土部先生は「言語表現」について次のように概略説明をした。(「文章表現の機構」くろしお出版 1973 7-8ページ)
わたしたちは、ある状況のなかで、ことばによって(目的実現の動機・手段として)表現し、ことばにおいて(表現自体を目的として)表現するという「表現行動」を行なう。そして、その所産として、ことばという表現(言語事実としての言語作品)がなりたつ。そしてまた、わたしたちは、ある状況のなかで、そのことばという表現を理解し(送り手が込めようとした内容・意図をとらえ)、更新表現する(とらえたところにもとづいて、自分のものとしての内容・意図を生みだす)、という「理解行動」ないし「更新表現行動」を行なう。「言語表現」(文章表現)という用語は、狭義には、「言語作品」(文章作品)についてのみ用いられているが、広義には、「言語表現行動」(文章表現行動)をも加え、最広義には、さらに「言語理解行動」(文章理解行動)をも加えた全体を名ざして、用いられている。また、日頃よく「人を見て法を説け」とおっしゃっておられた。相手の言語理解行動を推測したうえで、言語表現活動を行えと言うことであり、言語理解行動を言語表現活動にフィードバックせよということであった。
当研究では、言語理解行動を明らかにしようとする。もちろん、その全てを扱うことはできないので、ごく一部分「理解主体が、作品中に登場する視点人物の視点を設定するとき、描写という叙述を手がかりにしているか」を扱う。
文章表現の研究者の間では、「ここに、こういう描写があるのだから、ここで視点が設定されているのだ。」という認定がほぼ共通する。しかし、一般の理解主体がそのような認定をするかどうかは、確かめられていない。多くの文法研究の場合と同じく、研究者の内省によって認定しているだけである。作品の叙述のありようから認定できると言っても、それで十分であろうかと言う疑問が残る。問題の所在はそこにあると考えられる。
まず、「登場人物の目で見え始めた文」を尋ねるアンケート調査に使う文章を分析して、いかなる叙述が限定視点を生成するかを明らかにしておく。
次にその文章を用いて、アンケート調査を行う。
物語的文章の限定視点は、叙述によって生みだされた「効果」である。いかなる叙述が限定視点を生成するか考察する。
・「深い深い雪のなかで」 | 井上靖 |
・「銀河鉄道の夜」 | 宮沢賢治 |
・「塩狩峠」 | 三浦綾子 |
・「さんちき」 | 吉橋通夫 |
・「忍ぶ川」 | 三浦哲郎 |
・「蜜柑」 | 芥川龍之介 |
No. | 「深い深い雪のなかで」 井上靖 本文 | 叙述内容 + 叙述法 |
視点の ありか |
視点のありかの手がかり |
---|---|---|---|---|
1 | 鮎太と祖母りょうの二人だけの土蔵の中の生活に、冴子という十九歳の少女が突然やって来て、同居するようになったのは、鮎太が十三になった春であった。 | 事態+説明 | 語り手 | 事態説明 |
2 | 冴子という名前は、それまでに祖母の口から度々聞いていたが、鮎太が彼女の姿を見たのは、その時が初めてであった。 | 事態+説明 | 語り手 | 事態説明 |
3 | 鮎太はなんとなく不可ないものが、静穏な祖母と自分の二人だけの生活を攪乱しにやって来たような気がした。 | 心理+記述 | 語り手 or 鮎太 | 心理記述 |
4 | そうした冴子への印象は、彼女の初対面の時の印象から来たものか、冴子という少女に対する村人の口から出る噂がそうした余り香しくないもので、それがいつとはなしに、鮎太の耳に入ってきたことに依るのか、それははっきりしなかった。 | 心理+説明 | 語り手 or 鮎太 | 心理説明 |
5 | あるいはその両方であったか知れない。 | 心理+説明 | 語り手 or 鮎太 | 心理説明 |
6 | その日、鮎太が学校から帰って来ると、屋敷と小川で境して、屋敷より一段高くなっている田圃の畔道を両肘を張るようにして、ハーモニカを吹いて歩いている一人の少女の姿が眼に入った。 | 行動+記述 + 知覚+描写 |
鮎太 | 眼に入った |
7 | 少女と言っても鮎太よりずっと年長である。 | 人物+説明 or 心理+描写 |
語り手 or 鮎太 | 判断「年長である」が鮎太の心理描写である可能性あり |
8 | 村では見掛けない娘であった。 | 人物+説明 or 心理+描写 |
語り手 or 鮎太 | 「村では見かけない」 #1 |
