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大阪教育大学 国語学講義
受講生による 小説習作集

詩織

 
2012年度号
雪の降る日に102127
「夏蜜柑」102210
あの夜の思い出102138
回顧録102208
集合写真102137
宝田旅行記102126
太陽の塔102116
プレゼント102125
時をかけちゃった少女102203
オレンジの光102204
ゴールの先には102207
しちがつなのか102121
手紙102201
鏡の世界102131
水曜ブイヤベース102205
俺の世界102114
ある少女の話102106
入国審査102209
チャンネル119106
102206
 

雪の降る日に
 102127

 昨日の夜から降り出した雨は、今朝になっても止んではいなかった。むしろその雨足は強くなっていたように思う。そうはいっても、昨日の雨足をよく覚えていないのだが。そういえば、雨の日には外に出るのが嫌になるという話をよく聞く。その理由は至って明白である。雨の日にはお気に入りの洋服も、おろしたてのスニーカーも、みんなビショビショになってしまうからである。冴えない傘の中をいくら着飾っても無駄だと分かっているのに、人前に出る以上、装いにある程度力をいれなければならない。そんな雨に日に誰が好き好んで外に出るだろうか。僕は少なくともそう思っている。
 朝になって気がついたが、この雨はいつもと違うような気がする。僕はゆっくりと立ち上がって、深いブルーのカーテンを開けて窓の外を見た。雨に色がついただとか、雨粒があたたかいだとか、そんな違いならすぐに分かるが、そんなことが起こるわけがない。窓の外では、いつもと変わらない雨が降っている。そうだ。何か頭に響く雨なんだ。ドーン、ドーンと鈍い音が響いている。僕はもう一度横になろうとベッドに座りこんだ。でも、何故か体を横にすることができなかった。ただ、ひたすらにドーン、ドーンと頭に雨の音が響いているだけだった。
 ここに来てどれくらいの月日が流れただろうか。最初の頃は気にしていたが、今となってはどうでもいい。僕を尋ねてきてくれる人はいないし、誰とも会話せずに何日も続いたりする。そんな生きているのか死んでいるのかも分からない僕にとって、今日が何日で何曜日なのかは段々問題にならなくなったのだと思う。もうきっとここから出ることはできない。そんなことは自分が一番分かっている。それすらも大したことではないように思うのだ。僕の人生の最期がこの場所ならば、それもまたいいだろう。ただ一つ、そんな僕の人生に後悔があるとすれば、ここにやってくる前のこと。まだ少しは僕が輝いていた頃のことだ。屍のように過ごすこんな今でも思い出すことがある。その度に、人間とは面倒な生き物だと改めて思うのだ。少し頭に響く音が和らいだ気がする。僕はようやくベッドに体を横たえた。
「松田くん、検温の時間ですよ」
 僕は返事をしない。
「また朝ごはん食べなかったんだって?これ以上痩せると、無理やり食べさせるからね」
 やはり僕は返事をしなかった。それでも彼女は僕に話しかけることをやめることはない。
「今日は雨で気分が滅入るわね。あら、松田くん。熱があるわ」
 彼女は体温計を見ながらそう言った。熱があったから頭にやたらと雨の音が響いたのかもしれない。
「無理しないで休んでいてね」
 彼女も災難だ。無愛想で何もしゃべらない僕のような人間と関わりを持たなくてはならないなんて。まぁ、それもまた彼女の人生なのだから仕方がない。
「あぁ、そうだ」
 彼女は部屋を出ようとしたが、その時何かを思い出したかのように振り返った。
「松田くん宛に手紙が届いていたわよ」
 僕は彼女のその言葉に、彼女が部屋の中に入ってから初めて彼女の方を見た。
「はい、これ」
 彼女の手の中には、目も醒めるような鮮やかなブルーの封筒があり、それは達筆な字で僕の名前が書かれていた。この字には見覚えがある。
「じゃあ、おとなしく休んでいてね」
 その時には僕の意識は手の中の封筒の中にあり、彼女の言葉など耳には入っていなかった。僕はゆっくりと差出人の名前を見るために封筒の裏に目をやった。
「……川島絢」
 ……今日は長い一日になりそうだ。
 僕と彼女の出逢いは中学3年生の春だった。正確に言うと、彼女は僕のことをずっと知っていたらしいが、初めて同じクラスになり、僕も彼女の存在を知ったのがその時だった。彼女はとても賑やかな人で、時にうるさすぎて注意をされるような人だった。ただ、とても美しい容姿をしていて、誰にでも自分の意見を言える人として素晴らしい一面を持っていた。僕は、今でも彼女との初めての会話を忘れることができない。
「松田くん、今、暇?」
 彼女はまるで親しい友だちに話しかけるように、全く話したことがない僕に話しかけてきた。
「……特に用はないけれど」
「じゃあ、これを職員室に運ぶのを手伝ってくれない?」
「……いいけど」
「いいけど、何?」
「いや、何で僕なのかなって」
「理由が欲しいの?」
「そういうわけじゃ……」
「私、自分で言うのも何だけれど、衝動的な性格だから、理屈っぽいのは嫌いなの。松田くんがパッと目に入ったから頼んだの。理由がないと動けないのなら、違う人に頼むけど」
「……ごめん」
「何に対して謝ってるか分からないのに、ごめんっていう言葉は使わないで。ごめんっていう言葉はそんなに簡単に使える言葉じゃないから」
 僕はその言葉を聞いて、居たたまれない気持ちになったのを覚えている。
「別に怒ったわけじゃないから、そんな顔しないで。よく勘違いされるんだけど、私は言いたいことを言ってるだけ。だから松田くんも私には言いたいことをどんどん言っていいからね」
 彼女はそう言って笑った。強烈な初対面だった。彼女は僕とは違う世界に住んでいるような人間だったのだと思う。そんな水と油のような僕たちの人生が複雑に交わりだした循環だった。僕は一生忘れない。
 少し眠ると、頭は妙にすっきりしていた。どうやら雨は止んだようだった。僕は彼女からの手紙をなかなか開けられずにいた。ここで理由をつけて読まない自分を美化するより、ただ読みたくないと言った方が彼女は納得してくれるかもしれない。もしかしたら、この手紙の存在すら否定してくれるかもしれない。そんなことを思ったりしていた。
「松田くん、熱計ってみようか」
 また彼女が部屋に入って来た。
「あら、手紙読まないの?」
 僕はまた返事をしなかった。
「かわいい女の人ね。この手紙を渡しに来てくれたときに会っていけばって言ったんだけどね」
 僕は思わず彼女に目線を向けた。そして封筒を手に取ると、切手に消印が押されていないことに気付いた。
「よかった。平熱に戻ってる」
「あの……」
 久しぶりに言葉を発した気がする。
「外に出たいんですけど」
 彼女は僕の言葉に目を丸くしていた。
「どうしたの?急に」
「……散歩に出たくなっただけです。別に無理にとは言いません」
「先生にお願いしてみるわ。松田くんが入院して始めて言ったお願いだから」
 彼女はそう言いながら、何故かニコニコしていた。何がそんなに嬉しいのだろうか。僕にはさっぱり分からなかった。僕の頭の中は、ただ絢のことでいっぱいだった。
 僕は愛情というものを知らずに育った。母は出産の際に僕の命とひきかえにこの世を去ったと聞いている。父は元々僕に愛情を注ぐつもりなど全くなかったらしく、家では小さい頃から邪魔者扱いされる日々だった。その癖世間体を気にする人で、外面ばかりはよい人だった。そんな人が、わが子を産むために命を落とすような母親と結婚していたなど、未だに信じることができない。僕の親は小さい頃から母方の祖父母だった。父とは親子らしい会話をしたことがない。ただ金を必要な時に必要なだけくれる、都合のいい銀行のような存在だった。親の最低限の努めは、世間体を守るために果そうとしていたのかもしれない。しかし、一度だけ父が金を出すことを渋ったことがある。小学校を卒業するとき、記念品の代金をそれぞれから集金をしたときだ。大した金額ではなかったはずなのに、父は金を出すことを渋った。
「お前はな俺の不注意で生まれた子なんだ。あの夜、酔っていなければこんなことにはならなかった」
 何枚かの札をようやく投げつけたかと思うと、そんな言葉を口にした。
「分かるか?俺には俺の人生があるのに、お前という存在がいるから、俺は一生自由に暮らすことができない。お前さえいなければよかったんだ」
 僕は詳しいことは分からなかったが、ただ悲しく、札をギュッと握りしめたまま、父の前を去った。それ以来、ろくに父とは会っていない。僕が自分の感情を押し殺すことを覚えたのもその時だと思う。僕の存在が誰にも求められないものならば、傷つかないようにひっそりと暮らしていけばいい。笑顔も自然に出なくなった。そんな僕に唯一愛情を与えてくれ、笑顔を取り戻してくれたのは絢だった。絢はクラスで浮いていた僕にも、関係なく話してくれた。最初は正直言って苦手な存在だったはずだが、出逢ってから次第に彼女に魅かれていった。しかし、別にどうしたいなどとは思わなかった。僕自身、彼女に対する思いが何なのか、はっきりとは分かってはいなかったし、それが分かったところでどうしていいかは僕には分からなかったと思う。僕は彼女と長く一緒の時間を過ごした。異性の中では一番だった自信もある。しかしそんな時間も無駄に長い人生から見ると、ほんの一瞬だ。本当にあったのかと疑いたくなるくらいに短い時間だ。それが証拠に、僕は彼女の恋人ではなかった。一番ではなかった。最も大切な人だったし、最も愛情を注いだ人だったはずなのに、最も掴めない人だったのだ。その彼女が、またよく掴めないことをしている。僕に会えたのに会わず、手紙だけを残していった。もう彼女が僕の前からいなくなって十年が経つというのに。でも、彼女が僕の近くにいることは確かだ。今度は彼女を本当に捕まえることができるかもしれない。もう二度とあんな思いをするのは嫌だ。そう思っていた。
「じゃあ、先生に確認してくるから」
 彼女がそう言って部屋から出ていった。僕はふうと一息ため息をつき、手紙の封を開けてみた。
 窓の外からは、一筋の光が差し込み始めていた。
「聡はどの高校を受験するの?」
「僕は南高校を受験するよ」
「じゃあ、一緒だね」
 それからは毎日必死だった。自分の身の丈に合わない高校を、彼女が行くから受けるために必死に勉強をした。彼女の一番近くは僕の居場所じゃなくてもいい。でも彼女の姿が見えない場所にいるのは嫌だ。その一心で僕は頑張っていた。何も言わなくても近くにいればいつまでも繋がっていられると思っていたんだと思う。綺麗で、何にも言うことができて、僕が持っていないところをたくさん持っている彼女と一緒にいることが僕の幸せだった。
 冬の寒さが厳しくなり、年が明ける大晦日。僕は一度だけ絢と出かけたことがある。恋人が行くようなイルミネーションが綺麗な場所とか、映画館ではなく、近くの神社に初詣に行っただけだが、僕の人生の中で一番輝いた日だったと思う。
「ねぇ、聡。大晦日も勉強するの?」
「どうかな……もう少し頑張らないといけない気がするし、やろうかなって思うけど」
「じゃあ、その日は早く切り上げて初詣に行こう」
「初詣?」
「神社にお参りってやつ。知ってるでしょ?」
「そりゃ知ってるけど……僕でいいの?」
「出た。聡の口癖。今度から僕でいいの?って聞いたら罰金ね」
 彼女は僕の存在をいつも肯定してくれた。彼女がいてくれるから、僕はいられたんだと思う。
「……うん」
 僕はあの時、心の底から笑っていたような気がする。
 中学三年生の大晦日。僕たちは何の変哲もない、近くの神社に一緒に初詣に行った。あの日の絢は、淡いベージュのダッフルコートを着ており、とてもかわいらしかったのを覚えている。
「早かったね、聡」
「うん。何かじっとしていられなくて」
 それは絢に言った正直な思いだったように思う。後にも先にも、絢に正直な気持ちを伝えたのはこのときだけだった。
「……うん、私も」
 周りの寒さが、余計に絢の美しさを映えさしていた。
「行こう?」
「……うん」
 僕はドキドキしすぎて、絢の言葉に機械のように従うことしかできなかった。人混みの中、キラキラしている絢を見失わないように、ただ真っすぐ歩いていた。
「ねぇ、聡。何をお願いするの?」
「お願い……高校に合格しますように、かな」
「何だ、結局神頼みなんだね」
 初めて絢に嘘をついた。僕は隣で真剣にお願いをしている絢を覗き見ながら、『絢とずっと一緒にいられますように』とお願いした。神様でも何でもいい。その願いを叶えてくれるなら、僕は何もいらない。そう思った。
「絢は何をお願いしたの?随分長く手を合わせてたね」
「ん?私はたくさんお願いしたの。家族の幸せとか、友だちの幸せとか、世界の平和とか」
「自分のことはお願いしなかったの?」
「……したけど、秘密」
 帰り際、絢はそう言って悪戯っぽく笑った。
「なんかさ、この初詣っていう行事もあっという間だよね」
「……そう?」
 僕には永遠より長い時間に感じた。
「神様にお願いして、お守りとか買って、それで終わりだもんね」
「……うん、そうかもしれない」
「でも……」
「でも?」
「今年は聡が一緒にいてくれたから、少し長く感じた」
 お互いにそれからは言葉を口にしなかった。周りの音は次第に神社を離れるにつれて聞こえなくなり、お互いの足音しか聞こえなくなった。もうすぐ、今日待ち合わせた分かれ道まで来てしまう。僕がそう思っていたとき、右手に温かな感覚が伝わってきた。僕は目線を下に落としたが、その感覚が何なのかは分かっていた。右手を中心に僕の血液は体中を巡っているのかと思うくらい、右手が熱くなった。
「……じゃあ、今年もよろしくね。聡」
 とうとうやってきた分かれ道。どうやって歩いてきたのか、覚えてはいなかったが僕は確実にそこに立っていて、右手の温かな感覚もなくなっていた。
「……うん」
 僕がそう言った次の瞬間、今度は唇に温かな感覚が広がった。ほんの一瞬だったのかもしれない。あるいはとてつもなく長い時間だったのかもしれない。それは今になっても分からない。でも、僕はあの日、絢とキスをした。そこにどんな感情が伴っていたのかは、分からない。唇が離れ、ほんの一瞬絢の赤い顔が見えたかと思うと、絢は僕に背を向けて走り出していた。僕は何も言えずにその場にしばらく立ちつくすことしかできなかった。空からはチラチラと雪が降り始めていた。
 その3ヶ月後、絢は突然僕の前から姿を消した。
「外出しても大丈夫ですって」
 彼女はものの15分ほどで部屋に戻って来た。
「そうですか」
「雨上がりで少し肌寒いから、上着羽織ってね。それからあまり遠くへ行かないこと」
「はい」
 僕は深いブルーの上着を羽織り、ゆっくりと部屋を出た。本当は走りだしたかったのだが、体がいうことを聞かなかった。よく考えれば当たり前かもしれない。ご飯はろくに食べず、毎日部屋の中で生活をしていたのだから。それでも、今僕は行かなければならない。今、行かないと、本当に僕の人生は終わりだ。僕はゆっくり病院の外に歩きだした。
 病院の外は雨上がりで、空には眩しい日差しがあった。確かに肌寒い風は吹いているが、直接日差しを浴びると、それほど寒さは感じなかった。絢がどこにいるかは分からない。でも、絢が僕の近くにいるのは間違いない。でなければ、絢があんなまどろっこしい手紙をよこすわけがない。もっと分かりやすい手紙にするはずだ。僕は絢がいそうな場所を必死に思い浮かべてみた。でも、僕の頭の中にはこれといった場所が思い浮かばない。かといって、あてもなく歩くのでは永遠に絢を見つけることなどできないような気がする。そんなことを考えながら時間をかけて、絢のことを考えていると、次第に1つの場所が思い浮かんできた。もちろん、絢がいる確証はない。でも、きっと絢がいる確率が一番高い。僕は頭の中の場所へ歩きだしていた。
 あの大晦日以来、僕と絢の間には少し距離が開いたような気がしていた。もちろん会話はする。絢の手伝いをしたりもする。でも、あのキスは僕と絢の間に何かをつくりだしていた。絢はキスのことには一切触れない。僕も触れることができない。だから、あのキスにどんな感情が込められていたのかは、僕には分からなかった。僕は勉強をしながらも、時々あの赤い顔をした絢のことを思い出したりしていた。好きだという感情を伴わないキスなど、この世に存在するのだろうか。まだ中学生だった僕が、その答えを見つけるには早すぎたのだろう。愛情を形にすることが苦手だった僕は、絢に何も伝えてあげることができなかったのだ。
 そしてそんなことを考えていると、高校の受験当日があっさりとやってきてしまった。思っていたより試験内容は簡単で、あっさりと試験は終わってしまった。勉強を必死にがんばったおかげで余裕を持つことができたのかもしれない。名前さえ書き忘れていなければ、合格しているだろうと思いながら僕は試験会場をあとにした。その帰り道、見覚えのある後ろ姿が僕の前を歩いているのを見つけた。
「絢」
「あぁ、聡」
 絢はピンクの手袋をしていた。
「どうだった?試験」
「できたと思うよ。絢は?」
「……自信ないな」
 絢はそう言って力なさげに笑った。絢は僕よりも成績がよかったので、僕からすれば意外な返答だった。絢以外の人ならば謙遜しているのかなと思うが、絢はそういう性格ではない。
「そうなんだ……」
 僕はどう返せばいいか迷ってしまい、しばらくの間沈黙が続いた。
「別に聡が落ち込むことじゃないよ。聡はしっかりできたんだし」
 やがてその沈黙に耐えきれなくなったように、絢が口を開いた。僕は何も返すことができず、自分がしていたベージュのマフラーを絢に巻いてあげた。
「……春からも一緒だといいね」
「……うん」
 僕は絢が聞こえるか聞こえないかの声で言ったことに、ようやく同じように小さな声で返事をした。空からはチラチラと、今年2回目の雪が降り出していた。
 絢がいなくなったのは本当に突然のことで、僕はどうすることもできなかった。昨日まで近くにいた絢が、どこにもいなくなっているのだ。行くなとも言えなかったし、さよならも言えなかった。僕は絢のことを結局は何にも知らなかったのだろう。その時に心から後悔した。絢にあのキスの意味を尋ねておけばよかったと。僕に人を想う大切さを教えてくれたことの感謝を伝えておけばよかったと。そして一言、好きだと伝えておけばよかったと、本当に思った。でも、いくらそんなことを思っても、いくら後悔しても、絢はもう近くにはいなかった。そうすれば、絢はいなくならなかったのだろうかと自惚れたりもした。でも、不思議と涙は1滴も流れなかった。絢は僕の近くからいなくなったけれど、消えてしまったわけじゃない。絢がいなくなったのには、ちゃんと理由がある。そう思った。
 高校の合格発表の次の日は卒業式だった。僕は昨日会えなかった絢に、結果を聞こうと朝から絢を待っていた。しかし、式が近づいてきても絢は一向にやって来なかった。いつもなら早くに登校してきて、色んな子と話しているのに。結局、絢は集合時間までやって来ることはなく、綺麗に着飾った担任が教室に先にやって来てしまった。
「えぇ、これから体育館に移動するが、その前に残念なお知らせがある。川島が親御さんの都合で今日の卒業式に出ずに引っ越すことになった」
 担任は淡々とそんなことを口にしているが、僕の頭の中には1つもその情報が入ってこなかった。
「先生も、卒業式だけは出たらと勧めたんだが、どうしてもということだった」
 僕はただ俯いて担任の話を聞くことしかできなかった。卒業式などどうでもよかった。どうせ誰も喜んでくれはしない。ただここに絢がいてくれればと嘆くことしかできなかったのだ。もう少しあの時僕に力があれば……。後悔ばかりの人生だった。
 
「……自律神経失調症?」
「はい」
 僕が高校を卒業するとき、色々な症状が現れた。急に胸がドキドキしたり、何もないところで緊張したり、耳鳴りがしたり、手が震えたり、食欲が失せたり……病院に来た時には、そんな訳の分からない、色気もない病名を宣告されるようになってしまった。
「原因は私には分かりませんが、精神的なことかと思います」
 絢がいなくなり、僕に心は思った以上に弱っていたのかもしれない。父は僕がそんな病気だと知ると、世間体を守りたいがために、入院を勧めてきた。僕の存在自体を隠したかったのかもしれない。僕ももうどうなってもいいと思っていたので、入院をした。ただ心のどこかで、絢が会いに来てくれるのではないかと考え、それだけが僕の心をつなぎとめていたのだと思う。
 ……ここにいないだろうか。僕はそう思い、あの日最初で最後、一緒に出かけた場所の神社に着いた。正月の時期を外している神社には、ほとんど人がいなかった。あの日とは全然違う光景が僕の目に入ってきた。……でも、そこには1つだけ知っている光景がそこにあった。
「……何をお願いしたの?」
 僕はできるだけ優しく問いかけた。
「……聡が来てくれますようにって」
 彼女はベージュのダッフルコートと、あの日僕が渡したベージュのマフラーを首にまいてくれていた。
「……手紙、読んだ?」
「読んだからここにいるんだよ」
「でも、私ここにいるって書いてないよ?」
「……何となく。ここじゃないかって思っただけ。絢もここに来てくれるって思ってたんでしょ?」
 僕は手紙をポケットから出し、絢に見せる。
『探しに来て』
 手紙にはただ一言、そう書かれていた。
「居場所書いちゃったら、面白くないし、聡の私に対する思いも分からないもんね」
「僕の思い?」
「うん。私が好きなら、きっとここに来られるはずだもん」
 絢はそう言ってマフラーを外し、僕の首にかけた。
「……ごめんね。勝手にいなくなったりして」
「……いや、いいよ。今、絢がいるから」
 僕は自然と絢の手を握っていた。
「……高校を受験する前、両親の離婚が決まって。高校に合格したら引っ越さなくてもよかったんだけど、落ちちゃったんだよね。だから、お母さんに強引に連れて行かれちゃった」
「……そうだったんだ。でも、どうして?」
「どうしてって……聡にキスしたからじゃない?ずっとあの時のこと考えてた。それなのに、聡は普通だし。もうずっとモヤモヤしてた」
 神社から病院に戻りながら、僕たちはそんな話をしていた。
「……本当はずっと聞きたかったんだよ?あの日のキスの意味」
「意味?もしかしてまた理由にこだわってたの?相変わらずだね、聡」
 絢はそう言って笑った。
「衝動的にキスしたくなったんだよ?好きだからに決まってる。聡は少しは気にしてくれてたの?嬉しかった?」
「……気にしないわけがないよ。今なら言える。僕も絢が好きだから。あの時からずっと」
 僕たちは顔を見合わせ、ニコッと笑い合った。
「……病気なんだって?」
「絢に会えたら治っちゃったよ。明日にでも退院さしてもらおうかな?」
「何、それ?」
 絢。君に会えただけで、こんなにも心が温かい。君にも伝わってるかな?
「そういえばさ、あの大晦日の日。神様に何をお願いしたの?」
「あぁ、あれね。ちゃんと叶えてもらったんだ。あの神社の神様はすごいね。今日も一つお願いを叶えてもらっちゃったし」
「そうなんだ……で、何なの?」
「うん……」
 絢は一つ間をおいた。
「聡と一緒にいられますようにってお願いしたの」
「……僕も。あの時は嘘ついたけど、本当は絢と一緒にいられますようにってお願いした」
 僕はそう言って絢を抱きしめていた。
「……もうどこにも行かないで」
「……うん」
 僕たちは時間を超えて、2回目のキスをした。長い長いキスだった。思いが伝わることは奇跡なのかもしれない。たくさんの人間が生きている中で、こんなにも愛しいと思える人が僕の腕の中にいる。そんな奇跡が今起こっているのだ。僕は、またあの日のように顔を赤らめている絢を、一生かけて守っていこうと心の中で誓っていた。
 空からはいつの間にか気が早い雪がチラチラと降り始めていた。
 

相互評価

102203

○ 心情の描写がわかりやすくてよかった。
△ 聡の病気と闘おうみたいな終わり方ならもっと絆が強調できたようにおもう。
 初めの描写では結構重い感じだったので、あっさり治ってしまってはそこが活きてこないように思ったので。

102131

○ 場面ごとの天気の描写が良かった。
△場面の転換を示すために改行しているともっと読みやすいと思う。

102208

いいところ
 ・短文が重ねられていることで、主人公「聡」の心情がたたみかけるように伝わってきました。
 ・絢ちゃんとの別れで病気になってしまった主人公は、繊細な少年(青年)なのだろうと思います。そういう「弱さ」を持っていた人が、最後で、「一生かけて守っていこう」と誓うというのはいいなぁと思います。
 気になったところ(いろいろな意味で)
 ・何か所か、文章のつながりに違和感のある部分がありました。
 ・冒頭の彼女(看護師さん)を「彼女」と表現することで、何かもっとかかわってくるのではないかという、伏線めいたものを感じていたのですが、意外とあっさりだなと感じました。あえての表現だったのなら、予想を裏切るうまい表現だなと思います。

102210

○いいところ  聡の心情表現が豊かに描かれていた。
「衝動的…」のところが過去の場面とつながっていてうまくつかっていると思いました。
△こうすれば  病気の設定が生かし切れていないと感じました。
 途中までは深刻そうな感じで進んでいたのに、急に病気が治ってしまって軽いものになってしまったという印象を受けました。
 一緒に病気と闘っていこうというような結末もありだったかなと思います。

102212

○ 心情描写がうまいと思いました。読みやすかったです。
△ ほんの少し展開が急すぎるんじゃな気かなって思いました。

102205

いいところ  主人公の気持ちがよく伝わってきました。セリフから人物の性格が読み取れたので、セリフの作り方が上手だと思います。
 こうすればいいのにというところ  病気とか家庭環境とか、結構重たいものを背負っている主人公だったので(性格もそんなに楽観的な人ではないようなので)、ラストがこんなにもあっさりしているのは違和感があると思いました。

102116

○心理描写がうまく、ひきこまれた
△最初の重さが急になくなっていたのは残念だった。

102121

○再会したところの二人の会話の穏やかさが良いと思いました。
  △主人公の病気は最後どうなったのか…その後を少し見えるようにしておくと、より良かったもではないかと思います。

102204

○描写が細かく、想像しやすい。実話なのではないかと思うほどリアル。
△最終的に絢と聡が再会し、両想いであったハッピーエンドなら、ラストをもう少し明るい書き方にすればいいのではと思った。最初の重く苦しい場面からハッピーな気持ちになかなかなりにくい。

102126

○情景描写と心情描写がうまくつながっていました。
 消印がなかったことなどおもしろかったです。
△恋愛要素が強く、その分おろそかになってしまっている部分があったと思います。(病気の設定や、主人公が盲目的になりすぎている)

102106

○場面ごとに空の様子が描かれていて情景を思い浮かべやすい。
 ○気持ちの描写が細かく伝わりやすい。
△ほとんど絢と聡しか出てこなくて少し重たい感じがする。

102209

○心情と情景の描写が丁寧で話に引き込まれました。
△主人公が病気だという設定の必要性があまり感じられませんでした。

102201

○ とても透明感のある作品だな、という印象を受けた。きっと登場人物同士の心の交流が純粋なもので貫かれているからだと思う。
△ 文章のつながりに違和感があるところがあった。
 冒頭の重々しい病気の描写と、絢が消えた理由はあまり釣り合っていないように感じられた。
 

102207

○会話文や描写がとてもリアルでした。
△病室の場面を作るには主人公の病気は欠かせないでしょうが、作品の雰囲気と比べて少し重い気がしました。

102137

短い文で、語り方も読みやすかったです。
 時間の飛躍がうまく生きていると思いました。
 みなさん書いていますが、今後病気とどのように向き合っていくのか、ということを書いてほしかったです。

102138

○ 心理描写が細かく描かれていて読みやすかった。
△ 病気の発症時期が高校卒業後というのが、時間的に少しずれ があるような気がするのが気になった。

102125

○ 情景と心情の描写が分かりやすく、また台詞自体がそれぞれのキャラを表していて良かったです。
△ 最後、絢に会う前に病気の症状で苦しみながらも探す様子が描かれていればラストがより引き立つんじゃないかなと思います。

102114

○物語の初めからいろいろな展開を予想でき、先を示さないことで先が気になる展開となっていたと思います。
△途中で『ブルー』がよく使われていたので最後に明るい色を出してみると、色の描写もうまく収まるのではないかなと思いました。もしかしたら最後の雪が『白』で、それも色を表していたのかもしれませんが。

102131

○心情表現が豊かでよかった。
△今後が気になる。
 

102206

○心情を表す描写が詳しく書かれていたので、非常に読みやすかったです。
△最初と最後の重さの違いが少し気になりました。その辺の移り変わりをもう少し提示してあげればもっと良い作品になると思います。

「夏蜜柑」
 102210

    一
 
 やっと暖かくなってきた四月の教室。窓の外では、新しい出会いを祝福するかのように桜が舞っている。先生に連れられて教室に向かっている。がやがやとした教室の雰囲気に近づくとともに、僕の緊張も高まっていく。期待と不安一度に押し寄せている。ここから僕の新しい生活が始まるのだ。
 「今日からみんなと一緒に勉強することになったまつだだんほ君だ。仲良くしてやってくれ。では自己紹介を頼む。」
 クラスのざわつきがいっそう激しくなった。僕がどんな人間かを見極めようとしている。この自己紹介で僕の中学生活が決まるのだ。黒板に自分の名前を書く手が震えている。いつも親しんで書いている字なのに、間違っている気がしてくる。チョークを置き、深呼吸をして話し始めた。
「まつだだんほと言います。普通の「松田」に気温が暖かいという「暖」と稲穂の「穂」です。暖かいく実りの多い人になるようにと、おじいちゃんに名前をつけてもらいました。ここには、親の仕事の都合で、大阪からやってきました。よろしくお願いします。」
 クラスの子どもたちの視線が僕へと集まっているのが分かる。ただ、そのなかで一人だけ、僕の方を見ていない子がいた。窓際の後ろから二番目の席に座っている女の子。彼女は暖かい春風で黒い長い髪をなびかせ、窓の外を眺めていた。
 好きな食べ物はタコ焼き。好きな球団は阪神とみんなが期待するような答えを選んで、僕は自己紹介を進めた。みんな笑顔で話を聞いてくれている。きっと好印象に違いない。僕はここでの中学校生活でいいスタートを切ったのだ。あっという間に自己紹介が終わった。
 僕の席は窓際の一番後ろ、つまり僕の話に興味を示さなかった。彼女の後ろということに決まった。ほっとしながら席についた。すると、目に前には小さな紙切れが置かれていた。「暖穂君っておもしろいね。」丸みを帯びた字でたった一言書かれていた。呆然としていると、前からクスクスという笑い声が聞こえた。
 前を見たら彼女が振り返り、
「よろしくね。暖穂君。私の名前は―」
    二
 目が覚めたらトンネルの中だった。久々に見た中学校時代の夢だった。愛媛県に転校したときだからちょうど中二の時である。俺にとっては一番楽しかったときの思い出になる。それにしても、なんともタイミングの良い夢であった。今、俺はちょうどその場所に向かっているのだった。
 かといって楽しく旅行に行こうというのではない。自然とここに足が向いていたのだった。俺はいったいあの場所に行って何がしたいのであろう。何をもとめているのだろう。気がつくと、学校に行くのをやめ、ここへ向かうための切符を買っていたのであった。
 電車のアナウンスを聞くとまだ乗り換えまでは時間がありそうだ。疲れているのであろう。すぐに眠気がやってきた。またまどろみの中へと入っていくのであった。
    三
 甘酸っぱい匂いが薫る町。それがこの町に来て思ったことだ。
 一方では、波の音。一方では、風がこの葉を揺らす音と、海と山にかこまれたこの町。この町に来て驚いたことと言えば線路は一本しかないということだ。踏切がないところだって平気で横断するほど、電車がろくに走っていない。よく、車掌さんが、線路を横断するおばあちゃん一人のために電車を止めていたのを見かけたこともある。
 町には、学校や、病院だって一つしかない。夜になれば真っ暗な闇が訪れ、星たちだけがこの町を照らしている。この町の楽しみといえば、夏になれば、海で遊べるといったぐらいだそうだ。名産と言えば、太陽を受けた斜面に永遠と広がる段々畑になる夏蜜柑ぐらいである。太陽の恵みとしてこの町では大事にされてきた。
 ここに来て早くも三週間がたとうとしていた。そのころには、…構成だからというみんなの興味は薄れていき、僕の周りの取り巻きも段々と減り、固定されていった。僕は最初の予定通りクラスの中でも人気もののグループに属していた。勉強もそこそこできて運動もできる。なによりもさわやかな人の集まり。僕が望んでいた生活であった。
 学校の休み時間は、クラスのみんなとサッカーをして遊び、放課後になったら蜜柑畑をかけずりまわっていた。のどが乾いたら、そこらへんにある蜜柑を勝手にとって食べていた。まだ熟していない蜜柑は、味がほとんどなかったが、そんな物でも僕らに潤いを与えるものとしては十分だった。
 うまくやれている。ここではうまくやれている。そんなことばかり考えていた。
 ここでの生活も慣れていくうちに、一つ気になる存在があった。僕の目の前に座っている。彼女のことだ。休み時間は一人で本を読んで過ごしている。誰かに話しかけられることもない。僕から見れば、このクラスから浮いていた。淋しくはないのだろうか。
 周りの人にきいてみると、昔からこんな感じらしい。彼女の名前は、武田玲華。神社の神主の娘で、この町で知らない人はいないということだ。容姿端麗、頭脳明晰。非のうちいどころのない彼女は、周りからあがめられていたのかもしれない。
 僕が転校してきて以来一回も口をきいていない。おもしろそうの意味を知りたいとは思ったが、いきなりそんなことを言ってくる奴にわざわざかかわる必要はなかった
 夏蜜柑の香りが漂ってくる五月のある日のこと。月末の運動会での出る種目を決めることになった。僕は走りは苦手なのだが、プライドと皆に嫌われたくない、このクラスのこの居場所を維持したいという気持ちからなかなか言い出せずにいた。学級代表の剛が勝手にみんなの能力に合わせて決めていく。体育は今まで器械体操であったため、そこまで運動が苦手なことを僕はみんなに知られずにいた。
「暖穂は走り速そうだし体力もありそうだし1500m走でいいよな。なぁみんな。」
 剛の声が響き渡る。誰も反対する者はいない。みんなの期待の声は全然頭の中には入ってこなかった。僕は流れ出した汗が止まらなかった。頭のなかで考え始めたのはいかに当日運動会を休むかということだ。ケガをするのがいいか。仮病を使うのがいいか。そんなことがばれたら、みんなに嫌われてしまう。せっかく築きあげてきたこの居場所がなくなってしまう。そんな不安に押しつぶされそうだった。
 そんな僕の内面を推し量るかのように、玲華はこちらを見ていた。その表情には笑みすらこぼれていた。僕は焦った。彼女にはばれているのではないかと。運動会でのぶざまな姿を見て笑う気ではないかと。気が気ではなかった。
 転校してきて以来、一人で帰ることはなかった帰り道を今日は一人で帰ることにした。今日は家の用事があると嘘をつくことに抵抗はあったが、みんなと一緒に帰る気分ではなかった。それよりも彼女にききたいとがあった。授業が終わったら、誰よりも早く教室を出て、一人で帰っていく。僕もすぐに抜け出し後をつけた。人目のない神社の下の階段のところまでこっそりと後をつけてきた。話しかけようかと思っているうちに、彼女は振り返った。
「暖穂君。何か用事でもあるの―」
    四
 気がつくと乗り換えの駅であった。あわてて鞄を手に取り、俺は電車を降りた。そして乗り換えのために歩き始めた。あの頃の俺は自分を偽って生きていた。とりあえず周りから嫌われない人間になろうということばかりを考え生きていた。自分の考えなんてどうでもよかった。周りが喜ぶようなことをするというのが僕の行動理念であった。よりにもよって楽しい思い出の中でもこの部分を思い出すのであろう。
 そんなこと明白であった。今の俺も似たようなことで悩んでいる。大学生として、勉強をしなければいけないのもわかっている。ただ、他にしたいことだってある。だが将来したいことのためには、勉強をしなければならない。それに、うまくはいかない人間関係。親からの期待。わからない勉強。いくらでも俺を悩ませるものはあった。本当の自分とならなくてはならない自分との間で俺は揺れ動いていた。
 そんな、生活に嫌気がさして、俺は逃げ出したのであった。今回の旅の目的、それは現実逃避。現実と向き合うのが嫌になって、ただ、逃げたのである。その逃げたという現実がさらに俺を追いこんでいく。いっそ命を投げ出してやろうかと考えたこともあった。だが、そんな勇気がどこにあるわけでもなく、ただただ、逃げて逃げて逃げ回っていきているのである。
 次の電車に乗り換え、俺は目を瞑った。夢の世界に逃げ込むことに決めたんだ。
    五
 運動会まで一週間をきっていた。あの日から、毎日僕はこの神社で走る練習をしている。傍らでは玲華が本を読みながら時折こちらを見ていた。たまに、僕と一緒に走って汗を流すこともある。
 「そんなにみんなにばれたくないのなら、練習して速くなればいいじゃん。」
 玲華にみんなには黙っていてほしいとお願いをし、全てを打ち明け相談した結果がこの反応だった。
「私なら練習するよりもみんなに本当のことを言うかな。断然そっちの方が楽だし。みんなも受け入れてくれると思うけどな。」
 それはできないと断りつつも僕は前々から思っていた疑問を玲華にぶつけてみることにした。
「玲華は周りの人と仲良くしなくて淋しくないん?まわりと一緒じゃなくて不安にならんの。」
 玲華はきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「仲悪いとはおもっていないよ。それに周りにあわせて窮屈な思いをするよりかは自分の好きなように生きる方が絶対いいよ。当たり前のことでしょ。」
 たしかに、あたりまえのことだった。でもそれをしてしまうと皆に嫌われてしまうと思ってしまう自分がいた。
「悩んでいる時間が無駄だよ。練習しよう。」
 それからの毎日は走りっぱなしだった。
 友達には、親が病気だからという嘘をついて走って帰った。どうせ親は忙しいから運動会には来ないしどうってことはないだろう。それよりも、僕は玲華と一緒に練習することが大切だったのである。
 だいぶ筋力も体力もついてきているのが分かった。人間やればできるものである。これならいけると確信していた。
 そして、当日をむかえた。他の競技のことなんて記憶に残らないほど僕は緊張をしていた。とうとう最後の種目である僕の出番である。よりによって、得点はほぼ並んでいた。僕の走り次第で優勝が決まる。とんだ神様のいたずらだった。周りの期待の声が飛び交っている。さっきから地面に足のついている感じがしない。自分の体が自分の思い通りに動かない。間違いなく緊張している。そのとき、玲華の声だけが僕の耳に届いた。
「暖穂君なら大丈夫。あんなに練習したじゃない。」
 少しだけ落ち着いてくるのが分かった。夏蜜柑の香りが充満していた。
 ピストルの音で走りだした。しんどい、つらい、こわいいろいろな負の感情が押し寄せてくる。そのなかに期待や自身も入り混じっていた。みんなの姿が視界に入ってくる。みんなが応援してくれている。僕はみんなの期待にこたえなければならない、いやこたえたい。七周を走り終え、あと少しのところまできていた。前には誰もいない。白い一本のラインが見えるだけである。うれしかった。これで皆に嫌われずに済む。
 五月晴れの空は雲ひとつなくきれいだった。横を走り抜けていく。僕は転んだ。みじめだった。そして逃げ出した。一人で泣いた。悔しかった。これからのことを考えると怖かった。また、学校を出ていかないといけないと思うと悲しくなった。なによりも玲華との練習が無駄になったことが辛かったのだ。
 表彰式の音楽とともに、歓喜の声が聞こえてくる。そして片付けの音が聞こえてきたかと思うと急に静かになった。そろそろ僕も帰ろうか。
 すると、一つの足音が近づいてきた。
「暖穂君。ここにいたんだー」
 最近聞きなれてきた、間の抜けた声であった。
    六
 もう少しで目的地に着くと言うところで目が覚めた。あの頃のことを思い出していた。あの頃の俺は、大阪で学校にうまくなじめなくて淋しい思いをしていた。みんなと少し考え方が違うというだけで受け入れてくれなかったのである。そんな俺のことを気遣ってくれてか、父親が転勤話に首を縦に振り、俺たち家族は愛媛に行くことになったのである。俺は、心の中でかなり喜んだことを覚えている。新しい場所では大阪のことなんて忘れてうまくやるのだと決めたのである。そんなことを考えているうちに、俺はまた夢の中へと落ちていく。
 
    七
 
 僕は玲華に手をひかれるまま連れられて教室へと戻っていった。僕は、みんなから責められるのではないかと気が気ではなかった。でもそんなことは思いすごしでしかなかった。
「おしかったねーこけなかったら一位だったよ。」
「暖穂君はよくがんばったよ。」
「暖穂が走っているときが一番盛り上がっていたしなー」
 教室を飛び交う称賛の声。僕は驚きのあまりに身動き一つ取れずにいた。剛が駆け寄ってきて、僕に頭を下げた。
「ごめん。暖穂。俺さ、暖穂が走るのが苦手って知らなくってさ。無理させてしまってほんとにごめん。最近付き合い悪くなったなと不満に思ったときもあったけど、ずっと練習してくれてたらしいやん。玲華が教えてくれてん。みんなのためにありがとうな。」
 僕は胸の中に込み上げてくるものでいっぱいだった。涙が止まらなくなってきた。僕はありのままでいいんだって。ここのみんななら受け入れてくれるんだって。涙が止まらなかった。そんな僕と一緒にクラスのみんなも涙を流してくれた。励ましてくれた。
 そんな感動の一日も終わり、運動会の熱気が冷めてきたときのことである。僕は相変わらずクラスの中心にいた。でも昔と変わったのは、クラスの顔色をうかがうことはなくなった。ありのままの自分で生きている。初めて学校の生活を楽しいと思えている。こんな毎日が過ごせているのも玲華のおかげであることは間違いないのだが、こっぱずかしくてお礼は言えずにいた。
 夏蜜柑も熟してきたある日のこと。剛から聞いたのだが、ここでは六月に夏蜜柑の収穫祭があるそうだ。玲華の実家の神社でそのお祭りがあるらしく、クラス全員でいこうということである。僕ももちろん行くことに決めた。そして席が離れてしまったのでろくに話せずにいた玲華にお礼を言うんだと決めていた。
 当日、僕はいつもより多くか鏡を見返し、寝癖がないかを確かめた。集合時間よりはぎりぎりについた。周りを見渡すとほとんどの子がそろっていて、仲のいい子ら同士で固まっていた。その中に玲華を探すが見当たらない。少しがっかりした。今日こそはと思っていたのに。数分したら玲華以外のクラスのメンバーはそろっていた。
「全員そろったから行くかー」
 剛の一言で神社へと歩き出した。誰も玲華がいないことを不思議に思っていないようだ。たまりかねて、近くの女子に玲華のことについて尋ねてみた。
「そっかー暖穂君はこのお祭り初めてだもんね。行ったら会えるよ。」
 考えてみたら、当然のことであった。神社に住んでいるんだからわざわざ集合場所に来る必要はなかった。僕は少し焦りすぎていた。あっという間に神社に到着して、剛の一言で一時間自由行動となった。それにしてもここは、あちこちに収穫されたばかりの、夏蜜柑が置かれていて会場全体に甘酸っぱいにおいが漂っている。それにしても、夏蜜柑ゼリーに、夏蜜柑あめ、夏蜜柑せんべいに夏蜜柑味のかき氷、さらに夏蜜柑すくいっていくらなんでも夏蜜柑を前面に出しすぎだろうと思ったのは僕だけなのであろうか。それを普通に食べているところをみると、ここでは普通のことなのであろう。たまりかねてみんなにこの思いをぶつけてみた。すると、みんなはきょとんとして、逆に普通なお祭りはどんなんなんだと問い返された。僕の答えを聞いてみんなは驚いていた。今までの僕だったら、みんなに反感が言われるのが嫌でそんなことが言えなかったかもしれないと考えるとここにきて僕は変わったなと思っている。こうしてみんなと笑いあえる毎日が楽しくて仕方ない。夏蜜柑あめもななかないけるものだ。
 だが、その輪の中には玲華はいなかった。それだけが気がかりであった。どこか調子でも悪いのであろうか。
 そうこうしているうちに集合時間となった。そして、みんなと一緒に、舞台の方へと移動した。そこには大勢の人が集まっていて何かが始まるようだった。
 太鼓と笛の音色に誘われて出てきたのは、扇で顔を隠した巫子姿の女性が出てきた。顔を見て驚いた。玲華であった。あとから聞いた話だが、一年に一度のこのお祭りで巫子として夏蜜柑の豊作を祝うのが玲華の仕事らしい。僕は、彼女のいつもとちがった凛々しさに見とれていた。そして、彼女に魅かれていった。
 「今から着替えてそっちにいくね―」
 舞い終わった彼女は、いつもの雰囲気に戻っていた。
    八
 俺は走りだしていた。電車が到着するのと同時に目が覚めた。そのときにはいてもたってもいられなくなっていた。あの頃の思いが僕の胸いっぱいにあふれていた。一刻も早く彼女に会いたくて走りだしていた。彼女に会えればきっと何か変わるはずだと思っていた。玲華は俺にとって、俺を変えてくれた恩人であり、初恋の人でもあった。そんな彼女がまた俺を変えてくれる。そうおもえて仕方なかったのだ。ただ、約束を破った俺に彼女とのもう一度会う資格があるのかは分からなかった。でも、今は走らずにはいられなかった。
    九
 僕たちは、今ある茂みの影に隠れていた。
「えへへ。おんなじところに隠れちゃったね。」
 玲華は笑っていた。なぜこんなことになったかというと、今日は学校の終業式。当分会えなくなるからということで、クラス全員で缶けりをすることにした。そしたら、たまたま同じところに隠れてしまい今に至る。ただずっと言えなかったことをいえるチャンスである。
「玲華。いつもありがとうな。おまえのおかげで僕は変われたよ。」
「私はなにもしていないよ。暖穂くんが自分で頑張ったんだよ。」
 玲華はいつもの調子で言った。僕はもう一つ言いたいことがあった。しかし、そこに足音が近づいてきた。
「あの茂みに誰かいるぞ。」
 足音がさらに近づいてくる。
「私がおとりになるからきっと助けてね。」
 そう言い終わるとともに彼女は走りだしていた。でもすぐにつかまってしまった。いつも彼女は僕を引っ張って行ってくれる。そんな彼女がまぶしく思えていた。僕を照らしてくれる太陽のようであった。今は追いかけることしかできない。でもいつかきっと―。そして僕も走りだした。
 「また、二人きりだね。」
 彼女はのんきにそういった。もともと足は速くはない僕はあっという間につかまってしまっていた。まったくみっともない限りである。かっこよく助け出して告白をと考えていた僕は甘かった。
「でも、助けてきてくれたときの暖穂君。かっこよかったよ。」
 その言葉だけが救いであった。会話が途切れて、お互いにみつめあっていた。今しかタイミングはないそう思った。口を開こうとしたその時、
「やべー降って来た。」
 急に雨が降り出した。僕らも大慌てで家の方へと走り出した。そして分かれ道に差し掛かったとき彼女は叫んだ。
「八月七日。校門前。花火大会一緒にいこー」
 それが彼女の声を聞いた最後となった。
    十
 俺は走っていた。三か月ほどお世話になった学校の前を通り過ぎ走り続けた。俺は彼女との約束を守ることができなかった。彼女がその日そこで一人で待っていたかと思うと、悔やんでも悔やみきれないが俺もそれどころではなかったのだ。
 夏休みに入って三日目。父親が死んだ。事故にあったのだ。俺はあまりの突然の父親の死を実感することもできなかった。お通夜、お葬式とあっという間に過ぎていき、いつのまにか、母親の実家がある大阪に戻ることになっていた。玲華との約束を思い出したのは、大阪に帰って新学期が始まろうというときだった。謝りたいとは思ったが、住所も知らなかったし、なによりもう彼女とは会うことができないと思うと、連絡をとることが苦痛に感じてきた。俺は愛媛での思い出を封じ込めることにした。あの、楽しすぎた毎日はもう戻ることはできない。だからなかったことにするんだって。
 それからの毎日と言えば、楽しいとは思えない日々だった。以前通っていた学校に戻った俺は、相変わらずのクラスで浮いている存在。いじめられている訳ではなかったが、そこに俺が求めている居場所はなかった。中学を卒業して、高校でも一人で過ごし、今に至る。今だって自分の生きたいように生きている訳ではない。だからこそ彼女にもう一度会変わりたかった。あのころの僕に戻りたかった。そしてあのとき言えなかった一言を伝えるんだ。
 この角を曲がれば神社の階段が見えてくる、僕の胸には希望で満ち溢れていた。
 階段の前、そこには少女がひとり立っていた。三歳くらいであろうか。黒い長い髪をしている女の子である。僕が走るのを辞め階段へと近づいて行った。
「おじちゃんだーれ?」
 その子はどこか間のぬけた感じで話しかけてきた。
「昔ここらへんに住んでた人で、大切な人に会いに来たんだ。君こそ一人でいたら危ないよ。」
「玲美はパパとママが降りてくるのを、ここで待っているんだよ。えらいでしょ。」
 あふれてきていた感情が一瞬のうちに落ち着いてきた。その子に質問をぶつけてみた。
「ママっておじさんと同じくらいの歳かな。」
「同じくらいだよ。この神社で巫子さんしてるの偉いでしょ。おじちゃんにこれあげる。大切な人に会えるといいね。」
 ありがとうという一言も言葉にならないまま、僕は走りだしていた。僕の初恋は終わったのであった。
    十一
 俺は大阪に向かう電車に乗っていた。俺は変わるタイミングを流してしまった。また憂鬱な日々に戻っていくと思うと気が進まない帰路であった。
 さっき女の子からお守りとしてもらった袋を握り締めていることに気づいた。袋を開けてみると、そこには大きな夏蜜柑が一つ入っていた。
 俺は涙が止まらなかった。人目を気にせずに泣いた。太陽の光をいっぱいに浴びて育ったまんまるとして輝いている夏蜜柑。その夏蜜柑のように明るくて元気のある、でもみんなに合わせるのではなく自分を貫いている玲華。彼女の言葉が思い出される。変わろうと思えば自分次第で変われること、自分のおもうようにいきることが大切なこと。そんなことをこの夏蜜柑は思い出させてくれた。答えは自分の中にすでにあったのである。玲華に頼る必要はなかったのだ。もう一度大阪で自分らしく生きていこうそう思えたのだ。
 列車は夏蜜柑の薫り漂う空気を切り裂きながら走っていく。外を見れば、今年も夏蜜柑は豊作のようであった。もらった夏蜜柑を口に含んだ。口の中には甘酸っぱい味が広がっていく。中学のあのころよく食べた味である。この味を二度を忘れることはないだろう。
 

相互評価

102205

いいところ 主人公の気持ちが丁寧に書かれていると思いました。中学生の頃と、大人になってからの二つの方向から描かれることで、話に広がりがあると感じました。
こうすればいいのにというところ 運動会の場面では、肝心の競技の部分があっさりしすぎていて、大切なエピソードなのに、印象が弱くなっていると思います。

102201

誤字脱字が多いのが気にはなるが、内容としては分かりやすくまとまっていた。主人公が運動会で逃げ出す場面は、この物語の中では山場だと思うので、もっと丁寧に描写してやったほうがなおよい。

102127

いいところ 夏蜜柑が過去と現在をつないでいる存在としてあるところ。暖穂と玲華の思いが交錯していく様子が伝わってくるところ。心情描写が巧みなところ。
 暖穂が父の死後、この時まで愛媛に戻らなかったことが少し残念なような気がする。暖穂と玲華が結ばれないことがこの話の良さだと思うが、違った話の展開もあったのかと思う。

102212

○ 時間軸の工夫がおもしろいです
△ 「彼女」の人物像が少しぶれているのではないでしょか

102126

○時制や一人称の変化が効果的だと思いました。
 終わりも無理やりまとめた感がなく、展開がスムーズだと思います。
△大阪と愛媛との場所の違いがあいまいで分かりづらい部分がありました。

102209

いいところ 回想と現在の場面が交互に書かれていて、工夫された構成になっているなと思いました。
こうすればいいのにというところ これまであまり存在感のなかった「父親」の死というのが唐突すぎる気がしました。

