大阪教育大学 国語教育講座 野浪研究室 ←戻る
平成二十三年度卒業論文
提出日 2013年1月31日(木)

まど・みちおの表現特性
〜詩と童謡の表現分析による比較を通して〜

国語表現ゼミナール
小学校教員養成課程 国語専攻 石井桃子
指導教官 野浪正隆先生

目次

序章   はじめに
 第1節 研究動機
 第2節 研究目的
 第3節 まど・みちおとは

第1章. 先行研究
 第1節 詩・童謡の一般的な概念
 第2節 取り入れたい観点

第2章. 研究にあたって
 第1節 研究対象
 第2節 研究方法
 第3節 分析項目

第3章. 研究結果
 第1節 詩と童謡の割合
  第1項 全体の割合
  第2項 年代ごとの特徴の推移
 第2節 文字の使われ方
 第3節 作品分析の結果

終章  まとめと今後の課題
 第1節 まとめ
 第2節 今後の課題

序章 はじめに

本章では、研究に至るまで、及び今回の研究対象である、まど・みちお氏の略歴を扱う。第1節では研究動機について、第2節では研究目的について、そして第3章では、まど・みちお氏の略歴について述べる。

序章 第1節 研究動機

 研究を始めようと考えたそもそものきっかけは、3回生の基本実習でまど・みちお氏の詩を扱った際に、まど・みちお氏のもつ世界観に興味をもったことだった。授業そのものはつたなく反省が多いものであったにもかかわらず、児童たちは普段の授業では見せないようないきいきとした表情をみせ普段の授業に比べ主体的に活動に参加している姿が多くみられた。そして私自身、授業を構想する際も授業の中で児童とともに詩を味わう際も、まど・みちお氏の独特の視線や物事の捉え方におもしろさを感じ、惹きつけられた。この経験から、子どもから大人まで多くの人を惹きつけてやまない氏の魅力はどういうところにあるのか明らかにしたいと考えるようになった。
 そうして、まど・みちお氏について調べることにしたのだが、調べる過程で、まど・みちお氏は詩だけにとどまらず、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」など広く知られる童謡も書いていることを知った。しかしそれと同時に詩と童謡の区別は曖昧であり、時には仕切りをなくして詩集としてまとめて出版されることさえある、ということも知った。例えば、今回研究対象とした、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)においても、「少年詩、童謡、散文詩等と区分されることがありますが、全て詩であるという考えから本詩集を編纂しました。」と記されている。
 このことから、詩集における「詩」の定義は極めて曖昧なものであり、定義は各出版社にゆだねられていることが分かる。しかしながら、まど・みちお氏本人は「詩」と「童謡」の違いを意識して作品を発表している。そのことはまど・みちお氏本人による以下の記述から分かる。

 私の場合は、詩と童謡では明らかに手法が違いますね、書く場合に。童謡というのは、本当にザックバランでなくちゃならんと思います。ザックバランであることが純粋であり、何かを持っていることであるような。ですから、童謡は詩よりはるかにむずかしいとおもいます。
 (『日本児童文学別冊 少年詩・童謡への招待』1978年7月 日本児童文学者協会)
 ところで、わたしがこの本のなかでつかっている<少年詩>ということばですが、この<少年詩>というのは、小学校中・上級から中学生ぐらいまでのみなさんに読んでもらうための詩を言います。<童謡>というのは、幼稚園から小学校低学年までの幼児・児童をにして、作曲され、歌われるものを言います。〔…中略…〕<少年詩>(<少年少女詩>とも言う)は、この<児童詩>とも、<童謡>とも、またおとなのための現代詩ともちがうもので、それらとは別の、一つのなのです。  
(まど・みちお少年詩集『つけもののおもし』1979年2月 ポプラ社文庫)

 一方で、氏も両者の違いを意識の上では公表しているものの、表現上の理論は明示していないのである。そのことについて谷悦子氏は次のように述べている。

まどは、童謡とは自分の中のみんなが創る集団的な普遍性をもった世界だと考えている。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年5月 和泉書院)
 まど・みちお氏が抽象的に童謡論を論じずに自作解説の形を取るのは、理論があって作品が生まれるのではなく、作品から理論が導き出されると考えているからである。
(同上)
 これらのことから、まど・みちお氏の考える「詩」と「童謡」はそれぞれどのような特徴があり、どのような違いがあるのか、ということを表現の観点から捉え、「詩」と「童謡」の表現特性の違いを明らかにしたい、と考えた。

序章 第2節 研究目的

 本研究の目的は、まど・みちお氏の詩と童謡の特徴を表現の側面から分析し、比較することで、詩と童謡の違いを表現特性の面から明らかにすることである。前節で述べた通り、これまでまど・みちお氏は、詩と童謡の違いに関わる表現論を、表だって論じてこなかった。また、まど・みちお氏にまつわる研究に関しても、氏の考えや作品の主題についてのものが多く、殊に詩と童謡を区別した上で研究がおこなわれる機会が少なかった。これらのことを受けて、これまで、まど・みちお氏が表だって発表してこなかった表現の面に着目し、表現特性という新たな一面から、詩と童謡の特徴を中心にまど・みちお氏の作品全体の特徴を明らかにしたい。

序章 第3節 まど・みちおとは

 本名は石田道雄(いしだみちお)。1909年11月16日に山口県徳山市に生まれる。6歳の時に、母が兄と妹を連れて台湾で仕事をしている父のもとにわたり、まどは一人祖父のもとに預けられる。この頃のまどは、肉眼でやっと見えるくらいの小さなもの、かすかなものを見るのが好きだった。その後10歳(1919年)で両親と兄弟のいる台湾へ渡って青年時代を過ごし、20歳(1929年)のとき台湾総督府道路港湾課に就職する。また、22歳(1931年)のとき台北ホーリネス教会の大沢豊助牧師によって洗礼を受ける。25歳(1934年)のとき絵本雑誌「コドモノクニ」(東京社)をみて北原白秋・選の「童謡募集」に応募し、特選に選ばれる。このことがきっかけとなり多くの雑誌に作品を投稿したり同人誌「昆虫列車」を出版したりするなど、子どものための詩・童謡の創作に力を入れるようになる。戦時中は海外各地を転々としながらも作品を書きつづけ、シンガポールにて敗戦を迎える。終戦後は日本に戻り、次々に作品を発表する。54歳のとき、これまでに発表してきた童謡をまとめて『ぞうさん まど・みちお子どもの歌一〇〇曲集』(1963年 フレーベル館)として出版し、59歳の時には初めての詩集である『てんぷらぴりぴり』(1966年 大日本図書)を出版する。そして、85歳(1994年)で、世界最高の児童文学賞とされる「国際アンデルセン賞作家賞」を受賞。その後も作品を発表し続け、103歳になった今でも、なお作品を世に送り出している。
詩集・童謡集に『てんぷらぴりぴり』(大日本図書)、『まめつぶうた』『しゃっくりうた』『いいけしき』(以上、理論社)、『まど・みちお詩集 全6巻』『風景詩集』(以上、かど創房)、『THE ALWAYS』(すえもりブックス)、『ぼくがここに』(童話屋)、『ぞうさん』(国土社)、『まど・みちお童謡集』(彌生書房)、『おおきい木』(ドレミ楽譜出版社)などがあり、教科書にも作品が多数掲載されている。
 以上の著作物や『まど・みちお全詩集』(理論社)により、サンケイ児童出版文学賞、児童福祉文化賞、日本児童文学者協会賞、野間児童文芸賞、巌谷小波文芸賞、小学館文学賞、川崎市文化賞、ダイエー童謡大賞、芸術選奨文部大臣賞、産経児童出版文化賞大賞、路傍の石文学賞などを受賞し、高い評価を得ている。そして、全業績に対し、1994年国際アンデルセン賞作家賞が日本人初として贈られる。


 <参考文献>
・『日本児童文学別冊 少年詩・童謡への招待』(1978年7月 日本児童文学者協会)
・まど・みちお少年詩集『つけもののおもし』(1979年2月 ポプラ社文庫)
・谷悦子『まど・みちお 研究と資料』(1995年5月 和泉書院)

第1章 先行研究

 本章では、詩・童謡についての一般的な定義、及び、まど・みちおの作品に関して現在までに研究されていることを中心にまとめる。第1節では現在の詩・童謡に関する一般的な概念を述べる。第2節では、まど・みちお氏の作品全体の傾向や詩・童謡の違いについて調べた先行研究の中から、作品分析で使用する項目に取り入れたい観点を、いくつか挙げる。

第1章 第1節 詩・童謡の一般的な概念

 本節では、詩と童謡の定義の仕方についていくつか例を挙げながら、現在詩と童謡にはどのような定義付けがなされているのかを考える。
 まず、辞典ではどういった説明がなされているのかを見ていく。今回参考にした辞典は『日本国語大辞典 第二版』(2001年 小学館)である。本辞典を選択した理由は日本最大の国語辞典であり多く研究に用いられているという実績があるからである。そこには、以下の意味が記されている。

○詩の概念

  1. 中国の韻文の一体。一句が四言・五言・七言からなるのが普通で、平仄(ひょうそく)・韻脚などの発音上の約束がある。また、これをまねて日本人が作る韻文。漢詩。唐歌(からうた)。
  2. 文学の一部門自然や人事などから発する感興を一種のリズムをもつ言語形式で表したもの。押韻・韻律・字数などによる律格のあるものと、そうでない自由なものとがある。叙事詩、抒情詩、劇詩などに分けられる。
(『日本国語大辞典 第二版』2001年 小学館)
※下線は筆者によるもの

○童謡の概念

  1. 子どもたちによって自然に作られ、歌われる歌。子どもの作った歌や詩など。わらべ歌。
  2. 主に大正期以後、子どもにも理解できる世界を歌った歌曲。代表的な作詞家に北原白秋、野口雨情ら、作曲家に山田耕筰、中川晉平らがいる。
  3. 民衆によっていつのまにか作られはやった歌謡。時流に対する風刺や予言的意味を含んだ歌。もと、神意が幼童の口を通して人々に示されると考えたところからいう。はやり唄。わざうた。俚謡。
(『日本国語大辞典 第二版』2001年 小学館)

 今回扱うまど・みちおの詩・童謡は、ともにAの定義に適合するものと考えられる。詩の場合は、「一種のリズムをもつ言語形式で表したもの」というように、定義の中に童謡も内包していると解釈できる。

 次に畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』(2007年 恵文社)を見ていく。本書は、これまでの詩人などによる童謡に関する定義づけを、1冊にまとめている。したがって童謡論を述べた各人に対する筆者の評価は含まれているものの、これまでの多くの童謡観がまんべんなくまとめられていると考え、今回参考にした。
 畑中圭一氏は、本書の中で1910年以降の童謡の定義について、以下のように記している。

以上のことから、童謡という語には一九一〇年代末以降三つの概念が付与されていたことが分かる。すなわち、
 子どもたちが集団的に生み出し、伝承してきた歌謡(わらべうた)
 大人が子どもに向けて創作した芸術味ゆたかな歌謡
 子どもたちが書いた詩(児童詩)
の三つである。これらの概念は時代の変遷に伴って段階的に変化したり(原文ママ)、止揚されてきたものとは言いがたく、時にはこの三つが混在し、童謡という語が三通りの意味で用いられたこともある。
(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年 恵文社)

 今回の研究で扱うまど・みちおの童謡は、Aの意味にあてはまる。
 ここまで、詩・童謡の定義を見てきたが、藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』(1977年 彌生書房)の解説にも「まど・みちおには少年詩の部面でも多くの作品がある。」とあるように、まど・みちおの書く詩は少年詩が多いという事実がある。まど・みちお『まめつぶうた』(1973年 理論社)、まど・みちお『つけもののおもし』(1975年 ポプラ社文庫)などのように「少年詩集」と銘打って出版している書籍も数多く存在する。したがって、ここでは詩の概念に加えて、少年詩の概念についても考えてみることとする。

 少年詩は、子ども向けの詩である。大人の詩人が子どものために書いた詩のことであり、子ども自身の書く詩(児童詩)と区別するための呼称である。(…中略…)少年詩は、子どもの目ではとらえきれないものをこそ、表現していくことになる。
 つまり、少年詩は、文化現象として与えられる詩との関係、そして子どもの書く児童詩の世界との関係において、詩としての自立を目指すことになる。児童文化の中の詩とも、児童詩の中の詩ともちがう、まさに児童文学としての詩が求められているわけである。
(足立悦男『現代少年詩論』1987年 明治図書)

 引用部分から分かるように、少年詩とは、大人によって子どものために書かれる詩のことである。
 以上、3か所に掲載されている詩・童謡および少年詩の定義を見てきたが、すべてに共通して言えることは、書き手がどういう意思で書くかによって詩と童謡が決まる、ということである。つまり、明確な題材や表現上の定義は存在しないといえる。

第1章 第2節 取り入れたい観点

 本節では、表現特性にかかわる先行研究をまとめることを通して、作品分析の際の分析の観点を得る。まとめるにあたって、注意しておきたいことがある。
 それは、先行研究の中でも、今回は表現特性について書かれているところのみを取り上げた、ということである。まど・みちお氏に関する先行研究には、氏の考え方や作品の主題などについて言及しているものが多かった。しかし、今回先行研究を収集する目的は、表現特性を知るための分析項目作りに生かすことなので、氏の考え方など表現特性以外の先行研究は、収集の対象から外した。
 まど・みちお氏の表現特性に関する先行研究の中で、今回分析項目に取り入れたい観点は、大きく分けて3つあった。
 1つめは、リズムの形成についての観点である。まど・みちお氏の作品全体、特に童謡において音楽性を持たせる工夫、つまりリズムの形成に関する表現上の工夫があると考えられる。このことは、以下の文章から判断した。

詩というのは、頭に伝えるのではなく、心に響かせるもの、だから、耳に訴えかけてくる響きの美しさやリズム、ニュアンスやユーモア、音色のような部分を大事にしなければと思っています。
(まど・みちお『いわずにおれない』2005年 集英社be文庫)
 したがって、本当にまど・みちお氏の作品には音楽性はあるのか、またその音楽性が何によって形成されているのかが明らかになるよう、繰り返しの有無、他の連との文字数の関係などを分析項目に取り入れることとした。

 2つめは、視点のあり方についての観点である。このことについては、先行研究において以下のように記されてあった。

まど・みちおにおける視座の転換のもう一つの特質は、物の側から世界を捉えるところにある。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1988年 和泉書店)
まどさんの詩には、たくさんの視線があります。宇宙から一匹の蚊にまで、くまなく注がれる、まどさんの視線
(工藤直子『まど・みちおのこころ』「深い哀しみ 大きな安心」2002年 佼成出版社)
 したがって、どのような位置から、何を捉えているのか、という視点の設定についての分析項目を作成することとした。

 3つめは、対話のあり方についての観点である。このことについての言及は、以下の通りである

そしてまど・みちおにおいては、<共同性>の回復は人間同士にとどまらず存在する全ての物との共生感である点で、時代を先取りした宇宙論的世界観を内包している。さらに表現の位相における共生感――対話は、作者と対象との間にあるとともに、作品内部の登場人物間でも存在する立体的な構造を有している。
(谷悦子『まど・みちお 詩と童謡』1988年 創元社)
 このことから、対話の有無、さらに対話の種類をいくつか見いだせるような分析項目を作成することとした。

 以上3点、先行研究を参考に、分析項目に取り入れたい観点をまとめた。この観点を分析項目に取り入れることにより、先行研究で述べられていたことが具体的に立証され、さらに詳しい表現特性も明らかになることが予想される。今回挙げた3つの観点を取り入れた分析項目については、第2章第3節にて詳しく説明する。


<参考文献>
『日本国語大辞典 第二版』(2001年 小学館)
畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』(2007年 恵文社)
藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』(1977年 彌生書房)
足立悦男『現代少年詩論』(1987年 明治図書)
まど・みちお『いわずにおれない』(2005年 集英社be文庫)
谷悦子『まど・みちお 研究と資料』(1995年 和泉書院)
谷悦子『まど・みちお 詩と童謡』(1988年 創元社)
中村桂子他『まどみちおのこころ』(2002年 佼成出版)

第2章 研究にあたって

本章では、研究を進めるにあたって何をどのような手順で行うのかについて、明らかにする。第1節では研究対象について、第2節では研究方法について、第3節では研究の核である作品分析の際の分析項目について詳しく述べる。

第2章 第1節 研究対象

 今回の研究においては、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)に掲載されている全韻文詩1157編を研究対象とした。本節では『まど・みちお全詩集』の概要及び本詩集を研究対象として選択した意図について述べる。
 はじめに、研究対象の概要を述べる。『まど・みちお全詩集』とは理論社の伊藤英治氏によって編集された詩集のことである。まど・みちお氏の詩集の中では最大規模を誇り、1994年に初めて出版された。そして出版後もさらに改稿を重ねたり、新たに作品が発見・制作されたりして2001年『まど・みちお全詩集』新訂版が同社から出版されるにいたった。今回の研究ではより新しい、まど・みちお氏の詩・童謡に対する表現の違いを知るために新訂版を対象とした。
 次に、『まど・みちお全詩集』とはいかにして編集されたかを、編者の注意書きやあとがきから考えていく。作品を収録するにあたっての、伊藤英治氏による注意書きが掲載されていたのでここに引用する。

一・本詩集は、まど・みちおの全詩作品の収録につとめました。
二・少年詩、童謡、散文詩等と区分されることがありますが、全て詩であるという考えから本詩集を編纂しました。
三・作品収録は発表順としました。但し、各作品の初出は編集者の調査に基づくものであり、今後の調査で新しく初出が確認された場合は改訂版で訂正します。
四・作品の初出及び詩集収録の底本は巻末の索引に記しました。
五・作品の完成推移を知るため、一部作品は原形と思われる初出稿を収録しました。
六・旧字旧仮名は新字新仮名に改めました。
七・本詩集は、著者のご了承を得て編者の責任において編集したものです。
(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)
 以上のことを踏まえて、本詩集の特徴の中でも特に、研究の前提として踏まえておきたい事柄を挙げる。
 1つめは、まど・みちお氏の全作品が掲載されているわけではない、ということである。注意書きにもあった通り、編者は「まど・みちおの全詩作品の収録につとめ」ている。しかし、全ての作品を網羅しているとはいえない。このことは、『まど・みちお全詩集』が2001年に新訂版を出版する際に新たに発見された作品が掲載されていることからも明らかである。また編者自らも、あとがきで次のように語っている。
「しつけうた」「あそびうた」など応用文学とでもいうべきものは、まどさん自身ここに収めるのを恥ずかしがっておられます。しかしある時期のまどさんがこれらを書かれたことは紛れもない事実なので、全量の半分ほどをここに収録することに同意してもらいました。〔…中略…〕本書を全詩集と銘打ちましたが、今なお未収集のものや現在まどさんの身辺に未整理未推敲のまま埋もれている作品も相当数あり、完成には時間を要します。これらの詩は、この全詩集の再版又は改訂版出版の機会には改めて収録される予定です。
(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)
 したがって、全詩集という名前の通り現存する詩集の中で最も多くの作品を収録しつつも、今なお未完であり、緻密さから言うと十分ではないといえる。
 2つめは、今現在のまど・みちお氏の詩・童謡に対する考えに近いものが表現されているということである。注意書きにもあった通り、『まど・みちお全詩集』は「旧字旧仮名は新字新仮名に改め」ている。また、あとがきでは次のように述べている。
この詩集は雑誌新聞に発表した未定稿又は草稿を、そのまま収録した資料としてではなく、今、読者のみなさんに読んでいただく新詩集として編集を心がけました。まどさんは既刊の詩集を含めて膨大な全作品を構成時に推敲されました。〔…中略…〕詩は現在のまど・みちおの心象により近づいたのではないでしょうか
(まど・みちお『まど・みちお全詩集』2001年 理論社)

 これらのことから、「一部作品は原形と思われる初出稿を収録し」ているものの、大部分はまど・みちお氏の現在の考えや技法に即しているといえる。
 以上2点が『まど・みちお全詩集』の最も大きな特徴である。
 最後に、これまで述べてきたことを踏まえた上で、なぜ『まど・みちお全詩集』を研究対象として選択したのかについて述べる。最も大きな選択理由は、作品量が膨大であること、まど・みちお氏が現在持っている詩・童謡に対する考えが表現として表れていると考えたこと、の2つである。

 1つめの理由について説明する。先にも述べた通り、『まど・みちお全詩集』はこれまで出版された他の詩集・童謡集と比較しても、掲載作品数が群を抜いて多い。そして、まど・みちお氏の作品をできるだけ多くの角度から正確に分析するために、なるべく多くの作品を研究対象にするべきだと考えた。
 2つめの理由について説明する。先にも述べた通り、まど・みちお氏は本書を出版する際に、過去の作品に対して手を加えている。同じ時期に一旦手を加えることで、収録作品に『まど・みちお全詩集』発行当時の「詩」,「童謡」に対する考えが反映されていると考えた。したがって、本書が氏の詩集の中では比較的新しいことから、現在の考えをもっとも強く反映している詩集の一つであることが分かり、このことから、時代ごとの「詩」,「童謡」観の変遷や揺れをできるだけなくし、現在のまど・みちお氏の「詩」と「童謡」における表現特性の違いを研究することに適切であると考えた。

 なお、本研究を進めるにあたって、ここからは「詩」という単語を使用する際、童謡と区別した意味で「詩」という言葉を使用する。したがって、童謡も含めた広義の「詩」に関しては、意味を混同しないためにも、「作品全体」という言葉を使用する。

第2章 第2節 研究方法

 研究方法は大きく分けて3つの段階からなる。1つめは、詩と童謡の分類、2つめは、分析項目に従った作品分析、そして3つめは、先に述べた詩と童謡の分類及び全作品の分析を踏まえたまど・みちお氏の作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明である。本節では1から3まで段階ごとに、説明を進める。なお、2つめの研究段階である分析項目についての詳しい説明は、第3章第3節に詳しい説明を譲ることとする。

@詩と童謡の分類

 詩と童謡を分類するにあたって、詩か童謡か、どちらとして発表されたかを2つの段階を用意して判断した。
 第1の基準として、詩・童謡の専門誌に掲載されているもの、童謡と区別される形で「詩集」として出版されているもの、初出・底本いずれかで曲がついているもの、作品が音楽を専門とする出版社から出版されている書籍に掲載されているもの、作品が掲載されている図書の選者が作曲家であるもの、童謡募集に応募しているもの、童謡集の中に編みこまれているもの、を詩・童謡と判断した。
 第1の基準に満たないものに関しては、初出の図書・雑誌を調べ、どのような形で出版されたのかを調べた。その中で、第二の基準を設けることとした。
 第2の基準として、目次あるいは作品の掲載ページに「詩」または「童謡」の記載があるかどうか、という観点で分類した。

第1の基準について詳しく述べる。第1の基準は7つの項目からなりたっているが、このうち2~4、6は、『まど・みちお全詩集』(理論社2001年5月)に掲載されている出版情報を参考に、判断した。
詩・童謡の専門誌に掲載されているもの
詩・童謡の専門誌とした雑誌と根拠は以下の表の通りである。

○詩であると判断した書籍
「ぎんやんま」(「子どもと詩」文学会)
出版社名もさることながら、創刊号の編集後記に以下のような記述があったため、「ぎんやんま」に掲載されている作品は全て詩であると判断した。
 この度、私たちが「子どもと詩」文学会を創設しようとする理由の一端は、このような少年詩を在るべきところに据えたいという願いもさることながら、死語の氾濫する現代の中から生命あることばを見つけ、さらに、創造の喜びをひとりでも多くの人にひろげたいという思いからにほかなりません。
 (「ぎんやんま創刊号」 1974年11月15日「子どもと詩」文学会)
『てんぷらぴりぴり』(1968年 大日本図書)
雑誌のインタビュー中にインタビュアーからの以下のような発言があったためそこに掲載されている作品は、詩であると判断した。
やっぱり『てんぷらぴりぴり』ですよね。あれは完全に詩集として出たわけでしょう。
(「飛ぶ教室 45号」1993年2月 楡出版)
『まめつぶうた』(1973年 理論社)
『てんぷらぴりぴり』(1968年 大日本図書)と並べられ、以下のように記されていたのでそこに掲載されている作品は詩であると判断した。
まど・みちおが、戦後二十三年目にして、童謡集ではなく詩集『てんぷらぴりぴり』(六八年)『まめつぶうた』(七三年)で、汎神論的な感覚と宇宙を覗き見るような眼差しと祈りをもって出現し、(以下省略)
(菊永謙・吉田定一編『少年詩・童謡の現在』2003年 てらいんく)
『まど・みちお詩集全六巻』(1974,75年 銀河社、後にかど創房より再刊)
『植物のうた』『動物のうた』『人間のうた』『物のうた』『ことばのうた』『宇宙のうた』の全六冊からなる作品であり、この詩集について谷悦子氏によるまど・みちお氏本人へのインタビュー内で、詩と童謡を区別したうえで次のように語っていたため、詩集であると判断した。引用部分は谷悦子氏によるものである。
昭和四八年に『まめつぶうた』(理論社)、四九年から五十年にかけて『まど・みちお詩集全六巻』(かど創房)と、この時期に詩集が沢山でていますけれど、これらの作品も、もっと早くに作られたのでしょうか。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
○童謡であると判断した書籍
「童魚」(童魚社)
畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』(2007年6月4日 平凡社)に、以下のような記述があったため、本雑誌に掲載されている作品は童謡であると判断した。
一九三五年に柴野民三や本多鉄磨らによって創刊された童謡同人誌『童魚』は。詩・曲・踊三位一体の≪童謡立体化運動≫を標榜し、童謡の広がりをめざす活動に取り組んだ。
(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年6月4日 平凡社)
「昆虫列車」(昆虫列車本部)
以下のような記述があったため、本雑誌に掲載されている作品は童謡であると判断した。
水上不二が書いたと思われる冒頭のマニフェストにはまず、「昆虫列車は先覚北原白秋先生の童謡精神に出発する」とあり、この『昆虫列車』も白秋系あるいは『赤い鳥』系であることを自認していたことが分かる。
(畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』2007年 平凡社)
童謡雑誌『昆虫列車』は、一九三七(昭一二)年三月一日、水上不二の呼びかけに応えて、まど・みちお、(…中略…)を同人として創刊された。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1988年 創元社)
初出・底本いずれかで曲がついているもの
『まど・みちお全詩集』(理論社2001年5月)の出版情報において、作曲者名が書かれているものを童謡であると判断した。
<例>「それから またね」の出版情報
   <初出>「童話」第273号 1977年1月1日 日本童話会 田村徹曲
 <底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 飯沼信義曲 ドレミ楽譜出版社 
 **一部改稿
  (注・下線と太線は筆者によるもの)
作品が音楽に関する書籍を専門とする出版社から出版されている書籍に掲載されているもの
音楽に関する書籍を専門とする出版社は以下の通りである。

