次の文章を読んで、問いに答えなさい。

ゼブラ ハイム・ポトク 金原瑞人 訳  男の子の名前はアダム・マーティン・ゼブリン。
周りからはゼブラとよばれていた。
本人もいつからそうよばれだしたのかは覚えていない。
アダムはゼブラ(しま馬)というあだ名も好きだったし、走るのも大好きだった。
 フランクリン通りの急な坂の上に来ると、ゼブラは足が軽くなって、走らずにはいられなくなる。
坂を駆け下り始めるともう、足なんかなくて、飛んでいるような気持ちになる。
しま馬ではなく、わしになったような感じだ。
 ところが一年前、フランクリン通りを駆け下りてわしになったとき、大きな影が目の端に現れた。
そして次の瞬間、暗やみの中に投げ飛ばされてしまった。
 医者には、以前のように走ることはできないだろうと言われた。
足のほうはそのうち治って、一、二年でギプスも外れるだろうが、手のほうはどうなるかわからないということだった。
ときどき、首からつっている左手が痛みだすことがある。
 夏休みが間近になったある日の休み時間のことだ。
ゼブラが校庭に立って通りを眺めていると、男の人がフランクリン通りをやって来た。
角で立ち止まり、ごみ箱をのぞいていたが、欲しいものがなかったらしく、そのまま学校の方に歩いてきた。
四十歳くらいで、右手には大きな茶色のビニールのごみ袋を持っている。
男の人はゼブラの方を見て、近づいてきた。
「やあ。」
「こんにちは。」ゼブラは、男の人の上着の左そでを見ないようにして答えた。
そちらのそでは空っぽだったのだ。
「名前は。」
「アダムです。」
「アダム君、君の学校は美術の教師を雇ってくれそうかね。つまり、夏休みの特別講座の講師ってことなんだが。」
「美術……ですか。」
「そう、絵をかいたり、彫刻を作ったり。」
「わかりません。でも、事務室はあっちです。」
「ありがとう。ところで、その手はどうしたんだい、アダム。」
「自動車にぶつかったんです。僕が悪かったんですけど。」そう言いながらゼブラは、男の人に左腕のことをききたくてたまらなかった。
男の人が事務室の方に行きかけたとき、ゼブラは声をかけた。
「おじさん。」
「ジョン・ウィルスンっていうんだ。」
男の人がにこやかに言った。
「ウィルスンさん、事務室にはウィンター先生とイングリッシュ先生の部屋があるけど、イングリッシュ先生のほうに行ったほうがいいと思うよ。」
「ありがとう。」男の人はそう言うと歩いていって、ごみ箱の前で立ち止まり、中からぼろぼろになった雨傘を取り出した。
傘を開こうとしたが、骨が折れていて使い物になりそうにない。
男の人はそれをビニール袋に入れると、学校の玄関まで歩いていった。
 <1>次の授業は、イングリッシュ先生の「お話」の授業だった。
先生は「想像力の授業」と言っている。
イングリッシュ先生は遅れてくると、「ちょっと急ぎの用事があって、ごめんなさいね。」と言って授業を始めた。
 生徒たちが順番に話をする。
 ゼブラは小鳥の話をした。窓ガラスにぶつかって翼を折ってしまい、男の子が治してやろうとするけどだめで死んでしまい、男の子が木の根元に埋めてやるという話だった。
「あんたって、いつも悲しい話ばっかりね。」眼鏡をかけているそばかすの女の子、アンドリアが言った。
「人生、そんなに暗く考えることないじゃない。」
「ほっといてくれよ。」ゼブラは言った。
 授業が終わって校庭に出ると、あの男の人がいた。
「やあ、また会ったな、アダム君。」ウィルスンさんが言った。
「待ってたんだよ。イングリッシュ先生を薦めてくれてありがとう。助かったよ。ところで、美術に興味はあるかい。」
「いいえ。授業で絵をかいたことはあるけど、好きじゃなかったし。」
「まあ、気が変わったら出てこないか。夏休みの特別講座を受け持つことになったんだ。」
ウィルスンさんはそう言うと、ポケットから小さなメモパッドとペンを取り出した。
そしてフェンスにメモパッドを押し付けて、「ちょっと、これを押さえててくれないか。」と言った。