1・2文は、ともに「鮎太と冴子が同居するようになったこと」や「鮎太が彼女の姿を初めて見たこと」の経緯が説明されている。登場人物や登場人物の一人である視点人物が説明をする場合もあるが、その場合はそれと分かる叙述法(談話描写や心理描写)によって、叙述される。しかし、1・2文は、説明という叙述法によって叙述されているだけなので、「語り手」による説明であり、視点は語り手にあると考えられる。
3文は、鮎太の心理が叙述されている。ある時ある場所であることをきっかけにして変化した心理を描いているのではなくて、「同居するようになった、鮎太が十三になった春」の間抱き続けた心理が記述されている。心理が描かれているということから、視点は鮎太にあるとも考えられるし、心理現象が要約記述されているということから、視点は語り手にあるとも考えられる。
4・5文は、鮎太の心理が説明されている。これも3文の場合と同じで、視点は鮎太にあるとも考えられるし、語り手にあるとも考えられる。
6文は、鮎太の行動が描写されている。1〜5文とは叙述法が変わっている(説明or記述→描写)。その上、「屋敷と小川で境して、屋敷より一段高くなっている田圃の畔道を両肘を張るようにして、ハーモニカを吹いて歩いている一人の少女の姿が眼に入った。」という鮎太の知覚行動が描写されている。語り手から鮎太に視点が移動したと考えられる。
7・8文は、冴子がどんな人物であるかの説明である。1〜5文と同様な語り手による説明とも考えられる(「少女と言っても」は、6文の語選択についての語り手による言及であるし、鮎太に視点を置くのであるなら「鮎太より」は、「自分より」とするであろう)。また、6文で鮎太に視点が移動したことから考えると、鮎太が冴子を見て、感じたこと(鮎太よりずっと年長。村では見掛けない娘)が直接に描写されているとも考えられる。 6文の、それまでの「記述」「説明」から「描写」へという叙述法の変化と、「眼に入った。」という知覚の描写とによって、
語り手の視点から鮎太の視点(限定視点)に移動し、その鮎太の視点が「屋敷と小川で境して、屋敷より一段高くなっている田圃の畔道を両肘を張るようにして、ハーモニカを吹いて歩いている一人の少女の姿」をとらえている。
という効果が生じている。
No. | 「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治 本文 | 叙述法 | 視点の ありか |
視点のありかの手がかり |
---|---|---|---|---|
1 | 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」 | 会話描写 | 語り手 or 場面中の誰か | 会話描写(聞いている誰かがいる) |
2 | 先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。 | 行動描写 | 〃 | 対象行動描写(見ている誰かがいる) |
3 | カムパネルラが手をあげました。 | 行動描写 | 〃 | |
4 | それから四五人手をあげました。 | 行動描写 | 〃 | |
5 | ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。 | 行動描写 | 語り手 or ジョバンニ | 「手を上げようとして急いでそのままやめました」意思の叙述と読める |
6 | たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。 | 心理描写 | ジョバンニ | 心理描写 |
7 | ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。 | 行動描写 | 語り手 | ジョバンニに視点があるなら、受動態になるだろう。 |
8 | 「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」 | 会話描写 | 〃 | |
9 | ジョバンニは勢よく立ちあがりましたが、立って見るともうはっきりとそれを答えることができないのでした。 | 行動描写+心理描写 | 〃 | |
10 | ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。 | 行動描写 | ジョバンニ | 「ふりかえって」の方向性 |
11 | ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。 | 心理描写+事態描写 | 〃 | 心理描写 |
