第二節 『赤い猫』仁木悦子
1 登場人物
2 あらすじ
主人公沼手多佳子は、大林郁の家で住みこみのお手伝いとして働いていた。ストーリーは、大林郁が亡くなり多佳子が家を出ていく準備をしているところから始まる。そこへ弁護士の河崎が訪ねてきて、大林郁の遺言書を届ける。その遺言書には、全財産を多佳子に譲るということが書かれている。多佳子は驚きながらも、郁と一緒に生活していた頃を思い出す。その回想場面の中に、大林家に泥棒が入った事件と、多佳子が幼い頃、彼女の母親が殺された事件とが描かれている。大林郁は推理が得意で、多佳子が悩んでいることを次々と解決していく。
また、この作品に登場する猫は、赤いぬいぐるみの猫である。このぬいぐるみが、犯人の誤解を生み、多佳子の母親が殺される動機となるのである。多佳子は幼いころ、サンタクロースごっこをして遊ぶのが大好きだった。それは、アパートの住人のドアの前にさまざまなものを置く遊びである。小石や貝殻など、大人の目にはつまらないものを置くことが多かったのだが、たまたま綿井という住人の部屋の前にだけ、多佳子の大事にしていた赤い猫のぬいぐるみを置くことが何度かあったのである。そして、この綿井という男は、その当時近所で起こっていた連続放火事件の犯人なのである。赤猫は火事と言う意味を持っており、そのことを知っていた綿井は、自分の罪を多佳子の母親に知られていると勘違いしてしまうのである。こうして、多佳子の母親は口封じのために殺されてしまう。
最後には、放火犯の綿井と言う男は、大林郁の息子であったという驚くべき事実も隠されている。
3 作品に登場する猫について分かること
4 猫の事件との関わり方
子供の遊び、サンタクロースごっこで部屋の前に置かれた赤い猫のぬいぐるみが、
母親が殺されるきっかけとなる。
<サスペンスについて>
この作品は、第2・3段落において解決する泥棒事件と、第4段落以降に続く多佳子の母親が殺された事件の二つの事件によって構成されている。一つ目の事件は、大林郁の推理能力を紹介するための小さな事件で、小説の核となるのは二つ目の事件である。
多佳子の母親が殺された事件の謎を解く鍵となるのが、第5段落の伏線「多佳子の小さいころの遊び、サンタクロースごっこ」と第6段落の伏線「赤猫=火事」である。つまり、猫が事件を解決するきっかけとなるのである。サンタクロースごっこについては、多佳子が当時のアパートの住人、笹岡ますみに話を聞きに行く場面で出てくる。
多佳子は、まず、あの当時の下宿のことから尋ねることにした。
「そうねえ。さとる荘は、外からの階段と、家の中の階段と二つあって、ど
っちからも上がれるようになっていたわね。二階は南側が三部屋、廊下をは
さんで、北側に一部屋と階段の上り口があったわ。そうよね?」
「ええ、そこらへんのことは大体覚えています。」
「そうでしょうね。多佳子ちゃんは、よく二階に遊びに来ていたから」
「あら、わたしが?」
「そうよ。忘れたの?部屋にはいるわけじゃなくて、廊下で一人で遊んでい
るんだけど。――そういえばサンタクロースごっこが好きでね」
「サンタクロースごっこってなんですか?」
「クリスマスにね、お母さんが、多佳子ちゃんを喜ばせようと思って、プレ
ゼントを寝ている部屋の戸口に置いておかれたのね。それがとても気に入っ
てしまって――いいえ、プレゼントがじゃなくて、サンタクロースが戸口に
置いて行ってくれたということがね。そこで、サンタクロースになったつも
りで、いろんな物を、二階のわたしたちの部屋のドアの前に置くのよ」
「おもちゃを?」
「おもちゃもあるし、いろんな物。小さい子って大人の目にはつまらない小
石とか、貝殻なんか大事にしてるでしょ。どういうわけか、わたしの部屋の
前には、よく平たい小石が置いてあったわ。お隣りの三号室の前には、いつ
も、かわいがっていた猫の縫いぐるみが置いてあるのにね。えこひいきよね」
「へえ、そうだったんですか?」
