第八節 『黒猫亭事件』横溝正史

1 登場人物

2 あらすじ

 金田一耕介の手紙から物語は始まる。「顔のない死体」が発見される事件は、隠されている謎のパターンが決まっていると言うのである。死体と思われる人物と、犯人の入れ替わりである。しかし、この事件はそのトリックとは異なるトリックが隠されていると言う。それはいったいどんなトリックなのか?

 この作品は、殺人事件の不気味さ、黒猫が2匹出てくるところなど、ポーの『黒猫』を思わせる。黒猫亭という名の酒場を舞台にしていて、その酒場では、店の名にちなんだ黒猫を飼っていた。その黒猫亭で日兆という名の僧が、女の死体を発見する。死体は、マスターの愛人鮎子のもので、犯人はマダムのお繁であろうというかたちで、事件は一旦解決したかに思われるのだが、そこで意外な証言が飛び出し、どんでん返しが起こる。今度は、死体はマダムで、犯人が鮎子であるという線で捜査が進められる。しかし、殺人の罪を犯したあと、一緒に町を去ったはずの鮎子と共犯者のマスターの行方がどうしても分からないのである。そこで、金田一耕介の登場である。金田一耕介の見事な推理によって、事件は意外な方向へと導かれる。マダムと鮎子は、同一人物なのである。そして、共犯者と思われていたマスターの糸島大伍は、すでにマダムの手によって殺されているのである。それでは、黒猫亭で発見された女の死体は一体誰のものだったのか?これは、マスターと共に中国から引き上げてきた小野千代子と言う人物のものだった。

 始めに投げかけられた「どんなトリックが隠されているのか?」という疑問の答えは、一人二役であった。

3 作品に登場する猫について分かること

4 猫の事件との関わり方

5 その他

   <人物関係>   

                  {夫婦}

      糸島大伍(黒猫亭マスター)――糸島繁子(黒猫亭マダム)

         |{愛人}         ||{同一人物}     

      小野千代子           鮎子―――――――――風間

 

<サスペンスについて>

 この作品には、猫が直接関わっているサスペンスが出てくる。第4段落の「猫はなぜ殺されたのか?」というサスペンスである。第1段落で発見された女の死体と一緒に、黒猫の死体が埋められているのである。第6段落で、このサスペンスは一旦解決したように書かれている。日兆が証言をひっくり返したことによって、殺されたと思われていた鮎子が実は犯人なのではないかという疑惑が生まれる。そこで、猫が殺された理由が次のように説明されている。

 

  「黒猫の殺された理由も、これでこそ説明がつくと思います。あの黒猫は、マダムが 

   かわいがっていたにちがいない。そいつがマダム殺しの現場を見ているのだから、

   亭主にしても気味が悪かったのです。そこで殺していっしょに埋めた。しかし、黒

   猫がいなくなっては、店の女たちに怪しまれると思ったものだから、代わりの奴を

   貰って来てゴマ化しておいたんです。あの黒猫は二匹とも、おなじ腹から出た兄弟

   なんですが、前の飼い主のところへ、二十八日の晩、糸島が黒猫をもらいに来たと 

   いうこともわかっています。だから、殺されたのは鮎子じゃない。鮎子と糸島の二

   人して、お繁を殺したにちがいないのです。」

 

 しかし、これは偽の解決なのである。本当の解決は、第九段落で金田一耕助によって成されるのである。そして、本当の解決を読むと、猫の死体の謎が金田一耕助に重要なヒントを与えていることが分かる。

 

