大阪教育大学 国語教育講座 野浪研究室 ←戻る counter
提出日:平成29年1月31日
平成28年度 卒業論文

「作詞家 阿久悠の歌詞における 表現特性」

大阪教育大学 教育学部 学校教育教員養成課程 
国語教育専攻 小学校コース
国語表現ゼミナール 132103 池田 朝哉

指導教員 野浪 正隆先生

目次

序章  研究動機・目的
第一章 研究にあたって
 第一節  研究対象
  第一項 作詞家 阿久悠
  第二項 対象楽曲について
 第二節  研究方法
  第一項  語彙分析
  第二項  構成分析
 第三節 分析のねらいと予想される結論

第二章 作品の分析結果
 第一節 各分析について
  第一項  歌詞における構成分析
  第二項  歌詞における語彙分析
 第二節 分析結果についての考察

第三章 まとめと今後の課題
 第一節  まとめ
 第二節  今後の課題

終わりに
参考文献

序章

研究動機・目的

 小学生のころから音楽が好きで、様々なアーティストの曲を聴いていた。もちろん曲のリズム、抑揚、旋律など、音楽として楽しんでいた部分もあったが、なにより歌の言葉としての部分、つまり歌詞の一つ一つの内容を味わいながら聞くことが好きだった。しかし、そのころは昭和の曲は聞かず、平成になってから出たようなJPOPなどばかりを聞いていた。
 2007年、ある偉大な作詞家がこの世を去った。演歌、ポップス、アイドル歌謡曲など幅広いジャンルの歌手に曲を書き、数々のヒット曲を生み出した人物、阿久悠である。そのころ中学一年生だった私は、その阿久悠逝去のニュースをテレビで見て、この作詞家はいったいどのような曲を書いていたのだろうかと疑問を持ち昭和の曲を聴くようになった。このようにして昭和の曲のすばらしさに気づいたのである。
 そこで今回私は、阿久悠が作詞した曲を詳しく調べ、阿久悠の歌詞における表現の特性とはどのようなものなのかを明らかにしたいと思い、卒業論文のテーマとした。

第一章 研究概要

第一節 研究対象

第一項 作詞家 阿久悠

  1937年〜2007年。本名・深田公之。兵庫県淡路島に生まれる。明治大学文学部を卒業後、広告代理店に勤め、番組企画・CF制作にかかわった後、作詞家としての活動に移る。活躍は多岐にわたり、小説家としても名を残している。
 阿久悠は自身の作詞について、次のように述べている。

  ぼくは、テーマ選びの基本姿勢として、時代の飢餓感を見きわめ、とらえることをいちばんに置いている。
  今の社会でいちばんほしいものは何なのだろうか。それは愛なのだろうか。やさしさなのだろうか。陽気さなのだろうか。激しさなのだろうか。新しさなのだろうか。(中略)
  無限にあるそういったものを、常に社会の動きを見ながら考えているのである。その中には、もちろん、ぼく自身の飢えも含まれているし、時代の飢えも含まれている。
  そういう満たされない部分を補ってやるのが、歌の持つ一つの使命ではないかと考えている。(注2)
  
 この「時代の飢餓感」は阿久悠の作詞における重要なキーワードである。阿久悠は時代の飢餓感を歌詞の中に盛り込み、それを阿久悠は「時代をたたく歌」と表現している。
 ここから阿久悠の歌に対する考えが読み取れる。阿久悠は時代をとらえ、その時代が一体何を求めているのかということを考え、それを大衆にぶつけているのである。
一方で阿久悠は次のようにも述べている。(注2)

   この企画の段階で一番重要なのは、コマーシャルの精神である。
 昔は、一人の歌手にぞっこん惚れこんで、「この泣きの部分がいいから、どうしてもいかしたい」となってしまうことが多かった。歌詞と製作者の一対一の惚れあいみたいなことだ。しかし、現在では、これは明らかにマイナスになる。

  阿久悠の作詞家としてのプロ意識が垣間見える。つまり、阿久悠は、一人一人の歌手にどのような曲を歌わせれば売れるのかということを考えており、あくまで曲、あるいは歌手を商品として世に売り出そうとするプロの作詞家としての心構えを強く持っていたのである。
 今回の研究では、阿久悠の作詞について時代性とジャンル性の二つの側面から迫っていきたい。

第二項  対象楽曲について

 阿久悠が作詞した楽曲のなかで、その提供歌詞の数が上位の歌手を選択した。計138曲。内訳は、次のとおりである。なお、()内は歌手のジャンルである。

・桜田淳子(アイドル・女)……27曲
・八代亜紀(演歌歌手・女)……9曲
・ピンクレディー(アイドル・女)……26曲
・森進一(演歌歌手・男)……21曲
・沢田研二(ポップス・男)……16曲
・石川さゆり(演歌歌手・女)……15曲 
・山本リンダ(ポップス・女)……12曲
・和田アキ子(ポップス・女)……12曲

第二節 研究方法

 今回、阿久悠の歌詞における表現特性を明らかにするにあたって、二つの観点から分析を行うこととした。一つ目は、「語彙分析」、二つ目は「構成分析」である。これらの観点からの分析を通して、阿久悠がどのように歌詞づくりを行っていたのかということの一端に迫っていく。その際、まずはrylics master というソフトを用いて歌詞を入手し(注1)、その歌詞に分析を行なった。以下にそれぞれの分析方法を示す。

第一項「語彙分析」

 語彙分析については、KH coderというソフトを用いて行う。まずは使用頻度の高い使用語彙を抽出する。使用頻度の高い語彙は、阿久悠が歌詞の中で中心に表現しようとしたものを明らかにする際、必ずキーになっていると推測できる。そのようにどのような語彙を多く使用しているのかを調べた後、次は使用頻度の高い語彙とかかわって、共に出てくることが多い語彙について調べていく。例えば、「希望」という語彙が多い場合、その「希望」という語彙が「ない」と「ある」というどちらの語彙とともに多く出てくるかによって大きく内容としては異なるものとなる。ゆえに語同士のつながりについて分析を行い、歌手ごと、年代ごとにどのようなことを表現しているのかを見ていく。

