイプで判断できる。「〜だねえ」「〜かねえ」となると老人タイプになる。男性タイプと判断した三個は全て一人称によるものである。

コスモスさんからのお電話ですは登場人物の発言二十四個のうち十個が役割語を含む文であると考えられた。前にゆきの日のゆうびんやさんで「まあ」という感嘆があると女性タイプと判断できると述べたが、「わぁ」という感嘆だと子供〜少年タイプであると判断できる。

 

D 東京書籍(四個)

ここで役割語が使われていたのはニャーゴ”“まど”“手紙をください”“名前を見てちょうだいであった。

ニャーゴは登場人物の発言三十個のうち二十一個が役割語を含む文であると考えられた。名探偵コナンでもしばしば登場する「あれれ」は子供語であると判断できる材料となる。また、「だあれ」など「誰」の間を伸ばしているものも子供語であると考えられた。また、七個の男性タイプは全て「ぼく」という一人称から判断した。

まどは登場人物の発言十個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。女性の登場人物が二人おりどちらも目上の人物であるが、会話文から判断できたものは女性タイプだけであった。また、男性タイプ一個の判断は「ぼく」である。

手紙をくださいは登場人物の発言十四個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。「ぼく」という一人称が二個あるのみであった。

名前を見てちょうだいは登場人物の発言二十九個のうち二十四個が役割語を含む文であると考えられた。ほとんどは一人称から判断したものである。「待て」の語尾を伸ばした「まてえ」は子供言葉であると考えた。一人称のみで判断した数は、男性タイプが四個で女性タイプが三個である。

 

E 日本書籍(一個)

ここで役割語が使われていたのはクロはぼくの犬であった。

クロはぼくの犬は登場人物の発言十五個のうち四個が役割語を含む文であると考えられた。「だってさ、ぼくはさ・・・。」のみ子供男性タイプとした。これは子供が泣いているときの様子を想起させるものであったためである。

 

二年生は以上である。男性タイプの判断はやはりほとんど一人称である。「〜だぜ」という語尾でも判断できるがほとんど出てこない。それに対して、女性タイプの方は語尾、一人称ともに頻出するため男性タイプよりも多く出てくる。

また、同じくらいの年の登場人物でも話し方に差がつけられていた。それによって子供タイプと少年・青年タイプと三つにわけた。一つの物語の中で上記のタイプが全員いた場合、子供タイプは主人公に多く、少年・青年タイプが脇役になることが多かった。

 

低学年は以上である。男女の性差、子供っぽい話し方、言い聞かせるような目上からの発言が特に多く見られた。また、主人公が持つタイプとして多かったものは上でも述べたように子供タイプであった。作品によっては、前半は子供タイプで後半が少年タイプになっているものもあり、主人公の心の成長を話し方で理解することができた。

 第二節  中学年(三年生・四年生)

 

 

  第一項  三年生

 

三年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると二十五個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは二十三個である。また、重複している教材はつり橋わたれモチモチの木であり、両方とも二社で使われていた。

 

@ 学校図書(四個)

ここで役割語が使われていたのはつり橋わたれ”“海の光”“大きな山のトロル”“大砲の中のアヒルであった。

つり橋わたれは登場人物の発言二十九個のうち二十一個が役割語を含む文であると考えられた。主人公は転校してきたという設定で標準語の女言葉を使用しており、同級生は方言を使用している。話し方で主人公がそれ以外との違いがはっきりわかる。

海の光は登場人物の発言二十九個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。この作品には目上タイプの発言が多く見られた。それは全て相手に言い聞かせる形である。たとえば、「見てみろ」や「いい子にしてろよ」がそうである。「見ろ」「いい子にしろ」が変化した形であり、目上言葉といえる。一人称のみでタイプを決めたものは一個であった。

大きな山のトロルは登場人物の発言三十六個のうち十一個が役割語を含む文であると考えられた。トロルの発言が変化している。初めは子供言葉のような話し方で、次は威圧的な話し方になり、最後は相手に言い聞かせる目上タイプの話し方となる。物語の中のトロルの心境の変化が、特に最後の目上言葉で見ることができる。

