本章では、研究に至るまで、及び今回の研究対象である、まど・みちお氏の略歴を扱う。第1節では研究動機について、第2節では研究目的について、そして第3章では、まど・みちお氏の略歴について述べる。
研究を始めようと考えたそもそものきっかけは、3回生の基本実習でまど・みちお氏の詩を扱った際に、まど・みちお氏のもつ世界観に興味をもったことだった。授業そのものはつたなく反省が多いものであったにもかかわらず、児童たちは普段の授業では見せないようないきいきとした表情をみせ普段の授業に比べ主体的に活動に参加している姿が多くみられた。そして私自身、授業を構想する際も授業の中で児童とともに詩を味わう際も、まど・みちお氏の独特の視線や物事の捉え方におもしろさを感じ、惹きつけられた。この経験から、子どもから大人まで多くの人を惹きつけてやまない氏の魅力はどういうところにあるのか明らかにしたいと考えるようになった。
そうして、まど・みちお氏について調べることにしたのだが、調べる過程で、まど・みちお氏は詩だけにとどまらず、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など広く知られる童謡も書いていることを知った。しかしそれと同時に詩と童謡の区別は曖昧であり、時には仕切りをなくして詩集としてまとめて出版されることさえある、ということも知った。例えば、今回研究対象とした、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)においても、「少年詩、童謡、散文詩等と区分されることがありますが、全て詩であるという考えから本詩集を編纂しました。」と記されている。
このことから、詩集における「詩」の定義は極めて曖昧なものであり、定義は各出版社にゆだねられていることが分かる。しかしながら、まど・みちお氏本人は「詩」と「童謡」の違いを意識して作品を発表している。そのことはまど・みちお氏本人による以下の記述から分かる。
私の場合は、詩と童謡では明らかに手法が違いますね、書く場合に。童謡というのは、本当にザックバランでなくちゃならんと思います。ザックバランであることが純粋であり、何かを持っていることであるような。ですから、童謡は詩よりはるかにむずかしいとおもいます。(『日本児童文学別冊 少年詩・童謡への招待』1978年7月 日本児童文学者協会)
ところで、わたしがこの本のなかでつかっている<少年詩>ということばですが、この<少年詩>というのは、小学校中・上級から中学生ぐらいまでのみなさんに読んでもらうための詩を言います。<童謡>というのは、幼稚園から小学校低学年までの幼児・児童をにして、作曲され、歌われるものを言います。〔…中略…〕<少年詩>(<少年少女詩>とも言う)は、この<児童詩>とも、<童謡>とも、またおとなのための現代詩ともちがうもので、それらとは別の、一つのなのです。(まど・みちお少年詩集『つけもののおもし』1979年2月 ポプラ社文庫)
一方で、氏も両者の違いを意識の上では公表しているものの、表現上の理論は明示していないのである。そのことについて谷悦子氏は次のように述べている。
まどは、童謡とは自分の中のみんなが創る集団的な普遍性をもった世界だと考えている。(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年5月 和泉書院)
まど・みちお氏が抽象的に童謡論を論じずに自作解説の形を取るのは、理論があって作品が生まれるのではなく、作品から理論が導き出されると考えているからである。これらのことから、まど・みちお氏の考える「詩」と「童謡」はそれぞれどのような特徴があり、どのような違いがあるのか、ということを表現の観点から捉え、「詩」と「童謡」の表現特性の違いを明らかにしたい、と考えた。(同上)
本研究の目的は、まど・みちお氏の詩と童謡の特徴を表現の側面から分析し、比較することで、詩と童謡の違いを表現特性の面から明らかにすることである。前節で述べた通り、これまでまど・みちお氏は、詩と童謡の違いに関わる表現論を、表だって論じてこなかった。また、まど・みちお氏にまつわる研究に関しても、氏の考えや作品の主題についてのものが多く、殊に詩と童謡を区別した上で研究がおこなわれる機会が少なかった。これらのことを受けて、これまで、まど・みちお氏が表だって発表してこなかった表現の面に着目し、表現特性という新たな一面から、詩と童謡の特徴を中心にまど・みちお氏の作品全体の特徴を明らかにしたい。
本名は石田道雄(いしだみちお)。1909年11月16日に山口県徳山市に生まれる。6歳の時に、母が兄と妹を連れて台湾で仕事をしている父のもとにわたり、まどは一人祖父のもとに預けられる。この頃のまどは、肉眼でやっと見えるくらいの小さなもの、かすかなものを見るのが好きだった。その後10歳(1919年)で両親と兄弟のいる台湾へ渡って青年時代を過ごし、20歳(1929年)のとき台湾総督府道路港湾課に就職する。また、22歳(1931年)のとき台北ホーリネス教会の大沢豊助牧師によって洗礼を受ける。25歳(1934年)のとき絵本雑誌「コドモノクニ」(東京社)をみて北原白秋・選の「童謡募集」に応募し、特選に選ばれる。このことがきっかけとなり多くの雑誌に作品を投稿したり同人誌「昆虫列車」を出版したりするなど、子どものための詩・童謡の創作に力を入れるようになる。戦時中は海外各地を転々としながらも作品を書きつづけ、シンガポールにて敗戦を迎える。終戦後は日本に戻り、次々に作品を発表する。54歳のとき、これまでに発表してきた童謡をまとめて『ぞうさん まど・みちお子どもの歌一〇〇曲集』(1963年 フレーベル館)として出版し、59歳の時には初めての詩集である『てんぷらぴりぴり』(1966年 大日本図書)を出版する。そして、85歳(1994年)で、世界最高の児童文学賞とされる「国際アンデルセン賞作家賞」を受賞。その後も作品を発表し続け、103歳になった今でも、なお作品を世に送り出している。
詩集・童謡集に『てんぷらぴりぴり』(大日本図書)、『まめつぶうた』『しゃっくりうた』『いいけしき』(以上、理論社)、『まど・みちお詩集 全6巻』『風景詩集』(以上、かど創房)、『THE ALWAYS』(すえもりブックス)、『ぼくがここに』(童話屋)、『ぞうさん』(国土社)、『まど・みちお童謡集』(彌生書房)、『おおきい木』(ドレミ楽譜出版社)などがあり、教科書にも作品が多数掲載されている。
以上の著作物や『まど・みちお全詩集』(理論社)により、サンケイ児童出版文学賞、児童福祉文化賞、日本児童文学者協会賞、野間児童文芸賞、巌谷小波文芸賞、小学館文学賞、川崎市文化賞、ダイエー童謡大賞、芸術選奨文部大臣賞、産経児童出版文化賞大賞、路傍の石文学賞などを受賞し、高い評価を得ている。そして、全業績に対し、1994年国際アンデルセン賞作家賞が日本人初として贈られる。
本章では、詩・童謡についての一般的な定義、及び、まど・みちおの作品に関して現在までに研究されていることを中心にまとめる。第1節では現在の詩・童謡に関する一般的な概念を述べる。第2節では、まど・みちお氏の作品全体の傾向や詩・童謡の違いについて調べた先行研究の中から、作品分析で使用する項目に取り入れたい観点を、いくつか挙げる。
本節では、詩と童謡の定義の仕方についていくつか例を挙げながら、現在詩と童謡にはどのような定義付けがなされているのかを考える。
まず、辞典ではどういった説明がなされているのかを見ていく。今回参考にした辞典は『日本国語大辞典 第二版』(2001年 小学館)である。本辞典を選択した理由は日本最大の国語辞典であり多く研究に用いられているという実績があるからである。そこには、以下の意味が記されている。
- 中国の韻文の一体。一句が四言・五言・七言からなるのが普通で、平仄(ひょうそく)・韻脚などの発音上の約束がある。また、これをまねて日本人が作る韻文。漢詩。唐歌(からうた)。
- 文学の一部門自然や人事などから発する感興を一種のリズムをもつ言語形式で表したもの。押韻・韻律・字数などによる律格のあるものと、そうでない自由なものとがある。叙事詩、抒情詩、劇詩などに分けられる。
(『日本国語大辞典 第二版』2001年 小学館)
- 子どもたちによって自然に作られ、歌われる歌。子どもの作った歌や詩など。わらべ歌。
- 主に大正期以後、子どもにも理解できる世界を歌った歌曲。代表的な作詞家に北原白秋、野口雨情ら、作曲家に山田耕筰、中川晉平らがいる。
- 民衆によっていつのまにか作られはやった歌謡。時流に対する風刺や予言的意味を含んだ歌。もと、神意が幼童の口を通して人々に示されると考えたところからいう。はやり唄。わざうた。俚謡。
(『日本国語大辞典 第二版』2001年 小学館)
今回扱うまど・みちおの詩・童謡は、ともにAの定義に適合するものと考えられる。詩の場合は、「一種のリズムをもつ言語形式で表したもの」というように、定義の中に童謡も内包していると解釈できる。
次に畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』(2007年 恵文社)を見ていく。本書は、これまでの詩人などによる童謡に関する定義づけを、1冊にまとめている。したがって童謡論を述べた各人に対する筆者の評価は含まれているものの、これまでの多くの童謡観がまんべんなくまとめられていると考え、今回参考にした。
畑中圭一氏は、本書の中で1910年以降の童謡の定義について、以下のように記している。
以上のことから、童謡という語には一九一〇年代末以降三つの概念が付与されていたことが分かる。すなわち、
子どもたちが集団的に生み出し、伝承してきた歌謡(わらべうた)
大人が子どもに向けて創作した芸術味ゆたかな歌謡
子どもたちが書いた詩(児童詩)
の三つである。これらの概念は時代の変遷に伴って段階的に変化したり(原文ママ)、止揚されてきたものとは言いがたく、時にはこの三つが混在し、童謡という語が三通りの意味で用いられたこともある。
(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年 恵文社)
今回の研究で扱うまど・みちおの童謡は、Aの意味にあてはまる。
ここまで、詩・童謡の定義を見てきたが、藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』(1977年 彌生書房)の解説にも「まど・みちおには少年詩の部面でも多くの作品がある。」とあるように、まど・みちおの書く詩は少年詩が多いという事実がある。まど・みちお『まめつぶうた』(1973年 理論社)、まど・みちお『つけもののおもし』(1975年 ポプラ社文庫)などのように「少年詩集」と銘打って出版している書籍も数多く存在する。したがって、ここでは詩の概念に加えて、少年詩の概念についても考えてみることとする。
少年詩は、子ども向けの詩である。大人の詩人が子どものために書いた詩のことであり、子ども自身の書く詩(児童詩)と区別するための呼称である。(…中略…)少年詩は、子どもの目ではとらえきれないものをこそ、表現していくことになる。
つまり、少年詩は、文化現象として与えられる詩との関係、そして子どもの書く児童詩の世界との関係において、詩としての自立を目指すことになる。児童文化の中の詩とも、児童詩の中の詩ともちがう、まさに児童文学としての詩が求められているわけである。(足立悦男『現代少年詩論』1987年 明治図書)
引用部分から分かるように、少年詩とは、大人によって子どものために書かれる詩のことである。
以上、3か所に掲載されている詩・童謡および少年詩の定義を見てきたが、すべてに共通して言えることは、書き手がどういう意思で書くかによって詩と童謡が決まる、ということである。つまり、明確な題材や表現上の定義は存在しないといえる。
本節では、表現特性にかかわる先行研究をまとめることを通して、作品分析の際の分析の観点を得る。まとめるにあたって、注意しておきたいことがある。
それは、先行研究の中でも、今回は表現特性について書かれているところのみを取り上げた、ということである。まど・みちお氏に関する先行研究には、氏の考え方や作品の主題などについて言及しているものが多かった。しかし、今回先行研究を収集する目的は、表現特性を知るための分析項目作りに生かすことなので、氏の考え方など表現特性以外の先行研究は、収集の対象から外した。
まど・みちお氏の表現特性に関する先行研究の中で、今回分析項目に取り入れたい観点は、大きく分けて3つあった。
1つめは、リズムの形成についての観点である。まど・みちお氏の作品全体、特に童謡において音楽性を持たせる工夫、つまりリズムの形成に関する表現上の工夫があると考えられる。このことは、以下の文章から判断した。
詩というのは、頭に伝えるのではなく、心に響かせるもの、だから、耳に訴えかけてくる響きの美しさやリズム、ニュアンスやユーモア、音色のような部分を大事にしなければと思っています。したがって、本当にまど・みちお氏の作品には音楽性はあるのか、またその音楽性が何によって形成されているのかが明らかになるよう、繰り返しの有無、他の連との文字数の関係などを分析項目に取り入れることとした。
(まど・みちお『いわずにおれない』2005年 集英社be文庫)
2つめは、視点のあり方についての観点である。このことについては、先行研究において以下のように記されてあった。
まど・みちおにおける視座の転換のもう一つの特質は、物の側から世界を捉えるところにある。(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1988年 和泉書店)
まどさんの詩には、たくさんの視線があります。宇宙から一匹の蚊にまで、くまなく注がれる、まどさんの視線したがって、どのような位置から、何を捉えているのか、という視点の設定についての分析項目を作成することとした。(工藤直子『まど・みちおのこころ』「深い哀しみ 大きな安心」2002年 佼成出版社)
3つめは、対話のあり方についての観点である。このことについての言及は、以下の通りである
そしてまど・みちおにおいては、<共同性>の回復は人間同士にとどまらず存在する全ての物との共生感である点で、時代を先取りした宇宙論的世界観を内包している。さらに表現の位相における共生感――対話は、作者と対象との間にあるとともに、作品内部の登場人物間でも存在する立体的な構造を有している。このことから、対話の有無、さらに対話の種類をいくつか見いだせるような分析項目を作成することとした。(谷悦子『まど・みちお 詩と童謡』1988年 創元社)
以上3点、先行研究を参考に、分析項目に取り入れたい観点をまとめた。この観点を分析項目に取り入れることにより、先行研究で述べられていたことが具体的に立証され、さらに詳しい表現特性も明らかになることが予想される。今回挙げた3つの観点を取り入れた分析項目については、第2章第3節にて詳しく説明する。
本章では、研究を進めるにあたって何をどのような手順で行うのかについて、明らかにする。第1節では研究対象について、第2節では研究方法について、第3節では研究の核である作品分析の際の分析項目について詳しく述べる。
今回の研究においては、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)に掲載されている全韻文詩1157編を研究対象とした。本節では『まど・みちお全詩集』の概要及び本詩集を研究対象として選択した意図について述べる。
はじめに、研究対象の概要を述べる。『まど・みちお全詩集』とは理論社の伊藤英治氏によって編集された詩集のことである。まど・みちお氏の詩集の中では最大規模を誇り、1994年に初めて出版された。そして出版後もさらに改稿を重ねたり、新たに作品が発見・制作されたりして2001年『まど・みちお全詩集』新訂版が同社から出版されるにいたった。今回の研究ではより新しい、まど・みちお氏の詩・童謡に対する表現の違いを知るために新訂版を対象とした。
次に、『まど・みちお全詩集』とはいかにして編集されたかを、編者の注意書きやあとがきから考えていく。作品を収録するにあたっての、伊藤英治氏による注意書きが掲載されていたのでここに引用する。
一・本詩集は、まど・みちおの全詩作品の収録につとめました。以上のことを踏まえて、本詩集の特徴の中でも特に、研究の前提として踏まえておきたい事柄を挙げる。
二・少年詩、童謡、散文詩等と区分されることがありますが、全て詩であるという考えから本詩集を編纂しました。
三・作品収録は発表順としました。但し、各作品の初出は編集者の調査に基づくものであり、今後の調査で新しく初出が確認された場合は改訂版で訂正します。
四・作品の初出及び詩集収録の底本は巻末の索引に記しました。
五・作品の完成推移を知るため、一部作品は原形と思われる初出稿を収録しました。
六・旧字旧仮名は新字新仮名に改めました。
七・本詩集は、著者のご了承を得て編者の責任において編集したものです。(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)
「しつけうた」「あそびうた」など応用文学とでもいうべきものは、まどさん自身ここに収めるのを恥ずかしがっておられます。しかしある時期のまどさんがこれらを書かれたことは紛れもない事実なので、全量の半分ほどをここに収録することに同意してもらいました。〔…中略…〕本書を全詩集と銘打ちましたが、今なお未収集のものや現在まどさんの身辺に未整理未推敲のまま埋もれている作品も相当数あり、完成には時間を要します。これらの詩は、この全詩集の再版又は改訂版出版の機会には改めて収録される予定です。したがって、全詩集という名前の通り現存する詩集の中で最も多くの作品を収録しつつも、今なお未完であり、緻密さから言うと十分ではないといえる。(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)
この詩集は雑誌新聞に発表した未定稿又は草稿を、そのまま収録した資料としてではなく、今、読者のみなさんに読んでいただく新詩集として編集を心がけました。まどさんは既刊の詩集を含めて膨大な全作品を構成時に推敲されました。〔…中略…〕詩は現在のまど・みちおの心象により近づいたのではないでしょうか(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)
