吉本ばななの小説における

冒頭部分の性質と役割について

 

 

大阪教育大学小学校教員養成課程国語科専攻

学籍番号962241番

国語表現ゼミナール  水田 有香

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

 

序章   課題設定の理由

 

 

第1章                               課題解明の方法

第1節                    冒頭部分の定義について

第2節                    分析の方法

 

 

第2章                               冒頭部分の性質について

(1)   『キッチン』

(2)   『ムーンライト・シャドウ』

(3)   『うたかた』

(4)   『サンクチュアリ』

(5)   『哀しい予感』

(6)   『白河夜船』

(7)   『夜と夜の旅人』

(8)   『ある体験』

(9)   『N・P』

10   『ハチ公の最後の恋人』

11   『SLY』

12   『ハネムーン』

13   『ハードラック』

 

 

第3章                               冒頭部分の役割

第1節                    分析結果

第2節                    分析結果からの考察

第4章                               まとめと今後の課題

第1節                    まとめ

第2節                    今後の課題

 

 

おわりに

 

 

 

 

    序章      課題設定の理由

 

 卒業論文のテーマを決めるとき、私の頭に真っ先に浮かんだのは「吉本ばななの作品を扱いたい」という思いだった。

 私が吉本ばななの作品と初めて出会ったのは、中学生の頃だった。当時、私の周囲では集英社のコバルト文庫や、講談社のティーンズハートが大流行していて、私も友達と本を貸し借りしては、登場人物について「○○がかっこいい」とか、「××のほうがいい」などと騒いでいた。そうして、主人公の女の子と自分を重ね合わせて、空想の中での恋愛を楽しんでいたのだ。

 そんな騒ぎも落ち着いてきた頃、ふと立ち寄った書店で目にしたのが『キッチン』だった。表紙のかわいさにひかれて手にとってみると、作者の名前になんとなく聞き覚えがある。「そういえば、少し前に話題になってたなあ」と思い、読んでみることにしたのだ。それが、私が吉本ばななにハマるきっかけだった。その当時の私は、コバルト文庫などではなんとなく物足りない気がするけれども、文学史に出てくるような、「昔の人が書いた本を読むのもしんどいなあ」と思っていた。そんな私が、「これだ」と思えたのが吉本ばななの作品だったのである。“昔の人”が書いた本とは違って、使われている言葉が中学生の私にも読みやすく、話の内容も、それまで読んでいた本とは違い、登場人物の表面的なかっこよさや優しさではなく、その人の強いところも弱いところも合わせた、生き方のようなものに、感動したり、共感したりできるように思えた。

 『キッチン』と出会ってから、私はそれ以前に出ていた作品を次々に買い集め、新しい作品を心待ちにするようになった。それが現在まで続いているのである。中学・高校・大学と、長く付き合ってきた吉本ばななの作品を、この卒業論文の中で新しい視点で見直し、新たな魅力を発見することができれば、と思い、吉本ばななの作品を扱うことにした。

 次に、どのように見ていくかについてだが、時枝誠記氏が『文章研究序説』(明治書院)の中で「文章における冒頭は、建築における基礎工事と同様に、すべてのものが、その上に積み重ねられる基礎になり、出発点になるといふ意味で重要である」「基礎工事を見ることによって、その上に積み重ねられる建築の全体を想見することが出来るやうに、冒頭によつてその表現がどのやうに展開するかの大体の方向と輪郭とを予想することが出来るのである。従つて、冒頭の正しい理解は、それに続く表現を、正しく読みとるための原動力となるものである。」と述べているように、文章を読んでいく上で冒頭部分は重要な役割を果たしているのではないかと考えた。また、森岡健二氏が「煩雑で大げさな導入は、かえって読者をうんざりさせ、読む意欲をなくさせてしまう。導入の部分で、まず読者の注意と興味を喚起して、読みたいという欲望を起させることが大切である。」(『文章構成法』至文堂)と述べているように、書き手はまず冒頭で、読者をひきつけなければならない。吉本ばななの作品は多くの人に読まれているが、その理由の1つとして「さーっと読める」(平田俊子氏『大ざっぱに見た吉本ばなな』)ということが挙げられる。これは、「冒頭によつてその表現がどのやうに展開するかの大体の方向と輪郭とを予想することが出来る」ことも、要因の1つになっているのではないかと私は考えた。

 よって、吉本ばななの作品の冒頭部分を見ていくことで、その表現が後に続く物語とどのように関わるのかを明らかにしたいと思い、この課題を設定した。

 

 

 

    第1章    課題解明の方法

 

第1節         冒頭部分の定義について

 

  まず初めに、冒頭部分とは作品の中でどの部分を指すのかについて触れておくことにする。始まりは作品の書き出しの部分からということになるが、そこからどこまでを冒頭部分とするのかについて、いくつかのパターンに分けて定義しておく。

 

 時枝誠記氏の『文章研究序説』(明治書院)によると、文章の冒頭は、機能の点から次のように分類できる。

 

1、全体の輪郭、枠の設定であって、時、所、登場人物が提示される。

2、作者の口上、執筆の態度を述べたもので、本文に述べられる事柄とは明らかに次元を異にしている。

3、全体の要旨、筋書、概要を述べる。前項の冒頭が、表現に対して異次元のものであるのに対して、この冒頭は、本文と同一次元のものである。

4、作品展開の種子或は前提となる事柄の提示。

5、作者の主題の表白。

 

これに加えて、「冒頭のない文章」というものも存在する。時枝誠記氏によると、「文章における冒頭は、文章の『書き出し』とは別である。どのような文章も、書き出しの無い文章は無いが、冒頭の無い文章というものはあり得ることである。人間に喩えて言えば、書き出しを頭とするならば、冒頭は、帽子或は冠に比すべきものである。帽子や冠が、その人の身分や品位を表現するものであるならば、それはその人にとって絶対に必要なものとはいい難いけれど、頭の無い人間は既に人間とはいい難い。そこで、文章でも時に無帽無冠の表現が試みられて来た。冒頭特に主題表白の冒頭は、作者の主体的なものの表現であるから、それを表現することによって、作者と読者とを緊密に結び付ける機能を持つ。しかしながら、素材や題材に対して、読者の自由な判断や評価を求めようとする場合には、作者の立場や態度を、読者に最初からおしつけるということは好ましくないことであり、また避けなければならないことである。以上のような理由からであろうか、近代小説においては、特に無冒頭の表現技法が試みられて来ている。これは、作者を媒介とせずして、作中人物と事件とを、直接に読者に対せしめるという意味を持っている。」とあるように、作者が敢えて無冒頭にする場合もある。よって、上記の5つの分類に、6つめとして

 

6、無冒頭 

 

という項目を付け足しておく。

 これらの項目による分類をふまえ、吉本ばななの作品の冒頭を以下のように定義することにする。

  吉本ばななの作品における冒頭では、時枝氏の分類項目の 1、 3、 4、 6、にあたるものが見られた。それらの部分と、後に続く部分とを分ける目印として、以下のようなものが挙げられる。

(1)   作者によって、行を空けて区切られている部分

(2)   この後から物語が展開するのだとわかる1文の手前の部分

     この、「この後から物語が展開するのだとわかる1文」というのは、次のようなものである。

  例)だからこれは、母の小旅行によって突然長い眠りから覚めてしまったような私の、ちょっ

      とした物語である。                                            (『うたかた』より)

(3)   物語の中の、他の部分との時の繋がりがない部分

(4)   書き出しから、時、あるいは場所が移動するところの手前の部分

(5) 無冒頭

 

  以上の5点は、ひとつの作品の中でも重複するものもあるが、この5つを用いて冒頭部分を定義していくことにする。

  なお、今回は(5)無冒頭  と見られる作品『ハードボイルド』については触れないことにする。

 

 

第2節   分析の方法

 

 第1節で定義した冒頭部分の中から、本研究では特に、“暗示”に注目して分析を進めていくことにする。冒頭部分の中で、その後に展開していく物語の中の物、出来事、状態などを読者にそれとなく匂わせるような表現が見られる。それらの表現が何を暗示しているのかを、叙述分析を通して明らかにしていく。また、それらの暗示されている物事が、作品の中でどのような役割を担っているのかを、いくつかのパターンに分けて見ていく。

 

 

 

    第2章    冒頭部分の性質について

 

  吉本ばななの作品の冒頭部分では、その後に続く話の展開につながるような暗示的な部分が見られる。本研究では、その暗示という方法に注目し、各作品の冒頭部分から暗示的な部分を抜き出し、それらが何を暗示しているのかを見ていく。

  各作品の冒頭部分と、あらすじについては、それぞれの作品について述べた部分の前に載せておくことにする。

 

 

(1)『キッチン』

 

<冒頭部分>

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。

どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。できれば機能的でよく使いこんであるといいと思う。乾いた清潔なふきんが何まいもあって白いタイルがぴかぴか輝く。

ものすごくきたない台所だって、たまらなく好きだ。

床に野菜くずがちらかっていて、スリッパの裏がまっ黒になるくらい汚ないそこは、異様に広いといい。ひと冬軽くこせるような食料が並ぶ巨大な冷蔵庫がそびえ立ち、その銀の扉に私はもたれかかる。油が飛び散ったガス台や、さびのついた包丁からふと目をあげると、窓の外には淋しく星が光る。

私と台所が残る。自分しかいないと思っているよりは、ほんの少しましな思想だと思う。

本当につかれはてた時、私はよくうっとりと思う。いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。ひとり寒いところでも、だれかがいてあたたかいところでも、私はおびえずにちゃんと見つめたい。台所なら、いいなと思う。

 

<あらすじ>

 唯一の肉親である祖母を亡くした桜井みかげが、田辺雄一とその母親(実は父親)であるえり子さんとともに生活するうちに、心が癒されてゆく。

 

 

<暗示>

 

  どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はつらくない。

 

 この文の、「つらくない」という部分に注目したい。ふつうなら、自分の好きな場所にいるときは「しあわせだ」と書くだろう。しかし、敢えてそう書かなかったところに作者の意図があるのではないかと私は考えた。そこで、実際に2文目の最後の部分を「しあわせだ」に置き換えてみた。

 

 どこのでも、どんなのでも、それが台所であれば食事をつくる場所であれば私はしあわせだ。

 このように、「しあわせだ」と書いてしまうと、3文目以降が読者に与える印象がかなり変わってしまう。「つらくない」と書くことによって、逆に「つらいのだ」ということを感じさせているのである。これは、読者がこの後の文章を読み、情景を想像していく上で助けとなるひとつの仕掛けであると考えられる。

 

 

(2)『ムーンライト・シャドウ』

 

<冒頭部分>

       等はいつも小さな鈴をパス入れにつけて、肌身離さず持ち歩いていた。

       それはまだ恋でなかった頃に私が本当に何の気なしにあげたものだったのに、彼のそばを最後まで離れない運命となった。

高校2年の修学旅行で、別々のクラスだった彼と私は同じ旅行委員として知りあった。旅行本番ではクラスごとに全く逆のコースをたどることになっていたので、行きの新幹線だけが同じだった。ホームで2人はふざけながら別れを惜しんで握手をした。私はその時家の猫から落ちた鈴が制服のポケットに入っていたことをふと思い出して、せんべつ、と言って渡した。彼は何これ、と笑いはしたが決して無造作にではなく、大切そうに手のひらからハンカチに包んだ。その年頃の男の子にはあまりにも不似合いな行動なので、私はとてもびっくりした。

       恋なんて、そんなものだ。

       それが私にもらったから特別だったとしても、彼の育ちがよくて人からもらった物をずさんに扱えないということにしても、咄嗟にそうしたその感じに私はとても好意を持った。

       そして、鈴は心を通わせた。会えない旅の間ずっと、お互いに鈴のことを気にかけていた。彼は鈴が鳴るたび私と、私がいた旅行前の日々を何となく思い出し、私は遠い空の下で鳴る鈴のことと、鈴といる人のことを想って過ごした。戻ってからは大恋愛がはじまった。

       それからおおよそ4年の間、あらゆる昼と夜、あらゆる出来事をその鈴は私たちと共に過ごした。初めてのキス、大げんか、晴れや雨や雪、初めての夜、あらゆる笑いと涙、好きだった音楽やTV――2人でいたすべての時間を共有して、等がさいふがわリのそのパス入れを出す手といっしょに、いつもちりちりとかすかな澄んだ音が聞こえた。耳を離れない、愛しい、愛しい音だ。                                                

       そんな気がしたなんて、後からいくらでも言える乙女の感傷だ。しかし私は言う。そんな気がしました。

       いつも心から不思議に思っていた。等は時おりどんなにじっと見つめていてもそこにいない気がした。眠っていても、私はどうしてか何度も心臓に耳をあてずにはいられなかった。笑顔があまりにもぱっと輝くと思わず瞳をこらして見てしまった。彼はいつもその雰囲気や表情にある種の透明感を持っていた。だから、こんなにはかなく心もとなく感じるのだろうと私はずっと思っていたが、もしそれが予感だったとしたら何と切ないことであろうか。

       恋人を亡くしたのは長い人生、と言っても20年やそこらだが、のうちで初めての体験で私は息の根が止まるかと思うくらい苦しんだ。彼が死んだ夜から私の心は別空間に移行してしまい、どうしても戻ってこれない。昔のような視点で、どうしても世界を見ることができない。頭が不安定に浮き沈みして、落ちつかずにぼんやりいつも重苦しい。人によっては一生に1度もしなくていいこと(EX中絶、水商売、大病など)の1つにこうして参加してしまったことを、ただ残念に思う。

       そりゃあ、まだ私達は若かったし、人生最後の恋ではなかったかもしれない。それでも私達は2人の間に生まれて初めてのいろいろなドラマを見た。人と人が深く関わりあって見えてくる、様々な出来事の重みを確かめながら、ひとつひとつ知りながら4年間を築いた。

       後からなら大声でだって言える。

       神様のバカヤロウ。私は、私は等を死ぬほど愛していました。

 

<あらすじ>

 恋人の等に死なれた主人公さつきは、マラソンによってその悲しみから立ち直ろうとしていた。また、恋人の弟柊は兄と一緒に死んだ自分の恋人のセーラー服を身に着けることで悲しみから立ち直ろうとしていた。その柊との関わりや、マラソン中に出会ったうららという不思議な女性がみせてくれた恋人の面影によって、さつきは徐々に癒されていく。

 

 

<暗示>

 

       そりゃあ、まだ私達は若かったし、人生最後の恋ではなかったかもしれない。

 

 この1文の手前では、主人公さつきが恋人の等との思い出や、彼との死別の辛さを述べており、後には、「私は、私は等を死ぬほど愛していました。」という1文がある。にも関わらず「人生最後の恋ではなかったかもしれない。」と、冷静な見方をしている。

 これは、この作品の結末と、その先に続くであろう未来を暗示していると考えられる。

 

  まず、初めに挙げた1文の後半部分をを他の表現に書き換え、比較してみる。

 

〔書き換え〕

  @ 人生最後の恋でなかったかもしれない

 A 人生最後の恋ではなかった

 B 人生最後の恋ではなかっただろう

 C 人生最後の恋でなかったのだ

 D 人生最後の恋だと思っていた

 

  @と比較すると、もとの文は、「は」が入ることによって、それ以外の恋があったことを連想させる。けれども、等を失った悲しみに関する叙述などと合わせて見てみると、「人生最後の恋ではなかったかもしれないが、それぐらい大切に思える恋だった」という心情が読み取れる。

  Aでは、「無かった」と言い切っているので、さつきが新たに恋をしたことを表しているといえる。

  Bでは、もとの文では「かもしれない」という「可能性はあるが、不確実である意を表す。」(大辞林)語であった部分を、「だろう」という「話し手の推量や想像などを表す。」(大辞林)語に変えている。このことで、より強く、さつきの次の恋愛に対する予感が表されている。

  Cでは、Aに「のだ」という、「理由や根拠を強調した断定を表す。」(日本文法大辞典)語句が付いたことで、Aの意味が強められ、等の死後のさつきの恋愛がよりよいものであったことが表されていると考えられる。