 ゼブラが言われたようにすると、ウィルスンさんはすごい速さで何かかき始めた。
「ようし、もうちょっとだ。」ウィルスンさんはそう言いながらかき終えると、メモパッドの紙を一枚はぎ取り、ゼブラに渡した。
ゼブラの顔のスケッチだった。すっと長い鼻、薄い唇、悲しそうな目、がっしりしたあご。
そっくりだった。
そして紙の右端には、「ありがとう、アダム。ジョン・ウィルスン」と書かれていた。
「ウィルスンさん、僕、みんなからゼブラとよばれているんです。」
 ウィルスンさんは驚いたように振り返った。
「ゼブリンっていうんですけど、みんなはゼブラってよんでます。」
「じゃあ、ちょっとその紙を返してくれ。」
 ウィルスンさんはポケットからメモパッドとペンを取り出し、紙をパッドの上に置いた。
それからまた、ゼブラに押さえてもらって何かかき、それをゼブラに渡してから立ち去った。
 「アダム」という名前が×で消されていて、その上にしま馬がかかれていた。
走っているしま馬は、今にも紙から飛び出してきそうだ。
ゼブラは何度もその絵を出して眺めた。
その日の授業が終わって見てみると、不思議なことに、しま馬が動いているように思えた。
 次の日、ゼブラは二階の廊下でイングリッシュ先生に会った。
「先生、あの、夏休みの美術講座なんですけど、……ウィルスン先生はどこで……。」
「あら、あの講座をとるの。」
「いえ。僕、絵はかけないから。」
「習えばいいじゃない。」
「あの、ウィルスン先生はどこで……けがしたんですか。」
「ベトナムよ。」イングリッシュ先生は言った。
「講座をとってみたら。想像力の大切さがわかると思うわ。」
 次の地理の授業で、ゼブラはモーガン先生に質問をした。
「あの、ベトナムって、どこにあるんですか。」
「ベトナムは東南アジアにある細長い国で、中国、ラオス、カンボジアと国境を接している。人口はおよそ七千万。一九六二年から七五年にかけて、アメリカはベトナムと戦争をして負けた。」
「ありがとうございます。」
「君が突然、地理に目覚めたのはうれしいが、今授業でやっているのは地中海だからね。」モーガン先生が言った。
 学期最後の日の午後、ゼブラはイングリッシュ先生の部屋に行って、講座の申し込みをした。
「授業は月曜日から金曜日まで。時間は午前十時から午後一時までよ。」
 見ると、部屋の隅にビニール袋が三つ置いてある。
「先生、ウィルスン先生は何をしてたんですか。……その、ベトナムで。」
「ヘリコプターのパイロットだったみたいよ。あ、そうそう、けい線のないノートと、鉛筆を持ってくるようにね。」
「それだけでいいんですか。」
 イングリッシュ先生はほほ笑んで言った。「それと想像力も。」
 講座の最初の日の朝、美術教室に入ると、十五人ほどの生徒が来ていた。
いっしょにイングリッシュ先生の授業に出ているアンドリアもいる。ゼブラは、アンドリアの隣に座った。
「また暗い絵をかくつもり。」アンドリアがきいてきた。
 そのとき、ウィルスンさんが教室に入ってきて、手に持っていたビニール袋を黒板の下に置いた。
明るい青の長そでのシャツにジーンズという格好だ。左のそでは折って、ピンでシャツに留めてある。頭には濃紺の帽子をかぶっている。
「おはよう。」ウィルスンさんは、恥ずかしそうなほほ笑みを浮かべて言った。
「この授業をとってくれて、ありがとう。ところで、この夏は二つのことをやってみようと思っているんだ。一つは紙を人の顔にすること。もう一つは、がらくたを人間にすることだ。なんのことかわからないって顔をしてるな。まあ、すぐにわかると思う。じゃあまず、隣にいる人の顔をかいてみようか。」
 ゼブラはちょっとためらってから、アンドリアのデッサンを始めた。
アンドリアもゼブラをかいた。
 かき終えると、ゼブラはそれをアンドリアに見せた。
「なあに、それ。」アンドリアがしかめつらをしてみせた。
「まるでネズミじゃない。」
 アンドリアのデッサンはよくかけていた。