1文は、会話描写。会話の主体が誰かは明示されていない。会話の内容「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」から、誰かがみなさんと呼ばれる大勢に対して、何かの質問をしていることは、わかる。学校の先生かもしれないし、講演会の講師かもしれない。ともかく、声だけが在ってその姿は現れていない。視点は、語り手にあると読むのが自然である。(誰かの声を聞いている「みなさん」のうちの誰かに視点があると読むことが出来ないことはない)
2文は、会話の主体「先生」の行動描写である。ここでも視点は、語り手にあると読むのが自然である。(先生の行動を見ている「みなさん」のうちの誰かに視点があると読むことが出来ないことはない)
3文は、カムパネルラの行動描写である。先生からカムパネルラに視点がとらえる対象が移動しているが、その視点は語り手にあると読むのが自然である。(先生やカムパネルラの行動を見ている「みなさん」のうちの誰かに視点があると読むことが出来ないことはない)
4文は、みなさんのうちの「四五人」の行動描写である。
5文は、「手を肩の当たりまでそろそろと挙げ、そして。そろそろと下ろした」という行動として読めるので、ジョバンニの行動描写である。また、「手を上げようとして急いでそのままやめました」が行動としては表れていないで、心理の動きだけが描かれているとも読めるので、心理描写であるともいえる。
6文は、ジョバンニの心理描写である。この作品が、三人称限定視点で書かれているのならば、限定的に描写されている心理の主体が視点人物であるから、早ければ5文、遅くとも6文で、ジョバンニの視点から作品世界が描かれていくのだろうという予測をすることになる。
7文は、先生の行動描写である。5・6文でジョバンニに視点が移動しているから、7文の先生の行動をとらえているのは、ジョバンニの視点である。しかし、
「ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。」という叙述は、ジョバンニの視点から描かれているともとれるし、語り手の視点から描かれているともとれる。ジョバンニの視点から描かれていて語り手の視点からではないととれるようにするためには、
「ところが先生に早くもそれを見附けられたのでした。」という受動態による叙述が必要である。その点で、ジョバンニに移動した視点をもう一度語り手に返していると考えられる余地がある。そのうえ、具体的な行動を描写(例えば「先生は鋭い視線をジョバンニに向けました」などの)していないので、語り手の視点から行動を説明的に描写しているととれる。
8文は、先生の会話描写である。視点に関する情報がないので、視点はジョバンニにあるともいえるし、語り手にあるともいえる。
9文はジョバンニの行動描写と心理描写である。6文と同様に、ジョバンニの視点に移動する。
10文は、ザネリの行動描写である。ザネリは「振り返ってジョバンニを見」る。「振り返る」という方向性を持った動作が描かれることで、視点はジョバンニに固定される。ジョバンニはザネリに「見られ・笑われる」のである。
11文のジョバンニの心理描写「どぎまぎして」とジョバンニの事態描写「真っ赤になってしまいました」。視点はジョバンニに固定されている。
No. | 「忍ぶ川」三浦哲郎 本文 | 叙述法 | 視点の ありか |
視点のありかの手がかり |
---|---|---|---|---|
1 | 志乃をつれて、深川へいった。 | 行動記述 | 語り手としての私 | 「つれて」が「私」を想起させる。記述 |
2 | 識りあって、まだまもないころのことである。 | 事態説明 | 〃 | 説明は語り手。 |
3 | 深川は、志乃が生まれた土地である。 | 事物説明 | 〃 | 説明は語り手。 |
4 | 深川に生まれ、十二のとしまでそこで育った、いわば深川っ子を深川へ、去年の春、東北の片隅から東京へ出てきたばかりの私が、つれてゆくというのもおかしかったが、志乃は終戦の前年の夏、栃木へ疎開して、それきり、むかしの影もとどめぬまでに焼きはらわれたという深川の町を、いちども見ていなかったのにひきかえ、ぽっと出の私は、月に二、三度、多いときには日曜ごとに、深川をあるきまわるならわしで、私にとって深川は、毎日朝夕往復する学校までの道筋をのぞけば、東京じゅうでもっともなじみの街になっていた。 | 事態説明 | 〃 | 説明は語り手。 |