これらのことから、「一部作品は原形と思われる初出稿を収録し」ているものの、大部分はまど・みちお氏の現在の考えや技法に即しているといえる。
以上2点が『まど・みちお全詩集』の最も大きな特徴である。
最後に、これまで述べてきたことを踏まえた上で、なぜ『まど・みちお全詩集』を研究対象として選択したのかについて述べる。最も大きな選択理由は、作品量が膨大であること、まど・みちお氏が現在持っている詩・童謡に対する考えが表現として表れていると考えたこと、の2つである。
1つめの理由について説明する。先にも述べた通り、『まど・みちお全詩集』はこれまで出版された他の詩集・童謡集と比較しても、掲載作品数が群を抜いて多い。そして、まど・みちお氏の作品をできるだけ多くの角度から正確に分析するために、なるべく多くの作品を研究対象にするべきだと考えた。
2つめの理由について説明する。先にも述べた通り、まど・みちお氏は本書を出版する際に、過去の作品に対して手を加えている。同じ時期に一旦手を加えることで、収録作品に『まど・みちお全詩集』発行当時の「詩」,「童謡」に対する考えが反映されていると考えた。したがって、本書が氏の詩集の中では比較的新しいことから、現在の考えをもっとも強く反映している詩集の一つであることが分かり、このことから、時代ごとの「詩」,「童謡」観の変遷や揺れをできるだけなくし、現在のまど・みちお氏の「詩」と「童謡」における表現特性の違いを研究することに適切であると考えた。
なお、本研究を進めるにあたって、ここからは「詩」という単語を使用する際、童謡と区別した意味で「詩」という言葉を使用する。したがって、童謡も含めた広義の「詩」に関しては、意味を混同しないためにも、「作品全体」という言葉を使用する。
研究方法は大きく分けて3つの段階からなる。1つめは、詩と童謡の分類、2つめは、分析項目に従った作品分析、そして3つめは、先に述べた詩と童謡の分類及び全作品の分析を踏まえたまど・みちお氏の作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明である。本節では1から3まで段階ごとに、説明を進める。なお、2つめの研究段階である分析項目についての詳しい説明は、第3章第3節に詳しい説明を譲ることとする。
詩と童謡を分類するにあたって、詩か童謡か、どちらとして発表されたかを2つの段階を用意して判断した。
第1の基準として、詩・童謡の専門誌に掲載されているもの、童謡と区別される形で「詩集」として出版されているもの、初出・底本いずれかで曲がついているもの、作品が音楽を専門とする出版社から出版されている書籍に掲載されているもの、作品が掲載されている図書の選者が作曲家であるもの、童謡募集に応募しているもの、童謡集の中に編みこまれているもの、を詩・童謡と判断した。
第1の基準に満たないものに関しては、初出の図書・雑誌を調べ、どのような形で出版されたのかを調べた。その中で、第二の基準を設けることとした。
第2の基準として、目次あるいは作品の掲載ページに「詩」または「童謡」の記載があるかどうか、という観点で分類した。
第1の基準について詳しく述べる。第1の基準は7つの項目からなりたっているが、このうち2~4、6は、『まど・みちお全詩集』(理論社2001年5月)に掲載されている出版情報を参考に、判断した。
詩・童謡の専門誌に掲載されているもの
詩・童謡の専門誌とした雑誌と根拠は以下の表の通りである。
この度、私たちが「子どもと詩」文学会を創設しようとする理由の一端は、このような少年詩を在るべきところに据えたいという願いもさることながら、死語の氾濫する現代の中から生命あることばを見つけ、さらに、創造の喜びをひとりでも多くの人にひろげたいという思いからにほかなりません。『てんぷらぴりぴり』(1968年 大日本図書)
(「ぎんやんま創刊号」 1974年11月15日「子どもと詩」文学会)
やっぱり『てんぷらぴりぴり』ですよね。あれは完全に詩集として出たわけでしょう。『まめつぶうた』(1973年 理論社)(「飛ぶ教室 45号」1993年2月 楡出版)
まど・みちおが、戦後二十三年目にして、童謡集ではなく詩集『てんぷらぴりぴり』(六八年)『まめつぶうた』(七三年)で、汎神論的な感覚と宇宙を覗き見るような眼差しと祈りをもって出現し、(以下省略)『まど・みちお詩集全六巻』(1974,75年 銀河社、後にかど創房より再刊)
(菊永謙・吉田定一編『少年詩・童謡の現在』2003年 てらいんく)
昭和四八年に『まめつぶうた』(理論社)、四九年から五十年にかけて『まど・みちお詩集全六巻』(かど創房)と、この時期に詩集が沢山でていますけれど、これらの作品も、もっと早くに作られたのでしょうか。○童謡であると判断した書籍(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
一九三五年に柴野民三や本多鉄磨らによって創刊された童謡同人誌『童魚』は。詩・曲・踊三位一体の≪童謡立体化運動≫を標榜し、童謡の広がりをめざす活動に取り組んだ。「昆虫列車」(昆虫列車本部)(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年6月4日 平凡社)
水上不二が書いたと思われる冒頭のマニフェストにはまず、「昆虫列車は先覚北原白秋先生の童謡精神に出発する」とあり、この『昆虫列車』も白秋系あるいは『赤い鳥』系であることを自認していたことが分かる。童謡雑誌『昆虫列車』は、一九三七(昭一二)年三月一日、水上不二の呼びかけに応えて、まど・みちお、(…中略…)を同人として創刊された。(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年 平凡社)
次に、第二の基準について詳しく述べる。先にも述べた通り、第二の基準は、目次あるいは作品の掲載ページに「詩」または「童謡」の記載があるかどうか、という観点で分類した。「詩」「童謡」という記載以外にも、童謡と区別される形で「童話」(「お話の木」子供研究社)と記されているものは詩と判断し、「詩」と区別される形で「歌声作品」・「曲譜」・「楽譜」(「日本児童文学」児童文学者協会)や「作曲」(「童話」日本童話会)と記されているものは童謡と判断した。なお「詩」の場合は先ほども述べたように、童謡と混同して「詩」と表記されている恐れがあるため、「詩」という表記があることに加えて、他の作品に関して「童謡」の表記がある場合のみその作品を「詩」と判断することとした。
作品分析は全ての作品を対象にして行った。作品の主題を特定しがたい作品などについては、不明と記し、極力正確な分析に努めた。分析項目についての詳しい説明は第2章第3節で述べることとする。
作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明は、作品全体と、詩・童謡を比較したものと、大きく2つに分けて行い、それぞれの表現特性を明らかにする。観点の2つめ「文字の使われ方」と3つめ「各分析項目の表現特性」に関しては、まど・みちお氏の作品全体の表現特性について言及した後、詩・童謡それぞれの表現特性に迫る、という順で述べることとする。ここから3つの観点についてそれぞれ詳しく述べていく。
詩と童謡の割合 作品の本文の中でどのような文字の使われ方がされているのか、ということ。調査にあたって、作品本文はデータ化した『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)のデータを使用し、漢字分析は大阪教育大学国語教育講座教員の野浪正隆氏による「野浪研究室」内の「漢字種別ルビ表示ページ」を使用した。
調査した内容は
@全ての文字数から漢字が使用されている割合
A漢字の内訳(小学1年生から6年生までの学年配当漢字に従い、どの学年で学習する漢字が使用されているかの割合)
B1作品あたりの文字数、
である。作品内に何度も使用されている漢字については、その回数分を数に含めた「述べ文字数」と、含めずに使用された漢字の種類を表す「異なり文字数」の2種類を調べた。調査の対象は作品の本文としたが、記号は含めずあくまで文字だけに限定した。また、ルビがふってある漢字については漢字とルビ部分のひらがな両方を数に含めた。
分析項目にしたがって分析を進めた結果を、分析項目ごとに着目して表現特性を調べる。
なお、以上の順序で研究を行ったが、B作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明、においてまど・みちお氏の表現特性を明らかにするために「全体の〜%」など全詩集に掲載されている作品を100として考えながら分析をすすめた。したがって、本研究内でたびたび「全体」や「全て」という単語があらわれるが、これは、まど・みちお氏のこれまでの全作品をさすのではなく今回の研究対象である、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)に掲載されている作品の範囲内で述べているということを先にことわっておく。
分析項目は、題名と本編の大きく二つに分けて設定した。その上で、本編の項目に関しては構成に関わるものと内容に関わるもの、表記にかかわるものの三つに分けて項目を立てていった。例として示した作品は、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)から引用したものであるが、そこに掲載されていた出版情報もともに記す。出版情報の表示の☆印は『まど・みちお全詩集』初版以後、著者の他の出版物で改稿、表記変更、改題等が行われた作品であることを示している。また、本文にルビがふってある作品は、ルビを対象の漢字の後ろにカッコづけで、記した。
○表現しているもの(主人公・背景・対象・見立て・行為そのもの・冒頭・主題・内容・その他)
題名が表しているものが作品においてどのような位置づけにあるか、ということ。
主人公…行動に加え、心理が表されているもの。さらに、実際に行動を起こしていなくても自らの行動をほのめかせる言い方(例:〜しようかしら)や、相手に行動を促す言い方(例:〜しろ)も行動に含め、「主人公」であると判断するための基準とした。
<例>「ポン博士」
月にも とどく ポーン弾丸(だま)背景…作品の内容には直接介入せず、作品世界を形づくっている背景となるものが表されている作品。「背景」はさらに細分化し、とき・場所・もの(人も含む)・状況に分類する。時間や季節など作品の舞台となっている時を表すものを「とき」、作品世界の舞台がどこであるかを表すものを「場所」、作品世界に登場する主人公や対象以外の人物が表されているものを「もの」、作品世界を形作る際に前提となっている状況が表されているものを「状況」とした。
発明しました ポン博士
あればいいなあ 戦争が
ポーンの ポーンと うちたいな
あれば あればと 待つうちに
でっかい 戦争が おきました
そこで とくいの ポン博士
お山に 大砲 すえました
目にもの見たけりゃ それ、ポーン
弾丸は地平線に 消えました
二分、三分……今頃は
敵めは こっぱみじん(・・・・・・) じゃろ
その時 来ました うしろから
地球を 廻った ポーン弾丸
あっ ドカン! だ ポン博士
ドカン! と 博士は 消えました
西陽の山に 片っ方の
拍車が 光っておりました
<初出>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局 *一部改稿 ☆
あるいてもあるいても日向(ひなた)だったの。A背景・場所
海鳴がしているようだったの。
道の両側から、
山のてっぺんから、
日の丸が見送っていたの。
お船が待ってるような気がして、
足がひとりで急いじゃったの。
ホホケタンポポは指の先から、
フルン フルン 飛んでいって
もうお母さまには茎(くき)だけしかあげられない
と思ったの。
いそいでもいそいでも日向だったの。
――ね、お母さま。
僕、あの時生まれて来たんでしょう。
<初出>「昆虫列車」第5輯 1937年11月1日 昆虫列車本部
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局
はながみが ないB背景・もの
たんつぼは どこだろう
口を かかえるように して
もどかしく
ひとと ひとの あいだを
すりぬけながら
柱を まわり
ばいてんを まわり
かいだんの 下を まわり
やっと たどりつく
さわやかに なった 頭に
にじのように うかんできたのは
――たんつぼの そうじを
なさる ひと
ああ いままで
思っても みなかった ひとが
いらっしゃるのだ
この 駅に
日本じゅうの 駅に
世界じゅうの 駅に
<初出・底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
おててに すくったC背景・状況
うみのみず
こぼれちゃだめよ
ね ね ね
パラソルの かげ
かあさんに
みせに いくのよ
ね ね ね
ほうら かあさん
うみのみず
こぼれたけれど
ね ね ね
ぎんの しずくが
ゆびさきに
きらきら ひかって
ね ね ね
<初出・底本>*音楽之友社編『童謡唱歌101番F』1967年7月30日 音楽之友社 平岡均之曲
なあい対象…視点人物または主人公が語ったり行動を仕掛けたりする対象が表されれいるもの。題名で示されているもののみが対象となっている場合は「対象(総体型)」とし、題名に示されているもの以外にも対象が存在する場合においては「対象(代表型)」とした。また、「対象」は「主人公」と混同しやすいが、区別する基準として、そのものの心理が描かれている場合は「主人公」、描かれていない場合は「対象」とした。
あめが
やんだ
きれいな
けしき
にじの
リボン
つけた
きれいな
けしき
<初出>「幼児の指導」1961年6月号(第7巻第3号)6月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
ぞうさんA代表型
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
ぞうさん
ぞうさん
だれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ
<初出> *佐藤義美編『日本童謡絵文庫第7巻新日本童謡集』1952年2月29日 あかね書房 酒田富治曲
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 團伊玖磨 *一部改稿
うさぎさんが きてね見立て…語り手が表現対象をそのものとしてとらえるのではなく他のものに見立てて表されているもの。
おなまえ つけてと
いいました
ピョンタちゃんと つけたら
ピョンと はねて
うふんと わらって いきました
すずめさんが きてね
おねまえ つけてと
いいました
チュンコちゃんと つけたら
チュンと ないて
うふんと わらって いきました
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館冨田勲曲
合唱隊の少女が行為そのもの…作品内で行われている行為そのものが題名になっているもの。ここでは内容や主題と区別するため、@主題ではないものA作品内容が行為の内容に終始していないこと(終始している場合は「内容」)という二つの基準を設けて判断した。
一○○○人
ひっそりと ねむっています
口のふさがった
このラッパの中で
ビーズのように ぎっしりと
からだを よせあって
いま きいているのです
生まれるまえに ならったきり
一ども うたえなかった歌を
ゆめの中で うたいながら
こえかぎり
耳を すまして
<初出・底本>『まど・みちお詩集1 植物のうた』1975年3月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房
まちの とおりを冒頭…作品の冒頭部分をそのまま題名として採用されているもの。
いばって はしる
タクシー すすす
すすす すすす
トラック たんたんたん
たんたんたん たん
だだだだ だだだだ
オートバイ
パトカー パトカー
うーうーうー
まちかど ストップ
あかしんごう
あおに かわって
またまた はしる
あるいている ひと
どこにも いない
<初出・底本>「保育の手帖」1962年11月号(第7巻第11号)11月1日 フレーベル館 渡辺茂曲 **初出タイトル「はしるはしる」一部改稿
じどうしゃ ぶぶぶただし、以下のような作品については、冒頭部分が題名になっているものの作品全体の主題を表しているので、主題が冒頭部で表現された作品であると判断し、「主題」とした。
まがる とき
あかい ちいさい
おててを ぴっと だす
――どなたも ごちゅうい
ねがいます
じどうしゃ ぶぶぶ
まがる とき
まがる ほうの
おててを ぴっと だす
――いまから こちらへ
まがります
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 中田喜直曲
もぐもぐさんは えらいな主題…作品を通して伝えたい思い及び作品の結末が表されているものとした。この場合、作者の思いが何かしら込められていると考えられるため、その思いが希望や喜びの場合「+」を、批判や悲しみの場合は「−」をつけた。どちらでもない場合や両方が表されている場合は「+−」とした。今回、「主題(−)」に当てはまる作品は、主題が明記されずに主題に直結するキーワードなどが表現されているものが大半を占めた。
おやつを わすれたことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども わすれたことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
もぐもぐさんは えらいな
おやつを いやがったことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども いやがったことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
<初出・底本>鈴木敏郎編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋 鞍掛昭二曲 **一部改稿
