次の説明的文章を読んで、以下の問題に答えよ。(制限時間25分)

 一九六〇年代の高度成長期以降、日本社会は大衆消費社会に転じ、急激な変貌を遂げている。商品としてのモノが大量に生産され、流通し、消費されている。 T(   )、マスメディアを介してさまざまな情報が全国各地に普及し、文化のX(   )化が進行している。こうした状況は、近代以前から日本人の生活秩序を維持してきた、ハレ(非日常)とケ(日常)のあり方に大きな変化をもたらしている。ハレの世界が拡散され、ハレとケの境界がぼやけてしまっているからである。
衣食住にみられる「ハレのケ化」(非日常の日常化)という現象が、そのひとつであろう。和服のハレ着が形骸化したのをはじめ、ハレの日の食物のシンボルであった餅も、食生活の変化にともなって日常食品になっている。座敷とよばれる空間も、建築様式の変化にともなってハレの空間としての機能をうしなっている。
祭りとよばれるハレの日の行事も例外ではない。祭りは非日常世界における象徴的行為といわれ、その世界は厳粛にして荘重な「祭儀」と喧騒にして野卑な「祝祭」からなる。
祭儀は一定の形式にもとづいて厳粛な雰囲気のなかでおこなわれる、物忌みや精進をともなう神と神をまつる人びとのコミュニケーションである。そこでは、日常世界の秩序が極度にaギョウシュウされ、その規範が強化されて「超日常世界」が表象される。
他方の祝祭は、祭儀とちがって形式にとらわれない、喧騒な状況のなかでおこなわれ日常生活の秩序から逸脱した行為が容認される裸祭り、押し合い祭り、喧嘩祭り、悪態祭りなどは、その代表的なものである。そこには、過度の飲食やエネルギーの放出、B羽目をはずした乱痴気騒ぎが表象され、日常世界の秩序が極度にゆるみ、その規範が拡散されて「反日常世界」が表象される。
この国の都市と農村の祭りの象徴的世界は、近代以前からこうした超日常世界と反日常世界とに二極化されてきたが、一九六〇年代以降、大衆消費社会が出現すると、あたらしい都市祝祭がつぎつぎに創出され、祭りの象徴的世界に変化がみられるようになった。
一九七一(昭和四六)年には、神戸市傘下の神戸市民祭協会主催の「住みよいまちづくりへの願いを込めて楽しい市民行事」をめざした「神戸まつり」が誕生している。当初五月第三日曜日とその前日の土曜日におこなわれていたが、その後金曜日を加えて三日間に変更された。神戸市民祭協会主催の儀式、パレード、スポーツ大会、写真コンクール、音楽祭、美術展、動物園や水族館の無料開放などといった行事がおこなわれていたが、一九九六(平成八)年から、日程が京都の祇園祭(七月一七日)と大阪の天神祭(七月二五日)の中間の七月二〇日(海の日)前後に変更され、港のパレード、神戸サンバフェスティバル、復興KOBEパレード、花火大会、サンセットパレードなどがおこなわれている。
一九八四(昭和五九)年になると、大阪市に「御堂筋パレード」が誕生している。当初はアメリカ村カーニバルとよばれていた。アメリカ村とは、南区の一角に一九七〇年代後半に生まれた、アメリカ西部海岸風の若者向けの商店街のことである。この町の公園が改造され、野外ステージつきの公園に生まれ変わったのがきっかけとなって、大阪21世紀協会とアメリカ風周防町通りを美しくする会の共催で、四月二七日から三〇日にかけて祝祭がおこなわれたという。二七日の前夜祭にはフォークコンサートがおこなわれ、短編映画が上映された。翌二八日にはアメリカ村のユニークタウン宣言後に、御堂筋で大阪市長やアメリカ領事館副領事、地区関係者たちのパレードがおこなわれ、これにデキシーランド・ジャズやサンバチームが加わった。そして、二九日、三〇日には公園でいろいろな催しがおこなわれるほか、アメリカ村では趣向をこらして商品の販売がおこなわれた。
ふたつの都市祝祭にはグローバルな文化要素がかなり受容されているが、共通した特徴がいくつかある。ひとつは、多数の観客を動員するために、観客が参加しやすい日時と場所が、主催者側によって設定されていることである。神戸まつりは日曜日を中心とした週末と神戸市の中心街が、御堂筋パレードは国民祝祭日(昭和の日)を中心とした日と大阪の中心街が、それぞれ意図的に設定されている。