大砲の中のアヒルは登場人物の発言六十七個のうち十一個が役割語を含む文であると考えられた。さらにその中の十個は権力者タイプの発言である。全て命令系であり、いわゆる偉そうという風に感じられる。また、市長も王様もお互いに話すときは丁寧語である。

 

A 教育出版(五個)

ここで役割語が使われていたのはおにたのぼうし”“のらねこ”“わすれられないおくりもの”“屋根のうかれねずみたち”“消しゴムころりんであった。

おにたのぼうしは登場人物の発言二十八個のうち十二個が役割語を含む文であると考えられた。全て女性タイプであり、主人公のおにたは標準語のみである。一人称のみで女性タイプだと判断したものは、十二個のうち一個である。

のらねこは登場人物の発言五十七個のうち十三個が役割語を含む文であると考えられた。登場人物ののらねこは命令形を多用しており、主人公のリョウに対して権力関係を持っていると判断した。男性タイプのみだと判断したものは三個とも全て一人称である。

わすれられないおくりものは登場人物の発言二個のうち一個が役割語を含む文であると考えられた。「首にかけてごらん」「しめるんだ」など、相手にものを教える言葉を取ることができたため、目上タイプだと判断した。

屋根のうかれねずみたちは登場人物の発言四十九個のうち二十一個が役割語を含む文であると考えられた。この作品では、ねこが権力を持っている動物として登場しており、「〜してやろう」や「持ってこさせよう」など相手を下に見る言動が見られる。また、老人言葉を併用している。また、一人称のみで判断したものは、男性タイプが二個と老人タイプが一個である。

消しゴムころりんは登場人物の発言十三個のうち三個が役割語を含む文であると考えられた。三つとも「ね」で終わる発言である。

 

B 光村出版(四個)

ここで役割語が使われていたのはきつつきの商売”“ちいちゃんのかげおくり”“モチモチの木”“三年とうげであった。

きつつきの商売は登場人物の発言三十七個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。主人公のきつつきの発言は全部で十一個あるが、全て標準語であり丁寧語である。現代で商売をしている人の言葉づかいと変わらない話し方である。

ちいちゃんのかげおくりは登場人物の発言四十七個のうち十六個が役割語を含む文であると考えられた。「なあに」と「すごうい」と「なあんだ」の三つが単語間の音を伸ばす子供言葉として登場した。

モチモチの木は登場人物の発言十九個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。「おら」に関しては男女ともに使うので分けずに方言であるだけとした。また、「〜(だ)べ」を方言として考えた。

三年とうげは登場人物の発言十三個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。主人公であるおじいさんが「わし」「〜じゃ」など老人言葉を使用していた。男性タイプと判断した一個はやはり一人称であった。

 

C 大阪書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはがんばれわたしのアリエル”“マーリャンとまほうの筆”“やまんばのにしきであった。

がんばれわたしのアリエルは登場人物の発言二十七個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。友達が子供言葉を使用しているのに対して、主人公は子供言葉を使っていない。他よりも高い年齢の話し方をすることで、甘えない様子が見える。

マーリャンとまほうの筆は登場人物の発言十八個のうち十三個が役割語を含む文であると考えられた。この作品の王様も権力者という設定であり、ほとんどが命令形の発言である。「ぼく」が一個あり、やはり男性タイプだとした。

やまんばのにしきは登場人物の発言三十二個の全てが役割語を含む文であると考えられた。先にも述べたように、「おら」は男女共に使える一人称であった。また、この物語は男女ともに出るが、方言だとその男女の差が言葉遣いに表れていなかった。

 

D 東京書籍(四個)

ここで役割語が使われていたのはサーカスのライオン”“すいせんラッパ”“テウギのとんち話”“ぼくはねこのバーニーが大好きだったであった。

サーカスのライオンは登場人物の発言二十八個のうち十四個が役割語を含む文であると考えられた。自ら「おいぼれた」と言うライオンは老人言葉を使用しているが、動物であるため絵は判断の手とならない。男性タイプを含んでいるものはやはり全て一人称によるものである。