第二項「構成分析」

 歌詞を一つ一つ、その構成について分析する。文章の分析について、野浪氏は「物語文の構成分析思案」の中で次のように述べている。(注3)
 小説・物語の三要素として「背景・人物・事件」が、知られている。「どんな時・所を設定しようか、どんな人物を設定しようか、どんな事件を起こそうか」と表現主体は、発想し、ストーリーを作っていくのだろう。また、構成を分析する際にも「状況設定部・人物設定部・事件の伏線・事件の山場・事件の終結部」などの用語によって、三要素の枠組みを用いることがある。たしかに、出来事の筋・事件の筋は、はっきりするのだが、それ以上のことは、はっきりしないまま取り残されてしまう。例えば、主題を三要素による構成分析から導出することができるかというと、それは、不可能なのである。
 小説・物語文において主題と密接に関る要素は、主人公の心理である。心理に作用し、心理が作用する要素は、主人公の行動と、主人公の心理を「内界」とした場合の「外界」である。(「外界」では、言葉がこなれないので「状況」といいかえよう)
 この、「状況・心理・行動」という枠組みで、先の三要素をとらえなおしてみる。

背景=状況(ただし、主人公・視点人物以外の人物の心理・行動を含む)
人物=心理・行動(ただし、主人公あるいは視点人物の)
事件=状況×(心理・行動)

 新三要素の「状況」は、「背景」と「主人公・視点人物以外の人物の心理・行動」を含む。さらに風景や事物など、主人公・視点人物以外のものやことをすべて含む。「人物」は、主人公・視点人物の心理・行動だけを含む。主人公・視点人物以外の人物は、「状況」に含まれる。つまり、新三要素では、主人公・視点人物の「心理」を取り立てることになる。「事件」は、「状況」と「心理」・「行動」との関係としてとらえることができる。
 この分類方法に基づいて一行ずつ叙述を「状況」「心理」「行動」というように分類していく。ただし、先ほど述べたように「心理」とは視点人物の気持ちを描写している部分であるが、視点人物の独り言と取れる内容についても「心理」として分類している。また、「行動」については視点人物の行動をさすが、視点人物の会話(歌詞中の対象人物や聞き手に向けて発せられているもの)も「行動」と分類している。以下にその一例を示す。

ああ人恋し
状況行動心理
夜は誰でも みなし子で 
みかんむく手が 染まります 
窓にかさかさ 舞い落ち葉 
私いくつに なったのか  
あゝ人恋し 人恋し  
こころが すすり泣く  
   
ぽたりぽたりと 便箋に  
涙落として 書いてます  
左手に持つ 赤い酒  
私あいつに 惚れたのか  
あゝ人恋し 人恋し  
こころが しのび泣く  
   
夏に抱かれた ひとこまも  
秋の別れも 浮かびます  
白い枕は びしょぬれで 
私見る夢 どんな夢  
あゝ人恋し 人恋し  

「涙落として 書いてます 左手に持つ 赤い酒」という表現から、酒を飲みながら涙を流しているという状況を思い浮かべることができる。第一連よりもさみしいという感情が強く読み取れる。
 第三連では「夏に抱かれた ひとこまも 秋の別れも 浮かびます」といった心理が書かれている。過去の出来事が想起できる。また「白い枕は びしょぬれで」という表現からは第二連よりもさらに感情が強く読み取れる。
 第一連から三連にかけて状況と心理が中心に描かれており、情景からも心理を表現している。「心がすすり泣く」「心がしのび泣く」「心がむせび泣く」という三段階の表現の変化は人物の心情の変化を豊かに表現している。
視点人物…主人公(女)
叙述パターン(どの要素が中心か)…状況と心理
状況変化…場面転換
心理変化…エスカレーション
内容…失恋
主な心理…悲しみ

 このような構成分析を全曲に対して行い、歌詞の傾向を見ていく。これらの分析を通して、視点人物はだれか、叙述はどのパターンが多いのか、全体がどのような内容であるのか、全体で視点人物の心理や状況はどのように変化しているのか、またはしていないのか等について総合的に見ていく。

第三節 分析のねらいと予想される結論

 研究動機でも述べたように、今回の分析は、阿久悠の作詞における表現特性を調べ、阿久悠が表現しようとしたものについて明らかにすることである。
 「語彙分析」については、歌詞の中で阿久悠がどういったものを表現しようとしていたのかについてのキーになる語が必ずあるはずであり、使用頻度の高い語は特に注意すべきであると予想できる。ゆえに使用頻度の多い語を調べ、また、その語と関わり、ともに出てくることの多い語についても調べていく。この際、歌手ごとの特徴、年代ごとの特徴について調べていく。このことで、阿久悠がどのような狙いで歌詞づくりを行っていたのかということの一端を明らかにしたい。
 予想される結論について述べる。先に述べたように、阿久悠は「時代をたたく歌」を目指し、「時代の飢餓感」は何なのかを常に考え歌詞づくりを行っており、一方では曲・歌手を売るためという強い作詞家としての役割を意識していた。そこから、歌手ごとの語彙の使用には変化がみられるが、年代ごとに見たとき、そこには一定の共通点がみられる可能性があると推測できる。
 「構成分析」については先ほど研究方法で述べたように、「状況」「行動」「心理」に一文一分の叙述を分類し、そのうちどの要素を中心に描いているのかという叙述パターンを調べ、歌詞で表現される世界を阿久悠はどの要素で形成していくのかを明らかにしたい。また、一曲ずつ歌詞中の視点人物・対人物、歌詞中における状況、視点人物の心理(行動から読み取れる心理も含む)の変化、歌詞中で表現されている内容(恋、励ましなど)を調べていく。このことから阿久悠がどのような構成で歌詞を作り出しているのかについても明らかにしていく。
 予想される結果について述べる。構成については歌手ごとに見た時では、それぞれの歌手の特徴に合わせて、内容を書いていくので、そこに違いがかなり見られるのではないだろうか。しかし、そこに違いがみられることが予測できるのは一定の想定がつくので、今回は、構成分析については、歌手ごとではなく、年代ごとでのみその変化を追っていくことにした。一方年代ごとに見た場合でも年代が変わるにつれて、描かれる内容には変化がみられると予想している。