  Dのように書くと、文全体を

    そりゃあ、まだ私達は若かったけれど、人生最後の恋だと思っていた。

のように変えねばならないが、このように書くと、さつきの、等との恋に対する思い入れの強さが他の表現より強く表される。よって、未来よりも、等との過去に重きをおいた表現になっていると言える。

 

  以上の比較から、この文では、さつきは、等のことをまだ想ってはいるけれども、彼との別れを自分の中で消化しつつあることがうかがえる。そして、今の辛さをいつか乗り越え、いずれ新しい誰かを愛するようになるのかもしれないという明るい未来を読者に感じさせる表現になっているといえる。

 

  ここで、本文中の、さつきが等を亡くした悲しみについての叙述を見ておく。

 

       夜眠ることが何よりこわかった。というよりは、目覚める時のショックがものすごかった。はっと目覚めて自分の本当にいる所がわかる時の深い闇におびえた。私はいつも等に関係のある夢を見た。苦しくて浅い眠りの中で、等に会えたり会えなかったりしながら、いつもこれは夢で本当のところはもう2度と会えはしないことを知っていた。だから、眠りの中でも目をさますまいと努力した。寝がえりと冷汗をくりかえして、吐きそうなゆううつの中でぼんやりと目を開ける寒い夜明けを幾度迎えただろう。カーテンの向こうが明るくなり、青白い、しんと息づいた時間の中に私は放り出される。こんなことなら夢の中にいればよかったと思うくらい淋しく寒い。もう決して眠れずに夢の余韻に苦しむひとりきりの夜明けだ。いつも、その頃に目が覚めるのだ。ろくに眠っていない疲れと、朝一番の光を待つ長い狂気のような孤独の時間に恐怖をおぼえはじめた私は、走ることに決めた。

 

  以上のように、さつきの悲しみは大変深いものである。

  けれども、次に挙げる本文には

 

      本当はしたいことなんて、何ひとつありはしなかった。等に会いたかった。しかし、私はどうしても何か手や体や心を動かし続けなくてはいけない気がした。そして、この努力を無心に続ければいつかは何か突破口につながると思いたかった。保証は何もないが、それまでは何とか持ちこたえようと信じた。犬が死んだ時も、小鳥が死んだ時も、だいたいこんなふうに持ちこたえた。そしてこれはその特番なのだ。何の展望もなくじりじりと枯れてゆくように日々は過ぎてゆく。私は祈るように思い続けた。

       大丈夫、大丈夫、いつかはここを抜ける日がやって来る。

 

というふうに、どん底とも思えるような辛い状況にあってもそれに耐え、「いつかはここを抜ける日がやって来る」と希望を失わないさつきの心情が描かれている。

  また、結末部分では

 

        等。

        私はもうここにはいられない。刻々と足を進める。それはとめることのできない時間の流れだから、仕方ない。私は行きます。

        ひとつのキャラバンが終わりまた次がはじまる。また会える人がいる。2度と会えない人もいる。いつの間にか去る人、すれちがうだけの人。私はあいさつを交わしながら、どんどん澄んでゆくような気がします。流れる川を見つめながら、生きねばなりません。

        あの幼い私の面影だけが、いつもあなたのそばにいることを、切に祈る。

        手を振ってくれて、ありがとう。何度も、何度も手を振ってくれたこと、ありがとう。

 

とあることから、主人公のさつきが、悲しみを乗り越え、未来に向かって歩き出そうとしていることがわかる。

 

  以上の叙述と、書き換えとの比較の結果から、初めに挙げた1文は、さつきが等を失った悲しみから立ち直り、新たな一歩を踏み出す決意をするという結末と、そこから予感するさつきの新たな出会いを暗示するものであるといえる。

 

 

(3)『うたかた』

 

<冒頭部分>

 嵐とは1回キスしただけだ。

 ここが日本だからまだよかったが、外国だったらそんなのほとんど友達以前の範疇だ。そしてすぐに彼は遠いところに行ってしまった。だから、私にはまだこれが恋かどうかも本当にはわからない。さっぱり、わかっていない。

 それでも嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった。

 たとえるならそれは、海の底だ。

  白い砂地の潮の流れにゆられて、すわったまま私は澄んだ水に透ける遥かな空の青に見とれている。そこでは何もかもが、悲しいくらい、等しい。

 目を閉じて走っても、全く違うところを目指したつもりでも、気持ちはいつの間にかくりかえしそこへたどりつく。そこはいつもとても静かで、いつも彼の面影に満ちているので、私は目をさますことなく、ずっと、そこでそのまま眠っていたくなる。

  でもそこだけは決してはきちがえない。

  私にとっては現実の嵐の方がずっと大切だ。瞳を見開き、心に海を抱えたままで、嵐と生きてゆこう。

 私の名は、鳥海人魚という。

 とりうみ、にんぎょと読むのだ。

  私が初めて嵐の名前を耳にしたのは、母に私のこの、とんでもない名前の由来を聞いたときだった。

 まだ小学校にあがったばかりの頃だ。

 寒い寒い、真冬の夜更けだった。

 おやすみを言いに行く時、母がストーブの前でひざを抱えている後姿が何となく暗い感じだったので「どうしたの? ママ。」と、バファリンのコマーシャルみたいに、声をかけてみたのだ。母はふりむいて微笑み、

「人魚、まだおきてたの?」

 と言った。いつもの母の笑顔だったので、私は安心した。

「ねえお母さん、どうして私、こういう名前なの?」

 と私はたずねた。その頃は、できた友達に名を名乗るたびに、由来を聞かれていたのだ。

「うふふ。」と笑って母は言った。「愛し合うお父さんとお母さんの想いをありったけこめて、私達の娘が地上の万物に愛されるように、って、鳥も海も人も魚も名前に入れちゃったの。そしてね、お母さんとしては、人魚には人魚姫のように、好きな人のために命さえ投げてしまうような女性になってほしくってね。」

 そういう、うそのような本当のようなことを真顔でうっとりと言うような母だった。そんな時、母の表情は輝いていてとても美しかった。だから私は母のそういう話がとても好きだった。

「そうだったの、すてきね。」と私は言った。

「お母さん、さっき元気なかった。」

「うん、お父さんがね。」

 と、とたんに母はまた瞳を曇らせてしまった。またか、と私は思った。私は、私の父であるという人物をものすごく嫌っていた。その気質を甘やかす財さえあれば、人はいくらでも変わり者になれるらしい。父は、親の残した資産を食いつぶして、若いうちから好き放題に生きてきたという。彼は未婚で、定職がなく、となり町にある廃屋のような家で暮らしていた。ずっと母は父の恋人で、結婚せずに私を産んだ。私と母の生活費はすべて父から出ている。強いて言うなら母の立場はおめかけさんなのだろうか。私は父と同居したことがない上、たまに会えばいつも、お酒も飲んでいないくせに酔っぱらったような大声で話す大男、という印象しかなく、子供心にはただとにかくこわいだけの人物だった。

「お父さんと何かあったの?」

 と私は眉をひそめて言った。

「そんな、いやな顔しないで。人魚ったら。本当にあの人が嫌いなのね。」

 母はおかしそうにくすくす笑い、続けた。

「あのね、人魚。人魚にお兄さんができてもいい?」

 母子2人で暮らしているから、母は何でもかんでも私に話した。時々は、子供の私に理解できないこともあった。だから私は、意味がわからなくても、色で母の言葉を感じとった。明るい色、暗い色、嬉しさの色、悲しみの色、そういう風に、それが子供なりの知恵だった。そしてその時の言葉は私の無垢な心の海に透明に響いた。しんと波紋が広がるような感じだった。

「弟じゃないの?」

 と私はたずねた。私よりも後にできた赤ちゃんは弟だよねえ、と思った。

「ちがうのよ、お母さんはもう子供ができないんだったら、やあね。そうじゃなくて・・・・・・お母さん、昔、お父さんと知り合った頃にちょっとだけ、モデルのお仕事をしていたことがあるの。その時のお友だちに真砂子ちゃんっていう人がいて、お父さんのお友だちでもあるんだけど、その人がね、自分の子供を捨てて、外国へ行っちゃったんだって。どこに捨てたでしょう、人魚、クイズ。」

 楽しそうに母は言った。

「わかんないよ、教えて。」

 早く聞きたかったので怒って私は言った。

「あのね、お父さんの家の、庭。」

 母は答えた。

「それって、人間の子の話?」

 私はびっくりして言った。

「そうなの。猫とかじゃないの。本当よね。まるで動物みたいね。・・・・・・それでその子、私がひきとろうかなって思うんだけど、もしもその子がお父さんと真砂子ちゃんの子だったら悲しいなって、今、思ってたのよ。まあお父さんは否定してるんだけれど、だったらどうしてお父さんの家の庭に捨てちゃうのよねえ。あの人の言うことってアテにならないから。」

 母の悩みをよそに、私はその〃捨て子〃というものすごい、わくわくする設定に心をひかれて、母のとなりへ寄っていった。ストーブは熱く、見上げた母の横顔が赤く照らされていた。ストーブの上のやかんから絶え間なく蒸気が吹き出していた。窓の外は今にも雪になりそうな氷雨が降っていて、母は肩のカーディガンを私に着せかけて、

「今夜は寒いわね。」

 と言った。私は、うん、と言った。母はひざに顔を寄せ、首をかしげるように私を見て、

「どうしようか。」

 と言った。

「何ていう子なの? その子。」

 もしかしたら共に暮らすことになるかもしれないその男の子の名を、不思議な気持ちで私はたずねた。

「嵐くんっていうのよ。」母は言った。「あなたよりも2つ上かしら。今は、お父さんの家にいるの。」

「あのボロ家に?」

 数回、行ったことのある、人の住んでいるとは思えないような父の家を私は思い描いた。

「そう。それに、お父さんって家を空けることがあまりにも多すぎて、ちょっとね。法律上のことは何とでもなるにしても、子供があそこで育つのは、どうかと思うのよ。」

 母は言った。

「その子、かわいそう。」私は言った。「捨てられるって、どんな気持ちかな。」

「後々まで恨みが残るんじゃないかしらね。門にしがみついて、歯を食いしばって、声も出さずに泣いてたんですって。真砂子ちゃんのお母さんの形見のダイヤの指輪を握りしめてね。きっと養育費のつもりだったんでしょうけど、相変らず大ざっぱだわ。ダイヤー個で子供が育てば警察はいらないわよね。」

「どうして警察なの?」

 私は言った。

「人魚もまだまだ、なぜなにの年頃ね。」母は微笑んだ。「赤ちゃんはどうしてできるのっていう質問はもう、2、3年待ってね。」

「うん。」

 私はうなずいた。母も、それそうとうには間の抜けた、変な人だった。

 その後、しばらくのごたごたを経て、結局嵐という名の男の子は父の家で育つことになった。私は父の家には行かないので、きっと会うことはないだろう、と思った。それでも幼い私の胸には、門にしがみついて泣く男の子が、その切ない気持ちが、その頃のことといっしょにくっきりと刻みこまれた。

 

 

 父が、突然、ネパールへ行くことになった。ホテルを経営している友人のところへころがりこむとかで、いつ帰るかわからないのもいつものことであった。いつもと違うことがひとつあった。母が同行すると言い出したのだ。私は19になり、大学に通っていて、ちょうど夏休みの終わりごろだった。

「だってお母さん、日本からろくに出たこともないのに?」

 母の決心を聞いた時、私はびっくりして言った。あまり意外で、ほらかと思った。

「ええ、ちゃんとした観光用のホテルだっていうし、いざとなったら部屋から出なければいいのよ。それより、人魚が心配よ。ひとりでしばらく、暮らせる?」

 母は心配そうに言った。私は、

「うん、行っておいでよ。」       

 と言った。内心は、それよりも、お母さんが……と思った。いっしょに住んだこともない父と、山の上で、異国の風俗の中で暮らせるのだろうか。でも、母もたまには何か画期的なことを求めているのだろう、と思った。それならばきっとその決意には深いものがあるに違いなかった。それを尊重してあげたかったのだ。

 

 

〃そのこと〃に気づいた瞬間のショックは大きかった。

「ねえ、どうして急に旅行に行く気になったの?」

 私はたずねた。準備もすっかり大づめに入り、何でも持っていきたがる母の荷物をチェックするのに忙しい頃だった。ちょっと目を離すと母は「タオルの替え」「タオルの替えの替え」「そのまた替え」……という感じに心配して考え抜いてしまうのだ。その緊張ぶりは痛ましいほどで、何だかこの世の果てに行く決意をしてしまった人のようだった。

「だってもう人魚も大学生だし、これからはどんどん自立していっちゃうでしょう。たまには自分から何かに飛びこんでいかないとねえ、どんどん老けこんでしまうわ……。」

 と答える母を見ると、ガイドブックの「時差」のところをメモしていた。私はまた不安になったが「すばらしい心がけね。」と言い、足元にころがっていたネパールの写真集を取りあげてパラパラめくってみた。

 山のふもとにのどかに広がる緑、ほこりっぽい街路に群がる人々、馬、赤茶けた街並のいたる所に不思議な色彩でたたずむ神々の姿。山へ向かう人々の行列、たくさんの寺院の古い壁の色。父と母が行くというホテルが小さく写っていた。どの写真の向こうにもその独特の澄んだ空と、くもの巣のように白をまとった山々がしんと存在していた。

 すごく、変な気分だった。

「お母さん、ほんと――うに、ここに行って暮らすの?」

 私はぼんやり写真を見たままそう言った。

「そうよ。」

 母は何なのかしら、という感じで言った。

「そうよね。」

 と言って私は黙りこみ、床に広げた本の中に実感を見つけようと思ったが、そんなものは私の中に全くなかった。それがネパールに限らないことに、私は気づいた。       

 私はずっと母と2人だったし、自分のことは自分でやってきたので、自分は年よりも大人びていると思い込んでいたし、まわりの人たちにもそう言われ続けてきた。でもその時、自分にとっては子供の頃からずっと、母が出かけていってしまう場所は霧の中のままで、私には母のいる風景と、そしていない風景の2種類しかない、と知ったのだ。父の家だろうが、ネパールだろうが、実感のなさはいっしょだった。それはカギっ子の淋しい生活が産みだした「生活の知恵」だった。そのことにきちんと目を向けるとたったひとりの身よりである母が遠のいてしまう気がして淋しくなるから、父にも、父の家にも、私たちの生活費を父が出していることからもすっかり目をそらし、ただ家で母を待って生きてきてしまったのだ。この視野では――私は19にもなって、まだただのひとりぼっちのカギっ子のままではないか――びっくりした。暗闇の中で窓がほんのちょっと開いて光が入ってきたような感じだった。ちょっとだけ高くから見るとぐんと角度が変わってうつる景色を見たようだった。突然にせまって見えてきたその人生の風景は私の今まで思っていたより

ずっと生々しく、雑多で、こわかった。でも目をそらしたくはなかった。それは何となく打ちひしがれるようないやな感じではあったが、確かに「未来」に続く感じだった。

 何だかわからないけど、何かが変わるといいな、と思いはじめながら、その夏の終わり、カトマンズへ発つ母を見送った。

 だからこれは、母の小旅行によって突然長い眠りから覚めてしまったような私の、ちょっとした物語である。

 

<あらすじ>

  主人公鳥海人魚は、父の“おめかけさん”である母と2人で暮らしてきたが、ある日母が父についてネパールへ行くことになり、人魚はひとりでしばらく暮らすことになる。その中で人魚は自分の孤独、淋しさに気付く。そんな時、父の家の庭に捨てられていて、それから父に育てられた高田嵐という青年と出会う。嵐と人魚は、互いに複雑な家庭で育った者同士、痛みを分かち合いながら愛情を深めていく。

 

 

<暗示>

 

 それでも嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった。

 たとえるならそれは、海の底だ。

  白い砂地の潮の流れにゆられて、すわったまま私は澄んだ水に透ける遥かな空の青に見とれている。そこでは何もかもが、悲しいくらい、等しい。

 目を閉じて走っても、全く違うところを目指したつもりでも、気持ちはいつの間にかくりかえしそこへたどりつく。そこはいつもとても静かで、いつも彼の面影に満ちているので、私は目をさますことなく、ずっと、そこでそのまま眠っていたくなる。