図書
・ドレミ楽譜出版社
・全音楽譜出版社
・JULA出版局
・音楽之友社
・音楽春秋
・水星社
雑誌
・どうよう社
・カワイ楽譜
・日本童謡協会
<例>「それから またね」の出版情報
   <初出>「童話」第273号 1977年1月1日 日本童話会 田村徹曲
 <底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 飯沼信義曲 ドレミ楽譜出版社 
 **一部改稿
  (注・下線と太線は筆者によるもの)

作品が掲載されている図書の選者が作曲家であるもの
図書の選者が作曲家である場合、その図書に掲載されている作品を童謡であると判断した。また、それに加え作曲家である大中恩、中田喜直、磯部俶、宇賀神光利、中田一次で結成した「ろばの会」が選者となっている図書も、童謡であると判断した。
<例>「それから またね」の出版情報
   <初出>「童話」第273号 1977年1月1日 日本童話会 田村徹曲
 <底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 飯沼信義曲 ドレミ楽譜出版社 
 **一部改稿
  (注・下線と太線は筆者によるもの)

童謡募集に応募しているもの
童謡募集に応募したことが確認できた作品は、童謡であると判断した。
<例>「ランタナの籬」「雨ふれば」は「コドモノクニ」(東京社)の北原白秋・選「童謡募集」に投稿し、特選に選ばれているため、童謡と判断した。

童謡集の中に編みこまれているもの
童謡集と判断した図書は以下の通りである。
まど・みちお,磯辺俶『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』(1963年フレーベル館)
まど・みちお『ぞうさん まど・みちお子どもの歌一〇〇曲集』(1963年フレーベル館)
まど・みちお詩,渡辺茂曲『保育のための実技指導T ゆびあそび』(1966年 チャイルド本社)
まど・みちお『ぞうさん』(1981年国土社)
まど・みちお『ちょうちょうさん』(1981年日本童話会)

 また、まど・みちおの作品を主に構成した以下の図書に掲載されている作品も、童謡であると判断した。
芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.2 おはよう・こんにちは』(1966年 音楽譜出版社)
芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.3 かんさつしよう』(1966年 音楽譜出版社)
芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.4 たのしい行事』(1966年 音楽譜出版社)
鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』(1971年 音楽春秋)
鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぽろんぽろんの春』(1971年 音楽春秋)
鈴木敏朗編『こどもの歌曲集 おおきい木』(1977年 ドレミ楽譜出版社)
<例>「それから またね」の出版情報
   <初出>「童話」第273号 1977年1月1日 日本童話会 田村徹曲
 <底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 飯沼信義曲 ドレミ楽譜出版社 
 **一部改稿
  (注・下線と太線は筆者によるもの)
詩集のなかで詩と区別する形で童謡に分類されているもの
詩集として出版されている図書においても、その中に童謡が掲載されている場合があることは序章第1節でも述べたとおりである。そのような詩集の中には、目次において詩と童謡とが区別されている場合がある。したがってその場合、目次において「詩」とされている作品は、詩と判断した。

 次に、第二の基準について詳しく述べる。先にも述べた通り、第二の基準は、目次あるいは作品の掲載ページに「詩」または「童謡」の記載があるかどうか、という観点で分類した。「詩」「童謡」という記載以外にも、童謡と区別される形で「童話」(「お話の木」子供研究社)と記されているものは詩と判断し、「詩」と区別される形で「歌声作品」・「曲譜」・「楽譜」(「日本児童文学」児童文学者協会)や「作曲」(「童話」日本童話会)と記されているものは童謡と判断した。なお「詩」の場合は先ほども述べたように、童謡と混同して「詩」と表記されている恐れがあるため、「詩」という表記があることに加えて、他の作品に関して「童謡」の表記がある場合のみその作品を「詩」と判断することとした。

A作品分析

 作品分析は全ての作品を対象にして行った。作品の主題を特定しがたい作品などについては、不明と記し、極力正確な分析に努めた。分析項目についての詳しい説明は第2章第3節で述べることとする。

B作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明

 作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明は、作品全体と、詩・童謡を比較したものと、大きく2つに分けて行い、それぞれの表現特性を明らかにする。観点の2つめ「文字の使われ方」と3つめ「各分析項目の表現特性」に関しては、まど・みちお氏の作品全体の表現特性について言及した後、詩・童謡それぞれの表現特性に迫る、という順で述べることとする。ここから3つの観点についてそれぞれ詳しく述べていく。

詩と童謡の割合
 研究の第1段階として先に述べた詩と童謡の分類結果をもとに、詩と童謡の割合を明らかにする。明らかにする内容は、まど・みちお氏の作品全体における詩と童謡の割合、さらに時代ごとの詩と童謡の発表数を示すことで見えてくるまど・みちお氏の詩作の傾向としている。

文字の使われ方

 作品の本文の中でどのような文字の使われ方がされているのか、ということ。調査にあたって、作品本文はデータ化した『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)のデータを使用し、漢字分析は大阪教育大学国語教育講座教員の野浪正隆氏による「野浪研究室」内の「漢字種別ルビ表示ページ」を使用した。
調査した内容は
@全ての文字数から漢字が使用されている割合
A漢字の内訳(小学1年生から6年生までの学年配当漢字に従い、どの学年で学習する漢字が使用されているかの割合)
B1作品あたりの文字数、
である。作品内に何度も使用されている漢字については、その回数分を数に含めた「述べ文字数」と、含めずに使用された漢字の種類を表す「異なり文字数」の2種類を調べた。調査の対象は作品の本文としたが、記号は含めずあくまで文字だけに限定した。また、ルビがふってある漢字については漢字とルビ部分のひらがな両方を数に含めた。

各分析項目から明らかになる傾向

 分析項目にしたがって分析を進めた結果を、分析項目ごとに着目して表現特性を調べる。
 なお、以上の順序で研究を行ったが、B作品全体の傾向及び詩と童謡の表現特性の究明、においてまど・みちお氏の表現特性を明らかにするために「全体の〜%」など全詩集に掲載されている作品を100として考えながら分析をすすめた。したがって、本研究内でたびたび「全体」や「全て」という単語があらわれるが、これは、まど・みちお氏のこれまでの全作品をさすのではなく今回の研究対象である、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)に掲載されている作品の範囲内で述べているということを先にことわっておく。

第2章 第3節 分析項目

 分析項目は、題名と本編の大きく二つに分けて設定した。その上で、本編の項目に関しては構成に関わるものと内容に関わるもの、表記にかかわるものの三つに分けて項目を立てていった。例として示した作品は、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)から引用したものであるが、そこに掲載されていた出版情報もともに記す。出版情報の表示の☆印は『まど・みちお全詩集』初版以後、著者の他の出版物で改稿、表記変更、改題等が行われた作品であることを示している。また、本文にルビがふってある作品は、ルビを対象の漢字の後ろにカッコづけで、記した。

●題名に関する項目

○表現しているもの(主人公・背景・対象・見立て・行為そのもの・冒頭・主題・内容・その他)
 題名が表しているものが作品においてどのような位置づけにあるか、ということ。

主人公…行動に加え、心理が表されているもの。さらに、実際に行動を起こしていなくても自らの行動をほのめかせる言い方(例:〜しようかしら)や、相手に行動を促す言い方(例:〜しろ)も行動に含め、「主人公」であると判断するための基準とした。
<例>「ポン博士」

月にも とどく ポーン弾丸(だま)
発明しました ポン博士

あればいいなあ 戦争が
ポーンの ポーンと うちたいな

あれば あればと 待つうちに
でっかい 戦争が おきました

そこで とくいの ポン博士
お山に 大砲 すえました

目にもの見たけりゃ それ、ポーン
弾丸は地平線に 消えました

二分、三分……今頃は
敵めは こっぱみじん(・・・・・・) じゃろ

その時 来ました うしろから
地球を 廻った ポーン弾丸

あっ ドカン! だ ポン博士
ドカン! と 博士は 消えました

西陽の山に 片っ方の
拍車が 光っておりました
<初出>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局 *一部改稿 ☆
背景…作品の内容には直接介入せず、作品世界を形づくっている背景となるものが表されている作品。「背景」はさらに細分化し、とき・場所・もの(人も含む)・状況に分類する。時間や季節など作品の舞台となっている時を表すものを「とき」、作品世界の舞台がどこであるかを表すものを「場所」、作品世界に登場する主人公や対象以外の人物が表されているものを「もの」、作品世界を形作る際に前提となっている状況が表されているものを「状況」とした。
@背景・とき
<例>「生まれて来た時」
あるいてもあるいても日向(ひなた)だったの。
海鳴がしているようだったの。

道の両側から、
山のてっぺんから、
日の丸が見送っていたの。

お船が待ってるような気がして、
足がひとりで急いじゃったの。

ホホケタンポポは指の先から、
フルン フルン 飛んでいって
もうお母さまには茎(くき)だけしかあげられない
 と思ったの。

いそいでもいそいでも日向だったの。

――ね、お母さま。
僕、あの時生まれて来たんでしょう。
<初出>「昆虫列車」第5輯 1937年11月1日 昆虫列車本部
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局
A背景・場所
<例>「駅の ホームで」
はながみが ない
たんつぼは どこだろう

口を かかえるように して
もどかしく
ひとと ひとの あいだを
すりぬけながら
柱を まわり
ばいてんを まわり
かいだんの 下を まわり
やっと たどりつく

さわやかに なった 頭に
にじのように うかんできたのは
――たんつぼの そうじを
  なさる ひと

ああ いままで
思っても みなかった ひとが
いらっしゃるのだ

この 駅に
日本じゅうの 駅に
世界じゅうの 駅に
<初出・底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
B背景・もの
<例>「うみのみず」
おててに すくった
うみのみず
こぼれちゃだめよ
ね ね ね
パラソルの かげ
かあさんに
みせに いくのよ
ね ね ね

ほうら かあさん
うみのみず
こぼれたけれど
ね ね ね
ぎんの しずくが
ゆびさきに
きらきら ひかって
ね ね ね
<初出・底本>*音楽之友社編『童謡唱歌101番F』1967年7月30日 音楽之友社 平岡均之曲
C背景・状況
<例>「あめがやんだ」
なあい
あめが
やんだ
 きれいな
 けしき

にじの
リボン
つけた
 きれいな 
 けしき
<初出>「幼児の指導」1961年6月号(第7巻第3号)6月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
対象…視点人物または主人公が語ったり行動を仕掛けたりする対象が表されれいるもの。題名で示されているもののみが対象となっている場合は「対象(総体型)」とし、題名に示されているもの以外にも対象が存在する場合においては「対象(代表型)」とした。また、「対象」は「主人公」と混同しやすいが、区別する基準として、そのものの心理が描かれている場合は「主人公」、描かれていない場合は「対象」とした。
@総体型
<例>「ぞうさん」 
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
 そうよ
 かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だれが すきなの
 あのね
 かあさんが すきなのよ
<初出> *佐藤義美編『日本童謡絵文庫第7巻新日本童謡集』1952年2月29日 あかね書房 酒田富治曲
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 團伊玖磨 *一部改稿
A代表型
<例>「うさぎさんが きてね」
うさぎさんが きてね
おなまえ つけてと
いいました
ピョンタちゃんと つけたら
ピョンと はねて
うふんと わらって いきました

すずめさんが きてね
おねまえ つけてと
いいました
チュンコちゃんと つけたら
チュンと ないて
うふんと わらって いきました
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館冨田勲曲
見立て…語り手が表現対象をそのものとしてとらえるのではなく他のものに見立てて表されているもの。
<例>「イチジク」
合唱隊の少女が
一○○○人
ひっそりと ねむっています

口のふさがった
このラッパの中で
ビーズのように ぎっしりと
からだを よせあって

いま きいているのです
生まれるまえに ならったきり
一ども うたえなかった歌を
ゆめの中で うたいながら

こえかぎり
耳を すまして
<初出・底本>『まど・みちお詩集1 植物のうた』1975年3月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房
行為そのもの…作品内で行われている行為そのものが題名になっているもの。ここでは内容や主題と区別するため、@主題ではないものA作品内容が行為の内容に終始していないこと(終始している場合は「内容」)という二つの基準を設けて判断した。
<例>「いばって はしる」
まちの とおりを
いばって はしる

タクシー すすす
すすす すすす
トラック たんたんたん
たんたんたん たん

だだだだ だだだだ
オートバイ
パトカー パトカー
うーうーうー

まちかど ストップ
あかしんごう
あおに かわって
またまた はしる

あるいている ひと
どこにも いない
<初出・底本>「保育の手帖」1962年11月号(第7巻第11号)11月1日 フレーベル館 渡辺茂曲 **初出タイトル「はしるはしる」一部改稿
冒頭…作品の冒頭部分をそのまま題名として採用されているもの。
<例>「じどうしゃ ぶぶぶ」
じどうしゃ ぶぶぶ
まがる とき
あかい ちいさい
おててを ぴっと だす
――どなたも ごちゅうい
  ねがいます

じどうしゃ ぶぶぶ
まがる とき
まがる ほうの
おててを ぴっと だす
――いまから こちらへ
  まがります
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 中田喜直曲
 ただし、以下のような作品については、冒頭部分が題名になっているものの作品全体の主題を表しているので、主題が冒頭部で表現された作品であると判断し、「主題」とした。
<例>「もぐもぐさんは えらいな」
もぐもぐさんは えらいな
おやつを わすれたことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども わすれたことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな

もぐもぐさんは えらいな
おやつを いやがったことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども いやがったことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
<初出・底本>鈴木敏郎編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋 鞍掛昭二曲 **一部改稿
主題…作品を通して伝えたい思い及び作品の結末が表されているものとした。この場合、作者の思いが何かしら込められていると考えられるため、その思いが希望や喜びの場合「+」を、批判や悲しみの場合は「−」をつけた。どちらでもない場合や両方が表されている場合は「+−」とした。今回、「主題(−)」に当てはまる作品は、主題が明記されずに主題に直結するキーワードなどが表現されているものが大半を占めた。
@主題(+)
<例>「もぐもぐさんは えらい」
もぐもぐさんは えらいな
おやつを わすれたことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども わすれたことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな

もぐもぐさんは えらいな
おやつを いやがったことがない
おやつのときに
もぐもぐするのも
いちども いやがったことがない
もんぐり もぐもぐ
もんぐり もぐもぐ
もぐもぐさんは えらいな
<初出・底本>鈴木敏郎編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋 鞍掛昭二曲 **一部改稿
A主題(−)
<例>「いくらなんでも」
にんげんには
なく
わらう
うたう
はなす
いのる
ささやく
さけぶ
いう
などと つかいわけるのに

ただ
なく
だけでは
いくらなんでも わるいではないか

スズメや
セミや
ブタや
ウシや
カエルなんかに…

いくらなんでも…
<初出・底本>『まど・みちお詩集5 ことばのうた』1975年11月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **最終行を加筆
内容…作品の中身そのものではなく何について描かれているのかが表されているもの。
<例>「ヨナカノハナシ」
ヤオヤサンノ ウチノ
ヨナカノ ハナシ。

ニンジンノ トナリニ、
キュウリガ キタノ。

キュウリノ トナリニ、
ダイコンガ キタノ

ダイコンノ トナリニ、
アマウリガ キタノ。

アカ、アオ、シロ、キ、
アカ、アオ、シロ、キ。

クレヨン ミタイニ
ナランデ ミタノ。
<初出・底本>「昆虫列車」第10冊 1938年11月20日 昆虫列車本部 ☆
 そして、以上のどれにも当てはまらないものは「その他」とした。

●本編に関する項目

T表記に関わる項目
○漢字(○・×)
 題名や本文に漢字が用いられているかどうか、ということ。

○特別な読みをさせる漢字(○・×)
 一般的には使われない特別な読みをさせる漢字が用いられているかどうか、ということ。変換は一般的に使われているかどうかに重点を置いたので、コンピュータに読みを打ち出した時に作品で使用されている漢字が出てくるか否かで判断した。変換にはWindows7のマイクロソフトIMEを使用した。

U 構成に関わる項目
 構成は、何がどのように・どれくらい詳しく述べられているのかを明らかにすることを目標に以下の4つの観点を設定し、それに当てはまっているかどうかで調べることとした。
@出来事や物事が作品の中で進行され、変化している。
<例>「なわとび」
なわとび とんで とんで
うさぎに なって
とんで とんで とんで とんで
つきまで いって
おもちを ついて
せかいじゅうに ばらまいて
とんで とんで とんで かえって
しりもち ついて
たべたら まずかった
<初出・底本>「毎日こどもしんぶん」第157号 1979年3月24日 毎日新聞社 **一部改稿
A一つの場面・物事が多角的に捉えられている。
対象に対するカメラワークが変わっている、あるいは同一の対象についていくつかの部分に分けて取り上げて述べられているものとした。
<例>「バナナの うた」
せきどうを こえて
きたのか バナナ
まなつの におい
まひるの におい
まなつの まひるの
はたらく ひとの におい
 あるよ みぞれの にっぽんで
 だれかが たべた
 おがむようにして たべた

くろしおに のって
きたのか バナナ
はるかな におい
みなみの におい
はるかな みなみの
うみと かぜの におい
 あるひ ちきゅうの きたぐにで
 だれかが たべた
 ゆめみるようにして たべた
<初出・底本>「童話」第349号 1982年9月1日 日本童話会 角篤紀曲 **一部改稿 第1連と第2連を入れかえ ☆
表現対象が複数並列されている。
表現対象が連毎あるいは連内で変化し、それらが同じような順序や述べ方で述べられているものとした。
<例>「えんりょ しないで」
もっと そうぞうしく
とんだら いいよ
えんりょ しないで
ばさばさ とべよ
といって あげたくなるな
  もんしろ しろしろ
  もんしろちょう
  ひそひそ かすかに
  とぶばかり

もっと おおいばりで
まんなか とおれ
えんりょ しないで
どさどさ あるけ
といって あげたくなるな
  でんでん むしむし
  でんでんむし
  すみっこを こっそり
  はうばかり
<初出・底本>「童話」第338号 1981年11月1日 日本童話会 渋谷沢兆曲 ☆
現実の物事から想像している。
現実の物事を取り上げ、それをもとに視点人物が想像したことが述べられているもの。
<例>「ゆび」
ひざの うえに
てを ひろげてみるたびに
むねが つまる

ちいさな ゆびたちが
わたしに さいた
わたしの はなの
はなびらででも あるかのように
いきを しているのだ

ほこらしそうに
しあわせそうに
からだを よせあって

まるで このわたしから
どんな いやらしいことも
どんな なさけないことも
させられたことが
なかったかのように
<初出・底本>まど・みちお詩集『風景詩集』1979年11月21日 かど創房
 この中でもとりわけAとBの区別がつきにくい作品があったため、そのような作品に対してはわたりの作品であると判断し両方記した。その例を以下に記す。わたりの特徴は、一つの場面について描かれているという一貫性はもちながも、その場面内において表現対象がいくつか存在することである。
<例>「ひろげた地図に」
ひろげた地図に、集(よ)ってる指が、
あ、蝶だ、蝶だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
あげはを捕った。

ひろげた地図に、息してる鼻が、
あ、百合だ、百合だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
山百合みつけた。

ひろげた地図に、すんでる耳が、
あ、鳥だ、鳥だ、
(ちょっと ちょっと 待てよ)
鵲(かささぎ)きいた。
<初出・底本>「お話の木」1937年9月号(第1巻第5号)9月1日 子供研究社
V叙述に関わる項目
○非現実の要素(◎・○・×)
 想像の中のものや実際に起こりえないことが書かれているかどうか、ということ頭の中で非現実なことを考えている場合も、非現実とする。「〜だったら」など仮定法が用いられている場合もその内容が非現実と認められれば、非現実に含めた。非現実の中でも、現実をもとにそこから非現実の世界が表現されているものを「○」とし、動物が意思をもち人間と喋るなど、そもそもの作品世界に現実ではありえない様子が表現されているものを「◎」とした。
非現実「○」
<例>「うたを うたうとき」
うたを うたう とき
わたしは からだを ぬぎすてます
 
からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります

こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです

うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく

そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです
(注・太線と下線は筆者によるもの)
<初版>「びわの実学校」第55号 1972年10月20日びわの実文庫
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 **一部改稿 ☆
非現実「◎」
<例>「くがつが きたよ」
くがつが きたよ
つくつくぼうしが
そういった
たかいそら
もっと もっと たかくなれ

くがつが きたよ
じゅうごや おつきさんが
そういった
あおいよる
もっと もっと あおくすめ
くがつが きたよ
<初出>「幼児と保育」1969年9月号(第15巻第7号)9月1日 小学館 小谷肇曲
<底本>「別冊幼児と保育」1970年5月号(第11号)5月1日 小学館
○会話(○・×)
 作品中に会話が書かれているか、ということ。ここでいう会話とは、発言する相手が作品世界の中に存在すると考えられる場合の発言のこととした。したがって、あいさつや質問のみの場合など一方的に話している場合や手紙などでやりとりをしている場合でも、伝えるべき特定の人物が作品中に存在する場合は会話に含めた。また、実際に会話の行為にいたらなくても、会話の内容を想像している場合も会話に含めた。
<例>「こいぬ」
こいぬが 
おっぱい のんでいる
こいぬが
おっぱい のんでると
いっぱい おのみって
いいたくなるな

こいぬが
おっぱい のんでいる
こいぬが
おっぱい のんでると
おりこう こいぬって
いいたくなるな
<初出>「キンダーブック 4〜5才用」1967年2月号(第3集第11編)2月1日 フレーベル館
<底本>鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぽろんぽろんの春』1971年 音楽春秋 金光威和雄曲
○会話の内容(あいさつ・呼びかけ・呼びかけと応答・質問・質問と返答・語りかけ・語りかけと応答)
 会話の項目で「○」がついたものを、「あいさつ」「呼びかけ」「呼びかけと応答」「質問」「質問と返答」「語りかけ」「語りかけと応答」の8つのパターンに分類した。内容が複数ある場合は、あてはまるもの全てを記した。

あいさつ…相手への挨拶が表現されているもの。「ありがとう」などの感謝の意を示すのみの会話も「あいさつ」に含めた。
<例>「ワレモコウ」
やあ!
と 思わず ぼくは
笑いかけたような気がする

やあ!
と ひびくように きみも
笑いかえしてきたような気がする

どこもかしこも
しらない草ばかり ぼうぼうの
この高原に ことしもきて
やっと見つけた顔なじみ
ワレモコウ!

