あらすじ分析――日本近現代文学とライトノベルの比較を通して――
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今回、私たちは文庫本に載っている「あらすじ」の表現特性について研究した。
文庫本を購入する際に、裏に書かれている「あらすじ」を参考にすることが多いことから、その「あらすじ」の表現にどんな特性があるのかを調べようというのが研究の動機である。私たちは、文庫本の裏に書かれている「あらすじ」は販売促進の目的で書かれている文章だと考えた。
その過程で、私たちはある一つの疑問に当たった。現在、新たに執筆され販売されている文庫本の場合は、「あらすじ」を書くことで購買層に認知をしてもらい興味を持たせようとすることで販売促進を図っていると考えられる。しかしその逆で、知名度の高い文学作品、例えば、太宰治の『人間失格』などの文庫本の場合はその知名度の高さゆえに、改めて「あらすじ」を書いてその存在を認知してもらう必要が無いのではないかと考えた。
ところが、現在販売されているほぼ全ての文庫本には「あらすじ」が書かれている。そこで、私たちはこの疑問に近現代に書かれた知名度の高い文学作品と現代に執筆されている文学作品の「あらすじ」では目的を販売促進と共通にしながらも、書き方に違いがあるのではないか、いう仮説を立てることにした。
そして、近現代文学とライトノベルという異なる種類の文学作品群で、「あらすじ」の書かれ方にどのような傾向があるのかについて詳しく研究することにした。
次に今回の研究対象した「あらすじ」について説明していく。
先ほど述べたように、今回の研究では、近現代文学 とライトノベルという2つのグループの文庫本に書かれている「あらすじ」を対象としました。ここで、今回、研究対象とした[近現代文学]と[ライトノベル]をどのような意味で設定したのかについて説明する。
[近現代文学]は、明治維新以後に書かれた文学作品の中で、文庫化されたものの中から特に知名度の高いものとした。[ライトノベル]は、出版社レーベル(電撃文庫やファミ通文庫)より、[ライトノベル]として出版されている作品とした。また、今回対象とする「あらすじ」は、これらの文庫本の表紙、裏表紙、折り返しに載っている紹介文に限定した。
近現代文学の比較対象としてライトノベルを選考した理由は、現在発売されている文庫本の中で、ライトノベルが近現代文学とは異質な文学作品群であると考えたからであり、作品自体の質が違えば「あらすじ」の書かれ方の差異も出やすいと考えたからである。ライトノベルはその特徴についての一般的な認知度も低いと考えられ、この点も、知名度の高い作品の多い近現代文学とは、「あらすじ」が書かれるときの状況が違うことで、その書かれ方に違いが生まれやすい原因になると考えた。
そうしたことから、今回の研究では、近現代文学71作品、ライトノベル74作品、合計145作品の文庫本の「あらすじ」を分析した。
それでは研究の内容に入る前に、補足説明をしていく。
一つ目に、本稿で使われる{書き手}という言葉は、「あらすじ」を書いた人間のことを指す。文庫本の「あらすじ」を書くのは主に編集者であると考えられるが、稀に、作者など編集者以外の人間が書くこともある。しかし、その目的が販売促進と共通しているので、本研究では書く人間の違いは考慮しないことにする。
二つ目に、本稿で使われる{読者}という言葉は、基本的にはその文庫本の内容を全く知らずに「あらすじ」を読んでいる者を想定している。
ただし、近現代文学で知名度の高い作品の場合やシリーズ作品で設定が共通している場合は、ある程度の内容を{読者}が知っていることも考えられることから、{読者}がその作品内容を知っているか否かによって、「あらすじ」の働きがどのように変化するのかも明らかにする。
まず、一点目、カギ括弧付のついている「あらすじ」とはどういう文章を指すのかについて説明する。あらすじの辞書的な意味には次のようなものがある。
辞書的な意味を総括すると、あらすじとは物語や物事の冒頭から結末までの大まかな流れを述べた文章のことをいう。しかし、本研究で扱う括弧付の「あらすじ」は辞書的な意味とは違う。完結した文章として書かれたものに限り、またその中でも文庫本の表紙、裏表紙、折り返しについているものを「あらすじ」としている。私たちはこの「あらすじ」について研究を行った。
次に、二点目の「あらすじ」の一般的な特徴と、それによる効果について。文庫本の「あらすじ」の一般的な特徴として大きく二つ考えられる。一つ目は、多くの「あらすじ」では、作品内容のあらましを書いているものの、結末や作品の中での重要な場面は省かれている。二つ目は、今回対象とする「あらすじ」には、紹介する作品の内容のあらましや概略だけにとどまらず、作者情報や受賞歴など作品内容以外の情報も含まれている。
この二つの特徴により、短時間で作品のおおまかな内容を提供することができるという効果が生まれる。多くの「あらすじ」は結末や重要な場面は省かれているものの場面設定や大体の流れなどが述べられているので、読者は作品の大まかな内容を知ることができる。
最後に、三点目の「あらすじ」の構成要素について簡単に説明する。私たちは、今回の研究をするにあたって、「あらすじ」を分析するために、文章を構成するいくつかの要素を考え、分類した。構成要素は、大きく分けて4つに分類した。
※詳しくは資料の「『あらすじ』の構成要素について」を参照。
▼作品内情報〜作品内容と直接的に関わる構成要素〜 ●状況 ●登場人物 [名前][行動][心理][設定] ●主題 ▼作品外情報〜作品内容と直接的に関わらない構成要素〜 ●作品の位置づけ [作者][文学史][ジャンル] ●書誌情報 [篇][年代][掲載雑誌][解説者][賞][原作] ▼作品紹介のあり方〜「あらすじ」文章の書かれ方の構成要素〜 ●作品 [作品名][作調][評価][要約][引用] ●作者 [作者名][作調][評価] ●表題作以外の作品 [作品名][紹介] ●視点 [解説者][登場人物] ▼読者への働きかけの構成要素 ●働きかけ以上大まかに説明したが、詳しくは3章以降の具体的な例を用いて説明していく。
本章では、近現代文学71作品、ライトノベル74作品全145作品の「あらすじ」分析から明らかになった「あらすじ」の全体傾向について、先ほど説明した構成要素の四つの分類の順に述べる。なお、本章以降、数値を扱う説明の際にグラフを提示している。