第二章 作品の分析結果

第一節 「語彙分析」

 ここから、歌手別の作品の語彙分析結果について述べていく

@八代亜紀

使用語彙
語彙同士の共起関係
 「女」が19回、「心」が10回と二つの語彙のみが10回以上出現している。その後に、「雨」、「窓」、「人」という語彙が続く。
 共起関係を見ると、「女」が様々な語彙と結びついていることが分かる。「女」は「景色」、「見つめる」、という語彙とつながっており、それらの語彙は「泣く」という語彙と結びついていることが分かる。このことから、八代亜紀の曲の中では、「女」は悲しみを背負う人物として描かれていることが分かる。
 また、「雨」に着目すると、「涙」、「海」と結びついている。悲しみ、暗いイメージを連想させ、その舞台として「海」を選択していることが分かる。さらに「海」という語が「鴎」と結びついている。この「鴎」という語彙の持つ意味についてはのちの考察で述べたい。

A桜田淳子

使用語彙
語彙同士の共起関係
「恋」が23回、「夏」が20回と頻出している。「泣く」、「花」、「愛」、「心」、「今」、「しあわせ」といった語彙がその後に続く。「恋」という語が最も頻出しているのである。「愛」という語彙についてもいえることだが、これらの語彙は「しあわせ」という肯定的なイメージを持つ語彙や、「泣く」という悲しみを連想させる語彙と絡み合って出現している。また、「愛」という語が「生きる」というと結びついているのは、先ほどの八代亜紀の場合と同じである。
 また、桜田淳子の歌詞における語彙の特徴として四季を表す語として「夏」が最も多く用いられている。「夏」は、「恋」と共に出現しているおり、これは桜田淳子のアイドルというジャンル性ゆえの結果だと言える。若い少女のさわやかな恋を表現するためには、夏の季節が最もふさわしいと阿久悠は考えたと推測できる。

Bピンクレディー

使用語彙
語彙同士の共起関係
「来る」、「逃げる」、「テレビ」、「ピンク」、「心」、「モンスター」といった語彙が上位にある。「心」以外は、一つの曲で繰り返されている語彙がそのまま上位に残っている形である。動詞が上位にあることからも、ピンクレディーの曲が動作を中心に構成されていることが分かる。また、カメレオン、ペッパー警部、パイプの怪人、モンスターなど、独特のキャラクターを登場させ、曲の中の物語にユーモアを取り入れていることが分かる。しかし、その中でも「恋」は17回、「愛」は10回出現している。つまり、そういったユーモアを取り入れた曲の中でも、また、それ以外の曲の中でも恋や愛の要素は盛り込まれているのである。
 共起関係においても中心となっている語彙は「恋」である。様々な語彙と結びついているが、ここで注目したいのは「恋」が悲しい、暗いイメージの語彙とは全く結びついていないことである。ピンクレディーの特徴だと言える。

C沢田研二

使用語彙
語彙同士の共起関係
 「女」が29回、「ギャル」、「心」、「男」がそれぞれ21回で並んでいる。沢田研二という男性歌手の曲の中で「女」という語彙が最も多く用いられているのである。つまり女目線から見た女ではなく、男目線から見た女が書かれていると推測できる。
 共起関係を見ると、「女」は「心」、「男」とつながっている。女や男の心が男目線で語られていることを表している。さらに、注目したいのは、「気」「障る」という二つの語彙で、これらは「気障(きざ)」という語彙として出現していたものが、分析の過程で分解されたものである。この語彙は「男」と結びついており、気障な男の姿を描こうとしていたことが分かる。

D和田アキ子

使用語

語彙同士の共起関係
 「恋」、「バイ」、「夢」、「愛」、「歌う」といった語彙が頻出している。
 和田アキ子の語彙で特徴的なものは共起関係の中心語彙である「今」である。今という語彙が「悲しい」、「見る」、「心」、「信じる」など様々な語彙と結びついている。今という時間を大切にしていることが分かる。
 さらに「悲しい」という語彙と「恋」が結びついている。「恋」に着目すると、「悲しい」だけでなく、「笑う」、「許す」、「破れる」などといった語とつながっており、「恋」がそのような様々な要素から成り立っていることが分かる。

E森進一

使用語彙
語彙同士の共起関係
「泣く」、「恋」、「女」、「行く」、「帰る」といった語彙が頻出している。「女」が「男」よりも頻出していることは、森進一の曲だけではなく、他の歌手も同様である。
 共起関係を見ると、「恋」が中心語彙となっている。「恋」の周辺には、「捨てる」、「悲しい」といった語彙があり、さらには、「女」は「泣く」と結びついている。これらのことから、森進一の曲の中では、悲しい恋が中心に描かれていることが分かる。また「泣く」にも「死ぬ」という語彙が結びついている。
 森進一の曲の中では、季節を表す表現として「秋」や「雪」といった語彙が用いられている。「雪」は冬を表しており、さみしい感情がより相手に伝わりやすいような季節を選択しているのである。

F山本リンダ

使用語彙

語彙同士の共起関係
「恋」が16回、「駄目」が15回、「信じる」が11回、「男」が11回、「真赤」が10回と頻出している。さらにその下には、「女」、「燃える」、「奇跡」、「今夜」、「夜」が続いている。
「恋」が頻出しているのは、他の歌手と同様である。山本リンダの曲の特徴としては、「燃える」、「真赤」などの情熱を連想させる語彙が頻出していることである。これらのような語彙を用いることで、恋の情熱を表現していると言える。さらに「恋」の共起関係を見ると、「夜」と共に出現していることが分かる。さらに頻出語彙としても「今夜」があり、つまり山本リンダの曲の中では「恋」の時間は夜に設定されているのである。そして「恋」は「楽しい」と共起関係にあり、恋の楽しさを描いているものが中心であることが分かる。
 着目したのは、「男」が「涙」と共に出現していることである。演歌歌手の中では、女が泣く、涙を流すが、山本リンダの曲の中では男が涙と共に出現しているのである。