やまびこの子どもが忘れていった
ボンボンのように
雲のハンカチの上にちらばって
五つ六つ

いまごろ
どこで どうしているだろう
「ワレモコウって いうのよ」
と 教えてくれた
あの去年の
リスのような目の女の子は
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
呼びかけ…話しかけている相手に行動や同意の促しが表現されているもの。
<例>「トマッテ イイヨ」
ドウブツエン ニ、チョウチョウ ガ キタガ、
オハナガ、ナイノ。

ボクノ オミミ ニ、トマッテ イイヨ、
イッタ ノ、ロバ ガ。

ボク ノ オツノ モ、トマッテ イイヨ。
イッタ ノ、シカ ガ。

ボク ノ ハナ デモ、トマッテ イイヨ。
イッタ ノ、ゾウ ガ。

ボクノ、ト オサル モ イオウトシタラ
カエッタ ノ、チョウ ガ。
<初出・底本>「保育」4月15日 全日本保育聯盟
呼びかけと応答…「呼びかけ」とそれに対する応答が表現されているもの。
<例>「キリン」
キリンが
そらで たべた ごはんは
おなかへと おりてゆく

 ごっとん
  ごっとん
   ごっとんと

キリンくん
たべた あとは
くちを ふきなさい

そこに あるでしょ
くもの ナプキンが
<初出・底本>「童話」第343号 1982年4月1日 日本童話会
質問…会話の相手に対する質問が表されているもの。
<例>「はなくそ ぼうや」
ぼくがフルスピードでかけているとき
ぼくがジュースをのんでいるとき
ぼくがげんこつ振りまわして
わめきちらしているとき
ぼくがげらげら笑っているとき
ぼくがぐうすか眠っているとき

いいや ぼくが何をしていても
していなくても
世界がひっくりかえっても
そんなことには おかまいなく
おまえは肥りつづけていたんだ

ぼくの顔のまん中の
鼻のおくに じんどって
ひとり にこにこ まるまると

そして 今ごろ
はなくそぼうやよ
ぼくのひとさし指のてっぺんに
つまみだされて
おまえは そんなに珍しそうに
四方八方を 見まわしているのか
 ―いったい ここはどこですか?
  そんで ぼくはだれですか?
<初版>「びわの実学校」第55号 1972年10月20日びわの実文庫
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
質問と返答…一方が質問をし、それについてもう一方が答えるというやりとりによって会話が表現されているもの。
<例>「くいくい くぎぬき――バード・テーブルのうた」
くいくい くぎぬき
なに しているの
 みかんばこ こわして
 のこぎりに あげる
 あげるよ あげます
 くいくい くーい

ごしごし のこぎり
なに しているの
 この いた きってから
 とんかちに あげる
 あげるよ あげます
 ごしごし ごーし

とんとん とんかち
なに しているの
 テーブル つくって
 ことりさんに あげる
 あげるよ あげます
 とんとん ととん

ぴいぴい ことりさん
テーブル いかが
 ありがと みんなで
 おべんとう たべて
 コーラス してます
 ぴいぴい ぽぴい
<初出・底本>第3次「日本児童文学」第1巻第1号 1955年8月1日 児童文学者協会 **一部改稿
語りかけ…「あいさつ」「呼びかけ」「質問」とは違い、話し手の感想を述べたり思いが表されているもの。
<例>「ゆきの こびと」
ちらりん ちらりん
ちらちらりん
ゆきのこびとの ちらりんが
みみに おりてきて
ちらりんいった
サンタのおじさん
そらにいるよ

ちらりん ちらりん
ちらちらりん
ゆきのこびとの ちらりんが
ゆびに おりてきて
ちらりんきえた
こびとのまほうで
みてるうちに
<初出・底本>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.4 たのしい行事』1966年 全音楽譜出版社 川崎祥悦曲 **一部改稿
語りかけと応答…一方が語りかけ、それに対し語りかけられた人物が答えることで会話が表現されているもの。
<例>「きりんさん」
きりんさんの おくびは
ながいね
 いつでも とおくを
 みてるから

きりんさんの おめめは
やさしいね
 だまって とおくを
 みてるから

きりんさんの とおくは
どこかしら
 うまれた くにでしょ
 うみの むこう
<初出>「チャイルドブック」1958年5月号 (第22巻第5号)5月1日 国民図書刊行会 中田喜直曲
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館
 「きりんさん」では、第3連のみ質問と返答の形になっているものの、第1・2連は語りかけと応答の形になっている。

○独り言(○・×)
 相手がいない場合の発言が表されているかどうか、ということ。「○」と「×」で分類し、「○」の場合は、独り言の発話者がだれであるのかを「語り手」「対象」「その他」の中から選び記した。
@独り言○・語り手
<例>「味方」
高校野球のテレビで
パパが味方にするのはいつも千葉だ
自分が千葉に生まれて
千葉に住んでいるからだ

千葉が出ていなかったら東京だ
自分のつとめが東京だからだ

千葉も東京も出ていなかったら岡山だ
自分のおくさんの生まれがそこなのだ

いつか山口と高知の試合のときパパは
山口が負けはじめると だんだん
山口の味方になっていったが
はじめはずっと どっちつかずだった

あれは自分の妹が高知に住んでいて
自分の苗字が山口だからだ
ノッポの ぼくが
ノッポのピッチャーのいるチームに
応援したくなるのと同じなんだ

ほんとに どうして人間は
こんな味方のきめ方をするのだろう
なにがなんでも こじつけて
自分に近い方に近い方にと…
<初出・底本>『まど・みちお詩集3 人間のうた』1978年5月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **一部改稿 ☆
A独り言○・対象
<例>「おでこの たんこぶ」
おでこの たんこぶって
へんてこりんだな

自分でころんで つくったのに
むりやり だれかが くれたようだ

サクランボよりも 小さいのに
りんごくらいは ありそうだ

風にあずけて かけていくと
さめさめ さめさめ 風の子がたたく

「へ しけた たいこだな」って
つまらなそうに なさけそうに
<初出>「幼児と保育」1968年1月号(第13巻第13号)1月1日 小学館 飯沼信義曲 *初出タイトル「おでこのこぶ」
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 ☆
○読者への語りかけ(○・×)
 文末が読者に語りかける口調で表現されているかどうか、とういうこと。作品内で一か所でも語りかけが見受けられた場合は「○」とし、語りかける口調は「〜よ」「〜でしょ」などの会話のような文末の形になっていることとした。
<例>「コオロギ なくよ」
コオロギ なくよ
どこかで なくよ
どこかに かくれて
ひるまも なくよ
なけば ひるまが
よるに なるよと いうみたいに
るりるり るりるり なくよ

コオロギ なくよ
どこかで なくよ
どこかで ひっそり
ひるまも なくよ
なけば ひるまも
ほしが ふるよと いうみたいに
るりるり るりるり なくよ
<初出・底本>「別冊幼児と保育」1980年9月号(第73号)9月1日 小学館 小谷肇曲 **初出タイトル「コオロギのうた」 一部改稿
○オノマトペの抜き出し
 オノマトペがあった場合、それを抜き出した。ない場合は「×」とした。

○何についてのオノマトペか
 抜き出したオノマトペは作品中の何が表わされているオノマトペであるのか、ということ。なお、本項目及び前項目「オノマトペの抜き出し」は、分析結果が作品ごとに異なり傾向をつかむことが困難であるため、分析項目には含めているものの第3章第3節における「各項目の分析結果」には項目として含めなかった。

○オノマトペ(擬声・擬音・擬態・擬容)
抜き出したオノマトペはどの種類のオノマトペであるのか、ということ。今回は「擬声」「擬音」「擬態」「擬容」の四種類に分類した。

擬声…表現対象の声を表したもの。耳で実際に聞き取ることができるオノマトペの中でも鳴き声や笑い声などをさす。物が擬人化されて表現されている場合もそのものが出す音声は「擬声」に含めた。
<例>「子ブタ」
子ブタは もっている
ブーブーと ならしてもいいラッパを
ワンワンとも
メーメーとも
コケコッコ―とも
ならしては いけないラッパを

子ブタは もっている
そのまわりを離れては いけないママを
まわりって どこまでなのかを
教えてあげなくては しらないママを

だもんで 子ブタは いそがしい
ブーブーと ならしてもいいラッパを
ブーバー
ビーブブ
バベボビブーと ならしながら…

そのまわりを離れては いけないママを
ママから まめつぶにして
まめつぶから なんにもないに して
ここまでが まわりだよと
教えながら かけてかけてまわるために…
<初出・底本>『まど・みちお詩集2 動物のうた』1975年1月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房
(注・太線と下線は筆者によるもの)
擬音…表現対象が発する音を表したもの。耳で実際に聞き取ることができるオノマトペの中で「擬声」に含まれないものをさす。
<例>「わたしは とけい」
わたしは とけい
じゅうにじを おしえます
みじかいはり うえに
ながいはりも うえに
かさねて ぼんぼんぼん
おひるだよ おたべなさい

わたしは とけい
さんじを おしえます
みじかいはり よこに
ながいはりは うえに
ひらいて ほんぼんぼん
おやつだよ おたべなさい

どんな わすれんぼさんにも
おしえます
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **第3連を加筆
(注・太線と下線は筆者によるもの)
擬態…表現対象の動作を表したもの。
<例>「ペンギンちゃん」
ペンギンちゃんが
おさんぽ していたら
そらから ぼうしが おちてきた
 サンキュー
 かぶって よちよち いきました
 
ペンギンちゃんが
おさんぽ していたら
そらから ステッキ おちてきた
 サンキュー
 ひろって ふりふり いきました
<初出>ABC朝日放送 未見 「メリーランド」1955年8月 未見 若越出版 
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 中田喜直曲
(注・太線と下線は筆者によるもの)
擬容…表現対象の見た目を表したもの。「にこにこ」など気持が読み取ることができるオノマトペもこの項目に含めた。
<例>「あめあがり」
おひさま きらきら
あめ あめ やんだ
まるい いけ
さんかく いけ
おにわに できた
 たっぷ らんらん
 ちー たった
<初出>「チャイルドブック」1953年6月号(第17巻第6号)6月1日 国民図書刊行会
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 中田喜直曲**一部改稿
(注・太線と下線は筆者によるもの)
○オノマトペの型(ABAB、ABっ、ABり、AっBり、ABん)
 抜き出したオノマトペがどのような語型をしているか、ということ。「もさもさ」など同じことばが繰り返される「ABAB」型、「ぴかっ」など二つの音の後に拗音がついている「ABっ」型、「ぐるり」など二つの音の後に「り」がついている「ABり」型、「ぴったり」など二つの音の間に拗音が入り最後に「り」が付く「AっBり」型、「ごろん」など二つの音の後に撥音がついている「ABっ」型の全五種類の中からあてはまるものを選んだ。この語形は、浅野鶴子編『擬態語・擬音語辞典』(1953年 角川書店)及び日向茂男・笹目実「語形からみた擬音語・擬態語U」『東京学芸大学紀要. 第2部門, 人文科学』50巻(1998年)に掲載さ-れていた分類方法に従った。それぞれの分類について以下に引用する。
まず、『擬態語・擬音語辞典』の項目を引用する。
 一拍語のもの
ふ(と)  つ(と)
 一拍の語根+「い」「ん」「っ」引く音のもの
つい(と) ぷい(と) ぽん(と) わん かっ(と) さっ(と) ちょっ(と)
にゅっ(と) じっ(と) きゃっ もう にゃあ ちゅう ぴい
 二拍の語根のもの
がば(と) ぴた(と) にゃお ぴよ
 一拍の語根に+「い」「う」「ん」「っ」のうちのものが二箇
ごうん ぼいん ぽうっ
 二拍の語根+「っ」形のもの
ごろっ(と) ばさっ(と) ぱたっ(と) ぴかっ(と) ぴたっ(と) ぽかっ(と) ぽきっ(と)
 二拍の語根+「ん」のもの
かちん(と) こつん(と) どきん(と) ぱたん(と) ぴょこん(と) ぺたん(と)
ぽかん(と) ぽちゃん(と)
 二拍の語根+「り」の形のもの
ぐるり(と) ごろり(と) つるり(と) ぴかり(と)
 (7)の一種「り」でないもの。古風な語
うらら しとど そよろ とどろ
 二拍の語根の中間に、つめ、はねの入ったもの
ざんぶ(と) むんず(と) やんや(と) かっか(と) きゃっきゃ(と) さっさ(と)
すっく(と) せっせ(と) はっし(と) ぱっぱ(と) やっき(と)
 (7)の形の第一拍と第二拍の間に、はねる音、つめる音の入ったもの
あんぐり ぐんにゃり こんがり こんもり ちんまり どんぶり
まんじり やんわり
あっさり うっとり おっとり がっかり がっくり きっちり くっきり
さっぱり しっかり しっぽり すっかり
 二拍の語根の繰り返し、ことに第二音がラ行のものが多い
からから がらがら かりかり きらきら くるくる こりこり ころころ
さらさら ざらざら じゃらじゃら しゃりしゃり じりじり するする そろそろ
ぞろぞろ たらたら つるつる とろとろ
いそいそ かさかさ かたかた かちかち がぶがぶ きびきび くしゃくしゃ
ぐずぐず くよくよ げふげふ ごしごし こそこそ こちこち ごとごと
ごぼごぼ
 前項に似て類似のものを重ねるもの
あたぐた かさこそ かたこと からころ ちらほら つべこべ てきぱき
どぎまぎ ぺちゃくちゃ むしゃくしゃ
 まったく似ていない二拍を重ねたもの
がたぴし そそくさ(と) ちょこなん(と) すたこら ちょこまか ぱちくり
 二拍後+「りん」「りっ」の形
くるりっ(と) ころりん
 五拍のもの
ころりんこ(と) けろりかん(と)
 (7)(8)(9)の繰り返し
ぐでんぐでん ころりころり ごろんごろん のたりのたり ぱっかぱっか
 (16)に似てあとのものは、多少形のちがうもの
しどろもどろ てんやわんや のらりくらり やっさもっさ
 その他の六拍のもの
こけこっこう すってんてん すっからかん つんつるてん とんちんかん
ほうほけきょ ゆっくりかん
 以上のように浅野鶴子氏の研究は、擬音語・擬態語を収集しそれを分類したという点で今回参考にした。
 次に、「語形からみた擬音語・擬態語U」の概要について述べる。「語形からみた擬音語・擬態語U」は、先に紹介した浅野鶴子編『擬態語・擬音語辞典』を研究対象としている。論文の題目に「U」とあるのは、「T」でも同じように『擬態語・擬音語辞典』を対象とした分析を行っていたからである。「T」では『擬態語・擬音語辞典』の見出し項目804語を対象としたのに対し、「U」では804語に加えて、見出し項目では取り上げられていない同義語,類義語の小項目も加えた,1,647語の前後を対象にしている。したがって本研究の分析項目作成の参考として、より対象を広めた「U」の方を選択した。研究の出発点として、「言語によるイメージの創出といっても基本的な型からまったく逸脱しているわけではない」と考え、どの語形が多く使用されているかを調査した。調査するにあたって擬態語・擬音語を大きく4つに分類し、そこから全47型に分類した。大きく分けた4つの分類について紹介する。1つめは「一回語形」である。これは、「こってり」「すきっ」など、重複する音がなく一音一回出現する語形をさす。2つめは「重なり語形」である。これは、「すーすー」「ぱたぱた」など一かたまりの音が複数回繰り返し出現する語形をさす。3つめは「変則重なり語形」である。「ずどど」「がたごと」など一音が複数回出現する語の中で、「重なり語形」のように規則性がないものである。以上の、4つの語形からさらに細分化し、1647語から出現回を調査した結果、上位5 型は以下のようになった。
順位語数
1「ABAB」型419
2「ABっ」型212
3「ABり」型141
4「AっBり」型103
5「ABん」型102
 調査結果から、上位5つの型に集中しているということが明らかになったため、今回は上に挙げた上位5つの型を分析の際に使用することとした。
 今回の分析では上の5つの型のうちどれにも当てはまらないものを「その他」とし、分類を進めるにあたっていくつか後付けの規則を作ったので後に記す。
・「ポツンポツン」など複数の語型が組み合わさっているとき
 →考えられる語型をすべて書き出した。(「ポツンポツン」の場合はABAB型、ABん型)
・「ざぶーんざぶーん」など元の形(ここでは「ざぶんざぶん」)から変化しているとき。
 →表記の形に加え元の形にあてはまる型も書き出した。(「ざぶーんざぶーん」の場合は「ざぶんざぶん」も考慮し、ABAB型に加えABん型でもあるとした。)
<例>
「ABAB型」…とぼとぼ、もぐもぐ、すやすや、ふにゃふにゃ、ぱたぱた
「ABっ型」…きらっ、つるっ、ぽろっ、ころっ、にこっ
「ABり型」…くるり、ぱたり、つるり、ころり、ずばり
「AっBり型」…すっきり、さっぱり、ぽっかり、うっとり、ぽっきり
「ABん型」…ぱたん、ちりん、ぽつん、ぷるん、ざぶん

○具体・抽象
 物事の、見たり感じたりできる側面をとりたてているものを「具体」とし、物事の目に見たり感じたりできない側面をとりたてているものを「抽象」とする。
@具体
<例>「ほどうきょう」
あんなに高いところを
人がわたっていく

せっかく みんなでこしらえた
きかいたちが
大いばりで あばれまわるのを
じゃましてはいけないと

できるだけ地球をとおく
よけて あるかなくてはと

あんなに高い雲の中を
よぼよぼ とぼとぼ
人がわたっていく
ここでは、「高い雲の中を/よぼよぼ とぼとぼ/人がわたっていく」など現実を誇張した大げさな表現がなされているものの、ほどうきょうを渡るという事柄について述べられているので「具体」と判断した。

A抽象
<例>「いれもの」
いれられないもの

はいらなければ

はいっても そこに なければ

そこに あっても からでなければ

からであっても それだけしか

それだけでも いれなければ

いれられないもの
<初出・底本>『まど・みちお詩集4 物のうた』1974年10月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 ☆
 ここでは、いれものの「いれる」という機能について述べてられているので抽象と判断した。

○表現の種類(叙景・叙事・叙情)
 何が書かれているのか、ということを三つに分類した。心理が描かれている場合は「叙情」とし、描かれてない場合において、風景のみが描かれている場合を「叙景」、出来事のみが描かれている場合を「叙事」とした。「〜しましょう」といった意志が表れているものや擬人法や隠喩など視点人物のものの見方や感じ方が介入しているものが見受けられた場合は「叙情」とした。また、心理が表れている台詞の扱いは、語り手が台詞を口にした場合は「叙情」に、語り手があきらかに登場人物の台詞を聞き写しのような形で表現しているものについては「叙事」と判断した。
@叙景
<例>「雨ふれば」
雨ふれば
お勝手も
雨の匂いしている。
   濡れた葱(ねぎ)など
   青くおいてある。

雨ふれば
障子の中、
母さんやさしい。
   縫物される針
   すいすいと光る。

雨ふれば
通りものの音、
ぬれている。
   時おり
   ことり などする。
<初出>「コドモノクニ」1934年12月号(第13巻第14号)12月1日 東京社
<底本>阪田寛夫選『まど・みちお童謡集 地球の用事』1990年11月30日 JULA出版局
A叙事
<例>「パンク」
お山の中の日溜りで、
乗合バスがパンクした。

バスから出てきたお客さん
「まぶしいお空と、山だこと。」

地べたにかがんで運転手さん、
時々させてた、こんことん。

パンクの周囲(まわり)、影法師、
遠くで鶏、啼(な)いていた。
<初出>「童魚」第3号1935年6月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
B叙情
<例>「窓」
窓の外へ面(かお)出しても
いいのであろうか、 
トの字のようにして。
窓の外へ面を出すと、
自分はわびしい。
トの字のチョボのように。
しかしどうしても、
「みちおはここにいるのだよ」
と誰かに言いたくなって、
面を出さずにはいられない。
<初出・底本>「童魚」第8号1936年8月5日 童魚社

 
○表現対象(人間・動物・植物・物・宇宙・その他)
 何について書かれているのか、ということ。複数ある場合は全て記した。比喩などで用いられている場合も表現対象に含めた。(例:「ちょうちょうさん」には「かみさまが/ごらんになっている/ゆめのよう」という比喩表現があり、今回「かみさま」も表現対象とした。)植物に関しては、「成長するもの」と定義づけ、収穫された果物や落ち葉などは物であると判断した。行為の主が明記されていない場合 (例@を参照)は、人間であると判断した。また、人間の体の一部を擬人化してとらえている場合は「人間」ではなく「物」とした。(例Aを参照)
@行動の主が明記されていない作品
<例>「毒ガス」
創リタイナア 毒ガスヲ、
グウグウ眠ッテ シマウヤツ。

十日ヤ二十日ハ 一・二発、
十発ヤッタラ 一年間、
グウグウグウグウ 眠ッチャウヤツ。

敵ハ塹壕(ザンゴウ)デ グウグウグウ。
敵ハ飛行機デ グウグウグウ。
潜航艇デ グウグウグウ。
参謀本部デ グウグウグウ。

ソノ間ニ集メタ 武器ノ山、
富士山ミタイナ 武器ノ山、
ボンボン 燃シチャオ、灰ニシヨ。

敵ハ言ウダロ 目ガサメテ、
モウ戦争ハ ヤメニシタ。
一年間モ 食ベナイカラ、
オ腹ガ トッテモ ペコペコデス。
カレーライスヲ 下サイナ。

ソコデ用意ノ 米ノ山。
富士山ミタイナ 米ノ山、
カレーライスガ ホ! デキタ。

カレーライスノ ライスカレー、
カレーライスヲ サ! オ食ベ。
カレーライスヲ サ! オ食ベ。
<初出・底本>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部
A人間の体の一部が擬人化された作品
<例>「顔の中のドラマ」
こたつの中から はいだし
冷えきった鼻を だいてやった

とつぜん訪れた 幸(しあわ)せに
鼻は 目をつぶり
息まで とめて うっとりと
春の夢を みはじめる

てのひらの方も
そのまま ぼうっと
おぼれて しまっている
鼻の かわいさに
自分の やさしさに

顔の中の 美しいドラマ!

外は
なんまん なんおくの
生命(いのち)たちが おそいかかられている
もうれつな ふぶき!
<初出・底本>『まど・みちお詩集3 人間のうた』1978年5月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 ☆

この分類は基本的に国立国語研究所編『分類語彙表――増補改訂版』(2004年 大日本図書)の分類、中でも中項目に従っている。今回は項目の種類を「人間」「動物」「植物」「物」「宇宙」「その他」の6つに分類した。その過程で何箇所か、『分類語彙表――増補改訂版』の中項目における分類を統合した部分があるので該当箇所を以下に記す。

・家族,仲間,人物,公私,社会など人間に関わるもの→人間
・物品,資材,衣料,食料,住居,道具,機械など生産具および用具→物
・自然の中の「宇宙」→宇宙

また、「神」の分類のみ『分類語彙表――増補改訂版』では「物」と分類されていたものを「宇宙」としたが、これは、まど・みちお氏が神を宇宙と同様に自分の力の及ばない大いなる存在と認めている点からそう分類した。このことは、谷悦子氏,まど・みちお氏の以下の文章からも明らかである。
まどは、宇宙(神)に向けた<祈り>の静寂(根元に返る静謐)に核をもち、絶えまなく<有無相生ずる>世界の中の瞬間である存在を「愛する」。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
私がいう「かみさま」は、
「宇宙の意思」みたいなもの。
(まど・みちお『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』2010年 新潮社)
○場面の進行・停滞・循環・気持ちの進行
 詩が表す場面で、時間が進行しているか停滞しているか循環しているか、ということ。因果関係や出来事が時間の順序通り描かれている場合「進行」と判断した。「進行」のなかでも物事は変化しないものの、物事を受けて気持ちの変化が描かれている場合は「気持ちの進行」とした。そして、時間の変化などはあるものの因果関係は見当たらず、永遠に繰り返されると考えられるものを「循環」と判断した。
@進行
<例>「ぞうさん」
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
 そうよ
 かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だれが すきなの
 あのね
 かあさんが すきなのよ
<初出> *佐藤義美編『日本童謡絵文庫第7巻新日本童謡集』1952年2月29日 あかね書房 酒田富治曲
<底本> まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社 團伊玖磨 *一部改稿
B停滞
<例>「父さんお帰り」
金魚色した
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた

蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク

父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。

<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿
A気持ちの進行
<例>「カ」
ある ひとが
ふと あるひ
手にした ほんの
とある ページを ひらくと
ある ぎょうの
とある かつじを ひとつ
うえきばちに して
カよ
おまえは そこで
花に なって
さいている

そんなに かすかな ところで
しんだ じぶんを
じぶんで とむらって…
<初出>「日本児童文学」1969年1月号(第15巻第1号)1月1日 日本児童文学者協会 
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
C循環
<例>「あさやけ ゆうやけ」
あさやけが おまつりしてる
おひさまの おでましだから
すてきな きょうの
はじまりだから
 ららら ららら
 ららら ららら
 おひさま いらっしゃい

ゆうやけが おまつりしてる
おひさまの おかえりだから

すてきな きょうの
おしまいだから
 ららら ららら
 ららら ららら
 おひさま またあした
<初出>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.3 かんさつしよう』1966年 全音楽譜出版 鞍掛昭二曲
<底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月号 ドレミ楽譜出版社 **一部改稿 ☆
○視点
作品の視点が、作品世界の外側から見たものか、作品内部から見たものか、どちらであるのかということ。判断基準として、一人称視点で語られているもの、視点人物の動作や台詞が描かれているものを「内」とし、どちらもあてはまらないものを「外」とした。さらに、「外」においては視点人物の心理や評価が描かれている場合を「主観あり」、描かれずに場面のものごとのみを記述している場合を「主観なし」とした。さらに「主観あり」のなかでも、心理的な評価を下しているもの、心理が描かれているものには「心理的」物理的な評価のみを下しているものには「物理的」と記した。比喩が使われている場合は、見た目を分かりやすく伝えるための比喩の場合は「物理的」に、隠喩などを用いて対象の新しいとらえ方などを提示している場合や最初から非現実であるもの以外で擬人法が用いられている場合は「心理的」と判断した。作品の中で描かれ方が変わり、結果として「内」「外」両方の視点で描かれている場合は両方とした。また、視点人物が対象を捉えているのか対象の視点から語っているのかが不明な場合は「内」と「外」の区別をすることが困難なため、「不明」とした。

@視点内
<例>「宿題」
自分の手のひらで
自分の髪の毛触っている

温かいようなかんじを
いつまでも手の中に円(まる)めている

分からない宿題
何処かのラジオが聞こえている
<初出・底本>「童話時代」第19号 1935年6月1日 童話時代社
A視点外・主観あり(心理的)
<例>「樹」
樹は土に立っている
樹はそこから歩かない
樹は空へ向いている

  土がにじんだのであろうか
  その幹の色と匂い

  空がしみたのであろうか
  その新芽の色と匂い

  きっとその根は土になってる
  そして枝先は空に溶けている

樹は土のように静かだ
樹は空のように明るい
樹は樹で生きている
<初出・底本>「童話時代」第23号 1935年11月1日 童話時代社 **一部改稿
B視点不明
<例>「メモあそび」内の「はな」
きがついた ときには
もう でしゃばっていました

<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社
○視点の二重構造(○・×)
 登場人物の視点が主人公の視点から捉えられ、視点が二重の構造をなしているかどうか、ということ。動物と会話しているものは、視点が「内」の場合は主人公が会話を考えていると捉えて二重構造であると判断し、逆に視点が「外」の場合は語り手が会話を考えているので二重構造ではないと判断した。また、視点が「内」か「外」か判然としない場合は「不明」とした。
@視点の二重構造・○
<例>「なにやろか」
かけろ けろけろ
にじ かけろ
たうえの ちょうどうえに
にじ かけろと
よんでる かえるに
なに やろか
とれた おこめで
もち ついて やろうか

はれろ れろれろ
つゆ はれろ
たうえの あいだじゅうは
つゆ はれろと
とんでる つばめに
なに やろか
ひなが うまれたら
むし ひゃっぴき やろうか
<初出>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.4 たのしい行事』1966年 全音楽譜出版 飯沼信義曲
<底本>鈴木敏朗編『保育名歌12ヶ月 ぱぴぷぺぽっつん』1971年 音楽春秋
A視点の二重構造・不明
<例>「けしつぶうた」内の「オウム」
くちの なかの
けしゴムは
いいまちがえたら
けす つもり
<初出>「日本児童文学」第2巻第1号所収 「スケッチ詩・おもちゃの部分品」1956年1月1日 児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
○複数の連で構成されている(○・×)
 二つ以上の連によって構成されているかどうか、ということ。