119106

○玲華の登場が印象的に描かれているなと思いました。人物像も一貫しているなと思いました。また、夏蜜柑という小道具が効いていて、色合いが鮮やかに感じられたし、香りまで感じられる様な気がしました。 △運動会や巫女のシーンは、主人公にとって特別なもののように感じるので、もう少し丁寧にみせてほしかったです。

102116

○今と過去か描かれていて話に深みがあった。
△運動会の部分の説明が不足しているように思った。

102121

○時間軸の対比という構造が面白い。夏蜜柑の効果もよく出ていたと思う。
△現在の主人公の様子に切り替わったとき、少しつながりが見えにくい部分があった。現在の部分の描写をもう少し丁寧にしてもよかったのかなとも思う。
 

102106

○突然回想シーンになっていたりしておもしろい。
△最初から最後まであっさり読めてしまうので山場の書き方をもう少し工夫するともっとおもしろいと思う。

102207

○今と昔が交互に入れ替わって書かれているのが面白いです。
△「十」で、もっと詳しく説明したり、心理描写を入れたら盛り上がると思います。

102208

いいところ 主人公の心情がとてもよく伝わってきました。一人称の表現を変えることで、端々から時間のながれが伝わってきたのもよかったと思います。
「彼女」が「僕」のことを、あの頃どう思っていたのか、それが描かれないままに、初恋を終わらせてしまうことで、苦さが際立っているとも思います。「夏蜜柑」の甘酸っぱさと苦さが作品にぴったりだと思います。
気になったところ 「あの頃」という表現が多く、一瞬どの頃?と思ってしまう部分がありました。
 運動会の日のエピソードが少しあっさりかなと思います。「彼女」との会話などを足してもよいかと感じました。

102114

回想と現在が交互にいきなり切り替わることで、自分も回想から現実に帰ってきたかのような錯覚を受けました。
 いいクライマックスだと思うのですが、もう少しクライマックスを詳しく書けているとより物語に深みがでると思いました。

102204

○過去と現在交互になっているところが良い。夏蜜柑がいたるところに登場し、結末に重要なのだと感じさせているのが工夫されているなと思った。
△体育祭の走り出すとき、「夏蜜柑の香りが充満していた」という表現が突然すぎて不自然だった。クラスのみんなが称賛してくれるときに、「胸にこみあげるものがあった」という表現で涙と結びつくので、そのあとの「涙がとまらない」はないほうがいいと思う。

102208

いいところ 主人公の心情がとてもよく伝わってきました。一人称の表現を変えることで、端々から時間のながれが伝わってきたのもよかったと思います。
「彼女」が「僕」のことを、あの頃どう思っていたのか、それが描かれないままに、初恋を終わらせてしまうことで、苦さが際立っているとも思います。「夏蜜柑」の甘酸っぱさと苦さが作品にぴったりだと思います。
気になったところ 「あの頃」という表現が多く、一瞬どの頃?と思ってしまう部分がありました。
 運動会の日のエピソードが少しあっさりかなと思います。「彼女」との会話などを足してもよいかと感じました。

102137

主人公の心情の変化が捉えやすかったです。
 終わり方が題名とつながっていて余韻を残していると思います。
 小道具が効果的に使われていると思いました。
 運動会に至るまでの練習の様子の描写を細かくして、当日のエピソードにも厚みを持たせたらいいと思います。

野浪正隆

いいところ 夏ミカンというモチーフがうまく使えています。
現在と過去の場面転換がいいリズムを作っています。
こうしたら 事件が盛りだくさんで、不自然なのも混じっているので、整理するといいでしょう。

102125

○ 「夏蜜柑」が全編通してとてもうまく使われていて、あと情景描写も細かくて良かったです。
△ 主人公が運動会でこける所をスローモーションのように書くと一段と主人公にとって「一大事件」になると思います。

102206

○時間の流れが交互に描かれているところに工夫を感じました。また、タイトルが作品全体にかかわっているところも良いと思いました。
△描写をもう少し丁寧にすると、もっと良くなると思います。

102138

○ 題名の「夏ミカン」が上手に使われていた。
△ 運動会の内容をもう少しふくらませても面白いと思う。

あの夜の思い出
 102138

 「見えたゴールだ」
 そう言ってみんな最後の力を振り絞る。みんなで励まし合って何とかたどり着いたゴール。
 振り返るとそこには今まで私たちが一歩一歩歩いてきた道があった。何気ない一言で始まった長い長い道のり。私はこの経験で何を学んだのだろうか。
 
 前日 08:20〜08:50 学校グランドにて 0キロ
 学園長「えー、今からあなた達が目指すのは100キロ先の高野山です。100キロというととてつもなく長いと思うかもしれませんが、たどりついたその先でみなさんは何か大切なものを手にすると思います。つらい時間もたくさんあると思いますが、その大切な何かがあなたを助けてくれます。」
 学園長の話を聞きながら私は、ついに来てしまったと内心うんざりしていた。親から思い出作りにと無理やり参加させられて今日を迎えた。
「おい、あいつどこまでいけるか賭けようか」
 そう言って私を見て笑っている。そうした視線も私をいやな気分にさせた。
「はあ、ついに来ちまったな。まあ適当なところであきらめようぜ」
 そう言って肩を叩いてくる奴がいた。体育の時も私とサボっている仲間のAだ。まあこいつの言う様に適当につきあってみるか。
 教師「よしじゃあいくぞ。中学生からついてこい。」
 09:20〜09:40 四天王寺参拝 1.5キロ
 教師「よしじゃあ、みんなの安全を祈って参拝していこう。」
 A「かあ、ここまででまだ1キロちょいかよ、先は長いな。」
 そういう彼の顔はいつもの投げやりな顔と違ってさっぱりしていた。私自身も歩き始めるとなんだか独特の高揚感で初めのだるいという気持ちから変わってきていた。
 A「せっかくだから100キロ歩けますようにとでも願っておくか。」
 冗談めかして言いながらも初めて100キロ歩こうとする言葉が漏れたのもやはり彼も周りの空気に触発されてやる気を起こしたのだろう。何だかこの調子で100キロいけるのではないだろうか。
 10:50〜11:10 万領中央公園
 7.0キロ
 教師「おし、ここで少し休憩だ。」
 歩き始めてそろそろ2時間まだ大丈夫だといってもさすがに疲れてきた。
 A「おいおい、まだ7キロかよ。あと90キロちょいやて。うわ自分で言ってて辛なってきた。」
 そう云いながらも彼もまだあきらめの言葉が出ないのもやはり今回の100キロ歩行に何か秘めた気持ちがあるのかもしれない。何だか彼を見ていると自分も疲れたとか思っていてはいけないなという気持ちになってきた。
 教師「よーし、休憩終了。行くぞー。」
 よし、とにかく最低でも自分からあきらめるという言葉は言わないようにしよう。
 13:20〜14:00 昼食休憩 大仙公園
 16.0キロ
 A「よし、飯だ。」
 なんだかんだで16キロ歩いても意外にまだまだ余裕である。やはり一歩一歩の気持ちが大事なのかな。Aと駄弁りながら歩いてきて、あまり距離を意識せずに来られた。どちらもあえてバカ話をしながらそれでも普段のやる気のない表情ではない。
 A「おい、早く食おーぜ。」
 ハハハ、ほんとにこのままいけるんじゃないかな。
 16:10〜16:25 中1解散 泉ケ丘駅前 25.0キロ
 教師「中1のみんな、お疲れ様。よく歩いたな。今回はここまで一人もリタイアしてない。すごいぞ。君たちは来年もきっと参加してくれるだろう。その時は、絶対100キロいけるという自信がついたんじゃないかな。君たちはこれから家に帰るけどできればこれから先も歩き続ける本隊のみんなを応援していてほしい。じゃあ解散。」
 向こうでは中1が解散しているようだ。みんな少しうらやましそうにしている。なんだかんだ言って抜けていく人を見ると自分も終わって楽になりたいという気持ちが芽生えてしまう。
 A「あーあ。もう帰るのかよ。ふん。まあこのくらいで抜けちゃあ何も達成感もないよな。ただ疲れただけだよな。」
 そういうAの顔も少しうらやましそうだった。無理もない。歩き始めて8時間弱。それでもまだ4分の1しか歩けていないのだ。ふだんなら十分歩いたと自信をもって言える距離だろう。だが、Aも私も決してそういう言葉を出さないように気をつける。どちらかがそれを行ってしまった瞬間に何かが失われてしまう気がしていたからだ。とにかくこれ方先も一歩一歩確実に歩を進めることだけを考えて歩いていこう。
 16:55〜17:30 夕食 植塚公園
 27.0キロ
 歩き始めたと思ったらまたすぐ食事である。正直あまり食欲はない。Aも昼食のようにがつがつと食べる様子もない。この30分もあまり会話はなく、ただ黙々と歩をすすめていたのである。できればもう少しこのまま進みたかった。周りを見ても似たような感じでただ黙々と荷物から夕食を取りだして眺めている。
 教師「みんな、正直食欲はないと思うし、できればもう少し間隔をあけて休憩を取りたいと思う。だけどここで食べないとこの先しばらくゆっくり休める場所もない。だからできるだけ食べたほうがいい。」
 先生の声でようやくみんな淡々と食べ始めた。Aも無言で食べ始めるのを見て、私もとにかく口にはこぶ。おそらくこの先夜の間が一番つらいだろう。そんなことを思いながら食べるご飯は、何とも言えない気分にさせられた。
 19:50〜20:05 天野山金剛時長野公園キャンプ場 37.0キロ
 A「……」
 さっきからAの顔色が悪い。かくいう私自身もあまり人のことを言えた感じではないだろうと思い少し笑ってしまう。するとAも少し顔を綻ばせながら、
 A「おい、なんだよ。何か面白いことでもあったのかよ。なに、ひどい顔だって、うるさい。人の事いえるのかよ。」
 二人して久しぶりに交わした会話と笑いで少し元気が出てきた。しかし、
 副校長「みんな。お疲れ。今年はここまでほとんど脱落者がいないようで、安心している。だがみんなここからが一番大変なところだぞ。夜の道しかも坂道を登ることになる。例年この夜の時間帯が一番脱落者が多い。だが、逆にこの夜さえ乗り切れば、後は何とかたどるつけたという声もたくさん聞く。だから苦しいと思うけど、あきらめたりせず頑張ってほしい。」
 そんな、誰もが分かり切ったことを車に乗ってきたやつに言われたくない。多分周りの奴もそう思っているだろう。
 A「なんだよあいつ。えらそうに頑張れとか言いやがって。くそなんだかムカついてきた。脱落してあいつに笑われてたまるか。なあ、絶対明日の朝までは頑張ろうぜ。」
 おいおい、朝までかよ。とか思いながらも正直この夜で終えてしまうという気持ちが強かったのも事実で完走を目標にしたところで絶対に無理だと思うだろう。そういう意味では、副校長の挑発(激励)は、ある意味手近な目標を与えられたようで複雑な気持ちである。
 21:50〜22:30 滝畑レストラン
 夜食 うどん 44.5キロ
 おばちゃん「はい、うどんだよ。ここから大変だけどがんばりな。」
 そう言ってボランティアの保護者の方達が、ふるまってくれるうどんは、体は勿論心があったまってきて夕食と違い夢中で食べてあっという間になくなってしまった。
 A「かー、生き返る。ほんとまじであったかい。」
 そういってAもあっという間に食べ終えた。途中何度か休憩をはさみながらここまでたどり着いた、副校長の話から約1時間30分。この間に何人かの生徒が脱落していくのを見た。横を通り過ぎる時はみんな早足でなるべく見ないようにしていた。あたりが暗くなり生徒同士の会話も少なく気持ちも憂鬱になってきたためだろう。そんな中でのこの時間は、みんな安心してようやく互いの顔を認識できるようになったという気持ちだ。しかし、ここでの休憩は、逆にこれからこの夜の最大の難所にいどむということでもあった。蔵王峠という峠は、延々と続く上り坂で、隊列も伸びていきやすくここで脱落していくのが一番多いと事前説明会で言われていた場所だ。みんなもそれを知っているので、連れともう一度話し合っている光景がそこかしこで見られた。
 A「おい、絶対にやめるとか、もう無理とかは言いっこなしな。もしどっちかがそう口にした時は無理矢理でも立たせて歩かせることにしよう。」
 と、言ってきた。しかしその眼は、どこか頼りなく、不安そうに揺れているのが分かった。正直彼自身も登りきれる自信がないのだろう。しかし私には、そんな彼を勇気づけられる言葉は出てこなかった。
 教師「よーし、じゃあ出発だ。みんな分かっていると思うが、ここからが蔵王峠だ。辛いとは思うが何とか近くの人で支え合って一人でも多く峠をぬけよう。」
 そんな言葉に背中を押されわたしたちはどちらともなく無言で歩き始めた。
 (蔵王峠)
 A「すまん。先に行ってくれ。」そう言われ先生にも先に行くようになって10分弱。Aは、靴ずれかなにかで先生に付き添われて休んで最後尾から付いてくるそうだ。しかし一人で歩いているとなんだか無性にさびしくなる。たとえ無言であってもお互いのことを意識しあって頑張ってこられたのが、相手がいないと途端に一歩一歩がむなしくなってくる。
 (もしかしたらAは、あきらめたのじゃないだろうか。だとしたら自分だけ頑張るのはあほらしい。)
 そんな気持ちで足を止めそうになっている時突然
 S「なんだよ、Aはどうしたんだよ。なに、遅れてついてくる。お前もかよ。じゃあ二人で歩くか。」
 そう言ってきたのは、同じクラスのSだった。Sは、わたしたちと違い体育も普通に受けているので、断然余裕だろと思っていたが、どうやらSも仲間と離れ不安になっているようだ。何だかSを見ていると、周りも自分と同じ気持ちなのだと思えてきた。運動ができるできないの問題ではなく、気持ちの問題だけなのではないか。そう思うと、今まで自分は一人だけ辛さを感じでいると思っていたのが救われていく感じがした。ふと周りを見ると一人で歩いていた人がチラチラとこちらを見ている。どうやら彼らも一人で歩いていて不安になっているのだろう。
 それに気づいた私は、とっさにみんなに一緒に歩こうと声をかけていた。相手はちょっと驚いた様子だったがSも誘うと照れながら近寄ってきてくれた。こうして一緒にあることになったグループだが、互いに接点はあまりない。学年さえ違う。しかしわたしたちは、互いに初めのペアのことを愚痴りあったり、心配しあったりしながら、互いに声を掛け合い歩き続けた。その一歩一歩は、一人で歩いていた時より軽く感じる。ふと顔を上げるとさすがさっきまで寂しいと感じさせる事はあり周りに何もないため夜空は満点の星空だ。周りも気付きそろって空を見上げる。するとなんだか無性にテンションが上がってきてのか、一人が歌を歌い始めた。それはみんなにも伝染しいつしか合唱しながら歩くという後から考えると無茶苦茶恥ずかしい集団ができてしまった。しかしその時はなんだかとてもすがすがしくて気持ちよかったのは覚えている。こうして私は一番辛いといわれ事実ホントにリタイアしかけていた難関の蔵王峠をまったく見ず知らずの人たちと歩くという全然想像していなかった出来事によって乗り越えられたのであった。
 02:30〜03:05 かつらぎ体育センター 大休止 60.5キロ
 ついに恐れていた蔵王峠を越えたここまで一緒に歩いてきたうちの何人かはここで元の組の子のところに戻っていったりしたが、その時も互いに声をかけ合い、自然と握手しながら去って行った。かくいう私も遅れていたAと合流した。驚いたことにAたちも最後尾で集団となり互いに声をかけ合いまた教師に尻を叩かれながら何とかここまで来たらしい。その中には、私と一緒に歩いてきた人のペアのひともいてSも合流し、今度は二つのグループが一緒になるような感じだった。それぞれ互いのペア相手を励まし合ったことをたたえ合いまたこれからのことを語りながらあっという間に休憩時間は、終りを告げていた。しかし私は、体は悲鳴を上げていても心は再び100キロ完走に向けられていた。
 05:10〜05:30 ドライブイン玉川峡69.0キロ
 A「ねむいー。疲れたー。」
 自然とそんな言葉も聞こえるようになってきてしまった。私も何度か『無理―。』とか叫んでしまった。とにかく眠い。ふだんからあまり夜更かししてこなかった身でしかも体はもう疲労でボロボロなので気持ちは前を向いていても体がなかなか前を向かない。
 S「おい、大丈夫だって。もうすぐ日もさすはずだからそれまで頑張ろうぜ。なんたって副校長が言う難関を越えたわけだし後は何とかなるはずさ。」
 そう言ってSは、グループ全員を鼓舞するように声を張り上げたり、あほなジョークを言ったりして場の雰囲気を盛り上げてくれた。
 正直Aと私だけだと途中で脱落していたかもしれない。勿論Aが頼りないとかそういうことでなくAとは、互いに支え合う仲間という感じだが、Sは引っ張ってくれる存在で、初めからSと組んでいたらわたしは、運動が苦手という逃げでやめていただろうと思う。そんなSもわたしたちの存在が多少なりとも助けになったらしい。曰く運動が苦手な奴がそばにいるとそいつには負けられないというか、そいつができることは絶対に俺にもできるという気持ちでわたしたちを支えてくれていたらしい。何とも面白い話だ。
 06:10〜07:05 塩之瀬の里 朝食
 72.0キロ
 A「うおー。朝日だ。やったー。」
 そう云いながら何とか一夜を超えたその先ではお待ちかねの朝食が用意されていた。ここでもボランティアの保護者方が豚汁を用意してくれていて弁当と一緒に冷え切っていた体を癒してくれた。なにより朝早くから笑顔で渡してくれる気持ちがうれしかった。自分達だけでなくたくさんの人に支えられているということが実感できたのだ。
 S「いやでもホントによくここまで来たな。Aとかなんて運動苦手なのによく頑張っているよ。」
 と、わたしたちを見ながらつぶやいていた。しかしここまで来たらもう後は、本当にもうひと踏ん張り残り30キロといっても正直夜の10キロの方がはるかに辛いと思う。何より周りの雰囲気がすごく明るい。みんなこの夜を超えてなんだか一回り大きくなった気がする。
 教師「ようし、ボランティアの人にもう一度感謝の気持ちを込めてあいさつしよう。」
 一同「朝早くからありがとうございました。」
 教師「じゃあ、出発だ。」
 09:20〜09:30 犬戻し81.0キロ
 A「足が動かん。」
 S「言うなー。言ったら負けだー。」
 こんな風に疲れを笑いで何とかごまかしながら歩き続ける。途中蔵王峠で一緒だった人たちともあいさつを交わしたり、また遅れてきたグループを励ましたりしながら少しずつ少しずつ歩いていく。途中Sは、Aの荷物を持ってやったり交代で荷物番をしたりしながら、互いに助け合いながらゴールをめざして足を動かし続ける。ここまで来たらもう高野山の近くで山越えに次ぐ山越えになるが、誰も立ち止まる仲間はいなかった。何人かは足を引きずりながらも必死に歩いていたり、各自がそれぞれ明確な意識を持って歩いているというのが感じられた。そうした空気は、正直わたしは、苦手だった。必死に何かに打ち込むというのが恥ずかしい。どうせ途中で投げ出してしまうと思っていたのである。
 しかし、今この瞬間は、その雰囲気を心地よいもおとして感じている。Aがいて、Sがいてまた周囲には話したことのない人たちがいる。そうした歩とたちが無言の中でもお互いを励まし合いながら正直特に意味のないいうなれば自己満足のためだけに頑張っているのである。
 11:55〜12:05 平原 90.0キロ
 A「ここまで何キロ?何90キロ!まじで。やった。」
 S「おう。やっとここまで来たかって感じだな。」
 そう長かった100キロ歩行もついに残り10キロ。目指してきた高野山にも入り後は本当にゴールを目指すばかりとなった。あと10キロとなり周りもつぎつぎとはしゃぎだす。現金なもので途端におなかがすいてきた。
 13:25〜14:00 霊園駐車場 昼食 96.0キロ
 A「飯だー。終りだ。完走だー。」
 S「おいおい、ここで終わるとかマジで泣けないよ。まあほぼ終りで腹ごしらえしてリフレッシュしてから入れってことかな」
 など話しながら、みんな楽しそうに弁当を食べる。中には、もう涙ぐんでいる奴や、足をさすりながら仲間にお礼を言っている奴もいる。さあゴールはもうすぐそこだ。
 15:00〜15:40 学園供養塔
 到着式 100キロ
 A「おう、ついに見えたぞ。」
 S「長かったなー。」
 口々に言い合いながら自然と足は早足となり最後には、みんな走り出している。長く、辛く、しかし様々な事を教えてくれた100キロ歩行がついに終りを告げる。そばには一緒に愚痴りあいながら支え合ってきたA,くじけそうな私を引っ張ってくれたS、他にもほとんど話したこともなかったのにこの一夜で仲良くなった人々、ほとんど接点がないけど、お互いに気配で励まし合ったみんな。そうした仲間とともに長い長いこの行事は終りを告げる。
 学園長「みんな。お疲れ様。今年は例年に比べて脱落者が少なく、みんなで支え合う様子が見られたという報告がありました。とても素晴らしいことだと思います。
 皆さんはこの100キロ歩行にどのような気持ちで臨みましたか。思い出作り。友達に誘われて。部活の活動として。他にも様々な理由があると思います。では、皆さんただの思い出作りで終わりましたか。違いますよね。それだけではなかなか100キロは歩けませんね
 私が学校で言った大切なものが友達といいたいというのはおそらく予想していた事でしょう。しかしどうですか。実際に歩いてみてその言葉の重みを感じたりしませんか。またなんといっても100キロ歩きぬいたという達成感はありませんか。
 私は、この100キロ歩行の経験は必ず皆さんの将来の役に立つことを教えてくれたと思います。まず、自分一人でできない事でも何人かでやればできることがあるということ。また自分の存在が周りにも何らかの形で貢献しているということが分かったと思います。これからの社会は、ただ今までのやり方を踏襲していくだけではいけないため、何かに挑戦していかなければならない時があるでしょう。その時には、自分一人で抱え込むのではなく誰かそばにいる人と助け合うことが大事です。その人に一方的に頼るのではなく互いに助け合っていくことでその輪はどんどん広がり、そのつながりが大きな成果となります。
 二つ目は、何か一つのものに打ち込むということです。皆さんを見ているとどこか、何かに打ち込むという物を避けているように感じます。勉強にしても、自分の望む結果を見てやるだけで夢中で打ち込むというのはあまりないでしょう。しかし仕事では、眼の前の仕事の成果がすぐに自分に反映されることはほとんどありません。そうした中でいかに自分の役目に打ち込めるかが必ずその後の結果につながります。
 こうした2つの宝物をきっと皆さんは手に入れたことだと思います。たとえ今日の私の話を忘れたとしても100キロ、特に夜の歩行はいつまでも記憶に残るでしょう。そして仲間と支え合い、100キロを自分の足で歩き切ったという自信を胸にこれからの事を頑張ってください。最後に皆さんの頑張りを祝って万歳三唱で締めたいと思います。」
 そう言って学園長はこちらに向いて万歳とした。
 私たちは、何かに取りつかれたかのように万歳を繰り返し泣いた。最後に般若心経を唱えながら私はこの100キロ歩行を思い返す。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰掲諦掲諦波羅掲諦波羅僧掲諦菩提薩婆訶般若心経」
 

相互評価

野浪正隆

よいところ 行程が詳しく書いてあり、その時々の心理状態が自然に書けているところ。
こうしたら 「夜空は満点の星空だ。」という自然描写だけでは寂しい。歩いているときに見ていたものが書けていると、もっと歩いていることがリアルに伝わると思います。

102123

○道のりごとの主人公の心情がわかるように描写できているところ。
△セリフを誰が言ったのかは文章で表現できたらいいと思った。

回顧録
 102208

 
 さて、今日でこの住みなれた実家ともしばしのお別れか。引っ越し準備もすっかり終えた部屋を見る。がらんとした部屋。幼稚園のころから使っている二段ベッドと、本棚、小学校入学の時に買ってもらった学習机を残して、ほとんどなにもない。明日からは、彼の地での新生活。そう思うと、なかなかに感慨深いものだが、実際は電車で三時間の距離。帰ろうと思えばすぐにでも帰れる距離。
 だが、二十年弱ここから、幼稚園に通い、小学校に通い、中学校、高校に通い。毎日毎日、家族と顔を会わせていたそんな日々はもうしばらくは味わえない。そして、ここに戻って来た時(場合によっては、戻ってこないことだって)同じように過ごせる保障もない。時間は流れる。幼い頃はその中で、庇護され、ただ「成長」すれば良かった。けれど、大人の端くれになった今は違う。自分自身も、家族も、ゆっくりゆっくり変化していく。それは、もはや「成長」ではなく「別れ」への歩み。
 小さくても、別れの日だからだろうか。やたらと、感傷的になる自分の目に映ったのは、若かりし日(といっても、ほんの数カ月前まで)の思い出達である。
「あー。そういえば、こんなんも書いてたなあ」
 
「成長」の一過程には、思春期というものがあって、多かれ少なかれその時期の行為、行動には恥ずかしいものがある。中高合わせて三年間文芸部に入っていた(しかも、律儀に毎回毎回部誌に投稿し続けていた)私の場合、それが目に見える形で残っているからなおさらである。しかしながら、
「たまには、見返してみるのもいいかな」
 などと、思ってしまうあたり、恥ずかしい反面、懐かしい思い出にもなっているわけで。一概に切って捨
 てられるものでもない。これを読むこともしばらくないだろう、と私はその積み重なる冊子に手を伸ばし
 た。
 
***
 童話の中の少女
「おはよう」
「おはようございます」
 うだるような暑さの中に少しずつ秋の風が混じるようになった、新学期。
 私たちのいる学級には一人の転入生がやってきた。
「姫宮さん、いらっしゃい」
『おおっ、転校生?』
『女の子だよな』
『名前からして、姫だもんね』
『名前って、名字だろうよ』
 少女が中に入れば、ざわめきはさらに大きくなる。
「姫宮さんは、ご家庭の事情で今学期からこの学級に転入することになりました。さぁ、姫宮さん、自己紹介しましょうか。」
「皆さん、はじめまして。姫宮(ひめみや)雅(みやび)と言います。趣味はお茶と、お花です。慣れないことも多いと思いますが、皆さんどうぞよろしくお願いします。」
『うわ、お茶が趣味?すごい………』
『お嬢様なんだね、きっと』
 
 可愛らしいというか、美人な女の子。
「鈴鹿さん、あなた、姫宮さんに校内を案内してあげてね。席も隣同士になるんだから」
「あ、はい」
 少女に少し見蕩れていると、先生から声をかけられ慌てて返事をした。
 もう自己紹介は終わったらしい。
 姫宮さんは私の隣の席へ向かってくる。
「鈴鹿さん、よろしくね」
「こちらこそ。私は、鈴鹿露璃(すずかつゆり)って言います。雅ちゃんって呼んでいいかな?」
「………ええ、もちろん。私も露璃さんと呼んでいいかしら?」
「…? うん。いいよ。でも、ちゃんとか、呼び捨てでもいいんだよ?」
 返事が来る前一瞬の間があった。そのときの彼女には驚いたような表情が浮かんでいた。
 私の何が彼女を驚かせたのかは解らなかったが、すぐに元の笑顔に戻ったのだからと、そのときは深く考えることをしなかった。
 
***
「これが、一番最初だったっけ。うん、ネーミングセンスひっどいな」
 思わず、そう呟いてしまうほどに残念なタイトルとネーミングだが、なかなかに懐かしい。テーマは「転校生」。毎回テーマ出されて、大変だったなぁなどと一人頷きながらパラパラと読み進める。『竹取物語』を下敷きに書いた最初の作品。これを書いたのは、中三の頃だったか。そんなことを思いながら読み終わった私は、次の冊子を探した。
 
***
 過ぎ去りし日々の記憶
 中学を卒業して、春休みに入った頃、私はある夢を見るようになった。
 正確に言うと、同じ主人公、同じ舞台での光景だけを夢に見る。
 まるで、一人の人生を垣間見ているかのように……。
 初め見たとき、主人公リスアはまだ幼かった。
 そして、その隣には少年シャオ。
 二人は砂漠にある集落に住んでいるようだった。
 次に見たときは、二人とも少し成長していた。
 ずっと、仲のいいままだったらしく、二人は一緒に学校へと通う。
 私は、少しこの夢を気味悪く思いながらも、夢から醒めた時は決まって幸せな気分になっていた。
 リスアがシャオを思う温かい気持ち。シャオがリスアを思う優しい気持ち。
 夢は、それらで満たされていた。
 しかし、彼らが二十歳になる頃、突然夢はガラリと色をかえる。
 集落にあった井戸が枯れ、リスアは隣の集落への助けを申し出るために不本意な婚約をさせられたのだ。
 カゾクノタメ。
 シュウラクノタメ。
 シカタナインダ。
 辛い気持ちで夢は満たされる。
 さらに、追い打ちをかけるように悲劇は続いた。
 青年へと成長していたシャオはあらぬ嫌疑をかけられ、役人に連行されてしまうのだ。
 その時、初めて声が聞こえた。
 リスアが役人へ必死に無実を訴えている。
「リスア来るなっ。必ず、いつか戻るから」
「はっ、戻れるわけがなかろう。お前はこれから処刑されるのだからな」
「っ………シャオっ」
 そして、私は漸く気づく。
 そこには、涙にくれる私がいた。
 顔も声も違うけれど、あれは……私。
 ***
「……また、あの夢」
 朝起きると私の頬は濡れていた。
 夢の中の少女と同じように。
 何となく、これでこの夢はおしまいなんだなと、解っていた。
 けれど、姿形の違う「私」と、愛しい「シャオ」のことは頭から離れない。
 どうして、こんな夢をみたのか。
 リスアは「いつ」の私なのか。
 たくさんの疑問が、私を混乱させる。
 そんなことを考えていると、階下から母の声が聞こえた。
「零!起きなさい!あなた今日から高校生でしょう?」
「わかってるよ。もう起きてる!」
 そう、私は今日から高校生。
 春休みの終わりに合わせたかのような、あの夢のことは気になったが、今は学校へ行くことの方が先決だろう。
「お母さん、おはよう」
「おはよう。朝ご飯、出来てるわよ。早く食べちゃいなさい」
「はーい」
 ***
「おはよう、瑠璃!」
 同じ中学からきた親友に声をかける。
「おはよう、零。また同じクラスだね」
「だね。よかったぁ」
 そんなたわいもない会話をしながら、新しいクラスの様子を眺めてみる。
 同じ中学の子も結構いるな……。
 ある一点で目が釘付けになった。
 今まで同じ学校にすらなったことのない少年。
 けれど、私は彼とあったことがある。
 それは、町のどこかですれ違ったとかじゃなくて……ずっとずっと昔、私がリスアと呼ばれていたころに。
 
***
「ありがちー。ふっるい少女漫画かっての」
 テーマ「初恋」に悩まされた私が、当時苦肉の策として思いついたのは転生モノ。少女漫画や少女小説の読みすぎか、自分が何に影響されて書いていたのかが気になるところだが、なんとなく気にいっていた記憶があるから、なおさらタチが悪い。べたべたに甘い結末に自分自身の思考回路を疑いつつも、その時の状況が思い出されて少しくすっとしてしまう。
 季節ごとに発行していた冊子は、まだあと五冊以上ある。しかし、家を出る時間まで、意外と時間がないことに気付いた私は、手早く次の冊子を手にした。
 
***
 雪の降る森
 深い深い森の中、人目に触れることもないその場所で、一人の少女が住んでいました。
 少女は、黒猫と共にひっそりと暮らしています。
 少女の一族は代々不思議な力をもち、そのせいで、普通の人達とは相容ることは叶わなかったのです。
 それでも少女は淋しいとは思いませんでした。
 今はもういない母達も、ずっと一族だけで生きて来たのです。
 自分もきっと同じなのだと、幼い頃に気づいた少女は、この森と、猫さえいればそれでいい、しょうがない、とそう思っていました。
 ある日、少女の住む森に雪が降りました。
 少女が雪を見るのは初めてで、それが何か解らぬままに洞窟の中から見つめていました。
 ”きれい…。”
 しんしんと降り続く雪を見るうち、少女はその白いものに触ってみたくなりました。
 そぉっと手を伸ばし、地面に積もった雪にさわった少女は驚いて手を戻します。
 ”つめたい…。これはなんだろう…。”
 そして白くなっていく自分の世界を見つめているうち、少女の中にある気持ちが芽生えます。
 ”さ み し い ”
 少女は初めてそう思いました。
 そして、その気持ちを紛らわせようと、冷たい雪の降る中森を歩き始めました。
 森の中をいくら歩いても、一面の白以外なにもみつかりません。
 少女の腕の中にいる黒猫にも白い雪が舞い降ります。
 少女は、知らず知らずのうちに深い森の奥から、入り口の近くまで来ていました。
 目をこらすと前から青い色が近づいて来ます。
 ”そらのいろだ…”
 少女は嬉しくなりました。
 ”さみしくなくなるかな?”
 少しすると、その青い色は服の色だとわかりました。
 その服を着ていたのは、少女と同じ年頃の少年でした。
 少年は、少女をみて尋ねます。
「こんな森の中でどうしたの?」
「…」
「僕はね、雪を見るのが初めてだったから、嬉しくてこんな所まで来ちゃったんだ。」
「さみしかったの」
「え…?」
「さみしくて、さがしてたの」
「そっか、遊び相手を探してたんだね」
「…」
「僕がなってもいい? 一緒に遊ぼうよ」
「…うん」
 少女には、遊ぶということがどんなことなのか、解りませんでした。
 それでも、淋しくなくなるのならとうなずきました。
「僕、春樹っていうんだ。君は?」
「わかんない」
 何年も一人で暮らすうち、少女は自分の名前を忘れてしまっていました。
 誰も、少女の名を呼ぶ者がいなかったからです。
「わからないの…? じゃぁ、僕がつけてあげるよ。…今日の記念に『雪』ってどう?」
「『ゆき』?」
「そう、この降っている雪にちなんで」
「…うん。いい」
「よかったぁ。じゃあ君は今から、雪」
「うん。ゆき」
「雪、遊ぼう」
 それから二人はとても長い時間遊んでいました。
 ”たのしい”
 ただそれだけが二人の頭と心にありました。
 けれど、もともと寒い場所ではないので、二人は寒さに慣れていません。
 すこしずつ、二人の顔は赤くなり、手はかじかんできます。
 少女は、ふと思いつきます。
 ”あたたかい飲み物と、食べ物を出そう”
 そう念じただけで、二人の目の前には湯気を立ておいしそうな食べ物が現れました。
 少女の一族はこの力で生きてきました。
 けれど、この力を人前で使えばたちまち人々は離れてゆきます。
 自分たちにない力を使える少女の一族に嫉妬し、恐怖したからです。
 少女はそれらを出してから、思い出します。
 昔、母達がいっていたことを。
『森をでることがあったとしても、人前でだけは、力を使ってはいけないよ』と。
 ”はるきも、はなれていっちゃう?”
 少女は、それまで楽しかった気持ちもしぼみ不安になりました。
「雪! すごい! こんなに一杯暖かいものを出せるなんて」
「…はなれていかない?」
「なにいってるの? 離れてなんて行かないよ」
「怖くない?」
「うん。怖くない」
「気持ち悪くない?」
「全然。だって、この力も含めて雪なんでしょ? それでいいんじゃないかな」
「…うん」
 二人はその後、暖かい食べ物を仲良く食べました。
 そして、体が暖まった頃には、空が暗くなり始めていました。
「雪、僕そろそろ帰らなきゃ。でも、明日もまたここにくるから」
「ほんと?」
「うん。だから、雪もきてよ」
「わかった!」
「それから、今日はありがと」
「ありがと?」
「うん。嬉しい気持ちを伝えたいときは、ありがとうっていうんだ」
「じゃあ、ゆきも、はるきにありがと」
「そっか。よかったぁ。それじゃあ、また明日」
「うん。またあした」
 雪をみて淋しくなったのは、雪が少女と同じように、何も持たないモノだったから。
 けれど、少女には『雪』という名前と、大切な友達が出来ました。
 春樹と別れて一人になってからも、もう少女は淋しくありません。
 外を見上げればまだ雪はしんしんと降りつもっていました。
 
***
「そういえば、童話っぽいのも書いてたんだっけ」
 しかも、この作品、絵本作ったり、アナザーストーリーまで作った気がする。結構気合いいれてたんだろうなぁ、数年前の自分。恥ずかしい、懐かしいを超えて、おもしろくなってきたぞ、と自分の書いたものを見ながら思っていると、階下から声が飛んできた。
「そろそろ、引っ越し先行くけど準備できてるの?」
 それに対して、階段から下をのぞきながら、
「もういるものは、ほとんど送ってるから大丈夫」
 と笑うと、「はいはい、じゃあ、早目に降りてきてね」
 と、いつもの行動の遅さを知っている母に、釘を刺された。
 じゃあ、最後に(こういうところが遅さの所以なのだが)、と私は最新(といっても一年以上は前)の冊子を手にとった。
 
***
 Sunflower
『太陽は明日も昇るから』そう言って笑ったあいつに、もう明日が来ることはない。
 あの頃、僕達は目的も知らず知ろうともせず戦いを続けていた。
 世の中には戦いが溢れていて、子供だった僕達も、もちろん武器を持って戦っていた。
 仕方のないことだと割り切っていたつもりだったけど、想いの全てを殺すことは不可能だった。
 仲間の死んだ日、多くの敵に手をかけた日。
 そんな日の夜は皆泣いていた。
 ほとんどの子は涙を流すだけだったけれど、中にはヒステリックに泣き叫ぶ様な子もいて…そんな子をいつも慰めていたのはあいつだった。
『大丈夫。君は悪くない、悪くないんだよ』
『っうわあああああ』
『大丈夫、大丈夫だから』
 不思議とそういわれると皆落ち着き始める。
 それから、涙の止まった子に空を見上げながら『太陽は明日も昇るよ』とあいつは言った。
 希望を、願いを、祈りを込めるように。
 珍しく戦いのなかったある日、宿営地の近くの丘に涼みに行った僕は、空を見上げるあいつを見つけた。
『なあ』
 隣に腰を下ろしながら声をかける。
『うん?』
 あいつは突然の声で少し驚いた様に、振り向いた。
『何してる?』
『空、見てるんだ』
『…何かあるのか?』
『別に、何があるとかじゃないけど。しいて言うなら、太陽かな』
『お前、いつも太陽が昇る、とか言ってるからな。そんなに太陽が好きなのか?』
『太陽は明日も昇る、だよ。好きっていうかさ、元気出るじゃないか。今苦しくても、明日には希望が待ってるかも知れない。毎日昇ってくる太陽みてたらそう思えるから』
 君は、そう思わないかい?笑顔をみせながら、あいつは僕に尋ねる。
『夢なんか見てんなよ』
『見てはいけない?』
『つらいだけだろ』
『そんなことない。…、まあ、そういう考え方が普通なのもわかるよ。でも願いがないほうがよっぽどつらいと思うんだ』
 なんだか無性に腹が立って仕方がなかった。
 強がりじゃなく、未来を信じられるあいつが嫉ましかったのかも知れない。
『お前みたいな奴、僕は嫌いだよ』
『そう…別にいいよ。嫌っても』
 嫌いだと言われても笑っていられるあいつに、どうしてだと問いたい気持ちに駆られたけれど、何故か言葉は出なかった。
 次の日には、また戦いの日常がやってきた。
 夜には皆が泣き、あいつが慰める。
 そんな変わることのない日常が…。
 そういえば、とふと思う。あいつの泣いているところを、僕は見たことがあっただろうか。
 僕も人前で泣くことは少ないけれど、あいつはいつも人を慰めているばかりだ。
 近くからまた『太陽は明日も…』と聞こえてくる。
 本当に、そう信じるだけでいつ死んでもおかしくないこの場所で、笑っていられるのだろうか。
 僕もそんな風に、ないに等しい未来を信じられたならあいつと同じようになれるだろうか…。
 数ヵ月後、未だ僕達は戦場にいた。むしろ、以前よりひどい状態で。
 耳を、頬を、腕をいくつもの銃弾が掠め、さっきまで話していた奴が凶弾に倒れていく。
 地獄のような場所で、絶望に感覚を麻痺させて、銃を撃つ。
 夜の帳がおりる頃、ようやくその地獄は終わった。
 銃声は止み、両軍に撤退命令が下る。
 暗闇の中宿営地に戻っている時、傍にあいつがいることに気が付いた。
 空を見上げながら、あいつはつぶやいている。
「大丈夫、大丈夫…太陽は明日も昇る…」
 いつもとは違い、その顔に笑顔はなく、まるで自らに言い聞かせている様で…。
 あぁ、あいつも絶望に耐えようとしているのか…。
 ただ、強いだけじゃない、そうわかると僕は逆にあいつの言う明日を、本当に信じてもいいかもしれないと思えた。
 つらくても、今この現実に絶望するよりは、その方が…。
「なぁ」
 いつかと同じように声を掛ける。
「なに?」
「お前まだ、明日を信じてるか」
「…信じてるよ」
「そっか」
「それが、どうかした?」
「いや…別に」
「何それ、変なの」
「へん、て。お前よりましだろ」
「そうかもね」そう言ってあいつはまた空を見上げた。
 パンッ
 一発の銃声が、妙に鮮明に耳に残った。
 そして、隣にいたあいつはゆっくりと倒れていった。
 僕には一瞬何が起こったのかわからなかった。
 撤退命令が下ったのではなかったのか。
 戦いはもう、終わったはず…。
 ドウシテ、ドウシテ、ドウシテ
『向日葵(ひまわり)っ』
 初めて、あいつの名を呼ぶ。こんな時に、皮肉なものだと思った。
 目の前の状況に、思考は追い付かず、ただどうにかしなくてはという気持ちだけで…そうしている間にも向日葵の背中から、腹部から、脈打つようにゴボリと血が溢れだす。
『…う』
『向日葵っ、向日葵!大丈夫か』
 一目で平気なはずがないとわかっていたのに、尋ねずにはいられなかった。
『っ、だい…じょぶ…じゃな…いか……も』
 体を銃弾が貫通して、ここの設備で助かった奴は、いない。
『死ぬなよっ、宿営地に連れていってやるから』
『はは、…っ、も…むりだ…よ』
『明日を信じるんだろっ!』
『そ…んな……こといって…も』
 止まることを知らない血を見ながら、向日葵は乾いた笑いをもらす。
 そこにあるのは、同じ赤でも太陽とは全く違う、暗い暗い、紅。
『お前が明日を信じるって言ったから、俺も信じる気になったんだよっ』
『夢…みな…いっ……て』
『そんなの、もう』
『……、ねぇあ…の丘に……連れ…ていっ……て』
『…わかった』
『あ…りが……と』
 丘の上につき、ゆっくりと向日葵の体を下に降ろすと、あいつは顔をしかめながらも、明るい声で言った。
『ここから…見る太陽……すご…く、綺麗だっ…た』
『うん』
『最期…に太陽見たかった…かも』
『…そんな』
『でも、いいん…だ。太陽は……明日も…昇るから』
『…』
『次…は、君が……太陽…信じてくれる…んだよ……ね』
 向日葵は手をのばし、そこに太陽があるかのように握りしめた。
 そして、そのまま彼女は眠る様に逝った。
 僕はしばらく、そこで茫然としていた。
 そうして、ようやく残酷な事を言われたことに気付く。
 僕が信じたのは、太陽を、明日を信じ続けた向日葵だったのに。
 それでも、それが最期の願いなら、叶えずにはいられない。
 だから僕は、いつ失われるとも知れない、明日を信じると決めた。
 陽のもとに咲く花のようだった、君のために。
 
***
「やっぱりそこはかとなく中二臭さが漂ってるなぁ」
 確か、これを書いたのは高二だったはずなんだけどな。と少し、遠い目になりながら、自分が恥ずかしいこと書いてたのは思春期特有のそれじゃなくて、性格的なものだったのか、としみじみと思った。うん、なんとなく、そんな気はしてたんだけど。そんなことを考えながら、いい加減家をでなくちゃ、と冊子を置くと、そこから、ひらひらと一枚の印刷用紙が舞った。なんだっただろうと、手に取ると、そこには書きかけの小説。ああ、受験で書くのをやめたやつか、と思い出す。それにしても、見事に途中。この先どうしようと思っていたんだったか。
 
***
 セイマオ
 
 こんばんは
 小さな声が聞こえる。
 壱は余りの眠さにその声が何処から聞こえたものか考えることもないまま眠りに落ちた。
 こんばんは
 小さな声が聞こえる。
 凜はその声にビクリとし部屋中を見回した。
 こんばんは
 小さな声が聞こえる。
 涼は驚くこともなくその声に言葉を返した。
 これは声を巡る三人の物語。
 次の朝、壱は昨夜の声を朧気に思い出していた。
「そーいえば昨日なんか挨拶された気がする」
 壱にかかれば不可思議なことなど只の気のせい扱いだ。決して本人がリアリストだという訳ではない。極端な話、自分の邪魔さえしなければ、悪魔だろうが天使だろうが結構、というよく言えばあっさりした性格で、悪く言えばモノごとに無頓着な性格なのである。この性格が作り上げられるには様々な背景があるのだが、それはまた別のお話である。
 そういった性格の彼女だからこそ、昨夜の声はそのまま忘れ去られた。
 次の朝、凜は布団の中で丸まってがたがたと震えていた。真夜中に聞こえてきた声に彼女は怯え続けていたのである。
「なにあれ!誰もいなかったのに?テレビもラジオもないし…怖いよぅ!」
 凜は超のつく怖がりだった。最終的に彼女は外の話し声が聞こえてきたのだと無理矢理納得するのだが、学校に行ってからも小さな物音にさえ怯えることになる。
 次の朝、涼は声をかけた。「おはようございます」
 おはよう
 昨夜と同じ声がして、涼は微笑んだ。
「今日もいらしたんですね」
 昨夜はあの一言だけで消えた声が再び現れたことで、涼は喜んでいた。
「貴方は幽霊さんですか?」
 私はセイマオ
「セイマオさん?」
 そう
「セイマオさんは、どうしてここに?」
 助けて欲しい
「わかりました」
 助けてくれるのか?
「はい、私に出来るなら」
 涼にとって不思議なものは昔から友人だった。
 目がほとんど見えない彼女は、人間の友人よりも、本来見えざるモノに友人が多かった。幽霊、妖怪、妖精。そういったモノ達は皆彼女に優しかった。今度は私が不思議なものに優しくしてあげたい、そう思ったのである。
「おはよ」
「おはよう」
「おはよー」
 朝の通学路、そこには壱の姿もあった。
 あー、面倒だなサボっちゃおっかな…そんなことを思いながら歩いていると、すぐそばを大声で話している集団が通りすぎた。
「でさー」
「えー、気のせいじゃないの?」
「うーん」
「あんたも、外の話声だっていってたじゃん」
「そーだよ。外の声が響いただけでしょ」
「でもさー」
「ビビりすぎー」
 他校の制服を着たうるさい少女達に一瞬目をむけて、壱は呆れたような顔をすると、若いなーなどと年齢にそぐわないことを言う。
「…その声は……壱さんですか? おはようございます」
「ん、ああ。おはよ」
 壱に声をかけたのは涼だった。
 涼にとって壱は数少ない友人であり、同時に、誰に対しても何に対しても無関心な壱にとっても涼は数少ない友人の一人である。
「若い…とおっしゃってたみたいですけど、何かあったんですか?」
「涼…また敬語。ま、いいけど。若いなーて言ったのは、さっきの女子高生がキャイキャイしてたからさ」
「あ…そうなんで…そうなんだ」
「あんなテンション私には無理だわー」
「ふふ、テンションの高い壱さんもみたいけどなぁ」
 そんなことを楽しそうに言う涼とは対照的に、壱は苦い顔をして「柄じゃないよ」と返した。
 
***
「うん、思い出せない」
 思い出すのを諦めた私は、その紙だけを手に持って、階下に降りた。
 向こうで落ち着いたら、続きを書いてみるのもいいかもしれない。
 そのときはまた、
 思いっきり青臭く。
 思いっきり自由に。
 

相互評価

102212

○ 短編小説がたくさんある感じがよかった。うまいです。
△ 作品全体を通しての意味はあるのでしょうか

野浪正隆

いいところ いろんな小説の冒頭部が並べてあって、どうなるのかなぁと思っていると終わってしまうところ。
こうすれば 変わらないということを表わすのもいいんだけれど、あきらかに成長している部分があるはずだから、それを作品中に示すといいと思います。たとえば風景描写の使い方とか。

102127

いいところ  話の中にいくつもの話が織り込まれていて、面白いなと思った。最後は結末を思い出せないということも工夫されているなと思った。
 いくつもの話を織り込むことで、話の軸がやや見えにくいような気がする。

102205

いいところ  主人公が作品を通して過去の自分と向き合っているという設定が面白いと思いました。
 こうしたらいいのにというところ
 せっかく過去の自分と向き合ったのだから、そこから何かしらの成長を感じたり、気持ちに変化が起こったりした方が面白かったと思います。

102210

○いいところ  たくさん作品があって、それぞれ雰囲気の違う作品であって楽しく読むことができました。
△こうすれば
 メッセージ性というものが感じられなかったので、全体を通してのテーマというものが明確になっていればより良い作品になっていたと思いました。

102126

○導入の書き方が印象的で、読みたい、と思いました。たくさんの小説の世界が重なっているのもよかったです。
△この作品全体に小説としてなにか意味を持たせるとより良いと思いました。

102206

○一つの小説の中に様々なストーリーが展開されていて、飽きずに読むことができた。それぞれの話で文末表現や視点を変えるなどの工夫も良かった。本筋に登場する人物の文学的な経歴(成長)のようなものが表れていておもしろかった。
△中身が良くできていただけに、タイトルが少し物足りなく感じたので、もう一工夫すればもっと良い作品になると思う。

102116

○構成と最後が斬新だった。
△何が話のメインか少しわかりにくい印象がある。

102207

○自分も昔の文章を読んで恥ずかしく思う経験をしたことがあり、主人公に共感できました。
△起承転結のように、盛り上がる場面を入れるともっと面白くなると思います。

102201

○ ひとつひとつの物語が面白い。
△ 短編同士で何か関連性が見いだせればもっとおもしろい。

102106

○次々話が変わっていき飽きずに読めたところ。
△結局どんな話なのかが見えないまま終わってしまった。

119106

○構成が面白いなと思いました。一つ一つの小説が工夫されているなと思いました。出だしのところがよかったです。
△自作の小説を読んだ後、もう少し主人公が何か感じたりとかしてもよかったのでは、と思います。

102203

○ 引き出しがすごいな、と思った。
△ 全体を通して言いたかったのは私の成長だということはわかるが、ジャンル、書き方など、それぞれの作品で成長がわかりづらい。

102131

○作品の中にたくさんの作品が出てきて面白いところ。

102121

○短編集のような感覚で読めました。
△作品中の小説を書いた主人公の年齢が違うのであればそれをもう少し前面に出しても良いのではないかと思います。

102137

今までに読んだことのないような形式でした。
 いくつもの種類の異なる小説を書いている点がいいと思います。
 ひとつひとつに、少しずつでもつながる部分を作れば、もっと面白いかもと思いました。

102204

○ひとつひとつのレベルがすごく高くてただただ感動しました。
 擬音語、擬態語が的確に表現されていて、血とかぞっとしてしまう自分がいました。
△どれもよくて続きが読みたいと思うものばかりだったが、全部が冒頭だけで、最後まで読んでもスッキリしないというかちょっともやもや感が残りました。どうすればいいのかはわからないんですけど。

102125

○ 短編がどれも途中で終わっていて、そこから生まれるモヤモヤ感が主人公の当時の未熟さをよく表していると思いました。
△ 締めの部分に主人公の成長した様子など、もう少し情報を置いたら「現在の主人公」がもっと引き立つと思います。

102209

○色々な短編が詰め込まれていて面白く、読みやすかったです。
△すべての話の下になにか共通する主題のようなものが見出せる設定であれば、もっと良かったんじゃないかなと思います。