もぐもぐさんは えらいなA主題(−)
おやつを わすれたことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども わすれたことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
もぐもぐさんは えらいな
おやつを いやがったことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども いやがったことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
<初出・底本>鈴木敏郎編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋 鞍掛昭二曲 **一部改稿
にんげんには内容…作品の中身そのものではなく何について描かれているのかが表されているもの。
なく
わらう
うたう
はなす
いのる
ささやく
さけぶ
いう
などと つかいわけるのに
ただ
なく
だけでは
いくらなんでも わるいではないか
スズメや
セミや
ブタや
ウシや
カエルなんかに…
いくらなんでも…
<初出・底本>『まど・みちお詩集5 ことばのうた』1975年11月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **最終行を加筆
ヤオヤサンノ ウチノそして、以上のどれにも当てはまらないものは「その他」とした。
ヨナカノ ハナシ。
ニンジンノ トナリニ、
キュウリガ キタノ。
キュウリノ トナリニ、
ダイコンガ キタノ
ダイコンノ トナリニ、
アマウリガ キタノ。
アカ、アオ、シロ、キ、
アカ、アオ、シロ、キ。
クレヨン ミタイニ
ナランデ ミタノ。
<初出・底本>「昆虫列車」第10冊 1938年11月20日 昆虫列車本部 ☆
なわとび とんで とんでA一つの場面・物事が多角的に捉えられている。
うさぎに なって
とんで とんで とんで とんで
つきまで いって
おもちを ついて
せかいじゅうに ばらまいて
とんで とんで とんで かえって
しりもち ついて
たべたら まずかった
<初出・底本>「毎日こどもしんぶん」第157号 1979年3月24日 毎日新聞社 **一部改稿
せきどうを こえて表現対象が複数並列されている。
きたのか バナナ
まなつの におい
まひるの におい
まなつの まひるの
はたらく ひとの におい
あるよ みぞれの にっぽんで
だれかが たべた
おがむようにして たべた
くろしおに のって
きたのか バナナ
はるかな におい
みなみの におい
はるかな みなみの
うみと かぜの におい
あるひ ちきゅうの きたぐにで
だれかが たべた
ゆめみるようにして たべた
<初出・底本>「童話」第349号 1982年9月1日 日本童話会 角篤紀曲 **一部改稿 第1連と第2連を入れかえ ☆
もっと そうぞうしく現実の物事から想像している。
とんだら いいよ
えんりょ しないで
ばさばさ とべよ
といって あげたくなるな
もんしろ しろしろ
もんしろちょう
ひそひそ かすかに
とぶばかり
もっと おおいばりで
まんなか とおれ
えんりょ しないで
どさどさ あるけ
といって あげたくなるな
でんでん むしむし
でんでんむし
すみっこを こっそり
はうばかり
<初出・底本>「童話」第338号 1981年11月1日 日本童話会 渋谷沢兆曲 ☆
ひざの うえにこの中でもとりわけAとBの区別がつきにくい作品があったため、そのような作品に対してはわたりの作品であると判断し両方記した。その例を以下に記す。わたりの特徴は、一つの場面について描かれているという一貫性はもちながも、その場面内において表現対象がいくつか存在することである。
てを ひろげてみるたびに
むねが つまる
ちいさな ゆびたちが
わたしに さいた
わたしの はなの
はなびらででも あるかのように
いきを しているのだ
ほこらしそうに
しあわせそうに
からだを よせあって
まるで このわたしから
どんな いやらしいことも
どんな なさけないことも
させられたことが
なかったかのように
<初出・底本>まど・みちお詩集『風景詩集』1979年11月21日 かど創房
ひろげた地図に、集(よ)ってる指が、V叙述に関わる項目
あ、蝶だ、蝶だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
あげはを捕った。
ひろげた地図に、息してる鼻が、
あ、百合だ、百合だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
山百合みつけた。
ひろげた地図に、すんでる耳が、
あ、鳥だ、鳥だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
鵲(かささぎ)きいた。
<初出・底本>「お話の木」1937年9月号(第1巻第5号)9月1日 子供研究社
うたを うたう とき非現実「◎」
わたしは からだを ぬぎすてます
からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります
こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです
うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく
そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです
(注・太線と下線は筆者によるもの)
<初版>「びわの実学校」第55号 1972年10月20日びわの実文庫
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 **一部改稿 ☆
くがつが きたよ○会話(○・×)
つくつくぼうしが
そういった
たかいそら
もっと もっと たかくなれ
くがつが きたよ
じゅうごや おつきさんが
そういった
あおいよる
もっと もっと あおくすめ
くがつが きたよ
<初出>「幼児と保育」1969年9月号(第15巻第7号)9月1日 小学館 小谷肇曲
<底本>「別冊幼児と保育」1970年5月号(第11号)5月1日 小学館
こいぬが○会話の内容(あいさつ・呼びかけ・呼びかけと応答・質問・質問と返答・語りかけ・語りかけと応答)
おっぱい のんでいる
こいぬが
おっぱい のんでると
いっぱい おのみって
いいたくなるな
こいぬが
おっぱい のんでいる
こいぬが
おっぱい のんでると
おりこう こいぬって
いいたくなるな
<初出>「キンダーブック 4〜5才用」1967年2月号(第3集第11編)2月1日 フレーベル館
<底本>鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぽろんぽろんの春』1971年 音楽春秋 金光威和雄曲
やあ!呼びかけ…話しかけている相手に行動や同意の促しが表現されているもの。
と 思わず ぼくは
笑いかけたような気がする
やあ!
と ひびくように きみも
笑いかえしてきたような気がする
どこもかしこも
しらない草ばかり ぼうぼうの
この高原に ことしもきて
やっと見つけた顔なじみ
ワレモコウ!
やまびこの子どもが忘れていった
ボンボンのように
雲のハンカチの上にちらばって
五つ六つ
いまごろ
どこで どうしているだろう
「ワレモコウって いうのよ」
と 教えてくれた
あの去年の
リスのような目の女の子は
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
ドウブツエン ニ、チョウチョウ ガ キタガ、呼びかけと応答…「呼びかけ」とそれに対する応答が表現されているもの。
オハナガ、ナイノ。
ボクノ オミミ ニ、トマッテ イイヨ、
イッタ ノ、ロバ ガ。
ボク ノ オツノ モ、トマッテ イイヨ。
イッタ ノ、シカ ガ。
ボク ノ ハナ デモ、トマッテ イイヨ。
イッタ ノ、ゾウ ガ。
ボクノ、ト オサル モ イオウトシタラ
カエッタ ノ、チョウ ガ。
<初出・底本>「保育」4月15日 全日本保育聯盟
キリンが質問…会話の相手に対する質問が表されているもの。
そらで たべた ごはんは
おなかへと おりてゆく
ごっとん
ごっとん
ごっとんと
キリンくん
たべた あとは
くちを ふきなさい
そこに あるでしょ
くもの ナプキンが
<初出・底本>「童話」第343号 1982年4月1日 日本童話会
ぼくがフルスピードでかけているとき質問と返答…一方が質問をし、それについてもう一方が答えるというやりとりによって会話が表現されているもの。
ぼくがジュースをのんでいるとき
ぼくがげんこつ振りまわして
わめきちらしているとき
ぼくがげらげら笑っているとき
ぼくがぐうすか眠っているとき
いいや ぼくが何をしていても
していなくても
世界がひっくりかえっても
そんなことには おかまいなく
おまえは肥りつづけていたんだ
ぼくの顔のまん中の
鼻のおくに じんどって
ひとり にこにこ まるまると
そして 今ごろ
はなくそぼうやよ
ぼくのひとさし指のてっぺんに
つまみだされて
おまえは そんなに珍しそうに
四方八方を 見まわしているのか
―いったい ここはどこですか?
そんで ぼくはだれですか?
<初版>「びわの実学校」第55号 1972年10月20日びわの実文庫
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
くいくい くぎぬき語りかけ…「あいさつ」「呼びかけ」「質問」とは違い、話し手の感想を述べたり思いが表されているもの。
なに しているの
みかんばこ こわして
のこぎりに あげる
あげるよ あげます
くいくい くーい
ごしごし のこぎり
なに しているの
この いた きってから
とんかちに あげる
あげるよ あげます
ごしごし ごーし
とんとん とんかち
なに しているの
テーブル つくって
ことりさんに あげる
あげるよ あげます
とんとん ととん
ぴいぴい ことりさん
テーブル いかが
ありがと みんなで
おべんとう たべて
コーラス してます
ぴいぴい ぽぴい
<初出・底本>第3次「日本児童文学」第1巻第1号 1955年8月1日 児童文学者協会 **一部改稿
ちらりん ちらりん語りかけと応答…一方が語りかけ、それに対し語りかけられた人物が答えることで会話が表現されているもの。
ちらちらりん
ゆきのこびとの ちらりんが
みみに おりてきて
ちらりんいった
サンタのおじさん
そらにいるよ
ちらりん ちらりん
ちらちらりん
ゆきのこびとの ちらりんが
ゆびに おりてきて
ちらりんきえた
こびとのまほうで
みてるうちに
<初出・底本>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.4 たのしい行事』1966年 全音楽譜出版社 川崎祥悦曲 **一部改稿
きりんさんの おくびは「きりんさん」では、第3連のみ質問と返答の形になっているものの、第1・2連は語りかけと応答の形になっている。
ながいね
いつでも とおくを
みてるから
きりんさんの おめめは
やさしいね
だまって とおくを
みてるから
きりんさんの とおくは
どこかしら
うまれた くにでしょ
うみの むこう
<初出>「チャイルドブック」1958年5月号 (第22巻第5号)5月1日 国民図書刊行会 中田喜直曲
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館
高校野球のテレビでA独り言○・対象
パパが味方にするのはいつも千葉だ
自分が千葉に生まれて
千葉に住んでいるからだ
千葉が出ていなかったら東京だ
自分のつとめが東京だからだ
千葉も東京も出ていなかったら岡山だ
自分のおくさんの生まれがそこなのだ
いつか山口と高知の試合のときパパは
山口が負けはじめると だんだん
山口の味方になっていったが
はじめはずっと どっちつかずだった
あれは自分の妹が高知に住んでいて
自分の苗字が山口だからだ
ノッポの ぼくが
ノッポのピッチャーのいるチームに
応援したくなるのと同じなんだ
ほんとに どうして人間は
こんな味方のきめ方をするのだろう
なにがなんでも こじつけて
自分に近い方に近い方にと…
<初出・底本>『まど・みちお詩集3 人間のうた』1978年5月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **一部改稿 ☆
おでこの たんこぶって○読者への語りかけ(○・×)
へんてこりんだな
自分でころんで つくったのに
むりやり だれかが くれたようだ
サクランボよりも 小さいのに
りんごくらいは ありそうだ
風にあずけて かけていくと
さめさめ さめさめ 風の子がたたく
「へ しけた たいこだな」って
つまらなそうに なさけそうに
<初出>「幼児と保育」1968年1月号(第13巻第13号)1月1日 小学館 飯沼信義曲 *初出タイトル「おでこのこぶ」
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 ☆
コオロギ なくよ○オノマトペの抜き出し
どこかで なくよ
どこかに かくれて
ひるまも なくよ
なけば ひるまが
よるに なるよと いうみたいに
るりるり るりるり なくよ
コオロギ なくよ
どこかで なくよ
どこかで ひっそり
ひるまも なくよ
なけば ひるまも
ほしが ふるよと いうみたいに
るりるり るりるり なくよ
<初出・底本>「別冊幼児と保育」1980年9月号(第73号)9月1日 小学館 小谷肇曲 **初出タイトル「コオロギのうた」 一部改稿
子ブタは もっている擬音…表現対象が発する音を表したもの。耳で実際に聞き取ることができるオノマトペの中で「擬声」に含まれないものをさす。
ブーブーと ならしてもいいラッパを
ワンワンとも
メーメーとも
コケコッコ―とも
ならしては いけないラッパを
子ブタは もっている
そのまわりを離れては いけないママを
まわりって どこまでなのかを
教えてあげなくては しらないママを
だもんで 子ブタは いそがしい
ブーブーと ならしてもいいラッパを
ブーバー
ビーブブ
バベボビブーと ならしながら…
そのまわりを離れては いけないママを
ママから まめつぶにして
まめつぶから なんにもないに して
ここまでが まわりだよと
教えながら かけてかけてまわるために…
<初出・底本>『まど・みちお詩集2 動物のうた』1975年1月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房
(注・太線と下線は筆者によるもの)
わたしは とけい擬態…表現対象の動作を表したもの。
じゅうにじを おしえます
みじかいはり うえに
ながいはりも うえに
かさねて ぼんぼんぼん
おひるだよ おたべなさい
わたしは とけい
さんじを おしえます
みじかいはり よこに
ながいはりは うえに
ひらいて ほんぼんぼん
おやつだよ おたべなさい
どんな わすれんぼさんにも
おしえます
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **第3連を加筆
(注・太線と下線は筆者によるもの)
ペンギンちゃんが擬容…表現対象の見た目を表したもの。「にこにこ」など気持が読み取ることができるオノマトペもこの項目に含めた。
おさんぽ していたら
そらから ぼうしが おちてきた
サンキュー
かぶって よちよち いきました
ペンギンちゃんが
おさんぽ していたら
そらから ステッキ おちてきた
サンキュー
ひろって ふりふり いきました
<初出>ABC朝日放送 未見 「メリーランド」1955年8月 未見 若越出版
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 中田喜直曲
(注・太線と下線は筆者によるもの)
おひさま きらきら○オノマトペの型(ABAB、ABっ、ABり、AっBり、ABん)
あめ あめ やんだ
まるい いけ
さんかく いけ
おにわに できた
たっぷ らんらん
ちー たった
<初出>「チャイルドブック」1953年6月号(第17巻第6号)6月1日 国民図書刊行会
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 中田喜直曲**一部改稿
(注・太線と下線は筆者によるもの)
一拍語のもの以上のように浅野鶴子氏の研究は、擬音語・擬態語を収集しそれを分類したという点で今回参考にした。
ふ(と) つ(と)
一拍の語根+「い」「ん」「っ」引く音のもの
つい(と) ぷい(と) ぽん(と) わん かっ(と) さっ(と) ちょっ(と)
にゅっ(と) じっ(と) きゃっ もう にゃあ ちゅう ぴい
二拍の語根のもの
がば(と) ぴた(と) にゃお ぴよ
一拍の語根に+「い」「う」「ん」「っ」のうちのものが二箇
ごうん ぼいん ぽうっ
二拍の語根+「っ」形のもの
ごろっ(と) ばさっ(と) ぱたっ(と) ぴかっ(と) ぴたっ(と) ぽかっ(と) ぽきっ(と)
二拍の語根+「ん」のもの
かちん(と) こつん(と) どきん(と) ぱたん(と) ぴょこん(と) ぺたん(と)
ぽかん(と) ぽちゃん(と)
二拍の語根+「り」の形のもの
ぐるり(と) ごろり(と) つるり(と) ぴかり(と)
(7)の一種「り」でないもの。古風な語
うらら しとど そよろ とどろ
二拍の語根の中間に、つめ、はねの入ったもの
ざんぶ(と) むんず(と) やんや(と) かっか(と) きゃっきゃ(と) さっさ(と)
すっく(と) せっせ(と) はっし(と) ぱっぱ(と) やっき(と)
(7)の形の第一拍と第二拍の間に、はねる音、つめる音の入ったもの
あんぐり ぐんにゃり こんがり こんもり ちんまり どんぶり
まんじり やんわり
あっさり うっとり おっとり がっかり がっくり きっちり くっきり
さっぱり しっかり しっぽり すっかり
二拍の語根の繰り返し、ことに第二音がラ行のものが多い
からから がらがら かりかり きらきら くるくる こりこり ころころ
さらさら ざらざら じゃらじゃら しゃりしゃり じりじり するする そろそろ
ぞろぞろ たらたら つるつる とろとろ