二人は顔を見合わせて笑った。
「何か聞きにいらっしゃったっていうのに、無駄話をしちゃったわね。他に
お聞きになりたいのは、どんなこと?」
ここでは、無駄話に終わっているが、実は非常に重要な伏線となっているのである。この事実が推理の得意な大林郁の耳に入ると、すぐに謎が解けてしまうのである。そして、「赤猫=火事」の事実と結びついて犯人を導き出すのである。それが次の場面である。
「多佳子さんも、小さい頃は、石ころなんか集めたのかねえ」
「さあ、記憶にはないけど、そんなこともあったのでしょうね。どういうわ
けか、笹岡さんの部屋の戸口には、いつも石ころを置くのに、お隣りのドア
には猫のおもちゃを置いて、えこひいきねって笑われました」
「その猫のおもちゃって、どんなのだったの?」
郁は、何から何まで詳しく聞きたがる。
「猫ですか?縫いぐるみなんです。このくらいの大きさで、真っ赤なシール
でできていました。かわいがって、
しょっちゅう抱いて歩いていたんです。」
「赤猫か。赤猫っていえば、昔は火事のことをそう言ったものよ。若い人は
知らないだろうけど」
「火事っていえば、昨日、青葉堂のおばあさんも火事の話をしていました。
母の事件があったすこし前頃、連続放火事件なんかもあったんですって。駅
の周辺で」
「その話をしなさい。多佳子さん」
郁は、車いすの上で体を起こすようにした。目が怖いように光っている。
多佳子はすこし気をのまれてうなずいた。
青葉堂のばあさんとのやりとりを、郁はこれも都合三回繰り返させた。こ
のほうは、テープをとったわけではないので、話すたびに細部がすこしずつ
食い違う。
「正確に。――ちゃんと正確に話して」
郁はいらだった。
満足のいくまで聞き終わると、郁はしばらく黙然と考えにふけっていた。
が、
「わかった」
と、つぶやいた。
「え?」
「わかったよ。お母さんを殺した人間が」
「ほんとですか?」
「ほんとよ。綿井という男。左のほっぺたに泣きぼくろがあるという――」
このように、この『赤い猫』という作品では、伏線が巧妙に仕組まれている。また、サスペンスは短編小説ということもあり、一つの段落の中で解決するか、長くてもサスペンスの生まれた次の段落では解決するようになっている。
それでは、数値でサスペンスの長さを調べてみることにする。
<サスペンスの長さ>
『赤い猫』(全792行)
サスペンスの内容 |
行数(行) |
全体に対する割合(%) |
||
@遺産が多佳子に譲られることになったのはなぜか? | 725 |
92 |
||
A泥棒は誰なのか? | 154 |
19 |
||
B多佳子の母を殺したのは誰か? | 252 |
32 |
||
C連続放火の犯人は誰か? | 79 |
10 |
||
D綿井はなぜ多佳子の母を殺す必要があったのか? | 2 |
0 |
||
E綿井と本屋のおじさんは歩き方が似ているのになぜ疑われなかったのか? | 3 |
0 |
||
F左のほっぺにほくろがあると知っていたのはなぜか? | 108 |
14 |
||
平均 | 189 |
23.9 |
この作品でメインとなる事件は、多佳子の母親が殺される事件である。そこで、その事件に関するサスペンスを抽出すると、@BCFの四つである。この四つだけの平均値は、行数291行、割合36.7%である。
次に、ストーリーの始めに、多佳子と弁護士の河崎が話をするのだが、そこで「遺産が全て多佳子に譲られることになったのはなぜか?」というサスペンスが生まれる。これは、一番最後の第七段落で、場面がもう一度現在に戻ったときに大林郁から多佳子に当てられた手紙の中で解決する。ここで、ストーリーまだ本格的に事件に及んでいない、いわゆる導入の部分で生まれたサスペンスは、ストーリー全体をふまえて最後に解決することが多いのではないかという仮説を立ててみることにする。検証は本章のまとめ、第九節で行ないたいと思う。