○連の関係(進行、対象の変化、視点の変化、場面の変化、主人公の変化、主張と具体例、出来事と感想、思考の深化、意味の切れ目、その他)
「複数の連で構成されている」の項目に「○」がついたものを対象に、連同士がどのような関係になっているのか、ということを表した。項目は、「進行」「対象の変化」「視点の変化」「場面の変化」「主人公の変化」「主張と具体例」「出来事と感想」「「思考の深化」「意味の切れ目」「その他」の10項目を挙げ、複数にあてはまる場合は全て記した。
進行…同じ主人公や対象、場面を描きながらも連が変わるごとに内容が進行されているもの。
<例>「朝日に」
朝日に 鳴いた
猫の 口
湯気を 残して
ムン 
閉じた

朝日に 咲いた
白い 湯気
おヒゲ 残して
ユン
消えた

朝日に 鳴いた
猫の 顔
朝日 残して
プイ
逃げた
<初出・底本>「昆虫列車」第3輯 1937年7月1日 昆虫列車本部 *「昆虫列車」第2週(1937年3月1日)所収「朝日に」の改稿作品 **一部改稿 ☆
対象の変化…連ごとに対象が異なっているもの。
<例>「きのえだ 一ぽん」
きの えだ 一ぽん
みいつけたって
せみさん とまれ
この おやゆびに
―とまって
 バイオリンを
 みいみい ならせ
 せかいじゅうが ほめるぞ

たけざお 一ぽん
みいつけたって
とんぼさん とまれ
この なかゆびに
―とまって
 おめめを
 くるりんと まわせ
 せかいじゅうが まわるぞ
<初出・底本>石黒つぎ子編『きいろいふうせん』1957年10月5日 泰光堂 **一部改稿
視点の変化…一つの物事に対し連ごとに異なる角度からとらえられているもの。
<例>「橄欖の実」
これは、かんらんの実。
お塩に漬けた かんらんの実。
お船に乗って 支那から来た実。
  かんらん、かんらん、
  ころころよ、かんらん。

これは、かんらんの実。
フット・ボールに 似てる木の実。
中には固い 種のある実。
  かんらん、かんらん、
  一つだけ、食べましょ。

これは、かんらんの実。
薬の匂い してる木の実。
少し鹹(から)くて 甘い木の実。
  かんらん、かんらん、
  少しずつ、食べましょ。

これは、かんらんの実。
遠い昔の お神話(はなし)ある実。
ギリシャの人の 好きな木の実。
  かんらん、かんらん、
  ころころよ、かんらん。
<初出>「童魚」第7号1936年5月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
場面の変化…主要な登場人物に変化は見られないものの、時間や場所が前後の連との因果関係がはっきりしないまま変化している作品。
<例>「ぼくには ぼくの」
ぼくには ぼくの
きみには きみの
ようふくが
あるから いいね
のっぽと ちびの
ふたりだもんね
 まちがっても すぐに
 わかるもんね

ぼくには ぼくの
きみには きみの
おべんとうが
あるから いいね
すきな おかずが
はんたいだもんね
 まちがっても すぐに
 わかるもんね
<初出・底本>芸術教育研究所・リズムの会編『リズムと生活シリーズNo.2 おはよう・こんにちわ』1966年 全音楽譜出版社 川崎祥悦曲 **一部改稿
主人公の変化…連ごとに主人公が異なっているもの。対象と主人公の判断基準は、題名のつけかたの項目と同じく、心理が描かれているか否かを基準とした。
<例>「こっちから きつねが」
こっちからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
あっちでともだち よんでるかな
どんどんあっちへ かけてった

あっちあからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
こっちでともだち よんでるな
どんどんこっちへ かけてった

りょうほうからきつねが であったよ
くちうごかすよ こんこんこん
おにごっこしようよ じゃんけんぽん
どんどんあちこち かけだした
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **初出タイトル「きつねのおはなし」 一部改稿
主張と具体例…連の区切りが、主張とそれを説明するための具体例の区別に使用されているもの。
<例>「なんだ…」
なれるまでだ「わあ!」は
なれてしまえば「なんだ…」だ

わあ かいじゅう!
なんだ 犬か…

わあ UFO!
なんだ 飛行機か…

わあ バオバブ!
なんだ マツノキか…

わあ 七つ子!
なんだ どろぼう(・・・・)か…

なんだ 汚職か…
なんだ 公害か…

なんだ 原爆か 地球滅亡か…
なんだ なんだ なんだ…
<初出・底本> 『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社 ☆
出来事と感想…実際の出来事とそれに対する視点人物の感想や意見が述べられているもの。
<例>「二本足の ノミ」
あきれたことに
ぼくの ほっぺたに来て
テントウムシが のこのこ
歩きはじめた

おいおい ひとの顔で
ハイキングするなよ
あれ はなの 富士山にまで
のぼりはじめたぞ

とんまな虫だなあ
こんなに動くぼくを
なんで 人間だと 気がつかないんだ
ぼくが きみにとって
あんまり あんまり 大きすぎるからか

まてよ
もし そうなら
ぼくの 何億 何兆ばいも 大きな
なにかが
いま 天から
ぼくを 見おろしてはいないだろうか

 「おや わしの 足に
  二本足の ノミが いるぞ……」
<初出・底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
思考の深化…連を追うごとに思考が深まりをみせるもの。実際の出来事や物の状態が変化する場合は進行とし、思考のみが進行する場合を思考の深化とした。
<例>「どんなことでも考える」
アリの下は ノミ
ノミの下は ミジンコ
ミジンコの下は 目に見えないバイキン
バイキンのまだずうっと下には ウィルス

それなのに大きいほうは
カバの上が ゾウ
ゾウの上が クジラ
で おしまいとは不公平だな

だが 天に頭がつかえるようなのが
二、三〇ぴきで
ぎゅうぎゅう まんいんなのと
小さくても いろいろ変ったのが
うじゃうじゃいるのと
どっちが おもしろいだろう
やっぱり うじゃうじゃだな
と かみさまが考えて
そっちに なさったのかな

そして 小さくても
大へんなものを一つ くださったんだ
どんなことでも考え
にんげんさまの頭を

気をつけて使わないと
とんでもないことになるよ といって
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 1997年10月「どんなことでも考える」に改題 ☆
意味の切れ目…連ごとにリズムなどは統一されていない場合で、主人公や対象、場面は一貫されており、一連にまとめても何ら違和感がないもの。
<例>「イヌが歩く」
イヌが歩く
四つの足で

どの足のつぎに
どの足が動くのか
どんなに見ていても わからない

音のちがうすずを
どの足にも
一つずつ

ちりん
ころん
からん
ぽろん

むすんでやったら
わかるかな
<初出>「こどもクラブ」1948年12月号(第4巻第12号)12月1日 講談社
<底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書
その他…以上のどれにもあてはまらないもの。


○聴覚に訴える言葉遊び(韻・字数の対応など)(○・△・×)
 韻を踏む、字数を一定のリズムに揃える、同じフレーズを繰り返す、などして聴覚に訴える言葉遊びがなされているかどうか、ということ。ここでは、連同士で聴覚に訴える言葉遊びがあるものと、連の中で聴覚に訴えかける言葉遊びがあるものをそれぞれ調べた。連同士では一部の連同士のリズムが揃っている場合、連内では一部の連内でリズムが形成されている場合は、聴覚に訴える言葉遊びが一部なされていると判断し、「△」とした。また、連同士においては、一連で構成されて作品は分析の対象に含めなかった。

●連同士
@聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)・○
<例>「父さんお帰り」
金魚色した
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた

蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク

父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。
<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿
A聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)・△
<例>「ミミズ」
ひとりで
もつれることが できます

ひとりで
もつれてくることが あります

ひとりで
もつれてみることが あります

あんまり
かんたんな ものですから

じぶんが…
で ちきゅうまでが…
<初出・底本>『まど・みちお詩集2 動物のうた』1975年1月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房 *二作品を収録 **一部改稿
 「ミミズ」においては、第1〜3連において「ひとりで〜あります」と表現されており、対応してるといえる。

B聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)・×
<例>「この土地の人たち」
道をゆく人の背に
小さな日溜(ひだまり)がある

日溜の中に
誰にも知られない蝿(はえ)がいる

蝿は時に そこを離れ
ぐるりと人の周囲(まわり)を廻る

そして又もとに帰り
じっと動かない

道をゆく人のゆく先は
又 蝿のゆく先であるのに

ろくろく蝿の面(かお)知らずに
この土地の人たちは
日毎生きている 蝿と共に
<初出・底本>「動物文学」第9輯 1935年9月1日 白日荘 **一部改稿
●連内
@聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・○
<例>「わたし わたした?」
わたし わたした?
わたし わした?
わたし わった!
わたし した だしたわ わたしに…

わたし たたした?
わたし たたった?
わたし たった!
わたし したいわ わたしと…

わたし たわし?
わたし タワー?
わたし たわわ!
わたし わたししたわ わたしを…

わたし しった!
わたし したった!
わたし したたった!
わたし しわ たしたわ わたしに…
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 しゃっくりうた』1985年6月 理論社
 「わたし わたした?」ではすべての行が「わたし」で始まることで一定のリズムを形成しているといえる。

A聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・△
<例>「キリン」
天にたいして
やや ななめ

地にたいして
やや ななめ

この巨大(おおき)なシャクトリムシの
口の先から
ぎんの糸が一本
まっすぐに
地球の中心までとどいている

風に鳴る鳴る
ぎんの糸
<初出>「日本児童文学」1969年1月号(第15巻第1号)1月1日 日本児童文学者協会 
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
 「キリン」では、第1・2・4連が7・5調になっており、連内でリズムを形成しているといえる。

B聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・×
<例>「はるのさんぽ」
どこも かしこも いちめんの
なのはな レンゲソウ

ほら あそこを のそり のそりと
ウシが あるいているでしょう

あれは
のそりのそりに ウシが のって
ウシに そよかぜが のって
そよかぜに ヒバリが のって
ヒバリに おひさまが のって
五人のりの サーカスが
のそり のそり のそりと
はるの さんぽに
でかける ところですよ

のはらの ずっと むこうの
やまびこさんの おたくの方まで
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社 ☆

○擬人化(○・×)
 作品中に人間・動物以外のものを擬人化して描かれているか、ということ。
擬人化が用いられている作品
<例>「ぼうしが にげた」
にげた にげた
ぼうしが にげた
あわてんぼうから にげた
どこへ にげたんだと
あわてんぼうが きいたが
にげた ぼうしに きいたんだって
にげた あとに なって
―あんまり あわてんぼうなんでね

にげた にげた
ぼうしが にげた
わすれんぼうから にげた
なんで にげたんだと
わすれんぼうが きいたが
にげた ぼうしに きいたんだって
にげた あとに なって
―あんまり わすれんぼうなんでね
<初出・底本>「チャイルドブック」1969年1月号(第33巻第1号)1月1日 チャイルド本社 磯部俶曲 **大幅改稿
○擬人化されているもの(植物・物・宇宙・その他)
なにに対して擬人化がなされているのかを、「表現対象」の分類と同じ基準で分類した。

○意味を持った記号(○・×)
 作品内に文字以外で意味を付加する記号が使用されているかどうか、ということ。ここでは感嘆符と疑問符、三点リーダの三つを取り上げた。

○倒置法(○・×)
 倒置法が用いられている箇所が存在するかどうか、ということ。後に出てくる項目「言葉の省略」と混同しやすいが、倒置法の場合は、順序が入れかわっていることが明らかな場合のみとし、一つの用言に対し複数の倒置が見られる場合は「言葉の省略」であると判断した。
<例>「風」
風にもあるのですか
形が

あるから着るのです
光のコートを

くらやみをだって着ます
ぴったりのスーツにして

霧のカーディガンをはおることもあります
ふかい谷を こえわたるときに

風はいくのですね くると見せて
いつも先の先へと

風はなにを指おりかぞえるのですか
海の波で

地球のおかあさんの 宇宙の年をです
自分の年のつもりで…
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 しゃっくりうた』1985年6月 理論社
○繰り返し(○・×)
 詩の中で同じフレーズや単語、文字数の組み合わせが複数回使用されているかどうか、ということ。連の構造を作ったりリズムを整えたりする役割があるものを抽出することを目的としたため、同じ単語や文が複数繰り返されているものに加え、文の内容や使用する単語が異なっても同じリズムが繰り返されているものも含めた。詳しくは例を参考にされたい。
@「繰り返し・○」単語が繰り返されているもの
<例>「たなを つくりましょう」
台所の 窓ぎわに
もひとつたなを 作りましょう
ねえ おかあさん
「たな、たな、たなね、
まあ すてき」
と そこらの すみから
ぞろぞろ出てきて ならびますよ
らっきょうのびん
しおのびん
しょうゆのびん
びん びん びん
顔の窓の空
はずかしそうに そめて

日曜日のひとしごと
なあに ぼくがやりますよ
ねえ おかあさん
「たな、たな、たなかい、
ほう いいぞ」
と あっちから こっちから
のこのこ出てきて ならびますよ
あぶらのかん
お茶のかん
せんべいのかん
かん かん かん
顔のすすなんか
うれしそうにはらって
<初出>*『NHKみんなのうた第1集』1961年12月 水星社 磯部俶曲
<底本>『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館
A「繰り返し・○」同じリズムが繰り返されているもの
<例>「こおれ冬よ」
こおれ こおれ こおれ
池よ 沼よ 川よ こおれ
フナとメダカの 星をちりばめて
銀のじゅうたんに なれ
 ここに すわる 冬の王女が
 いま 空のかいだんを
 おりてくるくる おりてくる

こおれ こおれ こおれ
畑よ 丘よ 森よ こおれ
サルと キツネが すべっておこりだす
銀のひろばに なれ 
 ここであそぶ 冬の王子が
 いま 風にまたがって
 かけてくるくる かけてくる

こおれ こおれ こおれ
風よ 谷よ 峰よ こおれ
空よ 一めん つららともして
冬の 宮殿に なれ
 ここにくらす 冬の大王が
 いま 吹雪ひきつれて
 かけてくるくる かけてくる
<初出>ABC放送 1961年11月 未見 大中恩曲
<底本>まど・みちお童謡集『ぞうさん』1975年11月25日 国土社
○言葉の省略(○・△・×)
 言葉の省略があるかどうか、ということ。自立語の省略がある場合は「○」、付属語の省略のみの場合は「△」とした。
<例>@自立語・付属語ともに言葉の省略が見られる作品
<例>「パンク」
お山の中の日溜りで、
乗合バスがパンクした。

バスから出てきたお客さん【が】
「まぶしいお空と、山だこと。」【と言った。】

地べたにかがんで運転手さん、
時々させてた、こんことん。

パンクの周囲(まわり)、影法師、
遠くで鶏、啼(な)いていた。
(注・【 】内は筆者によるもの)
<初出>「童魚」第3号1935年6月1日 童魚社
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
A倒置法ではなく言葉の省略に含めたもの
<例>「タマシャボテン」
タマシャボテンに ふりそそぐ
まひるの 星は
なぜか 人には見えません

ただ 見えるのです
ぶつかって はじけ
とびちり
とびかう
せんまんの 火花が

火花が 火花と
からみあい
かぎりなく からみあい
まゆを つむいでいくのが

いつ なのでしょう
まゆを やぶって はばたきでる
まっ赤な
火の鳥の たんじょうは…
<初出・底本>『まど・みちお詩集1 植物のうた』1975年3月20日 銀河社:1985年12月25日再刊 かど創房 ☆
 「タマシャボテン」は第2・3連の最後に、第2連の最初の行の「ただ 見えるのです」が入ると考えられる。「ただ 見えるのです」に対して複数の言葉がかかっているので、この場合は倒置法ではなく言葉の省略であると判断した。

○擬人法以外の比喩(○・×)
 擬人法以外の比喩が用いられているかどうか、ということ。隠喩も含むこととする。用いられている場合は、「何を(例えられているもの)」と「何に(例えているもの)」を抜き出した。

○字下げ(○・×)
 字下げが行われているかどうか、ということ。

○字下げのパターン(行動・視覚的な印象・主張・リズム・心情・カメラワークの変化・台詞・二重構造・非現実・対象・対象の変化・進行・その他)
 字下げにが行われている作品について、その字下げ部分が字下げでない部分に対してどのような関係であるのか、ということ。「行動」「視覚的な印象」「主張」「リズム」「心情」「カメラワークの変化」「台詞」「二重構造」「非現実」「対象」「対象の変化」「進行」「その他」の13のパターンに分類した。複数あてはまる作品は、あてはまる細目全てを記し、どれにもあてはまらない場合は、「その他」と記した。
 
行動…字下げの部分に人物の行動が表されているもの。今回は、字下げ部分以外では行動を起こしておらず、字下げ部分のみで行動が表現されている場合とした。
<例>「雨の夜」
お部屋の電気が 明るいので、
お噺までが 光るので、

障子が濡れていないので、
乾いたご本と、息なので、

お耳が 生(は)えてる面(かお)なので、
にゅうと 影もつ腕なので、

――子供は雨戸を開けてみた。
――子供は雨戸を開けてみた。

子供が雨戸を開けたので、
細い脛(すね)して 開けたので、

――何かが 光って抜けて出た。
――金魚か 何かが抜けて出た。
<初出>「台湾日日新報」1938年12月3日
<底本>「昆虫列車」第12冊 1939年5月1日 昆虫列車本部
視覚的な印象…字下げの仕方によって作品世界の理解を促すような効果をもたされているもの。例の「あめとおさる」では、本来の縦書きにした際に文字が下にそろえられていることから雨が空から地面に降っているという作品の世界を表現しているといえる。
<例>「あめとおさる」
あめが てんから
   ふりました
ぶどう みたいに
   ふりました
 トップ テップ
 タップ トップ
 ポッツン ツン

おさるの こどもが
   みてました
うその ぶどうだ
   みてました
 トップ テップ
 タップ トップ
 ポッツン ツン

みてても やまない
   あめでした
のみでも たべよう
   たべました
 トップ テップ
 タップ トップ
 ポッツン ツン
<初出>「昆虫列車」第8冊 1938年5月20日
<底本>藤田圭雄編『まど・みちお童謡集』1977年4月15日 彌生書房
リズム…字下げ部分が作品のリズムを出すために用いられているもの。言葉遊びもこれに含まれる。判断の基準としては@同じ音もしくは似た音を繰り返し用いていることAその字下げ部分がなくても作品内容に影響を及ぼさない、つまり作品にリズムを生み出すことを第一目的として表現されたと考えられるもの、の二つを設定した。
<例>「ジャンク船」
汀(なぎさ)に並んだ ジャンク船、
お手手をつないだ 蝙蝠(こうもり)みたい。
  トロンコ、ペン。キップ、キップ。
水の中にも ジャンク船
さかさに並んで 赤黄茶色。
  トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。

帆がけに 時々 のぞく面(かお)、
何やらしゃべって 椰子の実みたい。
  (好天(ホウテイン)好天 よい天気)
  トロンコ、ペン。キップ、キップ。
水の中にも のぞく面、
赤蟹(あかがに)みたいに ぐしゃぐしゃしてる。
  (好天好天、よい天気)
  トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。

煙はぬいます、帆や艫(とも)を、
千鳥は舞います、船べり近く。
  トロンコ、ペン。キップ、キップ。
ぬらぬら光る 船の腹、
お空のどこかで 遠雷(えんらい)してる。
  トロンコ、ポロンコ、ピンチ、ピンチ。

注・好天=台湾語にて、ホウティンと発音。よい天気の意。
<初出>「綴り方倶楽部」1973年1月号(第4巻第10号)1月1日 東苑書房
<底本>「昆虫列車」第2輯 1937年5月1日 昆虫列車本部
心情…字下げの部分に人物の心情が表されているもの。今回は、字下げ部分のみで心情が表現されているに限定した。
<例>「あめがやんだ」
なあい
あめが
やんだ
 きれいな
 けしき

にじの
リボン
つけた
 きれいな 
 けしき
<初出>「幼児の指導」1961年6月号(第7巻第3号)6月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
カメラワークの変化…字下げ部分において他の部分とカメラワークが異なるもの。地の部分と比較して物事に迫って捉えるズームイン型と、引いて捉えるズームアウト型に加え、物事の性質に詳しく迫ったものも、この項目に含めた。
<例>「おねえさん」
おねえさんが
そよそよ くると
おとうとの ぼくって
おとうとみたい
 そのとき きれいな
 そらの したで

おねえさんが
そよそよ いくと
おねえさんって よその
おねえさんみたい
 そのとき しらない
 かぜの なかで
<初出>「子どもの館」1979年11月号(第7巻第11号)11月1日 福音館書店
<底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社 ☆
台詞…字下げの部分に人物の台詞が表され、字下げがカギカッコと同等の役割を果たしているもの。話し手は作品内のどの役割のものであるかは問わなかった。
<例>「トダナノ ナカニ」
トダナノ ナカニ ナニガアル。
  イジワル、イジワル、
  オニ ナンカ イナイ、
リンコロ リンゴ コロンデル。

ピアノノ ナカニ ナニガアル。
  イジワル、イジワル、
  ニャゴ ナンカ イナイ、
ポッポノ ショウカ ハイッテル。

マッチノ ナカニ ナニガアル。
  イジワル、イジワル、
  ムシイ ナンカ イナイ、
シュッシュノ ハナビ、ハイッテル。
<初出・底本>「昆虫列車」第6冊 1938年1月1日 昆虫列車本部 *「いじわる」=「童話時代」第25号(1936年1月1日)の改稿作品
二重構造…作品の世界が二重に表現されているもので、字下げ部分と地の部分で差がつけられているもの。例では、みずを飲んでおいしいと思ったという地の部分とその気持ちをメタ的に捉えている字下げの部分とで二重構造になっている。
<例>「すいどうのせん」
すいどうの せんを
きゅっと あけて
みず のんで
くち ふいて
ああ おいしい
 と おもったのは
 こころか くちか

すいどうの せんを
きゅっと あけて
かお あらって
きゅっと しめて
かお ふいて
ああ すずしい
 と おもったのは
 こころか かおか
<初出・底本>「保育の手帳」1960年8月号(第5巻第8号)8月1日 フレーベル館 本多鉄磨曲 **一部改稿
非現実…地の部分に現実が表現され、それに対して字下げ部分で非現実の事柄が表現されているもの。
<例>「あられ」
あら
あら
あられ
おでこに おちた
 ごめんなさいって
 いったかな
 ちいさい こえで
 いったでしょ

あら
あら
あられ
みてたら きえた
 さようならって
 いったかな
 ちいさい こえで
 いったでしょ
<初出>「幼児の指導」1962年3月号(第7巻第12号)3月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
対象…字下げ部分に対象の存在が表現されているもの。
<例>「ちいさな ことりが」
ちいさな
ことりが
よんだので
でてきた
でてきた
とうとう でてきた
 おおきな
 はるが

ちいさな
ちょうちょが
あそぶので
わらった
わらった
とうとう わらった
 おおきな
 はるが
(「ちいさな ことり」を改題)
<初出・底本>「チャイルドブック」1970年4月号(第34巻第4号)4月1日 チャイルド本社 **一部改稿 1997年4月「ちいさな ことりが」に改題 ☆
対象の変化…字下げ部分で地の部分とは異なる対象が表現されているもの。
<例>「かみなり ごろごろ」
かみなり ごろごろ そらの うえ
かえるが せんびきで うた うたう
 うまくもないけど へたでもないと
 たんぼの たにしが いったとさ

かみなり ごろごろ そらの うえ
かぜけが せんにんで うがいする
 あれなら かぜでも なおるだろうと
 のんきな おいしゃさんが いったとさ

かみなり ごろごろ そらの うえ
どろぼうが せんにんほど ねて いびき
 つかまえるのなら いまの うちと
 あわてんぼうの おまわりさんが いったとさ
<初出・底本>*『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』1963年11月10日 フレーベル館 湯山昭曲 **一部改稿
進行…字下げ部分に地の部分を進行させた事柄が表されているもの。
<例>「こっつんこ」
おでこと
おでこと
こっつんこ
こっつんこ
 なみだと
 なみだと
 ぴっかりこ

ほっぺと
ほっぺと
だんまりこ
だんまりこ
 めと めは
 いつの まにか
 にっこにこ
<初出>「幼児の指導」1962年3月号(第7巻第12号)3月1日 学習研究社 磯部俶曲
<底本>『ごはんをもぐもぐ おかあさんと子どものための歌曲集』1963年6月10日 フレーベル館
その他…以上の項目のどれにもあてはまらないもの。
<参考文献>
まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)
「ぎんやんま創刊号」(1974年11月15日「子どもと詩」文学会)
畑中圭一『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』(2007年6月4日 平凡社)
谷悦子『まど・みちお 研究と資料』(1988年 創元社)
「飛ぶ教室 45号」(1993年2月 楡出版)
菊永謙・吉田定一編『少年詩・童謡の現在』(2003年 てらいんく)
谷悦子『まど・みちお 研究と資料』(1995年 和泉書院)
浅野鶴子編・金田彦一解説『擬音語・擬態語』(1978年 角川書店)
日向茂男・笹目実「語形からみた擬音語・擬態語U」『東京学芸大学紀要. 第2部門, 人文科学』50巻(1998年)
国立国語研究所編『分類語彙表――増補改訂版』(2004年 大日本図書)
まど・みちお『どんな小さなものでもみつめていると宇宙につながっている』(2010年 新潮社)

第3章 研究結果

 本章では、まど・みちお氏の作品全1157編の分析結果を中心に、研究によって明らかになったことを述べる。第1節では詩と童謡の分類結果を、第2節では文字の使われ方を、第3節では分析項目ごとに研究結果をまとめる。第2・3節においては、作品全体の傾向と、詩と同様の比較の2つの観点から表現特性を明らかにする。

第3章 第1節 詩と童謡の割合

 本節は2つの項からなる。まず第1項において『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)における詩と童謡の割合をみていく。次に第2項において、その割合を10年区切りで捉えなおし、詩と同様の割合の推移をみていく。