いそいそ かさかさ かたかた かちかち がぶがぶ きびきび くしゃくしゃ
ぐずぐず くよくよ げふげふ ごしごし こそこそ こちこち ごとごと
ごぼごぼ
前項に似て類似のものを重ねるもの
あたぐた かさこそ かたこと からころ ちらほら つべこべ てきぱき
どぎまぎ ぺちゃくちゃ むしゃくしゃ
まったく似ていない二拍を重ねたもの
がたぴし そそくさ(と) ちょこなん(と) すたこら ちょこまか ぱちくり
二拍後+「りん」「りっ」の形
くるりっ(と) ころりん
五拍のもの
ころりんこ(と) けろりかん(と)
(7)(8)(9)の繰り返し
ぐでんぐでん ころりころり ごろんごろん のたりのたり ぱっかぱっか
(16)に似てあとのものは、多少形のちがうもの
しどろもどろ てんやわんや のらりくらり やっさもっさ
その他の六拍のもの
こけこっこう すってんてん すっからかん つんつるてん とんちんかん
ほうほけきょ ゆっくりかん
順位 | 型 | 語数 |
---|---|---|
1 | 「ABAB」型 | 419 |
2 | 「ABっ」型 | 212 |
3 | 「ABり」型 | 141 |
4 | 「AっBり」型 | 103 |
5 | 「ABん」型 | 102 |
あんなに高いところをここでは、「高い雲の中を/よぼよぼ とぼとぼ/人がわたっていく」など現実を誇張した大げさな表現がなされているものの、ほどうきょうを渡るという事柄について述べられているので「具体」と判断した。
人がわたっていく
せっかく みんなでこしらえた
きかいたちが
大いばりで あばれまわるのを
じゃましてはいけないと
できるだけ地球をとおく
よけて あるかなくてはと
あんなに高い雲の中を
よぼよぼ とぼとぼ
人がわたっていく
いれられないものここでは、いれものの「いれる」という機能について述べてられているので抽象と判断した。
はいらなければ
はいっても そこに なければ
そこに あっても からでなければ
からであっても それだけしか
それだけでも いれなければ
いれられないもの
<初出・底本>『まど・みちお詩集4 物のうた』1974年10月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 ☆
雨ふればA叙事
お勝手も
雨の匂いしている。
濡れた葱(ねぎ)など
青くおいてある。
雨ふれば
障子の中、
母さんやさしい。
縫物される針
すいすいと光る。
雨ふれば
通りものの音、
ぬれている。
時おり
ことり などする。
<初出>「コドモノクニ」1934年12月号(第13巻第14号)12月1日 東京社
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局
お山の中の日溜りで、B叙情
乗合バスがパンクした。
バスから出てきたお客さん
「まぶしいお空と、山だこと。」
地べたにかがんで運転手さん、
時々させてた、こんことん。
パンクの周囲(まわり)、影法師、
遠くで鶏、啼(な)いていた。
<初出>「童魚」第3号1935年6月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
窓の外へ面(かお)出しても
いいのであろうか、
トの字のようにして。
窓の外へ面を出すと、
自分はわびしい。
トの字のチョボのように。
しかしどうしても、
「みちおはここにいるのだよ」
と誰かに言いたくなって、
面を出さずにはいられない。
<初出・底本>「童魚」第8号1936年8月5日 童魚社
創リタイナア 毒ガスヲ、A人間の体の一部が擬人化された作品
グウグウ眠ッテ シマウヤツ。
十日ヤ二十日ハ 一・二発、
十発ヤッタラ 一年間、
グウグウグウグウ 眠ッチャウヤツ。
敵ハ塹壕(ザンゴウ)デ グウグウグウ。
敵ハ飛行機デ グウグウグウ。
潜航艇デ グウグウグウ。
参謀本部デ グウグウグウ。
ソノ間ニ集メタ 武器ノ山、
富士山ミタイナ 武器ノ山、
ボンボン 燃シチャオ、灰ニシヨ。
敵ハ言ウダロ 目ガサメテ、
モウ戦争ハ ヤメニシタ。
一年間モ 食ベナイカラ、
オ腹ガ トッテモ ペコペコデス。
カレーライスヲ 下サイナ。
ソコデ用意ノ 米ノ山。
富士山ミタイナ 米ノ山、
カレーライスガ ホ! デキタ。
カレーライスノ ライスカレー、
カレーライスヲ サ! オ食ベ。
カレーライスヲ サ! オ食ベ。
<初出・底本>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部
こたつの中から はいだし
冷えきった鼻を だいてやった
とつぜん訪れた 幸(しあわ)せに
鼻は 目をつぶり
息まで とめて うっとりと
春の夢を みはじめる
てのひらの方も
そのまま ぼうっと
おぼれて しまっている
鼻の かわいさに
自分の やさしさに
顔の中の 美しいドラマ!
外は
なんまん なんおくの
生命(いのち)たちが おそいかかられている
もうれつな ふぶき!
<初出・底本>『まど・みちお詩集3 人間のうた』1978年5月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 ☆
まどは、宇宙(神)に向けた<祈り>の静寂(根元に返る静謐)に核をもち、絶えまなく<有無相生ずる>世界の中の瞬間である存在を「愛する」。(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
私がいう「かみさま」は、○場面の進行・停滞・循環・気持ちの進行
「宇宙の意思」みたいなもの。(まど・みちお『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』2010年 新潮社)
ぞうさんB停滞
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
ぞうさん
ぞうさん
だれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ
<初出> *佐藤義美編『日本童謡絵文庫第7巻新日本童謡集』1952年2月29日 あかね書房 酒田富治曲
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 團伊玖磨 *一部改稿
金魚色したA気持ちの進行
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた
蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク
父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。
<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿
ある ひとがC循環
ふと あるひ
手にした ほんの
とある ページを ひらくと
ある ぎょうの
とある かつじを ひとつ
うえきばちに して
カよ
おまえは そこで
花に なって
さいている
そんなに かすかな ところで
しんだ じぶんを
じぶんで とむらって…
<初出>「日本児童文学」1969年1月号(第15巻第1号)1月1日 日本児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
あさやけが おまつりしてる○視点
おひさまの おでましだから
すてきな きょうの
はじまりだから
ららら ららら
ららら ららら
おひさま いらっしゃい
ゆうやけが おまつりしてる
おひさまの おかえりだから
すてきな きょうの
おしまいだから
ららら ららら
ららら ららら
おひさま またあした
<初出>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.3 かんさつしよう』1966年 全音楽譜出版 鞍掛昭二曲
<底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月号 ドレミ楽譜出版社 **一部改稿 ☆
自分の手のひらでA視点外・主観あり(心理的)
自分の髪の毛触っている
温かいようなかんじを
いつまでも手の中に円(まる)めている
分からない宿題
何処かのラジオが聞こえている
<初出・底本>「童話時代」第19号 1935年6月1日 童話時代社
樹は土に立っているB視点不明
樹はそこから歩かない
樹は空へ向いている
土がにじんだのであろうか
その幹の色と匂い
空がしみたのであろうか
その新芽の色と匂い
きっとその根は土になってる
そして枝先は空に溶けている
樹は土のように静かだ
樹は空のように明るい
樹は樹で生きている
<初出・底本>「童話時代」第23号 1935年11月1日 童話時代社 **一部改稿
きがついた ときには○視点の二重構造(○・×)
もう でしゃばっていました
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社
かけろ けろけろA視点の二重構造・不明
にじ かけろ
たうえの ちょうどうえに
にじ かけろと
よんでる かえるに
なに やろか
とれた おこめで
もち ついて やろうか
はれろ れろれろ
つゆ はれろ
たうえの あいだじゅうは
つゆ はれろと
とんでる つばめに
なに やろか
ひなが うまれたら
むし ひゃっぴき やろうか
<初出>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.4 たのしい行事』1966年 全音楽譜出版 飯沼信義曲
<底本>鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋
くちの なかの○複数の連で構成されている(○・×)
けしゴムは
いいまちがえたら
けす つもり
<初出>「日本児童文学」第2巻第1号所収 「スケッチ詩・おもちゃの部分品」1956年1月1日 児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
朝日に 鳴いた対象の変化…連ごとに対象が異なっているもの。
猫の 口
湯気を 残して
ムン
閉じた
朝日に 咲いた
白い 湯気
おヒゲ 残して
ユン
消えた
朝日に 鳴いた
猫の 顔
朝日 残して
プイ
逃げた
<初出・底本>「昆虫列車」第3輯 1937年7月1日 昆虫列車本部 *「昆虫列車」第2週(1937年3月1日)所収「朝日に」の改稿作品 **一部改稿 ☆
きの えだ 一ぽん視点の変化…一つの物事に対し連ごとに異なる角度からとらえられているもの。
みいつけたって
せみさん とまれ
この おやゆびに
―とまって
バイオリンを
みいみい ならせ
せかいじゅうが ほめるぞ
たけざお 一ぽん
みいつけたって
とんぼさん とまれ
この なかゆびに
―とまって
おめめを
くるりんと まわせ
せかいじゅうが まわるぞ
<初出・底本>石黒つぎ子編『きいろいふうせん』1957年10月5日 泰光堂 **一部改稿
これは、かんらんの実。場面の変化…主要な登場人物に変化は見られないものの、時間や場所が前後の連との因果関係がはっきりしないまま変化している作品。
お塩に漬けた かんらんの実。
お船に乗って 支那から来た実。
かんらん、かんらん、
ころころよ、かんらん。
これは、かんらんの実。
フット・ボールに 似てる木の実。
中には固い 種のある実。
かんらん、かんらん、
一つだけ、食べましょ。
これは、かんらんの実。
薬の匂い してる木の実。
少し鹹(から)くて 甘い木の実。
かんらん、かんらん、
少しずつ、食べましょ。
これは、かんらんの実。
遠い昔の お神話(はなし)ある実。
ギリシャの人の 好きな木の実。
かんらん、かんらん、
ころころよ、かんらん。
<初出>「童魚」第7号1936年5月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
ぼくには ぼくの主人公の変化…連ごとに主人公が異なっているもの。対象と主人公の判断基準は、題名のつけかたの項目と同じく、心理が描かれているか否かを基準とした。
きみには きみの
ようふくが
あるから いいね
のっぽと ちびの
ふたりだもんね
まちがっても すぐに
わかるもんね
ぼくには ぼくの
きみには きみの
おべんとうが
あるから いいね
すきな おかずが
はんたいだもんね
まちがっても すぐに
わかるもんね
<初出・底本>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.2 おはよう・こんにちわ』1966年 全音楽譜出版社 川崎祥悦曲 **一部改稿
こっちからきつねが でてきたよ主張と具体例…連の区切りが、主張とそれを説明するための具体例の区別に使用されているもの。
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
あっちでともだち よんでるかな
どんどんあっちへ かけてった
あっちあからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
こっちでともだち よんでるな
どんどんこっちへ かけてった
りょうほうからきつねが であったよ
くちうごかすよ こんこんこん
おにごっこしようよ じゃんけんぽん
どんどんあちこち かけだした
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **初出タイトル「きつねのおはなし」 一部改稿
なれるまでだ「わあ!」は出来事と感想…実際の出来事とそれに対する視点人物の感想や意見が述べられているもの。
なれてしまえば「なんだ…」だ
わあ かいじゅう!
なんだ 犬か…
わあ UFO!
なんだ 飛行機か…
わあ バオバブ!
なんだ マツノキか…
わあ 七つ子!
なんだ どろぼう(・・・・)か…
なんだ 汚職か…
なんだ 公害か…
なんだ 原爆か 地球滅亡か…
なんだ なんだ なんだ…
<初出・底本> 『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社 ☆
あきれたことに思考の深化…連を追うごとに思考が深まりをみせるもの。実際の出来事や物の状態が変化する場合は進行とし、思考のみが進行する場合を思考の深化とした。
ぼくの ほっぺたに来て
テントウムシが のこのこ
歩きはじめた
おいおい ひとの顔で
ハイキングするなよ
あれ はなの 富士山にまで
のぼりはじめたぞ
とんまな虫だなあ
こんなに動くぼくを
なんで 人間だと 気がつかないんだ
ぼくが きみにとって
あんまり あんまり 大きすぎるからか
まてよ
もし そうなら
ぼくの 何億 何兆ばいも 大きな
なにかが
いま 天から
ぼくを 見おろしてはいないだろうか
「おや わしの 足に
二本足の ノミが いるぞ……」
<初出・底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
アリの下は ノミ意味の切れ目…連ごとにリズムなどは統一されていない場合で、主人公や対象、場面は一貫されており、一連にまとめても何ら違和感がないもの。
ノミの下は ミジンコ
ミジンコの下は 目に見えないバイキン
バイキンのまだずうっと下には ウィルス
それなのに大きいほうは
カバの上が ゾウ
ゾウの上が クジラ
で おしまいとは不公平だな
だが 天に頭がつかえるようなのが
二、三〇ぴきで
ぎゅうぎゅう まんいんなのと
小さくても いろいろ変ったのが
うじゃうじゃいるのと
どっちが おもしろいだろう
やっぱり うじゃうじゃだな
と かみさまが考えて
そっちに なさったのかな
そして 小さくても
大へんなものを一つ くださったんだ
どんなことでも考え
にんげんさまの頭を
気をつけて使わないと
とんでもないことになるよ といって
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 1997年10月「どんなことでも考える」に改題 ☆
イヌが歩くその他…以上のどれにもあてはまらないもの。
四つの足で
どの足のつぎに
どの足が動くのか
どんなに見ていても わからない
音のちがうすずを
どの足にも
一つずつ
ちりん
ころん
からん
ぽろん
むすんでやったら
わかるかな
<初出>「こどもクラブ」1948年12月号(第4巻第12号)12月1日 講談社
<底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
金魚色したA聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)・△
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた
蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク
父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。
<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿
ひとりで「ミミズ」においては、第1〜3連において「ひとりで〜あります」と表現されており、対応してるといえる。
もつれることが できます
ひとりで
もつれてくることが あります
ひとりで
もつれてみることが あります
あんまり
かんたんな ものですから
じぶんが…
で ちきゅうまでが…
<初出・底本>『まど・みちお詩集2 動物のうた』1975年1月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房 *二作品を収録 **一部改稿
道をゆく人の背に●連内
小さな日溜(ひだまり)がある
日溜の中に
誰にも知られない蝿(はえ)がいる
蝿は時に そこを離れ
ぐるりと人の周囲(まわり)を廻る
そして又もとに帰り
じっと動かない
道をゆく人のゆく先は
又 蝿のゆく先であるのに
ろくろく蝿の面(かお)知らずに
この土地の人たちは
日毎生きている 蝿と共に
<初出・底本>「動物文学」第9輯 1935年9月1日 白日荘 **一部改稿
わたし わたした?「わたし わたした?」ではすべての行が「わたし」で始まることで一定のリズムを形成しているといえる。
わたし わした?