すいせんラッパは登場人物の発言二十二個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。二つとも「ぼく」から判断したものである。

テウギのとんち話は登場人物の発言十四個のうち四個が役割語を含む文であると考えられた。主人公は標準語の丁寧語であり、先生は老人と目上を併用した言葉遣いをしていた。また、先生と生徒という関係から権力関係の言葉遣いも見て取れた。

ぼくはねこのバーニーが大好きだったは登場人物の発言四十個のうち二十一個が役割語を含む文であると考えられた。話す対象によって主人公のぼくの話し方も変わっていた。母さんに話すときは子供言葉を使い、となりの女の子が出てきたときは少し年齢の上がった話し方をしていた。男性タイプがかかっているものは全て「ぼく」がある文である。

 

E 日本書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはアナグマの持ちよりパーティ”“ガラスの花よめさん”“白いぼうしであった。

アナグマの持ちよりパーティは登場人物の発言六十個のうち二十四個が役割語を含む文であると考えられた。主人公のモグラに対して、パーティを開いた主人公の助言役的存在のアナグマは年齢の高い話し方をしていた。男性タイプのみの十個も青年男性タイプの一個も「ぼく」があったためそのように判断した。

ガラスの花よめさんは登場人物の発言二十四個のうち十二個が役割語を含む文であると考えられた。主人公のアキラは空襲から子供言葉を使い出す。退行の様子を見て取ることができる。

白いぼうしは登場人物の発言二十八個のうち四個が役割語を含む文であると考えられた。タクシーの運転手は客に対しては丁寧語である。しかし、心の中の言葉は丁寧語ではなく、「ひいてしまうわい」という言葉遣いから年配の人間であるとわかる。

 

三年生は以上である。この学年では丁寧語で話す登場人物が多くいた。それは、客や先生など目上の人間といえる人物に使っていた。また、登場人物の言葉遣いが年齢の高いものとなっており、いかにも子供という言葉遣いが減った。その言葉遣いを少年タイプと設定した。

 

 

  第二項  四年生

 

四年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると十九個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは十七個である。また、重複している教材はごんぎつね一つの花白いぼうしである。ごんぎつねは全ての出版社で使われており、一つの花が三社で使われており、白いぼうしは四年生では二社で使われていた。

 

@ 学校図書(三個)

ここで役割語が使われていたのはごんぎつね”“ポレポレ”“小鳥を好きになった山であった。

ごんぎつねは登場人物の発言三十六個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。三人の人物が発した「おれ」のみを男性言葉とした。古い言葉遣いが文章に混じっているが、それは時代のものであると判断した。

ポレポレは登場人物の発言五十個のうち十三個が役割語を含む文であると考えられた。この作品には外国人の登場人物がおり、その人物が発した片言の判断は『読点を多用していること』と『助詞が省略されていること』である。一つ例を挙げると「オー、ピーター、元気いっぱい、いっぱい。アサンテ(ありかとう)。」がそれである。

小鳥を好きになった山は登場人物の発言二十三個のうち十二個が役割語を含む文であると考えられた。老人言葉であると判断したところは、「〜かね」「〜ておくれ」である。

 

A 教育出版(五個)

ここで役割語が使われていたのはアーファンティ物語2 とられるものと、とられないもの”“ホジャ物語1 2人の言いつけ”“ホジャ物語2 めがね”“やい、とかげ”“一つの花であった。

アーファンティ物語2 とられるものと、とられないものは登場人物の発言七個のうち一個が役割語を含む文であると考えられた。「とられてしまうじゃろ」という発言があり、老人言葉であった。

 ホジャ物語1 2人の言いつけは登場人物の発言四個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。ともに目上からの発言であり、命令形ではなく指示系である。

ホジャ物語2 めがねは登場人物の発言三個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。ウ音便は誰でも使いうる言葉であるため、判断の基準としなかった。

