第四節 『柩の中の猫』小池真理子

 

1 登場人物

2 あらすじ

  東京郊外に暮らす美術大学の講師、川久保悟郎。その娘でララという名の猫にだけ心を開く孤独な少女、桃子。そして、家庭教師として川久保家にやってきた画家志望の雅代。物語は、五四になった雅代の回想と言う形で進んでいく。微妙な緊張を抱きながらもバランスのとれた三人の生活はそれなりに平穏だった。しかし、ある日、川久保悟郎の恋人が現れ、そのバランスが崩れていく。悟郎の恋人、千夏が三人の家にやってくる日がだんだん多くなるが、娘の桃子は、千夏には絶対打ち解けず、猫のララが自分のお母さんだと言う。そして、千夏は桃子に心を開いてもらっている猫のララに嫉妬し、ララを川に落として殺してしまう。そのことを知った桃子は、千夏に怒りを感じ、一月ほど経った後、千夏を事故に見せかけて殺してしまう。しかし、実は、千夏は、桃子の本当の母親なのである。

 

3作品に登場する猫について分かること

 

4 猫の事件との関わり方

 ・桃子は、母親とも思っていたララを千夏に殺されたことを知って、千夏に殺意を

  抱く。

 ・千夏に殺されてしまったララが、桃子に姿を変え、千夏に復讐を遂げる

 

5 その他

  <場面ごとに見る主人公にとっての猫>

 

文中にある記述

桃子にとってのララ
雅代が川久保家にやってきて間も無い頃
  • 「きれいな猫ねえ。真っ白だわ。オス?それともメス?」わずかの沈黙の後、「女よ」とだけ彼女は言った。
  • ララは時折、客たちからチーズや小さくちぎった鶏肉などを与えられ、嬉しがって声高らかに鳴いたり、客の足に身をすりよせたりしていたが、桃子は決して客たちに懐かなかった。
  • 麦畠の畦道を駆け抜ける一人の少女と一匹の猫の姿は、絵のように美しかった。
  • 桃子はいつもララとだけ一緒にいた。ララのいる近くには、必ず、桃子がおり、桃子がいるところには、必ずララの白い柔らかな身体を見つけることができた。そう。彼らは孤独なつがいの小鳥のようだった。地球が滅び、全人類が滅びた後、世界にたった二つだけ生き残った悲しい命のようだった。
  • 彼女が本を読み始めると、ララは決まって主人の傍に寄り添い、目を糸のように細めてうつらうつらした。
唯一の友達
雅代が初めて桃子と親しくなれた夜
  • (桃子がママを思い出して部屋で泣いている)
  • 「ママ…」桃子は押し殺した声でつぶやいた。「ママ、ママ…」

    布団のヘリがかすかに波打った。そしてそこから、白い柔らかな鞠のように見えるものが顔を覗かせた。ララだった。桃子の両腕の中にしっかりと抱かれていたララは、むっくりと頭を上げ、大きな緑色の目を開けて私を一瞥した。

    • 桃子は子猫だった。助けを求めて母猫の柔らかな腹に顔を埋め、泣き続ける、人間の形をした子猫だった。いっぽう、ララは、母猫が子猫をなだめるように桃子を舐め続けていた。桃子にぬくもりを与え、桃子の苦悩を慰めようとしていた。
    • 私はベッドの上に被いかぶさるようにしながら、猫と桃子とを腕の中にかき抱いた。猫は身体を硬くし、桃子は驚いたように泣き止んだ。警戒心と好奇心の混ざった四つの瞳が、暗闇の中でまっすぐ私に向けられた。
    • 私は何も言わなかった。私は黙ったまま、桃子のあたまを撫でてやり、ララの頭を撫でてやった。硬くなっていた猫の身体が次第に柔らかくなった。猫は喉を鳴らし始めた。
    • ララは喉を鳴らしながら、私の指を舐め始めた。ララにそんなことをされたのは初めてのことだった。人見知りをする猫ではなかったが、ララには頑なな習性があり、私のみならず、桃子以外の人間の手を舐めることは決してしなかったのである。
    桃子の母親