わたし わった!
わたし した だしたわ わたしに…
わたし たたした?
わたし たたった?
わたし たった!
わたし したいわ わたしと…
わたし たわし?
わたし タワー?
わたし たわわ!
わたし わたししたわ わたしを…
わたし しった!
わたし したった!
わたし したたった!
わたし しわ たしたわ わたしに…
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 しゃっくりうた』1985年6月 理論社
天にたいして「キリン」では、第1・2・4連が7・5調になっており、連内でリズムを形成しているといえる。
やや ななめ
地にたいして
やや ななめ
この巨大(おおき)なシャクトリムシの
口の先から
ぎんの糸が一本
まっすぐに
地球の中心までとどいている
風に鳴る鳴る
ぎんの糸
<初出>「日本児童文学」1969年1月号(第15巻第1号)1月1日 日本児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
どこも かしこも いちめんの
なのはな レンゲソウ
ほら あそこを のそり のそりと
ウシが あるいているでしょう
あれは
のそりのそりに ウシが のって
ウシに そよかぜが のって
そよかぜに ヒバリが のって
ヒバリに おひさまが のって
五人のりの サーカスが
のそり のそり のそりと
はるの さんぽに
でかける ところですよ
のはらの ずっと むこうの
やまびこさんの おたくの方まで
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 ☆
にげた にげた○擬人化されているもの(植物・物・宇宙・その他)
ぼうしが にげた
あわてんぼうから にげた
どこへ にげたんだと
あわてんぼうが きいたが
にげた ぼうしに きいたんだって
にげた あとに なって
―あんまり あわてんぼうなんでね
にげた にげた
ぼうしが にげた
わすれんぼうから にげた
なんで にげたんだと
わすれんぼうが きいたが
にげた ぼうしに きいたんだって
にげた あとに なって
―あんまり わすれんぼうなんでね
<初出・底本>「チャイルドブック」1969年1月号(第33巻第1号)1月1日 チャイルド本社 磯部俶曲 **大幅改稿
風にもあるのですか○繰り返し(○・×)
形が
あるから着るのです
光のコートを
くらやみをだって着ます
ぴったりのスーツにして
霧のカーディガンをはおることもあります
ふかい谷を こえわたるときに
風はいくのですね くると見せて
いつも先の先へと
風はなにを指おりかぞえるのですか
海の波で
地球のおかあさんの 宇宙の年をです
自分の年のつもりで…
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 しゃっくりうた』1985年6月 理論社
台所の 窓ぎわにA「繰り返し・○」同じリズムが繰り返されているもの
もひとつたなを 作りましょう
ねえ おかあさん
「たな、たな、たなね、
まあ すてき」
と そこらの すみから
ぞろぞろ出てきて ならびますよ
らっきょうのびん
しおのびん
しょうゆのびん
びん びん びん
顔の窓の空
はずかしそうに そめて
日曜日のひとしごと
なあに ぼくがやりますよ
ねえ おかあさん
「たな、たな、たなかい、
ほう いいぞ」
と あっちから こっちから
のこのこ出てきて ならびますよ
あぶらのかん
お茶のかん
せんべいのかん
かん かん かん
顔のすすなんか
うれしそうにはらって
<初出>*『NHKみんなのうた第1集』1961年12月 水星社 磯部俶曲
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館
こおれ こおれ こおれ○言葉の省略(○・△・×)
池よ 沼よ 川よ こおれ
フナとメダカの 星をちりばめて
銀のじゅうたんに なれ
ここに すわる 冬の王女が
いま 空のかいだんを
おりてくるくる おりてくる
こおれ こおれ こおれ
畑よ 丘よ 森よ こおれ
サルと キツネが すべっておこりだす
銀のひろばに なれ
ここであそぶ 冬の王子が
いま 風にまたがって
かけてくるくる かけてくる
こおれ こおれ こおれ
風よ 谷よ 峰よ こおれ
空よ 一めん つららともして
冬の 宮殿に なれ
ここにくらす 冬の大王が
いま 吹雪ひきつれて
かけてくるくる かけてくる
<初出>ABC放送 1961年11月 未見 大中恩曲
<底本>まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社
お山の中の日溜りで、A倒置法ではなく言葉の省略に含めたもの
乗合バスがパンクした。
バスから出てきたお客さん【が】
「まぶしいお空と、山だこと。」【と言った。】
地べたにかがんで運転手さん、
時々させてた、こんことん。
パンクの周囲(まわり)、影法師、
遠くで鶏、啼(な)いていた。
(注・【 】内は筆者によるもの)
<初出>「童魚」第3号1935年6月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
タマシャボテンに ふりそそぐ「タマシャボテン」は第2・3連の最後に、第2連の最初の行の「ただ 見えるのです」が入ると考えられる。「ただ 見えるのです」に対して複数の言葉がかかっているので、この場合は倒置法ではなく言葉の省略であると判断した。
まひるの 星は
なぜか 人には見えません
ただ 見えるのです
ぶつかって はじけ
とびちり
とびかう
せんまんの 火花が
火花が 火花と
からみあい
かぎりなく からみあい
まゆを つむいでいくのが
いつ なのでしょう
まゆを やぶって はばたきでる
まっ赤な
火の鳥の たんじょうは…
<初出・底本>『まど・みちお詩集1 植物のうた』1975年3月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房 ☆
お部屋の電気が 明るいので、視覚的な印象…字下げの仕方によって作品世界の理解を促すような効果をもたされているもの。例の「あめとおさる」では、本来の縦書きにした際に文字が下にそろえられていることから雨が空から地面に降っているという作品の世界を表現しているといえる。
お噺までが 光るので、
障子が濡れていないので、
乾いたご本と、息なので、
お耳が 生(は)えてる面(かお)なので、
にゅうと 影もつ腕なので、
――子供は雨戸を開けてみた。
――子供は雨戸を開けてみた。
子供が雨戸を開けたので、
細い脛(すね)して 開けたので、
――何かが 光って抜けて出た。
――金魚か 何かが抜けて出た。
<初出>「台湾日日新報」1938年12月3日
<底本>「昆虫列車」第12冊 1939年5月1日 昆虫列車本部
あめが てんからリズム…字下げ部分が作品のリズムを出すために用いられているもの。言葉遊びもこれに含まれる。判断の基準としては@同じ音もしくは似た音を繰り返し用いていることAその字下げ部分がなくても作品内容に影響を及ぼさない、つまり作品にリズムを生み出すことを第一目的として表現されたと考えられるもの、の二つを設定した。
ふりました
ぶどう みたいに
ふりました
トップ テップ
タップ トップ
ポッツン ツン
おさるの こどもが
みてました
うその ぶどうだ
みてました
トップ テップ
タップ トップ
ポッツン ツン
みてても やまない
あめでした
のみでも たべよう
たべました
トップ テップ
タップ トップ
ポッツン ツン
<初出>「昆虫列車」第8冊 1938年5月20日
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
汀(なぎさ)に並んだ ジャンク船、心情…字下げの部分に人物の心情が表されているもの。今回は、字下げ部分のみで心情が表現されているに限定した。
お手手をつないだ 蝙蝠(こうもり)みたい。
トロンコ、ペン。キップ、キップ。
水の中にも ジャンク船
さかさに並んで 赤黄茶色。
トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。
帆がけに 時々 のぞく面(かお)、
何やらしゃべって 椰子の実みたい。
(好天(ホウテイン)好天 よい天気)
トロンコ、ペン。キップ、キップ。
水の中にも のぞく面、
赤蟹(あかがに)みたいに ぐしゃぐしゃしてる。
(好天好天、よい天気)
トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。
煙はぬいます、帆や艫(とも)を、
千鳥は舞います、船べり近く。
トロンコ、ペン。キップ、キップ。
ぬらぬら光る 船の腹、
お空のどこかで 遠雷(えんらい)してる。
トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。
注・好天=台湾語にて、ホウティンと発音。よい天気の意。
<初出>「綴り方倶楽部」1973年1月号(第4巻第10号)1月1日 東苑書房
<底本>「昆虫列車」第2輯 1937年5月1日 昆虫列車本部
なあいカメラワークの変化…字下げ部分において他の部分とカメラワークが異なるもの。地の部分と比較して物事に迫って捉えるズームイン型と、引いて捉えるズームアウト型に加え、物事の性質に詳しく迫ったものも、この項目に含めた。
あめが
やんだ
きれいな
けしき
にじの
リボン
つけた
きれいな
けしき
<初出>「幼児の指導」1961年6月号(第7巻第3号)6月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
おねえさんが台詞…字下げの部分に人物の台詞が表され、字下げがカギカッコと同等の役割を果たしているもの。話し手は作品内のどの役割のものであるかは問わなかった。
そよそよ くると
おとうとの ぼくって
おとうとみたい
そのとき きれいな
そらの したで
おねえさんが
そよそよ いくと
おねえさんって よその
おねえさんみたい
そのとき しらない
かぜの なかで
<初出>「子どもの館」1979年11月号(第7巻第11号)11月1日 福音館書店
<底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社 ☆
トダナノ ナカニ ナニガアル。二重構造…作品の世界が二重に表現されているもので、字下げ部分と地の部分で差がつけられているもの。例では、みずを飲んでおいしいと思ったという地の部分とその気持ちをメタ的に捉えている字下げの部分とで二重構造になっている。
イジワル、イジワル、
オニ ナンカ イナイ、
リンコロ リンゴ コロンデル。
ピアノノ ナカニ ナニガアル。
イジワル、イジワル、
ニャゴ ナンカ イナイ、
ポッポノ ショウカ ハイッテル。
マッチノ ナカニ ナニガアル。
イジワル、イジワル、
ムシイ ナンカ イナイ、
シュッシュノ ハナビ、ハイッテル。
<初出・底本>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部 *「いじわる」=「童話時代」第25号(1936年1月1日)の改稿作品
すいどうの せんを非現実…地の部分に現実が表現され、それに対して字下げ部分で非現実の事柄が表現されているもの。
きゅっと あけて
みず のんで
くち ふいて
ああ おいしい
と おもったのは
こころか くちか
すいどうの せんを
きゅっと あけて
かお あらって
きゅっと しめて
かお ふいて
ああ すずしい
と おもったのは
こころか かおか
<初出・底本>「保育の手帳」1960年8月号(第5巻第8号)8月1日 フレーベル館 本多鉄磨曲 **一部改稿
あら対象…字下げ部分に対象の存在が表現されているもの。
あら
あられ
おでこに おちた
ごめんなさいって
いったかな
ちいさい こえで
いったでしょ
あら
あら
あられ
みてたら きえた
さようならって
いったかな
ちいさい こえで
いったでしょ
<初出>「幼児の指導」1962年3月号(第7巻第12号)3月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
ちいさな対象の変化…字下げ部分で地の部分とは異なる対象が表現されているもの。
ことりが
よんだので
でてきた
でてきた
とうとう でてきた
おおきな
はるが
ちいさな
ちょうちょが
あそぶので
わらった
わらった
とうとう わらった
おおきな
はるが
(「ちいさな ことり」を改題)
<初出・底本>「チャイルドブック」1970年4月号(第34巻第4号)4月1日 チャイルド本社 **一部改稿 1997年4月「ちいさな ことりが」に改題 ☆
かみなり ごろごろ そらの うえ進行…字下げ部分に地の部分を進行させた事柄が表されているもの。
かえるが せんびきで うた うたう
うまくもないけど へたでもないと
たんぼの たにしが いったとさ
かみなり ごろごろ そらの うえ
かぜけが せんにんで うがいする
あれなら かぜでも なおるだろうと
のんきな おいしゃさんが いったとさ
かみなり ごろごろ そらの うえ
どろぼうが せんにんほど ねて いびき
つかまえるのなら いまの うちと
あわてんぼうの おまわりさんが いったとさ
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 湯山昭曲 **一部改稿
おでことその他…以上の項目のどれにもあてはまらないもの。
おでこと
こっつんこ
こっつんこ
なみだと
なみだと
ぴっかりこ
ほっぺと
ほっぺと
だんまりこ
だんまりこ
めと めは
いつの まにか
にっこにこ
<初出>「幼児の指導」1962年3月号(第7巻第12号)3月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
本章では、まど・みちお氏の作品全1157編の分析結果を中心に、研究によって明らかになったことを述べる。第1節では詩と童謡の分類結果を、第2節では文字の使われ方を、第3節では分析項目ごとに研究結果をまとめる。第2・3節においては、作品全体の傾向と、詩と同様の比較の2つの観点から表現特性を明らかにする。
本節は2つの項からなる。まず第1項において『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)における詩と童謡の割合をみていく。次に第2項において、その割合を10年区切りで捉えなおし、詩と同様の割合の推移をみていく。
『まど・みちお全詩集』韻文編に掲載されている作品、全1157編を対象に詩か童謡かどちらの形をもって出版されたのかを調査したところ、以下のような結果になった。
詩 :407作品(全体の約34.8%)今ここで見ることは 思うことなのかA詩とも童謡とも紹介がなかったもの
「今」の前と後(うしろ)に
無限につづく 明日(あした)と昨日(きのう)とを…
「ここ」からはじまる宇宙の
無限のひろがりを…
しみじみと 美しい
はるばると まぶしい
今のところ このへんで
たとえば ヤナギである ヤナギが
雲である 雲が
ウシである ウシが
アメンボである アメンボが
ほんとに今のところ このへんで
それらの それぞれを
まぎれもなく それらの それぞれに
していてくださるお方の
お心の願いが…
今のところ このへんで
まぎれもなく
それらの それぞれの中の ひとつぶ
人間に
してもらえている 人間のぼくには…
<初出・底本>「日本児童文学」1975年12月号(第21巻第13号)12月1日 日本児童文学者協会 **一部改稿 ☆
金魚色した
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた
蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク
父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。
<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿
本項では、作品数及びその中での詩と童謡の数を年代ごとに分け、それについて結果の分析をすすめる。なお、今回年代を分ける際には、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)の目次にある時代区分に従った。基本的には10年で1区分になっているが戦後1945年から1959年にかけの年代のみ15年で1区分になっている。
推移をみていくにあたっては、年代ごとに「詩」「童謡」「不明」の数をそれぞれ表した次の表にしたがってすすめて、全体の作品数の推移とその中における詩と童謡の割合の推移の大きく2つに分けて考えていく。
1934 〜1944年 (25〜35歳) | 1945 〜1959年 (36〜50歳) | 1960 〜1969年 (51〜60歳) | 1970 〜1979年 (61〜70歳) | 1980 〜1989年 (71〜80歳) | |
---|---|---|---|---|---|
詩 | 9 | 68 | 33 | 266 | 31 |
童謡 | 108 | 72 | 292 | 69 | 36 |
不明 | 20 | 2 | 17 | 50 | 84 |
全体 | 137 | 142 | 342 | 385 | 151 |
作品数の推移に関しては、下の棒グラフからも、1960〜1969年と1970〜1979年の作品数の多さが他の年代と比較して群を抜いているということがはっきりと読み取ることができる。1960年代から作品数が大幅に増えたことの大きな一因としては、まど・みちお氏が1959年に国民図書刊行会を退社したことが考えられる。実際に『まど・みちお全詩集』年譜の1959年のところには「国民図書刊行会を退社し、詩・童謡の創作に専念する。」とある。なお、1980年以降の作品数の大幅な減少についての原因は明らかにすることができなかったが、氏の年齢も関係しているのではないか、という憶測はできる。
一九六八年、五八歳で最初の詩集『てんぷらぴりぴり』(大日本図書)を出版し、野間児童文芸賞を受賞した。この詩集がきっかけで、それまで童謡中心に書いてきたまどの内部に詩作への意欲が強く湧き、この後に数多くの詩が生まれた。谷氏も述べている通り、1970〜1979年の内訳は詩が約69%と、その前の年代の約9.6%と比較すると大幅に増加している。1945〜1959年には詩の作品数が多い、1980〜1989年には詩と童謡が同じ比率で発表されている、という例外もあるものの、1980〜1989年は作品数自体が少ない。1980〜1989年は「不明」が多く実際の内訳は不明瞭であることを踏まえると、全体的な推移として、前半に童謡が多く後半に詩が多いということができる。(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