やい、とかげは登場人物の発言九個のうち一個が役割語を含む文であると考えられた。「大間違いよ」という女性言葉のみであった。

 一つの花は登場人物の発言十三個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。「おじぎり」は「おにぎり」が発音できない子供の言葉遣いであると判断した。

 

B 光村出版(一個)

 ここで役割語が使われていたのは三つのお願いであった。

 三つのお願いは登場人物の発言二十九個のうち十個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプが一つで「〜だぜ」という言葉遣いから判断でき、残りの九つは全て女性タイプで一人称と語尾から判断できた。

 

C 大阪書籍(二個)

ここで役割語が使われていたのは雨の夜のるすばん”“風のゆうれいであった。

雨の夜のるすばんは登場人物の発言三十個のうち十三個が役割語を含む文であると考えられた。ほぼ全てが関西弁での会話分であり、関西弁を読み取れたところのみを方言タイプとして抜き出した。

 風のゆうれいは登場人物の発言二十八個のうち九個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプの発言と取ったものが七個あるが、全て「ぼく」という一人称から取ったものである。後の二つは老人タイプであり、「〜じゃ」という語尾を使用していた。

 

D 東京書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはあ・し・あ・と”“とっときのとっかえっこ”“世界一美しいぼくの村であった。

あ・し・あ・とは登場人物の発言五十七個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。五個とも男性の判断をしているが、それは「ぼく」から判断した。うち一つは子供タイプであるとしたが、これは「〜だい」という語尾を子供言葉と考えたためである。

 とっときのとっかえっこは登場人物の発言二十三個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。二つとも女性タイプであり、両方とも一人称、語尾で判断した。

 世界一美しいぼくの村は登場人物の発言二十六個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。「おくれ」という言葉は目上のものが使う言葉であると考えた。二つある「ぼく」は男性タイプの発言であると考える基準とした。

 

E 日本書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはチィ兄ちゃん”“海、売ります”“海にしずんだおにであった。

チィ兄ちゃんは登場人物の発言二十四個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。主人公の言葉遣いは細かな判断はできないものの子供〜少年だとわかる。同じようにチィ兄ちゃんも細かくはわからないが、主人公に対して目上タイプの言葉遣いをすることで二人の年齢の差をわかりやすくしている。二人とも「ぼく」のみを判断基準として男性タイプととった。

 海、売りますは登場人物の発言四十七個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。主人公のフンさんも「わたし」という一人称を使っており、「わたし」という一人称はすでに女性一人称ではない。しかし、「わたしは青いの!」という一文は語尾に「の」がついているため女性言葉だとした。「ぼく」は男性タイプとした。

 海にしずんだおには登場人物の発言十八個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。うち五個が方言である。最初に出た「何しちょる」は山口県の方言である。しかし、後半の「来ただ」は山口県では使わない。したがって、これはオリジナルの方言である。

 

 四年生は以上である。登場人物の言葉遣いが子供というほど幼いものでなくなり、言葉遣いからの年齢層を判断しづらくなった。また、役割語の使用数が少ない作品が増えた。教材の長さ自体が増えたこともあり、役割語の割合が五割を超えたものも三つだけであった。

 

 中学年は以上である。三年生と四年生を境に子供言葉の使用が減った。代わりに、権力者タイプや老人タイプなど目上の登場人物がしばしば登場するようになり、主人公に対して働きかけていた。

 また、物語中の役割語が一人称のみの作品がいくつか見られた。特に男性は「ぼく」や「おれ」など一人称以外の判断が乏しく、他には「〜だぜ」という語尾しかない。「わたし」という一人称を男性が使うようになったこともこの一つの要因である。

 第三節  高学年(五年生・六年生)

 

 

  第一項  五年生

 

五年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると十五個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは十三個である。また、重複している教材は大造じいさんとガン注文の多い料理店である。大造じいさんとガンは二社で使われており、注文の多い料理店は三社で使われていた。

 

@ 学校図書(二個)