  でもそこだけは決してはきちがえない。

  私にとっては現実の嵐の方がずっと大切だ。瞳を見開き、心に海を抱えたままで、嵐と生きてゆこう。

 

  この部分は、主人公鳥海人魚の、人魚の父が引き取り、育てた高田嵐という青年との恋に対する姿勢を暗示していると考えられる。 

 

  上に挙げた叙述と、本文中の

 

        そしてただうとうとと夢の中で眠っていればよかった嵐と出会う前の日々にたまらない郷愁を感じた。あの頃の私は本当に何もしなくていい、何にも傷つかない幸せな子供だったのだ。

 

という、嵐と出会う前の人魚についての叙述を合わせてみてみると、海の底にすわって、空の青に見とれている人魚は、「そこはいつもとても静かで、いつも彼の面影に満ちているので、私は目をさますことなく、ずっと、そこでそのまま眠っていたくなる」とあり、また、嵐と出会う前の人魚については「ただうとうとと夢の中で眠っていればよかった」とあることから、海の底にすわっている人魚というのは、「何もしなくていい、何にも傷つかない幸せな子供」を表していると考えられる。そして、海の底から見上げている「空の青」というのは、本文中に

 

  淋しさというのは、いつの間にか、気がつかないうちに人の心にしみてくる。ふと目覚めてしまった夜明けに、窓いちめん映るあの青のようなものだ。そういう日は真昼、いくら晴れても、星がどんなにたくさん出ても、心のどこかにあのしんと澄んだ青が残っている。ずっと2人暮らした母が急に生活からいなくなって、私はまっ青に染まっていたのだと思う。彼のくっきりした輪郭は、彼の孤独だったであろう半生からくっきりと浮かびあがり、私のささいな淋しさを取り去る力を持っていた。

 

という叙述があることから、淋しさを表すものであると考えられる。それを、海というフィルターを通して感じている間は、夢の中のように何にも傷つかないでいられるが、そのフィルターを取り去って現実の世界を見ると、淋しさに傷つくようになってしまう。それでも人魚は、

 

  でもそこだけは決してはきちがえない。

  私にとっては現実の嵐の方がずっと大切だ。瞳を見開き、心に海を抱えたままで、嵐と生きてゆこう。

 

と言って、現実の世界で生きていく決心をする。

  以上の叙述から、それまでの傷つかないですんでいた生活を捨て、傷ついてでも嵐と生きていく道を選んだ人魚の生き方を、この冒頭部分では暗示していると考えられる。

  また、主人公の“人魚”という名前や、冒頭部分の中の、

 

「ねえお母さん、どうして私、こういう名前なの?」

 と私はたずねた。その頃は、できた友達に名を名乗るたびに、由来を聞かれていたのだ。

「うふふ。」と笑って母は言った。「愛し合うお父さんとお母さんの想いをありったけこめて、私達の娘が地上の万物に愛されるように、って、鳥も海も人も魚も名前に入れちゃったの。そしてね、お母さんとしては、人魚には人魚姫のように、好きな人のために命さえ投げてしまうような女性になってほしくってね。」

 そういう、うそのような本当のようなことを真顔でうっとりと言うような母だった。そんな時、母の表情は輝いていてとても美しかった。だから私は母のそういう話がとても好きだった。

 

という叙述は、読者にアンデルセンの『人魚姫』を思い起こさせるものである。

  人魚姫は、海の中でお姫様として幸せに暮らしていたにも関わらず、その生活を捨て、声を失ってでも愛する王子と生きていく道を選んだ。そして最後には命を失ってしまう。その人魚姫の生き方と、それまでの傷つかないですんでいた生活を捨て、傷ついてでも嵐と生きていく道を選んだ人魚の生き方とを重ね合わせると同時に、人魚の「嵐と生きてゆこう。」という言葉と、母の「人魚姫のように、好きな人のために命さえ投げてしまうような女性」という言葉を対比させることで、淋しさや孤独を抱えながらも愛する人と生きようと決意するまでに強くなった人魚の心を、この冒頭部分では暗示していると考えられる。

 

 

(4)『サンクチュアリ』

 

<冒頭部分>

 春先に、妙な出来事があった。

 

 そう、智明がはじめて彼女を見たのは、風のつよい春の夜の海辺だった。とにかくひどく疲れ果てていたので、ひとりでのんびりしようと思って父の会員証とカードで勝手にホテルに泊まりこんでいた日々のことだ。何もかも忘れて毎晩心ゆくまで飲んで、ぐーぐー眠って、昼は浜で本を読んだり、プールで泳いだりして暮らせたら極楽だろうな、と夢見て実際やってみたら、二日酔いでただ1日中だるいだけの毎日だった。それで智明は〃調子悪い時は何やってもだめだ〃という、しようもない真実を学んだ。それでそのままぐだぐだと、−週間もそこに滞在していた。

 しかしそんな中にも冴えたいい時刻があった。夜の8時すぎ、夕食を終えたあたりだ。やっと体のだるさがとれてきて、頭がはっきりしてくる。そこでよし、と起きあがって散歩に出てえんえん歩く、その時間は気分が良かった。晩の散歩は日課になった。

 そんなある夜のことだ。

 智明のいる小さなホテルの目の前は広い国道で、渡るとすぐそこに海が見えた。夜の海は昼と迫力がまるっきりちがう。ぼんやりと暗い浜から、波音が押してくるように巨大に響く。黒い島影が闇に浮かび、潮風は夜の香りを含んで吹きわたる。

星がはるかにちかちかまたたく。そういうのを見ていると、心はいっぱいにふくらんだ帆のように落ちつかず、高いところへかけてゆけそうな感じを取り戻す。暗い海に沿って、どこまでも歩けそうになる。

 それが、嬉しかったのだ。

 智明は部屋の冷蔵庫から持ってきた缶ビールを飲みながら、乾いた堤防にもたれて海の方を何となく見ていた。すると、ふと女の泣き声が聞こえた。

 ぞうっとした。

  誰もいない暗闇の浜辺、ふりむくと車もあまり通らない道にずらっとライトが浮かんでいるという状況である。空耳かと思った。しかし、波音にまぎれてそれはかすかに続いていた。

  智明は声の方へ向かってぶらぶら歩きはじめた。するとやがて、浜へと降りてゆくまっ暗な階段の途中にすわっている黒い人影を見つけた。月明かりにぼんやり浮かぶそのひとを、あまりのことに思わずじろじろ観察してしまった。

 それはそれは、ものすごい泣き方だった。

 長い髪が、ふるえる肩のところで吹きすさぶ強い春風にさらされて踊っていた。この肌寒いのにブラウス1枚で、彼女はひとひとりやっとすわれるくらいのせまい階段に腰かけていた。風にはためくスカートが砂にまみれているのもおかまいなしだった。彼女は、たまに顔をあげてはまた絶望的に肩を落とし、ひざに顔をうずめては首を激しく振り、身をよじり、両手を固く握り合わせたり、髪を払いのけては泣いた。ハンカチで顔をおおっては泣き、両手で肩を抱いては前にかがんで泣いた。顔もけっこうよく見えた。彼女は顔をあげる度に、闇に立つ聖母のような清らかな表情をしていた。三日月の形にひそめた眉の下のその瞳には、ときおり理性の光がよぎった。その取り乱しようにもかかわらず、自分の悲しみの種類をきちんと知っているように見えていっそう痛ましさが増した。そしてそこに、妙につよくひかれた。ふだん見たくもないはずの、「人の泣いている」場面なのに、どうしても目が離せなかった。

 そんなことをぼんやり思いながら、黙ってしばらくそこに立っていた。幻のような浜の砂地と、遠く黒くうねる海を見おろして、ごうごううなる風音の中できちんと距離をおいたままでその、不思議に感動的な泣き女といっしょにいた。そう、その泣き方はなんだかびっくりするほど気持ち良かった。ほこりまみれの自分の心まで、ざばざば洗ってくれるようだった。

 翌日の散歩の時間も、そこへ行った。すると驚いたことにやはり寸分ちがわぬ泣き方で彼女が大泣きしていた。

 その翌日もそうだった。

 いよいよ明日帰ろうというその晩、ついに彼女が続けて4日間も泣いているのを見つけた時、智明は衝動的に声をかけた。

「部屋で泣くのがいやなんですか。」

 自分でもびっくりするほど、はっきりした声だった。くりかえす波音にまぎれてしまうことを意識して、いつのまにか大声を出していたのだ。彼女はゆっくりと智明を見上げると、

「だあれ?」

 とひどい鼻声で闇の中から問いかけた。

「すみません、このところずっと泣いてるから気になってたんです。よかったらちょっと休んでお茶でも飲みませんか。それからまた、好きなだけ泣けばいいじゃないですか。」

 その言い草がよかったらしい。

 彼女はそっと立ち上がり砂をはらい、猫のようにひっそりと階段を登ってきた。

それで、妙なことになったと思いながらも、並んで歩きはじめた。夜景が美しかった。湾をふちどる街明かりが、ちらちらと海にうつっていた。                                                          

「いつから、いたの?」

 彼女は言った。太ってはいないが、ふくよかで白い。丸い顔に形の整った目鼻やくちびるがちょこんとついている。完全に年上だった。26,7くらいだろうか、と、明かりの下を通る度に、ふいにきちんと姿を表すその全身を見て思った。

3日かな、ずいぶん前から見かけてた。うまく言えないんだけど、あんまりつらそうなので、とにかく何でもいいから泣くのを中断したくなったんです。」

 智明は言った。

「ええ、とにかく中断できて、嬉しいわ。」

 彼女は泣きはらした目でちょっと笑ってそう言った。

「あなたも、きっと何か悲しいことでもあるのね。」

「まあ、そんなところです。」                                   

 智明は正直に言った。彼女は夢のようにうっとり微笑んだ。

「そうよね、だって、悲しいことがわかっている人しかそんな風に感じないものね。とにかく中断するといいなんて、ふふ。……ねえ、さっきからずっと暗闇ばっかり見ているのと、何日もはじめての土地にいるせいで、頭がぼんやりしてしまって、はじめて会った人と思えないの。なんだか、あなた、私の夢の中に出てきている人みたい。へんね、何か、夢の中で話をしているみたい。」

「うん、言ってることよくわかるよ。俺も今、そういう感じがしてる。」

 智明は言った。言いながらも確かに自分が今、どうしてこの女性と歩いているのかよくわからなかった。すべてが闇にまみれてあいまいに思えた。彼女はすごくまじめそうなきちんとした身なりで、健康的な容姿をしていた。それでもこんな夜の中で、しかもあの涙の後ではなにか妖しい、この世のものではないもの、何もかもを知っていて何かをかくしているもののように感じられてならなかった。

 もう人のいない、がらんと広いホテルのティールームでお茶を飲んだ。キャンドルライトに、彼女のほほがつやつや光り、窓の外には果てしなく暗い海が見えた。

「熱いお茶がおいしいわ。すわっていたら、すっかり冷えてしまった。」

 と彼女は目を細めた。白い、ふくよかな指でカップを持ち、ミルクをたくさん入れて銀のスプーンでくるくるかきまぜる。目にうつるすべての影が、乾いた光の黄に照らされて淡くうつっていた。

「でもね、たとえ泣いていても、部屋にいるより海にいるときがいちばん安心なのよ。」彼女は言った。「ずっと、できれば部屋に戻りたくなくて、毎日やっとの思いで立ち上がるのに、今日はすんなり戻るきっかけができてよかった。」

「泣いたまま寝たりおきたりするのがこわいんだろ。」

 智明はコーヒーを飲みながらてきとうに言った。眠気がぼんやりと膜のように心をおおっていた。

「そう、眠ったりおきたりする、私にとって大切な日常のことが、みんなひどいままごっちゃになって何が何だかわからなくなるのがおそろしいのよ。……あなた、どうしてそんなこと知ってるの? あなた、だれ?」

「通りすがりのものだよ。」

 あんまりほんとうにそうだったので、智明は言ってから笑ってしまった。彼女もお茶を飲みながら微笑んだ。夜半の空気が部屋中に濃く満ちて、息をひそめていた。遠くをわたってゆく風の音がしきりに聞こえた。それもすべて現実のおとす影のようなこの空間の外にあった。

「死ぬつもりで海辺にいるわけじゃないんだろ?」

 智明が言うと、彼女はにっこりうなずいて、

「ええ、ただ泣いてるだけ。泣きはじめると外に出たくなって海へ行っちゃうの。」

 と言った。実にほんのりと安らかな笑顔だった。素顔に赤くうつり、空気にとけてゆくようだ。ちょっと上向きの鼻が実にかわいかった。海で泣いていた時の激しさは消え失せて、さわさわと波うちぎわに吸いこまれていく泡のような、やさしい瞳をしていた。それでも強烈な何か悲しいことに打ちひしがれた彼女の発散する、奇妙に明るい光がこの妙な空間をつくり出していた。彼女の表情に今、くりかえしおとずれる、その、力のふっと抜けたような柔らかい笑顔は、さんざんな目にあってたどりついた果ての疲れはてた安らかさだった。

 なぜこんなに彼女のことがよくわかるのだろう。なぜ同調したようにすんなりと目に映るのだろう? ライトに照らされた目の前のひとのかたちが、旅先の遊離した魂に拍車をかけるのだ。ここは彼岸だ、と智明は思った。打ちよせられた材木のように、ここに流れついてしまった。こんな、わけのわからないところに。淋しく淡く光るところに。

「東京から来た?」

 智明は言った。

「ええ、A区。」

「俺も。」

「うそでしょ?」

「本当だってば。」

「じゃあ、また会うかもね。私は、浜野馨といいます。」

 彼女は言った。

 智明は自分の名を名のり、しかしもう会うこともないだろうと思った。

 会えばこの夜の心地良い、奇妙な感じが消えてしまう。

 彼女もそう思ったのだろう、それ以上の約束をせず、ただあまり話もせず、静かにお茶を飲んで別れた。

 笑顔で手を振り、エレベーターに消えてゆく後姿を見た時智明は部屋に誘おうか、と迷った。誘えば必ず来ると思った。

 しかしこわくてひるんでしまった。行きずりの関係が、ではなくて後姿の彼女にはある種の異様な凄味があり、海にいる美しい魔物を思わせたのだ。

 そしてその、一瞬のこわさをやはり貴重に思ったのだ。

 完璧だった。こわせなかった。

 

<あらすじ>

  主人公時田智明は、恋人だった、人妻の友子が自殺してしまい、そのつらい現実から逃れようと海へ出かける。そこで、浜野馨という女性と出会うが、彼女もまた、夫と子供を亡くしていた。同じ、大切な人を突然亡くしたという痛みを抱える2人が、互いによってしだいに癒されてゆく。

 

 

<暗示>

 

  なぜこんなに彼女のことがよくわかるのだろう。なぜ同調したようにすんなりと目に映るのだろう? 