漢字種 | 延べ文字数 | 異なり文字数 |
---|---|---|
漢字外 | 168697 | 省略 |
第1学年 | 3944 | 79 |
第2学年 | 2818 | 153 |
第3学年 | 1224 | 159 |
第4学年 | 511 | 119 |
第5学年 | 158 | 64 |
第6学年 | 508 | 86 |
教育漢字以外の常用漢字 | 560 | 216 |
常用漢字以外の漢字 | 399 | 150 |
合計 | 178819 | 1026 |
本節では、作品の表記に関して、どのような文字の使われ方をしているのか、詩と童謡それぞれの作品本文を対象に行った調査から、傾向を明らかにしていく。ここで取り上げる文字の使われ方とは、作品全体における漢字・ひらがなの使われる割合のことである。第2章第2節でも述べたが、今回文字の使われ方を調べるにあたっては、大阪教育大学国語教育講座教員の野浪正隆氏による「野浪研究室」内の「漢字種別ルビ表示ページ」を使用した。
作品全体、詩のみ、童謡のみで調査した結果は、左のようになった。
作品全体の表現特性について明らかなものは、低学年(1〜3年生)で学習する漢字が多く使用されている、ということである。低学年で学習する新出漢字の数は合計440字であり、ここではそのうちの391種類と、全体の約88.9%の漢字が使用されている。一方、高学年で学習する新出漢字の数は合計で566字であり、ここではそのうち269種類と、全体の約47.5%が使用されている。漢字の使用率を比較すると低学年で学習する漢字の出現率は高学年のそれと比較して2倍近くになる。また、単純に数だけを比較しても述べ文字数では低学年の漢字数(7986字)が高学年の漢字数(1177字)の約6.8倍となり、異なり文字数でも約1.5倍となっている。これらのことから、童謡においては低学年で学習する漢字が高学年に学習する漢字と比較して多く使用されている、といえる。
漢字種 | 延べ文字数 | 異なり文字数 |
---|---|---|
漢字外 | 62570 | 省略 |
第1学年 | 2316 | 76 |
第2学年 | 1566 | 139 |
第3学年 | 658 | 135 |
第4学年 | 237 | 90 |
第5学年 | 65 | 35 |
第6学年 | 257 | 52 |
教育漢字以外の常用漢字 | 219 | 94 |
常用漢字以外の漢字 | 117 | 50 |
合計 | 68005 | 671 |
表の数値を比較することにより明らかになった詩と童謡の表現特性の違いは、大きく3つあった。
1つめは、詩の方が1作品当たりの文字数が多い、ということである。詩では407作品の合計文字数が68005字であり、1作品当たりの文字数は約167.1字になる。童謡では、576作品の合計文字数が84572字であり、1作品当たりの文字数は約146.8文字である。詩の中には、以下の例で示すような短詩が96編含まれている。にもかかわらず、詩1作品あたりの文字数が童謡のそれを上回ったということは、短詩を除いた詩で考えるとすると、詩の方が童謡と比較して、圧倒的に文字数が多い、という結果が予想できる。
手製の2つめは、常用漢字の範囲内において童謡より詩の方が多種多量の漢字が使用されている、ということである。作品数や総文字数において詩より童謡のほうが多いにもかかわらず、資料の延べ文字数、異なり文字数ともに全学年において、詩の漢字の量が童謡のそれを上回っている。なお、教育漢字以外の常用漢字の異なり文字数のみ童謡の方が多くなっているが、詩と童謡は母体となっている作品数が異なり、1作品あたりの異なり文字数の出現率を計算してみると、詩では約23%、童謡では約17%と詩のほうが1作品あたりの出現率が多いことが分かる。これらのことから、詩のほうにより多くの種類、多くの量の漢字が使用されている、といえる。
おりに
はいっている
<初出>サトウ・八チロー選『世界の絵本 少年詩歌集』所収「スケッチブック」1951年4月5日 新潮社
<底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書 ☆
漢字種 | 延べ文字数 | 異なり文字数 |
---|---|---|
漢字外 | 82272 | 省略 |
第1学年 | 857 | 72 |
第2学年 | 540 | 119 |
第3学年 | 241 | 77 |
第4学年 | 136 | 52 |
第5学年 | 45 | 27 |
第6学年 | 107 | 39 |
教育漢字以外の常用漢字 | 188 | 102 |
常用漢字以外の漢字 | 186 | 101 |
合計 | 84572 | 589 |
詩 | 童謡 | |
---|---|---|
述べ文字数・1文字あたりの出現率 | 0.17% | 0.22% |
述べ文字数・1作品あたりの出現率 | 28.70% | 32.29% |
異なり文字数・1作品あたりの出現率 | 12.30% | 17.53% |
以上の結果から、出現率で考えた場合、全てのパターンにおいて童謡の方が多くの量で、多くの種類の常用漢字以外の漢字が使用されている、といえる。
これらの結果を受けて、さらに詳しく分析を行った。第4章第1節で述べたとおり、まど・みちお氏の初期の作品には童謡が多い。そして第2章第1節で述べたとおり、まど・みちお氏は初期の作品を発表した頃、台湾にいた。そのことから、初期の作品には台湾が舞台として書かれた作品が数多くあり、台湾での独特の漢字が使われた単語が随所に見られる。(例を参照)これらのことから、詩より童謡の方に常用漢字以外の漢字が用いられている理由として台湾滞在時代に書いた作品に多く常用漢字以外の漢字が登場するからではないかと考えた。その仮説を立証すべく、まど・みちお氏が台湾に滞在していた1943年まで、つまり戦前に発表された童謡について、その漢字種別ルビを調べた。調査結果は以下のとおりである。
甘蔗(かんしょ)を食べている ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知(ゴアムウツアイ)」
甘蔗を半分 折ってくれた。
水牛番してる ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知」
水牛にもたれて お顔かくした。
龍骨車(りゅうこっしゃ)ふんでる ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知」
キイ、キイ、ゴポ、ゴポ、スピード出した。
注・ギ仔=台湾語にて、子供の意。
・我不知=台湾語にて、知りませんの意。
・龍骨車=灌漑用の揚水踏車
<初出・底本>「昆虫列車」第3輯 1937年7月1日 昆虫列車本部
漢字種 | 延べ文字数 | 異なり文字数 |
---|---|---|
第1学年 | 487 | 60 |
第2学年 | 427 | 109 |
第3学年 | 212 | 71 |
第4学年 | 103 | 46 |
第5学年 | 44 | 26 |
第6学年 | 99 | 35 |
教育漢字以外の常用漢字 | 174 | 94 |
常用漢字以外の漢字 | 185 | 101 |
合計 | 15352 | 542 |
まど・みちお氏が台湾に滞在していた時発表した童謡の数は107作品と、氏の童謡全576編に占める割合の5分の1程度である。にもかかわらず氏の全童謡作品における常用漢字以外の漢字の全種類がこの時代に出現している。このことから、童謡で常用漢字以外の漢字が使われていたのは初期の頃であるといえる。しかしながら、初期の作品に常用漢字以外の漢字が多い理由は、台湾滞在時代に発表したからである、ということで確定することができなかった。なぜなら、台湾滞在時代が戦後というくくりと同じ時期にあたることから、戦前であることが理由であることも考えられるからである。このことを受け、戦前に発表された詩の調査に関する結果を以下に掲載し、戦前の常用漢字以外の漢字の使われ方について考えていく。
漢字種 | 延べ文字数 | 異なり文字数 |
---|---|---|
漢字外 | 1314 | 省略 |
第1学年 | 87 | 33 |
第2学年 | 78 | 40 |
第3学年 | 25 | 17 |
第4学年 | 14 | 14 |
第5学年 | 7 | 5 |
第6学年 | 13 | 9 |
教育漢字以外の常用漢字 | 42 | 18 |
常用漢字以外の漢字 | 50 | 24 |
合計 | 1630 | 160 |
まど・みちお氏が戦前発表したと分かっている童謡の数は9作品と、詩全407編に占める割合の45分の1程度である。しかし、まど・みちお氏の全詩作品において使用されている常用漢字以外の漢字合計50種類のうち半数近くが戦前に現れ、文字数も117字のうち50字と、半数に迫る数が使用されている。このことから、詩においても戦後に比べて戦前の方が、常用漢字以外の漢字が多く使用されていたことが分かる。
ここまでの戦前の作品のみを対象にした調査をまとめると、詩・童謡ともに常用漢字以外の漢字は戦前に多く使用されており、特に童謡においてその傾向は顕著に表れている、ということが明らかになった。しかしながら、他にも、常用漢字の範囲が変遷してきていることなども考えれば、その原因を推測することはできたものの、特定するには至らなかった。
本節では、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)の分析結果を明らかにし、そこから見えてきたことを各項目ずつ、作品全体の表現特性,詩と童謡の表現特性に分けて述べていく。なお、本節をすすめるにあたって、分析結果の出し方及び説明の際に使用する単語について、必要と思われるものを説明する。
まず、使用する言葉について説明する。第2章第3節で述べた分析項目と、その項目の中の項目について、同じ「項目」という単語を使用すると、誤解を生じる恐れがあるため、分析項目を「項目」とし、項目の中の項目を「細目」とした。例えば、構成という分析項目には@からCの細目がある、ということである。
次に、詩と童謡の分析結果に関する表の出し方について説明する。詩と童謡の分析結果は、表とグラフによって提示するが、表は2種類用意している。1種類目は、作品数の表である。これは、対象となっている細目にあてはまった作品の数を表す。2種類目は、詩・童謡全体における割合である。第4章第2節において述べたことであるが、今回調査の結果、詩の数より童謡の作品数の方が170編程度多くなっている。そのことから、作品数だけで詩と童謡を比較してしまうことで、正確な分析結果が現れない可能性がある。そこで、作品数を詩・童謡の総数で割って100を掛けた「割合」の表を用意した。
<例>
主人公 | 背景 | 対象 | 見立て | 行為そのもの | 冒頭 | 主題 | 内容 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 30 | 57 | 207 | 67 | 2 | 8 | 16 | 11 | 10 |
童謡 | 48 | 99 | 244 | 10 | 39 | 61 | 45 | 66 | 11 |
主人公 | 背景 | 対象 | 見立て | 行為そのもの | 冒頭 | 主題 | 内容 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 13.50% | 14.00% | 50.10% | 16.40% | 0.40% | 2.00% | 3.90% | 2.70% | 2.50% |
童謡 | 8.30% | 17.20% | 42.40% | 1.70% | 6.80% | 10.60% | 7.80% | 11.50% | 1.90% |
@ | @ A | @ A (B) | @ A B | @ A C | @ B | @ B C | @ C | A | A (B) C | A C | A (B) | B | B C | C | 展 開 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
283 | 232 | 34 | 21 | 1 | 2 | 34 | 2 | 40 | 264 | 2 | 7 | 42 | 77 | 2 | 112 | 2 |
本項目は、あてはまる細目を全て選択していく、という方法で分析をすすめたため、組み合わせ別の分析では作品数が分散してしまい、表現特性がでにくいと考えた。したがって、本項目の調査結果の分析は、出現回数をもとにすすめることとする。
作品全体 細目ごとの出現回数は、下の表のようになる。主人公 | 背景 | 対象 | 見立て | 行為そのもの | 冒頭 | 主題 | 内容 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
88 | 196 | 538 | 83 | 46 | 80 | 70 | 85 | 28 |
主人公 | 背景 | 対象 | 見立て | 行為そのもの | 冒頭 | 主題 | 内容 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 30 | 57 | 207 | 67 | 2 | 8 | 16 | 11 | 10 |
童謡 | 48 | 99 | 244 | 10 | 39 | 61 | 45 | 66 | 11 |
主人公 | 背景 | 対象 | 見立て | 行為そのもの | 冒頭 | 主題 | 内容 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 13.50% | 14.00% | 50.10% | 16.40% | 0.40% | 2.00% | 3.90% | 2.70% | 2.50% |
童謡 | 8.30% | 17.20% | 42.40% | 1.70% | 6.80% | 10.60% | 7.80% | 11.50% | 1.90% |
状況 | もの | とき | 場所 | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|
詩 | 14 | 23 | 8 | 14 | 57 |
童謡 | 53 | 14 | 22 | 13 | 99 |
状況 | もの | とき | 場所 | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|
詩 | 24.60% | 40.40% | 14.30% | 24.60% | 57 |
童謡 | 53.50% | 14.10% | 22.20% | 13.10% | 99 |
作品数 | 割合 | |||
---|---|---|---|---|
漢字あり | なし | 漢字あり | なし | |
詩 | 282 | 125 | 69.30% | 30.70% |
童謡 | 108 | 468 | 18.80% | 81.20% |
作品数 | 割合 | |||
---|---|---|---|---|
あり | なし | あり | なし | |
詩 | 16 | 391 | 3.90% | 96.10% |
童謡 | 37 | 286 | 6.40% | 49.70% |
構成 | @ | A | B | C |
---|---|---|---|---|
出現回数 | 366 | 373 | 181 | 167 |
出現回数 | 割合 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
@ | A | B | C | @ | A | B | C | |
詩 | 97 | 81 | 39 | 107 | 23.80% | 19.90% | 9.60% | 26.30% |
童謡 | 234 | 339 | 119 | 15 | 40.60% | 58.90% | 20.70% | 2.60% |
なまえの とおり
ぼうで ございます
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社
作品数 | 割合 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
非現実 の世界 | 現実に おける 非現実 | 非現実 の要素 なし | 不明 | 非現実 の世界 | 現実に おける 非現実 | 非現実 の要素 なし | 不明 | |
詩 | 23 | 115 | 263 | 6 | 5.70% | 28.30% | 64.60% | 1.50% |
童謡 | 93 | 105 | 377 | 1 | 16.10% | 18.20% | 65.50% | 0.20% |
会話あり | なし | 不明 |
---|---|---|
298 | 857 | 2 |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
会話あり | 会話なし | 不明 | 会話あり | 会話なし | 不明 | |
詩 | 74 | 333 | 0 | 18.20% | 81.80% | 0.00% |
童謡 | 192 | 383 | 1 | 33.30% | 66.50% | 0.20% |
独り言の主体 | 対象 | 語り手 | その他 | 独り言 なし | 不明 |
---|---|---|---|---|---|
作品数 | 20 | 7 | 2 | 1127 | 1 |
語りかけあり | なし | 不明 |
---|---|---|
95 | 1060 | 2 |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
あり | なし | 不明 | あり | なし | 不明 | |
詩 | 25 | 382 | 0 | 6.10% | 93.90% | 0.00% |
童謡 | 57 | 518 | 1 | 9.90% | 80.90% | 0.20% |
出現回数 | 割合 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
擬態語 | 擬容語 | 擬音語 | 擬声語 | 合計 | 擬態語 | 擬容語 | 擬音語 | 擬声語 | |
詩 | 92 | 35 | 13 | 9 | 149 | 61.70% | 23.50% | 8.70% | 6.00% |
童謡 | 223 | 53 | 76 | 36 | 388 | 57.50% | 13.70% | 19.60% | 9.30% |
ABAB型 | ABっ型 | ABり型 | AっBり型 | ABん型 | |