   さて、殺されたのは鮎子であり、犯人はお繁である。そして糸島の共犯者である。

   ――と、こうかんがえると、ここにひとつ疑問が出てくる。それは、なぜかれらが

  血のついた畳や襖を、そのままにしていったのか。――と、いうことです。畳の血は

  薄縁で隠しただけだし、襖の血は新聞を貼ってゴマ化しただけだ。早晩、あとから来

  る住人に発見されるに決まっている。あの血は相当の量だから、そうなると、よし屍  

  体が発見されなくても、後から来た住人に疑われる。そういう重大な証拠を、なぜ、

  平気で残していったのか。襖は血のついたところだけ、破っておけばよいのだし、畳

  だって表をひっぺがして、焼き捨てるかどうかすれば、簡単にことがすむ。それだけ

  のことをなぜ、かれらはやらなかったのか。――ここで、お繁の計画をもう一度かん

  がえる。彼女は自分が死んだ、殺されたということにしたかったのだから、出来るだ

  けあちこちに、人殺しがあったという証拠を残す必要があった。だから彼女に関する

  限り、ああいう血の跡がのこっていても不思議はない。しかし糸島はどうだろう。お

  繁が鮎子を殺す。糸島も手伝って屍体を埋める。そして二人で出奔する。その場合、

  糸島はそこに、血の跡を残すことを承知するだろうか。ノーですね。では、更に糸島

  がお繁のもうひとつ深い計画、即ち鮎子の屍体を身替わりに立てて、自分が死んだも

  の、殺されたものに見せかけようという計画、それを知っていた場合はどうだろう。

  いや、いや、その場合ははじめから考える必要がない。なぜならば、糸島はお繁のそ

  んな計画に同意するはずがない。そんな事をすれば、なるほどお繁は安全かもしれな

  いが、疑いは自分にかかって来ることはわかりきっている。お繁を死んだことにする

  のはよいが、そのために女房殺しの疑いをうけるような計画に、糸島が同意するはず

  がない。と、こう考えて来ると、今度の事件は全部、お繁ひとりの頭で組み立てられ

  たものであり、糸島はすこしもあずかり知らなかったと考えられる。そう考えたほう

  が自然のように思われる。しかし、そうなると問題はあの血です。糸島だって、あの

  多量の血に気付かなかったはずがない。げんにあの畳は、押入れのまえと壁際のと入

  れかえてあったのですが、それには箪笥を動かさなければならない。お繁ひとりの力

  では、とても手に負えぬところです。当然、糸島も手伝ったに違いないが、糸島はそ  

  の血をどう考えていたのだろう。――と、そこまで考えて来たとき、はっとぼくが思

  いついたのは、首を半分チョン斬られた黒猫の屍骸・・…・」

  「あっ!」

   署長と司法主任と村井刑事が叫んだのは、ほとんど同じ瞬間だった。署長は息を弾

  ませて、

  「わかった、わかった。お繁はあの血を糸島に黒猫の血だと思いこませたのですね。

  そのために、あの黒猫は殺されたのですね」

  「そうですよ。そうですよ。」

   金田一耕助は嬉しそうにがりがり頭を掻きながら、

  「皆さんの御意見では、あの黒猫は殺人のあった節、そばでまごまごしていて、とば

  っちりをくったのだろうということになっていましたね。しかし、それは猫というも

  のの、習性を知らなすぎる御意見ですよ。世の中に、およそ、猫ほど殺しにくい動物

  はない。ぼくの中学時代の友人にとても獰猛な人物がいましてね。犬でも猫でも、な

  んでも殺してスキ焼きにして、食っちまうやつがあった。いや、風間じゃありません

  から御安心ください。そいつの言葉によると、猫ほど往生際の悪い動物はないそうで

  す。犬は棍棒でぶん殴ると、ころりとすぐ死ぬそうですが、猫と来たら、打とうが、

  殴ろうがなかなか、一朝一夕には死なないそうです。もういいだろうと思っていると

  薄目をひらいてニャ―ゴと鳴く。実に、あんなにしまつの悪いやつはないと言ってま

  したが、それほど神通力をそなえた猫が、とばっちりをくらって殺されるというのは

  ちと、不覚のいたりに過ぎると思われる。ことにあの傷口から見ても、とばっちりで