5 | 錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、洲崎の運河につきあたって直角に折れる曲り角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃は、あたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。 | 行動記述+行動描写 | 登場人物としての私 | 「志乃は……嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。」 |
6 | 七月の、晴れて、あつい日だった。 | 事態説明 | 語り手としての私 | 説明は語り手。 |
7 | 照りつけるつよい陽にあぶられて、バラック建てのひくい屋並をつらねた街々は、白い埃と陽炎をあげてくすぶっていた。 | 風景描写 | 登場人物としての私 | 一度設定された視点人物があれば、描写はその視点からの描写ということになる。 |
1文は、行動を要約的に記述した文である。具体的な様子を描写した文ではない。視点は語り手に置かれている。「連れて行った」主体が明示されていないが、明示されていない場合の主体の「ディフォルト(規定値)」は、語り手としての私である。
2文は、1文の事態があった「時」の説明であり、3文は、深川と志乃との関係の説明である。ともに、語り手からの説明である。
4文は、私と深川との関係、志乃と深川の関係の説明である。これも、語り手からの説明である。1文〜4文まで、語り手の視点から出来事の記述や関係の説明がなされている。
5文は、私の連れの志乃の行動「志乃は、あたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。」が描写されている。(「志乃は、あたりの空気を嗅ぐように、背のびして懐かしそうに街をながめわたした。」などと書きそうなところであるが、心理を書かずに外面だけの描写によって心理を推測させようという方法である。)もちろん、同伴している登場人物としての「私」の視点からの描写である。
6文は、「七月の、晴れて、あつい日だった。」は、その日の状態の要約的記述。「あつい」は皮膚感覚なので、見えない。7文の「照りつけるつよい陽にあぶられて、……白い埃と陽炎をあげてくすぶっていた。」という風景をいきなり提示しないための「誘導」の機能を持っていると考えられる。
7文「照りつけるつよい陽にあぶられて、バラック建てのひくい屋並をつらねた街々は、白い埃と陽炎をあげてくすぶっていた。」は、風景の描写。5文「志乃は、……ながめわたした」街の様子。志乃に視点がおかれているとしてもよいが、志乃が見ている風景を視点人物「私」も同じように見ているとしたい。登場人物としての私という一人称視点が定まった直後に、三人称視点「志乃」へ移動するのは不自然であるから。
このように作品を分析して、「登場人物の目で見え始めた文」を探していくと次のようになる。妥当な文には★マークを、可能な文(許容できる)には●をつけた。
★ | 6文 | その日、鮎太が学校から帰って来ると、屋敷と小川で境して、屋敷より一段高くなっている田圃の畔道を両肘を張るようにして、ハーモニカを吹いて歩いている一人の少女の姿が眼に入った。 |
● | 7文 | 少女と言っても鮎太よりずっと年長である。 |
● | 1文 | 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」 |
★ | 10文 | ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。 |
1文 | 明治十年の二月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。 | |
2文 | 「お前はほんとうに顔かたちばかりか、気性までおかあさんにそっくりですよ」 | |
3文 | 祖母のトセがこういう時はきげんの悪い時である。 | |
4文 | 亡き母に似ているということは、決してほめていう言葉ではないことを、信夫は子供心にも知っていた。 | |
5文 | (おかあさまって、どんな人だったのだろう?) | |
6文 | 母は信夫を生んだ二時間あとに死んだと聞かされている。 | |
● | 7文 | 信夫は今、鏡にむかってつくづくと自分の顔をみつめていた。 |
★ | 8文 | 形のよい円らな目、通った鼻筋、きりっとしまった厚くも薄くもない唇。 |
9文 | (おかあさまは、きれいな人だったんだなあ) |