---|---|---|---|---|---|
詩 | 88 | 5 | 13 | 23 | 20 |
童謡 | 223 | 24 | 17 | 8 | 59 |
ABAB型 | ABっ型 | ABり型 | AっBり型 | ABん型 | |
---|---|---|---|---|---|
詩 | 21.60% | 1.20% | 3.20% | 5.60% | 4.90% |
童謡 | 38.70% | 4.20% | 3.00% | 1.40% | 10.20% |
表現の種類 | 叙情 | 叙事 | 叙景 |
---|---|---|---|
作品数 | 799 | 351 | 8 |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
叙情 | 叙事 | 叙景 | 叙情 | 叙事 | 叙景 | |
詩 | 360 | 46 | 1 | 88.50% | 11.30% | 0.20% |
童謡 | 290 | 280 | 6 | 50.30% | 48.60% | 1.00% |
人間 | 動物 | 植物 | 物 | 宇宙 | |
---|---|---|---|---|---|
単独の出現回数 | 168 | 48 | 48 | 85 | 4 |
他との共同出現回数 | 548 | 304 | 169 | 341 | 164 |
総出現回数 | 716 | 472 | 217 | 426 | 168 |
他との共同出現率 | 約76.5% | 約64.4% | 約77.9% | 約80.0% | 約97.6% |
表現対象 | 人間 | 動物 | 植物 | 物 | 宇宙 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩と童謡 | 詩 | 童謡 | 詩 | 童謡 | 詩 | 童謡 | 詩 | 童謡 | 詩 | 童謡 |
単独の出現回数 | 28 | 137 | 50 | 99 | 20 | 22 | 29 | 52 | 3 | 1 |
他との共同出現回数 | 232 | 213 | 121 | 109 | 77 | 61 | 142 | 152 | 79 | 39 |
総出現回数 | 260 | 350 | 171 | 208 | 97 | 83 | 171 | 204 | 82 | 40 |
他との共同出現率(%) | 89.2 | 60.9 | 70.8 | 52.4 | 79.4 | 73.5 | 83 | 74.5 | 96.3 | 97.5 |
作品数 | 割合 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
進行 | 停滞 | 循環 | 気持ち の進行 | 進行 | 停滞 | 循環 | 気持ち の進行 | |
詩 | 89 | 287 | 1 | 30 | 21.90% | 70.50% | 0.20% | 7.40% |
童謡 | 247 | 320 | 9 | 0 | 42.90% | 55.60% | 1.60% | 0.00% |
内 | 外・主観あり | 外・主観なし | 不明 |
---|---|---|---|
483 | 595 | 52 | 27 |
作品数 | 割合 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
内 | 外・ 主観あり | 外・ 主観なし | 不明 | 内 | 外・ 主観あり | 外・ 主観なし | 不明 | |
詩 | 154 | 227 | 5 | 21 | 37.80% | 55.80% | 1.20% | 5.20% |
童謡 | 247 | 279 | 44 | 6 | 42.90% | 43.20% | 7.60% | 1.00% |
ねの じに詩には「ねずみ」のように、ある題名がつけられた作品群の中の1つの作品、という短詩が多く存在する。数えてみると合計で96編存在した。今回「不明」とした詩21編中20編が短詩であり、文の短さが関わって視点のありかが特定できない作品であった。童謡には短詩に対応するような短い作品は見られなかった。これらのことから、視点が「不明」とされているもののほとんどが短詩であり、不明となった原因は作品の言葉の少なさにあると推測できる。
すわって
ねずみです
<初出>「日本児童文学」第2巻第1号所収 「スケッチ詩・おもちゃの部分品」1956年1月1日 児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
視点の二重構造 | あり | なし | 不明 | あり | なし | 不明 |
詩 | 37 | 359 | 11 | 9.10% | 88.20% | 2.70% |
童謡 | 28 | 548 | 0 | 4.90% | 95.10% | 0.00% |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
複数の連 | 1連 | 不明 | 複数の連 | 1連 | 不明 | |
詩 | 323 | 84 | 0 | 79.40% | 20.60% | 0.00% |
童謡 | 550 | 25 | 1 | 95.50% | 4.30% | 0.20% |
細目 | 進行 | 対象の変化 | 視点の変化 | 場面の変化 | 主人公の変化 | 主張と具体例 | 出来事と感想 | 思考の深化 | 意味の切れ目 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
作品数 | 236 | 135 | 351 | 128 | 27 | 1 | 112 | 21 | 258 | 11 |
出現率 | 23.2 | 13.2 | 34.4 | 12.6 | 2.6 | 0.1 | 11 | 2.1 | 25.3 | 1.1 |
もっと そうぞうしく
とんだら いいよ
えんりょ しないで
ばさばさ とべよ
といって あげたくなるな
もんしろ しろしろ
もんしろちょう
ひそひそ かすかに
とぶばかり
もっと おおいばりで
まんなか とおれ
えんりょ しないで
どさどさ あるけ
といって あげたくなるな
でんでん むしむし
でんでんむし
すみっこを こっそり
はうばかり
<初出・底本>「童話」第338号 1981年11月1日 日本童話会 渋谷沢兆曲 ☆
あかちゃんが おなら した主人公の変化…同じパターンの行動(行動の類比)
ことりが ないたみたいに
あのまま とっておきたかったね
おかあさん
おとうさんが おかえりまで
あかちゃんが いつか
およめさんに なる ひまで
あかちゃんが あくび した
おはなが さいたみたいに
あのまま とっておきたかったね
おかあさん
おとうさんが おかえりまで
あかちゃんが いつか
おばあさんに なる ひまで
<初出・底本>「童話」第309号 1979年10月1日 日本童話会 田村徹曲 **一部改稿
こっちからきつねが でてきたよ以上に挙げた、対象の変化,視点の変化,場面の変化,主人公の変化が1 細目でも含まれている作品は何作品あるのか、調べてみたところ、601作にのぼった。これは、複数の連で構成されている作品の約69.0%にあたる。このことから、複数の連で構成されている作品のうちの半数以上が、連同士が何らかの共通点を持ちながらある点において変化を見せる、という作品になっていることが分かった。また、共通点を持ちながら展開することから、連同士が共通するリズムで展開されていることが多いのではないか、という仮説を立てたが、そのことについては「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」にて触れることとする。
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
あっちでともだち よんでるかな
どんどんあっちへ かけてった
あっちあからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
こっちでともだち よんでるな
どんどんこっちへ かけてった
りょうほうからきつねが であったよ
くちうごかすよ こんこんこん
おにごっこしようよ じゃんけんぽん
どんどんあちこち かけだした
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **初出タイトル「きつねのおはなし」 一部改稿
進行 | 対象の変化 | 視点の変化 | 場面の変化 | 主人公の変化 | 主張と具体例 | 出来事と感想 | 思考の深化 | 意味の切れ目 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 72 | 22 | 75 | 15 | 1 | 0 | 71 | 12 | 174 | 2 |
童謡 | 138 | 103 | 229 | 104 | 20 | 0 | 6 | 0 | 9 | 5 |
進行 | 対象の変化 | 視点の変化 | 場面の変化 | 主人公の変化 | 主張と具体例 | 出来事と感想 | 思考の深化 | 意味の切れ目 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 22.3 | 6.8 | 23.2 | 4.6 | 0.3 | 0 | 22 | 3.7 | 53.9 | 0.6 |
童謡 | 25.1 | 18.7 | 41.6 | 18.9 | 3.6 | 0 | 1 | 0 | 1.6 | 0.9 |
聴覚に訴えかける言葉遊び | (連道士)・あり | 一部であり | なし | 不明 |
---|---|---|---|---|
作品数 | 603 | 32 | 382 | 1 |
作品数 | 割合 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
聴覚に 訴えかける 言葉遊び | (連内) ・あり | 一部であり | なし | 不明 | (連内) ・あり | 一部であり | なし | 不明 |
詩 | 35 | 24 | 264 | 0 | 10.70% | 7.30% | 80.70% | 0.00% |
童謡 | 532 | 0 | 17 | 1 | 96.70% | 0.00% | 3.10% | 0.20% |
ゆめなのかしら例として挙げた作品は、連の関係が「視点の変化」となっている。作品全体が、もんしろちょうという対象を捉えるということで一貫しているが、もんしろちょうを捉える角度が第1連では「ゆめなのかしら」という視点からすすめられ、第2連では「うたなのかしら」という視点からすすめられているという点で変化がみられる。このように、同じ対象を捉えるという共通点があることが対句の構造を作り出し、連同士が同じ言い回しになりやすくする働きがあるのではないかと考えられる。実際に童謡において「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目に1つでも当てはまる作品を対象に、「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」がどのくらいの割合含まれているのかを調べた。その結果、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目に1つでも当てはまる作品全425編全てが、連同士における聴覚に訴えかける言葉遊びがなされているという結果になった。このことから、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目が、連同士の「聴覚に訴えかける言葉遊び」つまり、連同士の一定のリズム作りと連動し、リズム作りを助ける働きをしているのではないかと考えられる。
まだ つめたい かぜの
ゆびさきに あそぶ
もんしろちょうは
うまれたばかりの
はるの あかちゃんが
みているともない
ゆめなのかしら
うたなのかしら
まだ つぼみも ちいさい
なばたけを わたる
もんしろちょうは
うまれたばかりの
はるの あかちゃんが
はじめてうたえた
うたなのかしら
<初出・底本>*鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 ドレミ楽譜出版社 鈴木敏朗曲 **一部改稿
聴覚に訴えかける言葉遊び | (連内)・あり | 一部であり | なし |
---|---|---|---|
作品数 | 544 | 31 | 582 |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
聴覚に訴えかける言葉遊び | (連内)・あり | 一部であり | なし | (連内)・あり | 一部であり | なし |
詩 | 43 | 17 | 347 | 10.60% | 4.20% | 85.30% |
童謡 | 473 | 8 | 95 | 82.10% | 1.40% | 16.50% |
植物 | 物 | 宇宙 | その他 |
---|---|---|---|
79 | 290 | 61 | 51 |
ちいさな詩と童謡の比較
ことりが
よんだので
でてきた
でてきた
とうとう でてきた
おおきな
はるが
ちいさな
ちょうちょが
あそぶので
わらった
わらった
とうとう わらった
おおきな
はるが
(「ちいさな ことり」を改題)
<初出・底本>「チャイルドブック」1970年4月号(第34巻第4号)4月1日 チャイルド本社 **一部改稿 1997年4月「ちいさな ことりが」に改題 ☆
作品数 | 割合 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
植物 | 物 | 宇宙 | その 他 | 合計 | 植物 | 物 | 宇宙 | その 他 | |
詩 | 31 | 124 | 25 | 26 | 199 | 15.60% | 62.30% | 12.60% | 13.10% |
童謡 | 34 | 134 | 21 | 18 | 199 | 17.10% | 67.30% | 10.60% | 9.00% |
作品数 | 割合 | |||
---|---|---|---|---|
記号あり | なし | 記号あり | なし | |
詩 | 181 | 226 | 44.50% | 55.50% |
童謡 | 15 | 561 | 2.60% | 97.40% |
作品数 | 割合 | |||
---|---|---|---|---|
倒置法 | あり | なし | あり | なし |
詩 | 115 | 292 | 28.30% | 71.70% |
童謡 | 99 | 477 | 17.20% | 82.80% |
作品数 | 割合 | |||
---|---|---|---|---|
繰り返し | あり | なし | あり | なし |
詩 | 153 | 254 | 37.60% | 62.40% |
童謡 | 533 | 43 | 92.50% | 7.50% |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
言葉の省略 | あり | あり (付属語のみ) | なし | あり | あり (付属語のみ) | なし |
詩 | 221 | 18 | 168 | 54.30% | 4.40% | 41.30% |
童謡 | 150 | 154 | 272 | 26.00% | 26.70% | 47.20% |
ちゅっ ちゅっ ちゅうしゃの「ちゅうしゃ」において見られる付属語の省略は、第2連2行目の「すぐ すむよ」の字数に合わせるために行われた、と考えられる。他にも各連が全ておおまかな7・5調で展開していることに合わせているとも考えられる。いずれにせよ、ここで考えておきたいのは、付属語の省略はリズムを形成するために行われている可能性が極めて高い、ということとである。この例からも分かるように、童謡における付属語の省略は、リズムを形成することが大きな目的の一つである、と考えられる。
はりの さき【は】
ありより のみより
まだ ちいさい
ちくっ のみだよ
えっへっへ
びょ びょ びょうきが
にげだした
ちゅっ ちゅっ ちゅうしゃは
すぐ すむよ
まばたき するまに
すんじまう
ちくっ おしまい
えっへっへ
びょ びょ びょうきが
にげだした
<初出>「保育の指導」1960年11月(第5巻第11号)11月1日 フレーベル館 初出タイトル「ちゅうしゃのうた」 落合保曲
<底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1933年3月 ドレミ楽譜出版社 鈴木敏朗曲
※【 】内は筆者によるもの
ここに くるとこの作品は、第2連の各行と最終連の最終行において、言葉の省略が見られる。これらは、そこだけを抜き出して提示されても省略されている言葉を補うことができないことから、自立語の省略は省略部分以外の部分に依存している、といえる。一方、付属語の省略においては、省略部分のみを見ても書いてある
どんな人でも からだを折曲げます
やれやれと【からだを折曲げます】
いそいそと【からだを折曲げます】
どっかりと【からだを折曲げます】
いぎたなく【からだを折曲げます】
とくいげに【からだを折曲げます】
われさきに【からだを折曲げます】
しょんぼりと【からだを折曲げます】
なにげなく【からだを折曲げます】
せかいじゅうに ないそうです
こんなに よく守られている きそくは
そして
こんなに おもしろい けしきに
目を みはる人も【せかいじゅうにないそうです】
<初出・底本>『まど・みちお詩集4 物のうた』1974年10月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **一部改稿
※【 】内は筆者によるもの。
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
擬人法以外の比喩 | あり | なし | 不明 | あり | なし | 不明 |
詩 | 212 | 194 | 1 | 52.00% | 47.70% | 0.20% |
童謡 | 130 | 445 | 1 | 22.60% | 77.30% | 0.20% |
行動 | 視覚的な印象 | 主張 | リズム | 心情 | カメラワークの変化 | 台詞 | 二重構造 | 非現実 | 対象 | 対象の変化 | 進行 | その他 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
7 | 6 | 5 | 45 | 6 | 10 | 86 | 4 | 21 | 8 | 4 | 15 | 18 | 221 |