G石川さゆり

使用語彙
語彙同士の共起関係
 「海」が17回、「恋」が15回、「来る」が10回、「今」、「女」、「生きる」がそれぞれ9回ずつ出現している。しかし、共起関係の図を見ると、「泣く」が中心語彙となっていることが分かる。「泣く」の出現回数は7回であるにもかかわらず、中心語彙となっているのは様々な語彙と密接にかかわっていることが原因である。
 「泣く」について述べる前に、「恋」について共起関係を見ると、「知る」、「しあわせ」と結びついている。「しあわせ」は、明るい、楽しいイメージを持たせるものであり、恋のそういった面を描いていることが分かる。しかし「恋」は「泣く」という語彙とは共起関係にない。恋の悲しい部分を描き出すときには、「恋」という語彙を直接使用せずに描いていることが分かる。
 ではここで「泣く」に着目すると、「海」、「鴎」、「女」などと共に出現している。「女」と「泣く」が結びついているので「海」とは、女が泣く舞台として設定されていると言える。「鴎」については、先にも述べたように、後の考察で触れていきたい。この「鴎」や、「秋」、「冬」のような季節を表す語彙、「海」の舞台設定などで、登場人物の悲しみを演出しているのである。

年代別

 ここからは、年代別に頻出語彙を見ていく。

@1971‐1975

頻出語彙
 「恋」が56回、「女」が24回、「見る」が23回、「泣く」が22回、「心」が22回、「男」が22回、「悲しい」が22回と、このような語彙が頻出している。
 これを見ると「恋」の回数が二番目の「女」の二倍以上の出現回数となっている。さらに上位の語彙を見ていくと、「泣く」、「悲しい」といった語彙が頻出しており、恋の悲しさを中心に表現しているといえる。

A1976‐1980

頻出語彙
 「女」が55回、「心」が55回、「来る」が36回、「恋」が35回、「男」が33回、「今」が30回でこのような語彙などが頻出している。
 「恋」の出現回数は減り、「女」の出現回数が先ほどに比べ約2倍となっている。恋の様子そのものではなく、女の様子を描くことによって恋を描いていたのではないだろうか。

B1981‐1985


頻出語彙
「ホー」、「行く」、「タブー」、「美しい」といった語彙などが頻出している。しかし、対象楽曲がほかの年代に比べて比較的少ないため、一つの曲の中で繰り返されたものがそのまま頻出語彙となっている。
 その中でも、「恋」が6回、「泣く」が5回など、全体で頻出している語彙はここでも上位に位置している。

C1986‐1990

頻出語彙
「愛」が15回、「歌う」が10回、「女」が10回、「もう一度」が8回と頻出している。
 「愛」が「恋」に比べて頻出しているのはこの年代のみである。また、「女」は他の年代同様ここでも上位に位置している。

D1991以降

頻出語彙
 1991年以降でも「女」が19回、「泣く」が13回など頻出する語彙には他の年代と同じ特徴が見られる。
 他には「テレビ」、「来る」といった語彙が頻出しているが、これは同様の曲で繰り返されたものである。このようにその時の時代を表現するような曲も見受けられた。

第二節 「構成分析」

 ここでは、歌詞の構成についてそれらの内容も含めて、各項目について年代別に比較しながら、その特徴を見つけ、阿久悠の歌詞の年代に伴う変化について調べていく。

視点人物

 まず、曲の中での視点人物がどのような設定にされているのかを明らかにした。分類は男、女、第三者、そして、兄、特定の人物に視点が設定されている場合はその他とした。
・1971〜1975
1971〜1975年に発売された曲の中で、79パーセントが視点人物を女に設定していることが分かる。12パーセントが男、第三者視点から語っているのは7パーセントとなっている。

・1976〜1980
1976〜1980年に発売された曲の中で、69パーセントが女、25パーセントが男、三パーセントにそれぞれ第三者、その他視点人物に設定されている。

1981〜1985
1981〜1985年の間では、女が80パーセント、男が20パーセントとなっている。

1986〜1990
1986〜1990年の間では56パーセントが女、11パーセントが男、33パーセントが第三者に視点人物を設定している。この年代では、第三者視点から書かれている曲の割合がほかの年代に比べ高くなっていることが分かる。

1991以降
1991年以降の曲の中では、54パーセントが女、15パーセントが男、23パーセントが打算者、8パーセントがその他に設定されていることが分かる。1991以降の曲においては、女が視点人物となっている曲の割合がそれまでに比べ減少していることが分かる。

全年代
 対象楽曲の全体で見たときは、72パーセントが女、18パーセントが男、10パーセントが第三者、4パーセントがその他に設定されている。
 年代ごとに見た場合は割合が減少していることがあったが、全体でみると女の割合がほかに比べ高いということが分かる。

内容

 内容について曲の歌詞の中で、どういったものを描いているのかということを分類した。分類は恋(別れ:恋の中の別れの部分に主に焦点を当てて描いているもの)、恋(失恋:恋の終わった後に主に焦点を当てて描いているもの)、恋(純愛:恋人を心から思っているもの)、恋(奔放:異性に対して自分の思いのままにかかわろうとしている様子を描いているもの)、恋(怒り:恋人に対しての怒りを描いたもの)、恋(警告:異性に対して気を付けるように注意を促しているもの)、恋(求愛:異性に対して愛を求めているもの)、恋(片思い:異性に対して一方的に恋を抱いているもの)、励まし(不特定の人物を励ましているような内容のもの)、そしてその他(兄弟愛や、自己への陶酔を歌っているものなど)である。以下に例を示す。
・恋(別れ)
沢田研二・「勝手にしやがれ」

