第一節 『猫は知っていた』仁木悦子

 

1 登場人物

    ・私(仁木悦子) 

    ・私の兄(雄太郎)

    ・箱崎医院の家族(医院長・奥様・おばあちゃん・英一・敬二・幸子)

    ・看護婦(野田・家永)

    ・患者(平坂氏・宮内技師・工藤夫人・桐野夫人)

    ・刑事

2.あらすじ

  女主人公「私」(ペンネームそのままの仁木悦子)は、郊外の医院の院長の娘幸子にピアノを教えることになり、兄と共に病室に間借りする。ところが、引越し早々から連続殺人事件が起こり、兄妹はホームズとワトソンさながら、事件の解明に活躍することになる。

  暗い防空壕の壁のくぼみに眠らされていた黒猫が、殺人のひきがね役を演ずるところとか、四人目の殺人未遂事件直後、被害者の胸の上に、その黒猫が坐っているところなど、黒い猫の持つ神秘的な魔性のイメージが、うまく生かされている。

 

3作品に登場する猫について分かること

  ・チミという名の黒猫

  ・人の行くところどこにでもついていく、かわいらしい猫

4猫の事件との関わり方

  ・どこへでもついていくという習性が抜け穴発見の糸口になる。

  ・悦子がチミを探すことで、おばあさんは事件の目撃者になってしまい、殺されてしまう。

  ・結果的にチミが家永看護婦を殺害することになる。

  ・桐野夫人が倒れている上に乗っていて、不気味さを増す。

 

 

<猫とサスペンスの関わり>

 この作品では、黒猫のチミが事件と密接に関わっている。まず、五日の「チミはどこへ行ったのか?」というサスペンスが「お寺の境内で発見される」という形で解決に至り、そのことが防空壕に続く抜け穴の発見に結びつくのである。

 また、この作品の中には三つの連続殺人事件と一つの殺人未遂事件が組み込まれている。これら全てに、黒猫チミが何らかの形で関わっているのである。第一の殺人事件、おばあさんが殺される事件では、主人公の仁木悦子が、行方不明のチミを捜しているときに、偶然、物置に閉じ込められているおばあさんを発見し、助け出してしまうのである。このことによって、おばあさんは兼彦氏が平坂氏を殺すところを目撃してしまい、口封じのために殺されてしまうのである。次に、第二の殺人事件、平坂氏が殺される事件である。このときには、兼彦氏が壕の中へ入っていったのについていって、それに気付かなかった兼彦氏は入り口をふさいでしまう。そのため、チミは抜け穴を通って、裏の神社の方へ出ていくのである。次に、第三の殺人事件、家永看護婦が殺される事件では、被害者の家永看護婦が息を引き取る前に、「ネコが・…ネコが・…」という言葉を残して死ぬのである。そして現場の壁のくぼみに実際にチミのものと思われる猫の毛が残っているのである。この謎が解決するのが以下の場面である。悦子の兄が、自分の推理を妹の悦子に話して聞かせているところである。

 