94.5%(137/145作品) (近現代文学63作品、ライトノベル74作品)の「あらすじ」に [状況] に関しての叙述があった。つまり、ほとんどの「あらすじ」に作品中の[状況]に関する叙述が存在していた。また、[状況]に関する叙述のない5作品はいずれも近現代小説であり、ライトノベルにいたっては100%(74/74作品)の「あらすじ」で[状況]に関する叙述があった。
ただし、「あらすじ」においては内容の結末や重要な場面を省くことが多いため、[状況]が最後まで書かれているものは少ない。
[登場人物]は、[名前][行動][心理][設定]という4つの要素のうち、幾つかを組み合わせて叙述している。
91.0%(132/145作品)(近現代文学63作品、ライトノベル69作品)の「あらすじ」に[登場人物] に関する叙述があった。つまり、ほとんどの作品に[登場人物]の叙述がある。その中でも、[名前・行動・心理]の叙述が22.7%(30/132作品)と最も多かった。
このことから、[登場人物]に関する情報提供を多角的に行っていることが分かる。{読者}が「あらすじ」から[登場人物]に関する情報を求めていることを、{書き手}は想定している。
また、[登場人物]に関しての叙述がある「あらすじ」の中で、少なくとも[名前]が示されているものは90.9%(120/132作品)であり、[設定]が示されているものは56.8%(75/132作品)であった。
このことから、「あらすじ」の書き手は[名前]や[設定]を通して[登場人物]の外見や性格的特徴のような人物像を読者に提示する傾向があるといえる。
妹の婚礼を終えると、村の牧人メロスはシラクスの市めざして走りに走った。約束の三日目の日没までに暴虐の王のもとに戻らねば、自分の代わりに友セリヌンティウスが殺される。メロスは約束を果たすことができるだろうか?日はすでに傾いている。メロスよ、走れ!―身命を懸けた友情の美しさを描いて名高い表題作ほか、(後略)
(太宰治『走れメロス』 角川文庫 初版 1970年12月10日 改版 2008年 6月25日)
※下線と(後略)はレジュメ制作者。以下同様。
上述の例文のように、あらすじの{書き手}が考える「作者の描きたいテーマ」が読み取れる叙述を[主題]としている。
[作品の位置づけ]は、[作者][文学史][ジャンル] という3つの要素のうち、幾つかの要素を組み合わせて叙述している。
60.7%(88/145作品)(近現代文学47作品、ライトノベル41作品)の「あらすじ」に、{書き手}の考える[作品の位置づけ] に関しての叙述があった。
全体傾向としては、 [作者]に関する位置づけをしているものが、近現代文学で57.7%(41/71作品)、ライトノベルで44.6%(33/74作品)と最も多かった。
[書誌情報]は、[篇][年代][掲載雑誌][解説者][賞][原作] という6つの要素のうち、幾つかを組み合わせて叙述している。
29.0%(42/145作品)(近現代文学36作品、ライトノベル6作品)の「あらすじ」に、[書誌情報] に関しての叙述があった。ただし、近現代文学では[篇][年代][掲載雑誌][解説者]、ライトノベルでは[賞]と叙述内容が違う。
全体傾向としては、[書誌情報]に関する叙述は少ない。[書誌情報] に関する叙述がある場合でも、近現代文学とライトノベルで共通する要素はない。
[作品]は、[作品名][作調][評価][要約][引用]という5つの要素のうち、幾つかを組み合わせて叙述している。
99.3%(144/145作品)(近現代文学70作品、ライトノベル74作品)の「あらすじ」に[作品] に関しての叙述があった。
作品紹介のあり方として、作品内容が[要約]されている「あらすじ」が、 近現代文学で81.4%(57/70作品)、ライトノベルで100%(74/74作品)であった。
ここから、[あらすじ」の{書き手}が、作品内に書かれていることを分かりやすく{読者}に伝えようとする傾向があるといえる。
唯一、[作品]についての叙述がなかった「あらすじ」を以下に引用する。
絶対的な自我肯定を行動の規範とし、その生の体験を書くことによって鮮烈に生き直した強靭な個性の作家志賀直哉。その生の歩みは、長く、美しく、豊かであった……。本書は、昭和3年の『豊年虫』から昭和38年の『盲亀浮木』までの、著者の第三期ないしは後期の代表作を収録した短編集第三集である。表題作のほか『鳥取』『日曜日』『早春の旅』『自転車』『朝顔』など23編を収録する。上記の「あらすじ」では、前半部で作家である志賀直哉本人の解説が書かれ、後半部でも収録作品名が羅列されその簡単な説明が書かれるのみである。[作品]の内容に触れないだけではなく、表題作名も書かれていない点でこの「あらすじ」は珍しい事例であるといえる。
(「灰色の月・万暦赤絵」 志賀直哉 新潮文庫 初版 1968年9月15日 )
[作者]は、[作者名][作調][評価][情報] という4つの要素のうち、幾つかを組み合わせて叙述している。
33.8%(49/145作品)(近現代文学44作品、ライトノベル5作品)の「あらすじ」に[作者] に関しての叙述があった。
全体傾向としては、[作者]に関する叙述は少ないといえる。[作者] に関する叙述がある場合は、 [作者名] が77.6% (38/49作品)で最も多かった。[作者] に関する叙述がある作者は知名度が高い傾向にあるといえる。知名度の高い作者の[作者名]を示すことは、[作者]情報に関心のある{読者}の興味を惹くとともに、{読者}に作品の質を保証することにも繋がる。→[作品]の[評価]と類似性がある。
近現代文学で[作者]に関する叙述が多い理由として、今回選んだ近現代文学が知名度の高い作家の作品であったために、[作者]情報が叙述されやすい傾向にあったと思われる。
[表題作以外の作品] は [作品名][紹介] という2つの要素を組み合わせて叙述している。
22.0%(32/145作品)(近現代文学30作品、ライトノベル2作品)の「あらすじ」に[表題作以外の作品] に関しての叙述があった。このなかで75.0%(24/32作品)(近現代文学23作品、ライトノベル1作品)の作品が、収録作が2作品以上であった。
全体傾向としては、収録作が2作品以上ある場合に、[表題作以外の作品]に関する叙述があることが多い。また、その叙述がある場合は、必ず[作品名]が示される。