第3章 第1節 第1項 全体の割合

『まど・みちお全詩集』韻文編に掲載されている作品、全1157編を対象に詩か童謡かどちらの形をもって出版されたのかを調査したところ、以下のような結果になった。

詩 :407作品(全体の約34.8%)
童謡:576作品(全体の約49.8%)
不明:174作品(全体の約15.1%)

 円グラフから分かるように、詩と童謡のおおよその割合が7:10と、童謡と比較して詩の割合が低くなっている。このような結果になった大きな原因の一つとして、詩と判断する際の材料不足が考えられる。童謡は作曲者や童謡雑誌や童謡集など、曲がつけられていることや「童謡」と銘打たれている物であれば、すぐにそれと判断できる。つまり童謡の場合は、数多ある判断基準の中で一つでもあてはまるものは全て童謡である、と判断できたのである。一方で詩の場合は、「詩」の表記があっても、その場において「童謡」と「詩」が使い分けられている場合でないと「詩」であると認めることができなかった。実際に調査の過程で、「詩」という紹介のされ方をしていたにもかかわらず、同じ図書・雑誌内で詩と童謡の明確な区別が見受けられなかったため「不明」という分類にせざるを得なかった作品は少なくない。「詩」が時に「童謡」まで内包した意味で用いられることがある、という事実から、今回も「詩」の判断に関しては、慎重にならざるを得なかったのである。以下に「不明」の例を引用する。

@目次に「詩」とあったものの「童謡」の記載がなかったもの
<例>「今ここで見ることは」
今ここで見ることは 思うことなのか
「今」の前と後(うしろ)に
無限につづく 明日(あした)と昨日(きのう)とを…
「ここ」からはじまる宇宙の
無限のひろがりを…

しみじみと 美しい
はるばると まぶしい
今のところ このへんで
たとえば ヤナギである ヤナギが
雲である 雲が
ウシである ウシが
アメンボである アメンボが

ほんとに今のところ このへんで
それらの それぞれを
まぎれもなく それらの それぞれに
していてくださるお方の
お心の願いが…

今のところ このへんで
まぎれもなく
それらの それぞれの中の ひとつぶ
人間に
してもらえている 人間のぼくには…
<初出・底本>「日本児童文学」1975年12月号(第21巻第13号)12月1日 日本児童文学者協会 **一部改稿 ☆
A詩とも童謡とも紹介がなかったもの
<例>「父さんお帰り」
金魚色した
西日みち
蜜柑(みかん)の皮が
おちていた

蟻(あり)がぐるぐる
歩いてた
それを見ながら
ひとりボク

父さんお帰り
待っていた
シンとしていた
天も地も。
<初出・底本>「童話時代」第18号 1935年5月1日 童話時代社 **一部改稿

第3章 第1節 第2項 年代ごとの特徴の推移

 本項では、作品数及びその中での詩と童謡の数を年代ごとに分け、それについて結果の分析をすすめる。なお、今回年代を分ける際には、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)の目次にある時代区分に従った。基本的には10年で1区分になっているが戦後1945年から1959年にかけの年代のみ15年で1区分になっている。
 推移をみていくにあたっては、年代ごとに「詩」「童謡」「不明」の数をそれぞれ表した次の表にしたがってすすめて、全体の作品数の推移とその中における詩と童謡の割合の推移の大きく2つに分けて考えていく。

年代ごとの作品数
1934
〜1944年
(25〜35歳)
1945
〜1959年
(36〜50歳)
1960
〜1969年
(51〜60歳)
1970
〜1979年
(61〜70歳)
1980
〜1989年
(71〜80歳)
9683326631
童謡108722926936
不明202175084
全体137142342385151
※西暦の下の( )内は、当時のまど・みちお氏の年齢を表す。表内部の数字は作品数を表す。
作品数の推移について

 作品数の推移に関しては、下の棒グラフからも、1960〜1969年と1970〜1979年の作品数の多さが他の年代と比較して群を抜いているということがはっきりと読み取ることができる。1960年代から作品数が大幅に増えたことの大きな一因としては、まど・みちお氏が1959年に国民図書刊行会を退社したことが考えられる。実際に『まど・みちお全詩集』年譜の1959年のところには「国民図書刊行会を退社し、詩・童謡の創作に専念する。」とある。なお、1980年以降の作品数の大幅な減少についての原因は明らかにすることができなかったが、氏の年齢も関係しているのではないか、という憶測はできる。


詩・童謡の割合の推移について
 次に、各年代の作品数を100%と考えたときの「詩」「童謡」「不明」の割合について、その推移を明らかにしていく。今回、割合の推移から明らかになったことは、大きく2つある。
 1つめは、初期の作品に童謡が多く、徐々に詩の割合が増えていく、ということである。このことについては、かねてから以下のように言及されていた。
一九六八年、五八歳で最初の詩集『てんぷらぴりぴり』(大日本図書)を出版し、野間児童文芸賞を受賞した。この詩集がきっかけで、それまで童謡中心に書いてきたまどの内部に詩作への意欲が強く湧き、この後に数多くの詩が生まれた。
(谷悦子『まど・みちお 研究と資料』1995年 和泉書院)
 谷氏も述べている通り、1970〜1979年の内訳は詩が約69%と、その前の年代の約9.6%と比較すると大幅に増加している。1945〜1959年には詩の作品数が多い、1980〜1989年には詩と童謡が同じ比率で発表されている、という例外もあるものの、1980〜1989年は作品数自体が少ない。1980〜1989年は「不明」が多く実際の内訳は不明瞭であることを踏まえると、全体的な推移として、前半に童謡が多く後半に詩が多いということができる。
 2つめは、近年に「不明」の作品数の多さが目立つことである。「不明」の作品自体は全部で177編存在する。その中で84編、実に「不明」全体の約47.4%が1980〜1989年に集中していることが分かる。下の棒グラフからも、他の年代において「不明」が占める割合が20%に満たないのに対し、1980〜1989年だけは151作品中84作品、つまり年代の約55.6%と、「不明」が過半数を占める状態となっていることが分かる。こういった状況を作りだしている最も大きな原因の1つが、「詩」の定義が不明瞭な詩集の出版が相次いだことだと考えられる。1980年代には、まど・みちお『いいけしき』(1981年 理論社),まど・みちお『しゃっくりうた』(1985年 理論社),まど・みちお『くまさん』(1989年 童話屋)といった詩集が出版されている。しかし、それらに掲載されている作品が、童謡と区別されたうえで、詩のみ掲載されている、という証拠を見つけることができなかったため、それらの詩集が初出の作品に関しては全て「不明」という扱いになっている。
 また、これまで述べてきたとおり、「不明」と判断した作品のほとんどが、雑誌や詩集などにおいて、「詩」と銘打たれているにもかかわらず、童謡と厳密に区別しているという証拠が発見できなかったために、「不明」としている作品である。したがって、参考までに「不明」が全て「詩」であった場合の作品数の推移を掲載する。
 「不明」の内容が全て「詩」であると仮定した場合、先に特徴として述べた、「初期の作品に童謡が多く、徐々に詩の割合が増えていく」という推移にもあてはまり、むしろ1980年〜1989年に多かった不明が全て詩になることで、1969年までとそれ以降で詩と童謡の比率の逆転が、よりくっきりと示されるようになった。

第3章 第2節 文字の使われ方

作品全体(全1157作品)
漢字種延べ文字数異なり文字数
漢字外168697省略
第1学年394479
第2学年2818153
第3学年1224159
第4学年511119
第5学年15864
第6学年50886
教育漢字以外の常用漢字560216
常用漢字以外の漢字399150
合計1788191026
1作品当たりの平均文字数…約154.6字

 本節では、作品の表記に関して、どのような文字の使われ方をしているのか、詩と童謡それぞれの作品本文を対象に行った調査から、傾向を明らかにしていく。ここで取り上げる文字の使われ方とは、作品全体における漢字・ひらがなの使われる割合のことである。第2章第2節でも述べたが、今回文字の使われ方を調べるにあたっては、大阪教育大学国語教育講座教員の野浪正隆氏による「野浪研究室」内の「漢字種別ルビ表示ページ」を使用した。
 作品全体、詩のみ、童謡のみで調査した結果は、左のようになった。


作品全体の表現特性について

 作品全体の表現特性について明らかなものは、低学年(1〜3年生)で学習する漢字が多く使用されている、ということである。低学年で学習する新出漢字の数は合計440字であり、ここではそのうちの391種類と、全体の約88.9%の漢字が使用されている。一方、高学年で学習する新出漢字の数は合計で566字であり、ここではそのうち269種類と、全体の約47.5%が使用されている。漢字の使用率を比較すると低学年で学習する漢字の出現率は高学年のそれと比較して2倍近くになる。また、単純に数だけを比較しても述べ文字数では低学年の漢字数(7986字)が高学年の漢字数(1177字)の約6.8倍となり、異なり文字数でも約1.5倍となっている。これらのことから、童謡においては低学年で学習する漢字が高学年に学習する漢字と比較して多く使用されている、といえる。


詩と童謡の表現特性について
詩(全407作品)
漢字種延べ文字数異なり文字数
漢字外62570省略
第1学年231676
第2学年1566139
第3学年658135
第4学年23790
第5学年6535
第6学年25752
教育漢字以外の常用漢字21994
常用漢字以外の漢字11750
合計68005671
1作品当たりの平均文字数…約167.1字

 表の数値を比較することにより明らかになった詩と童謡の表現特性の違いは、大きく3つあった。
 1つめは、詩の方が1作品当たりの文字数が多い、ということである。詩では407作品の合計文字数が68005字であり、1作品当たりの文字数は約167.1字になる。童謡では、576作品の合計文字数が84572字であり、1作品当たりの文字数は約146.8文字である。詩の中には、以下の例で示すような短詩が96編含まれている。にもかかわらず、詩1作品あたりの文字数が童謡のそれを上回ったということは、短詩を除いた詩で考えるとすると、詩の方が童謡と比較して、圧倒的に文字数が多い、という結果が予想できる。


<例>短詩
   「シマウマ」
手製の
おりに
はいっている
<初出>サトウ・八チロー選『世界の絵本 少年詩歌集』所収「スケッチブック」1951年4月5日 新潮社
<底本>まど・みちお詩集『てんぷらぴりぴり』1968年6月10日 大日本図書 ☆
 2つめは、常用漢字の範囲内において童謡より詩の方が多種多量の漢字が使用されている、ということである。作品数や総文字数において詩より童謡のほうが多いにもかかわらず、資料の延べ文字数、異なり文字数ともに全学年において、詩の漢字の量が童謡のそれを上回っている。なお、教育漢字以外の常用漢字の異なり文字数のみ童謡の方が多くなっているが、詩と童謡は母体となっている作品数が異なり、1作品あたりの異なり文字数の出現率を計算してみると、詩では約23%、童謡では約17%と詩のほうが1作品あたりの出現率が多いことが分かる。これらのことから、詩のほうにより多くの種類、多くの量の漢字が使用されている、といえる。
 3つめは、常用漢字以外の漢字においては、詩より童謡の方が多種多量に存在する、ということである。童謡の常用漢字以外の漢字には「頬」「葱」「餅」など、現在でも目にする機会があるものから、「筥」「鹹」などほとんど生活上見ることのない漢字まで、幅広く使用されていた。延べ文字数、異なり文字数ともに童謡の方が多くなっており、これは1文字あたりの出現率で調べた場合や1作品あたりの出現率で調べた場合にも同じ結果となる。以下の表は、それぞれの計算結果である。なお、異なり文字数における1文字あたりの出現率に関しては、漢字以外の異なり文字数が出力されなかったため今回は省いた。

童謡(全576作品)
漢字種延べ文字数異なり文字数
漢字外82272省略
第1学年85772
第2学年540119
第3学年24177
第4学年13652
第5学年4527
第6学年10739
教育漢字以外の常用漢字188102
常用漢字以外の漢字186101
合計84572589
1作品当たりの平均文字数…約146.6字

常用漢字以外の漢字出現率
童謡
述べ文字数・1文字あたりの出現率0.17%0.22%
述べ文字数・1作品あたりの出現率28.70%32.29%
異なり文字数・1作品あたりの出現率12.30%17.53%
※全て少数第3位を四捨五入している。

 以上の結果から、出現率で考えた場合、全てのパターンにおいて童謡の方が多くの量で、多くの種類の常用漢字以外の漢字が使用されている、といえる。
 これらの結果を受けて、さらに詳しく分析を行った。第4章第1節で述べたとおり、まど・みちお氏の初期の作品には童謡が多い。そして第2章第1節で述べたとおり、まど・みちお氏は初期の作品を発表した頃、台湾にいた。そのことから、初期の作品には台湾が舞台として書かれた作品が数多くあり、台湾での独特の漢字が使われた単語が随所に見られる。(例を参照)これらのことから、詩より童謡の方に常用漢字以外の漢字が用いられている理由として台湾滞在時代に書いた作品に多く常用漢字以外の漢字が登場するからではないかと考えた。その仮説を立証すべく、まど・みちお氏が台湾に滞在していた1943年まで、つまり戦前に発表された童謡について、その漢字種別ルビを調べた。調査結果は以下のとおりである。


<例>台湾滞在時代の作品(童謡)
   「ギ(※)仔(ナ)さん」
甘蔗(かんしょ)を食べている ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知(ゴアムウツアイ)」
甘蔗を半分 折ってくれた。
水牛番してる ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知」
水牛にもたれて お顔かくした。
龍骨車(りゅうこっしゃ)ふんでる ギ仔さん、
「ギ仔さん」と よんだら、
「我不知」
キイ、キイ、ゴポ、ゴポ、スピード出した。
注・ギ仔=台湾語にて、子供の意。
 ・我不知=台湾語にて、知りませんの意。
 ・龍骨車=灌漑用の揚水踏車
<初出・底本>「昆虫列車」第3輯 1937年7月1日 昆虫列車本部
台湾滞在時代(戦前)の童謡(全107編)
漢字種延べ文字数異なり文字数
第1学年48760
第2学年427109
第3学年21271
第4学年10346
第5学年4426
第6学年9935
教育漢字以外の常用漢字17494
常用漢字以外の漢字185101
合計15352542
※数字は文字数を表す。

 まど・みちお氏が台湾に滞在していた時発表した童謡の数は107作品と、氏の童謡全576編に占める割合の5分の1程度である。にもかかわらず氏の全童謡作品における常用漢字以外の漢字の全種類がこの時代に出現している。このことから、童謡で常用漢字以外の漢字が使われていたのは初期の頃であるといえる。しかしながら、初期の作品に常用漢字以外の漢字が多い理由は、台湾滞在時代に発表したからである、ということで確定することができなかった。なぜなら、台湾滞在時代が戦後というくくりと同じ時期にあたることから、戦前であることが理由であることも考えられるからである。このことを受け、戦前に発表された詩の調査に関する結果を以下に掲載し、戦前の常用漢字以外の漢字の使われ方について考えていく。

戦前の詩(全9編)
漢字種延べ文字数異なり文字数
漢字外1314省略
第1学年8733
第2学年7840
第3学年2517
第4学年1414
第5学年75
第6学年139
教育漢字以外の常用漢字4218
常用漢字以外の漢字5024
合計1630160
※数字は文字数を表す。

 まど・みちお氏が戦前発表したと分かっている童謡の数は9作品と、詩全407編に占める割合の45分の1程度である。しかし、まど・みちお氏の全詩作品において使用されている常用漢字以外の漢字合計50種類のうち半数近くが戦前に現れ、文字数も117字のうち50字と、半数に迫る数が使用されている。このことから、詩においても戦後に比べて戦前の方が、常用漢字以外の漢字が多く使用されていたことが分かる。
 ここまでの戦前の作品のみを対象にした調査をまとめると、詩・童謡ともに常用漢字以外の漢字は戦前に多く使用されており、特に童謡においてその傾向は顕著に表れている、ということが明らかになった。しかしながら、他にも、常用漢字の範囲が変遷してきていることなども考えれば、その原因を推測することはできたものの、特定するには至らなかった。


第3章 第3節 各項目の分析結果

 本節では、まど・みちお『まど・みちお全詩集』(2001年 理論社)の分析結果を明らかにし、そこから見えてきたことを各項目ずつ、作品全体の表現特性,詩と童謡の表現特性に分けて述べていく。なお、本節をすすめるにあたって、分析結果の出し方及び説明の際に使用する単語について、必要と思われるものを説明する。
 まず、使用する言葉について説明する。第2章第3節で述べた分析項目と、その項目の中の項目について、同じ「項目」という単語を使用すると、誤解を生じる恐れがあるため、分析項目を「項目」とし、項目の中の項目を「細目」とした。例えば、構成という分析項目には@からCの細目がある、ということである。
 次に、詩と童謡の分析結果に関する表の出し方について説明する。詩と童謡の分析結果は、表とグラフによって提示するが、表は2種類用意している。1種類目は、作品数の表である。これは、対象となっている細目にあてはまった作品の数を表す。2種類目は、詩・童謡全体における割合である。第4章第2節において述べたことであるが、今回調査の結果、詩の数より童謡の作品数の方が170編程度多くなっている。そのことから、作品数だけで詩と童謡を比較してしまうことで、正確な分析結果が現れない可能性がある。そこで、作品数を詩・童謡の総数で割って100を掛けた「割合」の表を用意した。

<例>

@題名に関わる項目分析結果(詩と童謡・出現回数)
主人公背景対象見立て行為そのもの冒頭主題内容その他
30572076728161110
童謡4899244103961456611
A題名に関わる項目分析結果(詩と童謡・割合)
主人公背景対象見立て行為そのもの冒頭主題内容その他
13.50%14.00%50.10%16.40%0.40%2.00%3.90%2.70%2.50%
童謡8.30%17.20%42.40%1.70%6.80%10.60%7.80%11.50%1.90%

 以上のように、表の上にそれぞれ名前をつけ、作品数を表現している分析結果を先に、その後ろ(項目数が少ない場合は右に並べて)にそれぞれの割合を提示する、という順番にしている。
 次に、分析結果の出し方について説明する。今回分析項目ごとに分析結果の統計をとったが、下の例のように、分析項目のなかでもあてはまる細目を全て選ぶような分析項目では、結果として出てくる際に組み合わせの種類が多くなっている作品がある。下の例では、構成の@が出ている作品は「@」「@、A」「@、A(B)」「@、A、B」「@、A、C」「@、B」「@、B、C」「@、C」と、全部で8種類ある。

<例>複数の細目があてはまる分析項目「構成」
@@
A
@
A
(B)
@
A
B
@
A
C
@
B
@
B
C
@
C
AA
(B)
C
A
C
A
(B)
BB
C
C
2832323421123424026427427721122

 このように、同じ@が出現している場合でも、@単独で出現した場合と@と他のものも同時に出現した場合とで、それぞれ別の場所に表示されることとなる。そうして分析結果の種類が増えることで、作品数が分散し、表現の傾向がつかみにくくなる恐れがある。それを防ぐため、説明用の単語を「組み合わせ別」と「出現回数」の2種類用意することとした。「組み合わせ別」とは、細目の組み合わせを考慮した結果のことである。例えば「構成」において「A」の組み合わせ別の数は264編となり、「A(B)、C」や「A、C」とは区別される。一方「出現回数」は、ある特定の細目の合計となる。例えば「構成」におけるAの出現回数は、34+21+1+2+264+2+7+42=373編となる。
 次に、分析結果の提示について説明する。分析結果の説明の際、しばしばパーセンテージ(%)を示しているが、これは小数第2位を四捨五入して求めるということにしている。ただし、円グラフに記載されているパーセンテージは、小数第1位を四捨五入し整数で記している。
 最後に、本節ではたびたび「詩の表現特性」「童謡の表現特性」などという言葉が登場するが、ここで使用する意味は、あくまでまど・みちお氏の作品における詩・童謡の表現特性であることを断わっておく。

●題名に関わる項目
○題名が表現しているもの

 本項目は、あてはまる細目を全て選択していく、という方法で分析をすすめたため、組み合わせ別の分析では作品数が分散してしまい、表現特性がでにくいと考えた。したがって、本項目の調査結果の分析は、出現回数をもとにすすめることとする。

作品全体  細目ごとの出現回数は、下の表のようになる。
題名に関わる項目分析結果(作品全体・出現回数)
主人公背景対象見立て行為そのもの冒頭主題内容その他
88196538834680708528
※数字は作品数を表す。
 細目ごとにみると、多い順に「対象」,「背景」,「主人公」,「見立て」,「内容」となっており、特に「対象」は作品全体の約半数の作品の題名になっている。これらの結果を受けて大きく2つのことが明らかになった。
 1つめは、作品の登場人物が題名に起用される場合が多い、ということである。分析結果を受けて、「対象」,「主人公」,「見立て」など、作品世界に登場する人物が題名に表されている場合が多いのではないかと考え、作品全体で「対象」,「主人公」,「見立て」のいずれかにあてはまっている作品の数を調査した。その結果、1157編中701編、つまり約60.6%の作品において、作品内に登場する人やものを表す題名がつけられていることが分かった。
 2つめは、登場人物が題名になっている作品では、その登場人物の心理が描かれない場合が多い、ということである。先に、登場人物を表す題名が多い、ということを述べたが、この結果を受けて、登場人物がどのような描かれ方をしているのかについて、さらに分析をすすめた。第2章第3節で述べた通り、「主人公」と「対象」は、そのものの心理が描かれているか否かが判断の基準であった。したがって先に挙げた「対象」,「主人公」は、その題名が表す人やものについて、作品内にそのものの心理を表す表現が見られる「主人公」と、見られない「対象」に分けることができる。上の表より、出現回数は「主人公」が88作品であるのに対し、「対象」は538作品になっており、「主人公」の6倍以上である。この割合が全作品における登場人物の描かれ方になるわけではないが、出現回数の時点で「対象」が全作品数の半数に迫る数字を出していることも加味すると、まど・みちお氏の作品世界に登場する人物は、心理が描かれないことが多いと考えられる。
 以上2つのことが、出現回数の調査結果から明らかになったことである。ここからは、上に挙げた細目からさらに分類できる「主題」と「背景」の内訳について考えを深めていく。
 「主題」は「+」と「−」に分類できるが、その内訳を調べると以下のようになった。
※数字は作品数を表す。
 グラフから、主題が題名になる場合は、そのほとんどが希望や喜びなど+の思いが込められたものである、といえる。
 「背景」は、「もの」,「場所」,「とき」,「状況」の4つに分類することができるが以下のような割合で存在していることが分かった。
数字は作品数を表す。なお、作品数の和が先に出現回数の表で示した「背景」の数より多くなっているが、これは、1つの作品の中で背景の分類が複数あてはまる作品がいくつかあったためである。
 グラフより、背景が題名として描かれる場合は、「状況」が描かれることが最も多いということが分かった。

詩と童謡の比較
詩と童謡の調査結果は以下の表のようになった。
題名に関わる項目分析結果(詩と童謡・出現回数)
主人公背景対象見立て行為そのもの冒頭主題内容その他
30572076728161110
童謡4899244103961456611
※数字は作品数を表す。

題名に関わる項目分析結果(詩と童謡・割合)
主人公背景対象見立て行為そのもの冒頭主題内容その他
13.50%14.00%50.10%16.40%0.40%2.00%3.90%2.70%2.50%
童謡8.30%17.20%42.40%1.70%6.80%10.60%7.80%11.50%1.90%

 表から読み取れる詩・童謡の表現特性は、大きく分けて5つあった。
 1つめは、詩において「対象」,「主人公」,「見立て」など作品世界に登場する人物が題名に表されている場合が多いということである。全詩作品の中で「対象」,「主人公」,「見立て」が1つでも表現されている作品は302編と、約74.2%にものぼることから明らかである。この特性は作品全体の所でも述べたが、作品全体の特徴でもあり、特に詩において際立っているといえる。
 2つめは、「行為そのもの」が題名になっている作品は童謡に多い、ということである。詩のうちで、「行為そのもの」が題名になっている作品は、0.4%であり、童謡では、6.8%である。また、作品全体の中で「行為そのもの」が題名で表現されている作品の内訳は以下のようになる。
 グラフより、「行為そのもの」を表す題名は、童謡によって使用されることが多い、といえる。
 3つめは、「冒頭」が主題になっている作品は童謡に多い、ということである。詩のうちで「冒頭」が題名になっている作品は2.0%であり、童謡は10.6%である。また、作品全体の中で「冒頭」が題名で表現されている作品の内訳は以下のようになる。
 
 グラフより、「冒頭」を表す題名は、童謡によって使用されることが多い、といえる。
 4つめは、「主題」が主題になっている作品は童謡に多い、ということである。詩のうちで「主題」が題名になっている作品は3.9%であり、童謡は7.8%である。また、作品全体の中で「主題」が題名で表現されている作品の内訳は以下のようになる。
 グラフより、「主題」を表す題名は、童謡によって使用されることが多い、といえる。
 5つめは、「内容」が題名になっている作品は童謡に多い、ということである。詩のうちで「内容」が題名になっている作品は2.7%であり、童謡は11.5%である。また、作品全体の中で「内容」が題名で表現されている作品の内訳は以下のようになる。
 