  はなく、故意にえぐられたとしか思えない。ところで、刑事さんのご意見では、犯罪

  の現場をあの猫に見られたので、気味悪くなって殺したというんですが、ぼくも一応

  そのことを考えた。しかし、それじゃまるでポーの小説です。それにぼくははじめか

  ら、殺されたのはお繁じゃないと思っていたので、この問題には相当悩まされたので

  す。それがここへ来て、ぴたりとぼくの、仮説の中へはまりこんで来たわけです。お

  繁は亭主の留守中に、人殺しをしたあとで、黒猫を殺しておく。そして、亭主がかえ

  ってきたときこんなことをいうんです。猫とふざけていたら急に噛みついたとか、ひ

  っかいたとか、口実はなんとでもつく、そこでついくゎっとして殺してしまった。と

  血みどろの黒猫の屍体を見せる。お繁は普段からヒステリー性のある女ですから、糸

  島も驚いたことは驚いたろうが、大して怪しみもしない。こうして、黒猫を殺すこと

  によって、そこにある血を、ゴマ化すことが出来ると同時に、更に都合のよいことに 

  は、猫の屍骸を埋めるために、亭主に裏庭へ穴を掘らせることも出来る。更にまた、

  代わりの黒猫を亭主に貰って来させることによって、いよいよ、亭主を怪しいものに

  仕立てることが出来る。彼女はこんなふうに亭主に言ったにちがいない。わたしが癇

  癪を起こして猫を殺したなんてこと、誰にもいわないで頂戴。だって、そんな兇暴な

  女かと思われるのいやですもの。それから大急ぎで代わりの猫をもらって来て頂戴。

  黒猫だから誰にも見分けがつきゃしないわ。だから、猫がかわってるなんてこと、誰

  にもいわないでね。」

 

このように、黒猫が殺されて、畳に血が残されていたことは事件解決の鍵となっている。黒猫の屍体が発見されたとき、刑事は「とにかく、その屍体は大事にしておいてくれたまえ。今度の事件に何か関係があるのかもしれん」と言っている。にもかかわらず、偽の解決では、黒猫の死を軽視している。そこで読者は、何となく納得いかないものを感じる。何かありそうだということを感じながら読み進めると、やはり、隠されていた事実があったことが判明する。このような形で、事件は解決するのである。

 次にサスペンスの長さを調べてみた。

<サスペンスの長さ>

  『黒猫亭事件』(全2268行)

サスペンスの内容

行数(行)

全体に対する割合(%)

@誰の死体なのか?

552

371

979

24

16

43

A日兆はなぜ掘っていたのか?

90

777

1026

4

34

45

B恐ろしい秘密とは?

990

44

C夫婦の写真がないことの意味は?

918

40

D猫はなぜ殺されたのか?

334

756

15

33

E鮎子と大伍はどこへ行ったのか?

324

14

F金田一の握る謎とは何か?

282

12

     
平均

616.9

27.2

 

 上記の表で、@ADのサスペンスに関しては、行数、割合に二つ以上の数値がある。これは、間に偽の解決が挟まれているからである。つまり、@では552行の時点で、死体は鮎子のものであるという解決があり、そこから371行後に「死体はマダムで鮎子は犯人である」という解決がある。そして、その後、979行後に死体は小野千代子のものであるという本当の解決に至るのである。だから、@の「誰の死体か?」というサスペンスが、最終的に解決するのは、5523719791902行後ということになるのである。しかし、サスペンスの長さの平均を求めるには、偽の解決も読者を安心させるという意味で解決と認め、別々に分けることにした。また、この平均値とは別に、どのぐらい長いサスペンスだと、偽の解決が用いられるのかを調べるために、@ADのサスペンスが本当の解決に至るまでの長さの平均値も求めてみた。@1902行、A1893行、D1090行で、平均1628.3行、71.8%である。この数値に関しては、本章の第九節にて他の作品との比較を行ないたいと思う。

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