また、25.0%(8/32作品)(近現代文学7作品、ライトノベル1作品)の作品が、収録作以外の作品に関する叙述があった。
最も親しい友人を死に追いやった罪の意識を抱きつつ、暗い思いで自滅への日々を送る主人公先生≠フこころの行方は? 「彼岸過迄」「行人」に続く後期三部作の終作。近代知識人のエゴイズムと倫理感の葛藤を重厚な筆致で掘り下げた心理小説の名編。上記の例文では、同作者の過去の[作品名]が示され、その作品との関連性についての叙述がある。 この「あらすじ」の{書き手}は、同じ作者の過去の作品との関連性に関心がある{読者}を意識しているといえる。→[作品の位置づけ]の[作者]と関連がある。
(夏目漱石『こころ』 講談社文庫 初版 1975年 7月02日)
※下線はレジュメ制作者
{書き手}が「あらすじ」を語る[視点]には、[解説者]か[登場人物]の2つの立場があった。
84.8%(123/145作品)(近現代文学71作品、ライトノベル52作品)の「あらすじ」は[解説者] の立場から語られる。
全体傾向としては、「あらすじ」は[解説者]の立場から語られることが多い。
※前提として、「あらすじ」が作品外部の[解説者]の立場から語られることは一般的なことである。そのため、以下に述べる『[解説者]の[視点]で語ることから考えられる{読者}への働き』に関しては、全ての[解説者]の[視点]で語られる「あらすじ」に必ずしもあるわけではない。
作品外に存在する[解説者] の立場から「あらすじ」が語られる場合は、[作品]への [評価] や [作調] 、[作品の位置づけ]などの作品外部から作品内容に与えられる価値や [作者] 、 [表題作以外の作品] などの作品内容外情報が述べられることもある。
昭和はじめの浅草を舞台にした@川端康成の都市小説。不良集団「浅草紅団」の女首領・弓子に案内されつつ、“私”は浅草の路地に生きる人々の歓び哀感を探訪する。(中略)昭和恐慌の影さす終末的な不安と喧騒の世情をAルポルタージュ風に描出したB昭和モダニズム文学のC名篇。続篇「浅草祭」併録。上記の例文は、[解説者]の立場から語られている。この例文では、@の[作者名]のように作品外情報が示されている。また、Aのような[作品]の[作調]やCのような[評価]、Bのような[作品の位置づけ]など作品外からの価値付けがなされている。→[主題][作品の位置づけ][書誌情報][作品][作者][表題作以外の作品]と関連がある。
(川端康成『浅草紅団一浅草祭り』講談社 初版 1996年12月10日)
※下線と番号と(中略)はレジュメ制作者。
[働きかけ]には、読者に直接的に購買を呼びかける積極的な[働きかけ]と、作品内容の紹介に想像の余地を残すことで、読者に想像させるように仕向ける消極的な[働きかけ]の2種類がある。
64.8%(94/145作品)(近現代文学23作品、ライトノベル71作品)の「あらすじ」に読者への[働きかけ]に関しての叙述があった。
その内、積極的な[働きかけ]が62.8%(59/94作品)、消極的な[働きかけ]が83.0%(78/94作品)あった(重複を含む)。
全体傾向としては、半数以上の「あらすじ」に[働きかけ]に関する叙述がある。その場合は、消極的な[働きかけ]が最も多い。
つまり、「あらすじ」の{書き手}は、[読者]に直接的に購買を呼びかけるよりも、作品世界を想像させることを優先する傾向にあるといえる。また、「あらすじ」で[働きかけ]に関する叙述がある場合、45.7%(43/94作品)の作品で消極的な[働きかけ]と積極的な[働きかけ]両方の叙述があった。
近現代文学では、81.7%(58/71 作品)の「あらすじ」に[登場人物]に関しての叙述があった。つまり、近現代文学の「あらすじ」では[登場人物]に関しての叙述が多い。その中でも、[名前・行動・心理]の叙述が31.0%(18/58作品)と最も多かった。「あらすじ」で[登場人物]について述べられる場合は、その人物がどのような考えの下で行動を起こしているのか、という人物像の内面に迫った「あらすじ」が書かれる傾向がある。
しかし、18.3%(13/71作品)の「あらすじ」では[登場人物]に関しての叙述がなかった。これは項目別では[名前・行動・心理]に次いで多かった。
近現代文学では、40.8%(29/71作品)の「あらすじ」に、 [主題]に関しての叙述があった。
「あらすじ」内で[主題]を提示することから、近現代文学の{読者}が作品の[主題]に関心があると、{書き手}が考えているといえる。
近現代文学では、66.2%(47/71作品)の「あらすじ」に{書き手}の考える[作品の位置づけ]に関しての叙述があった。その中でも、[作者]の叙述が87.2%(41/47作品)と最も多かった。
近現代文学の「あらすじ」で[作品の位置づけ]に関する叙述がある場合、{読者}が作者の文学活動の中での作品の位置づけに関心があると、{書き手}が考えていることが分かる。
また、[文学史]や[文化史]などの歴史に関する位置づけが9.9%(7/71作品)あった。
近現代文学では、50.7%(36/71作品)の「あらすじ」に[書誌情報]に関しての叙述があった。情報には主に[解説者]情報が40.6%(13/32作品)、[篇]情報が40.6%(13/32作品)、[年代]情報が25.0%(8/32作品)あった(重複を含む)。
このことから、近現代文学の「あらすじ」で[書誌情報]が述べられる場合には、その情報に何らかの傾向があるとはいえない。
また、作品の発表された[年代]や[掲載雑誌]など、作品の成立に関わる叙述もあった。このような叙述がある場合は、近現代文学の{読者}が作品の成立状況に関心があると、{書き手}が考えているといえる。→[作品の位置づけ]の[作者]と関連がある。
近現代文学では、98.6%(70/71作品)の「あらすじ」に[作品]に関しての叙述があった。その中で [要約]を用いている「あらすじ」は、81.4%(57/70作品)あった。
つまり、近現代文学では「あらすじ」の{書き手}が、作品紹介のあり方として、作品内容を分かりやすく{読者}に伝えようとする傾向がある。
[作品] に関しての叙述がある「あらすじ」の中で、 [要約] とともに叙述されることが多かったのは [評価] であり、34.3%(24/70作品)であった。また、[評価]を用いている「あらすじ」が47.1%(33/70作品)あった。