作品数 | 割合 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
字下げ | あり | なし | 不明 | あり | なし | 不明 |
詩 | 41 | 366 | 0 | 10.10% | 89.90% | 0.00% |
童謡 | 160 | 415 | 1 | 27.80% | 72.00% | 0.20% |
行動 | 視覚的な印象 | 主張 | リズム | 心情 | カメラワークの変化 | 台詞 | 二重構造 | 非現実 | 対象 | 対象の変化 | 進行 | その他 | 合計 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 0 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 26 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 41 |
童謡 | 7 | 4 | 3 | 42 | 5 | 7 | 51 | 3 | 18 | 2 | 3 | 15 | 11 | 160 |
行動 | 視覚的な印象 | 主張 | リズム | 心情 | カメラワークの変化 | 台詞 | 二重構造 | 非現実 | 対象 | 対象の変化 | 進行 | その他 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詩 | 0.00% | 4.90% | 2.40% | 2.40% | 2.40% | 2.40% | 63.40% | 0.00% | 0.00% | 2.40% | 0.00% | 0.00% | 22.00% |
童謡 | 4.40% | 2.50% | 1.90% | 26.30% | 3.10% | 4.40% | 31.90% | 1.90% | 11.30% | 1.30% | 1.90% | 9.40% | 6.90% |
本章では、第1節において、前章で述べてきた研究結果をまとめ、作品全体及び詩と童謡の表現特性の違いを明らかにする。次に第2節において、今後の課題について述べる。
本節では、第3章第2・3節において明らかにしてきた、まど・みちお氏の作品全体及び詩・童謡の表現特性のなかから際立った特徴を選んでまとめ、表現特性の側面から、まど・みちお氏の詩と童謡について定義づける。まとめるにあたって、作品全体、詩・童謡ともに表現特性を4つの分野に分けてすすめた。1つめは題名のつけかたについて、2つめは表記について、3つめは構成について、そして4つめは叙述について、である。第3章第2節で明らかにした「文字の使われ方」は表記に含め、第3章第3節で明らかにした表現特性については、それぞれの項目が属している表現特性の分野のところでまとめていく。
まとめる前に、一点注意しておきたいことがある。それは、作品全体の表現特性の見出し方についてである。今回、詩と童謡に関しては、双方を比較することにより表現特性を明らかにすることができた。しかし、作品全体においては他の詩人の作品と比較したわけではないので、分析を通して現れた表現特性は、詩として一般的なものなのか、まど・みちお氏特有のものなのかを判別することが不可能であった。したがって今回は、分析結果の中からある細目の全体に占める割合が半数を超えたものについて表現特性であると判断した。詩と童謡については、細目の出現率が他方と比較しておおよそ10%以上高い場合を、表現特性であると判断している。従って、その特性が詩、あるいは童謡において半数を超えていない場合であっても、他方と比較して多くなっている場合は表現特性として考えた。逆に、全体に占める割合が多い細目であっても、詩・童謡ともにその傾向が見られる場合は、作品全体の傾向とし、それぞれの表現特性に含めなかった。また、詩において、短詩といわれる1連構成の短い詩が96編存在するが、短詩は掲載の様式も長さも他の詩と大きく異なるため、短詩の存在によって現れた詩の表現特性(1連構成の作品の数が多い、など)は詩の表現特性として全章では述べたものの、本章ではとりたてないこととしている。
題名の付け方においては、作品の登場人物が題名に起用されやすいという表現特性がある。その中でも特に、作品中に心理は描かれず、言動のみが表現される「対象」が題名として起用される傾向がある。また、作品の主題が題名に起用される際には、表現される主題が喜びや誇りといった、プラスの心情を表現したものが多くを占める。
表記について、際立った表現特性は2つある。1つめは、漢字が全く含まれていない作品が過半数に達するということである。つまり、まど・みちお氏の作品全体においては、ひらがなやカタカナ、記号だけで表現されることが多いという表現特性がある。2つめは、常用漢以外の漢字が使用される作品は戦前の作品の方に多く見られることである。
作品全体における構成の表現特性において、際立ったものは今回発見できなかった。
叙述について、際立った表現特性は12点あった。
1点目は、会話が描かれる時には、相手に何かしらの働きかけをしている場合が多い、ということである。行動を促したり、相手に問を投げかけたりすることを今回働きかけとしている。
2点目は、オノマトペの使用を通して、視覚的な情報を多く提示している、ということである。オノマトペの使用が見られる作品数は半分に満たないが、そのほとんどで擬態語・擬容語、つまり物事の視覚的情報を提示するためのオノマトペが使用されていた。また使用に際しては、「きらきら」「もりもり」など2音を繰り返すものと、「ころん」「くるん」などの2音のあとに「ん」がつくものが使われることが多かった。
3点目は、作品を通して具体物を描く傾向がある、ということである。つまり、事物を五感で感じられる次元で描くことが多いといえる。
4点目は、作品を通して人物の心理を描く傾向がある、ということである。しかしながら一方では、全体の約3分の1の作品が人物の心理を排し、出来事や風景のみを叙述していることも事実である。
5点目は、表現対象として人間が選ばれることが多い、ということである。
6点目は、人物が単独で描かれている作品よりも複数の種類のものが描かれる傾向がある、ということである。特に太陽や星などの宇宙に関わりがあるものや神は、ほとんどの作品において人間や動物、植物、物などと一緒に描かれる。
7点目は、作品を通して表現する世界は、場面が進行せずに停滞している場合が多い、ということである。
8点目は、視点人物が作品世界の外側に存在する傾向がある、ということである。また、その中でも作品世界を捉えている視点人物による心理が描かれている場合が多い。
9点目は、複数の連で構成されている、ということである。そしてそれらの関係は、連同士が何らかの共通点をもちながら、場面や対象や物事を捉える視点などの、ある1点において変化を見せる、という関係になっていることが多い。このことで、対句の構造を生み出しやすくなり、リズムの形成につながると考えられる。
10点目の表現特性は、擬人法は物に対して使用される場合が圧倒的に多い、ということである。擬人法が用いられている作品自体は全体の4割程度だが、使用されている場合はその半数以上で物が対象となっている。
11点目は、単語や文を繰り返すことが多い、ということである。
そして、12点目は、自立語・付属語問わず、何らかの言葉が省略されている作品が多い、ということである。
以上が、今回見つかった作品全体の表現特性である。
題名の付け方においては、作品世界に登場する人物が題名として選ばれる傾向が強い、という表現特性がある。
表記についての際立った表現特性は、2つある。1つめは、常用漢字の範囲において漢字が多く用いられる、ということである。2つめは、文字数が多い、ということである。1作品あたりの文字数は約167字と、童謡のそれを20字以上、上回っている。
構成においては、現実とそれに対する思いを述べる、という構造を有している作品が多い、という表現特性がある。
叙述について、際立った表現特性は10点あった。
1点目は、擬音語が使用されている作品は詩において表現される傾向があるということである。擬音語自体、表現される作品は多くはないものの、表現される場合はそのほとんどが詩に偏っている。
2点目は、表現対象が複数表現されるという傾向である。この表現特性は全体傾向のところで述べたが、詩において特に目立っている。複数表現する中でも、童謡と比べて人間と動物が表現対象として選ばれるときにこの傾向が顕著である。
3点目は、宇宙を表現対象とした作品が多いということである。
4点目は、童謡と比較して気持ちの進行が書かれることが多い、ということである。気持ちの進行が表現される場合、そのほとんどが詩となっている。
5点目は、連が変わっても対象や場面、視点などが変化しない場合が多い、ということである。つまり、詩はひとつの話題や物事について一貫して述べている作品が多い傾向にあるといえる。
6点目は、記号を含む作品が多いということである。詩全体の半数近くに「!」「?」「…」など作品内容に意味を付加する記号が使用されている。また、記号が使用されているまど・みちお氏の作品において詩が占める割合は7割近くにのぼっている。
7点目は、童謡と比較して倒置法を多く用いる傾向があるということである。
8点目は、童謡と比較して、自立語の省略が多いということである。
9点目は、「擬人法」や「擬人法以外の比喩」など、対象を表現するときに他のものにたとえて表現する傾向があるということである。
そして10点目は、字下げが行われている場合、字下げ部分が台詞を表す場合が多い、ということである。字下げ自体の数は少ないが、字下げになっている場合の半数以上が台詞を表現しているという結果がでている。
以上が詩の表現特性である。
題名の付け方においては、作品を要約したような題名が多くつけられる、という表現特性がある。
表記についての際立った表現特性は、2つある。1つめは、低学年で学習する漢字が、高学年で使用する漢字と比べて多く使用されていることである。2つめは、常用漢字以外の漢字が、詩と比較して多く用いられているということである。特にそのほとんどが戦前の作品において出現している。作品全体の傾向のところでも戦前に常用漢字以外の漢字が多く使用されているということを述べたが、童謡においてこの傾向は特に顕著である。
構成についての際立った表現特性は、1つの物事を多角的に捉える構成になっている作品が多い、ということである。それに加えて、詩と比べて場面の進行を描いた作品や表現対象が複数挙げられている作品も多くなっている。
叙述について、際立った表現特性は全部で12点あった。
1点目は、詩と比べて、非現実の世界が舞台になっている作品が描かれることが多い、ということである。童謡全体に占める非現実の世界が舞台の作品は多くはないものの、まど・みちお氏の作品において非現実の世界が舞台になる際は、そのほとんどが童謡である。
2点目は、詩と比較して、質問とそれに対する返答や、呼びかけとそれに対する応答など、会話の往復が見られることが多い、ということである。
3点目は、オノマトペが使用される傾向があるということである。童謡の半数以上の作品においてオノマトペが使用されている。使用されるオノマトペの型や種類に関しては童謡特有の表現特性は見られなかった。
4点目は、詩と比べて叙事詩の割合が高い、ということである。まど・みちお氏の作品における叙事詩の約80%を童謡が占めている。
5点目は、詩と比較して、表現対象が単独で表現される場合が多い、ということである。
6点目は、場面の循環を描いた作品は童謡によって表現されることが多い、ということである。童謡に占める場面が循環している作品の割合は2割にも満たない。しかし、まど・みちお氏が作品において場面の循環を表す際は、そのほとんどを童謡において表現している。
7点目は、詩と比較して、作品世界を外から捉え視点人物の心理を描かずに表現している作品が多い、ということである。視点が作品の外にあり、視点人物の心理を描かない作品は、その8割以上が童謡によって表現されている。
8点目は、連同士で共通点をもちながらも、対象や場面など、ある点において変化がみられる作品が多く含まれている、ということである。そのことで、連同士が対句のような構造になることが多かった。この表現特性は、作品全体のところでも述べていることであるが、童謡において特に顕著になっている。
9点目は、聴覚に訴え掛ける言葉遊びが連同士においても連内においても多く見られるということである。このことにより、連同士のリズムや連内のリズムが形成されると考えられる。
10点目は、繰り返しが多用されているということである。童謡の9割以上の作品において、単語や文の繰り返しが見られた。また、この表現特性は作品全体のところでも述べたが、童謡において特に顕著に現れているといえる。
11点目は、詩と比較して、付属語の省略が行われていることが多い、ということである。そして、付属語を省略する童謡の中には、付属語を省略することで意味は損なわず、なおかつ周りの連や行と字数を合わせリズムの形成を行っていたものもあった。そのことから、付属語の省略の意図として、リズムを形成するため、ということが考えられる。
12点目は、詩と比較して、字下げを多く用い、その役割における「リズム形成」の割合が高い、ということである。まど・みちお氏の作品において字下げが使用されることは少ないが、使用されるときは、その多くが童謡となっている。また、字下げが果たす役割の中で、リズムの形成を行うものが童謡の41倍であった。
以上が、詩の表現特性である。
今回、1157編という数の詩と童謡を分析し、豊富なデータの中から表現特性をいくつか見いだすことができた。これまで、まど・みちお氏の詩と童謡は表現特性の面から論じられることが少なかったことから、本研究は多少なりとも意味をもった研究になったと感じている。しかしながら、見逃していた点や時間の関係などから調査を断念せざるを得なかったところがいくつもある。その中で、特に次につなげるべき今後の課題について4点を取り上げて述べる。
1点目は、「不明」作品の分類である。今回、出版情報に依って詩と童謡の分類をすすめたが、証拠が揃わないために分類ができずに「不明」という結果になってしまった作品が、全部で174編あった。現時点では「不明」と分類した作品は「不明」のままになっているが、それらの作品を、今回明らかになった詩と童謡の表現特性と照らし合わせることで、詩と童謡どちらにあたるのか1編ずつ判断していきたい。「不明」作品をきちんと分類することによって、まど・みちお氏の作品全体における詩と童謡の割合や年代ごとの変遷についてより正確な情報を得ることができるだろう。
2点目は、主題との関連付けである。先行研究では、主題に対する言及が多く、詩と童謡の違いについても同じように主題の面からとらえているものがあった。本研究の作品分析においても、研究当初は主題を分析項目に加えていた。しかし、主題が多岐にわたることで分類することが困難となり、分析項目から外さざるを得なくなった。他にも、主題に関連して、作品を通して何者かへの批判がなされているかどうか、についても分析項目に取り入れていたのだが、批判とそうでないものの明確な線引きが困難だったので、こちらも項目から外した。これら2項目を分析項目に取り入れることで、主題を表現するためにどのような表現がなされているのかを明らかにすることができ、主題と表現技法を関連付けることで、多くのことが見えてくると考えられる。したがって、今後の研究課題として、「主題」及び「批判」を分析項目に取り入れることが考えられる。
3点目は、異なる表現特性の組み合わせを明らかにすることである。今回の研究で全29の分析項目を立てて、作品分析を行った。そして、それら29項目それぞれの分析結果について考察し、明らかになったことを述べた。しかし、表現特性は個々が独立して存在するだけでなく、作者の主張を表現するためにいくつもの表現特性同士が関係しあっていると考えられる。例えば、童謡において「叙事詩」となっている作品は、「場面の進行・停滞・循環」の項目において「進行」になっている場合が多かった。このように、項目同士を掛け合わせることによりさらなる表現特性の発見と理解の深まりが期待される。したがって、今後は分析項目同士の関係も調査していく必要がある。
4点目は、他の詩人の作品と比較することである。今回、まど・みちお氏の作品全体の表現特性について考える際に各分析項目の結果に対して、それがまど・みちお氏独特の表現特性なのか否かが判断しづらかった。したがって、まど・みちお氏の作品全体の特徴や傾向を正確に掴むためにも、他の詩人による作品の表現分析を知り、まど・みちお氏の表現特性を外から眺める必要がある。
他にも、教科書での詩・童謡の使われ方や表現対象のさらなる細分化、音の印象や響きについての考察など、考えられる今後の課題は後を絶たないが今回は特に上に挙げた4点を強調して、筆を擱くこととする。
今、天王寺キャンパスの一角で、春の日差しを受けながらこの一年をふりかえっています。4回生の始めに「まど・みちお氏の作品に触れてみたいなあ」と思ってから、卒業を3日後に控えた本日3月19日まで、取り組むかどうかは別としてずっと頭の片隅に卒業論文の存在がありました。
その生活がひとまず今日で終わりだと思うと不思議な感じがします。
と、ここまでえらそうに振り返りましたが、この卒業論文は多くの方々のおかげで完成した論文であり、気持ちの上では100人ぐらいが携わった、といっても過言ではありません。
まずは、なにをおいても指導教官である野浪先生に心より御礼申し上げます。ゼミ活動の時間はもとより、先生が学校にいる間は追い掛け回して質問攻めにし、1月も後半に入るとメールでも質問をするなど、プライベートにまでどかどか踏み込んでいってしまいました。このような厚かましさをときにはかわしつつも受け止め、最後まで愛想を尽かすことなく丁寧にご指導してくださって本当にありがとうございました。
そして、国語科の先生方にも、深く感謝いたします。中間発表の折に、先生方からいただいたご高説には、行き詰っていた研究に風穴を開けていただきました。
さらに、ゼミメンバーは苦しめる仲間として私の大きな心の支えとなりました。(にもかかわらず恩をあだで返す形でゼミの時間先生を独占してしまって大変な迷惑をかけたと思います。)
学科の仲間にも、傷をなめあったり塩を塗りあったりする中で、論文を大変に後押ししてもらいました。
3回生のゼミ生にも、ゼミ室を使いたいところを仕事が遅い4回生のために遠慮させてしまいました。
ほかにも、図書館の人やお母さんなど、あげだしたらきりがなく、これ以上あげたらだんだんとぼろが出てしまいそうなので別の場でお礼を言います。
今回研究したことは、これで終わりにせず、これから先の教員生活でいかしていきたいです。おしまい