壁ぎわに寝がえりうって
背中できいている
やっぱりお前は出て行くんだな
    以下略
恋(失恋)
石川さゆり・「砂になりたい」

心がこなごな こわれた私
体もさらさら 砂になりたい
春になっても まだ寒い
北の砂丘を ただひとり
日本海から 吹く風で
砂のつぶてが 頬をうつ
うらんでいうのじゃ ありません
恋でこの身が 燃えつきました
山陰本線 夜の汽車
明けて砂丘の 砂もよう

指の間を 音もなく
砂がこぼれて 行きました
まるで私の しあわせと
同じようねと つぶやいた
あなた以上の いいひとに
会えるのぞみが 持てないのです
山陰本線 夜の汽車
明けて砂丘の 砂もよう
心がこなごな こわれた私
体もさらさら 砂になりたい…
恋(純愛)
和田アキ子・「貴方をひとり占め」

あなたを誰にも 渡しはしないわ
抱いて抱かれ 夢みて
あなたあなただけなの
ばかな私だけど 仕方がないわ
    以下略
恋(奔放)
山本リンダ・「きりきり舞い」

はらはらさせてごめんね
いいこでなくてごめんね
浮気ぐせはなおらないのよ

夜風が甘いだけでも
祭が近いだけでも
からだ中が燃えてしまうの

たいくつな時は死にそうになるのよ
突然悪いささやききこえ
私はあなたを
捨てて 捨ててしまう
    以下略
恋(怒り)
桜田淳子・「あなたの接吻にはトゲがある」

いけないわ 今の私はあなたが嫌い
気持は少しも 許していないわ
偽(いつわ)りばかりで 仲直りだなんて
あなたのキスにはトゲがある
あの日の私の泣いてたわけを
少しも知ろうとしないのね
愛することはいたわりだよと
口先ばかりでいうあなた

寄らないで 今も二人は喧嘩(けんか)をしてる
あれほど嫌いと いってるじゃないの
何かをかくして 愛してるだなんて
あなたのキスにはトゲがある
子供のつもりで扱わないで
去年の私と違うのよ
私を見つめきれいだなんて
口先ばかりでいうあなた
    以下略
恋(警告)
ピンクレディー・「S・O・S」

"男は狼なのよ 気をつけなさい
年頃になったなら つつしみなさい
羊の顔していても 心の中は
狼が牙をむく そういうものよ
    以下略
恋(求愛)
ピンクレディー・「パパイヤ軍団」

如何(いかが)かしら セクシーでしょう
見て見て私のこのポーズ
たちまちだわ くらくらよ
ムッツリしてても お見通(みとお)しよ

駄目(だめ)ね 大人(おとな)は気どってしまうのよ
好きと素直(すなお)にいえないの
いやね 恐(こわ)い顔して見せて
心ごまかすなんて ああ
私たち食べごろよ 枝(えだ)からポトンと落ちそうよ
一つ刺激(しげき)があったら すぐに手に入るのに
    以下略
恋(片思い)
桜田淳子・「気になるあいつ」

あなたのばか もう知らない
お話しなんか してあげない
私のこと 気付かないで
女の人と 遊んでいる
おそろいの 白いベストも
すてようかな
口づけの 夢の気分も
すてようかな
キライになりたい あなたのことを
キライになりたい 気になるあいつ

    以下略
励まし
森進一・「はな」

名も無い花に生まれ
ひそかに生きている
大きなリボンで飾られなくて
誰かの胸にも抱かれなくて
だけど花には花の心があるわ
しあわせを しあわせを
朝な夕なに祈ってる
    以下略

1971〜1975
 1971〜1975年の間では、失恋の曲が12曲と最も数が多いことが分かる。その次に純愛、奔放、求愛が続いている。

・1976〜1980
 1976〜1980年の間では、失恋の曲よりも、純愛を歌った曲が多いことが分かる。さらに、恋・励まし以外の曲である、その他を示すものが12曲と二番目に多いことが分かる。
 また、奔放な恋を描いたもののうち半数である8曲がこの時期に歌われていることが分かる。

・1981〜1985
 1981〜1985年の間では、純愛を描いたものが最も多いが、曲数については、この年代が最も少ない。

・1986〜1990
 1986〜1990の年代では、誰かを励ますような内容のものが最も多く、恋に関する曲の割合は他の年代に比べ非常に小さい結果となっている。

・1990以降
 1990年代以降では、純愛を描いたものが最も多く、その次にその他、そして失恋と励ましの曲が続いている。

・全体
 全体でみると上のようなグラフとなる。純愛を描いたものが39曲、失恋を描いたものが27曲、そして奔放、その他が16曲で並んでいる。さらにその下に求愛を描いたものが11曲、別れを描いた曲が10曲となっている。

状況変化

 次の表は年代別の歌詞内における状況の変化についてまとめたものである。
 表を見ると、歌詞内における状況は、好転、あるいは暗転することが、変化なし、時間経過に比べ少ないことが分かる。つまり、悪い状況から良い状況に、良い状況から悪い状況に変化することは割合的に小さいことが分かる。各年代を通じて、変化なし、時間経過を合わせた割合は70パーセントを超えているのである。ここには年代ごとの変化は見られない。
例) 時間経過している歌詞
来て 来て 来て 来て
サンタモニカ
来て 来て 来て 来て
サンタモニカ

夜のホテルの窓に
もたれかかってぼんやり
風に吹かれていたら
不意に電話が鳴った
きっと あなたと思い
白い受話器を握れば
只の友だちからの
妙にはしゃいだ電話
あなたが来たらハネムーン
あなたなしではメランコリー
来て 来て 来て 来て
サンタモニカ
来て 来て 来て 来て
サンタモニカ
サンタモニカから愛をこめて
風の言葉を送ります

浅い眠りの果てに
ひとり夜明けの珈琲
シュガー落してのめば
朝の光がさした
時の流れの早さ
昇る朝日に思えば
愛の残り時間
後はわずかになった
二人でいればハネムーン
一人きりならメランコリー