 

  この部分は、智明と馨が、同じ種類の悲しみを抱えていることを暗示していると考えられる。

 

  まず、1文目と2文目に注目する。「なぜこんなに彼女のことがよくわかるのだろう。なぜ同調したようにすんなりと目に映るのだろう?」とあるが、この2文を次のように書き換え、比較してみる。

 

  彼女のことがよくわかる。同調したようにすんなりと目に映る。

 

これと、もとの2文を比較してみると、もとの方は、「なぜ」という言葉がつくことで、読者の注意が理由の方に向けられる。冒頭では2人の悲しみの理由は明らかにされないが、「彼女のことがよくわかる」「同調したようにすんなりと目に映る」という叙述とともに、同じく冒頭部分の中の「ほこりまみれの自分の心まで、ざばざば洗ってくれるようだった。」という1文を合わせて見てみると、ここでは、智明と馨は、同じ種類の悲しみを抱えていることを表していると考えられる。

 

 

(5)『哀しい予感』

 

<冒頭部分>

 その古い一軒家は駅からかなり離れた住宅街にあった。巨大な公園の裏手なのでいつでも荒々しい緑の匂いに包まれ、雨上がりなどは家を取り巻く街中が森林になってしまったような濃い空気がたちこめ、息苦しいほどだった。

 ずっとおばがひとり住んでいたその家に、私はほんのしばらく滞在した。それはあとで思えば、最初で最後の貴重な時間となった。思い出すと不思議な感傷にとらわれてしまう。いつの間にかたどりついた幻のように、その日々は外界を失っている。

 おばと2人で過ごした透明な時間を私は悼む。全くの偶然から産み出された時のすきまの空間を、共に持てたことを幸運に思う。いいのだ。終わってしまったからこそ価値があり、先に進んでこそ人生は長く感じられるのだから。

 はっきりと思い出す。古い木の玄関扉には曇った金色のノブがついていた。庭の雑草は放ったらかしにされて高く高く生い茂り、枯れかけた立木と共にうっそうと荒れて空を隠していた。つたが暗い壁を覆い、ひび入った窓にはテープが無造作に貼ってあった。床はいつもほこりにまみれ、晴れた光に透けて舞い上がってはまた静かに床を埋めた。あらゆるものが心地良く散らかり、切れた電球は替えられることもない。そこは時間のない世界

だった。そして私が訪ねていったその時まで、おばはずっとそこで、ひとり眠るようにただひっそりと暮らしていたのだ。

彼女は私立高校の音楽教師をしていた。30になるが独身で、いつの頃からかひとり暮らしをしていた。「未婚で地味な音楽教師」を想像してみてほしい。朝、出勤する時の彼女はまさにそれそのものだった。いつでもドブネズミ色のスーツをがっちり着込んで、化粧を全くせず、髪の毛を黒ゴムできっちりとひとつに束ねて、中途半端な高さのヒールをはいて、朝もやの道をコツコツ歩いてゆくのだ。よくいるでしょう、顔だちは異様に美しいのに、どうしようもなく野暮ったい人。私はおばが「音楽教師に見えるでしょう、こんなもんで」という、世の中をなめたマニュアルを実行しているとしか思えなかった。なぜなら家の中でねまき同然のラフなかっこうをしてのびのびとしている時、彼女は別人のように垢抜けて美しくなるからだ。

 おばの生活は変人そのものだった。彼女は帰宅すると即座にねまきに着替え、はだしになってしまう。そして放っておくと、1日中、爪を切ったり、枝毛を切ったりしてごろごろしている。窓の外をただずっと何時間もぼんやりと見つめていたり、廊下にごろりと寝ころんだまま眠ってしまったりする。読んだ本は開きっ放し、洗濯物は乾燥機に入れっ放しで、食べたい時に食べ、眠い時に寝る。自分の部屋と台所以外は何年も掃除すらしてい

ないらしく、私はついたとたん、自分が泊まる部屋の恐ろしく汚ない様相を整えるのにやむをえずひと晩中、まっ黒になって働いた。そんな時もおばは悪びれる事もなく、「お客様が来たから。」と言って真夜中なのに何時間もかけてひとり、大きなケーキを焼いてくれた。万事がそのようにトンチンカンだった。掃除がすっかり終わり、2人でそれを食べたのは夜明けで、空が明るかった。万事がそんなふうで、そこには生活の秩序というものが何ひとつ存在していなかった。

 それにしても多分、おばが美しいからそういうことのすべてが妙に美点としてうつるのだろうと私は思った。確かに彼女はつくりがきれいだった。しかしそういう意味で言ったらおばより美しい人はいくらでもいる。私にとって美と映ったのは彼女の生活とか、動作とか、何かするときのかすかな表情の反応にまでびっしりとはりめぐらされたある「ムード」だった。それはがんこなまでに統一され、この世の終わりまで少しも乱されることが

ないように思えた。だからおばは、何をしていても不思議と美しく見えた。彼女の発する空ろで、しかし明るい光はまわりの空間を満たしていた。長いまつ毛をふせて眠そうに目をこする様は天使のようにまばゆく見えたし、床に投げ出された細い足首は彫像のようにつるりと整っていた。その汚なく古い家中が、おばの動きにあわせてゆっくりと満ちたりひいたりしているように感じられた。

 

 

 あの夜、外からいくら電話をしてもおばは出なかった。雨がざあざあ降っていて、私は不安な気持ちのままおばの家を目指した。緑が闇に煙り、むせかえるような夜の空気はどこか孤独な瑞々しい匂いを含んでいた。私は大きなボストンバッグを肩に持ち、その重みによろけながら、ひたむきに歩いた。とても、暗い夜だった。

 私は、昔から考えごとがあるときよく家出をした。行き先を告げずに旅行に出たり、友人の家を転々としたりする。そうしていると、頭が冴えていろいろなことがよくわかってくる。はじめは両親もいちいち怒ったが、高校に入った頃になるとさすがにあきらめて何も言わなくなった。だからこんなふうに何も言わずにふらりと出てくるのは、決して珍しいことではなかった。ただ、自分がおばの家、そこを目指していることだけがこの段にな

ってもまだ少し不思議に思えた。

 私とおばとはあまり親交がなく、親類全体の大きな集まりでもない限りは顔を合わせることも滅多になかった。でも私は変わり者のおばをなぜだかとても好きだったし、彼女と私だけが共有する、ある小さな思い出を持っていた。

 

 

 その時、私はまだ小学生だった。

 母方の祖父の葬式の朝、真冬の、今にも雪が降ってきそうな光る曇り空だった。よく覚えている。私はふとんの中から障子越しにぼんやり明るいその空を見ていた。窓の横には、その日の葬式に着てゆく喪服がかかっていた。

 廊下でひっきりなしに電話をしている母の声が時々、涙でつまるのがわかった。私はまだ幼くて、死がよくわからなかったが、悲しむ母がただ悲しかった。しかしその合間に母が大声で、

「なに、あんた、ちょっと待ちなさい! そんな……。」

 と言って切った変な電話が混じっていた。そしてしばらくの沈黙の後に、母は、ゆきのったら……とつぶやいた。私は、すぐに理解し、おばばきっと葬式に来ないんだな……とぼんやり思った。

 その前夜、通夜の席で、私はおばに会っていた。おばの様子はやはり少し周囲とピントがずれているように思えた。大勢いる母のきょうだいのうち、ひとりぽつんと若く、ひとり無口なおばは、終始ただ立っているだけだった。そして、ひとり、息をのむほど美しく見えた。多分、彼女にとってそれは一張羅の喪服だったのだろう。そして私はおばがそういうきちんとした服装でいるところをはじめて見た。黒いワンピースのすそのところにク

リーニング札がついたままなのを母が取ってやっても彼女は照れもせず、にこりともしなかった。代わりに悲痛なゆっくりさでかすかに頭を下げた。

 家族といっしょにただ立ちつくして、やってくる人々の列を見ていた私は、おばから目が離せなくなってしまった。彼女は目の下に隈をつくり、まつ白い唇をして、目に映る白と黒のコントラストの中、幽霊のように透明に見えた。門外の受付のところでは巨大なストーブがたかれ、暗い闇に熱風をはき出していた。凍えそうな夜の中、ごうごう音をたてて燃える炎のその勢いのいい赤に、おばのほほが鮮やかに照らされていた。皆があいさつを交わしたり、ハンカチで目を押さえたりして、暗いあわただしさをたたえていたその夜の中で、おばだけがぴたりと、まるで闇の一部になってしまったように静止していた。真珠のネックレス1つで、手には何も持っていず、瞳だけが火を映してきらきらと強く光って見えた。

 ――きっと、泣くのを必死でこらえているんだわ、と私は思った。死んだ祖父のいちばんの気がかりはひとり暮らしのおばで、彼女は祖父にとても可愛がられていた。祖父母の家はおばの家の近所で、多分よく行き来していたのだろう、幼い私はそのくらいのことしか知らなかったが、立ちつくし夜を見つめるおばの姿を見ていたら、私にまでその悲しみの深さが伝わってくるようだった。そう、私は特別、おばのことがよくわかった。やたら

口数の少ないおばのちょっとしたしぐさや、目線や、顔の伏せ方ひとつで、私には何となく、おばが喜んでいるのか、退屈しているのか、怒っているのかが伝わってきた。母や他の親戚が「あの子は何を考えているのかさっぱりわからない。」と愛情とあきらめを半々にして語り合う時、私はいつも、子供心にも不思議に思った。どうして、みんなにはわからないのだろう? どうして私には、こんなにもよくわかるのだろう。

 そして私がまさにそう思った瞬間、おばは突如涙を流した。はじめはぽろぽろとほほを落ちただけのその透明な水滴は、やがてすすり泣きに、そして号泣に変わっていった。私だけがその変化を見、理解していた。周囲の人々はびっくりして、おばを奥に連れていってしまった。しかし周囲の人はおばを見続けていなかった。驚いただけだ。私だけが、ずっと見ていた。そういう妙な自信を自分の中に感じた。

 おばはその日、「葬式には行かない、旅行に行く。」とだけ言って電話を切ったそうだ。そして母がいくらかけ直しても、もう出なかった。葬式はおば抜きで行われ、その後、何度母が電話をかけても留守だった。何日も連絡が取れず、母はあきらめて「きっと、どこか遠くに行っているのね、また少ししてからかけてみましょう。」としんみりと言った。

 葬式の翌日、私は、どうしてもおばがいる気がして、ひとりおばの家を訪ねた。まだ10にも満たないくせに、よく行動に移したものだ。しかし、母が呼び出し音を聞き続け、ため息をついて受話器を置く度に私は強く思った。〃きっといる、ただ出ないだけだわ〃それを確かめたかったのだ。

 ランドセルを背おったまま、電車に乗っていった。小雪がちらつき、ひどく寒い夕方だった。胸がどきどきした。それでもとにかく会いにいった。たどり着いたおばの家はうす闇の中、まっ黒にそびえ、やはり出かけているんだろうかと不安になりながら、私はチャイムを押した。祈るように、何度も、何度も押した。やがて、ドアの向こうにかすかな物音が聞こえ、おばがやってきてドアの手前で息をひそめているのがわかった。私は言った。

「弥生です。」

 ガチャリ、とドアが開き、やつれ切ったおばは信じがたい、という瞳で私を見た。きっとうす暗い部屋の中でずっと泣いていたのだろう、赤い、はれた目をしていた。

「どうして?」

 とおばは言った。

 おそるおそる、私は言った。

「きっと、いると思ったの。」

 ただそれを伝えることで精一杯だった。

「上がって。お母さんには、内緒よ。」

 と言っておばはちょっと笑った。彼女は白いパジャマを着ていた。ひとりでそこを訪ねるのは初めてだった私にとって、その荒れた室内はとても淋しげで、寒く思えた。

 ストーブのあるのが多分、その部屋だけなのだろう、私はその時、2階にあるおばの部屋に通された。大きな黒いピアノがあった。いろんなものを足で押しのけてクッションを置いたおばは、

「何か飲み物持ってくるから、そこにすわってて。」

 と言って階下へ降りていった。窓の外はみぞれに変わり、ぱらぱらとガラスに氷のぶつかる音がした。おばの家のあたりの夜があまりに暗くひっそりと訪れるので驚いていた。そんなところにずっと、ひとりで住んでいるなんて私には想像もつかず、何となく居心地が悪かった。正直言って早く家に帰りたかった。ただ――

「弥生ってカルピス嫌い?」

 と言って、階段を上ってきたおばの、はれたまぶたがあまりにも痛ましくて、私はただ、ううん、と言って、その熱いカルピスのカップを受け取った。

「学校を休んで、ただ寝ていただけなの。」

 もうすわる所が少しもないので、おばはベッドに腰かけてそう言い、はじめて本当の笑顔を見せた。私はそれでやっと、ほっとした。なぜ、おばが祖父母と暮らさずに、そんなこわれかけた家でひとりで住んでいるのか、私は全く知らなかった。祖父が死んだことで、どうしてかおばが本当にひとりになった気がした。だから、幼い私をきちんと大人あつかいする彼女に何かを伝えてやりたかった。

「お母さんは、私が旅行に行ってるって言ってたでしょう?」

「うん。」

「内緒よ。ここに、いること。大人の人には誰にも会いたくないの。面倒だから。わかるでしょう?」

「うん。」

 おばはその頃、音大に通っていた。本棚には膨大な数の楽譜が並び、譜面台には開いたままの1冊が立っていた。ライトに照らされた机の上には、レポート用紙が雑然と積んであった。

「ピアノの練習していたの?」

私は言った。

「ううん。」譜面台を見ておばは微笑んだ。「単に出しっぱなしにしてあるだけ、ほら、ほこりがつもってる。」

 そして、そっと立ち上がり、ピアノの方へ歩いていった。黒いふたのほこりを手の平でさっさっと払うと、ふたを開けて、いすにすわった。

「何か、弾こうか。」

 夜近い部屋の中は永遠のように静かだった。私がうん、とうなずくと、おばは譜面を見ずに静かな曲を弾き始めた。ピアノを弾く時ばかりはおばの背すじもぴんと伸び、横顔は健やかに指を追っていた。風とみぞれの音と、音色が混ざりあって、まるで知らない国にいるような不思議な世界が生まれた。夢の中にいるようなひとときだった。私は祖父が死んだことも、おばの悲しみのこともしばらく忘れて、ただその空間に耳を澄ませていた。

 曲が終わるとおばはため息をつき、

「久しぶりにピアノ弾いちゃった。」

 と言って、ふたを閉じ、私に微笑みかけた。

「お腹減った? 何かとろうか?」

「ううん、内緒で来たから、もう帰らなくちゃいけないの。」

 と私は言った。

「そうね。」

 おばはうなずいた。

「駅までの道、わかる? 私、ねまきだから出られない。」

「うん、大丈夫。」

 私は立ち上がった。廊下に出て、階段を降りてゆくと冷気はあまりにもきびしく、体に食いこんでくるようだった。

「じゃ。」

 と私は靴をはいた。本当は伝えたいことがたくさんあったはずなのに、いざ、やっぱり家にいたひとりきりのおばを前にしてみたら何も言えなかったことがひどく悲しく思えた。でもその時、私にはそれが精一杯だったのだ。

 玄関をー歩出た時、おばが私を呼び止めた。

「弥生。」

 静かな声だった。余韻があった。私は振り向き、おばを見た。これからまた暗い部屋へ戻って夜を明かすのだろう。自分が来たせいで、その後の時間をかえってひとりぼっちにさせる気がした。廊下の明かりを背に、おばの白い素足だけがくっきりと見えた。おばは不思議な目をしていた。何かを言いたそうな、遠いところを見ているような深い輝きをたたえて、私を見ていた。

「弥生、嬉しかった。」

とおばは言い、少し微笑んでみせた。

「うん。」

 と私は言い、伝わったと思った。私が来た意味が、ちゃんとわかっている。手を振って、家を後にした。闇の中を凍えて私は急いで帰った。母に遅い帰宅をさんざんしかられ、行き先を聞かれたが、私は決して言わなかった。誰にも話してはいけない気がした。

 

 

 おばの家で過ごしたほんのひとときの不思議な印象は、私の胸に深くしまいこまれた。あの独特な色をした空気、おばのいる空間では過ぎてゆく時間さえ足を遅くするように思えたこと。奇妙になつかしく胸に迫ってきたあのひとときの印象が胸に焼きついた。

 やがて、木々の間におばの家の白い壁が現れ、そのぽつりと明かりのついた窓が見えた時、私はほっとした。やはりおばはいたのだ。家の前に立ち、きらきらと暗く光る水滴をたくさんのせた錆びついた門をきい、と開き、ドアチャイムを押した。少し緊張して待っていた私の耳に、やがて奥の方からゆっくりと足音が近づいてくるのが聞こえた。おばはドアの向こうに立ち、