近現代文学では、62.0%(44/71作品)の「あらすじ」に[作者]に関しての叙述があった。その中でも、[作者名]のみの叙述が52.3%(23/44作品)と最も多かった。
[作者]に関する叙述がある「あらすじ」の中で、少なくとも[作者名]が示されているものは77.3%(34/44作品)あった。今回の研究では、近現代文学の中でも特に知名度の高い作者の作品を扱ったので、[作者名]が示される傾向が強くなったと考えられる。
これらから、近現代文学の「あらすじ」の{書き手}は、知名度の高い [作者名]を示すことで、[作者]情報に関心のある{読者}の興味を惹く傾向にあるといえる。
また、29.5%(13/44作品)の「あらすじ」に[作調]に関する叙述が、13.6%(6/44作品)の「あらすじ」に[評価]に関する叙述があった。ただし、[評価]は必ず[作者名]と共に叙述された。
[作調] や [評価] は、作者以外の人間によって作者に付加される外部的な要素である。[作者] の [作調] や [評価] に関する叙述があることは、作者の筆致に関して{書き手}の考える価値付けが行われたことを示す。
近現代文学では、33.3%(30/71作品)の「あらすじ」に[表題作以外の作品]に関しての叙述があった。その内、30作品全てに表題作以外の[作品名]に関する叙述があった。これらの30作品の中で23作品が、2作品以上を収録していた。更に、そのような場合には、78.3%(18/23作品)の「あらすじ」で収録作品が[紹介]や[解説]の叙述と共にあった。
これらから、近現代文学の「あらすじ」の{書き手}は中心となる表題作に重きを置きつつ、その他の作品についても読者へ情報提供する姿勢が窺える。
また、30作品の中で7作品は収録作以外の作品に関する叙述があった。その働きは【[表題作以外の作品]に見られる全体傾向】の例文で示したような同作者の他作品との関連性を示す叙述であった。→[作品の位置づけ]の[作者]と関連がある。
近現代文学では、全ての「あらすじ」が[解説者]の立場から語られる。これは作品そのものが一人称視点で語られていても同じである。作品外に存在する[解説者] の立場から「あらすじ」が語られる場合は、作品外からの価値付けや情報も叙述できる。
ここから、近現代文学の「あらすじ」の{書き手}は、{読者}に対して作品内容に関する情報だけではなく、作品外の立場から作品の価値付けや作品外情報の提供を行うことができるといえる。ただし、全ての「あらすじ」で価値付けや作品外情報の提供が行われるわけではない。
[働きかけ]には、読者に直接的に購買を呼びかける積極的な[働きかけ]と、作品内容の紹介に想像の余地を残すことで、読者に想像させるように仕向ける消極的な[働きかけ]の2種類がある。
近現代文学では、32.4%(23/71作品)の「あらすじ」に読者への[働きかけ]に関しての叙述があった。
その内、積極的な[働きかけ]が13.0%(3/23作品)、消極的な[働きかけ]が87.0%(20/23作品)あった。
このことから、近現代文学の「あらすじ」で[働きかけ]に関する叙述がある場合は、その{書き手}は、作品内容の紹介に余韻を生むことで{読者}に作品世界を想像させることが多い。
ここまでの傾向から、近現代文学の「あらすじ」は、作品内から情報を抜き出すだけではなく、[評価]や[作品の位置づけ]のような作品の外部からの価値付けが行われることが分かる。
また、近現代文学の「あらすじ」では、{読者}がその作品の成立状況や作者情報など、作品の背景にも興味があると{書き手}が考えていることが分かる。更に、[作者]情報のような作品外情報についても[評価]や[作調]のような価値付けが行われることがある。
※今回のライトノベル資料のうち94.6%(70/74作品)のものが、収録作品は1作であった。このことから、ライトノベルの出版形態が文庫本での長編1作品収録を基本としており、収録作が2作以上になることが少ない。
これは歪んだ物語。 歪んだ恋の、物語。東京・池袋。 そこにはキレた奴らが集う。 非日常に憧れる少年、喧嘩上等のチンピラ、ストーカーもどきの電波娘、趣味で情報屋を営む青年、ヤバイ患者専門の闇医者、魔物に魅せられた高校生、そして漆黒のバイクを駆る“首なし(デュラハン)ライダー”。そんな彼らが繰り広げる物語は痛快な程マトモじゃない。だが、彼らは歪んでいるけれども――恋だってするのだ。上記の例文は、ライトノベルの「あらすじ」の中で唯一[名前]が示されないものである。しかし、その場合でも [登場人物] の [設定] を羅列するという書かれ方がなされている。つまり、[名前]が示されない場合でも、[登場人物]の情報が重視されていることに関しては、他の「あらすじ」と変わりがない。
(成田良悟『デュラララ!! 』 電撃文庫 初版 2004年 4月10日)
ライトノベルでは、全ての「あらすじ」に [主題]に関しての叙述はなかった。
このことから、ライトノベルの読者が「あらすじ」の段階では作品の[主題]を求めていないと、{書き手}が考えていることが分かる。
ライトノベルでは、55.4%(41/74作品)の「あらすじ」に{書き手}の考える[作品の位置づけ]に関しての叙述があった。
その中でも、[作者]の叙述が80.4%(33/41作品)あった。その内、93.9%(31/33作品)は何らかのシリーズに属することを示す叙述であった。(ちなみに今回のライトノベル資料のうち97.3%(72/74作品)が何らかのシリーズに属している。)
また、53.7%(22/41作品)の「あらすじ」に[ジャンル]に関しての叙述があった。ライトノベルにおける[作品の位置づけ]は、[作者]か[ジャンル]のどちらかであった(重複を含む)。
これらから、ライトノベルでは作品のシリーズ化傾向が強く、シリーズ内の関連性を積極的に読者に伝えようとしていることが分かる。
また作品内容による[ジャンル]分けを示すことで、特定の[ジャンル]に関心を抱いている{読者}をひきつけようとする傾向がある。ただし、ライトノベルの「あらすじ」で書かれる[ジャンル]は、「時代劇」や「ミステリ」のように一般的に認知されているものだけではない。「ミステリアス学園コメディ」(野村美月『文学少女と死にたがりの道化』ファミ通文庫 初版 2006年 4月28日)のようにいくつかの[ジャンル]が組み合わされて出来ているものや、「青春エクスプロージョン系ラブコメ」(井上堅二『バカとテストと召喚獣3』ファミ通文庫 初版 2007年 8月30日)のように造語に近い[ジャンル]まで存在している。これらの[ジャンル]は、販売する際に他の文学作品との差別化を図る意図で書かれた叙述である。そのため、一般的な[ジャンル]表示よりも、作品の独自性を主張するものとしての効果が強いと考えられる。