来て 来て 来て 来て
サンタモニカ
来て 来て 来て 来て
サンタモニカ
サンタモニカから愛をこめて
風の言葉を送ります
(桜田淳子・「サンタモニカの風」)

心理変化

 次は心理変化についての表である。
 心理変化についても、好転、暗転の数よりも、変化なし、エスカレーションの割合が大きいことが読み取れる。ここでも年代ごとの変化は読み取れなかった。

(例)心理のエスカレーション
夜は誰でも みなし子で
みかんむく手が 染まります
窓にかさかさ 舞い落ち葉
私いくつに なったのか
あゝ人恋し 人恋し
こころが すすり泣く

ぽたりぽたりと 便箋に
涙落として 書いてます
左手に持つ 赤い酒
私あいつに 惚れたのか
あゝ人恋し 人恋し
こころが しのび泣く

夏に抱かれた ひとこまも
秋の別れも 浮かびます
白い枕は びしょぬれで
私見る夢 どんな夢
あゝ人恋し 人恋し
こころが むせび泣く

(森進一・「あゝ人恋し」)
 では、大きな割合を占めている状況の「変化なし」、「時間経過」、心理の「変化なし」、「エスカレーション」について歌手ごとにその変化を見ることにした。

状況変化

 この表を見ると、山本リンダ、ピンクレディーは「時間経過」の数が0となっている。つまり、歌詞の中で時間が経たない内容となっているのである。

心理変化

 先ほど、状況が変化するものが0曲であった山本リンダは、心理の「エスカレーション」(喜び、悲しみなどの感情の種類は問わず、その感情が歌詞の中で高揚しているもの)が0曲である。また、ピンクレディーについても他の歌手に比べると、その割合は小さい。

叙述

 叙述について見ると、「心理」、「状況・心理」が中心の叙述パターンが最も多く、全体で見たとき、約90パーセントを占めている。また、この傾向は各年代に見られることが分かった。つまり、阿久悠の作り出す歌詞は、視点人物の心理や、周りの状況が描かれている曲の割合が大きいのである。

第二節 分析結果についての考察

 では分析結果の考察を述べていく。初めに語彙分析の結果について、その後構成分析の結果について考察を述べていくこととする。

○語彙分析

 語彙分析については、ジャンル別に述べた後で年代別に述べていきたい。まずは、演歌歌手である森進一、石川さゆり、八代亜紀の三人についてである。
 この三人に共通しているのは、「女」という語彙がそれぞれ頻出しているということである。さらに「雨」、「雪」、「海」、「秋」、「冬」といった語が用いられており、これらの語彙が歌詞の世界を作り出していると言える。
 「雨」、「雪」という語は悲しみや寂しさといった感情が描かれている場合に書かれている。例えば森進一の「悲恋」の中では、
夜明けに小雨が 残る頃
港で汽笛が むせぶ頃
どこへ行くのか 顔かくし
小さい荷物の 二人づれ
恋とよぶには 悲し過ぎ
声をかけるもつらくなる つらくなる
というように「雨」という語彙が用いられている。また、季節を表す語として、「秋」、「冬」が頻出しているのは、「夏」が頻出しているアイドルの桜田淳子とは対照的である。さらに、石川さゆりの曲の中では、「海」という舞台が悲しみと共に用いられている。
石川さゆり「鴎という名の酒場」
黒地に白く 染めぬいた
つばさをひろげた 鴎の絵
翔んで行きたい 行かれない 
私の心と 笑うひと
鴎という名の 小さな酒場
窓をあけたら海
北の海 海 海
 このように用いられているのである。阿久悠はこの舞台設定について次のように述べている。(注2)
 山を見たとき″といえば、山へ何しに行ったのかということまで関係してくる。
 山へ″というと、それはおそらく人生を変えようと思って行ったに違いない。それは前向きの姿勢でなく、一つの結論を出したくて山へ急いだといったニュアンスがある。船に乗って海をどこまでも行く″といえば、これは非常に安易なイメージだが、少なくとも何かを求めて旅立つというニュアンスになってくる。
  どちらをとるか。同じテーマにしても、素材のとり方は重要なのである。
 このように阿久悠は素材のとり方には非常にこだわっていたことが分かる。その阿久悠が石川さゆりの曲の中では「海」が用いられている。つまり、「海」と共起関係にあった「女」は「何か」を求める人物として描かれていたのである。そしてその「何か」とは、歌詞の中で悲しみが伝わるような、先に引用した石川さゆりの「鴎という名の酒場」の曲などの中では、「安心」であったり、「自由」であったり、あるいは「しあわせ」であったりするのではないだろうか。
 このように阿久悠は演歌ではこれらのような語彙を使用し、登場人物の心情を表現していることが分かる。
 ここでさらに「鴎」という語彙に着目すると、八代亜紀、石川さゆりの頻出語彙であり、それぞれ五回以上出現している。阿久悠はこの「鴎」について次のように述べている。(注2)

 いずれにせよ、イメージを共有するための装置として情緒の定番というものは、ありました。これはつくり手と歌い手と聞き手のあいだのキーワードなので、多くを説明しなくても、「波がしぶいてカモメが飛べばそれは悲しいんだ」とかね。悲しいといわなくても悲しいということがわかるという談合ができていたわけで、歌謡曲のものすごい強みだったと思うんです。