「どちら様ですかあ。」

 と言った。

「私、弥生。」

 私が告げるとドアががちゃりと開いた。

 「あら、まあ、久しぶり。」

 私を見るとおばはそう言って、淡く微笑んだ。大きな瞳は深く澄み、きちんと整った色の薄い唇が、やさしい形に笑いをつくるのを、私は夢のように思いながら見つめた。

「急に、ごめんなさい。何度か電話をかけたんだけれど。」

 と言って、私は玄関のたたきによいしょ、とボストンバッグをおろした。

「ああ、電話。鳴ってたのは知ってたんだけど……つい面倒で。悪かったわ。」と言っておばは私の荷物を見て笑った。「どうぞ、お入りなさいよ。何? 旅行帰りなの?」

「うん、ちょっとね。あのね、なるべくじゃまにならないようにするから、しばらく泊めてほしいのよ。」

 私は言った。

「あらまあ、家出。」

 おばは目を丸くしてそう言った。つぶやくようなその声は、かすかに戸惑っているようだったが、私の心のどこかにしっかりとした自信と確信があった。大丈夫、きっとこの人は泊めてくれる、私達は絶対に仲が良い。

「……だめ?」

 もういちど静かに、私はたずねた。

「いいわよう、決まってるじゃない。この家に部屋が余ってるのを知っているでしょう?好きなだけいらっしゃいよ。」

 おばはきょとん、とした瞳の後に、明るい口調でそう言った。

「さあ、お入りなさい。雨に濡れるわ。」

 そして、私を奥へ招き入れた。

 あの夜の低い雨の音、沈む闇の濃さ。入ったとたんに閉ざされたドアの中の、静かな空間。きしむ廊下を歩いて、台所へ行った。古びた大きなレンジでお湯をわかして、熱い紅茶を入れてくれたおばの、白いパジャマの後姿が大きな影を壁に映していた。おばは何も聞かず、お茶の香りが部屋中に満ち、テーブルにひじをついて私は、「私は単にもう1回、ここに来たかったんだ」と突然にそう思った。何もかもがわかったような確信が勝手にや

ってきた。嬉しさに高揚して涙が出そうなくらいで、そんな自分が不思議だった。ここに来るだけでよかったのだ。

  それから私は、おばがピアノを弾くのを本当に久々に耳にした。昔と全く変わらない、柔らかい音だった。ある曇った午後、2階のおばの部屋から流れるその美しい音色が、庭木の間をぬうようにして、灰色の空にかすかに消えてゆくのを私は台所の窓からじっと見ていた。音というものが目に見えるときがあるのだと、私はその暮らしの中ではじめて知った。いや、その時のそれは何かもっと、なつかしい眺めだった。その美しい旋律は遠い

昔、いつもそうして、音を見ていたような、そんな甘い気持ちをよびさました。私は目を閉じ、耳を傾け、みどりの海底にいるようだと思った。世界中が明るいみどりに光って見えた。水流はゆるやかに透け、どんなにつらいことも、その中では肌をかすめてゆく魚の群れくらいに思えた。行きくれてそのままひとり、遠くの潮流に迷い込んでしまいそうな、哀しい予感がした。

 19の私の、初夏の物語である。

 

<あらすじ>

  主人公弥生は、自分の幼い頃の記憶がないことに違和感を覚えていたが、心霊体験をしたことをきっかけに、記憶のかけらがよみがえり、「自分にはほかに、本当の家族がいるのだ」という思いを強くし、昔から、なぜか心が通じ合っている気がしていたおばゆきののところに家出をする。そこで、自分がゆきのとは実の姉妹で、本当の両親は昔事故で亡くなったのだということを知るが、翌日、ゆきのは家を出ていってしまう。弥生は、弟の哲生(実は他人)と一緒にゆきのを探すうちに、互いの気持ちを確かめ合う。そしてゆきのを探し出したとき、弥生は過去を乗り越え、未来に向かって歩き出すことを決意する。

 

 

<暗示>

 

  おばと2人で過ごした透明な時間を私は悼む。全くの偶然から産み出された時のすきまの空間を、共に持てたことを幸運に思う。いいのだ。終わってしまったからこそ価値があり、先に進んでこそ人生は長く感じられるのだから。

 

  この部分では、主人公の弥生がおばと2人で過ごした時間を「悼む」と表現することでこの物語の結末を暗示していると考えられる。

 

  まず、「悼む」という言葉の意味を見てみると、

 

悼む……人の死を悲しみなげく。  (広辞苑より)

 

とある。ここから、弥生は、おばのゆきの(実は姉)と2人で過ごす時間はもう2度と持てず、そのことを悲しみなげいていることがわかる。これは、弥生とゆきのはもう、ただのおばと姪としては会うことができないということを表していると考えられる。

  また、そのようになげき悲しんでいるにも関わらず、「いいのだ。終わってしまったからこそ価値があり、」と述べていることから、弥生は、ゆきのの姪として生きていくことはもうできないけれども、それを悲しむだけでなく、記憶を取り戻してからは、ゆきのの妹として、新たな関係を築いていこうとしているということがわかる。このことは、弥生がゆきのと自分が実の姉妹であることを知り、ゆきのを追って盛岡に向かう場面の中に、

 

  私の中で起こったこの変質は年齢を重ねてゆくことに吸いこまれてゆくだろう。ああ、ほんとうに、わからないままでいいことなんてひとつもないのだ。

 

とあることからも、事実を知り、それによってゆきのとの関係が変わってしまうことを、肯定的に捉えているということがわかる。

  以上を合わせて考えると、弥生は、ゆきのと、おばと姪という関係であった日々をいとおしく思いながらも、姉妹だということがわかった後も、新たな関係を築いてゆこうとしているということが言える。

  また、「先に進んでこそ人生は長く感じられるのだから。」とあるが、ここで、例えば「先に進んでこそ素晴らしい人生が待っているのだから。」のように、未来には素晴らしいことが待っているとは書かずに、「長く感じられる」と書いているのは、結末の部分の、

 

家へ帰るのだ。厄介なことはまだ何も片づいてないし、むしろこれから、たくさんの大変なことが待ちうけている。それを、ひとつひとつ、私が、そして哲生が乗りこえていかなくてはいけない。それは不可能なほど重々しいことに違いない。それでも私の帰るところはあの家以外にないのだ。運命、というものを私はこの目で見てしまった。でも何も減ってはいない。増えてゆくばかりだ。私はおばと弟を失ったのではなくて、この手足で姉と恋人を発掘した。

 

という叙述からわかるように、記憶がよみがえったからといって、すぐに幸せな生活が始まるわけではなく、これから、「たくさんの大変なこと」を乗り越えて、それから新たな幸せがやってくるのである。その道のりを「長く感じられる」という言葉で表しているのである。

  以上のことから、初めに挙げた部分は、主人公弥生が、過去を乗り越え、新たな未来へ向かって一歩を踏み出す決意をするという結末を暗示していると考えられる。

 

 

(6)『白河夜船』

 

冒頭部分

        いつから私はひとりでいる時、こんなに眠るようになったのだろう。

        潮が満ちるように眠りは訪れる。もう、どうしようもない。その眠りは果てしなく深く、電話のベルも、外をゆく車の音も、私の耳には響かない。何もつらくはないし、淋しいわけでもない、そこにはただすとんとした眠りの世界があるだけだ。

        目覚める瞬間だけが、ちょっと淋しい。薄曇りの空を見上げると、眠ってからもうずいぶんと時間がたってしまったのを知る。眠るつもりなんかなかったのに、1日を棒にふったなあ……とぼんやり思う。屈辱によく似たその重い後悔の中で私はふいにひやりとする。

        いつから眠りに身をまかせるようになってしまったのだろう。いつから抵抗をやめたのだろう……私が溌剌としていつもはっきり目覚めていたのはいつ頃なのだろう。それはあまりにはるかすぎて、太古のことのように思えた。シダや恐竜が荒々しく生き生きとした色で目にうつる、遠い昔のことのようにかすんだ画面としてしか思い出せなかった。

 

        私はたとえ眠っていても、それでも恋人の電話だけはわかる。

        岩永さんからの電話のベルは音がはっきりと違って聞こえる。なぜだか私にはどうしてもわかってしまうのだ。他のもろもろの音が外側から聞こえるのに対して、彼からの電話はまるでヘッドホンをしている時のように頭の内側に快く響く。そして私が起き上がって受話器を取ると、あの、ぎょっとするほど低い声で彼が私の名を呼ぶのだ。

      「寺子?」

        私がそう、と答えるその声のあまりの空ろさに彼は少し笑って、いつでも同じように、

      「また寝てたんでしょう。」

        と言う。普段は全然敬語を交えないで話す彼がふいにそう行ってくれるその言い方があまりにも好きで、聞くたびに世界がふっと閉じるように思う。シャッターが降りてくるように盲目になる。その響きの余韻を永遠のように味わう。

      「そう、寝てたわ。」

        やっと意識がはっきりしてきて私は言う。この前、電話がかかってきたのは雨の夕方だった。どしゃ降りの雨音とずっしり重い空の色が街中を包んでいる中でその時ふいに、その電話だけが私と外界をつないでいるとてつもなく重要なラインに思えた。

        彼の声が待ち合わせの時間と場所を告げはじめると、私はもうつまらなくなってしまう。そんなことよりも私の好きな「また寝てたんでしょう」をもういっぺんやってほしい、アンコールだ、と足で床を踏み鳴らすマネをしながらメモを取る。はい、何時ね。はい、あそこで。

        もしも今、私達のやっていることを本物の恋だと誰かが保証してくれたら、私は安堵のあまりその人の足元にひざまずくだろう。そしてもしもそうでなければ、これが過ぎていってしまうことならば私はずっと今のまま眠りたいので、彼のベルをわからなくしてほしい。私を今すぐひとりにしてほしい。

        そんな不安に疲れた気持ちで、私は彼と出会って1年半目の夏を迎えていた。

 

<あらすじ>

  主人公寺子は、植物人間の妻を持つ岩永と付き合ううちに、その先の見えない付き合いに疲れ果て、“眠り”に侵食されていく。しかし、岩永の妻とある明け方、夢と現実のはざまで出会い、その優しさに触れることで、しだいに眠りから解放されていく。

 

 

<暗示>

 

      何もつらくはないし、淋しいわけでもない、そこにはただすとんとした眠りの世界があるだけだ。

        目覚める瞬間だけが、ちょっと淋しい。

 

  この部分では、主人公寺子が果てしなく眠ってしまうことには、つらい理由があるのだということを暗示していると考えられる。

 

  まず、「何もつらくはないし、淋しいわけでもない」という部分に注目したい。これは、ふつうならば、「何もつらくないし、淋しくもない」と書かれるのではないだろうか。それを、「何もつらくはないし、淋しいわけでもない」と書いたところに作者の意図があると考えられる。

 もとの表現を@、書き換えたものをAとして比べてみると、@では「つらくない」と、「は」をつけることで、「つらくはないが、幸せでもないのだ」ということを示している。また、「淋しくもない」ではなく、「淋しいわけでもない」と、「わけ」という「(わけではない、わけにはいかない、などの言い方で)物事・状態を、それに含まれている理由・事情などをも含めて漠然とさす。」語をつけることで、何か事情があるのではないかということを漠然と表し、「も」があることで、前半部分と同様、「淋しくはないが、楽しいわけでもない」ということを示している。

  これらのことから、主人公寺子にとって、「眠りの世界」とは、つらくはないが、決して幸せに満ちた世界でもないということがわかる。

  次に、「目覚める瞬間だけが、ちょっと淋しい。」という部分について見ていくことにする。

  眠っている間は、「何もつらくはないし、淋しいわけでもない」眠りの世界にいられるが、目覚めた後の叙述は、次のとおりである。

 

      眠るつもりなんかなかったのに、1日を棒にふったなあ……とぼんやり思う。屈辱によく似たその重い後悔の中で私はふいにひやりとする。

        いつから眠りに身をまかせるようになってしまったのだろう。いつから抵抗をやめたのだろう……私が溌剌としていつもはっきり目覚めていたのはいつ頃なのだろう。

 

  このように、「目覚める瞬間だけが、ちょっと淋しい」のだが、その後も明るい気分にならず、「屈辱によく似た後悔の中で私はふいにひやりと」したりしている。そのような状態と比べて、眠っている間は「何もつらくはないし、淋しいわけでもない」状態でいられるのである。決して、積極的に幸せだと言える状態ではないにしても、淋しかったり、屈辱に似た後悔の中にいたりするという、精神的にマイナスの状態でいるよりも、プラスではないにしても、つらくも淋しくもない、いわばゼロの状態でいることを、寺子は無意識のうちに選んでいるのだと考えられる。

  以上のことから、この作品の冒頭部分では、寺子は、眠りの世界に無意識のうちに逃げ込んでしまうほど、起きているときはつらく淋しい思いをしているということを暗示していると考えられる。

 

 

(7)『夜と夜の旅人』

 

<冒頭部分>

      「My Dear,SARAH

 

        It was spring when I went to see my brother off.

        When we arrived at the airport his girlfriends who were dressed in beautiful colors waited for him.

        Oh, I was sorry, in these days he had many lady loves.

        The sky was fair・・・・・・」

     

       その古い手紙の下書きが引出しの奥から出てきた時、あまりのなつかしさに私はしばし片付けの手を止めた。そして、ナレーションのようにくりかえし、その英文を読んでみた。

       それは1年前に死んだ兄の芳裕が高校の時につきあっていた、サラという留学生にあてた手紙だった。サラがボストンに帰国してすぐに、兄は「外国に住んでみたいな」とか言って気まぐれに彼女を追いかけて行ってしまい、バイトをしたり、遊んだりで1年近くも戻ってこなかったりしたのだ。

       ・・・・・・読んでいるうちに、私は次々に当時の状況を思い出していった。その手紙は、兄があんまり唐突に行ってしまってろくに連絡もよこさなかったので、心配したサラが私あてに兄の近況をつづってくれた手紙に対する返信だった。今の状況なんて思いつきもしなかった高校生の私が、優しくてきれいだったアメリカン・ガールにあてて辞書をひきながら、わくわくして書いたのだ。そう、サラは知的な青い瞳をした、とてもかわいい子だった。日本のものを何でも喜び、いつも兄の後をついて歩いていた。そのヨシヒロ、ヨシヒロと名を呼ぶ声には、切実な恋情があふれていた。

       サラ。

      「英語のわかんないところは彼女に聞くといいよ。」

       兄は私の部屋のドアを突然開けて、そういういいかげんな紹介の仕方で初めて彼女を会わせた。近所の神社の夏祭りに行った帰りに、サラが家に寄った時のことだ。私はその時、ちょうど机に向かって夏休みの宿題に追われていた所だったので、せっかくだから英作文をやってもらうことにした。サラがとても手伝いたそうにしたので、断わるのも悪いような感じだったのだ。うそではない。私は昔から英語だけは得意だったのだ。

       それじゃあサラを1時間だけ貸してやろう、それからサラを送っていこう。と兄は言い、居間にTVを見に行った。

       ごめんね、デートのじゃまをして、とたどたどしい英語であやまる私に、O・K、O・K、私がやれば、こんなのは5分で終わるわ、シバミはその分、他の学科を片付けることができるでしょう? というようなことを、流暢な英語で、うつくしい声で、流れるようなブロンドで言って微笑んだ。ええと、つまり、この宿題は「私のある1日」というのを、適当に作って書いて下さればいいのです。あんまりむつかしい文を作ってしまうとやってもらったことがバレてしまうので、この例文程度の作文で、けっこうです。と私が必死で説明すると、

       それじゃあ、シバミは毎日何時ごろに起きるの?  朝ごはんは和風? それともパン?

       とか、

       午後は何をして過ごすの?