ライトノベルでは、8.1%(6/74作品)の「あらすじ」に[書誌情報]に関しての叙述があった。情報の内容は、6作品全てが[賞]であった。
このことから、ライトノベルでは、{読者}が[書誌情報]を重視していないと{書き手}が考えていることが分かる。[書誌情報] に関する叙述がある場合でも、受賞暦のように [評価] に近い意味合いを持つ情報に限られる。[作品] に対する [評価] の叙述が少ないライトノベルでは、具体的な受賞暦を書くことで [評価] の叙述の代わりとしていると考えられる。→[作品]の[評価]と関連がある。
「美姫を守って単機敵中翔破、1万2千キロ。やれるかね?」レヴァーム皇国の傭兵飛空士シャルルは、そのあまりに荒唐無稽な指令に我が耳を疑う。次期皇妃ファナは「光芒五里に及ぶ」美しさの少女。そのファナと自分のごとき流れ者が、ふたりきりで海上翔破の旅に出る!?(後略)更に、上記の例文のように{読者}をより作品世界に引き込む手段として、作品内の文章を用いることがある。
(犬村小六『とある飛空士の追憶』 ガガガ文庫 初版 第一刷2008年 2月24日)
※下線と(後略)はレジュメ制作者
ライトノベルでは、6.8%(5/74作品)の「あらすじ」に[作者]に関しての叙述があった。その中で、[作者名]が示されるものが4作品、[評価]に関する叙述のあるものが1作品であった。ただし、どちらの場合も、ライトノベルの読者における作者の知名度が高い点で共通している。
これらから、{書き手}は、作者の知名度が高い場合を除いて、ライトノベルの読者が「あらすじ」の段階では作者情報を求めていないと考えていることが分かる。
ライトノベルでは、2.7%(2/74作品)の「あらすじ」に[表題作以外の作品]に関しての叙述があった。どちらの作品にも表題作以外の[作品名]に関する叙述があった。内1作品は表題作以外の収録作に関する叙述であった。もう1作品は表題作と同作者の過去の作品との関連性についての叙述であった。
このことから、ライトノベルの「あらすじ」で[表題作以外の作品]に関しての叙述は少ないといえる。さらに、[表題作以外の作品]に関する叙述がある場合でも、何らかの傾向があるとはいえない。
また、今回のライトノベル資料のうち収録作が2作以上のものは4作品あった。しかし、上述の通り「あらすじ」内で[表題作以外の作品]に関する情報があったものは、その中の1作品だけであった。つまり、ライトノベルでは収録作が2作以上でも「あらすじ」に必ずその情報が書かれるわけではない。
ライトノベルでは、70.3%(52/74作品)の「あらすじ」が[解説者]の立場から語られる。これは作品そのものが[登場人物]の一人称視点で語られていても同じである。
ここから、ライトノベルの「あらすじ」が[解説者]の立場から語られる場合、{書き手}は、{読者}に対して作品内容に関する情報だけではなく、作品外の立場から作品の価値付けや作品外情報の提供を行うことができるといえる。ただし、全ての「あらすじ」で価値付けや作品外情報の提供が行われるわけではない。
また、27.0%(20/74作品)の「あらすじ」は[登場人物]の立場から語られる。その他、2.7%(2/74作品)の「あらすじ」が[解説者]と[登場人物]両方の立場から語られる。これらの作品では、作品そのものが[登場人物]の一人称視点で語られる点が共通している。
@わたしたち人類がゆるやかな衰退を迎えて、はや数世紀。すでに地球は“妖精さん”のものだったりします。平均身長10センチで3頭身、高い知能を持ち、お菓子が大好きな妖精さんたち。(中略)さっそく妖精さんたちに挨拶に出向いたのですが……。A田中ロミオ、新境地に挑む作家デビュー作。上記の例文では、@部分が[登場人物]の立場、A部分が[解説者]の立場でそれぞれ「あらすじ」が語られる。@部分のように「あらすじ」が[登場人物]の立場から語られることには、{読者}に語り手の言葉遣いや語尾などの語り方をみせて、語り手の人物像を紹介する働きがある。更に、作品そのものが[登場人物]の一人称視点で語られるということは、「あらすじ」の段階から{読者}を作品世界に触れさせる働きもある。また、A部分では「あらすじ」が[解説者]の立場から語られることで、[作者名]や[作品の位置づけ]のような作品外部からの価値付けや情報提供が行われている。
(田中ロミオ『人類は衰退しました』 ガガガ文庫 初版 第一刷2007年 5月29日)
※下線、四角、番号、(中略)はレジュメ制作者
電波女になる前の藤和エリオは、それでも宇宙を追っかける少女だった。布団のかわりに、赤いランドセルを背負っていたんだってさ。(中略)うー、俺たちの恥ずかしい過去を綴った短編集登場、らしい。上記の例文では、下線部のように、作品の形態について[登場人物]自身が言及している。このように、[登場人物]が「あらすじ」を語る場合でも、必ず作品内の情報に終始するわけではない。ただし、作品内の立場から語っている点は変わらないので、[作品]の[評価]や[作品の位置づけ]のような作品外部からの価値付けには信頼性が生まれにくいと考えられる。
(入間人間『電波女と青春男4』 電撃文庫 初版 2010年 3月10日)
※下線と(中略)はレジュメ制作者
ライトノベルでは、95.9%(71/74作品)の「あらすじ」に{読者}への[働きかけ]に関しての叙述があった。その内、積極的な[働きかけ]が78.4%(58/74作品)、消極的な[働きかけ]が75.7%(56/74作品)あった(重複を含む)。
このことから、ライトノベルの「あらすじ」では、{読者}への[働きかけ]が叙述されることが多いといえる。その叙述がある場合は、積極的な[働きかけ]と消極的な[働きかけ]どちらも同じ割合で叙述がある。
ここまでの傾向から、ライトノベルのあらすじの{読者}は作品内情報を重視していると{書き手}が考えていることがわかる。そのため、[作者]情報や[書誌情報]などの作品外情報よりも、作品の内容や[登場人物]の人物像に関する情報を盛り込んだ「あらすじ」になっている。