ここで役割語が使われていたのはチョコレートのおみやげ”“注文の多い料理店であった。

チョコレートのおみやげは登場人物の発言三十六個のうち十九個が役割語を含む文であると考えられた。方言と考えたものは全て関西弁であった。また、途中で物語を語る場面があるが、そのときは関西弁ではなく「です、ます」口調であった。

 注文の多い料理店は登場人物の発言六十四個のうち十八個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプの言葉は全て「ぼく」で判断した。動物タイプは犬と猫であった。犬は一言も人語を話していない。猫は人語を話していたが、上記の犬と関わることで猫の鳴き声をあげた。

 

A 教育出版(二個)

ここで役割語が使われていたのはおはじきの木雪わたりであった。

おはじきの木は登場人物の発言三十六個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。「あたい」という一人称は「あたし」の変形だと考えたため、女性言葉とした。主人公が大人タイプの人物で登場し、子供タイプの人物が脇役として登場した。

 雪わたりは登場人物の発言六十四個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。「〜だぜ」が一つある以外の男性タイプは全て「ぼく」を判断の基準とした。さらに目上タイプであると判断したのは指示・提案をしていたためである。きつねが登場するが、そのきつねは主人公たちを招待する立場であり、敬語を使っていた。

 

B 光村出版(四個)

ここで役割語が使われていたのはプラム・クリークの土手で”“わらぐつの中の神様”“新しい友達”“大造じいさんとガンであった。

プラム・クリークの土手では登場人物の発言九個のうち三個が役割語を含む文であると考えられた。全て目上タイプの発言であり、全てにおいて指示する発言が見られた。

わらぐつの中の神様は登場人物の発言六十五個のうち二十六個が役割語を含む文であると考えられた。「わたし」を女性であると判断した基準は語尾である。語尾が「です・ます」口調だと男女の区別がつかないと考えた。また、「おまん」という二人称は方言であると考えた。

新しい友達は登場人物の発言三十四個のうち六個が役割語を含む文であると考えられた。「あたし」は女性言葉であると考えた。主人公の二人は導入部とそれから先では異なる年齢であり、年齢が上がる前は子供タイプだと判断でき、上がった後は子供タイプの発言がなかった。女性タイプの発言は「あたし」以外には「〜よ」という語尾が一つのみであった。

 大造じいさんとガンは登場人物の発言十五個のうち三個が役割語を含む文であると考えられた。「ほほう」と「うーむ」は年齢の高い人が使うものであると考えたため老人言葉とした。また、打ち消しの「ぬ」も同じだと判断したため老人言葉とした。

 

C 大阪書籍(一個)

ここで役割語が使われていたのは手紙であった。

 手紙は登場人物の発言二十八個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプと老人タイプは一人称で判断した。目上タイプだと判断した理由は指示と提案からである。

 

D 東京書籍(二個)

ここで役割語が使われていたのはちかい父さんの宿敵であった。

ちかいは登場人物の発言二十一個のうち九個が役割語を含む文であると考えられた。女性タイプと考えた発言のうち、四個は「あたし」という一人称から判断し、そのうち二個は一人称のみであった。

 父さんの宿敵は登場人物の発言四十四個のうち十一個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプの発言と考えたのは、全て「おれ」という一人称からである。女性タイプは、この作品では一人称での判断は無い。

 

E 日本書籍(二個)

ここで役割語が使われていたのはおいの森とざる森、ぬすと森魔法使いのチョコレート・ケーキであった。

おいの森とざる森、ぬすと森は登場人物の発言四十八個のうち十二個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプだと判断したものは二つとも「おれ」という一人称からである。「来う」と「そんだら」はこの作品全体で方言が使われていることと、「来い」と「それなら」のなまりであると考えたことから、両方とも方言であると判断した。

 魔法使いのチョコレート・ケーキは登場人物の発言三十八個のうち十個が役割語を含む文であると考えられた。主人公が権力者タイプである始まり方をして、ラストでは目上タイプになると判断した作品であった。権力者タイプと目上タイプの違いは、この作品では語尾が「〜な」「〜ぞ」が権力者タイプ、「〜ね」が目上タイプとして考えた。また、子供タイプの人物が脇役として登場した。また、主人公の一人称が「わたし」であったが、語尾から男女の区別がつかなかったため女性とはしなかった。