 グラフより、「内容」を表す題名は、童謡によって使用されることが多い、といえる。
 次に、上に挙げた細目からさらに分類できる「背景」の内訳について考えを深めていく。背景の内訳は、下の表のようになる。
「背景」の内訳(詩と童謡・出現回数)
状況ものとき場所合計
142381457
童謡5314221399
※数字は作品数を表す。
 なお、作品数の和が先に出現回数の表で示した「背景」の数より多くなっているが、これは、1つの作品の中で背景の分類が複数あてはまる作品がいくつかあったためである。
「背景」の内訳(詩と童謡・割合)
状況ものとき場所合計
24.60%40.40%14.30%24.60%57
童謡53.50%14.10%22.20%13.10%99
※詩・童謡における「背景」の中のそれぞれの割合を表す。
 ここから2つのことを読み取ることができた。
 1つめは、詩は題名に背景が表現される際に、「もの」が描かれることが多い、ということである。上の表においても、詩の「もの」にあたる作品数および割合が他と比較して多いことが明らかである。また、ここで先に述べた「詩において『対象』,『主人公』,『見立て』など作品世界に登場する人物が題名に表されている場合が多い」という表現特性があったことと関連付けてみると、詩は背景だからという理由ではなく、全般的に作品世界に登場する人物が題名として表現されるという特性があるといえる。
 2つめは、童謡は題名に背景が表現される際に、「状況」が描かれることが多い、ということである。上の表においても、童謡の「状況」にあたる作品数が他と比較して多いことが明らかである。また、ここで先に述べた「『行為そのもの』,『冒頭』,『主題』,『内容』は童謡において題名に選ばれることが多い」という分析結果を振り返ってみる。「冒頭」,「行為そのもの」は少し異なるものの、「主題」,「内容」はどちらも、具体物ではなく行動や出来事を要約したもの、という点で共通している。このことは前段落で述べた、詩によく用いられる題名に共通している「登場人物」とは対をなすといえる。本段落にて明らかにした、童謡に多く用いられている「背景(状況)」も具体物ではなく、場面を要約しているという点で「主題」,「内容」と共通している。したがってこれまで述べてきた童謡の題名のつけ方をまとめると、作品を要約したような題名が多くつけられる傾向があるといえる。
 最後に、本項目の分析で述べてきたこと全体をまとめる。
 作品全体の表現特性は、@作品の登場人物が題名に起用される場合が多いA登場人物が題名になっている作品では、その登場人物の心理が描かれない場合が多いB主題が題名になる場合は、そのほとんどが希望や喜びなど+の思いが込められたものであるC背景が題名として描かれる場合は、「状況」が描かれることが最も多い、の4つであるといえる。
 詩の表現特性は、作品世界に登場する人物が題名として表現される場合が多い、ということである。
 童謡の表現特性は、作品を要約したような題名が多くつけられる場合が多い、ということである。

●本編に関わる項目
T表記に関わる項目
○漢字
作品全体 ※グラフ内の数字は作品数を表す。
 漢字が作品内に含まれている作品は500作品であり、全体の約43.2%と、半数に満たなかった。したがって、まど・みちお氏の作品はひらがなとカタカナ、記号のみで構成された作品が、過半数を占めているといえる。
 また、第4章第2項において作品全体における漢字の述べ文字数が10122字であることを明らかにしたが、それらの漢字が500作品の中に含まれていると考えると、漢字が含まれている作品は1作品当たり平均20.2字の漢字が使用されていることが分かる。

詩と童謡の比較
 詩と童謡の「漢字」の有無を調査した結果、右の表のような結果となった。
詩は全407作品中282作品と、過半数に漢字が見られた。これは、詩全体の約69.3%にあたる。一方、童謡は全576作品中108作品で全体の約18.7%と、5分の1程度にとどまっており、詩と比較して少ない割合になっている。このことは、以下にある、詩・童謡それぞれの100%積み上げ棒グラフで比較すると、明らかである。
漢字の有無(詩と童謡)
作品数割合
漢字ありなし漢字ありなし
28212569.30%30.70%
童謡10846818.80%81.20%

 したがって、詩と童謡を比較した場合、詩のほうに多く漢字が用いられているといえる。
○特別な読みをさせる漢字
作品全体
グラフの数字は作品数を表し、母数を漢字が含まれている作品の数である500作品としている。
 特別な読みをさせる漢字は、44作品であった。ここで1点注意しておきたいことは、この項目は、前項目である「漢字」において、漢字が含まれているとした500作品を対象に行ったものであるということである。したがって、「特別な読みをさせる漢字」を「漢字」を含む作品に均等に配置すると仮定した場合、漢字が使用される作品の9%において、特別な読みをさせる漢字が含まれているということになる。

詩と童謡の比較
特別な読みをさせる漢字(詩と童謡)
作品数割合
ありなしありなし
163913.90%96.10%
童謡372866.40%49.70%

 詩と童謡それぞれの調査結果は左の表のようになった。詩においては全体の約4.1%、童謡においては全体の約12.9%と、それぞれの作品数全体に占める割合は童謡の方が三倍近く多くなっている。しかし詩も童謡も、多くの作品が特別な読みをさせる漢字を含んでいない、という結果になった。

U構成に関わる項目
○構成
 本項目は、あてはまる細目を全て選択していく、という方法で分析をすすめたため、組み合わせ別の分析では作品数が分散してしまい、表現特性がでにくいと考えた。したがって、本項目の調査結果の分析は、出現回数をもとにすすめることとする。
 分析に入る前に、本項目で用いる細目は数字で表現しており分かりづらさもあるので、いったん数字と意味を振り返る。
 @…出来事や物事が作品の中で進行され、変化している。
 A…一つの場面・物事が多角的に捉えられている。
 B…表現対象が複数並列されている。
 C…現実の物事から想像している。
 
作品全体
構成(作品全体・出現回数)
構成@ABC
出現回数366373181167

 作品全体の出現回数は、左の表のようになった。この結果から分かることは、全体の約3分の1の作品が@やAの構成、つまり進行が描かれたり1つの場面を多角的に描かれたりしている、ということである。しかしながら、全ての細目において、半数を超えるものがなかったため、まど・みちお作品の際立った表現特性と言えるものはなかった。

詩と童謡の比較
構成(詩と童謡)
出現回数割合
@ABC@ABC
97813910723.80%19.90%9.60%26.30%
童謡2343391191540.60%58.90%20.70%2.60%
 詩と童謡それぞれの調査結果は、上のようになった。この結果から明らかになったことは4つあった。
 1つめは、「現実の物事から想像されること」は詩において表現されることが多い、ということである。詩と童謡を比較すると、Cの細目に詩の作品数が多いことは一目瞭然である。作品全体でCの構成になっている作品は167作品あり、そのうち107作品、つまり約64.1%が詩にあたる。このことから、作品全体においてC「現実の物事から想像されること」で構成されている作品自体多くないが、Cの構成が使用されるときは、詩において使用されやすいといえる。
 2つめは、童謡において@、つまり出来事や物事の進行が見られる構成になっている作品が多い、ということである。詩における@の出現率が約23.8%であるのに対し、童謡のそれは約40.6%であることから分かる。
 3つめは、童謡においてA、つまり一つの場面・物事が多角的に捉えられる構成になっている作品が多いということである。詩におけるAの出現率が約19.9%であるのに対し、童謡のそれは約58.9%と、半数を上回っていることから分かる。
 4つめは、童謡においてB、つまり表現対象が複数並列される構成になっている作品が多いということである。詩におけるBの出現率が約9.6%であるのに対し、童謡のそれは約20.7%となっていることから分かる。
 また、第2章第3節「分析項目について」で述べたが、一つの場面を多角的に描きながらも、描く対象が連ごとに変化しているという構造をもつ作品についてはA(B)と記した。それにあたった作品数は、詩で15編、童謡で36編となり、童謡の方が多くなった。
 本項目でこれまで述べたことをまとめていく。全体の表現特性として本項目では、際立った表現特性を見つけることができなかった。詩は、童謡と比べて現実とそれに対する思いを述べる、という構造を有している作品が多いという表現特性がある。童謡は、1つの場面や物事を多角的に捉える構造になっている作品が半数以上を占めており、主な表現特性となっている。それに加えて童謡は詩と比較して場面の進行を描いた作品や、表現対象が複数挙げられる作品が多い、ということも特徴となっている。

V叙述に関わる項目
○非現実の要素
作品全体
※グラフの数字は作品数を表す。
 非現実の要素が、少しでも含まれているもの(非現実の世界+現実における非現実)は416編と、全体の約40.0%にのぼった。非現実の要素が含まれている作品の中では、最初から非現実の世界を舞台に作品が展開しているもの(「非現実の世界」)と、現実の世界を基にして非現実の世界を描いている作品(「現実における非現実」)では、現実の世界を基に非現実を描いている作品の方が多くなっていることも明らかになった。
詩と童謡の比較
 詩と童謡の調査結果は下の表のようになる。「不明」となっているのは、例のように視点の在りかが特定できないものであった。
不明だったもの
<例>「メモあそび」内の「ゴボウ」
なまえの とおり
ぼうで ございます
<初出・底本>『まど・みちお少年詩集 いいけしき』1981年2月 理論社

非現実の要素(詩と童謡)
作品数割合
非現実
の世界
現実に
おける
非現実
非現実
の要素
なし
不明非現実
の世界
現実に
おける
非現実
非現実
の要素
なし
不明
2311526365.70%28.30%64.60%1.50%
童謡93105377116.10%18.20%65.50%0.20%
 「ゴボウ」は、ゴボウ自らが語っているのか、ゴボウを見ている第三者によって語られているのか特定できなかったため、不明に含めた。
 結果を見ると、童謡に「非現実の世界」つまり作品の舞台が、動物が喋るなどの非現実の世界となっている作品が多いことが分かる。以下に、細目ごとに色分けした100%積み上げ棒グラフを示す。
 グラフからも分かるように、「非現実の世界」の項目は詩・童謡ともに20%未満と多いとはいえないが、割合としては童謡の方が高いことが分かる。また、作品全体の非現実「非現実の世界」の作品数は127編であり、童謡がそのうちの約73.2%を占めることを考えると、まど・みちお氏の作品において、非現実の世界が舞台になっている作品は、その多くが童謡である、といえる。

○会話・会話の内容
作品全体
会話の有無(作品全体)
会話ありなし不明
2988572
※数字は作品数を表す
作品全体において、会話の有無は左の表のようになった。会話が含まれているものは298編と全体の4分の1程度にとどまった。
 次に会話の内訳をみていく。会話がみられる作品を対象に調査した結果、内訳を円グラフで表すと下のようになった。

 会話の内容において組み合わせ別で数が多かったものから順に4つあげると、呼びかけ(125作品)、質問と返答(54作品)、語りかけ(30作品)、あいさつ(24作品)となる。また、出現回数となると、呼びかけは140作品、質問と返答は59作品となる。この結果を受けて、相手に何かしらの働きかけがなされる内容の会話が多い、という結果が出た。「相手に働きかける」とは、あいさつや語りかけなど発話者が一方的に話すもものではなく、呼びかけや質問など、相手に何かしら行動を促したり返事を求めて尋ねたりする、ということである。今回相手に働きかけるものとしては、あいさつと語りかけ以外の項目を選択したが、これらすべての項目を足し合わせると244作品と、会話が見られた作品298作品の実に約81.9%にのぼった。このことは下の円グラフからも明らかである。


詩と童謡の比較
 詩と童謡それぞれの調査結果は下の図のようになった。詩においては全体の約18.2%、童謡においては全体の約33.3%と、それぞれの作品数全体に占める割合は童謡の方が2倍近く多くなっている。しかし双方とも、話がない作品の方が多い、という結果になった。
会話の有無(詩と童謡)
作品数割合
会話あり会話なし不明会話あり会話なし不明
74333018.20%81.80%0.00%
童謡192383133.30%66.50%0.20%
 会話の内訳は、詩と童謡ともに呼びかけが最も多く、次いで質問と返答が多いという同じ結果になった。また、会話の内訳に、働きかけがあるものの占める割合は、詩が、会話が見られた74作品中62作品で83.8%、童謡が128作品で約66.7%と、詩の方が若干相手に向けた働きかけが多くみられた。そして今回注目すべきなのが、会話の往復が見られる項目についてである。会話の往復とは、話し手が相手に向かって話したことに対し、相手が何かしらの返事をしていることをさす。あてはまる細目を挙げると、「呼びかけと応答」「質問と返答」「語りかけと応答」の3つの細目である。これらが1つでも含まれている作品の数を調べたところ、会話が見られた作品全体に占める会話の往復の割合は、以下の棒グラフのようになった。


 詩と比較して童謡の方が会話に往復がみられる確率が高いことは一目瞭然である。また、作品全体における会話の往復の数が79作品であり、そのうち79.4%の63作品と、童謡が占めることから、会話の往復は童謡に使用されることが多い表現特性である、ということができる。

○独り言
作品全体
独り言の有無(作品全体)
独り言の主体対象語り手その他独り言
なし
不明
作品数207211271
 作品全体における、独り言の有無は、右のようになった。独り言が含まれている作品は29編と、全体の約2.6%にとどまった。独り言の内訳は、対象による独り言が全体の約67%と、最も多かった。

詩と童謡の比較  独り言が見られた作品は、詩は14編、童謡は13編と、童謡ともに作品全体の10%に満たない結果となった。独り言の内訳は、詩・童謡ともに対象の独り言が10作品と、最も多い結果となった。

○読者への語りかけ
作品全体
読者への語りかけの有無(作品全体)
語りかけありなし不明
9510602
※数字は作品数を表す。
 作品全体における、読者への語りかけの有無は下のようになった。語りかけが見られる作品は95編と、全体の約2.6%と低くなっている。この結果から、まど・みちお氏の作品には読者へ直接語りかける作品が少ないといえる。

詩と童謡の比較
読者への語りかけの有無(詩と童謡)
作品数割合
ありなし不明ありなし不明
2538206.10%93.90%0.00%
童謡5751819.90%80.90%0.20%
※数字は作品数を表す。

 詩と童謡における、読者への語りかけの有無は右のようになった。語りかけが見られる作品の数は、童謡が詩の2倍以上と多くなっている。しかしながら、作品全体における出現率は、詩が約6.1%で童謡が9.9%と、ともに10%を切っており読者に語りかけるという表現特性は多くないといえる。
○オノマトペ
 オノマトペに関しては、作品全体においても詩と童謡の比較においても、組合せ別だと数が多く、作品数が分散してしまい、傾向が見えにくくなると考えたので、ここでは出現回数を参考に、分析をすすめた。分析を進めるにあたっては、まず初めに全作品におけるオノマトペの有無を明らかにし、次にオノマトペが見られた作品のみを対象にして、その種類と型について、調べた結果とそこから見えてきたことを述べる。

作品全体
 作品中にオノマトペが見られたものは合計で507編と、全体の約43.8%であった。オノマトペが使用されている作品は半数に満たなかいことが分かる。


詩と童謡の比較
 詩と童謡における、オノマトペの有無を100%の積み上げ棒で表すと次の図のようになった。詩と比較して童謡の方が、オノマトペが使われる割合が高く、半数以上の作品にオノマトペが使用されていることが読み取れる。このことから、童謡ではオノマトペが使用される場合の方が多く、詩はそれに対して約3分の1程度の作品にしかオノマトペが使われず、オノマトペの使用がない作品の方が多い、といえる。


※数字は作品数を表す。
オノマトペの種類
作品全体
 オノマトペが含まれていたものを抽出し、オノマトペの種類ごとに出現回数を調査した結果、多かった順に並べると、擬態(362編)、擬容(110編)、擬音(100編)、擬声(54編)、となった。種類別に見ると、擬態語の多さが群を抜いている。また、出現回数が多いオノマトペの上位2細目が擬態(動作を表すオノマトペ)と擬容(様子を表すオノマトペ)であり、表現対象の視覚的情報を表現しているものであった。この2細目がどちらか1つでも含まれている作品は472編となり、オノマトペが含まれている作品におけるこれらの含有率は、次のグラフのようになる。


※数字は作品数を表す。

 作品中に現れるオノマトペは、そのうち約93.0%と、多くの作品において視覚的な情報を提示するオノマトペが使用される、といえる。

詩と童謡の比較
 詩と童謡におけるオノマトペの種類別出現数は下の表のようになった。
オノマトペの種類(詩と童謡)
出現回数割合
擬態語擬容語擬音語擬声語合計擬態語擬容語擬音語擬声語
923513914961.70%23.50%8.70%6.00%
童謡22353763638857.50%13.70%19.60%9.30%
 詩・童謡ともに全体の傾向と同じ、擬態語を多く用いていることが分かる。しかし、その次に多く用いられているオノマトペは、詩は擬容語であり童謡は擬音語になっている。使われている作品数だけ見ても、童謡は詩の約5.8倍の擬音語が使用されていることが分かる。また、全体の傾向と同じように詩・童謡に関してもオノマトペ全体の中で視覚的情報を表現するオノマトペがどの程度含まれているのかを調べた。その結果は以下の100%積み上げ棒のようになる。
 詩・童謡ともに視覚的な情報を表すオノマトペが多い、ということが共通しており、その割合は若干詩の方が多いものの、大きな差異は見られなかった。
 これらのことから詩と童謡におけるオノマトペの種類に関する表現特性をまとめると、擬音語が使用されている作品は詩の方に偏る傾向があり、視覚的な情報を表すオノマトペは詩・童謡ともに多くみられ、大きな差異はないといえる。
オノマトペの型
作品全体
 今回調査したオノマトペの型は、出現回数が多い順にABAB型(355作品)、ABん型(95作品)、AっBり型(41作品)、ABり型(35作品)、ABっ型(34作品)、という結果になった。このことから、オノマトペが使用されている場合に、「きらきら」「めらめら」などの同じ2音を繰り返すものが多い、ということが分かった。また、第2章第3節の分析項目の説明の際に述べたが、今回オノマトペの型として細目に選択した「ABAB」型,「ABっ」型,「ABり」型,「AっBり」型,「ABん」型の5種類は、この順にオノマトペ全体の中で語数が多くなっており、その比率はおおよそ8:4:3:2:2となっている。均等にオノマトペが配置されていれば、今回の調査でも先に述べた順序になるはずである。しかし、まど・みちお作品全体におけるオノマトペの型の出現回数と照らし合わせると、先行研究のデータと以下のずれが生じる。
データより多いもの:ABAB型、ABん型
データと同じくらいのもの:AっBり
データより少ないもの:ABり、ABっ
 これらのことから、ABAB型とABん型は、まど・みちお氏の作品において多く用いられるオノマトペの型であることが分かる。
 詩と童謡の比較
 詩と童謡においても、出現回数を調査した。結果は下の表のようになった。
オノマトペの型(詩と童謡・出現回数)
ABAB型ABっ型ABり型AっBり型ABん型
885132320
童謡2232417859
※数字は作品数を表す。
オノマトペの型(詩と童謡・割合)
ABAB型ABっ型ABり型AっBり型ABん型
21.60%1.20%3.20%5.60%4.90%
童謡38.70%4.20%3.00%1.40%10.20%
 詩・童謡ともにABAB型が群を抜いて多く出現しており、作品全体の結果と同じであった。特に童謡においては、オノマトペ使用作品304編中223編と、約73.4%にABAB型が登場していた。詩では137編中88編で約64.2%であることと比較すれば若干多い、といえる。

○具体・抽象
作品全体
 具体と抽象の割合を表すと、明らかに具体が多いことが分かる。(下の円グラフ参照。)まど・みちお氏の作品は具体的な内容が表現される、という特性があるといえる。


詩と童謡の比較
詩・童謡においても、作品内における具体と抽象の割合を調べた。調査結果は以下の棒グラフのようになり、このことから詩・童謡どちらにおいても具体が多い、という点で一致しており差異は見られなかった。

○表現の種類
作品全体
 作品全体における表現の種類は、右のようになった。叙情が最も多く、全体の約69.0%を占めている。次いで叙事(全体の約30.4%)、叙景(全体の0.7%)の順で多くなっている。ここから分かることは、まど・みちお氏の作品は、物事の心理が表現されることが多く、また一方で、心理を排し出来事を連ねることにより成立している作品も3分の1近く存在する、ということである。


表現の種類(作品全体・出現回数)
表現の種類叙情叙事叙景
作品数7993518
※1作品「叙事・叙景」というものがあり、この作品については叙事にも叙景にも1ずつ含めたので、合計作品数が1158編と、1編分多くなっている。
詩と童謡の比較
表現の種類(詩と童謡)
作品数割合
叙情叙事叙景叙情叙事叙景
36046188.50%11.30%0.20%
童謡290280650.30%48.60%1.00%
 詩と童謡それぞれにおける表現の種類は、左のような分布になった。詩・童謡ともに叙情が最も多く、次いで叙事、叙景の順になっているという点で一致している。しかし、ここで注目すべきなのは、童謡における叙事の多さである。童謡において叙事が占める割合は約48.6%と、半数に近い。詩では全体の11.3%が叙事詩であるのに対し、童謡では叙事詩の割合が48.6%となっている。このことから、童謡において叙事詩が多くなっている。

○表現対象
作品全体
 組み合わせ別で多いものから順に5細目挙げると、次のようになる。
「人間」189作品
「動物」168作品
「人間・物」156作品
「人間・動物」96作品
「物」85作品
 人間が最も多いが、動物もそれに次いで多くなっている。また、人間と他のものとが複数表現されている作品も多い。人間単体ではなく、他のものと一緒に描かれている作品は、合計で548作品であり、人間だけで描かれる場合よりもはるかに多い。この結果を受け、複数の表現対象を描く、という表現特性は、他の動物,植物,物,宇宙においても多く存在するのかどうか調べてみた。調査結果は下の表のようになった。
表現対象の内訳(作品全体)
人間動物植物宇宙
単独の出現回数1684848854
他との共同出現回数548304169341164
総出現回数716472217426168
他との共同出現率約76.5%約64.4%約77.9%約80.0%約97.6%
※「他との共同出現率」を除き、数字は作品数を表す。他との共同出現回数は、総出現回数から単独の出現回数を除いたもの。他との共同出現率は、他との共同出現回数を総出現回数で割ることによって求めた。

 他との共同出現率の結果より、人間だけでなく動物,植物,物,宇宙においてもそれ単独で出現するより他の事物とともに作品中に表れることのほうが多い、ということが分かった。その上、表を横に見比べていくことで、細目によって他との共同出現率に開きがあることも明らかになった。「宇宙」に関しては95%以上の率で他と一緒に作品に登場することが分かる。
 以上のことをまとめると、今回大きく3つの特性が明らかになった。@人間が表現されることが最も多いA全ての細目において、それ単独よりも他と共同で表現されることが多いB宇宙は他との共同出現が中心になっている、といえる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡においても、作品全体の時と同じく、細目ごとの単独の出現回数,他との共同出現回数,総出現回数,他との共同出現率の4つについて調べた。結果は以下のようになった。
表現対象の内訳(詩と童謡)
表現対象人間動物植物宇宙
詩と童謡童謡童謡童謡童謡童謡
単独の出現回数2813750992022295231
他との共同出現回数23221312110977611421527939
総出現回数26035017120897831712048240
他との共同出現率(%)89.260.970.852.479.473.58374.596.397.5
※「他との共同出現率」はパーセント(%)を、他の数字は作品数を表す。他との共同出現回数は、総出現回数から単独の出現回数を除いたもの。他との共同出現率は、他との共同出現回数を総出現数で割ることによって求めた。

 以上の結果をもとに詩と童謡を比較した結果、4つの表現特性が見つかった。
 1つめは、童謡は細目ごとの単独の出現が多いということである。詩の「単独の出現回数」を全て足すと左の表には掲載していない「その他」を含めて合計136編となった。これは詩全作品の約33.4%と、3分の1程度にあたる。一方童謡は「単独の出演回数」の「その他」を含めた和が314編と、童謡全体の約54.5%と、半数を上回った。この結果を100%積み上げ形式で表現すると、以下のグラフになる。
 このことから、詩は対象が複数表現される作品が多く、一方童謡は詩と比べて、何らかの表現対象が単独で出現する作品が多いといえる。
 2つめは、「宇宙」は詩・童謡ともに他との共同出現回率が高いということである。これは上の表の「他との共同出現率」から明らかである。「宇宙」の他との共同出現の多さは、詩・童謡の区別なく、まど・みちお氏の全作品の表現特性であるといえる。
 3つめは、「人間」,「動物」の共同出現率は童謡より詩の方が高いということである。上の表で緑色の色をつけているところが、隣に表示している童謡のパーセンテージと比較して20%以上高いことが分かる。したがって、詩は童謡と比較して人間や動物と他の何かを共同で表現している作品が多いといえる。
 4つめは、詩の方が宇宙を表現対象にした作品が多い、ということである。このことは、上の表で黄色に示した数字を見れば明らかである。そもそもの全作品数が詩の方が少ないにもかかわらず、詩で「宇宙」を描いた作品は童謡のそれの約2倍となり、宇宙の作品を描く機会が多いといえる。

 これまで述べてきた、詩と童謡の比較から分かった、それぞれの表現特性を以下にまとめる。
詩の表現特性
童謡の表現特性

○場面の進行・停滞・循環・気持ちの進行
作品全体
※数字は作品数を表す。
 作品全体における内訳は左の円グラフのようになる。「停滞」が最も多く、全体の約63.1%を占め、次いで進行が371作品と約32.1%を占める。このことから、まど・みちお氏の作品には、場面の進行が見られない作品が多い、ということが分かる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡において、それぞれの分布は以下のようになる。