       とかたずねながら、あっという間に宿題を終えてしまった。おお、こんなきれいな字では提出できません、もういちど私の汚い字で書き直さなくては! と私がレポート用紙を見て言うと、サラは大きな声で笑った。

       そんなふうに、少しずつ打ち解けていろいろな話をした。鈴虫の声がする、少し涼しい夜だった。サラは私の部屋の床に出したちゃぶ台にひじをついて、宿題をしていた。それは、私の部屋全体がばっと明るくなるような不思議な色彩の世界だった。金と青。白い、透けるような肌。まっすぐこちらを見つめてうなずく、とがったあごの線。

       黒船だなあ、と私は思った。外国の人とそんなに近くで話をしたのは初めてで、思いがけずに急に、自分の部屋の中に彼女はやってきた。風にのって、祭りのお囃子が聞こえてきていた。空は黒く、丸い月が遠い空にぽっかりと浮いていた。開け放した窓から、時おりそよそよと風が入ってきた。                                                                   

      「日本は楽しい?」

      「ええ、とても。友達もたくさんできました。学校の友達。それから、ヨシヒロの友達。この1年間は忘れられないものになると思うわ。」

      「兄のどこを気に入ったの?」

      「ヨシヒロは大きなエネルギーの塊のような人で、目をひかれずにはおれません。それは単にエネルギッシュということではなくて、内から湧いてくる、つきることのない何か、とても知的なものを感じたの。いっしょにいるだけで、自分もどんどん変わっていけそうな気がする。ごく自然な形で、とても遠いところまでいけそうな気がするの。」

      「サラは何の勉強をしているの? そのうちボストンの大学に戻るの?」

      「日本文化の研究よ。−年後には帰るわ。・・・・・・ヨシヒロと別れるのは淋しいけれど、うちの両親は日本びいきでしょっちゅう来るし、ヨシヒロも1度、アメリカに来てみたいって言っているから、会えるでしょう。今は、日本語の勉強で精いっぱい。でも、勉強はあくまで趣味の問題ね。一生続けてゆくでしょうけれど、やはり、私は母のように、良い母親になりたいわ。そういう意味で、日本の女性にとても興味があるの。私自身、アメリカの女の子達よりも、ジャパニーズガールに共感できる部分がたくさんあります。私は、アメリカンらしくない所があるように思えるから、ね。ゆくゆくはやはりビジネスマンの人と結婚して、そうね、父のような、国際的ビジネスマンと。そして、明るくて、きちんとした家庭を作りたいの。」

      「お兄ちゃん・・・・・・は、国際的にはなれる可能性あるけど、ビジネスマンには向いてないんじゃないかしら。」

      「あはは、本当にそうね、すぐ、クビになってしまいそう。自己中心的に振舞ってね。」

   「でも、ほら、まだ高校生なんだもの、これから変わっていくかもしれないし。そういう仕事に興味を持つようになればいいのよね。そういうふうに仕向けちゃえば?」

       全く子供らしい、夢より遠いことを私は言った。しかしサラも、そういうことを夢見る程度には幼くて、余裕があった。先のことに対する、恐れを知らないまっすぐな背すじが。ふふ、と笑って夢見るようにサラは言った。恋が始まったばかりの時の、相手しか見えない、こわいもののない目をしていた。夢は何でも叶い、現実は押せば動く、と信じることのできる目。

      「そうねえ、ヨシヒロだったらすてきね。日本にも、ボストンにも家庭を持って、行き来できるの。最高に楽しいでしょうね! 私も日本がとても好きだし、ヨシヒロがもし、ボストンを好きになってくれたら、2人とも自分の国は2つある、って思えるわ。それから、2つの国の言葉を聞いて育つベイビー……! 家族みんなで旅行をするの。すてきな話よね……。」

       サラのことなんてあんまりにも昔で、さっぱり思い出さず、今、どこで何をしているのかも全く消息を知らないこの日常の中で、その手紙はふいに出てきた。引っばり出した引出しの後ろの暗がり、机の奥のすみに小さく固まっていたのだから。私がそれを何だろう、とつまみ出し、指でかさこそ開いたことによって、長年の呪縛がゆっくりと空気中に開放されたかのように、すべてが始まったのかもしれない。

 

       「親愛なるサラへ

        兄を見送りに行ったのは春でした。

        空港に着くと兄とその彼女たちが、あ、ごめんなさい、兄にはそのころたくさん彼女がいたのです、花のように着かざって待ちかまえていました。空はよく晴れて、旅立ちの嬉しさで上機嫌の兄につられて、私達はみんな、はしゃいでいました。陽気なものです。みんな、あなたとの恋を祝福していました。おかしいけれど、兄にはそうやっていつのまにか人を納得させてしまうところがあるのです。知ってますよね。

        ちょうど桜のシーズンで、あちこちで桜の花びらが光るように降っていたのを覚えています。

        兄はろくに便りもよこしませんが、つまり元気なんでしょう。楽しく過ごして下さい。

        また、日本にも来て下さい。

         お会いできる日を楽しみにしている

                                                                    芝美  より  」

 

<あらすじ>

  兄を失った芝美は、昔兄と付き合っていたサラというアメリカの女の子にあてた手紙の下書きを偶然見付ける。そして、兄が亡くなったとき付き合っていたいとこの毬絵の傷ついた心が癒されていく過程を優しく見守りつつ、サラとの思い出を振り返る。そしてある日、結婚して子どももいるサラと芝美は再会する。その一瞬の再会の中で、サラの気持ちを芝美は理解する。そのような出来事を通して、毬絵、サラ、芝美はしだいに癒されてゆく。

 

 

<暗示>

 

私がそれを何だろう、とつまみ出し、指でかさこそ開いたことによって、長年の呪縛がゆっくりと空気中に開放されたかのように、すべてが始まったのかもしれない。

 

  この1文では、「長年の呪縛がゆっくりと空気中に開放されたかのように」と書くことによって、結末を暗示していると考えられる。

 

  この1文の中でも、特に「開放されたかのように」という部分に注目したい。普通なら、「呪縛が解ける」とか「呪縛から解放された」というような表現を用いるだろう。そこで、敢えて「開放」という言葉を用いた理由について考えていくことにする。

  まず、「開放」「解放」「解ける」、それぞれの言葉の意味を調べてみる。

 

開放……窓や戸などをあけはなつこと。あけたままにすること。

解放……からだや心の束縛や制限を取り除いて自由にすること。

解ける……束縛や禁止などが解除される。                    (以上  大辞林より)

 

  これらを比較してみると、「解放」や「解ける」を用いると、呪縛が解除され、呪縛をかけられていた者が、そこから自由になる、という意味になる。一方、「開放」を用いると、まだ呪縛は完全に解除されたわけではないが、「引っぱり出した引出しの後ろの暗がり、机の奥のすみに小さく固まっていた」、いわば封印されていた呪縛の、封印を解くことによって、良くなるか悪くなるかはまだわからないにしても、事態がこれから動き出してゆくという意味を表していると考えられる。

  この作品は、語り手芝美のいとこである毬絵が、亡くなった恋人であり、芝美の兄でもある芳裕を失った悲しみから立ち直っていくという物語だが、結末部分では、

 

      チカチカとふとんを照らすTVのニュースが、今夜も東京の大雪を告げていた。

      「去年は雪、なかったのにね。」

        私は言った。

      「え?そうだったっけ。私、それどころじゃなかったからさっぱり覚えてないわ。」

        毬絵は笑った。

      「おかしな1年だったわ。夢見るような。私、去年より少しはマシな状態になってるのかしら。」

      「見たところは、マシみたいよ。」

        私は笑った。

      「あの人っていったい、何だったの?」

        毬絵が言った。兄のことだった。

      「あの人はきっと、人間じゃなかったんだよ。」

        あらゆる意味を込めて、私は言った。兄はただ印象の強い1人の青年にすぎなかったが、あっけなく死んだことで、死ぬまで思い切り気持ち良く生きたことで、おかしな意味を持つ存在になってしまったのだ。

      「お兄ちゃんのことを思いかえすとき、いつもまぶしいような奇妙な気持ちになる。笑った顔や、声や、寝顔や。あの人は本当にいたのだろうか、いたとしたらそれは、かけがえのないことだったんじゃなかろうか、そういう気持ちに。」

      「あなたも?」

        毬絵は言った。

      「サラもね、きっと。」

        私は言った。

      「彼にかかわったすべての人が。」

        チャンピオンは毬絵だろうか、サラだろうか、私は一瞬、それを真剣に考えてみた。甲乙つけがたいものがあった。2人とも、彼によって予想のつかないところへやって来てしまった。

      「私、よく思ったわ、この1年。何でここにいるんだろう?  って。」

        毬絵が言った。

      「あの日、空港で恋に落ちてから、気づいたらもう、ここにいたってね。手元にはもう何も残ってない、ただ前に進むだけの夜の底。何から手をつけていいか、少しずつわかりはじめている、でも、何もないの。あの人は、何だったんだろう、いや、意味なんてない。そう思うと、少し落着いて眠ることができた。」

        私はぼんやりと、さっき見たサラと、そしてあのぞっとするほどなつかしい顔をした息子の場面を思い返していた。そして、影のように静かで暗い毬絵を見てきたこの1年間のことと、その近くでやはり、特殊な期間を過ごしてしまった私のことも。

 

とあるように、芳裕の死から完全に立ち直ったとは言えないまでも、立ち直っていくのであろうという兆しが見られる。この、幸せな未来が待っているとは限らなくても、未来に向かって歩き出そうとする姿を、「長年の呪縛がゆっくりと空気中に開放された」という言葉で表しているのだと考えられる。

 

 

(8)『ある体験』

 

<冒頭部分>

 夜中の庭では、木々が光って見える。

 ライトの光に照らされた、そのてかてかあおい葉の色や幹の濃い茶がくっきりと見える。

 最近、酒量がふえてから初めてそのことに気づいた。酔った目でその光景を見る度に、そのあまりの清潔さに胸を打たれてしまい、もうどうでもいいような、何もかもを失ってかまわないような気がする。

 それは思い切りでも、ヤケクソでもない、もっと自然にうなずいてしまう、静かで清冽な感動が呼ぶ気持ちなのだ。

 このところ毎晩、そんなことばかり考えて眠りにつく。

 さすがに飲みすぎだからひかえようと思うのだが、そして昼間のうちは今夜飲む分をとてもすくなめに胸に決めているのだが、こうして夜が来ると、ビール1杯を皮切りにしてすぐに加速がついてくる。もう少し飲むと気持ち良く眠れるなあ、と思ってジン・トニックをもう1杯作ってしまう。夜中になるにつれて、ジンの分量が増えて濃い酒になる。昭和の生んだ最高の名菓、バターしょう油味のポップコーンをぽりぽり食べながら、私は思う。ああ、またこの段取りで今夜も飲んでしまったと。罪悪感を持つほどの量ではないが、気づくと何かしらのビンが1本は明いているのには少し、ドキッとすることがあった。

 そしてぐでんぐでんのくるくるになってベッドに倒れ込む時、私ははじめてその気持ちの良い歌声を聞くことができる。

 はじめは、枕が歌っているのかと思った。私のほほをどんな時にも優しく抱きとる枕になら、こんな澄んだ声が出せそうだ、と思えたからだ。目を閉じている時以外は、その声は聞こえなかったので、私はそれを単に心地のいい夢だと思っていた。そういう時はいつも、深く考えることができるほど正気ではなかった。

 その声は低く甘く、心のいちばん固くなったところをマッサージしてほぐしてくれるような、うねる響きを持っていた。波音にも似ていたし、私が今まであらゆる場所で出会い、仲良くなり、別れてきた人達の笑い声や、その人達からかけてもらった温かい言葉や、失った猫の鳴き声や、どこか遠くてもうない、なつかしい場所の物音、いつか旅行した時、どこかでかいだ瑞々しい緑の匂いといっしょに耳元をかけぬけていった、ざわめく木々の音……なんかをみんな合わせたような声だった。

 それは今夜も聞こえてきた。

 天使よりももっと官能的で、もっと本物の、かすかな歌。わたしはそのメロディをとらえようとして、わずかに残った意識で必死に耳を傾ける。眠りがとろとろと私を包み、その幸福なメロディも夢に溶けていってしまう。

 

<あらすじ>

 主人公文ちゃんは、かつて春という女と同じ男を奪いあう仲だったが、その後外国へ行った春はアル中のために亡くなっていた。その頃、文ちゃんは酒びたりの生活を送っていた。そして飲んで眠る直前、いつも気持ちの良い歌声が聞こえてくる。そして、それを恋人の水男に相談し、死んだ人に会わせてくれるという「コビトの田中くん」に、春に会わせてもらう。そしてその不思議な体験を経て、文ちゃんは癒されてゆく。

 

 

<暗示>

 

 その声は低く甘く、心のいちばん固くなったところをマッサージしてほぐしてくれるような、うねる響きを持っていた。波音にも似ていたし、私が今まであらゆる場所で出会い、仲良くなり、別れてきた人達の笑い声や、その人達からかけてもらった温かい言葉や、失った猫の鳴き声や、どこか遠くてもうない、なつかしい場所の物音、いつか旅行した時、どこかでかいだ瑞々しい緑の匂いといっしょに耳元をかけぬけていった、ざわめく木々の音……なんかをみんな合わせたような声だった。

 

  この部分は、謎の歌声の主が暗示されていると考えられる。

 

  文ちゃんと春とは、昔同じ男を取り合った仲で、当時は本文中に

 

  もちろん私達は憎み合い、ののしり合い、時には手を出してとっくみあいのケンカをした。あれほど他人と生々しく近づいたことも、あれほど人をうとましいと思ったこともなかった。春だけがじゃまだった。死ねばいいと何度も本気で思ったかもしれない。もちろん向こうもそう思っていただろう。

 

という叙述があるように、互いに憎み合っていた。しかし、そんな中でも、その恋が終りかけていた時には

 

  並んで壁に寄りかかり、ひざを抱えて話した。春とそんな風に話をしたのは、あとにも先にもその時きりだった。雨の音がざあざあと、絶えまなく思考をじゃましていた。ただ、ずっとこうして仲良くこの部屋にいたような気ばかりした。仲の悪いふりばかりしていたような。

 

とあるように、2人の心は通じ合っていた。

  以上のことから、冒頭部分では歌声の主が春だとは明らかにされていないが、文ちゃんがその歌声を心地よく感じていることから、春がその歌声の主であることを暗示していると考えられる。

 

 

(9)『NP

 

<冒頭部分>

  私の知っていたのは、その高瀬皿男という冴えない作家がアメリカに暮らし、冴えない生活のあいまに小説を書きためていたこと。

  48で自殺をして死んだこと。

  別れた妻との間に2人の子供がいたこと。

  彼の書いた小説が一冊の本になり、アメリカでほんのしばらくの期間ヒットしたこと。

  その本の名は「N・P」。

  97の短編が収録されている。根気のない人だったらしく、まるで散文みたいなごく短いストーリーが次々にくりだされる本だ。

  私はそれらのことを、昔私の恋人だった庄司に聞いた。その人は非公開の98話目を発見し、翻訳していた。

 

  百物語では100番目の話を語り終えたときに何かが起こることになっていたけれども、この夏私が体験したのはまさにその、100話目だった。生きたそれを体験したような気がする。あの強烈な空気、夏の空に吸い込まれそうな気持ち。そう、あれはほんの短い期間におこった、ひとつの物語だった。

 

<あらすじ>

  加納風美はかつて、恋人の庄司を自殺で失っていた。彼は『N・P』という小説を翻訳している途中であった。彼以外にも、その小説を訳そうとする人は皆、自殺を遂げていた。風美はその小説の作者高瀬皿男の子である咲と乙彦に出会い、もう一人の子である翠とも出会う。彼女はそうとは知らずに実の父である高瀬皿男と関係をもってしまう。そして現在は、乙彦と恋愛関係にある。その複雑な家族関係の中に風美も巻き込まれていく。やがて翠は乙彦の子を身ごもり、姿を消してしまう。

 

 

<暗示>

 

  百物語では100番目の話を語り終えたときに何かが起こることになっていたけれども、この夏私が体験したのはまさにその、100話目だった。

 

  この部分では、この物語の結末がどんなものであるかを暗示していると考えられる。

 

  この1文の中の「100話目だった」という部分に注目したい。手前の部分で、「百物語では100番目の話を語り終えたときに何かが起こることになっていたけれども」とあることから、この作品の結末は、事件の終わりでなく、何かの始まり、あるいは始まりを感じさせるものになっていると考えられる。

  結末部分では、風美と乙彦が海辺でたき火をし、そこで庄司の遺骨と、未公開の『N・P』の99話目を燃やす。これは過去と決別する気持ちの表われだと考えられる。

  このことから、冒頭部分では、ひと夏の出来事が終り、新たに何かが始まることを感じさせる結末を暗示していると考えられる。

 

 

(10)『ハチ公の最後の恋人』

 