7文の「自分の顔」が具体的に描写されているのが8文である。7文は8文に比べて要約記述的であり、語り手の視点から信夫の行動を描写しているとも読めるので、8文を★(妥当)、7文を●(可能)とした。
1文 | 三吉は仕事場に降りてろうそくをともした。 | |
★ | 2文 | 今日、親方と二人で作りあげた祇園祭りの鉾の車が、どっしりと立っている。 |
● | 3文 | 見上げると、また、ため息が出た。 |
4文 | 「どっから見ても、ぴしっと引きしまってる。ほんまに、ええできあがりや。」 | |
5文 | 車輪の真ん中から、お日さまの光のように周りへ伸びている二十一本の細い支え木のことを、矢という。 | |
6文 | その一本をにぎってゆすってみる。 | |
7文 | こそっともしない。 | |
8文 | 「うむ、きちっとはまってる。半人前のおらが作ったなんて、だれも信じひんやろ。」 | |
9文 | 八つのときに、この「車伝」に弟子入りして、まだ五年。 | |
10文 | 一人前になるには、もう七、八年かかる。 |
3文には知覚動作「見上げると」があって、視点と対象の位置関係を示すが、対象そのものは2文に示されているので、「登場人物の目で見え始めた文」としては、2文を★(妥当)、3文を●(可能)とした。
★ | 5文 | 錦糸堀から深川を経て、東京駅へかよう電車が、洲崎の運河につきあたって直角に折れる曲り角、深川東陽公園前で電車をおりると、志乃は、あたりの空気を嗅ぐように、背のびして街をながめわたした。 |
6文 | 七月の、晴れて、あつい日だった。 | |
● | 7文 | 照りつけるつよい陽にあぶられて、バラック建てのひくい屋並をつらねた街々は、白い埃と陽炎をあげてくすぶっていた。 |
1文 | ある曇った冬の日暮れである。 | |
2文 | 私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。 | |
● | 3文 | とうに電灯のついた客車の中には、珍しく私の外に一人も乗客はいなかった。 |
★ | 4文 | 外をのぞくと、うす暗いプラットフォームにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、ただ、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しそうに、ほえ立てていた。 |
5文 | これらはその時の私の心持ちと、不思議なくらい似つかわしい景色だった。 | |
6文 | 私の頭の中には言いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落としていた。 | |
7文 | 私は外套のポッケットヘじっと両手をつっこんだまま、そこに入っている夕刊を出して見ようという元気さえ起こらなかった。 |
3文の「珍しく私の外に一人も乗客はいなかった」という不在の描写よりも、4文の「うす暗いプラットフォーム」「檻に入れられた小犬」の描写のほうが、対象と視点をはっきりと示している。また、「外をのぞくと」という知覚動作の描写が視点の位置をはっきりと示すので、3文を●(可能)、4文を★(妥当)とした。
以上のように、作品中で、視点がどうセットされ、その視点から対象がどのようにとらえられはじめるかを見ておいて、
次に、「登場人物の目で見え始めた文」を尋ねるアンケート調査を行った。
アンケート調査協力者 | 大阪教育大学平成12年度国語学概論受講生 | 99名 |
金蘭短大国語科1・2回生 | 50名 | |
その他 | 9名 | |
合 計 | 158名 |
アンケート本文 アンケート実施期間 2000.6月1日〜30日 「どのように読んでいるのか」についてのアンケート
大阪教育大学 国語教育講座
国語学第2研究室 野浪正隆 物語や小説を読んでいくとき、「見え始めた」と感じるところがあります。読む人によって「その見え始めたところ」には違いがあるだろうと思います。また、見え方にも違いがあるだろうと思います。