場面の進行・停滞・循環(詩と童謡)
作品数割合
進行停滞循環気持ち
の進行
進行停滞循環気持ち
の進行
8928713021.90%70.50%0.20%7.40%
童謡2473209042.90%55.60%1.60%0.00%
 詩と童謡を比較分析したことでそれぞれの表現特性として明らかになったことは、3つある。
 1つめは、「気持ちの進行」は詩に多くみられる、ということである。作品全体の円グラフに記した通り、作品全体における気持ちの進行は43作品である。そしてそのうちの30作品が詩である、ということが上の表から読み取ることができる。作品全体に占める詩の割合は約35.2%であるにもかかわらず、気持ちの進行の約71.4%を詩が占めるということから、「気もちの進行」は、詩において多く描かれているといえる。
 2つめは、「循環」は童謡に多くみられる、ということである。作品全体における循環は11編であるが、そのうち9編が童謡である。このことから、「循環」は、童謡において多く描かれるといえる。
 3つめは、詩と比べて童謡は「進行」の割合が高い、ということである。詩全体で「進行」が占める割合は、約21.9%であり、作品全体の約32.1%と比較すると10%程度下回っている。一方、童謡全体に占める「進行」の割合は約42.9%と、全体のそれを10%程度上回っている。したがって、詩と童謡における「進行」の含有率は20%もの開きがあり、このことから、詩よりも童謡の方が、より多く場面の進行が表現されているといえる。
 以上これまで比較によって明らかにしてきた詩と童謡の表現特性をまとめると次のようになる。
詩の表現特性
・童謡より多く「気持ちの進行」が描かれている。
童謡の表現特性
○視点
 視点についての調査結果の発表および分析は、2つの段階に分けて述べる。初めに視点の「内」,「外・主観あり」,「外・主観なし」の3つの調査結果及び分析を述べ、次に「外・主観あり」にあてはまった作品を対象に行った、主観が「心理的」か「物理的」かという調査結果及び、それに対する分析を述べていく。
作品全体
 作品全体における視点の内と外は、次の表のようになった。内と外を比較すると、内が483編で作品全体の約41.7%、外が595+52=647編で全体の約55.9%と、作品世界の外側に視点がある作品が半数以上であった。「外」の中では、視点人物の主観が見られた作品が約92.0%と、ほとんどを占めた。
視点のありかた(作品全体)
外・主観あり外・主観なし不明
4835955227
※数字は作品数を表す。
 次に「外・主観あり」の主観を物理的な主観と心理的な主観で分けた結果を示し、それについて述べる。視点が外であり、主観があるものは595作品であるが、そのうち521作品に心理的な主観が見られた。これは、「外・主観あり」の中の約87.6%に値する。
 以上のことをまとめると、まど・みちお氏の作品全体における表現特性として@作品世界を外側からとらえた作品が多いAその中でも視点人物の心理が表現されていることが多い、という2つが挙げられる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡における視点のあり方分布は下の表のようになった。
視点のありかた(詩と童謡)
作品数割合
外・
主観あり
外・
主観なし
不明外・
主観あり
外・
主観なし
不明
15422752137.80%55.80%1.20%5.20%
童謡24727944642.90%43.20%7.60%1.00%
 詩と童謡の分布を比較することで、今回2つの表現特性の違いを明らかにすることができた。
 1つめは、詩は童謡に比べて「不明」の作品が多いということである。第2章第3節「不明」の例を載せたが、ここには「詩」と分類された作品の中から「不明」と判断した作品を引用する。
<例>「けしつぶうた」内の「ねずみ」
ねの じに
すわって
ねずみです
<初出>「日本児童文学」第2巻第1号所収 「スケッチ詩・おもちゃの部分品」1956年1月1日 児童文学者協会
<底本>『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』1973年2月 理論社
 詩には「ねずみ」のように、ある題名がつけられた作品群の中の1つの作品、という短詩が多く存在する。数えてみると合計で96編存在した。今回「不明」とした詩21編中20編が短詩であり、文の短さが関わって視点のありかが特定できない作品であった。童謡には短詩に対応するような短い作品は見られなかった。これらのことから、視点が「不明」とされているもののほとんどが短詩であり、不明となった原因は作品の言葉の少なさにあると推測できる。
 2つめの表現特性は、「外・主観なし」の多くが童謡に存在する、ということである。作品全体の表にあった通り、作品全体における「外・主観なし」は52作品であり、そのうち44作品が童謡となっている。童謡の作品全体の「外・主観あり」が占める割合は7.6%と高くはないものの、詩が1.2%であることと比較した場合は、多いといえる。これらのことから、まど・みちお氏の作品の中において「外・主観なし」は童謡によって表現されることが多い、といえる。
 以上のことをまとめると、詩と童謡の比較からそれぞれの表現特性として@短詩はその短さゆえに視点のありかが明示されていない作品があるA「外・主観なし」は、童謡において表現されることが多い。ということができる。最後に詩・童謡それぞれの内訳を100%積み上げ棒グラフで表す。表現特性の違いとして大きく取り上げるまでは行かなかったものの、「内」の視点が童謡に多いことが分かる。

○視点の二重構造
作品全体
 視点の二重構造が見られた作品は71作品と、全体の約6.1%であった。まど・みちお氏の作品においては視点の二重構造が描かれない作品の方が主流であるといえる。
※数字は作品数を表す。
 ちなみに、「不明」の作品は先に説明したような、短詩であった。
詩と童謡の比較
視点の二重構造の有無(詩と童謡)
 作品数割合
視点の二重構造ありなし不明ありなし不明
37359119.10%88.20%2.70%
童謡2854804.90%95.10%0.00%
 詩と童謡における視点の二重構造の有無は、左の表のようになった。「不明」は先にも述べた通り短詩によるもので、視点のありかが不明であったため、二重構造か否かを判断することができなかった。詩と童謡を比較する中で大きな違いは見られなかったが、二重構造になっている作品の割合が詩で約9.1%、童謡で約4.9%と、童謡の方が約4.2%高いという違いがあった。

○複数の連で構成されている
作品全体
 複数の連で構成されていると確認できた作品は、全1157作品中1019編であった。また、不明の作品が1編あったが、これは文字が二重円の形に並んでおり、どこを連とするか決めかねたからである。今回の結果をグラフに表すと左のようになり、まど・みち氏の作品は、複数の連での構成が主である、ということが分かる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡において複数の連で構成されているか否かを調査した結果は、下の表のようになった。この結果から明らかになったことは、童謡より詩の方に1連構成の作品が多いということである。
複数の連で構成されている作品の有無(詩と童謡)
作品数割合
複数の連1連不明複数の連1連不明
32384079.40%20.60%0.00%
童謡55025195.50%4.30%0.20%
 作品全体に占める1連構成の作品の割合は、童謡が約4.3%であるのに対し、詩では約20.6%と童謡の4倍程度となっている。したがって、作品全体に占める割合は高くはないものの、詩は童謡と比較して1連構成の作品が多いといえる。そして、この原因の一端を担っているのが先にも述べた短詩であると考えられる。短詩全96編の中で1連構成となっている作品は63編となっている。

○連の関係
 連の関係については、全項目「複数の連で構成されている」において「複数の連で構成されている」にあてはまった1019編を対象に、それらの作品において連同士がどのような関係で描かれているのか、を明らかにしていく。本項目は「進行」,「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」,「主張と具体例」,「出来事と感想」,「思考の深化」,「意味の切れ目」,「その他」の10細目のなかから、あてはまるものを全て選択する、という方法で分析をしたため、分析結果を見ると膨大な数の組み合わせが存在していた。そのことから、組み合わせ別の分析になると作品数が分散してしまい傾向がつかみにくいことが予想されたので、本項目の分析にはオノマトペの時と同様に、各細目の出現回数によって、分析を進めていくこととする。

作品全体
 作品全体における連の関係を分析するにあたり、まず細目別の出現回数を以下にまとめる。
連の関係(作品全体・出現回数)
細目進行対象の変化視点の変化場面の変化主人公の変化主張と具体例出来事と感想思考の深化意味の切れ目その他
作品数2361353511282711122125811
出現率23.213.234.412.62.60.1112.125.31.1
※作品数の数字は作品数を、出現率は全作品における出現率をパーセント(%)で示したもの。

 もっとも出現率が多い細目が、「視点の変化」で全体の約34.4%、2番目に多い細目が「意味の切れ目」で約25.3%、3番目は「進行」で約23.2%である。この上位3細目が群を抜いて多くなっている。「視点の変化」が連の関係の3分の1に含まれているという結果を受け、連同士がある一定の軸に沿って関係しあっている作品の割合が多いのではないか、と考えた。一定の軸とは、細目によって異なる。例えば「視点の変化」は対象に対する視点が変化するということなので、同じ対象を捉える、という軸が作品全体を貫いている。他の細目で軸があるものについても、次に例とともに簡潔に記す。
> 対象の変化…同じパターンの行動(行動の類比)
<例>「えんりょ しないで」
もっと そうぞうしく
とんだら いいよ
えんりょ しないで
ばさばさ とべよ
といって あげたくなるな
  もんしろ しろしろ
  もんしろちょう
  ひそひそ かすかに
  とぶばかり

もっと おおいばりで
まんなか とおれ
えんりょ しないで
どさどさ あるけ
といって あげたくなるな
  でんでん むしむし
  でんでんむし
  すみっこを こっそり
  はうばかり
<初出・底本>「童話」第338号 1981年11月1日 日本童話会 渋谷沢兆曲 ☆

場面の変化…同じ人物
<例>「あかちゃん」
あかちゃんが おなら した
ことりが ないたみたいに
あのまま とっておきたかったね
おかあさん
おとうさんが おかえりまで
あかちゃんが いつか
およめさんに なる ひまで

あかちゃんが あくび した
おはなが さいたみたいに
あのまま とっておきたかったね
おかあさん
おとうさんが おかえりまで
あかちゃんが いつか
おばあさんに なる ひまで
<初出・底本>「童話」第309号 1979年10月1日 日本童話会 田村徹曲 **一部改稿

主人公の変化…同じパターンの行動(行動の類比)
<例>「こっちから きつねが」
こっちからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
あっちでともだち よんでるかな
どんどんあっちへ かけてった

あっちあからきつねが でてきたよ
みみうごかすよ ぴくぴくぴく
こっちでともだち よんでるな
どんどんこっちへ かけてった

りょうほうからきつねが であったよ
くちうごかすよ こんこんこん
おにごっこしようよ じゃんけんぽん
どんどんあちこち かけだした
<初出・底本>『保育のための実技指導1 ゆびあそび』1966年7月10日 チャイルド本社 渡辺茂曲 **初出タイトル「きつねのおはなし」 一部改稿

 以上に挙げた、対象の変化,視点の変化,場面の変化,主人公の変化が1 細目でも含まれている作品は何作品あるのか、調べてみたところ、601作にのぼった。これは、複数の連で構成されている作品の約69.0%にあたる。このことから、複数の連で構成されている作品のうちの半数以上が、連同士が何らかの共通点を持ちながらある点において変化を見せる、という作品になっていることが分かった。また、共通点を持ちながら展開することから、連同士が共通するリズムで展開されていることが多いのではないか、という仮説を立てたが、そのことについては「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」にて触れることとする。
詩と童謡の比較
 前項目「複数の連で構成されている」のなかで「複数の連で構成されている」に、あてはまった詩323編、童謡550編を対象に行った連の関係は以下のような結果になった。

連の関係(詩と童謡・出現回数)
進行対象の変化視点の変化場面の変化主人公の変化主張と具体例出来事と感想思考の深化意味の切れ目その他
722275151071121742
童謡1381032291042006095
※数字は作品数を表す。

 詩と童謡では今回母数に200編以上の違いがあったので、次に、複数の連により構成されている作品において上に挙げた細目がどの程度の割合で表現されていたのかを示す。

連の関係 細目別出現率(詩と童謡)
進行対象の変化視点の変化場面の変化主人公の変化主張と具体例出来事と感想思考の深化意味の切れ目その他
22.36.823.24.60.30223.753.90.6
童謡25.118.741.618.93.60101.60.9
※数字はパーセント(%)を表し、母数は複数の連で構成されている作品の数であるため詩が323編、童謡が550編となっている。

以上2つの表を通して、詩と童謡の比較を行った結果、表現特性の違いを大きく4つ明らかにすることができた。
 1つめは、「思考の深化」は詩のみに見られる表現特性である、ということである。細目ごとの出現回数の数字より、詩のうち12作品に連の関係において「思考の変化」が見られることが分かる。一方で、童謡にはこの細目が0編になっている。詩における「思考の深化」出現率自体は3.7%と低いものの、まど・みちお氏は連が変わるごとに思考の深まりを見せる、という表現技法を、詩を書くときのみに使用していることが分かった。
 2つめは、「意味の切れ目」,「出来事と感想」は詩に多くみられる表現特性である、ということである。これは、出現回数を見ても出現率を見ても明らかである。特に、「意味の切れ目」は複数の連で構成されている詩作品の半数以上に使用されている。
 3つめは、詩は連が変わっても対象や場面、視点などが変化しない場合が多い、ということである。1つめの2つめの分析結果を受けて、詩で割合が多かった「出来事と感想」,「思考の変化」,「意味の切れ目」の3細目の共通点を考えた。その結果、この3細目いずれも話題や登場人物が全て一貫しているという共通点を発見した。「出来事と感想」は、ある出来事にスポットをあて、それについて感想を述べるなど同じ話題に終始している。「思考の深化」も1つの話題について連を追うごとに考えの深まりを見せているということなので、話題が一貫しているといえる。「意味の切れ目」も、ある物事について述べており、その中で連が変わっていくということなので、これも話題が一貫しているといえる。これらのことから、詩には1つの話題、物事について話の次元を変えながらも一貫して述べられる傾向があるといえる。
 4つめは、童謡においては連同士が何らかの共通点を持ちながらも、ある点において変化を見せるものが多い、ということである。「連同士が何らかの共通性をもちながらもある点において変化を見せる」ことを示す細目は、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の4細目としている。このことについては、作品全体の表現特性の所でも述べたことであるが、詩と童謡を比較していく中でこの傾向は特に童謡において強いことに気がついた。出現回数、出現率ともに「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の4細目において、詩より童謡の方が高い数値が出ていたことを受けて、童謡の中でこれら4細目が1つでも当てはまる作品数を調べてみることにした。その結果、425作品において4細目のうち少なくとも1細目の要素が含まれていることが分かった。これは、複数の連で構成されている童謡550編のうちの約77.2%にのぼる。ちなみに同じ調査を詩においても行ったところ、詩では323編中113編と、約35.0%と割合では童謡の半分以下であった。これらのことから、童謡において、連同士で共通点を持ちながらも、ある点において変化がみられる作品が多く含まれているといえる。このことは、連同士で言い回しや述べる順序などをそろえることにより、曲の繰り返しのリズムに乗せやすくするためではないか、という仮説を立てることができたが、このことについては、後の細目である「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」に譲ることとする。

○聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)
作品全体
 作品全体における言葉遊びの有無は、下の表のような結果になった。なお、今回連同士の言葉遊びを調べるにあたり、複数の連で構成されている作品のみを対象とした。したがって母数は1018作品である。
聴覚に訴えかける言葉遊び・連同士
(作品全体)
聴覚に訴えかける言葉遊び(連道士)・あり一部でありなし不明
作品数603323821
 内訳を円グラフで表したものを見ると、「聴覚に訴えかける言葉遊び」がなされている作品が半数を上回っているということが分かる。また、一部が「聴覚に訴えかける言葉遊び」になっている作品も含めると合計で635作品となり、全体の約62%を占める。このことから、まど・みちお氏の表現特性として連同士でリズムが揃えられている作品が多いといえる。
詩と童謡の比較
聴覚に訴えかける言葉遊び・連同士
(詩と童謡)
 作品数割合
聴覚に
訴えかける
言葉遊び
(連内)
・あり
一部でありなし不明(連内)
・あり
一部でありなし不明
3524264010.70%7.30%80.70%0.00%
童謡532017196.70%0.00%3.10%0.20%
 詩と童謡における「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」の有無は左の表のようになる。作品全体と同じように、詩・童謡においても複数の連で構成されている作品のみを対象としたので、詩の母数は323編、童謡の母数は550編となっている。詩と童謡では母数が大きく異なるが、それを差し引いても童謡に「聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・あり」が多いことは一目瞭然であろう。
 左の表を100%積み上げ棒で表現したグラフは、次のようになる。
 童謡はそのほとんどの作品において、連同士が同じリズムで構成されていることが分かる。この結果を踏まえて、先に示した、「連の関係」において言及したことを振り返る。童謡では、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の4細目が詩と比較して多くなっていた。この4細目は、連同士で共通点をもちながらもある1点において変化が見られることが特徴である。つまり、対句のような形になっているといえる。この特徴の効果として、連同士で言い回しや述べる順序などをそろえやすくなる、という効果がある。実際にその例を引用する。
<例>「もんしろちょう」
ゆめなのかしら
まだ つめたい かぜの
ゆびさきに あそぶ
もんしろちょうは
うまれたばかりの
はるの あかちゃんが
みているともない
ゆめなのかしら

うたなのかしら
まだ つぼみも ちいさい
なばたけを わたる
もんしろちょうは
うまれたばかりの

はるの あかちゃんが
はじめてうたえた
うたなのかしら
<初出・底本>*鈴木敏朗編『おおきい木』1977年3月 ドレミ楽譜出版社 鈴木敏朗曲  **一部改稿

 例として挙げた作品は、連の関係が「視点の変化」となっている。作品全体が、もんしろちょうという対象を捉えるということで一貫しているが、もんしろちょうを捉える角度が第1連では「ゆめなのかしら」という視点からすすめられ、第2連では「うたなのかしら」という視点からすすめられているという点で変化がみられる。このように、同じ対象を捉えるという共通点があることが対句の構造を作り出し、連同士が同じ言い回しになりやすくする働きがあるのではないかと考えられる。実際に童謡において「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目に1つでも当てはまる作品を対象に、「聴覚に訴えかける言葉遊び(連同士)」がどのくらいの割合含まれているのかを調べた。その結果、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目に1つでも当てはまる作品全425編全てが、連同士における聴覚に訴えかける言葉遊びがなされているという結果になった。このことから、「対象の変化」,「視点の変化」,「場面の変化」,「主人公の変化」の細目が、連同士の「聴覚に訴えかける言葉遊び」つまり、連同士の一定のリズム作りと連動し、リズム作りを助ける働きをしているのではないかと考えられる。

○聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)
作品全体
 作品全体における、調査結果は右の表のようになった。聴覚に訴えかける言葉遊びが少しでもみられる作品は544+31=575編であり、作品全体の約49.7%と、ほぼ半数となった。また、少しでも聴覚に訴えかける言葉遊びがみられた作品のうち約94.6%の作品に、全ての連において連内の聴覚に訴えかける言葉遊びが見られた。このことから、連内に聴覚に訴えかける言葉遊び、すなわちリズムが形成されている場合、そのリズムは作品内で一貫して繰り返される傾向にある、といえる。

聴覚に訴えかける言葉遊び・連内
(作品全体)
聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・あり一部でありなし
作品数54431582
詩と童謡の比較
 詩と童謡における調査結果は下の表のようになった。表からも明らかなように、連内における聴覚に訴えかける言葉遊びは、詩より童謡の方に多くみられる、ということが分かる。
聴覚に訴えかける言葉遊び・連内
(詩と童謡)
作品数割合
聴覚に訴えかける言葉遊び(連内)・あり一部でありなし(連内)・あり一部でありなし
431734710.60%4.20%85.30%
童謡47389582.10%1.40%16.50%

 詩・童謡それぞれの内訳を100%積み上げ棒グラフで表現した場合、それぞれの表現特性はより明瞭である。
 これらのことから、連内における聴覚に訴えかける言葉遊び、つまり連内におけるリズムの形成は、童謡の表現特性であるといえる。
 聴覚に訴えかける言葉遊びについて連同士と連内、作品全体と詩・童謡の比較から見えてきたことをまとめると、聴覚に訴えかける言葉遊び、つまりリズムの形成は、まど・みちお氏の作品全体の表現特性というわけではなく、まど・みちお氏の童謡の表現特性なのだといえる。

○擬人化
 擬人化については、大きく2つの内容に分け、分析結果とそこから分かることを示していく。1つめの内容は擬人化が見られる作品数についてであり、2つめの内容は、1つめの内容を受けて擬人化がされている対象は何であるのかについて述べていく。なお、2つめに述べる擬人化の内訳は、「オノマトペ」や「連の関係」と同じく出現回数に着目して分析をすすめる。

作品全体
 作品全体の調査結果を円グラフで示すと以下のようになった。
※数字は作品数を表す。

 擬人化が見られる作品とそうでない作品の比は、ちょうど4:6となる。このことから擬人化は、まど・みちお氏の作品全体における表現特性として際立ったものではない、といえる。
擬人化の対象(作品全体)
植物宇宙その他
792906151
※数字は作品数を表す。
 次に、擬人化が見られた作品に対象を絞り何が擬人化されているのか、擬人化の対象を調べた。調べた結果は右の表のとおりである。この結果から、擬人化される対象は、「物」が圧倒的に多いことが分かる。
 また、「その他」に多くみられた対象は、季節や年などの時を表す言葉であった。その例を最後に引用しておく。
<例>「ちいさな ことりが」
ちいさな
ことりが
よんだので
でてきた
でてきた
とうとう でてきた
 おおきな
 はるが

ちいさな
ちょうちょが
あそぶので
わらった
わらった
とうとう わらった
 おおきな
 はるが
(「ちいさな ことり」を改題)
<初出・底本>「チャイルドブック」1970年4月号(第34巻第4号)4月1日 チャイルド本社 **一部改稿 1997年4月「ちいさな ことりが」に改題 ☆
詩と童謡の比較
 詩と童謡それぞれにおける擬人化された作品の割合を100%積み上げ棒グラフで表したら、以下のようになる。
※数字は作品数を表す。
 グラフより、擬人化が見られる作品の数は詩と童謡ともに199編と、同じ数になっている。しかし、全ての詩の数と全ての童謡の数には違いがあるので、全体に占める割合で考えると、擬人化は詩の方に多くみられる表現特性である、といえる。
 次に擬人化の対象をみていく。詩・童謡における対象の内訳は下の表のようになる。一見するとあまり大きな違いは見られない。
擬人化の対象(詩と童謡)
作品数割合
植物宇宙その
合計植物宇宙その
31124252619915.60%62.30%12.60%13.10%
童謡34134211819917.10%67.30%10.60%9.00%
 しかし、詩の方が「宇宙」,「その他」の数が多く、逆に童謡の方が「植物」,「物」の数が多くなっている。「植物」,「物」は日常で見たり触れたりできる身近なものである。一方、「宇宙」は規模が大きすぎるため近くで実際に触れたり感じたりすることはできないものである。「その他」も作品全体で述べたように「とき」にまつわるものが多かったことから、これらも実際に見ることや触れることができない。つまり、生活に密着している(触れ合うことができる)かそうでないかという観点で「植物」,「物」と「植物」,「物」を分けることができる。詩と童謡それぞれに、この観点がどのような比で存在するのか、調べてみることにした。その結果は以下の100%積み上げ棒グラフのようになった。
 生活に密着したものが擬人化の対象になっている割合は、詩では約77.9%、童謡では約84.4%となっており大きな違いはなかったが、童謡の方が多い、という結果になった。
○意味をもった記号
作品全体
※数字は作品数を表す。
 意味をもった符号が使用されている作品の割合は、左の円グラフのようになった。
 記号が見られる作品は270編と、作品全体の約30.4%であった。このことから、まど・みちお氏の作品においては、記号が使われない作品の方が多数派である、といえる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡における調査結果は下の表のようになった。「記号あり」のところを比較してみると、詩の作品数の方が圧倒的に多く、逆に「記号なし」のところを比較すると、童謡が詩の2倍以上の数字になっていることが見て取れる。
意味をもった記号の有無(詩と童謡)
作品数割合
記号ありなし記号ありなし
18122644.50%55.50%
童謡155612.60%97.40%
 さらに詳しく分析するために、次に詩・童謡それぞれの、全作品に占める意味を持った記号つきの作品の割合を、以下に示す。
 グラフより、詩の方が圧倒的に記号を含む作品数が多い、ということが分かる。童謡が2.6%であるのに対し、詩は全作品の約44.4%に記号がみられる作品であるという結果が出た。
 また、まど・みちお氏の作品全体における、記号が見られる作品の内訳を円グラフで表すと左のようになり、ここからもまど・みちお氏は詩を書く際に「!」「?」「…」など作品中に意味を付加する記号を使う傾向にあるといえる。
 意味をもった記号が詩に多くみられる原因を考えた結果、詩は本文を直接見ることによって触れるものであるからではないか、と考えた。意味をもった記号は、リズムなどとは異なり、実際に目で見ないと効果が生まれにくい。曲にのせて歌う童謡だと、聞いている側には記号の内容が伝わりにくい上に曲の雰囲気に影響を受けるので意味をもつ記号自体が曲中に表現することが困難になる場合も予想される。このことから、視覚的に情報を提示する詩の方に多く記号が使用されているのではないかと考えた。
○倒置法
作品全体
※数字は作品数を表す。
 作品全体における倒置法の発現状況は、左の図のようになる。倒置法が含まれている作品は258作品と、全体の約22.3%となっており、作品全体でみてみると倒置法が使用されない作品の方が多かった。
詩と童謡の比較
 詩と童謡におけるそれぞれの調査結果は下の表のようになった。倒置法ありの作品数は詩が童謡より16編と、若干多くなっている。倒置法が見られない作品の数は、童謡が詩の約1.6倍となり、多くなっている。
倒置法の有無(詩と童謡)
作品数割合
倒置法ありなしありなし
11529228.30%71.70%
童謡9947717.20%82.80%
 この結果を100%積み上げ棒グラフにおいて表したものが次のグラフである。
 倒置法がある作品の数に大きな違いはないが、全作品の中の割合で考えた場合、詩が約28.3%で童謡が約17.2%と、詩における倒置法使用率の方が10%以上高い、ということが分かる。
○繰り返し
作品全体
 作品全体における「繰り返し」に関する調査結果をまとめると左の円グラフのようになる。作品全体において繰り返しが見られる作品は約65.6%と、半数を大きく上回る結果となった。「繰り返し」が多く使用されることは、まど・みちお氏の作品全体の表現特性だといえる。
※数字は作品数を表す。

詩と童謡の比較
 詩と童謡の調査結果は下の表のようになった。詩は、繰り返しがみられない作品のほうが多く、逆に童謡は繰り返しがある作品の方が多く、両者の違いは明らかである。
繰り返しの有無(詩と童謡)
作品数割合
繰り返しありなしありなし
15325437.60%62.40%
童謡5334392.50%7.50%
 100%積み上げ棒グラフにより詩・童謡それぞれの割合を出すと、いっそう表現特性の違いが顕著に表れる。
 詩は、繰り返しが用いられない作品の方が多いのに対し、童謡では、全作品の約92.5%と、ほとんどの作品において繰り返しが用いられている。このことから、「繰り返し」はまど・みちお氏が童謡に用いる表現特性である、といえる。
 繰り返しの効果として考えられることは、@一定のリズムをつくりだすことAある物事を強調すること、の2点であり、童謡では@の効果を狙ったものではないかと考えられる。