<冒頭部分>

  生きることを憎んだりしていたわけではなかったけれど、いつも何となく夢の中みたいにすべての画面が遠くぼやけていた。いろいろなものをすごく近くに感じたり不自然に遠く感じたりした。

  その頃、私の世界の中で色がついていてまともに私の耳に聞き取れる言葉を話す人は、知りあったばかりのハチしかいなかった。

  だからハチと過ごす時間が一日のうちで唯一私が自分とデートできる時間でもあった。

  それはとても短かく切ないランデヴーだったが、すべてが秘められた、芽だった。

  陽に向かって、ぐんぐんと官能的なまでに大らかに、伸びてゆくため。

 

<あらすじ>

  主人公マオは、新興宗教の教組である祖母に、「おまえはハチの最後の恋人になるだろう。」と予言された。祖母の死後、様々な問題が出てきて、そんな中で野心を燃やす母や信者達に嫌気が差し、家を飛び出す。そしてハチの家に転がり込み、そこに出入りするようになるが、ハチの恋人であった「おかあさん」と呼んでいた高校生の女の子の死後、しばらく足が遠のいていた。時が経ち、ある日突然ハチがマオを訪ねてくる。その日からハチがインドへ修行するために旅立つまでの1年間、一緒に暮らす。その生活の中でマオは様々なことに気付き、また、絵の才能を開花させて行く。そして1年後、ハチとの別れを乗り越え、マオは未来に向かって歩き出す。

 

 

<暗示>

 

        生きることを憎んだりしていたわけではなかったけれど、いつも何となく夢の中みたいにすべての画面が遠くぼやけていた。

 

  この部分は、主人公マオの、ハチと出会う前の心の状態を暗示していると考えられる。

 

  この中でも、特に「生きることを憎んだりしていたわけではなかったけれど」という部分に注目したい。類似の表現として、「生きることを憎んではいなかったけれど」などが挙げられるが、それではなく、「生きることを憎んだりしていたわけではなかった」という表現を選んだところに作者の意図があると考えられる。

  類似表現ともとの表現を比べてみると、「わけ」という「(わけではない、わけにはいかない、などの言い方で)物事・状態を、それに含まれている理由・事情などをも含めて漠然とさす。」語をつけることで、何か事情があるのではないかということを漠然と表し、マオには、生きていたくないのではないが、生きることに対して否定的になるような事情があることを暗示している。また、「わけでは」と、「は」をつけることで、「憎んでいないが、他の否定的な感情を抱いている」ということがわかる。

  そして、「いつも何となく夢の中みたいにすべての画面が遠くぼやけていた。」と書くことで、周りとの関わりが薄かったことを表していると考えられる。次に挙げる、マオがハチと暮らし始めた場面の叙述を見ると、

 

  外に出れば、いつも同じ人がそのへんを通っているのに出会う。誰も変な目で私を見たりしない。いつも近所の人というものは、私の家に住む人たちをどことなく避けていた。それは当然だろう。だから私もなるべくその人たちを見ないようにしていた。問題のないように、透明な人間になったように暮らしていた。

 

  ハチには声をかけるべき人がたくさんいた。知らなかった。私はこういうみんなを通行人だと思っていた。町はセットで、みんな背景だと思っていた。電車の中で押しあう肉塊は気味の悪いクッションにすぎなかった。

  自分だけ、それで自分もいない。

  でも今ははじめてみんなを生きている人間だと思った。それはすごくこわいことでもあった。好きになりたくなかった。不安だった。

 

とある。この2ヶ所から、マオは世間との関わりを持たずに生きてきたことがわかる。初めに挙げた1文で、このことが暗示されていると考えられる。

 

 

(11)SLY

 

<冒頭部分>

  その午後のことを私は妙によく覚えている。喬の家のホームパーティに行った翌日のことだった。

  晴れていて、青い空と光が窓の外に見えた。それとは対照的に暗いリビングで、私たちの間に何かの終わりとはじまりが同時に生まれた。

  その会話の中にいながらも心は逃げさまよい、向こうに見えるキッチンの窓に躍る外の陽ざしを、まるで生き物を見るように眺めていたのをよく覚えている。

 

  これは、私が経験したほんの10日ほどの旅行の物語だ。その旅行は期待していなかったままに何の結論ももたらさず、とりたてて何のもりあがりもなかった。私は、私たちはただそこからここへ、美しい景色につられてさまよっただけだった。何の目的も、希望もなく。それでも何か美しいものが、途方もないものが、あるような気持ちになった瞬間もあった。そういうようなことを描いた小さな物語だ。

 

<あらすじ>

  清瀬は昔、喬と付き合っていて、別れた今も友達付き合いは続いている。同様に日出雄も、昔喬と付き合っていて、今は友達である。ある日、清瀬と日出雄は喬から、自分がHIVポジティブだと告げられる。2人にも感染している可能性があるため、検査を受けるがその結果を聞く前に3人はエジプトへと旅立つ。

 

 

<暗示>

 

  晴れていて、青い空と光が窓の外に見えた。それとは対照的に暗いリビングで、私たちの間に何かの終わりとはじまりが同時に生まれた。

 

とあるが、これは、「晴れていて、青い空と光」とは「対照的」な「暗いリビング」を描き、二つのうちの、暗い方に主人公がいる様子を描くことによって、主人公にとって何かよくないことが起こったことを暗示していると考えられる。また、続きに

 

  その会話の中にいながらも心は逃げさまよい、向こうに見えるキッチンの窓に躍る外の陽ざしを、まるで生き物を見るように眺めていたのをよく覚えている。

 

という一文があることで、よりその効果が高まっていると考えられる。窓の位置を、すぐそばではなく、「向こう」にしたことで、より明るい世界とは切り離されているということが強調されていると考えられる。また、「会話の中にいながらも心は逃げさまよい」とあることから、すぐには直視できないほど重大なことが、その会話の中で語られているのではないかと考えられる。

 

  後に続く本文を見ると、この場面の前に、清瀬は、喬から、彼がHIVポジティブだと告げられる。そして、彼女も感染している可能性があるので、検査を受けるように言われる。

  冒頭部分の3〜5文目は、このような出来事を暗示する物だと考えられる。

 

 

(12)『ハネムーン』

 

<冒頭部分>

  私は小さい頃から自分の家の庭が好きだった。そんなに大きな庭ではないが、家の大きさに比べると、ずいぶん大きな面積だった。

  母が園芸好きで、食べられるものもいくつか植えてあったし、入り組んだ形で庭石が置いてあったり、季節ごとの花が咲く木も植えてあった。だからその庭にはいろいろな顔があった。

  そしてその小さな世界には私がくつろげる場所もいくつかあった。私はそこを大切に思い、子供の時は服のままで地面にすわったり寝転んだりしていた。やがて大人になってからはきちんと敷物を敷いて飲み物を持って、ひまさえあればすわっていた。なにもしないでいてよく飽きないね、と母や父や裕志は言うが、私はほんとうに飽くことなく、大きい空を見ては、足元のこけや蟻を見、また空を見ると雲の位置や空の色が変わっている、というように少しずつ変わっていく世界を眺めて、しばらくすると今度は自分の手に光が当たっているのを眺める、という感じで、時間がどんどん過ぎていくのがこわいくらいだった。

  あまりにも長年ずっと同じ眺めなので、私はそこにいると自分がいくつなのかわからなくなる時があった。大きな庭石にもたれてすわり、やはり交互に空や、大ぶりの枝や葉を見上げ、その後に蟻や小石や土を見る。そうすると、自分の大きさまでもがわからなくなって、嬉しくなった。たまに母が買い物に出て行ったり、父が早く帰宅したりして、庭にいる私を見つける。私が晴れている日に部屋の中にいるのが嫌いなことを、両親は映像で知っている。晴れた日は、私はもはや庭の一部だ。当然のことのようにあいさつをして、二人は門をくぐる。

  裕志がやってくることもある。裕志は門からやってくることはない。竹垣を乗り越えてくる。裕志は目が悪いので、いつも目を細めてけげんな顔で私を確認する。私は笑う。裕志も笑う。その笑顔には、二人が出会ってからの、子供から大人にいたる全ての歴史が刻み込まれている。長い間同じことをしていると、そこに妙な深みが生まれることがある。二人の笑顔はまさにそういうものだった。今さら他の新しくすばらしいことがあるとは思いつかないくらいの深い交流が一瞬、横切る。

  そういう時、私はほんとうに壁も天井もない所にいると思う。私たちは、時間の流れを含めた全てに見捨てられて、この世に二人きりで目を合わせている。音楽が聴こえるような、草の甘い匂いがしてくるような気がする。感覚だけが、魂だけが生き生きと、この壁のない世界で、空が大きく広がっている下で、向き合う。年齢も性別もなく、孤独な感じがするが、広々している。

  どこにいようと、なにかふと不安を感じた時、心の中でいつの間にか私は庭にいる時の自分に戻っていくことがある。庭は、私の感覚が出発した地点、永遠に変わらない基準の空間だ。

 

<あらすじ>

  主人公まなかと裕志は幼なじみである。裕志の両親は新興宗教の信者で、裕志が幼い頃に裕志を置いて外国へ行ってしまった。そして、まなかと裕志は18で結婚するが、それまでと変わらない生活を送っていた。そんな中で、愛犬オリーブと、裕志を養ってくれていたおじいさんが亡くなり、裕志はこれまでになく落ち込む。それでも、まなかと温泉やオーストラリアに行くうちに、心は癒されてゆく。

 

 

<暗示>

 

      私たちは、時間の流れを含めた全てに見捨てられて、この世に二人きりで目を合わせている。

 

  この部分では、まなかと裕志の関係を暗示していると考えられる。

 

  上記の一文を、前半と後半に分けて書き換えてみると、次のようになる。

(前半)

@  私たちは、時間の流れを含めた全てを見捨て、

A  私たちは、時間の流れを含めた全てから見捨てられて、

B  私たちが、時間の流れを含めた全てに見捨てられて、

C  私たちが、時間の流れを含めた全てを見捨て、

D  私たちが、時間の流れを含めた全てから見捨てられて、

 

  「私たちが」ではなく、「私たちは」と書かれているが、「が」ではなく「は」を用いることによって対照の意味が出てくるので、「私たちは、時間の流れを含めた全てに見捨てられている(が、他の人々はそうではない)」というふうに、自分達と他の人々との対照を表していると考えられる。また、「見捨てられて」と受け身の形で書くことで、孤独感を表していると考えられる。これは、

 

      年齢も性別もなく、孤独な感じがするが、広々している。

 

という叙述があることから、2人が孤独感を持っていることがわかり、上記の内容を裏付けている。

 

(後半)

@    この世に二人きりで目が合っている。

A    この世で二人だけ目が合っている。

B    この世で二人だけ目を合わせている。

C    この世で二人しか目を合わせていない。

 

まず、「二人きり」「二人だけ」「二人しか」を比較してみる。

 

きり……関連するのはそれだけで、他には全く及ばないことを表す。

だけ……それが許容される限度であることを表す。

しか……特定の事物以外のものをすべて否定して、ある一つの物に限定して示す。

                                                                  (表現類語辞典より)

 

  これらを比較すると、後半部分では、「この世で二人きり」と書くことによって、他のものとの関係が全くないことを表していることがわかる。そんな中で、「目を合わせている」という能動的な書き方をすることによって、全てに見捨てられた孤独感の中で、関わり合っている二人は、互いにとって、なくてはならない存在だということができる。

  よって、この部分はまなかと裕志の親密さを暗示していると考えられる。

 

 

(13)『ハードラック』

 

<冒頭部分>

 病室に入ると、珍しく母はいなかった。

 境くんがひとりで、本を読みながら姉の横にすわっていた。

 姉は今日も、体中をいろいろな管につながれていた。人工呼吸器のすごい音が、静かな空間に響いていた。

 もはや見なれた光景だったが、時々夢の中でこれを見ると、なぜか現実にこうして姉を見ているよりもずっと、目覚めた時のがっくりした気持ちが増した。

 夢の中で姉のお見舞いに来ると、私はずっと極端な感情を抱く。でも現実には、行きの電車の中でじょじょに準備が始まるのがわかる。その姿を見て、その体に触れる時の気持ちが、だんだんと用意されてくる。でも、夢は別だ。夢の中では姉は普通にしゃべったり、歩いたりしている。でも、夢の中で自分は知っている。どこかにいつも、この病室の光景がひかえている。いつもいつもこの画面を意識しているから、だんだん自分が起きているのも寝ているのも変わらなくなってきた。どこにいてもなにかが切羽詰まっていて、休めないという感覚だった。外から見たら、たいそう落ち着いて見えただろう。この、秋が深まってゆく間に私はどんどん無表情になり、泣く時はいつも自動的に涙がこぼれた。

 姉が、勤めていた会社を結婚退職するために、徹夜の連続で引き継ぎマニュアルを作っている時に脳出血で倒れてからもう一ヶ月になる。大脳はかなり損傷を受け、浮腫に圧迫された脳幹はだんだん機能を失っていた。はじめはわずかにあった自発呼吸も全くなくなってしまった。昏睡におちいってからの人間が、植物状態になるよりも悪い事態があることを、初めて知った。姉の脳は、時間をかけて着実に死んで行った。

 最近は、家族全員が一挙に学習し、この状態は植物状態というのですらなく、その希望すら今は失われ、脳幹が死んだ後の姉の体は呼吸器に生かされているだけだ、ということもつい先週に教えてもらった。植物人間になったならそのままで何年でも生かしておく、という母の願いもすでに断たれた。あとは、脳死が判定され、呼吸器をはずす時を待つしかなかった。

 そして家族全員が奇跡は起こらないという統一見解にまとまって、少し楽になってきた。はじめは知識がなかったから、あらゆる考えがくり返し全員を襲った。迷信から科学知識から、神に祈る心や、夢に出てくる姉の言葉を聞きとろうとするまでの、ほとんど休む暇のない、集中した地獄の時間があった。そして、そういう葛藤の数々にいっときも休めずに悩まされる苦しい時期をひととおり過ぎてからは、姉の体が楽なように、姉がいやがることだけはしないし思わないようにだけ、心を砕こうと皆が落ち着いてきた。もうあの姉は戻ってこないというのは理屈だけではなく、この目でわかってきていた。でも、手があたたかかったり、爪が伸びたり、呼吸の音がして心臓が鳴っていると、どうしてもいろいろな、いいほうの想像をしてしまう。

 姉が完全にこの世を去るまでのこの奇妙な間は、皆にいろいろと考えさせる時間だった。

 私はやむなく中断し、姉の容態によっては中止しようとしていたイタリア留学の手続きを、今朝からまた始めたところだった。姉を抜きにして生活は回り始めていた。しかし、もはや私たちの目に映る全てのことに、姉の影がひそかに息づいていた。 気にしていないように見えるのは姉の婚約者のお兄さんである、境くんだけだった。姉の婚約者は姉の大事故にショックを受けて、実家に帰ってしまった。彼は歯科医大に通う学生だったので、大脳がもう機能していないことの意味をよく知っていた。そして、うちの両親が申し入れた婚約解消を昨日承諾した。

 境くんは東京に住んでいるというだけで、「僕でよければお見舞いに来ます。」と言って、ほぼなんの関係もない人なのに、わりとしょっちゅう病院に来た。はじめは弟のふがいなさを申しわけないと思っているのだろう、と家族は陰口をたたいていたが、そうでもないらしく、まめに来ては看護婦さんをナンパしたりしていた。わりとすぐにこの衝撃的な状態に慣れたように私には見えた。得体の知れない人だった。

 彼のこれまでの人生は謎に包まれていたが、姉が前に言っていたことには、彼ら兄弟は結構苦労人らしい。お父さんは難病で死に、お母さんは長く婦長さんをしながら、女手ひとつで兄弟を育てた、とかそういうような話だったと思う。

 そうして姉がしゃべっていた頃のことを思い出すと、いつも膜に包まれたような感じがした。姉は高くて細い声で、よくしゃべった。よく、子供の頃、布団をお互いの部屋に引きずっていっては、夜明けまでしゃべった。大きくなったらどっちかが、絶対に天窓のある部屋に住んで、しゃべりながら星を見よう、なんてかわいい約束をしたものだ。想像の中で窓ガラスは黒くつやつやと光り、星はダイヤモンドのように輝き、空気は澄んでいた。そこでは姉妹はいつまでもしゃべることがつきず、朝が来ることもないはずだった。