 つまり「鴎」とは悲しみを表現するためのキーワードとして用いられているのである。
 同じような例として「北」というキーワードについても述べられている。「例えば、「北」のイメージです。どこで生まれたイメージかわかりませんが、北へ向かえば失意、南へ向かえば希望という図式が、なぜかできていた。(注)」「北」は石川さゆりの曲では7回、森進一の曲の中では5回用いられている。阿久悠が「鴎」や「北」などのイメージ語の持つイメージを考えて、演歌を作詞していたことが分かる。
 では、次にアイドルのピンクレディー、桜田淳子の二人について述べていく。桜田淳子の曲の中では、先ほどの演歌で頻出していると述べた、「秋」、「冬」といった語彙の代わりに「夏」が頻出していることが分かる。これは、桜田淳子の若さ、明るさや楽しさなどを描くにあたり、必要な状況設定だといえる。
 「恋」については、ピンクレディーが特徴的である。「恋」という語が悲しみのような暗い感情と共に出現することがなく、また、悲しみや寂しさが描かれている曲は一つもなかった。桜田淳子についても28曲のうち、恋の悲しみを歌ったものは5曲であり、「恋」が「しあわせ」という語彙と結びついていた。例えば、
こっちへおいでと あなたが言うから
裸足で駈けてとんで行く
広げた腕のその中へ
好きよ好きよ好きよ こんなにも
誰もみな見ないふり してくれる恋人に
こうして二人なれたわ
十七の夏
(桜田淳子:「17の夏」)
 このように、「夏」にはつらつとした少女の純愛を描いており、聞き手にしあわせを感じさせるような内容となっている。
 また、ピンクレディーの曲の中では、他の歌手よりも動詞が頻出語として挙がっており、これは、ピンクレディーのダンスを交えながら歌うスタイルに合わせて作られているといえる。典型的な例として次のようなものがある。
逃げろ!逃げろ!逃げろ!お嬢さん 奴(やつ)から逃げろ
逃げろ!逃げろ!逃げろ!お嬢さん 地球の果てまで

おいしい言葉に ウキウキしてたら
そのうちムシャムシャ 食われてしまう
綺麗(きれい)な花にはトゲがある
おいしい言葉に針がある
釣(つ)られて泣くなよ 今のうちだよ
自慢のアンヨで すたこら行きなよ
三つ数えるそのうちに ワン・ツー・スリー エンド
ワン・ツー・スリー 三つ数えるそのうちに
逃げろ!逃げろ!逃げろ!お嬢さん 奴から逃げろ
逃げろ!逃げろ!逃げろ!お嬢さん 地球の果てまで
(ピンクレディー・「逃げろお嬢さん」)
 さらに、カタカナの文字数について着目すると、この二つの歌手の曲全体に占めるカタカナの使用割合は約8パーセントである。それに対し、他のジャンルの歌手の曲を合計して計算すると約4パーセントとなっている。つまり他のジャンルの歌手に比べて倍のカタカナを使用しているのである。
 以上のように、アイドル歌手は、「夏」という語彙や、「恋」の悲しい部分を深刻に描いた曲が演歌歌手に比べ少ないこと、さらにカタカナがほかのジャンルに比べ多いことから、若者向けに青春を感じさせたり、アイドルの愛らしさを活かしたりするような語彙が用いられていることが分かる。
 では最後に、和田アキ子、沢田研二、山本リンダのポップス歌手の語彙について述べていく。
まず、「恋」という語彙に着目すると、それぞれ異なる様子の恋が描かれていることが分かる。和田アキ子については、先ほども述べたように、悲しさや、許しなど、様々な要素と絡めながら「恋」を女目線で描いている。沢田研二については、「気障」、「女」などの語彙から、男目線から見た女や、男のプライド、生き様といったような要素と絡めて「恋」
を描いているといえる。そして山本リンダについては、「夜」、「真っ赤」、「燃える」といった語彙から、燃えるような情熱をもって「恋」を描いていることが分かり、その「恋」の時間は「夜」に設定されていることが分かる。また、山本リンダの曲の中では「蝶」という語彙が一曲の中で繰り返し出現する。この「蝶」についても阿久悠は言及している。(注2)
  蝶とは、いったい何なのであろうか。そこで、遊び半分に連想ゲームをやってみた。蝶からいったいいくつのイメージが浮かび上がってくるだろうか。
  浮気者。短命。はかない。ホステス。ストリッパー。蜜。標本。コレクター。マダム。バタフライ。花畑。弱い。誘惑。貴族。売春婦。刺青。ステンド・グラス。灯。パリ。ニューギニア。靴下どめ。モスラ。ミヤコ蝶々。原色。快楽。溺れる。
  これだけでもわかるように、実にさまざま、両極端のイメージを数多く持っているのだ。売春婦、貴族、どちらもうなずける。ニューギニアといえばそうかと思い、パリといえば、これまたそうかと思うのである。
  要するに、蝶Wという絵を制約なしに投げ出しただけで、見た人がそれぞれ、なん十種類ものイメージを浮かべてくれる。まさにポップアートであると思った。
  
 つまり、「蝶」とは特定のイメージを持たせるための語彙ではないということである。むしろ、聞き手の感受性に働きかけ、自由に想像させるような語彙なのである。では、山本リンダの曲の中ではどのような使い方がされているのだろうか。例を挙げる。
うわさを信じちゃいけないよ
私の心はうぶなのさ
いつでも楽しい夢を見て
生きているのが好きなのさ

今夜は真赤なバラを抱き
器量のいい子と踊ろうか
それともやさしいあのひとに
熱い心をあげようか

あゝ蝶になる あゝ花になる
恋した夜はあなたしだいなの
あゝ今夜だけ あゝ今夜だけ
もう どうにも とまらない

港で誰かに声かけて
広場で誰かと一踊り
木かげで誰かとキスをして
それも今夜はいいじゃない

はじけた花火にあおられて
恋する気分がもえて来る
真夏の一日カーニバル
しゃれて過ごしていいじゃない

あゝ蝶になる あゝ花になる
恋した夜はあなたしだいなの
あゝ今夜だけ あゝ今夜だけ
もう どうにも とまらない
 夜の大人の女の恋が描かれていることが分かる。この場合に用いられている「蝶」という語彙は、次々に男に目を付けていく女の浮気性を表しているのではないか、長くは続かない一時的な恋だということを表しているのではないか。はたまた快楽に溺れる女の姿を現しているのではないだろうかと、この歌詞の内容から判断すれば先ほど阿久悠が例として挙げていたものの中からこれらのようなことが大方読み取れる。
 さて、これらの歌手の共通点として挙げられるのは、大人の恋を描いているということである。アイドル歌手のように、「恋」の楽しい部分ばかりを、また、少女のような若い心情を描いているわけではない。また、だからと言って演歌歌手のように「恋」の悲しい部分を哀愁をもって表現しているわけでもない。夜の大人の恋や、男の別れ際の心情、情熱的な恋を表現しているのである。情熱も、若いアイドルのような純情のようなものではなく、一生を添い遂げようとするほど強い心情が描かれているのである。