102138

○ 短編をたくさんという発想が面白かった。
△ 短編同士のつながりを考えたらもっと面白いと思う。

集合写真
 102137

 完璧な笑顔だった、と思う。
 表彰台から降りてきたマキに向けて、「おめでとう」とほほ笑んだ。マキが私の横を通り過ぎた瞬間、すっとその笑顔が引いていくのが自分でも分かった。笑顔でマキを迎える友だちや先生の中で、早くその場が終わればいいのに、と思っていたのは、私だけだったと思う。自分がそんなことを思っていることを、誰にも知られたくなくて、私はまたぎこちない笑顔を作りなおした。
 一緒に入部しようと誘ったのは、私の方だった。小学校から中学校に上がる前から、私はテニス部に入ると決めていた。そんな中、中学に入り、どの部活に入るか迷って決めかねていたマキを、「一緒にやろうよ」と誘った。マキとはもともと仲がよかったし、一緒に部活ができると分かったときは、とてもうれしかった。マキは、あまり目立つタイプではないし、運動が得意なイメージもなかった。私は小学校でも、活発で運動が得意なことを売りにしていたから、はたから見ると、私たちのコンビは異色に映ったかもしれない。悪気なく「マキはきっと補欠だろうな」なんて、密かに私は思っていた。
 私は、入った当時から、二十人いる一年生の中で一番足が速く、上達も早かった。そのうち、先輩や顧問の先生からも注目されるようになって、一年生の夏休みのある日、私だけが練習後に残るように先生に言われた。
「明日から、お前はBチームの練習に入れ。」
 私たちの部活は、全部でA・B・Cの三チームに分かれて練習していた。Aチームがレギュラー、Bチームは準レギュラー。Cチームがそれ以外で、一年生はまだそのどれにも属しておらず、いわばDチーム。DチームからBチームというのはものすごい飛躍で、私は満面の笑みで返事をした。もうとっくに日の落ちた学校を去る足取りは、いつもより軽やかだった。
 次の日ウォーミングアップが終わって、みんなと分かれて一年生から一人だけコートに入る私をみんなが見ているのが気持ちよくて、でもそんなことなんでもないというふうに、思わずにやけそうな口元を引き締めた。
「やっぱりエミはすごいよね。一年で一人だけBチームなんて。私たちも頑張ったらそっちにいけるかなあ。」
 練習が終わって一緒に帰る途中で、マキが言ってきた。
「そんなことないよ。私が呼ばれたのもきっとたまたまだし、マキもすぐこっちに来れるよ。頑張ろうね。」
 そう言ってその日はバイバイをした。
 正直言って、マキは新入生の中でも特に上手くもなく、どちらかというと下手くそだった。だから私は、口ではマキを励ましながら、マキはしばらくこっちには来ないだろうなと思っていなかったと言えばうそになる。
 夏の大会では、県大会に出場することはできなかった。私は校内戦で先輩に負けて、試合には出ることができず、他の一年生と一緒にベンチの外から応援をしていだ。三年生の引退は寂しかったけれど、これで私にもチャンスが巡ってきたと思っていた。一年の中では相変わらず私が一番強かったし、頑張れば二年の先輩には勝てるんじゃないかと思う気持ちが強かった。
 その頃から、他の一年生もコートに入って練習をすることになり、それぞれのチーム分けが発表された。私は、Bチーム。まだAチームには呼ばれないのかと悔しい気持ちもあったけれど、ここからだと思っていたし、一年生でBチームに呼ばれるのは私だけだと思っていたから、まだ気持ちに余裕があった。名前が呼びあげられていき、最後の一人に耳を疑った。
「マキ?」
 最後の一人にはマキが選ばれており、本人もかなり驚いた様子である。
「なんでマキが入ってるの?」
 私が初めに思ったのは、「おめでとう」よりも「友だちが認められてうれしい」でもなく、そんなことだった。確かに、マキは最近めきめきと成長しているように見える。朝は一番早く来て、コートの設営や自主練をし、帰りも一番遅くまで残っているのも、多くの部員はもちろん、先生も知っていた。それでも、まだ私はマキには負けるとは思わなかったし、一年生で一人だけのBチームの座にマキが入ってきたのが癪にさわった。マキは私のそんな意地の悪い考えに気付く様子もない。
「やっとBチームに入れたよ。エミに追いつきたくて、頑張ってきたことが認められたのかなあ。」
「マキ頑張ってたもんね。よかったね。頑張ろう。」
 マキが嬉しそうに話すのを聞きながら、そんなことを言ったと思う。私はまだ追いつかれたとは思ってはいなかったし、対等な立場だとも思っていなかった。思春期特有の鋭いプライドは、こんなところで惜しみなく発揮された。
 翌日から、マキがBチームに来ての練習が始まった。ちがうコートで練習していたからあまり知らなかったけど、マキのサーブは思っていたよりずっと鋭い。私はレシーブをしながら、何かいいようのない焦りがこみ上げてくるのを感じていた。練習でシングルスのゲームをし、何とか勝ちはしたけれど、思ったような点差は開かなかった。
 それでも、秋の大会のメンバーには、私が選ばれた。つまり、Aチームに昇格したのだ。これで再びマキとの差を広げられたと安心している自分がいた。デビュー戦は見事勝利、私は地区大会で三位の成績を修めることができた。
「すごい!やっぱりエミはさすがだね。」
 と満面の笑みで喜ぶマキに、
「ありがと。」
 と返した。マキが自分のことのように私のことを喜んでくれるのが嬉しくて、でもどこか後ろめたい気持ちもした。
 私は次の日の全校集会が待ち遠しくてたまらなかった。大会で賞状をとった生徒は、全校集会で表彰してもらえるのだ。ずっと「あそこに登りたい」と思っていた私の小さな夢がかなうことに、達成感が改めてこみ上げてきた。
「あいつも見てくれるかな。」
 なんて、隣のクラスのケンタのことを考えたりもした。
 次の日、全校集会で、私の名前が読み上げられた。
「二年一組、山田エミさん。前へ出てください。」
 テニス部以外のみんなは私が地区大会入賞したことをまだ知らなかったから、二年生がざわざわして、「エミどうしたの?」「地区大会三位になったんだよ。」なんて小声の会話も聞こえてきた。そのことにむしょうに優越感を感じて、なんだかクセになりそうなくらい嬉しかった。表彰台に上り、賞状を受け取って列に戻ろうとすると、クラスのみんなが
「マキおめでとー。すごいね。二年で入賞なんて。」
 と口ぐちに誉めてくれた。
「ありがと。でも静かにしないと先生に怒られるよ。」
 そう言いながら、後でもっと誉めてもらおう、なんて思っていた。私より後ろに並んでいるマキは笑顔で手を振り、「おめでと」と口の形だけで言ってきた。マキに対して、少し意地悪な態度を取ってしまっていたから、バツが悪くて、気付いていないふりをしてごまかしてしまった。表彰も終盤に入ると、思わぬ名前が呼ばれた。
「二年一組、池田マキさん。前へ出てください。」
「えっ。」
 私は思わず後ろを見た。マキが颯爽と私の横を通り過ぎ、表彰台に上って行く。みんな、
「今度はマキ?このクラスすごいね。」
 なんて言っている。私は今日マキが表彰されるなんて全く知らなかったから、
「何で表彰されるの?」
 と聞いてくる友だちに、
「知らない。」
 と少し棘のある言い方をしてしまった。賞状が読み上げられる前に、校長先生が、
「池田さんは、ピアノの演奏で今度大阪代表に選ばれることになりました。これは、我が校始まって以来の快挙です。みなさん大きな拍手と共に、エールを送りましょう。」
 とおっしゃった。全校生徒からは、
「すごい!かっこいい。」
「近畿大会に出場ってことだよね。」
「池田さんって、ピアノが上手だと思っていたけど、そんなにすごかったんだ。」
 など、口々に賞賛の声が聞こえてきた。私も、マキがピアノを習っているのは知っていたけど、全然そんなこと知らなかった。
「近畿大会って、めちゃくちゃすごいじゃん。」
 心の中で、テニスだけで張り合い、優越感を丸出しにしていた自分が急に恥ずかしくなった。
 完璧な笑顔だった、と思う。
 表彰台から降りてきたマキに向けて、「おめでとう」とほほ笑んだ。マキが私の横を通り過ぎた瞬間、すっとその笑顔が引いていくのが自分でも分かった。笑顔でマキを迎える友だちや先生の中で、早くその場が終わればいいのに、と思っていたのは、私だけだったと思う。自分がそんなことを思っていることを、誰にも知られたくなくて、私はまたぎこちない笑顔を作りなおした。でも今度はやっぱり上手くいかなくて、靴ひもを結び直すフリをした。
 教室に帰ってからも、みんなはマキの話題で持ち切りだった。
「マキほんとすごいよねえ。」
 悪気なく賞賛の声を上げる友だちは、私の地区大会の入賞なんてすっかり忘れてしまったようだ。
「わたしだって頑張ったんだから。」
 そんな気持ちを隠しながら、
「ねー。すごいよね。教えてくれたってよかったのに。」
 なんてヘラヘラしている自分はすごくかっこ悪いと思った。自分の入賞が、なんだかすごくちっぽけなものに思えた。
 帰り道、どうして教えてくれなかったのかをマキに聞くと、
「みんなに内緒にしてびっくりさせようと思ったの。でも私、ピアノは続けるか分からない。」
 と言ってきた。
「どうして?近畿大会に行けるほどの才能があるのに。」
 私は心底不思議でならなかった。名誉欲の強い私だったら、間違いなくそれより上を目指してピアノを続けると思ったから。
「私は、今はテニスを頑張りたいの。中学でテニス部に入るって決めた時点で、もうピアノはやめようと思ってた。私、不器用だから、いくつものことをエミみたいに上手に両立できないから。」
 マキがそんなにテニスに懸けているなんて思っていなかったから、その回答にはさらに驚かされた。
「自分が上を目指せるピアノを捨てて、テニスをするってこと?」
 そう言うと、マキは笑顔で、
「エミを見ていたら、私も負けてられないなって思うの。いつか絶対追いつくから、一緒に頑張ろうね。」
 と言い、
「じゃあまた明日ね。」
 と去って行った。これからマキはもっと練習に打ち込むつもりなんだと思うと、私は意地でも負けないと、自分を奮い立たせた。マキの純粋さに、なんだか自分がすごく心の狭い人間に思えた。
 それから、マキの勢いは止まらなくなっていった。聞くところによると、本当にピアノをやめたらしい。今までピアノに打ち込んでいた時間を、さらにテニスに打ち込む時間に充て、誰よりも自手練に励んだ。私は負けたくなくて、張り合うようにして居残りの自主練を始めた。マキより一球でも多く打ってから帰る、というのが私の習慣になった。でもマキは、そんな私のことは気にする様子もなく、自分のペースで納得いくまで壁打ちを続けていた。私より早く上がるときは、必ず、
「がんばってね。私はお先に失礼しまーす。」
 と声をかけてくれた。マキの姿が見えなくなると、私は満足して練習を切り上げた。私は完全に質より量を求め、マキよりも多く練習をしたことに安心していた。今思えばマキは、球数を決めて、自分の納得いく球を十球打てたら帰る、というような「量より質」を追い求めるタイプで、そこが私との決定的な違いだったのだと思う。私たちの差は、少しずつではあるが確実に縮まっていった。そのことは私もうすうす感じていた。でもそんなことを思っていることは誰にも悟られたくなくて、わざと強気な発言を繰り返すようになった。
 三年生が卒業するころになると、誰が時期キャプテンになるか、という話も時々持ち上がるようになった。キャプテンは顧問の先生と先輩が話し合って決め、指名することになっている。実力的にも性格的にも、時期キャプテンは私だと思っていた。そのつもりで私は毎日練習に励んだし、先生からの信頼も厚いと思っていた。しかし、キャプテンにはマキが指名された。副キャプテンには、私。周りの部員は、納得していたようで、
「やっぱりね。これから頑張ってよね。」
 なんて、笑顔で言い合っている。私は納得できなかった。まだマキに練習で負けたことはなかったし、
「なんでマキ?」
 その理由が全く分からなかった。部活の後、顧問の先生のところに行き、
「なんでマキなんですか。」
 と尋ねた。その一言で先生は察したらしく、
「それが分からんうちは、お前にはキャプテンは任せられないよ。なんであいつがキャプテンになったのか、よく考えてみろ。それに、副キャプテンも大切な仕事だ。それを責任を持ってやりきることが、これからのお前のやるべきことだ。じゃあ気をつけて帰れよ。」
 と言い残し、職員室に向かっていった。そう言われてもなお、私には理由が分からなかった。私ではなくマキがキャプテンに選ばれた理由が。今思うと、その時も少しは分かっていたのかもしれないけれど、認めることを私のプライドが許さなかった。副キャプテンじゃ意味がない。そう思ったのも確かだった。顧問の先生は私のことをちゃんと見てくれていない、とも思った。
 それでも、私は今までと変わらずテニスに打ち込んだ。むしろ、その悔しさが原動力となり、それまで以上に真剣にテニスと向き合うようになった。副キャプテンとしての仕事もしっかりこなしたし、一番手になりたいという気持ちは誰よりも強かった。新チームでの練習が始まるにつれて、私の気持ちの中に変化が生まれ始めた。これまでかたくなにマキを否定しようとしていた自分が恥ずかしくなるほど、マキはいいキャプテンで、いい選手だった。
 そのころから、私ははっきりとマキをライバルとして認識するようになった。マキは誰もが認める程上手くなっていったし、もう私に以前のような余裕はなかった。私は、全てをかけて戦うべき相手として、マキを見るようになっていった。
 そして、三年生の最後の大会を迎えることになった。メンバーには、私もマキも入っていた。二人とも順調に地区大会を勝ち上がり、府の大会に進めることになった。そして、三回戦で、なんと私とマキが対戦することになった。学校内の試合でも、実力は五分五分。それでも、私は何としてもマキに勝たなければいけないと思い、三年間の全てをぶつけるつもりで試合に臨んだ。三年間のどの試合よりも、大切な試合だと思った。試合はシーソーゲーム。本当に互角の戦いだったと思う。フルセットで迎えた最終ゲームの最終ポイント。マキの鋭い回転のかかったサーブを、返せなかった。マキが、ずっと練習していた球だ。
 不思議と、悔しさはなかった。なんだかすがすがしくて、今までかたくなだった心が一気に崩れた。
「おめでとう。頑張ってね。」
 今度は、心から言えた。
「ありがとう。エミの分まで頑張るよ。」
 その言葉は、どんな言葉よりも頼もしく感じた。それからは、マキの応援に回った。今までだったら、心のどこかで、「負けてしまえばいいのに」と思っていたと思う。でも、そんなことを思ったら、三年間頑張ってきた自分自身に対しても失礼だし、何といってもマキは、自分が初めて認めた、自分以外の選手だった。マキは、私の期待、部員全員の期待を背負って戦い、府の大会で準優勝を勝ち取った。
 試合が終わった後、マキは真っ先に私のところに走ってきた。私も、それをしっかりと受け止めた。
「おめでとう。やっぱりマキはすごいよ。」
「エミのおかげで頑張れたんだよ。エミはずっと、私の目標だったから。」
 気付くと、二人とも泣いていた。涙でくしゃくしゃになった顔を見合わせて、二人でケタケタ笑いながら、大きな声で泣いた。それが、私たちの引退試合となった。
 次の週の全校集会で、マキの名前が呼ばれた。
「三年一組、池田マキさん。前へ出てください。」
 今度は、前と違って、自分がそこに呼ばれたような気持ちで、マキを送り出すことができた。
「マキ、すごいでしょ。」
 なんて、本気で言える自分は、一年前ではちょっと想像できなかったと思う。マキが列に戻ってきたとき、今度は自然な笑顔で笑えた。
「おめでとう。」
 とも言えた。マキは、笑顔で
「ありがとう」
 と応えて、私の横を通り過ぎて行った。
 中学を卒業した後、高校は二人とも別々になり、その後も進路が重なることはなく、マキは夢だった看護師に、私は教師になった。今でも、マキとは定期的にお互いの近況を報告しあったりする仲である。
 マキがいなかったら、
 とたまに思うことがある。もしもマキがいなかったら、私の心はずっとかたくななままだったし、人の幸せを心から喜べるような自分には、きっとなれなかったに違いない。中学でのあの出会いが、私を変えたのだと、今でも思っている。私みたいな子を救いたくて、私は中学の教師になった。いつかの顧問の先生の言葉が、頭をよぎった。
「それが分からんうちは、お前にはキャプテンは任せられないよ。なんであいつがキャプテンになったのか、よく考えてみろ。」
 あの言葉が、私を成長させたのだと思う。先生は、ずっと私のことを見てくれていた。今でも、毎年先生からくる年賀状を読むと、当時のことを懐かしく思い出す。
「先生、今日の練習メニューはどうしたらいいですか。」
 テニス部の副キャプテンが、職員室に入ってきた。
「今日はサーブ練習をメインで組んでいるから、がんばってね。」
 練習メニューを記した紙を渡しながら、ほほ笑んだ。
 「分かりました。失礼します。」
 そう言って職員室を出ていくミカの顔は、まだかなりかたくなだ。
 当時の自分もあんなかんじだったんだろうな、
 と思う。今は、私は相当恨まれているかもしれないし、自分のことを分かっていない先生だと思われているかもしれない。でも、今はそれでいい。いつか、自分で気付いてくれればいい。その経験が、何よりも人を成長させると思うから。
 仕事を始めてから気がついたけれど、私みたいな子は、思ったよりもずっと多い。みんな、それぞれの悩みや葛藤、時には苦しくなるような嫉妬と戦いながら、それでもあきらめきれず前を向こうとしている。そのうちのどれくらいに子どもたちに、私のような体験をさせてあげられるだろう。当時の自分の姿を重ね合わせながら、
「がんばるんだよ。」
 と小さくつぶやいた。
 職員室の机の上の、くしゃくしゃの笑顔の集合写真を見ながら、
「わたしも頑張ろう。」
 と席を立った。
 

相互評価

野浪正隆

いいところ 中学校のテニス部の活動がよくわかるところ。行動描写が主だけれど、風景が見えてくるところ。
こうすれば マキに対するわだかまりが消えるためには、公式戦1回だけでは弱いと思う。団体戦でどちらも頑張って勝つ(マキが大逆転をするとか)というような事件が必要だと思います。

102212

○ 思春期の人物像をとてもうまく捉え、表現できていると思います
△ 後半にかけての展開が少し急かなと思いました

102123

わかりやすくリアルな心情描写で表された 主人公の大きな成長が、読後の爽快感を読者に与えている点。(良い)
 一か所だけエミがマキになっていたような気がしました。

102127

いいところ  部活の情景描写とその中で登場人物の心情がどのような変化していくかがリアルに書かれているところ。
 たたみかけるようなマキの飛躍っぷりが少し急だと思う。

102203

○ 思春期特有の女子の気持ちがよく表わされていると思う。
△ エミの成長のきっかけとなるのがエミの負けでは、マキの実直さが強調されて、成長を見せるには弱いように思う。
 

102126

○時間の移り変わりがおもしろかったです。自分の経験がのちに生きていくというのもよかった。
△エミの心情の変化に違和感を覚えました。行動と心情があっていない部分があったように思います。
 

102116

○気持ちがリアルで共感できた。
△展開が少しあわてすぎた。

102205

いいところ  思春期の心の動きが分かりやすく描かれていました。
 最後に教師の立場から振り返る、というのが上手くまとめられていて良いと思いました。
 こうしたらいいのにというところ
 主人公の気持ちが変化するところが、もっと丁寧に書かれていたらよかったかなと思います。

102131

○思春期の登場人物の心情をよくあらわしているところ。

102210

○いいところ  誰もが共感できるような内容であって、一人の女の子の成長をうまく表現されていると感じました。終わりになるにつれてテンポも速くなっていってさわやかな青春といった雰囲気が残りました。
△こうしたら
 先生がマミに伝えたかったのはなんなのか。なんとなくはわかるけれどぼんやりしてしまった気がします。

102207

○主人公の心情描写が細かく、リアルでした。
△マキに負けたときのエミの心情の変化や、顧問の先生の言葉に対するエミの考えをもっと詳しく書くと、よりエミの成長が伝わると思います。

102106

○共感できるので話に入り込めた。あるあるって感じです。
△展開が急だった。

102201

○とても分かりやすく、エミに感情移入することができた。青春って感じがした。
△エミが試合で負ける場面が、今まで丁寧に書きあげてきた新庄描写に比べるとあっさりしていたように思うので、もう少し葛藤のようjなものが描かれていてもよかったかと思う。

102210

○いいところ  誰もが共感できるような内容であって、一人の女の子の成長をうまく表現されていると感じました。終わりになるにつれてテンポも速くなっていってさわやかな青春といった雰囲気が残りました。
△こうしたら
 先生がマミに伝えたかったのはなんなのか。なんとなくはわかるけれどぼんやりしてしまった気がします。

102121

○部活動や中学生の描写が細かく、わかりやすかったです。
△エミの心情の転換となった部分をもう少し細かく書いても良かったのではないかと思います。

102138

○ 心の動きがはっきりしていて、読みやすかった。
△ 顧問の思いを受け入れるまでの変化が少しわかりにくかった。

102208

○ 回想の入れ方や、心理描写・行動描写がうまく、引き込まれました。プライドを捨てられない思春期の心情が伝わってきます。
△ 心情が大きく変化する部分には、もう少し伏線のようなものを入れたらよりよかったのではないかと思います。

102204

○自分も中学時代部活に明け暮れていたのでとても懐かしく感じさせた。行動が事細かに書かれていて頭の中で練習風やエミがどんな表情なのか想像しやすい。
△先生がエミに言った言葉の意味をエミ自身どう解釈したのかわかるような表現があればいいなと思った。成長したとは書かれているが、どう考えるようになったのかが曖昧になっている。

102125

○ 文章が主人公目線で、事細かく主人公の心情の様子や変化が描かれている所が良かった。
△ 主人公の大きな転換、成長の部分をもう少し詳しく書いたらもっと主人公の成長具合が引き立つと思った。

102209

○主人公の成長がはっきりと感じ取ることができました。
△主人公を成長させたのは先生の言葉だと書かれてありましたが、そのあたりのエピソードの扱い方が少し軽いような気がします。

102206

○大きく成長する思春期の女の子を、上手に表現できていたと思います。
△後半の展開が少し早いように感じました。

宝田旅行記
 102126

 木と木の間から差し込む日光はまぶしく、ずっと眼を伏せながら歩いていた私は道の前方を塞ぐものの存在に全く気付いていなかった。
 数日間滞在していた、摂津宝塚にある落ち着いた雰囲気の旅館を離れた私は、市内を流れる大河武庫川を渡り、舗装のない山道を登っていた。
 ことの始まりは数日前、何気なく訪れた川下りの船中のことである。
 私は周りの景色をぼんやりと眺めていた。西には六甲という大きな山がどっしりと腰をおろし、この地を見下ろしている。
 日光は水面に反射しきらきらと輝くが、それに反して私の気持ちはうっそうと曇り渡っていた。
「ここの夕陽はきっと美しいんでしょうね」
 船主はこの地独特であろうなまりで、少し滑舌悪くせかせかと答えた。
「そりゃああんた、ここの夕陽は六甲に映えますからな。朝日もまた見事なものですわ」
「そうですか。とても優美ですね」私の言葉で船主はきょとんとした顔つきになった。
「優美だなんて言葉、ここらで使う人は中々おりませんな。あんたは一体どちらからお越しで」
「実家は九州の方の小さな旧家です。今は東京で学校教育制度について少し学んでいますが」
 船主はより急くようにしゃべり、滑舌の悪さも際立ってきた。
「へえ、いいところの娘さんでしたか。そんな人がまたなんでこんな奥地へ」
「いえ、実家に帰る前に少し由縁のあるこちらに寄ろうと思って。今まで宝塚の温泉でのんびりしていたので、多田の方へ向かおうと思うんです」
「多田にねえ。私には多田など全く関係ありませんからな。でもそれなら清荒神や中山、松尾などにも行ってみたらどうですか。中々いいところですよ」
「清荒神は存じ上げていますが、中山や松尾とはいったいどのようなところでしょうか」
 船主は身振り手振りを交えて熱心にその素晴らしさを語ったものの、慣れない話し方となまりは私をより憂鬱にさせるばかりであった。しかしその場所に興味を持った私は、足をのばしこうして今、山道を歩いているのである。
「お姉さん、こんなところで何をしているの」
 伏せていた眼をあげると、小さな男の子がこちらを見上げていた。9,10歳くらいであろうか、少し古くさい服を着ているのが気になった。
「清荒神というところに向かっているのよ。君は?」
「お姉さん、道に迷ったんでしょう。こっちは違う方向だよ。僕が連れて行ってあげるから、おいで」
 男の子はこちらの質問には答えず、私の手をしっかり握ると大きく笑みを浮かべた。
 気が付くと髪の毛からは汗が滴り、息も上がっていた。
 とりあえず着いていってみよう、そう思った私は何も答えず、男の子に続いた。
 山道を越えた先に清荒神はある。宝塚ほどではないものの、道中にはぽつぽつと旅館が続き、客引きが不思議そうにこちらを眺めていた。
 そんな目線を無視して山道を歩いていく。大体、まだ昼じゃない。心の中でそう呟いていると、男の子はふいにこちらを振り返った。
「お姉さんは何で清荒神に行くの」「ここがいいところだと聞いたからよ」
 特に納得する様子でもなく、彼はこう続けた。
「清荒神は行くまでがとっても大変だけど、それだけ着いたときにはいいことがあるんだよ」言いながらも足取りは軽く、やがて目的地にたどり着いた。
 さすがに暑く、髪からは汗が滴る。一方涼しげな男の子は「着いたよ」といった。
 境内には本殿が置かれ、参拝客の姿も目立つ。ここが清荒神か、感慨にふけりながらも私は道中の無事を願おうと賽銭箱にお金を投げこんだ。眼をつぶる。
 真っ先に脳裏をよぎったのは家庭のことであった。
 私の家は大きくはないものの、古くからの伝統を守ってきた格式のある家である。江戸時代までは武士の家で、長い間島津家に仕えていたと聞いた。島津家との関係は深かったらしく、今でも家宝としてたくさんのものが残っている。
 先日父親が電話で私に向かってこう言った。「時代は変わり続けているのだから、この家の伝統を守り続ける必要はない、私たちも新たな姿を目指すべきだ」と。大切な家宝の日本刀を売却し、そのお金で新しい電化製品や最新のものを買おうというのだ。
 それを聞いて私は居てもたってもいられず、すぐに東京を発った。あいにくなことに父親も家を離れていると知り、こうして道中時間をつぶしているのである。
 確かに時代は変わっている。先の大戦が終わり、海外からどんどんと技術が流れ込む。日本は新たなものを取り入れ、成長しようとしている。しかしだからといって、なんでも変えていいわけではない。
「どうか父の気持ちが変わりますように」いつの間にか思いにふけっていた私は、「もう行こうよ」という男の子の声ではっとした。
 ここはよくみると宝塚中心部に比べて古くさい。廃れているような感じさえも見受けられる。「時代は変わっている」そう思いつつ、ここを離れることにした。
 しかしふと、宝塚にも古さを残した温泉が多くあったことを思い出した。
「次はどこに行くの」男の子はこちらを見つめている。「そうね、中山というところかしら」そう聞くと男の子はうなずき、方向を変えててくてくと歩きだした。
「君は、なんていう名前なの」「リンだよ」リンは気にも留めない様子でそう答えた。リン?と心の中で思いながらも、その名前を繰り返す。
「リンくんは、ここら辺のことならよく知っているの」「うん、どこでも知っているよ。ここで生まれ育ったからね」得意げにそう答えた彼は、こう続けた。
「お姉さんは、どこから来たの」「東京というところよ」トウキョウ、と一瞬嫌悪感を見せたリンは「都会なんだね」とつなげた。
 太陽はやはりじりじりと照りつけ、暑さがさらに増してくる。
 疲れも相まって無言がちになった私は次の目的地へと急いだ。
 中山にはお寺があり、多くの人でにぎわっていた。へえ、中山ってこんなところなんだ。ぼうっとその景色を眺めていると、突然リンが走り出した。ちょっと待って、と言い終わらないうちにリンは人波の中に消えていってしまう。どうしようか、とりあえずぶらぶらしようと決めた私は歩きだした。
 道行く人の中に私は母親に似ている人を見つけた。
 父親の話を受け、急いで実家に電話すると案外母はのんびりとした声で話した。「もう武士の時代でもないし、この通り近代化は進んでいるわ。お父さんの考えも、私にはよく分かるもの。お父さんの好きなようにさせてあげようと思っているの」
 私は気が気ではなかった。あの刀は代々伝わってきた大切なものである。手放すなんて考えられない。しかし母はそれを真剣には取り合ってくれなかった。「大丈夫よ。あんなものはなくても、安全な世の中になったじゃない」そんな問題ではない、と電話を切った私であるが、それ以来一向に気持ちはすぐれなかった。
 家に帰ったら、どうやって両親を説得しようか。そもそも、私の考えがおかしいのだろうか。私はあたりを眺める。
 ここはそこまで近代化はしていない。古さが多くに残っている。しかし多くの人でにぎわい、栄えているようである。
 古い考え方だっていいじゃない、少し勇気がもらえた気がした。
 屋台で私は二人分のイカ焼きを買うと、近くの低い塀に腰を下ろした。
 しばらくするとリンは戻ってきた。「ありがとう」といってイカ焼きを受け取ると、おもむろにそれを食べ始めた。「どこへ行っていたの」そう尋ねると、「ちょっと挨拶に」
「挨拶?」しかしリンは返事をせず、黙々とイカ焼きを食べつづけた。
「次に行くところはあるの」「そうね、日も暮れてしまうし、多田にだけ行こうかしら」多田ね、とリンは返事をすると、ちょっと遠いな、と呟いた。
 イカ焼きを食べ終わった私は立ち上がると、またリンに手をひかれて歩きだした。「多田にはどんな用があるの」私は少し考えた。「私の御先祖様がゆかりのあるところらしいの」リンはやはり顔色を変えず、ふうん、とだけ答えた。
「多田に行ったら、今日はもう終わり?」「そうよ。一泊したら九州にある家に向かおうと思っているの」リンはとても寂しそうな顔をした。そしたらお別れか、私も寂しい気持ちになったが、顔には出さないようにして話を続けた。
 今日一日しか一緒にいないけれど、不思議に長い時間いるような気がする。面白い子だな、そう心の中で思うと、より寂しさが募った。
「ねえ、リンくんはこういう落ち着いた場所と、にぎわった都会のような場所、どちらが好き?」何となくそう聞くと、思いもよらない返事があった。
「ぼくは都会は嫌いだよ。キンダイカ、とかいうけれど人の心が置き去りにされているような気がする。忙しく働いて、周りの人のことなんて考えていないんじゃないかな。とっても冷たい人たちばかり」心からの声でそう言った。
「でも、」私はつい反論してしまう。「都会は悪い人たちばかりではないよ。一生懸命働いて、誰かのためを思ってものを作っている人がいる。疲れちゃってつい冷たく当たるような人もいるけど、きっと心の中では、だれかを大切に思う気持ちがあるのよ」
「お姉さんは都会の方がいいの?」やはり寂しそうな顔をしている。私は少し考えた。
「いいえ、私の家は田舎にあって、落ち着いたところなの。今まで伝統を守ってきた家で、私はその伝統や古さも好きだわ。都会が悪いわけではないけれど、私はこういう場所の方が好きかな」リンは嬉しそうな顔になり、「そっか」と答えた。
 確かに都会も悪いわけではない、近代化も悪くはない。でも。
 やがて太陽は西に傾き、少し温度が下がってきたようだ。二人の影も長くなり、本格的に疲れを感じてきた頃、ようやく多田に到着した。
「ここが多田だよ」大きな川が流れ、小さな子どもたちがそこでは魚とりをしていた。更にしばらく進むと、多田神社が見えた。
「ちょっと二人で散歩でもしようか」そう言って私はぶらぶらすることにした。人はまばらで、あたりには旅館も建物も少ない。時間帯かな、とおもいながらもその景色に私は見とれた。
 川には西日が反射し、きれいに赤く染まっている。「きれいね」というとリンも「そうだね」と答えた。
「せっかくだから少しここでゆっくりしましょうか」と二人は川岸に腰を下ろした。
 子どもたちの声と、川が流れる音だけがあたりには響いている。
 この景色を大切にしたい、と私は心に刻んだ。
 しばらく何も言わなかった二人であるが、リンが口を開いた。
「ぼくはね、この場所がとても好きなんだ。人と人との関わりが強くて、周りの人にとても親切だし、神社とか、お寺とか、昔からあるものを大切にしている」
「そうね」本当にそうだと私は思った。「お姉さんは都会の人なのかな」私はまた考えた。
「難しいわ。東京には住んでいたけれど、まだ一年くらいだし、また九州の家に帰ろうと思っている」リンは笑った。「お姉さんが都会の人だったら、ぼくもちょっと都会を好きになれそうだよ。お姉さんはこういうところをすごく大切に思ってくれているの、分かるし。もう行っちゃうなんて、すごく寂しいな」
 私が照れて何も言えずにいると、リンが言葉をつないだ。「じゃあそろそろ神社に行こうか。お姉さんの大事なところなんでしょう」また手をつないで歩きだす。小さな橋を渡り、階段を上ると神社についた。
「じゃあ、一緒にお願いしようか」賽銭箱にお金を入れると、私は目をつぶった。
 父の気持ちも分からないことはない。街には近代的なものがいっぱいあって、私も眼をひかれることがある。時代は確かに、変わっている。それでも。
 このように昔のままの場所でも、素晴らしい場所なんてたくさんある。素晴らしい人との出会いがあり、素敵な体験もできる。近代化とはいっても、過去を捨ててきてはいけない。大切なことがまだまだたくさん残っている。
 どうかこの気持ちを、父に伝えられますように。
 眼を開けると、リンはまだ何かをお願いしているようだった。少し待つ。
 やがて眼を開けたリンは、こちらを向いてにこっと笑った。
「お姉さん、今日はありがとう。とっても楽しかったよ」少し悲しそうな顔が一瞬混じったが、すぐに笑顔に戻った。
「私こそ本当にありがとう。君がいなかったら私、きっと道に迷ってここまで来ることはできなかったし、こんなに楽しい経験はできなかったわ」
「それに、迷いが晴れたの。私は父と対立していたのだけれど、もう一度父に自分の気持ちを伝えてみようって思えた。リンくんのおかげよ」
「そっか、それは良かったね」リンは嬉しそうに言った。
「ところでリンくんは、何をお願いしたの」そう聞くとリンは恥ずかしそうに答えた。
「お姉さんがまた来てくれますようにって。」
 私もとても喜んで答えた。「必ず来るわ。父と話をして、またここに来ようと思う」
 笑顔でリンはうなずいた。「お姉さん、ちょっと僕行きたいところがあるから、ここで待っていて」そう言うとリンは走り出した。一度こちらを振り返って手を振ると、姿は見えなくなってしまった。
 何か飲み物でも買ってこようかしら、そう思って私は二人分のジュースを買うと、待ち合わせの場所に戻った。
 日はもう暮れようとしている。だんだん暗くなるあたりの様子に、私は少し不安を覚えた。
 まだ帰ってこないのかな、リンを探そうと立ちあがった私は、一枚の紙切れが置いてあることに気が付いた。
「今日はありがとう。またいつか会えるといいな」その幼い文字は風にのり、どこかに飛ばされていってしまった。
 ぼんやりと神社を見渡す。いったいどういうことなのだろう。
 ふと見つけた神社の家紋を記憶し、後に調べて見ると、「笹りんどう」ということであった。
 私は翌日、予定通り九州に帰ることとなった。
 そのころ私の両親は話していたという。
「あの子も言っていたことだし、やっぱり日本刀を売却するのはやめておきましょうか」
「そうだな、確かに新しい電化製品はほしいが、今すぐ飛びついてでも手に入れたいわけではない。あの子の言っていた通り、この家には古くからの伝統がある。その伝統はきっとあの子が守っていってくれることだろうし、考え直すとするか」
 九州に向かう電車からは、様々な景色が見えた。
 神戸は発展していて、無数の人が行きかっている。忙しそうではあるが、満ち足りた表情をしている。建物も多く作られ、街はまさに進化の途中である。
 九州にさしかかり、大きな工場もあった。日本の進化を支えている場所である。ここでも多分、多くの人が一生懸命働いているんだろうな、見えない姿を応援しつつ、その未来を想像した。
 私は本当に近代化を憎んでいた。リンくんが前言っていたように、ただ古い、いらないものを捨てて新たなものばかりを欲しているように見えた。過去を捨てて、もう一度新たな日本を作り出そうとしているようであった。
 しかし、それだけでもなかった。自分でも気付いていなかったのか、気付こうとしていなかったのか、決して都会には心がないわけではなかった。忙しい中でも人との関わりを大切にし、今の国民の生活を良くするために一生懸命働いている。みんな、だれかのために近代化を目指している。
 そう考えると、もはや近代化を憎むことはできなくなった。近代化と昔からの伝統は、決して対立しているものではない。両立しながら未来に向かうこともきっとできるだろう。私は心が軽くなっていた。
 やがて家の近くまで電車はさしかかった。ずいぶんと風景は変わり、見慣れた、昔ながらの様子である。この景色が失われませんように。そう思った。
 家に帰ると両親は笑顔で私を迎えてくれた。緊張して家に入ると、その日は疲れてすぐに寝入ってしまった。
 リンが言う。「お姉さんは結局、どっちを選ぶの」つらそうな顔でこちらを見つめている。「私は、どちらも選べない。どちらにもいいところがあるもの。都会だからいけない、田舎だから、昔のままだからいけないといったものはないように思う」「でも都会はきっともっともっと大きくなるよ。きっと昔のままのところはなくなってしまう。どんどん周りを巻きこんで、都会がたくさん増えていく。代わりに中山だって清荒神だって、この多田神社にしても、なくなってしまうかもしれない」
 そういうとリンは眼を伏せた。私は迷った末に、きっぱりとこういった。「私はだけど、こういうところを守っていきたいと思ったの。昔ながらの風景、昔ながらのものを。だから大丈夫よ。私はこれから、守るべき大切なところをみんなに広げていきたい」
 リンは笑った。「そうしたら、僕たちを守ってくれるんだね、ありがとう」
 そこで私は眼が覚めた。
 朝ごはんを食べ、私は話を持ちかけることにした。「お父さん、この前の電話のことについて、話があります」両親は無言だった。
「やっぱり、この家の日本刀を売ってしまうのはやめてほしい。この家には長い伝統があるし、先祖の武士の思いに反するようなことはするべきではないと思う。確かに近代化は進んでいて、いつかは家にも家電がたくさん入ってくるかもしれない。でもそんなに早急に必要なものでもないのではないかしら」私は言葉を急いだ。「私は東京に行っていろいろなものを見てきたわ。新しいものもたくさんあって、素晴らしいものもたくさんあった。私だって欲しくなるようなものが多かったわ。だけど、私は宝塚に少し寄っていたの。そこでは昔からの風景がたくさんあり、本当にきれいな様子だった。昔からの建物や、今も変わらない温かい人づきあい。決してそういうものも忘れてはいけないと思う」
 そこまでしゃべると私は両親の顔色をうかがった。
 表情を変えないまま父親が語りだした。「そうだな。確かにそうだ。父さんは本当に新しい家電がほしかったが、それもお前の言うとおり今すぐに買う必要はなかった。長い間続いているこの家の伝統をわざわざ崩すようなまねはなおさら必要がなかったな。日本刀は売却することをやめる。そしていつかは、お前がこの日本刀を大切にしていきなさい」私はつい笑みがこぼれた。そして両親も同じように微笑んでいた。
 それから数ヵ月後、一段落ついた私は宝塚を再び訪れようと思った。自分にきっかけをくれた風景にお礼を言うため、そして出来ることならば顛末をリンに報告するためである。
 次は一人で清荒神や中山を回った。道に迷うことはなかったが、少し物足りない気がした。山道を通っていると、前から子どもたちが歩いてきた。その子どもたちは話す。
「ぼくの家には、新しくテレビが来たんだよ」すると周りの子どもたちからは絶賛の声があがった。「お前の家は凄いな。今度見に行くよ」「いいなあ、私の家なんてきっとまだまだテレビはこないよ。ほしいっていってもお父さんは買ってくれないし」声はやがて遠ざかっていく。
 このような場所にも近代化はあるんだな、私は不思議に思ったが、それが当たり前のような気がした。
 再び多田神社にも向かい、橋を渡って階段を上る。前来た時と同じように、もう夕刻になっていた。今回はまた宝塚に滞在する予定だし、ゆっくりしよう、そう思った私は散歩をしながら境内へと向かった。
 賽銭箱にお金を入れ、私はお礼を言う。
「ここに来たおかげで、父親と話すことができ、私の願いも父親に通じました。これから私はその日本刀をしっかり守っていこうと思います。そしてこのきれいな風景も、昔ながらの場所も、必ず守っていきます」
 眼を開けて境内を離れる。辺りを見渡すと、ちょうど太陽の西日がきらめき、辺りは赤く染まっていた。
 あの時と同じように、川でも見に行こう、そう思った私は道を引き返していく。
 階段に差し掛かり、階段の上から景色を見渡すと、川の手前の橋の真ん中あたりから手を振る人影が見えた。リンのようである。
 急いで階段を下り人影に近づくと、リンが笑顔で私の手を握った。
「リンくん、久しぶりだね」そう言うとリンはとても嬉しそうに答えた「お姉さんにとても会いたかったよ。川のところでお話をしようよ」そういうとリンは歩きだした。
 私も笑顔になり、急いでリンの後に続いた。
 

相互評価

102123

その土地の様子や時代背景がよくわかる描写が多く、作品全体にテーマにふさわしいノスタルジックかつ優美な雰囲気が伺える点に魅力を感じた。
 

102203

○ テーマがリアルでいい。
△ 伏線が薄く、最終的にオチが弱くなってしまっているように感じる。

102212

○ 構成がしっかりしています。
△ お父さんが家電欲しさに刀を売るというのは少し疑問が残る設定です

102131

○幻想的な登場人物が実際にある土地に登場するのが面白かった。
△説得されて気持ちが変わればいいと思う。

102127

いいところ  土地の様子やリンの心情などがリアルに伝わってくる。
 家電と日本刀の比較はやや想像しにくい。

102116

○構成、内容とも魅力的であった。
△設定に少し難がある部分があった。

102205

いいところ  旅行先の様子がわざとらしくなく落ち着いて描かれていたので、作品全体が安定している印象を受けました。
 こうすればいいのにというところ
 家電と日本刀という組み合わせが不自然かな、と思います。

102125

○ 風景描写などがとても幻想的で奇麗だった。そして主人公が近代化する現代と伝統息づく昔の間に終始悩む描写も細かくてよかった。
△ お父さんの「家電>日本刀」の価値観で、ちょっと家電だけでは日本刀に匹敵する価値を持てないような気がするので、もう少し重い理由を付け足したらいいかもしれない。

102207

○豊かな自然という舞台と不思議な少年という設定が魅力的でした。また、テーマがよくわかりました。
△両親が考えを変える場面に少し無理があるような気がします。

102208

○ 時代背景や家庭環境などが分かりやすく、都会と田舎、歴史と近代化その中で迷う主人公の心情の変化を夢の中で描く点も面白かったです。
△ 時代的に、新しいものを取り入れたいという気持ちは違和感のあるものではないですが、そのために、「家宝」を売り払うというのは少し強引な設定のように思います。リンが何者なのか、わからないことが良さだとは思いますが、もう少しヒントになるようなことを入れてもいいのではないかと思います。

102204

○構成がわかりやすかった。古風な内容という発想がいいなと思った。
△最後に再びリンを登場させたのにはなにか意味があったのでしょうか。リンはおそらく人間ではないと予想されるが、再び会えないからこそ、神様であることが表せれるのかなと思った。

102201

○風景描写だけではなく、地元の人物を効果的に用いることでその土地らしさを表現できていてよかった。
△リンのキャラクターの割に、主人公の「私」のキャラクター設定が曖昧で、印象が弱いように感じた。

102210

○独特な雰囲気で落ち着いていて、テーマもはっきりしていてまとまった作品となっているところ.
 リンのキャラクター設定により、神秘的な雰囲気となっているところ。
△両親が考え方をかえる経緯がよくわからなかったこと。
 リンの正体が謎のままでおわってしまったこと。

102206

○人の温かさがよく表れていて、気持ちよく読み進めることができました。読んでいて宝塚に行きたいと思いました。
△両親の心の変化が突飛過ぎているところが気がかりでした。

102121

○宝塚での出来事の描写が細かく、自然に入り込むことができました。
△「笹りんどう」がリンくんと何か関係があるのかなと思っていたのですが、リンくんについて謎が多いまま終わってしまったのが少し残念です。

102209

○具体的な地名が多く出ていたので、舞台の移り変わりにもスムーズについていくことができて読みやすかったです。
△結末部のリンくんとの再会のシーンは必要だったのでしょうか。リンくんの本来の姿(自然や神様?)を暗に感じられるような設定にしておいたほうが、話にもっと深みがでたのではないでしょうか。