だけど、僕はそんなに悲しそうな顔をしてるんだろうか。
 ウィルスンさんはみんなの絵を見て回り、それから黒板にチョークであれこれかきながら一時間ほどかけて説明した。
目をかこうとか唇をかこうとかするのではなく、「線」と「丸み」と「形」を見るようにすること。
かこうとするものの輪郭を見るのではなく、その輪郭を包む空間を見ること。
 ウィルスンさんの手は驚くほど速く動いて、黒板にいろいろなものをかいていく。
それに合わせて、折ってあるそでが軽く揺れる。
「さあ、新しい目で見ることを覚えてほしい。いいかな。」ウィルスンさんが言った。
 みんながまた同じ相手の顔のデッサンを始めた。
「なあに、あたし、今度は馬なの。」アンドリアが言った。
「まさか、それにしまをつけるつもりじゃないでしょうね。」
「君って、ほんとにうるさいなあ。」ゼブラが言った。
 昼前、ウィルスンさんは教卓の上にビニール袋の中身を並べた。
廃品とがらくたばかりだ。
その中から、壊れた人形を取り上げると、布切れとひもと新聞紙とペンを使って赤い鼻の男にした。
そして、壊れた雨傘を持たせ、ぶかぶかのズボンをはかせ、ぼろぼろのコートを着せ、帽子をかぶせた。
そうしてできた、とぼけた笑顔の道化師を、フライパンを伏せた台の上に立たせた。
「さあ、彫刻のできあがりだ。がらくたを人間にしてみたんだ。」ウィルスンさんは、恥ずかしそうに言った。
 クラスのみんなが一斉に拍手をした。フライパンの上に乗った道化師は、今にもお辞儀しそうだ。
 翌朝、授業に来てみると、みんなのかいた絵が壁にはられていた。そして毎日、その数は増えていった。
みんなが作った彫刻の一つ一つに、全員で意見を言い合い、ウィルスンさんも加わった。
それから壁の前の棚に並べられた。針金で作った小さな自転車。
古くなったソファーのクッションで作ったオウム。
ロープとひもで作ったカウボーイ。
へこんだ金属の水差しで作った女の人。
段ボールの紙をつぎはぎして作ったしま馬。
「そのしま馬、すてきじゃない。」アンドリアが言った。
「ありがとう。」ゼブラが言った。
「君のオウムもいいね。」
 ある朝、ウィルスンさんは生徒に、右手か左手をかくようにと言った。
ゼブラはけがをしたほうの手をかいた。
脂汗がにじみ、体が震えてくる。
「ほう、うまいじゃないか。」
ウィルスンさんはアンドリアのデッサンを見て言った。
それからゼブラの絵を見た。
「みんな、手を見るんじゃないぞ。手の周りの空間を見るんだ。」
 ゼブラはもう一度、左手をかいてみた。
二本の指がこわばったまま曲がっている。
奇妙でみっともない手だ。
ところが驚いたことに、今見るとちゃんとした手に見えた。
 ある日、宿題が出た。特別に心ひかれるものをかいてくること。
 ゼブラは家に帰ると、「断面図鑑」を出してきて、ヘリコプターのいろんな部分を輪切りにした図が載っているページを開いた。
さまざまな機械や電気装置が複雑に入り組んでいる。
ゼブラは机に向かうと、そのヘリコプターの外の空間をじっと見つめた。
そして、その輪郭をかくと、次の朝の授業に持っていった。
ウィルスンさんは受け取ると、手が一瞬こわばったようだったが、それを壁にはった。
 次の日、また宿題が出た。特別に心ひかれるものを作ってくること。
 ゼブラは支えたり押さえたりするのに机を使い、床を使い、ひざを使い、ひじを使い、あごまで使って、がらくたを接着剤でくっつけてヘリコプターを作った。
そして最後に、ボタンをハンドルの位置に付けようとしたとき、左手も使っていることに気がついた。
曲がったままだった二本の指が少しだけ伸びている。
「ううん、なあに、それ。」アンドリアがしかめつらをした。
「君を食べちゃうモンスターさ。」ゼブラが言った。
「ゼブラったら。ウィルスン先生、きっと大笑いするわよ。」
 ところがウィルスンさんは笑わなかった。ヘリコプターを片手に持って、いろんな角度から眺めると、ゼブラの顔を見てうなずき、それを窓の桟に置いた。