 

 五年生は以上である。主人公の設定年齢が上がったことにより、主人公が子供言葉を使うことがほとんどなくなった。また、そもそも主人公が最も年齢の低い登場人物でない作品も出てきた。それにより、主人公が年長者からのアドバイスをもらい、問題を解決するという展開だけではなくなった。さらに、「わたし」のかわりに「あたし」「あたい」という一人称が多く登場した。そのため、「わたし」という一人称がさらに女性言葉を示すものでなくなった。

 

 

  第二項  六年生

 

六年生の教材は、教科書間で重複しているものを一つとすると十五個あり、うち役割語が使われていると判断できたのは十三個である。また、重複している教材は海の命川とノリオである。海の命は二社で使われており、川とノリオは三社で使われていた。

 

@ 学校図書(三個)

ここで役割語が使われていたのはアニーとおばあちゃん”“ロシアパン”“青い花であった。

アニーとおばあちゃんは登場人物の発言三十二個のうち十六個が役割語を含む文であると考えられた。主人公であるアニーの祖母が登場人物として出てくるが、彼女は老人タイプの人物であるが、老人言葉を使っておらず目上タイプの発言である。「わたし」という一人称が何度か出ているが、いずれも判断の基準とはしていない。

 ロシアパンは登場人物の発言二十九個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。片言の判断基準は、ポレポレと同じく『読点の多用』が一つである。ロシアパンは『カタカナとひらがなを一つの単語内で混ぜて使っている』ことも基準となった。さらに、ポレポレと併せてみると両方とも語尾が丁寧語であることが一つの特徴である。

 青い花は登場人物の発言四十三個のうち九個が役割語を含む文であると考えられた。男性だと判断したのは「ぼく」という一人称だけである。また、主人公である傘屋の主人は、客と話をするときは敬語を使用している。

 

A 教育出版(二個)

ここで役割語が使われていたのはきつねの窓美月の夢であった。

きつねの窓は登場人物の発言四十四個のうち十個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプだと判断した六個は全て「ぼく」という一人称であった。また、この作品は地の文も主人公の男性が話している風であり、そこでも「ぼく」が使われていたが、今回は考えていない。

 美月の夢は登場人物の発言二十三個のうち二個が役割語を含む文であると考えられた。一つは「おれ」という一人称から、もう一つは「だぜ」という語尾から判断した。

 

 B 光村出版(三個)

ここで役割語が使われていたのはきいちゃんやまなし海の命であった。

きいちゃんは登場人物の発言十四個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。女性だと判断した四個のうちの三個は「わたし」と語尾から判断した。「わたし」が出てくる文はあと二つあるが、両方とも「です・ます」口調の文であり、話の流れがなければ男女の区別がつかなかったのでどちらともとらなかった。

 やまなしは登場人物の発言四十九個のうち十四個が役割語を含む文であると考えられた。メインの登場人物はかにであるが、会話文からそれを判断することはできない。三匹のかにが中心の話であるが、一匹が子供口調で他の二匹は目上タイプの話し方である。また、男性タイプの判断は全て一人称からのものである。

 海の命は登場人物の発言九個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。男性タイプと考えた三個は一人称で判断し、老人タイプと考えたのは一人称と語尾からである。

 

C 大阪書籍(一個)

ここで役割語が使われていたのはマコちゃんであった。

マコちゃんは登場人物の発言二十五個のうち十六個が役割語を含む文であると考えられた。一人称の「わたし」と語尾から、あるいは語尾のみからその全てが女性タイプだと判断した。

 

D 東京書籍(一個)

ここで役割語が使われていたのはヒロシマのうたであった。

ヒロシマのうたは登場人物の発言三十五個のうち七個が役割語を含む文であると考えられた。関西弁が使われており、それを方言として考えた。女性タイプであると考えた四個のうち、一つは「あたし」という一人称のみで判断した。