102138

○ 投げかれられているテーマがわかりやすく、内容もわかりや すかった。
△ 両親の心の変化が唐突で、もう少し経緯を書いてほしかっ た。

102106

○わかりやすい。
△両親の心情の変化

太陽の塔
 102116

 「夜に太陽と月が同時に見られる場所知っているか?」
 父に突然こんなことを言われ、驚いたのを覚えている。
 たしか僕が小学五年生くらいの時に言われたような気がする。時期は曖昧だが言われたという事実だけはなぜか大人になった今でも覚えている。
 そんなことを言った父はその約5年後に自殺する。
 厳しい父だった。教師をしていたこともあり教えるということが好きだった。
 勉強も野球も全部教えてくれた。ただ厳しすぎた。勉強は泣くまでやらされるのは当たり前で、時にはできるまでご飯抜きの時もあった。野球の練習も地域の少年野球の全体練習が終わった後に、グランドに一人残され練習させられた。とにかく厳しくて、友達の優しいお父さんの話を聞くたびに、自分は愛されていないのではないかと悩む時もあった。
 その厳しさが僕を苦しめたといえば、ただの言い訳になるだろうか。中学二年生あたりから僕は父に強く反発をした。父の一つ一つの行動や言葉にイライラした。憎悪といってもいいような気持ちになった時もあった。
 あるとき僕は父に、
「いなくなってしまえ。」というようなことを言った。本当にいなくなれとは思っていなかった。
 しかしその二日後父は自殺した。
 出張先のホテルで睡眠薬を大量に飲んでいた。
 遺書はなく、疲労から精神がおかしくなったのだろうと警察には言われた。
 しかし15歳の僕は自分のせいで父が自殺のではないかと考えていた。
 そんな罪悪感を背負いながらこれまで10年生きてきた。
 25歳になった僕はまだその苦しみからしっかりとぬけだせないでいる。
 夏が終わり少し肌寒くなった10月の中旬、僕は散歩をしていた。
 1年中バイトしかしていない僕にとって散歩は唯一の運動になっている。
 葉が照れたように紅くなりながらも、どっしりと根を張っている木々の中を僕は何も考えずに歩いていた。
 交差点の信号に差し掛かり、ふと顔を上げると空にはうっすら月が出ていた。
 それはしっかりと見てあげなければ月とはわからないくらい薄かったが、それが月であるということを確信し、その月に何かを薄暗い、重たいものを感じている自分がいた。
「夜に太陽と月が同時に見られる場所知っているか?」
 父は何を伝えたかったのだろうか。なぜ自殺したのか。それは自分のせいなのか。
 無心だった心が一気にざわついた。風に吹かれた葉のように胸の中が音をたててざわついていた。
「朝陽くん。」
 突然名前を呼ばれてドキッとした。人に下の名前で呼ばれること自体すごく久しぶりな気がした。
「朝陽くんだよね。大きくなっても変わらないものだね。お父さんそっくりだ。」
 お父さんという言葉に余計ドキッとしたが、すぐにこのおじさんが誰なのかわかった。
 父と同じ職場にいた釜石さんだ。
 父と釜石さんは特別仲がよかったというわけでもないが、父の葬儀で一番泣いていたし、僕たち家族に声をかけてくれたりもした。母も信頼していたらしく様々な相談をしていた。
 僕も嫌な印象はなく、それなりに信頼していたのを覚えている。
「お久しぶりです。」
 自分が思っていたより随分大きい声がでた。
「元気そうだね。お母さんは元気かい?朝陽君は何歳になったんだい?」
「母も元気です。25歳になりました。」母が元気かどうかは知らなかったので適当に答えた。
「25歳か。お父さんが生きていれば朝陽君が二十歳の時に一緒にあの場所に行けたのにね。お父さんもそれを楽しみにしていたはずなのに。なんで自殺なんてしてしまったのか。」
 釜石さんは最後は独り言のようにつぶやいていた。
 それにしてもあの場所ってなんだろう。
「あの、釜石さんが言っているその場所ってなんですか?」
「え、しらないの。太陽の塔。君と同じ誕生日なんだってね。だから名前も太陽にちなんで朝陽って聞いたけどね。」
「あ、なんか聞いたことあります。懐かしいな。…では少し急いでいるので。さようなら。」
 頭のなかがごちゃごちゃになったのでこれ以上話されても困ると思い、知ったふりをして別れた。
 自分の名前の由来など知らなかったし、ましてやそれが大阪万博の太陽の塔とは思いもしなかった。
 家に帰って調べてみるとたしかに同じ生年月日だった。
 1970年3月15日大阪万博が開かれた日に僕は生まれた。
 自分の名前の由来を知ったところで父に対するもやもやが消えたわけではなかったが少し前向きな気持ちになれた。本当の父親かを疑ったことがある僕にとって父が自分のことを考えていたという証拠のようなものを知れただけで少しうれしかった。
 12月のある日、夢を見ていた。飛んでいる。何かを見下ろしている自分がいる。
 何だ。
 自分だ
 小さなころの自分だった。あたりは明るかった。何か言っている。聞き取れない。
 何かを言いながらその小さな僕は成長していた。中学生くらいになったときだろうか。一気にあたりが暗くなった。父が見えた。飛んでいた僕はそのまま落ちた。
 朝起きると真冬にも関わらず汗をびっしょりとかいていた。
 落ちる前に父が何かを言っていた。何を言っていたのかわからないが、表情と口の動きは怒っていたようにみえた。
 僕に怒っていたのか、夢のなかの小さな僕に怒っていたのだろうか。悲しみを含んだ怒りの表情だったことから考えれば今の僕に怒っているのかもしれない。
 久しぶりに父について考えた。このところバイトが忙しく考える暇がなかったのだ。
 太陽の塔でも見に行ってみようか。ふとそんな気持ちになった。
 行こうと思った理由としては、見に行くことによって何か10年間抱いてきたもやもやした気持ちの何かが変わるかもしれないと思ったから。それとただバイトが休みで暇だったからである。
 天王寺駅から地下鉄御堂筋線にのり千里中央まで乗った。そのあいだ地下鉄のくせになぜ中津以降は地上で走っているのだろうとか、西中島南方について西なのか南なのかという本当にくだらないことばかり考えていた。
 千里中央でモノレールに乗り換えた。以前にも一度来たことがあるがその時と比べかなり人が多かった。
 日曜日ということもあるのかもしれないが、様々な店が増え、大型家電量販店ができたのが原因の一つだろう。
 そんなことを考えながらモノレールの切符を買い、万博記念公園前駅に向かって乗車した。
 生まれてからずっと大阪に住んでいた。それなのに一度も生で太陽の塔を見たことがなかった。名前の由来にするくらいなら家族で一緒に一度くらい見にいってもいいくらいだし、会話の中にでてきてもおかしくはない。これまで家族間で太陽の塔について話したことは一度もなかった。
 不思議に思いながらも釜石さんの言っていたことが本当かどうかもわからないな、なんて思ったりもした。
「まあ、それでもいいか」
 モノレールの中で一人呟きながら、今日は気晴らしのピクニックだと思おうと考えた。
 万博記念公園前の駅につくと多くの家族連れがおりて行った。その中を一人で降りることに少し抵抗はあったが思い切って降り、そのまま公園の方へ歩いて行った。
 入場券を買い、入口から入るとすぐに太陽の塔が目の前にそびえたっていた。
「こんな不気味なものだったっけ。」というのが素直な感想だった。
 顔の部分が特に不気味だった。上の部分が顔なのか真ん中のものが顔なのか。
 そして思っていたより大きい。50メートル以上はあるだろう。
 ぐるっとうしろまでまわってみると、後ろにも顔があった。
 後ろの顔が一番気味が悪く、色なども含め悪魔のような印象を僕に与えていた。
 太陽の塔を見ると気持ちが楽になりそうと思っていたけど、逆に気持ちが重くなってしまったように思える。
 何周か太陽の塔を見回ってからコーヒーを買い、ベンチに座った。
 思い立って見にきたけど何も得られるものはなさそうだなと思いながらダッフルコートのボタンを一つあけた。
 するとあいた隙間から冷たい風が入ってきて、体に残るコーヒーの熱さを一気に吹き飛ばした。
「さむっ」と言った瞬間、僕のなかに何かひらめきが起こった。詰まっていた血管が正常に流れ出したかのようなすっきりとした気持ちになった。
 父の部屋だ。
 僕は一度だけ太陽の塔を父と見ている。正確に言うと僕が勝手に見てしまって怒られたことがある。
 父の部屋にも太陽の塔があった。これは間違いない。小学生の頃、好奇心から父の部屋に入って怒られている時に、父の後ろに太陽の塔の置物があったのを覚えている。
 父の部屋は週に一回の掃除でしか母も入れないくらい厳重に父が管理していた。
 子どもの僕なんかはもちろん入室禁止になっていた。
 そんな中、一度だけ好奇心で入ったことがある。小学何年生だったか覚えていないが、その頃はまだ父のことを厳しい鬼のような父と思っていなかった頃なので怖いもの知らずで入ったのだ。
 部屋は大量の本にうめつくされていた。分厚い難しそうな本ばかりで子どもながらに父はすごいんだなと思ったのを覚えている。
 ぼーっと本を眺めていると父が急に入ってきて
「なにやっとんねん。」と今まで聞いたことない低い声で聞かれた後、延々と怒鳴り散らされたのだ。
 あわてて母がやってきて助けてくれなかったらどうなっていたのだろうと今でも思うくらいである。
 父は常に厳しかったが、後にも先にもあれほど怒られたことはなかった。
 なぜ部屋を見られたくらいであんなに怒ったのだろうか。
 何か見られたくないものでもあったのだろうか、それとも父にとって自分の部屋は神聖なもので息子ごときに汚されたくなかっただけなのだろうか。
 小一時間考えた末、たどり着いたのは今父の部屋はどうなっているのだろうかということだった。
 父が自殺したあと、母は父の部屋はいじらないでおいておくといっていた。
 僕が出ていくまでの三年間は父が生きていたころと同じように週一回掃除をしていた。
 僕は父が自殺した後、部屋には一度も入っていない。
 入ろうと思えば入れたのだが父に対する負い目から入る勇気がなかった。父から逃げていたのだろう。それに一度入ってあれだけ怒られたのだから、いくら死んでしまってこの世にいないとはいえ、もう一度入って死人を怒らせるのも嫌だったというのもある。
 それから大学進学のために家を出たあとは父のことを考えても、父の部屋について考えることはなかった。
 しかし今父の部屋について考え始めると、あの怒られた小学生の頃と同じような、もしくはそれ以上の好奇心が僕の心の中で動き始めた。今父の部屋に入ったら何がわかるのだろう。どんな本を読んでいたのだろうか。太陽の塔はまだあるだろうか。
 意を決してこのまま実家に行くことにした。ダッフルコートのボタンをしめ出口へと急いだ。
 同じようにモノレールに乗り千里中央駅で乗り換えた。
 北大阪急行に乗りなかもず行に乗った。電車の中でこんなにアクティブな休日は久しぶりだなと思い、なぜか少しうれしくなった。
 江坂駅で降り、西の方に5分ほど歩くと実家がある。約3年ぶりに帰ってきた。
 母と会うのも、電話などしていなかったので話すのも三年ぶりである。
「ただいま」
 こんなに言うのに勇気のいる言葉だと思わなかった。
「おかえり」
 一人暮らしが長かったせいか、こんなに言われてうれしい言葉だとは思わなかった。
「急に帰ってきてどないしたん」
 母は三年ぶりということを感じさせないような口調でさらっと言ってきた。
「ちょっとおとんの部屋を見たくなって。」
 いきなり帰ってきて自分でもおかしいことを言っているのはわかっていたが、これ以外いう言葉は思いつかなかった。
 すると母から意外な返事がかえってきた。
「ふーん。それはおとうさん喜ぶなあ。天国で『やっとか朝陽』っておもっとるで。」
 なんて返せばよいかわからなくなって曖昧に返事だけして二階に上がっていった。
 父の部屋の前に来るとドキドキした。野球部の最後の打席でも、大学入試でも、こんなにドキドキしたことはなかった。
 今日何度目かの勇気を出して部屋に入った。
 小学校の頃見た部屋と印象はほとんどかわらなかった。母が今でも掃除をしているのだろう。綺麗に片付いていた。
 大量にある本は教育関係の本が多かった。しかし巨人の星の漫画があったりしてすこし意外なところもあった。
「こんな根性漫画読んでたから、あんな練習させられたんか。」
 厳しい野球の練習の理由が今少しわかった気がする。
 30分程度本のタイトルを見ながら遊んでいた。すると視界に例のものが入ってきた。
 太陽の塔である。
 高さ20センチメートルくらいの置物である。やっぱりあったんだ。
 ふと横を見ると同じ置物が後三つあった。
 太陽の塔の置物が四つ並ぶととても不気味であるがそのうちの左端の置物をとってみた。
 思っていたよりも軽く、貯金箱のように空洞になっているらしかった。
 よくよく見てみると裏にふたのようなものが付いていて、中に何か入れられるらしい。
 思い切ってふたをあけてみると中に紙が一枚入っていた。
 そこにはこう記されていた。
「三日前に朝陽が生まれた。この太陽の塔にちなんで名前を朝陽とした。
 太陽のような子になってもらいたい。これから5年ごとに手紙を書いて太陽の塔の置物にいれておく。そして朝陽が20歳になった時にこれをもって二人で本物の太陽の塔を見に行く。20歳の朝陽は太陽のように輝いているだろうか。1970年3月18日 父より」
 一言でいうと驚いた。泣きそうになりながらも次の太陽の塔をあけた。
「今日朝陽は5歳になった。今のところ元気に育っている。将来は教師になってくれたらうれしい。いや贅沢は言わないでおこう。普通に生きて普通に生活していれば父としてこんなにうれしく、幸せなことはない。あと15年しっかりそだててやらんとなあ。1975年3月15日 父より」
 何も考えられなかった。くしゃくしゃの顔のまま三つ目の太陽の塔をあけた。
「今日朝陽は10歳になった。最近私は勉強に野球に厳しい父でいる。厳しすぎるのではないかと自分でも思う。もっと甘えさせてやってもいいのではないかと思う。しかし将来しっかりと一人で生きていくためには厳しくせんといかんという気持ちがある。どうかこの厳しさに耐えて立派に成長してほしい。今日だけはしからないで誉めてやろうか。誕生日おめでとう。 1980年3月15日 父より」
 次の太陽の塔をとった時怖くなった。次は自殺する直前だ。僕が15歳になってすぐ父は自殺した。僕が「いなくなってしまえ。」と言ったのもその頃だ。
 何が書かれているのだろうか。怖くて怖くて震えたが紙を取り出した。
「今日朝陽は15歳になった。最近は反抗期というやつでまともに話していないが元気にやっているので問題はないだろう。この前いなくなってしまえと言われたが、朝陽、私は君が20歳になるまでは何があってもそばにいてやるからな。それが親の務めだ。そのかわり20歳になったら太陽の塔の前で解放してやる。楽しみだなあ。次は20歳だ。もう手紙を書くことはない。これをどんな顔で朝陽が読んでくれるのか楽しみだ。そのころには反抗期もなおっていてくれよ。心から誕生日おめでとう。 1985年3月15日 父より」
 何も考えられなくなった。父は僕の言葉なんて気にしていなかった。それよりも僕のことをいつも考えていてくれていたんだ。悲しい気持ちと申し訳ない気持ちとがありつつも、泣いた後にすごくうれしい気持ちになった。
 母はこのことを知っていて掃除を続けていたのだろうか。いっぱい疑問が浮かんだが僕が今しなければいけないことは一つだった。
 全ての手紙を鞄に入れて、居間に降りて父の遺影を取って母に
「ちょっと言ってくるわ」と言って出ていった。
 5時を過ぎていてあたりはもう暗かったが一目散に江坂駅へと向かい本物の太陽の塔を目指して電車に乗った。
 12月ということもあり千里中央では益々人が増えていた。そのまま万博記念公園駅までモノレールでいった。
 駅についたときにまさかもう閉まっているのではないかという不安があったものの走って入口までいった。すると12月はイルミネーションをするために夜でもあいているらしい。
 少したかめの入場券を買い太陽の塔の前まで急いで行った。
 まわりはカップルだらけだったが一人で太陽の塔の目の前に立ち、父の遺影を抱きしめながら手紙を全て読んだ。
 まわりから見たら泣きながら遺影を抱いて、何か読んでいる変な人に見えるだろう。
 しかしまわりの目なんか気にならないくらい僕は入り込んでいた。
「20歳の時にするはずだったのに、5年も待たせてごめん。おとんに言いたいことはいっぱいある。おとんも僕に言いたいことがいっぱいあるやろ。けど手紙にも書いてたようにこれでお互い解放しようか。太陽の塔の前で子離れ親離れできたな。ありがとう。」
 本当に気持ちがすっきりした。この10年のおもりが一気にとれたような感覚で近くのベンチに座り込んでしまった。
 なぜ自殺をしたのかという問いは全く解決されていない。しかしそれはまた父に何か問題があったのかもしれないし、間違えて薬をいっぱい飲んでしまったのかもしれないし、答えは永遠にわからないだろう。
 それより父の考えがほんの少しだけでも知れてよかった。
 そんなことを考えながら前を見ていると空にきれいな月が浮かんでいた。
「ああー」と僕は口に出していた。
 僕と父は太陽の塔についてちゃんと一度だけ会話していたじゃないか。
「夜に太陽と月が同時に見られる場所知っているか?」
 その答えはここだ。
 今まさに目の前に太陽と月が共演をしている。
 いろんなことを考えながら僕は閉園までベンチに座っていた。
 三月のある日、夢を見ていた。
 飛んでいる。何かを見下ろしている。
 何だ。
 自分だ。
 笑っている、今の自分だ。
 落ちる、その瞬間に父の顔が見えた。
 何かいっている。
「おめでとう」
 落ちなかった。
 僕は落ちなかった。
 

相互評価

102203

○ 父の死の原因を追及しなかったのはよかった。
 そういう物語ではないから、軸がぶれてない。
△ 最後の一節が、途中の夢と呼応しているのはよいが、いまひとつ真意がわからない。
 就職できたとかなら、就職できていなかった様子を書けばよかった。

102131

○大阪の駅名がたくさん出ていたところ。
△自殺の理由は気になる。
 

102208

いいところ  朝陽という主人公の名前を冒頭部ではなく、他者からの呼びかけによって紹介している部分が工夫されているなぁと感じました。そのことで、「朝陽」がより印象的になったと感じます。
 冒頭の、自殺した父親の言葉や、主人公の名前、太陽の塔の中にあるメッセージカード、最後の太陽と月の共演、すべてがつながっていて、引き込まれました。
 気になったところ
 〜して、〜て〜てと文章をつなぎすぎな部分があるかなと一部感じました。
「うれしい」という言葉でまとめられているものを、もっと別の言葉でも表わすとより深くなるのかなぁと思います。

102125

・いい所
 文をダラダラと書かず、短く区切っていてとても読みやすかった。そして、夢の部分で心境の変化が描かれていてこれも分かりやすくてよかった。
 ・改善案
 夢の部分が最後を締めくくるのに合わせて、前半の夢をもっと前のほうに置いたらもっと後半の方の夢にインパクトが出ていたと思います。

102212

○ 伏線の回収のしかたが美しいです。
△ 父の自殺は不可解です。手紙からすると生きようという意思が伝わってくるのに。

102212

○ 伏線の回収のしかたが美しいです。
△ 父の自殺は不可解です。手紙からすると生きようという意思が伝わってくるのに。

102212

○ 伏線の回収のしかたが美しいです。
△ 父の自殺は不可解です。手紙からすると生きようという意思が伝わってくるのに。

102126

○いい話だなぁと思いました。
 夢と現実の交錯もよかったです。
△父親の自殺が妙に軽い印象を受けました。病死のような。
 心情描写に説明的な個所があったように思います。

102127

いいところ  大阪の地名がたくさん出てきて、様子などを想像しやすかった。
 父の自殺の理由を明かさない書き方以外にも結び方はあったのかもしれない。

102209

○謎が少しずつ解明されていったにも関わらず、最後に父の死の原因を明記していないところがよかったです。すべてが解明されてしまうと、この話の重みが一気になくなってしまう気がします。
△会話文に関西弁と標準語が混在していて統一感がない気がしました。

102138

○ 伏線の回収の仕方がきれいですごく読みやすい。
△ 話の流れ上仕方がないのは分かるが、どうしても父親の死の理由が知りたい。

102205

いいところ  手紙の場面と、遺影を持って太陽の塔を見る場面と、父の思いが感じられるところが二度あるのが良かったと思います。感動しました。
 こうしたらいいのにと思うところ
 中盤とラストに出てくる夢の効果が分かりません。こういう抽象的な表現は、この作品には似合わない気がしました。

102201

○亡き父からの手紙と命名の理由は素敵だと思いました。
△やはり、父の自殺の原因は気になります。あと、父の友達のおじさんが何か物語でのキーポイントになるのではと思いましたが、その場限りでの役におさまっているだけだったのが残念でした。

102210

○太陽の塔の模型から出てくる手紙という発想はいいなと思いました。親離れ子離れというところにすべてが一貫してつながっていると感じた。
△ ゆめの部分がどういった効果を持っているのかわからなかったことと、この作品なら父親が事故死でもすっきり収まったのではないかと思いました。

102204

○間接的な表現で工夫されているなと思った。親子の感動の話でした。
△間接的な表現は良いが、父親の手紙を読むときの表現が物足りないかなと思いました。良い話なのに読み手の感動が薄れているような気がします。

102114

 ◯主人公の変化がしっかりと出ていてよかった。
△そういう人物として描いたのならしょうがないのですが、父の想いを知った後、父の死についてもう少し考えてもいいのではないのかと思いました。
 ちょっとすっきりし過ぎな気がしました。

102206

○実際の地名・駅名、そして起こり得そうな内容だったため、小説の世界に入りこむことができました。
△最後の部分の意味がよくわかりませんでした。

102114

 ◯主人公の変化がしっかりと出ていてよかった。
△そういう人物として描いたのならしょうがないのですが、父の想いを知った後、父の死についてもう少し考えてもいいのではないのかと思いました。
 ちょっとすっきりし過ぎな気がしました。

102121

○太陽の塔という軸に最後まで沿った作品で、最後にちゃんとつながっていることが分かりすっきりした感じがしました。
△夢の部分を入れた意図が少しわかりづらいです。
 

102137

伏線の張り方と回収の仕方がよかったと思います。
 軸が一貫して太陽の塔であることも、わかりやすさにつながっていたと思います。
 父の自殺の理由が思い当たらないので、そこにも伏線を入れてみてもいいのではと思いました。

102114

 ◯主人公の変化がしっかりと出ていてよかった。
△そういう人物として描いたのならしょうがないのですが、父の想いを知った後、父の死についてもう少し考えてもいいのではないのかと思いました。
 ちょっとすっきりし過ぎな気がしました。

102106

○描写の仕方が個人的に好きです。おもしろい。
△最後の夢の部分はなくてもよかったように思います。

プレゼント
 102125

 部屋はとても静かだった。表ではスズメが忙しく鳴き、通勤通学者が行きかって騒がしい様子なのだが、今この部屋は一人の男の荒い呼吸を除いてとても静かだった。加えて部屋はカーテンで閉め切られており薄暗く、男は世間から切り離されたような感覚に包まれていた。
 この男の眼の前にはこの部屋の空間を形作っている「物」が床にあった。一人の女である。男は大きく目を見開き、そこにある起きる事のない女を見つめ、ここに至った出来事を何度も反芻していた。
 
 きっかけはほんのささいな出来事だった。朝から彼女と少し口論になってしまい、いつもなら苛つきながらも出勤し、帰りにはささやかな洋菓子でも買って帰って済むくらいの口論だった。しかし、会社の疲れやストレスで抑えが利かなくなり、頭に血が上り、彼女の首に手をかけそのまま力を入れて……。
 「ついやってしまった。」「殺すつもりはなかった。」とテレビの中で述べ、非難される彼らと同じ台詞を自分に言い聞かせるようにして何度も心の内で呟いた。もちろん進展などない。刻一刻と時計の針が正確に動き、出勤しなければならない時刻に迫ってきていた。
「どうする……。」
 虚ろな目をした彼女を見下ろしながらぐるぐると考えた。計画性も何もない。きっと警察に捕まるだろう。だからと言って自首なんてしたくはない。こんな事で僕の人生を棒に振りたくない。
 とにかくもう家を出なければ、急に会社を休めば怪しまれてしまう。どうしようかとあたりを見渡すと部屋の隅にあった人一人がやっと入るくらいのダンボールが目に入った。とりあえず遺体はここへ。
 簡素なワンピースを着ている彼女を抱き上げてダンボールに入れる。まだ少し体温が残っているが、茶色がかった髪の毛の間から覗く虚ろな目で「まるで生きている」というような感じはしなかった。
 夕方にはなんとか帰って来られるようにしよう。そしてそれまでに対策を考えよう。
 くたびれかかった鞄を持ってノブに手をかけ、重みのあるドアを開けた。ドアは油の切れた音を立てて、朝の眩しい一筋の光を薄暗い部屋に招き入れた。光はちょうどあのダンボールにかかり、まるで中の彼女が無言で自分を責め立てているような気がした。
 男はその空間と自分を断ち切るようにしてドアを静かに閉め、アパートから出た。
 
 殺人事件。テレビや新聞の中だけの、自分とは全く縁のない物語だと思っていたが、今日この日に当事者になってしまった。 今通勤鞄を持っているこの普通の手で、確かに人を絞め殺した。そうはっきりと脳裏にその瞬間が刻まれているのに、不思議と実感が湧かなかった。忙しなく朝のラッシュで行きかう人々とその間を縫って会社に向かう自分という図はいつもの様子なのに、どこかフワフワとしていて、夢を見ている感覚に似ていた。
 でも現実なんだな。
 ぼうっとしていると自分が人を殺した事も夢の一部であると思いたくなる。時折、今この時は現実であると意識した。脳裏で首を絞めた時の彼女の顔が蘇った。
 男の周りはいつもと変わらず多くの人が行き来している。時計を見ながら慌ただしく走る中年男性、イヤホンを耳につけて音漏れするくらいの音量で音楽を聞きながらとろとろ歩く若者、背負っているランドセルの方が少し大きくて可笑しくも可愛らしいバランスで学校に向かう子供と様々な人間が行き来している。そしてそれぞれが自分の頭の中で自分の世界を作り、この騒がしい場から抜け出していることだろう。もちろん男もこの一人だった。
 とりあえず会社は少し早めに退社をする。帰ったら、近所のレンタカーで車を借りて遺体をダンボールごとどこか人目につかない所へ運ぶ。埋める、そのまま遺棄する……処理はあとで検討しよう。その後は、どこか遠くへ、出来る事なら海外へ逃亡したい。資金はどうする。そうだ、今まで貯めた結婚資き……。
 不意にそれまでの思考が止まった。
 その代わり彼女が結婚の事を嬉々として語る姿を思い出した。結婚式はささやかでもいいからやっぱり挙げたい、和装より洋装のドレスの方が実は安くつくなどと語っていた。そういえば、足りない分は特に先輩たちのお祝儀を目当てにしようと笑いあい、隣からうるさいと怒られたこともあった。
 彼女とは大学時代から付き合って、会社に勤め始めると同時に同棲も始まった。お互いに結婚する気でいたが結婚資金が足りず、今のところは同棲という形で落ち着いたのだ。しかしやはり結婚をしたいという思いは変わらず、その為の資金をコツコツと貯めて五年経ったのだが、このような形で失うとは思わなかった。五年間積み上げた苦労がたった一度のトラブルで吹き飛んでしまうのか、そう思うとやるせない気持ちになった。
 男が気持ちを切り替えようとふと顔を上げて前を見ると、一人の老婆が歩道の生け垣のそばで腰掛けて溜息を漏らしていた。この時間帯なので仕方がないといえば仕方がないのだが、誰一人その老婆のために立ち止まろうとはしなかった。むしろ老婆の存在にすら気づいてはいない様にも見える。
 そんな中、男は老婆に近づいた。
「あの……」
「はい?」
「すいません、いきなり声をかけてしまって……。何やら困ってらっしゃるように見えたもので。」
「いえ、大したことじゃないんですが、この鞄のタイヤの所がとれちゃって……。少し運び辛いんですよ。」
 老婆の傍には押して運ぶ、手押し車のような鞄があった。見ると確かに四つのうち一つのタイヤがはずれており、プラプラとぶら下がっている。
「どこまで行かれるんですか?」
「はあ、あそこの駅なんですけんど……」
「ああ、僕もそこの駅まで行くので運びますよ。」
 男は軽々と老婆の鞄を持ち上げた。
「いえいえ、そんな!もう自分で……」
「いいんですよ。遠慮しないで下さい。運びますから。」
 男は老婆の申し入れを笑顔で制止した。
「あ、ありがとうございます。」
 老婆は申し訳なさそうだったが、安堵した顔つきで礼を述べた。男は老婆と共に駅へ向かった。
 
 駅に着き、乗る電車が違ったので老婆とは改札で分かれた。この時、男の胸は違和感でいっぱいだった。
 しかし、混雑した駅で考え込む余裕などは全くなく、人波をかき分け手際よく改札を抜け、いつものホームに着いた。数分後、電車が到着したので乗り込むと運よく一つの席が空いており座った。男は朝の事件で疲れていたので少し眠くなった。が、ふと顔を上げて立っている乗客を見ると何やら疲れた表情をした女性が目に入った。よくよく見てみるとその女性は妊娠しているようだった。妊婦の目の前には熟睡したOLがおり一向に気づかず、周りの座っている人間も寝ていたり、スマートフォンをいじっていたりと我関せずといった状態である。
 男は座っている座席に鞄を置き、妊婦に近づいた。
「あの。」
「はい?」
「あの、僕もう、すぐこのあとの駅で降りるのであそこの席に座ってください。」
「いいえそんな!大丈夫ですから……。」
「いえいえ本当にもうすぐなんで……。」
 本当は目的の駅までは二十分程かかるので、すぐというのは嘘だ。
「じゃあ、ありがたく座らせてもらおうかな……。」
「はい。じゃこちらに……。」
「本当にありがとうございます。助かりました。」
 妊婦は朗らかな笑顔で礼を述べ、男は笑顔で会釈した。
 すぐに降りるという嘘をついてしまったので男は次の駅で一旦降り、急いで隣の車両に乗った。そこでは案の定一席も空いておらず、吊り皮を持つことになった。
 電車が再び動き出してから、男は先ほどから胸の中で積み上がる違和感について考えようとしたが、どうも近くにいる女子高生の様子がおかしく、そちらが気になり考えられなくなった。
 その女子高生は恥ずかしそうな顔でうつむき、そこはかとなく震えているようであった。男はまさかと思い、見ていた女子高生の顔から下の方に目を移すとスカートの上を撫でている手が見えた。
 男はその手をきつく掴んで、胸の所まであげさせた。
「おい。今何やってた?」
 手を掴まれた中年男性はいきなりの事で困惑していた。
「な、何をやっていたなんて。私は何も……。」
「何もしてないんだったらこの子が困るはずないだろ。それに俺はアンタが何をしていたのかをはっきりと見たんだ。言い逃れなんて出来ないからな。次の駅で降りるぞ。」
「あ、あの……。」
 女子高生も突然の事で困惑しているようだった。しかし痴漢男とは違って表情に焦りはなく、自分はどうすればいいのかと言った顔だった。
「あ、ごめん。君も次の駅で降りてくれるかな。俺だけじゃ無理だと思うし。」
「あ、はい!」
 女子高生は痴漢男をキッと睨みつけた。睨まれた痴漢男は絶望感溢れる顔ですくみあがった。
 その後、三人は次の駅で降り、駅員に事情を説明した。しばらくして警察が来て、女子高生の学校と男の会社には連絡がいっており、遅刻はないから大丈夫だと言い残して痴漢を連れていった。
「あ、あのありがとうございます!私怖くて何もできなくて……。」
「いやいや、怖くても仕方ないですよ。ごめんね、ここまで付き合わせて。」
「いえ元々、私自身の事ですからそんな謝らないで下さい。」
「そうだ、もう大丈夫?一人でも学校行けそう?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「よかった。じゃあ、俺もあんまり遅いと会社で上司にどやされるからもう行くね。」
「あ、はい!あの、本当にありがとうございました!」
 女子高生は深々とお辞儀をしてから学校に向かい、男も会社に向かう為次の電車に乗った。
 
 男は自分の席に着き、一息ついた。オフィスはいつもと変わらず、がやがやと賑やかだった。もちろん会社には変わったことなど起きていないのだからいつもと同じで当然なのだが、やはりこの日常に自分が浮いているような、違和感というべき感覚がある。
 しかし、それ以上の違和感が自分の中にあった。あの老婆を助けてからの、あの違和感だ。
「先輩!おはよーございます!」
 可愛がっている会社の後輩だった。少々調子に乗り過ぎて上司に叱られる事もあるが、スポーツマンタイプでいつでも明るく周囲にも好かれている人物だ。
「はよー……」
「聞きましたよー部長から。電車で痴漢捕まえて女子高生を救ったそうじゃないっすか!」
「はは……」
「キャーカッコイー!メアドとか聞いたんですか?」
「聞くわけないだろ。朝からうるさいな、お前は。」
「え!女子高生のメアドを聞き出す千載一遇のチャンスをみすみす逃したんですか!もったいなーい。」
「はあ……。」
 俺は何をしているんだ?
 先ほどからの自分への違和感はこれに尽きる。本当に何をしているのか。困っている老人を助けたり、妊婦に席を譲ったり、痴漢を捕まえたりとおよそ人を殺した人間がその日のうちにするようなことではない。自分の働いた悪事に対しての罪滅ぼしのつもりなのか、それとも気が動転して頭がおかしくなっているのだろうか。全くもって分からない。
「あ、そういえば先輩。」
「何だよ。早く自分の机に戻れよ。」
「さっきから先輩つれないですねー。」
「分かったから、もう。ほら早く言えよ。」
「あーっとね、奥さんの事なんですけどー。」
 心臓が跳ね上がって背中が凍った。
「お、奥さんじゃねぇよ……一緒に住んでるだけだ。」
 落ち着こう。きっと今朝の事には関係の無い事だ。
「あらら、照れて。言ってましたよー、奥さん。」
「な、何をだよ。」
 心臓の鼓動がやたらに早い。手からは汗が出て来始めた。思わず後輩から目をそらす。
「そういう所が好きだって。」
 一瞬だけ時間が止まったような気がした。
「いや、この前先輩を遊びに誘おうと自宅に電話かけたんですよ。でもその時先輩出かけてて代わりに奥さんが出てきてくれて。その時にめちゃめちゃ惚気られましたよー。」
 後輩はわざとらしい溜息をつきながら話し続けた。
「付き合い始めから優しくて、誰にでも親切で、それでもって自分を大切にしてくれるって……早く結婚したいって言ってましたよ。」
 急にそれまで早かった心臓の鼓動は落ち着き、手汗も引いた。
 彼女が自分を見て微笑む姿が頭に浮かぶ。嬉しそうに結婚の事を語っている時のあの顔だ。
「ほらもー、さっさと籍入れて、どかーんと結婚式挙げてくださいよー。惚気をひたすら聞かされるのって独り身には結構辛いんですから。それにどうせそれなりに結婚費用貯めこんでんでしょ。遊びに誘っても誘っても断るんですから。こっちは分かってるんですよ。」
「あ、悪い……。俺もう帰るわ……。」
「え?あ、はい?な、何言って……。」
 自分では抑えられない何かが自分を突き動かした。「早く家に帰らなければ。」その思いが心の奥底から湧き出し、頭の中でひたすら帰るように命令を出し続けている。
「来てちょっとしか経ってないじゃないですか!先輩!ちょっと!」
 困惑する後輩の叫びを背に、俺は会社を飛び出した。
 走って走って走り続けた。電車に乗る間も落ち着く事が出来なかった。そして駅に着いてからも走って走って走り続けた。呼吸は乱れに乱れ、えづくこともあったがそれでも立ち止まることが出来なかった。
「どうして俺は……。」
 アパートに着き、階段を駆け上がり部屋の前に来た。急いで鍵を鍵穴に入れようとするがガチャガチャとうまく入らない。落ち着こうという考えさえこの時は頭になかった。
 鍵が入った瞬間慌てて回し、ドアを乱暴に開けた。ちょうど光がダンボールだけを照らし出した。
「ご、ごめんよ、あ、あんな事で怒って……殺して……。おぉ俺自首するから……だから……。」
 涙がとめどなく溢れてくる。自分の中で何かが感情を突き上げてくる。ダンボールから出し、抱き上げた彼女はすっかり冷たく、固くなっていた。ぼたぼたと落ちる涙は彼女のその冷たい肌についた。虚ろな目は宙を見て決して自分を見なかった。今朝の忌まわしい場面が頭を駆け巡った。幸せそうに結婚の事を話すあの頃の自分達がノイズ混じりに思い出された。俺は嗚咽を漏らしながら涙を流し、彼女を強く強く抱きしめた。
 
 柔らかな雲はとても寝心地がよかった。それに日がぽかぽかと暖かく、快適以外の何物でもなかった。このまま寝てしまいそうな勢いなのだが、目の前の水晶玉が私をそうさせなかった。水晶玉は私を、正確には私の亡骸を抱きしめ泣きじゃくる彼の姿を鮮明に映し出していた。
「彼氏さんのこと見てんの?」
 振り返ると後ろに天使がいた。だが天使の容姿はよく現世の絵画で見られるようなものではなく、モヒカン頭でサングラスをかけ「天使」とでかでかと書かれているシャツを着てジーンズを履いているのだ。大きな翼が背中から生えているのでそれとシャツで天使だと認識できるが、およそすぐに天使とは思えない容姿である。
 なぜこのような姿であるのかというと「自分が死んだ事に対してパニックになって話が通じなくなる場合があるので、この格好で初めに『訳が分からない』と軽くパニックにさせて死に対してのショックを和らげている」のだそうだ。よくは分からないが。
「はい。ずっと見てました。」
「飽きないねー。ここに来てからずっと見てんの?」
「はい。ねえ、天使さん。」
「ん?」
「天国って変わったルールがあったんですね。ここに来るまで知りませんでしたよ。」
「え、どのルールのこと?」
「あの、『死者は現世の者に何か一つ贈り物ができる』っていう制度……。」
「あーあれね。冥土の土産制度ね。」
 天使はハハハと笑い、白い歯を見せた。
「変じゃありません?『冥土の土産』っていうとこっちが持たされそうなイメージですし、わざわざそんな制度を設けているのも何だか不思議です。」
「まあそこは冥土『から』の土産ってことで勘弁してよ。名前が気持ち悪かったらプレゼント制度って言ってくれてもいいし。ところでそんなにこの制度変かな。」
「変というか、初耳ですし。必要なんですか。」
「元々は現世への未練を少しでも断ち切るために設けた制度でね。ちょっとしたガス抜きの役割を持ってるんだ。現世に対して最後に何か出来れば気が晴れるし、『これが出来たから死んでもいいや。』って思ってくれるかもしれないでしょ。まあただ、贈り物を贈れる対象はたった一人だから大したことは出来ないけどね。」
「へえ、そうだったんですか。」
 天使の説明を聞いて納得はした。確かに自分もその制度を使って現世への、彼への未練が薄まったような気がする。
「ねえ、君さ。俺から見たら君こそ変わってるよ。」
「え?」
「だって普通殺された人はプレゼント制度で、何も贈らないか『祟り』を贈るかのどちらかを選ぶのが相場だよ。まあ、『祟り』の方は地獄で十年のただ働きの条件がもれなく付いてくるけどね。」
 地獄で働くと聞いて、脳裏で鬼に鞭打たれながら何やら重そうなものを運ばされるイメージが湧いた。
「だが、その点君は。」
 天使はスッと指をこちらに向けた。
「『良心』を彼に贈った。」
「それがそんなに変ですか?」
「変と言うか、強かだなと思ったのが正確かな。とにかく『祟り』を贈っている訳じゃないから地獄でただ働きすることはない。けど君の贈りものである『良心』によって君の彼氏さんは今後悔と絶望にかられて苦しんでいる。結果、君はうまいこと何のリスクも負う事もなく自分を殺した相手に復讐出来ているんだ。こういう結果を望んで『良心』っていうプレゼントを贈ったの?」
 天使は私の傍に転がっている水晶玉を見やった。水晶玉の中の彼は依然として亡骸となった私を抱きしめて泣きじゃくっている。
「違いますよ。」
 そう、結果としてあの人は苦しむ事になったが私はそれを望んで『良心』を贈ったわけではない。
「私は昔から変わらず、優しく温かだった彼が好きだったんです。そして私がいなくなってもそうあって欲しかっただけ。だから、私を殺した事で『良心』がなくなってしまった彼に『良心』を贈ったんです。例え今は苦しむことになったとしても、それが彼の『良心』がさせたことならそれは、仕方のない事なんです。」
 私が結婚についてほぼ一方的に話していると、嫌な顔をするどころかニコニコと笑いながらこちらを見つめている彼が、温かな視線が本当に好きだった。そして私だけでなく他の人にも親切に接している所も好きだった。
 ただ好きな人に好きな人のままいて欲しかったのだ。
「ふーん。じゃあ自分の良心と我がままが招いた結果ってこと?」
「まあ、そんな感じですね。ちょっと心苦しいですけど、この結果を乗り越えていってもらえる事を願っています。」
「ほー。」
「あ、そういえば!天国には雲で出来た泡風呂があるんですよね。名前を聞いてからすごく気になっていたんですよ。ちょっとお風呂のエリアに行ってきますね!」
 女は手を振り天使とはその場で別れた。水晶玉は転がったままである。天使は水晶玉を拾い上げた。
「うーん。彼女の言ってた事は本当っぽかったなあ。でも『良心』なんてもん贈ったら相手がこうなることはすぐ予想出来そうな気がするんだけどなあ。」
 天使は水晶玉を覗きこんだ。水晶玉の中の男はいつの間にか外に出て、警察署の前までに来ていた。
「アンタも運がいいのか悪いのかって感じだね。救われるっちゃ救われるし、救われないっちゃ救われないしねえ。ともかく『良心』なんてもん贈られた今、アンタはもうあの彼女からは逃れられないだろうね。忘れようとしても忘れられないよ。罪悪感と一緒にね。」
 天使はコツコツと水晶玉をつついた。男は中の職員に自分が行った事の説明をしているようだった。職員の顔色が変わっていった。
「本人の意図はともかく、こういうプレゼントの使い方があるとは思わなかったな。物によっちゃこれだけの結果が招けるとは。『祟り』を使いそうな奴にばれたら大変だが、ま、気付かないか。大概冷静に考えられなくなっているし。」
 男は手錠をはめられていた。
「まあ、いくら考えた所で天使の俺には関係ない事だけどね。せっかく彼女からもらったプレゼントなんだ、大事にして残りの人生を過ごしていきな。」
 天使は水晶玉を一撫でした。水晶玉は男の映像を消し、周りの雲ばかりを映し、真っ白になった。
 

相互評価

102212

○ よく考えられたストーリーです。天国サイドが面白かった。「良心」を送るというのも意外性があって面白いです
△ なぜ彼女を殺してしまったのでしょう。もう少し喧嘩の時の描写などあればよかったのでは。

102127

いいところ  天国の描写が入り、「良心」を贈ることで彼が自らを戒めることができるようにしたところは工夫されていると思った。
 彼女が殺されてなお彼のことが好きという結び、立ち直ってほしいと思える結びとその心情描写がやや難しいと思う。

102126

○タイトルの「プレゼント」がストーリーに活きていてよかったです。
△そんなことで殺すのか?と思うくらい殺しが軽く扱われているように思います。理由がしっかりしていたらより良かった。

102116

○良心を送るというのはおもしろくよかった。内容も読みやすかった。
△殺す理由が少し弱い

102201

○タイトルのプレゼントが全体に活かされており、展開も面白かったです。世にも奇妙な物語に出てきそうだと思いました。
△他の人も指摘しているように、彼女を殺してしまう理由が弱すぎすと思います。

102205

いいところ  前半は暗くて怖い話かなと思っていましたが、予想外に後半が良い話だったので驚きました。天国からのプレゼントというアイデアがいいと思います。
 こうしたらいいのにというところ
 彼女が良い人すぎる気がします。こんな良い人ならそもそも殺すほどの喧嘩にならないんじゃないかなって思いました。

102204

○情景描写がうまい。話の内容自体がユニークでおもしろいが、前半と後半で視点が変わるところがまたいい。
△彼女の優しさで良心で贈ったのに、天使は救われないと思っているのがどうかなと思った。

102210

○プレゼントの贈り主、内容ともに意外性があって面白い話でした。
△こんな女性が実際にいたらなかなか怖いと思いました。

102114

 ◯意外なストーリー展開で最初の雰囲気から一転したラストが面白かった。
△彼に良心を与えたなら「こんなことで自分の人生を棒に振りたくない」とか思わないのではないか、とか思いました。

102206

○最初に殺人という大きな事件をもってきていたので、常に今後の展開や結末を意識しながら読むことができました。
△首尾照応をもう少し意識するともっと良い作品になると思います。

102207

○最後の場面が意外な展開でしたが、すべて辻褄が合っていて違和感がなく読めるところ。
△彼女はいい人なのか、あくどい人なのかが推測できるような材料を入れてほしいです。

102121

○彼の行いなど、途中「?」と思ったところが後になってどんどん解明されていく展開が面白かったです。
△彼女の人物像がもう少し詳しくあればいいかなと思いました。

102208

○死者からのプレゼント制度という発想がとても面白かったです。「祟り」を送るのではなく、「良心」を送るという仕掛けも意外でよかったと思います。
△動機が弱いような気がしますが、ここであまりにも大きな動機があると、後半部とのつながりが悪くなってしまうので難しいとも思います。

102137

意外性があってとても面白かったです。
 転換部がわかりやすく、場面ごとの特色が出ていると思います。
 彼女の人物像をもっと描写してもいいかなと思いました。
 

102138

○ タイトルの「プレゼント」というのが生かされていた。
△ 殺してしまった原因が薄く、彼女の良さだけが際立つ内容に なりすぎている。
 

102123

○話の発想がとても面白い。良心を扱うと説教くさくなりそうなのに、非常にコミカルで読みやすい。
△殺人前の男も良心をもっていそうなので、そのような男がなぜ大罪をおかしたのか気になる。

102106

○どんな展開になるのか予想できなくて意外性があっておもしろかった。
△殺した理由が弱い。

時をかけちゃった少女
 102203

T
 ―――時は江戸。事の始まりはこの時代に起こる。本当に、この江戸での出来事は事の始まりにしか過ぎなかったのだ。そんなことは彼の周りの人間はおろか、あの天下の徳川様も知る由はなかっただろう。とはいえ徳川様はこの話には全く関係ないのだが。さて、では彼女の話をしよう。奇想天外な、普通の人間では体験しえないことを体験することになった数奇な運命を背負った女の子の話だ。ちょうど僕も彼女を回顧したい気分なので丁度いい。今の人間はよくこのように昔話を始めるので僕もそれに沿って。『昔々あるところに…』
「なんでい!鰻屋じゃねえのかここは!」
「甘味屋って書いてるでしょ!ちゃんと読んでくださいなお侍さん!」
 ここは江戸城下町、甘味屋「うなぎ」。ここではよく見る光景で、よくここには鰻を求めて客が来る。また一人このややこしい店の名前に騙された輩がやってきた。
「ややこしい店名にしてんじゃねえよ!」
 いや、全くその通りである。かくいう俺も初めにこの店に来た時は鰻を食いにこの店に寄ったのだ。その時の悲しみと言ったら…言葉では言い表せないな。無類の鰻好きの俺としてはその場で切腹したくなった、とでもしておこうか。
「その意外さがいいんじゃないか!「せんす」がないねえ!」
「扇子?扇子なんか頼んじゃいねえが…」
「扇ぐやつじゃなくて…そうね、風情がないってことよ。外国の言葉よ。」
「女が外国語なんかつかってんじゃねえ!江戸の魂はどこに行った!」
 江戸の魂…こいつ、言ってて恥ずかしくないのか。
「あー、あー、暑苦しい。とにかくここは鰻屋じゃないからとっとと帰っておくれ。」
「せ…せっかく来たんだし、みたらしでももらおうかな…。」
「あいよ!毎度あり〜。」
 そうなのだ。鰻を食べにやってきた客は大抵甘味を食べてこの店を出る羽目になってしまう。というのも、このうなぎの女主人は辺りでは知らぬ者はいないほどの美人であり、その美貌に男は頭をやられてしまうようで、しこたま団子なり大福なりを食らって金を落としてゆく。それに加えて商売上手。ついた異名は「魔性のお蘭」。甘味屋のくせに大層儲かっているそうだ。ええい、うらやましい。
「蘭さん、また儲かったね。今度またご飯でも食べにくるよ。」
「あんたならいつでも歓迎さね。おみつも喜ぶよ。」
「また恥ずかしい話を…。」
「ただいま帰りましたー!あ、平太!今日ご飯食べていってね!」
 今帰ってきたのは蘭さんの一人娘のおみつ。この「うなぎ」にひょっこり寄った時から妙になつかれてしまった。そしてこいつは俺のことが好きだ。間違いない。絶対好きだ。
「おーう。じゃあよばれていくよ。」
「おみつ、おかえり。なら店番はいいから晩御飯の支度をしといておくれ。」
「わかりましたー!」
「…いやあ、分かりやすい子だね、おみつは。」
「あんたもそろそろおみつの気持ちに応えてあげなよ?」
「え?なんのことです?」
 気づいてはいる。あんなに分かりやすい求愛をされて気付かない男はいないだろう。あいつは気付かれていることに気付いてないのだが。確かにおみつは蘭さんの血をしっかり引き継いで、近所で評判になるほどの可愛さだ。俺も可愛いと思うし、幼馴染で気も合う。そんな女に言い寄られて嬉しくないわけはない。嬉しくないわけないのに、何故か俺も好きだと言えない。どうも意地を張ってしまうようだ。男とは、誠に愚かな生き物だと思う。
「分かるけどねえ、男ってのは馬鹿な生き物だから。でもうかうかしてると売れちゃうわよー?」
「おっと!そろそろ仕事にもどります!はい、これお代!また夕飯の時におじゃましますね!あはははー!」
 と言い残し、俺はそそくさと立ち去った。
「あ、こら逃げたね!今日は尋問してやるからね!」
「それは勘弁ー!」
 蘭さんの尋問からは逃げられない。そんなの絶対勘弁だ。捕まるまいと急いで店を出だ。
 …ひどい目にあった。休憩が長すぎて親方にどやされるわ、考え込んでぼさっとしてたら木材が上から降ってくるわ…おまけにさっきは犬の糞を踏んだ。今日あたり俺は馬にひかれて死ぬんじゃないかと思うほどだ。つらい。
 つらい気分ついでに嫌なことまで考え始めた。実は俺にはこの街に来るまでの記憶がない。気がついたら甘味屋「うなぎ」の前でほうけていた。覚えていたのは「鰻」が好きなことぐらいだった。そうして蘭さん、おみつと出会い、蘭さんの紹介で今の仕事にもつけている。何もかも蘭さんに世話になりっぱなしで、また暗い気持ちになってきたところで丁度目的地へ到着した。
「おじゃましまーす…。」
「あら、いらっしゃい!ってくさっ!なんか元気ないと思ったら…向こうで足洗ってから上がっておくれよ?」
「はーい…」
 十分に足を洗い、忌々しい犬の糞を洗い落としてから蘭さんの家に上がると、なんとも言えない良い匂いが胃袋を刺激する。そういえば腹は猛烈に減っていた。
「大丈夫?平太?なんか…大変なことがあったみたいだけど…。」
 鼻をつまみながら言うな。ちゃんと臭いが消えるまで丹念に洗ったわ。
「まあ、気にすんなよ。それより今日はごちそうだな。うまそうだよ、おみつ。」
「え!ほんとう!?頑張ったんだよ私!えへへ」
「(ニヤニヤ…)」
 蘭さん、その視線をやめてください。痛い。
「じゃあ、頂きましょっか。(ニヤニヤ)」
「母上、どうしたんですか?」
「いやー?なにもないわよー?(ニヤニヤニヤニヤ)」
「はい、いただきます!いただきまーす!おっ、この煮物うまいな!あはははは!」
 …もう一度言おう、男とは愚かな生き物である。
 そんなこんなで楽しい夕飯の時間が終わり、「何故か」俺とおみつの二人で神社にお参りに行くことになった。なんでこんな時間にお参りなんだ。しかも二人で。辻斬りでも出たらどうする。という心配とは裏腹に、怖いほど何も起きずに寺まで到着することができた。いや、正確にはおみつの猛烈な求愛に俺の心が何度か折れそうになるという事件はあったが。
 この神社は縁結びの神社として有名で、ここに夜中に二人きりでお参りに来ると結ばれるという胡散臭い噂が流れるほどだ。そういう類のまじない事は全く信じていない俺だったが、蘭さんの口のうまさに負けてこんなことになっている。というか、俺の意思は無視なのか?俺も頃合いを見計らってうまいことやりたかったのに…。いや、でもここは俺もこれがいい機会だと思って素直に…
「ちょっとー?なに一人でブツブツ言ってるの?」
「あ、いやいや、なんでもない。もう遅いしさっさとお参り済ませて帰ろう。」
「うん!」
 ズゥン……ゴゴゴゴゴゴゴ!!!
「きゃ!」
「なんだ!この揺れは!?おみつ!つかまってろ!」
 地震ってやつだ。昔はオオナマズが暴れてるだとか神様の怒りだとかなんとか言ってたみたいだが、そんなことはない…らしい!偉い人がそう言っていたのを聞いたことがある。だから素直になれない俺に縁結びの神様が激怒したわけではない。断じてそんなことはない。
「そう言っても…立つのがやっとだよ…、え?きゃあああああああああ!」
 大きい音とともに地面が割れた。その隙間におみつが吸い込まれた。とっさにおみつの手をつかんだ俺の腕に激痛が走る。仕事中に木材が落ちてきたときに両腕を痛めていたのだ。
「おみつ!頑張れ!絶対離すな!」
「うん…でも…もう無理…。」
「そんなこと言うな!俺も…無理してんだから…!」
 …変だ。おみつがどれほどの体重かは知らないが、こんなに重いわけがない。重力以外の力が働いてるみたいだ。その証拠に、周りのものがこの穴の中に吸い込まれそうになってる。…これは本当にまずい。
「平太、このままじゃ平太まで落ちちゃうよ…私は死んでもいいから、平太は…生きてほしいよ…ずっと慕ってきたから。これからも、元気に過ごしてね、やさしい笑顔が好きだったよ!」
 それだけ言って、おみつは地割れの中に吸い込まれた。すると、地割れは満足だとでも言うようにすぐに閉じてしまった。
「嘘だろ…?おみつ…うわああああああああああ!」
 後を追うこともできず、最後に自分に素直になることもできず、絶望の中に立たされた俺は、思わず地面に崩れ落ち、そのまま意識を失った………
U
 ―――時は平成。彼らの離反からは遥か400年以上の時が経ったここ日本に、彼女は現れた。東京でも決して都会ではない、この田舎の町のはずれにある古びた神社の境内に女性が落ちていた。倒れていたというよりは、その表現のほうが適切な様子でそこに彼女は確かにいた。
「う…うぅん…。あれ?ここは…さっきの神社?」
 たしかあたしは地割れの中に吸い込まれて…ってことはここは天国か地獄かどこかなのかな?
「うわ、動いた!」
 人がいた。でも何やら見たことのないな格好をしてるから、きっと人ではないのだろうと思ったので率直に質問してみることにした。
「あ、天国の使者様でしょうか?それとも地獄の…?ここはどちらでしょう?」
「え?あの…ここは東京だよ?日本の。そして僕は藤田です。藤田太平。」
「あ、私はおみつと申します。とうきょう…?江戸ではなくてですか?」
 とうきょう…聞いたことのない地名だ。ああ、でもあたしは江戸以外の地名なんて元々知らないのだ。
「はあ…江戸っちゃあ江戸だけど…ここが江戸なんて呼ばれてたのは二、三〇〇年前までだね。」
「あー、なるほど…。」
 良かった…ここは江戸なようなので周りの人に聞いていけばきっと家まで辿りつけ…
「え?あの、江戸って呼ばれてたのが何年前と?」
「だから、二、三〇〇年前まで。」
「私の周りはみんな江戸と呼んでたし、このような、着物を着ていたのですが…。」
「あー、僕の周りはこんな洋服しか着てないしここは満場一致で東京だよ?」
 まさか…そんなことがあるのかな。いや、でもあたしは学がないからきっと間違えてるんだ。そんなわけない、そんなわけない…
「もしかして、徳川幕府の時の人?だったりする?」
「ええ!そうです!徳川様をご存じなんですね!よかったやっぱり私は…」
「残念ながら君は未来に来てしまったみたいだね。」
 …嘘だ。
「まさか江戸時代の人間がタイムスリップしてくるとは…マンガみたいなこともあるもんだね。すごい。」
「ちょっ…待ってください!つまり、ここは、江戸で、でも江戸じゃなくて、三〇〇年ぐらい時間がたってて、あたしはたいむすりっぷ?して…?きゅうん……」
 頭がいっぱいになりすぎて私の脳みそは悲鳴を上げて機能を停止したようだ。また気を失ってしまった。
 