    桃子にしか好意を示さなかったララが、雅代に好意を示した事によって、桃子も雅代を信頼する。

    雅代の母親にもなる

    千夏が現れてから ・きれいな猫ね、と千夏は言った。その日、千夏がララに関心  を持ったのは、それが初めてだった。「なんて言う名前?」「ララ」そう、と千夏はうなずき、「ララ」と猫に向かって呼びかけた。縁もゆかりもない他人の赤ん坊の名を呼ぶときのような、儀礼的な呼び方だった。
    • 桃子は千夏と遊ぶことをやんわりと拒否し、ララを呼んだ。
    • 千夏に桃子を奪い取れはしない、と私は信じていた。千夏がもしも猫好きだったら、あそこまではっきりと信じることができなかったかもしれない。
    • 千夏の「桃子ちゃん、ママが欲しくない?」という問いに対して「ララが私のママなのよ。」
    • 桃子は、千夏がどれほどララを可愛がっても、嬉しそうな素振りは見せなかった。それに、これは本当に不思議なことなのだが、猫のほうでも、千夏に甘い声で名前を呼ばれたりすると、あたかも面倒臭そうに、ふん、と小さく鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
    • 猫は「ハアーッ」と言う威嚇の声を出し、千夏の顔めがけて鋭い爪の一撃を加えた。(中略)おっとりとして、友好的だったララが、何故、千夏に対してだけ、あんな態度を取り続けたのか、私には分からない。
    桃子と同じ心で、千夏に対して、嫌悪感を抱く。千夏がララを嫌っているのを感じている
    ララが千夏に殺されてから ・桃子はクリスマスの御馳走にまるで手をつけようとせず、悟郎が買ってきたアイスクリームにほんの一口、スプーンをつけただけで、子供部屋に引き取ってしまった。

    ・(千夏がらララを殺したと知って)「死んじゃえ」桃子は吐き捨てるように言った。「千夏なんて、死んじゃえ」

    ・ララが好きだった魚をままごとのように小皿に入れ、桃子は墓の前に置いた。麦畠に遊びに行かなくなった代わりに、私たちは毎日のように、ララの墓の手入れをし、ララ、と呼びかけ、桃子が泣き出すと、私も一緒になって泣いた。

    決してララを忘れることなく、心の中のララと共に過ごす。
    桃子が千夏を殺したとき
    • それは雪の中を走る、一匹の可愛い、邪悪な小鬼のようだった。小鬼は遠ざかっていくにつれ、小さな一つの黒い点のようになった。風にのってたなびく白いマフラーが、まるでララの長い尾のように揺れて見えた。桃子の動き方は素早かった。ララのように。
    • そう、あれは確かにララだった。柩の中のララが、いつのまにか桃子に形を変え、千夏に復讐を遂げた…・・私にはそうとしか思えなかった。
    千夏に復讐を遂げさせる。
    桃子と雅子が別れるとき
    • 「桃子ちゃんのこと、忘れないわ」(中略)「ララのことも忘れないで」桃子は突然、顔を歪ませ、泣き出した。「ララのこと、絶対、忘れないで」
    • 「ララのことはもちろん忘れないわ」私は深呼吸しながら言った。「いつも心の中でララは生きてるのよ。私と桃子ちゃんとララは仲がよかったんだもの。本当に仲好しだったんだもの。」
    ララは心の中にずっと生きている。
    現在の場面に戻って ・そしてその風景の中には、常に一匹の真っ白な猫がいる。ララ・…その名を口にするたびに、私はあの川久保家の光に満ち溢れた庭、笑い声、スノッブな生活のすべてを思い出し、決して癒えることのない後悔を覚える。 幸福な風景の中に溶け込んでいる真っ白な猫は、雅代や桃子にとっての幸せな生活の象徴である。しかし、それと同時に一連のいやな事件を思い出させる存在でもある