ヘリコプターは夏の光を浴びて輝いた。
 講座も終わりに近づいたある日、ウィルスンさんは生徒全員に言った。
「今までの作品は持って帰っていい。それから、わたしのために一枚、なんでもいいから思い出になる絵をかいてきてくれないか。」
 ゼブラはなにも思いつかず、窓越しに空を見つめ、桟に置いてあるヘリコプターを見つめた。
「何をかくつもり。」アンドリアが尋ねた。ゼブラは肩をすくめて、わからないと答えた。
「想像力を使いなさいよ。」アンドリアはそう言ってから、ふと目を留めて言った。
「ちょっと、それ、どうしたの。その指、動かせるの。」
「みたい。」
「みたいって。」
「お医者さんは、少しよくなってきてるって言ってた。」
 アンドリアの目が分厚いレンズの向こうで輝いた。
そして、本当にうれしそうな表情が浮かんだ。
 ゼブラは窓の外に目をやった。黒い鳥が何羽か、旋回しながら空高く昇っていく。
車の行き来する音が聞こえてくる。
窓の桟に載っているヘリコプターは、スロットル全開で動きだしそうだ。
 ゼブラは家に帰ると、机の上に大きな画用紙を置き、それを左手で押さえながら、風景をかいた。
山と谷と川と台地。不思議なことに、なぜかそれは人の顔のように見えた。
 それから、その上を飛んでいくヘリコプターとしま馬をかいた。
 <2>ゼブラにはそれ以外、何をかいていいかわからなかった。
あまりいい出来ではなかったが、「ウィルスン先生ありがとう。ゼブラ」と書いた。
 次の日、ウィルスンさんはその絵を見て、「ウィルスン先生の上にレオンと書いてもらえないか。」と言った。
「親友なんだ。ベトナムでいっしょだった。わたしなんかより、ずっとすばらしいアーティストになっていただろう。」
 ゼブラは「レオン」という名前を書き添えた。
「ありがとう。君に会えてよかったよ。」
ウィルスンさんはそう言うと、ゼブラの手を握った。がっしりしたたくましい手だった。
 学期の最初の日、ゼブラはイングリッシュ先生に呼ばれて部屋に行った。
「これが来てるの。」イングリッシュ先生は大きな茶色い封筒を渡した。
差出人はジョン・ウィルスン。
中には大きなカラー写真と手紙が入っていた。
写真には、黒く輝く壁の前で右ひざをついているウィルスンさんが写っている。
そして、その右に、額に入ったゼブラの絵が立て掛けてあった。人の顔のような風景の上をヘリコプターとしま馬が飛んでいる絵だ。
「ゼブラへ  わたしの親友の名前もこの壁に刻まれている。レオン・ケラーというアーティストだ。わたしは毎年ここに来ることにしている。だれかがわたしのために作ってくれたすばらしい贈り物を持って。そして、二、三時間、レオンという名前のそばに置いてから自分のアトリエに持って帰る。わたしは一年中アトリエで仕事をしているんだが、夏休みだけ、レオンのために贈り物を探しに行くことにしているんだ。  贈り物をありがとう。 ジョン・ウィルスン 追伸 左手が治るといいね。」
 イングリッシュ先生は立ったままその手紙を見つめていたが、ふと顔を背けると目頭に指を当て、それから大きな本を持ってきた。そして、あるページを開いてゼブラに見せた。
 それはワシントンにあるベトナム戦争の記念碑で、大きな黒い壁には何千という戦死者の名前が刻まれている。
 午後の休み時間、ゼブラは校庭で、フランクリン通りの方を眺めて、あの日のことを思い出していた。
そうだ、土曜日か日曜日に、あの通りを歩いてみよう。
あの事故以来、フランクリン通りを歩いたことはなかったし、坂を下りたこともなかった。
うん、ゆっくり坂道を角まで下りて、また少し上って、学校の前を通って、家に帰ろう。
 アンドリアがやって来て言った。
「あたし、今日はスクールバスに乗らないで、歩いて帰ろうと思うの。」
「えっ、本当。僕も歩くつもりだったんだ。」ゼブラは言った。
「通りで、すごくいいものを拾えそうな気がしてさ。」
<3>「あら、少しは明るい人生を歩めそうな感じになってきたわね。」アンドリアが言った。