「…ーい。…おーいおみつさーん。」
 なにやらやさしい声が…そう、これは…
「平太!」
 ゴツンッ!
「「痛い!」」
 驚いて起き上がったらちょうど頭と頭がぶつかって素晴らしく良い音でぶつかった。
「っつ…。僕は平太じゃなくて太平…逆ですよ…。」
「あ…ごめんなさい…。夢かと思って…。夢じゃないんですね…。」
 そう、あたしは本当に平太と離れ離れになってしまったのだ。これでは、死んでしまうよりも辛い。いわゆる生き殺し、というものを初めて味わった。
「平太…。…あ。」
 思わず声が漏れたのであわてて口をつぐんだ。
「?平太という人がいたの?よかったら、聞かせてよ。江戸時代の話。興味あるんだ。」
 …この人、昔の人が目の前に現れても動じない…。この人は、すごい、偉い人だと思う。そう思わせるだけの貫録が、顔のしわ、髪の毛、立ち振る舞いから読み取れる。それでいて、若くないはずなのに何故か惹きつけられる魅力を持っている…ような気がする。などと考えていると奥から声が聞こえてきた。
「総理!藤田総理!部屋にもどられたのなら我々にお声をかけてください!ご自分の田舎だからって会議を抜け出すなんて…!」
 なにやら怒っている様子で若い男の人が入ってきた。すると太平さんは、
「ああ、申し訳ないです。後処理は官房に任せてあるので、大丈夫ですよ?」
 と、悪戯っぽく笑いながら言った。
「そういう問題ではないでしょう!とにかく!今後はないようにお願いしますよ!」
 と言い捨て、扉を力強く閉めて彼は部屋から立ち去った。部屋から彼が出て行く前に一瞬彼と目が合って会釈をしたのだが、彼は驚いた顔で太平さんを見て、太平さんが両手を上げて首を振るような動作をしたのを確認すると、ため息を作ながら部屋を立ち去った。
 それより、先ほどの会話でソウリ?カイギ?カンボウ?という何やら聞いたことのない言葉が飛び交っていた。未来の言葉だろうか?と思い、その言葉の意味を太平さんに尋ねると、
「ああ、そうか。君は江戸時代の人間だったね、話し言葉も現代とよく似ているから忘れていたよ。総理大臣といってね。君にも分かるように言うなら…この国の政事を取り仕切っている。」
 と返してくれたが、やっぱりさっぱりわからない。
「はあ…?それは…やはり貴方は偉い方ということでよいのですか?」
「偉い?はははは!まあ、自分で言うのもなんだが、偉いようだね、ははは!」
 …えらく笑っているので、私はまた馬鹿な質問をしてしまったようだ。
「聞かせてくれと言われましても…あの…私はただの町人なので大したことは…」
「かまわんよ、江戸時代の政治の事は聞かずとも後世に残った資料でわかるのでね。むしろ君たちのような民衆の話が聞きたいんだ。」
 そんなものが残っているのかと驚いたが、私は兵太のこと、母のこと、自分の好きなことなど、思いつく限りのことをたどたどしく話した。太平さんはその愛だ、子供のような顔で私の話を聞いていた。
 どれぐらいの時間が経ったのかわからないが、夢中で話しているうちに、私の腹の虫が悲鳴を上げた。
 (ぐううううう…)
「あっ、ごめんなさいあたしったら…」
 人前でお腹がなるなんて…なんてはしたないことをしているんだ…。と自己嫌悪に陥る私をみて、太平さんは平太に似た優しい笑顔で言った。
「この時代の食べ物はお口に合うかはわからないけれど、食事は用意してあるよ。」
 ああ、なんていい人なんだろう。おそらくその言葉を聞いた時の私は飢えた小動物のような様子だっただろう。
「総理、失礼します。ルームサービスをご用意しました。あと、例の捜査の件ですが…」
 突然運ばれてきた見たことのない豪華さ、美味しそうな匂い、こんなに食べきれるのだろうかと不安になるほどの多種多様な料理に驚き、唖然としていて太平さんとその家来さんが話す話には全く耳がいかなかった。そして思わず、
「太平さん!あの…これ、頂いても良いのでしょうか…?」
 などと聞いてしまったことには言ってしまったあとで後悔したのだが、それでも太平さんは優しい笑顔で、
「ああ、食べていてくれ。僕は彼と少し話してくるから、好きなだけ食べていいよ。」
 パタン、と静かに扉を閉め、太平さんたちは出て行った。腹の虫が私に限界を訴えてくるので、我慢できずに素直に太平さんに勧められたとおり、未知の食べ物を食べることにした。少し怖かったが、少し食べては感動、の繰り返しで、食べる勢いが留まることはなかった。
「よく食べるねー。」
 太平さんの一言で我に返った時には、机に乗っていた大量の料理がほとんどなくなっていた。我ながら凄まじい食欲だ。よっぽど空腹だったのだろうか。
「ご…ごめんなさい!つい、とても美味しかったので…。」
 それでもやはり太平さんは、
「構わないよ。よく食べる女性は好意的だよ。」
 と笑顔で言ってくれた。私に父というものがいたらこのような人だったのだろうか、などと馬鹿らしいことを考えていると、太平さんは急に真剣な目で、
「さて、そろそろ帰りなさい。君の時代へ。」
 と突拍子もないことを口に出した。
「そうは言っても帰るすべなんて何処にも…」
「君が現れた神社、あそこは本来縁結びの神社でね。もうあんな辺鄙なところにお参りに来る人は少ないのだけれど、興味深い伝説があるんだ。その伝説によると、あの神社は会いたいと望む者同士が時空を超えて会うことができるらしい。私は、かつて失った人に会いたくてあそこに行った。そして君が現れた。きっとその人は君の生まれ変わりで、僕は君が会いたいと願った人の生まれ変わりなのだろう。そして月が消える新月の夜にその者同士が望むなら、元の世界に帰ることができるらしい。さあ、今日がその新月だ。神社へ行こう。」
 そう言った太平さんは酷く寂しそうだった。私が会いたかったのは、言うまでもない。父上だ。私が幼い頃に突然姿を消してしまったらしい。私は、私と母上を置いてどこかに行ってしまった父上が嫌いだった。父上の話は誰ともしないし、父上からもらったものは全て捨てた。父上が嫌いだと自分に言い聞かせた。それでも心のどこかで、いや、本当は父上が好きだった。ずっと会いたかったのだ。それを言ってしまえば母上が悲しむ。それが嫌で私は本音を覆い隠した。覆い隠していた気持ちがまた現れて、涙が止まらなかった。そして私が泣き止むまで、太平さんはずっと私の側にいてくれた。
 ―――時が変わり、江戸。
「う…。ここは…。」
 そうだ。おみつが地割れに飲み込まれて、俺はそのまま気を失っていたのか。
「おみつ…。本当に、死んじまったのかよ…。」
 おみつを失って、分かった。俺はあいつが大切だ。あいつにもう一度会いたい。会ってまた、一緒に暮らしたい。俺の今までの記憶は、戻りつつあった。
 ―――またまた時は変わり平成。
「ここ、だね。」
「はい。」
 私が十分に泣いたあと、決心がついた私は江戸時代に帰ることにした。そしてジドウシャという乗り物であの神社へと向かい、山を登ってようやくたどり着いた。
「…お別れだね、おみつさん。」
 いつも笑顔だった太平さんが淋しい顔をしている。そんな時に私はかける言葉が思いつかなかったので、
「太平さん、本当にありがとうございました。たくさんお世話になって、太平さんのおかげで私の本当の気持ちを思い出せました。帰ったら、父を探してみようかと思います。」
 と、まっすぐな思いを伝えた。すると、
「それがいいね。こちらこそありがとう。とても、楽しい時間だったよ。さようなら。」
 最後に太平さんは笑って答えてくれた。
「そようなら。」
 それだけ言って、私はお堂からの光に包まれた。
 ―――そしてときはまた江戸へ。
 お堂から光が漏れてきた。そして俺はその光に包まれてすべてを思い出す。光の中で、かつてこの光に包まれた時のことを回想した。
 あの時俺は、死のうと思っていた。この神社がある森の奥地で首でもつって人知れず死のうと。美しい嫁と可愛い娘を遺していくのは心苦しかったが、もう俺はこの町では生きていけなかった。家族を養うために悪い連中とつるみ、もう後に引けなくなってしまって、そいつらを岡っ引きに売った。俺もじきに殺される。幸い、こんなこともあろうかとあいつらには家族がいることは言っていないので、おれが人知れず死にさえすりゃあ残した金で何年かは家族もまあ幸せに食っていける。
 そう思った矢先、このお堂からの光に包まれ、声を聞いた。
「本当の愛を知りなさい。それまであなたの姿と記憶は預かっておきます。」
 と。俺は本当の愛を知った。おみつのおかげで、人の大切さを知った。もう、家族から離れることはない。愛する妻の蘭、愛する娘、おみつのそばを。
「父上…?」
 声がした方を見ると、おみつが驚いた顔で立っている。さて、どうしたものか。ここは一つ、冗談でもかまして…
「父上っ!」
 おみつは父の元へかけより、大きな声で泣いた。
 参ったな。そうやって泣かれると、俺まで泣けてきちまうよ。
「おみつ、ただいま。そんで、すまん。平太てガキは、記憶が戻って故郷に帰っちまった…みてぇだ。」
 苦し紛れにこう言い訳すると、なぜかおみつは知ったような顔で
「うん、分かった。」
 と言って笑った。
 

相互評価

102126

○展開が予想外なことが多く、読んでいておもしろかったです。江戸時代の様子もこちらに伝わってくるようでした。
△主要人物に都合のよい展開にするために、若干強引なシーンが見られました。(母親が娘を近づけようとしたり、おみつが急に平太を忘れられるのは不自然)

102121

○江戸の様子と、現代の語りの地の文が混ざっていておもしろかったです。
△平太がお父さんだったのですか…?最後の展開が急すぎて少しわかりにくかったです。

102127

いいところ  時代を行き来する中で、現在と過去が繋がる展開は読んでいて引き込まれました。
 登場人物の設定や出来事がやや飛躍しすぎている部分がありました。

102204

○言葉遣いが時代を感じさせるもので入り込みやすかった。
△最後の場面をもうちょっと丁寧に書けばもっと感動する作品になったと思う。結局姿と記憶を預かって、平太という分身的なのを作ったということなのか?

102210

○タイトル的に少女が主人公なのかと思って読んでみたら、違ったので意外でした。最後が予想外な結末でおもしろかったです。
△最後の部分の「知ったような顔」の部分がよくわかりません。本当は父親だと気づいていたのでしょうか。そうだとすれば、不自然な話な気がします。

102125

○台詞などが軽快で、地の文もそれぞれのキャラに合わせて活き活きして読んでいて楽しくなる作品でした。
△甘味処の名前、太平が総理大臣である事といった細かい設定をもっと活かしたらより面白い作品になると思います。
 

102116

○予想外の展開や現在と過去のつながりはおもしろかったです。
△展開の都合がよすぎる気がしました。

102207

○会話文がリアルだったり、心情が詳しく書かれていてわかりやすかったです。
△総理大臣という設定にしたことによって、なにかもう一工夫があったら違和感がなく読めると思う。

102205

いいところ  登場人物がいきいきとしていて、江戸時代という設定も違和感なく読むことができました。
 こうすればいいのにというところ
 後半の展開が急すぎて、読者が置いてけぼりにされた気持ちになりました。もう少し丁寧に説明した方が分かりやすいと思います。

102208

○テンポがよく、現代の登場人物「太平」が総理大臣という設定も面白いと感じました。キャッチーなタイトルと冒頭部も読んでみたいと思わされました。
△名前の誤字や、言葉の誤用などが気になります。
 また、結末部が飛躍しすぎていて、せっかく伏線をひいたのであれば、もう少し丁寧に回収してほしかったなと思います。

102201

○登場人物のセリフや言い回しが面白いと思いました。
△最後の場面をもっと丁寧にかけていればよかったと思います。

102131

○意外な設定が面白かった。
△最後が急展開で分かりにくかった。

102123

○江戸時代の町人の雰囲気が表わされていて、良かった。
△総理大臣の肩書の必要性がわからなかった。

102206

○会話文がおおかったのでテンポよく読めたし、臨場感がありました。
△登場人物の設定の意味付けをもう少し考えると、更に良い作品になると思います。

102114

○結末が予想外の展開でおもしろかったです。
 あと、ところどころの主人公の言い回しもおもしろかったです。
△人物の設定をもう少し詳しく出せたらよかったかなと思います。

オレンジの光
 102204

 
 白とオレンジのライトが光る。耐震工事が終わったばかりの体育館は、どこもかしこもピカピカであった。
 履きなれたシューズの紐を結び、ベンチの上に置かれている「鈴木先生」と書かれた手作りの座布団の上に座る。生徒たちが集まってくる。
 ここからまた始まるんだな、と心の中でつぶやいた。
 美穂がバレーボールと出会ったのは、小学2年の時。母がママさんバレーを始めたことがきっかけだった。
 毎週土曜日に小学校で練習があり、家での留守番がまだ心配ということで毎週連れて行かれた。
 最初は、兄弟や友達と遊んでいたり、うさぎ小屋に行ったり楽しかったが、友達が来ない時や雨の日は退屈だった。
 中学年になるとバレーという競技に興味を持ち始め、ボールを触るためについて行った。
 最初はサーブだけ、たまに基礎を教えてもらうようになった。やり始めたころは腕が紫色になった。
 バレーが嫌いになった。おもしろくない。うまくならない。
 高学年になるとついていかなくなった。
 6年の秋、中学校に部活体験できる機会があった。
 美穂は迷ったが、友達に誘われたこともあり陸上部を希望した。
 先輩の横を一緒に走る。秋晴れの風がさわやかで気持ちがいい。
 走ることは楽しい。でも一人で走り続けることが自分のやりたいことなのか。
 先輩から陸上の良さを語られながら、そんなことを考えていた。
 桜が舞う四月。美穂は中学生になった。
 制服のない自由な校風の中学校だったため、あまり中学生になったという実感がない。
 担任は美術の田中先生。初めての学年集会でバレー部の顧問だと知った。
 美穂は、どの部活に入ろうか迷ったのか、即決だったのか覚えていない。気が付いたらバレー部に入っていた。そこから、長い長いバレー人生が始まるのであった。
 新入生は美穂を含め25人。1年は2年に基礎を教えてもらい、3年はコートで練習というのが基本であった。美穂は周りを見る。よし、自分が一番上手い。先輩にも「美穂は上達が早いね。」と褒められた。他の1年と差がつく。すごい優越感。気持ちが良かった。
 夏休みに入ると、3年生は引退試合が近づいてくる。3年の先輩は市内で優勝する実力があった。チームの団結力もあって、まさにひとつのボールを6人で追いかけるとはこのことか、と経験の少ない美穂でもわかるぐらいであった。その先輩の引退試合。県大会は市とは違い、強豪校もたくさん出場している。
 ウォーミングアップが終わり試合開始のホイッスルが鳴った。
 エースの攻撃がなかなか決まらない。いつも笑顔でチームを引っ張るキャプテンの顔が曇っていた。
 1セットを取られる。
 ベンチで田中先生が何か言っている。
 何を言っているのかギャラリーまで聞こえない。
 円陣を組む。再びコートに6人が立つ。
 ギャラリーから精一杯の声援届けるも巻き返しの気配が見られない…
 14−16…
 16−20…
 点差がどんどん開いていく。完全に相手のペースに振り回されていた。
 20−25。
 試合終了のホイッスルが鳴り響く。美穂のチームのギャラリーはしんと静まりかえっていた。
 先輩の初めての負け試合だった。
 他チームの応援がやけに耳に残る。
 動いていないのに汗がにじみ出てシャツが背中にへばりつくのがわかる。
 無敵だと思っていた先輩でも勝てない相手がいる。
 “先輩を超えたい”
 美穂の中でスイッチが入った。
 暑い、熱い夏の始まりであった。
 次の日から3年生が抜け、新チームでの新たなスタートを切った。
 毎日毎日汗だくになって基礎練習を繰り返す。1年生は23人になった。
 美穂は、今まで以上に練習に打ち込んだ。
 1年のポジション発表まであと一週間。美穂は何としてでもエースポジションであるレフトになりたかった。誰がどのポジションに合うか、田中先生の目が光る。基礎練習、レシーブ練習、スパイク練習、ブロック練習…
 一人一人先生がチェックするテストのようなものもあった。美穂はレシーブ、スパイク、ブロックが1位だった。スパイクは、長身の志穂も同率1位で、基礎は、身長は小さいが丁寧な希が1位だった。その日の帰り道、小学校から一緒の美香が
「美穂今日すごかったね。」と言った。
「んー、欲を言えば全部1番が良かったなー。」
「欲張りだなあ。私も頑張ったんだけどなあ。」
「美香ももっと練習すれば上手くなるよ。私ママさん行ってたからちょっとみんなよりリードしてただけだって。」
「そっかあ。もっと頑張らないと美穂みたいになれないなー。あ、そういえば、ポジション希望どこで出したの?」
「もちろん、レフト!」
「やっぱりレフトかー。人気だよね。志穂も千明もレフトだって言ってた。」
「え、志穂もなの?」
 どきりとした。志穂は背が高いから、ブロック中心のセンターだと思っていた。
 自分はレフトで活躍する、と勝手に思い込んでいただけあって焦った。
「まあ、美穂もレフトなれるでしょ!」
 志穂がライバルか。少し手強いが、絶対にエースになる!と心に誓った。
 ポジション発表の日。1年が田中先生に呼び出された。
 23人の目が一つに集中する。
「では、お待ちかねのポジション発表をします。希望通りにならなかった人もいます。下手上手いは関係ありません。その人に合ったポジションを選んだつもりです。今日、ライトと言われても、練習をしていくにつれてレフトになる可能性もあります。それぞれ頑張って自分の良さを活かしていって下さい。では…レフトから。」
 ごくりと唾を呑んだ。最初に呼んでほしい。最初に呼んでほしい…。
「奈々、千明、ひかり、彩。」
 え?終わり?
 呼ばれるはずのレフトに、美穂の名は無かった。
「次センター。美穂、志穂、知佳…」
 そこから先生が順に発表していたが、美穂の耳には届かなかった。
 私がセンター?なぜ?どうして?ほとんど1位だったのに希望通りにいかないなんて…
 どうして自分より格下の子が希望通りになっているんだろう…
 そんなことばかり考えていた。ライバルの志穂もセンター。自分は活躍できるのかな…
 初めて弱気になった時だった。
 帰り道。美香が気遣ってくれるのがわかる。
「私もびっくりしたよ。美穂がセンターだったなんて。」
「美香はいいな。希望のリベロになれて。」
「私はスパイクも苦手だし、背も高くないからリベロしか選択肢がなかったんだけどね。」
 美香は優しいな。でも素直にその優しさを受け止められなかった。いつもより美香との分かれ道までやたらと長く感じた。
 次の日から、美穂はセンターポジションの練習に入った。夏休みも後半にさしかかり、2年生のデビュー戦が近づくころ、引退した3年のキャプテン、知里先輩が練習にきてくれた。知里先輩はおもしろくて後輩からの信頼もある。美穂も知里先輩が大好きだった。練習中、美穂がブロック練習をしていると、知里先輩が、
「やっぱり美穂はブロックいいね。センターにして良かった。」と言った。
「どういうことですか?」
「いや、前に田中先生に美穂のポジションどうしようって相談されたことがあったんだけど、私がセンターにした方がいいんじゃないですかって言ったの。」
「えっ」
「だって、スパイクはみんな練習したら打てるようになるでしょ?でもブロックは練習してもすぐできることじゃないじゃん?美穂は最初からできてたから、センスあるなあって。だから頑張ってよ!」
「はい。ありがとうございます。」と、平然を装って返したが、声が震えてしまった。
 知里先輩は自分のことをわかってくれていない。私はレフトがやりたかったのに。もし、先輩が口出ししなかったら、自分はレフトになれたかもしれない。そう思うと、悔しさと憎さで泣き出しそうになった。先輩が言ってくれているのは褒め言葉だ。と必死で自分に言い聞かせた。
 練習試合では希が1年の中で最初に出た。ポジションは違えど、美穂は同期の活躍をコートの外で唇を噛んで見ていた。
 先輩のデビュー戦前日。田中先生からユニフォーム発表があった。
 2年生は7人。ベンチに入れるのは12人。1年生は23人から5人が選ばれる。
 緊迫した空気。先生が話す声以外何も聞こえない。
「8番美穂。」
 周りの子の拍手。1年で最初に呼ばれた。
 自分でも気持ち悪いほどにやにやしていたのがわかる。口角を下げることができなかった。
 1年で選ばれたのは美穂の他に、希、知佳、奈々、彩だった。
 志穂に勝った。心の中でガッツポーズをした。
 結局、ユニフォームはもらえたが、試合に1年が出ることなくデビュー戦は終わった。結果は市の大会だったが2回戦敗退だった。
 これから秋の県新人戦に向けてまた仕切り直す、というときに思わぬ展開があった。
 2年のポジション変更があったのだ。
 レフトをしていた裕子先輩が、セッターになった。
 理由は身長が低く、県で戦っていくのに不利になってしまうからだった。
 このポジション変更でレフトのレギュラー枠に美穂が選ばれたのだ。
「美穂、レフトで入ってみて。」突然田中先生が呼んだ。
「え、レフトですか?」
「まだ決定じゃないけど、ちょっとどんな感じになるか試してみようと思って。」
「はい!」
 いきなり舞い込んできたチャンス。逃すわけにはいかなかった。
 自分に上がってきたトス。力強く踏み込みジャンプ。目の前に相手コートのブロックが見える。避けて打ち込む。1点。
 ブロックだって相手を良く見てタイミングを計って跳ぶ。相手のコートに返る。また1点。
 今までやってきたことを発揮したゲーム練習だった。先生も認めてくれて、美穂は次の日から先輩のチームに入ることになった。
「美穂、1年で一人だけレギュラーじゃん!すごい!」
 美香は自分のことのように喜んでくれた。
「ありがとう!もうレフトずっとやりたい!だからもっと頑張る!」
 それから、美穂はレギュラーを手放すことはなかった。
 それから2年。自分の引退試合の日。
 一つ上の先輩が引退して、レギュラーではないがみんなの信頼を集めていた奈々がキャプテン、美穂が副キャプテンになった。自分たちのチームになってからは流れるように毎日が過ぎていった。市の大会では準優勝ばかりで、どうしても優勝できなかった。県大会は2日目に残れば、先輩を超えられる。2回戦。相手は小学校からバレーをしているチームだった。
 美穂は1年の目標であったエースになった。その分、先生に怒られることも多かったが、ここまで耐え抜いた。自分にならできる。そう言い聞かせてコートに立った。
「またそんなの広げて!勉強は?集中しなさい!」
 部屋をのぞきに来た母が喝を入れた。
 引退してから2ヶ月。勉強に飽きた美穂は息抜きにアルバムを見返していた。
 あの時、美穂のチームは勝った。2日目に残ったのだ。憧れにしていた先輩を超えたのだ。だが、次の相手は県ベスト4に入る強豪校だった。実力の違いを見せつけられた。自分が今まで頑張ったことは何だったんだろうと思ってしまった。もうバレーは続けないと思っていた。
「さて、勉強するか。」
 アルバムをしまい、勉強を再開した。
 深夜2時。ふうっと息をついた。なんとなくテレビをつけてみると、たまたま「春の高校バレー」の中継が流れていた。
「こんな時間に放送されているんだ。」
 東京代々木体育館。緑の床に光るオレンジコート。全国から勝ちぬいたチームが頂点を競い合っている。
 ごくり。
 美穂はテレビの中で繰り広げられている接戦にくぎ付けになった。
 男の子のように短い髪。額のハチマキ。どこまでも追いかけ、ボールに食らいつく。全員で喜びや悔しさを分かち合っている。
 ごくり。
 胸の鼓動がどんどん速くなっていくのがわかる。
 高校バレーって見ててこんなに感動するんだ。
 自分がやったらもっと感動するんだろうな…。
 その時、美穂はバレーを続けようと決心した。
 春高に出場しようと思ったらレベルの高い高校に進学しなければならない。しかし、美穂の家庭は裕福ではなく、私立に行けるほどのお金がなかった。
 どこを受験しようか迷っていたころ、田中先生に呼びだされた。
「美穂は高校でもバレー続けるのか?」
「はい。そのつもりはしています。」
「実はな、I高校の先生からこれ、預かってきた。」
「なんですか、これ。」
「I高校の願書。公立だからスポーツ推薦はないんだけど、ぜひ来てほしいって。」
 I高校は、何度か練習試合させてもらった高校だった。練習着やユニフォーム、ボールケースや鞄までもがオレンジで統一されているのが印象的だった。全国大会に出場したのは過去に一度、それも十何年も前のことで、最近の戦績は低迷していた。
「今年は、いろんな中学校から選手集めようとしているらしい。T中の子にも願書を渡したと言ってたなあ。」
 T中は市大会でどうしても勝てなかったチームだ。
「ほんとうですか?それじゃあ強いチームになるんですか?」
「みんなが受かればそうなるだろうけどね。一応この願書渡しておこうか?」
「はい、いただきます。」
 その日、美穂はI高校の赤本を買った。
「誰かの番号なくても気使わないことね?」
「うん。でも緊張するね。」
「みんな受かってたらいいのになー。」
 そんなことを言いながら学校へ向かう。
 I高校を受験したバレー部は、美穂、希、彩の3人だった。
 252…252…
 あった。
「私あったよ!」
「私も!」
「えっ、ちょっと待って、私の番号…あっ!あった!」
「みんな合格―!!」
 3人で騒いでいたら後ろから肩をたたかれた。
 振り向くと、白にオレンジのラインの入ったウインドブレーカーを着た人が4人立っていた。
「みんなおめでとう!ぜひバレー部に入部してね!」
「はい!」
「一応、これ春休みの練習表だから、良かったら来てね!」
 入学する前から練習に参加させてもらえるのか。他の人よりリードできた気がして早速次の日から練習に参加することにした。
 部室に案内されて行くと、もうすでに15人ほど集まっていた。
 どの子も見たことのある子たちばかりだった。中には県大会優勝校の選手もいた。
 “うわあ、レベル高いなー”
 中学校ではエースだったが、高校では無理だとすぐ思った。
 でも、人を感動させるプレーをするために、エースである必要がない。
 1年前、あんなにこだわっていた自分が少し小さく思えた。
 高校バレーは中学校と違って、ボールの大きさやネットの高さが変わる。
 身長がそんなに高くない美穂にとって、5センチは大きかった。
 周りには170センチを超える選手がたくさんいる。美穂は自分が攻撃の中心になれないことがわかっていたので、リベロ(防御専門のポジション)になった。
 先輩は人数が少なかったため、コートのほとんどは1年が入った。6月の大会では、個人の技術はあっても、やはり結成から2ヶ月では、チーム力もない。あっけなく負けてしまった。2年になる前あたりから徐々に実力をつけ、県大会ベスト3に入るまでになった。だが、あのオレンジコートに立つには優勝しなければならなかった。優勝、準優勝校は、スポーツ推薦で、実力者を固めているチームだ。あと一歩が遠い。
 夏は、毎日が地獄だった。
 蒸し風呂のような体育館で、1時間ウォーミングアップを兼ねたトレーニング。そのあとの練習。練習が終わればウエイトトレーニング。熱中症で倒れる部員もいた。しかし、美穂は辞めたいとは思わなかった。しんどくても、あのボールを拾う瞬間、ボールが次につながる瞬間がたまらない。やめられなかった。これが、中学の時に求めていたことだった。夢中になった。気がつくと最後の春高予選になっていた。
 準決勝。
 相手は優勝候補のG高校。今までの成果を出し切ったつもりだった。だが、美穂のチームの攻撃がなかなか決まらず、結果はセットカウント2−0で敗退。憧れの聖地オレンジコートが消えた。
 でも、美穂は落ち込まなかった。オレンジじゃなくてもいい。全国に行けばいいんだ、と。
 全国大会に出場するには最後のインターハイ予選で勝ちあがらなければならない。美穂の年は開催地だったため、上位2チームが出場できることになっていた。
 勝ちたい。全国に行きたい。
 日に日に思いは強くなっていった。
 3年になった美穂はライトになった。身長はレギュラーで一番小さかったが、レシーブだけでなく、攻撃のコンビネーションが認められたのだった。
 インターハイ予選まで2ヶ月。
 春の県大会で見つかった課題を重点的に調整し始めた。3年は集大成。いつになく練習に力が入る。
 残り1ヶ月。
 テスト前で、自主練習と書かれた予定表だったが、体育館はいつも通り活気づいていた。
 誰も休もうと思わなかった。
 残り2週間。
 対戦相手が抽選で決まる。ベスト4に入れは4チームで総当たりをして、勝ち点が多い2チームがインターハイ出場となる。相手チームの特徴を部員で共有して対策を練る。
 高校最後の夏はもうすぐそこまで来ていた。
 ピー…
 試合開始のホイッスル。
 相手は名門N高校。県外からバレーをするためにやってくる選手も多い。
 総当たり最終戦。I高校は1勝1敗だったが、N高校も1勝1敗のだったため、この試合に勝てば準優勝でインターハイ出場が決まる。
 美穂は前衛ライトからスタートだった。
 相手からのサーブ。
 キャプテンがきちんと拾い、セッターがエースにつなげる。
 それをエースは思い切り打ちこんだ。
 1−0。
 まず1点先取。
 美穂は後衛に下がりサーブを打つ。
 相手を乱したがさすが名門だけあって、セッターのトスワークが上手い。相手のエースが打ち返した。拾う。攻撃し返す。拾われる…
 13−10…
 18−17…
 両者譲らぬ接戦。しかし、美穂のチームは常にリードしていた。
 25−20。
 1セット先取。
「っしゃあっ!」
 みんなでハイタッチした。まだ終わりじゃない。あと1セット。
「このまま、このまま!」
「流れはこっちに来てる!」
「もっと攻めていこう!」
 コートチェンジの際、ベンチで口々に部員が喋っている。
 ふと、ギャラリーを見た。
『夢を掴めI高校』と書かれた弾幕の上で、後輩、保護者、友達が応援してくれている。
 団結っていいな。と思った。
 そのあと、N高校に巻き返され1セット取られた。
 セットカウント1−1。
 泣いても笑ってもこれで最後のセット。
 2−4…
 6−6…
 13−12…
 本当に長い試合だった。美穂は得意だったコンビネーションを決めた。練習してきたジャンプトスや、フェイント処理、全部上手くいった。
 24−23。
 セットポイント。
 2点以上離さなければセットが取れないので、もし1点取られれば、デュースになりあと2点取らなければならない。
 あと1点だけ。あと1点だけ…
 決めてくれるのはエースだろうと思っていた。
 だが、エースまでボールを持っていくためには後衛にいる美穂が頑張らなければならない。
 こんなにも緊張した1点があっただろうか。
 構えている足が震える。
「こい!」と呼ぶ声が裏返った。
 相手がサーブを打つ。
 よかった。自分には来なかった。
 と思った瞬間、ボールはコートの外へ高く弾かれた。
「美穂、カバー!!」
 もう走りだしていた。
 間に合うか…っ、届け、届け、届け…っ!
 後ろからみんなが追いかけてくる。繋げたい。このボールを取りたい。
 体が宙に浮いた。右手を伸ばす。全てがスローモーションになった気がした。
「っっしゃあああああああ!!!!!」
 割れんばかりの歓声。みんなの目が光っていた。
 オレンジのユニフォームがコートの中心に集まる光景は、まるで太陽のように光り輝いていた。
 あれから5年。
 結局インターハイは予選敗退だった。だが美穂は新たな夢を見つけた。
 “今度は指導者になってオレンジコートに立ちたい”
 美穂の夢は着々と現実になろうとしていた。
 白とオレンジのライトが光る。耐震工事が終わったばかりのI高校体育館は、どこもかしこもピカピカであった。
 履きなれたシューズの紐を結び、ベンチの上に置かれている「鈴木先生」と書かれた手作りの座布団の上に座る。生徒たちが集まってくる。
「さあ、今日も頑張っていこう!」
「はい!」
 オレンジの練習着を着た生徒たちの顔はきらきらとしていた。
 

相互評価

102126

○タイトルや文章の構成がとてもよく関連しているなと思いました。
△バレーボールの専門用語が多く、人物の心情がすんなりと伝わらないところがありました。

102127

いいところ  色が上手く作品の中で活かされているところ。初めと結びで、美穂自身の話が上手く繋がる書き方はいいと思いました。
 美穂がバレーを嫌いになったり、他のスポーツをやってみたり、またバレーに情熱を傾けるようになったりする展開の場面がもう少し丁寧に書かれていてもいいのかなと思いました。

102121

○美穂の心情がよく描かれていたと思います。
△描かれる出来事が多かったためか、ひとつひとつが結構あっさりとしている印象を受けました。

102207

○状況が詳しく説明されていて、バレーをあまり知らない人にとってもわかりやすく臨場感が伝わってきて、すんなり読めると思いました。
△中学校の時の話に比べ、高校でのバレーの話があっさりしている印象を受けました。

102137

時間の隔たりが効果的に使われていると思いました。
 書いている人もバレーが好きなんだろうなと思わされました。
 美穂の気持ちが変わるときの事件が少し弱いかなと思ったので、工夫してみたらいいと思います。

102205

いいところ  風景が目に浮かぶくらい、部活の様子がリアルに描かれていました。
 こうしたらいいのにというところ
 主人公の心情の変化が分かりにくかったので、何がきっかけで気持ちが変わったのかをはっきりした方がよかったと思います。

102116

○臨場感かありその場の空気まで伝わった。まとまっていた。
△試合内容をもう少し細かく書いてもよいと思った。

102210

○結末部分がすっきりしていていいと思います。また試合の様子も合間の様子が描かれていることで、どんな気持ちで戦っているか伝わってっきました。
△事実(出来事)中心の作品になっているので、主人公の精神的成長がわかるようにすればもっといい作品になると思いました。

102125

○タイトルが文章全体に渡って関連していた所が良かったです。また時系列に沿って展開していったので読みやすかったです。
△ちょっと淡々としている感じがするので、サブキャラをもう少し主人公と絡ませたらもっと話が盛り上がると思います。

102201

○出来事がしっかり順をおって書かれていたので読みやすかったです。
△出来事を受けての登場人物の様子や心境などをもっと踏み込んで描けていればいいと思いました。

102123

○バレー嫌いの私もついバレーに熱中するような表現がすごい。
△時間の経過をもっと別の表現で言えたらいい。

102208

○首尾照応の関係もしっかりしていて、全体的にまとまっていたと思います。幼いころからのバレーとの関わりが細かく書かれていて、バレーから離れようと思った時、バレーを心の底から楽しいと感じている時、悔しさ、楽しさ、面白さなどたくさんのことが伝わってきました。
△たくさんのエピソードがあった分、それぞれが少し薄くなってしまった感があります。ただ、冒頭結末と結びつけるには、一部だけをかくのでは足りないとも思うので難しいな、と感じました。

102138

○ 臨場感があり、読みやすかった。
△ チームスポーツで自身も一つのボールをみんなで追いかける のが良いといっているのに、あまり周囲の人物との関係の描 写がなかったのは少し物足りない。

102131

○試合の場面に臨場感があるところ。
 
△時間の経過がワンパターン

野浪正隆

 いいところ  わりあいに長い話を破たんなくつないでいるところ。
 こうしたら、試合の様子がいまいち見えません。描写されていないからだと思います。ポイントになる場面は描写しましょう。

102206

○青春!こういう話好きです。
△淡々と進んでいった感じがするので、テンポを早くしたり遅くしたりして、波を作ると良いと思いました。

102114

○テンポが良くすっきりと読み切れた。
△人物の名前をしっかり決めているので、それぞれの人物にもう少し個性を与えてあげたらよかったのではないかと思いました。

ゴールの先には
 102207

 「裕也ファイト!」
 チームメイトの応援がいっそう大きくなる。
 声援を聞けるぐらいの余裕があるから大丈夫だ、と裕也は思った。
 今のところ先頭を走っている。あと一周、このままの調子で走り続ければ、もう大丈夫だ。決勝にもいける。裕也はそう確信したままトラックのバックストレートにさしかかる。
 この地区のインターハイ予選大会では、裕也の専門種目である800メートル競走は、3組で予選が行われている。決勝に進出できるのは、8人だ。3組が走って、組で1位2位だった選手6人と、3組中で1位2位を除いて、タイムの早かった選手2名の、計8人で決勝が行われる。そのうち6人が次の試合、つまり全国インターハイへ出場できる。
 全国インターハイ、裕也はずっとこの試合を目指して練習してきた。
 1、2年のときは、まったくいい記録が出なかった。陸上の試合では、一つの種目に対し、一つの学校から3人が出場できる。1,2年の時の裕也は、その3人に入れなかったため、試合にも出られなかった。他の部員よりも努力をしているつもりだったが、記録に結び付かなかった。陸上部を、走るのを、やめようと思ったことも何度もあった。
 しかし、3年生になってタイムを縮めることができた。地道に練習を積んできた成果が、ようやく開花し始めた。ぐんぐんと自己ベスト記録を更新して、今では全国インターハイの決勝、8位入賞を狙えるのではないかとまで言われている。裕也の実力から言えば、予選突破は当たり前である。この組の誰よりも彼の持ちタイムは速い。ずば抜けていると言ってもいいくらいだ。
 そのままのペースで最後のカーブに入る。自分でも驚くほどに調子がいい、どんどんと足が進み、弾むように走れている。
 カーブの中盤で、裕也は後ろをちらっと振り返る。すぐ後ろに1人、そこから数メートル後ろにもう一人が見えた。後ろの選手は気になるが、裕也のほうもスタミナはまだ残っているから、2位の選手がラストスパートをかけ、裕也が抜かれたとしても、抜き返せばいい。もし抜かれても、2位だから決勝に進出できる。決勝で負けなければいい、そんなことを考えながら、裕也の足はホームストレートにさしかかった。
 その時、裕也の足に、なにか鋭いものを踏んだような痛みが走った。予想外の出来事に、思わず足を前に踏み出せず、つまずく。
 嘘だろ、と思った瞬間には、もうタータンの地面が目の前に迫っていた。なんとか手をついて、倒れこむことは阻止した。その時には、すでにすぐ後ろを走っていた選手は裕也を避けて抜かしていった。裕也は焦って、起き上がると同時に足を踏み出した。
 鋭い痛みは段々と治まってきたが、今までに経験したことのない鈍い痛みが右足にあった。怖くて、先ほどのようには足を踏み出せない。右足をかばうようにしてしか走れない。
 そうしているうちに、もう一人に抜かされた。これで今の順位は3位。決勝が危ういものとなる。
 ゴールはあと数十メートルといったところだ。裕也は、なんとか痛みをこらえて2位の選手にくらいついて走った。
「耐えろ、抜かせー…」
 もう裕也にはチームメイトの声援は聞こえない。ただ前を走る選手と自分の足音しか聞こえない。前を走る選手の軽快な足音と、自分のいびつなリズムを刻む足音とが裕也の耳には響いていた。
 しかし、それでも裕也は懸命に足を動かした。先ほど裕也を抜かした選手はゴール前で体力を使い果たしてしまったように、スピードダウンした。抜かせるかもしれないという思いが、裕也に痛みを忘れさせる。裕也は少しずつ差を縮めていた。
 あと少し、もうすこしで抜かせる!
 前を走る選手と肩を並べそうになった、その時、
「やった!」
 と前の選手がガッツポーズをとり、倒れこんだ。
 もうゴールだった。あっけなく、レースが終わった。裕也はこの組で3位だ。決勝へ行けるかは、後の組の選手のタイムしだいだ。
 倒れこんだ裕也に、チームメイトが駆け寄ってきた。
「きっと大丈夫だよ。」
 そう裕也に声をかけたのは、ずっと一緒に練習をしてきた、陸上部主将の翔太だ。なにが大丈夫なんだ、全然大丈夫じゃないだろう、と裕也は心の中でつぶやいた。裕也は、翔太の励ましの声に,うつむいたまま返事をすることができなかった。
 そのあとは、翔太に肩を借りて医務室へ行った。右足の激痛の原因はシンスプリントだった。疲労骨折してしまっているかもしれないと医務室のスタッフは告げた。すぐに、監督が医務室へ駆けつけた。監督は、医務スタッフと少し話し、そして、裕也の目をじっと見つめ、告げた。
「そんな足の状態じゃ走れないだろう。決勝にいけるかも分からない、行けたとしても棄権して、今から病院へ行こう。」
 終わった、と裕也は思った。この3年間、厳しい練習を重ねた。誰にも気づかれないように、自主練だってたくさんした。だれにも負けないくらい努力をしたのに、インターハイへ出場するという裕也の夢は、あっけなくしぼんでいってしまった。
 病院へと向かう車の中からは、真っ赤な夕日が見えた。裕也は悔しいとすら感じなかった。むしろ心にぽかんと大きな穴があいたような、不思議な感覚を感じていた。
 それから、数ヶ月たった。けがは完治したのだが、裕也は陸上部に行かなくなり、あのレースからは一度も走っていない。
 監督とは、何度か話す機会があった。監督は、裕也と会うといつも、何とも言えない苦い顔をしていた。
「ごめんな、俺がもっといい練習メニューを組んでいたら…」
 監督は、すべての練習のメニューを組んでいた。裕也なら耐えられるだろうと、負荷の高い練習メニューを設定していた。全国インターハイを見越すと、この時期に追い込むのは正しい選択である。しかし、裕也の足の疲労に気づいてやれなかった。そのことに、監督として大きな責任を感じている。
 監督も、裕也の過度な自主練にはうすうす気がついていた。知っていながらも、しっかり者の裕也のことだから大丈夫だろうと、放っていたのだった。
「足は、もう完治したんだろう、いつでも練習に参加していいからな。待ってるよ。」
 監督は、裕也に走り続けてほしいと思っている。裕也は3年生だ。そろそろ進路を考えなくてはいけない。できるなら、裕也には陸上をする環境が整っている大学に進み、もっと強い選手になってほしい、高校では目標に届かなかったが、大学ではもっと高みを目指してほしいと、監督はそう願っていた。
 実際、裕也にはいくつかの大学からスカウトがあった。しかし、裕也は返答をしていない。あのレースまでは、インターハイが終わってもしばらく引退せずに練習して、大学で陸上を続けようと考えていたが、そのことについても考えられなくなった。陸上が辞めたくなったわけではない。ただ、今までのように、やる気が出なかった。翔太からは、何度も練習に参加するように誘われていたのだが、裕也は練習をしようとは、どうしても思えなかった。裕也は、そうやって、走るでもなく、勉強するでもなく、だらだらと放課後を過ごす日が続いていた。
 そんな、ある日。
 授業を終え自分の自転車を押して、帰ろうとしていた裕也は、突然声をかけられた。
「裕也君」
 それは、陸上部のマネージャーの詩織の声だった。詩織は校門で待ち構えていたらしく、なにやら含み笑いをしている。なんだよ、と近づいた裕也の手から、無理やり詩織は自転車のハンドルを奪った。
 そして、とまどう裕也に、さらに新たな声がかかる。
「ほら、部室に置きっぱなしだったお前のランニングシューズ、持ってきてやったぞ。」
 翔太だった。乱暴な物言いだが、裕也の目の前にシューズをかざす翔太は、子供のように目を輝かせていた。詩織は、唖然としている裕也の手からかばんを奪い、翔太は裕也の革靴を脱がせにかかる。その強引さに、裕也は転びそうになる。あまりにも急な出来事に、頭がついていかない。
「じゃあ、いつものたこ焼き屋さんまで、競走ね。負けた人が奢ること!」
 詩織がはしゃいだ声で言った。
 いつものたこ焼き屋さんとは、練習後によく3人で行っていたところだ。裕也は、たこ焼きを食べながらいろいろ話したことを思い出す。どうしたら部活の雰囲気がよくなるのか、もっと強くなれるのかなど、相談しあったりもした。位置は、学校からはそれほど遠くない。走れる距離ではある。
「ちょっと待てよ、意味わかんない。」
 拒む裕也の意思は関係ないといったように、詩織は自転車にまたがり、翔太も靴ひもを結びなおす。そして、まるで今から走るための準備体操をするかのように、軽く屈伸した。
「早くしないと裕也のおごりになっちゃうよ。ほら、スタートまであと10秒!」
 翔太と詩織は、にやにやと裕也をせかす。裕也は、せかされるままに、靴ひもを結んだ。
「に、いち、ぜろ、スタート!」
 詩織の甲高い声が響く。渋る裕也の背中を翔太が強く押した。そのまま、裕也は走り出す。
 ああ、もう無茶苦茶だ。何か月も走ってないのに、いきなりだし。制服のままだから明日は、しわくちゃの制服で登校しなきゃならない。
 裕也は足を動かしながら、そんな不満を心に並べた。しかし、なぜかはわからないが、晴れやかな、すっきりしたような気持ちになった。裕也は、オレンジ色の染まった空を見上げた。
 もう、どうにでもなれ!やけくそだ!
 裕也は、いきなりスピードを上げ、自転車に乗っている詩織を追い抜かした。
「ぜったい負けねえから!」
 急にスピードを上げたため、息が上がる。しかし、自然と笑みがこぼれた。
 数か月走っていなかった足は重い。練習を続けている翔太は、裕也の少し前を、裕也をからかいながら走っている。自転車の詩織はもちろん余裕だ。
 桜並木、近道するために通っていた公園、商店街……。裕也は、がむしゃらに走った。同じ道のはずなのに、ひとりで」自転車に乗っている時とは何かが違っている。
 久しぶりに走ったから、息が苦しい。それでも、楽しかった。なんだか晴れ晴れとした気持ちになった。
 そして、何とも言えない、懐かしい気分になった。
 陸上を続けるとか、辞めるとか、そういうことは、やっぱりまだ考えられない。あのレースで味わった痛み、つらさは、簡単には色あせないだろう。この先も、裕也のことを捕え続けることになるかもしれない。
 でも、たこ焼き屋までの残すところあと数キロメートルのあいだは、そのレースのことも、どうでもいいと思える気がした。裕也は、なにも考えずに、ただただ必死に走った。
 次の角を曲がると、たこ焼き屋が見える。息は切れ、足がなかなか進まない。数か月走っていないというハンデは、やはり大きかった。おそらく、3位は裕也だろう。翔太と詩織にたこ焼きを振舞わねばならない。きっと二人は、遠慮なくたこ焼きを食べるのだろう。裕也は、そんな二人を想像し、少し笑った。
 ありがとう、息が苦しくて、今は言葉にできない。なにが、どう、ありがとうなのかも自分でもわからない。しかし、裕也はなぜか二人にありがとうと言いたくなった。
 今日で、なにかが劇的に変わったわけではない。ただ、いつものメンバーでふざけあっただけ。
 だけど、何がとは具体的には言えないが、昨日までの自分と、明日の自分は何か違っているのだろうな、と裕也は思った。
 さあ、角を曲がって、たこ焼き屋が見えてきた。裕也は、最後の力を振り絞ってラストスパートをかけた。
 

相互評価

102126

○終りの部分がその後を予感させるさわやかな風になっていたので、気持ちよく読むことができました。
△裕也の周りの人物の存在感が薄いように感じました。

102127

いいところ  ケガをして、一度はやる気がなくなってしまった裕也を、周りの監督などの人物の様子を描きながら際立たせているところがいいと思いました。
 裕也に再び走るきっかけを与えた詩織と翔太の登場までの時間の流れが気になりました。このやる気を失ったことに対して、詩織と翔太の行動はほんの少しだけ軽いような気もしました。

102121

○明るい終わり方で、読み終わったときにさわやかな印象でした。
△裕也とほかの人物との関係をもう少し深く見せてもよかったのではないかと感じました。

102137

場面の転換点がわかりやすくて、すっきりした構造になっていると思いました。
 全体的にもっと厚みをつけていけば、話に深みが出ると思います。

102205

いいところ  走りながら見える風景の書き方が上手いと思いました。全体的にさわやかな雰囲気にまとめられているところも、陸上という競技に合っていて良いと思います。
 こうしたらいいのにというところ
 部活に行きたくない状態の主人公の様子や、それを見ている周りの様子がもっと詳しく書かれていたら、ラストが引き立ったと思います。

102210

○3位という着順が最後にもいかされていてうまいと思いました。走っている時の心情描写がよかったと思います。
△詩織が急に出てきて急に助けてくれて違和感を感じました。最初から登場させておいて、一緒に戦ってきたことが分かれば、もっといかされたのではないでしょうか。

102123

○読後の爽快感が素晴らしい。
△主人公の陸上を離れた心の葛藤がもっとあれば。

102204

○最後の終わり方が、これから裕也がまた陸上をするのではないかと思わせるところがよかった。
△展開が速すぎて、裕也が陸上をやめてしまった心情が伝わりにくかった。

102138

○ 最後の部分と途中の試合の部分とを重ね合わさせていて
 前後の気持ちの変化が際立っているように感じた。
△ 裕也とほかの人物(監督・チームメイトetc>)との関係が
 あまり書かれていなくて、最後の部分が少し唐突に感じた。 

102125

○締めの部分がこれからの主人公の明るい未来を予感させる書き方で良かったです。
△やる気が出ない原因や様子をもっと詳しく書いていたら、もっと主人公が再び走る場面が活き活きしてくると思います。

102116

○全体的にさわやかで読みやすかった。
△まわりの人物をもう少し深く描いてもよいのではと思いました。

102201

○作品全体がさわやかで、統一された世界観が素敵だと思いました。
△他の人も言っているように、裕也以外の人物の様子をもう少し詳しく描写してやることで、そこから読み取れる裕也の心情なども描けたのではないかと思います。

野浪正隆

いいところ ありそうな自然なストーリーです。
 こうしたら、 インターハイ予選は4・5月で新学年が始まっています。「そろそろ進路を考えなくてはいけない。」というのはちょっと遅い、
 人物設定・状況設定が説明で述べられていて、かつ半分以上の分量で少しだれます、ラストスパートの骨折シーンから初めてつかんだほうがいいと思います。

102131

○さわやかな印象を受けた。
 
△ほかの登場人物をもうちょっと描くとよいと思う。

102208

○結末部も含めて、さわやかな印象を受ける作品でした。また、主人公が走っている時の描写が詳しく細かく書かれており引き込まれました。
△他の登場人物が少し薄いかな、と感じました。視点が一部だけ監督に移っている部分がありましたが、あまり設定が細かくされていない監督に視点が移ることに少し違和感がありました。あえて視点を移さずとも、行動描写や発言、表情などでも表わせたのではと思います。

102206

○結末の部分が未来につながりそうな終わり方で、読んでいて爽快な気分になりました。
△裕也以外の登場人物についても少し詳しく書くとよいと思います。

102114

 ◯主人公の心情の描写が丁寧で同化しやすかったです。
△いきなりマネージャーが出てきて「3人で」と言われてもいきなりだと思うので、大会の時にもっとマネージャーや翔太の声を強調させて3人の絆を先に出しておけば良かったのではないかと思いました。

102114

 ◯主人公の心情の描写が丁寧で同化しやすかったです。
△いきなりマネージャーが出てきて「3人で」と言われてもいきなりだと思うので、大会の時にもっとマネージャーや翔太の声を強調させて3人の絆を先に出しておけば良かったのではないかと思いました。