 

E 日本書籍(三個)

ここで役割語が使われていたのはふたりのバッハ青い馬の少年石になったマーペであった。

 ふたりのバッハは登場人物の発言四十四個のうち十四個が役割語を含む文であると考えられた。男性と判断したものは、「ぼく」が一個と「だぜ」が二個であった。女性と判断したものは「あたし」が一個で語尾が七個だった。目上と判断したものは、全て指示している文章であった。

 青い馬の少年は登場人物の発言十九個のうち五個が役割語を含む文であると考えられた。この作品は二人の対話が地の文であるため『「」』のないところでも「ぼく」や「わし」が出てきているが、今回それは数に含めていない。指示、提案をしている目上タイプの発言が六個あった。

 石になったマーペは登場人物の発言十五個のうち四個が役割語を含む文であると考えられた。この作品は沖縄の話であり、こちらも『「」』を使わないところで方言が出てきていたが数には含めていない。目上と権力者それぞれが別の登場人物として登場している。両方とも似た口調であるが、相手の意思を考慮しているかいないかで指示と命令を区別した。

 

 六年生は以上である。五年生に比べて『「」』を使用した会話自体が減った。会話数自体が少ないため、役割語の使用率が高かったり低かったり安定していない。さらに、教材の長文化に伴い教材数自体も少なくなっている。また、目上タイプの使用数が十作品あり、他の学年よりも高い割合だった。逆に、子供タイプの登場がやまなしだけであった。目上タイプが多かったことと関係があるのだろうか。

 

 高学年は以上である。擬人化された動物の登場がそれぞれの学年で二作品ずつと、他学年に比べると割合が低くなった。また逆に、動物が人語を話さないこともしばしばあった。さらに、方言の使用が多く見られた。高学年になってからは会話文主体の文章から地の文主体の文章になったことで、対話で役割語を使う必要性が薄れているように感じた。

 

 第四節  学年ごとの役割語の使用率とその推移

 

 

   以上までの各学年の役割語の使用率をグラフに表すと次のようになる。

 

    一年生(学校図書・教育出版・光村図書)

 

    年生(大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

    二年生(学校図書・教育出版・光村図書)

 

 

年生(大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

    三年生(学校図書・教育出版・光村図書)

 

 

年生(大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

 

 

    四年生(学校図書・教育出版・光村図書)

 

 

年生(大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

 

 

    五年生(学校図書・教育出版・光村図書)

 

 

年生(大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

 

 

    六年生(学校図書・教育出版・光村図書・大阪書籍・東京書籍・日本書籍)

 

 役割語の使用率をグラフにすると上の図のようになった。一・二年生が平均50%前後の役割語の使用率であり、中・高学年に比べて高くなっている。また、四年生以降は30%前後を保っていた。また、上下の幅が最も広いのは一年生であり、最も狭いのは五年生であった。

 


 第五節  使われている人物像について

 

 

   使われている人物像を全て足したものが以下のグラフである。

 


 男性タイプと女性タイプが圧倒的に多い。次いで、老人タイプと方言タイプが多い。そして、子供タイプ、目上タイプと続く。

  第二章は以上である。次章では、この検証を基にして考察していきたいと思う。

終章   まとめと今後の課題

 

 

 第一節  まとめと考察

 

   まず、男女の性差についてである。男性タイプを判断した基準は、これまでに示した通り、ほとんどが一人称の「ぼく」と「おれ」である。対して、女性は一人称よりも語尾の方が判断の基準となることが多かった。数は上のグラフからわかるように、最も多いものであった。男女の役割語は小学校教科書の物語教材で最も使われているものであるといえる。

 次に、登場人物が動植物であることで、何か特別な役割語があるかどうかについて考える。登場人物として、動植物が登場している作品の数は六十六個あった。その中で、人の言葉を使って話している動植物は五十個あった。たとえば、マンガなどでは猫ならば語尾に「ニャ」がついたり、犬なら「ワン」がついたりする場合がある。しかしながら、今回分析した中にはそのようなものは存在しなかった。同時に、特別な一人称や言葉遣いもなかった。動物タイプの役割語は存在するが、それは動物自身の鳴き声をそのまま文字にしたものであり、他の登場人物との差を出すためのものではなかった。したがって、小学校教科書の物語教材において動物が話す言葉に特別な役割語は存在しないといえる。