○構成分析

・歌詞の内容
 まず歌詞の内容についての変化を読みとったところ、1980年以降は曲数が少なくなってしまっている。そこで、1971〜1975年と1976〜1980年の間の変化を中心に見ていくと、失恋・別れを描いたものが36パーセントから24パーセントになっているが、純愛を描いたものは24パーセントから25パーセントで変化が小さい。つまり、1976〜1980年の間では1971〜1975年に比べて、別れや失恋といった悲しい要素は減っているということである。
 七一年になると、七十年という時代をくぐりぬけてきて、いわゆるやさしさとか、ふれあいを求める時代になった。
 このように阿久悠は述べている。ここでもう一度二つの年代のグラフを見比べてみる。
1971〜1975

1976〜1980
 先ほども述べたように1971〜1975の間では、1976〜1980の間よりも失恋、別れの合計の割合は大きい。また、同様に、求愛、奔放も同じく割合を見ると、28パーセントから16パーセントとなっており、1971〜1975年の間のほうが高い。しかし、純愛の割合はほとんど変化がみられない。また、その他と分類した、恋や励まし以外の曲が1976〜1980になると増えていることが分かる。
 ここからわかるのは、1971〜1975年は、恋愛について安定していない曲が1976〜1980年に比べて多いということである。安定しているのならば純愛の曲が多いはずである。しかし、失恋、別れ、片思い、そして自分から求める求愛や、自由に恋をする奔放といった分類の割合が1976〜1980に比べて高く、この時期には不安定な恋愛が描かれているといえる。そして誰かを励ますような曲が多いことも、先ほどの阿久悠の言葉からもうなづける。やさしさを人々が求めていたのではないだろうか。
 次に叙述のパターン、歌詞内における状況変化、心理変化について述べる
分析結果では叙述のパターンは「心理」、「状況・心理」の割合がほかに比べ高い結果となった。また、状況変化については「なし」「時間経過」、心理変化については「なし」「エスカレーション」の割合が同様の形で高かった。つまり、「心理」、「なし」、「なし」と「状況・心理」、「時間経過」、「エスカレーション」という組み合わせが読み取れる。
 心理が中心に描かれているものでは、そのうち約78パーセントは状況変化・心理変化はなしだった。つまり一時的な心理を繰り返し述べている内容なのである。一方で状況・心理が中心に描かれているものでは、時間経過・エスカレーションしているものは約10パーセントで、それほど割合は高くない。ここから、叙述の中心に状況が絡むとその状況の変化、そしてその心理の変化にはバリエーションがあることが分かる。
 歌手ごとに見た場合でも、山本リンダやピンクレディーの曲の中では、状況・心理が変化しない曲がほかの歌手に比べ多いという違いも見られた。これは、この二人の歌手の性質によるところが大きいのではないだろうか。二人とも勢いよく聞き手を巻き込むような曲調で、時間をかけてじっくり変化していく様子ではなく、その一時の感情を聞き手にぶつけるような内容なのである。

第三章 まとめと今後の課題

第一節 まとめ

 初めに述べたように、阿久悠は、曲作りに関して二つの要素を重要視している。時代性と、コマーシャル精神である。
 まず今回の研究では、コマーシャル精神、つまり歌手やそのジャンルごとにどのような歌詞づくりを行っているのかということに対しては、語彙分析での季節を表す語彙や、時間設定、描かれる恋の内容、イメージ語などで変化がみられた。構成分析においても、歌手の性質による違いは見られた。
 さらに時代性については、まず語彙分析では、使用される語彙について、年代ごとの変化は見られなかった。しかし、これは対象楽曲が年代ごとに数が全く異なることが原因であり、対象の選択の際にその点を考慮すべきであった。さらに、すべての年代で頻出しているような語彙を抜いて分析をしなかった今回の方法に問題があったといえる。
また、構成分析については、1971〜1975年の間では恋を求める内容や失恋の内容、そして、励ましの曲がその後の年代に比べ多い。これは、やさしさを求める時代だという阿久悠が、恋を求め、またそれに失敗するという部分に共感を求めたのではないだろうか。また、励ましの曲が比較的多いこともそこに起因しているのではないだろうか。

第二節 今後の課題

 今回の研究では、繰り返し述べるが、時代と歌手によって阿久悠はどのような歌詞を作り出していたのか、その点について表現を分析し明らかにしようとした。
 しかし、先ほども述べたように、語彙分析、構成分析ともに年代ごとに対象楽曲を分析すると、曲が偏ってしまい、正確な分析ができなかった。また、語彙分析については、すべての年代で頻出している語彙は除いて分析をすれば、各年代ごとの特徴は何かつかめたかもしれない。
 このように、分析方法、対象に工夫・改善をずることで、今回明らかにしたかった阿久悠の歌詞の表現特性はより明らかにできるかもしれない。

終わりに

  今回の研究では、対象の分析の作業が大変長いものとなってしまった。しかし、その中でも野浪先生は私に様々な助言をしてくださった。苦労しながらも何とか卒業論文を書き終えられたのは野浪先生のおかげである。感謝をここに述べる。本当にありがとうございました。

○参考文献

注1 歌ネット http://www.uta-net.com/
注2 阿久悠「作詞入門」岩波書店1972年
注3 重松清「星を作った男」講談社2009年
注4 野浪正隆「構成分析試案」
  http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~kokugo/nonami/ronbun/monogatari.html

40字×40行×56枚=89600字(原稿用紙224枚)