しちがつなのか
 102121

 
 ――ちりん。
 あのときからだ。嫌なものが見えるようになったのは。
「よーし、今から二次会行く人ー!あそこのカラオケ集合なー。」
 散々飲んだあとのテンションで呼び掛ける声に、一同は盛り上がる。
 蒔人も例外ではなかった。仲間と連れ立ってカラオケへ向かう。
 そんなとき、蒔人のケータイが震えた。
「あ、わり。後で行くわ。」
 ざわめく集団から聞こえる早く来いよーという声を背に、蒔人は電話に出た。
「あ、今こっちも終わったよ。そっちはどう?大丈夫?」
 受話器からはかすかにこちらとよく似た陽気なざわめきがきこえる。
「おう、今からみんな二次会カラオケって。今どこ?」
 落ち合う場所を決め、電話を切る。
「……よっしゃ、行くか。」
 かけてきたのは、同じサークルに所属する彩乃だった。
 蒔人の所属するサークルは、なんと言っても人数が多い。
 かなりの人数がさまざまな大学から集まり、週2以上で活動を行う、なんともまじめなボランティアサークルだ。
 人数が多いと言っても全員顔見知りで、それどころか悩みの相談もしあえるほど仲がよいのが何よりよいところである。
 人数が多いため三つのチームに分かれて年間の活動を行っているが、蒔人と彩乃は活動3年目になるのにまだ一度も同じチームに配属されたことがない。
 この日は夏の活動が一段落し、それぞれのチームでの年に数回しかない飲み会が開催されていた。
 その二次会を抜け出して、蒔人は待ち合わせ場所へと向かっていたのだった。
「あ、ごめん、待たせた。」
 駅前のファストフード店の前で落ち合った二人は、その中には入らずどこへともなく歩を進めた。
 アルコールが入り火照った体に、9月の夜風は心地よい。
 彩乃はあまり飲まなかったのか、いつもと変わらないゆったりとした雰囲気でこの2カ月の活動についての話を始めた。
 しかし蒔人の方はというと、そわそわとした緊張を感じていた。
 実は蒔人と彩乃は、高校時代は同じ部活の後輩先輩という関係だった。
 年齢ではなく入った学年が物を言う大学生というシステムの中で偶然同じ年に活動を始め、蒔人と彩乃は互いに同期として接するようになった。
 始めは気まずさしかなかった蒔人も、3年も続ければ慣れてくる。
 今ではお互い相談もしあい、気の置けない間柄となった。
 それだけではない。
 蒔人は年上で包容力のある彩乃に恋心を抱くようになっていたのだった。
 今の蒔人の緊張感は、好きな相手と歩いているという純粋なドキドキではなかった。
 なぜなら、蒔人は彼女にすでに一度振られているのだ。
「――でね、その時広志が……蒔人、聞いてる?」
 彩乃に横から顔をのぞきこまれ、はっとする。
「あぁ。ごめんごめん。それで?」
「それで、――」
 彩乃の話は続く。
「あ、ねこだっ」
 公園にさしかかった時、彩乃が一匹の小さな猫を見つけて駆け寄り、抱きかかえた。
 彩乃の腕におとなしくおさまった真っ黒な子猫は、澄んだ蒼い目をこちらに向けて首をかしげている。
 小さな子猫なのに、赤い首輪に不釣り合いなほど大きな鈴をつけていて、動くたびに澄み響き渡るような不思議な音が鳴る。
 近くのベンチに腰をおろし、子猫をやさしく撫でる彩乃の手は、蒔人の視線を一瞬にして奪った。
 満月が近い暖かな月の光が、雲に遮られることなく二人と一匹を照らす。
 少しの間おとなしく撫でられていた子猫が、ふいにぴょんと飛び出し、ちりん、と鈴の音を響かせながら木々の隙間へと消えていった。
「こないだ、広志と写真撮りに行ってきてね、」
 彩乃が数秒の静けさを破る。
 広志というのは、今年彩乃と同じチームで活動をしているメンバーのことだ。
 蒔人とも同じチームになったことがあり特に仲が良く、今年に入ってからは彩乃を含めた3人で遊ぶことが多くなっていた。
 広志は蒔人の彩乃に対する思いも、一度敗戦していることも知っていて、いつも陰ながら応援してくれるいいヤツ。
 蒔人はそんな話を聞きながら、やはり今しかないと決意すると同時に口を開いていた。
「彩乃……やっぱり好きだ。付き合ってください。」
 もう一度振られるのが怖くて、ただ好きだという思いを伝えることしかできなかった2か月前。返事は夏が終わってからでいい――それが蒔人の今年の夏の始まり。
 彩乃は少し困った顔をして言葉を探しているようだった。
 蒔人の心臓が壊れてしまうのではないかと思えるころ。
 ようやく口を開いた彩乃は蒔人に衝撃を与えた。
 驚くべき事実が彩乃の口から伝えられた。
 それは、蒔人のことが彩乃も好きだということ。
 でも、付き合うことはできない。
 なぜなら、自分には今好きな人が二人いるから。
 蒔人は思考が止まりそうになるのを必死にこらえ、懸命に言葉を探し伝えようとする彩乃の言葉に相槌を打ち続けた。
 その好きな二人とは、蒔人と広志だということ。
 その蒔人と広志と三人で過ごすことが今の一番の幸せだということ。
 どちらか一方を選んでしまうことで関係を壊したくないと思っていること。
 それに、どちらも同じくらい好きで、選ぶことなんてできない。
 三人で結婚できたらいいのに。欲張りだね。
 そんなことまで言ってのける。
 蒔人は、どう受け止めてよいのかわからず、ただ静かな暖かい月の光を受けながら彩乃を家まで送ることしかできなかった。
 月夜の出来事から数日後。
 蒔人は同じチームの同期メンバー五人に話をしていた。
 メンバーの情報は数日のうちにすべて噂で広まってしまうというのが、仲の良いサークルのおそろしいところである。
 蒔人の話も例外ではなく、あることないことが噂で出回り、その真相を確かめるためにこうして活動の後に居酒屋に集まったのだ。
 事の一部始終を聞かされた五人は驚くやら感心するやら、お酒の力も働いて言いたい放題。
「蒔人それいいように遊ばれてるってー!二回も振られてるんだから新しい人見つけたらいいのに。」
「もしこれで彩乃と付き合っても、おまえは絶対幸せにはなれないと思うよ俺は。」
「彩乃が計算じゃなくこれをやってのけてるってのが怖いんだよな。女ってずるいわー。」
「ていうかこれだけ振られてまだ好きなのー?もはや尊敬。」
 蒔人は真っ赤な顔をして何杯目かのジョッキを持っている。
「いや俺は振られたわけじゃないと……」
 そこでまたブーイングの嵐を受ける蒔人。
 蒔人自身もよくわかっている。
 彩乃に振り向いてもらおうとありもしないやさしさを見せ頑張ってきた自分と、普通に接しているのに彩乃を振り向かせた広志。
 いいヤツなんだから一緒にいて楽しくて好きになるのは当然と言ってもいいだろう。
 彩乃がどちらを選んでも、これからも三人で遊ぶことに変わりはないだろうし、それによって苦しくなるだろうことも想像がつく。けれど。
「まあ蒔人の気持もわからなくもないけど……半分以上は意地になってるだけでしょ?」
 違うと言いつつもそうなんだろうかと考えてしまう。
「あーでも俺このまえ広志も彩乃が好きって聞いたわー」
「……えっ!あいついつもがんばれって言ってくれてた……!?」
「ちょ、それ言ったらだめなやつじゃないー?あーあ、これは一波乱起きちゃうかもねー」
「嘘だー!俺終わり……」
「でも蒔人はまだ好きなんでしょ?もう今の蒔人に言ってもしょうがないよー。結局最後どうするか決めるのは蒔人と彩乃だし、痛い目見ないとわかんないでしょ。」
「……」
 嫌な情報だけ残して、彼らは次の旅行の予定について話し合っている。
 深いため息をついた蒔人の耳元で、どこかで聞いた音がかすかに鳴り、同時に小さな黒い子猫が側にいるような気がした。
 **
 
 さっきまで公園のベンチでやさしげな雰囲気の女の人の腕で丸くなっていた子猫は、いま一人の少女の前にちょこんと座っていた。
「おかえりなさいませ、ごしゅじ…」
「ご主人様はやめてって言ってるでしょ、ダニエル。」
 白く滑らかな肌にまとう赤の洋服。赤のブーツ。手にはその小さな体に不釣り合いな鈍色に光る大きな鎌。
 それさえなければ、天使のような少女。
「いえ、わたくし死神に仕える由緒正しきグレンジャー家の使い猫として…っ」
 悲しそうな瞳を向ける少女、いや、死神に、ダニエルの言葉が詰まる。
「うぅ……。おかえり、モモ。」
 名前を呼ばれた瞬間、モモの顔に笑顔があふれる。
「うん、ただいま。」
 死神とは、この世に存在できなくなった人間を違う世界へと運ぶ存在。
 死神の世界には、死神一人につき一匹ずつ使い猫というものがある。
 死神の片腕となり働き続けることが使い猫の幸せ。
 ダニエルの生まれたグレンジャー家は代々名家と言われ、優秀な使い猫を輩出してきた。
「自己紹介もいっぱい練習したし、うん、初対面が上手くいけば大丈夫!」
 使い猫としてデビューする日。
 ダニエルももちろん、意気込んで使い猫の世界に入ったのであるが、初めて会った死神の姿に危うく言葉を失いかけた。
 え?赤……?
 しかし名家の使い猫、ここでうろたえてはいけないと、練習してきた自己紹介をする。
「わたくしは、使い猫の名家、グレンジャー家に生まれた、ダニエル・ド・アル・グリント・グレンジャーと、申しますっ。ご主人様は、Dランクの100100号の死神だとお伺いしておりますっ。これから、よろしくお願いいたしますっ」
 赤い洋服に身を包まれた幼い少女は、緊張しきって固まっている子猫の蒼い目を見つめた後に、笑顔で一言、こう放ったのであった。
「ダニエル、ね。」
 ……へ?
 ダニエルは驚いた。
 笑顔を見せる死神なんて聞いたこともない。
 なんで笑っているんだ?
 なんで死神の装束を着ていないんだ?
 なんで、こんなに感情があるんだ?
 ダニエルの頭に理解不能を示す符号が飛んでいる中、相変わらずの笑顔で、追い打ちをかけるようにその死神が言った。
「ダニエル、これからわたしのこと名前で呼んでね?それと、そんなに丁寧にしゃべらなくていいし。」
 ……へ??
「名前、つけてよ。ダニエルが呼びやすいの。」
 意味がわからない。
 しかし、使い猫にとって死神の言うことは絶対。
 何かがおかしくても、従わなければ。
「えー…」
 死神は楽しそうに、きらきらした目で使い猫を見つめる。
 そんなに期待されても、とダニエルは思いながら、思いついたことを言ってみる。
「ご主人様は、100100(じゅうまんとんでひゃく)号ですから…、百と百でモモ、というのは、どうでしょうか……」
 あまりに死神が見つめるので、撤回しようとした瞬間、その死神は輝く笑顔で言った。
「決まり!よろしくね、ダニエル」
 その瞬間、ダニエルの首には、不釣り合いなほど大きな鈴のついた赤い首輪がつけられていた。
 そんなご主人との出会いのシーンを思い出していたダニエルが、ふと我にかえりモモに尋ねる。
「モモ、次はあの人……?」
 その瞬間、モモの顔が曇る。
 視線の先には、さっきまでダニエルをやさしく撫でていたやさしそうな女の人。
「あの人の手、すごくあったかかったよ。すごくいい人そうなのに……」
「そうなの。でも、決まっちゃってることは変えられないんだよ、ダニエル。」
 モモはこういうときすごく悲しそうな、寂しそうな、泣き出しそうな顔をする。
 ダニエルもつられてしゅんとする。
 しばらく公園の様子を見ていると、ベンチにいた男女は立ち上がり、どうやら家路につくようだった。
「モモ。あの二人、最後までみてあげようよ。」
「そうだね。」
 一人と一匹はそのまま闇に溶けていくように消え、公園はただ寂しく月明かりに照らされていた。
 秋も深まり、満月のころ。
 一件の事故が起きた。
 蒔人と会った帰り道。家へ帰る大通りを渡っているとき、彩乃にはいつか公園で聞いた鈴の音が聞こえた気がした。
 次の瞬間。
 あぶない!という誰かの叫び声と、激しく何かがぶつかる音がした。
 彩乃はもう彩乃ではなく、彩乃がいた世界ではない、真っ白な世界に浮いていた。
 そしてそこには、あの日見た蒼い目の小さな黒い子猫。
 彩乃は手を伸ばし触れようとしたが、なぜか触れられない。
 彩乃の耳に、少女のような柔らかい声が届く。
「ごめんね……」
 白い肌に赤い洋服。赤いブーツ。
 体に不釣り合いな鈍色に光る大きな鎌をもった少女が、きらきら光る涙を流し、静かに美しく泣いていた。
「え、どうしたの……なんで泣いてるの……?」
 ダニエルが彩乃の足もとにすり寄り、首の鈴の音が響く。
 その瞬間、彩乃は何が起こったか理解した。
「わたし…死んじゃうんだ?」
 足もとに寄り添う蒼い目を見つめながら、落ち着いた様子で彩乃が問いかける。
「ずっと見てたよ。」
「うん……。きっと罰があたったんだよね。たくさんの人を傷つけちゃったから。」
「そんなことないよ。どんなに傷ついても、人は幸せを感じることができるんだって、モモが言ってた。」
「あなた、モモっていうの?…ずっと見ていてくれてありがとう。」
 モモが涙をぬぐうのを見てから、悲しげに笑って彩乃は言った。
「モモ、あんまり長いことここにいると、私きっと行けなくなっちゃう。連れて行って。」
 モモはうなずいた。
 それからモモは大きな鎌を器用に扱い、跳ねるように、歌うように、踊り始めた。
 ダニエルもモモのそばで跳ねるように、歌うように、踊る。
 白い世界に赤と黒が舞う。
 楽しそうに、寂しそうに。
 静かな世界に、鈴の音が響く。
 悲しげなのに美しい、人間を、違う世界に運ぶ儀式――。
 交通事故。
 ただひとつ、それが蒔人たちに知らされたことだった。
 その日蒔人は、彩乃から大事な返事を受け取っていた。
 これから、やっと手に入れた幸せを感じる日々を送るはずだった二人。
 それをいとも簡単に引き裂いたのは、交通ルールを守らなかった一台のトラックだった。
 病院で眠る彩乃に会えず、落ち着かないまま一人月明りを浴びる。
 さっきまで彩乃と見ていた満月。
 ――ちりん。
 いつか聞いた鈴の音に導かれる。
 何も考えずついていった音の先には、蒼い目をした小さな黒い子猫と、大きな鎌を持った赤い洋服の少女。
「ごめんね。ほんとはあなたとは会っちゃいけないんだけど……」
 今にも泣きそうな声で呟く。
「誰?」
「モモだよ。今、あの女の人を連れていったところ。……モモ、予定じゃない人間とかかわっちゃだめなのに」
 ちょっとふてくされたような、かわいい男の子のような声が足もとから聞こえ、思わずのけぞる。
「うぉっ、しゃべったっ。……彩乃を見送ってくれたのか。」
 蒔人は悲しげに、目を伏せる。
「ダニエルがあなたたちに会った日から……全部見てたよ。あなたたち、すごく、幸せそうだった。」
 モモが、彩乃の最期を伝える。
「彼女、罰があたったのかなっていってた。でも、そんなことないよって、人はどんなに傷ついても、幸せになれるよって、言っておいたの。彼女、あなたの幸せをすごく願って旅立ったよ。だから、あなたも、自分の幸せをちゃんと探してね。それが彼女の幸せなんだから。」
 それまで忘れていた涙を取り戻したかのように、気付いた時には蒔人の目には涙があふれていた。
「モモっ」
 ダニエルの声より早く、モモの手は蒔人に触れていた。
「あーあ、人間に触っちゃだめなのに。……モモまた泣いてるし。」
 ダニエルの心配をよそに、二人は涙を流し続けた。
 死神なのに。
 ダニエルは不思議でならない。
 どうして涙を流すのだろう。
 人間と同じように。
 人間も、モモと一緒に涙を流す。
 モモの涙はきっと、人の悲しみを浄化するような、そんな特別なものなのかもしれない。
 蒔人をこの世界に残さなければならない。死神の仕事。
「モモは、君たちは、また彩乃に会えるの?」
「ううん。わたしたちは、人間を順番に送り届けるだけ。その最期の瞬間を見送るだけ。」
「そうか。……ありがとう。」
 蒔人は、まだ出会うべきでなかった死神と使い猫に別れを告げる。
「あなたは、まだ生きて。」
 そう言って静かに、溶けるように、一人と一匹は姿を消し、蒔人は月明かりの下に取り残された。
 **
「あーもう。まただ。ほんと、あのときあいつが触ったからこんなもんが見えるように……」
 そんなことをぶつくさ言っていると、忘れ物を取りに来たまゆこが理科室へ入ってきた。
「せんせー、また何か変なもの、見えちゃったの?」
 まゆこは蒔人が他人には見えないものを見ることができることを知っていて、いつもからかいに来る。
 やっかいだが、かわいい生徒だ。
「せっかく先生に会いにきてくれてるんだから、なかよくしてあげるんだよ。じゃあね、さよならー」
 言いたいことだけ言って、まゆこは足音をぱたぱた鳴らし学校を後にした。
 あれから蒔人は、どういう心境の変化か、天文学を学び始めた。
 いつか見た月明かりに魅了されてしまったのかもしれない。
 彼女が、空が好きだったせいかもしれない。
 今ではこうして理科室で天体望遠鏡を準備するような職業にまで就いてしまった。
「おい。これどうにかならないのか。」
 蒔人は、どこにともなく声をかける。
 どこからともなく聞こえる声はどこか楽しげで、いたずらをしてしまった少女のようだ。
「ごめんね、あのときわたしがあなたのこと触っちゃったから……。きっとそのうち見えなくなるよ。」
「そのうちっていつだよもう……あれから何年たったんだ」
 窓の枠にちょこんと腰かけている少女と黒い子猫に向かって、蒔人はため息をついてみせる。
 霊的なものが見えるようになってしまったのは、この少女のせいらしい。
 あれから数回、彼女のいない、彼女の誕生日を過ごしてきた。
 毎年彼女の誕生日には、きれいな天の川が見える。
 それはきっと、彼女が違う世界で幸せに暮らしている証拠なんだと思うことにしている。
 蒔人は働き始めてから毎年生徒と一緒に天の川を見ることに決めていた。
 このことを、あのときのサークルのメンバーが知ったら何と言うのだろう。
 ふと思い出した仲間のことを考えると蒔人はこっ恥ずかしくなり、窓枠に腰かけほほ笑む少女と小さな笑みを交わした。
 今日は天気が良いから、年に一度の逢瀬もきっと果たせるに違いない。
 ――ちりん。
 

相互評価

102123

◎情景や人物描写が非常に巧み。美しい。(とくに死神の少女のところなど)
△タイトル関連の天の川よりも月のほうのイメージが先行してしまう。

102207

○複雑な人間関係が分かりやすく書かれていて読みやすかったです。また、キャラクターがとても印象的ですてきでした。
△彩乃が死んだ場面で、すんなりと死を受け入れているのに少し違和感を感じました。

102126

○最後になってタイトルの意味がしっかりと明らかになってよかったです。ファンタジー要素の強い話も新鮮でした。
△綾乃と広志と蒔人の関係が最終的にどうなったのか曖昧でした。あと冒頭部の嫌なものというのは死神たちのことなら、不自然に感じます。

102127

いいところ  最後で題名の『しちがつなのか』が活きており、綾乃をずっとどこかで想い続ける蒔人の様子が描かれ結ばれているところがいいと思いました。
 死神を描くという書き方も面白かったです。
 広志の描写が少ないと思いました。広志の綾乃に対する想いが書かれていると面白かったかなと思います。
 死神の登場と設定がやや唐突だったかなと思います。

102137

ストーリー展開が独特で面白かったと思います。
 最後に受け取った大事な返事の中身というのも書いてもいいと思います。

野浪正隆

いいところ キャラが描けているところ
 こうしたら 視点人物が後退していってもいいのだけれど、主人公が誰なのかがわからならないようにしましょう。
 で、蒔人が主人公だと弱いと思います。変化しないから。

102205

いいところ  現実的な恋愛話かと思えば、ファンタジー要素も組み合わさっていて、意外性があって面白かったです。
 こうすればいいのにというところ
 死神の少女が主人公なのかなって思うくらい、死神の印象が強すぎると思いました。

102116

○登場人物が魅力的でひきこまれました。
△心情の部分で少し不自然なところがあった。

102210

○いきなり死神が出てきてびっくりしましたが、猫のおかげですんなりと受け入れることができました。設定もしっかりしていておもしろかったです。
△冒頭の嫌なものが霊のことをさすのであれば、この作品でそこまで重要な設定なのかが疑問に思いました。続編で、死神と猫と幽霊が見える先生が活躍する話があるのであればおもしろそうですけど。

102201

○キャラクター設定が個性的で面白かったです。
△綾乃の死が、死神の印象の強さにかき消されてしまっているような感じがしました。

102204

○情景描写が上手いなと思った。死神とか現実にない話題が新鮮だった。
△死神なのにいい人すぎるのではないかと思った。なぜこんな性格なのかを入れたらいいのかなと思った。

102125

○情景描写、人物描写が細かくてイメージがしやすく、良かったです。また、最後にタイトルが生きてきたところも良かったです。
△モモとダニエルが少し中途半端な気がします。出番を減らすかもっと細かい設定を書くかするとしっかりしてくると思います。

102208

○タイトルと、結末部がしっかりつながっていて良かったと思います。情景描写や行動描写も巧いなと感じました。
△折角名前の由来や、出会いなども説明があったので、死神と使い猫を中心に物語展開されるほうが面白いのではないかな、と思いました。内容面では、彩乃がなぜ最終的に蒔人を選んだのかが気になりました。

102206

○意味深なタイトルにひかれました。各描写も鮮明でイメージしながら読めました。
△主人公・対人物がだれなのかが曖昧になりそうです。

102114

 ◯途中までの日常がすごくリアルに描かれて想像に易かった。
△この死神の描かれ方だと、見えても嫌なものではないように感じます。
 最初に「嫌なもの」と決めてしまっていたので違和感がありました。

119106

○描写が美しかったです。最初の日常パートが自然でよかったです。
△死神のバラッド。をモチーフにしたのですか?それなら、最初に設定を入れておいたほうがよかったと思います。話も分散しなくてすむと思います。

手紙
 102201

 拝啓
 この手紙を読んでいるあなたは、どこで何をしているのでしょうか。
 今十七歳の私には、誰にも話せない悩みの種があるのです。
 なんだか何をしても負けそうで、いつだって泣きそうで、くじけてしまいそうな気持になってしまいます。私は誰の言葉を信じて歩いていけばいいのでしょうか。
 とても苦しいです。とっても苦しいです。
         敬具
 手紙の色はすっかり色あせて黄ばんでしまっている。それだけの年月が経ったのだ。感慨深いものがある。私は懐かしさと、かつての自分の幼さに、目を細めながら手紙に目を通した。
 17歳の私は、高校3年生。青春まっただ中であった。ゴールデンウィーク明けの初夏の何気ない会話。
「なあなあ、大人になったらどんなんになりたい??」
「どんなってどんなん?」
「ほら、将来の夢とかさ〜!あるやろ?!」
 友人の紗希のテンションは高い。ゴールデンウィークに彼氏とディズニーランドに旅行をしてきたピンクの空気を、そのまま教室にまで持ち込んでいる。…だるい。
「夢とか今んとこない。分らへん。」
 だるいと思ったから、そのままの調子で適当に答える。
「ない!?分らん!?なんで!?」
 なんでって、ないものに理由なんてある?ふつう。
「分らんもんは分らんねん!うっとおーしいーなあ、しっし!!」
「私の夢はなあ、トモ君とディズニーランドで結婚してえ、新婚旅行はアメリカのディズニーランド行ってえ、子どもができたら毎年ディズニーランド行ってえ…」
「はいはい、トモ君と結婚したら千葉らへんに住んで、ディズニーランドの年パスつくって毎日行けば??」
「冷たいな〜愛は〜」
 私、仲村愛はどこにでもいる普通の高校生。なんとなくただ毎日をだらだらと過ごしている。とくにきらめく青春って感じのするものも持ち合わせず、夢や希望もなく、どちらかというと、巷を騒がす不穏なニュースに失望しながら、日常に起こる出来事を眺めているような高校生だった。
 だからって、毎日が楽しくないと言えばそうでもなくて、友達とのたわいもないおしゃべりや、学校帰りの寄り道、たまに行くショッピングやカラオケ…なんだかんだ高校生っぽい遊びにも通じていたのだった。
 高校生の日常なんてこんなものだ。時の流れは、早くもなく、遅くもなく、だらだらと過ぎていく。じめっとした空気をまとって6月に入った。
 朝支度をしていると、とくに理由もなく点けているテレビのニュースの音が聞こえる。
「今月は父の日です。では、父の日にお勧めのオモシログッズを紹介しましょう…」
 私の家にはお父さんがいなかった。いわゆる、シングルマザーってやつで、幼いころから女手一本で育てられた。「だれよりも強く、優しい人になりなさい。」これが母の口癖。耳にタコができるほど聞かされた言葉だった。
 父は、私が2歳のときに交通事故で亡くなったのだという。だから私は父を知らないし、幼い私の記憶にも父の姿はない。ただあるのは、いつも笑顔の母の姿だけだ。母は昔からいつも笑っている。私は母の泣いたのを今まで一度も見たことがなかった。
 母の泣かない分、娘の私はというと、よく泣く子どもだった。泣くのが子どもの仕事、というのが本当なら、私はその辺のどんな子どもより働き者だっただろう。転んだといって泣き、お腹がすいたといって泣き、眠たいといって泣き、あれが欲しいといって泣き、泣いて泣いて、幼くて小さな私の声はかすれてしまっていた。(母はそのかすれた声が成長しても治らなかったらどうしようと悩んだそうだ。)
 母にはとても感謝していた。この年になって分ってきたが、女手一つで子どもを育てていくということは、本当に大変なことなのだ。時折見せる、疲れたような母の微笑みと、うっかり私の前でついてしまったため息は、私を何とも言えない気持ちにさせた。―私と母は似ている。― 幼いころからそんな予感めいたものが、私の心の中にずっとあった。
 よく泣いた子どもは、あまり泣かない小学生になり、絶対泣かない中学生になった。間違っても人前でなんて絶対泣かない。怒ることもめったにない。怒ったとしても、あまり表面には出さない。愛は、喜怒哀楽のうちの哀と怒だけが抜け落ちたような人間に成長していた。
「愛ってさ、あんま怒ったりしやんよなあ〜彼氏とか友達とか親とかと喧嘩しいひんの?」
 紗希がぼうっとしていた私の顔を覗き込んだ。
「ん〜?せえへんな。」
「え〜?なんで??」
「なんでって、せえへんもんはせえへんねんもん。」
「私なんてすぐトモ君と喧嘩になるけどなあ〜。メール返さんとすぐ寝たりするし!」
「しょーもな、それぐらい許したりいや。」
「だって彼女にメール返してないくせに、ほかの女の子とtwitterとかでやり取りしてんねんで?!信じられへんくない?!」
 …本当にしょうもないと思う。
 その月の第3日曜日。朝食を食べ終えた私は、本当にふと何気なく浮かんだ疑問を母に発した。
「お父さんのお墓ってさあ、どこにあんの?」
 母は突然の質問に驚いたような顔をして私を見た。唇は少し震え、顔は青ざめていた。何気なく聞いたことだったが、母の様子からただならぬ雰囲気を感じ取った愛は、母の様子を窺いながら言った。
「そういえば、うちってお盆とか彼岸とかちゃんとやったことないよな。いつもたんすの横の遺影の前にお花飾って、お線香焚いてってするだけでさあ。お墓参りとかってしたことないやんな。でも家に遺骨がないねんから、ちゃんとお墓があるんやろ?」
 母は答えてくれない。私は焦った。軽くパニックになった。
「なんか言ってや!お父さん、交通事故で死んだんじゃないん!」
「…ごめんな、愛、お母さん、ずっと愛に嘘ついとった。今から本当のこと話すから、聞いてくれる?」
 そう震える声で言った母は、私の目をまっすぐに見つめて言った。
 母は、奥の和室にある棚の引き出しから、ある一枚の紙を取り出した。私の母子手帳だった。いとおしそうに手帳を眺めながら話し始めた。
「17年前の6月14日、元気な女の子やった。嬉しくてたまらんかった。生まれてきてくれたときは涙が出た。お父さんは、お母さんが愛を産むのん、反対してたんよ。お父さんとお母さんは、結婚してへんかったから。」
 どきんとした。ナンデナンデ、ドウイウコト?
「お父さんは、お母さんより4つ年下で、まだ学生やった。結婚もできんし、子どもも産ませてあげられへんって。学生やからお金もないしね、悪いけど、あきらめてくれって言われてしまってん。でもお母さん諦められへんかった。愛を、一つのかけがえのない命を切り捨てるようなこと、絶対できひんかった。結局話は平行線をたどって、お父さんとは別れることになってしまったんやけど、お母さん、愛もお父さんのことも、両方諦められへんくって、愛を産んだ後、すぐお父さんに会いに行った。そしたら、お父さん、やっぱり今の自分ではどうしても愛を受け入れられない。お母さんを支えて、愛を育てていくだけの自信がない。だから、自分は父親になれないし、なる資格もない。自分は死んだことにしてくれ、お前たちの中で殺してくれって言うんよ。お父さん泣いてた。お母さんもその時は頭がいっぱいで、なんにも言えんくて、ただこの子を一人で守っていかなあかんって根性だけでここまでやってきた。本当はもっと早く、お父さんと会って話しておかなあかんかったことたくさんあってんけど、余裕がなくて…ううん、お母さんに勇気がなくって、今の今まで逃げてきてしまった。あなたと、あなたのお父さんから、逃げてきてしまった。そうしてるうち、いつの間にかお父さんと連絡がつかんようになってしまって、探し出せんくて…」
 私は、母の話をまるで他人事のように聞いていた。頭で理解できても、心がついてきてくれなかった。とりあえず分かったことは、私は母とともに父に見捨てられたこと、父にとって私は望まれない子どもだったこと、そして、母が今まで私を欺き通してきたことであった。
「あほらしい。」
 思ったことが口をついてでた。止まらなかった。
「いままでお父さんは、ここにおらんくても、生きていなくても、おるんや、ちゃんとおったんやって疑ったことなかった。お母さんのこと信じて疑ったことなかった。なんで、そこでお父さんの言いなりになったん?最初から反対押し切って私のこと産んだんやったら、最後まで自分の正しいと思うこと貫いてや。ちゃんと説明してくれてたら、私だって受け入れられてたと思う。お母さんが思ってるほど私聞き分け悪い子どもじゃないよ。ショックは受けるやろうけど、私なりにどうにかできた思うよ。」
 ここまで一気に言って、私の脳裏に幼いころの記憶がフラッシュバックした。母が亡き父の素敵だったことを私に嬉しそうに語る様子。私が、お母さんはもう結婚しないのって聞いた時の、お父さんよりいい人おらんよっていったときのはにかんだ母の表情…あれもこれも全部嘘だったの、私の幻想だったのか。私が勝手に思い描いていた“私の素敵なお父さん”像は一気に音を立てて崩れていった。
 ―私にお父さんなんて呼べる人、生まれたときからおらんかったんや…―
 気づいたら家を飛び出していた。飛び出してから、頭の片隅に、かわいそうな母の姿が浮かんだ。母には腹が立っているが、母は悪くない。そう思う。今も変わらず、私をここまで育ててきてくれたこと、言葉では言い表せないほど感謝している。でも、無責任だ。幼いころから思い描いてきた父の姿を思うと、そう感じずにはいられなかった。なにより今まで無条件に信頼していた母への信頼が揺るがされたのだ。家の近くの公園のベンチにふらふらと腰かけ、ため息をつく。
「私ってなんなんやろ。」そんなつぶやきが漏れた。
 どれくらい時間がたったのだろう。ぎらぎら照りつけていた太陽が、もう沈みそうになっている。赤くなっていく空を見ながら、このまま家に帰らずに放浪してやろうかとも思ったが、そんなことをしたってなにも意味がないと思ったのでおとなしく帰路についた。
 家に帰ると、母が涙を流しながら部屋の片隅にたたずんでいた。私が見た初めての母の涙だった。帰ってきた私を見て、「ごめんね、ごめんね、」と何度も言った。やっぱり母のことはこれからも嫌いになってなられへんのやろうな、と思った。
 その晩、私は手紙を書いた。誰に宛てるでもなく、ただ率直な思いを簡単に書き綴った。書いてみてから、なんだか自分が悲劇のヒロインになりきっているような感じがして気持ち悪かったが、文字にした自分の気持ちを見て、なんだかいとおしく思った。
 10年前の出来事が、一気によみがえる。かわいそうな私と母。ほっと溜息をついた。10年後の自分に助けを求めた私。もちろん返事の手紙なんてやってこないのだけど、あれから私は、自分の生きたい道を、がむしゃらに突っ走ってきた。
 自分の出生について知り、父が生きているということが分かった私は、何がなんでも父に会ってやろうと心に決めた。
 そして5年前、大学を卒業した私は、父と母の共通の友達を探しまくって、ようやく実の父と対面した。母より若いとは聞いていたものの、予想していたよりも自分の父だという人は年若に見えた。これが母の愛した人かと思うと、憎らしく思っていた人物なのに、好感が持ててしまった。それにしても、待ち合わせの駅の改札出口で会うなりすぐに土下座をされてしまったものだからたまらない。二人で喫茶店に入って向かい合った。沈黙が続く。
「母に謝ってください。」私から沈黙を破った。
「私には父親はいません。そりゃあ、あなたが父だということは分かっています。でも、いないって思ってます。私の心の中で、父親は死んでいるんです。」
 目の前の男は、つらそうに顔をしかめている。私は続ける。
「私はあなたを憎んでいます。母を悲しませたあなたを、心底憎んでいます。母と別れてから、あなたがどんな風に生活してきたのか知りませんが、幸せにここまでやってきたとしたら、本当に殺してやりたい。不幸のどん底まで落ちてしまえばいいのに、と思っています。」
 ああ、自分は実の父親になんて冷淡なんだろう。かわいそうなお父さん。
 目の前の男が言った。
「もし、今までずっと不幸だったとすれば?」
「…同情します。幸せになろうと母と私から離れて行ったのに、結局不幸だったなんて。同じ不幸なら、私たちと一緒にいてほしかった。」
 言ってからはっとした。これが私の本心だったのだ。男と目があった。なんだか泣きそうになった。
「いや、違う。そうじゃなくて、私はあなたを一切信用していません。だから、あなたが今までどんなに自分が不幸だったかということを私におっしゃられても、私には信用できません。だから、どうであれ、私はあなたを憎み続けます。」
 男は私をまっすぐにみつめて言った。
「信用してもらおうなんて都合のいいこと思ってません。ただ、今こうしてあなたを目の前にしているこの瞬間が嬉しくてたまらないのです。それが少しでもあなたに分かってもらえればそれで僕は十分だ。」
 私はどう反応していいか戸惑った。今度は、母も一緒に会う約束をして、その日は別れた。
 結局、3人が顔を合わせるのはそれから一年後、4年前のことだ。簡潔にいうと、私たちは和解した。17年間も父親のいなかった生活に、急に父が仲間入りすることは違和感がありすぎたが、でもそういうことになった。父は、母と別れてから、一度も結婚したりすることなく、一人きりの人生を歩んできたらしい。私は母が二人で力を合わせて生きてきた間、父は一人ぼっちだったのだ。私は父の空白の17年間の詳細については聞かないでおくことにした。父と母が二人で話し合ってきた日、家に帰った母の顔は晴れやかで、その顔を見ると、それでもう十分な気がしたのだ。
「あのとき、何から逃げてたんやろうな。」そう言った父の横顔には、いろいろな苦労を乗り越えてきたであろうことを想起させる、深いしわが刻まれていた。
 たった27年という短い人生をざっと振り返ってみる。本当にいろいろなことがあった。目を閉じて、深呼吸をする。目の前のペンを手に取り、便箋に文字をつづる。
 拝啓
 ありがとう。17歳の時の私に伝えたいことがあるのです。自分とは何者で、どこへ向かうべきか、ということは問い続ければ、必ず何かが見えてきます。今はとてもつらいと思う。でも、負けないで。泣かないで、前をしっかり見て。くじけてしまいそうなときは、自分の声を信じて歩けばいい。大人になった私も傷ついて、眠れない夜もあるけど、一生懸命“今”を生きています。人生のすべての瞬間には、必ず、意味があります。“今”を大切にして、恐れることなくあなたの夢を育てていってください。
 敬具
 誰に宛てるでもない手紙を、そっと引き出しの奥にしまって、私は部屋を出た。もうしばらくはここには帰ってこない。私の新しい生活が始まるのだ。
「いや、でも愛が結婚するなんて思ってなかったわあ。」
「え〜なんでよ。」
「だって愛ってなんか一人でも生きていけそうって感じするやん!」
 紗希は相変わらず能天気だ。それでもも二児の母で、それなりにしっかりとした主婦業をこなしている。
「…一人で生きていける人なんておらんよ。」
 紗希が私の顔をまじまじと見つめる。
「そうやなあ〜」
 すんごいきらきらした笑顔でそう言った。
 私は、今日、6月14日で27歳の誕生日を迎える。そして、結婚をする。相手の人は、高校時代の同級生。高校時代はあまりかかわりがなかったのだが、高校卒業後の同窓会で再開し、意気投合した。彼といると、気持ちが安らいでなんだかほっとする。どことなく自分の父に似ているなあとは思っていたが。母に初めて彼を紹介したとき、あまりに若いころの父に似てるって大騒ぎするもんだから、今ではそうとしか思えなくなってしまった。なんだかDNAって怖い。
 結婚式を終え、ぼーっと窓の外を見ていると、どこかろともなく母がやってきた。
「これ、愛が母親になったときに読んでほしいねん。」
 そういって私に白い封筒をくれた。いつ読めることになるかわからない、未来の自分に宛てられた手紙。
 やっぱり私と母は似ている。いや、私が母に似たのか。今の私の夢は、母のように幸せな生き方をすること。夢への一歩を、今日もまたゆっくりと歩いている。
 私は母からもらった手紙を、そっと引き出しの奥にしまった。
 注・本作品はアンジェラアキさんの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を参考にしました。
 

相互評価

102123

手紙を中心にしてうまく時間軸の異なる話がまとまっていたと思う。(良)
 和解があっさりすぎやしないだろうか。(悪)

102131

○よくまとまった話だと思う。
△和解までの道のりが短い。

野浪正隆

いいところ ドラマチック
 こうしたら、「かすれた声」を生かしたい。母の告白の朝に「ふと」だけではなくて、お墓の話になるための伏線がほしい。テレビに彼岸団子の映像が出ていたり、新聞のチラシに墓地の宣伝があったり、隣の家から線香のにおいがしたり。

102121

○愛の性格がよく伝わる書き方だったと思います。
△和解の経緯をもう少し書くと、家族の絆というものがよりみえてくるのではないかと思いました。

102126

○手紙 が活きていて過去・現在・未来にも思いを馳せられる素敵な小説だと思いました。
△愛の絶望に少し違和感を持ちました。あと、父親の行動も少し軽いように感じます。

102207

○手紙が効果的に使われていた。母子の関係やエピソードが詳しく書かれていて、2人の絆の強さがとても伝わってきました。
△生活に父が仲間入りしたという表現がありましたが、あっさり父を受け入れている主人公に違和感を感じました。

102127

いいところ  誰に宛てるわけでもなく、自分の率直な気持ちを手紙に書くということで、時間の流れが上手くまとまっていると思いました。
 17年間の父への思いがあるのにも関わらず、和解が成立するまでの過程の描写が少ないように感じました。また、母に父のお墓のことを尋ねることが唐突で、ここでという必要性が見えにくかったと思います。

102116

○手紙というものを中心によくまとめられている。
△すぐ和解してしまって、少し軽い印象がある。

102210

○手紙によってうまく感情やこの物語のメッセージがまとめられていてわかりやすい話でした。
△父親が歩んできた物語がないことや、あっさりとした和解により父親の存在がものすごく軽薄なものにかんじてしまった。

102205

いいところ 「手紙」が活きていて、最初から最後まで全体がうまくまとまっていると思います。
 こうしたらいいのにというところ
 父との再会から和解の間に、何かしら出来事が起きた方がよかったかなと思います。

102206

○タイトルの手紙が、小説の内容と上手くマッチしているという印象を受けました。話がまとまっていて読みやすかったです。
△和解の部分にもう少し工夫が見られればと思いました。

102204

○手紙というのがよかった。母と娘のつながりというか素敵な話だなと思った。
△結局あれだけ憎いと言っていたのに父親もあっさり一緒に暮らすのかと思った。本当の気持ちをまだ父親に伝えていない状態のままなので、和解の部分をもう少し細かく書くといいかなと思った。

102125

○手紙で始めと終わりを締めているのがいい演出だと思いました。
△ちょっと不明瞭な所があったので、父親と母親の描写などを増やすといいかもしれません。

102137

一人称で語られているので、読みやすかったです。
 いろいろと考えさせられるような作品だと思います。
 それほど憎んでいた父とあっさり同居するというのは少し唐突な感じがしました。

102114

○曲の歌詞を元に作品を作っているところがよかったです。
 また、父との再会を通じて主人公が失った怒と哀を取り戻したところもよかったです。
△最後から2段落目のところ「それでもも二児の母」になってますよ。

野浪正隆

 よいところ 語りが自然です。
 こうしたら 父のキャラが受け入れ難いです。自分だけかもしれないけれど。いい人間だけれど弱かったのが強くなった? たいていは弱いまんまなので、強くなった契機がエピソードで書かれているといいなぁ。 

鏡の世界
 102131

 「残るは、あと5人か。」
 神崎はいつもと変わらない淡々とした口調で話し始めた。この神崎という男、この男こそがこの戦いに俺たちを引きずり込んだ張本人だった。
 
 「おまえの望みを何でも一つ叶えてやる。ただし、戦え。最後の一人になるまでな。そして、生き残ったものにのみ望みをかなえてやろう。」
 俺たちの目の前に現れた神崎士郎と名乗る怪しげな男はそう言って俺たちに戦う力と戦う場所を与えた。力を得たのは自分を含めて13人。俺たちは力を手にしたその日から戦いに身を投じることになった。戦う力、それは奇妙なカードデッキだった。デッキの中のカードには不思議な力があるらしくカードに描かれた武器を呼び出し、使うことができる。また、戦う場所も不思議なところだった。
 鏡の中。
 それが俺たちの戦う場所だった。ミラーワールドと呼ばれるその世界は現実の世界を写す鏡の中の世界だ。人もいない、現実ではないためにいくら破壊しても問題ない世界。戦う場所には最適だ。ミラーワールドと現実世界を行き来できるのは力を与えられた13人と神崎のみである。一般人にはその存在さえも知ることもできない。
 それは殺し合いだった。そう、最後の一人になるまで殺し合うのだ。望みをかなえるために。俺はそんなばかばかしい戦いなんてやめさせたかった。何度も説得を試みた。でも、止めることは今のところ出来ていない。それどころか、みんなが俺を狙って戦いを仕掛けようとしてくるのだ。望みをかなえるために。みんなは戦いを続けた。
「何をもたもたしている。早く決着をつけろ。」
 神崎は残った5人に対してそう急かした。
「1週間だ。あと1週間で勝者を決めろ。さもなくば、誰の望みも叶えられん。」
 神崎の発言に蓮は焦りの表情で神崎に突っかかった。
「何だと。そんな話は聞いていない。」
「まぁいいじゃないの。俺はとっとと終わらせたいけどねぇ。」
 北岡は言う。
「俺は戦いを楽しみたいだけだ。そんなことには興味はない。」
 朝倉は凶暴な眼を光らせている。
「何でもいいから早く始めましょうよ。せっかく残りの5人がそろっているわけだし、1週間なんて言わずに今決めてしまえばいいのよ。」
 13人の中で俺が知る限りは唯一の女の霧島は早くも臨戦態勢だ。他の3人も望むところだといわんばかりにお互いをにらみつけている。決着をつけるつもりらしい。
「ちょっと待てよ。落ち着けって。」
 俺は思わず止めに入っていた。
「だいたいみんなおかしいと思わないのか?いきなりあと1週間とか言われて怪しいと思わないのか?」
「うるさい。そんなことはどうでもいい。」
 蓮はそう言って俺を突き飛ばした。
「どうでもいいって、おまえな、人の命が掛ってんだぞ。もし、神崎の話が嘘だったらおまえらただの人殺しだぞ。」
 俺は何度も言ってきた説得の文句を咄嗟に言うしかなかった。
「城戸、何度言えばわかる。俺にはもうこれしかないんだ。嘘かも知れなくても叶えるには戦うしかないんだ。俺はどんなことをしても叶えたいんだ。」
 蓮から返ってくる返事もいつもと同じだ。
「そうそう。彼の言う通りだよ。そんなにたやすく叶うものじゃないんだよ。だから俺たちは戦ってるんだよ。」
 北岡も何か大きな願いがあるようだ。
「いつまでそんな甘いことを言っているんだい。あたしにだって絶対に叶えなきゃならない望みがあるんだ。邪魔するならあんたから消すよ。」
 霧島はカードデッキを構えている。それに合わせて3人も同じくデッキを構えた。そうして4人はミラーワールドへと飛び込んで行った。あわてて俺も後に続いた。
 秋山蓮、彼が戦う理由、それは恋人の命だ。どうしても彼の戦う理由を知りたくて後をつけたことがあった。病院に入った彼は、ベットに眠りピクリとも動かない恋人にささやきかけた。
「必ず助ける。待っていてくれ。」
 俺が立ち尽くしているのを見つけた蓮はあきれた様子だったが、俺に話を聞かせてくれた。事故にあったらしい。それも蓮が運転するバイクの後ろに乗っていた時のことだったようだ。こん睡状態のまま眠り続けている。
「俺が救わなければならない。必ずだ。だから、俺は戦う。そして勝たなければならないんだ。」
 蓮の気持ちは痛いほど伝わってきた。でも、そのために他人を犠牲にしてもいいのだろうか。そう悩みながらも、ちゃんとした理由があって戦っていることは分かってほっとした自分がいた。他の奴らにもそれぞれどんな望みを叶えたい理由があるのか気になった。
 戦いは激しさを極めた。お互いに傷つけあい、ぼろぼろになりながら戦い続けている。
 どうやら、霧島は朝倉を狙っているらしい。
 朝倉武は指名手配中の犯罪者だ。いくつもの殺人を犯し、逮捕されるも脱獄をくり返してきた男である。この男が戦いに参加する理由はおそらく、ただ戦いたいというだけだ。人を痛めつけ、殺すことを楽しんでいるように見える。凶悪犯という言葉が一番お似合いだ。
 その朝倉に向かっていく霧島は朝倉を狙っているようだった。顔を合わせれば朝倉に飛びかかっている。しかし、朝倉は強い。女の霧島では力の差があり過ぎる。だが、霧島は何度も何度も朝倉にいどむ。
「朝倉ぁ。お姉ちゃんの敵。」
 霧島は叫びながら朝倉に向かっていった。どうやらこの二人には何か因縁があるらしい。
 俺は何とか止めようと割って入るものの、何もできなかった。そして、
「俺の楽しみを邪魔するな。おまえから先に消してやろうか。」
 朝倉が俺のほうへ向かって来た。その時、武器が消え始めた。
「ちっ!時間切れか。運のいい奴め。」
 朝倉はミラーワールドを出て行った。
 ミラーワールドでは、一定の時間がたつと生き物が存在できなくなってしまうのだ。武器が消えていくのが時間切れの合図だ。その合図を無視してしまったら、存在を消されてしまい、二度と現実には戻れなくなるのだ。
 ミラーワールドを飛び出すと、朝倉はいなくなっていたが、ほかの3人は俺と同様にミラーワールドを出てきたところだった。
「なかなか決着はつかないもんだねぇ。ま、いいけどさ。」
 そう言いながら歩き出した北岡がその場に倒れこんだ。
「おい、だいじょうぶか!」
 俺がかけよると、
「触るな!なんでもない、少しつまずいただけだ。」
 そう言って追い払った。その時、
「おまえ、病気を抱えているのか?」
 蓮が問いかけた。
「ああそうさ。俺は病気を抱えながら戦っている。俺が戦う理由もこれってわけ。」
 北岡はすんなり白状した。俺が
「そんな体で戦って大丈夫なのか?」
 と聞くと、北岡は
「ご心配なく。さっきの戦いを見ればわかるだろ。」
 と答え、さらに付け足した。
「あぁ、それから俺が病気だからって手加減なんかするなよ。そんな奴はすぐに消してやるからさ。」
 そう言って北岡も去って行った。
 北岡秀一。彼は弁護士だ。それも超敏腕らしい。彼が弁護につけば裁判に負けることは無いといわれている。そんな富も名声も持っている男がなぜ戦いに参加しているのか、疑問に思っていたが今日その訳を知ることができた。おそらくは不治の病なのだろう。金では買えないもの、命を手に入れようとしているのだ。
 俺は鏡の前に横たわる霧島に目を向けた。
「おい、だいじょうぶかよ。」
 そういって手を差し伸べたが、
「触るな!」
 そういって手を払われた。
 霧島美穂。こいつは厄介な奴だ。なんと結婚詐欺師らしく、たくさんの男から金を巻き上げているらしい。俺自身も誘惑されて危うくカードデッキを盗まれるところだった。ただ、俺はさっき聞いた「お姉ちゃんの敵」というやつの言葉が気になっていた。
「おまえ、さっきお姉ちゃんがどうとかいってたな。どういうことなんだよ。」
「うるさい!お前には関係ない。」
 そう言って立ち去ろうとする霧島に蓮が問いかけた。
「おまえ、いつも朝倉を狙ってるな。そのお姉ちゃんとやらに関係があるんじゃないのか。」
 霧島は図星だったようで、俺たちに話し始めた。
 霧島の望みは死んだ姉を生き返らせること。そして、死んだ姉は朝倉に殺されたのだった。朝倉の殺害の動機はただ暇だったからというものだったらしく、彼女の姉は巻き込まれだけであった。そんな朝倉を許せるはずもなく復讐に燃えていたところにこの戦いへの誘いを受けた。都合良く朝倉もいる、そしてお姉ちゃんも生き返らせることができる。まさに一石二鳥だった。しかし、生き返らせるにはもう一つ条件があった。それは生き返らせる人物の死体だった。もちろんそのまま置いておけば腐ってしまう。そこで、死体を冷凍保存しなければならない。だが、それには多大な金が必要だった。彼女はそのために結婚詐欺をしていたのだった。
「私は必ずやる。朝倉を倒し、お姉ちゃんをすくってみせる。」
 そう言って彼女はどこかへ消えていった。そして、蓮も
「そういうことだったか。だが、俺には関係ない。俺にも叶えなければならない望みがあるからな。城戸、お前もわかっただろう。俺たちは絶対に譲れないものを背負って戦っているんだ。お前が何を言っても俺たちは止まらない。もし邪魔をするなら俺もお前を消すぞ。生き残りたければおまえも戦え。」
 そう言い残して去って行った。
 朝倉は例外として、ほかのやつらは命を求めていた。大切な人のため、自分のために命がけで戦っているんだ。そう思い知らされた。でも、と俺は思う。やっぱり自分の目の前で人が殺しあっている姿なんて見たくない。他人の犠牲を払ってまで、自分の願いをかなえることが許されるのか。
「止めなきゃいけない、こんな戦いはもう終わりにしなくちゃいけない。」
 そう心に誓った。そして、あることを思い出した。
 コアミラー、それはミラーワールドの核ともいえるもので、ミラーワールドの頭上にいつもみえるものだ。そして、このコアミラーを破壊すればミラーワールドは消滅するらしいのだ。消滅してどうなるかはわからないが、戦いは終わる。もう、殺し合いなど起こらない。俺はコアミラーを破壊することを決めた。
 俺はさっそくミラーワールドに行こうと鏡の前に立った。そこへ、
「城戸ようやく戦う気になったか。それでいい、俺とたたかえ!」
 蓮が現れた。
「違う!俺は戦いを止めるんだ。俺はコアミラーを消す。全部終わらせるんだ。もう誰も傷つくのを見たくないんだよ。」
「何だと!俺の望みを知らないわけじゃないだろ!ほかの連中もそうだ。そんなことは許さん。俺は勝たなくてはならないんだ。どうしてもお前がやるというなら俺がおまえを消す。」
 そうやって揉めているとほかの3人もやってきた。
「何いってくれちゃってんの。そんなことされたら困るって。」
「そうだ。俺の楽しみを奪うな。」
 そう言って北岡と朝倉に突き飛ばされた。
「それからさぁ、あと1週間しかないからさ、手っ取り早く消していこうってなったわけよ。つまり俺らとりあえず手を組んでおまえらさっさと消すことにしたからさ。」
 北岡が言うと、
「そうだ。あたしは必ず勝たなきゃいけないんだ。」
 霧島も続いた。
「3人同時に消えてくれるなら楽にすむな。」
 蓮はもう臨戦態勢だ。
「城戸、俺は戦う。たとえ一人でもな。そして、必ず勝つ!」
 4人は鏡に消えていった。
「おい!ちょっと待てって」
 慌てて俺は後を追いかけた。
 俺は実は神崎からカードデッキを受け取ったわけではない。つまり俺は選ばれた13人の中の一人ではない。俺は偶然カードデッキを拾い、この戦いのことを知った。蓮は俺がカードデッキを拾ったときにこの戦いについて教えてくれたやつだ。蓮は俺からカードデッキを取り上げるつもりで俺に教えたようだが、俺はそのカードで戦いを止めることにした。そんな俺を時には助けてくれたりしたのが蓮だ。俺は蓮がいなければ間違いなく消されていただろう。俺も蓮を助けたい。今度は俺が助けてやる。
 すでに戦いは始まっており、激しさを極めていた。3対1なのでやはり蓮は苦戦を強いられているようだった。俺はすぐに蓮のもとへ行き、援護した。
「どけ!助けなどいらん!」
「無理すんなよ。仲間だろ?」
「俺とおまえが仲間だと?勘違いするな。こいつらを倒したら次はおまえだ。」
 そう言っていると、
「何よそ見してんの。隙だらけだよ。」
 北岡の攻撃だ。
 俺は吹っ飛ばされた。そこへ、朝倉が迫ってくる。
「終わりだ。死ね。」
 終わった、そう思い目をつむった。しかし、何も起きない。目を開けてみて驚いた。蓮だ。
 蓮は俺の身代わりになって朝倉にやられた。蓮はその場に崩れ落ちた。
「蓮!おまえ何やってるんだよ!俺は敵なんじゃなかったのか。」
「……仲間……なんだろ…俺たち…。」
「……バカ野郎!!」
「…城戸…頼みがある。…戦ってくれ……俺の代わりに…戦って…くれ…。」
 蓮は息を引き取った。
「…何で…何でだよ……レーーーン!!」
 空を見上げる。コアミラーだ。あれだ、あれさえ壊していればこんなことにはならなかった。
 俺は立ち上がった。
「コアミラーを破壊する。こんなこともうたくさんだ。……でも、…でもいいのか?これで。確かにコアミラーを破壊すればすべてが終わる。でもいいのか?それじゃあ蓮の意志はどうなる。蓮は俺に願いを託した。俺を仲間と認めてくれたんだ。俺はそんな蓮の気持を無視してもいいのか?」
「おまえもすぐに消してやるよ。仲良くな。」
 そう言ってまたやつらが迫ってくる。
「蓮の意志、やつらの望み、本当にいいのか?すべてを消してしまってもいいのか?俺は……俺はどうすればいい……俺は。」
 *この物語の結末はあなた自身で決めてください。主人公、城戸信二がどういう選択をし、どのようになったのか。また、自分ならどうするか、考えて決めてください。
 

