一 次の文章は「アオスジアゲハとトカゲの卵」の一部である。これを読んで、右の問いに答えよ。

【1】そんな折、私は、生物学者になるずっと以前のこと、小さな生き物に夢中だった時を思い出した。
【2】小学校へ通う途中に短大の敷地があり、その外周に沿ってクスノキが植えられていた。樹々の間を、いつもたくさんのアオスジアゲハが舞っていた。休みの日、私は、クスノキを一本ずつめぐってアオスジアゲハのサナギを探した。不思議なことに、サナギは意外なほど低い場所に、こっそり息を潜めて存在していることがある。そんなサナギを発見するといつも胸が高鳴った。
【3】サナギがついた枝を折って、家に持ち帰り、毎日観察した。緑色の硬い宝石のようなサナギは、日がたつにつれ、徐々に変化してくる。殻がだんだん薄くなり、内部がうっすらと透けて見えるようになる。中に@複雑な文様が浮かび上がってくる。幼虫がチョウに変わること。これほど劇的な変容はない。その全てがこの小さなサナギの内部で進行しているのだ。
【4】二週間ほどすると、その日が来る。羽化だ。
【5】羽化したチョウは、二、三度ためらいがちに羽を閉じたり開いたりして、ふと次の瞬間に、空中へ飛び立つ。おぼつかないようでいて、チョウは、どんどん高度を上げていく。やがて、チョウは視界から消える。
【6】アオスジアゲハの産卵と羽化は、春先から秋まで何度もそのサイクルが繰り返される。秋の一番最後に生まれた幼虫だけは、その年、チョウにならない。たっぷりとクスノキの葉を食べたあと、次の年の春へと新たな命をつなぐため、サナギの姿のまま、その冬を越す。
【7】私は、クスノキを回ってサナギをAサイシュウし、それを虫籠に入れ、物置の奥の安全な場所にそっとおいた。春先、初めて羽化するアオスジアゲハの可憐な姿を見たいと思ったからだ。やがて、冬がやってきた。私の日常にはとりたてて変化がなかった。友達と遊び、本を読み、学校に通った。そして、あろうことか、私はアオスジアゲハのことをすっかり忘れてしまったのである。
【8】春になり、学年が一つ上がり、クラス替えがあり、新しい友達ができた。気温が上がり、夏が近いことを知らせた。短大のキャンパスのクスノキは青々と茂り、アオスジアゲハが舞う季節が来た。私ははっとした。その時になってようやく思い出したのだ。たくさんのサナギを採集して籠に入れて保管したことを。私は指を折って数えてみた。ゆうに七か月がたっている。これだけの時間が経過していて、サナギたちがそのままサナギであるはずはない。
【9】私は怖かった。しかし、同時に、私はそれを見ないでいることもできなかった。暗い倉庫に入り、籠を置いたはずの場所の前に立った。私は、籠をそっと持ち上げて手前に引き寄せた。なんの気配もなく、なんの音もしなかった。私は、籠を明るい場所に運んだ。
【10】十個以上あったはずのサナギは全て羽化していた。羽化したアオスジアゲハは、ほとんどなんの損傷もなく、からからにBカンソウしていた。まるで生きているかのように、羽の鮮やかなブルーを完璧に保っていた。
【11】そういえばこんなこともあった。
【12】ある日、住宅のはずれの植え込みの陰に小さな楕円形の白い卵を見つけた。トカゲの卵だった。その場所にいつもトカゲたちが出没するのを私は知っていたので、その卵がなんであるかすぐにわかった。
【13】私は、それをそっと持ち帰って、土を敷いた小箱に入れて毎日観察した。乾きすぎないように、時々霧吹きで湿り気を与えた。しかし、何日待っても何事も起きなかった。トカゲの卵が孵化するのに、季節によっては二か月以上を要することまでは、当時の私にはわからなかったのだ。
【14】待ちきれなくなった私は、卵に微小な穴をあけて内部を見てみようと決意した。もし内部が生きて≠「たらそっと殻を閉じればいい。私は準備した針とピンセットを使って、注意深く、殻を小さく四角形に切り取ってのぞき穴を作った。するとどうだろう。中には、卵黄をおなかに抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣り合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。
【15】次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、すぐに蓋を閉じようとした。断片で穴を塞ごうとしたが、そこにはC隙間が残った。まもなく私は、自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。殻を接着剤で閉じることはできても、そこに息づいていたものを元通りにすることはできないということを。いったん外気に触れたトカゲの赤ちゃんは、徐々に腐り始め、形が溶けていった。
【16】その後、私は生命現象を研究することを職業とするようになった。けれどもそれは、虫好きが高じてそのまま生物学者になったというわけではない。むしろ、このような子どもの頃に親しんだ小さな生命のことを忘れて、生物学者となったのだ。
【17】私たち生物学者は、生命をさまざまな物質が寄り集まってできた非常に精密な機械であるとみなして研究を進めてきた。しかしそれは、時間を止めて、生命現象を観察したとき、そのように見えるにすぎない。
【18】研究を続けてわかってきたことだが、生命は、実は、時間の流れとともに、絶え間ない消長、交換、変化を繰り返しつつ、それでいて一定の平衡が保たれているものとしてある。生命は、恒常的に見えて、いずれも一回性の現象である。そして、それゆえにこそ価値がある。私は、そのような生命をD動的平衡にあるものと呼びたい。
【19】マウスのように、生命のもつ動的な仕組みは、やわらかく滑らかであるので、操作的な介入を吸収しつつ、新たな平衡を生み出そうとする。しかしながら、操作的な介入によって平衡状態が失われてしまえば、生命は大きな痛手を受けることになる。ちょうどトカゲの卵にうがった小窓のように。
【20】その一方で、E動的平衡は、不要な介入さえしなければ、ほかになんの手助けも全く必要とせず、自律的にその運動をつかさどることができる。全てのプロセスは、時間の流れとともに、人知れず進み、開き、やがて閉じる。倉庫の暗闇の中でその一生を終えたアオスジアゲハのように。