もし、「見え始めた」と感じなかったり、「登場人物の目で見始めたな」と感じなかった場合は、「見えなかった」を選んでください。 01 鮎太と祖母りょうの二人だけの土蔵の中の生活に、冴子という十九歳の少女が突然やって来て、同居するようになったのは、鮎太が十三になった春であった。 02 冴子という名前は、それまでに祖母の口から度々聞いていたが、鮎太が彼女の姿を見たのは、その時が初めてであった。 03 鮎太はなんとなく不可ないものが、静穏な祖母と自分の二人だけの生活を攪乱しにやって来たような気がした。 04 そうした冴子への印象は、彼女の初対面の時の印象から来たものか、冴子という少女に対する村人の口から出る噂がそうした余り香しくないもので、それがいつとはなしに、鮎太の耳に入ってきたことに依るのか、それははっきりしなかった。 05 あるいはその両方であったか知れない。 06 その日、鮎太が学校から帰って来ると、屋敷と小川で境して、屋敷より一段高くなっている田圃の畔道を両肘を張るようにして、ハーモニカを吹いて歩いている一人の少女の姿が眼に入った。 07 少女と言っても鮎太よりずっと年長である。 08 村では見掛けない娘であった。 「深い深い雪のなかで」 井上靖 −見え始めた文を選んで下さい− 以下略
|
実際におこなったアンケートでは、12作品について、「見え始めた文」と「登場人物の目で見え始めた文」を回答して貰ったが、本考察では、そのうちの、6作品の「登場人物の目で見え始めた文」のデータを考察対象にする。
アンケートの回答を表計算ソフトに取り込んで、次のような処理をした。
No | 深い深い雪のなかで | 蜜柑 | さんちき | 忍ぶ川 | 塩狩峠 | 銀河鉄道の夜 |
1 | 0 | 心理描写2+私 | 心理描写2 | ●事態描写 | 0 | 心理描写 |
2 | 心理記述 | 事態説明1+私 | 心理描写2 | ●事態描写 | 心理描写2 | 心理描写 |
3 | 0 | ★事態描写2+知覚動詞 | 0 | 0 | -1 | 0 |
4 | 0 | 心理描写1+私 | ★事物描写1+人物 | 事態説明2 | 心理描写1 | 0 |
5 | 事態説明+知覚動詞 | 行動描写+私 | ★事物描写1+人物 | 事態説明2 | 事態説明1 | 0 |
6 | 心理説明2 | ★事態描写2+知覚動詞 | 心理描写2 | 事物説明1 | 心理描写1 | 0 |
7 | 心理記述 | ★事態描写2+知覚動詞 | 行動描写3 | 事態説明3 | 事態説明1 | 0 |
8 | 心理記述 | 行動描写+私 | 心理描写1 | ★行動描写1 | 会話描写1+おまえ | 0 |
点数 | 人数 | 累積 | 百分率 | 逆累積 | 百分率 |
---|---|---|---|---|---|
0 | 35 | 35 | 22.2 | 158 | 100.0 |
1 | 26 | 61 | 38.6 | 123 | 77.8 |
2 | 37 | 98 | 62.0 | 97 | 61.4 |
3 | 16 | 114 | 72.2 | 60 | 38.0 |
4 | 21 | 135 | 85.4 | 44 | 27.8 |
5 | 14 | 149 | 94.3 | 23 | 14.6 |
6 | 5 | 154 | 97.5 | 9 | 5.7 |
8 | 2 | 156 | 98.7 | 4 | 2.5 |
9 | 1 | 157 | 99.4 | 2 | 1.3 |
11 | 1 | 158 | 100.0 | 1 | 0.6 |
点数0の回答者が35人であるところに目を付けて、高得点者を見ると、4〜11点の合計が44人である。44人のなかで★が2つ以上あるものとそれ未満で分けると★が2つ以上あるものがちょうど35人であった。
中間の88人について、一括して扱っても良いが、1〜5点まで分布しているので、1つだけ●★を回答した57人と、●★取り混ぜて2つ以上回答した31人とに分けた。
得点パターン | 人数 | グループ名 |
---|---|---|
0点 | 35人 | 読めない人たち |
●★1つだけ | 57人 | 少し読める人たち |
●★2つ以上 | 31人 | まずまず読める人たち |
★2つ以上 | 35人 | かなり読める人たち |
叙述内容を大きく、会話・行動・事態・事物・心理に分ける。
●★がつく場合があるから、会話・会話●・行動・行動●・行動★・事態・事物・事物★・心理に分けられる。
読めない | 少し読める | まずまず読める | かなり読める | |
---|---|---|---|---|
会話 | 5 | 4 | 6 | 3 |
会話● | 0 | 2 | 7 | 0 |
行動 | 42 | 58 | 22 | 26 |
行動● | 0 | 13 | 24 | 11 |
行動★ | 0 | 19 | 14 | 55 |
事態 | 52 | 90 | 34 | 25 |
事物 | 3 | 4 | 2 | 1 |