相互評価

102123

命の取り合いの緊迫感が文章から感じられる。(良)
 完結していない。(悪)

野浪正隆

 いいところ 物語世界の設定が面白い
 こうしたら 設定で終わっているので、事件を描くべきです。

102121

○複雑なように見えて登場人物が関連付けられているところ。
△蓮の心情をもう少し知りたかったです。

102126

○設定が凝っており登場人物も多様で興味をひかれる内容でした。
△城戸の意志が弱いように思います。続きも読みたかったです。

102127

いいところ  命の取り合いという設定、ミラーワールドという舞台設定など、とても面白い工夫がなされていると感じました。
 結末を読者に投げかける必要性がやや見えにくい。やはり、結末も描いてみるとよかったかと思います。

102116

○設定が斬新で興味深い
△結末がほしかった。

102210

○設定が仮面ライダー龍騎?に似ているが、それをうまく利用して、シリアスなムードを作り上げている。それぞれの目的なども書かれていて登場人物がうまく描かれていたと思います。
△物語の結末を自分で決めるとしても、もっと結末にいってからでないと自由すぎる気がします。

102206

○タイトル・書き出しからして、興味をひかれました。設定も面白く、終始楽しく読めました。
△最後の結末を考えさせるのは斬新で面白いと思いますが、わざわざ述べる必要はないと思います。
 

102205

いいところ  人物設定がしっかりしていて、この人たちがどうなってしまうのか、興味深い作品だと思います。
 こうしたらいいのにというところ
 設定はしっかりしているのに、話がなかなか動き出さなくてもどかしい感じがします。

102204

○ストーリーがおもしろい。会話文も工夫されていて、感情が文章で表わされているなと思った。
△最後の結末を読者にゆだねるのはいいが、そう思わせる表現をしたほうがよかったと思う。いきなり、小説と切り離された気がする。

102125

○設定が変わっていておもしろかったです。また最後を読み手に任せるのが斬新でした。
△ラストを読み手に任せるなら、もうちょっと主人公に寄り添えるように何かしらの工夫がいるような気がします。

102114

 ◯人物設定がしっかりとされておりキャラクターのそれぞれの個性がしっかりと描かれていて良かったです。
△結論というより展開から予想しなければならないように思います。
 これだけの人数が残っていたら1,2回では終わらないでしょうし。

水曜ブイヤベース
 102205

 水曜日は、家に帰らない。
 正確に言うと、自分の家には帰らない。
 私は毎週水曜日、学校が終わったら電車に乗って、二駅で降りて、大きな川に架かる橋を渡った先にある背の高いマンションの十二階、エレベーターを降りてすぐの灰色の扉の家に帰る。ここは征二郎さんの家。征二郎さんっていうのは、私のパパの弟。つまりは私の叔父さん。
 ふわふわしたウサギのキーホルダーがついた鍵でガチャって扉を開くと、部屋の奥から良い香りが漂ってきた。野菜がぐつぐつ煮詰まった感じ。今日の晩御飯はポトフかなあ。ローファーを脱ぎながら「ただいまー。」って言うと、部屋の奥から野菜の香りと一緒に「おかえりなさい、菊ちゃん。」っていう声が聞こえてきた。ああ、なんだかあったかい。征二郎さんの家は、いつもあったかい。小学生の頃、「征二郎さんの家はあったかいね。」って言ったら、征二郎さんは「エアコンと、加湿器のおかげですね。」って言って笑った。ううん、そうじゃなくて、そうゆうことじゃなくって、って言いたかったけど、このあったかさをどうやって説明したらいいのかわからなくって、そのときは何も言えなかった。中学生になった今でも、このあったかさを言葉にすることはできないまま。子供って嫌だなあ。上手く言葉にできなくて、飲み込む気持ちが多すぎる。
 「菊ちゃん、今日はポトフです。バゲットもあります。駅前のパン屋さんで買ってきました。あと、サラダも作ろうかと思うのですが、何のサラダがいいですか?」レタスを片手に、征二郎さんがキッチンからひょっこり顔を出した。パパとはあんまり似ていないし、イケメンっていう感じでもない、地味な顔。眼鏡をはずしたらもっと地味。確か三十代半ばだったと思うけど、四十代のおじさんに見えるときもあれば、二十代の若者みたいに見えるときもある。不思議な人だ。背が高くて細身だから、紺色の長いエプロンを付けて立つ姿は、ちょっぴりカッコよく見える。
「えっと…トマト、トマトが食べたいなあ。トマトある?」そう答えながら、私は冷蔵庫の野菜室をのぞく。他人の家の冷蔵庫を許可なく開けるなんて、普通はしない。でも、征二郎さんの家では、いつものこと。
 「あった、トマト。トマトたくさん入れよう。私が作るね。」慌ててリビングのソファの横に鞄を置いて、カーディガンの袖をまくりながら洗面所まで走って行った。手を洗ってうがいをして、また走ってキッチンまで戻る。バタバタ走り回るなんて、子供っぽいからやめなさいって、ママなら言うかな。征二郎さんはそんな小言なんて言わずに、ポトフの鍋の様子をじいっと見ている。
 キッチンの壁に掛けてある私専用のエプロンを付けて、野菜を洗っては切る。洗っては切る。たいてい、サラダを作るのは私の役目。ほんとは他の料理も作れたらいいなって思うんだけど、料理が趣味の征二郎さんを邪魔しちゃダメかなって思って、サラダくらいしか作らない。というか、征二郎さんが作った料理はいつも最高に美味しいから、なんだか恥ずかしくて作れない。キッチンの棚には色んなスパイスとか、ビネガーとか、料理用のお酒とか、様々な調味料が並んでて、とてもじゃないけど男の人の一人暮らしとは思えない。一人で毎日こんな美味しい料理を作って食べて、何が面白いんだろうって考えて、ふと、そういえば征二郎さんって結婚しないなあと思った。結婚したら、お嫁さん大変だろうなあ、と未来に出会うかも分からない人に同情してしまう。
「そういえば、征二郎さんって、結婚しないの?彼女とか、いないの?」レタスやキュウリの上にトマトを盛り付けながら、さりげなく聞いてみる。女子中学生は、恋愛の話が大好き。今日の昼休みも、友達と恋バナで盛り上がった。
「まだ結婚しないの?って、菊ちゃんにまで心配されるようになってしまいましたか。菊ちゃんも大きくなりましたね。僕の心配をするようになるなんて。もう、親戚のおばさんみたいですね。」征二郎さんはそう言って笑った。「生まれたときから知っている姪っ子が、もうおばさんみたいになってしまうなんて、時の流れは速いもんですね。」と困ったような顔をして笑った。
「おばさんって…まだ中学一年生なのに。そっちだって、そっちこそ、おじさんのくせに。」と反論しながら、ああ上手くかわされてしまったなと気付いた。
「さあ、ポトフがいい感じに出来上がりましたよ。まだ少し時間は早いですが、食べましょうか。菊ちゃん、スプーンとフォークを出しておいてください。」ああ上手くかわされてしまったな。つまんないなあ。
 晩御飯を食べる時は、いつもテレビを点けない。一人で食べるときは、つい点けてしまうけど、征二郎さんと話すのは、テレビを観るより面白いってことを、小学一年生の頃から知っている。誰かと一緒に食べるご飯が美味しいってことを、小学一年生の頃から知っている。野菜なんて、昔は大っ嫌いだったけど、料理上手の叔父さんと毎週水曜日にご飯を食べ続けたおかげで、今では好き嫌いなく、何でも食べられるようになった。
「菊ちゃん、ポトフってどこの国の料理か知っていますか?」料理が趣味の征二郎さんは、色んな国の、色んな食べ物を知っている。
「ええ、どこだろ?わかんない。ヨーロッパのどこかかなあ?」
「はい、フランスです。フランスの家庭料理で、こうやって大きく切った野菜とお肉をぐつぐつ煮込んだ料理のことを、ポトフっていいます。ドイツにもポトフと同じような料理があるみたいですね。ポトフって聞くと野菜とお肉のスープみたいな感じになっていますが、もともとは野菜やお肉を水から煮込んで、スープは味を整えてそのままスープとして、野菜やお肉は取り出してお皿に盛って、マスタードなんかを付けて食べるそうです。」
「へえ、こういうスープのことなんだって思ってた。フランス料理なのね。ねえ、征二郎さん、フランス行ったことある?」
「一度だけあります。パリに行って、エッフェル塔とか凱旋門とか見て、あとルーヴル美術館にも行ってきました。あの有名な、『モナ・リザ』のある美術館です。オペラも観ました。言葉はそんなに聞き取れませんでしたが、すごい迫力で。街並みもおしゃれで、うろうろ散歩するだけでも楽しめましたよ。」少しうっとりして話す征二郎さんを見ていると、パリに行ってみたくなる。こんな地味なおじさんをうっとりさせてしまえるなんて、すごいぞ、パリ。
 「そういえば美恵子さんは、今フランスに行っているのではありませんか?どのあたりでしょうかね。やはり、パリですかね。」そう言いながら、壁に貼ってある世界地図を眺めている。そんなの見たってママの所在地は分からないだろうに。
「うん、今回はフランスだってさ。来週末には戻るって。フランスのどこかまでは聞かなかったけど…」
「兄さんは来週からアメリカでしたっけ。また美恵子さんと会えずに旅立つんですね。」
「うん。あの二人、ほんとすれ違ってばっかりだよね。そんで毎回寂しい寂しいって言って…それでも仕事があったらどこへでも飛んで行くんだから。変な夫婦だよ。」自分の親のことだけど、なんだか呆れてしまう。
「どちらも海外での仕事が多いですからね。仕方ないけど、やっぱり寂しいんですね。」
「……私のことはほったらかしていくくせに、なんて、別に思わないけど。」そう言って、ふふって笑った。無理してるとかじゃなくて、ほんとに笑えた。不思議なもので、仕事が忙しい両親のもとに産まれ、家族三人で一緒に晩御飯を食べることなんて月に一回あるかどうかってくらいなのに、私はちっとも寂しくない。パパのことも、ママのことも、好き。仕事を頑張っている二人のことが好き。だから、会えなくて寂しいとか、かまってくれなくて悔しいとか、そんな風に思うことはない。むしろ、物心ついたころからこんな生活だから、これが普通っていうか、当たり前のことのように思ってる。
 毎週水曜日に征二郎さんの家に泊まるようになったのは、小学一年生の頃。私が学校に通うようになって、子育てに時間や手間がかからなくなってきたからって、ママは本格的に仕事に復帰した。今考えたら、小学一年生が「子育てに時間や手間がかからない」年齢だとは思えない。私ってば、しっかりした一年生だったんだな。それか、ママが信じられないほどお気楽な母親だったのか、どっちかだ。
 「毎週水曜日は征二郎さんの家に帰る」っていうのは、パパとママが相談して決めたことらしい。一週間のほとんどを一人で過ごす娘のことを、さすがにかわいそうに思ったみたい。日曜日は両親の仕事が休みになることが多かったから、寂しさがピークに達するであろう、週の真ん中である水曜日を叔父さんと過ごす一日に設定したらしい。ちょうど征二郎さんの家はうちから近かったし、学校からも近かった。何度か会ったことのある叔父さんだし、きっと懐くだろうってことで、征二郎さんに頼んだそうだ。こういう経緯は、全部征二郎さんから教えてもらった。征二郎さんは大事なことを、包み隠さずにちゃんと教えてくれる。両親の馴れ初めとか、私が産まれたときのこととか。多分、だから私は、両親のことを嫌いにならずに済んだのかもしれない。愛されているってことを、ちゃんと教えてもらえるから。
 初めて征二郎さんの家に行った日のことは、今でも覚えている。初めて会ったわけでもないのに、お互い緊張して、あんまり上手く話せなかったんだ。二十歳以上も年上のはずなのに、征二郎さんはなぜか私に対して敬語だった。緊張しすぎて敬語になってしまったらしい。変な人だ。さらにおかしなことに、すっかり仲良くなってからも征二郎さんは敬語のままだ。
 ああ、懐かしいなあーって思って、ふと気づいた。もう、六年以上も征二郎さんと一緒にいるのか。けっこう長いなあ。この先、このまま、ずっと、毎週水曜日は一緒にいるんだろうか。十年、二十年、って、続くんだろうか。……いや、続かないんじゃないかな、と思って、少し不安になった。
 「行ってきまーす。」「いってらっしゃい。また来週。」なんていういつものやり取りをして征二郎さんの家を出ると、朝の風が冷たくて、ああもうこんな季節か、と少し憂鬱になった。くるっと後ろを振り返ると、征二郎さん家のマンションが、すらっと高く伸びている。「毎週水曜日は征二郎さんの家に帰る」っていうのは、私にとっては当たり前のことだけど、世間的にはそうじゃないのかもしれない。友達の誰も、同じようなことをしている子はいない。征二郎さんにとっては、どうなのかな。迷惑じゃないのかな。もう小学生じゃないんだし、一人で寂しいなんてことはないだろうって、思っているかな。もうご飯だって一人で作れるし、掃除、洗濯、学校の宿題だって一人でできるんだから、毎週来る必要なんてもうないだろうって、……思ってるのかな。征二郎さんは優しいから言わないだけで、本当は私が来ることを面倒に思っているかもしれない。
 突然、ものすごく不安になった。小学校を卒業し、中学校に上がるとき、「菊ちゃんももう中学生ですね。中学生になっても、毎週、うちに来ますか?」と尋ねてきた征二郎さんに、「うん、来るよ。だって征二郎さんの作ったご飯好きだもん。」って軽々しく答えてしまった。中学生になるっていう自覚があまりなかったからか、毎週征二郎さんの家に来ることは私にとって当たり前のことだったからか、そのとき征二郎さんがなんでそんな改まったことを尋ねてくるのか分からなかった。でも、今冷静に考えてみて、不安になった。もしかしたら最初は、小学校六年間だけっていう話だったのかもしれない。それが、こんな風にだらだら続いてしまったら、中学校三年間…高校三年間…って続いてしまって、一体いつ終わるんだ?ってことになってしまう。そうだ。永遠に続くわけないじゃないか。私はこれからどんどん大人になっていくし、征二郎さんだっていつか結婚とかするかもしれないし、そうなったら、こうやって毎週泊まりに来るなんてことはできないだろう。あったかい家も、美味しいご飯も、一緒に過ごす穏やかな時間も、全部ぜんぶ、永遠じゃない。いつかは、終わっちゃうんだ。いつか、いつか、私と征二郎さんの水曜日が、終わっちゃうんだ。
 次の週の水曜日、私は征二郎さんの家に行かなかった。
 どうして行かなかったのかは、自分でもよく分からないけど、意地っていうか、なんていうか、征二郎さん抜きの水曜日がどんなものか、試してみたかったのかもしれない。いつか終わってしまうんだとしたら、一人で過ごす水曜日がどんなものか、知っておいた方がよさそうな気がしたんだ。とにかく、学校が終わると、まっすぐ自分の家へ帰って行った。征二郎さんには、
「今日は、自分の家に帰ります。ごめんなさい。」ってメールを送っておいた。突然送られてきたこんな短文じゃ全然意味分からないだろうけど、これ以上の言葉は思いつかなかった。絵文字も、顔文字も、なんにも使わなかった。どれも、今の気分には合わない。征二郎さんからは、
「わかりました。気を付けて帰ってくださいね。」とだけ返事がきた。もっと心配されると思っていたから、拍子抜けした。なんだ、やっぱり、思ってた通りだ。征二郎さん、私が来なくてほっとしているんじゃないかな。
 冷たい鍵で冷たいドアを開けると、玄関からリビングまで真っ直ぐ、真っ暗な廊下が続いている。パパは昨日から出張だし、誰もいないことは分かっているけど、「ただいまー。」って言う。誰かいる・いないに関わらず、「いってきます」と「ただいま」はちゃんと言う。いつものことだ。自分の部屋に鞄を置いて、制服から部屋着に着替え、キッチンに向かう。うちの家のキッチンは、広くて、物が少なくて、すっきりしている。ママは料理をしない人だし、私も大したものを作れないから、我が家の調理器具は、必要最低限のものだけ。
 「うーん、今日は何を作ろうかな。」家では、独り言が多くなる。鼻歌も、多くなる。返事はないけれど、大きなテレビや大きなダイニングテーブル、大きなソファや大きな観葉植物には、きっと聞こえてるんじゃないかなって思う。
 晩御飯には、うどんを作った。スーパーで売っている袋入りのうどんよりも、冷凍うどんの方が好きなので、うちの冷凍庫には常に冷凍うどんが入っている。あったかいうどんにたっぷりのネギと卵をのせると、かなり美味しそう。うどんとか、パスタとか、麺類は上手に作れるようになった。学校のお弁当も、毎日自分で作る。コンビニとかで買っちゃう日もあるけど、たいてい毎日料理しているから、ママよりも、友達よりも私の方が料理上手だという自信がある。掃除も洗濯もけっこう好きだし、私ってばいいお嫁さんになるんだろうなあ、なんて。
 「いただきまーす。」と言ったあとで、ふとチャンネルを手にとって、テレビを点けた。バラエティ、野球中継、子供向けのアニメ、どの番組を見ても、ピンとこない。番組表を確認してみたけど、この時間帯は知らないタイトルの番組だらけだった。
 テレビの声が部屋中に響く。でも耳には入ってこない。そのままぼんやり画面をながめて、
「私、何やってんだろう。」と、ぽつりとこぼした。
 テーブルの上のうどんに目を落とすと、あったかい湯気がほっぺたに当たって、なんだかじんわりと痛い。
「菊ちゃん、驚きです。今日聞いた話なんですが、冷凍うどんには、タピオカが入っているそうです。」いつか、征二郎さんが言っていたことを思い出した。ジュースとかに入っているあの真ん丸なタピオカが、どうやってうどんと結び付くんだって二人で大騒ぎして、調べてみたら、冷凍うどんの弾力を保つためのデンプンとして、タピオカを使用することがあるという話だった。こんなくだらないことで大騒ぎして、笑って、私と征二郎さんって馬鹿だよなあ。征二郎さんなんて、三十代のおじさんにもなって中学生の姪っ子とくだらないことばっかり言って、ほんと馬鹿だなあ。征二郎さん、今頃何してるんだろう……。
 「征二郎さん、今日の晩御飯は何作ったのかな。」もしかして、もう二人分作っちゃってたかな。
 「征二郎さんも、一人でご飯食べる時はテレビ点けるのかな。」それで、今日は知らない番組だらけで驚いたかな。
 「征二郎さん、今日は一人で寂しいって思ってるかな。」私は、寂しい。すごく寂しい。征二郎さんのいない水曜日は、やっぱり、すごく寂しい。
 たぶん、このまま一生会わなくたって、死ぬわけじゃないし、困ることなんてない。実際、月・火・木・金・土・日はなんの不自由もなく暮らしている。他の曜日だったら、征二郎さんなんていなくたって、寂しくない。でも、水曜日だけは違う。水曜日は、あのあったかい家と、美味しいご飯と、優しい叔父さんがいなくちゃ、ダメだ。永遠に続くわけじゃないっていうのは、分かってる。征二郎さんにとっては迷惑かもしれないってことも分かってる。でも、六年間ずっと続いてきた時間は二人のものなんだから、こうやって私が一人で終わらせてしまうのは、あまりにも勝手すぎると思う。
 一人で勝手に不安になって、意地をはって、私、何やってんだろう。征二郎さんの気持ちなんて考えたって分かるはずもないのに。大人ぶって一人でも大丈夫とか思って、私、何やってんだろう。知りたいならば聞けばいい。「毎週水曜日に姪っ子がやって来るのは迷惑ですか」って、思い切って聞いちゃえばいい。征二郎さんなら、きっとちゃんと答えてくれる。私が知りたいことは何でも、隠さずに教えてくれる人じゃないか。
 次の週の水曜日、私は家に帰らなかった。自分の家には、帰らなかった。
 学校が終わったら電車に乗って、二駅で降りて、大きな川に架かる橋を渡った先にある背の高いマンションの十二階、エレベーターを降りてすぐの灰色の扉の家に帰って行った。開けると中から、良い香りが漂ってきた。今日は海の匂いがする。魚料理かな。魚介類を煮込んだ匂いだ。小さく息をすって、
「ただいまー。」って声を響かせたら、部屋の奥から「おかえりなさい、菊ちゃん。」という優しい声が返ってきた。ああ、あったかい、いつもの水曜日だ。
 

相互評価

102208

○読んでいてとてもほっこりするような優しい文体と優しいお話でした。「水曜日」にもしっかり意味があって、タイトルや、本文中でも効果的に作用していました。
 なぜか敬語が抜けない征二郎さんも、いろいろと考えてもんもんとする菊ちゃんも、インパクトがあるわけではないですが、物語とマッチした登場人物だと感じました。
△征二郎さんの家に帰らなかった水曜日とそれ以降が少しあっさりしているかなと感じます。もっと読んでみたいと感じました。

102131

○心温まるような話を登場人物が作り出している。
△出来事がはっきりしていないので、淡々とした話になっている。

102121

○中学1年生らしい考え方が描かれていて、ほほえましかったです。
△展開が少し穏やか過ぎる気がしました。

102126

○温かな雰囲気のいいお話だなと思いました。設定も日常を描くようでありながら中々思いつかないものだと思います。
△両親との関係や征二郎さんとの六年間が作中に生きていればもっとよかったと思います。

102127

いいところ  一度、自分の家で水曜日を過ごすことで、征二郎さんと過ごす水曜日の温かみを知ることができた様子が上手く描かれていると思いました。
 敬語の征二郎さんはとても優しいんだろうなという印象を受けました。料理の描写もよかったです。
 もう少し時間の流れとともに話を書いてみると、思春期に入ったときの菊ちゃんと征二郎さんの関係性が描かれ、より面白くなるのかなと思いました。話の盛り上がりどころがほんの少し弱いような気がしました。

102207

○魅力的な登場人物で、全体からあたたかさが伝わってきました。
△征二郎さんと菊の過去のエピソードをもっと盛り込むと、二人の深いつながりが見えてくると思います。

102137

心が温かくなるようなお話でした。
 お互いがお互いを思いやる心が伝わってきて、やさしい気持ちになりました。
 その後二人がどうなったのかを、時間の壁を隔てて語ってもいいのかなと思いました。

102116

○ 温かい雰囲気で読みやすかった。
△もうすこしインパクトがほしい。

102206

○書き出しが良いと思いました。最初の段階で疑問が持てるので、目的を持って読むことができました。
△物語の出来事をもう少し鮮明に描くと良いと思います。

102114

○登場人物の人物像が面白く描かれているなと思いました。
△水曜日に行かなくなったことに何かきっかけがあるといいかなと思います。

102210

○少し変わった設定なのに、あったかい雰囲気のおかげでそれを受け入れられる話であった。
△平坦な話であったのと、なぜ征二郎さん側からみた菊ちゃんがどう見えたのか気になりました。

102204

○ほっこりしました。素直な主人公の気持ちが表れていて良かった。
△主人公が征二郎さんの部屋があったかい理由が説明しにくいというのはわかったが、読み手にはいまいち伝わらないので部屋の様子を書けばよかったかなと思います。

野浪正隆

いいところ 心理描写が自然で、人物の設定も自然で、リアルでした。
 こうしたら 征二郎さんに女性の影が見え隠れしたのも水曜日に行かなかった理由というのはどうでしょう。いずれ無くなる関係だから余計に今を大事にしたいという方向で。

俺の世界
 102114

 ああ、人間ってなんてつまんねぇ生き物なんだ。今日のけんかだってそうだ。あいつがちょっかいかけてきたからちょっと構ってやっただけなのに泣いちまうし。べつに俺は泣かせるつもりなんて全然なかったのに。そのくせ生活指導の石松は俺の言い分なんか全く聞かずに俺が悪いって決めつけるし。どうせ家に帰っても母さんから叱られるんだろう。母さんも絶対に俺の言い分なんか聞いちゃくれねえ。
 そんなことを思ってたらポツン、ポツン、ポツポツと雨まで降ってきやがった。空が泣いてる。そんなどっかのセンチメンタリストの言葉なんか知ったこっちゃねぇ。泣きたいのはこっちのほうだ。よりによって折り畳み傘をかばんに入れてない日に限って降りやがって。しかも、いつもの部活用エナメルバックじゃなくて布のかばんで来てる日に限って。
 ああ、何もかもがうまくいかねぇ。先週のバスケの試合も石田が全然パスをよこさねぇからほとんどシュートもできずに終わったし、一昨日の委員会でも俺の意見は通らなかったし、あいつは優しくしてやってもつれない態度だし。ああ、本当に人間ってつまんねぇやぁぁぁ、痛っ。そんなことを思いながら走ってたら思いっきり滑ってこけちまった。後頭部には優しさを失った小石と冷たい草のお出迎え。顔には温もりを忘れた残酷な雨が次々といらっしゃいませ。ああ、ほんとやになっちまうなぁ。
 しばらくそのまま寝ころんでた。もう起きる元気も出なかったし。でも、これ以上かばんを濡らしたくないから起き上がろう。お〜いしょっと…………ってなんじゃこりゃ。目の前には壁。かと思って見上げたらどうやらビルだったようだ。おいおい、さっきまで優雅な帰宅をしていたはずなのにいったいどうしちまったんだ。雨に濡れながら思いっきりこけたくせして優雅は自分でもないと思うが、にしてもこのビルはどうにもおかしい。だが俺には都合がよかった。ちょうど雨宿りできる場所がほしかったんだ。こんなばっちりなタイミング、孔明でも用意できなかっただろう。周りを見回すと右手の方にドアが見つかった。よし、さっさと入っちまおう。ひょいっと起き上がってささっとドアまで走った。
 濡れた手で握ったドアノブは屋根もないのになぜか濡れてなかった。おぬし、できるな、と一言ドアノブを褒めつつ中に入ると、そこには柱、柱、木材、柱、木材、とまぁ簡単にいえば何もない空間が広がっていた。ちぇっ、つまんねぇな。とはいえ身体の安全が保障されたので次はかばんの中身だ。絞れそうなぐらいに濡れたかばんから出てきたのは「だったもの」ばかりであった。教科書、だったもの。ノート、だったもの。参考書、だったもの。雑誌、だったもの。おいおい、ほんとに洒落にならねぇよ。ノートは俺の考えた回路図たちが踊り狂っていたのが、なんということでしょう、ふとったミミズの舞踏会に。毎日毎日開いてたから閉じても花のように広がっていた参考書は、なんということでしょう、雨の攻撃から身を守るダンゴムシのようになっていましたとさ。もう怖くないぞと開いてみても、そこには未知の言語が広がっただけでした。……ああ、もう最悪だ。俺の今までの研究が、水の泡、というより水たまりになっちまった。ほんとになにもかもが上手くいかねぇ。こんな世の中やってられっか。
 そんなことを考えていると、
「どうかしましたかな。」
「うおおおお。」
 予期せぬ場所から予期せぬ声を聞いたら誰しもこんな声が出るだろう。べつに怖かったわけじゃないぞ。とにかく、なぜか後方から声がしたので振り向いてみれば、そこにはいかしたジェントルマン。英国紳士の恰好をした、いかにもナイスミドルという言葉が似合いそうな男がこちらを見て微笑んでいた。どこから来たのか、とか、いつからそこにいたのか、とか聞くことは星の数、いや、ドラゴンボールの数ぐらいはあったのだが、まずはその微笑みが気に入らなかったので、
「なんで笑ってんだよ。こっちは悲しみのどん底にいるってのに。」
 と思わず怒鳴ってしまった。自分でもさすがにいきなり怒鳴るのはどうかと思ったが、悲しいときには怒りに身を任せるのが楽なもんでついつい。すると英国紳士風な男は
「こんな世界はもう嫌ですかな。」
 といきなりわかったかのような口ぶりで返してきた。ここで「お前に俺の悲しみがわかるもんか」と再び怒りに身を任せることもできたが、そこは腐っても高校生。もういろんなものが買える歳なんだしそこはぐっとこらえた。しかし赤子のように純粋な俺の心は
「嫌だったらなんなんだよ。」
 と聞いてしまった。どうもできるわけがないとわかっていての質問だったのだが、返ってきた答えは
「ではお連れしましょう。あなた様の思い通りになる世界へ。」
 と病院に連れていく手段をどうするかを悩んでしまうようなものであった。
 この近くにある病院を脳内インターネットで必死に検索していると、英国紳士風な男はいきなり俺の両手をガシッと握ってきた。いやいや俺にはそんな趣味はないんですが、と思ったその瞬間、目の前がいきなりレインボー。赤や青、黄色の三原色がおしげもなく広がっていた。おいおい、ほんとにどうなっちまったんだ。しかも足には何かを踏みしめてる感覚もねぇ。もしかして、うい……てる。なんてこった、そろそろ現実逃避してもいいですか。しばらくの間ただただ無邪気な子どものように笑いながら流れに身を任せていると、「そろそろ着きますぞ」とナイスミドルは言ってきた。もうどこにでも連れて行ってくれ。頭の中には「いーじんさんにつーれーられてー」というフレーズがリピート再生されていた。そこの部分しか知らないし。そんなことをぼーっと思っていたら、ついに三原色の世界に新しい色が。目の前には一面白の世界。その白がどんどん三原色を支配していき、俺は白に包まれた。
 長い三原色のトンネルを抜けると、そこは雪国、ではなかった。むしろ振り出し。さっきまでいたビルに戻ってきていた。そして目の前には意味ありげに微笑む英国紳士。二人は繋がる手と手。って、だから俺にそんな趣味はあああ「着きましたぞ」ってどこに着いてんだよおおお「未来の世界です」………お、おう。いやいや、もう電波なことを言わなくてもいいんですよ、英国紳士さん。そんなこと言われたって今の状況を全く把握できないのですが「では説明いたしましょう」うおう、こいつ、俺の心がわかるのかよ。
「あなた様の思っておられる通りです。私はあなた様の心が読めるのです。」
 おいおいおいおい。んなわけないでしょ。夢見すぎでしょ。漫画の読みすぎでしょ。
「そう思うのも無理はないでしょう。では証拠を見せるためにも今から頭の中で3つほど単語を頭に思い浮かべてみてください。」
 なんて挑戦的な紳士なんだ。だが俺も負けず嫌いだからな。ぜってーにわからないような単語を思い浮かべてやるよ。………くそ、なんもでてこねえ。もういいや、どうせどんなんでもわからんだろう。マグロ、海、青。どうだ、この繋がってそうでよくわからない単語の羅列。さすがにこんなのは「マグロ、海、青でございますね」もうやだよこいつ、絶対俺の心を読んでやがるよ。
「これで信用していただけましたね。もしこれでも信用していただけないのでしたら、あなたのお慕いしておられる女性の名前を当ててもよろしいのですが。」
「おう、わかるなら言ってみろよ。」
「そうですね。お名前は岡や「信用しました。信用しましたとも。ですのでそれ以上は言わないでください。」
 なんでこんな男二人の空間で俺は完熟したりんごになった顔を隠さなければならないのか。ああ、もう帰りたい。
「でしたらお家へ帰りましょう。タクシーはビルの前につけてあります。」
 そういうと映画でしか聞いたことがないようなブレーキ音が聞こえてきた。おいおい、事故かよ。そう思ってドアを開けると尾にドリフトの後をつけたタクシーが一台とまっていた。俺、こんな荒い運転をするやつのタクシーなんざ乗りたかねえぞ…。そう思うと運転手はタクシーから降りてきた。
「でしたら私がお家まで送りましょう。」
 そういうと英国紳士は運転席に座り、タクシー運転手は笑顔で手を振っている。なんてシュールな光景なんだ。お前の車を強奪されてるのになんで笑顔でいられるんだよ。
 タクシーから見る町並みは全く昨日までと変わっていなかった。ああ、懐かしきかな我が町よ。実際は数十分前まで歩いていたのだが、遠い昔のように思っちまう。俺の家は学校から徒歩15分ぐらいのところにあるから気づいたらタクシーのエンジン音は止んでいた。ああ、懐かしきかな我が家よ、ってこれさっきもやったな。ていうか、よく考えたら帰りたいと思っていたものの、帰ったら母さんからのお説教が待ってるんだったな。うわー、やってられん。ドアを開けたら母さんが「さっき学校の先生から電話があったけど、あなたは絶対悪くないわよ。学校の先生は何を考えてるのかしら。ありえないわ。」とか言ってくれないかねぇ。うわ、想像しただけでも気持ち悪い。絶対あの母さんがそんなこと言うわけないわ。うう、このドアってこんなに重かったっけ…。ええい、ままよ。
 ガチャ
「ただいまー」
 タッタッタッ
「さっき学校の先生から電話があったけど、あなたは絶対悪くないわよ。学校の先生は何を考えてるのかしら。ありえないわ。」
 うわ、一言一句間違わずによく言えましたと褒めてあげたいほどに完璧な擁護。ああ母さん、あなただけはわかってくれると信じてました。嘘だけど。にしても一体どうしたってんだ。あの母さんまでも………って、あなたは誰。よく見たら母さんじゃないじゃん。え、ここ俺んちだよね。
「ですのでここは未来の世界になります。あなた様のお母様はもうすでにお亡くなりになり、こちらにおられるのは家政婦の美田さんです。」
 そんな笑顔を見せることのない完璧超人のような名前の家政婦が未来のうちにはいるのか。しかし、一つ疑問に思った。
「おい、ジェントルメン。」
「私のことはセバスチャンとお呼びください。」
 いかにも執事みたいな名前してるな、おい。まぁ、そんなことはどうでもいい。
「ここは未来の世界なんだよな。」
「ええ、その通りでございます。」
「なら、なんで町とかこの家は俺が元々いた時代と同じなんだよ。おかしいだろ、ここは未来なんだろ。」
「それは先日お亡くなりになりましたこの時代のあなた様がそうしたからでございます。」
 ほうほう。つまり………どういうことだ。
「そうですね、そのことも詳しく説明いたしますので、どうぞ、お上がりください。」
 自分家なのに案内されるのは癪に障るが「すいません」いえいえ。とにかく座りたいし奥に行くか。
 「それでは説明させていただきます。」
「よきにはからえ。」
 一度言ってみたかった。しかし実際に言ってみると羞恥心だけが残った。
「ここは未来の世界であることは説明させていただきましたが、さらに付け加えるならばここでは全てがあなたの思い通りになる世界なのでございます。」
 おいおいおいおい。いやいやいやいや。未来の世界でも既に俺には信じられないってのに、なんだ、全てが思い通りになる。いやいやいやいや。あり得ないでしょ。夢見すぎでしょ。アニメの見すぎでしょ。
「信用できていないようですね。無理もないでしょう。でしたら何かを望んでみてはいかかでしょう。」
 ほう、またまた挑戦的ですなぁジェントルメン。ならば簡単なところで………最高級の国産和牛ステーキが食いてぇ。どうだ、まず最高級ってのがアバウトだからこれは厳しいだ「でしたら5分ほどお待ちください」…まじか。信じられず声のした方を振り向くと無機質な表情、ではなくしっかりと微笑みを浮かべた人間味のある家政婦の美田さんが冷蔵庫から肉を取り出してきた。ああ、その見た目の美しいこと。テレビでしか見たことがないような、もうこの時点で高級そうなことがわかる脂身と赤身のバランス。そして目の前に用意しておりますはお好み焼きを作るときにしか使っていなかった鉄板。落とされる肉。いい音をしておる。もうこのジューっという音だけでご飯が食べれそう。鉄板もこんな肉を焼けて幸せだろうな。あまりにも見事な肉に見とれているうちにステーキが出来上がった。ああ、このナイフを入れたのにスッと切れる肉。中から赤身がこんにちは。口に入れると、あれ、なにこれ、歯なんか必要ないじゃん。もう舌の上でとろけちゃうよ。それでいてしっかりしながらしつこすぎない肉の味。やっべ、ナイフとフォークがノンストップ、止まらない。食べれるだけ食べたよ。ああ、それはもう餌をもらった犬だったね、犬。腹もいっぱいになってデザートでもたのもうかな、とか思っていたところに
「どうです。わかっていただけましたか。」
 と聞いてきた。しかし俺もそんなに甘くはねぇ。そんな物だけで全てが思い通りになるなんて思ってねぇよ。
「じゃあ次は、今日の昼に勝手に泣いた福田と勘違いして叱ってきやがった石松に土下座をしてもらおうか。」
 ピンポーン
 んったく、なんだよ、いいところに。訪問販売なら「それ持ってますぅ」とか言って追い返してやろう。
「はい、どちらさまですか。」
「福田だよ。どうしても君に謝りたいことがあるんだ。ここを開けてよ。」
「私だ、石松だ。私も謝りたいことがある。ここを開けてくれないか。」
 おいおい、まじかよ。本当に謝りに来やがった。
「どうですか。」
 後ろにはジェントルメンの微笑み。くそ、これくらいでは負けんぞ。
「そ、そうだ。ただの土下座では気がすまないな。雪の降る中、誠心誠意心のこもった土下座をしてもらわねぇと許せねえよ。」
 最近やったカノッサの屈辱を思い出してよかった。さすがに今の季節は夏。太陽も自重せずにサンサンと輝く夏。こんな季節に雪が降るわけがない。これで俺の勝ちだ。そう自信をもってドアを開けた。外から入ってきた冷たい風。ドアを開けて広がったのは白い世界。そこは雪国だった。いや、ちょっと、これはいくらなんでもありえないでしょ。さすがに白い綿でしょ。そう思ってポストの上の白い物体を掬ってみると、冷たい。ああ、これは正真正銘雪でございます。そして見降ろせば熱い心で誠心誠意土下座している二人。もういいよ、俺の負けだ。ここはとんでもない世界だわ。
 「それでは説明の続きをいたしましょうか。」
 どうしても気が済まないと30分は頭を雪につけ続けた二人は、俺が「許してやるからもう帰れよ」と言った途端、全速力で帰って行った。なんなんだよ、あいつら。てか、ここが何年後の世界かはわからんが結構年いってたぞ、あの二人。石松なんかはもうベットで横になっててもいいんだよ、と思わず気遣ってしまうぐらいのお年になられておりましたよ。よく全速力で帰っていけたな、あいつら。
「では、なぜあなたの思い通りになるのか、ということについて説明をすればよろしいでしょうか。」
「おう、それは気になってた。」
「まず自然現象のことについては、この世界はとてつもなく大きいドームのようなものになっていて、ボタン一つで雲の動きなどが制御できているようになっているのです。ですから、ずっと昼が良いと思われるなら永遠に太陽は沈みません。永遠に夕焼けを楽しむこともできますよ。」
「へぇ。」
 もうここまで来ると驚く気力すら湧いてこない。
「また、じつを言いますと、私も含め、皆半分ロボットのようなものなのです。」
「ほう。」
「皆、脳にチップが埋め込まれておりまして、そこに送られた電気信号通りの行動をします。」
「そこに送られる電気信号というのが、あなた様の望みでございます。あなた様の望んだことがあなた様の脳から電気信号となり、それが皆の脳に送られ、その通りの行動をするようになっているのでございます。」
 そうなのかぁ。まぁ、納得なんかしてないんですけどね。いや、待てよ。
「じゃあ、今の俺の中にもチップが埋め込まれているのか。」
「いいえ、そうではありません。電気信号を送るのにチップは必要ないのです。その代わり今のあなたの左手中指につけられております指輪がその役目をしております。」
 そう言われて気づく。本当だ。いつの間に俺は指輪なんか。ん。つまりこの指輪はこのジェントルメンからつけてもらったってことで、いつの間にか結婚式の指輪交換みたいなことをこのジェントルメンとしていたってことか。もうやだ、もうお嫁にいけない。………しかし、一つ気になることがあった。なぜ俺は指輪で良いが他のやつらはなんでチップを埋め込まねえといけねえんだ。
「脳波を発信するのにはその刺激を感知すれば良いので身体中どこでも刺激が受け取れる範囲ならいいのです。ですが、他の皆はその刺激を受け取って、その刺激通りに行動しなければなりません。それには直接脳にチップを埋め込まなければならないのだとか。先日亡くなられたこの世界のあなた様がおっしゃっておられました。」
 うん。とりあえずよくわからんが深く考えないことにしよう。つまり、だ。難しいことは置いといて、この世界では俺の思うように世界が動くわけだ。つまりどんなことをしてもオッケー。素晴らしい世界じゃないか。ゆっくり考えれば考えるほど、ここがどんなに素晴らしい世界なのかがわかってきた。やべぇ、俺、理想郷に来たみたいだ。
 一日目。とりあえず今まで読みたいと思っていた本を読んだ。漫画、小説、雑誌。なんでも読み放題だ。本屋が読みたい本を望んだらなんだって持ってきてくれるから俺は家で寝てるだけ。あと、本を読むにあたってふかふかのベッドがほしくなったからそれも持ってきてもらった。あまりにもベッドが気持ち良すぎてそのまま次の日まで寝てしまったがな。
 三日目。まだ続きが出てない漫画の続きを望んだらその日のうちにできた。なんでもその漫画を描くために全国からアシスタントが集まったとかなんとか。ふふ、俺のためにごくろうさん。
 七日目。だいたい読みたい本も終わってきたので次は見たかったドラマを見ることにした。ネットで借りる必要もなく自宅に届き、ポストに入れなくても勝手に回収してくれる。ああ、なんて幸せな日々なのだろう。
 十日目。ドラマの主題歌でお気に入りの曲がいくつか出てきたのでライブをしてもらった。さすがに元々俺がいた時代の歌手はもう亡くなってるかヨボヨボになってしまっているかなので、今の時代の歌手を集めた。自宅に来ても場所がないので、そこは妥協してドームまで足を運ぶ。まぁ、それもリムジンで送り迎えしてもらったんだけどね。
 十四日目。そろそろ身体がなまってきたのでスポーツをすることにした。もちろん俺が大好きなバスケだ。チームメイトからはどんどんパスがもらえるし、敵チームも自分の思った行動をするばかりで余裕余裕。チームメイトからは尊敬のまなざし。オーディエンスはみんなで俺の名前をコールしてやがる。最高の気分だ。
 十七日目。家にばっかり居てもつまらなくなりはじめてきたので旅に出ることにした。もちろん自家用ヘリコプターで。天気はもちろん晴れ。絶好の旅日和だ。
 二十日目。雪を降らせた。実は生まれてからついこの間の事件の日まで雪が積もっているところを見たことがなかった。しょ、しょうがないんだ、盆地に住んでたから全然積もらなかったんだから。とにかく、自分のやりたかった遊びをしまくった。雪合戦、ゆきだるま、かまくら、死体ごっこ、漫画でよくあるビルから落ちた時にできる人型の穴。雪ってこんなに楽しいもんなんだな。
 二十四日目。彼女をつくった。街で出会ったかわいい子をちょっと口説いたらすぐに落ちやがった。モテる男は辛いねぇ。まあ、これが初めての彼女なんだけど。
 二十六日目。これで彼女は三人目だ。一人目は可愛い系だったけど、二人目はクール系。三人目はお姉さん系だ。もちろん一人目とも二人目とも別れたわけじゃない。何人彼女がいても怒らないからな。あ、そういえば昨日見た歌番組に出てたアイドルグループのセンター、可愛かったな。よし、四人目はあの子にしよう。
 二十八日目。ついに彼女は四十八人になった。どうせだからユニットでも組ませてデビューさせてやろうかな。ユニット名は、ORN48にでもするか。ORNは「おれの」って意味だ。どうだ、いかしてるだろ。
 三十一日目。街も俺が過ごしやすいように大改造した。新しい街をヘリコプターから見下ろすと、満足感でいっぱいになった。いやぁ、本当にこの世界は最高だ。
 三十五日目。そろそろ読む本もなくなってきた。続きを書いてほしいと思っても自分の思い通りの展開しかでてこないのでつまらなくなってきた。最近の本を読んでいてもいかにも俺が好きそうな展開ばっかり書いてあるので予想ができてしまう。他の娯楽に当たるとしよう。
 三十八日目。ドラマも飽きてきた。出てくる俳優が同じ人ばっかりで、展開も同じようなものばかりだし。もうちょっと意外な展開を用意しろと望んでも、俺の考えの範囲内での意外性しかなく、もうすでに意外でもなくなってしまっている。まあいい。まだまだ楽しいことはたくさんあるはずだ。
 四十一日目。ライブで聴ける良さとはなんだろうか。アーティストと直接会える。生の楽器の音が聞こえる。MCが入る。それはね、たまにあるから良いもんなんだよ、パトラッシュ。もはや望んで聴くことができるとCDを聞いてるのとあんまり変わらねぇ。しかもMCも同じことばっかり。最初はライブでの他のファンとの一体感っていうのも快感だったけど、自分が望んだ行動をしてるんだからそりゃ合うわな、って考え始めたら急にむなしくなり始めた。とりあえず身体でも動かして気を紛らわそう。
 四十五日目。勝つことが快感なのはなぜだろう。それは負けるという可能性を乗り越えたからこそ快感になるのではないだろうか。俺が望んだんだから必ず勝つ。負けることはあっても、それはあらかじめ俺が望んだことなんだから対してショックでもない。全てが予定調和だと思い始めると、チームでの試合が面白くなくなり始めた。最近はずっと家でシュートの練習だ。あ、外れた。この悔しさ、ああ、なんで悔しいことがこんなに嬉しく感じられるのだろうか。俺はドMにでもなったのか。ああ、やだやだ。気分をすっきりさせるためにも旅にでも出るか。
 四十八日目。もう大体のところを見てしまった。ヘリコプターというどこでも簡単に行ける乗り物を使ったから、一日で何個もの名所に行けるし、一日中太陽を働かせることもできるから元気のある限りいつまでも活動できる。ああ、未知の世界がなくなった旅になんの楽しみがあるのか。自然の変化は自分の思うままだから前と変わってるところもない。どこに行っても概知のものばかり。もういいや、家でじっとしてよう。
 五十一日目。天気はめんどくさいのでずっと晴れにすることにした。雪はもう見飽きた。たまに天変地異が起こるんじゃないかと思うような大雨、雷、台風を起こしてみたものの、あんなものは一度見ただけで十分だ。なにより雨の音はうるさいし、雷はお前はストロボライトか、と思わせるほど定期的に光るし、風はいろんなものを見境なく吹き飛ばすからめんどくさいし。太陽の昇りと沈みをゆったりと観賞できる晴れが一番だという結論に俺は達した。どうだ、すごいだろ。…はぁ。
 五十五日目。彼女ができたはいいものの、これまた変化がなくてつまらない。ていうか、俺の話に俺の思った通りの返事しかしてこないんじゃ俺が一人芝居してんのと同じじゃねぇか。
 五十九日目。正直彼女が48人いても、みんな同じような反応しか返さないから、ただ顔と身体と声が違うだけの、それこそロボットにしか見えなくなった。みんなWindows7なんですか、みたいな。ロボットだと改めて自覚すると、すごく人間が恋しくなった。
 六十二日目。もう一度ヘリコプターの上から自分の街を見下ろしてみた。なんて完璧な街。なんて完璧な人々。全てが俺の望んだ通り。そう、全てが俺の望んだ通り。それが辛い。なんだよ、この世界。全然面白くないじゃねぇか。こんな世界なら、元の世界の方がマシだよ。
「元の世界に帰られたいのですか。」
「うおう。」
 だからいきなり話しかけてくるなよ。いくら俺の強靭なハートでも不意打ちだけには抵抗がないんだから。しかし、元の世界に戻りたい。その気持ちはその通りだ。
「あなた様が望むのであれば元の世界に返すこともできますよ。」
「本当か。」
「ええ。」
「じゃあ今すぐにでも返してくれ。」
「承知いたしました。でしたら、最初におりましたビルに戻りましょう。」
 そういうとまた映画でしか聞いたことがないようなブレーキ音が聞こえてきた。いや、もう慣れたよ。
 帰りの車で俺の純粋なベイビーハートが気になることを聞いてみた。
「なんでお前は俺をこの世界に連れてきたんだ。」
「それはあなた様を連れてくるつい先日にお亡くなりなられたこの世界のあなた様に頼まれたからでございます。」
「この世界の俺に。」
 なぜだ。
「私がこの世界のあなた様から伺ったことはなんでも『まだ高校生だった頃の私にこの世界を見せてやってくれ。そしてその頃の私にこの世界を見ても、それでもその研究を続けるのか、ということを伝えてやってくれ。』と。」
「ほう。」
「帰る直前にお渡ししようと思っていたのですが、この世界のあなた様からお預かりしたものがあるのです。」
 そういうとセバスチャンはそのきっちりとした服装には似合わないボロボロのノートを差し出してきた。こ、これは。この世界に来る前に使い物にならなくなってしまった俺の研究ノートじゃねぇか。ああ、おかえり、我がノート。中を覗いてみると、最後までチョコたっぷり、じゃなくて、最後まで様々な回路図がびっしりと書かれていた。
「ここにはこの世界で使われている装置の回路図が載ってあると伺いました。きっとあなた様の研究のお役に立ちますでしょう。」
 「それでは、もう帰ることになりますが、よろしいですかな。私はこの世界のあなた様から一度だけしか連れてくるなと命令されておりますので、もうこの世界に来ることはできませんが。」
「ああ、大丈夫だ。」
「左様でございますか。まあ、なんにせよこの世界はあなた様の未来です。いずれこの世界に戻ってきますでしょう。」
「それは……どうかな。」
「何かを考えておられるようですね。まあ、このままの未来を進むも未来を変えるもあなた様次第でございますゆえ。では、出発いたします。」
 そして手には二つの温もり。この2か月で女の子と手をにぎるのはなんとか慣れてきたが、男は別だ。やはりこのごつごつした手ではなくて柔らかさと温もりのある女の子の手がいいな。よし、まず帰ってからすることは彼女づくりだな。そんなことを思っているうちに、再び視界はレインボー。三原色の世界の中で俺はこの2か月のことを思った。
 気がつくとそこには壁、かと思ったが紅に染まった空が広がっていた。辺りが濡れていることを見ると雨が上がった後のようだ。しかし俺の身体はさっぱり濡れてない。なのにカバンは相変わらずびしょ濡れ。これぞマジック。種も仕掛けもありません。そして濡れていないものがもう一つあった。あのノートだ。俺はそのノートとカバンを持って歩き出した。もちろん帰宅するのだ。母さんに怒られるのを覚悟で。さて、母さんはどんなことを言って怒ってくるのだろう。怒鳴るだろうか。もしくは女の武器、泣き落としでくるのか。そんなことすら楽しみに思えた。そんなルンルン気分で歩いていると河原で同じバスケ部の円谷と柏木がいた。目と目が合った。べつにときめきなんかが生まれるわけでもなく、
「お〜い、こっちこいよ。今たき火をしてんだよ。」
 と呼ばれた。
「なんで夏なのにたき火なんだよ。わけわかんねぇことしてんな。」
「何言ってんだよ、夏だからこそだよ。修行だ、修行。」
「ほんとお前ら何考えてるのかわかんねぇよ。」
 それが面白い。なんでそんなこと思い浮かぶんだよ。ああ、面白い。
「俺も混ぜろよ。良いもん持ってんだ。このノート、燃やしちまおうぜ。」
 俺は手に持った可燃物のゴミを思いっきり振りながら二人の元に走っていった。
 ああ、本当に人間って面白い。みんながみんな何をするのかよくわからねぇ。そんなところが面白い。
 人間って最高の生き物だ。
 

相互評価

119106

○心境の変化が面白かった。主人公の語りがアップテンポで、読みやすかった。
△ライトノベル色が強いな、と思うところがあった。

102126

○文章中に使われているいろいろな言葉が効果的だったと思います。伏線(ノートの研究)がしっかり回収されているのもよかった。
△主人公の一人称のテンションについていけない部分がありました。

102127

いいところ  畳みかけるような描写が続くことで、どんどん話の中に引き込まれるようだった。思い通りになる世界を体験することで、完璧ではない人間が最高だと気付くという結びが上手いと思いました。
 語り口調が気になった。「〜ねぇ」「〜なぁ」が続くと、少し読みにくい。物語の展開の部分が少し粗い。日記のようにその日に何があったかを書くだけではなくて、もう少し丁寧に思い通りになる世界での様子を描けるとよかったかなと思います。結末ももう少し物語の展開の部分とつながっているとよかったと思います。