  「まあお聞きよ。僕は、桐野夫人の証言がなかったとしても家永看護婦は早晩殺さ

  れたに違いないと思う。彼女は手に入れた秘密をタネに兼彦氏をゆすることを考え

  ていたにちがいないし、兼彦氏の方では彼女の殺害を最初から計画の中に入れてい

  た。ただ桐野夫人の証言は、その計画の実行を早めたのだ。悦子は、おぼえている

  かしら?ナシの木の下でのびていた黄色いネコを」

  「覚えているわよ。ちょうどチミくらいな子ネコだったわね。あれが殺人と何か関

  係があるの?」

  「そうなんだ。だが家永看護婦の死の秘密から先に話そう。その方が説明が楽だか

  らね。家永看護婦が刺された時、壕の中には彼女とチミのほかだれもいなかった。

  彼女は壁のくぼみに背を向けて立っていた。恐らくは兼彦氏の来るのを待っていた

  のだろう。その時、薄暗い仕切り板の一角から、突然細いナイフが飛び出して彼女

  の右肩を刺したのだ。」

  「ナイフが飛び出した?それはどういう意味なの?」

  「文字通りの意味さ。巧妙なしかけだったにちがいない。僕の想像では、多分しっ

  かりした金属製のパイプにスプリングを入れて、おさえ金がはずれると同時に、ス

  プリングがナイフをはじき出すようにしてあったのではないかと思う。」

  「だって、わたしたちは彼女が刺された直後に壕の中におりてみたけど、そんなパ

  イプなんか何もなかったじゃないの」

  「あの時はすでに取り去られたあとだったのさ。パイプは、壕の入り口の向かって

  左の柱――つまりこの柱の内側に取りつけられていたんだ。柱に打った釘は、はさ

  みねじか何かでしめつけてあったんだ。家永看護婦の悲鳴でかけつけた時、兼彦氏

  は手早くそのねじをはずして、パイプをズボンのポケットに押し込んだんだ。」

  「だって、いつそんな暇があった?そばには、にいさんもわたしもいたのよ」

  「兼彦氏は看護婦の足もとに――つまり壕の入口の所にまわりながら、だれが頭を

  持つか、足を持つかなんて、変なことを言ってたじゃないか。あの場合、そんなこ

  とは問題じゃないはずなんだ。だって僕はすでに彼女の上半身をかかえているんだ

  からね。兼彦氏は、そんなことを言いながら、僕らに見えないように腕をうしろに

  回してパイプをとりはずしたんだ。腕のいい外科医として長年名声を保ってきた事

  実を見ても、彼は決して不器用な人間ではないはずだし、僕と悦子は、瀕死の看護

  婦の方に気をとられていたからね。

   そのようにしてパイプは、かくすことができたがす、スプリングをおさえていた

  金だけは、ナイフが発射されると同時にはじけ飛んで、家永看護婦の取り落とした

  ハンドバッグのそばに落ちた。それが僕等の見た曲った針金なのだ。あのしゃもじ 

  型に曲ったところにおもしをのせておいて、おもしがとりのけられると同時に、テ

  コの原理でスプリングのおさえがはずれるようになっていたのだと思う。」

  「それじゃ、そのおもしと言うのは何だったの?まさか家永さんのハンドバッグと

  は思えないし――。それに第一、だれがそのおもしをとりのけたの?」

  「だから言ってるじゃないか、チミだよ。チミがおもしをとりのけた、と言うより

  むしろ、あのネコ自身が問題のおもしだったのだ。チミは、ローソク入れのくぼみ

  の中で、あの針金の曲った部分を体の下に敷いて眠っていた。壕の中は暗いし、チ

  ミは黒ネコだから、家永看護婦はそんな所にネコが寝ているとは気づかなかったの

  だ。チミが目を覚まして起き上がった瞬間に、おさえの針金がはね飛んで、ナイフ 

  が……」

  「でも・・…・でも、にいさん」

  「わかっているよ。そんなに都合よくネコが眠ったり目を覚ましたりするものか、

  と言うんだろう?悦子は兼彦氏が外科医だということを忘れたらしいね。患者を、

  必要に応じて眠らせ、およそ予定した時間にめざめさせる――。ネコを一定時間眠

  らせる仕事も、兼彦氏にとっては、それほどむつかしいことではなかったのであろ

  う。ただ残念なことには、兼彦氏は獣医ではないし、チミは人間の患者ではない。

  どれだけの量の麻酔剤が、どれだけの時間ネコを眠らせ得るか?それを確かめるに

  は、実験してみるのが一番手っ取り早いが、チミ自身を用いて実験することは、ネ

  コの体が薬になれてしまうおそれがある。そこで彼は、チミと同じくらいの大きさ 

  のネコを探して実験をした。その実験材料の一匹を僕らがゆりさましてしまったの

  だ。

   悦子は、けさだったか、犯人は女だと言ったね。毒を塗ったナイフを用いたのは、

  自分の攻撃力に自信がなかったからだって――。悦子の推理は半ば以上正しかった。

  あの場合は、ナイフがうまく急所にあたるなどという可能性はまずかんがえられな

  いからね。兼彦氏の機械的トリックは成功した。

 

 このように、第三の殺人事件では黒猫のチミが結果的に殺人を犯しているのである。

 そして最後に、桐野夫人の殺人未遂事件である。第一発見者は野田看護婦で、彼女は次のように言っている。

  

  「あお向けに倒れていたのよ。そして、まあ、その体に何がのっかってたと思う?」

  「なにがって――」

  「チミよ。ネコのチミが奥さんの胸の上にうずくまって、青い目で、あたしの方を

  にらんでいるじゃありませんの。・・・・…

 

このとき、桐野夫人が倒れていることの対する恐怖が、チミの存在によってより大きなものになるのである。以上が『猫は知っていた』における猫とサスペンスの関わりである。

 次に、サスペンスの仕掛け方に関してであるが、この作品では最後の九日の段落で、ほとんどのサスペンスが解決する。それまで謎に包まれていたものを、仁木悦子のお兄さんがすべて解き明かすのである。その中でも、四日の「英一の書斎から本がなくなる。誰が盗んだのか?」、五日の「チミはどこへ行ったのか?」、六日の「抜け穴から発見された指輪は誰が何のために埋めたのか?」、七日の「雑誌の小説は誰が書いたのか?」の四つのサスペンスは、途中で解決する。これらが解決することによって、読者は興味を持ち続けたまま読み進めることが出来る。もし、全てのサスペンスが最後まで解決しなかったら、読者はあまりの謎の多さに途中で読むのが嫌になってしまうであろう。

 最後に、それぞれのサスペンスがどのぐらいの長さで解決しているのかを調べてみた。

 

<サスペンスの長さ>

 『猫は知っていた』(全4657行)

サスペンスの内容

行数(行)

全体に対する割合(%)

@英一の書斎から本がなくなる。誰が盗んだのか?

1851

40

Aチミはどこへ行ったのか?

317

7

Bおばあさんはなぜ物置に閉じ込められたのか?

410

9

Cおばあさんはなぜ殺されたのか?

3298

70

D平坂氏行方不明

159

3

E電話が途中で切れたのはなぜ?

442

9

F抜け穴から指輪発見。だれが?なぜ?

1255

27

G雑誌の小説は誰が書いたのか?

255

5

H平坂氏はなぜ殺されたのか?

279

6

Iなぜ遺体は日焼けしているのか?

362

8

J家永看護婦の死。猫の意味は?

1633

35

K現場に残された針金と猫の毛の意味は?

1590

34

L桐野夫人殺人未遂

155

3

     
 平均

923.5

19.8

 

この作品で、メインとなる事件はやはり、兼彦氏が起こした四つの殺人であろう。そこで、上記の一三個のサスペンスの中からメインとなるサスペンスを抽出すると、CEHJKの五つである。この五つだけの平均値を求めると、行数が1448.4行、割合が31.1%となる。これらを作品全体の平均値と比較すると、メインのサスペンスのほうが、かなり長く引っ張られていることが分かる。このことについては、第九節において検証してみたいと思う。

 

次へ