 姉はいつもかわいい感じでどことなくメルヘン調だったが、恋愛に関しては凄みのある女で、私と正反対だった。思春期にはよく「彼のイニシャルを入れ墨する。」とか思い詰めていた。

「やめなよ、別のイニシャルの男とのちにつきあえなくなって、選択の幅がせばまるじゃない。」

「なにそれ。」

「だから、お姉ちゃんが、今、中沢くんのNって入れちゃうと、Nがつく人とつきあわなくてはつじつまが合わなくなるってこと。どうする? たまたまNのつく人だったらいいけどさ、関係ない人を好きになったら。いいわけきかないよ。」

「なんであんたそんなこと思いつくの? いいの! もう他の人とはつきあわないから。初めてつきあった人と、結婚するのなんてすてきじゃない? 私自信あるもん。」

「絶対そんなことありえないって、やめときな。」

などというくだらないやりとりを、私たちは夜中によく楽しんだ。たとえ天窓はなくても、想像力の勢いで、空に星がたくさんあるのを感じることができた時代だった。

 姉のことを思い出すと感じるその膜は、はじめは涙になる度に熱く流れて消えた。今はもう涙は出なかった。そのくらい、私の全身全霊が、この状況を受け入れるのに必死だった。しかしその膜はずっと、姉の面影として私を取りまいている。

「お母さんは?」

 私はたずねた。

 私は家を出て、ひとり暮らしをしながら大学院に通ってイタリア文学を研究していた。姉が倒れた時、もしも植物人間になったら金銭的に親に頼るわけにはいかない、と思ったし気がまぎれることがしたかったので、最近は突然いろいろなアルバイトをした。病院、付き添い、徹夜の水商売、大学院、仮眠、ほとんど食べない…のくり返しで時が過ぎた。私が知ったことは、生活のパターンを変えると、お金は面白いくらいたまるということだった。留学の費用まで自分でかせげそうだった。

 そういうわけで、病院には来ても、実家にはあまり帰っていなかった。電話では毎日話していたし、病院でも毎日会ったが、母の苦痛がどれほどか、想像もつかなかった。母こそが今にも倒れそうに見えた。いつも病院に来ると母は病室にいて、雑誌を読んだり、姉の細くなった体をふいたり、姉に床擦れができないように体を動かしたり、看護婦さんと話しこんだりしていた。おだやかそうに見えたが、内面に嵐が吹き荒れていることは、近くにいるだけで伝わってきた。

「風邪ひいたとか言っていたよ。」

 境くんは言った。

 くん、と呼んでいるうえに話しやすいから友達みたいに話していたが、彼はもう四十過ぎていた。

 仕事も変わっていた。太極拳の特殊な流派の先生で、その思想と実践を教える教室を開いていた。そんなうさん臭い職業の人を私は他に知らなかった。しかし本も書いているし、生徒さんも確かにいるし、外国から弟子入りに来る人すらいるという。そういうのが成り立つこともあるのだということも、最近わかってきた。

 私は、彼を、好きだった。ひと目見た時から。あやしい長髪も、変わった光を放つ目も、教えていることの難解さも、物事に対する意外なリアクションも、奇人変人と呼ぶにふさわしい風格だった。

 初恋が「みんなの前でおたまじゃくしを飲みこんでみせた徹くん」だったというくらい昔から奇人変人に弱い私としては、惹きつけられるに十分な存在だった。そのせいか、姉はなかなか彼を私に会わせてくれなかった。鋭い女のカン、そして私の性格を知りつくした対応だった。あまりにも得体の知れない人だから、気をもんだのだろう。初めて会ったのは、姉がこうなってからだった。

 お見舞いに来た彼を見て、憔悴し切って少しハイになっていた私はひと目で「いいな! この人」と思ったけれど、姉のことで頭がいっぱいだったから、気持ちを押さえた。私は比較的容易に自分の感情を押さえることが出来る。ひそかに心で切なさを楽しんだり、会話でどきどきしたりする隙すらなくなって、なかったことにまでもって行ける。そういうのは本当に好きで仕方ないわけではないのでは、とよくいろいろな時に姉に言われた。好きだと苦しくて、切なくて、押さえるなんて出来なくて、たとえ誰かが死んでもつらぬきたくなるものよ、そして人に迷惑をかけてしまったりするのよ、と。まあ、発言の傾向からすると、多分その時に姉は不倫の恋をしていたのだろう。

 よくそんな姉を、楽しそうだな、と思って眺めていた。自分が死にそうになっても私に恋を勧めるだろうか。いつも、なによ、あんたはほれっぽいだけよ、一応、私のほうが本当に激しいのかもよ! と言い返してみたりもした。

 でも、いつもその性格の違いが本当に楽しかった。

 そうこうしているうちに、この期間私は苦しみにのまれ、はじめに彼を気に入っていたことすら忘れてしまっていた。

 今は初めて、多少の心の余裕があった。でも、その心の余裕とはつまり、私が姉をあきらめていく空間を意味していた。

「十一月ってなんだか空が高くて寂しいね。」

 彼が言った。

「君は何月が好き?」

「十一月。」

「あっそう。どうして?」

「空が高くて寂しくて、心細いような感じがして、どきどきして、自分が強くなったような感じがするから。でも、なにか空気に活気が感じられて、本当の冬がやってくるのを待っている状態でもあるの。」

「俺も。」

「そうよね。なんだか、すごく好き。」

「俺もそうなんだ。そうだ、みかん食べる?」

「もうみかんの季節だっけ?」

「いや、なんとかかん、なんだったかな、名は忘れた。親戚の人が送ってきたってお母さんが言っていた。」

「誰だろう? 九州のおばさんかな。」

「知らない。」

「食べる。どこ?」

「ここ。」

 彼は体を回して、TVの上の籠から丸い果物を取った。お見舞いの人だけのためにあるTVだ。姉が観ることはない、大好きなスマップの中居くんを観ることももうない。

 

<あらすじ>

  主人公の姉は過労のため、脳出血で倒れ、もはや植物状態でもなく、死を待つだけの時間が過ぎていっていた。そんな中で、姉の婚約者の兄である境くんと関わっていくうちに、次第に姉の死を受け入れ、心は癒されていく。

 

 

<暗示>

 

「空が高くて寂しくて、心細いような感じがして、どきどきして、自分が強くなったような感じがするから。でも、なにか空気に活気が感じられて、本当の冬がやってくるのを待っている状態でもあるの。」

 

  これは、姉が死に至るまでの主人公の心の動きを暗示していると考えられる。

 

  ここで「寂しくて、心細いような感じがして」、「自分が強くなったような感じがする」と、対照的な二つの気持ちが書かれているのは、主人公の心の揺れを表していると考えられる。これは、冒頭部分の中の

 

  はじめは知識がなかったから、あらゆる考えがくり返し全員を襲った。迷信から科学知識から、神に祈る心や、夢に出てくる姉の言葉を聞きとろうとするまでの、ほとんど休む暇のない、集中した地獄の時間があった。そして、そういう葛藤の数々にいっときも休めずに悩まされる苦しい時期をひととおり過ぎてからは、姉の体が楽なように、姉がいやがることだけはしないし思わないようにだけ、心を砕こうと皆が落ち着いてきた。もうあの姉は戻ってこないというのは理屈だけではなく、この目でわかってきていた。でも、手があたたかかったり、爪が伸びたり、呼吸の音がして心臓が鳴っていると、どうしてもいろいろな、いいほうの想像をしてしまう。

 

という叙述からもわかるし、また、姉の死後の場面の叙述では、

 

  昔姉にもらったなかなかなくならない海外旅行みやげのブルガリの動物せっけんが、もう動物の形でなくなって単なる丸い固まりになっているのに風呂で気づいた時など、私は号泣した。

 

と、姉の死を実感して涙を流していても、

 

  あとは、留学。そして、その間ちゃんと親のケアをするために、まめに連絡をすること。いい職を見つけるためにも、精力的に活動すること。

 

というふうに、前向きに活動し、親の心配までしていたりする。

  そんな、揺れながらもしだいに強くなってゆく気持ちを、この部分では暗示していると考えられる。

 

 

 

    第三章    冒頭部分の役割

 

第1節                               分析結果

 

  第2章で見てきた暗示を、作品ごとに、何を暗示しているか整理していく。

  ここでは、作品中での心情・状況・事柄を、大きく変化前と変化後、全体を貫くものの3つに分けてみていくことにする。吉本ばななの作品では、ほとんどのもの(今回扱ったものについてはすべて)が、何かに傷ついた人物が癒されてゆくという筋になっている。よって、人物の心の傷が癒される前を変化前、癒された後を変化後とすることにする。

 

(1)『キッチン』……変化前の心情

(2)『ムーンライト・シャドウ』……変化後の心情と状況

(3)『うたかた』……変化後の心情

(4)『サンクチュアリ』……変化前の状況

(5)『哀しい予感』……変化後の心情

(6)『白河夜船』……変化前の心情

(7)『夜と夜の旅人』……変化後の状況

(8)『ある体験』……変化前の事柄

(9)『N・P』……変化後の状況

(10)『ハチ公の最後の恋人』……変化前の心情

(11)『SLY』……変化前の心情

(12)『ハネムーン』……全体を通した心情

(13)『ハードラック』……全体を通した心情

 

 

【暗示されているもの】

 

 

変化前

変化後

全体を貫くもの

 

 

心情

(1)

(3)

(12)

(6)

(5)

(13)

(10)

 

 

(11)

 

 

 

(2)

 

 

状況

(4)

 

 

 

 

 

(7)

 

 

(9)

 

事柄

(8)

 

 

 

 

 

第2節                               分析結果からの考察

 

これらを見てみると、分析した13作品中、6作品の冒頭部分で変化前の心情・状況・事柄についての暗示が見られた。その中でも、変化前の心情を表すものは(1)(6)(10)(11)の4作品あり、私の予想を上回る数であった。

  平田敏子氏によると、「吉本ばななの小説がさーっと読めてしまうのは、わりと短めだと言う物理的な理由もあるけれど、見晴らしがいいからでもある。つまり、小説の進むべき距離と方向を作者がちゃんと心得ていて、最短距離をすたこらさっさと歩いてく。だからだと思う。」(『国文学』平成6年2月号 「大ざっぱに見た吉本ばなな」)と述べられており、当初私は、冒頭部分で結末を暗示しているために、「さーっと読めてしま」い、「見晴らしがいい」のではないかと考えていた。

  しかし、実際の分析結果を見てみると、決してそうとばかりは言えないことが分かった。そこで、さらに細かく見てみると、変化前の心情を暗示しているものは、その傷の深さを読者に感じさせる内容であることがわかる。これによって読者に、重くなりがちな人物の傷心の理由を、軽く伝えることができると考えられる。吉本ばななの軽さについては、種田和加子氏が、「なにかのパロディーなどというあざとい軽さならたくさんあるけれども、そういうものとは決定的にちがうためにこわくなるほどの軽さを一連の作品に見出すことができる。」(『国文学』平成6年2月号 「死と不在――キッチンから遠く離れて」)と述べられているように、彼女の特徴ともいえる部分である。それを支えるものの一つとして、冒頭部分での変化前の心情の暗示が挙げられる。

  また、(4)(8)の、変化前の状況や事柄を暗示するものについては、その暗示が何を意味するものなのかが明かされる時点で、それがきっかけとなって人物が癒されてゆく。このことから、変化前の状況や事柄の暗示は、物語の山場を盛り上げるための仕掛けになっていると言える。

  次に、変化後の心情・状況を暗示しているものについてだが、これらは、先にある程度の見通しを読者に与えることで、その過程に興味を持たせる効果があると考えられる。森岡健二氏が「導入の部分で、まず読者の注意と興味を喚起して、読みたいという欲望を起させることが大切である。」と述べられていたように、冒頭で読者に興味を持たせることは重要である。例えば、(9)『N・P』のように、この物語は100物語の100話目だと言われると、100話目の内容と共に、その後も何かあるのだという期待感を持って読み進めることができる。このように、読者に期待感を持たせる役割を、変化後の心情・状況を暗示する冒頭部分が担っていると考えられる。

  最後に、全体を貫く心情を暗示したものであるが、(12)『ハネムーン』(13)『ハードラック』という作品がこれに当たる。(12)『ハネムーン』を例として取り上げると、この作品では主人公まなかと夫裕志の心の絆の強さが暗示されていた。どんなにつらい状況であっても、その絆さえあれば大丈夫だという希望を持つことができるというのでは、読者にとっては少々退屈と感じられるかもしれない。しかし、吉本ばななの作品においては、その運命を握る人物は、相手のことを思ってはいてもその重さから逃げ出したくなったりしてしまう、弱さも持ち合わせている人物である。その人物が、自分の弱さや相手の状況と折り合いをつけながら、どうにかこうにか、冒頭で暗示されている気持ちを守り続けていくのである。その、危なっかしさに、読者はひきつけられていくという効果があると考えられる。平田俊子氏が吉本ばななの作品に出てくる女の子達について、「自然体」という言葉で表現されていたが、その、人物の自然さをひきたてるのがこの、全体を貫く心情の暗示である。

 

 

 

    第4章    まとめと今後の課題

 

第1節    まとめ

 

  第3章での考察を、ここでまとめておくことにする。

  主要な登場人物が何かに傷つき、癒されるまでを変化前、癒された後を変化後とする。

 

(A)変化前を暗示

  A−1  [心情]        吉本ばなな作品の特徴である軽さを支える。

  A−2  [状況・事柄]  物語の山場を盛り上げる。

 

(B)変化後を暗示

  B−1  [心情・状況]  後に続く物語に対して期待を持たせる。

 

(C)全体を貫くものを暗示

  C−1  [心情]        登場人物の魅力を強調する。

 

 

第2節            今後の課題

 

  今後の課題としては、まず一つ目は、冒頭部分の、暗示以外の性質について見ていくことである。例えば、情景描写による視点誘導など、描写による効果についても、見ていきたいと思う。今回は、暗示のみに的を絞っていったので、冒頭部分の性質と役割については、今後まだまだやるべきことがあると思われる。今回の研究を足がかりとして、より広く、冒頭部分について考えていきたい。

  次に、今回取り上げなかった作品についてだが、無冒頭の『ハードラック』以外にも、雑誌の連載ということで、書き下ろしの作品とは冒頭の性質が違うと思われた『TUGUMI』、『アムリタ』、短編集で、他の作品のような冒頭部分における暗示が見られなかった『とかげ』についても、それぞれの冒頭の性質と役割について分析、考察していきたい。

 

 

 

おわりに

 

  「やっと終った……」とほっとしました。

  見直ししてプリントアウトするぞ!という段になって、「えー、なんでここあらすじ抜けてんの?!」などというお粗末なミスが出てきたりして、げっそりしつつも「私はこの4年間で、なんて変わらなかったんだろう?」と感動すら覚えてしまいました。ほんとに、やることなすこと雑だなあ、と思います。

 

  そんな私が、どうにか1月31日に提出できるのは、どんなにマイペースでもスローペースでも、優しく暖かく見守ってくださった野浪先生と、2年間、共にのんびりとやってきた表現ゼミの皆さんのおかげです。

  ほんとにほんとに、ありがとうございました!!

 

  卒論の出来は、正直言って「……う〜ん」という感じで、今更ながら、「あーすればよかった」「こーすればよかった」などと考えてしまいます。夏合宿では、私は一体何をしてたんだろう?あの時やってたことが、ほとんど生かせていない気が……。

  でも、みんなで明石海峡大橋を見ることができて、よかった。3回の時の奈良での夏合宿の帰り、シカに噛み付かれたのと並んで、良い思い出です。

 

  なんだかとりとめのない話ばかりになってしまいましたが。

  とりあえず、なんとか書き終えたということで、しばらくひと休みしたいなーと思います。

 

  最後に、もう一度、ありったけの感謝の気持ちを込めて。

 

              みなさん、本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

                                        2000年1月31日          水田  有香