次は、商売をしている登場人物の役割語についての考察である。結論から述べると、いわゆる商売人として登場している人物は丁寧語を使っている。もちろん、それ自体は役割語として考えるには不適当である。なぜなら、丁寧語は他にも使う場合が多々あり商売人だけが使うものとはいえないからである。たとえば、“テウギのとんち話”のテウギは、先生に対して丁寧語を使っている。商売人は特別な役割語は持っていないが、丁寧語を使うといえる。

   グラフから見てわかるように役割語は低学年で多く使われている。これには、序章で述べたステレオタイプが関わっているのではないかと思う。低学年ではまだステレオタイプの細かい分類がなされていないため、役割語を用いることでステレオタイプを確立していく助けの一つとしているのではないだろうか。そのため、さらにステレオタイプが確立されてきた高学年で役割語の使用率が下がるのではないだろうか。

   小学校教科書の物語教材においては、「ぼく」や「おれ」という一人称を使っている女性タイプや、「わし」や「〜じゃ」を使う子供タイプの登場人物が存在していなかった。作品に使われていた役割語は全て役割に則ったものであった。これについても、上記のような人物が登場することでステレオタイプが確立されていないうちは混乱を招くため、出てこないのではないだろうかと私は考える。

 

 

 第二節  今後の課題

 

   これらの分析は全て読んだとき、あるいは聞いたときのものである。教育においては、読むこと・聞くことの他に話すこと・書くことも重要である。この役割語は書くことについても役立つのではないかと私は考えている。たとえば、物語を作るとき中心でない役の人間を作るとき、その人間の人物設定を一から描写せず、丁寧語を話す店員や似非方言を話す田舎者など、あらかじめ決まったイメージを持つ登場人物を出すことがしばしばある。物語を書くときに役割語を用いることも一つの書く力といえるのではないだろうか。書くこと・話すことという部分においての研究が今後の課題である。

 

 

 第三節  終わりに

 

 私がこの国語表現ゼミナールに所属してから三年が経過した。昨年も卒業論文を書いていたが、今年書いたものとは全く違うテーマであった。こちらの方も仕上げてみたいものである。就職活動が十月間近までかかり、実際に卒業論文のテーマが決まったのは十月であった。そのとき、もともと比喩か言葉遊びをテーマにしようかと思いながらも具体的な案が何もなかった私に、野浪先生が「役割語はどうか」と薦めてくださったことで素早く卒業論文の作業に入ることができた。ただでさえ出遅れていた私がその時点でさらに遅れてしまっていたら、国語表現ゼミナールで経過する年月が四年になることもありえたかもしれない。

 役割語は私たちの身近に、当たり前のようにあるものである。現在大ヒットしている『ワンピース』など、特徴的な言葉遣いをする登場人物が数多く存在する。今まで役割語のようなものを考えたことはなかったが、これも一つの「常識を疑う」ということではないだろうか。今回は教科書の中の物語教材をテーマにしたが、役割語はそれ以前にも児童書などで当たり前のように使われている。役割語はまだまだ提唱されてから日が浅いものであり、これからさらに研究がなされていくと思われる。これから先が非常に楽しみな分野である。

 

 最後に、なかなか活動が進んでいないことでご迷惑をおかけし、期限間際になって焦りだした私でしたが、先生には手を差し伸べていただき、そのご指導のおかげで完成することができました。本当に感謝しております。この感謝の言葉をもって卒業論文を締めさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

(完)原稿用紙120枚(40×40×30

 

 第四節  参考・参照文献

 

   「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」金水 敏 著 岩波書店 二〇〇三年

   「社会学事典」 見田宗介・栗原彬・田中義久 編 弘文堂 一九八八年