全てのライトノベルの「あらすじ」には[登場人物]に関しての叙述があるのに対して、近現代文学では[登場人物]に関する叙述がないものもあった。ここから、ライトノベルの「あらすじ」は 近現代文学の「あらすじ」 よりも[登場人物]情報を伝えることを重視しているといえる。
また、その書かれ方に関して、「あらすじ」内で[設定]に関する叙述のあるものが、ライトノベルで74%(55/74作品)あるのに比べ、 近現代文学 では34%(20/58作品)である。逆に、[心情]や[行動]が具体的に叙述される「あらすじ」は、 近現代文学で66%(38/58作品)であるのに対し、ライトノベルで26%(19/74作品)であった。
このように[登場人物]に関する叙述がある場合でも、その叙述のされ方についての差異が見られた。
「あらすじ」に [主題]が書かれているのは、近現代文学に限られる(41%(29/71作品))。
ここから、近現代文学の「あらすじ」は ライトノベルの「あらすじ」 よりも[主題]を伝えることを重視しているといえる。近現代文学の{読者}がライトノベルの{読者}よりも[主題]を意識していると、{書き手}が考えていることが分かる。
どちらの「あらすじ」でも、[作者]に関する位置づけが最も多く、近現代文学では87%(41/47作品)、ライトノベル80%(33/41作品)であった。
近現代文学では作者の全文学活動の中で作品を位置づけているのに対して、ライトノベルはシリーズという作者の中でも更に限定された範囲で位置づけが行われている。同じ[作者]の位置づけであっても、その内容には差異がある。
[ジャンル] による位置づけは、どちらの「あらすじ」にもみられた。ただし、造語や複合語なども使われるライトノベルのほうが[ジャンル]表示は多彩であった。
また、近現代文学では、[文学史]や[文化史]という歴史に関係した位置づけが行われていることは特徴的である。ここから、近現代文学の読者が作品の歴史的な位置づけに関心があると、{書き手}が考えているといえる。
「あらすじ」で述べられる[書誌情報]に関して、近現代文学50.7%(36/71作品)で、ライトノベルの8%(6/74作品)と、割合的には近現代文学のほうが多いといえる。ただし、[書誌情報]で述べられる内容には共通性はない。
どちらの「あらすじ」でも、[作品]内容に関する叙述が重視されており、その紹介の仕方として[要約]を用いている点は共通している。
しかし、[要約]に次いで多い[作品]紹介のあり方は、近現代文学では[評価]であり、ライトノベルでは[引用]であるという違いがあった。[評価] が作品外部から与えられる要素であるのに対して、 [引用] は作品内部から抜き出される要素である。
作品紹介のあり方について、近現代文学の「あらすじ」の{書き手}は作品外から作品を価値付けている。それに対してライトノベルの「あらすじ」の{書き手}は、作品内の文章を用いている。近現代文学とライトノベルでは[作品]紹介のあり方に、以上のような違いがある。
どちらの「あらすじ」でも、[作者]に関する叙述として[作者名]が最も多く示された。[作者]情報が叙述される場合、その作者は知名度が高い傾向にある点も共通していた。
近現代文学では、更に[作調]や[評価]など外部からの価値付けが行われることがある。[作品]に限らず、 [作者]も外部から要素を付加される傾向にあるといえる。
「あらすじ」で[表題作以外の作品]に関する叙述があるのは、近現代文学の方が圧倒的に多い(近現代文学30作品、ライトノベル2作品)。ただし、どちらの「あらすじ」でも「表題作以外の収録作の紹介」と「同作者の他作品との関連性についての叙述」という二つの働きがそれぞれ見られた。
つまり、近現代文学とライトノベルの「あらすじ」において、[表題作以外の作品]に関する叙述の量には差があるが、その担われる働きに差異はない。
叙述量の差については、ライトノベルでは収録作が2作品以上である作品が少ないために[表題作以外の作品]に関して叙述する機会が少ないことが理由として考えられる。
どちらの「あらすじ」でも、基本的には[解説者]の立場から語られる。その場合は、作品外部からの価値付けや作品外情報の提供が行われることがある。
しかし、ライトノベルでは、「あらすじ」が[登場人物]の立場から語られることがある。そのような場合、[登場人物]や作品世界の情報を{読者}に伝えることを、「あらすじ」の{書き手}が重視しているといえる。
どちらの「あらすじ」でも[働きかけ]に関する叙述がある場合は、消極的な[働きかけ]が、近現代文学87.0%(20/23作品)、ライトノベル75.7%(56/74作品)と高い割合で叙述がある点は共通している。しかし、積極的な[働きかけ]に関しては、近現代文学は13.0%(3/23作品)であるのに対して、ライトノベルでは78.4%(58/74作品)と高い割合で叙述がある。
ここから、どちらの「あらすじ」でも{読者}に作品世界を想像させる点では共通していることが分かる。ライトノベルでは、それに加えて、読者へ直接的に購買を呼びかける傾向があることも分かる。
近現代文学とライトノベルの「あらすじ」では、作品紹介の情報や要素を作品内か作品外、どちらに求めるかという点が決定的な違いである。
近現代文学は作品内部からの情報抜き出しもあったが、作品外部から作品内容への価値づけや作品外情報についても叙述があった。
対して、ライトノベルは作品内部から作品世界や登場人物の情報に関する叙述が多く、作品外部から情報や要素が付加されることは少ない。
本稿では、[近現代文学]と[ライトノベル]の「あらすじ」を構成要素に分類・比較してそれぞれの傾向を見出した。どちらとも販売促進の目的は共通しているが、その書き方に差異があることを確認した。
その中でも最も顕著な違いは、近現代文学の「あらすじ」が作品内外両方からの要素によって叙述されるのに対して、ライトノベルの「あらすじ」では、大部分が作品内から抜き出された要素によって叙述されているということである。つまり、「あらすじ」に書かれている要素がどの部分から抜き出されているかという違いである。
このような「あらすじ」の書かれ方の違いから、それぞれのグループが持つ特徴を考えた。
近現代文学は、発表から現在に至るまで多くの人に読まれることで、その作品自体が人々に認知され、確立してきた。そのため、作品外から付け加えられた情報が豊富であり、それらの情報にも留意した作品紹介がされている。