102121

○展開の運びが主人公の語りで進められていくのがおもしろく、テンポよく読み進められました。
△主観的すぎてわかりにくい部分が少しあったように思います。

102207

○言葉の使い方が面白かった。
△なにか大きい事件があったら、もっと面白くなると思った。

102201

○語り手の軽快な口調と言葉の選び方が面白く、話に引き込まれた。
△読んでいて、息つく暇がないというか、なんとなくこの長さだったから読み終えられたというところがあります。

102138

○ テンポの良い語りで、読みやすかった。
△ 飽きてくるというのは分かったが、もう少し事件や印象的な 出来事が書かれているともっとメリハリがついてよいと思 う。

102206

○語りテンポであったり様々な伏線であったり、読者を引き込むような工夫がたくさん見られたところが良いと思いました。
△クライマックスを意識して作ると良いと思います。

102204

○短文で主人公の心情が伝わりやすかった。
△最後ちょっと駆け抜けた感があった。

野浪正隆

 よいところ 思い通りの世界の毎日が無味乾燥な記述で書かれているところ。描写するとそれなりに面白くなってしまうから。
 こうしたら  どこに行っても概知のものばかり。 → どこに行っても既知(きち)のものばかり。
 2チャンネラー設定「概出をつかう」では無さそうなので。

102210

○テンポのいい作品であった。独特な言い回しが使われていたりして、そこを読むのも楽しかった。
△元の世界に戻りたいと思うきっかけをもっと大きな事件にすれば、よかったのではないでしょうか。

102205

いいところ  思い通りになる世界の部分が淡々としていて、かえって印象に残るようになっていたのがよかったと思います。
 こうしたらいいのにというところ
 後半にもっと大きな出来事があればもっと面白くなると思います。

102203

○設定がおもしろかった。
△地の文がよみづらい。もっと描写的な表現があれば、もっとスマートにまとめられたと思う。

ある少女の話
 102106

 ―小学校五年生―
 とある一人の女の子。その女の子には密かに思いを寄せる男の子がいた。五年生にしては背の高い女の子よりもさらに背が高くて足が速く、みんなに優しくておもしろくていつもみんなの中心にいる、いわば小学生でモテる子というイメージそのままの少年だ。女の子はそんな男の子に恋をしていた。
 彼女は毎週月曜日の全校集会が楽しみでならなかった。彼女はダサいと思いつつも先生に怒られるのを恐れ、黄色い帽子を被り列の一番後ろに並んでいる。前にいる友達と他愛もない会話をしていると、チャイムと同時に後ろから彼はやって来て彼女の隣に並んだ。
「何でそんなに汗だくなん!」
「いつもの事やん、さっき学校着いてん!遅刻するかと思ったわー。」
 くしゃっとした笑顔で答える彼。彼女は何故彼が汗だくなのか、聞く前から分かっている。それなのにわざわざ質問をするのだ。毎朝汗だくで学校にやって来る彼。毎週月曜日だけは彼の汗だくの理由を聞くことで会話ができる。彼女はそれだけで満足だった。
「誰かにあげるん?」
「上手くできたらあげようかなー。」
 二月になると女子の会話はバレンタインの話で持ち切りだった。
「渡さんの?」
「んー。」
 彼女は悩んでいた。そんな中、
「ホワイトデー期待して三人にあげる!」
 誰かが言いだした義理チョコ作戦。男子からすると大迷惑である。そんな会話が毎日繰り広げられているうちに二月十四日がやってきた。
「はい、これ!ホワイトデー期待してるで!」「はい、これ!」
「はい、これ!」
 彼女は義理チョコ作戦を実行することにしたのだった。同時に三人に渡し、義理チョコと思わせることでしか彼女は彼にバレンタインのチョコレートを渡すことはできなかった。
 帰りの挨拶と同時に教室から出ていく彼を横目にため息をついた彼女。
「なあ、どうやったん?」
「やっぱあかんかった。気付いてくれんかったわ。」
 彼の分に一つチョコレートを多く入れる事が彼女の精一杯だった。
 ―中学校二年生―
 あれから三年が経ち、彼女は中学校二年生になっていた。彼女はその年の四月から中学校に転入してきた隣のクラスの男の子が気になっていた。その年は転入してきたのがたまたま彼しかおらず、転入して間もなくみんなの噂になるほどだった。
「前の学校で野球部やったらしいでー」
「しかもピッチャーやねんて!」
 単純な彼女はこの噂を聞いたときから彼に引かれていたのかもしれない。
 彼女の告白の日は突然やってきた。みんながブレザーを着始めた十一月のある日の放課後、彼女はいつもと同じように部活に行っていた。
「窓閉めついてきてー」
 友達を連れて学校中の窓を閉めに行く。いつもと同じ順序で窓を閉めていき、いつもの場所で立ち止まる。
「一番おったで、ほら!」
「あ、ほんまや!二番もおるやん!あっちあっち!」
 背番号一番のユニホームを発見すると彼女は急に静かになり、必死でその姿を追う。まだまだ終わりそうにないか。帰り一緒にならんかなー。話したいなー。
「まだ終わらんな。今日も無理やな。そろそろ戻ろっか。」
「え、うん。」
 心を見透かされたかのような友達の一言にどきっとする。音楽室に戻り鞄を持って学校を出た。
「私、今日言う!」
「まじで!?」
「メールでしか勇気ないけど。」
 友達の言葉に動揺する彼女。彼は携帯を持っておらず、メールを送ることはできない。
「私が○○好きなこと、ついでに伝えてもらってくれへん?」
 友達の言葉に焦った彼女はとっさにこんなことを言った。
「分かった。じゃあ帰ったらメール送るから!」
 年が明け三学期が始まった。体育の授業を終え教室に戻ると鞄に直したはずの筆箱が机の上に置かれていることに気付く。開けてみるとその中にはノートの端をちぎった紙切れが入っていた。
「今日帰ったら電話する」
 シャーペンで書かれた小さな小さな手紙を見て、彼女は口元が緩むのを必死でこらえながら小さな小さなガッツポーズをした。いつもより長く感じた部活を終え、急いで家に帰る。
 ♪〜
 携帯の着信音が鳴る。早く出すぎたら待ち構えてたみたいに思われるかな。
「もしもし、どしたん?」
 ウキウキした気持ちを隠すために、冷たく挨拶をする。
「あのさ、ちょっとだけ外出れる?」
「うん大丈夫。じゃあ五分したら家の前出るわ。」
 できるだけ長く外にいられるように厚着をして外に出る。少しすると自転車に乗った彼がやってきた。自転車を止めるなり突然、
「誕生日おめでとう」
 はずかしそうに下を向きながら小さな袋を渡す。彼は彼女の誕生日を覚えていてくれたのだ。週に一回の電話以外、メールでの連絡をすることはもちろん学校で話すことさえできない彼と過ごす時間は彼女にとってどれだけ幸せな時間であっただろうか。
「ありがとう!」
「…」
「…」
 彼女が感謝の言葉を告げてからしばらく、少し緊張感のある沈黙が続いた。
「どしたん?」
「…いや、何も」
「なんかいつもと違うで?」
「…プレゼント、先輩に相談してん。どんなんがいいか分からんかったから。それでな、先輩がプレゼントあげるときにキスしてあげたって言ってて…」
「…」
「…」
「やっぱ俺には無理やわ…」
「…」
「…」
「…ごめん帰る!」
 自転車の向きを変えたかと思うとすぐに彼の姿が見えなくなった。彼女は訳が分からないまま家に帰った。
 それからしばらくの間、彼からの電話はなかった。
 ―中学校三年生―
 「んじゃ十八時に駅の改札な!」
 携帯電話を閉じ、おばあちゃんのもとへ向かう。今日七月二五日は天神祭だ。女子三人は家で浴衣の着付けをしてもらったり髪のセッティングに大忙しだ。六人は駅で待ち合わせをして電車に乗る。駅に着き改札を出るとすぐに出店が見え、大勢の人で賑わっていた。トリプルデートをしようと張り切っていた男子三人は何やら後ろで固まり相談をしているかと思うとじゃんけんをし始めた。
「まじかー。」
 そう言って彼は女子のところへやってきて
「行こう。」
 四人を背に彼女と横に並んで歩き始めた。後ろを見ると四人は遠くの方にいて、こちらを見ながら楽しそうな様子だ。
「何か食べたいなー。」
「たこ焼き半分こしよ。」
 しばらく二人で歩き、恥ずかしさもなくなりつつあった時、彼の右手が彼女の左手を握った。一瞬会話が途切れたが彼は何事もなかったかのようにさっきまでの会話の続きを始めた。
「たこ焼きな、あそこにあるわ。行こか。」
 彼に引っ張られるように歩いていると
「止まって止まって!」
「待って!」
「あかん!」
 様々な言葉を言いながら四人が二人のもとへ走って来るのが分かった。
「後ろ!」
「帯!」
 振り返ると彼女の腰についていたはずのリボンが帯本来の形に戻り、だらんと地面に垂れ下がっていた。
 

相互評価

102209

○それぞれの歳に見合った恋愛事情が現実的でよかったです。
△結末がぼんやりしていて、もう少ししっかりとしたまとめがほしいなと思いました。

102127

いいところ  淡い恋心が上手く描かれているなと思いました。
 この物語の盛り上がりの部分がやや見えにくい、結末をもう少し分かりやすいものにしてみるといいかもしれません。

102121

○少女の年齢ごとの話があったところがよかったと思います。
△具体的な人物設定がなかったので、少し話が見えにくくなってしまっているような気がしました。

102201

○それぞれの恋のお話の様子がイメージできてよかった。
△それぞれの話の関連性がみえにくかったので、もう少し関連しあっているとおもしろそうだと思いました。

102206

○一つの小節で時間の流れにそっていくつもの恋愛譚を描くというところが、独特な発想で面白いと思いました。
△個人的に主人公の子が嫌いです。特に、友達に告白を頼むところ。

102204

○ひとつひとつに淡い恋心が表わされていてよかった。
△それぞれのストーリーにつながりがないので、小説を通して何を伝えたいのかわからない。

野浪正隆

いいところ 小中学生女子の恋が書けていました。
 こうしたら 大事なところを説明してしまうと醒めます。彼女の心理を描くか、談話を描写しましょう。
 彼は彼女の誕生日を覚えていてくれたのだ。週に一回の電話以外、メールでの連絡をすることはもちろん学校で話すことさえできない彼と過ごす時間は彼女にとってどれだけ幸せな時間であっただろうか。

102210

○年相応の恋愛模様が描かれているところ。
△主人公の成長が描かれるなどの関係性をもたしてもおもしろかったかも

102205

いいところ  年相応の恋愛の仕方が現実的でいいと思いました。特にバレンタインのところは、女の子の気持ちが伝わってきて良かったです。
 こうしたらいいのにというところ
 主人公がどんな子なのかがよく分かりませんでした。

102207

○年齢によってエピソードを書いているところが工夫されていて面白いです。
△どのエピソードも似た感じなので、ちょっと違ったものをいれるともっと面白くなると思います。

102203

○年相応の恋愛が描かれていてよかった。
△成長をみせるなら、同じような状況に立たせるのも良いと思う。

入国審査
 102209

 「受付番号二十五番でお待ちの川澄様、川澄優様」
 かれこれ三十四年も呼ばれてきた自分の名前だ。獲物が水面に現れるのをじっと待ち構えている鳥のように意識を研ぎ澄まさなくても、それが聞こえると体は自然に反応する。
 ここには音というものがまるで存在しない。小さく流れるピアノのクラシック音楽も、親子が小声で会話をする声も、何も、聞こえない。落ち着かないほどの静寂の中で、僕の名を呼ぶ甲高い女の声だけが響き渡った。
 このロビーらしき場所には、人が座る以外の目的を持たない無愛想な白いソファがあるだけだ。壁や絨毯まで全てが白で統一されていて、やけに眩しい。ソファに腰を掛けている人は僕の他にも数えきれないほどいて、年配の人が多いような気もするが、柔らかそうなタオルに包まれて眠っている赤ちゃんや、気だるそうな表情をしている女子高生もいる。
 窓口は合計で十ほどあり、半円を描くように並んでいる。そして、それらのちょうど中心あたりの上に、大きく「受付」と書かれたプレートがぶら下がっている。窓口の奥には一人ずつ女が座って、せわしなく作業をしながら、ロビーの人々の名を受付番号順に呼んでいる。
 僕は立ち上がり、名前を呼んだ女が座っている一番右の窓口まで、静かに歩いて行った。
「大変長らくお待たせいたしました」
 時計は午後九時を回っていた。よくこんな何もない所で三時間もじっと待っていられたものだ。
「川澄様ですね」
 答えを求めないその質問を女性はひとり言のように発し、一旦自分の手元に目をやった後で、再び僕を見た。僕の立っている場所からは彼女の手元は見られないようになっているのだが、そこには僕の顔写真か何かがあるようだった。
「それでは、三階の四番のお部屋へどうぞ。三階にはあちらのエレベーターでお上りください。エレベーターから降りた後、向かって左側の通路をお進みいただくと、四番のお部屋に突き当ります。」
 それだけを早口で言い終えると、女性は小さく礼をしてにっこりと笑い、すぐに手元に目をやった。そして、一歩も動かずに立ち尽くす僕が視界に入ったのか、「私だって忙しいのよ」と今にも言い出しそうな顔をしながら、手元に視線を落したまま何やら作業を始めた。
 エレベーターの中には、階を示すボタンが並んでいた。ロビーのある地下1階と、0から12階、そして、屋上。…0階?どうして0階など存在するのだろう。まぁいい。三時間も待たされたのである。一刻も早く目的地へ向かいたいという気持ちが勝った。「3」と刻印されたボタンを押すと、全面がガラスで出来ているエレベーターはロビーの白を反射して、輝きながら流れるように静かに上昇した。エレベーターを降りると、目の前に左向きの矢印の下には「0〜4」と、右側の矢印の下には「5〜9」と書かれてある表示があり、受付の女性に言われた通りに左の通路を進むと、金色で「4」の形に模られたプレート貼り付けられているドアがあった。ここだ。少し緊張しながらドアを軽くノックすると、中から明るい男の声が聞こえた。
「ハーイ、中へどうぞ」
 おそるおそるドアを開けると、そこは病院の診察室のようなつくりになっていて、スーツを着た小太りの男が回転椅子をこちらに回して、ニタッと笑った。声の割に年はそう若くはなさそうだ。おそらく五十代半ばであろう。スーツはどこかサイズが小さく見え、シャツのボタンは、スタート地点でピストルが鳴るのをじっと待ちながら、今にもフライングしてしまいそうな百メートル走者のように、小さな刺激にも反応して今にも静寂を破ってしまいそうに見える。男の額にはじわりと汗が浮かんでおり、髪は豊かな黒い森のように生い茂っている。そして、大きな鼻と長く伸びた眉毛が、切り傷のような目をより一層目立たなくしていた。
「いやぁ、長く待たせちゃったみたいで…あぁ、でも三時間程度か。まだマシなほうだよ。一昨日この部屋に来た男性の中に十時間待ちってのがあったね。これが最近では一番すごかったかな。って笑いながら言ってるけど、僕、ものすっごく怒られちゃったんだからね、実は。あははは。時間なんて気にしなくていいのにねぇ」
 三時間待ちですら、僕はディズニーランドでしか経験したことはない。昨年に嫁と娘に頼みこまれて、生まれて初めて夢の国というものを味わった。と同時に、地獄とでもいうべきあの壮絶な待ち時間を経験したのだ。おそらく、日本の父親が避けては通ることのできない人生最長の待ち時間だろう。それを「まだマシなほう」だとは。十時間も待たされて怒らない人の気持ちがわからない。いや、わかる人間なんてこの世に存在するのだろうか。そして、ドアを開けてこの男が現れることを知れば、人々はなおさら彼を哀れに思うだろう。
「あ、ごめんごめん、立ちっぱなしもなんだし、ここ、座って」
 男は自分の目の前に置かれた丸椅子を指さして僕を座らせた。
「えっと、川澄さんだね。三十四歳かぁ…、もうちょっと後でもよかったんじゃないの。男前だし。まぁ、人は早かれ遅かれここに来ることになっているんだけどさ。いやぁ、でも…あっ、いけない、いけない。こうやって時間が押されていくんだよねぇ。だから早速だけど、ちょっと色々確認させてもらいますね」
 そう言って男は、机の上にある資料の束を手に取り、何枚かめくって、求めている資料―おそらく僕について「確認」すべきことが書かれたもの―を見つけ出し、それを眺めながら話し始めた。
「川澄優さん。読み方はユウで良いんだよね。三十四歳。生れは京都府で、家族は父母と三つ下の弟が一人。と、幼いころは家に柴犬が一匹いたね。地元の公立小学校と中学校を出て、父親の仕事の都合のため、家族全員で東京へ引っ越した。それから都内の高校へ入学してサッカー漬けの毎日を過ごしていたみたいだ。でも、要領がよかったみたいで勉学も特に難無く卒業できた、と書いてある。大学も指定校であっさり決めちゃったみたいだし。大学を出てからは、都内の銀行で勤めることになった。そして大学時代から付き合っていた彼女と七年の交際を経て二十七歳のときに結婚。今は六歳の娘が一人いる。まぁ平凡といえば平凡なコースのようだけど、良いか悪いかで言うと、良い方なんじゃない。ほんのちょっと刺激が足りないけどね、刺激が」
 頭の中で、いくつかの疑問が一気に飛び交い始めた。この履歴書のような資料は一体どこで手に入れたのだろうか、この男は一体何のために「確認」をしているのだろうか、そして、そもそも、僕はなぜここにいるのだろうか。すべてを聞いてしまいたかったが、それよりも、一刻も早くこの部屋から出て、この男から解放されたかった。男は僕を不快にさせる何かを持っている。あるいは、容姿や話し方とは不釣り合いな若々しくあっさりとした声が、僕を落ち着かなくさせるのかもしれない。とにかく、今は余計なことは言わずに、ここでの時間が最小限で収まるように努めよう。何がどう動いているのかはわからないが、物事は確実に進んでいる。そして、すべての出来事は必ず始まりと終わりを持つ。
「いやぁ、けれども大変美人な奥さんだねぇ。娘さんも可愛いし。まぁ、そんなことはいいや。おおまかに言うとそんなとこだよね、君の人生。これといった間違いはないかね。あるなら今のうちに言っておいてくれよ。後から訂正を言ってくる人がいるんだけど、なにせ今日だけでこんな数の人たちの相手をしなきゃならない。だから、それだけは勘弁、ね」
 男は手に持った資料をパラパラとめくり、笑いながら口と太い眉毛を曲げてそう言った。
「なにも間違いはないです。その通りです」
「よし、じゃあここで問題はないみたいだから次に進んでもらおう。この奥に次の部屋がある。ドアが見えるでしょ。ここでは確認だけだったけど、次はしっかりと話を聞いておかなきゃならないよ。今後の人生…とにかく、これからに大きく関わることだからね」
 部屋の奥に一枚のドアがあった。この階には0から9の部屋があるだけではないらしい。軽く頭を下げて足早に男の後ろを通過し、さきほどの緊張とは打って変わって、安らかな気持ちでドアの前に立ち、軽くノックをした。中から聞こえてきたのは凛とした女の声だった。
「どうぞ」
 ドアを開けて中に入ると、クリーニングに出したてのようなパリッとしたスーツに身を包んだ女性が立っていた。髪は短く切られていて、大きな目と長い手足が印象的な、とても品のある人だった。部屋は小さな会議室のようで、中心に大きめのテーブルをはさんで二つの椅子が向かい合うようにして置かれていた。余計な装飾はなく、そのためにテーブルの上に生けられた小ぶりな百合が目立っていた。
「川澄さんですね。どうぞ、お掛けください」
 僕がドアを背にして椅子に腰かけると、女は向かいの椅子に腰かけた。
「おそらく今は頭の中が疑問だらけでしょう。少しずつ話していきますので、落ち着いてお聞きください」
 女はそう言ってから、ゆっくりと、語るように話しだした。
「ここに来た人は、一時的に記憶を消されています。特に最新の出来事を。そのままにしておくとここで騒ぎだす人がいるので。あなたの記憶も少しだけ消させてもらっています。でも、あなたのように大体の人が、この部屋あたりで意識がはっきりしてきて、何かがおかしいことに気付きだすのです。そして勘のいい人はすぐに気付きます。ここが、今まで生きてきた世界とは違う所だってことに。時々気が狂ってしまう人がいるのですが、そういう人はもう記憶を消しっぱなしにして、次の世界に送り込むようにしています。でも、あなたは大丈夫そうですね。安心してください。あの世での行いのテープを少しだけ見させてもらいましたが、芯はしっかりしているし、特に大きな問題も起こしていないようでした」
 女の言っていることを理解しようと頭を全力で回転させた瞬間、めまいのようなものが起きて、直後にまるで稲妻のような大きな衝撃があった。それとともに、あの出来事が頭の中に現れた。映像は一瞬だったが、僕は自分の身に何があったのかを思い出すことができた。そして、今置かれている状況としっかりとリンクさせることができた。
 ―それは、今日の夕方の出来事だった。朝晩はすっかり冷え込むようになり、長い夏がやっと終わりを告げようとしていた。例年、夕立が多い時期ではあるが、今年は毎日のように記録的な豪雨が日本を襲っていた。雷は地球を震わせるほどに大きな音を立てて鳴り響き、大粒の雨は車や建物を殴るように容赦なく降り続けた。
 この日は残業もなく、夕方の五時半には帰路に就くことができた。乗り続けて五年にもなる愛車にまたがり、晩夏の風を受けながら、妻と娘に会えること―毎日会っているはずなのに、僕は極度の愛妻家かつ親バカらしい―ばかり考えていた。雲行きは会社を出た頃から既に怪しかったが、こんなに早く会社を出られるのは久しぶりだ。雨が降り始めるのを待ち、さらに、その雨がやむのを待っていることなんてできるわけがなかった。しかし、その甘い判断が、結果として命取りになったのだ。走り出して5分とたたないうちに、街はあっという間に豪雨となった。フルフェイスのヘルメットが意味を為さないほどに視界は悪くなり、雨脚は強くなる一方だった。雷は光が見えて間もなくすさまじい音が轟くほど、近くに来ていた。
 ほんの一瞬だった。あたりを眩しい光が包み込み、激しい衝撃とともに体が宙に浮いた。雷に打たれたのかバイクがスリップしたのかを判断している余裕もない。僕のぼんやりとした視界には、いとも簡単に横転した400ccのバイクが、大粒の雨に打たれている姿が映った。
 僕は死んでしまったのだ。そして、ここはおそらく死後の世界なのだろう。よくよく考えてみればこの建物には不思議なことが多すぎる。やけに眩しく静かなロビー。ソファに一人で残されているにも関わらず安らかに眠り続けている赤ちゃん。ここで働く人間の不可解な時間の感覚。普通ならあるはずのない0階。そして、どの部屋にも窓がない。壁にあるのは扉だけだ。
「…さん、川澄さん」
 その声で、夢から呼び起されたような感覚がした。ふと我に返ると目の前には女とユリの花が見えた。
「只今、記憶を戻させていただきました。今あなたがどういう状況置かれているのか、そして、ここがどこなのか、大まかにご理解いただけたのではないでしょうか」
 僕は小さく、しかし的確に頷いた。女は優しく笑って、
「おそらく川澄さんが今お考えになられている通り、ここは死後の世界です。そして、ここでは死者の皆さまの一人ひとりに、次の国に移る審査を受けていただいております。すべての死者はここに集うことになります」
 次の国とは一体どこなのか。混乱し始めている僕の心を読んだかのように女は言った。
「少し、次の国について説明させていただきますね。『この世』の言葉で言わせてもらいますと『あの世』には、三種類の国があります。一つ目は、死刑などの処刑によって命を落とした人が存分に反省するための国です。二つ目は、あなたのように不慮の事故や病気で亡くなってしまった人のための国です。ここに入国される方が最も多いですね。そして、三つ目は、殺されたり、なんらかの理由があって自殺に追い込まれてしまった人、言い換えると、精神的に可哀想な亡くなり方をした人のための国です。川澄さんは審査の結果、豪雨によるスリップ、つまり、交通事故で亡くなった、ということでよろしいですね」
「…そのようですね。はい」
 声は自分のものとは思えないほど小さく、微かに震えている。
「安心してください。人間は生き死にを繰り返すのです。何事にも始まりと終わりがあります。そして、それは決して途切れることのない巨大な輪として存在するのです。何も特別なことではありません。でも、気が動転してしまうのは当たり前のことです。少しここでお休みになってください。」
 そう言って女はゆっくりと部屋から出ていった。
 意識ははっきりとしている。頭もしっかりと回転している。
 僕は、死んだのだ。もう妻にも娘にも、会うことはできない。
 コンコン
 どのくらいの時間が経ったのだろうか。少し眠ってしまっていたようだ。部屋を見渡すと一輪の小さなユリの花が目に入った。先ほどの出来事は夢などではなかった。そして、自体は何も変わってはいないらしい。振り向くと、先ほどの女が部屋に入ってきていた。
「少し落ち着いたようですね。慌ただしくて申し訳ありませんが、今日は大変込み合っているようでして、すぐにでも次に移っていただきたいのですが、大丈夫でしょうか。」
 女はとても申し訳なさそうな顔をして、僕の顔をのぞきこんでいた。
 僕は立ちあがり、女の後ろをついていった。二人でエレベーターに乗り込み、女は「屋上」のボタンを押した。エレベーターを降りると、「屋上」という名が付けられていることが信じられないほど、ロビーと同じように真っ白な世界が広がっており、ソファに変わって三枚のドアが床から十センチほど離れて宙に浮いていた。そして、微かではあるが風が吹いている。それぞれのドアの前には列ができていて、右のドアの前には人相の悪い男が数名並んでおり、真ん中のドアの前には様々な年代の男女が列を作っていた。そして、左のドアの前には比較的若い人たちが多いように思えた。
「ここが三つの国へとつながる場所です。審査を終えた人たちが順次ここに集まり、一人ずつ、入国していくのです。川澄さんは真ん中の列に並んでおいてください。順番はすぐに回ってくると思います。では、失礼いたします。あちらの国でもお元気で、楽しい人生を送ってください。」
 女は深く一礼をしてからエレベーターへと乗り込み、扉が閉まるまで僕に笑いかけていた。
 エレベーターから目を離し、逆方向にある扉にもう一度目をやろうとしたその時、僕の目に信じられないものが飛び込んできた。
 妻と娘だ。
 なぜだ、なぜだかわからないが、とりあえず、ここに、妻と娘がいる。二人で寄り添って、列の中に紛れ込んでいる。もう会えないと思って頭を抱えてから間もなく訪れた奇跡だ。これなら、僕の死は何の意味も持たない。入国してから、また家族三人で暮らせば良いのだから。自分が今、死後の世界にいる感覚なんてこれっぽっちもなくなった。よかった。本当に、よかった。二人が死んでよかった、と言うと誤解を招くかもしれないが、誰が何を言おうと僕の胸は今までにないほど高鳴っていた。喜びを胸に足早に二人に近付いていくと、だんだんと表情がはっきりと見えてきた。
 僕はすぐさま足を止めた。彼女たちの顔は無表情で、それでいて、目と鼻だけは真っ赤に染まっていた。
 二人は左の列の中にいた。
 

相互評価

102204

○最後がまさかのホラーで予想を裏切られた。こういうの好きです。比喩的な表現も多くて工夫されているなと思いました。
△「目と鼻だけは真っ赤に染まっていた」の意味がはっきりしていなと思いました。

119106

○人物について詳しく描写されていたので、とてもイメージしやすかった。また、ミステリのような感じで、最後の展開がひねられていた。
△ときどき説明が長いところがあった。

102114

○タイトルから結末まで綺麗な流れができていて、最後の結末も意外で面白かった。
△なんでユリなのかというのが気になりました。
 理由があるのなら少し説明を入れてくれるとありがたかったです。

102206

○最後の部分が切なくてよいと思いました。それまでの展開も、白などの明るいイメージを持つ言葉を多用して、最後にハッピーエンドをにおわせるようなものだったので、最後がより一層際立っていました。
△主人公と娘・母親の思い出のようなものを描くと、もっと良くなると思います。

102126

○終わり方が面白かったです。途中まではありがちかなと思っていたけど、予想外でした。
△娘も左の列に行くこと・目と鼻が真っ赤ということがよくわからなかったです。

102127

いいところ  結末が非常に巧みだと思います。驚かされました。
 妻と娘についてもっと描写があってもいいかなと思いました。

102121

○情景描写が詳しく、場面が目に浮かぶようでした。結末の意外性もよかったです。
△目と鼻が真っ赤、というのがすこし分かりにくいです。

102201

○結末の意外性が面白かったです。山川方夫の『夏の葬列』を思い出した。
△死者がつく3つの列の説明が、並んでいる人の描写だけにとどまっていて、はっきりと説明されていなかったため、最後のオチの部分が、弱くなってしまっていた。

野浪正隆


 よいところ 描写が的確で、イメージしやすい。ラストがサドンフィクションで、いろいろ考えさせます。
 こうしたら 前半の待合室の描写に説明的要素や評価的要素が含まれているけれど、無いほうがすっきりするように思います。視点人物の性格は別な形で表しましょう。 

102210

○印象的な比喩表現や詳しい情景の説明があって、イメージしやすかったです。結末には驚かされました。
△結末がこれだけではよく意味がわかりません。

102205

いいところ  比喩が効果的でした。ラストが衝撃的で良かったです。
 こうしたらいいのにというところ
 説明が多すぎる部分と、逆に説明がなさすぎる部分があったので、わかりにくいところがありました。

102207

○比喩をたくさん用いて細かい表現が多く、場面を想像しやすかったです。
△前半に比べ、結末のほうが表現があっさりしているという印象を受けました。

102203

○オチが衝撃的で、インパクトがあってよかった。
  謎が残る感じなのもよい。
△列の説明があってもよかった。予想はできるが、あった方がオチがすんなり入ってくる。

チャンネル
 119106

 
 気がつくと、私はがらんとした部屋にいた。
 壁紙も天井も灰色で、唯一の照明は、白々と部屋の中央だけを照らしている。
 そして、その下にはブラウン管のテレビと革張りの椅子があり、向かい合わせに配置されている。
 私はその椅子に座っていた。
 ここはどこなのだろう。
 
 しばらくぼうっとと部屋を眺めていた。
 部屋には他に何もなかった。
 不思議に思いながらも、他にすることもないので、私はテレビの電源を入れた。
 テレビでは、ワイドショーが流れていた。
「もっと面白いのないのかしら。」
 私はチャンネルをまわした。
 ドラマが流れているチャンネルがあった。
 学生の恋愛を描いたもののようだった。
 自分が観るようなものではない。
 そう思ったが、ふと映った風景に目を奪われた。
 これ、彼と行ったお店だわ…。
 ずいぶん昔のことだが、全く変わっていない。
 驚いて見入っていると、画面の青年が大きく映った。
 それは、懐かしい彼の顔だった。
「それで、さっきの話なんだけど…。」
 記憶が鮮明に蘇ってくる。
 憧れの先輩で、交際を申し込まれたときは、夢でも見ているのかと思った。
 最初は華やかな生活をしている彼に連れられて、とても楽しかった。
 しかし、同時に、戸惑うことが多かったのも事実だ。
 彼はあまり裕福でない人をどこかばかにしているところがあった。
 私の家は、父が頑張って立て直し、そこそこの生活になっていたこともあって、彼の態度が気になっていたのだ。
 それでも、裕福な生活に憧れていた私は、ずるずると付き合っていたのだが、ここで、プロポーズをされたのだ。
「聞いてる?」
 と画面の中から声がした。
 思わず返事しそうになる。
「なあ、百合子。」
 呼ばれて思わず前を見ると、私は店の中にいた。
 目の前には彼がいて、こちらを見ている。
 あまりのことに声が出せないでいると、彼が、
「返事が欲しいんだけど。」
 と言ってきた。
 私は、回らない頭で必死に考えた。
 ここで、「はい」と答えたら、もしかして、違う人生が待っているのだろうか。
 私は結局、あまり楽な生活にはならないかもしれないけれど、穏やかで、いい人だと思った男性と結婚した。
 しかし、やはりお金の面で苦労することは非常に多かった。
 そんな苦労はしないで済むのだろうか。
 私は逡巡したが、「はい」と答えた。
 盛大な結婚式が行われ、私と彼の生活が始まった。
 結婚後、間もなくして、彼は仕事が忙しくなったといって、あまり帰ってこなくなった。
 仕事ではないことで忙しいのは分かっていたけれど、目をつぶっていた。
 とても生活が楽だったからだ。
 仕事をしなくてもいい、家事もしてくれる人を雇った。お金だって自由に使える。
 これでいい。
 しかし、ある日曜のことだった。
「どうしたの、お母さん。」
 母が急に訪ねてきた。
 少し会わない間に、ずいぶん老け込んでいた。
 いつもしゃんとしていた母は、顔色も悪く、肩も小さくなっていた。服もくたびれていた。
「お父さんのね、会社が潰れてしまってね。お父さん、元気なくなっちゃって。ちょっと大変なの。百合子の顔見たら元気になるかもしれないし、会いにきてやって。」
「そうなの…。わかったわ。」
 気丈に振る舞っている母を見ていると、涙が出そうになった。
 すると、彼が帰ってくるのが見えた。
 珍しい。今日も出掛けていたのに。
 彼が母を一瞥した。
「おい、誰だよ。」
 第一声がそれだった。
「こんな小汚いやつ、相手にするなよ。誰かに見られたらどうするんだ。俺のイメージってもんがあるんだよ。」
 私の母と気がつかないのだろうか。
 私の中で何かがぷつりと切れた。
「あなたといるのは、もうたくさんです。母と一緒に帰ります。」
 気がつくと、私は見慣れた和室にいた。
 かぎ編みのレースをかけた、木製のタンス。
 ちゃぶ台には、飲みかけのお茶が入った湯呑みが置いてある。
 畳のにおいがずいぶんと懐かしい。
 私は座椅子に腰かけていた。
 向かいには液晶テレビがあり、何年か前のドラマの再放送が流れている。
 ははあ、これであんな夢を見たってわけね。
 バタバタとにぎやかな足音がする。
「おばあちゃん起きたよ!」
「あっ、ほんとに。」
 孫と嫁がやってきた。
「お義母さんがうたた寝なんて、珍しいですね。」
「これ、まりがかけたんだよ!」
 肩にひざ掛けがかけてあった。
 そのひざ掛けを小さな手でつまんで、はしゃぐ孫を見ていると、顔が綻んでくるのがわかる。
「ありがとう、まりのおかげで暖かかったわ。」
 満足そうに笑う孫の後ろには、仏壇がある。
 そこには穏やかに笑う夫の写真が飾ってある。
 この人と結婚して、つらいと感じたことがなかったわけではない。
 けれど、一人の息子を授かって、三人で、慎ましやかに、けれど幸せも苦労もたしかに分け合って日々を過ごしてきた。
 そして、息子は今では気立てのいい女性と結婚し、愛らしい女の子を授かり、こうして共に過ごしている。
 なぜ違う人生なら…などと思ってしまったのだろう。
 あなたと結婚できて幸せな人生だったわ。
 台所からいい匂いがしてきた。
「もう少ししたら夕食ができるので、お義母さんはゆっくりしててくださいね。」
「あら、ありがとう。」
 何をして待とうか。
 ふとテレビに目をやると、ワイドショーになっていた。
「もっと面白いのないのかしら。」
 私はテレビのチャンネルをまわした。
 

相互評価

102206

○タイトルと小説の内容が上手くマッチした作品だと思いました。
△物語の山場となる部分が少し物足りないと感じました。

102114

○最初と最後が一致していて夢と現実に重なっているところがよかった。
△山場をもう少し詳しくすると、よりよかったかもしれません。
 彼の一言だけで今の彼がよかったとすると少し薄いような気がしたので。

102131

○最初と最後がつながっている。
△夢の中での出来事が薄い。

102209

○チャンネルという設定がユニークでおもしろかったです。
△もうすこし実際に結婚した人との深いエピソードがあればよかったかなと思いました。

102126

○テレビのチャンネルと人生の選択をかけているのが斬新だと思いました。
△山場や一つ一つのエピソードが少し薄いように感じます。

102121

○チャンネルと人生という組み合わせがおもしろいと思います。
△全体的にもう少し話を膨らませると良かったのではないかと思いました。

102204

○ストーリーがおもしろい。
△たんたんとした感じだったので、着目するところをもっと強調させた方がいいのかなと思った。

102201

○回想シーンへの入り方の仕掛けがおもしろいと思いました。
△全体的にあっさりとした印象があって、なんとなく読み足りないという感じがしたので、全体的にもっと詳細に書いてもいいと思いました。

野浪正隆

いいところ 星新一のショートショートのように短くてかっちりとまとまった話です。
 こうしたら 夫が帰ってこない・母と知らずに侮辱する だけでは弱いので、もっと別れることが自然になるような彼の行動を追加しましょう。

102210

○最初と最後の夢のつながりがあっておもしろい。
△もっとゆめの中の男のひどさが強調されていたほうが、実際に選んだ夫のほうの良さが強調されるのではないかと思いました。もしくは、実際の夫とのエピソードと比較してみるとか。

102205

いいところ  短くすっきりと話がまとまっていて良かったです。
 こうすればいいのにというところ
 実際の夫の良さがもっと描かれていたらよかったかなと思います。

102127

いいところ  短い話の中に、しっかりとストーリーがまとまっていると思いました。
 話の中心部がやや見えにくかったです。

102207

○人物設定がわかりやすかったです。また、簡潔な文書で書かれており、すんなり読めました。
△全体的にあっさり書かれていたので、主人公の心情を細かく描写するなどの工夫をしたら、もっと面白くなると思います。

102203

○短い文で進行するので読みやすく、舞台の空気感がよく伝わった。
△オチの部分が長いので、もっと簡潔だとよかった。


 102206

 「ひまだな……。」
 ベッドの上で憂鬱そうにKはつぶやいた。
 中学最後の夏休みが終わりに近づいていたが、Kにはすることがなかった。目を閉じれば中学最後の試合が頭にフラッシュバックする。
 ダン・ダン、キュッ・キュッ――。ボールの音、スニーカーと床の摩擦音、プレイヤーたちの声が聞こえてくる。残り2秒で2点差。Kはこの土壇場でボールを受け取った。マークはついていない。絶好のチャンスだ。Kが放ったボールはきれいな放物線を描きながらゴールリングへと向かっていく。会場が静まりかえる中、試合終了を知らせるブザー音が鳴り響く。入った!ブザービート、大逆転勝利だ。見方チームが湧き、Kも涙を流して喜んだ。
 ……そんなこと、まるでない。Kのはなったボールはゴールリングにはじき返され、会場全体からの溜息と相手チームの歓喜で試合が終わったのだ。小説や漫画のように人生は都合よくはいかない――Kは若干十五歳にして、そのことを痛感した。
 中学生活の全てをバスケットボールに捧げてきた。生活の8割を占めていたものがおわったのだ。Kは完全に燃え尽きてしまい、いわゆる無気力症候群になってしまっていたのだ。
 「あんた、寝てばかりいないで勉強しなさい!」
 母が扉を勢いよくあけ、部屋に入ってきた。閉められたカーテンを開け、なにやらごちゃごちゃ言っている。母の言うことも分かる。高校受験を控えた中3のこの時期というのは忙しいものだ。部活の友達も最近塾に通い始めたらしい。勉強しなければいけない。そんなこと百も承知だ。
 でも、やる気がでねんだよ!
 母親に促されるままにKは机についた。一応教科書とノートを開き、一応シャーペンを持つ。母親は満足したのか部屋から出ていった。Kは椅子の背もたれにもたれて目を閉じた。
 ここは?廃墟?辺りにはいくつかの炎があがり、黒煙がそこらじゅうを満たしている。手にはピストル、服装も何か変だ。
 何かがゆっくり近づいてくる。変な動きをしながら。2人ほど。
 え?ゾンビ!?
 驚くべき状況の中、現実主義者であるKは何もかも分かっていた。しかし、この非日常の世界にもう少し浸りたい――いや、あの退屈な日常に戻りたくない、という思いから、もう少し寝ていることに決めた。
 とりあえず目の前の気持ち悪い2体を撃ち殺した。冷静にあたりを見わたすとそこは、あの体育館だった。先ほどの二体のゾンビもどこかで見たことのあるような顔だった。
 思い出そうとしているうちに、いつのまにか周りを三体のゾンビたちに囲まれた。思い出した!さっきのは相手チームのやつらだ。そしてこいつらも……。襲いかかってくるそいつらをKは次々と倒していく。おもしろいことにこの世界のピストルは弾の補充をしなくて良いらしい。
 いつのまにか見たこともないような場所にきていた。外国のようなその場所も、先ほどの体育館とおなじように、あちらこちらで炎があがり、黒煙がたちこめていた。気が付けばまわりには100を超えるゾンビの大群が取り巻いていた。本当に都合の良いことに、手には先ほどのピストルではなくマシンガンがあった。最強だった。弾の補充が必要ないため、無限に敵を倒し続けた。
 また、見たこともない場所に来た。いや――俺の家だ!一体のゾンビ。ウソだろ、武器がねえ!
 Kはとりあえず自分の部屋に逃げ込んだ。なぜか安心し、休憩しようと椅子に座って背もたれにもたれかかった瞬間、肩に手が!とにかく机の上の物を投げつけた。
 気が付くと、見るからに怒っている母が目の前にいたのだった。辺りにはペンやらノートやらが散らばっていた。母にこっぴどく叱られ、しぶしぶ勉強することになった。しかし、退屈な日常生活にもどった気だるさは、もともとやる気のなかったKの心を、より空虚なものにした。
 勉強していても分からない問題ばかり。特に英語なんて動詞の過去形あたりから分からなかった。当然おもしろくない。Kはリュックを取り、懲りずに部屋の窓から家を抜け出した。
 天気は普通だった。晴れ時々曇りといった感じだ。とりあえずあの体育館に行くことにした。
「おはようK。どこ行ってんの?」
 そう声をかけてきたのは、隣の隣の向かいに住む女の子だった。幼馴染で厄介なことにKの母親と仲が良い。家から30メートルほど離れているものの、Kにとってはよろしくない状況だった。なんとかこいつをこの場から遠ざけなければ――
「―ぇ、ねぇ聞いてるの?」
「あぁ、聞いてるよ。お前こそどこ行くんだよ?」
「自動車教習所!車の免許とるんだ!」
 Kは少女をこの場から遠ざけることで頭がいっぱいで、話の内容なんてどうでも良かった。
「途中まで一緒に行こう!」
 Kはそう言い、足早にこの場を離れた。
 
 「さっきも聞いたけど、どこ行ってんの?」
「あぁ、体育館だよ。」
「どこの?」
「最後の大会のだよ!」
「えっ!あそこめちゃめちゃ遠いよ!?歩いて行ける距離じゃないって!」
「いいんだよ!暇だから!」
 ちょっと強く言ってしまい、少女は黙り込んでしまった。
「それよりさ、お前将来どうすんだよ?」
「私?私は将来、東京に行きたいんだ。それでね、でっかいビルのなかで働くの!」
 彼女は満面の笑みでそう言った。
「東京!?そんなの無理に決まってるやろ!」
「決まってないよ!そりゃあ確かにお金かかるけど……」
 (お金じゃなくて頭の方に難ありだよ!)Kは喉のすぐそこまで出かかった言葉を飲み込んだ。
「まあ、良いんじゃねーの?やりたいようにやれば。」
 Kは少女の夢を馬鹿にしていたが、目の前で夢を語る幼馴染の少女をうらやましいとも思っていた。
 自分だけ取り残されているというような寂しさも――
「あんたこそどうなのよ?相変わらずバスケの選手?」
 不意打ちだった。
 バスケ選手――
 確かに今までずっとそう思ってきた。書写の時間で夢について書かされたときも「バスケ選手」と書いたし、国語で将来の夢についてのスピーチ文を書かされた時もそのテーマで書いた。
 あのときからだ。ブザー音が鳴り響く中、ボールがゴールリングにはじき返され、歓声が溜息に変わった瞬間から、Kは完全に自信を失ってしまっていた。
「―ぇ、ねぇ聞いてるの?」
「あっ。うん。まぁそんなとこ…。」
 Kはそう応えた。
「それな――」
「ごめん。おれ急ぐから。」
 少女が何か言おうとするのをさえぎり、Kはそう言って走り出した。この場から一刻も早く立ち去りたかったのだ。明らかに不自然な別れ方をしてしまったが、Kにはそんなことどうでも良かった。走り去るKの姿を、その少女は心配そうに見ていた。
 「よっ!」
 体育館まであと1キロというところでYと会った。
 Yはバスケ部の元キャプテンで、部内ではKの次に上手かった。というより、KとY以外に上手い選手がいなかったのだ。
 それにしても、今日はよく人と会うなぁ――
 「―ぁ、なぁ?」
「ん!?」
「『ん!?』じゃねーよ!どこ行ってんの?」
「あの体育館。最後の大会の。」
 さっきみたいに何度も口を開くのが面倒だったため、Kは一息で答えた。
「まじ?奇偶じゃん!おれも今そこ行ってんだ。」
「なにしに?」
「バスケに決まってんじゃん!お前もだろ?」
 Kは言葉に詰まった。何しに?バスケ?
「おれは、別に。なんとなく……。」
 Kはうつむきながらそう言った。
 そうこうしている間に体育館についた。不思議なことに、真夏にかなり長距離を歩いたというのに汗をかいていなかった。
 「なぁY、毎日バスケやってんの?」
「まぁな。」
 Yは当然といったようにそう応えた。
「お前も早く用意しろよ。1オン1やろうぜ!」
「オッケ。あっ――。」
 Kは何の計画もなく家を飛び出し体育館にきたため、バッシュなどの用意はしていなかった。
「バッシュないわ……。」
「えっ!じゃあそのリュックの中、何が入ってんだよ?」
 Kはリュックの中を見た。
「あっ――。」
 なぜか、バッシュが入っていた。それだけでなくユニフォームまで。
 本当に今日は不思議なことがよく起こるなぁ――
 「―ぁ、なぁ?」
「ん!?」
「『ん!?』じゃねーよ!早くやんぞ!」
 ダン・ダン、キュッ・キュッ――。
 たった一週間前に聞いた音なのに、ずいぶんと懐かしい気がした。
「やっぱKは上手いわ!もちろん高校でも続けるんだろ?」
「…い―」
「おーい。」
 Kの言葉をさえぎるようにして、体育館の入り口のほうから複数の声が聞こえた。
 そこにいたのはKたちと同じ、部を引退したバスケ部員の3人だった。なぜか3人ともユニフォーム姿だったが、Kは全然気にならなかった。
「お前らもやろうぜ!」
 Yが叫ぶと、3人は本当にあっという間に目の前に来て、ボールをついていた。
 しばらく5人でバスケを楽しんでいると、体育館の入り口のほうに5つの影が現れた。
 「あいつらだ…。」
 Kがつぶやいた。その声は寂しさや憎しみなど、何かははっきり分からないが、負の感情が込められていた。
 それからなぜか、試合をすることになった。
 因縁の対決―。そういうと大げさに聞こえるかもしれないが、Kにとっては、それほどまでに大きな対決だった。
 試合は全くあの時と同じ展開だった。第一クォーター・第二クォーターとこちらがリードし、第三クォーターにひっくり返された。
 そして第四クォーター。残り2秒2点差。Kはこの土壇場でボールを受け取った。マークはついていない。絶好のチャンスだ――
 そう思った瞬間、脳裏にあの時の記憶がよみがえった。歓声が溜息にかわったあの瞬間……。
 怖かった。震えた。これまでにないくらい。でも撃つしかない。いろいろな思いがその一瞬で頭の中を駆け巡る。
 Kの放ったボールがゴールリングに吸い寄せられていく――――。
 気がつくと試合は終わっていて、Yと二人で体育館から家への帰路を歩いていた。あのシュートの行方は記憶にないが、不思議と気にならなかった。
 「やっぱKは上手いわ。高校でも絶対続けろよ!」
 Yはそう言って去って行った。
 
「K、お疲れ。」
 一人で家へと帰っているとあの少女が現れた。なぜか車に乗って。
 Kは不思議に思うことなく少女の運転する車に乗った。
「バスケしてきたんだ?」
「ちょっとだけな。」
「どうだった。」
「ふつう……。まぁ楽しかったよ。」
「やっぱり、将来はバスケ選手になんの?」
「まぁ、そんなとこかな…。」
 Kは照れくさそうに言った。
「それなら、もっと練習しなきゃね!」
 Kは微笑みながら背もたれにもたれた。
 その瞬間頭に大きな衝撃を感じた。
 
「勉強しなさいって言ってるでしょ!」
 気がつくと、ゾンビのような形相で母親が立っていた。
 Kは分けがわからず、一応教科書とノートを開き、一応シャーペンを持った。母親は満足したのか部屋から出ていった。
 (あっ、そういうことか――)
 Kは光が差し込む窓から外を見た。すると隣の隣の向かいに住む幼馴染の少女が水鉄砲で遊んでいた。
「ひまだなぁ……。」
 少し微笑みながらKはつぶやいた。
 

相互評価

102114

○幼馴染が自動車の免許を取りに行くというところで、読者は明らかにおかしいと感じるのに主人公がおかしいと感じていないところが夢らしさを出していてよかったです。
△最初のゾンビの夢があったことの意味付けがあまりされていないように感じました。

119106

○幼馴染パートで自分の夢について考えだし、結論を出すという構成がよかった。
△ゾンビの話をもう少しわかりやすくリンクさせるとよかったと思う。

102209

○ゾンビの夢と、ゾンビのそうな形相の母親という描写の関連がユニークで面白いなと思いました。
△人物名がイニシャルで表記されているのに、所々に一人称の語りがあったので少し違和感がありました。

102137

語りに意思があって読みやすかったです。
 夢オチというのも、物語の構成としてよかったと思います。
 主人公が今後どうするのかということについて夢のあとに考えるような場面があってもよかったと思います。

102126

○夢が重なっていて惑わされる展開になっていたのも面白かったです。
△ゾンビの夢の効果がよくわからなかったです。

102121

○夢と現実の使いわけ方が上手だと感じました。
△最初のゾンビの夢を後半で活かせるとより良かったと思います。

102204

○夢とは書かれていないのに、ところどころにそれを感じさせる表現がいいと思った。
△ゾンビは何のためにでてきたのかわからなかった。

102201

○夢と現実の混同が、一瞬読み手にも起こるような仕組みになっているのがおもしろかったです。
△みんなと同じように、ゾンビのくだりは少し唐突な印象を受けました。

野浪正隆


 いいところ 描写がgood。リアルです。
 こうしたら
 若干十五歳  → 弱冠十五歳
 懲りずに部屋の窓から家を抜け出した。→懲りずに は不要
 あのときからだ。ブザー音が鳴り響く中、ボールがゴールリングにはじき返され、歓声が溜息に変わった瞬間から、Kは完全に自信を失ってしまっていた。 → ブザー音が鳴り響く中、ボールはゴールリングにはじき返され、歓声が溜息に変わった。
 でカットバックするというのはいいと思いますが。
 現実世界で暑さを描写しておいて、夢の世界では暑さの描写は無しにしておく(今のママ)と両世界の異質さがより際立つと思います。

102210

○どこからが夢でどこまでが夢なのかわかりづらくておもしろかったです。
△最後に夢の世界で気付かされたことによる、主人公の変化が描かれていても面白かったと思います。

102205

いいところ  描写がリアルで、情景が目に浮かんできました。
 こうしたらいいのにというところ
 最初のゾンビのところがよく分かりませんでした。

102127

いいところ  描写の表現が巧みで、臨場感がありました。
 ゾンビの存在意義がもう少し際立つ書き方であればさらによかったかと思います。

102207

○書き方によっては浮いてしまうような、夢でしかありえないことが違和感なく書かれていたので、読んでいて面白ったです。
△会話文が長く続くところが多くありました。間に誰がどのように言ったのかなどの描写を入れると読みやすくなると思います。

102203

○ 情景描写が細かくてリアルでよい。
△ゾンビのつながりはおもしろいが、効果があるとはいい難いように思う。