     

     <サスペンスについて>

     この作品のサスペンスの表で、猫が登場するのは、第6段落の「千夏の企てとは何か?」というサスペンスの解決部分で「ララを殺すこと」というところである。ララが殺されたことによって、桃子は千夏に殺意を抱くのである。ところで、表を見ると分かるように、この作品ではほとんどのサスペンスと伏線が「千夏を殺すこと」という解決に向かっているのである。そして、ララが殺されたことで、千夏を殺す事件が起こるのであるから、「ララを殺すこと」から「千夏を殺すこと」に向かっても、矢印が伸びていると考えることができる。また、実際に千夏を殺したのは桃子であるが、語り手の雅代によると、千夏を殺した後の桃子は、まるでララのようだったと言うのである。それが、以下の場面である。

       桃子はゆっくりと踵を返した。ミトンをはめた手が落ち着いた動作でコートにつ

      いた雪を払い落とした。彼女はふと振り返り、井戸を見つめて、唇を噛んだ。そし

      て、わずかに目を細めると、次に猛烈な勢いで走り出した。

       赤いコートが白い風景の中をみるみるうちに遠ざかっていった。それは雪の中を

      走る、一匹の可愛い、邪悪な小鬼のようだった。

       小鬼は遠ざかっていくにつれ、小さな一つの黒い点のようになった。風にのって

      たなびく白いマフラーが、まるでララの長い尾のように揺れて見えた。桃子の動き

      方は素早かった。ララのように。

       そう、あれは確かにララだった。柩の中のララが、いつのまにか桃子に形を変え、

      千夏に復讐を遂げた……私にはそうとしか思えなかった。

       初めのショックが去ると、私は激しい痙攣に襲われ始めた。全身が電流を流され

      たときのように震え出し、歯の根が合わなくなって、顎がぎしぎしと音をたてた。

       穴の中に吸い込まれていった千夏が、今、あの遥か奥深い地の底で、どんな形に

      なって横たわっているのか、と想像すると、胸がむかついた。ひしゃげた手足の上

      で、恐怖にひきつった美しい顔がだらりと首を落としている様が想像できた。

       まだ生きているかもしれない、とは思わなかった。死んだとも思わなかった。そ

      の時、私の頭の中にあったのは、一刻も早くこの場を離れ、家に戻り、あの暖かい

      ベッドにもぐってじっとしていたい、ということだけだった。

       胃が突然、ひっくり返ったようになった。私は身体を海老のように折り曲げて嘔

      吐した。黄色い胃液が雪の上に染みを描いた。吐き出せるだけ吐いてしまうと、喉

      の奥からか細い悲鳴がこみ上げてきた。私は声にならない声で叫び出しながら、

      小鬼になった桃子が走り去った雪原の上を川久保家に向かってよたよたと歩き始め

      た。

    このように、猫のララは桃子に乗り移って、自分を殺した千夏に復讐を遂げるのである。

    桃子とララはかなり強い絆で結ばれていたようである。

     次にサスペンスの長さに関してである。

    <サスペンスの長さ>

      『柩の中の猫』(全3136行)

    サスペンスの内容 行数(行) 全体に対する割合(%)
    @悟郎に起こったかすかな変調の兆しとは何か? 158 5
    A悟郎の心に誰がいるのか? 24 1
    B千夏がいるときに桃子が帰ってくると、悟郎の目に緊張が走る。なぜか? 1497 48
    C千夏の企てとは何か? 113 4
    D桃子の芝居がかった言い方には何が隠されているのか? 113 4
    Eなぜ書置きを拒否するのか? 83 3
    F恐ろしい予感とは? 68 2
         
    平均 277.6 8.9

     

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