対して、ライトノベルは、近年発展している文学作品グループであり、まず作品内容そのものを認知してもらうための作品紹介がされている。また、ライトノベル自体が明確に定義されていないために、これまでの文学の流れから外れるような特殊な作品も出てき易い。その特殊性を活かす作品紹介もされている。
今回の研究では、[近現代文学]と[ライトノベル]の「あらすじ」を、構成要素にわけて分析を行った。最後に「あらすじ」研究に関しての、今後の課題について述べる。
研究をする中で今回立てた構成要素の分類に不備があることが分かった。
[作品の位置づけ]の[作者]の項目には、同作者の全文学活動の中での作品の位置づけと同作者内で更に限定された範囲であるシリーズ作品としての位置づけがあった。つまり、全体で捉えるか、部分で捉えるかという違いである。全体で捉えた場合は、作者の文学活動の中での作品ということで、作者基点で作品を捉えているといえる。しかし、部分で捉えた場合は、作品ごとの繋がりを重視しており、作品基点で作品を捉えているといえる。
ここから、[作品の位置づけ]の構成要素には、更に[作品]という項目が立てられるべきであったことが分かる。
また、[近現代文学]や[ライトノベル]のような文学作品のグループ以外にも、「あらすじ」に影響を与える要因は、様々に存在している。例えば、出版社や作家がその要因の一つとなる。
今回は、資料を並列的に扱ったが、時系列順に並べてみることで、各時代ごとの「あらすじ」の書かれ方の変化についても見ることができる。
また、これまでにも述べてきたように、今回対象とした「あらすじ」は、文庫本の販売促進を主目的として書かれている。しかし、販売促進という目的で共通しているにも拘らず、それぞれの「あらすじ」が生む効果には違いが見られる。{読者}に「買って読もうかな」と思わせる「あらすじ」を研究することで、どのような内容、文体が「あらすじ」として優れているかを見出せる。
勤め先の社長夫人の仲立ちで現在の妻お延と結婚し、平凡な毎日を送る津田には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。ある日突然津田を捨て、自分の友人に嫁いでいった清子が、一人温泉場に滞在していることを知った津田は、秘かに彼女の元へと向かった……。濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて、日本近代小説の最高峰となった漱石未完の絶筆。
(夏目漱石『明暗』 新潮文庫 初版 1987年 6月25日)
「どうかあたしの恋を叶えてください!」何故か文芸部に持ち込まれた依頼。それは、単なる恋文の代筆のはずだったが…。物語を食べちゃうくらい深く愛している“文学少女”天野遠子と、平穏と平凡を愛する、今はただの男子高校生、井上心葉。ふたりの前に紡ぎ出されたのは、人間の心が分からない、孤独な“お化け”の嘆きと絶望の物語だった―。野村美月が贈る新味、口溶け軽めでちょっぴりビターな、ミステリアス学園コメディ、開幕。
(野村美月『文学少女と死にたがりの道化』 ファミ通文庫 初版 2006年 4月28日)
※例文の抜粋及び下線はレジュメ制作者による。
※引用情報がない例については、上記の「あらすじ」例から引用。
構成要素 | 分類の観点 | 読者への働き | 例文 |
---|---|---|---|
状況 |
| 作品世界の土台となる情報があることで、作品世界を予想する手助けとなる。 | 上記の「あらすじ」の例を参照。 |
登場人物 | 登場人物に関する叙述がある。 | ||
名前 | 登場人物の名前を示す叙述がある。 | 登場人物の人物像を予想する手助けとなる。 | 「津田」「天野遠子」 |
行動 | 登場人物の行動を示す叙述がある。 |
| 「秘かに彼女の元へと向かった……。」 |
心理 | 登場人物の心理を示す叙述がある。 |
|
「家の前を通る大学生に想いを寄せてゆく」 (森鴎外『雁』 岩波文庫 初版 1940年 3月 1日 改版 1974年12月17日) |
設定 | 登場人物の設定を示す叙述がある。 |
| 「今はただの男子高校生、井上心葉」 |
主題 | その作品について、書き手が考える主題を示す叙述がある。 |
| 「濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて」 |
構成要素 | 分類の観点 | 読者への働き | 例文 | |
---|---|---|---|---|
作品の位置づけ | → | 作品が社会においてどのような位置づけにあるかを示す叙述がある。 | ||
作者 | 書き手が、その作品を作者の文学活動の中でどのように位置づけているかを示す叙述がある。 |
|
| |
文学史 | 書き手が、その作品を文学史上でどのように位置づけているかを示す叙述がある。 |
|
| |
ジャンル | 書き手が、その作品をどの「ジャンル」に位置づけているかを示す叙述がある。 ※ここでいうジャンルには、販売する際の売り文句として付けられたものも含む。 |
| 「ミステリアス学園コメディ」 | |
書誌情報 | → | 書誌情報に関する叙述がある。 ※書誌情報(文献を特定するのに必要な情報) | ||
篇 | その書誌に何篇の作品が掲載されていかの叙述がある。 | その書誌に何篇の作品が掲載されていかが分かる。 | 「14編を収録」 (太宰治『きりぎりす』 新潮文庫 初版 1974年 9月30日 改版 2008年11月10日) | |
年代 | 作品や書誌に関する年代についての叙述がある。 | 作品成立当時の時代背景が分かることで、その当時の文化や風俗を想定し易くなる。 ※読者の知識に拠るところが大きい。 | 「大正元年作」 (夏目漱石『行人』 角川文庫 初版 1954年 7月15日 改版 1968年12月10日) | |
掲載雑誌 | 収録作品が掲載された雑誌についての叙述がある。 | 作品成立当時の時代背景が分かることで、その当時の文化や風俗を想定し易くなる。 ※読者の知識に拠るところが大きい。 | 「明治三十九年『ホトトギス』に発表」 (夏目漱石『坊っちゃん』 角川文庫 初版 1955年 1月20日 改版 1966年 4月30日) | |
解説者 | 巻末に掲載されている解説文の書き手についての叙述がある。 | 解説者情報を意識する読者の関心を惹く。 | 「解説 = 稲垣達郎」 (森鴎外『雁』 岩波文庫 初版 1940年 3月 1日 改版 2006年10月17日) | |