○言葉の省略
作品全体
※数字は作品数を表す。
 作品全体における調査結果は左のグラフのようになった。省略が少しでもみられる作品は、464+183=647編となり全体の約55.9%にのぼった。まど・みちお氏の作品全体において、「言葉の省略」は多く見られる表現特性である、といえる。
詩と童謡の比較
 詩と童謡における調査結果は左の表のようになった。「言葉の省略あり」の作品数は詩の方が多いが「言葉の省略あり(付属語のみ)」つまり助詞など付属語の省略においては童謡の作品数が圧倒的に多い。
言葉の省略の有無(詩と童謡)
作品数割合
言葉の省略ありあり
(付属語のみ)
なしありあり
(付属語のみ)
なし
2211816854.30%4.40%41.30%
童謡15015427226.00%26.70%47.20%
 この表をもとに作成した、詩・童謡それぞれの全作品における割合を示したものが以下の棒グラフである。

 詩・童謡ともに、少しでも省略がみられる作品の割合(「言葉の省略あり」と「言葉の省略あり(付属語のみ)」を足し合わせたもの)が半数を上回っているという点では一致している。しかし、その内訳は大きく異なる。詩において言葉の省略がなされる場合、そのほとんどが自立語の省略になっている。一方で童謡では言葉の省略がなされている作品の約50.7%、つまり過半数が付属語の省略になっている。このことから、童謡の表現特性として、詩と比較した時に付属語の省略が行われやすいという特性があるといえる。
 次に、なぜ童謡において付属語が多く使用される傾向があるのか、について考えを深めていく。まず、例として付属語の省略が見られる童謡を引用する。
<例>「ちゅうしゃ」
ちゅっ ちゅっ ちゅうしゃの
はりの さき【は】
ありより のみより
まだ ちいさい
ちくっ のみだよ
えっへっへ
びょ びょ びょうきが
にげだした

ちゅっ ちゅっ ちゅうしゃは
すぐ すむよ
まばたき するまに
すんじまう
ちくっ おしまい
えっへっへ
びょ びょ びょうきが
にげだした
<初出>「保育の指導」1960年11月(第5巻第11号)11月1日 フレーベル館 初出タイトル「ちゅうしゃのうた」 落合保曲
<底本>鈴木敏朗編『おおきい木』1933年3月 ドレミ楽譜出版社 鈴木敏朗曲
 
※【 】内は筆者によるもの
 「ちゅうしゃ」において見られる付属語の省略は、第2連2行目の「すぐ すむよ」の字数に合わせるために行われた、と考えられる。他にも各連が全ておおまかな7・5調で展開していることに合わせているとも考えられる。いずれにせよ、ここで考えておきたいのは、付属語の省略はリズムを形成するために行われている可能性が極めて高い、ということとである。この例からも分かるように、童謡における付属語の省略は、リズムを形成することが大きな目的の一つである、と考えられる。
 最後に、付属語と自立語の省略による効果の違いについて、考えを深めていく。付属語の省略と自立語の省略の大きな違いは、省略された時の意味の通じやすさが異なるということである。以下に自立語の省略部分を引用する。
<例>「いす」
ここに くると
どんな人でも からだを折曲げます

やれやれと【からだを折曲げます】
いそいそと【からだを折曲げます】
どっかりと【からだを折曲げます】
いぎたなく【からだを折曲げます】
とくいげに【からだを折曲げます】
われさきに【からだを折曲げます】
しょんぼりと【からだを折曲げます】
なにげなく【からだを折曲げます】

せかいじゅうに ないそうです
こんなに よく守られている きそくは

そして
こんなに おもしろい けしきに
目を みはる人も【せかいじゅうにないそうです】
<初出・底本>『まど・みちお詩集4 物のうた』1974年10月20日 銀河社:1982年9月再刊 かど創房 **一部改稿 
※【 】内は筆者によるもの。

 この作品は、第2連の各行と最終連の最終行において、言葉の省略が見られる。これらは、そこだけを抜き出して提示されても省略されている言葉を補うことができないことから、自立語の省略は省略部分以外の部分に依存している、といえる。一方、付属語の省略においては、省略部分のみを見ても書いてある
意味を理解することができる。先に挙げた「ちゅうしゃ」の例を用いると、「はりの さき/ありより のみより/まだ ちいさい」では、省略部分を補わずとも、「針の先の大きさ<あり・のみの大きさ」という意味をとることができる。
 以上のことをまとめると、童謡には付属語の省略が多く用いられているが、付属語を用いる理由として、省略しても自立語と比べて意味の理解を妨げにくいことが挙げられ、使用する目的としては、字数をそろえることによりリズムを形成するためである場合が多い、と考えられる。

○擬人法以外の比喩
作品全体
※数字は作品数を表す。
 作品全体における調査結果を表すと、左のようになる。擬人法以外の比喩が使われている作品数は417編で、全体の約36.0%となった。まど・みちお氏の作品全体では、擬人法以外の比喩が使用されていない作品の方が多く、「擬人法以外の比喩」は際立った表現特性とは言い難い。
詩と童謡の比較
擬人法以外の比喩の有無(詩と童謡)
作品数割合
擬人法以外の比喩ありなし不明ありなし不明
212194152.00%47.70%0.20%
童謡130445122.60%77.30%0.20%
 詩と童謡の調査結果を表すと、左の表のようになる。詩では比喩が見られる作品が多いのに対し、童謡では比喩が見られない作品の方が多くなっている。
 この結果を100%積み上げ棒グラフで表した結果が左のものである。グラフを見ると、詩において半数以上で、擬人法以外の比喩が見られることが分かる。このことから、詩の表現特性の1つとして、まど・みちお氏は擬人法以外の比喩を多く用いる、と言うことできる。
 ここで、先の「擬人法」の所で結論付けた、「擬人化は詩の方に多くみられる表現特性である」ということも含めて考えてみると、「擬人法」「擬人法以外の比喩」ともに詩によく見られる表現特性であることが分かる。このことから、まど・みちお氏は、詩を書く際に、表現対象を何か他のに例えて表現することが多い、という表現特性があるといえる。

○字下げ
 字下げでは大きく2つに分けて分析結果をまとめていく。1つめは、字下げが行われているかどうかの調査結果についてである。2つめは、字下げが見られる作品のみを対象とした、字下げ部の役割についてである。字下げ部の役割については、細目の中からあてはまるものを全て選ぶ、という方法をとったため、組み合わせの数が膨大になり、組み合わせ別で分析すると、作品数が散らばってしまい表現特性が表れにくい、と考えた。したがって、字下げ部の役割分析においては、出現回数を調べて分析していくようにした。
作品全体
 字下げについての調査の結果を表すと、左の円グラフのようになる。字下げが見られる作品は221作品であり、作品全体の約19.1%にとどまる。このことから、字下げは、まど・みちお氏の際立った表現特性とは言い難い、といえる。
※数字は作品数を表す。
 次に、字下げが見られた221作品を対象に、その役割をみていく。下の表は、細目別に出現数を明らかにしたものである。
字下げの役割(作品全体・出現回数)
行動視覚的な印象主張リズム心情カメラワークの変化台詞二重構造非現実対象対象の変化進行その他合計
7654561086421841518221
※数字は作品数を表す。
 「主張」,「リズム」,「台詞」,「非現実」が特に多くなっているが、それらの細目に見られる共通点や傾向は、発見することができなかった。

詩と童謡の比較
字下げの有無(詩と童謡)
字下げの有無(詩と童謡
作品数割合
字下げありなし不明ありなし不明
41366010.10%89.90%0.00%
童謡160415127.80%72.00%0.20%
 詩・童謡における調査結果は、左の表のようになった。字下げは、詩より童謡で多くみられることが分かる。この結果を、詩・童謡ごとに100%積み上げ棒グラフで表現すると、以下のようになる。
 グラフからも、表からも、童謡の方が、詩と比較して字下げを含む作品の割合が高い、ということが読み取れる。また、先に作品全体のところで述べた作品全体の字下げを含む作品221編の内訳を調べてみたところ、以下のような結果となった。
 内訳を見ると、その大部分が童謡であることから、まど・みちお氏は「字下げ」という表現技法を童謡において多く用いる、ということができる。
 次に、詩・童謡それぞれの字下げの役割を見ていく。字下げの役割をまとめると以下の表のようになった。
字下げの役割(詩と童謡・出現回数)
行動視覚的な印象主張リズム心情カメラワークの変化台詞二重構造非現実対象対象の変化進行その他合計
0211112600100941
童謡743425751318231511160
※数字は作品数を表す。
字下げの役割(詩と童謡・割合)
行動視覚的な印象主張リズム心情カメラワークの変化台詞二重構造非現実対象対象の変化進行その他
0.00%4.90%2.40%2.40%2.40%2.40%63.40%0.00%0.00%2.40%0.00%0.00%22.00%
童謡4.40%2.50%1.90%26.30%3.10%4.40%31.90%1.90%11.30%1.30%1.90%9.40%6.90%

 字下げの役割について詩と童謡を比較することで、それぞれの特徴を2つ明らかにすることができた。
 1つめは、詩は台詞を表すことを目的に字下げが用いられることが多い、ということである。詩の字下げ部の役割において「台詞」にあてはまる作品が26編と、全体の63.4%を占め、他の細目とは比べ物にならないほど大きい数字となっている。このことから、詩においては台詞を表すため、いわば鉤カッコのかわりに字下げが用いられることが主であるといえる。
 2つめは、童謡において、字下げ部分はリズムを形成する役割を果たすことが多いということである。童謡における「リズム」の出現作品数は42作品と細目の中で最も多い数字であり、字下げが見られる童謡の4分の1以上で字下げ部分が「リズム」を形成する役割を果たしていることになる。この割合の高さは、詩においては41編中1編しか存在しなかったことと比較すると明らかである。したがって、童謡において、字下げ部分はリズムの形成を目的に使用されることが多いといえる。
 以上これまで「字下げ」について明らかにしてきたことをまとめると、字下げはまど・みちお氏の全作品の中では見られるものは少ないが、使用される場合は童謡に使用される場合が多い。また、字下げの部分が果たす働きについては、詩は台詞を表現す働きが多く、童謡はリズムの形成を行う働きが多い。

<参考文献>
谷悦子『まど・みちお 研究と資料』(1995年 和泉書院)
「野浪研究室」(http://www.cc.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/nonamiken.html)

終章 まとめと今後の課題

 本章では、第1節において、前章で述べてきた研究結果をまとめ、作品全体及び詩と童謡の表現特性の違いを明らかにする。次に第2節において、今後の課題について述べる。

第4章 第1節 まとめ

 本節では、第3章第2・3節において明らかにしてきた、まど・みちお氏の作品全体及び詩・童謡の表現特性のなかから際立った特徴を選んでまとめ、表現特性の側面から、まど・みちお氏の詩と童謡について定義づける。まとめるにあたって、作品全体、詩・童謡ともに表現特性を4つの分野に分けてすすめた。1つめは題名のつけかたについて、2つめは表記について、3つめは構成について、そして4つめは叙述について、である。第3章第2節で明らかにした「文字の使われ方」は表記に含め、第3章第3節で明らかにした表現特性については、それぞれの項目が属している表現特性の分野のところでまとめていく。
 まとめる前に、一点注意しておきたいことがある。それは、作品全体の表現特性の見出し方についてである。今回、詩と童謡に関しては、双方を比較することにより表現特性を明らかにすることができた。しかし、作品全体においては他の詩人の作品と比較したわけではないので、分析を通して現れた表現特性は、詩として一般的なものなのか、まど・みちお氏特有のものなのかを判別することが不可能であった。したがって今回は、分析結果の中からある細目の全体に占める割合が半数を超えたものについて表現特性であると判断した。詩と童謡については、細目の出現率が他方と比較しておおよそ10%以上高い場合を、表現特性であると判断している。従って、その特性が詩、あるいは童謡において半数を超えていない場合であっても、他方と比較して多くなっている場合は表現特性として考えた。逆に、全体に占める割合が多い細目であっても、詩・童謡ともにその傾向が見られる場合は、作品全体の傾向とし、それぞれの表現特性に含めなかった。また、詩において、短詩といわれる1連構成の短い詩が96編存在するが、短詩は掲載の様式も長さも他の詩と大きく異なるため、短詩の存在によって現れた詩の表現特性(1連構成の作品の数が多い、など)は詩の表現特性として全章では述べたものの、本章ではとりたてないこととしている。

作品全体の表現特性

 題名の付け方においては、作品の登場人物が題名に起用されやすいという表現特性がある。その中でも特に、作品中に心理は描かれず、言動のみが表現される「対象」が題名として起用される傾向がある。また、作品の主題が題名に起用される際には、表現される主題が喜びや誇りといった、プラスの心情を表現したものが多くを占める。
 表記について、際立った表現特性は2つある。1つめは、漢字が全く含まれていない作品が過半数に達するということである。つまり、まど・みちお氏の作品全体においては、ひらがなやカタカナ、記号だけで表現されることが多いという表現特性がある。2つめは、常用漢以外の漢字が使用される作品は戦前の作品の方に多く見られることである。
 作品全体における構成の表現特性において、際立ったものは今回発見できなかった。
 叙述について、際立った表現特性は12点あった。
 1点目は、会話が描かれる時には、相手に何かしらの働きかけをしている場合が多い、ということである。行動を促したり、相手に問を投げかけたりすることを今回働きかけとしている。
 2点目は、オノマトペの使用を通して、視覚的な情報を多く提示している、ということである。オノマトペの使用が見られる作品数は半分に満たないが、そのほとんどで擬態語・擬容語、つまり物事の視覚的情報を提示するためのオノマトペが使用されていた。また使用に際しては、「きらきら」「もりもり」など2音を繰り返すものと、「ころん」「くるん」などの2音のあとに「ん」がつくものが使われることが多かった。
 3点目は、作品を通して具体物を描く傾向がある、ということである。つまり、事物を五感で感じられる次元で描くことが多いといえる。
 4点目は、作品を通して人物の心理を描く傾向がある、ということである。しかしながら一方では、全体の約3分の1の作品が人物の心理を排し、出来事や風景のみを叙述していることも事実である。
 5点目は、表現対象として人間が選ばれることが多い、ということである。
 6点目は、人物が単独で描かれている作品よりも複数の種類のものが描かれる傾向がある、ということである。特に太陽や星などの宇宙に関わりがあるものや神は、ほとんどの作品において人間や動物、植物、物などと一緒に描かれる。
 7点目は、作品を通して表現する世界は、場面が進行せずに停滞している場合が多い、ということである。
 8点目は、視点人物が作品世界の外側に存在する傾向がある、ということである。また、その中でも作品世界を捉えている視点人物による心理が描かれている場合が多い。
 9点目は、複数の連で構成されている、ということである。そしてそれらの関係は、連同士が何らかの共通点をもちながら、場面や対象や物事を捉える視点などの、ある1点において変化を見せる、という関係になっていることが多い。このことで、対句の構造を生み出しやすくなり、リズムの形成につながると考えられる。
 10点目の表現特性は、擬人法は物に対して使用される場合が圧倒的に多い、ということである。擬人法が用いられている作品自体は全体の4割程度だが、使用されている場合はその半数以上で物が対象となっている。
 11点目は、単語や文を繰り返すことが多い、ということである。
 そして、12点目は、自立語・付属語問わず、何らかの言葉が省略されている作品が多い、ということである。
 以上が、今回見つかった作品全体の表現特性である。

詩の表現特性

 題名の付け方においては、作品世界に登場する人物が題名として選ばれる傾向が強い、という表現特性がある。
 表記についての際立った表現特性は、2つある。1つめは、常用漢字の範囲において漢字が多く用いられる、ということである。2つめは、文字数が多い、ということである。1作品あたりの文字数は約167字と、童謡のそれを20字以上、上回っている。
 構成においては、現実とそれに対する思いを述べる、という構造を有している作品が多い、という表現特性がある。
 叙述について、際立った表現特性は10点あった。
 1点目は、擬音語が使用されている作品は詩において表現される傾向があるということである。擬音語自体、表現される作品は多くはないものの、表現される場合はそのほとんどが詩に偏っている。
 2点目は、表現対象が複数表現されるという傾向である。この表現特性は全体傾向のところで述べたが、詩において特に目立っている。複数表現する中でも、童謡と比べて人間と動物が表現対象として選ばれるときにこの傾向が顕著である。
 3点目は、宇宙を表現対象とした作品が多いということである。
 4点目は、童謡と比較して気持ちの進行が書かれることが多い、ということである。気持ちの進行が表現される場合、そのほとんどが詩となっている。
 5点目は、連が変わっても対象や場面、視点などが変化しない場合が多い、ということである。つまり、詩はひとつの話題や物事について一貫して述べている作品が多い傾向にあるといえる。
 6点目は、記号を含む作品が多いということである。詩全体の半数近くに「!」「?」「…」など作品内容に意味を付加する記号が使用されている。また、記号が使用されているまど・みちお氏の作品において詩が占める割合は7割近くにのぼっている。
 7点目は、童謡と比較して倒置法を多く用いる傾向があるということである。
 8点目は、童謡と比較して、自立語の省略が多いということである。
 9点目は、「擬人法」や「擬人法以外の比喩」など、対象を表現するときに他のものにたとえて表現する傾向があるということである。
 そして10点目は、字下げが行われている場合、字下げ部分が台詞を表す場合が多い、ということである。字下げ自体の数は少ないが、字下げになっている場合の半数以上が台詞を表現しているという結果がでている。
 以上が詩の表現特性である。

童謡の表現特性

 題名の付け方においては、作品を要約したような題名が多くつけられる、という表現特性がある。
 表記についての際立った表現特性は、2つある。1つめは、低学年で学習する漢字が、高学年で使用する漢字と比べて多く使用されていることである。2つめは、常用漢字以外の漢字が、詩と比較して多く用いられているということである。特にそのほとんどが戦前の作品において出現している。作品全体の傾向のところでも戦前に常用漢字以外の漢字が多く使用されているということを述べたが、童謡においてこの傾向は特に顕著である。 
 構成についての際立った表現特性は、1つの物事を多角的に捉える構成になっている作品が多い、ということである。それに加えて、詩と比べて場面の進行を描いた作品や表現対象が複数挙げられている作品も多くなっている。
 叙述について、際立った表現特性は全部で12点あった。
 1点目は、詩と比べて、非現実の世界が舞台になっている作品が描かれることが多い、ということである。童謡全体に占める非現実の世界が舞台の作品は多くはないものの、まど・みちお氏の作品において非現実の世界が舞台になる際は、そのほとんどが童謡である。
 2点目は、詩と比較して、質問とそれに対する返答や、呼びかけとそれに対する応答など、会話の往復が見られることが多い、ということである。
 3点目は、オノマトペが使用される傾向があるということである。童謡の半数以上の作品においてオノマトペが使用されている。使用されるオノマトペの型や種類に関しては童謡特有の表現特性は見られなかった。
 4点目は、詩と比べて叙事詩の割合が高い、ということである。まど・みちお氏の作品における叙事詩の約80%を童謡が占めている。
 5点目は、詩と比較して、表現対象が単独で表現される場合が多い、ということである。
 6点目は、場面の循環を描いた作品は童謡によって表現されることが多い、ということである。童謡に占める場面が循環している作品の割合は2割にも満たない。しかし、まど・みちお氏が作品において場面の循環を表す際は、そのほとんどを童謡において表現している。
 7点目は、詩と比較して、作品世界を外から捉え視点人物の心理を描かずに表現している作品が多い、ということである。視点が作品の外にあり、視点人物の心理を描かない作品は、その8割以上が童謡によって表現されている。
 8点目は、連同士で共通点をもちながらも、対象や場面など、ある点において変化がみられる作品が多く含まれている、ということである。そのことで、連同士が対句のような構造になることが多かった。この表現特性は、作品全体のところでも述べていることであるが、童謡において特に顕著になっている。
 9点目は、聴覚に訴え掛ける言葉遊びが連同士においても連内においても多く見られるということである。このことにより、連同士のリズムや連内のリズムが形成されると考えられる。
 10点目は、繰り返しが多用されているということである。童謡の9割以上の作品において、単語や文の繰り返しが見られた。また、この表現特性は作品全体のところでも述べたが、童謡において特に顕著に現れているといえる。
 11点目は、詩と比較して、付属語の省略が行われていることが多い、ということである。そして、付属語を省略する童謡の中には、付属語を省略することで意味は損なわず、なおかつ周りの連や行と字数を合わせリズムの形成を行っていたものもあった。そのことから、付属語の省略の意図として、リズムを形成するため、ということが考えられる。
 12点目は、詩と比較して、字下げを多く用い、その役割における「リズム形成」の割合が高い、ということである。まど・みちお氏の作品において字下げが使用されることは少ないが、使用されるときは、その多くが童謡となっている。また、字下げが果たす役割の中で、リズムの形成を行うものが童謡の41倍であった。
 以上が、詩の表現特性である。

第4章 第2節 今後の課題

 今回、1157編という数の詩と童謡を分析し、豊富なデータの中から表現特性をいくつか見いだすことができた。これまで、まど・みちお氏の詩と童謡は表現特性の面から論じられることが少なかったことから、本研究は多少なりとも意味をもった研究になったと感じている。しかしながら、見逃していた点や時間の関係などから調査を断念せざるを得なかったところがいくつもある。その中で、特に次につなげるべき今後の課題について4点を取り上げて述べる。
 1点目は、「不明」作品の分類である。今回、出版情報に依って詩と童謡の分類をすすめたが、証拠が揃わないために分類ができずに「不明」という結果になってしまった作品が、全部で174編あった。現時点では「不明」と分類した作品は「不明」のままになっているが、それらの作品を、今回明らかになった詩と童謡の表現特性と照らし合わせることで、詩と童謡どちらにあたるのか1編ずつ判断していきたい。「不明」作品をきちんと分類することによって、まど・みちお氏の作品全体における詩と童謡の割合や年代ごとの変遷についてより正確な情報を得ることができるだろう。
 2点目は、主題との関連付けである。先行研究では、主題に対する言及が多く、詩と童謡の違いについても同じように主題の面からとらえているものがあった。本研究の作品分析においても、研究当初は主題を分析項目に加えていた。しかし、主題が多岐にわたることで分類することが困難となり、分析項目から外さざるを得なくなった。他にも、主題に関連して、作品を通して何者かへの批判がなされているかどうか、についても分析項目に取り入れていたのだが、批判とそうでないものの明確な線引きが困難だったので、こちらも項目から外した。これら2項目を分析項目に取り入れることで、主題を表現するためにどのような表現がなされているのかを明らかにすることができ、主題と表現技法を関連付けることで、多くのことが見えてくると考えられる。したがって、今後の研究課題として、「主題」及び「批判」を分析項目に取り入れることが考えられる。
 3点目は、異なる表現特性の組み合わせを明らかにすることである。今回の研究で全29の分析項目を立てて、作品分析を行った。そして、それら29項目それぞれの分析結果について考察し、明らかになったことを述べた。しかし、表現特性は個々が独立して存在するだけでなく、作者の主張を表現するためにいくつもの表現特性同士が関係しあっていると考えられる。例えば、童謡において「叙事詩」となっている作品は、「場面の進行・停滞・循環」の項目において「進行」になっている場合が多かった。このように、項目同士を掛け合わせることによりさらなる表現特性の発見と理解の深まりが期待される。したがって、今後は分析項目同士の関係も調査していく必要がある。
 4点目は、他の詩人の作品と比較することである。今回、まど・みちお氏の作品全体の表現特性について考える際に各分析項目の結果に対して、それがまど・みちお氏独特の表現特性なのか否かが判断しづらかった。したがって、まど・みちお氏の作品全体の特徴や傾向を正確に掴むためにも、他の詩人による作品の表現分析を知り、まど・みちお氏の表現特性を外から眺める必要がある。
 他にも、教科書での詩・童謡の使われ方や表現対象のさらなる細分化、音の印象や響きについての考察など、考えられる今後の課題は後を絶たないが今回は特に上に挙げた4点を強調して、筆を擱くこととする。

おわりに

 今、天王寺キャンパスの一角で、春の日差しを受けながらこの一年をふりかえっています。4回生の始めに「まど・みちお氏の作品に触れてみたいなあ」と思ってから、卒業を3日後に控えた本日3月19日まで、取り組むかどうかは別としてずっと頭の片隅に卒業論文の存在がありました。
 その生活がひとまず今日で終わりだと思うと不思議な感じがします。
 と、ここまでえらそうに振り返りましたが、この卒業論文は多くの方々のおかげで完成した論文であり、気持ちの上では100人ぐらいが携わった、といっても過言ではありません。
 まずは、なにをおいても指導教官である野浪先生に心より御礼申し上げます。ゼミ活動の時間はもとより、先生が学校にいる間は追い掛け回して質問攻めにし、1月も後半に入るとメールでも質問をするなど、プライベートにまでどかどか踏み込んでいってしまいました。このような厚かましさをときにはかわしつつも受け止め、最後まで愛想を尽かすことなく丁寧にご指導してくださって本当にありがとうございました。
 そして、国語科の先生方にも、深く感謝いたします。中間発表の折に、先生方からいただいたご高説には、行き詰っていた研究に風穴を開けていただきました。
さらに、ゼミメンバーは苦しめる仲間として私の大きな心の支えとなりました。(にもかかわらず恩をあだで返す形でゼミの時間先生を独占してしまって大変な迷惑をかけたと思います。)
学科の仲間にも、傷をなめあったり塩を塗りあったりする中で、論文を大変に後押ししてもらいました。
3回生のゼミ生にも、ゼミ室を使いたいところを仕事が遅い4回生のために遠慮させてしまいました。
ほかにも、図書館の人やお母さんなど、あげだしたらきりがなく、これ以上あげたらだんだんとぼろが出てしまいそうなので別の場でお礼を言います。
 今回研究したことは、これで終わりにせず、これから先の教員生活でいかしていきたいです。おしまい

2013年3月19日晴れ

大阪教育大学 国語教育講座 野浪研究室 △ ページTop ←戻る