いまひとつは、どの祝祭も行政主導で実施されていることである。神戸まつりは神戸市傘下の神戸市民祭協会が、御堂筋パレードは大阪21世紀協会が、それぞれ推進母体になっている。いずれの祝祭にも、地域社会の活性化という行政側の意図がうかがわれる。もうひとつは、初期の御堂筋パレードにみられたように、祝祭が本来かかえこんでいる浪費という属性をタクみに活用して、参加者に消費をうながしていることである。いずれの祝祭にも、それなりの経済的効果が見込まれているにちがいあるまい。
最後のひとつは、神戸のサンバフェスティバルや大阪の御堂筋パレードのフォークコンサート、サンバのパレードなどのように、国境を越えて流入したグローバルな文化要素が織り込まれていることである。一九九〇年代以降、日本社会に人、モノ、情報が国境を越えて流入するグローバル化が顕著にみられるようになっている。神戸まつりも御堂筋パレードも、こうしたグローバル化にともなう状況を象徴しているとみてよかろう。
こうした都市祝祭に表象される世界は、日常世界の秩序や規範が極度に収斂される超日常世界でも、あるいは日常世界の秩序や規範の逸脱や拡散がはかられる反日常世界でもない。だからといって、この世界が日常世界と同じものというのではない。
強いていえば、近代以降に創出された共通文化の枠組みを母体として表象された「擬似非日常世界」ということになろうか。ふたつの祝祭が国民祝祭日や日曜日という全国共通の休日を中心におこなわれているからである。 それにしても、このような世界を表象する都市祝祭の出現は、ハレとケ(非日常と日常)という従来の二分法論の再考をうながしているが、都市祝祭とそこに表象される擬似非日常世界は、C現代日本における文化のあり方と決して無縁ではあるまい。わたしたちに現代文化とはなにかということを問いかけているようである。
一九八〇年代に一部の文化人類学者のあいだで、文化の客体化(objectification)ということが話題になったことがある。一連の議論のなかで、文化人類学者のR・ハンドラーは「社会= 文化的不連続――ケベックにおけるナショナリズムと文化の客体化」(一九八四年)のなかで、つぎのようなことを述べている。
文化の客体化とは、文化が選択されることである。文化の説明や文化のイメージの構造は、ほかの要素を犠牲にしてある要素を選択することを意味する。客体化された文化を構築するというのは、こうして選択された要素をあたらしい文脈に置くことである。ある文脈の諸要素から選択されたものは、別の諸要素に対置されるので、過去に存在していたものとは別のものになっている。それはあたらしい要素として再解釈されることにもなる。このように新たに構築され、文脈化された対象は、それを重視する人びとにとってあたらしい意味をもつことになる、というのである。
ハンドラーの文化の客体化とは、文化というものは意識的に操作される、あるいは操作されることによってあらたに創出されるということを示唆している。このことは、現代社会における文化のあり方を言い当てているようである。
現代社会の文化は、古典的な進化主義人類学以降、文化人類学者が研究対象としてきた、いわゆる未開社会の文化の概念とちがって、文化それ自体が完結したものではない。また世代を超えて無意識に伝承されるものでもない。 むしろ、ハンドラーが示唆したように、現代文化は人びとによって意識的に操作される点に特徴がある。これを文化自体が商品として消費されるとみてもよいし、あるいは文化が観光として演出されると読み換えてもよかろう。
一九七〇年代以降に出現した都市祝祭とそこに表象される擬似非日常世界は、こうした現代日本のなかで、文化が意識的に操作されることによって創出され、客体化されたものということになろう。このような傾向は今後ますます顕著になることが予測される。