賞 | 作品の受賞暦についての叙述がある。 | 作品の評価が受賞暦という具体的な形で書かれることで、「良質な」作品であることを示す。 ※賞の知名度に影響を受ける。 | 「第13回電撃小説大賞<金賞>受賞作」 (土橋慎二郎『扉の外』 電撃文庫 初版 2007年 2月25日) | |
原作 | ノベライズ作品などの原作者や原作についての叙述がある。 | 原作に興味を持っている読者の関心を惹く。 | 「想定科学ADV『Steins;Gate』」(原作ゲーム名) (原作 5pb.×ニトロプラス/三輪清宗『Steins;Gate 蝶翼のダイバージェンス:Reverse』 スニーカー文庫(角川文庫) 初版 2011年7月1日) |
構成要素 | 分類の観点 | 読者への働き | 例文 | |
---|---|---|---|---|
作品 | → | 作品に関連する叙述がある。 | ||
作品名 | 作品名を示す叙述がある。 |
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「『阿部一族』は殉死の問題を取り扱った作品」 (森鴎外『阿部一族』 岩波文庫 初版 1942年 5月 2日 改版 1970年 9月17日) | |
作調 | その作品について、書き手が考える雰囲気を示す叙述がある。 | 作品内の文章表現を予想する手助けとなる。 | 「新味、口溶け軽めでちょっぴりビターな」 | |
評価 | その作品について、書き手が考える評価を示す叙述がある。 | その作品が「良質な」作品であることを示す。 | 「古美術品のように美しく不動」 (志賀直哉『小僧の神様ー城之崎にて』 新潮文庫 初版 1968年 7月30日 1985年 6月10日改版) | |
要約 | 作品内容が要約的な叙述がある。 | 作品内容の情報を幅広く提示することができる。 | 上記の「あらすじ」の例を参照。 | |
引用 | 作品内部から抜き出している叙述がある。 |
|
| |
作者 | → | 作者に関連する叙述がある。 | ||
作者名 | 作者の名前を示す叙述がある。 |
| 「漱石」「野村美月」 | |
作調 | その作品について、書き手が考える作者の雰囲気を示す叙述がある。 | 作者の文章表現を予想する手助けとなる。 | 「現実を明晰・辛辣な筆致で裁断した」 (三島由紀夫『ラディゲの死』 新潮文庫 初版 1980年 12月25日) | |
評価 | その作品の作者について、書き手が考える評価を示す叙述がある。 | 作者評価をすることは、同時にその作者の作品を評価することにつながる。よって、
| 「天稟の文学的才能」 (太宰治『もの思ふ葦』 新潮文庫 初版 1980年 9月25日 2008年 7月20日) | |
表題作以外の作品 | → | 表題作以外の作品に関連する叙述がある。 | ||
作品名 | 表題作以外の作品名を示す叙述がある。 |
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紹介 | 表題作以外の作品についての解説となる叙述がある。 |
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視点 | → | 「あらすじ」の語り手の視点。 | ||
解説者 | 「あらすじ」が、作品外の立場で語られているもの。 | ※基本のあらすじの書き方 ※作品外の立場から語られることによって、作品外の情報も書くことができる。 | 上記の「あらすじ」の例を参照。 | |
登場人物 | 「あらすじ」が、作品内の登場人物の立場で語られているもの。 |
| 「御園マユ。僕のクラスメイトで、聡明で、とても美人さんで、すごく大切なひと。(中略)今度時間があれば、質問してみよう。 まーちゃん、キミは何で、あの子達を誘拐したんですか。って。」 (入間人間『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸』 電撃文庫 初版 2007年 6月25日) |
構成要素 | 分類の観点 | 読者への働き | 例文 |
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働きかけ | 次の展開を考えさせ、読者を引き込むような叙述がある。 | 読者を積極的に作品世界に引き込もうとしている。 ※「働きかけ」には、読者に直接的に語りかける「積極的な働きかけ」と、余韻を生むことで読者に想像させるように仕向ける「消極的な働きかけ」の2種類がある。 | (積極的な働きかけの例) 「さあ、みんな一緒に、デュラララ!×2」 (成田良悟『デュラララ!!×2』 電撃文庫 初版 2005年 5月10日) (消極的な働きかけの例) 「秘かに彼女の元へと向かった……」 |
作者 | 作品名 | 作品内の情報 | 作品外の情報 | 作品紹介のあり方 | 読者への働きかけの構成要素 | |||||||
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状況 | 登場人物 | 主題 | 作品の位置づけ | 書誌情報 | 作品 | 作者 | 表題作以外の作品 | 視点 | 働きかけ | |||
近現代文学 | 夏目漱石 | 『明暗』 | あり | 名前 「津田」 行動 「彼女の元へと向かった」 | あり 「濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて」 | 文学史 「日本近代小説の最高峰」 作者 「漱石未完の絶筆」 | なし | 要約 評価 「日本近代小説の最高峰」 | 作者名「漱石」 | なし | 解説者 | (消極的な働きかけ) 「彼女の元へと向かった……」 |
ライトノベル | 野村美月 | 『文学少女と死にたがりの道化』 | あり | 名前 「天野遠子」 設定 「今はただの男子高校生、井上心葉」 | なし | ジャンル 「ミステリアス学園コメディ」 | なし | 要約 引用 「どうかあたしの恋を叶えてください!」 作調 「新味、口溶け軽めでちょっぴりビターな」 | 作者名「野村美月」 | なし | 解説者 | (消極的な働きかけ) 「はずだったが…。」 「孤独な“お化け”の嘆きと絶望の物語だった―。」 |