事物★ | 0 | 4 | 3 | 14 |
心理 | 64 | 80 | 35 | 48 |
読めない | 少し読める | まずまず読める | かなり読める | |
---|---|---|---|---|
★描写 | 0 | 31 | 25 | 82 |
●描写 | 0 | 26 | 48 | 18 |
描写 | 97 | 119 | 55 | 73 |
記述 | 30 | 42 | 11 | 10 |
説明 | 39 | 75 | 33 | 20 |
読めない | 少し読める | まずまず読める | かなり読める | |
---|---|---|---|---|
★描写 | 0.0% | 9.1% | 13.4% | 39.0% |
●描写 | 0.0% | 7.6% | 25.8% | 8.6% |
描写 | 46.2% | 34.8% | 29.6% | 34.8% |
記述 | 14.3% | 12.3% | 5.9% | 4.8% |
説明 | 18.6% | 21.9% | 17.7% | 9.5% |
「叙述法の平均回答率表」をグル−プごとの累積グラフにすると次のようになる。
表とグラフから「手がかりにする叙述法」について以下のことがわかる。
以上のことから、「読めない」から「かなり読める」への段階は、一つは、「描写」と他の叙述法とを識別できる力の段階であり、一つは、「描写を読みこなす」力の段階であることがわかる。
ただし、描写といっても、何が描写されているのかを詳しく見る必要がある。
読めない | 少し読める | まずまず読める | かなり読める | |
---|---|---|---|---|
会話 | 2.38% | 1.17% | 3.23% | 1.43% |
会話● | 0.00% | 0.58% | 3.76% | 0.00% |
行動 | 20.00% | 16.96% | 11.83% | 12.38% |
行動● | 0.00% | 3.80% | 12.90% | 5.24% |
行動★ | 0.00% | 5.56% | 7.53% | 26.19% |
事態 | 24.76% | 26.32% | 18.28% | 11.90% |
事物 | 1.43% | 1.17% | 1.08% | 0.48% |
事物★ | 0.00% | 1.17% | 1.61% | 6.67% |
心理 | 30.48% | 23.39% | 18.82% | 22.86% |
「叙述内容の平均回答率」をグル−プごとの累積グラフにすると次のようになる。
表とグラフから「手がかりにする叙述内容」について以下のことがわかる。
限定視点人物の視点から作品世界を眺めることができるためには、作品中に以下のような仕掛けが一般的に必要である。
昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは、川へ洗濯にいきました。
ある日のこと、おばあさんが川で洗濯をしていると、
おばあさんは「不思議だなぁ」と思いました。
河上から大きなモモがどんぶらこどんぶらこと流れてくるのが見えました。
1・2は、限定視点人物を作り上げる働きをし、
3は、語り手から限定視点人物に視点を移行させる働きをし
4で、限定視点人物から作品世界を眺めることができる。(「見えました」などの知覚動詞はそれを補強する)
「登場人物の目で見始めたか」への回答であるならば、4しかないのであるが、3は4の準備であるし、1・2も3よりは遠いとはいえ準備であるから、全くの見当違いというわけではない。問題は、「描写」という叙述法に習熟しているか、限定視点がセットされる仕掛けに対する反応力がどれほどあるかということであろう。
「読めない」「少し読める」「まずまず読める」「かなり読める」という4つのグループは、「描写」という叙述法への習熟度、限定視点がセットされる仕掛けに対する反応力の度合いを共時的に示しているが、これは一人の読者の「読む力」の発達の過程を示しているのではないかと思われる。小学校高学年から大学生までを対象とした調査を行って明らかにしたいと思う。
最後に、今回のアンケート調査で分かったことは、「案外に読めていない」ということであった。「事物描写」を丁寧に読んでいないということであった。文学作品を国語科教育で教えるときに、主人公の心理の推移をたどらせるだけでなく、そういう心理状態にある視点人物が外界をどうとらえているかという読み活動を授業に組み込むことによって、よりよい読者を育てていく必要があると感じた。